イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

2016年09月

チッタ・ディ・カステッロ Citta di Castello は、人口39,913人(2016年1月1日現在)のウンブリア州ペルージャ県にあるコムーネです。
テヴェレ川の上流にあり、その歴史は古く、テヴェレ川の急流が齎した沖積地にウンブリア人が築いた集落が起源とされてます。
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この時は、ペルージャからウンブリア中央鉄道 Ferrovia Cetrale Umbra に乗って到着しました。架線が見えますが、通常、電車ではなく気動車が運用されてます。
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ペルージャからの直通バスはなかったと思いますが、サンセポルクロからは直通バスがあります。
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駅舎です。公共交通機関を利用するのは学生が多く、一般の人たちは車を利用しているようです。
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駅からチェントロの入り口の門まで約500mあります。日帰り遠足をするよりも訪れる先々で出来るだけ泊まる主義なので、先ず予約してホテルに向かいます。2泊では退屈するので、今回も1泊の予定です。
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駅から歩いて来た場合のチェントロの入り口となるサンタ・マリア門です。この時は青空が見えて、陽射しもありましたが・・・・
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修復工事が終わったばかりなので、門が新しく見えます。
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門を潜って城壁内に入りました。城壁内から見た門の写真です。
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門を潜れば、道の左側にすぐ教会が目に飛び込んでます。15世紀に建設されたサンタ・マリア・マッジョーレ教会です。
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大きな荷物がありながら、拝観しました。数多くの苦い経験から、「見ることが出来るならば後回しにしないで今見るのが肝心」と悟りました。
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外に出たら雲行きが怪しくなっていました。
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この日は金曜日でしたが、翌日の土曜と日曜にパリオが行われるので、あちこちに旗が掲げられてます。地区対抗戦をパリオと言うようです。初めて見たパリオがシエナで、二番目がアスティでしたが、両方とも競馬だったので、パリオ=競馬と思っていました。それが間違いと分かったのは、ジェノヴァでパリオを見た時でした。ジェノヴァのパリオは海上で競うレガッタでした。その他に旗振り競争、馬上槍試合のパリオを見たことがありますが、旗振り競技の優劣を決める尺度などがサッパリ分かりませんでした。
この街の『パリオ』は何でしょうか?
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Corso Vittorio Emanuele
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宿泊する観光客が多くなく、需要が限られるので、ホテルの選択肢は限定されます。B&Bは幾つかありますが、オーナーとの出会いやら鍵のトラブルなどの苦い経験に懲りて、最近では専らフロントが24時間対応のホテルにしてます。
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雨が落ちてきました。天気予報は晴れでしたが、私はイタリアでは雨男なので、降雨は予想の範囲内です。
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街の中心マッティオッティ広場が見えてきました。
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広場の見学は後回し。ホテルに荷物を預けないと、行動が制約されます。
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今夜のお宿はここ。 
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荷物を部屋に置いたら直ぐに街歩きに出発しました。時計がある建物は1368年に建設されたPalazzo del Podestaです。
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こちらは1322年建設の市庁舎です。
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雨が強くなってきました。
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土砂降り
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学校の階段を拝借して雨宿りをしました。歴史的建造物です。(建物の名称は知りません)
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小降りになったので再び街歩きです。何時またどしゃ降りになるか分からなかったので、予定を変更して近くのドゥオーモに向かいました。
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近道の身廊側の出入り口は工事のため閉鎖されていました。
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ドゥオーモの後ろの方に青空が顔を出してます。
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拝観しました。雨宿り代わりになりました。
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隣接するMuseo Diocesanoに入館しました。
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お目当ての作品が健在でした。私が大好きなルーカ・シニョレッリの画風に非常に似てます。
ジョヴァンニ・バッティスタ・ダ・カステッロの作品(1492)です。
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外に出たら雨が上がっていました。有難かったです。
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ドゥオーモはチェントロの南端にあり、その先は緑豊かな緩かな丘陵が広がってます。その間にテヴェレ川が流れてます。
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(つづく)


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アンニーバレ・カッラッチなどのボローニャ派画家たちの人気が日本ではあまりないのは何故でしょうか?
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ヴァザーリの「マルタとマリアの家のキリスト」(1540)
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ヴァザーリの「聖グレゴリオ・マーニョの晩餐」(1540)
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カミッロ・プロカッチーニの「羊飼いの礼拝」(1584)
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バルトロメオ・パッセロッチの「聖母の教会への出現」(1583‐84)
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ロレンツォ・サバティーニの「聖母被昇天(1569‐70)
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ラヴィーニア・フォンターナの「パオラの聖フランチェスコ(1590)
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ラヴィーニア・フォンターナの「ゴッツァディーニ家の人々」(1583)
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ラヴィーニア・フォンターナの「祭事のために横臥する幼児」(1583c)
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デニス・カルヴァートの「キリストの鞭打ち」(1575‐80c)
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プロスペーロ・フォンターナの「キリストの埋葬」(1548‐49c)
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オラツィオ・サマッチーニ(ボローニャ、1532‐1577)の「聖母戴冠と聖人たち」(1575c)
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バルトロメオ・チェージ(ボローニャ、1556‐1629)の「天上の聖母子と聖ドメニコと聖アゴスティーノと聖フィリッポ・ベニッツィ」(1594‐95c)
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バルトロメオ・チェージの「聖アンナの無原罪の御宿りで受肉する聖母」(1593‐95c)
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プロスペーロ・フォンターナ(ボローニャ、1512‐1597)の「マギの礼拝」(1569c)
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グイド・レーニの「キリストの鞭打ち」(1640c)
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グイド・レーニの「聖フランチェスコに顕現する聖母子」(1640c)
写っているのは監視の係員です。
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展示の最終コーナーにやってきました。
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バルダッサッレ・ガラニーノ(ボローニャで17世紀前半に活動)の「天上の聖母子と洗礼者聖ジョヴァンニと聖フランチェスコ」(1602)
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アントニオ・カッラッチ(ヴェネツィア、1583‐ローマ、1616)の「エウロパの強奪」(1602‐05)
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アンニーバレ・カッラッチの「洗礼者聖ジョヴァンニのいる風景」(1594‐95c)
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ドメニキーノの「シルヴィアの裸体を盗み見る好色な男がいる風景(1615‐20c)
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フランチェスコ・アルバーニの「ヴィーナスの化粧」(1605‐10c)
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展示作品数が最も多いのが最終展示コーナーです。
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ピエトロ・ファッチーニ(ボローニャ、1562‐1602c)の「受胎告知」(1601c)
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ピエトロ・ファッチーニの「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚と聖人たち」(1601c)
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ルチオ・マッザーリ(ボローニャ、1569‐1633)の「浪費娘の帰還」(1614)
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アレッサンドロ・ティアリーニの「高貴な女性とその娘の肖像」
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アレッサンドロ・ティアリーニの「高貴な男とその息子の肖像」
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アレッサンドロ・ティアリーニの「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」(1620‐22c)
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ジョヴァン・ジャコモ・セメンティ(ボローニャ、1583‐ローマ、1640c)の「聖エウジェニアの殉教」(1612‐13c)
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ジャコモ・カヴェドーニ(サッスオーロ、1577‐ボローニャ、1660)の「天上の聖母子と聖アローと聖ペトロニオ」(1614)
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ジョヴァンニ・ランフランコの「ライオンを八つ裂きにするサムソン」(1632‐33c)
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アレッサンドロ・ティアリーニの「聖母の嘆き」(1635‐40)
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マステッレッタの「貧者に施す聖母」(1610‐12c)
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アレッサンドロ・ティアリーニの「嘆き」(1617)
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ジョヴァンニ・アンドレア・シラーニ(ボローニャ、1610‐1670)の「芸術の寓意」(1660c)
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スパダリーノの「ピエトロの拒否」(1610‐15c)
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グイド・カニャッチの「ユディト」(1640‐45c)
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マステッレッタの「エジプトへの逃避途中の休息」(1616c)
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グエルチーノの「雀の聖母」(1615-16c)
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グエルチーノの「聖セバスティアーノの傷の治療」(1619)
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グエルチーノの「シビッラ」(1619c)
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全展示作品の写真撮影は難しいですね。
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ジョヴァンニ・アンドレア・シラーニの「聖母の教会への出現」(1643c)
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グエルチーノの「聖ジュゼッペ」(1648‐49c)
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ピエル・フランチェスコ・チッタディーニ(ミラノ、1616‐ボローニャ、1681)の「聖ピエトロ・チェレスティーノ」(1640c)
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グエルチーノの「天上の聖母子を崇める聖ブルーノ」(1647)
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グエルチーノの「洗礼者聖ジョヴァンニ」(1644)
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グエルチーノの「ヴェローナの聖ピエトロ」(1646-47c)
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ドメニキーノの「ヴェローナの聖ピエトロの殉教」(1619‐21c)
(つづく)

