イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 BY:シニョレッリ

2016年10月

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コッレッジョの追随者による「ゲッセマネ園でのキリストの祈り」(1524‐30c)


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ポリドーロ・ダ・カラヴァッジョ(カラヴァッジョ、1499c‐メッシーナ、1543)の「カルヴァリオへの道」(1531‐32c)


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ベルナルディーノ・デ・コンテ(ミラノ、1470c‐1525c)の「フランチェスコ・スフォルツァ2世の5歳の時の肖像」(1496)


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ラッファエッリーノ・デル・コッレ(ボルゴ・サン・セポルクロ、1490c‐1555)の「ご誕生とマギの礼拝の下書き」(16世紀前半)
下の油彩画の下絵です。


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ラッファエッリーノ・デル・コッレの「ご誕生とマギの礼拝」(16世紀前半)


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詳細不明
この場所にはジョヴァンニ・ベッリーニの「十字架降下」がありましたが、貸し出し中のため、ジョヴァンニの作品の代わりに展示されていました。


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この作品は、フォルリで開催されていたピエロ・デッラ・フランチェスカ展に貸し出し中でした。(2016年5月末)


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ドメニコ・ギルランダイオと工房による「ご誕生」(1471‐74)


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ヴィンチェンツォ・パガーニ(モンテルッビアーノ、1490c‐1567)に帰属する「多翼祭壇画の端に描かれた聖人たち」


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16世紀のリンバルディアの逸名画家による「ブラマンテの肖像と云われる男の肖像」


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ヴィンチェンツォ・パガーニに帰属する「多翼祭壇画の端に描かれた聖人たち」


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ペドロ・ベッルグエーテの作品かもしれない「教皇アレッサンドロ4世の肖像」


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レオナルドの作品をもう一度見ました。


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次の展示室です。


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ロンバルディアの逸名画家の「腰帯の聖母と聖人たち」(16世紀初頭)


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ヤコポ・ボアテーリ(ボローニャで16世紀中ごろに活動)の「聖母子と聖ジローラモ」


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ピエル・フランチェスコ・ビッソーロ(トレヴィーゾ、1470‐ヴェネツィア、1554)の作品の可能性がある「割礼」


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ラッファエッロとジュリオ・ロマーノとイル・ファット—レの3人による「モンテルーチェの聖母」(1505‐25)


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モレット(ブレーシャ、1498‐1545)の「玉座の聖母子と聖ジローラモと聖バルトロメオ」(1550)


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人気がある展示室です。


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カミッロ・フィリッピ(フェッラーラ、1500c‐1574)の「羊飼いの礼拝」(1537c)


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ガロファロ(フェッラーラ、1481‐1559)の「聖家族とアレッサンドリアの聖カテリーナ」


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ガロファロの「アウグストゥスとシビッラの顕現する聖母子」(1544)


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パリス・ボルドン(トレヴィーゾ、1500‐ヴェネツィア、1571)の「竜を退治する聖ジョルジョ」(1525c)


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ボニファツィオ・ヴェロネーゼ(ヴェローナ、1487c‐ヴェネツィア、1523)と工房による「聖家族と聖ジョヴァンニーノと聖ドロテアと聖アンドレア」


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パオロ・ヴェロネーゼ(ヴェローナ、1528‐ヴェネツィア、1588)の「聖エレーナの幻視」(1560c)


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ティツィアーノ(ピエーヴェ・ディ・カドーレ、1490c‐ヴェネツィア、1576)の「ドージェ・ニッコロ・マルチェッロの肖像」(1542c)


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ティツィアーノの「サン・ニッコロ・デイ・フラーリの聖母」(1520‐25)


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アントニオ・モーロ(ユトレヒト、1520‐アントウェルペン、1578c)の「紳士の肖像」


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パオロ・ヴェロネーゼの「教養の寓意」


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ロンバルディアの逸名画家の「荊刑のキリスト」(16世紀)


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フランチェスコ・サルヴィアーティ(フィレンツェ、1510‐ローマ、1563)の「聖母戴冠と天使たち」(1550c)


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ジローラモ・デル・パッキア(シエナ、1477c‐1533)の「聖母子と聖人たち」


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次の展示室に移りました。


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マルチェッロ・ヴェヌスティ派画家の「ピエタ」(16世紀後半)


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フェデリーコ・バロッチ(ウルビーノ、1528‐1612)の「聖痕を受ける聖フランチェスコ」(1595c)


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ジローラモ・シチオランテの追随者による「聖セバスティアーノの殉教」


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ルドヴィーコ・カッラッチ(ボローニャ、1555‐1619)の「キリストの聖霊」


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ルドヴィーコ・カッラッチの「イサクの犠牲」


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カヴァリエ―ル・ダルピーノ(アルピーノ、1568‐ローマ、1640)の「受胎告知」(1606)


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トッマーゾ・ラウレーティ(パレルモ、1530c‐ローマ、1602)の「聖ピエトロの陰の奇跡」


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ジローラモ・ムツィアーノ(ブレーシャ、1532‐ローマ、1592)の「聖エレミータ」(1590c)


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ジローラモ・ムツィアーノの「ラザロの蘇生」(1555)


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ジローラモ・ムツィアーノの「聖ジローラモ」(1585‐90)


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ジローラモ・ムツィアーノ派逸名画家の「聖痕を受ける聖フランチェスコ」


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ジローラモ・ムツィアーノの「聖フランチェスコ」


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ヤコポ・ズッキ(1542c‐1596c)の「雪の奇跡」(1573‐75)


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マルコ・ダ・シエナ(シエナ、1529‐ナポリ、1583)の「天上のキリスト」(1571c)


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ヤコポ・ズッキの「聖グレゴリオの行列」(1573‐75)


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マルチェッロ・ヴェヌスティ(ソンドリオ、1510‐ローマ、1579)の「悪魔を踏みつける聖ベルナルド」(1563‐64)


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フェデリーコ・バロッチの「受胎告知」(1582‐84)


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フェデリーコ・バロッチの「エジプトへの逃避途中の休息」(1570‐73)


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フェデリーコ・バロッチの「ベアータ・ミケリーノ」(1606)


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インノチェンツォ・ダ・イーモラ(イーモラ、1484c‐ボローニャ、1550)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」
(つづく)

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雨が降ってきたので、ぶらぶら歩きを止めて要塞に向かいます。


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サン・フランチェスコの塔です。


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要塞は二重の城壁によって守られています。


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町のホームページに、冬場でも土曜日と日曜日は開いていると書いてありました。この日は土曜日でした。だから来たのです。


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結論から言えば、ホームページの記述は正しくありませんでした。


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塔の内側にも町が築かれてます。


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18世紀に建設されたレメーディ邸です。


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学校


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この辺一帯は、4世紀に築かれた砦の周囲に出来た集落が前身です。


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通りの突き当りが要塞の本丸に相当する部分です。


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やって来ました。


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閉まっていました!


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これも予想の範疇でした。それならば、ホームページに閉まっていると書けばよいではないかというのが我々の考え方ですが、イタリアではそうは通じません。


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4世紀に築かれた砦の上に、ジェノヴァ共和国が10世紀に構築した要塞が原型です。


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15世紀後半、フィレンツェのロレンツォ・イル・マニーフィコが10世紀の要塞を更に拡充整備しましたが、その建物が現在の姿です。


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夏は野外コンサートなどが行われます。ホームページによれば、冬は土曜日日曜日だけの公開との事ですが、正しくは非公開です。


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こちらも楽しみにしてました。でも明かりが点いてない!


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電話を架けましたが、呼出音が聞こえるだけで誰も応答なしでした。
事前予約受付もメールで可能との事なので、出発前に日本からメールを出しましたが返事なしでした。


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雨の土曜日の夕方。誰もいません。


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開けていても誰も来ないのでしょう。


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保存状態は良いと思います。


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酷いことになりました。


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教会は一つも拝観が叶わず、要塞、教区美術館は開いていないですから。


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仕方がない。


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人気(ひとけ)がありません。


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退散するよりありません。


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残念ながら、こんなこともあります。


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チェントロに戻ることにしました。


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戻ったところで、ご覧のような有様ですから特にやることがありません。


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土曜日の夕べのミサもありません。


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B&Bに戻っても特にやることがありません。


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ぶらぶら歩きを続けました。


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所が雨が強くなってきたのです。


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B&Bに戻る前に夕食を食べる所を探しました。


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見つけるのが大変でした。


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でも何とか見つけることが出来ました。


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小さな町は、ダメだったときの選択肢が無いので、リスクがあります。


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サルザーナに行っても泊まるのは止めるべきだったと後悔しました。


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靴が濡れて来たので、もうダメ。B&Bに戻ります。


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B&Bは駅至近にあります。


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チンクエテッレに泊まれば良かった!サルザーナから乗車30分で行けますから。
(おわり)

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カルロ・クリヴェッリ(ヴェネツィア、1430/35c-マルケ、1494/95)の「聖母子」(1482)


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Maestro di Narni del 1409(ナルニで15世紀初期活動)の「アレッサンドリアの聖カテリーナと福音書記者聖ジョヴァンニ(ヨハネ)」


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Maestro di Narni del 1409の「聖アンドレアとイッポーナの聖アゴスティーノ」


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アントニオ・ヴィヴァリーニとバルトロメオ・ヴィヴァリーニによる「聖アントニオ・アバーテの多翼祭壇画」(1464)


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グイドッチオ・コッツァレッリ(シエナ、1450‐1517)の「聖バルバラの物語の裾絵」
下の写真も同じです。


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ニッコロ・ディ・リベラトーレ通称ラルンノ(別称ニッコロ・アルンノ)(フォリーニョ、1435c‐ペルージャ、1502)の「カメリーノの多翼祭壇画」


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中央の「磔刑」


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向かって左の「聖ヴェナンツィオと聖ピエトロ」


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向かって右の「聖ジョヴァンニと聖ポルフィーリオ」


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ニッコロ・ディ・リベラトーレ通称ラルンノ(別称ニッコロ・アルンノ)の「聖母戴冠の多翼祭壇画」(1466)


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中央パネル


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向かって左


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向かって右


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頭頂部中央


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左頭頂部


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右頭頂部


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上下二段の裾絵


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次の展示室に移ります。


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マリアーノ・ディ・セル・アウステリオ・ダ・ペルージャ(ペルージャ、1470‐1547以前没)の「聖母子」(1493c)


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ティベリオ・ダシージ(アッシジ、1470c‐1524)の「玉座の聖母子と聖ジローラモと聖フランチェスコ」(1502)


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二コラ・フィロテシオ通称コーラ・デッラマトリーチェ(アマトリーチェ、1480‐アスコリ・ピチェーノ、1547)の「聖母被昇天の祭壇画」


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中央の「聖母被昇天」


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向かって左の「聖ロレンツォと聖ベネデット」


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向かって右の「マグダラのマリアと聖スコラスティカ」


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スパーニャ(スパーニャ、1450c‐スポレート、1528)の「ご誕生とマギの一行の到着」(1507c)


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ペルジーノ(チッタ・ディ・ピエーヴェ、1450c‐ペルージャ、1523)の「聖母子と聖人たち」(1496)


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ペルジーノの「聖ベネデット」


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ペルジーノの「聖フラーヴィア」


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ペルジーノの「聖プラシド」


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ピントゥリッキオに帰属する「聖母子」


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ジョヴァンニ・サンティ(コルボルドーロ、1433‐ウルビーノ、1494)の「聖ジローラモ」
ジョヴァンニはラッファエッロの父です。


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アントニアッツォ・ロマーノの追随者による「聖痕を受ける聖フランチェスコ」


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マリアーノ・ディ・セル・アウステリオ・ダ・ペルージャの「聖母子と聖人たち」


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スパーニャの「授乳の聖母とパドヴァの聖アントニオとマグダラのマリア」


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ベルナルディーノ・ディ・マリオット・デッロ・スパーニョ(ペルージャ、1478c‐1566)の「天上の聖母子と聖セヴェリーコと聖ドメニコ」


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15世紀のウンブリアの逸名画家の「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」


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ピントゥリッキオ派画家による「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」


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次は大きな展示室です。


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ラッファエッロ(ウルビーノ、1483‐ローマ、1520)の「オッディの祭壇画」(1502‐03)


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ラッファエッロの「天上の聖母子と聖人たち」


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ラッファエッロの「キリストの変容」(1518‐20)


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豪華なタペストリー


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珍しく人だかりがありませんでした。


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完成作が少ないのが惜しまれます。


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レオナルド・ダ・ヴィンチ(ヴィンチ、1452‐アンボワーズ、1519)の「聖ジローラモ」(1480c)
(つづく)

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博物館の開館まで少し時間があったので、ドゥオーモ横の道を上りました。


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双頭の鐘楼の右側


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ほぼ垂直の岩山の絶壁は迫力があります。


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この山に一度登ったことがあります。風が強い日だったので、絶景よりも吹き飛ばされそうで怖かった思い出があります。


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NHKの世界街歩きで、この通りを放送してましたね。冬場は、太陽が岩山に遮られて春まで日が差さないと言ってました。


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特に見るべきものがなかったので直ぐに戻りました。


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これがあったので、建物をしげしげと見つめました。


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土産物屋がある建物がPalazzoです。ごく普通の建物で、16世紀の歴史的建造物とは意外でした。


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開館時間になりました。


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写真右の建物はどうやら教会のようです。


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やはり教会です。


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この表示ではよく分かりません。


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Via Mandralisca


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博物館として使用されているPalazzo di Mandraliscaです。


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19世紀のシチリア貴族エンリコ・ピライノ・ディ・マンドラリスカ男爵の収集物が主に展示されている博物館です。


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入口です。


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アントネッロ・ダ・メッシーナの「男の肖像」
これが見たくてやって来ました。


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展示作品を見れば、マンドラリスカ男爵の好みが大体分かります。


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展示作品が多いとは言えませんが、シチリアでは珠玉の存在の博物館です。


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態々来た甲斐がありました。若しも突発的な臨時休館だったら泣いてしまいます。開館していて本当に良かったと思いました。


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同じ通りに歴史建造物があります。


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15世紀に建設されたそうです。


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これ以上行っても何も無さそうです。


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この時間ならばドゥオーモが開いている筈。


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日没まで2時間はあると思いますが、太陽が岩山に隠れて、すっかり夕方の風情です。


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開いてました、良かった!


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災害が多いシチリアにあって、歴史を十分に感じさせる柱頭です。


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拝観しました。


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一見の価値があるとされている後陣のモザイクがやはり良かった!


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外に出ました。


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古そうな建物です。


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16世紀から17世紀に建設された司教館ですね。


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司教館の門


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司教館がMuseo Diocesanoになっている所が多いので、一応確認しましたが、ここにはMuseoがありませんでした。


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この建物にも案内表示板がありました。


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神学校ですね。


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これでチェファルに来た目的は大体果たしたことになります。


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ドゥオーモに向かって左、つまり海の方に歩いてみることにしました。


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特に見たいものがある訳ではないので、行き当たりばったりで適当に歩きました。


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夕方になって、漸く人が出てきました。


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シチリアは夜が遅いですね。


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レストランは、午後9時頃から漸く混み合うようです。その代わり朝も遅いのでしょうね。


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6月から9月までがチェファルの観光シーズンです。この期間が賑わいます。以前に来た時は6月でした。


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シーズンオフに来ると、泊まる所に苦労します。殆どが休業中ですから。


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行った先々で1泊するのが原則にしてますが、この時は2月で宿泊する適当なホテルがなく、パレルモからの日帰り遠足でした。


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ぶらぶら歩きは、パレルモ行列車に乗るための時間潰しです。


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チェファル~パレルモ間のFSは一応幹線ですが、列車の本数が限られてます。


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ドゥオーモ広場に戻りました。


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まだ時間があります。


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道路が真っ直ぐに伸びているので、路地に入っても迷うことはありません。


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街角のタベルナコロ


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写真左がローマ時代の道路遺跡がある所です。来た時と同じ道を通ってはつまらないので、別の道を歩きました。


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教会ですね。


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教会で開いていたのはドゥオーモだけでした。


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列車の時間が迫って来ました。


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時間潰しが過ぎたようです。


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早足で歩きました。


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ここまで来たらもう安心です。


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駅はもう直ぐです。


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駅に着いたら、列車は30分遅れ! 参ったなあ。


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(おわり)

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チェファルは、人口14,393人(2015年12月31日現在)のシチリア州パレルモ県にあるコムーネで、古代ギリシャが築いた植民都市が起源です。


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ここに来たのは二度目です。今回の目的は、ズバリ、アントネッロ・ダ・メッシーナの傑作を見ることでした。


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鉄道で到着しました。


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FSの駅舎です。


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この街のシンボルと言うべき岩山が見えてます。


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「岩山」という名前の岩山なんですねえ。
この辺はイタリア人の素っ気ないところで、今まで旅行した所で「テヴェレ川に架かる橋」という名前の橋が3つありました。日本なら○○橋とか××橋で、単に「利根川に架かる橋」や「最上川に架かる橋」などはありませんね。


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ティレニア海のリゾートとして有名ですが、イタリアで泳いだことは一度もありません。
泳ぐ方は殆ど毎日通ってるフィットネスセンターのプールだけです。このところ、泳いでいると足がつる癖がついてしまったので、フィットネスセンターでも泳ぐことが少なくなりました。


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駅からチェントロの入り口まで約300mほどでしょうか。


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この辺がチェントロの入り口です。


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マッテオッティ通りです。
イタリアでは、通りの名前と番地が曲者ですね。同じ通りが場所によって通りの名称が異なったり、○番地だけかと思ったら、○/r番地が同じ通りの他の場所にあったりして旅行者泣かせです。


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建物の向こうに岩山が見えます。


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チェファルは観光の街なので、マンドラリスカ博物館は開いている筈です。でも行ってみて初めて分かるのがイタリアなので、一抹の不安がありました。


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教会ですね。


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1780年に建設されたマリア・サンティッシマ・デッラ・カテーナ教会です。見たい作品が無いので、閉まっていても気になりません。


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この辺から通りの名前が変わって、ルッジェロ大通りとなります。


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大通りと言っても道幅は狭いと思います。


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写真左の建物は教会でしょうか?


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一見して教会ですが・・・・・


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Osterio Magno  13-14世紀と書かれてます。辞書を引きましたがOsterioが出てません。


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教会ではなくて、古い邸宅のようにも見えます。


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この道を進めば、岩山のディアナ神殿に行けますが、この時はパス。


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あと約200mほどでチェントロの中心ドゥオーモ広場です。


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変な建物ですが、この中に1世紀に作られたローマ時代の道路が走ってます。


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一度見れば十分です。この時はパス。


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ヴァリーニ通りです。この道を進めば海岸に出ます。


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この時は道草をしませんでした。


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開いていたら拝観するつもりでした。


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創建時に描かれたフレスコ画があります。


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市庁舎が見えてきました。


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写真左の白い建物が市庁舎です。


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ドゥオーモ広場


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チェファル大聖堂


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市庁舎


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ユニークな形をしています。


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広場に面して教会が建ってます。


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拝観できなくても問題がありません。


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ドゥオーモの横にわざわざ祈祷所を設ける理由が分かりません。


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(つづく)

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カラヴァッジョのチェントロ入口にあるローマ門です。


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直ぐに教会の鐘楼が見えてきます。


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鐘楼は、サンティ・フェルモ・エ・ルスティコ教会のものですから、鐘楼を目指していけば簡単に行くことが出来ます。


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市庁舎です。この裏手に教会があります。


256
この街の教区教会です。つまりドゥオーモです。


253
正式名は、Chiesa Arcipretale Parrocchiale dei Santi Fermo e Rustico Martiri in Caravaggio です。


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教会の歴史は古く、1000年頃に創設されたとされてますが、文書に最初に記録されたのは1196年で、二度目の記録は1218年のことでした。


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1200年頃、初代の建物を取り壊し、その上に創建されたロマネスク様式の二代目の建物が現在の姿の原形です。、15世頃に現在のロンバルディア・ゴシック様式の建物に改造されました。


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14世紀の改造の際、ファサードも現在の姿に改められました。


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ファサードに聖母子と聖フェルモと聖ルスティコの像があります。(制作者不明)


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ファサードのルネッタ上にフレスコ画は、ジョヴァンニ・バッティスタ・モリッジア(カラヴァッジョ、1796‐1876)の「聖母子と聖フェルモと聖ルスティコ」(1835)です。


255
鐘楼は、1500年に高さ71‐76mで建てられましたが、経年による劣化により、1912年から1932年に大修復されました。現在の高さは71mあります。


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三廊式、構造的にはゴシック様式ですが、17世紀にバロック様式に改修されました。


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内陣中央から見た左側廊方向です。


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左側廊


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左側廊から見た身廊中央です。


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内陣中央から見た右側廊方向です。


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右側廊


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右側廊からの眺め


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天井のフレスコ画はベルナルディーノ・カンピの作品です。
1588年、13歳になった画家カラヴァッジョは画家になるために、ミラノのシモーネ・ぺテルツィア—ノに弟子入りしますが、画家を志した切っ掛けが良く分からないとされています。しかし、この教会と聖母の聖域聖堂のフレスコ画や祭壇画などを見て刺激を受けたと想像するのが最も自然と思います。
その想像が的を得ているのか確認したかった、それが私がカラヴァッジョに来た理由です。


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17世紀に作られた主祭壇


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ジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニの後陣のフレスコ画


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15世紀末にブラマンテ・スタイルで作られたサンティッシモ・サクラメント礼拝堂です。


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ベルナルド・カンピ派画家による「キリストの復活」(17世紀)


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ベルナルド・カンピの「最後の晩餐」(1571)


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ベルナルド・カンピの「足を洗うキリスト」(1571)


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聖母顕現の礼拝堂です。


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ジョヴァンニ・バッティスタ・モリッジアの「農婦ジャネッタの前に顕現する聖母」(1836)


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詳細不明


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説教壇


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カルロ・ブレーダの「祈る聖母と聖ベルナルディーノ」(1709‐10)


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サンティ・ロッコ・エ・セバスティアーノ礼拝堂です。


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フェルモ・ギソーニ(1505‐1575)の「聖家族と聖フランチェスコと聖セバスティアーノ」


