シモン・ヴーエ(パリ、1590‐1649)の「若い女の肖像」
ピエトロ・ダ・コルトーナ(コルトーナ、1596‐ローマ、1669)の「聖母子と聖人たし」(1629c)
ジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニ(ボローニャ、1574‐ミラノ、1625)の「変容」(1605‐07c)
Joachim Von Sandrart (1606-1688) の「善きサマリア人」(1632)
オラツィオ・デ・フェッラーリ(ヴァルトーリ、1606‐ジェノヴァ、1657)の「この人を見よ」
ルーカ・ジョルダーノの「聖家族とパドヴァの聖アントニオ(1664‐65)
アントン・ヴァン・ダイク(1599‐1641)の「聖母子とパドヴァの聖アントニオ」(1630‐32)
Pieter Paul Rubens (1577-1640) の「最後の晩餐」
Jacob Jordaens (Anversa,1593-1678) の「イサクの犠牲」
ジョアッキーノ・アッセレート(ジェノヴァ、1600‐1644)の「寺院への出現」
この辺になると空いてきました。
Maestro di Anversa del 1518 の「マギの礼拝」
16世紀のアンヴェルサ派無名画家の「聖母子を描く聖ルーカ」
エル・グレコ(1541‐1614)の「聖フランチェスコ」
Jan De Beer (1504-1515 存在記録)の「ご誕生、マギの礼拝、エジプトへの逃避のトリッティコ」
Herman Rode の「男の肖像」(1628)
Maestro delle Mezze Figure (15‐16世紀)の「アレッサンドリアの聖カテリーナ」
アントン・ヴァン・ダイクの「アメリア・ディ・ソルムズの肖像」
Dirck Van Santvoort (1610-1681)の「男の肖像」
Pieter Paul Rubens の「パンから逃げるシューリンクス」
Nicola Knupfer ? の「利己的な金持ちの例え」
Gian Filippo Van Thielen の「花」
モラッツォーネ、チェラーノ、ジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニの「聖ルフィーナと聖セコンダの殉教」
ジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニ(ボローニャ、1570c‐ミラノ、1625)の「聖ジローラモ」
ジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニの「悔悛のマグダラのマリア」
フランチェスコ・カイロ(ミラノ、1607‐1665)の「ルイージ・サクラムッチャの肖像」
ダニエーレ・クレスピ(1600c‐1630)の「彫刻家の肖像」
ジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニの「聖チェチリア」
ジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニの「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」(1616‐20)
タンツィオ・ダ・ヴァラッロ(アラーニャ、1574c‐ヴァラッロ、1635)の「高貴な女性の肖像」
モラッツォーネ(モラッツォーネ、1573‐ピアチェンツァ、1626)の「聖フランチェスコ」
ダニエーレ・クレスピの「最後の晩餐」
タンツィオ・ダ・ヴァラッロの「長崎でのフランチェスコ会修道士の殉教」は東京上野で開催されたカラヴァッジョ展に貸し出されていました。
タンツィオ・ダ・ヴァラッロの「男の肖像」
フランチェスコ・カイロの「ゲッセマネ園のキリスト」(1633)
ジョヴァン・バッティスタ・クレスピ(チェラーノ、1576‐ミラノ、1633)の「ロザリオの聖母」
カラヴァッジョの「エマオの晩餐」は貸し出されていました。それにしてもよく貸し出しを許可したものだと思います。
この場所にカラヴァッジョの「エマオの晩餐」があります。「エマオの晩餐」の代わりに別の作品が展示されていました。
それが、この「エジプトへの逃避途中の休息」です。
