13世紀に建設されたカザーリ宮です。
カザーリ宮にエトルリア・アカデミー博物館が置かれたのは、約300年前の1727年のことでした。
正式名称は、Museo dell'Accademia Etrusca e della citta di Cortonaと言い、その展示は名称の通り、単にエトルリアに留まらず、他のコムーネにあるMuseo Civicoとほぼ同じの幅広い展示が特徴です。
展示は多岐にわたってます。
エトルリア人の住居の模型
エトルリア人の墓
エトルリア人の骨も展示されてます。
ローマ時代のモザイク
コルトーナは、紀元前4世紀にローマの支配下に入りました。
コルトーナ出身の現代画家ジーノ・セヴェリーニの作品が展示されている部屋です。
ジーノ・セヴェリーニの「受胎告知」
ジーノ・セヴェリーニの「授乳の聖母」
次は絵画部門です。
フィレンツェ派無名画家の「8聖人」(15世紀)
フィレンツェ派無名画家の「聖母子」(15世紀)
アントニアッツォ・ロマーノの「聖母子」
ニッコロ・ディ・ピエトロ・ジュリーニの「二聖人」
ニッコロ・ディ・ピエトロ・ジュリーニの「二聖人」
マリオット・ディ・ナルドの「玉座の聖母子と二天使」
ビッチ・ディ・ロレンツォの「聖母子と聖人たちのトリッティコ」
作者不明のモザイク(15世紀初め)
ルーカ・シニョレッリの「聖母子と聖人たちのトンド」(1512)
ルーカ・シニョレッリの「羊飼いの礼拝」
バルトロメオ・デッラ・ガッタの「聖母子」
ピントゥリッキオの「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」
ヤコポ・ディ・ジョヴァンニの「嘆きの聖母」
チゴリの「荊刑のキリスト」
ヤコポ・ディ・ジョヴァンニの「マグダラのマリア」
ミケーレ・ディ・リドルフォ・デル・ギルランダイオの「受胎告知」
チゴリの「ご訪問」
チゴリの「二人の男の肖像」
ヤコポ・キメンティ・ダ・エンポーリの「聖ジュゼッペ」
サンティ・ディ・ティート工房の「キリストの復活」
ルドヴィーコ・ヴェヌーティ(1785‐1872)の「自画像」
Johann Zoffany (1733-1810)の「自画像」(1776)
James Northcote (1746-1831)の「自画像」(1778)
ルーカ・シニョレッリの追随者の「聖アントニオ」
ルーカ・シニョレッリの追随者の「玉座の聖母子と二聖人」
ピエトロ・ダ・コルトーナ派無名画家の「聖テレーザの法悦」
ピエトロ・ダ・コルトーナ派無名画家の「聖テレーザと聖アゴスティーノ」
ピエトロ・ダ・コルトーナ派無名画家の「聖母の結婚」
ピエトロ・ダ・コルトーナの戴冠した天才」
チーロ・フェッリの「ルツの結婚」
ピエトロ・ダ・コルトーナの「聖母子と聖人たち」
バッチョ・チャルピ(1574‐1654)の「聖ベネデットの奇跡」
ネーリ・ディ・ビッチの「十字架降下と聖人たち」、「ピエタのキリストと聖人たち」
ミケーレ・ディ・リドルフォ・デル・ギルランダイオの「聖人たち」
ミケーレ・ディ・リドルフォ・デル・ギルランダイオの「プレデッラ」
フランチェスコ・シニョレッリの領域の「聖母子と聖人たち」
ルーカ・シニョレッリ派無名画家の「聖家族と聖ジョヴァンニーノ」
ルーカ・シニョレッリ派無名画家の「聖母子と聖二コラと聖アントニオ」
ルーカ・シニョレッリ派無名画家の「聖母子」
ベランダを通って隣の建物に移動しました。
シニョレッリ工房があった場所です。
ベランダから見えた景色
こちらは”市立博物館”でしょう。
18世紀にアッカデミアが設された際に、当時の修道院長が保有する絵画、図書、エジプト関係にコレクションを寄贈しました。この辺は寄贈されたものが主に展示されてます。
複雑なカザーリ宮の歴史を反映して雑多な展示が特徴です。
説明版がありません。
ジョヴァンニ・バッティスタ・ピアツェッタの「天上の聖母子と聖人たち」
ドメニコ・プリーゴの「祈る寄進者」
図書室
外に出ました。
(おわり)
コメント
コメント一覧 (2)
毎日の更新、お疲れ様です、有難うございます。
「エトルリア・アカデミー博物館」の名前が誤解を与えます。
初めてコルトーナに訪れた時 この名称からエトルリア人の歴史博物館と判断して、それなら他でも同じような博物館があるから入館する必要がないと思った、それで通り過ぎ、そのままコルトーナを後にしました。
後になって、それが間違いと分かり、自分の馬鹿さ加減に呆れた思い出があります。
市立ならば、市立博物館と名称変更した方がベターと思います。
コメントを頂き有難うございます。
私もまったく同感です。
Museo Civicoが妥当ですね。
シニョレッリの作品があることを入館して初めて知りました。彼の工房作品、追随者、模倣者や彼の息子の作品も、その時、初めて見たのです。