イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 BY:シニョレッリ

2017年05月

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ヴェルナッツァの続きです。


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冬のマルコーニ広場は、観光客がチラホラといるだけですが、夏場は混雑し過ぎのようです。


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暑さに弱いので、盛夏にイタリアに行ったことがあまりありません。


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6月初旬にマルコーニ広場に来たことがありますが、ピーク前とは言え、狭い海岸は海水浴客で溢れ、広場はうんざりするほどの大混雑でした。


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その時、困ったのが食事でした。
全てのレストランが営業していましたが、供給が需要に追い付かない状態で、どの店も行列が出来ていました。2時間待ちはざらで、待つのが大嫌いな私はジェラートを食事の代わりにして飢えを凌ぎました。


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人気の観光地にしては、宿泊施設や食堂が少ない気がします。冬は休業している所が多く、夏場は混雑し過ぎなので、予め準備しておく必要があろうかと思います。


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宿泊する場合は予約必須でしょうね。


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シャッケートラは美味しいですが、高価過ぎます。スーパーなどで買っても€40以上ですから、レストランで頼むと大変なことになります。


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新鮮な魚料理が名物ですが、何日も海が荒れて出漁できないときに偶然訪れると悲劇です。


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この時がそうだったのです。酷い店となると、何も言わないで冷凍魚を使った料理を平気で出すと聞いたことがあります。


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駅にやって来ました。


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駅を超えて山側に行ってみることに。


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反対側に出ました。


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線路の下をくぐっただけですが、その先は随分感じが違います。


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小さな公園にヘンテコなモニュメントを発見!


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これは何でしょうか?
作者が記され、車輪の芸術作品ですと! 参ったなあ。


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振り返るとTorre di Avvistamento(監視塔)が見えました。


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上の方に上りヴェルナッツァを眼下に一望したいと思いました。


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先に進んでも、それほど変化がある景色の場所に辿り着けません。


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斜面の葡萄畑を上るか、高い場所に建っているサン・フランチェスコ教会に行けば何とかなるだろうと思いました。


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タベルナコロを発見!


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これですね。


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一目散に監視塔を目指すべきでした。


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この道を上りましたが視界が開けません。


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ところが途中で雨が落ちてきたのです。


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サン・フランチェスコ教会に上っても良かったのです。でも後の祭りでした。


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二兎を追う者は一兎をも得ずになってしまいました。


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雨が降ってきましたが、傘を差すほどではありません。


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5つ目の村モンテロッソに行くつもりでしたが、次の列車まで少し時間があったので、駅近くの路地を歩くことにしました。


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この奥の路地は更に狭くなります。


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変なモノを売っている店がありました。


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こういったものを売っていました。こんなものを買う人がいるの?と思っていたら、梱包された重そうなものを下げた観光客が店から出て来たのでビックリしました。どうやら買ったようでした。
チンクエ・テッレで最も印象に残ったのはこのお店でした。


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駅に戻りました。


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小雨が降っていました。


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列車が時刻通りに来ました。


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モンテロッソ駅に到着しました。


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駅舎


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海は荒れていました。


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雨は降っておらず、薄日が差してました。


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夏は海水浴で賑わう浜辺です。


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駅に向かって左はホテルが並んでます。チェントロは向かって右の方にあります。


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チェントロに向かいました。


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チェントロは700mほど先になります。


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(つづく)




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次はヴェルナッツァです。


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到着しました。プラットホームの大部分がトンネル内にあります。


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5つの村の中で観光客が最も多いかもしれません。


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ヴェルナッツァは、人口848人(2015年12月31日現在)のリグーリア州ラ・スぺツィア県にあるコムーネです。コルニリアはこのコムーネの分離集落です。


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海へと続くローマ通りです。


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タベルナコロを発見!


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うーん、チョット趣味ではないなあ。


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少し歩けば、もう海岸です。


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あの教会は大体開いているので慌てる必要がありません。


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教会は開いていました。予想通りです。


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サンタ・マルゲリータ教会です。聖マルゲリータですが、アンティオキアとコルトーナ出身の2人の聖女がいます。ここはアンティオキア出身の聖マルゲリータに奉献されてされているので、区別するためにサンタ・マルゲリータ・ディ・アンティオキアと呼ばれてます。


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前日よりも海は凪いでいましたが、出漁する船が少ないのは観光客が少なくて需要があまりないからでしょう。


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路地に入り込みました。


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路地は風情があります。


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ローマ通りに戻りました。路地はローマ通りに通じるようになっているようです。


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観光スポットのマルコーニ広場です。


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現在地にバジリカ様式の教会が既に11世紀にあったとされています。それが前身です。13世紀に再建され、1318年に完成したロマネスク様式の建物が現在の姿の原型とされてます。


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教会はその立地上の問題を抱えていました。


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立地上の問題をモノともせず、16世紀から拡大工事が始められ、18世紀に完了しましたが、その途中の1750年にバロック様式に改造されました。その当時の教会の出入り口は現在の出入り口の反対方向、つまりファサード側にありました。
現在の出入り口はマルコーニ広場に面した後陣側にありますが、19世紀に設けられました。その際、外観も現在のロマネスク様式に戻されて現在に至ってます。


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高さ40mの鐘楼の横前にも小さな鐘楼があります。


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入口から階段を上ると右側廊に出ます。


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三廊式、ロマネスク様式の内部です。


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簡素な造りです。


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簡素なのは造りだけではなく、装飾も簡素です。


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木製の天井です。天井は幾度となく張り替えられ、現在のものは1964年と1970年に交換されたものです。


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左側廊


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右側廊です。


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この教会の立地から構造上の問題を孕んでいるのが右側壁なのです。


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右側壁の所々は素通しになってます。


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素通しになっていので、教会内からの眺めが良いので観光客には有難いです。
教会は波打ち際に建てられてます。荒天になれば、大波や海しぶきが右側壁に押し寄せます。それを少しでも緩和するために工夫が壁の一部を素通しにすることでした。


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主祭壇


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フレスコ画や祭壇画の類いがないのは、海しぶきによる影響を懸念しているからでしょう。


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17世紀の磔刑像


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彫刻が装飾の基本のようです。


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Anton Maria Maragliano (ジェノヴァ、1664‐1739)の「聖母子」


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洗礼盤もAnton Mariaの作品です。


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夏は涼しい風が吹き込んで心地よいと思いますが、冬の寒い日のミサは大変でしょうね。


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海が荒れているときは更に大変でしょうね。


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外に出ました。


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他の場所に教会を建てても良かったと思うのですが・・・・


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この写真を見れば、数えきれないほど修復されたことが分かりますね。どんなに強く作った壁でも押し寄せる高い波には無力でしょう。


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まあ観光客は余計な事を考えないで景色を楽しめばよいのです。


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教区教会がドゥオーモと呼ばれる場合がかなりありますが、ここでは呼ばれていないようです。


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(つづく)

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広場からVia Renato Birolliに降りました。


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港に船を係留する場所が十分にないので、道路に船が置かれてます。


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昼食には少し早い時間でしたが、食べました。冬場なので殆どの店が休業中、それに対して観光客が結構いたので、食事難民に陥る可能性がありました。開店していた店は何処も大繁盛でした。


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食べ終わって外に出ました。お味は論評に値せずでした。
悪天が続いて漁に出ることが出来なかったようで、新鮮な魚介類がなかったせいです。冷凍ものならあると言われたのですが、ご遠慮申し上げました。


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海に船の姿がありません。


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これでは魚が無いわけです。


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開店しているお店が少なく需要が少ないことも、無理して漁に出ない理由でしょう。


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新鮮な魚介料理を楽しみにしてましたが、当てが外れました。


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この上に教会がありますが、この時間は閉まっているのでパス


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駅に戻って、鉄道でコルニリアに向かうことにしました。


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シャケトラ博物館は、昼食で飲んだワインが効いているので、パスしました。


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ワインを1本飲み干すと堪えるようになりました。


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何でしょうか、これ。


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トンネルを通って駅に向かいました。


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列車は頻発しています。


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コルニリア駅に到着しました。列車はかなり混雑していましたが、ここでも大勢の観光客が下車しました。


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駅舎


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駅のホームからマナローラが見えました。


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コルニリアは、チンクエ・テッレで最も人口が少ない村ですが、行政上はヴェルナッツァのコムーネに属し、同コムーネの分離集落Frazioneです。


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5つの村で唯一海に面しておらず、かなり高い場所に位置してます。駅から若干距離があり、バスがありますが、この日は徒歩で上ることにしました。


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酔っぱらっていたので、この上りはキツカッタ!


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バスを利用すれば良かったと後悔しましたが、後の祭りでした。


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マナローラがよく見えました。


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マナローラの向こうに突き出た半島はリオマッジョーレでしょう。


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山の斜面は葡萄畑になってます。


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振り返ると駅が遠くに見えました。


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急斜面です。息が上がりました。


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雲行きが怪しくなってきました。


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まだ晴れているところもありました。


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苦労して上りましたが、それほど見どころがあるわけでもありません。


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サンタ・カテリーナ教会


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あちこち歩きました。


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有難いことに天気が回復してきました。


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丹念に見ても1時間もあれば見尽くせます。


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1334年創建のゴシック様式のサン・ピエトロ教会です。教区教会でもあります。


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駅に戻ることにしました。


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今度はバスが通っている道を徒歩で下りました。


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バスが下ってくるのが見えました。あれに乗れば良かったと後悔。


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マナローラがよく見えました。


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駅に辿り着きました。


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ラ・スぺツィア行の列車が到着しました。
(つづく)

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サン・ロレンツォ教会の拝観です。


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1338年創建、ゴシック様式の建物です。創建以来、外観が変わるような修復が行われなかったので、今なお創建時の姿を留めているそうです。


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創建以来、聖ロレンツォに捧げられた教会ですが、Chiesa della Nativa di Maria Vergine とも呼称されてます。


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地元産の砂岩で出来たファサードです。


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教会は教皇インノチェンツォ4世広場に面して建ってます。生家は残されていませんが、教皇インノチェンツォ4世はマナローラのこの地で生まれたとされており、広場の名称はそれに因んで名付けられてます。


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バラ窓


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フレスコ画があったと思われるルネッタ


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古代の遺跡の上に建てられた鐘楼です。鐘楼からの眺望が見事ですが、今は一般の人が登れないようです。


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鐘楼の後ろは眺望が開けているので、鐘楼に上れなくても絶景を十分楽しむことが出来ます。


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三廊式の内部です。


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ゴシック様式ですが、17世紀の改修の際、一部バロック様式に変更されました。


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左側廊


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マナローラの見所とされる教会ですが、観光客の姿を見かけることは滅多にありません。


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右側廊


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天井


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天井に描かれた「聖ロレンツォのフレスコ画」(15世紀)


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主祭壇


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小型の「彩色磔刑像」(15世紀後半)


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14世紀の主祭壇画


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後陣左の礼拝堂


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後陣右の礼拝堂


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Maestro delle Cinque Terre の「聖ロレンツォと聖アントニオ・アバーテと聖ベルナルディーノ」(15世紀)


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詳細不明


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詳細不明


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詳細不明


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創建時の柱


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質の高い祭壇画があるので、美術的に楽しめる教会です。


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床は新しそうに見えました。


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ファサード裏にオルガンが設置されてます。


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私が外に出るまで地元の人は誰も訪れませんでした。


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広場に面して教会らしい建物があります。調べましたが良く分かりません。


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広場の建物


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鐘楼の後ろからの景色を楽しみました。


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山の方に向かいました。


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ブドウ畑が続くだけでした。


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海岸のほうに下りて行って食事をすることに。


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上ってきた時と同じ道を歩いてはつまらないので、下りは路地を通りました。


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車の進入が難しそうな細い道です。


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何のことはない、すぐに上ってきた道、Via Antonio Discovolo に戻ってしまいます。


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検討したけれど宿泊しなかったB&Bの横に出ました。


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海岸に向かうには、結局この道しかありませんでした。


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FSの線路を超えます。


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ホテルです。


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階段の上の広場


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Via Renato Birolli


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(つづく)


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愛の小道の”柵”まで行ってみることに。


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2012年に歩行中の観光客が地滑りのため負傷したのですが、その後の大雨によって道路が不通となったのを機に全面通行止めとなった愛の小道です。
2015年にほんの一部だけ開通したそうです。
最新情報が分かりませんが、全面開通の可能性はかなり低いと思います。


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「一部開通部分」とは、ここのことでしょうか?