この作品を観るのはこの時が初めてでしたが、カラヴァッジェスキの無名画家の作品としては非常に出来が良いと思います。
バッティステッロ(ナポリ、?-1637)の「井戸のサマリア女」
オラツィオ・ジェンティレスキ(ピサ、1565c‐ロンドン、1638?)の「三殉教者(聖ヴァレリアーノ、聖ティブルツィオ、聖チェチリア)」
ジュゼッペ・デ・リベラ(ロ・スパーニャレット)(1590‐1652)の「聖ジローラモ」
ルーカ・ジョルダーノの「化学者の肖像」
マッティア・プレティ(タヴェルナ、1613‐ヴァレッタ、1699)の「救世主」
マッティア・プレティの「税を払う聖ピエトロ」
ベルナルド・カヴァッリーノ(ナポリ、1622‐1650)の「嬰児虐殺」
ベルナルド・カヴァッリーノの「無原罪の聖母」
Johann Heinrich Schoenfeld の「サビーネ女の強奪」
出口から入館したので、何時もと逆に新しい時代の作品から古い時代への作品を見ていったので、戸惑いました。
フランチェスコ・ゲッシ(ボローニャ、1588‐1649)の「聖母子と聖人たち」
アンニーバレ・カッラッチ(ボローニャ、1560‐ローマ、1609)の「キリストとサマリア女」(1594‐95)
アンティヴェドゥート・グラマティカ(シエナ、1571‐ローマ、1626)の「聖ティブルツィオ、聖ヴァレリアーノ、聖チェチリア」
ルドヴィーコ・カッラッチ(ボローニャ、1555‐1619)の「キリストとカナンの女」(1594‐95)
アンティヴェドゥート・グラマティカの「聖ネレーオ、聖アキソレオ、聖ドミティッラ」
フランチェスコ・アルバーニ(ボローニャ、1578‐1660)の「プットたちのダンス」
ルドヴィーコ・カッラッチの「修道士たちへの聖アントニオ・アバーテの説教」(1615)
グエルチーノ(チェント、1591‐ボローニャ、1666)の「アガルトイスマエルに縁を切るアブラーモ」
グイド・カニャッチ(サンタンジェロ・ディ・ロマーニャ、1601‐ウィーン、1663)の「クレオパトラ」
グイド・レーニ(ボローニャ、1575‐1642)の「聖ピエトロと聖パオロ」
フェデリーコ・バロッチ(ウルビーノ、1535‐1612)の「聖ヴィターレの殉教」(1583)
ルドヴィーコ・カッラッチの「マギの礼拝」(1616)
ピエロ・デッラ・フランチェスカの作品がある展示室です。
この時は、ペルジーノとラッファエッロの師弟による「聖母の結婚」が展示されていました。
修復工事のため、立ち入り禁止の展示室が多く残念でした。
リベラ―レ・ダ・ヴェローナ(ヴェローナ、1445‐1527)の「聖セバスティアーノ」
廊下の先も立ち入りが禁止されていました。
(つづく)
コメント
コメント一覧 (2)
毎日の更新、お疲れ様です、そして有難うございます。
このように見える形で修復が行われ、閉鎖されている部屋が分かるのは、まだ救いがあります。それに対して、入館者に気付かれないように鍵がかけられ、立ち入れない部屋があるのは災難です。このケースをたびたび経験してます。
また、掲示とか通知なしに、展示されなくなった有名な作品があります。改善して欲しいですが、イタリアなので諦めてます。
ウフィツィ美術館の、レオナルド・ダ・ヴィンチの「マギの礼拝」、パオロ・ウッチェッロの「サン・ロマーノの戦い」などがそうです。
シニョレッリさんはトリノのカラヴァッジョ展に行かれますか。私は夏休みに行きます。
コメント、有難うございます。
今年は未だイタリアに行っていないので、最新情報が分かりませんが、昨夏は展示室と展示作品の見直しを実施中の国立美術館が幾つかあり、そのため、閉鎖されている展示室や見ることが出来なかった有名作品がありました。ウフィツィ美術館もその一つでした。
修復のため、展示されていない作品については、その旨の表示がされるのが普通なので、表示がなく非展示となった作品は何か他の理由があると思います。
ウフィツィ美術館ですが、展示する作品の差し替えを積極的に行う方針のようです。数千点にも上る非常設展示作品を保有しているのが、その背景と思います。
10月上旬にトリノに行き、その際、カラヴァッジョ展に行くつもりでしたが、会期が最終的に10月1日まで(一時期、確か10月中旬までとされていたと思います)となったので、どうしようか迷ってます。