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ロザリオの聖母の礼拝堂です。


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アンドレア・アスペールの「悔悛の聖ジローラモ」(1655)


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アンドレア・アスペールの「聖母子と聖ドメニコ」(1655)


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洗礼堂です。
コリオラーノ・マラガヴァッツォの「キリストの洗礼」(1571)


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二コラ・モレッタの「ご誕生と聖人たち」(1529)


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サンティ・ピエトロ・エ・アンドレア礼拝堂です。


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クリストフォロ・フェッラーリ・デ・ジュキスの「玉座の聖母子と聖アンドレアと聖ピエトロ」(1504)


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この教会で1点選ぶとすれば、私ならこれです。


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フランチェスコ・プラータの「十字架降下」(16世紀前半)


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次はサンタンブロージョ礼拝堂です。


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ジョヴァンニ・バッティスタ・セッコ通称イル・カラヴァッジーノ(カラヴァッジョ、1605‐1619記録)の「天上の聖母子と聖アンブロージョと聖カルロ・ボッロメオと聖ゴッタルド」


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主祭壇前から見た出入口です。


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外に出ました。


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近くカラヴァッジョ博物館が出来るそうです。その完成後に一度来てみたいと思います。


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来た甲斐がありました。


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この街でのカラヴァッジョの痕跡らしきものを探しましたが、この建物の壁にカラヴァッジョの肖像があっただけでした。


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これです。


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(おわり)

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サルザーナ Sarzana は、人口21,965人(2015年3月31日現在)のリグーリア州ラ・スぺツィア県にあるコムーネです。
ピサとラ・スぺツィアの間にあり、ピサ共和国が繁栄した時代にはピサと対峙するジェノヴァ共和国の前線基地として栄えました。やがて、フィレンツェの勢力が強くなりますが、ピサがフィレンツェの軍門に下ると、サルザーナは次第にフィレンツェの攻勢を受けるようになりました。その間、ジェノヴァ共和国も徐々に国力が衰退するようになりますが、ジェノヴァはサルザーナから撤退してしまいます。直ぐにサルザーナはフィレンツェの軍門の下り、今度はフィレンツェの前線基地となりました。


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FSでサルザーナに到着しました。


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駅舎


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先ず、この日のお宿に向かいました。


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写真左のB&Bと言いたいけれど、朝飯が無い単なるベッドのみのお宿にチェックインしました。この町では泊まる場所が限られているので贅沢は言えません。


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お宿から約200mほどでチェントロの入り口に着きます。


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地元の彫刻家カルロ・フォンターナ(カッラーラ、1865‐サルザーナ、1956)の代表作「Il Genio della Stirpe」(1914)がお出迎えしてくれます。


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先ずドゥオーモに向かいました。


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この時はまだ雨が降っていませんでした。


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ドゥオーモ広場が見えます。


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サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂です。


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1947年、Basilica Minoreに格上げされました。


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残念ながら閉まっていました。


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1204年から1474年に建設されたロマネスク・ゴシック様式の建物です。
ドゥオーモだけは開いていると思ってました。


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ルネッタ上のモザイク


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ファサードのバラ窓


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正面はドゥオーモの聖具室です。


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ピンク色の建物はサン・ジローラモ祈祷所です。


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ここも閉まっていました。


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ここにドメニコ・フィアセッラの作品が6点あるのです。


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結論を言えば、この時の旅は最低でした。この町で見たいところが6か所ありましたが、全部開いてなくて全敗、旅は徒労に終わったのです。


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観光案内版があちこちにあるので、大変便利です。


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地図を開くよりも観光案内版の方が遥かに勝ります。


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広場に向かいました。


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カランドーニ広場です。


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ドゥオーモの後陣


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ロッシ通りです。


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写真右が教会です。


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サンタ・クローチェ祈祷所です。


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扉が閉まっていました。


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祈祷所の先に教会があります。


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12世紀に建てられたサンタンドレア教会です。


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ここも閉まっていました。


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聖職者が幾つも教会を兼務しているので、この辺は仕方がないのでしょう。


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美術好きにとって、教会巡りは効率が悪いですね。


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ガックリしたので、この辺で一休み。


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一休みして元気いっぱいで散歩を再開しました。


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夕食の場所も探しました。


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夕食はここに決めました。


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ジャコモ・マッテオッティ広場です。


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この広場が町の中心になります。


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広い広場です。


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市庁舎


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1819年に建てられたPlazzo Podesta Lucciardi


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とうとう雨が降ってきました。


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降り始めから本格的な降りなので、先を急がないとイケマセン。


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(つづく)

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フィレンツェのファエンツァ通りです。この通りの42番地に美術館があります。


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Convento di Santo'Onofrioです。


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旧修道院で、現在は事務所などに使用されてます。


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旗がある所が美術館の入り口です。


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2年前までは開館時間が決まっていて、その通りに開館されていましたが、今年6月の時点では修復工事中のため、滅多に開館しないようです。ただ、全面的な休館にはなっていないようです。


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今日はどうでしょうか?


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扉が開きました。


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入館無料です。ただ、入館者は入館者名簿に名前の記載を求められることが多いようです。


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外からでも最後の晩餐が見えます。


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ここはフリーニョ女子修道院とも呼ばれました。


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旧修道院のキオストロ


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中に入ると正面の壁に描かれたフレスコ画が目に飛び込んできます。


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他の所から宗教画などを持ち込んで美術館として公開されるようになったのは近年のことです。


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ペルジーノが描いた「最後の晩餐」です。別名「フリーニョの最後の晩餐」です。


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19世紀頃まで、ラッファエッロが描いたと間違われていました。
ユダだけがテーブルのこちら側に座っている伝統的な構図が採られてます。


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最近、展示作品が少し多くなった気がします。


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「聖家族と聖人たち」のフレスコ画


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中央部分


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作品が描かれた背景が分からないと理解し難い?


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ラッファエッロ作品のコピー画をリドルフォ・デル・ギルランダイオが描いたのです。この時代、有名画家が有名な作品の複製画を描くことに抵抗がなかったようです。


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ロレンツォ・ディ・クレディの作品です。


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「我に触れるな」と似てますが、勿論違います。


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「受胎告知」


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福音書記者聖ジョヴァンニは大体女性ぽく描かれてますね。


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「我に触れるな」


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ロレンツォ・ディ・クレディの作品が揃ってます。


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ロレンツォの作品を見るなら、この美術館が良いと思います。


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「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」


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この聖人が誰なのか、全く分かりません。


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こんな聖人なんて知りません。


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ラッファエッロ風ですね。


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リドルフォ・デル・ギルランダイオは、ドメニコ・ギルランダイオの息子です。リドルフォが幼少の頃、父ドメニコが死去したので、ドメニコの3歳年下の弟ダヴィド、リドルフォの叔父ですが、リドルフォはダヴィドに弟子入りしました。ヴァザーリに拠れば、ダヴィドが凡庸なので飽き足らず、リドルフォはフラ・バルトロメオの弟子入りしたそうです。コジモ・ロッセッリがリドルフォの師匠説もあります。


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「聖ジローラモ」


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香油壺が描かれてます。


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多翼祭壇画の裾絵でしょうね?


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各場面を見ておきます。


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「聖母子」の剥離フレスコ


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この出来ならば、後世に制作者の名前が残っていても良いと思います。


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この程度の画家は掃いて捨てるほどいたようです。


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トンド


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この当時、トンドが流行していました。


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彼の作品はどれも優雅ですね。


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多翼祭壇画


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「聖母戴冠」部分


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彫刻もあります。


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ラッファエッロの作品に似てます。


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「最後の晩餐」に時々目を向けます。


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この美術館で最も新しい作品になります。


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展示作品数は少ないですが、すべて水準以上の作品で大いに楽しめます。


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街角のタベルナコロも秀作です。


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(おわり)

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メロッツォ・ダ・フォルリの展示室です。


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それ程大きな部屋ではありません。


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有名なフレスコ画があるので人気がある展示室です。


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これも有名ですね。


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メロッツォ・ダ・フォルリ(フォルリ、1438‐1494)の「バルトロメオ・プラティーナにヴァティカン図書館長を任命するシスト(シクストゥス)4世」(1477)
メロッツォは、盛期ルネサンス期にローマ、ウルビーノ、ロレート、アンコーナ、フォルリなどで活躍した画家、建築家です。中でもフレスコ画を得意にしてました。
フレスコ画は漆喰が乾かぬうちに描くと言う時間的な制約から、細部描写が難しいとされていますが、メロッツォはそれをモノともせずに巧みな短縮遠近法を用いて作品を仕上げました。
フォルリの名家の出身でしたが、若い頃の記録が残されていないので、画風形成の過程が良く分からないとされてますが、1465年から10年間ウルビーノの滞在中にピエロ・デッラ・フランチェスカと出会い、遠近法を学ぶと思にピエロから強い影響を受けました。一説にはピエロに弟子入りしたとされてます。
弟子にマルコ・パルメッツァーノがいます。


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この作品はイタリアの歴史において興味深いとされてます。
シスト4世は徹底した同族主義でしたが、この作品に描かれている人物は教皇の甥たちです。教皇の横に立っているのがジュリアーノ・デッラ・ローヴェレ枢機卿、後の教皇ジュリオ2世です。青い服を着て教皇に対して横向きに立っているのがジローラモ・リアーリオ・ローヴェレ伯爵です。(カテリーナ・スフォルツァの最初の夫)
彼らは反フィレンツェ、反メディチで、やがてパッツィ家の反乱で、対立の頂点を迎えます。


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これも有名です。
メロッツォ・ダ・フォルリが、1474年頃にローマのサンティッシマ・アポストり聖堂の後陣に描いたフレスコ画です。


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音楽天使、使徒、幼き天使が描かれてます。


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後陣のフレスコ画が剥がされ、それらの主要部分がここで展示されているのです。


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中でも、この音楽天使が有名ですね。


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マルコ・パルメッツァーノ(フォルリ、1459‐1539)の「聖母子と聖人たち」(1537)
マルコはその生涯の殆どをフォルリで過ごしましたが、ローマ、ヴェネツィアにも赴き作品を仕上げました。フォルリでメロッツォ・ダ・フォルリに師事したので、初期の画風は師匠の影響が強いものでしたが、1490年台にヴェネツィアに赴くと、次第にヴェネツィア派に傾倒するようになり、ジョヴァンニ・ベッリーニとチーマ・ダ・コネリアーノの影響を受けたヴェネツィア派の画風に転じました。


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マルコ・パルメッツァーノの「聖家族と聖エリザベッタと聖ジョヴァンニーノ」(1515)


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Cerchia di Almerico di Venturaの「受胎告知」(1522‐24c)
cerchiaは領域という意味ですが、この場合は追随者とするのが適当と思います。


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マルコ・パルメッツァーノの「十字架を担ぐキリスト」


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ニッコロ・ダントニオ(アンコーナ、1460‐1510記録)の「聖母子と聖人たち」


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次の展示室です。


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フランチャ(ボローニャ、1450‐1517)の「聖母子」
フランチャは、最初金細工師だったが、1483年頃に画家を志し、マルコ・ゾッポに弟子入りしました。また、フランチェスコ・スクァルチオーネ師匠説もあります。
画家としての最初の頃、ロレンツォ・コスタの協力者になりましたが、その関係で当初の画風はコスタの作風でしたが、当時のボローニャにあって好まれたのはペルジーノやラッファエッロの優雅なスタイルだったので、次第に両者の影響が強い柔軟で優雅な表情と明るい色彩が特徴の画風に転じました。


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ベルナルディーノ・ディ・マリオット・デッロ・スターニョ(ペルージャ、1478c‐1566)の「マギの礼拝」
ベルナルディーノは、盛期ルネサンス期にウンブリアとマルケで活動した画家です。ペルージャのルドヴィーコ・ダーニョロ・マッティオーリに師事した後、ペルージャでマリーノ・ダントニオと共同で工房を運営して制作しました。その画風はカルロ・クリヴェッリの強い影響を受けたものでした。


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フィレンツェ派の逸名画家による「聖バルバラに協力する聖人たち」


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フィレンツェ派逸名画家による「ご訪問」


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フィレンツェ派逸名画家による「聖ジョヴァンニーノの誕生」


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バルトロメオ・モンターニャ(オルツイヌオーヴィ、1450c‐ヴィチェンツァ、1523)の「聖母子」(1503c)
バルトロメオは、恐らくヴェローナのドメニコ・モローネに師事したと推察されてますが記録が残されていません。後のヴェネツィアに移り、ベッリーニ工房で仕事をするようになりますが、それを機にジョヴァンニ・ベッリーニの影響が強い画風に転じました。しかし、それだけに留まらず強烈な色調、明瞭な明暗表現、左右対称の構図など独自性溢れる画風に変わり、カルパッチョの近似した作品も残すようになりました。


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ベネデット・ブリオーニ(フィレンツェ、1461‐1521)の「教皇インノチェンツォ8世の紋章」(1487c)


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マルコ・バサイ—ティ(ヴェネツィア、1470c‐1530以降没)の「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」
マルコは、ヴェネツィアで活動したギリシャまたはアルバニア出身の画家です、アルヴィーゼ・ヴィヴァリーニが師匠です。一時期、ジョヴァンニ・ベッリーニとライバル関係にありました。非常に明るい色彩を好み、ジョヴァンニ・ベッリーニとアントネッロ・ダ・メッシーナの融合折衷の画風でしたが、晩年になると次第にジョルジョーネ風に変わりました。


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ルーカス・クラナッハ・イル・ヴェッキオ(1472‐1553)の「ピエタ」


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フィレンツェ派逸名画家による「サロメ」(15世紀)


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フィレンツェ派逸名画家による「ヘロデの晩餐」(15世紀)


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フィレンツェ派逸名画家の「婦人たちを解放する聖カテリーナ」(15世紀)


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ベルトゥッチ(ファエンツァ、1465‐1516)の「聖母子と聖ステファノと聖バルトロメオ」
ベルトゥッチは、終生ファエンツァに留まったが、不思議なことにピントゥリッキオ、ペルジーノ、ロレンツォ・コスタの影響が認められる画風だった。19世紀末まで、フィレンツェ派のビアージョ・ダントニオと混同されていました。


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ルッカの逸名画家の「フランチェスコ会修道士」(1505‐10)


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ルッカの逸名画家による「男たちを和解させる聖母」(1505‐10)


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次の展示室です。


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バルトロメオ・ディ・トッマーゾ(フォリーニョ、1400c‐1454)の「聖母戴冠の三翼祭壇画」(1445c)


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中央の「聖母戴冠」


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向かって左の「ご誕生」


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向かって右の「マギの礼拝」


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Maestro di San Verecondo(ファブリアーノで15世紀第1四半世紀活動)の「聖ステファノ」(1410‐20)


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ボッティチェッリの追随者による「聖セバスティアーノ」(15世紀)


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ヴィットーレ・クリヴェッリ(ヴェネツィア、1440c‐フェルモ、1502)の「聖母と4聖人の多翼祭壇画」
ヴィットーレは、カルロ・クリヴェッリの弟です。


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ジョヴァンニ・ディ・ピエルマッテオ(カメリーノ、1410c‐1486)の「プラートのベアート・ジョヴァンニと聖ジョルジョ」(1450‐56c)


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ジョヴァンニ・ディ・ピエルマッテオの「聖アントニオと聖キアラ」(1450‐56c)


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(つづく)

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小作品ばかりが並んでます。その大部分が多翼祭壇画を分解したパネルです。それも裾絵が多いようです。他の美術館や教会などでパネルが欠落した多翼祭壇画をよく目にします。その欠けたパネルがここにあることが少なくありません。裾絵だけを展示しては然程意味がないので、返却してやれば良いと思うのですが、ヴァティカンは応じないことが多いと思います。
その代表的な例ですが、ペーザロ市立美術館にジョヴァンニ・ベッリーニの「ペーザロの祭壇画」がありますが、その頭頂部の「十字架降下」が欠落しています。その頭頂部がここにあります。(この時は、フォルリのピエロ・デッラ・フランチェスコ展に貸し出されていました)


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Maestro di Barga (ルッカで15世紀前半に活動)の「聖母子と四聖人」(1440)


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Maestro del Crocefisso di Trevi (スポレートで14世紀第2四半世紀に活動)の「キリストの逮捕」(1320‐30)
以下4点も同じ裾絵からです。


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「キリストの鞭打ち」


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「磔刑」


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「キリストの埋葬」


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「キリストの復活」


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ジョヴァンニ・ディ・パオロ(シエナ、1398c‐1482)の「福音書記者聖マッテオ」(1389)
これは作品紹介プレートの明らかな間違いでしょうね。この作品は1389年の制作と書かれてますが、その年にはジョヴァンニは産まれていなかったのですから。


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リッポ・メンミ(シエナ、1317‐1356活動)の「磔刑と聖人たち」(1347c)
リッポは、画家メンモ・ディ・フィリプッチオの息子で父から手ほどきを受け、父の工房で修業しました。リッポの姉がシモーネ・マルティーニの妻でした。その関係で、シモーネから強い影響を受け、シモーネのスタイルを忠実に守り、シモーネの最も忠実な後継者となりました。
ところが、リッポ単独の作品でもシモーネが手を入れたり、時には共同で制作されたものがあったので、作品の帰属を巡って議論が絶えません。


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タッデオ・ディ・バルトロ(シエナ、1362c‐1422c)の「聖母の死」(1410c)


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タッデオ・ディ・バルトロの「聖母の復活」(1410c)


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パオロ・ディ・ジョヴァンニ・フェイ(シエナ、1369‐1411活動)の「磔刑の三翼祭壇画」(1375‐95)
パオロは、アンドレア・ヴァンニの弟子説が有力ですが、アンドレアの協力者だったフランチェスコ・ディ・ヴァッヌッチョと画風が似ていたので、フランチェスコと度々混同されている。
1395年から1410年までシエナ大聖堂の装飾に従事した。その画風は、シモーネ・マルティーニやロレンツェッティ兄弟などの影響を受けた伝統的なシエナ派国際ゴシック様式でした。しかし、フィレンツェで起きたルネサンスへの新しい動きにも影響を受け、シエナ派の伝統に忠実な中で、独自性を発揮して後世のサセッタとジョヴァンニ・ディ・パオロに影響を与えたと言われてます。


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グレゴリオ・ディ・チェッコ・ディ・ルーカ(シエナ、1389‐1423記録)の「聖母の誕生」(1410c)


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サーノ・ディ・ピエトロ(シエナ、1406‐1481)の「エジプトへの逃避」(1450‐55c)


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サーノ・ディ・ピエトロの「ご誕生」
サーノは、15世紀にシエナで活動した画家で、初めジョヴァンニ・ディ・ピエロに師事しましたが、後に師匠をサセッタに変えました。師匠を変更した理由は不明です。
その画風は、サセッタの画風を忠実に受け継ぎ、師匠そっくりでした。サセッタは1450年に死去しますが、サセッタの未完成作品全てを完成させ、サセッタが受注したものの手付かずだった作品も完成させたのですが、それらをサセッタの作品としてサーノが取り扱いました。また、制作年度がはっきりしない作品もあるのですが、サセッタの作品なのか、サーノの作品なのか良く分からないのです。


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サーノ・ディ・ピエトロの「聖母の教会への出現」(1448‐51)


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サーノ・ディ・ピエトロの「聖母の結婚」(1448‐51)


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Maestro del Trittico Brancacci (15世紀中ごろ)の「聖母子と4聖人の三翼祭壇画」(1375‐80c)


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ルーカ・ディ・トンメ(シエナ、1355‐1389記録)の「ラザロの蘇生」(1362以前)


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ジョヴァンニ・ディ・パオロの「死せるキリストへの哀悼」(1440‐50)


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ジョヴァンニ・ディ・パオロの「ゲッセマネ園でのキリストの祈り」(1440‐50)


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ジョヴァンニ・ディ・パオロの「パドヴァの聖アントニオ」(1440‐50)


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フィレンツェの逸名親方の「授乳の聖母と天使たち」(1380c)


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ニッコロ・ディ・トッマーゾ(フィレンツェ、1346‐1376記録)の「聖ブリジーダ」(1372以降)


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ジョヴァンニ・ディ・パオロの「ご誕生」(1440c)


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ジョヴァンニ・ディ・パオロの「受胎告知」(1445)


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ルーカ・ディ・トンメの「磔刑」(1362)


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サセッタ(シエナ、1400c‐1450)の「アクイナスの聖トッマーゾの幻視」


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Maestro dell'Osservanza (シエナで1430年台活動)の「キリストの鞭打ち」(1435‐40)


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リッポ・ダンドレア(15世紀前半活動)の「ご誕生」(1340c)


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ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ工房による「受胎告知」(1425c)


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ロレンツォ・モナコ(シエナ、1370c‐フィレンツェ、1423c)の「聖ベネデットの物語の一場面」(1410‐15)


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ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ(ファブリアーノ、1370c‐ローマ、1427)の「バーリの聖二コラの誕生」(1425)
以下3点の写真も同じ裾絵のバーリの聖二コラの物語です。


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「樽の中の3人を救う聖二コラ」


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「貧しい3人の娘に金の球を与える聖二コラ」


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「難破船を救う聖二コラ」


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サセッタの「ウミルタの聖母」(1435c)


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トゥリーノ・ヴァンニ派画家による「聖マルゲリータとその物語」(1400c)


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オリヴッチオ・ディ・チッカレッロ(アンコーナ、1388‐1439記録)の「植えるものへの食物供与」
以下5点の写真も同じ裾絵からのものです。


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「飲料の供与」


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「衣料の供与」


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「病人への慰問」


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「囚人への慰問」


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「死者の弔い」


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有名な画家の作品でも裾絵断片ばかりでは、カトリックの総本山としては惨めですね。


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フィリッポ・リッピ(フィレンツェ、1406c‐スポレート、1469)の「聖母戴冠と聖人たち」(1444c)


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ベアート・アンジェリコの「バーリの聖二コラの物語の一場面」(1437または1447)


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前の作品と同じ裾絵です。


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マゾリーノ・ダ・パニカーレの「磔刑」


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マゾリーノの「聖母の死」(1428-31)


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プセウド・ドメニコ・ディ・ミケリーノの「マギの礼拝」


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プセウド・ドメニコ・ディ・ミケリーノの「教会博士たちとの問答」と「キリストの変容」


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Scuola Renana(15世紀)の「聖シモーネと聖ジュダの殉教」(1370‐75c)


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Scuola Renanaの「聖バルトロメオの殉教」(1370‐75c)


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プセウド・ドメニコ・ディ・ミケリーノの「ご誕生」


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プセウド・ドメニコ・ディ・ミケリーノの「キリストのエルサレム入城」


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ベアート・アンジェリコ派画家による「玉座の聖母子の三翼祭壇画」(1430c)


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詳細不明


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ルドヴィーコ・ウルバーニ(サン・セヴェリーノ・マルケ、1460‐1493)の「マギの礼拝」(1471c)


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ベノッツォ・ゴッツォリ派画家による「十字架降下」


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ピエトロ・ディ・ジョヴァンニ・ダンブロージョ(シエナ、1410‐1449)の「聖バルトロメオと皇帝」(1435c)


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ピエトロ・ディ・ジョヴァンニ・ダンブロージョの「聖バルトロメオの鞭打ち」(1435c)
(つづく)


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さて、翌朝です。午前8時過ぎに出発しました。


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もう開店しているんですねえ。流石に試飲は早過ぎます。


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このまま真っ直ぐ行けば城塞に出ます。しかし、前日と同じ場所に行ってはつまらない。


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前日行かなかった場所に極力行くように努めました。


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でも結論を言えば、行った所は前日行った所ばかりでした。


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その理由は狭いチェントロなので、行く場所が限られるからでした。


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同じ場所のコメントをしても仕方がないので、写真だけ載せることにしましょう。


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前日、夕食を食べたオステリアです。


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幸いにも閉まっていました。開いていれば誘惑されて千鳥足になるところでした。


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若い頃は酒に強かったので、時には朝酒でも平気でしたが、年を重ねる毎に弱くなりました。少し前までは、昼食と夕食にワインを1本づつ飲んでも快適そのものでしたが、2年前頃からシンドクなってきました。


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この辺の建物は古そうに見えます。


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耐震性が気になります。


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旅行中に地震に遭って、古い建物に埋もれても本望と思ってます。


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勝ち角のタベルナコロ
光輪の造りに工夫が認められます。


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この辺はチェントロの南西にあたります。


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石畳の、アップダウンのキツイ道を楽々とジョギングする人がいました。


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サン・フランチェスコ教会?