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柵のある所までは数百メートルの距離しかありません。


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対岸に、先ほど通ってきた、村役場から駅へと通じる道が見えました。


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波が荒い。


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柵の所に来ました。


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愛の小道です。
修復が難しい崩落個所がある上に、崩落、落石の危険性があるそうです。


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ここまでしか来ることが出来ません。


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愛の絆の鍵?


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戻るよりありません。


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リオマッジョーレ~マナローラ間を、愛の小道を歩いて行き来したことが2回あります。
その時の写真を載せましょう。


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2012年2月です。観光客4人負傷したのは、この年の9月24日でした。


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この時も波が荒かった。


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2月だったので、観光客が殆どいませんでした。


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落石防止のためでしょうか、トンネルが設けられてます。


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歩いていて危険を感じことがありません。


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愛の小道のシンボルです。


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休憩所が途中にありました。


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こんな所でしょうね。
話を元に戻します。


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何が描かれているのでしょうか?
愛の小道の道路敷設工事の様子でしょうか?


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駅に戻りました。


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鉄道でマナローラに向かうことにしました。


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プラットホームの一部がトンネル内にあります。


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列車を待つ人は少なかったのですが・・・・


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所が急に人が多くなったのです。チンクエ・テッレは人気があります。


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僅か数分の乗車でマナローラ駅に到着しました。


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駅舎です。(無人駅)


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正午前なので、教会の拝観を優先しました。


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教会は高い場所にあるので、歩道トンネルを通って山側に出ます。


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マナローラは、東端のリオマッジョーレから西へ1駅の所にあり、5つの村の中でコルにリアに次いで小さな村と言われてます。
行政上は、リオマッジョーレのコムーネに属する分離集落Frazione です。Frazioneの概念としては、「村」が適当でしょうか。


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Via Antonio Discovolo


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鐘楼は、これから行こうとしていたサン・ロレンツォ教会のものです。


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坂道を上ります。


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振り返って撮った写真です。


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マナローラの山側は少々面白味に欠けます。


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ここにいると足腰が鍛えられます。


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山の斜面の葡萄畑


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通りのあちこちにB&Bがあります。


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この時の旅で泊まろうかと検討したB&Bです。


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夏場だけ営業するB&Bが殆どですが、ここは通年営業しています。


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選択しなかった理由は、マナローラで夜オープンしているレストランがなかったからでした。


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教会は右上にあります。


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サン・ロレンツォ教会です。


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教区教会、Parrocchia ですが、ドゥオーモと呼ばれていないようです。


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ファサード前は全景ポイントです。


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ファサード前に寝そべっていたニャーゴ


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(つづく)

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ジェノヴァ共和国が1260年から築き始め16世紀に完成したカステッロです。


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夏場は中に入ることが出来ます。


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カステッロの横にサン・ロッコ祈祷所が建ってます。1480年に建設されたそうです。


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主祭壇画のトリッティコが見どころですが、この日は扉が閉まったままでした。


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カステッロの周りは公園になってます。カステッロはチェントロの最高点にあるので、この公園は絶景ポイントの一つとして知られてます。


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公園は断崖の上にあるので、雨天の日は特に足元にご注意を!


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閉鎖中の愛の小道が見えました。


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十二分に絶景を楽しむことができました。雨が上がって本当に幸運でした。


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次はMunicipioです。


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先ほどと同じ道を下りました。


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レモンの木


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ドゥオーモの鐘楼が見えました。


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この下に村役場があります。


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ある程度若くないとチョンクエ・テッレを歩き回るのは難しいと思うようになりました。


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教区教会広場手前の右の道を下れば村役場に出ます。


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この時が区教会の見納めとなりました。


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カステッロに向かう道の一本下の道を進みました。


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村役場に向かって左側は視界が開けてます。


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車が辛うじて進入できる細い道です。


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村役場の分庁舎


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本庁舎はこの先の建物です。


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Municipio


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ムラーレスが描かれてます。


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趣味ではないなあ。


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やり過ぎ?


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階段を上り、Municipio の入り口扉から撮りました。


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海岸近くの村人がここまで登って来るのは大変でしょうね。


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村役場と駅を結ぶ道路です。この道からの眺めが素晴らしいことでよく知られてます。


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愛の小道はまだ閉鎖中でしょうか?そうであるならば、その間、その代替えに十分なりえる道と思います。


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観光客が殆ど通らない道のようです。


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愛の小道です。


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柵が設けられ その先に進めないようになっているようです。


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駅が見えてきました。


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駅の上に来ました。


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エレベーターは運転休止でした。


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駅舎


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坂道を一気に下りました。


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駅はこの先です。


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(つづく)

リオマッジョーレの続きですが、今回はドゥオーモが中心です。
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リオマッジョーレは、ラ・スぺツィア‐サルザーナ‐ブルニャート司教区に所属しています。(司教座教会はラ・スぺツィアにあります)


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正式名称は、Parrocchiale di San Giovanni Battista 、教区教会、ドゥオーモです。


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リオマッジョーレのチェントロの高い場所に建ってます。


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1340年創建、14世紀後半に完成したロマネスクとゴシックの折衷様式の建物が原型ですが、現在に至るまで数度の改修改造が行われましたが、1870年から1871年に行われたネオ・ゴシック様式へと改修された後の建物が現在の姿となってます。


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鐘楼


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創建時の姿を留めるバラ窓


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ルネッタに描かれたフレスコ画は傷みが激しく、何が描かれていたのかさえも分かりません。


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19世紀後半のもの?


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創建時のロマネスク・ゴシック様式の構造を維持している内部です。


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三廊式で、左側廊の中央付近に翼廊があります。


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しかし、右側には翼廊がありません。


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左側廊


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右側廊


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天井


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1530年に制作された説教壇


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12


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主祭壇


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後陣に掲げられた「聖母被昇天」


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後陣右側の礼拝堂


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詳細不明


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詳細不明


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ベネデット・アンテラミに帰属する彫刻


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後陣左側の礼拝堂


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詳細不明


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ドメニコ・フィアセッラの「洗礼者聖ジョヴァンニの説教」


13
Maestro delle Cinque Terre 工房の「聖母子と聖ロッコと聖セバスティアーノ」


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オルガンがファサードの裏側に設置されてます。


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祭壇前から見た出入口


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外に出ると海が見えました。


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明け方まで降った雨でテラスが濡れてます。


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山の方


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次はカステッロです。


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崖に寄り添って建っている集合住宅


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見張り台の役目もしていたカステッロなので、高い場所にあります。


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細い道を上りました。


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時計が見えてますが、カステッロです。


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時計の時刻は狂ってました。(動いていました)


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(つづく)


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前泊地はラ・スぺツィアでした。


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この日はリオマッジョーレで泊まります。


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鉄道で移動しました。


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リオマッジョーレは、人口1,576人(2015年12月31日現在)のリグーリア州ラ・スぺツィア県にあるコムーネです。5つの村から成るチンクエ・テッレですが、隣のマナローラはリオマッジョーレのコムーネにあります。


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駅の一部はトンネル内にあります。


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駅の下の海は大荒れでした。


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先ず、この日のお宿に向かいました。


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愛の小道は相変わらず閉鎖されていました。


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駅舎


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観光案内所で地図を頂戴しました。


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リオマッジョーレのチェントロはトンネルの先にあります。


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トンネルを潜り抜ければチェントロです。


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コロンボ通り


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通りを上りました。


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写真では坂の勾配が分かりませんが、かなりきつい傾斜です。


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意外に距離があるので驚きました。数年前に泊まった時は、坂とか距離なんて全く気にならなかったので、今回は気になったのはそれだけ歳を取ったのでしょう。


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振り返って写真を撮りました。


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2月なので観光客が殆どいませんでした。


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鐘楼が見えたので、この日のお宿は直ぐ傍にあります。


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教会を通り過ぎれば、この日のお宿です。


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到着しました。冬場は休業中のホテルやB&Bが多いチンクエ・テッレですが、ここは通年営業しています。


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荷物をフロントに預けました。朝早くなので、部屋は未だ用意出来ていませんでした。


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坂の下まで戻って村歩きを再開しました。


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今度は坂が全然気にならず。


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今度はゆっくり拝観できます。


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トラックが邪魔です。しかし、救急車は何時もこの場所に駐車しています。


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16世紀に建設されたサンタ・マリア・アッスンタ祈祷所です。


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この祈祷所の詳細ですが、調べても分かりません。


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ファサードにある彫刻


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鐘楼


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単廊式の簡素な内部です。


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左側壁


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右側壁


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主祭壇のトリッティコが知られてますが、詳細不明のようです。


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「聖母子と洗礼者聖ジョヴァンニとグツマンの聖ドメニコのトリッティコ」


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素朴な信仰空間でした。


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外に出ました。


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この日のお宿を通り過ぎ、ドゥオーモに向かいました。


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前日の雨が、この日の明け方まで残っていました。


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ドゥオーモへの近道です。


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ドゥオーモは更に高い場所に建ってます。


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ここから上り坂になります。


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突き当りが広場です。


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写真右がドゥオーモの身廊です。


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ファサード側に行きました。


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つづく

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サルヴァトール・ローザの「戦闘」


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ボルゴニョーネ(1621‐1675)の「戦闘」


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Gerard Terborch (1617-1681)の「若い音楽家の肖像」


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Paul Brill (1554-1624) の「狩猟の帰路」


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Dirck Helmbreker (1633-1696)の「スパゲッティを食する」


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Michiel Sweerts (1617-1664)の「少年の肖像」


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Paul Brill の「善きサマリア人がいる風景」


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Lucas Van Uden (1595-1672) の「旅人がいる風景」


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詳細不明


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17世紀のフランドルの無名画家の「男の肖像」


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Paul Brill の「村人がいる風景」


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17世紀のフランドルの無名画家の「港の風景」


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ボルゴニョーネの「戦闘」


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詳細不明


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ローザ・ディ・ティヴォリ(1657‐1705)の「戦闘」
17世紀になると戦争の場面を描いた作品が流行するようになりました。


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17世紀のフランドルの無名画家の「戦闘」


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Sebastian Bourdon (1617-1671) の「戦闘の後」


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ヴァン・ダイク派無名画家の「男の肖像」


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音楽の部屋


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ジョヴァン・ジョセッフォ・ダル・ソーレ(1654‐1719)のフレスコ画


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マッテオ・ディ・ジョヴァンニの「聖母子」
少なくてもシエナ派の作品ではないと思います。フランドルの画家の作品?