修復のため、長らく閉鎖されていたが、工事が終了したとのネット記事を見たので行きました。この教会はオルヴィエートで最古の教会と言われてますが、注目すべきフレスコ画が沢山残っていて美術ファンにとっては必訪でしょう。
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マラブランカ通りを進み、城壁に面した所に教会があります。
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城壁内の西端に位置してます。
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身廊がマラブランカ通りに面してます。出入口はファサード側と身廊側にあります。
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身廊側ポータル上ルネッタの「聖ジョヴェナーレの浮彫」(1497)
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ここで教会の歴史について、簡単に触れておきましょう。
この地に、エトルリア人が建てたジョーヴェ(ジュピター)を奉る神殿がありましたが、6世紀頃に神殿を初期キリスト教会に転用され、その際、聖ジョヴェナーレに献じたとされてます。
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10世紀末、旧神殿の教会を取り壊し、その上に新しい建物を建てることになりました。当時、オルヴィエートの裕福な貴族たちの寄進によって、1004年に建てられたロマネスク様式の建物が現在の姿の原形です。
また、1028年、オルヴィエート司教区が出来ると、司教座が置かれました。現在のドゥオーモが建設される以前は、この教会がドゥオーモでした。
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14世紀、建物が増築されることになり、増築部分はゴシック様式で建設されましたが、14世紀の増築後の建物が現在の姿になってます。
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三廊式、ロマネスク・ゴシックの折衷様式の内部です。新しく見えるのは、最近行われた修復工事によります。
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中央通路から見た左側廊方向です。
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左側廊
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左側廊からの眺め
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中央通路から見た右側廊方向
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右側廊
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壁や柱がフレスコ画で覆われていたと考えられてます。
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天井
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内陣の中央に三段の階段があります。階段によって内陣が二分されてますが、階段を境にファサード側が14世紀の増築分になります。
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主祭壇
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ピエトロ・ディ・二コラの「アレッサンドリアの聖カテリーナ」(15世紀後半)
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ウンブリアの無名画家による「聖母子と2聖人」(14世紀後半)
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アンドレア・ディ・ジョヴァンニの「受胎告知」(15世紀初頭)
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ピエトロ・ディ・二コラの「聖母子と聖アントニオア・アバーテ」(1460c)
その左のピエトロの作品で「聖ロムアルド」
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詳細不明
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詳細不明
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ウンブリアの無名画家による「授乳の聖母」(14世紀)
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チェーザレ・ネッビアの追随者による「磔刑と聖ジョヴェナーレと聖マルコ」(17世紀初頭)
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礼拝堂天井のフレスコ
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オルヴィエートの無名画家による「洗礼者聖ジョヴァンニと聖アントニオ・アバーテ」(15世紀第1四半世紀)
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ジョヴァンニ・ディ・ブッチオ・レオナルデッリの「受胎告知とご誕生」(1360‐70c)
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ピエトロ・ディ・二コラの「シエナの聖ベルナルディーノ」(15世紀後半)
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ピエトロ・ディ・二コラの「聖家族」(15世紀後半)P2160475
オルヴィエートの無名画家による「福音書記者聖ジョヴァンニ」(16世紀)
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剥離以前の壁がどうだったのか、そんなことを考え乍ら眺めました。さぞや見ものだったでしょうね。
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「聖母子」が幾つあるのでしょうか?
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Maestro Lorenzoの「聖マルコ」(16世紀第1四半世紀)
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詳細不明
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Maestro di San Brizioの作品(1312)
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Maestro di San Brizioの「聖クリストフォロ」(14世紀初頭)(写真右端)
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オルヴィエートの無名画家による「聖母子」(15世紀前半)
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アンドレア・ディ・ジョヴァンニ?の「受胎告知」(15世紀前半)
修復のやり過ぎと思います。
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ピエトロ・パオロ・センシーニの「聖母子と聖人たち」(16世紀後半)
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ピエトロ・ディ・プッチーニ派画家による「磔刑」と「聖ロムアルドと洗礼者聖ジョヴァンニと司教の聖人と聖ロレンツォ」(15世紀初頭)
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ピエトロ・ディ・プッチーニ派画家による「聖グリエルモ」(15世紀前半)
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Maestro SeviroとMaestro Martinoの共作「磔刑」(13世紀中ごろ)
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ペルージャの逸名画家による「聖母と聖ピエトロと寄進者」(14世紀前半)
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詳細不明のモザイク
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14世紀の無名画家による「Arbor Vitae」
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沢山ありますね。
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ウンブリアの無名画家による「磔刑」(14世紀初頭)
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ピエトロ・ディ・プッチーノの追随者による「聖ルーカ」(15世紀初頭)
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Maestro di San Lorenzo de Arariの「聖母子と2聖人」(14世紀初頭)
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詳細不明
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Maestro del Duomo di Orvietoの「聖母子と聖人たちと寄進者」(1305)
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Maestro di San Brizio派画家による「聖母子と聖ロレンツォと司教の聖人」(13世紀末)
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詳細不明
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詳細不明
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詳細不明
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キリがないので、この辺で終わりにしましょう。
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後陣の後ろに聖具室など幾つ部屋があるのですが、「最後の晩餐」などのフレスコ画があります。今回は施錠されて入室できませんでした。
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外に出ました。
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非常に見ごたえがあります。じっくり見ようとすれば1時間は必要でしょう。
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教会前の広場から眺め
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城壁から下を見下ろしました。
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「最後の晩餐」が見たいので再訪するつもりです。
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(おわり)



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第20展示室です。
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こんな所にこの作品があると「あれっ」と思います。
制作者不明の「ラッファエッロの『洗礼者聖ジョヴァンニ(ヨハネ)』の複製画」(1520‐30)
この時代はコピー機がなかったので、有名な作品が欲しい人はその制作者に同じ作品制作依頼するか、別の画家に複製画制作を依頼しました。
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ジョヴァンニ・バッティスタ・ラメンギ(ボローニャ、1521‐1601)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」(1545c)
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ビアージョ・プピーニ(ボローニャで1511‐1551年記録)の「ご誕生」(1525‐30)
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ジョヴァンニ・バッティスタ・ラメンギの「玉座の聖母子と聖人たち(福音書記者聖ジョヴァンニ、聖ジョヴァンニーノ、聖フランチェスコ、聖キアーラ、マグダラのマリア、アレッサンドリアの聖カテリーナ)」(1550c)
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エル・グレコの「最後の晩餐」(1567‐68)
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次の展示室です。部屋番号がありませんが、多分第21展示室でしょう。
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ジョヴァンニ・バッティスタ・フランコ(ヴェネツィア、1510c‐1561)の「嘆き」(1554‐55)
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ルーカ・カンビアーソの「羊飼いの礼拝」(1565‐70)
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ティントレットの「ご訪問と聖ジュゼッペと聖ザッカリア」(1550c)
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ティツィアーノと彼の弟子による「磔刑」(1563c)
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剥離フレスコ画が数点展示されてます。これはニッコロ・デッラバーテがボローニャのPalazzo Torfaniniに描いたものです。(16世紀中ごろに制作)
以下3枚の写真も同じです。
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グイド・レーニの「ユースティティア(正義の女神)」(1599c)
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第22展示室に来ました。
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ボローニャ派画家たちの作品が並んでます。
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グイド・レーニの「母のジネヴラ・プッチの肖像」(1610c)
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シモーネ・カンタリーニの「グイド・レーニの肖像」(1635-36c)
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グイド・レーニの「アリアドネ」(1638‐40c)
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グイド・レーニの「荊刑のキリスト」(1630c)
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グイド・レーニの「勝ち誇るサムソン」(1617-19c)
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グイド・レーニの「シビッラ」(1635-36c)
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グイド・レーニの「聖アンドレア・コルシーニ」(1639c)
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グイド・レーニの「ピエタのキリストを崇める聖人たち(聖ペトロニオ、聖フランチェスコ、聖ドメニコ、聖プロコーロ、聖カルロ・ボッロメオ)」(1616)
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グイド・レーニの「聖セバスティアーノ」(1640c)
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グイド・レーニの「嬰児虐殺」(1611)
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グイド・レーニの「栄光の聖母子と聖人たち(聖ペトロニオ、聖フランチェスコ、聖イグナツィオ、聖サヴェーリオ、聖プロコーロ、聖フロリアーノ)」(1630)
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グイド・レーニの「聖母戴冠と聖人たち(福音書記者聖ジョヴァンニ、洗礼者聖ジョヴァンニ、聖ベルナルド、アレッサンドリアの聖カテリーナ)」(1595‐98)
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グイド・レーニの「磔刑」(1617c)
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次は第23室です。
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第23室はカッラッチ一族の作品が展示されてます。
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ロドヴィーコ・カッラッチの「サウロの回心」(1587‐88)
ルドヴィーコ・カッラッチとも呼ばれてますが、ボローニャではロドヴィーコが普通です。
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ロドヴィーコ・カッラッチの「ピッシーナの奇跡」(1595‐96c)
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ロドヴィーコ・カッラッチの「ジョルダーノへの洗礼者聖ジョヴァンニの説教」(1592)
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ロドヴィーコ・カッラッチの「聖オルソラの殉教」(1592)
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アンニーバレ・カッラッチの「受胎告知」(1588)
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ロドヴィーコ・カッラッチの「聖ピエトロ・トーマの磔刑」(1613)
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アンニーバレ・カッラッチの「玉座の聖母子と聖ジョヴァンニーノと福音書記者聖ジョヴァンニとアレッサンドリアの聖カテリーナ」(1593)
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アゴスティーノ・カッラッチの「聖ジローラモの最後の聖体拝領」(1591‐97)
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ロドヴィーコ・カッラッチの「玉座の聖母子と聖ドメニコと聖フランチェスコと聖キアーラとマグダラのマリア」(1588)
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見応えがあります。大サイズの大作が多いのです。
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ボローニャ派が最大の見どころですが、この辺に来るまでに疲れてしまうので困ります。
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アンニーバレ・カッラッチの「聖母被昇天」(1592)
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ロドヴィーコ・カッラッチの「聖マッテオの召命」(1607‐09c)
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ロドヴィーコ・カッラッチの「聖母子と聖ジローラモと聖フランチェスコ」(1590c)
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アゴスティーノ・カッラッチの「聖母被昇天」(1592‐93c)
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アンニーバレ・カッラッチの「栄光の聖母子と聖人たち(聖ロドヴィーコ、聖アレッシオ、洗礼者聖ジョヴァンニ、アレッサンドリアの聖カテリーナ、聖フランチェスコ、聖キアーラ)」(1590‐92c)
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ロドヴィーコ・カッラッチの「タッコーニ家族の肖像」(1589‐90c)
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ロドヴィーコ・カッラッチの「受胎告知」(1584)
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アンニーバレ・カッラッチの「磔刑像を崇める聖フランチェスコ」(1598c)
P2210565
アンニーバレ・カッラッチの「川辺に猟師がいる風景」(1600c)
P2210568
アンニーバレ・カッラッチの「荊刑のキリスト」(1598‐1600c)
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ロドヴィーコ・カッラッチの「キリストの変容」(1595)
(つづく)