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オルチャの谷は朝靄の中に沈んでいました。


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この先は行き止まり?


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突き当りの家を左に折れると急坂がありました。


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あの教会が開いているかも知れない、と思いました。


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残念! この日の朝も閉まっていました。


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前の日にも来たところです。


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西門に行ってみることに。


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チェントロの西にある門です。


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Porta Burelli


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城壁の外に出ました。


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城壁外は何もなし


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城壁内に戻りました。


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どうしても同じ場所に来てしまいます。


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小さな公園で一休み。
以前、公園のベンチと思って座っていたら、個人の庭にあるベンチであることを指摘され赤っ恥をかいたことがあります。ここも個人のお庭風でありましたが、公園でした。


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ドゥオーモです。


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もう一度拝観しようと思いましたがダメでした。


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普通、教会が開く時間でした。


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前日拝観したので、気にしません。


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また来る時の楽しみにとっておきましょう。


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青空市が立ってました。


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修復作業でも覗こうか、と思ったら閉まっていました。


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中国人が青空市を出してました。


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ガリバルディ広場


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サン・エジーディオ教会は開いてました。


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日帰りの観光客が来るには少し早いので、人通りが少ない。


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目線を絶対に合わせてくれなかったワンちゃん。


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街を一回りしましたが、特に何もありませんでした。


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特に何もないのが収穫です。


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2時間半の散歩でした。


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誘惑に負けず素面で街を後にしました。


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(おわり)

カラヴァッジョは、人口約1万6千人のロンバルディア州ベルガモ県にあるコムーネです。画家ミケランジェロ・メリージ通称カラヴァッジョが幼少期をここで過ごし、画家自らカラヴァッジョと名乗った所縁の地です。
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カラヴァッジョ駅です。


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駅から南西方向に真っ直ぐ伸びるViale Giovanni XXIII Papaです。


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やがて、通りの先に教会の建物が見えてきます。


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聖母の聖域聖堂です。
1906年、当時の教皇ピオ10世によってBasilica Minoreに格上げされました。
ということで、Basilica Minore e Santuario di Santa Maria del Fonte presso Caravaggioが正式名称です。


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1432年5月26日、一人の若い農婦ジャネッタ・デ・ヴェッキの前に聖母マリアが顕現する奇跡が起こりました。その日以来、奇跡が起きた場所が聖母信仰の巡礼地になったのです。


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聖母が顕現した場所に泉が湧き出しますが、1432年、クレモナのボニンコントロ・デ・サッキ司教によって、泉の上に礼拝堂が建てられました。1516年には、教皇レオ10世によってサンクチュアリに指定されました。


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ところが16世紀半ばに信仰は低迷し、最初の建物は取り壊されてしまいました。
1575年、ミラノの大司教聖カルロ・ボッロメオが教会の再建を発願し、それに基づき同年に創建、17世紀初期に完成したバロック様式の二代目の建物が現在の姿になってます。


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聖母が顕現した場所に泉が湧き出し、その上に聖堂が建てられましたが、その水は地下を通って写真手前の場所で地上に顔を出します。この場所にも巡礼者が訪れます。


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クーポラ


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カラヴァッジョは静かな街ですが、聖堂は巡礼者で人出が絶えることがありません。


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ファサード


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ファサード前の柱廊


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聖堂内に入りました。


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聖堂は2つに分けられ、こちらはSacro Specoと言われている場所です。


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聖母顕現の場面があります。


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1577年、画家カラヴァッジョはペスト流行のミラノから逃れるため、一家揃ってカラヴァッジョに移住してきました。画家の叔父、従兄弟がこの教会の建設に携わった関係で、画家も当然この教会に出入りして、聖母顕現の場面を目にしたことでしょう。


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Sacro Specoの天井


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カミッロ・プロカッチーニの天井フレスコ画


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カミッロ・プロカッチーニ(1551‐1629)の「農婦と聖カルロ・ボッロメオと聖フェルモの前に顕現する聖母」


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ジョヴァンニ・ステファノ・ダネーティ通称イル・モンタルト(1599‐1690)の「農婦の前に顕現する聖母」


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アンブロージョ・ダ・フォッサーノ通称イル・ベルゴニョーネの「キリストの埋葬」


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クーポラ


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カラヴァッジョの画家ジャコモ・カルミナーティの「聖堂建設のための会議」


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次は聖堂の本堂です。


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単廊式、バロック様式の本堂です。


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左右に礼拝堂が設けられてます。


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本堂後陣の後方にSacro Specoがあります。


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モデナの画家ジャコモ・カヴェドーニ(1577‐1660)の「十字架降下」


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制作者不詳の「グイド・レーニ作『大天使ミケーレ』のコピー画」(17世紀)


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ジョヴァンニ・バッティスタ・セッコの「聖アントニオ・アバーテ」(17世紀)


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カルロ・プレーダの「聖ルチアとパドヴァの聖アントニオの顕現する聖母子」(1710)


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ジャコモ・トレコート(1812‐1882)の「聖ピエトロと聖アンドレアの召命」


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1955年製のオルガン


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もう直ぐミサの時間です。


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外に出ました。


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聖堂を取り囲む回廊があります。


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回廊のところどころにモザイクが置かれてます。


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「受胎告知」


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「ご訪問」


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「ご誕生」


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「教会への出現」


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「博士たちとの問答」


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「キリストの洗礼」


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20世紀後半に制作されたものですが、制作者は分かりません。


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キリストの生涯がテーマです。


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長い回廊です。モザイクが続いてます。


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「最後の晩餐」


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長くなるので、この辺で止めておきましょう。


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画家カラヴァッジョ巡礼の一環としてここに来たのです。


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来て良かったと思いました。


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(おわり)

聖堂内の祭壇画、フレスコ画、彫刻などの紹介です。

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サンティッシモ・サクラメント礼拝堂のフレスコ画は、ジョヴァンニ・バルドゥッチによって1595年に描かれました。


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サンティ・ディ・ティートの「ラザロの蘇生」(1592)


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ジョヴァンニ・バルドゥッチの「商人たちの教会からの追放」(1591)


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アゴスティーノ・ヴェラチーニの「ヴォルテッラを守る聖人たち」(1741)


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十字架降下の礼拝堂にある「十字架降下(彩色木像)」(1228)
制作者は13世紀前半のトスカーナの逸名彫刻家です。


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マドンナ・デイ・キエリーチ礼拝堂にある、フランチェスコ・ディ・ヴァルダンブリーノの「キエリーチの聖母」(15世紀初期)


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ラッファエッロ・ディ・アンドレア・チオーリの「石棺」(1522)


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ニッコロ・チルチニャーニ(チェルチニャーニ)通称ポマランチオの「無原罪の御宿り」(1586)


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受胎告知の礼拝堂です。


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マリオット・アルベルティネッリとフラ・バルトロメオの「受胎告知」(1497)


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「受胎告知」の周りに小さな祭壇画が取り囲んでます。


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本体部分(四角形)の「受胎告知」はマリオット・アルベルティネッリの作品です。周囲の小さな祭壇画の一部をフラ・バルトロメオが協力者として描いたとされてますが、具体的にバルトロメオが担当した箇所がどの部分だったのか識別されていないようです。


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「チントラの聖母」の詳細は不明です。


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フランチェスコ・クンギの「聖セバスティアーノの殉教」(1587)


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次は聖パオロの礼拝堂です。


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コジモ・ダッディの「無原罪の御宿り」


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ドメニキーノの「聖パオロの斬首」(1623)


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マッテオ・ロッセッリの「ダマスカスでの聖パオロの任務」


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聖パオロ礼拝堂の天井フレスコ画は、ジョヴァンニ・マッノッツィの「聖パオロの物語」


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ヤコポ・キメンティ・ダ・エンポーリの「聖母子と聖人たち」


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ここにも作品があります。


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詳細不明の「パドヴァの聖アントニオ」


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16世紀のトスカーナの逸名彫刻家による彩色木像の「この人を見よ」(16世紀)


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詳細不明の「玉座の聖母子と聖人たち」


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鉄扉が邪魔


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ミーノ・ダ・フィエゾレ作品の複製


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フランチェスコ・クッラディの「磔刑」(1619)


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ヤコポ・パオリーニの石棺


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聖母の祈祷所のフレスコ画は見逃せません。


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ベノッツォ・ゴッツォリの「マギの礼拝」


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壁一杯に描かれ、祈祷所の横幅が狭いのでフレスコ全画面の写真が撮れません。


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祭壇彫刻


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次は洗礼堂です。


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二コラ・ピサーノの設計によって13世紀後半に完成したサン・ジョヴァンニ洗礼堂です。


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入口扉上部の装飾


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中に入りました。


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八角形の天井です。洗礼堂は八角形です。


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壁龕に彫刻があったと思いますが・・・・


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彫刻があったとすれば、何処にあるのでしょうか?


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ジョヴァンニ・ヴァッカの「洗礼盤」(1759)


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Giovanni Antonio Cybeiの「聖ジョヴァンニ・バッティスタ像」(1771)


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ニッコロ・チルチニャーニ通称ポマランチオの「聖母被昇天」


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作品の上部に欠落があり、全体に痛みが認められます。修復作業のため取り外されているようです。


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ミーノ・ダ・フィエゾレのコピー


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洗礼堂から外に出ました。


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(おわり)

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ヴォルテッラ大聖堂の鐘楼と洗礼堂が見えてます。


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今回は少し長くなってしまうので、2つに分けて掲載することにしましょう。


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洗礼堂がドゥオーモの前に立ってます。


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洗礼堂は勿論ドゥオーモのものです。


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洗礼堂


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1957年、ピオ12世によってBasilica Minoreに昇格しました。
正式名は、Basilica Minore e Cattedrale di Santa Maria Assuntaと言います。


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ヴォルテッラ司教区の司教座が置かれてます。


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この地に建てられた教会が何時頃からあったのか明確になってませんが、聖母に奉献する教会が9世紀から存在していたことは記録によって確認されてます。
その建物は1117年の大地震によって崩落してしまったので、、その直後から再建されたロマネスク様式の建物が現在の外観となってます。
建物の完成前の1120年に教皇カッリスト2世によって奉献されました。


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再建当時、司教座はサン・ピエトロ教会に置かれていましたが、1472年のフィレンツェ軍に侵攻の際、大きな被害を受けてしまいました。それを機に、同年、司教座はこの教会に移され現在に至ってます。


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13世紀中ごろ、二コラ・ピサーノが建設に携わるようになり、このロマネスク様式のファサード装飾も彼の手になるものです。


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この円柱はヴォルテッラのローマ遺跡のローマ劇場から持ってきたものです。


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13世紀頃、遺跡の保存という概念はなかったのでしょうね。


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ファサードの窓


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鐘楼は、再建時にあったものを1493年に差し替えられたものです。差し替えの理由は不明のようです。


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高さ28mの鐘楼


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鐘楼の横にある彫刻です。聖人たちは誰でしょうか?


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ロマネスク様式の外観は素晴らしいものがありますが・・・・・


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拝観しました。


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三廊式、ラテン十字形の聖堂内部です。


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新しい列柱が外観のロマネスク様式とまるで違った印象を与えます。


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12世紀の創建以来、13世紀に行われた拡張、14世紀の合唱隊席などの追加、16世紀の大掛かりな改修、そして19世紀の改修を経ているので、創建時の姿は微塵も残っていません。
そうは言っても、数々の芸術作品があるので、私にとっては魅力があります。


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装飾過多とも言える格子天井は16世紀の改修時に制作されました。


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一見、トスカーナ特有の緑と白の大理石を組み合わせた壁と思わせますが、19世紀の改修の際、塗料で塗り分けられて作った模様なんですね。唖然としました。


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この辺はガックリです。


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味気ない柱頭
外観がロマネスクでも内部がロマネスクのまま、という教会は本当に少ないですね。


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左側廊


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右側廊


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主祭壇


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後陣天井の装飾(16世紀)
では、次に祭壇画やフレスコ画などに移ります。


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ヴァザーリの協力者だったPieter de Witte (1540-1628) の「天上の聖母と聖人たち」(1578)


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フランチェスコ・クッラディ(1570‐1666)の「聖母の誕生」(1598)


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私には分かりません。


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ナルディーニの「聖母の教会への出現」(1590)


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礼拝堂の名称を控えてくるのを忘れました。


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マッテオ・ロッセッリの「聖カルロ・ボッロメオに顕現する聖母子」(17世紀)


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グイド・レーニの「マグダラのマリア」(1634)


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フランチェスコ・ブリーニ(1540c‐1586)の「無原罪の御宿り」


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制作者不明の「磔刑像」(18世紀)


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後編は聖堂内の芸術作品の続きと洗礼堂です。
(つづく)

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フランチェスコ・ディ・ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ(15世紀にファブリアーノで活動)の「聖母子」
フランチェスコは、ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノの息子で、後期ゴシック様式の画風でした。その腕前の方は父に遥かに及びませんでした。


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15世紀のマルケの逸名画家による「ご誕生」(1450c)


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ニコロ・ディ・ピエトロ(ヴェネツィア、1394‐1430活動)の「聖アゴスティーノの物語の裾絵」(1404)のうち、これは「母聖モニカに連れられて学校に行く聖アゴスティーノ」
以下、3点も同じ裾絵です。
ニコロは、14世紀末から15世紀前半にヴェネツィアで活動しましたが、祖父ニッコロ、父ピエトロも画家で三代続く画家一家の三代目でした。祖父と父から画業を習い、同じ工房で仕事をした関係で祖父と父からの影響が強く認められ、彼の世代の画家よりもやや時代遅れな古風なゴシック様式の画風でした。


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ニコロ・ディ・ピエトロの「聖アンブロージョから洗礼を受ける聖アゴスティーノ」


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ニコロ・ディ・ピエトロの「修道士たちに教律を渡す聖アゴスティーノ」


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ニコロ・ディ・ピエトロの「修辞を教授する聖アゴスティーノ」


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ヤコポ・デル・カゼンティーノ(フィレンツェ、1297、プラートヴェッキオ、1347)の「聖母子」
ヤコポは、14世紀前半のフィレンツェで重要な画家の一人です。アレッツォでタッデオ・ガッディに師事してから、師匠共にフィレンツェに赴きました。フィレンツェでジョット工房と、そしてシエナではロレンツェッティ工房と接触するうちに大きな影響を受ける共に腕を上げたのです。
親方になってからの初期はアレッツォで活動しましたが、後にフィレンツェに戻り大工房を運営して成功を収めました。最終的に彼の画風はシエナ派の国際ゴシック様式となりました。
彼の弟子にスピネッロ・アレティーノがいました。


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ピエトロ・ロレンツェッティ(シエナ、1280c‐1348)の「ピラトの前のキリスト」
ピエトロは、言うまでもなくシエナ派の巨匠です。アンブロージョ・ロレンツェッティの兄だったと思われてます。
彼の生涯については、残された作品以外に殆ど知られてません。最初期の作品がドゥッチョの影響が認められることから、ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャに師事したという有力説があります。
弟と異なり、その画風は厳粛で、写実的で劇的な表現が得意でした。
アッシジのサン・フランチェスコ聖堂下堂のフレスコ画が代表作の一つですが、その制作の際、ジョットと出会い、大きな影響を受けたという従来の説がありますが、アッシジの壁画制作にジョットは参加していないというのが最近の定説となっており、ピエトロの画風形成についても修正されるべきでしょう。


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ピエトロ・ロレンツェッティの「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


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ピエトロ・ロレンツェッティの「聖ピエトロ」


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シモーネ・マルティーニ(シエナ、1284‐アヴィニョン、1344)の「祈る救世主」(1315‐20)
ルネサンス以前の西洋絵画において、ジョットと双璧を成す画家です。その生涯や画風形成の過程が良く分かっていません。彼の初期の画風からドゥッチョの弟子と考えられてますが、記録が残されてません。ヴァザーリの列伝には「ジョットの弟子」との記述がありますが、これは間違いでしょうね。
ともあれ、国際ゴシック様式の淵源になった大画家でした。アッシジのサン・フランチェスコ聖堂下堂のフレスコ画が代表作とされてます。


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プッチオ・カパンナ(アッシジ、1325c‐1348活動)の「玉座の聖母子と聖人たち」(1350c)
14世紀第2四半世紀にアッシジで活動した画家ですが、フィレンツェ生まれのようです。フィレンツェでジョットに師事したとされており、マーゾ・ディ・バンコと並んで、カパンナはジョットの最も重要な後継者と言われてます。1341年から1347年まで、アッシジに住んでいた記録が残されてます。1348年、アッシジでペストで死亡しました。


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ベルナルド・ダッディの「称賛の聖母」(1335‐37c)


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14世紀中ごろのフィレンツェ派画家の「偽善の予言者たち」(1340c)


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アレッソ・ディ・アンドレア(フィレンツェ、1341‐1347活動)の「磔刑とキリストの物語」(1345c)


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Maestro della Misericordia (1375-1400活動)とアーニョ・ガッディ(1360‐1396記録)の「キリストの復活」(1370‐75)


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フィレンツェの親方の「聖母子」(1320c)


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アンブロージョ・ディ・バルデーゼ(フィレンツェ、1352‐1429)の「聖人の昇天」(1390‐95)


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アンブロージョ・ディ・バルデーゼの「囚人を救う聖職者」


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アンブロージョ・ディ・バルデーゼの「釜茹でによって殉教する聖人」(1390‐95)


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アンドレア・ダ・フィレンツェ(フィレンツェ、1346‐1377記録)の「磔刑」(1370‐77)


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ヤコポ・ディ・チオーネの模倣者(フィレンツェで1350‐1400活動)による「聖母戴冠」(1375c)


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ヤコポ・ディ・チオーネ(フィレンツェで1365‐1398記録)の「テオフィーロの息子を連れて行く聖人」(1370‐71)
ヤコポは画家一家の4男として生まれ、長兄アンドレアが有名なオルカーニャの通称で知られてます。ナルド、マッテオの兄二人も画家でした。オルカーニャの存命中は工房の一員として作品制作に携わることが殆どで彼単独の作品は残されていないようです。1368年、兄オルカーニャが死去しますが、それ以降、工房はヤコポに引き継がれました。1368年以降の作品ではヤコポ単独のものが多いとされてます。
その画風は長兄オルカーニャからの影響が強いものでした。


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ヤコポ・ディ・チオーネの「聖人の磔刑」(1370‐71)


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ヤコポ・ディ・チオーネの「聖パオロと信者たちと一緒に聖堂にいる聖ピエトロ」(1370‐71)


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Maestro della Predella dell'Ashmolean Museum (1360-1390活動)の「エジプトへの逃避」(1370‐75c)


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Maestro della Predella dell'Ashmolean Museumの「ジョアッキーノの受胎告知」(1370‐75c)


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シルヴェストロ・デイ・ゲラルドゥッチ(フィレンツェ、1339‐1399)の「聖母被昇天」(1365c)


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マリオット・ディ・ナルド(フィレンツェ、1389‐1427記録)の「ご誕生」(1385c)


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マリオット・ディ・ナルドの「無実の3人の男を救う聖二コラ」(1389)


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マリオット・ディ・ナルドの「受胎告知」(1385c)


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14世紀後半のフィレンツェ派画家の「出産の聖母」(1375‐80c)


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フランチェスクッチオ・ゲッシ(ファブリアーノ、1359‐1395記録)の作品かも知れない「ピエタのキリストと幼きキリストへの崇拝」(1372‐73)


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バルトロ・ディ・フレディ(シエナ、1352‐1410記録)と工房による「羊飼いの礼拝」(1383‐88)


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バルトロ・ディ・フレディの「ジョアッキーノの受胎告知」(1388‐88)


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ピエトロ・ロレンツェッティ工房の「磔刑」(1335c)


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ジョヴァンニ・ディ・パオロ(シエナ、1398c‐1482)の「福音書記者」(1450‐60)


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アンドレア・ダ・フィレンツェの「聖パオロと大天使ミケーレ」(1370‐77)


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アンドレア・ダ・フィレンツェの「聖アゴスティーノ?と聖ジュリアーノ」(1370‐77)


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ジョット・ディ・ボンドーネ(ヴェッキオ・ネル・ムジェッロ、1267c‐フィレンツェ、1337)の「ステファネスキの祭壇画」(1320‐25)
この絵画館を代表する作品の一つです。残念ながら裾絵2点が欠落してます。


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中央パネル


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向かって左のパネル


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向かって右のパネル


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裾絵


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実は、この祭壇画は表と裏の両面に描かれてます。(どちらが表なのか、私には分かりません)


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この作品は必見です。


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中央パネル


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向かって左のパネル


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向かって右のパネル


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向かって左の裾絵


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中央の裾絵


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向かって右の裾絵


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(つづく)

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要塞の近くにあるサンタ・クローチェ教会です。1785年に再建されたものの、前の建物にあった16世紀のフレスコ画やベルナルディーノ・フンガイなどの祭壇画があるので、開いていればとの淡い期待を抱いてましたが、予想通り閉まっていました。


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鐘楼はサン・エジーディオ教会のものです。


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観光客を見なくなりました。


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だまし絵の窓ですが、この出来で騙される人はいませんね。


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ガリバルディ広場


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サン・エジーディオ教会にもう一度拝観しました。


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広場の直ぐ傍にスーパーがあります。


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果物を買いました。


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日帰りの観光客が多いとみえ、夕方になると観光客がめっきり少なくなりました。


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この建物は何でしょうか? 教会?