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マルカントニオ・キアリーニ(1652‐1730)の「この人を見よ」


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詳細不明


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次の部屋です。


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天井のフレスコ画


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Salotti di Parata


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タペストリー独特の臭気があります。


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アントニオ・フランキ(1638‐1709)の「ポンぺオ・グアスパリーニョの肖像」(17世紀末)


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絵画や彫刻よりも各部屋の装飾の方が魅せます。


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次の部屋です。


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アントン・ヴァン・ダイク(1599‐1641)の「聖家族と聖アンナ」


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ピエトロ・パオリーニ(1603‐1681)の「焼き栗売り」


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フェルディナンド・ボル(1616‐1680)の「イサクの犠牲」(1646)


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チゴリ(1559‐1613)の「祈る聖フランチェスコ」


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詳細不明


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ピエトロ・パオリーニの「肉屋」


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次の部屋です。


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ジョヴァンニ・マリア・チョッキのフレスコ画


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フラ・バルトロメオに帰属する「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」


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17世紀のカラヴァッジェスキ無名画家の作品


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コジモ・ロッセッリの「聖母子」
素人目にはコジモの作品ではないような・・・・・
作品帰属は専門家に任せるよりありませんが、マンスィ宮の作品帰属については疑問を禁じえない場合があります。


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寝室


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台所だった部屋


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ジョヴァンニ・マリア・チョッキの「アポロの勝利」(17世紀末)


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この先にも部屋があります。


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ピエトロ・ノッキ(パルマ、1783‐ルッカ、1854)の「ランゴバルド王の功徳」(1845)


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アゴスティーノ・トファネッリ(ルッカ、1770‐ローマ、1814)の「エステルとアマンノ」(1820)


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アゴスティーノ・トファネッリの「アシュロとエステルとアマンノ」(1818)


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ガスパーレ・ランディ(ピアチェンツァ、1754‐ローマ、1830)の「テレーザ・バンデッティーニの肖像」


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ピエトロ・ノッキの「オルスッチ家の人々の肖像」


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二コラオ・ランドゥッチ(ルッカ、1801‐1868)の「カルロ・プッチの肖像」(1835‐40c)


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ミケーレ・マルクッチ(ルッカ、1845‐1926)の「ジュリオ・チェーザレの死」(1880‐85c)


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二コラオ・ランドゥッチの「聖母子と聖ロッコと聖ズィータ」(19世紀中頃)


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ルイージ・ノルフィーニ(ピストイア、1825‐ルッカ、1909)の「クレメンテ7世」


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ミケーレ・マルクッチの「ドメニコ・ベルティーノに自作を見せるマッテオ・チヴィタ―リ」(1875‐80c)


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19世紀の無名画家の「サヴォイアのマルゲリータの肖像」


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ルイージ・デ・セルヴィ(ルッカ、1863‐1945)の「出会い」(1906)


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アウグスト・パッサリーア(1837‐1918)の「フェリチータ・グエッレーロと息子の彫像」
 


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外に出ました。


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じっくり見るには、もう少し時間が欲しかったと思いながら絵画館を後にしました。
(おわり)

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フェデリーコ・バロッチ(ウルビーノ、1535?‐1612)の「幼少のフェデリーコ・ウバルド・デッラ・ローヴェレの肖像」


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Guidto Sustermans の「オーストリアのマリア・マッダレーナの肖像」


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アレッサンドロ・アッローリ派画家の「ビアンカ・カッペロの肖像」


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Giusto Sustermans の「レオポルド・デ・メディチ枢機卿の肖像」


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詳細不明


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次の部屋です。


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ロ・スキアヴォーネ(1522‐1563)の「悔悛のマグダラのマリア」


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ジョアッキーノ・アッセレート(1600‐1649)の「聖ステファノの石打刑」


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制作者不詳の「聖家族と洗礼者聖ジョヴァンニ」


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制作者不詳の「コッレッジョ作『聖母子』の複製画」


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ピエトロ・リベリの「貴婦人の水浴」


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制作者不詳の「マギの礼拝」


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ランベルト・オストリス(1515‐1568)の「Moltiplicazione dei pani e dei pasci 」


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ボニファチョ・ヴェロネーゼ派画家の「聖家族とアレッサンドリアの聖カテリーナ」(16世紀)


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誰の作品でしょうか?


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ソドマの作品となってますが、ソドマの画風とは明らかに違います。ドメニコ・ベッカフーミ?


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17世紀のトスカーナの無名画家の「聖母子」


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これはどう見てもアンドレア・デル・サルト風です。


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ヴァザーリの作品とは到底思えません。マンスィ宮の説明プレートにはおかしな点が沢山あります。


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制作者不詳の「ゲッセマネ園の祈り」


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ミケーレ・ディ・リドルフォ・デル・ギルランダイオ(1503‐1577)の「洗礼者聖ジョヴァンニ」


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ベルナルディーノ・リチーニオ派無名画家の「マギの礼拝」(16世紀)


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パルマ・イル・ジョーヴァネ派無名画家の「羊飼いの礼拝」(16世紀中頃)


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詳細不明


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16世紀中頃のトスカーナの無名画家の「男の肖像」


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ティントレットの「男の肖像」


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ティントレット派無名画家の「男の肖像」(16世紀)


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ザッキア・イル・ヴェッキオの「自画像」(1519)


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詳細不明


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フランチェスコ・アヴァンツィの「聖母子」(1598)


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Jan Miel (1599-1663)の「イタリア式じゃんけん」


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フィリッポ・ナポレターノ(ナポリ、1587c‐ローマ、1629)の「水車がある風景」


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Dirck Helmbreker (1663-1696)の「ドーナツ売り」
今日は時間がないので、この辺で終わりにしましょう。
(つづく)

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現在、マンスィ宮が建っている場所には、16世紀に建設されたルネサンス様式の建物が幾つかありましたが、1616年、絹製品を取り扱うルッカの豪商アスカニオ・マンスィによって買収されました。


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17世紀中頃、アスカニオの息子ルッケーゼは、住居の改造増築に乗り出し、建築家ラッファエッロ・マッツァンティを雇用して、完成したのが現在のバロック様式のマンスイ宮の建物です。


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18世紀中頃のマンスィ家当主ルイージがパラッツォ内部の改装を行いました。現在見る内装は18世紀中頃に行われた改装後のものです。


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1960年代初めに、当時の当主ラッファエッロ・マンスィ・オルセッティは、建物とマンスィ家の収集物の一般公開を始めましたが、それがこのMuseoの前身です。
1965年、ラッファエッロが没しますが、彼の子供たちは今後ともマンスィ家で維持管理を継続するのは無理と考え、イタリア国家に売却し、それに伴いマンスィ宮国立絵画館として発足したのです。
2015年の年間入館者は11,937人でした。


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「宮殿」ではなくパラッツォ・マンスィです。


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中庭


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パラッツォの内装が最大の見どころでしょう。


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ロココ調の内装が中心なので、私の趣味からやや外れます。


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詳細不明


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展示の質ではグイニージ邸国立博物館の方がかなり勝ります。


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各部屋に説明板が置かれてます。


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フランス人の御一行様


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サルヴァトール・ローザ(1615‐1673)の「戦闘」


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展示作品の質は普通でしょう。
説明シートがあるので、それと突き合わせて作品を見ることになります。


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フランチェスコ・バッサーノ・イル・ジョーヴァネ(1548‐1592)の「ゲッセマネ園の祈り」


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ヤコポ・リゴッツィ(ヴェローナ、1547‐フィレンツェ、1627)の「聖ジャチントに顕現する聖母」


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フランチェスコ・フリーニ(フィレンツェ、1603‐1646)の「魔女」


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オラツィオ・ジェンティレスキ(ピサ、1563‐ロンドン、1639)の「マグダラのマリア」


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ローザ・ダ・ティヴォリ(フランコフォルテ、1657‐ローマ、1706)の「羊飼いがいる風景」


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サルヴァトール・ローザの「戦闘」


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ルティーリオ・マネッティ(シエナ、1571‐1639)の「ダヴィデの勝利」


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フェデリーコ・ズッカリ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1542‐アンコーナ、1609)の「自画像」


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ドメニコ・ティントレット(ヴェネツィア、1560‐1635)の「ヴェネツィアの元老院議員の肖像」


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ティツィアーノの領域の「聖家族とアレッサンドリアの聖カテリーナ」


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フランチェスコ・モンティ(ブレーシャ、1646‐ローマ、1712)の「戦闘」


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P1840593
ローザ・ディ・ティヴォリの「羊飼いのいる風景」


P1840595
ヴェントゥーラ・サリンベーニ(シエナ、1568‐1613)の「アレッサンドリアの聖カテリーナ」


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カルロ・ドルチ(フィレンツェ、1616‐1686)の「聖アントニオ・アバーテ」


P1840601
ヤコポ・ヴィニャーリ(プラートヴェッキオ、1591‐フィレンツェ、1664)の「トビアスと大天使ラッファエーレ」


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バルトロメオ・サルヴェストリーニ(フィレンツェ、1599c‐1633c)の「ダヴィデ」


P1840607
ジョヴァンニ・バルドゥッチ(フィレンツェ、1560‐ナポリ、1631)の「ゲッセマネ園の祈り」


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ロムーロ・パンフィ(フィレンツェ、1632‐1690)の「入り江の風景」


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制作者不詳の「ティントレット作『聖マルコの奇跡』の複製画」


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セバスティアーノ・リッチ(ベッルーノ、1659‐ヴェネツィア、1734)の「税関」(1706)


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ドメニキーノ(ボローニャ、1581‐ローマ、1641)の「サムソンの勝利」


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ドメニコ・ベッカフーミ(シエナ、1486c‐1551)の「シピオーネの自制」


P1840624
ピエトロ・テスタ(ルッカ、1611‐ローマ、1650)の「ガラテアの勝利」


P1840625
ルーカ・ジョルダーノ(ナポリ、1634‐1705)の「聖セバスティアーノ」


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モラッツォーネ(1573‐1626)の「受胎告知」


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ロムーロ・パンフィの「風景」


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肖像画ばかりが展示されている部屋です。


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Giusto Sustermans (1597‐1681)の「若い貴婦人の肖像」