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ここが開いていることを見たことがありません。
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Museoなので一度は入館したいと思ってます。
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12-13世紀の古い建物ですが、耐震性が気になります。今まで地震がなかった筈はないので、現在まで使用されているので耐震性が十分なのかも知れません。このような家並みが大好きなので、これからも維持保存できることを切望してます。
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この建物は少し新しくて、15世紀に建設されたPalazzo Giardinoです。
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Museo Civicoには午前中入館しました。
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15世紀に建築されたPalazzo del Marzocco
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市庁舎の向こうの空はまだ青空です。
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一週間後に迫ったパリオの旗が掲げられてます。パリオと言うと、シエナやアスティの競馬と思われがちですが、馬上槍試合やレガッタ、旗振りなど様々な形態のパリオがあります。アンギアーリのパリオを見たことがありませんが、旗振りのパリオのようです。
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この時、急に冷たい空気が流れてきて、風が強まったのでした。
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教会がありました。
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全く目立ちませんが、これでも教会です。
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1439年に建てられたサン・ジョヴァンニ・バッティスタ教会です。15世紀前半にトスカーナの逸名画家のフレスコ画があります。
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Palazzo Testi
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サン・マルティーノ門
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この辺で、とうとう大粒の雨が落ちてきました。
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濡れないようにと足を速めた私ですが、イタリア人は雨などはどこ吹く風とばかりに、ゆっくりと歩いてました。ヨーロッパ人は総じて傘を差さない傾向がありますね。
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特に驚くのはイギリス人で、雨に濡れるのが大好きなのか、かなりの降りの中、傘を手にしているにも拘らず傘を差さずに悠然と歩いている人が大勢います。
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真夏なので濡れても良いと思い、私もぶらぶら歩きを継続しました。
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下に降りて行きます。
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道を渡ってチェントロの反対側に行きました。
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6月の午後3時半前というのに、辺りが薄暗い。
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街角のタベルナコロの「玉座の聖母子」
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ホテルに戻ることにしました。
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道の突当りにある教会に行くのは断念已む無きに至りました。
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忘れないうちに一つ。観光案内所は郵便局と図書館がある建物にあります。
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ホテルに戻りました。
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ホテルの自室のベランダからの眺め(午後4時頃)
以下2枚も同じ
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眺めが良い部屋でした。
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午後8時頃 雨が降ってます。
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午後8時頃
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午前1時頃。大雨でした。
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午前1時頃
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翌朝午前6時過ぎ
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午前6時過ぎ
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このホテルは眺望が良いのでお勧めです。
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(おわり)

イーモラは、ローマ時代にエミリア街道の軍事都市として82BC に築かれました。2015年10月末現在の人口は69,705人となってます。
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イーモラの城塞です。13世紀に築かれましたが、15世紀後半にカテリーナ・スフォルツァによって拡充されました。カテリーナは城代を置き、この要塞には殆ど現れませんでした。チェーザレ・ボルジアとの戦いでは、苛政のカテリーナはイーモラ市民から嫌われ、この城塞は戦われなく無血開城されました。
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要塞は15世紀末の姿を現在でも留めてます。
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大聖堂は要塞から直ぐ近くにあります。
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正式名称は、Basilica Minore e Cattedrale di San Cassiano Martireです。教皇ジョヴァンニ・パオロ2世によって1981年、Basilica Minore(教会のランクで2番目)に認定されました。
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9世頃の記録に、イーモラ司教座教会の存在が記されており、当時は城壁外の西方(ボローニャ寄り)の村にありました。創建は9世紀以前と考えられてます。
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1177年、Castrum Sancti Cassiniの攻撃によって教会は破壊されてしまいました。それを機に城壁内に再建されることになり、現在の土地に建てられた、1187年創建、1271年に完成、奉献が1271年に行われたロマネスク様式の建物が二代目となります。(この地に建てられた教会としては初代の建物)
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18世紀中ごろになると、建物の老朽化によって、構造的に深刻な問題を抱えるようになり、立ち入りが危険となる箇所が出てきたため、再建されることになりました。
当時、ロマーニャの高名な建築家コジモ・モレッリの設計によって、1763年創建、1782年に完成、同年の奉献式が執り行われたバロック様式の建物が現在の姿の原形です。(完成当時、ファサードは未着工)
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ファサードは、ローマの建築家フィリッポ・アントリーニの設計により1850年に完成しました。
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鐘楼は15世紀のものですが、1900年に規模の大きな修復を受けてます。
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後陣
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イーモラでは古刹ですが、18世紀の再建された姿が「古寺巡礼」にはそぐわないのが辛いところです。
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三廊式、ラテン十字形、バロック様式の聖堂内部です。
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左右の側廊に礼拝堂が設けられてます。
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バロック様式にしては過度な装飾が控えられやや地味な感じがします。
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主祭壇へと導く左右の階段に挟まれ場所にクリプタへの入り口があります。
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クリプタです。この日は入口にロープが張られ、入ることが出来ませんでした。
カテリーナ・スフォルツァの夫ジローラモ・リアーリオ伯爵は、パッツィ家の反乱によって復讐を企てるロレンツォ・イル・マニーフィコの後ろ盾を得た、フォルリ貴族のオルシ兄弟たちによって1488年4月14日、フォルリの宮殿で暗殺されました。伯爵の遺体が、このクリプタのニッチにあります。
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主祭壇
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クーポラ
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身廊と後陣の装飾は18世紀にレミジオ・ミッリによって施されました。
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現在の聖堂内には芸術的に傑作とされるものがありません。初代の建物を飾っていた祭壇画や二代目の建物で注目される作品などは、付属のMuseoで見ることが出来ます。
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洗礼盤
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その上部にある、ピエトロ・ポデスキの「キリストの洗礼」
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イーモラの画家イグナツィオ・ゾッティ―の「エマオの晩餐」(1850)
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ジャコモ・ザンバ(フォルリ、1731‐1808)の「聖家族と聖ジョヴァンニーノ」
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ヤコポ・ベルトゥッチの「聖母被昇天」
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カムッチーノの「聖ピエトロと聖パオロ」(19世紀)
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18世紀のエミリアの逸名画家による「聖人たちに顕現する聖母」 15世紀の「聖母」が組み込まれてます。
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貴重な作品は聖堂内に置かない方針です。
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大聖堂付属博物館(司教区博物館)については項を改めて触れることにします。
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出入口
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ファサード前にある司教館です。Museoは司教館内にあります。