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サンタゴスティーノ教会の修復作業はまだ行われていました。


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仕事熱心で頭が下がります。


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閉館していた市立博物館


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小さなチェントロなので、同じところを何度も行き来します。


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市庁舎の塔にある紋章


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こうして一日目が終わりました。終わってません! 夕食後の悪夢がありました。


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一旦B&Bに戻りました。この時はすべての扉が開いていたので問題ありませんでした。でも夕食が終わり、戻ってきた時が最悪でした。


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(つづく)

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午前8時前、ヴァティカン博物館に向かいました。ヴァティカーニ博物館が正しいと思いますが、その辺は臨機応変に。


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この日は絵画館 Pinacoteca を中心に見て回ることにしました。


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混雑を避けるために予約して行きました。


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当日券売り場は長蛇の列でした。


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予約のバウチャーを切符に変えてもらったら、何と直ぐに入館出来ました。開館時間の25分前に入館出来たのです。


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団体のご一行様は開館とされている時間よりも1時間前に入館出来たようです。


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何処に先に行こうか迷いますね。


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モザイクを暫く鑑賞


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大理石の浮彫


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石棺?


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所が直ぐに混雑してきました。


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道草はダメなようでした。混雑した中での絵画館鑑賞は嫌なので、目的の絵画館に行くことにしました。


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絵画館の入り口


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入館して直ぐの所にあったのがこれです。誰の胸像?


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ミケランジェロの「ピエタ」がここにある?


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本物がここにある筈が無いじゃありませんか。鋳造品です。(恐らく石膏)


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Maestro Fiorentinoの「聖母子」(1385‐90)


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ニッコロ・ディ・ピエトロ・ジェリーニ派画家による「三位一体と4聖人」


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Maestro di San Jacopo a Mucciani (1360-1390活動)の「聖母子と聖ジョヴァンニ・バッティスタとアレッサンドリアの聖カテリーナ」


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バルトロメオ・ディ・トッマーゾ(フォリーニョ、1400c‐ローマ、1454以前に没)の「ゲッセマネ園でのキリストの祈り」
バルトロメオは、15世紀前半から中ごろにフォリーニョ、アンコーナ、ファーノ、ローマなどで活動した画家で、1425年、アンコーナでオリブッチオ・チェッカレッロ(1388‐1439)に師事しましたが、これがバルトロメオの最初の記録でした。画風はサセッタとマザッチョの影響が認められる革新性を示した構図や線描が特徴で、想像力の豊かさを感じさせるものでした。1451年から2年間、教皇から招聘され、ローマに滞在して仕事をしたようですが、彼の作品は残っていません。後のマルケの画家二コラ・ディ・マエストロ・アントニオやアンドレア・デリーディオに大きな影響を与えたことでも知られてます。


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バルトロメオ・ディ・トッマーゾの「ゲッセマネ園でのキリストの説教」


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ティーノ・ディ・カメリーノ(シエナ、1285c‐ナポリ、1337)派彫刻家による「パルマの聖マルティレ・コロナータ」


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マエストロ・デッラ・マドンナ・ストラウス(フィレンツェで1390‐1420c存在確認)の「聖パオラ」


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マエストロ・デッラ・マドンナ・ストラウスの「聖エウスタチア」


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ベルナルド・ダッディ(フィレンツェ、1290‐1348)の「聖ステファノの物語」
以下7点の作品も同じです。
ベルナルドはジョットの弟子で、師匠の死後、フィレンツェで代表的なジョッテスキ画家になりました。単にジョット派に留まらず、シエナのロレンツェッティ兄弟からも影響を受けた彼特有の画風を確立しました。小画面の宗教画が得意だったようで数多く残されてます。


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アントニオ・ヴェネツィアーノの「聖ジャコモ・マッジョーレ」


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ヴィターレ・ダ・ボローニャ(ボローニャで1330‐1359記録)の「聖母子」
14世紀のエミリアを代表する画家です。修行の過程は全く不明ですが、初期の作品にリミニ派の影響が色濃く認められることから、ピエトロ・ダ・リミニに師事したか、一緒に仕事をした可能性があると言われてます。中期の画風は当時流行のジョッテスキでしたが、次第にシエナ派の国際ゴシック様式に傾倒して最終的にピエトロ・ロレンツェッティやシモーネ・マルティーニの影響を受けたものに転じました。


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アントニオ・ヴェネツィアーノの「マグダラのマリア」


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プセウド・ヤコピーノ(ボローニャで14世紀第2四半世紀に活動)の「聖フランチェスコの葬儀」
14世紀にボローニャ、マントヴァ、ヴェローナで活動した逸名画家または逸名画家たちで、その画風は国際ゴシック様式でした。
1360年から1383年にかけてヤコピーノ・ディ・フランチェスコの活動記録が頻繁に残されていますが、彼の作品が特定されていません。また、ヤコピーノと彼の息子であるピエトロがパヴィアで仕事をした記録が残されてます。
ともあれ、混同混乱を避けるために「プセウド(ニセという意味)」を付けているのです。


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ローマの逸名画家による「祈るキリスト」(1150‐1200c)


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ジュンタ・ピサーノ(ピサ、1236‐1254記録)の作品であるかも知れない「聖フランチェスコ」(1260‐70)


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ニッコロ・エ・ジョヴァンニの「最後の審判」


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制作者不明の「磔刑」


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詳細不明


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詳細不明


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制作者不明の「聖フランチェスコ」


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制作者不明の「エジプトへの逃避」


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プセウド・バロンツィオ(14世紀中ごろ)の「磔刑と聖人たち」(1335c)


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アッレグレット・ヌーツィ派画家による「聖母子と聖ジョヴァンニ・バッティスタとアレッサンドリアの聖カテリーナ」(1380‐90)


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アッレグレット・ヌーツィ(ファブリアーノ、1315‐1373)の「聖母子と大天使ミケーレと聖オルソラ」(1365)
アッレグレットは、ファブリアーノで活動した国際ゴシック様式の画家です。恐らくファブリアーノの画家に師事したとされています。彼の画風はジョットとシエナ派の影響が色濃く観られ、特にベルナルド・ダッディトマーゾ・ディ・バンコの影響が強いのですが、師事した画家経由で齎されたと推察されてます。


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オリブッチオ・ディ・チッカレッロ(かメリーノ、1388‐1431記録)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」(1400c)


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アッレグレット・ヌーツィと工房による「聖母子」(1365c)
次の「ピエタのキリスト」と二連祭壇画になっていました。


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アッレグレット・ヌーツィと工房による「ピエタのキリスト」(1365)


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リミニの逸名画家の「磔刑と我に触れるな」(1350c)


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ジョヴァンニ・デル・ビオンド(フィレンツェ、1356‐1392記録)の「聖母子と聖人たち」(1391以降)
ジョヴァンニは、14世紀後半にフィレンツェで活躍した国際ゴシック様式の画家で、かなり多くの作品が残されているものの、作品以外の記録が殆どないので、今では忘れられた存在となっています。残された作品でも確実な記録がないものが多く、帰属が難しくなってます。国際ゴシック様式には珍しく強い人物表現と鮮やかな色彩が特徴となってます。
(つづく)

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博物館から要塞までは一本道で200mほどの距離でしょう。


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Fortezza di Montalcinoです。


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13世紀に建てられた城壁を内蔵して、シエナの建築家ミーノ・フォレージとドメニコ・ディ・フェオの設計によって1361年に建設されました。


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この街の最高点に築かれているので、ここからの見晴らしが良いことで知られてます。五角形の構造をしてますが、見た目でそれを実感するのは難しいと思います。


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Porta al Cassero


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Piazzale Fortezza


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監視塔に上ることが出来ます。確かお金を払ったような気がします。


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要塞の前から撮りました。ドゥオーモ?


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要塞内に入りました。


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ここはエノテカが名物なんですが・・・・・


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誰もいませんでした。


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既に営業終了! ここでの試飲が楽しみでしたが残念でした。


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思わず、デオクレティアヌスだと心の中で叫びました。ディオクレティアヌスではありません、「出遅れティアヌス」なんです。


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先ず内部を見学しました。ここは無料です。


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上に上ることにしました。


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切符売り場は閉店したエノテカの事務所です。


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監視塔にも上りました。ここから見る景色が最高です。


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サン・フランチェスコ教会です。


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この時は教会に行きませんでした。


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遮るものが何もない、正に絶景ポイントです。


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贅沢を言えば、もう少し澄み切った青空が欲しかった。


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360度見渡せます。


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サンタゴスティーノ教会


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ドゥオーモ


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(つづく)

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Pinacotecaですが、壺なども展示されてます。


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ネーリ・ディ・ビッチ(フィレンツェ、1418c‐1492c)の「聖セバスティアーノと聖バルトロメオとバーリの聖二コラ」
ネーリは、ビッチ・ディ・ネーリとも呼ばれ、初期ルネサンスにフィレンツェ・ヴォルテッラなどで活動した画家です。15世紀中ごろ、フィレンツェで繁盛していた工房を運営していた画家のビッチ・ディ・ロレンツォの息子です。
非常に紛らわしいのですが、ビッチ・ディ・ロレンツォの父がビッチ工房の創始者のロレンツォ・ディ・ビッチです。ネーリの祖父ロレンツォ・ディ・ビッチはアレッツォのスピネッロ・アレティーノに師事し、ジョットの影響を受けたオルカーニャの作風を学んだので、オルカーニャの影響を受けたジョッテスキの画風でした。
ネーリの父ビッチ・ディ・ロレンツォは、父であるロレンツォ・ディ・ビッチに学んだので、オルカーニャの影響を受けた伝統的な画風でしたが技量は父を凌駕するに至りませんでした。
ネーリも父のビッチ工房で修業して、父の死後、工房を引き継ぎました。ただ、初期ルネサンスへの息吹に関心を持ちながらも、工房の伝統的手法をそのまま踏襲したので、オルカーニャの影響が認められる保守的な画風でした。
絵画史において、重要なのは、ネーリの代の約20年に渡る詳細な工房日誌を残したことで、その日誌に注文主、価格、注文を受けた作品の仕様や形式などがすべて記されているので、当時のことが分かるのです。
その日誌の中に、ベアート・アンジェリコやフィリッポ・リッピに関心を抱きながらも、祖父からの伝統的なゴシック様式の踏襲を重視していたという記述があるそうです。
出された注文に対して殆ど応じたので、多作な画家・工房となりました。
今日では、ルネサンスに対して活動しなかった時代遅れの多作画家という否定的な評価が一般的になってます。彼の時代の工房の弟子にコジモ・ロッセッリやフランチェスコ・ボッティチーニがいました。


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15世紀のトスカーナの逸名彫刻家による「聖母子」


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詳細不明


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展示室天井のフレスコ画


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ベンヴェヌート・ディ・ジョヴァンニ・デル・グアスタ(シエナ、1436‐1518)の「ご誕生」
1453年に画家ギルドに登録され、シエナ、ヴォルテッラ、モンタルチーノなどで彼の活動記録が残されてます。ヴェッキエッタの下で仕事した記録があり、初期の画風もヴェッキエッタの影響が強いので、彼の師匠はヴェッキエッタだったという説が有力とされてます。生涯の殆どをシエナで過ごし、トスカーナ各地の教会の祭壇画を数多く制作しました。生涯の中ごろから徐々に画風を変え、ドメニコ・ディ・バルトロとマッテオ・ディ・ジョヴァンニの影響が認められるものとなりました。息子のジローラモ・ディ・ベンヴェヌートが彼の弟子でした。晩年になると画業は息子に譲り、地方政治に関与するようになりました。


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同じ作品の裾絵です。困ったことに「ご誕生」と制作者が異なります。


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裾絵の制作者はマリオット・ディ・アンドレア・ダ・ヴォルテッラです。


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ザッカリア・ザッキ(アレッツォ、1473‐ローマ、1544)の「ピエタのキリスト」


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ベンヴェヌート・ディ・ジョヴァンニ・デル・グアスタの「聖母の物語の裾絵」


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ドメニコ・ギルランダイオ(フィレンツェ、1449‐1494)の「天上のキリストと聖人たちと寄進者」
ドメニコは、15世紀後半のフィレンツェ派絵画を代表する画家なので、私がコメントするのを憚れます。アレッソ・バルドヴィネッティに師事したの説がありますが、アレッソはドメニコよりも5歳年上にしか過ぎないので懐疑説が有力ですが、私もそう思います。
惜しいのは、ペストによって若死にしたことです。ドメニコが描いた3点の「最後の晩餐」は、アンドレア・デル・サルトの「最後の晩餐」と並ぶ「最後の晩餐」の傑作ですね。


Christ_in_Heaven_with_Four_Saints_and_a_Donor
私の写真では十分ではないので、外部サイトから拝借した作品画像を載せました。


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展示室の壁


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展示室のフレスコ画


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Maestro di Santo Spirito(15世紀末)の「玉座の聖母子と聖バルトロメオと聖アントニオ・アバーテと2天使」


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裾絵


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空いてますね。空いていると言っても入館者は私一人でした。この規模の絵画館としては傑作が多いと思いますが、訪れないのは何故なんでしょうか?


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レオナルド・ダ・ピストイア(16世紀前半にピストイアで活動)の「玉座の聖母子と聖人たち」


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ルーカ・シニョレッリ(コルトーナ、1450‐1523)の「聖母子と聖人たち」
私が最も好きな画家はシニョレッリです。イタリアで普段見ることが出来る彼の作品は全部見たことがあります。銀行や個人の所有作品が多数あるようですが、その大部分は見たことがありません。
力強い線描、師匠(ピエロ・デッラ・フランチェスカ)譲りの正確な構図、解剖学的人的表現(ミケランジェロはシニョレッリの表現を参考にしました)、華やかで豊かな色彩などが特徴です。


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外部サイトから拝借した作品画像


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「聖ジローラモ」(部分)(外部サイトから)


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ルーカ・シニョレッリの「受胎告知」


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外部サイトから拝借した作品画像


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その背景部分(外部サイトから拝借)


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ロッソ・フィオレンティーノ(フィレンツェ、1495‐フォンテーヌブロー、1540)の「十字架降下」
マニエリスム様式の重要な画家で、ポントルモと共にアンドレア・デル・サイトに師事しました。1524年、ローマに移り、ラッファエッロの弟子たちやパルミジャニーノと交友を築きながらローマの教会などの仕事をしてましたが、1527年のローマ劫掠によってドイツ軍に囚われ苦労しました。後に逃亡に成功してヴェネツィアに逃れ、1530年にフランソワ1世に招聘され、フォンテーヌブローに移り、当時遅れていたフランス絵画界に刺激を与え、やがてフォンテーヌブロー派の基礎を築きました。
ローマに移ってから甘美な独自のマニエリスム様式を確立しました。


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外部サイトから拝借した作品画像


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ドナート・マスカーニ(フィレンツェ、1579‐1639)の「聖母の誕生」
画家についてのコメントを書いていると時間がかかってしまうので、今回はこの辺で終わりにして先を急ぎます。


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ダニエーレ・ダ・ヴォルテッラ(ヴォルテッラ、1509‐ローマ、1566)の「正義」
ダニエーレは、マニエリスム期の画家・彫刻家ですが、ミケランジェロとの交友で有名です。シエナでソドマとバルダッサッレ・ペルッツィに学びましたが未熟に終わり、1535年、心機一転ローマに赴き、ペリン・デル・ヴァーガに弟子入りして工房で仕事をするうちに徐々に腕を上げ、やがてミケランジェロと知り合いになりました。気難しいミケランジェロが何故かダニエーレと馬があったのか、ダニエーレの重要な作品はミケランジェロのデザインに基づいて制作されているのです。ミケランジェロは当時の教皇パウルス3世にダニエーレを推挙し、これに拠って教皇の庇護を受けてヴァチカンで仕事をするようになりました。
ミケランジェロの死後、システィーナ礼拝堂に描いたミケランジェロの「最後の審判」の性器や臀部を腰布で隠す仕事に従事したのがダニエーレでしたが、これに拠ってダニエーレの悪評は確固たるものになりました。


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ピエル・カンディート(ブルージュ、1548‐モナコ、1612)の「羊飼いの礼拝」


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ピエル・カンディートの「死せるキリストへの哀悼」


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ニコロ・チェルチニャーニ(ポマランチェ、1530‐1592)の「聖母戴冠と聖人たち」


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ニコロ・チェルチニャーニの「受胎告知と聖人たち」


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ミケーレ・トシーニの追随者とフランチェスコ・デル・ブリーナの「4つの楕円形の作品」(16世紀後半)


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ジョヴァンニ・アントニオ・ソリアーニ(フィレンツェ、1492‐1544)の「聖ジュゼッペ」
ソリアーニは盛期ルネサンスにフィレンツェで活動した画家です。師匠はロレンツォ・ディ・クレディでしたが、非常に支障が仲が良いことで有名で、クレディから注文を受けて下請け制作することが多かったそうです。1515年に自身の工房を構えるようになると、徐々に画風を変えてアンドレア・デル・サルトに傾倒するようになりました。ペリン・デル・ヴァーガから招聘を受け、ペリン共にピサ大聖堂のフレスコ画制作にかなり長期間携わりました。
ヴァザーリに拠れば、フラ・バルトロメオの後継者になったそうです。


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ジュリアーノ・ブジャルディーニ(フィレンツェ、1475‐1554)の「祭壇画からの4断片」


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詳細不明


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詳細不明


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16世紀のピサの逸名画家による「聖母子」


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16世紀初頭のフランドル地方の逸名画家の「嘆き」


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16世紀初頭のドイツの逸名画家の「マギの礼拝」


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16世紀初頭のフランドル地方の逸名画家の「聖母子」


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16世紀初頭のシエナの逸名画家による「十字架降下」


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16世紀後半の逸名画家の「聖家族」


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16席後半のフィレンツェの逸名画家の「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」


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ニコロ・チェルチニャーニの「死せるキリストへの哀悼」


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バルダッサッレ・フランチェスキーニ通称ヴォルテッラーノ(ヴォルテッラ、1611‐フィレンツェ、1689)の「聖母子と聖人たち」


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詳細不明


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詳細不明


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詳細不明


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詳細不明の机?です。


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机の上の装飾


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コジモ・ダッディ(フィレンツェ、1555‐ヴォルテッラ、1630)の「聖母子と聖ルチアと聖パオロ」


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コジモ・ダッディの「ぺルジオ・フラッコの肖像」


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17世紀前半のフィレンツェの逸名彫刻家の「トスカーナ大公コジモ2世」


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パラッツォの中庭です。


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展示作品が多いとは言えませんが、秀作傑作が多いのが特徴です。


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明かりが点いてあるところが切符売り場です。


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中庭の回廊にあります。


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ルーカ・シニョレッリの2作品、ドメニコ・ギルランダイオ、ロッソ・フィオレンティーノの作品が特にお勧めです。


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十分満足できました。


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(おわり)


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午後3時から予定されているサンタゴスティーノ教会のフレスコ画修復のガイドツアーに向かいました。


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15分あれば行けるだろうと思っていたら、何とこの細い道を通れば数分で行けたのでした。


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地図に載っている道はメインのものだけでした。


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ここを上ればマッツィーニ通りに出ることが出来ます。(この時はそれを知りませんでした)


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振り返ったところです。


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観光案内所で貰った精巧な地図はカバンに入れっぱなしで見ないという悪癖が抜けません。専らブログを書くときに地図を見てるだけです。


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自分が通った道のVia○○と書いてある標識がありますが、これを写真に撮っておくことにしてます。それをやっておくと、ブログを書くときに大いに参考になります。


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未だ2時45分です。15分ほど暇つぶしが必要です。全くの想定外。


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遠くに行く訳に行かないので、午前中に見たところをブラブラ。


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この15分は長かった!


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サンタゴスティーノ教会は目と鼻の距離


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イタリア語の説明ツアーは午後2時からで、既に終わっていました。


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私が参加したのは英語のガイドツアーでした。


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色鮮やかに蘇らせるというよりも、フレスコ画に痛みがある部分を修復する方に注力して行われていました。


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点々と白くなっている部分が痛みがある所で、ここに同じ色の顔料で塗っていくのです。


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修復前に比べて色鮮やかに蘇り過ぎて、感じが全く違うという、かなり違和感がある修復もありますが、ここは違いました。


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ここは既に修復が終わったところです。


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お金と労力がかかります。


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大変興味深い経験でした、良かったです。


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次は教会の隣にある市立博物館です。


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ここも良かった!