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Giusto Sustermans の「ジャン・カルロ・デ・メディチ枢機卿の肖像」


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Giusto Sustermans の「フランチェスコ・マリア・スステルマンスの肖像」


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ブロンズィーノ(1503‐1572)の「コジモ1世の肖像」


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ダヴィド・テニエルス・イル・ジョーヴァネの「レオプルド・グリエルモ大公の肖像」


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ブロンズィーノの「フェルディナンド・デ・メディチの肖像」


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詳細不明


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ニッコロ・カッサーナ(1659‐1714)の「貴婦人の肖像」


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ブロンズィーノの「ドン・ガルツィア・デ・メディチの肖像」
(つづく)

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次はマンスィ宮です。


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フォッソ通りに沿って小川が流れてます。市域の拡大前は城壁を囲む堀の役目をしていた川です。


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国立博物館の鑑賞にかなりの時間を要してしまったので、急ぎました。


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このタベルナコロは知られてます。


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しかし、これの詳細が分かりません。


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城壁内のほぼ東端にあるグイニージ邸から、ほぼ西端にあるマンスイ宮までの距離は2km程でしょうか。


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マンスイ宮は国立絵画館になってます。


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国立絵画館では最低でも2時間は欲しいので、気が急きました。この日、19時30分までの開館となってますが、イタリアの美術館の多くは閉館時間近くなると、鑑賞し難い雰囲気があるので、19時前には退館した方が良いと思いました。
美術館などの係員が建物から出て退勤する時間が19時30分と捉えた方が良いと思います。


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この辺は17-18世紀の建物が立ち並んでいます。


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ルッカの道は碁盤の目とは言えませんが、ほぼ規則正しく作られています。


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見どころがある場所を大体覚えていれば、地図なしで簡単に目的地に行くことができます。


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この時はルッカに1泊しただけでしたが、見所が多いので2泊はしたいところでした。


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1泊だったので、教会めぐりが不十分に終わりました。


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サン・サルヴァトーレ教会です。


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サン・サルヴァトーレ教会は夕方遅くまで開いているので、拝観するのを後にして先を急ぎました。


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サンタ・ジュスティーナ通りまでやってきました。


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マンスィ宮はもうすぐです。


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9世紀創建のサン・マッテオ教会です。


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見たかったので、前日に電話を架けたのですが誰も出ませんでした。


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突当りがマンスィ宮です。


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じっくり見るにはやや時間が足りませんが、それでも何とか間に合いました。


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16世紀に建設された宮殿です。メディチ家の収集作品が展示されてます。
フィレンツェのウフィッツィ美術館には膨大な数の非常設展示作品を保有されていますが、それらの中で保存状態の良いものや修復が終わった作品が逐次ここで展示される予定と聞いてます。


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ここも閑古鳥が鳴いていると予想していましたが、意外にもフランス人のグループが熱心に見て回っていました。


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展示作品は多くありません。


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宮殿の装飾を見るのが主となる絵画館です。


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ルッカの国立絵画館に付いては別に取り上げます。


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やはり少し時間が足りなかったと思いました。


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当初の予定では、この後にプッチーニ生家博物館に入館するつもりでした。でも、もう閉まっている時間です。


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チッタデッラ広場


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昼食をトラットリアで腰を落ち着けて食べたのが拙かったようです。時間配分を考えると、昼食は切りピザの立食いくらいでごく簡単に済ませるべきだったのです。


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広場の中央にあるのがプッチーニ像です。


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プッチーニ生家博物館の建物


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3年ほど前は建物の修復工事のため休館だったと思います。


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またの機会に入館することにしましょう。


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プッチーニの生家の至近にサン・ミケーレ教会があります。


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この時間はもう閉まってます。


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夕暮れの時間を迎えました。


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それでも外観だけは見ました。


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サン・ミケーレ広場に立つのは1863年に制作されたフランチェスコ・ブルラマッキ(ルッカ、1498-ミラノ、1547)像です。フランチェスコはルッカ共和国の存続に尽力した政治家ですが、最後は捕われ斬首されました。


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行った先々の歴史を知ると、このような像がどのような意味を持つのかが分かります。ルッカ市民にとってフランチェスコは英雄なのです。


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次はサン・サルヴァトーレ教会です。


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この時間でも開いている筈ですが・・・・・


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やはり開いていました。


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創建は9世紀に遡ります。現在の建物は12世紀に再建された二代目のものです。


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1808年、ルッカに侵攻してきたナポレオン軍によって壊滅的な被害を受け、19世紀前半に大修復工事によって蘇ったのでやや新しく見える部分があります。


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鐘楼


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中に入ることができました。


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外は夕暮れ時でしたが、中は意外にも明るかった。


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ロマネスクの面影を残している構造ですが、19世紀前半の大改修を経たので何となく新しい感じがします。


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主祭壇


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地元ルッカ出身の画家たちの作品が並んでます。
ジローラモ・スカーリアの「受胎告知を受ける聖母」


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ドメニコ・ブルギエーリの「聖母被昇天」


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18世紀のルッカの無名画家の作品


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ジョヴァンニ・マッラッチの「聖母子と聖人たち」


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詳細不明


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19世紀の無名画家の「聖母子」


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詳細不明


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教会の扉を閉める鉦がが鳴らされました。


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外に出ました。


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サン・サルヴァトーレ広場にあるのは、ロレンツォ・ロットリーニ作の「プッポローナのフォンターナ」(1842)です。


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一旦ホテルに戻ることにしました。


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流石に疲れました。


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ここも見たかったけれど時間切れです。


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フレスコ画があります。


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ホテルに戻りました。


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さて翌朝です。


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この日も良い天気に恵まれました。


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サン・ミケーレ教会は開いていましたが、大きな荷物があったので拝観は無理でした。


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駅に向かいました。


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サン・ピエトロ門


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来年、再訪を予定しています。


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次の目的地ピサに向かいました。


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(おわり)

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アミーコ・アスペルティーニ(ボローニャ、1474c‐1522)の「天上の聖母子と聖人たち」(1510‐15)


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フランチェスコ・フランチャ(ボローニャ、1448以前‐1517)の「無原罪の御宿り」(1515?)


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詳細不明の木組み細工


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ここに来ないのは勿体ない!


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フランチェスコ・デル・ブリーナ(フィレンツェ、1541c‐1586)の「聖母子と聖ドメニコとシエナの聖カテリーナ」(1563)


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バルトロメオ・ネローニ通称イル・リッチョ(シエナ、1532‐1571記録)の「聖母の誕生」(1560‐70c)


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バッティスタ・フランコ通称イル・セモレイ(ヴェネツィア、1510c‐1561)の「嘆き」(1530‐40c)


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アレッサンドロ・アルデンティ(ファエンツァで1559から記録‐トリノ、1595)の「シビッラ・クマーナの説教」(1576c)


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ジョルジョ・ヴァザーリ(アレッツォ、1511‐フィレンツェ、1574)の「聖エウスタチョ」(1543)


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ジョルジョ・ヴァザーリの「無原罪の御宿り」(1543)


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ジョルジョ・ヴァザーリの「聖ビアージョ」(1543)


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アレッサンドロ・アルデンティの「キリストの洗礼」(1576c)


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バッティスタ・フランコ通称イル・セモレイの「ご訪問」(1550‐61c)


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16世紀中頃のルッカの無名画家の「聖母子と聖アゴスティーノと聖モニカと聖ジローラモ」(1559)


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ジョヴァンニ・バッティスタ・パッジ(ジェノヴァ、1554‐1627)の「ベテスダの池」(16世紀末)


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チゴリ(チゴリ、1559‐ローマ、1613)の「マギの礼拝」(1600‐10c)

私がヨーロッパに行くようになった最初の頃は、専ら印象派の作品ばかりを見ていました。印象派の作品がある主な美術館などに足を運んで、熱心に見ていました。何事も熱中する方の人間なので、それこそ暇を惜しんで見ていました。
それに伴い印象派画家たちの生涯や印象派形成の歴史などの本を読んで勉強をしたのですが、そのうちに印象派作品が落選してた時代に自分がいたとすれば、果たしてこれらの作品を熱心に見たであろうか、自分が熱心に見るようになったのは他人の受け売りではないのか、という疑問を持つようになりました。
それまでの本などからの受け売りの一切を排除して、数多くの印象派作品の前に立ち、自分自身の審美眼で作品を見て回りました。そうやっているうちに彼らの作品が落選した理由が理解できるようになったのです。
その結果、パトロンや教会などからの注文に基づかないで、画家自身の芸術的観点や意欲から描かれたものが独善的と思えるようになり、印象派好きから離れるようになりました。
鑑賞は、初めは本などからの受け売りから入るのは仕方がありませんが、数多くの作品の前に立ち、自己の審美眼を磨くことが基本と思います。


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フェデリーコ・ズッカリ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1540‐アンコーナ、1609)の「聖ピエトロに天国の鍵を渡すキリスト」(1593)

私がヨーロッパに行く前に知っていたイタリアの画家は、ルネサンスの三巨匠だけでした。中学校と高校の美術で習っただけでしたから。カラヴァッジョ、アンニーバレ・カッラッチ、ジョット、シモーネ・マルティーニなどは名前さえも知りませんでした。それに比べると印象派画家たちは明らかに学校で教え過ぎ、印象派偏重と思います。


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パッシニャーノ(パッシニャーノ、1559‐フィレンツェ、1638)の「身体障碍者を治癒する聖ピエトロ」(1590‐1600c)


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アウレリオ・ローミ(ピサ、1556‐1622)の「嘆き」(16世紀末‐17世紀初頭)


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ヤコポ・リゴッツィ(ヴェローナ、1547c‐フィレンツェ、1627)の「キリストの洗礼」(1594)


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ピエトロ・ソッリ(シエナ、1556‐1622)の「聖母の浄め式」(1609)


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ガスパーレ・マンヌッチ(フィレンツェ、1575-1642)の「聖キアーラの奇跡」(17世紀第1四半世紀)


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カヴァリエール・ボルゲーゼ(ルッカ、1560c-ローマ、1629)の「自由の寓意」(1611)


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ルティーリオ・マネッティ(シエナ、1571‐1639)の「オルタのベアート・サルヴァトーレの奇跡」(1635)


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ピエトロ・ソッリの「聖ピエトロの召命」(17世紀第1四半世紀)


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ガスパーレ・マンヌッチの「天上の聖母子と聖ロレンツォと聖ゲルヴァシオ」(1629)


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グイド・レーニ(ボローニャ、1575‐1642)の「磔刑とアレッサンドリアの聖カテリーナと聖ジュリオ」(1620‐30c)


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パオロ・ビアンクッチ(ルッカ、1596‐1651)の「磔刑と聖人たち」


