
日陰になっているエミリア通りは、夕立の雨が乾いていなかった。

イタリア・ファシズムを担った建物が見えてきました。

近代的塔がある建物は、1933年から1936年に建設されたCasa del Fascioです。

Casa del Fascioの柱に施された浮彫です。

ボローニャのファシスト連盟専属の彫刻家Amleto Beghelliの浮彫です。

Ex-Casa del Fascioに観光案内所があります。

Via Speri

Vicolo Inferno

Chiesa Cattolica Parrocchiale San Cassiano

Piazza della Conciliazone

Piazza della Conciliazone

Vicolo Infernoに戻りました。

エミリア通りに戻ります。

Ex-Casa del Fascioです。

グラムシ広場です。

以前はエルベ広場と呼ばれていました。現グラムシ広場は、中世の頃、サン・バルナルド修道院とサン・パオロ修道院によって所有されていましたが、14世紀から、肉の処置所、肉市場として繁栄していました。

グラムシ広場にある教会だった建物です。

15世紀に建設されたサン・ベルナルド教会だった建物です。

エミリア通りの東の方は後から見ます。

エミリア通りに時計塔があります。

ナポレオンに従ってイーモラに進駐してきたフランス軍将校によって、19世紀初めに贈られた時計です。

時計塔の下を潜ります。

時計塔の西側に出ました。

潜ってきた時計塔を振り返って撮った写真です。



再び時計塔の下を潜って、時計塔の東方に出ます。


ポルティコが続きます。


時計塔を越え、エミリア通りの右側にマッテオッティ広場があります。

教皇シスト4世の計らいによって、1474年、イーモラ領主となったジローラモ・リア―リオ(サヴォーナ、1443-フォルリ、1488)(シスト4世の息子)が現在の姿に拡張整備したマッテオッティ広場です。

ジローラモ・リア―リオが自分の宮殿として1480年に建設させたPalazzo della Signoria、現称Palazzo Sersantiです。

中世の頃、マッテオッティ広場はイーモラ商業の中心地でした。


Palazzo Comunaleです。

1213年に建設されたPalazzo Comunaleです。現在の外観は、18世紀後半に行われた大修復工事の後のものです。

Palazzo Comunaleのファサードです。


ファサードのフレスコ画はシスト4世です。

Palazzo Comunaleの入り口です。

(つづく)