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展示作品については別途取り上げることにします。


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次は要塞に向かいました。


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(つづく)

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ヴォルテッラのサルティ通りを進みます。


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サルティ通り1番地のある、写真右先の建物がミヌッチ・ソライーニ宮です。


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フィレンツェの建築家アントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ヴェッキオの設計によって、15世紀後半から16世紀初頭にかけてミヌッチ家の邸宅として建築されました。


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フィレンツェのストロッツィ宮とグアダーニ宮を模して設計されたと言われてます。


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1982年に設けられた市立絵画館はこの建物にあります。


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絵画館の他にアラバスター博物館もこの建物内にあります。


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絵画館の入り口です。


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Maestro della Bibbia di Baltimoraの作品の可能性がある「彩色磔刑」(13世紀)


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Maestro di Monterotondo(1320-1340活動)の「聖ウーゴと聖ジュスト」
欠落した部分は「聖母子」の可能性が高いとされてます。


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14世紀のシエナ派逸名画家による「聖母子と磔刑」


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タッデオ・ディ・バルトロ(シエナ、1362c‐1422)の「トレンティーノの聖二コラと聖ピエトロ」
タッデオは、シモーネ・マルティーニやロレンツェッティ兄弟らが活躍した後に、25歳以下で画家ギルドに加入が認められ、1389年に独立し親方になりましたが、その画風はシエナ派の伝統に忠実で保守的でした。それでも、ギリシャ神話やローマ時代の逸話など従来の枠組みに捉われない画題を取り上げて、初期ルネサンスの先駆けとなる新しい動きを示しました。


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タッデオ・ディ・バルトロの「聖母子」


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タッデオ・ディ・バルトロの「玉座の聖母子と聖人たちの多翼祭壇画」
タッデオの代表作は、サン・ジミニャーノのドゥオーモにある「最後の審判(フレスコ)」(1393)、シエナ市庁舎の「ローマの歴史からの寓意(フレスコ)」(1413‐14)と「聖母の葬儀(フレスコ)」(1409)などですが、どれも一見の価値があります。


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裾絵


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詳細不明の作品です。


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ヤコポ・ディ・ミケーレ通称イル・ジェーラ(ピサで1371‐1395記録)の「玉座の聖母子と聖ルチアとアレッサンドリアの聖カテリーナ」
ヴォルテッラのフランチェスコ・ネーリまたはジョヴァンニ・ディ・二コラに師事したとされています。典型的な国際ゴシック様式シエナ派の画風で、シモーネ・マルティーニとルーカ・ディ・トンメの強い影響が認められます。
ピサのサン・マッテオ国立美術館やパレルモのシチリア州立美術館に彼の代表作が展示されてます。


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チェンニ・ディ・フランチェスコ・デル・セル・チェンニ(フィレンツェで1369‐1415活動)の「聖母子と聖人たち」
チェンニは、14世紀後半から15世紀初頭にかけてヴォルテッラ、フィレンツェで活動した画家ですが、その修行の過程は不明です。活動初期の作風がオルカーニャの強い影響を受けたものなので、オルカーニャに師事したとの説がありますが、それを裏付ける文書などがありません。
親方として独立してから暫く経つと次第にナルド・ディ・チョーネの画風に傾倒し、14世紀末にジョッテスキのリバイバルが盛んになると、チェンニのジョッテスキもどきに画風を変えました。主体性がなかったようで、時代の流行の画風に次々と変え、最終的にはタッデオ・ディ・バルトロの強い影響を受けたものに転じました。


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アルヴァーロ・ピレツ・デヴォ—ラ(1411‐1434記録)の「磔刑と聖母と福音書記者聖ジョヴァンニ(ヨハネ)」


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フランチェスコ・ネーリ・ダ・ヴォルテッラ(ヴォルテッラ、1310c‐1375c)の「ピエタ」
フランチェスコは、14世紀中ごろにヴォルテッラ、ピサ、サン・ジミニャーノで活動した画家ですが、ヴォルテッラの有力な政治家でもありました。1363年に起きたヴォルテッラとサン・ジミニャーノ間の紛争で、事態解決の仲介を行った記録が残されてます。
画家としての修行の経緯は不明です。その画風はシエナ派国際ゴシック様式に近似していて、中でもシモーネ・マルティーニの強い影響が認められます。また・タッデオ・ガッディと一緒に仕事をした記録が残されてます。


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15世紀のフィレンツェの逸名画家による「磔刑」


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アルヴァーロ・ピルツ・デヴォーラの「聖母子と聖人たちの多翼祭壇画」
アルヴァーロのことについては良く知りません。


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中央パネル


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向かって左のパネル


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向かって右のパネル


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聖人たちの浮彫


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裾絵が普通です。


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フランチェスコ・ディ・ドメニコ・ヴァルダムグリーノ(15世紀前半に活動)の「受胎告知」


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絵画館ですがコインが多数展示されてます。


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ステファノ・ディ・アントニオ・ディ・ヴァンニ(フィレンツェ、1405‐1483)の「聖母子と天使たち」


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プリアーモ・デッラ・クエルチャ(クエルチェグロッサ、1400c‐シエナ、1467)の「聖母子と聖ヴィットーレと聖オッタヴィアーノ」
初期ルネサンスにシエナで活動した画家で、有名な彫刻家のヤコポ・デッラ・クエルチャの弟です。師匠はドメニコ・ディ・バルトロだったと考えられています。師匠の革新性が全く認められず、旧来の国際ゴシック様式シエナ派の典型的な画風でした。その保守的な画風はシエナ市民の好みに合わせたものと思われ、ルネサンスの新しい動きとは無縁の存在だった。


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プリアーモ・デッラ・クエルチャの「聖母子と聖ヴィットーレと聖オッタヴィアーノ」


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プリアーモ・デッラ・クエルチャの「シエナの聖ベルナルディーノ」


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ピエル・フランチェスコ・フィオレンティーノ(フィレンツェ、1444‐1494以降没)の「ピエタのキリスト」
(つづく)

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Porta all'Arcoを潜って城壁外に出ました。


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城壁外の道を下ります。


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下った先の下に教会が見えます。


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入り口前に柱廊があるのが特徴です。


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この地に異教の寺院があり(建設時期不明は不明のようです)、6世紀頃にキリスト教の教会に変更されました。その初期キリスト教会が前身です。


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11世紀末、最初の建物を取り壊し、その基盤の上に構築され12世紀初めに完成した建物が現在の教会の姿です。


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1120年、教皇カッリスト2世によって奉献されました。


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ロッジアは16世紀に追加されたもので、創建時にはありませんでした。


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鐘楼は、17世紀に一部改修されたものの、その大部分は12世紀の創建時のものです。


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ポータル柱頭の装飾(16世紀)


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こちらの柱頭は創建時の12世紀のもの。私の見た目では、どちらも同じに見えました。


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ポータル上ルネッタの「聖アレッサンドロ像」(13世紀)


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単廊式、ロマネスク様式の内部です。


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左側壁


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右側壁


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天井


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主祭壇


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12世紀のトスカーナの逸名画家による「彩色磔刑像」


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非常に素朴な感じがする教会です。


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コジモ・ダッディの「2聖女」(16世紀)


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「聖アッティーニア」


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「聖グレチニアーナ」


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14世紀のトスカーナの逸名画家による「聖母子」


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「聖アレッサンドロ」


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誰のステンドガラスでしょうか?


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静謐な宗教空間を味わうことが出来ました。


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祭壇前から見た出入口方向


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外に出ました。


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ロッジアだけが16世紀のもので、その他は殆ど創建時のものです。それが良かったと思いました。


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この街に来れば、この教会を外すことが出来ません。


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(おわり)


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ここから第17室の展示作品になります。


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次は第18室です。


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第19室です。


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廊下の第20室に戻りました。廊下の突き当りにある作品です。


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ボケ写真です、スイマセン。


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ボケ写真です。読めますか?


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以上が常設展示されている全作品です。


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2階展示室の窓越しに撮りました。


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ピエロ展は先ほどよりも混雑してました。


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超有名画家の作品はありませんが、中堅画家や地元出身の画家たちの作品が充実していて、大変楽しめました。


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来年の特別展が楽しみです。


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(おわり)

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次は第13室です。


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13室天井のフレスコ画


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あまりパッとしませんね。


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展示作品にしましょう。


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ここから第14室になります。


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地味な天井フレスコ画です。


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第14室に展示されているのは、フォルリのドゥオーモの改築前にあったフレスコ画です。


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一旦廊下に出ました。何やら立食パーティーの用意?がしてあります。


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廊下にも作品が展示されてます。


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廊下は第20室です。最終展示室になります。


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人が集まってきそうだったので、立食パーティが行われそうな場所にある作品を先に見ることにしました。


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廊下から第15室に入りました。


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ここから第16室の作品になります。


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小作品が並んでます。保護ガラス板があることと、作品サイズが小さいので、写真を撮るのを控えました。


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展示作品のリストです。


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(つづく)

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ラピーニ通りの坂を下りました。


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雲行きが怪しい。傘はB&Bに置いてきたバッグの中。


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この道幅に注目。
右側の建物のこちら側と向こう側に道幅は広いのですが、建物が道に出っ張って急に道幅が狭くなってます。丁度その時小型トラックが来たのですが、サイドミラーを畳んでギリギリ通って行きました。建物の壁を削って道幅を広げろ、なんて言わないのでしょうね。


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道路上の建物は、明らかに後になって付け加えられたものでしょうね。


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パデレッティ通りをサン・フランチェスコ教会に向かって進みました。


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16世紀に建てられたマドンナ・デッラ・パーチェ教会です。ビアンキ教会とも呼ばれてます。

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教会はその機能を停止して、現在は市立救急病院になってます。


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市立救急病院に隣接しているのが、13世紀に建てられたサン・フランチェスコ教会です。18世紀に現在の姿に改造されました。



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ヴィンチェンツォ・タマーニやヴェントゥーラ・サリンベーニなどのフレスコ画があるので、楽しみでしたが閉まっていました。


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サン・フランチェスコ修道院の扉が開いていました。


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現在は市の所有建物になっていて、病院の一部として使用されている他、会議室や展示場にもなってます。


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14世紀のシエナ派画家によって描かれたフレスコ画の痕跡が微かに残ってます。


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ここは図書館だったように思うのですが・・・・


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サン・フランチェスコ教会のファサード前からの景観です。坂の下にあるので、チェントロの全景を見渡せます。


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要塞も見えます。


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中々の景観です。天気が良ければなあ。


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雨が落ちてきました。イタリアでは雨男なので、こんな天気に慣れてます。


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旧マドンナ・デッラ・パーチェ教会の全景です。


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よーく見たら、サン・フランチェスコ教会の窓ガラスが壊れてます。どうやら、ここも旧教会のようです。
しかし、窓ガラスの破損を放置していたら、中のフレスコ画や祭壇画の劣化が進みます。ここにあった祭壇画2点がナポレオン軍に持ち去られ、現在はルーブル美術館にあります。


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次はサン・ピエトロ教会です。


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道路が濡れるほどの雨降りではなかったので有難かった!


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起伏に富んだ道でした。


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上り坂の上に教会があります。


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15-16世紀に建てられた建物が並んでます。


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「聖家族」の彩釉テラコッタが家の壁にありました。


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残念! サン・ピエトロ教会は閉まっていました。


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「聖母子」のタベルナコロ


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ここにもヴェントゥーラ・サリンベーニのフレスコ画があります。また、グエルチーノの傑作がありましたが、ナポレオン軍に持ち去られ、現在、ルーブル美術館にあります。イタリアの返還要求に対して、断固として応じないので、フランス嫌いになります。


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ルーブルは盗品展示館の一面があります。腹立たしいことです。



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(つづく)

作品紹介プレートの写真をそのまま掲載してますが、従来の方法と比べてどちらが良いでしょうか?
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第8室はマルコ・パルメッツァーノの作品のみが展示されてます。


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次は第9室です。この部屋もマルコ・パルメッツァーノの作品だけが展示されてます。


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ピエロ・デッラ・フランチェスカ展は混雑してましたが、常設展は初めから最後まで私一人でした。ピエロ展は遠方から来ておられる方がかなりいましたが、それでも常設展は無視のようでした。


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ここから第10室の展示作品です。


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マルコの工房にいた弟子が描いたとの説が有力です。


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次は第11室です。


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第12室です。


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12室天井のフレスコ画


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制作者は誰でしょうか?


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繊細ですが力強さが感じられません。


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(つづく)

先ごろ行われたジョヴァンニ・デッラ・ロッビアの彩釉テラコッタの修復作業で話題となっている、ヴォルテッラのサンタントニオ祈祷所を取り上げます。
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Via Gramsciです。もう夕暮れです。


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9月20日広場です。


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広場に面して建っているのがサンタントニオ祈祷所です。夕方の教会が開いている時間帯でしたが、残念ながら閉まってました。翌朝に期待しましょう。


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翌朝です。通りの先、写真左手に鐘楼が写ってますが、祈祷所の鐘楼です。


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良かった! 開いていました!


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11世紀と12世紀のヴォルテッラの文書に、この祈祷所の存在が記されてます。当時はこれよりも小さなタベルナコロだったとの説があります。
1450年、Viennes病院の修道士によって再建され、1470年に奉献が行われました。この二代目の建物が現在の姿になってます。


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小さいながらも幾つかの芸術作品があることで知られてます。


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拝観しました。


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単廊式のシンプルな構造の内部です。


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最近塗り直された壁ですが、再建以来、フレスコ画が描かれたことがないと言われてます。


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左右の側壁に祭壇画が掲げられてます。


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ドゥオーモの聖職者がこの祈祷所の聖職者を兼務しています。


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祭壇にある彩釉テラコッタが有名です。


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ジョヴァンニ・デッラ・ロッビアの「聖母被昇天と洗礼者聖ジョヴァンニ(ヨハネ)と聖トッマーゾと聖セバスティアーノ」(1520)
近頃行われた修復作業中にジョヴァンニの真作が確定しました。従来は、デッラ・ロッビア工房作とされていました。


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時代が異なる二人の画家によって描かれた「受胎告知」です。


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古い方の作品は「大天使ガブリエルと天使たち」の方で、その約80年後に「受胎告知を受ける聖母」が描かれ、一枚の作品に組み込まれました。古い方の作品は元々「受胎告知」で、その聖母部分が何らかの理由で傷みが激しくなり、聖母の所を新しく描かれたものに差し替えたとされてます。
コジモ・ダッディの「受胎告知する大天使」(1599)
ジュゼッペ・アッリーギ(1642‐1706)の「受胎告知される聖母」(17世紀末)


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貴重な作品です。


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プリアーモ・デッラ・クエルチェの「聖アントニオ・アバーテと聖人たち」(1442)


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バルダッサッレ・フランチェスキーニの「聖母被昇天」(1631)


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コジモ・ダッディの「キリストとヴェローニカ」(17世紀初頭)


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18世紀前半のギリシャ出身の逸名画家による「ロザリオの聖母と聖ドメニコ」


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詳細不明


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美術ファンにはお勧めの祈祷所です。


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ヴォルテッラ最大の見どころのエトルスク博物館の途中にあるので、博物館に行くついでに立ち寄るのも良いでしょう。


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(おわり)

次は常設展示作品の紹介です。
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2階で常設展示が行われてます。


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第1室の展示作品です。


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今回は趣向を変えて、美術館の作品説明板の写真をそのまま掲載することにします。私が余計な事を書き加えない方が、美術ファンに資すると思うからです。


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「獣神」


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「女像柱」でしょうか?


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三翼祭壇画の左端と右端のパネル


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三翼祭壇画の中央パネル


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このフレスコ画断片から第2室の展示作品になります。


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ここから第3室の展示作品になります。


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石棺です。


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ここから第4室の展示作品です。


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これは何でしょうか? 意味不明です。


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この作品は非常に有名です。


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この肖像画は「カテリーナ・スフォルツァ・ディ・メディチの肖像」とされてますが、彼女の地元フォルリでは「若い女性の肖像」としています。何故でしょうか?
フィレンツェの画家ロレンツォ・ディ・クレディが描いているので、カテリーナがフィレンツェに亡命した37-38歳頃に描かれたとされてます。


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2015年6月に来た時は、この作品は東京の文化村に出張展示中でした。私が去年も来た時の証拠写真になる?


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2階の突き当りにあるフレスコ画です。


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ここから第5室の展示になります。


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daとあるのは複製ということです。


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(つづく)

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ヴォルテッラのサン・リーノ通りです。


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通りの名称の由来となったサン・リーノ教会です。


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教会を越えるとサン・フランチェスコ門が見えます。


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門の手前、通りの右側にサン・フランチェスコ広場があります。


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広場の上に建つのがサン・フランチェスコ教会です。


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教会の隣は併設の修道院です。


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13世紀、トスカーナの有力貴族だったグイディ伯爵家が建設費用を負担してフランチェスコ修道会のために建てたゴシック様式の教会です。


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美術作品が多く、見どころがあります。


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ファサード・ルネッタ上の「聖母子の浮彫」


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ファサードの丸窓


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何世紀にもわたって修復が行われ、創建時の姿から大きな変化を遂げて、ゴシック様式の面影があまり認められません。現在の姿は18世紀の修復後のものです。


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翼廊がない単廊式の内部です。


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左右の側壁に礼拝堂が設けられてます。


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木組みの天井


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主祭壇


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フェリーチェ・パルマによって1588年に作られた主祭壇は、ヤコポ・グイディ司教の墓にもなってます。


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主祭壇の「聖母子」(詳細不明)


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後陣左の礼拝堂


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後陣右の礼拝堂


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説教台下の彫刻
では、教会内の祭壇画やフレスコ画を見てみましょう。


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ヴィンチェンツォ・メウッチの「聖母子と聖人たち」(1750)


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「嘆きのテラコッタ」(17世紀)


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誰の肖像画でしょうか?


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ナルディーニの「天上の聖母と聖人たち」(1585)


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詳細不明


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トスカーナの逸名画家による「ピエタ」(19世紀)


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アレッサンドロ・グラルディーニの「フランチェスコ会修道士の托鉢」


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逆光で写真の写りが悪いですが、1315年に建てられたCappella della Croce di Giornoです。


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礼拝堂の祭壇を飾るのはヴィンチェンツォ・タマーニの「磔刑」です。


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この礼拝堂のフレスコ画が有名です。


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フィレンツェのサンタ・クローチェ教会にある、アーニョロ・ガッディのフレスコ画から強い影響を受けて制作されたそうです。


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制作した画家は、チェンニ・ディ・フランチェスコとヤコポ・ダ・フィレンツェの2人でした。


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フレスコ画のテーマは、「聖十字架の物語」と「ヤコポ・ダ・ヴァラッツェの『黄金伝説』」です。


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コジモ・ダッディの「磔刑」(1602)は別の礼拝堂にあります。


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その天井の装飾


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ジョヴァンニ・バルドゥッチの「ご誕生」(16世紀)


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詳細不明の紋章です。
ところで、この教会に過って素晴らしい祭壇画2点がありました。


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ルーカ・シニョレッリの「割礼」(1491)
ロンドンのナショナル・ギャラリーにあります。


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ロッソ・フィオレンティーノの「十字架降下」(1521)
こちらはヴォルテッラの市立美術館にあります。


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主祭壇前から見た出入口方向です。


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外に出ました。


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非常に良かった、満足しました。


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次は修道院です。


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残念! 修道院の扉が施錠されていて入ることが出来ませんでした。


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ついでにサン・フランチェスコ門の見学です。


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微かに残っているフレスコ画


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城壁外から見たサン・フランチェスコ門です。


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(おわり)

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14世紀に建てられたロマネスク様式のサンタゴスティーノ教会です。


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サンタゴスティーノ教会に来るのが楽しみでした。私と同じような観光客が集まってます。


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この時、フレスコ画の修復が行われており、ガイドツアーが予定されていました。


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修復作業の公開は珍しいので、興味がありました。しかし、昼休みの時間なので、修復作業を間近で見ることは出来ませんでした。


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右側壁の修復は終わったようです。これらは14世紀と15世紀のシエナ派の画家やバルトロ・ディ・フレディなどによって描かれたフレスコ画です。


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作業には十分な明るさが必要なのでしょう、強い照明でフレスコ画を照らしてます。


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サンタゴスティーノの隣が市立美術館です。午後の開館は午後3時からなので、未だ2時間ほどあります。


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美術館の先に要塞の監視塔が見えました。


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サンタゴスティーノ広場に面して、もう一つ教会があります。


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1302年創建のChiesa di Corpus Dominiです。現在の姿は1510年に再建された二代目の建物です。聖職者が他の教会と兼務しているので、特別なときを除いて開くことがないと聞いたことがあります。


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ルネッタに描かれていたのは一見デフォルメの抽象画のようでした。


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訪れる観光客が多いモンタルチーノでは、他の街で教会が閉まる昼休み時でも開いている教会が多いので、この時間でも教会巡りが可能です。


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次はドゥオーモです。


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ドゥオーモです。


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午後1時過ぎでしたが、やはり開いてました。


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ファサードの柱廊が特徴です。


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列柱は新しそうに見えます。新古典様式で再建されたものでしょう。


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3点の秀作があります。


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聖堂内から外に出ると、ファサード前に下り坂の道が伸びていました。


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坂の道から見たドゥオーモです。


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ファサード前からの眺め


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旧司教館


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ツタが絡まった家


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さらに南に向かいました。この辺は観光客があまり訪れないようで静かでした。


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振り向いて来た道を写しました。


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ワイン大好き人間にとって、モンタルチーノの様な町は誘惑に負けて身体に悪いです。午前8時には、もう開店しているエノテカがあります。


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朝の一杯、午前のおやつの一杯、昼食にはしっかり飲みます、そして午後のおやつの一杯、夕食時は当然飲みます。寝るころには肝臓付近が重苦しくなります。


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鐘楼が見えてきた教会に向かいました。


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Santuario della Santa Maria del Soccorsoです。


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16世紀に建てられた教会です。ここも開いていました。


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拝観しました。


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旗が4本ありますが、何のため?