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第14展示室です。
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フランチャの「幼きキリストを崇拝する聖人たち(聖母、聖ジュゼッペ、聖アゴスティーノ、聖フランチェスコ)とアントン・ガレアッツォとアレッサンドロ・ベンティヴォ―リオ」(1498‐99)  
アントンとアレッサンドロはこの作品の注文主でしょうね。
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ロレンツォ・コスタの「聖母の結婚と聖ジョアッチーノと聖アンナとフランチェスコ会修道士」(1505)
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フランチャの「受胎告知される聖母と4聖人(福音書記者聖ジョヴァンニ、聖フランチェスコ、聖バルナルディーノ、聖ジョルジョ)」(1500)
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フランチャの「聖母子と聖フランチェスコ」(1510c)
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フランチャと工房による「永遠なる父」(1500c)
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フランチャの「玉座の聖母子と聖アゴスティーノと聖ジョルジョと洗礼者聖ジョヴァンニと聖ステファノと天使」(1490c)
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フランチャと工房による「ピエタのキリスト」(1510c)
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フランチャの「聖アゴスティーノの幻視」(1510c)
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次は第15展示室です。
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アミーコ・アスペルティーニの「マギの礼拝」(1499‐1500c)
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バニャカヴァッロの「聖家族と聖ベネデットと聖パオロとマグダラのマリア」(1525-27)
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アミーコ・アスペルティーニの「玉座の聖母子と洗礼者聖ジョヴァンニと聖ジローラモと聖フランチェスコと聖ジョルジョと聖セバスティアーノと聖エウステキオと2寄進者」(1504‐05)
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アミーコ・アスペルティーニの「聖家族」(1518c)
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アミーコ・アスペルティーニの「聖母子」(1510‐15)
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第16展示室に移動しました。この部屋に人気作品があります。
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バニャカヴァッロの「シエナの聖カテリーナの神秘な結婚」(1517)
神秘な結婚ではアレッサンドリアの聖カテリーナの方がお馴染みですが、シエナの聖カテリーナの方も少なくありません。シエナの聖カテリーナはドメニコ会修道女だったので、修道服を着ている姿で描かれるので区別は容易です。
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フランチャビージオの「聖母子」(1510‐13)
よく見ると、洗礼者聖ジョヴァンニの姿が聖母の後方に描かれているのが分かります。
それにしても、この作品はアンドレア・デル・サルトの影響が強く出ていますね。アンドレアの作品と間違えそうです。
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ペルジーノの「栄光の聖母子と福音書記者聖ジョヴァンニ(ヨハネ)と聖アポッロニア、アレッサンドリアの聖カテリーナと大天使ミケーレ」(1500c)
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ラッファエッロの「聖チェチリアの法悦と4聖人(聖パオロ、福音書記者聖ジョヴァンニ、聖アゴスティーノ、マグダラのマリア)」(1518c)
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私は聖チェチリアの足元に転がる壊された楽器に目が行きます。
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この作品はナポレオンのイタリア侵攻の際、戦利品としてフランスに持ち去られ、ルーブルで展示されたことがあります。
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ジュリアーノ・ブジャルディーニの「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚とパドヴァの聖アントニオと聖ジョヴァンニーノ」(1525c)
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ジュリアーノ・ブジャルディーニの「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」(1523‐25)
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オルトラーノの「栄光の聖母子と天使たち」(1513‐15)
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第17展示室に移ります。
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「フランチャ」の「栄光の聖母子と聖ピエトロと聖フランチェスコとマグダラのマリアと聖マルタと修道士修道女たち」(1515c)
この作品の制作者「フランチャ」とは、ジャコモ・ライボリーニのことです。「イル・フランチャ」と通称される画家が実は3人いるのです。フランチェスコ、ジャコモ、ジュリオの3人(姓はライボリーニ)がみな「イル・フランチャ」と呼ばれています。全員、フランチャ工房の一員であり、親方です。3人の画風は同じと言って良いので、作品の帰属が非常に難しいのです。
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インノチェンツォ・ダ・イーモラの「栄光の聖母子と大天使ミケーレと聖ピエトロと聖ベネデット」(1517‐22)
作品が大きく、壁と壁の間の距離が十分ではないので、この作品の上下が僅かに欠ける写真となってしまいました。
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「フランチャ」の「玉座の聖母子と聖パオロとマグダラのマリアと聖ジョヴァンニーノ」(1517‐25)
この作品の「フランチャ」は、ジャコモとジュリオの二人です。(共作)
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ジャコモとジュリオの2人による「フランチャ」の「聖フレディアーノ(中央)と聖ジャコモと聖ルチアと聖オルソラと寄進者」(1528‐33c)
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第18展示室です。
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インノチェンツォ・ダ・イーモラの「聖母子と聖エリザベッタと聖ジョヴァンニーノと注文主」(1523‐25)
この作品を注文した人の肖像画が描かれてます。
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ニコロ・ピサーノの「聖母子を崇める福音書記者聖ジョヴァンニと聖エレウトロピオと聖ペトロニオ」(1534)
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ジャコモとジュリオの「フランチャ」の「聖母子と聖ジョルジョと聖ジョヴァンニーノと聖セバスティアーノと聖フランチェスコと聖ベルナルディーノと天使」(1526)
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ニコロ・ピサーノの「キリストの埋葬」(1525-26)
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ルドヴィーコ・マッゾリーノの「永遠なる父」(1524)
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ルドヴィーコ・マッゾリーノの「羊飼いの礼拝」(1524)
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ガロファロの「聖家族と聖ジョヴァンニーノと聖エリザベッタ」(1515‐18)
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次は第19展示室です。廊下のような部屋?部屋ではなくて正確には区切られた一角です。
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一瞥しただけでパルミジャニーノの作品があるわいと思います。
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パルミジャニーノの「聖母子と聖マルゲリータと聖ジローラモと聖ペトロニオ」(1522-24)
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コティニョーラの「聖ジュゼッペの夢、ご誕生、エジプトへの逃避」(1522-24)
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ペッレグリーノ・ティバルディの剥離フレスコ「ファリサイ派からの質問に答えるキリスト」(1553)
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コティニョーラの「聖母の結婚」(1522-24)
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ペッレグリーノ・ティバルディ派の「シビッラと2人の子供」(1550‐55)
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ペッレグリーノ・ティバルディ派の「シビッラと2人の子供」(1550‐55)
(つづく)