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ジョヴァンニ・ランフランコ(パルマ、1582‐ローマ、1647)の「聖ロレンツォの殉教」(1635)


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パオロ・ビアンクッチの「祈りの聖母」(17世紀第2四半世紀)


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パオロ・ビアンクッチの「天上の聖母」(17世紀第2四半世紀)


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ピエトロ・パオリーニ(ルッカ、1603‐1681)の「ロザリオの聖母と聖ドメニコとシエナの聖カテリーナ」(1620‐30c)


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ピエトロ・パオリーニの「玉座の聖母子と聖パオリーノと聖アンドレアと聖カルロ・ボッロメオとアクイタニアの聖グリエルモ」(1630‐40c)


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ピエトロ・パオリーニの「聖ポンツィアーノの殉教」(1630‐40c)


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ピエトロ・パオリーニの「聖バルトロメオの殉教」(1630‐40c)


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ピエトロ・パオリーニの「洗礼者聖ジョヴァンニの誕生」(1636)


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ジョヴァンニ・マッラッチ(ルッカ、1638‐フィレンツェ、1703)の「煩わしさを解放する聖ウバルド」(17世紀第4四半世紀)


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アントニオ・フランキ(ルッカ、1638‐フィレンツェ、1709)の「受胎告知」(1672)


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ジョヴァンニ・マッラッチの「請願に耳を傾ける教皇マルティーノ5世」(17世紀第4四半世紀)


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ピエトロ・パオリーニの「聖グレゴリオ・マーニョの饗宴」(17世紀中頃)


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ジローラモ・スカーリア(ルッカ、1620c‐1686)の「聖ピエル・トーマ」(1661)


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ジローラモ・スカーリアの「マグダラのマリア」(1648)


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ジローラモ・スカーリアの「アレッサンドリアの聖カテリーナ」(1648)


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トスカーナの無名彫刻家の「聖パオロ」(17世紀初め)


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フィリッポ・ゲラルディ(ルッカ、1643‐1704)の「ヴィッラノーヴァの聖トッマーゾの幻視」(17世紀末)


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ジョヴァンニ・フランチェスコ・ロマネッリ(ヴィテルボ、1610c‐1662)の「洗礼者聖ジョヴァンニと聖アンドレアと聖ピエトロ」(17世紀第2四半世紀)


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アントニオ・フランキの「聖テレーザ」(17世紀第4四半世紀)


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カルロ・ベルターニ(フィデンツァ、1743‐ピアチェンツァ、1801)の「ピエトロ・ダ・コルトーナ作『聖テレーザの光悦』の複製画」(1782)


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ジョヴァン・ドメニコ・ロンバルディ(ルッカ、1682‐1751)の「マギの礼拝」(18世紀第1四半世紀)


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ドメニコ・ブルギエーリ(ルッカ、1678‐1744)の「聖母の寺院への出現」(18世紀第1四半世紀)


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ジョヴァン・ドメニコ・ロンバルディの「聖二コラオに顕現する聖母」(18世紀第1四半世紀)


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ポンぺオ・バトーニ(ルッカ、1708‐ローマ、1787)の「聖テレーザの光悦」(1743c)


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イル・ディ江チミーノ(ルッカ、1709‐1774)の「聖ヴィンチェンツォ・フェッレーリ」(1756)


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ポンぺオ・バトーニの「聖バルトロメオの殉教」(1749)


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ポンぺオ・バトーニの「シエナの聖カテリーナの光悦」(1743)


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これで終わりです。


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非常に良かった!


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(おわり)

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フランチェスコ・アングィッラ(1384‐1444記録)の「聖母子とマグダラのマリアと洗礼者聖ジョヴァンニとバーリの聖二コラと聖ロレンツォ」(1420‐30c)


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ヤコポ・デッラ・クエルチャ(1374‐1438)の「聖アンサーノ」


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ゲラルド・スタルニーナ(1387‐1409記録、1413没)の「福音書記者聖ジョヴァンニと聖パオロと聖ピエトロ」(1405c)


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ゲラルド・スタルニーナの「大天使ミケーレと聖ジャコモ・マッジョーレと洗礼者聖ジョヴァンニ」(1405c)


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バッティスタ・ディ・ゲーリオ(1414と1418記録)の「聖クイリーコと聖ジュリッタと教皇聖シスト」


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バッティスタ・ディ・ゲーリオの「聖母子のシノピエ」(15世紀第1四半世紀)


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バッティスタ・ディ・ゲーリオの「聖母子と二天使」(15世紀第1四半世紀)


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14‐15世紀のルッカの無名彫刻家の「祈るキリスト」(15世紀初め)


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Maestro di Montefloscoli(フィレンツェで15世紀前半に活動)の「裾絵の一部」(1440c)


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Maestro di Montefloscoliの「裾絵の一部」(1440c)


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Maestro di San Quirico a Guamo(15世紀中頃活動)の「玉座の聖母子とマグダラのマリアと大天使ミケーレ」(1440‐50c)


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ルッカ?の無名彫刻家の「殉教者たち」


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プリアーモ・デッラ・クエルチャ(1426‐1468記録)の「ピエタのキリスト」(15世紀第2四半世紀)


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フランチェスコ・ディ・ヴァルダムブリーノ派のルッカの無名彫刻家の「磔刑」(14世紀末)


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フランチェスコ・ディ・ヴァルダムブリーノ(シエナ、1401から記録、1435c没)の「トレンティーノの聖二コラ」


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ザノービ・マキアヴェッリ(フィレンツェ、1418c‐1479)の「玉座の聖母子と聖バルトロメオとマグダラのマリアと聖マルティーノとパドヴァの聖アントニオ」(1470‐75c)


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ボルゲーゼ・ディ・ピエトロ・ボルゲーゼ(1397‐1463記録)の「彩色磔刑像」


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バルダッサッレ・ディ・ビアージョ(1446‐1484活動)の「三位一体」(15世紀第3四半世紀)


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ボルゲーゼ・ディ・ピエトロ・ボルゲーゼの「聖ヴィンチェンツォ・フェッレーリ」(1455c)


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ジュリアーノ・ディ・シモーネとルッカの無名画家の「ご誕生」(14世紀末)


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バルダッサッレ・ディ・ビアージョの友人の「聖母子」(1465c)


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ドナテッロと協力者の「聖母子」(15世紀第1四半世紀)


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ピエトロ・ダ・タラーダの「聖母子と洗礼者聖ジョヴァンニ」(1463)


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フランドルの無名画家の「受胎告知」(1490‐1500c)


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ネロッチョ・ディ・バルトロメオ・ランディ(シエナ、1447‐1500)の「受胎告知される聖母」(1481)


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ヴェッキエッタ(シエナ、1410‐1480)の「聖母の死」(1481)


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ベルナルド・パレンツァーノ(パレンツォ、1450c‐パドヴァ、1500?)の「聖セバスティアーノ」、「聖ロッコ」(1490c)


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詳細不明の組木細工


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15世紀末のルッカの無名画家の「ご訪問」(1484以降)


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マッテオ・チヴィタ―リと協力者の「受胎告知」(1470c)


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マッテオ・チヴィタ―リ(ルッカ、1436‐1501)の「聖母子」(1480‐90c)


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マッテオ・チヴィタ―リの「聖母子」(1470c)


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マッテオ・チヴィタ―リの「聖母子」(1495c)


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マッテオ・チヴィタ―リの「VIR DOLORUM」(1487)


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ヴィンチェンツォ・ディ・アントニオ・フレディアーニ(ルッカ、1476‐1505記録)の「無原罪の聖母と聖人たち」(1502)


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ヴィンチェンツォ・ディ・アントニオ・フレディアーニの「聖母戴冠と聖人たち」(1495‐1500c)


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二コラオ・チヴィタ―リ工房の「サンティッシモ・サクラメントのタベルナコロ」(16世紀第1四半世紀)


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ヴィンチェンツォ・ディ・アントニオ・フレディアーニの「玉座の聖母子と洗礼者聖ジョヴァンニと聖マッテオと聖フレディアーノと聖ペッレグリーノ」(1487)


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ミケランジェロ・ディ・ピエトロ・メンブリーニ(ルッカ、1484‐1525記録)の「玉座の聖母子と聖ステファノと聖ジローラモ」(1495‐1500c)


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ベネデット・ダ・マイアーノ(マイアーノ、1442‐フィレンツェ、1497)の「聖アントニオ・アバーテ」(1482‐83)


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ミケランジェロ・ディ・ピエトロ・メンブリーニの「玉座の聖母子と聖アゴスティーノと聖モニカとパドヴァの聖アントニオと聖ジローラモ」(1492c)


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ミケランジェロ・ディ・ピエトロ・メンブリーニの「玉座の聖母子と聖アントニオ・アバーテと聖ピエトロと聖ジャコモと聖パオロ」(1495‐1500c)


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アンサーノ・ディ・ミケーレ・チャンパンティ(ルッカ、1498‐1532記録)の「磔刑」(1495‐1500c)


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アンサーノ・ディ・ミケーレ・チャンパンティの「聖バルバラ」(1490‐1500c)


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アンサーノ・ディ・ミケーレ・チャンパンティの」聖母子と洗礼者聖ジョヴァンニとアレッサンドリアの聖カテリーナと聖ルチアと聖ジュゼッペ」(1500c)


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ミケーレ・チャンパンティ(ルッカ、1470‐1521記録)の「聖母戴冠」、「慈悲の聖母」(1490c)


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マッテオ・チヴィタ―リの「キリスト」(1485‐90c)


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アンドレア・ディ・ジョヴァンニ・ダ・カッラーラ(ルッカ、15世紀第4四半世紀活動)の「聖シラーオの供養聖櫃」
(1489‐90)


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マッテオ・チヴィタ―リの「この人を見よ」(1485)


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16世紀前半のルッカの無名画家の「聖アゴスティーノ?」(16世紀第1四半世紀)


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ロッビア工房の「モノグランマ」(15世紀初め)


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ザッキア・ダ・ヴェッツァーノ(ルッカ、1510‐1561記録)の「聖母被昇天」(1527)


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ザッキア・ダ・ヴェッツァーノの「聖母子と聖セバスティアーノと聖ロッコ」(1530c)


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フラ・バルトロメオ(サヴィニャーノ、1472‐フィレンツェ、1517)の「永遠なる父とマグダラのマリアとシエナの聖カテリーナ」(1509)


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フラ・バルトロメオの「聖母子と聖ステファノと洗礼者聖ジョヴァンニ」(1510c)


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フラ・バルトロメオの「フラ・バルトロメオの作品を見るドメニコ会修道士たち」


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フラ・バルトロメオの「慈悲の聖母」(1515)


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フラ・パオリーノ(ピストイア、1488‐1547)の「聖母子と聖人たち」(1534)


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チヴィタ―リ派無名彫刻家の「聖フレディアーノ・マルティ―レ」(16世紀初め)
(つづく)

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上記作品の説明プレート


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ルッカのサン・ミケーレ・イン・フォロ教会にあったものです。


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ファサードにあったものです。


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13世紀前半のルッカの無名画家の「聖母子」


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ルッカの無名画家の「彩色磔刑像」(12世紀末‐13世紀初頭)


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ベルリンギエーロ・ベルリンギエーリ(1225‐1235記録)の「彩色磔刑像」(13世紀前半)


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フランチェスコ・トライーニ(1321‐1345記録)の「大天使ミケーレ」(14世紀)


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ウゴリーノ・ディ・ネーリオ(1317c‐1327記録)の「磔刑と聖人たち」(1320c)


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左から聖アグネス、マグダラのマリア


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聖二コラ、聖ステファノ


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聖ルドヴィーコ、磔刑


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大天使ミケーレ


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バルトロメオ・ブルガリーニ(1337‐1378記録)の「聖母子」(14世紀中頃)


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バルトロメオ・ブルガリーニの「福音書記者聖ジョヴァンニ」(14世紀中頃)


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14世紀中頃のルッカの無名画家の「教皇聖人」


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ジロルド・ディ・ヤコポ・ダ・コモ(1226‐1284記録)の「受胎告知」


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ジロルド・ディ・ヤコポ・ダ・コモの「聖ファウスタ」


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ティーノ・ディ・カマイーノ(1285c‐1337c)の「聖母子」(14世紀前半)


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デオダート・オルランディ(1284‐1332記録)の「聖母子」(1300c)


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デオダート・オルランディの「彩色磔刑像」(1288)


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パオロ・ダ・シエナ(1320‐1375記録)の「彩色磔刑像」(1320?)