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お目当てのヴィンチェンツォ・タマーニの「聖母被昇天」(1527)がありました。


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教会の横は絶景ポイントとなってますが、霞がかかって良く見えません。


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教会は城壁外にあります。


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城壁です。


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先ほどバスを降りたカヴール通りに戻りました。


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これでチェントロの南半分を一周したことになります。


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町の分庁舎です。


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(つづく)

フォルリは、人口118,208人(2016年1月1日現在)のエミリア・ロマーニャ州フォルリ・チェゼーナ県の県都です。
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中世の頃は、ルネサンスの女傑カテリーナ・スフォルツァが活躍して町として有名です。写真はカテリーナ拡張整備した要塞で、ここでチェーザレ・ボルジア軍と戦いました。


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フォルリの旧市街の中心アウレリオ・サッフィ広場です。


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1359年に建てられたオルデラッフィ宮殿にカテリーナ・スフォルツァが寝起きしてました。現市庁舎です。


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旧サン・セバスティアーノ祈祷所です。現在は小展示会場になってます。サン・ドメニコ教会が祈祷所の左側にあります。


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サン・ドメニコ教会です。


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教会に隣接して修道院が併設されていましたが、19世紀にその活動を停止しました。修道院の建物が市立美術館として使用されてます。
フォルリは、文化活動に力を入れており、市立博物館と2つの市立美術館がありますが、それらを区別するために、ここはサン・ドメニコ市立美術館と呼ばれてます。


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2016年2月10日から6月26日までピエロ・デッラ・フランチェスカ展が開催されていました。これを見たくて、5月下旬わざわざフォルリに来たのです。


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2015年はバルディーニ展が開催されました。毎年、イタリアで評判になる特別展を開催しています。


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2015年は、バルディーニ展はスキップし、常設展示だけ入館しました。


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しかし、特別展のシンボルを言うべき作品を見て嫌な感じがしました。ピエロの「慈悲の聖母」は良いとしても、その隣のフェリーチェ・カソラ—ティの「シルヴァーナ・チェンニの肖像」に戸惑いました。
だって、フェリーチェの作品は1922年に描かれた現代画ですから。
結論を言えば、その嫌な感じが当たりました。
常設展示作品が良いので、ピエロの特別展と常設展の両方の切符を買いました。
今回は、ピエロ・デッラ・フランチェスカ展について簡単に触れてから、常設展示されている作品を紹介することにします。


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講演会などが開催される部屋を経由して展示室に向かいます。


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修道院の食堂らしい部屋の壁に描かれたフレスコ画に見入ってしまいました。中々の傑作ですね。制作者は誰でしょうか?


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「磔刑」の対面の所がピエロ展の出入り口です。


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ピエロ展は写真厳禁でした。これは、ピエロ展の1階から常設展示の2階に向かう階段途中の壁に掲げられていた複製画です。
ピエロが制作した作品が元々少ない上に、ピエロのフレスコ画を出張展示することは無理、それに各美術館で至宝とされているピエロ作品の貸し出しは避けたいと思うのが普通なので、特別展で展示されるピエロ作品は少ないと予想できました。だから、大々的な特別展開催には特別な工夫が必要だろうと思ってました。


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ピエロの「慈悲の聖母」がありました。


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「慈悲の聖母」は大多翼祭壇画の中央パネルです。


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多翼祭壇画の中央パネルだけがサンセポルクロ市立美術館から貸し出されていました。多翼祭壇画は全パネルを見ないと見たことになりません。(以上3点の写真は、サンセポルクロ市立美術館で撮りました)


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ヴェネツィアのアッカデミア美術館から「聖ジローラモと寄進者」が貸し出されていました。


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ピエロ作説もある「聖母子」もありました。個人的には手が違うと思います。
あと分解された多翼祭壇画の一部である聖人のパネルが一枚ありました。
ピエロ作説の1点を含めて、ピエロの作品は全部で4点展示されていました。
特別展の展示作品数は全部で約240点でした。そのうち、4点がピエロ作品、では後の展示作は何か?
ピエロは初期ルネサンスの画家です。ピエロが生きていた時代の初期ルネサンス、そしてピエロから影響を受けた盛期ルネサンスの画家たち、具体的にはベアート・アンジェリコ、ドメニコ・ヴェネツィアーノ、パオロ・ウッチェロ、ジョヴァンニ・ベッリーニ、アンドレア・デル・カスターニョ、マルコ・ゾッポなど約40点の作品がてんじされていました。
ここまでの展示は十分理解できたし、鑑賞が楽しかった。
しかし、残り約200点の作品展示には大いに戸惑いました。何せ、19世紀、20世紀の作品ですから。
東京上野のカラヴァッジョ展で、8割以上の作品が19世紀、20世紀の作品で占められたことを想像してみてください。カラヴァッジョの影響を受けた現代の画家は沢山いますけど、それらを主に展示していたら、私ならガックリです。
でも、ピエロ展は全約240点の展示作品中、19-20世紀の作品が約200点だったのです。勿論、それらはピエロを研究したり、ピエロから影響を受けた画家たちの作品ですが・・・・
展示されていた作品を幾つか紹介しましょう。


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マッシモ・カンピ—リの「ミシン」


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スーラ―の作品をピエロ展で見るとは夢にも思いませんでした。


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バルティスの「横顔のコレット」
確か日本で展示されていたことがあったと思います。


2
ジョルジョ・モランディの作品


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フェリーチェ・カソラ—ティの「シルヴァーナ・チェンニの肖像」
ピエロの研究からインスピレーションを得て描いた肖像画と言われてます。ピエロと同じく数学者でもあったフェリーチェはピエロを深く尊敬していたそうです。


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シルヴェストロ・レーガの「労働の教育」
この作品は長らく見たいと思っていましたが、果たせず、何とピエロ展で見ることが出来たとは。個人蔵なので普段見ることが出来ません。


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シルヴェストロ・レーガの「合唱」
フィレンツェのピッティ宮にある傑作です。
レーガの作品を見ただけで来た甲斐があったというものです。

また、ピエロが著した数学の本が展示されていました。また、数学上の一番弟子ルーカ・パチョーリが、師匠ピエロの未刊行の数学の著作を、自分の本として出版して世に出たという、ルーカ著の数学品も展示されていました(悪質な盗作です)。これらの本は非常に興味深かったです。

さて、この特別展ですが、激賞された一方で酷評した専門家も多数いたようで、評価が二分されたと聞いてます。
当日、私が美術館の学芸員と話をしたところ、専門家筋には評価されていると思うが、一般の入館者から「これはピエロ展ではない」との声が数多く寄せられているとの事でした。
私は、オペラの奇抜な演出に相通じるものがあったと思います。トスカがエンパイアステートビルから身を投げると言うとんでもない演出がありましたが、それに似てました。要すれば「奇を衒う」ものだったと思います。
(つづく)

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マッテオッティ通りに先に塔が見ますが、塔の横に教会があります。


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Casa Torri Toscanoの斜め前に教会があります。


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教会の存在が初めて記されたのは、987年のことでした。


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現在の姿は、12世紀後半に創建され、13世紀に完成したロマネスク様式の二代目となる建物です。


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ファサードは1285年に完成しました。


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ファサードのポータル上ルネッタの聖母子像は、複製です。(幼きキリストの頭上にハトが止まってます) 14世紀に制作された本物は司教区美術館にあります。


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古寺の雰囲気の外観と違って、新しく見える内部です。
それもその筈で、1826年から1827年に行われた修復工事の際、ロマネスク様式から新古典様式に変更されました。その際、落剝が著しいフレスコ画は塗り潰されてしまいました。


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左右に稍奥行きがある礼拝堂があります。単廊式、ラテン十字形の内部です。


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美術的にはそれなりに見どころがあります。


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改修前の祭壇を飾っていたジョヴァンニ・デッラ・ロッビアの「聖母子」の彩釉テラコッタは聖具室に置かれているので、普段は見ることが出来ません。


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主祭壇


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カルロ・マラッタ(カメラーノ、1625‐ローマ、1713)の「贖いの聖母」


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カルロ・マラッタの「聖家族と聖ジョヴァンニーノ」


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ニッコロ・チルチニャーニ通称ポマランチオ(ポマランチオ、1530‐1597)の「守護天使」


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ジュゼッペ・ゾッキの「聖ジュゼッペの功徳」


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何処かで見たような・・・・


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マアマアの作品があるので楽しめます。


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全般的に新しいのは仕方ないと思います。


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この教会は飾っていた古くて貴重な作品はその維持管理が難しいとの理由で、Museo Civicoに移されました。


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聖ルチア像


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薄暗くて良く見えませんでした。


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もう夕暮れです。


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(おわり)

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制作者不詳の「Joseph Heinz il Vecchio (Basilea, 1564- Praga, 1609)の『アクタイオーン(ギリシャ神話)によって驚かされるアルテミデとニンフたち』の複製画」


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フランドルの逸名画家による「ディアナとニンフたちの水浴」


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ダニエーレ・ダ・ヴォルテッラ(ヴォルテッラ、1509c‐ローマ、1566)の「ダヴィデとゴリアテ」


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Maestro della Madonna Mancesterの「ピエタ」
作品保護のガラス板に光が反射して写真では良く分からないと思います。構図や聖母とキリストの表情がミケランジェロのピエタに似ています。この作品の方がミケランジェロの彫刻よりも前に描かれたことから、私見では、ミケランジェロはこの作品を見て制作の参考にしたと思ってます。


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次は第18室です。


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展示はボローニャ派の画家たちの作品が中心です。


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部屋の天井のフレスコ画


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1693年、ジュゼッペ・キアーリによって描かれたフレスコ画です。


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バルトロメオ・パッセロッティ(ボローニャ、1529‐1592)の「肉屋」


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バルトロメオ・パッセロッティの「魚屋」


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プロスペーロ・フォンターナ(ボローニャ、1512‐1597)の「ジョヴァンニ・フォニャーニ・ペコリの肖像」


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バルトロメオ・パッセロッティの「口笛奏者」


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ジャコモ・ダ・ポンテ・ダ・バッサーノ(バッサーノ・デル・グラッパ、1510‐ヴェネツィア、1592)の「家族の肖像」


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デニス・カルヴァート(アンヴェルサ、1540‐ボローニャ、1619)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」


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オラツィオ・ボルジャンニ(ローマ、1578‐1616)の「自画像」


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アンニーバレ・カッラッチ(ボローニャ、1560‐ローマ、1609)の「嘆きの個人用祭壇画」


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ルドヴィーコ・カッラッチ(ボローニャ、1555‐1619)の「女性の肖像」
ボローニャ国立絵画館では「ロドヴィーコ」と表示されてます。


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アンニーバレ・カッラッチの「若い男の肖像」


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次は第19室です。


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ここは廊下でしょうね。


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天井のフレスコ画


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1632年と1639年にピエトロ・ダ・コルトーナによって描かれたフレスコ画です。


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ピエトロの工房には多くの有能な弟子が集まっていました。ピエトロが制作したフレスコ画には、ピエトロと共に工房の画家たちが加わるのが普通でしたが、この展示室天井はピエトロ一人によって制作されたそうです。


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Nicolas Poussin (Les Andelyns, 1593- Roma, 1665)の「バッカス祭」


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Nicolas Poussinの「幼児のバッカス」


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Nicolas Poussinの「アガルと天使がいる風景」


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Paul Brill (Anversa, 1554- Roma, 1626)の「マッテイ家所有のカステル・サン・ピエトロ」


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Paul Brillの「マッテイ家所有のジョーヴェ」


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Maestro della Betulla (1640-1655 活動)の「クジャクに変身させられたジュノーネとアルゴスがいる風景」


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Paul Brillの「チェーファロとプロクリスがいる風景」


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第20室です。


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第20室天井のフレスコ画


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ボローニャ出身のバルダッサッレ・クローチェによって1585年から1587年に制作されました。


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カラヴァッジョの作品が3点展示されているので、何時も混雑しています。


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カラヴァッジョの代表作とジョヴァンニ・バリオーネのいわくつきの作品が並べて展示されているのが何とも皮肉めいていて感心してしまいます。


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ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(ミラノ、1571‐ポルト・エルコレ、1610)の「ホロフェルネスの首を斬るユディト」


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迫力がありますね。


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1606年5月29日、カラヴァッジョは4人対4人の乱闘で相手の一人であるラヌッチョ・トマッソーニを刺殺し、逃亡の旅に出るのですが、当時、ラヌッチョの情婦だったのが高級娼婦フィリーデ・メランドローニで、この作品のユディトのモデルはフィリーデと言われてます。


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1599年9月11日、残忍で淫乱の父を一家で共謀して殺したとされる有名なチェンチ事件の犯人たちの公開処刑が行われましたが、カラヴァッジョも斬首刑を見ていました。この作品の斬首の迫真性はその時の体験に基づいていると言われてます。


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ジョヴァンニ・バリオーネ(ローマ、1571‐1644)の「勝ち誇るアモール」
カラヴァッジョの「勝ち誇るアモール」(現、ベルリン美術館蔵)に対抗して描かれた作品です。画面左下に描かれている悪魔はカラヴァッジョの顔と言われてます。
バリオーネ裁判など、何かと因縁があった二人ですが、バリオーネはカラヴァッジョが大嫌い、でも彼の画風は正しくカラヴァッジェスキですから、どうなってるの?と言いたくなります。


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カルロ・サラチェーニ(ヴェネツィア、1579‐1620)の「聖母子と聖アンナ」


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バルトロメオ・マンフレディ(おスティアーノ、1582‐ローマ、1622)の「バッカスと呑兵衛」


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カラヴァッジョの「ナルキッソス」は上野の「カラヴァッジョ展」に出張展示中、カラヴァッジョの「聖フランチェスコ」とオラツィオ・ジェンティレスキの「聖フランチェスコ」はアスコリ・ピチェーノへ貸し出し中でした。


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カラヴァッジェスキの逸名画家による「洗礼者聖ジョヴァンニ(ヨハネ)」


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Jusepe De Ribera (Jativa, 1591- Napoli, 1652)の「聖グレゴリオ・マーニョ」


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ゴッポ・ディ・カッラッチ(コルトーナ、1576‐ローマ、1636)の「ダイアナとパーン(牧神)のいる風景」


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ピエトロ・ダ・コルトーナ(コルトーナ、1597‐ローマ、1669)の「カステルフサーノのヴィッラ・サッケッティの風景」


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グエルチーノの「アルカディアの羊飼い」
これで終わりです。ピエトロ・ダ・コルトーナの部屋をはじめ2階の数展示室が閉鎖されてました。また、3階は全面的閉鎖でした。


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タッデオ・ズッカーリ)サンタンジェロ・イン・ヴァード、1529‐ローマ、1566)の「詩興」
地階のロッカー前にあるフレスコ画です。


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閉鎖中の所が多く、見ることが出来なかった作品が数多くありました。


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(おわり)

モンタルチーノ Montalcino は、人口5,139人(2012年12月31日現在)のトスカーナ州シエナ県にあるコムーネで、名産のブルネッロ・ワインで有名です。
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この日は、シエナからバスに乗って到着しました。


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ローマ通りを下りカヴール広場がバスの発着場になってます。


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大きな荷物があっては散歩どころではないので、マッツィーニ通りに面した、この日のお宿に行って荷物を預けます。


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オルチャ渓谷の丘上に築かれた町なので、通りの起伏がかなりあって、前回泊まったホテルの行き来に苦労したので、今回はポポロ広場至近のB&Bを選びました。


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幸い入り口が開いていて、簡単にチェックインできました。
実は、B&Bには幾つかの酷い体験があって、出来るだけ利用するのを控えていました。ところがここでも大問題が発生したのです。
チェックインの際、この入り口の鍵、そしてB&Bになっている部分の鍵、そして私の部屋の鍵の3つを渡されました。
午後9時半頃、夕食を済ませてほろ酔い気分で機嫌よく帰ってきました。通りに面した入口の鍵は難なく開いて中に入ることが出来ました。ところが次のB&Bの入り口の錠前が曲者でして、何度もトライしましたが鍵を開けることが出来ません。数分経過後、照明が突如消え、真っ暗闇に取り残されました。節電のため、例の自動消灯するやつですね。
B&Bの鍵の問題は、この時2度目の経験でした。
持っていた携帯電話でオーナーの家に電話を架けたところ、錠前の調子が悪くて修理を依頼中だったことが分かりました。結局、オーナーに来てもらい、B&Bの裏口から入って一件落着となりましたが、問題の発生を事前に予測できたはずなので、後味の悪さが残りました。
これを契機にB&Bの利用を止めました。


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突き当り左奥が前回泊まったホテルです。


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荷物を部屋に入れ、散歩の開始です。時計塔がある建物はプリオーリ宮、現在の市庁舎です。B&Bから通りに出て直ぐに撮った写真です。絶好の場所にあるB&Bで、今頃は、錠前は完全に修理済みの筈なので、場所的にはお勧めです。
私は、この時の悪夢に懲りて、ご遠慮しますけど。


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この辺が旧市街の中心です。


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市庁舎の向かいにあるLoggiatiです。


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市庁舎のロッジアにある「コジモ・デ・メディチ像」です。


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市庁舎前から見たポポロ広場です。


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広場を境に通りの名称が変わり、マッテオッティ通りとなります。同じ道なのに複数の名称があるのも困ります。
仙台市○○区○○町○丁目、これならば大体何処の土地なのか見当が付きますが、イタリアでは、例えばフィレンツェならば、フィレンツェの次に来るのはVia ○○だけですから、聞いたことがない知らない通り名であると、探すだけでも大変です。


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写真右の黄褐色の建物の前を右折して、ガリバルディ広場に向かいました。


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写真左上が広場です。


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ガリバルディ広場です。広場に面して教会があります。


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1325年に建設されたゴシック様式のChiesa di Sant'Egidioです。現在まで小規模の修復が行われたものの、創建時の姿がほぼ残されてます。


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拝観しました。


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お目当てのフレスコ画は健在でした。修復の計画があると聞いたことがありますが、手付かずのようです。
14世紀のシエナ派逸名画家による「聖母子と4聖人(聖クリストフォロ、アレッサンドリアの聖カテリーナ、福音書記者聖ジョヴァンニ?、大天使ミケーレ)」


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祭壇画6点も健在です。


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教会のファサード前から見たガリバルディ広場です。見えている塔は、プリオーリ宮のものです。


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この教会は改めて「古寺巡礼」で取り上げるつもりです。


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次はサンタゴスティーノ教会です。


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サンタゴスティーノ教会に隣接して修道院がありますが、その建物が美術館になっているので、開館時間を改めて確認する意味もあります。


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10月上旬でしたが涼しいと言うよりも少し寒いと言った方がよさそうな気候でした。


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(つづく)

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第23室です。


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カラヴァッジェスキ画家たちの作品が展示されてます。


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部屋の天井に描かれたフレスコ画


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Michael Sweerts (Bruxelles, 1624- Goa, 1664)の「書斎の芸術家」


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The Candelight Masterの「Vanitas」


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リオネッロ・スパーダ(ボローニャ、1576‐パルマ、1662)の「聖ジローラモ」


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アストルフォ・ペトラッツィ(シエナ、1580‐1658)の「芸術の天才」


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Mathias Stomer (Amesfoot, 1600c- Sicilia, 1650)の「サムソンとデリラ」


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ニッコロ・トルニオーリ(シエナ、1598‐ローマ、1651)の「予言者エレミアと弟子のバルーク」


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Valentin De Boulogne (Coulommier, 1591- Roma, 1632)の「ソロモンの判決」


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Valentin De Boulogneの「最後の晩餐」


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ジョヴァンニ・セロディーニ(アンコーナ、15940ローマ、1632)の「聖ピエトロと聖パオロの別れ」


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Valentin De Boulogne の「寺院から商人たちの追放」


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オラツィオ・リミナルディ(ピサ、1591‐1630)の「イサクの犠牲」


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リオネッロ・スパーダの「荊刑のキリスト」


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Simon Vouet (Parigi, 1590-1649)に帰属する「絵画の寓意」


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次の展示室は部屋番号が記載なしでした。


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主にボローニャ派の画家たちの作品が展示されてます。


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従来は、ここは第24室のエミリアの画家たちの作品が並んでました。グイド・レーニ、グエルチーノの作品はありますが、カッラッチ一族の作品がありません。


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ジョヴァンニ・ランフランコ(パルマ、1582‐ローマ、1647)の「水腫の子供を治療する聖ルーカ」


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グイド・レーニ(ボローニャ、1575‐1642)の「悔悛のマグダラのマリア」


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Simon Vouetの「悔悛のマグダラのマリア」


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ピエル・フランチェスコ・モーラ〈コルドレーリオ、1612‐ローマ、1666〉の「女性の肖像」


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グイド・レーニの「ベアトリーチェ・チェンチ」


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グエルチーノ(チェント、1591‐ボローニャ、1666)の「ダヴィデを槍で殺そうとするサウル王」


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グエルチーノの「キリストの鞭打ち」


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グエルチーノの「聖マッテオと天使」


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グエルチーノの作品は東京の「カラヴァッジョ展」に貸し出し中でした。


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グエルチーノの「聖ルーカ」


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ジョヴァンニ・ランフランコの「ハープを弾くヴィーナス」


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ジョヴァンニ・ランフランコの「指を差して人々にキリストを教える洗礼者聖ジョヴァンニ(ヨハネ)」


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グイド・カニャッチの作品も東京の「カラヴァッジョ展」に貸し出し中でした。


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グイド・レーニの「眠る幼児」


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次は第17室です。


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マニエリスム様式の作品が展示されてます。


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その前に天井フレスコ画です。


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見どころとされているフレスコ画です。


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1583年、ポマランチオによって描かれました。


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天井画を見上げていると首が痛くなるうえに気分も悪くなります。


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天井画を見るために鏡を置いている美術館は有難いです。


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展示作品に戻ります。


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ヤコポ・ズッキ(フィレンツェ、1540‐ローマ、1596以前没)の「バテシバの入浴」


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マステッレッタ(ボローニャ、1575‐1655)の「湖畔の晩餐」


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El Greco (Candia, 1541-Toledo, 1614)の「キリストの洗礼」


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エル・グレコの「羊飼いの礼拝」


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フランチェスコ・サルヴィアーティ(フィレンツェ、1510‐ローマ、1563)の「慈愛の寓意」


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ヤコピーノ・デル・コンテ(フィレンツェ、1510‐ローマ、1598)の「キリストの埋葬」


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Jacob de Backer (Anversa, 1555c-1585c)の「死せるキリストを支える天使」


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ルティーリオ・マネッティ(シエナ、1571‐1639)の「聖パオロの斬首」