古寺巡礼ならぬ新寺巡礼?の大聖堂でした。勿論、教会の歴史は古く5世紀に遡ります。
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ビエッラは、丘上のピアッツォ地区と丘下(平地)のリオーネ・ボルゴ地区に二分されます。ビエッラ大聖堂はリオーネ・ボルゴにあります。(写真はドゥオーモ広場と市庁舎)
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写真右がドゥオーモです。
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正式名称は、Cattedrale di Santa Maria Assunta e Santo Stefanoで、ビエッラ単独で司教区となっており司教座教会です。
新しく見えるのは、18-19世紀に改造された、この教会四代目となる建物ですから当然です。
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確実な記録が残されていませんが、5世紀頃にこの地にあったとされる初期キリスト教会が前身です。
二代目となるロマネスク様式の建物は11世紀に建築されましたが、当時の建物で唯一現存しているのが洗礼堂です。当時の名称はサンタ・マリア・マッジョーレ教会でした。
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鐘楼の前に立つレンガ造りの建物が11世紀に建設されたロマネスク様式の洗礼堂です。見えている鐘楼はドゥオーモのものではありません。
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洗礼堂は市庁舎とドゥオーモの後陣の間にあります。
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古寺らしい雰囲気の洗礼堂を見れば、期待させるに十分な聖堂内ですが・・・・・
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ハト防止の金網が邪魔して良く見えない浮彫ですが、11世紀のものと言われてます。しかし、幾度となく修復されたので、殆ど原形を留めていないと思います。
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後陣と身廊
1399年、二代目の建物が老朽化したので、再建されることになり、1402年に創建され15世紀前半に完成したのが三代目の建物です。
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1772年、ビエッラは単独の司教区となり、司教座がこの教会に置かれましたが、手狭だったので、当時の建築家イグナツィオ・アントニオ・ジュリオの設計によって1803年に完成したネオゴシック様式の建物が現在の姿の原形になってます。
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ファサード前に柱廊が設けられてます。
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1826年、フェリーチェ・マランドーロの設計と建築監督により完成した柱廊です。
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柱廊の、この部分の彫刻は三代目の建物にあったそうです。
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こちらの方は19世紀のもの
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うーん、柱頭もイマイチですね。イマハチでしょうか。
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見るに値する彫刻は無さそう?
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三廊式、ラテン十字形、ネオゴシック様式の聖堂内部です。
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左右の側廊に礼拝堂が設けられてます。
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左側廊
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左側廊から見た内陣方向
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ビエッラに来たのは、この時、二度目でした。初めての旅で洗礼堂を見て、その時、拝観できなかった聖堂内部に入りたいとの思いで、今回訪れたのですが、聖堂内に入ってから直ぐに期待外れと感じました。
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右側廊
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右側廊から見た内陣方向
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聖堂内部のスタッコもどきの浮彫装飾は1784年から86年にかけてジョヴァンニーノ・カッリアーリによって施されました。
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主祭壇と後陣
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主祭壇画は、18世紀のピエモンテの逸名画家による「磔刑」
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ジュゼッペ・アントニオ・グローモの「最後の晩餐」
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ジュゼッペによる単色のフレスコ画
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詳細不明の単色フレスコ画
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三代目の建物の増築によって四代目の建物が出来たので、三代目の建物にあった祭壇画やフレスコ画が残されていると期待して来ました。
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礼拝堂の装飾はジョヴァンニーノ・ガッリアーリの手になるものです。彫刻のように見える像はだまし絵のスタッコ版ともいえるものです。
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これもジョヴァンニーノの作品
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詳細不明
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ジュリオ・ダ・トリノの「栄光の聖母子と聖人たち」(17世紀)
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ジョヴァンニーノ・ガッリアーリの装飾
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これもガッリアーリの作品
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頂いた資料によれば、ゴシックからルネサンスの作品は美術館で公開の予定とのことでした。しかし、具体的に何処で、という記述がありません。Museo Civico、Museo Diocesanoもこの街にはありません。
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主祭壇前から見た出入口方向です。
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この日の午前中、洗礼堂が開いていたのです。洗礼式中だったのでご遠慮したのですが、入っておけば良かったと思いました。洗礼式は一般の人でも出席可能ですから。
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実際に行ってみないと分からないが今回の結論でした。

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第10展示室に移りました。
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フランチェスコ・ペローシオ(ヴェネツィアで1455年から記録、1487年イーモラで没)の「サンティ・ヴィターレ・エ・アグリコーラ修道院の多翼祭壇画」(1476)
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アンドレア・デ・パッセ—リ(トルノで1488年から記録、1517年コモで没)の「聖アボンディーオ」(1491)
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チーマ・ダ・コネリアーノの「聖母子」(1495c)
チーマの代表作の一つとされる傑作です。チーマの作品巡礼の旅をしたことがあるくらい大好きな画家です。
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ドイツ南部またはフランドル地方の逸名画家による「受胎告知」、「ご訪問」(15世紀後半から16世紀初頭)
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15世紀のブルージュの親方(Maestro)による「薔薇の聖母」(1480c)
この作品は有名です。
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クリストフォロ・ディ・ベネデット(ボローニャで1456‐1497年存在確認)の「多翼祭壇画の一部の聖セバスティアーノと聖プロスペーロ」(1467)
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ジョヴァン・フランチェスコ・ダ・リミニ(パドヴァとボローニャで1441‐1470年記録)の「聖母子と聖ジョヴァンニーノと2天使」(1460‐65)
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クリストフォロ・ディ・ベネデットの「多翼祭壇画の一部の聖アントニオ・アバーテと聖ロッコ」(1467)
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クリストフォロ・ディ・ベネデットの「玉座の聖母子と洗礼者聖ジョヴァンニ(ヨハネ)と聖アントニオ・アバーテ」(1460c)
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第10室の目玉作品はヴィヴァリーニの多翼祭壇画でしょうね。
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アントニオ・ヴィヴァリーニとバルトロメオ・ヴィヴァリーニの共作「チェルトーザのサン・ジローラモ教会の多翼祭壇画」(1450)
縦393㎝×横263㎝の大作です。
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頂頭部は「ピエタのキリスト」
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向かって左上は「聖ピエトロ」と「聖グレゴリオ」
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向かって右上は「聖アウグストゥス」と「聖パオロ」
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中央の「玉座の聖母子」
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向かって左下は「聖アンブロージョ」と「聖ジローラモ」
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向かって右下は「洗礼者聖ジョヴァンニ(ヨハネ)」と「バーリの聖二コラ」
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ニコロ・アルンノ(フォリーニョ、1430‐1500)の「受胎告知」
この作品が教会でどのように掲示されていたのか、気になります。何故ならば裏にも描かれているからです。
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裏はニコロ・アルンノの「玉座の聖母子と2聖人」です。
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次は第11展示室です。
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マルコ・ゾッポの「悔悛の聖ジローラモ」(1470c)
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エルコーレ・ロベルティの「マグダラのマリア」(1478‐86)
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エルコーレ・ロベルティの「大天使ミケーレ」(1480‐85)
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フランチェスコ・デル・コッサの「玉座の聖母子と聖ペトロニオと福音書記者聖ジョヴァンニ(ヨハネ)」(1474)
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アンブロージョ・セラチェーノ(ボローニャで15世紀に活動)の「玉座の聖母子と2天使」(1493)
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鑑賞者の身になって展示方法が工夫されていると思います。
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アンブロージョ・セラチェーノの「聖アポッロニア」(1488‐90)
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第12展示室に移動しました。
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フランチェスコ・ライボリーニ通称イル・フランチャの「二人の男」(1500c)
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Maestro della pala dei Murato(エミリアで15世紀第3四半世紀に存在)?の「ルドヴィーコ・ボロニーニの肖像」(1480‐85c)
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Maestro della pala dei Muratoの「玉座の聖母子と4聖人」(1476c)
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アントニオ・ディ・バルトロメオ・マイネーリ(ボローニャで1476年から記録、1495年没)の「聖セバスティアーノの殉教」(1492)
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ミケーレ・コルテッリーニ(フェッラーラ、1480c‐1543以降)の「聖母の死」(1502)
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ジョヴァン・フランチェスコ・マイネーリ(パルマで1489‐1506年記録)の「アレッサンドロ・ファルッフィーノの肖像」(1509c)
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マルコ・パルメッツァーノの「聖母子」(1506‐13)
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ロレンツォ・コスタの「聖母被昇天と天使たち」(1480‐90)
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ロレンツォ・コスタの「幼きキリストへの崇拝」(1503‐06)
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ロレンツォ・コスタの「玉座の聖ペトロニオと聖フランチェスコと聖ドメニコ」(1502)
流石にボローニャですね。聖ペトロニオの方が上なんですねえ。
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ロレンツォ・コスタの「玉座の聖母子と聖ペトロニオと聖テクラ」(1496)
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ロレンツォ・コスタと彼の工房による「キリストの埋葬」(1500‐06)
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第13室はフランチャの作品が4点展示されてます。
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フランチャの「ピエタのキリストを支える2天使」(1490c)
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フランチャの「玉座の聖母子と聖人たち」(1490)
ボローニャのサンタ・マリア・デッラ・ミゼリコルディア教会にあった祭壇画です。
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フランチャの「受胎告知された聖母と聖ジローラモと洗礼者聖ジョヴァンニ」(1505‐10)
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フランチャの「玉座の聖母子と聖パオロと聖フランチェスコと聖ジョヴァンニーノ」(1495c)
(つづく)

この付近はエトルリア人によって築かれた町が多いのですが、アンギアーリもエトルリア起源の町です。
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丘の上に築かれた町で、しかも高い城壁ですから難攻不落と思いきや、簡単にフィレンツェの軍門に下りました。
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重要な城門の上が民家のテラスになってます。
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13世紀に構築されたサンタンジェロ門です。
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門の上のタベルナコロ
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門を潜り、城壁内の城壁沿いの道に出ました。
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花いっぱいの家です。
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雲行きは相変わらず。
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城壁沿いの道に面して城塞代わりの建物が聳えてます。
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城壁の下の少し先に川が流れています。サンセポルクロに向かう道が真っ直ぐ伸びてますが、その川に架かる橋の付近がアンギアーリの戦いの激戦が行われた場所です。
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城壁上の道を広場の方に向かいました。
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教会の向こうの方はまだ青空が見えてますが、とうとうポツリポツリと雨が落ちてきました。
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写真左の建物は旧修道院です。
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傘を持っていないので、そろそろホテルに戻った方が無難のようです。
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ホテルのテラスが見えます。濡れたところで大した距離ではないので、雨天決行です。
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小さな町は何かと気楽に過ごせます。
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幸運なことに雨が小降りになりました。
P1750313
実は、散歩の間は何とか天気が持ってくれたのですが、ホテルに着くやいなや土砂降りの大雷雨となったのです。雨男の私ですが、この時は珍しくラッキーでした。
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もう一つの門に向かいました。
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この道はそうでもないですが、車が進入できそうもない細い道でもイタリア人は器用に運転しますね。
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ところがブラッチヤーノの町で、この道を車が通るのはどうして無理だろうと思った道に車が進入してきたのです。私は言えの庭に少し入り込んで車を退避したのですが、直ぐにバリバリと音が!サイドミラーが家の石壁に見事に接触。運転手は流石に地元の人でなくローマから来た観光客でした。
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門が見えました。
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写真左の建物は13世紀に建築されたそうです。
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門の所に銘板がありました。
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参りました!この門もサンタンジェロ門です。2箇所あるんですね。
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ニャーゴと遊びました。
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(つづく)

