パヴィア大聖堂、Cattedrale di Santo Stefano e Santa Maria Assuntaです。
ヴァチカンのサン・ピエトロ大寺院、パンテオン、フィレンツェ大聖堂に次いで、イタリアで4番目に大きい聖堂です。
この地には、後に司教座教会となる、6‐7世紀に建設されたサント・ステファノとサンタ・マリア・デル・ポポロの双子の教会がありました。
建物の老朽化と規模拡大のために、再建されることになり、1488年、クリストフォロ・ロッキの設計によって建設工事が開始されましたが、創建間もない時期にジョヴァンニ・アントニオ・アマーデオとジャン・ジャコモ・ドルチェブオーノに建築家が変更となりました。
1521年に一応の完成を見ましたが、クーポラやファサードは未完成のまま19世紀に至りました。
設計者がブラマンテやレオナルド・ダ・ヴィンチの弟子だったので両者の影響を受けた建物になってます。
高さ97mのクーポラは漸く1885年に完成しました。
最終的に工事が終わったのは1930年でした。
建設工事が長年に渡ったため、場所によって新旧混在している箇所があります。
この場所が問題の箇所です。勿論、遺跡ではありません。崩落した塔がありました。
この場所に、1330年に建てられ、1583年に高さを増した、鐘楼を兼ねた市の塔Torre Civicoがありました。構造上、強度の問題を抱えていましたが、1989年3月17日に大崩落してしまいました。
崩落時に大聖堂の建物に損傷を与えましたが、大聖堂の建物と市の塔が互いの強度上のバランスを保っていたようで、それだけに留まらず大聖堂の構造強度自体にも深刻な影響を与えることが分かり、その使用が危険とされました。
そのため、大聖堂の大規模修復工事が行われるようになり、2012年10月に工事が完成したのです。その間、大聖堂は立ち入り禁止となっていました。
聖堂内に入りました。
驚きました!
市の塔崩落以前の聖堂内は、ルネサンス様式の薄暗く堂々とした造りでしたから。
明るくて全てが新しいのです。
変わらないのは三廊式、ギリシャ十字形の基本構造くらいです。
変わらないのは外観だけ?
うろ覚えですが、以前のクーポラの方が断然よかった!
味気ない主祭壇と後陣
左翼廊の礼拝堂でミサが行われていました。
後陣の装飾
新造されたものでしょうね。
オリジナルのものを出来るだけ生かそうとの発想はなかったように思います。
説教壇
構造上の強度不足だったので、オリジナルのものを使用したくても出来なかった可能性がありそうです。
アレッサンドロ・サウリ礼拝堂
このような修復は予想していなかったので戸惑いました。
ロザリオの聖母礼拝堂
ベルナルディーノ・ガッディの「ロザリオの聖母」(1532)
サンティッシモ・トリニータ礼拝堂
サン・ジョヴァンニ・バッティスタ礼拝堂
サクロ・クオーレ礼拝堂
聖家族礼拝堂
ジュゼッペ・カルサーナ・ディ・ベルガモの「聖家族」(1887)
ダニエーレ・クレスピの作品(17世紀)
イル・チェラーノの作品(17世紀)
洗礼盤
(おわり)
コメント
コメント一覧 (2)
毎日の更新は大変でしょう。お疲れ様です。
大聖堂の外観と内装の違いは驚きですが、あれ意外にやりようがない「仕方が無い」の好例です。
以前の柱の周囲を鉄筋とコンクリートで固めて強度を高めたので、異常に太い柱となったと聞きました。
バロック時代に外観はロマネスク、内部はバロックの改築修復が大流行したが、パヴィア大聖堂も300年、400年と経てば、それと同様になるのかと希望してます。
鐘楼崩落前にあったルネサンスの彫刻絵画が消えてようだ。
コメント、有難うございます。
あのように太い柱を持った教会を見るのは、修復後のパヴィア大聖堂が初めてです。修復前の柱を交換するのは強度的に無理だったと思います。
市の塔崩落以前の聖堂にあった彫刻や祭壇画をよく覚えていませんが、もし何処かに移されて展示されているとすれば市立博物館と思います。しかし、それらしき作品は博物館になかったように思います。