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ヴェントゥーラ・サリンベーニ(シエナ、1568‐1613)の「聖ピエトロの磔刑」


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ルーカ・カンビアーソ(モネーリア、1527‐マドリッド、1585)の「アドニスの死を悼むヴィーナス」


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Jan Matsys (Anversa, 1509c-1575) の「ユディト」


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マルチェッロ・ヴェヌスティ(コモ、1512‐ローマ、1579)の「ゲッセマネ園の祈り」

途中ですが、長くなったのでこの辺で一旦切りましょう。
(つづく)


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第16礼拝堂です。


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ファサードにフレスコ画がありますが、太陽と風雨に晒されて落剝、退色が認められます。


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頑丈な鉄柵と金網=中にテラコッタ、ですね。フレスコ画がメインの礼拝堂には、中に入ることが出来ます。


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ここは頑丈な鉄柵があるので、テラコッタがあります。


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テラコッタ制作は彫刻家ディオニ―ジ・ブッソーラによるもの


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ステファノ・マリーア・レニャーニ通称レニャニーノが制作したフレスコ画


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この礼拝堂は、他の礼拝堂と違う点があります。


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Cappella Nuovaです。
第1礼拝堂から第20礼拝堂までは17世紀末までの約100年の間に建設されました。この礼拝堂はそれから約1世紀後の18世紀末に建設が始められました。
1810年、ナポレオンが宗教活動を制限する布告を出しましたが、この礼拝堂もそのあおりを受けて、建物自体は何とか完成しましたが、中の装飾は未完のままに放置されました。


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見どころはありません。


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延々と進めてはキリがないので、一挙に飛ばして先に進めることにしましょう。


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次は第6礼拝堂です。


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建物の四隅と取り囲む柱廊が特徴です。


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ここもテラコッタと彫刻が見どころです。「ここも」というよりも全礼拝堂に言えます。


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彫刻家クリストフォロ・プレスティナーリが1617年ー1618年にかけて制作したテラコッタ
クリストフォロが制作したテラコッタ像の数が足りないとの理由で、1662年にディオニ―ジ・ブッソーラが制作したテラコッタが追加されました。


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フレスコは、ジョヴァンニ・バッティスタとジョヴァンニ・マウーロのデッラ・ローヴェレ兄弟通称フラッミンギーニによって1616年頃に制作されました。


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この礼拝堂のフレスコ画は秀作と思います。


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柱廊の壁と天井にもフレスコ画があります。


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オルタ湖の水温が低いので、短時間の水泳は可能ですが長い時間の水遊びが無理と合って、長期滞在の観光客は他にやることがあまりありません。
そのような背景から、ここを訪れる観光客が多い反面、聖山の趣きは薄れ完全に観光地化したようで、礼拝堂で祈りをささげる人は皆無でした。


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1612年に建設された第5礼拝堂です。


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各礼拝堂のコンセプトはそれぞれ違いますが、聖フランチェスコの生涯のエピソードやフランチェスコ修道会がテーマとなってます。


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クリストフォロ・プレスティナーリ制作の彩色テラコッタ(1615)


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ジョヴァンニ・バッティスタ・デッラ・ローヴェレ制作のフレスコ画(1615)


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ファサードにもフレスコが施されてます。


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ジョヴァンニ・バッティスタ・デッラ・ローヴェレが描いた柱廊天井のフレスコ画(1615‐16)


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次は第4礼拝堂です。


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建物の構造は、先に見た第5礼拝堂に似てます。1609年から1629年に建設されました。


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今まで見てきた礼拝堂と違いは、保護の金網の目が細かくて、カメラのレンズ部分を金網の間に入れることが出来ませんでした。
クリストフォロ・プレスティナーリ制作の彩色テラコッタ(1610‐16)


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礼拝堂全てのフレスコ画はフラッミンギーニ(デッラ・ローヴェレ兄弟)の制作によるもの


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金網が邪魔して良く見えません。


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次は第3礼拝堂です。


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1596年に建設された第3礼拝堂です。ここは中に入ることが出来ます。


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クリストフォロ・プレスティナーリ制作の彩色テラコッタ


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中に入ることが出来たのでフレスコ画の各場面をじっくり見ることが出来ました。


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フラッミンギーニ(デッラ・ローヴェレ兄弟)制作のフレスコ画です。


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最近修復が行われたように見えます。


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次は第2礼拝堂です。


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1606年から1609年に建設された第2礼拝堂も他の礼拝堂と大同小異です。


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この部分のフレスコ画はフランチェスコ・ジャノ—リの制作によるもの(1681)


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ジョヴァンニ・バッティスタ・デッラ・ローヴェレ制作のフレスコ画


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礼拝堂内部の天井はデッラ・ローヴェレ兄弟の制作


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テラコッタとフレスコ画が見事にマッチしています。


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相当な資金力があったこそ可能になった計画なんですね。


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最後は第1礼拝堂です。


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1592年に建てられた第1礼拝堂ですが、ファサードは19世紀に完成しました。


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外壁にフレスコ画の痕跡が認められます。


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17世紀初頭に制作されたクリストフォロ・プレスティナーリの彩色テラコッタ


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17世紀初頭に制作されたジャコモ・フィリッポ・モンティのフレスコ画


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第1礼拝堂に隣接して土産物屋兼案内所があります。


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下を見下ろすと絶景が広がってます。


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美術的には上級者ファン向けですが、それとは無関係に気楽に訪れるのが良いと思います。


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晴れ渡った日に行くのが最適でしょうね。
(おわり)

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チッタ・ディ・カステッロは、フィレンツェ大聖堂で起きた有名なパッツィ家陰謀事件の遠因になったことでも知られてます。


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1478年4月26日のフィレンツェ大聖堂で日曜日のミサの直後に、ロレンツォ・イル・マニーフィコと弟のジュリアーノが襲われ、ロレンツォが負傷しながらも免れたものの、ジュリアーノが暗殺されてしまいました。


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直接的には、その原因は、ロレンツォのパッツィ家への圧力強化(パッツィの遺産相続に介入して妨害)とメディチ家の権力独占に我慢できなくなったパッツィ家がロレンツォとジュリアーノ兄弟の暗殺を企てたことですが、真の原因は教皇庁とメディチ家の関係悪化にあります。


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1474年春、ウンブリアで反乱が勃発したのですが、これを鎮圧するために教皇庁はジュリアーノ・デラ・ローヴェレ枢機卿(後の教皇ジュリオ2世、そして当時の教皇シクストゥス4世の甥)を派遣してチッタ・ディ・カステッロを包囲させたのです。


P1730119
1375年、チッタ・ディ・カステッロはフィレンツェの介入によって自治都市の維持が可能になりました。フィレンツェ側から見れば、チッタ・ディ・カステッロはフィレンツェの衛星国のようなものですから、黙ってはいられないとばかり、フィレンツェ軍6000人をボルゴ・サン・セポルクロに進駐させ、ボルゴ・サン・セポルクロとチッタ・ディ・カステッロのほぼ中間の地で、フィレンツェ軍と教皇庁軍が対峙、にらみ合いの時期が暫く続きました。


P1730122
教皇庁とフィレンツェとの関係悪化は、両軍の対峙によって決定的になりました。パッツィ家陰謀事件の真の理由はその関係悪化にあります。


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写真右の建物に注目です。


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何か書いてあります。不鮮明なフレスコ画もありますね。


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時計でしょうか?


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写真左の建物の壁に変なものを発見!!


P1730129
これは何ですか?


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今まで気付きませんでしたが、この変なモノ(スプレーで吹き付けで出来た?)が町中に沢山ありました。


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次はサン・フランチェスコ教会です。


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サン・フランチェスコ教会はこの時も閉まってました。


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中の礼拝堂がどうなっているのか、見たかったのです。


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後陣近くの身廊の壁に説明プレートがあります。


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この教会にラッファエッロ・サンツィオの「聖母の結婚」があったのです。現在はミラノのブレラ絵画館にあります。
ラッファエッロの作品があった場所に、ラッファエッロ作品の複製画が置かれるようになったと聞いたことがあるので確認したかったのです。
余計ですが、ブレラの作品写真を載せましょう。


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2016年春から初夏にかけて、師弟の「聖母の結婚」が並べて展示されていました。


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ラッファエッロの「聖母の結婚」
この作品がサン・フランチェスコ教会にありました。


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こちらは、ラッファエッロの師匠であるペルジーノの「聖母の結婚」です。
フランスからの出張展示です。私が見るのは、この時が初めてでした。


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仕方がありません。サン・フランチェスコ教会は次の楽しみにしました。


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面白そうな建物ですが、案内プレートがありません。


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広場に戻ってきました。


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イタリアの金融機関は立派な建物にあります。


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市庁舎


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これで一日目が終わりです。


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翌朝、散歩に出かけました。


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パリオの準備が始まりました。


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この時は土曜日の朝で、パリオは翌日です。


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パリオを知ったのは、この街に来てからですから、今さら予定変更は無理というものです。


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この日も拝観しました。


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(おわり)

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第15室です。


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第10室、第11室は閉鎖されていたことになります。
前にも書きましたが、展示室と展示作品の再編を行っているようで、従来のグイドブックが役に立ちません。


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天井のフレスコ画


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バッサーノ(バッサーノ・デル・グラッパ、1557‐ヴェネツィア、1622)の「ゲッセマネ園で祈るキリスト」
美術館の方では、この作品の制作者を単にバッサーノとだけしか書いていませんが、それだけで分かる人はよほどの美術ファンと思われます。もう少し親切に書き足すべきと思います。
この作品の制作者はレアンドロ・バッサーノのことです。
画家のバッサーノ一族は、フランチェスコ・ダル・ポンテ・イル・ヴェッキオ通称バッサーノ(バッサーノ・デル・グラッパ、1470/75-1539c)に始まり、フランチェスコの3人の息子ジャンバッティスタ、ジャンフランチェスコ、ヤコポも画家であり、更にヤコポの息子、つまりフランチェスコの孫に当たるフランチェスコ・イル・ジョーヴァネ、ジャンバッティスタ、レアンドロ、ジローラモの4人も画家、総勢8人からなります。その中に通称バッサーノと呼ばれた画家が二人いるわけです。
バッサーノ一族はバッサーノ・デル・グラッパ、ヴェネツィアで工房を構えて作品を制作し大いに繁盛しましたが、彼らの画風が非常に似ていたので、各画家の作品帰属が厄介です。中でも活躍したのは、フランチェスコ・イル・ヴェッキオ、ヤコポ・バッサーノ、レアンドロ・バッサーノの3人でした。
バッサーノ・デル・グラッパのMuseo Civocoに彼らの作品がかなりあるので、ご興味のある方は訪れてみてはいかがでしょうか。


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ティツィアーノの「狩猟に行こうとするアドニスに行くのを止めるようとするヴィーナス」


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パルマ・イル・ジョーヴァネ(ヴェネツィア、1548c‐1628)の「嬰児虐殺」


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カリアーニ(サン・ジョヴァンニ・ビアンコ、1485c‐ヴェネツィア、1547)の「聖母子と聖エリザベッタと聖ジョヴァンニーノ」
カリアーニは、ジョヴァンニ・カリアーニのことで、パルマ・イル・ヴェッキオの強い影響を受けた画風でした。


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ロレンツォ・ロット(ヴェネツィア、1480c‐トレーと、1556)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚と聖人たち(聖ジローラモ、聖ジョルジョ、聖セバスティアーノ、聖アントニオ・アバーテ、バーリの聖二コラ)」(1524)


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ティントレット(ヴェネツィア、1556‐1635)の「悔悛の聖ジローラモ」


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ティントレットの「キリストと姦通女」


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スカルセッリーノ(フェッラーラ、1550‐1620)の「ゲッセマネ園でのキリストの祈り」


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スカルセッリーノの「ラザロの蘇生」


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スカルセッリーノの「嬰児虐殺」


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スカルセッリーノの「我に触れるな」


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次は第16室です。


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比較的広い部屋に肖像画が並んでます。


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天井のフレスコ画ですが、この絵を覚えておいてください。


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ニッコロ・デッラバーテ(モデナ、1509/12-フォンテーヌブロー、1571)の「若い男の肖像」
左に犬が描かれてます。この人は犬好きだったでしょうね。


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バルトロメオ・ヴェネト(ヴェネトとロンバルディアで1502‐1530活動)の「紳士の肖像」


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ジョヴァンニ・アンブロージョ・フィジーノ(ミラノ、1548‐1608)の「チェーザレ・カヴァルカーボの肖像」


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フェデリーコ・ズッカリ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1540/42- アンコーナ、1609)の「紳士の肖像」


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ブレーシャニーノ(シエナ、1487‐1525以降没)の「サルピツィア・ペトルッチも肖像」


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ジローラモ・ダ・カルピ(フェッラーラ、1501‐1556)の「紳士の肖像」


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ジローラモ・シチオランテ(セルモネータ、1521‐ローマ、1572)の「フランチェスコ・コロンナ2世の肖像」


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ブロンズィーノ(フィレンツェ、1503‐1572)の「ステファノ・コロンナ4世の肖像」


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アンドレア・サッキ(ネットゥーモ、1599‐ローマ、1661)の「神の徳の寓意」
肖像画の展示室に場違いな寓意画が展示されてます。ここで何故だろう、と思わないとイケマセン。


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種明かしは簡単です。天井のフレスコ画をご覧になれば一目瞭然です。
油彩画は、天井フレスコの原画というわけです。
アンドレア・サッキが描いたフレスコ画です。


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有名な作品です。


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Hans Holbein (Augsburg, 1498- Londra, 1543)の「ヘンリー8世の肖像」


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シピオーネ・プルツォーネ(ガエータ、1544‐ローマ、1598)の「ジョヴァンニ・リッチ枢機卿の肖像」


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16世紀のフィレンツェの逸名画家による「女性(イサベッラ・デ・メディチ?)の肖像」


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ヤコポ・ズッキ(フィレンツェ、1540c‐ローマ、1596以降没)の「クレーリア・ファルネーゼの肖像」


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第23室です。
この部屋に隣接してCappella di Pietro da Cortonaがあります。従来、礼拝堂は第16B 室とされていました。


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中に入れないので、少しだけ開けられた所から覗き込むような形で拝観しました。


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ピエトロ・ダ・コルトーナと弟子たちによって制作されたフレスコ画が見どころです。弟子と言っても今も知られている画家です。


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ピエトロ・ダ・コルトーナの「磔刑」


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ピエトロ・パオロ・バルディーニ(ウバルディーニとも呼ばれてます)の「キリストの復活」


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ジョヴァンニ・フランチェスコ・ロマネッリの「羊飼いの礼拝」


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見えない部分が多くて、少々ガックリ。
(つづく)

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ここから二階(イタリアの1階)の展示作品です。


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2階のロビーです。この扉が閉まっているので、閉鎖されている部屋が幾つかありそうです。


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ローマ時代の浮彫?


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売店で買い求めた作品全リストに載っていないので、大した浮彫ではない?と思います。


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2階最初の部屋が第14室となりました。


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後述しますが、この日は3階は全面閉鎖、1階と2階にも閉鎖されている展示室がありました。念のため、先ほど調べましたが、2015年、2014年も同じでした。多分、展示室と展示作品の再構築中なのでしょう。
現在、ヴェネツィアのアッカデミア美術館、ミラノのブレラ絵画館、フィレンツェのウッフィツィ美術館でも同様のことが行われてます。


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天井の装飾


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アントニオ・ヴィヴァリーニの天井フレスコ画


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この部分はアントニオ・ヴィヴァリーニの弟子が描いたそうです。


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主に弟子が描き、後でアントニオ・ヴィヴァリーニが手を入れた箇所と言われてます。(こんなことって、本当に分かるの?←私のつぶやき)


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ガロファロ(フェッラーラ、1481c‐1559)の「マギの礼拝」


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ガロファロの「キリストの昇天」


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ドッソ・ドッシの「福音書記者聖ジョヴァンニ(ヨハネ)と聖バルトロメオとポンティキーノ・デッラ・ザーレとポンティキーノ家の人」


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ガロファロの「キュベレー(小アジアの大女神)の像が付いた船を引っ張るウェスタの巫女のクラウディア・クインタ」
元の話が分からないと、何が描かれているのかサッパリ分かりません。


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次は第13室です。


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シエナ派とレオナルデスキ画家たちの作品が展示されてます。


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この部屋の天井フレスコ画もアントニオ・ヴィヴァリーニによって描かれました。


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ジローラモ・ジェンガ(ウルビーノ、1486c‐1551)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚とシエナの聖カテリーナと聖ベルナルディーノ」
画面左上の扉から入ってきた人は誰で、描かれた意味は何でしょうか?


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ドメニコ・ベッカフーミの「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」
ベッカフーミの作品は特徴がありますね。過去の国際ゴシック様式時代のシエナ派の栄光を忘れられずに、終生それを追い求めてやや空回りに終わった画家人生を歩みました。


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ソドマ(ヴェルチェッリ、1477‐シエナ、1549)の「サビーネ女のレイプ」
先のカラヴァッジョ展にソドマの「この人を見よ」が来てましたね。
ルーカ・シニョレッリのフレスコ画を見るために、モンテ・オリヴェート・マッジョーレ修道院に行ったのですが、その時、併せてソドマのフレスコ画をじっくり見て、いっぺんで好きになり、彼の実力に感嘆しました。


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カッリスト・ピアッツァ(ローディ、1500‐1561)の「アレッサンドリアの聖カテリーナ」


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マルティーノ・ピアッツァ(ローディ、1475/80-1530c)の「聖母子と聖エリザベッタと聖ジョヴァンニーノ」
作品保護のガラス板に周りのものが写って見え難いと思いますが、この作品は過ってレオナルド・ダ・ヴィンチの作品と間違えられていたことがあります。


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マルコ・ピージョ(シエナで1541年記録)の「パルカ(運命の女神たち)」


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ソドマの「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」


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バルトロメオ・メローニ通称イル・リッチオ(シエナ、1505/15-1571)の「聖母子とアレッサンドリアの聖カテリーナとバーリの聖二コラ」


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第12室です。


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ラッファエッロの作品があります。


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ラッファエッロと彼の弟子の作品が展示されてます。


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展示室天井のフレスコ画


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ラッファエッロの「La Fornarina(パン屋の娘)」(1518‐19)


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シエナのパン職人だったフランチェスコ・ルーティの娘であるマルガリータ・ルーティの肖像と言われてます。ローマ時代のラッファエッロの愛人でした。彼女が採っているポーズは愛情を表現する古典的なポーズと言われてます。この作品はラッファエッロの死後60年に発見されたそうです。


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バルダッサッレ・ペルッツィ(シエナ、1481‐ローマ、1536)の「チェーレレ(豊穣の女神)」
単なる「女性の肖像」に見えますが・・・・ 「豊穣の女神に扮した女性の肖像」?


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ジュリオ・ロマーノ(ローマ、1499c‐マントヴァ、1546)の「聖母子」


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ジュリオ・ロマーノの「ラッファエッロの『バルダッサッレ・カスティリオーネの肖像』」


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ジュリオ・ロマーノの「パンドラの箱」


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ペリン・デル・ヴァーガ(フィレンツェ、1501‐ローマ、1547)の「聖家族」


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ジュリオ・ロマーノの「キューピッドを叱るミネルヴァ」


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Marteen Van Heemskerck (Heemskerck, 1498- Haarlem, 1574)の「十字架降下の三翼祭壇画」


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第12室で行き止まりになっていたので、元に戻りました。
(つづく)

P1350650
本場の礼拝堂巡りです。各礼拝堂に番号が付けられているので、番号順に巡るのもアリと思いましたが、番号自体、古い建物から新しい建物へと順番に番号が振られている訳ではないので、足の向くままに巡りました。


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第20礼拝堂です。


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中はテラコッタ像とフレスコ画で一杯です。床にテラコッタ像が並べられ、壁や天井などにフレスコ画という形式が20ある礼拝堂の基本となってます。


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ご覧のようにテラコッタ像の前に頑丈な鉄柵が置かれ、それが邪魔になって良く見えません。写真は鉄柵の隙間にカメラのレンズ部分だけを入れて撮らねばなりません。


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テラコッタは、彫刻家ディオニ―ジ・ブッソーラと弟子たちの作品です。


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テラコッタのテーマは「教皇グレゴリオ9世の謁見」


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壁一面にフレスコ装飾が施されてます。


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アントニオ・ブスカ・ダ・ミラノ(1625‐1686)のフレスコ画


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最近行われた修復によって色鮮やかに蘇りました。


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隣にある第20礼拝堂付属の小礼拝堂の扉が閉まっていました。


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広大な聖山に礼拝堂が点在しています。案内板に従ってプレセーピの見学です。


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ここは礼拝堂ではありません。


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規模の大きなものです。


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イタリア人は宗教ジオラマ?や宗教人形?が好きですね。


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ここは常設展示でしょうか?