ビエッラ Biella は、アルプスの麓に位置する人口44,662人(2016年5月31日現在)のピエモンテ州ビエッラ県の県都で、古くから織物産業で栄えてます。
P1340754
街は丘を境に二分されており、教会はピアッツォ Piazzo と呼ばれる丘上にあります。写真はサン・ジャコモ広場です。
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サン・ジャコモ広場の隅の1番地に教会はあります。
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10世紀頃にこの地に既に教会があったと推察されてますが、確実な記録がありません。1160年にウーゴ・ディ・セッサ司教がピアッツォでミサを行った記録があり、恐らくこの教会で執り行ったものと考えられてますが、記録がありません。
教会の存在が初めて記録されているのが1180年の文書で、そこにウーゴ・ディ・セッサ司教がこの教会で聖体拝領を執り行ったと記されてます。
その後、同司教によって再建されることになり、1227年に完成したゴシック様式の建物が、現在の姿の原形となってます。奉献は1227年に行われました。
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ファサード前の切妻型ポーチは17世紀に追加されました。
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鐘楼は、1227年の再建時には後陣横にありましたが、18世紀に現在の位置に再建されたものです。
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入り口横に置かれた、年代を感じさせる銘板です。
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切妻型ポーチの天井に施されたフレスコ
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三廊式、ラテン十字形、ロマネスク・ゴシック様式の内部です。
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左右の側廊に礼拝堂が設けられてます。
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壁の多くにフレスコ装飾が施されてますが、創建時の13世紀のフレスコ画は殆ど残されていません。
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現在、見ることが出来るフレスコ画は17-19世紀に塗り直されたものです。
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後陣天井のフレスコ装飾は1862年のものです。
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主祭壇画を見ようと目を凝らしましたが、良く見えませんでした。
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主祭壇画はボニフォルテ・オルドーニの作品(16世紀)です。
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ピエモンテの逸名画家による「貧者を救う聖ジャコモに顕現する聖母」(17世紀)
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ボケ写真で申し訳ありません。ダニエーレ・デ・ボーシスの「聖母子と聖人たち」(1497)
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17世紀に作られた木製の礼拝堂
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何時頃制作されたか不明のステンドグラス
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創建時のフレスコ画が残されているとの情報があったので、随分探しましたが見つかりませんでした。
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写真右手前の建物は教会付属の旧病院です。
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附属病院の開設は1201年でした。現在の建物は1780年に再建された二代目のものです。
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旧病院柱廊の壁に施されたフレスコ
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13世紀初頭のフレスコ画と言われてます。
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外観が創建時のままで古くても、中に入ると、その後の修復の結果新しいという教会が多いですが、正にこの教会がそうでした。

日帰りの観光客が多いアンギアーリですが、夕方、夜、そして朝の光景を楽しみたいので、原則として行った先々では必ず泊まることにしてます。そうでなければ落ち着かない。
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バールで一休みしてスッキリしました。散歩を再開しました。
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向こうの雲行きが怪しく時々遠雷が聞こえて、チョット迷いましたが散歩を続行することにしました。アルプスから寒気が流れてきて、日差しが強くなると雷雨との天気予報でした。
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広場から細い道を上りました。
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道の突当りは城壁です。
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この道を進めば、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会が面している通りに出る筈と思いこんで地図を見ないで進みました。村のようなチェントロなので迷うことはあるまいと思ったからです。
アンギアーリは「最も美しい村」に選ばれてますが、村と言うには人口が多く町というべきでしょう。
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この辺は緑豊かです。
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微かに蝉の鳴き声が聞こえました。雷鳴が少し近くなってきたせいか、小鳥のさえずりは全く聞こえません。
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道は緑豊かなところから家並みが続くようになりました。
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何処かで道を間違えたようで、トリエステ通りに出ました。大きな街でこれをやると迷子になります。地図なしでローマを歩いて、見事に迷子になってタクシーでコロッセオに出たことがあります。徒歩7,8分で行くはずの所が、今何処にいるのか分からなくなって結局タクシーを乗る羽目に。その時に払ったタクシー代が€25くらいでしたから、とんでもない方に歩いたという証拠です。
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ニャーゴはかなり眠いようで、その上、鉄網に守られて安心しきっているのか、声をかけても全く無視で目も閉じたまま。
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サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会
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道を間違えなければ,この通り Via della Propositura に出る筈でした。
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隧道の向こうはPalazzo Testiです。
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Torre detta il Compano
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多分開いていないだろうと思いながらも中に入りました。
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場所によって建設された年が200年余異なるPalazzoですが、この辺は特に古いようです。
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午前中は一般公開されてますが、午後3時過ぎの今は誰もいませんでした。
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町は静寂に包まれていました。
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午前中は左側の道を進んで市庁舎に行きましたが、今度は右側の道を進みました。
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建物の下を潜って向こう側に出ました。
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城壁沿いの道を下ります。
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「要塞」は見どころの一つになっています。
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Bastioneは要塞、Vicarioは代理とか代わりと言う意味です。代理要塞?
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中に入りました。
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階段を下った先にもう一つ階段があるので、更に下りました。
P1750241
うーん、これが要塞ですかね。ガイドさんがいれば詳細が分かると思いますが、勝手に入っただけでは何も分かりませんでした。
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案内板に従ってレストランに行ってみることに。
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空は一段と暗さを増していました。
P1750249
要塞上のレストランは昼の営業が終了してガランとしてました。
P1750250
(つづく)

