次の部屋です。
タペストリーの部屋って、変な臭いがしませんか? 饐えたような臭いが苦手です。
第22室になります。
有翼のライオン
次の部屋です。
第23室になります。
ジョヴァンニ・サンティ(コルボルドーロ、1439以前生まれ‐ウルビーノ、1494)の「受胎告知」(1485)
ジョヴァンニ・サンティの「ピエタ」
ジョヴァンニ・サンティの「死せるキリスト」
ジョヴァンニはラッファエッロの父です。
ジョヴァンニ・サンティの「聖レジーナ」
ジョヴァンニ・サンティの「聖母子と聖人たちとブッフィ家の人々」
ジョヴァンニ・サンティの「ピエタのキリストを支える二天使」
15世紀後半のウルビーノの無名画家(Maestro dello Stendardo di San Giovanni )の「洗礼者聖ジョヴァンニの説教」
15世紀後半のウルビーノの無名画家(Maestro dello Stendardo di San Giovanni)の「キリストの洗礼」
ジョヴァンニ・サンティの「六聖人(聖ジャコモ、聖グイダ・タッデオ、聖フィリッポ、福音書記者聖ジョヴァンニ、聖マッテオ、聖パオロ)」
次の部屋です。
第24室です。
ティモテオ・ヴィティー(ウルビーノ、1470‐1523)の「聖母子」(1518‐20)
15世紀第3四半世紀のフィレンツェの無名彫刻家の「ローマ皇帝の頭像」
次の部屋です。
第25室です。
ロレンツォ・ロット(ヴェネツィア、1480‐ロレート、1556)の「聖ロッコ」(1549)
ベルト・ディ・ジョヴァンニ(ペルージャ、1488‐1529記録)の「聖母の物語の裾絵」
「聖母の誕生」
「チントラの聖母と聖トッマーゾ」
「聖母の結婚」
ティツィアーノの「キリストの復活」
ティモテオ・ヴィティーの「マグダラのマリア」
ティツィアーノの「最後の晩餐」
ティモテオ・ヴィティーの「聖トッマーゾ・ベケットと聖マルティーノとジョヴァン・ピエトロ・アッリヴァベーネ司教とグイドゥバルド公」
ヴィンチェンツォ・パガーニ(モンテルッビアーノ、1490c‐1568)の「受胎告知」
ヴィンチェンツォ・パガーニの「天上の聖母子と聖マルティーノと大天使ミケーレと聖ジョルジョ」
第26室はラッファエッロの部屋です。
人が絶えることがありません。
ラッファエッロ・サンツィオ(ウルビーノ、1483‐ローマ、1526)の「貴婦人の肖像」(1505‐09)
これは何のため?
ラッファエッロの「聖カテリーナ」
その裏面ですが、何が描かれているのか、サッパリ分かりません。
次の部屋です。
第27室になります。
ペッレグリーノ・ティバルディ(プーリア・ディ・ヴァルソルダ、1527‐ミラノ、1597)の「ご訪問」
ラッファエッリーノ・デル・コッレ(ボルゴ・サン・セポルクロ、1495c‐1566)の「聖母子」
エルコーレ・ロマッツァーニ(アルチェーヴィア、1535c‐1598)の「十字架降下」
ラッファエッリーノ・デル・コッレの「救援の聖母と洗礼者聖ジョヴァンニと聖クリストフォロ」
Let's call it a day.
(To be continued)
コメント
コメント一覧 (4)
これはなんのため?と書かれている白い浮彫が寝かせてある写真、
目の不自由な人のためかと私は思っていました。
でも、これだけが触って分かっても、他の多数の作品に触れないのでは意味のないことですね。
私もぐら姐さんと同じく、目の不自由な人がさわって観賞できるようにとの配慮だと思っていました。
さすがイタリア、その辺は先進国だなぁ、と。
はっきりそう書いてあったのはデルモンテ城です。
城の模型が置いてあって、自由に触れるようになっていました。
コメント、有難うございます。
白い浮彫は、やはり目の不自由な人のためのものでしょう。
美術館や博物館で、目の不自由な人たちのために手で触れて作品が分かるようにしている、浮彫のようなものを時々見かけます。
目が不自由であっても等しく芸術を楽しんで欲しいという観点からの工夫であり、イタリア人の懐の深さを感じます。
コメント、有難うございます。
「そもそも論」から言えば、芸術作品鑑賞は目が不自由であれば成立さえも難しいという自明の中で、万人等しく鑑賞を楽しんで欲しいという考えからの工夫です。
しかし、ぐら姐さんがご指摘のように、その工夫があるのは、限られた美術館・博物館であり、それらの中では、ごく一部の作品に限定されてます。やはり、その辺は仕方のないことでしょうね。