早起きして、何時もよりも早くホテルを出ました。
この時間では、ドゥオーモは流石に空いていました。
サン・ミケーレ教会は未だ開いていません。
ここは後で拝観する予定です。
セルヴィ通りを進みました。
セルヴィ通りの先は広場で、広場の突き当りにあるのがサンティッシマ・アンヌンツィアータ聖堂です。
サンティッシマ・アンヌンツィアータ広場です。
広場から振り返るとドゥオーモのクーポラが見えます。
噴水、トスカーナ大公の彫像、歴史的建造物などがある盛沢山の広場です。
1516年創建のLoggia dei Sarvi di Maria
1417年から1436年に建設された捨て子養育院 Spedale degli Innocenti
ピエトロ・タッカ(カッラーラ、1577‐フィレンツェ、1640)の「Fontane dei nostri marini」(1627‐41c)
広場に2つあります。
もう一つの噴水
ジャンボローニャ(ドゥアイ、1529‐フィレンツェ、1608)とピエトロ・タッカ(カッラーラ、1577‐フィレンツェ、1640)の「トスカーナ大公フェルディナンド1世・デ・メディチ像」(1602‐07)
ピエトロ・タッカがジャンボローニャ工房で働いていた時期に制作されたようです。
写真左の建物はPalazzo delle Due Fontane、写真右の建物はPalazzo Grifoniです。
1563年から1574年にかけて建設されたPalazzo Grifoniです。
Spedale degli InnocentiとPalazzo delle Due Fontane
Loggia dei Sarvi di Mariaです。
サンティッシマ・アンヌンツィアータ聖堂 Basilica della Santissima Annunziataです。
1806年、第251代教皇ピオ7世(在位:1800‐1823)によってBasilica Minoreに格付けされました。
聖堂はバッティストリ通りに面してます。
マティルデ・ディ・カノッサの時代の1081年以降、聖堂がある現在地に聖母に捧げられた礼拝堂がありましたが、1233年に、その礼拝堂は廃棄されました。
1250年、その礼拝堂があった場所にマリアの下僕同信会によって教会が創建され、1280年頃に一応の完成を見ました。
しかし、初代の建物は小さかったので、1384年、神父で建築家だったアンドレア・マンフレディ・ダ・ファエンツァ(ファエンツァ、1319‐ボローニャ、1396)によって再建計画が立案されました。アンドレアの考えは、アントニオ・ディ・プッチョ・ブッチ(フィレンツェ、1350c‐1416以降没)に継承されましたが、計画の域を脱することが出来ませんでした。
ミケロッツォ・ディ・バルトロメオ・ミケロッツォ通称ミケロッツォ(フィレンツェ、1396‐1472)によって漸く実現の運びとなり、二代目の建物が1444年に創建され、建物の基本部分は1453年に一応の完成を見ました。
1460年、アントニオ・マネッティ(フィレンツェ、1423‐1497)によって拡張工事が開始され、更にレオン・バッティスタ・アルベルティ(ジェノヴァ、1404‐フィレンツェ、1472)に引き継がれ、ファサード下の柱廊が追加されました。
アルベルティの死後の16世紀初めに完成したルネサンス様式の二代目の建物が現在の姿の原形です。
1516年、二代目の建物の奉献式が執り行われました。
鐘楼と後陣
ファサードのフレスコ画とモザイクを見ます。
こちらのフレスコ画は、ポントルモが1513年から1514年に制作した作品の複製です。(制作者不明)
本物は、フィレンツェ郊外の旧サン・サルヴィ修道院だった建物に置かれている「アンドレア・デル・サルトの最後の晩餐美術館」にあります。
ダヴィド・ギルランダイオ(フィレンツェ、1452‐1525)の「受胎告知(モザイク)」(1509)
サンティッシマ・アンヌンツィアータ聖堂修道院は複雑な構造をしています。
中に入ると先ず柱廊玄関に出ます。
Chiostro dei Voti 誓いの回廊と呼ばれている柱廊玄関は、ミケロッツォの設計によって1447年に建設されました。
誓いの回廊のフレスコ画は見逃せません。
構造図の2が誓いの回廊です。
アレッソ・バルドヴィネッティ(フィレンツェ、1425‐1499)の「羊飼いの礼拝」
コジモ・ロッセリ(フィレンツェ、1439‐1507)の「聖フィリッポ・べニツィ」
アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1530)の「ハンセン病患者を治癒する聖フィリッポ・べニツィ」
アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1530)の「冒涜者の処罰」
アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1530)の「悪魔に取りつかれた人を解放する聖フィリッポ・べニツィ」
アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1530)の「死に瀕した子供を蘇生させる聖フィリッポ・べニツィ」
アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1530)の「聖フィリッポ・べニツィの聖遺物に対するフィレンツェの人々の信仰」
ロッソ・フィオレンティーノ(フィレンツェ、1495‐フォンテーヌブロー、1540)の「聖母被昇天」
ポントルモ(エンポリ、1494‐フィレンツェ、1557)の「ご訪問」
アンドレア・デル・サルト像
聖母子像
アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1530)の「マギの行列」
アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1530)の「聖母の誕生」
フランチャビージョ(フィレンツェ、1482‐1525)の「聖母の結婚」
(つづく)