P2210009
第5展示室です。15世紀の作品が展示されてます。
P2210011
ジョヴァンニ・ダ・モデナの「シエナの聖ベルナルディーノとその物語」(1451)
P2210013
ビティーノ・ダ・ファエンツァ(リミニで1398‐1422年記録)の「マギの礼拝」(1410‐15c)
P2210015
Maestro dell'Avicenna(ボローニャで15世紀前半に活動)の「天国と地獄」(1435c)
P2210018
ザノービ・ストロッツィ(フィレンツェ、1412‐1468)の「名声の勝利」(1440-41c)
P2210021
ザノービ・ストロッツィの「天候の勝利」(1440-41c)
P2210022
第5室は廊下です。
P2210025
15世紀のボローニャの逸名画家による「洗礼者聖ジョヴァンニ(ヨハネ)と聖ジャコモ」(1450c)
P2210027
ジョヴァンニ・マルトレッリ(ブレーシャ、1439‐1480)の「多翼祭壇画」(1460c)
P2210029
聖母の足付近に制作者の名前と制作した年が記されてます。
P2210031
「聖セバスティアーノ」
P2210033
「聖タッデオ」
アトリビュートが描かれていないので、聖人の特定が難しいにですが、光輪に名前が記されてます。
P2210035
裾絵
P2210038
裾絵の中央
P2210039
向かって右の裾絵
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ジョヴァンニ・マルトレッリの「聖アントニオ・アバーテ」
P2210044
ピエトロ・ディ・ジョヴァンニ・リアノ—リ(ボローニャで1428‐1460年記録)の「玉座の聖母子と6聖人(マルゲリータ、アントニオ・アバーテ、ジャコモ、バルトロメオ、クリストフォロ、セバスティアーノ)」(1430‐40c)
P2210048
ピエトロ・ディ・ジョヴァンニ・リアノ—リの「玉座の聖母子と4聖人(ジャコモ、洗礼者ジョヴァンニ、レオナルド、クリストフォロ)」(1420c)
P2210052
ピエトロ・ディ・ジョヴァンニ・リアノ—リの「サン・ジローラモ・ディ・ミラモンテ教会の多翼祭壇画」(1453)
P2210054
次は第6展示室です。
P2210057
ロレンツォ・ダ・ヴェネツィア(ヴェネツィアで1428年に記録)の「聖オルソラと4信奉者」(1444c)
P2210060
Maestro di San Verecondo (マルケとウンブリアで15世紀前半に活動)の「聖ウバルド司教」(1415‐30c)
P2210062
Maestro di San Verecondoの「ピエタのキリスト」(1415‐30c)
P2210065
ミケーレ・ディ・マッテオ(ボローニャで1410‐1470年に記録)の「聖母戴冠」(1455‐65)
P2210067
ミケーレ・ディ・マッテオの「サン・ピエトロ・マルティレ修道院の多翼祭壇画」(1462)
ミケーレの署名と制作年が記されてます。
P2210069
玉座の下に名前と制作年が描かれてます。
P2210071
「聖ジャコモ・マッジョーレとマグダラのマリア」
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「洗礼者聖ジョヴァンニ(ヨハネ)と聖ロッコ」
P2210075
頭頂部
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向かって左の裾絵
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裾絵中央
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向かって右の裾絵
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ミケーレ・ディ・マッテオの「サン・マルティーノ・マッジョーレ修道院の多翼祭壇画」(1469)
ミケーレの署名と制作年が記されてます。欠落パネルが幾つかあるようです。
P2210092
15世紀のボローニャの逸名画家による「サンティ・ナボッレ・エ・フェリーチェ修道院の多翼祭壇画」(1450‐75c)
描き込まれている聖人の数の多さにビックリです。
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ミケーレ・ディ・マッテオの「磔刑像」(1430‐35c)
P2210099
ジャコモ・ディ・二コラ・ダ・レカナーティ(マルケで1414‐1466年活動)の「洗礼者聖ジョヴァンニ(ヨハネ)と聖ジローラモ」(1443)
P2210101
ジャコモ・ディ・二コラ・ダ・レカナーティの「磔刑像」(1435‐45c)
P2210105
ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノの「2聖人」(1410‐15c)
聖人は特定されてません。
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ジョヴァンニ・マルトレッリの作品の可能性がありそうな「磔刑像」(1450c)
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Maestro di Montefloscoli(トスカーナで15世紀前半に活動)の「聖母子」(1425‐30c)
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第9展示室は剥離フレスコ画が展示されてます。
P2210116
プセウド・ヤコピーノの「サン・ジャコモ・マッジョーレ教会のフレスコ画」(1315‐20c)
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シモーネ・デイ・クローチェフィッシの「ヴェローナの聖ピエトロと修道女」(1375‐80c)
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フランチェスコ・ダ・リミニ(リミニで14世紀前半に活動、1333年から記録)の「サン・フランチェスコ教会のフレスコ画」(1320‐25c)
以下2枚の写真も同じです。
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ヤコポ・ダ・ボローニャの「玉座の聖母と2聖人」
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ヴィターレ・ダ・ボローニャの弟子(アンドレア・デ・ブルーニ?)による「玉座の聖母子と福音書記者聖ジョヴァンニ(ヨハネ)」(1360‐65c)
P2210130
ヴィターレ・ダ・ボローニャの弟子または追随者による「玉座の聖母子と聖人」(1360‐65c)
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14世紀のボローニャの逸名画家による「キリストと聖母と聖人たち(フランチェスコ、ドメニコ、トローザのルドヴィーコ」(1355‐60c)
P2210135
大きなフレスコ画の中央です。「最後の晩餐と聖人たち」(1340)
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大きなフレスコ画の向かって右側
ヴィターレ・ダ・ボローニャがサン・フランチェスコ修道院に描いたフレスコ画です。
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向かって右側
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フレスコ画の第9室から直接入るとシノピエ(フレスコ画の下絵)の部屋になりますが、この部屋から見ていくと混乱するかも知れません。
P2210145
シノピエを見る前に、こちらの部屋を最初に見ることをお勧めします。実はこの部屋にあるフレスコ画のシノピエだからです。
ここはSale di Mezzaratta、第8展示室になります。
P2210167
これらのフレスコ画は、サンタ・アポッロニア・ダ・メッザラッタ教会にあったもので、この部分はヴィターレ・ダ・ボローニャによって描かれました。
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それ以外の部分は、シモーネ・デイ・クローチェフィッシ、プセウド・ヤコピーノ、クリストフォロ・ダ・ボローニャ、ヤコポ・アヴァンツィによって描かれました。
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しかし、例えば、この場面が誰によって描かれたのか、美術館内には何の表示もないので、素人の私には分かりません。
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以上が左側の壁に展示されているフレスコ画です。
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ヴィターレ・ダ・ボローニャ作
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ヴィターレ・ダ・ボローニャ作
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向かって右の壁は「キリストの物語」が描かれてます。
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シノピエの方に戻ります。
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誰のシノピエなのか不明です。
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写真には殆ど写りません。
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シノピエはこの辺で終わりにします。
(つづく)


アンギアーリ ANGHIARI は、トスカーナ州アレッツォ県にあるコムーネで、アレッツォ~サンセポルクロ間を走るバスによって簡単に行けます。
P1750153
サンタゴスティーノ教会の後陣が要塞の代わりになって聳えてます。教会のファサード側に行くには大周りをする必要があります。
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Antica Via di Rondaを通りました。
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狭いチェントロなので、同じ所を行ったり来たり。
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昼食を食べたばかりでお腹一杯でしたが、早くも夕食の店を物色です。
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サンタゴスティーノ教会です。大回りした距離から、大きな教会と思われますが、修道院が併設されており、修道院の規模が大きいから距離があるのです。
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観光案内所で貰った地図は手書きのもので、各見どころの写実的な絵が添えられてます。この町を訪れたら手書きの地図を貰うことをお勧めします。
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トリップアドヴァイザーの評点によれば、この店も評判が良さそうです。ところでトリップアドヴァイザーの評点は当てになりますか?私の場合、見解の相違ですね、と思うことが多々あります。
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馬車の車輪除けがあります。
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Vigoloと言う名称の階段です。
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ほろ酔い気分が心地よい。昼食の生ビール一杯とワインハーフボトルが適量でした。
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門が見えてきましたが、門の写真左側がアンギアーリの旧城壁内になります。
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ヌオーヴァ門です。
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門は二重になってます。
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こちらはサン・マルティーノ門です。
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手前がサン・マルティーノ門です。
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坂を下ればバルダッチョ広場です。
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振り返って門を見ました。
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Palazzo Tastiが僅かに見えました。
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トリエステ通りの突き当りに見えるのはサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会です。
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バルダッチョ広場です。広場を経由して北の方に行くつもりです。
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広場に来たのはバールによってトイレを拝借するためです。ホテルが直ぐ近くにあるので、ホテルに戻ろうかと思いましたが、昼寝のまま翌朝まで寝入ってしまう恐れがあるので止めました。
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空の半分は雲に覆われて遠雷が相変わらず聞こえていました。
P1750192
古戦場はまだ雨が落ちていないようでした。
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(つづく)

