昼寝を一時間ほどしました。
酔い覚ましと買い物のために外に出ました。
スローフード・レストランがなければ、スローフードなるものを買って自室で料理をするつもりでした。そのため、簡易キッチンがある部屋に泊まったのです。
ホテル前のサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会の扉が開いていました。これはイタリアではかなり珍しいことです。
青空市が終了した9月20日広場は綺麗になっていました。
9月20日広場からポレンツォ通りに入りました。
スローフードのお店を探しましたが見つからず。尤も例え見つかったとしても、午後3時は昼休み中で開いてません。
引き返して公園に行って、涼しい風に当たろう、そうすれば良い酔い覚めになる。
公園はサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会の東方にあります。
同じ道を通っては詰まらないので、ゲルマーノ通りを歩きました。
さらに横道を進んだら、何のことはない、元の広場に戻ってしまいました。観光案内所で頂戴した地図を持参していましたが、地図を見ないで適当に歩いているので何時も見当違いになってしまいます。それで手酷い目に何度も遭ってますが、懲りることなく性分なので諦めてます。
あの時計は6,7分遅れてます。
公園の入り口にホテルがあります。
この辺は完全に城壁外に当たります。尤も、その城壁の位置が分かりませんが。
公園の下は駐車場になってます。
ホテルの横からベルヴェデーレ公園に入ります。
こうして街歩きの記事をアップしていると、我ながら時間、労力、金の無駄をして来たことか、と呆れてます。
芸術鑑賞に特化するならば、ミラノ、ローマ、フィレンツェ、ヴェネツィア、ナポリを中心に、パルマ、ボローニャ、フェッラーラ、マントヴァ、ベルガモ、シエナ、アレッツォ、ジェノヴァ、トリノ、ペルージャ、アッシジ、パドヴァ、ヴェローナ、ウルビーノなどに繰り返し行くべきでした。今となっては後悔しきりです。
Reviglio della Veneria家によって18世紀に造成された公園です。
公園は丘上に造成されてます。
公園からブラの街を一望できる絶景ポイントがあるだろうとの読みでした。
将棋、囲碁では勝手読みすると負けになります。
この公園では正しく勝手読みでした。
トホホの景色でした。
人影がありませんでしたが、それでも木陰に隠れて立小便。
ヨーロッパ人、具体的にはドイツ人、イギリス人、フランス人、イタリア人などの友人たちと幾度となく旅行しましたが、彼らは野糞、立小便を平気でします。
18世紀くらいまでは、建物に便所がないのが普通だったそうで、野糞、立小便は伝統だそうです。宮殿だって便所がなかったのです。
城壁みたいに見えましたが、やはり城壁ではないようです。
広場に戻りました。公園行は全くの無駄足でした。
ポレンツォ通りに戻りました。赤茶色の建物にフレスコ画があります。
街角の「聖母子」
相変わらずスローフードのお店が見つからない。
次の交差点を左折してヴェネリア通りに入ります。
18世紀に敷設されたヴェネリア通りです。
通りから突き出た建物にフレスコ画があります。
写真正面の建物です。
街角の「聖母子」
再びヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りです。
ここには午前中二回来ました。
もう一度拝観する気になれないサンタントニーノ・マルティーレ教区教会です。
日差しが出てきたので暑くなってきました。
この辺ではスローフードについて諦めかけていました。
写真左のパラッツォに少々お邪魔を。
「聖母子」のテラコッタ
不審者に違いないので早々に退散します。
(つづく)