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アンジェロ・プッチネッリ(1350‐1399記録)の「聖母子」(1390‐95c)


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アンジェロ・プッチネッリの「聖母子」(1395c)


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14世紀中頃のルッカの無名画家の「聖女たち(バルバラ、アガタ、アグネス、アポッロニア、マルゲリータ)」


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アンドレア・ピサーノの「聖母子」(14世紀第2四半世紀)


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アンジェロ・プッチネッリの「トリッティコ」(1385c)


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「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」


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「聖ピエトロと洗礼者聖ジョヴァンニ」


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「聖ゲルヴァシオと聖プロタシオ」


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ジュリアーノ・ディ・シモーネ(1383‐1399記録)の「トリッティコ」(1392‐95)


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「聖母子と二音楽天使」


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「聖アゴスティーノ、聖ステファノ」


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「トレンティーノの聖二コラ、聖ルーカ」


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ニーノ・ピサーノの「受胎告知される聖母」(14世紀中頃)


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スピネッロ・アレティーノ(1373‐1411記録)の「磔刑と聖人たち」(1395‐1400c)


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中央パネル


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教皇聖シスト、アレッサンドリアの聖カテリーナ


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聖マルゲリータ、教皇聖ステファノ


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私一人で独占!


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係員の姿もありません。


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聖歌隊席と墓


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ヤコポ・デッラ・クエルチャ工房の「アンテルミネッリのカテリーナの墓」(1422c)


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ヤコポ・デッラ・クエルチャ(1374‐1438)の「アンテルミネッリのバルドゥッチョ・パルギーアの墓」(1423?)


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レオナルド・マルティの「合唱隊席」(1452‐57)


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ルッカのドゥオーモにあった合唱隊席です。


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プリアーモ・デッラ・クエルチャ(シエナ、1426‐1468記録)の「多翼祭壇」(1430c)


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(つづく)

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サン・フランチェスコ教会の身廊の横を通り過ぎれば、直ぐに国立博物館が見えます。


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Museo Nazionale di Villa Guinigiです。
2015年の年間入館者が5,365人でした。この数字は小中学生や高校生などの団体客を含んだ人数ですから、色々と考えさせられます。
照明費、冷暖房費などの諸経費、それに見合う筈のない入館者の少なさを思えば、文化財の維持という高邁なところから、合理化、その果てにある休館さらには閉館という事態に陥っても少しも不思議ではないのです。
また、5,365人のうち、日本人の方の割合がどの程度になるか分かりませんが、このように人気薄の美術館ばかりを取り上げている私は何と馬鹿馬鹿しいことを続けていることか、と自嘲の思いに駆られることが良くあります。まあ、ブログなんてものは、自己満足、自己顕示欲の一環とされているようで、私もそう思いながらも馬鹿馬鹿しいことを続けているわけです。

このブログに来ていただき、感謝に堪えません。
実は、人気薄の美術館や教会などを取り上げているせいなのか、私のブログは人気薄です。ライヴドアのブログサイトの良い点は、アクセス解析です。それによれば一日当たりのPCとモバイルによるアクセス数は平均50台くらいですね。
それだけにアクセス頂いている方々は貴重なんです。


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博物館の入り口です。
大雨だった時を除いて、ルッカに来れば必ず入館することにしてます。


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ヴィッラ・グイニージは、13-15世紀にルッカを支配していた有力貴族の一つであるグイニージ家のパオロ・グイニージによって1430年に建設されました。
当時、この地は城壁外でした。


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15世紀第2四半世紀になると、ルッカは、それまでのグイニージ家などによる専制政治から自治権が取り戻され共和制に移行しました。
それに伴い、1430年、このヴィッラはルッカ共和国に没収されてしまいました。


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その後、ヴィッラは共和国の孤児院として使用されることになりましたが、その間、建物は幾度となく改造改修が行われました。


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ヴィッラの庭園
孤児院は20世初頭に閉鎖され、1924年、この建物にMuseo Civicoがオープンしました。これが現在の博物館の前身です。


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第二次世界大戦の爆撃によって大被害を受けましたが、資金難のためMuseo Civicoはそのまま休館が続きました。1960年代になって、国の資金によって漸く修復工事が開始され、建物は元の姿に戻され、1968年に国立博物館として再発足して現在に至ってます。


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ロッジャからサン・フランチェスコ教会が見えます。


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この扉から展示室に入ります。


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入館して直ぐに目に飛び込んでくるのがこの彫刻です。
16世紀のトスカーナの無名彫刻家の「パオロ・グイニージ像」(16世紀末)
前述したように、ヴィッラ・グイニージは、1413年にパオロ・グイニージによって建設されました。


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次に部屋に向かう扉の上に紋章があります。


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これはグイニージ家の紋章です。
ルッカに行けば、この紋章を散見します。


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エトルリア時代の遺跡からの出土品


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展示は、エトルリア時代からローマ時代の遺跡からの出土品を展示する考古学部門、彫刻と絵画を展示するアート部門、それにルッカの科学関連の発達を展示するサイエンス部門の3部門構成となってます。
この日は、サイエンス部門の展示室は閉鎖されていました。
実は、切符を買うときに係員から「サイエンス部門を見るか」と変な質問を受けて、「多分、見ないと思う」と答えたので、サイエンス部門の展示室が施錠されたままになっていたと思います。
私の入館中に他の入館者の姿を見かけなかったので、多分、その日の午後の入館者は私一人でした。、それでそのような措置が取られたのでしょう。


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1892年にルッカの遺跡から出土した、紀元前470年頃のもの


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紀元前5世紀頃のもの


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紀元前4世紀頃のもの


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エトルリア墳墓の埋葬品や墓が展示されてます。


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トスカーナのカンポルジャーノから出土した墓(紀元前3世紀)


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エトルリア人の墓(紀元前3世紀)


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エトルリア人の墓(紀元前3世紀)


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墓の埋葬品(紀元前170‐130c)


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ローマ時代の公共のモニュメント断片(1世紀)


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ローマ時代の公共のモニュメント断片(1世紀)


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石柱断片(1世紀前半)


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ローマ時代のモザイク(2世紀)


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元々ヴィッラのあった作品です。(詳細不明)


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この紋章は分かりません。


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二階に向かいました。


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二階の展示は、ローマ時代のものが一部含まれますが、主に彫刻と絵画です。


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ローマ時代の3世紀頃に制作されたものですが、ルッカのサンティ・ジョヴァンニ・エ・レパラータ教会に移され、近年まで同教会にありました。


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ルッカのサンティ・ジョヴァンニ・エ・レパラータ教会にあった、ロンゴバルド文化を示す彫刻です。(8世紀前半)


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図柄が違いますが、前の作品と同じです。


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ターリア・ディ・ライトゥス(11世紀後半に活動)の「柱頭装飾」(11世紀末‐12世紀初頭)
ブランコーリのサン・ジョルジョ教区教会にあった柱頭です。


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Maestranza del terzo pilastro dei sottoportico della Cattedrale di San Martino の「聖マルティーノ」(12世紀末)


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ルッカの無名画家のフレスコ画断片(9世紀)
ルッカのサンティ・ジョヴァンニ・エ・レパラータ教会にありました。


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ターリア・ディ・ライトゥスの柱頭装飾(12世紀初め)
ブランコーリのサン・ジョルジョ教区教会にありました。


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11世紀前半の作品


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Maestro di caltura pisano lucchese (12世紀第4四半世紀に活動)の「玉座の聖ヤコポ・マッジョーレ」


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Maestro di caltura pisano lucchese の「玉座の聖ピエトロ」


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12世紀後半のルッカの無名画家の「彩色磔刑像」(12世紀後半)


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ビドゥイーノ(12世紀第4四半世紀にピサとルッカで活動)の「聖母子」


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Maestro Enrico (12世紀後半に活動)の「ザッカリアの告知と聖エリザベッタ」(12世紀第4四半世紀)


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(つづく)

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次はサン・ピエトロ・ソマルディ教会です。


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その教会に音楽史上、重要なオルガンが残されており、そのオルガン演奏と研究を行ったのがプッチーニでした。


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もう正午を過ぎました。教会は12時半に閉まる筈なので、時間がありません。


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時々走りながら急ぎました。身体に悪いし堪えます。


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教会がある広場にやって来ました。


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サン・ピエトロ・ソマルディ教会です。


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未だ開いていました。時間がないので、何はともあれ中に入ることにしました。


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8世紀創建の古い歴史を持つ教会です。現在の建物は12世紀末に再建された二代目のものです。


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ファサード裏にある有名なオルガンです。17世紀の高名なオルガン制作者だったドメニコ・カチオーリの作品です。


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三廊式、ロマネスク様式の内部です。


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何回も修復作業が行われたそうです。


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右側廊の祭壇画から見ました。


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ザッキア・ダ・ヴェッツァーノの「聖母の昇天」(1512)


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ガスパーレ・マッヌッチの「受胎告知」(1651)
ガスパーレは、17世紀にルッカで活動したバロック画家でした。


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18世紀のルッカの画家の「救世主とピサの聖ボーナ」


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14世紀のフレスコ画


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ステファノ・トファンネッリの「聖エミ―ディオ」(1880)


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主祭壇と後陣


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左側廊の礼拝堂を見ました。


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Maestro di Michelangelo di Pietro Membrini の「聖アントニオ・アバーテ」(1497)


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セバスティアーノ・コンカの「聖母子」(1706)


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ティベリオ・フランキ(1601‐1667)の「聖ピエトロ」