ボローニャ国立絵画館の続きです。展示作品が多いので、何回かに分けてアップすることにします。
横写真と縦写真の幅が同じというのが少々気になります。
P2200894
この辺は、非常に見易く作品が展示されてます。
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ヤコポ・ディ・パオロ(ボローニャで1355‐1426年存在確認)の「サン・ミケーレ・イン・ボス子修道院の祭壇画」(1400/10c)    聖人は向かって左から聖ジャコモ、聖ミケーレ(大天使)、聖ピエトロ、洗礼者聖ジョヴァンニ(ヨハネ)です。寄進者が小さく描かれてます。
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シモーネ・デイ・クローチェフィッシの「修道士に戒律を手渡す聖ベルナルド」(1370c)
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数年前に修復工事が行われた廊下です。
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15世紀のボローニャの逸名画家による「聖コズマと聖ダミアーノ」(1400/10c)
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リッポ・ディ・ダルマシオの「聖母戴冠」(1394)
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ヤコポ・ディ・パオロの「6聖人」(1402?)
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「聖ジャコモと聖バルトロメオ」
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「福音書記者聖ジョヴァンニ(ヨハネ)と聖アンドレア」
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「聖ピエトロと聖パオロ」 
聖人の名前は、原則としてイタリア語読みを使用してます。
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ヤコポ・ディ・パオロの「聖バルトロメオと聖ピエトロ」(1420)
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リッポ・ディ・ダルマシオの「コンセルヴァトーリオ・ディ・サンタ・クローチェ教会の三翼祭壇画」(1390c)
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シモーネ・デイ・クローチェフィッシの「サンティ・レオナルド・エ・オルソラ修道院の多翼祭壇画」(1385/90c)
全パネルが揃ってます。縦142.5㎝×横186.5㎝の大作です。写真では作品のサイズが分かりません。
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ジョヴァンニ・ダ・ボローニャ(ヴェネツィアとトレヴィーゾで1377‐1389年記録)の「サン・マルコ教会の多翼祭壇画」(1380c)
全パネルが揃ってますが保存状態がそれほど良いとは言えません。サイズは縦225㎝×横188㎝です。各パネルの写真を掲載しましょう。
P2200928
中央頭頂部
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向かって左上
聖人はアトリビュート(持物)によって特定することが出来ます。左の聖人の手に聖痕が描かれているので聖フランチェスコとなります。
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向かって右上
左の聖人はナイフを手に持っているので、身体の皮を剥がされて殉教した聖バルトロメオになります。右は福音書記者聖ジョヴァンニ(ヨハネ)です。
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中央パネル
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向かって左下
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向かって右下
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向かって左の裾絵 不鮮明です。
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裾絵  何が描かれているのか、良く分かりません。
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向かって右側の裾絵
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ジョヴァンニ・ダ・モデナ(モデナで1409‐1456年記録)の「磔刑像」(1415c)
サン・フランチェスコ教会(勿論のボローニャのサン・フランチェスコ教会です)にあったもので、縦370㎝×横295㎝の大きな磔刑像です。
P2200949
シモーネ・デイ・クローチェフィッシの「多翼祭壇画」(1365‐70c)  縦180㎝×横248.5㎝
所在場所ですが、ボローニャのサン・ドメニコ教会のファサニーニ礼拝堂の可能性がありますが、未特定です。
P2200951
中央頭頂部
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向かって左の頭頂部
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向かって左の聖人たち
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中央パネル
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向かって右上部
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向かって右の3聖人
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シモーネ・デイ・クローチェフィッシの「教皇ウルバーノ5世」(1375c)
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シモーネ・デイ・クローチェフィッシの「受胎告知」(1350/55c)
多翼祭壇画の一部でしょう。
P2200966
シモーネ・デイ・クローチェフィッシの「十字架を崇める聖エレーナと修道女」(1375/80c)
P2200968
ジョットの作品がある展示室です。
P2200971
ジョットの「多翼祭壇画」(1330c) サイズ:縦146.5㎝×横217㎝
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中央
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向かって左
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向かって右
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ロレンツォ・モナコの「玉座の聖母子と4天使」(1402‐03c)
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ジュスト・デ・メナブロイ(フィレンツェ?で1363年から記録、パドヴァで1391年没)の「聖クリストフォロ」(1370c)
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ジュスト・デ・メナブロイの「聖アンブロージョ」(1363)
P2200988
ロレンツォ・ヴェネツィアーノ(ヴェネツィアで1353‐1379記録)の「聖バルトロメオと聖アントニオ・アバーテ」
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Maestro di Faenza(13世紀にエミリア・ロマーニャで活動)の「キリストの物語の3場面」(1275‐85c)
P2200992
「ご誕生」
P2200995
「十字架降下」
P2200997
「キリストの埋葬」
P2200999
リナルド・ディ・ラヌッチョ(13世紀後半にスポレートで活動)の「磔刑像」(1265)
P2210003
アンドレア・ディ・バルトロ(シエナで1389年から記録、1428年没)の「最後の晩餐」(1420c)
P2210007
Maestro della Misericordia(フィレンツェで14世紀第3四半世紀に活動)の「最後の審判とキリストの受難」(1360‐65c)
(つづく)

http://www.beach.jp/circle/ae30240/  「独断と偏見で楽しむイタリア芸術」のシニョレッリです。

ブログの引っ越しを検討中です。そのテストとして書いてます。
P2210881
国立絵画館は、ボローニャ大学の北Via Belle Arti, 56にあります。
P2200810
旧サンタ・マリア・マッダレーナ教会修道院の建物が絵画館になってます。
P2210875
建物のキオストロを見れば修道院だったことが分かります。
P2200811
絵画館の入り口です。
開館時間は、現在のところ(時々変更されます)、火曜日と水曜日が9:00‐13:30、木曜日から日曜日が14:00-19:00で毎週月曜日が休館です。曜日によって開館時間が変わるので、注意が必要です。
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階段の踊り場にあるガエターノ・ガンドルフィ(サン・マッテオ・デッラ・デチーマ、1734‐ボローニャ、1802)の「カナの結婚」(1775)
ボローニャのサン・サルヴァトーレ修道院にあったもので、縦530㎝、横679㎝の大作です。
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展示室内に入りました。入館者は何時もそれほど多くはありません。ゆっくりと鑑賞出来ます。
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Maestro dei Crocefissi Fracescani(ウンブリアとエミリア・ロマーニャで13世紀に活動)とヤコポ・ディ・パオロ(ボローニャで1378‐1426記録)の「磔刑」(1254c) c=circaです。1254cは1254年頃の意味です。
所蔵する作品が非常に多い美術館に時々行くと、展示されている作品が変わっていることに気付きます。今まで、この事について気付いていませんでしたが、イタリアの国立美術館で写真が解禁となった2014年から作品の写真を撮るようになって、展示作品の変更が分かるようになりました。
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ヴィターレ・ダ・ボローニャ(ボローニャで1330年から活動記録 1361年以前に没)の「王女を解放する聖ジョルジョ」(1330/1335c)
1959年にアムステルダムから購入しました。この作品は美術館を代表する一つで有名です。
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上記作品のレリーフです。
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ヴィターレ・ダ・ボローニャの「聖アントニオ・アバーテの物語の4場面」(1340/45c)
ボローニャのサント・ステファノ修道院にありました。4場面ですから、以下の3写真も同じ作品です。
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ヴィターレ・ダ・ボローニャの「ピエタのキリストと聖アントニオ・アバーテと聖クリストフォロ」(1355c)
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プセウド・ヤコピーノ(ボローニャで14世紀前半に活動)の「Polittico(多翼祭壇画)」(1340c)
プセウド Pseudoとは、ニセと言う意味です。ニセがいるならば、本物もいるだろうと思いますよね。いるんです。でも腕前の方は、どう見てもニセの方が上手ですから困ります。画風が似ていたり、作品の帰属を巡って二人の画家が混同したりする場合、片方をプセウドとして区別するのです。
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作品の保護のためのガラス板があるので、写真がうまく写せません。
ジョヴァンニ・バロンツィオ(マルケとロマーニャで1343‐1345記録)の「キリストの物語と聖人たち」(1330c)
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Maestro di San Nicolo degli albari(ボローニャで14世紀前半に活動)の「キリストの物語」(1320c)
中世の頃、文字が読めない人のために、聖書の内容が分かるように描かれた作品です。
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プセウド・ヤコピーノの「天使と2聖人」(1329)
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プセウド・ヤコピーノの「聖母戴冠」(1320/25c)
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プセウド・ヤコピーノの「聖ロムアルドの幻視」(1329)
これらの作品の写真は2016年6月初旬に撮りました。
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プセウド・ヤコピーノの「聖クリスティーナの殉教」(1329)
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プセウド・ヤコピーノの「書斎の聖グレゴリオ」(1329)
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プセウド・ヤコピーノの「聖母の死」(1329)
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プセウド・ヤコピーノの「天使と聖ルチアと聖パオロ」(1329)
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プセウド・ヤコピーノの「サンタ・マリア・ヌオーヴァ修道院の多翼祭壇画」(1330/35c)
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プセウド・ヤコピーノの「サンタ・マリア・ヌオーヴァ修道院の多翼祭壇画」(1330/35c)
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14世紀中ごろのエミリアの逸名画家による「聖母子と大天使ガブリエル」(1350/60c)
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"ダルマシオ"(ボローニャで14世紀前半に活動)の「磔刑」(1335-40c)
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アンドレア・デ・バルト—リ?(ボローニャ、1359‐1368記録)の「聖母子と天使たち」(1360c)
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リッポ・ディ・ダルマシオ(ボローニャとピストイアで1377‐1410記録)の「ゲッセマネ園の祈りと聖アンブロージョと聖ペトロニオ」(1380/1390c)
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トマーゾ・ダ・モデナ(1345‐1375モデナで活動)の「Anconetta」(1345c)
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シモーネ・ディ・クローチェフィッシ(ボローニャで1355年から存在を確認、1399年没)の「キリストの磔刑」(1370c)
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シモーネ・ディ・クローチェフィッシの「Anconetta」(1390/95c)
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シモーネ・ディ・クローチェフィッシの「聖母子と天使たちと寄進者」(1378/80c)
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シモーネ・ディ・クローチェフィッシの「聖母の生涯の7場面」(1396/98c)
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「聖母の誕生」
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「聖母の教会への出現」
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「聖母の結婚」
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「キリストの割礼」
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「聖母の死」
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「聖母の葬儀」
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「聖母の昇天」
(つづく)


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