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午前中は雨模様でしたが、午後になって天気が回復してきました。
ヴァラッロのサクロ・モンテに行ったことがありますが、ヴァレーゼの方は未だです。このようなものを作った熱意や資金力に驚きます。或る意味で宗教は怖いと思います。


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次は第19礼拝堂と第18礼拝堂です。


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サクロ・モンテの観光案内所で買い求めたガイドブックがあるので、こうして何とか書けますが、それがなければお手上げです。


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第18礼拝堂の入り口です。


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ここもテラコッタとフレスコ画です。


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テラコッタは、ジョヴァンニ・デ・エンリコの作品です。


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フレスコ画は詳細不明です。


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階段を上って2階に行きました。


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2階が第19礼拝堂になってます。


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1階が第18礼拝堂、2階が第19礼拝堂の二重構造は、アッシジのサン・フランチェスコ聖堂の下聖堂と上聖堂を模して1591年に建設されました。


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鉄柵が邪魔して、良く見えないし、写真もうまく撮れません。


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第19礼拝堂は美術的に見どころとされてます。
17世紀後半の代表的な彫刻家ジュゼッペ・リスナーティが制作したテラコッタ


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礼拝堂内の全ての石像もジュゼッペ・ルスナーティの制作です。


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アントニオ・ブスカ・ダ・ミラノのフレスコ画


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面白そうな礼拝堂の前にあります。


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井戸です。
サクロ・モンテにある教会、礼拝堂全ての聖水はこの井戸から運ばれたそうです。


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若者たちの歓声やらロックの騒音が聞こえました。聖山なので相応しくないと思いますが、止める気配がありません。ここは、今や完全に観光地ですね。


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急に静かになりました。恐らく誰かが注意したのでしょう。


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少し高い所から湖が見えます。


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次は第17礼拝堂です。


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その形状から別名ロトンダと呼ばれてます。


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17世紀中ごろに建設されました。


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鉄柵の模様が細かくて、写真撮影防止に最適でした。


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ディオニ―ジ・ブッソーラが1661年から1665年にかけて制作したテラコッタ


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第17礼拝堂のフレスコ画は比較的よく知られてます。


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カルロ・フランチェスコとジュゼッペのヌヴォローネ兄弟が1660年から1662年にかけて制作したフレスコ画です。


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こんな調子で各礼拝堂について書いていたらキリがありません。


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ペースを上げて、次の(その3)でこの項を終わりにしたい。


P1350710
(つづく)

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オルタ・サン・ジュリオのサンタ・マリア・アッスンタ教会のファサード前を右に行くと、サクロ・モンテに向かうことが出来ます。


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Sacro Monte、聖山の名称の通りで坂を上ります。


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道はオルタ湖を見下ろしながら山へと続いてます。


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祠が道の両側に点在してます。


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「神域に来たのだ」という感じがします。


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中ほどにオルタ・サン・ジュリオの墓地があります。


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墓地に教会があり、その中にジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニのフレスコ画があるのですが、入り口の扉が閉まっていました。


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サクロ・モンテの門が見えてきました。


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宗教改革によって教会の堕落を攻撃されたカトリック側は、反宗教改革の一環として宗教活動の自浄を図ります。その具体策の一つとしてサクロ・モンテと呼ぶ祈りの場所が建てられることになりました。


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サクロ・モンテの最初の場所として、ヴァラッロ、ヴァレーゼと共にオルタが選ばれました。


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オルタのサクロ・モンテの具体的な計画は、フラチェスコ会のPadre Cleto da Castelletto Tocinoの主導のもとにフランチェスコ会修道士によって推進されました。従って、ここはアッシジの聖フランチェスコに奉献する場なのです。


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礼拝堂の拝観は後回しにして、先ず教会に向かいました。

最初の礼拝堂の建設が始まったのが1590年でした。当初の計画では32の礼拝堂建設が予定されてましたが、約100年経って20の礼拝堂が完成した所で、サクロ・モンテ活動意欲の低下と資金難によって中断され、そのまま現在に至ってます。


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こちらの礼拝堂の拝観も後回し。

20の礼拝堂の他に、一つの教会と、観光客向けの展示場として建設された新礼拝堂があります。


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サンティ・デイ・フランチェスコ・エ・二コラオ教会です。


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9世紀、この地に建てられたサン・二コラオ教会が前身です。教会の存在は10世紀中ごろの記録に記載されてます。12-13世紀にロマネスク様式で再建されました。
現在の建物は、フランチェスコ会のPadre Cleto da Castelletto Tocinoの命により、1602年に創建され、1607年に完成した三代目のものです。アッシジのサン・フランチェスコ聖堂の下聖堂を模して建設されました。


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ロマネスク様式の鐘楼は12-13世紀の二代目の建物にあったものです。


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教会の礼拝堂です。閉まっていました。


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ファサードのルネッタ上のフレスコ画


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単廊式、変形ギリシャ十字形、バロック様式の内部です。


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左右の側壁に礼拝堂が設けられてます。


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観光客が次々と現れます。静謐な宗教空間とは言い難く、何時もざわざわしています。


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20ある礼拝堂でミサが行われることは少なく、ミサは通常、この教会で行われます。聖職者はサン・ジュリオ島にある聖堂と兼務しているようです。


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主祭壇画は、アントニオ・ブスカ・ダ・ミラノ(ミラノ、1625‐1686)の「聖フェリーチェに顕現する聖母子」
美術ファンの見どころはこの1点だけかと思います。


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ジョヴァンニ・バッティスタ・カンタルーピ・ダ・ミアーシモ(ミアーシモ、1732‐1780)の「パドヴァの聖アントニオとフランチェスコ会の聖人たち」


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17世紀後半から18世紀初頭のロンバルディアの逸名画家による「天上の聖母とフランチェスコ会修道士たち」


P1350611
詳細不明の「ピエタ」(19世紀中ごろ)


P1350637
ジョヴァンニ・ナルディーニ・ダ・ミラノの彫刻(1926)


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サクロ・モンテの見どころは礼拝堂でしょうね。


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教会内に入らなくても、この教会はお勧めです。


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ファサード前がオルタ湖とサン・ジュリオ島の絶景ポイントなのです。ここに来る価値は十分あります。

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P1350643
(つづく)

P2100787
第5室と第6室が閉鎖されていました。
現在掲載中の写真は2016年5月に撮ったものですが、2015年2月と2014年10月の写真を念のため調べたら、何と第5室と第6室は去年も一昨年も閉鎖されていたのです。
第5室はアントニアッツォ・ロマーノとロレンツォ・ダ・ヴィテルボの作品があります。また、第6室はトスカーナの画家たちの作品が並んでいるので、閉鎖は誠に残念でした。閉鎖の理由は不明です。

P2100790
次は第7室です。第1室から第6室は、ロビーから左手にあります。第7室は一旦ロビーに戻って右手にあります。

P2100789
この美術館が混雑していたという経験がありません。フィレンツェのウッフィツィ美術館とアッカデミア美術館の長蛇の列とあまりにもかけ離れています。ミラノのブレラにしても、ナポリのカポディモンテに行っても、ベルガモのカッラーラなどに行っても、行列は大体ありません。ボルゲーゼは2時間毎の200人定員入れ替え制ですから比較になりませんが、ドーリア・パンフィーリ、カピトリーニも行列は見たことがないし、コルシーニ、スパーダは何時も閑古鳥が鳴いてます。
ヴァチカン絵画館は展示の質が高くないと思うのですが、結構混雑しているのが意外です。

P2100792
第7室の天井に描かれたフレスコ画です。

P2100796
マルコ・パルメッツァーノの「父なる神とセラフィーニ(天使の中で第1位とされています)」

P2100800
ルカーノ・ゾッティ・ダ・ガッジオ(ガッジオ、1524以前‐イーモラ、1566)の「聖ジュリアーノの物語」
この場合の聖ジュリアーノは病院運営に尽力した方の聖人です。

P2100803
マルコ・パルメッツァーノの「悔悛の聖ジローラモ」

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フランチェスコ・ビアンキ・フェッラーリ(モデナ、1460c‐1510)の「ゲッセマネ園の祈り」
祈っているのは勿論キリストです。

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マルコ・メローニ(カルピ、1504‐1537記録)の「聖ピエトロと聖パオロ」
カルピと言えば、ドゥオーモの修復は終了したのでしょうか?

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アレッサンドロ・オリヴェーリオ(ヴェネツィア、1532‐1544記録)の「聖母子」
アレッサンドロが描いた男性の肖像画が19世紀頃までレオンルド・ダ・ヴィンチの作品とされてことがあります。友人が少なかったロレンツォ・ロットとベルガモで親しかったようです。

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ジョヴァンニ・ベッリーニ工房による「祈るキリスト」

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ニッコロ・ロンディネッリ(ラヴェンナ、1450c‐1510c)の「聖母子」

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16世紀のベルガモの逸名画家による「子供の時のバッカス」

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バルトロメオ・モンターニャの「聖母子」

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ジョヴァンニ・ベッリーニの「男の肖像」

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ロレンツォ・ロットに帰属する「若い男の肖像」
ロレートの聖母の家の聖堂付属美術館にロットの遺作を含めて最晩年の作品が展示されてますが、これらを見て初めて彼の生涯が分かりました。最晩年の作品をどのように描いたのか、彼の日記が残されてますが涙なしには読めませんね。

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アントネッロ・ダ・サリバの「聖セバスティアーノ」
アントネッロ・ダ・サリバの叔父がアントネッロ・ダ・メッシーナです。厄介なのは、サリバが一時期アントネッロ・ダ・メッシーナと名乗っていたのです。それだけならば、偉大な叔父に肖ろうとした冗談で済まされるところですが、叔父の作品の複製画を描いたのです。時にはアントネッロ・ダ・メッシーナの署名入りで。ヴェネツィアのアッカデミア美術館にサリバの「受胎告知される聖母」がありますが、それがアントネッロの代表作にそっくりなんです。

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ベルナルディーノ・ブティノーネ(トレヴィーリオ、1450c‐1507)の「磔刑のキリストと聖母と福音書記者聖ジョヴァンニ(ヨハネ)」

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次は第8室です。

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この展示室は人気がありません。

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天井のフレスコ画

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Pedro Fernandez da Murcia (notizie 1503-1523)の「ベアト・アマデオ・メネス・デ・シルヴァの幻視」

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フランチェスコ・パガーノ(ナポリなどで1472‐1484記録)の「聖セバスティアーノと死刑執行人とアレッサンドリアの聖カテリーナ」

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フランドル地方の逸名画家による「嘆きの聖母」(15世紀末―16世紀初頭)

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第9室

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北方画家たちの作品が並んでます。

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天井のフレスコ画

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16世紀前半のフランドル地方の逸名画家による「祈る聖母」

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Simon Marmion (Valenciennes, 1425c-1489)に帰属する「磔刑」

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Josse Lieferinxn (Marsiglia, notizie 1493-1508)の「セバスティアーノ墓の前の巡礼者たち」

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16世紀初めのフランドル地方の逸名画家による「ご誕生」と「教会への出現」

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15世紀末のドイツの逸名画家による「マギの礼拝」と「割礼」

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Paulus Moreelse (Utrecht, 1571-1638)の「女性の肖像」

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Jan Antonise Van Ravensteyn (Den Haag, 1570-1657)の「男の肖像」

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Benjamin Moreelse (Utrecht, ante 1629-Roma, 1649)の「自画像」

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Jan Cornelisz Verspronck (Haarlem, 1609-1662)の「男の肖像」

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Thomas De Keyser (Amsterdam, 1596c-1667)の「女性の肖像」

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Jan Cornelisz Verspronckの「花嫁」

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Jan Cornelisz Verspronckの「女性の肖像」

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Paules Moreelseの「紳士の肖像」

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次は泉のある部屋です。

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部屋の説明

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絵画作品の展示はありません。

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大理石彫刻が数点置かれてます。

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説明プレートがないので詳細不明です。

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貴重な彫刻だったら説明板があると思います。

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複製彫刻?

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部屋のフレスコ画

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これで1階が終わりです。

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2階の展示室に向かいました。

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階段の踊り場にある彫刻です。
ドメニコ・ピオラッティ(フィレンツェ、1600‐1656)の「ラトナ(神話)と息子」

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(つづく)






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シニョレッリ、カルロ・クリヴェッリ、ロレンツォ・ロット、カラヴァッジョ、フィリッポ・リッピ、アンニーバレ・カッラッチなど大好きな画家たちの足跡を訪ねる旅をやってますが、最も大変なのは殺人を起こしての逃避行をしたカラヴァッジョです。カラヴァッジョ巡礼をもう一度やりたいと思いますが、体力が続くかどうかが懸念材料です。
シニョレッリの場合、コルトーナを中心にローマからロレートまでなので大したことがありません。
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シニョレッリの師匠はピエロ・デッラ・フランチェスカで、ウルビーノまたはボルゴ・サン・セポルクロでピエロに師事したとされてます。
シニョレッリがチッタ・ディ・カステッロに住んでいたのは、数説あって確かではありませんが、1488年から1498年の10年の間に途中中断時期があるものの工房を構えていたとされてます。その工房がルーカ・シニョレッリ通りにありました。
その具体的な場所を見つけるためにあちこち歩きました。
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この街は比較的観光客に優しいので、シニョレッリの工房があった場所には必ず記念碑があるだろうと思いました。
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あんな場所に教会がある・・・・・
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機能を停止した旧サン・ジョヴァンニ・バッティスタ教会です。
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旧教会の身廊に洗礼者のタベルナコロがあります。かなり新しいものと思います。
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サン・ドメニコ教会です。
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身廊ポタール上ルネッタに描かれたフレスコ画です。恐らく「聖ドメニコ」でしょうね。
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ドメニコ会は神学の研究に励み、その研究から外れた他の教派を排斥した、一種の狂信を思わせます。中世の頃盛んだった異端審問は大体ドメニコ会修道士によって行われたんですね。フェッラーラにある「サヴォナローラ像」やフィレンツェのサン・マルコにある「サヴォナローラの肖像」を見ると、「主の犬」と言われた修道会士に相通じるものがあります。
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サン・ジョヴァンニ・カンポ広場
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シニョレッリ通りに戻りました。シニョレッリ所縁の記念碑などは見つかりませんでした。
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午後3時前なので、人出がありません。自宅で昼食を済ませて、ゆっくりと寛いでいるのでしょう。この習慣が観光客にとってはちょっと厄介です。郷に入れば郷に従えで、ホテルに戻って昼寝をすれば良いのでしょうが、それでは貴重な時間が勿体ない。でも、美術館や教会などは開いていないので、やることがない、困ったものです。
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青空が見えているにも拘らず、雨が落ちてきました。すると雷が鳴り始めました。
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さて、もう直ぐ午後3時です。市立絵画館が開く時間です。雨宿りは絵画館で、と決めました。
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これもまた教会ですね。
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旧サンタ・クローチェ祈祷所のようです。屋根が崩落してます。
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Via Cesare Battistiです。建物の下を潜って進めば絵画館があります。
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案内表示があるので迷うことはありません。
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各地にMuseo Civicoがありますが、そこで展示されている作品の質は、その土地の繁栄度に比例すると思います。
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絵画館に到着しました。
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柵の向こうにデッラ・ロッビアの展示室が見えてます。
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何度も来てますが、今まで一度も突発的臨時休館がありません。エライ!!!
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日本では突発的臨時休館は有り得ませんが、イタリアでは意外にも結構多いのです。その理由としてはストライキが最も多かったと思います。
曰く、「美術館の鍵を持っている職員の息子さんが病気で休んでいる、鍵が無いので開けられない」、「美術館の職員の殆どが休暇を取得して、人員が足りないので開けられない」、「理由なんかお前には関係ないだろ、兎も角、今日は休館だ」等々。
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先ず庭園に出て、Palazzoの装飾を見ました。
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スグラフィート装飾が見事です。
絵画館の展示作品は改めて取り上げる予定ですが、展示されている代表的な作品を数点だけ紹介しましょう。
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ルーカ・シニョレッリの「聖セバスティアーノの殉教」
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ルーカ・シニョレッリと弟子による「キリストの洗礼」
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ラッファエッロ・サンツィオの「サンティッシマ・トリニータ教会の祭壇前飾り」(1502)
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ロッビア工房の「受胎告知」
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現代画も展示されてます。その中で白眉とされている傑作がこの作品です。
アレッサンドロ・ブルスケッティの「カシルデ・パッカドゥスチ・ジョルネッレの肖像」(1949)
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各展示室に施された装飾も大きな見どころです。
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見応えがありました。十分満足して外に出ました。
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鑑賞中にいつしか雷雲が去って空が晴れ渡っていました。
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帰路も態々シニョレッリ通りを選んで歩きました。
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毎年訪れたい所ですが、他にも行きたい所があるので、せめて2年に一回程度は来たいなあ。
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(つづく)

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この日は、クアットロ・フォンターネを見てからベルベリーニ宮に向かいました。
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クアットロ・フォンターネ通りを地下鉄バルベリーニ駅方向に歩きました。
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通りの右側にバルベリーニ宮が見えてきました。
イタリアの国立美術館や国立博物館で写真撮影(ノーフラッシュ)が解禁になったのは、2014年5,6月でした。毎年訪れている美術館で、行く度に全展示作品の写真を撮ってますが、展示作品が微妙に変わっていることが分かりました。
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この場所は、スフォルツァの所有でしたが、1625年、財政難に直面していたアレッサンドロ・スフォルツァ枢機卿は同じ枢機卿のマッテオ・バルベリーニに土地売却を打診しました。土地を購入したバルベリーニ枢機卿(後の教皇ウルバーノ8世)がカルロ・マデルノの設計によって、1633年に完成したのがバルベリーニ宮です。(マデルノは1629年に死去したので、ベルニーニとボッロミーニに引き継がれた)
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1949年、バルベリーニ家は政府に宮殿を売却しました。
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国立古典美術館は、1893年、コルシーニ家の寄贈によって、同家所有の収集作品を中心にコルシーニ宮にありましたが、バルベリーニ宮の政府所有に伴い、コルシーニ宮、コロンナ宮の作品に、バルベリーニ家やキージ家の収集作品を加えて規模拡大を図るためバルベリーニ宮に移転したのです。
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今回、アップする作品写真は2016年5月中旬に撮ったものです。
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入館した途端、カラヴァッジョの作品が目に飛び込んできました。この部屋はロビーのようなもので、展示室番号が付いてません。
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これがあるとは!!! 驚きました。
カラヴァッジョの「聖マッテオと天使」(1602)の写真です。
サン・ルイージ・デイ・フランチェージ教会コンタレッリ礼拝堂に描かれたカラヴァッジョの聖マッテオ三部作の一つ「聖マッテオと天使」の第1作です。現在、教会にあるのは第2作です。
聖マッテオと天使との絡みがエロチックとの理由で、第1作は受け取りを拒否され、第2作が描かれました。第1作は、ベルリン美術館にありましたが、第二次世界大戦中の1945年、消失してしまいました。
残されているのは白黒写真のみです。
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展示室天井
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ジローラモ・ムツィアーノの「十字架を担ぐキリスト」
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シピオーネ・プルツォーネの「ティツィアーノの『教皇パオロ3世の肖像』の複製画」
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ローマ時代(1世紀)の「ガラティア人」の複製彫刻(制作者不明)
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ジローラモ・ムツィアーノの「聖マッテオと天使」
1565年、マッテオ・コッタレッリがサン・ルイージ・デイ・フランチェージ教会コッタレッリ礼拝堂の祭壇画としてジローラモに注文した作品で、カラヴァッジョのサン・マッテオ三部作以前には、この作品がコッタレッリ礼拝堂を飾っていたのです。
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第1室です。
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磔刑像とイコンが展示されてます。
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バルベリーニ宮に元々あった作品のようです。(詳細不明)
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11世紀後半のローマの画家による「祈る聖母とキリスト」(1050‐75)
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13世紀中ごろのルッカの画家による「磔刑像」
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シメオーネとマキローネ(13世紀中ごろにスポレートで活動)の「磔刑像」
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アルベルゴ・ソ―ティオ工房(13世紀初頭に活動)の「磔刑像」
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Maestro del Bigallo(フィレンツェで1225‐1265活動)の「磔刑像」
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第2室に移ります。
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格段に見易くなりました。
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装飾が欠落している展示室天井
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パオロ・ヴェネツィアーノの追随者による「聖アンドレア・アポストロと洗礼者聖ジョヴァンニ(ヨハネ)」(14世紀中ごろ)
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ヴェネトのビザンチン画家の「聖シピリアーノと聖エラーズモ」(14世紀前半)
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ジョヴァンニ・ダ・リミニの「キリストの物語」
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ジョヴァンニ・バロンツィオの「キリストの受難」
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Maestro dell'Incoronazione di Urbino(14世紀前半にウルビーノで活動)の「洗礼者聖ジョヴァンニ(ヨハネ)の誕生」(1423)
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シモーネ・デイ・クローチフィッシ(ボローニャで1355‐1399活動)の「三翼祭壇画」
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マルケ出身の画家の「祈る司教聖人」(14世紀末—15世紀初頭)
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バルトロ・ディ・フレディ(シエナ、1353‐1410活動)の「聖母子」
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Maestro di San Davino(14世紀末—15世紀初頭に活動)の「6聖人(聖ピエトロ、福音書記者聖ジョヴァンニ(ヨハネ)、聖アンドレア、聖フィリッポ?、聖シモーネ?、聖トッマーゾ?)」
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14世紀後半のウンブリアの画家による「聖母戴冠と天使たち」
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Maestro dei San Paolo Perkins(14世紀前半活動)の「祈るキリスト」
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Maestro della Madonna di Palazzo Venezia(14世紀前半活動)の「聖母子」
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ニッコロ・ディ・セーニャ・ディ・ブオナヴェントゥーラ(シエナ、1331‐1348活動)の「聖母子」
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セーニャ・ディ・ブオナヴェントゥーラ(シエナ、1298‐1331活動)の「聖母子」
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第3室です。
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部屋に入った途端「フィリッポ・リッピの作品がある」と思わないといけませんね。
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展示室の天井
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フィリッポ・リッピの「受胎告知と2寄進者」
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ニッコロ・ディ・ピエトロ(ヴェネツィア、1394‐1427活動)の「聖母戴冠」
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ミケーレ・ジャンボノ(トレヴィーゾ、1420‐1462活動)の「聖母子」
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フィリッポ・リッピの「タルクイニアの聖母」
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次は第4室です。
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ウンブリアとマルケの画家たちの作品が展示されてます。
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天井のフレスコ画
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ピエトロ・アラマンノの「大天使ミケーレと聖ピエトロ」
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ペルジーノの「聖フィリッポ・ベニッツィ」
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ペルジーノに帰属する「悔悛の聖ジローラモと幼きキリストと聖ジョヴァンニーノ」
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ラッファエッロ・サンツィオに帰属する「若者」
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ニッコロ・ラルンノ(フォリーニョ、1430c‐1502)の「玉座の聖母子と4聖人(聖フランチェスコ、洗礼者聖ジョヴァンニ(ヨハネ)、聖ジローラモ、聖キアーラ)」
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ベルナルディーノ・ディ・マリオット(ペルージャ、1478c‐1566)の「聖ロレンツォと聖アンドレア」
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ロレンツォ・ダレッサンドロ(サン・セヴェリーノ・マルケ、1445c‐1501)の「聖母子と聖フランチェスコと聖セバスティアーノと天使たち」
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ルーカ・ディ・パオロに帰属する「祈る2天使」
(つづく)