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パオロ・ビアンクッチの「聖家族と聖アンナ」


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扉が閉まる鐘が鳴らされました。


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私が外に出ると直ぐに扉が閉じられました。


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辛うじて拝観が間に合いました。今度はファサードをじっくりと鑑賞しました。


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ピサ・ロマネスク様式の典型的な造りです。


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グイド・ビガネッリ・ダ・コモ(1220c‐1257)のポルターレ上の彫刻


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フレスコ画の詳細は不明です。


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グイド・ビガネッリの彫刻


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この部分の彫刻もグイド・ビガネッリによって制作されました。


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そろそろ飯時です。いつもの店は少し歩かなくてはいけないので、この辺で食べることにしました。


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サン・フランチェスコ教会が見えてきました。


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Via della Fratta


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教会横の店で食べました。


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サン・フランチェスコ教会は最早見どころが殆どありません。


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13世紀に工事着工、1430年に完成したゴシック様式のサン・フランチェスコ教会です。


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ルネッタに描かれたフレスコ画


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修道院が併設されていた大きな教会でしたが、その宗教活動は停止され、現在は各種イヴェント会場として使用されています。


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旧修道院の回廊とキオストロ


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2010年から2013年にかけて、5千万エウロの予算で大改修されましたが、ご覧のように古い物は跡形もなく塗り潰されてしまいました。教会内もこれとほぼ同じのようです。


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ということで、見るべきものが殆ど無いのです。


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次はグイニージ邸の国立博物館です。


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ここはお勧めです。


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質の高い作品ばかりで、好みの博物館ですが、私以外の他の入館者を見かけることがありませんでした。


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この博物館に付いては、改めて別に取り上げることにします。


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外に出たら、すっかり日が傾いていました。


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次はマンスィ宮です。


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(つづく)

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次は塔に上ってルッカの街を一望します。


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駅から少し遠い(徒歩15分くらい)ですが、アルベルゴ・ラ・ルーナはお勧めです。


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写真右奥の建物の前で、何時も足を止めてしまいます。


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一見すると教会らしくない建物です。


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これがあるので旧教会の建物らしいことが分かります。


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二階以上は普通の共同住宅らしい作りです。


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Via Sant'Andrea ?


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塔に向かう前にメルカートに寄り道します。


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カルミネ広場です。


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広場に面してメルカートの建物が建ってます。正確には旧メルカートです。
時計塔の時計は全然違う時刻を表示していました。


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実は、この場所はサンタ・マリア・デル・カルミネ教会があった所で、時計塔は旧教会の鐘楼です。


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旧メルカートの中に入りました。
旧修道院だった建物が20世紀初めに肉屋、魚屋、八百屋などが入るメルカートとして整備されましたが、交通が不便との理由によって、新メルカートが建設され、その完成を機に閉鎖されて各種催事場や演奏会場に転用されていましたが、更に整備されることになり、その工事中というわけです。


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写真左が旧メルカートです。


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見上げればグイニージの塔が見えます。てっぺんに木が生えてます。


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Via Sant'Andreaに戻りました。


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塔の下に到着しました。


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切符を買い、階段を上りました。


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切符売り場


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展望台?まで227段あります。


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3階付近まで登った時の窓からの写真


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徐々に階段の勾配がきつくなります。


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上り切ることが出来ました。


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主な教会のファサードや鐘楼の形を知っていると、塔からの展望がより楽しくなります。見えている鐘楼はサン・ピエトロ・ソマルディ教会のものです。


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残念乍ら黒い雲が出てきました。


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サンタ・マリア・フォリス・ポルタム教会が見えてます。


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西の方は晴れていました。


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サン・フランチェスコ教会が見えました。


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サン・フランチェスコ教会です。


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ルッカは良いですね。


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塔から見ると、改めて沢山の教会があることが分かります。


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手前が旧メルカートです。その向こうに見えるのがサン・フレディアーノ教会です。


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サン・フレディアーノ教会です。


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「葬儀はもう終わったのだろうか」←私の独り言


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アンフィテアトロ広場


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日が陰って寒い数が吹いてきました。


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サン・ピエトロ・ソマルディ教会


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塔に上っていた時だけ日が陰っていたのです。塔から降りると快晴になりました。


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ドゥオーモ


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塔に上れなくなった時が個人旅行の潮時でしょうね。


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無事上ることが出来て満足でした。


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上る時よりも降りる方がキツイと感じました。


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次はサン・アナスタシオ教会です。塔から目と鼻の間の距離です。


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教会の後陣


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9世紀に創建されたサン・アナスタシオ教会です。


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日曜日の朝だけ開くようです。


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ルネッタに描かれたフレスコ画


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次はサンタ・ジュリア教会です。


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ここは目と鼻の先です。


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10世紀創建のサンタ・ジュリア教会です。


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これでは旅行者が拝観するのは難しいと思います。多分、ここは現役の教会ではないと思います。


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ボッケリーニ広場です。


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広場に面して建つピンク色の建物はボッケリーニ音楽院です。


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ピンク色の建物に繋がっているのが旧スッフラージョ教会です。


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旧教会の建物は主に演奏会場として使用されてます。


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ボッケリーニのメヌエットをお聞きになったことがある方が多いと思います。作曲者としても有名ですが、チェロ奏者として後世に名前を残したルイージ・ボッケリーニの像が広場にあります。


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1743年2月19日、ルッカのこの近くで生まれました。1805年、マドリッドで死去したボッケリーニですが、彼の墓はルッカのサン・フランチェスコ教会にあります。


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ルッカはプッチーニとボッケリーニの音楽の街なのです。


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(つづく)

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次はサン・ベルナルド教会です。


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古そうな外観ですが、よく見ると新しい建物と分かります。
1340年創建、1375年に完成したロマネスク様式の建物は第二次世界大戦の爆撃によって完全に破壊されてしまいました。現在の建物は、元の建物の形を忠実に模して戦後に再建されたものです。


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ファサード横にあります。


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ロッビア一族?による「聖母子」


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単廊式、ロマネスク様式の内部です。戦後にオリジナルの形で再現されたロマネスク様式なので、「ネオ・ロマネスク」と書いた方が適当でしょうか?


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左側壁


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右側壁


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木組みの天井


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主祭壇と後陣


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詳細不明の磔刑像


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アンジェロ・ディ・ロレンティーノの「玉座の聖母子と聖ベネデットと聖ベルナルド」(1511)


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17世紀の無名画家の「砂漠の洗礼者聖ジョヴァンニ」


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17世紀の無名画家の「聖母子と聖ベネデットと聖ベルナルド」


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これは現代の作品でしょうね。


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現代?の「キリストの洗礼」
実は、この教会は傑作美術品があることで有名でした。幸いにも、その殆どの作品は20世紀前半までに取り外され、戦禍に遭うことなく各地の美術館で展示されてます。
祭壇画は元あった教会で見たいと思いますが、戦禍の前に取り外されて無事だったこともあるので、その良し悪しをあれこれ言えないと思います。


Filippo_Lippi_001
取り外されて無事だった作品の例を挙げましょう。
フィリッポ・リッピの「聖母戴冠と聖人たち」です。ヴァチカン絵画館にあります。


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立ち去る前にもう一度見ました。


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祭壇前から見た出入口


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次はサンタゴスティーノ教会です。


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正午を過ぎなので、平日ならば扉が閉まる時刻ですが、日曜朝のミサが比較的遅い時間から始まるサンタゴスティーノ教会は日曜日の昼下がりでも大体開いてます。


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サンタゴスティーノ広場


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教会は開いていました。


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1257年創建のロマネスク様式の教会ですが、その後、3回の大工事によって、ルネサンス、バロック、ロココ様式に改修されました。基本的に初代の建物は残されているものの、改修工事を経た現在の外観はヘンテコな感じがします。


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拝観しました。


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左側廊


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右側廊


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15世紀末の無名画家の「聖ベルナルディーノと聖ジローラモとアンティオキアの聖イグナツィオ」(1498)


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現代画家の「ご誕生」(1982)


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主祭壇


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スピネッロ・アレティーノの「玉座の聖母子と聖ヤコポと聖アントニオ・アバーテ」(1377)


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ヴァザーリがこの教会について書いた文書が残っているのですが、その記述によればピエロ・デッラ・フランチェスカなどの作品を含めて数々の傑作があったとされてます。


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ドメニコ・ペコリ、ニッコロ・ソッジなどに描かれた「割礼」(1506)
バラバラになっていたのを国立中世近代美術館の努力によって、ここまで修復されたそうです。


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外に出ました。


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正午をかなり過ぎたものの、教会の拝観を優先したのでお腹が空きました。


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イタリア通は混雑していました。夕方、ホテルのスタッフからジョストラが日曜日にも開催されると間違えて来た人が多かったと聞きました。ジョストラは土曜日です。


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迷わず何時もの店に向かいました。


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混雑していると予想していましたが、空いていました。


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お腹が空いていたので、アルコールは控えめにして量がある料理を注文したのですが、この前菜だけで腹八分目くらいになりました。


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完食しました。


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ドルチェは無理でした。


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前菜が効きました。食べ過ぎだったので消化薬を飲みました。


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腹ごなしの散歩です。


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祭りで疲れたのか、地元の人たちが元気がなさそうに見えたのは私の気のせい?


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明らかに前夜の飲み過ぎと言う人が午前中にいました。


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グランデ広場に行こうとしてたのですが、道を間違えたようでした。


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街角のフレスコ画を発見!


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これです。


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地図を持っていても地図を見ないで適当に歩く性分なので、時々自分自身で呆れることがあります。


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これで自分が何処にいるのかが分かりました。


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この通りを真っ直ぐ行けばグランデ広場に出ます。


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昼休みと見え、撤去作業は中断されていました。


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この辺の盛土は撤去されていました。


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キリがないので、この辺で終わりにしましょう。


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(おわり)

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翌朝です。
TVで前日の大雨に付いて報道していました。


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午後2時過ぎにホテルに戻りましたが、風雨が収まる気配が一向に見られず、そのままホテルに缶詰めでした。


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傘を差すほどではありませんが、細かい雨粒を顔に感じました。


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青空がほんのちょっぴり顔を出してきました。門の前の分離帯に置かれたオブジェが珍妙です。


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このような事が旅に付き物とは言え、行きたい所に殆ど行けなかったので不消化感が残りました。


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近いうちの再訪を期して門を潜りました。


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城壁外に出ました。


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雨で濡れたズボン、下着、靴下は一夜のうちに乾きましたが、二足の靴は乾きませんでした。


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今まで、替えの靴を一足持って行けば大丈夫でしたが、この時は二足とも十二分に水分を含んだ状態になったので、次のピサで靴を買いました。


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靴下が靴の水分を吸収して不快でした。


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酷い目に遭った日の話はこれで終わりです。


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ガラ空きの列車に乗って、フィレンツェSMN駅からルッカ駅に向かいました。


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ルッカ駅に到着しました。


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散々だった前回の旅を挽回するために来ました。


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雲が多いものの晴れていました。この日の天気予報は快晴でした。


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徒歩でホテルに向かいました。


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城壁内に入りました。


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何時ものホテルを予約していましたが、日本を発つ直前にホテルからメールが届き、急遽水回り工事の必要があるので、同クラスの別のホテルに€10値引きで振り替えたいとの連絡がありました。


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そのホテルは駅から少し遠くにありますが、変更をOKしました。


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この辺を歩いていたら、前回の旅でホテルまでタクシーを利用したことが思い出されました。


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Via Vittorio Veneto


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ナポレオーネ広場


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この日、オペラの公演はありませんでした。


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広場に立つのは、スペインのマリア・ルイーザ(1782‐1824)像です。マリアは、ブルボン・パルマ家の当主だったルドヴィーコ・ディ・ボルドーネの妻でしたが、夫のルドヴィーコがナポレオンによって1801年に作られた傀儡のエトルリア王国の国王に叙せられたことに伴い王妃となりました。1803年、夫ルドヴィーコが早世してしまい、幼い息子が国王を継ぐことになりましたが、摂政となったマリアによって政務が司られたのでした。


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ヴィットリオ・ヴェネト通りを更に進みました。


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サン・ミケーレ・イン・フォロ教会


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チェントロの中心にそびえるファサードが青空の中で映えます。


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前回の旅で雨宿りをしたロッジャです。


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教会の前を通り過ぎました。


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サルヴァトーレ広場


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この日のお宿です。小さなホテルですが、何時ものホテルよりも数段上でゆっくりと寛げました。今後、ルッカに泊まることがあれば、ここにしようと思ってます。


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荷物をホテルに置いて身軽になって街歩きに出かけました。


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サン・フレディアーノ教会の鐘楼です。


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後陣


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身廊の横を通ってファサード側に出ます。


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サン・フレディアーノ広場です。広場から朝日に輝く教会のファサードの写真を撮るために先ず広場に行ったのです。


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振り返ってファサードの方を見たらビックリ!!!
一台のバンがファサードの前に停まるや、バンの後部から出されたのはお棺でした。直ぐに教会内に運び入れられました。


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これから葬儀です。拝観どころではありません、ご遠慮申し上げるだけです。


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それでもファサードだけは見ることにしました。


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お棺が教会内に運び入れられると中央扉が閉じられました。


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日曜日の葬儀は見たことがありませんが、月曜から土曜日までは葬儀を見たことが何度もあります。


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ベルリンギエーリの作品と言われているモザイク


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聖人たち


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葬儀では仕方ありません、またの機会にしましょう。


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次はPiazza Anfiteatroです。


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ローマ時代の円形闘技場を取り込んで作られた建物です。


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広場への出入り口


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アンフィテアトロ広場


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良い天気になりました。


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大雨ではここに来るのは無理でした。


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午前中だったので人出が少なかった。


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彼らはカナダから来たそうです。


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近頃、中国人と間違えられることが多いですが、この人は日本人か、と聞いてきました。


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(つづく)

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795年創建、1368年に完成しました。


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古代ロマ時代の中心だったフォロの跡に建てられました。


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14世紀の完成後、大きな修復や改修が行われませんでした。


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左側廊


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右側廊


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主祭壇


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祭壇が見どころとされてますが、立ち入り禁止なのでよく見ることが出来ません。


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制作者不詳の「彩色磔刑像」(12世紀)


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後陣右の礼拝堂です。


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フィリピーノ・リッピの「マグリーニの祭壇画(4聖人:聖ロッコ、聖セバスティアーノ、聖ジローラモ、聖エレーナ」(1482c)


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アゴスティーノ・マルティ(1485‐1537)の「聖母の結婚」


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ラッファエッロ・ダ・モンテルーポの「聖母子」


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ピエトロ・パオリーニの「聖アンドレアの殉教」


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ルーカ・デッラ・ロッビアの「聖母子」


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ジュリアーノ・ディ・シモーネの「玉座の聖母子」(1390)


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外に出ました。


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昼食にはまだ少し早いですが、正午を迎えて教会が閉まるので、食べることにしました。


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ルッカでのお気に入りの店です。


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その理由は、この写真でお判りでしょう。
プッチーニのオペラを見てから、この店で食事をして気に入り、それ以来、ルッカに泊まるときはここで食べることにしています。


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入店した時はガラガラでした。


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流れてくるプッチーニ・オペラに耳を傾けながら料理を待ちました。


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雨にもかかわらず、すぐに席が一杯になりました。オペラファン向けの店と思っていましたが、この人たちはオペラ好きでもないようです。


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ここでプッチーニのオペラを見て、隣のリストランテで食事を楽しみ、劇場向かいのホテルに泊まる、それが理想ですが、ルッカに泊まる日をプッチーニの公演日に合わせない限りそんなことは無理です。
その理想が叶ったのは一回だけです。
プッチーニのオペラ上演は、この年のオペラシーズンで10月と5月の2公演の計8日だけでしたから。


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相変わらず強い雨が降り続いていましたが、酔い覚ましの散歩をすることに。


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サン・ピエトロ門に向かいました。


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Via San Girolamo


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写真左に教会があります。


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15世紀に建設されました。


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見たい作品が2点ありますが、この時間は閉まっています。


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ガリバルディ通りを横切りました。


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この建物が分かりません。


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サン・ピエトロ門です。


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まだ1時半


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靴下が濡れてきたので引き返しました。


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美術館に行きたかったのですが、1.5kmほど歩く必要があります。


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ところが雨が一段と強くなったのです。


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それでも頑張って歩きました。


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結局、この日ですが、大雨による洪水や通行止め、鉄道の遅れがあったのです。


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街歩きどころではなくなってきたので、ホテルに戻ることにしました。


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その後、天気は荒れる一方でした。
(つづく)

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ルッカ駅に到着しました。


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ルッカ駅の駅舎


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この日は雨天でした。


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この日のお宿はチェントロの中心にあります。大した距離ではないので、ホテルまで徒歩で行くつもりでした。


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歩き始めた途端、小降りだった雨が一転して豪雨になったのです。


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傘が役に立ちそうもなかった激しい降りだったので、徒歩でホテルまで行くのは無理と判断して、駅に引き返すことにしました。


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この日のお宿はここでした。
タクシーを利用するには短距離過ぎますが、駅で待機していたタクシーがこのホテルまで快く乗せてくれました。助かりました、有難かった。


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豪雨が少しマシになった頃を見計らって、外出しました。


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写真では良く分かりませんが、かなり降っていました。

本題とは全く違う話を一つ
もうすぐ母の日です。今から60年ほど前のこと、私が小学生だった頃、たぶん3年生か4年生だったと思いますが、当時、母の日が近づくと学校でカーネーションの造花を配っていました。お母さんがいる人には赤の、お母さんが死んだりしていない人には白の造花が配られていました。仲の良い同級生がいましたが、彼には白の造花が配られました。クラスで白の造花は一つだけだったと記憶してます。いつも元気の良い友達でしたが、その日ばかりは泣きそうでした。
昔は残酷なことを平気でやっていました。
友達の辛さが今でも思い出されます。


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ホテルからドゥオーモまで、それ程の距離ではありませんが、ズボンの下まで濡れてしまいました。


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大雨の中、傘を差しながら写真を撮るのが難しかった。


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旅をしていると、年に一日くらいは豪雨に遭遇します。今までで、物凄い豪雨に4回遭遇していますが、そのうちの一つがこの日のルッカでした。


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豪雨を避けて、ドゥオーモのファサード下にあるロッジャに逃げ込みました。


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聖具室だけ有料と思っていたら、内陣の中央付近にロープが張られ、その向こうが有料となっていました。


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写真は入り口付近だけOKで、それ以外の場所は禁止されていました。


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以前は写真OKだったような?


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外に出ました。


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見たい所ですが、あそこまでいく間にずぶ濡れになりそうです。


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諦めた方が良さそうです。


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サン・ジュゼッペ教会が開いていました。


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16世紀の彩釉テラコッタ「聖母子と聖ジュゼッペと聖ジローラモ」


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単廊式の小さな教会です。


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主祭壇画が有名です。


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ロレンツォ・ザッキア(1524‐1587)の「聖パオロと聖ジュゼッペと聖ジローラモ」


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雨だけならまだしも風が強くなってきたので参りました。


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カメラが雨に濡れて大変でした。


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噴水がKYでした。


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靴の中が雨でぐちゃぐちゃ。風が強いので傘があまり役立ちません。


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このままでは我慢できそうにもありません。一旦ホテルに戻ることにしました。


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サン・ジョヴァンニ広場


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サンティ・ジョヴァンニ・エ・レパラータ教会は閉まっていました。


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ホテルに戻り、濡れた靴下、下着、ズボン、靴を交換して雨と風が弱まるのを待ちました。しかし、弱まる気配が一向にありませんでした。しかし、折角来たからには、このままホテルに缶詰めでは冴えないので、意を決して外に出ました。


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この日のオペラ公演はありませんでした。広場に立っているのはジュゼッペ・ガリバルディ像です。


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着替えをしましたが気休めでした。カッパと長靴が必要でした。


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気を取り直して、サン・ミケーレ教会に向かいました。


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ホテルから教会までは徒歩2,3分の距離ですが、この時は距離が長いと感じました。


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サン・ミケーレ広場は閑散としていました。


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サン・ミケーレ・イン・フォロ教会です。


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1143年に創建され、14世紀末に完成した建物です。


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頂上部の大天使ミケーレ像


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ピサ・ルッカ様式のファサード


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細かな彫刻が施されてます。


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ドゥオーモのファサードによく似てます。


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拝観しました。


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(つづく)

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次は国立考古学博物館です。


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アレッツォは、エトルリア起源の古い街です。


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今でも少し掘れば、古い遺跡が発掘されるそうです。


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古い街並みの景観維持のため、新築が厳しく制限されているアレッツォですが、必要不可欠な新築であっても、基礎工事の際、遺跡物が発掘されることを恐れて中々着工できないと聞いてます。


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一旦遺跡が出ると、その土地の所有者の費用負担によって遺跡発掘を行わねばなりません。発掘作業の完了義務を負うことになるので、その人手と時間、費用を考えると新たな開発や建物の新築は止めた方が良いと判断する人が非常に多いそうです。


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Via Margaritone
この通りの周辺から大量の遺跡が発掘されました。


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教会がありますが、この場所に博物館があります。


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サン・ベルナルド教会です。開いていることがあまりないのですが、この時は開いていました。教会の拝観を優先すべきと思ったので、中に入ったらミサが行われていました。


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ミスを邪魔するわけにはいかないので、教会の拝観はまたの機会と言うことにして、国立博物館に入館しました。この建物は旧サン・ベルナルド修道院でしたが、修道院の建物はローマ劇場の遺跡を利用して建設されました。


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遺跡の上が駐車場になってます。


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ローマ劇場の遺跡


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この写真で修道院が遺跡を利用して建設されたことが分かるでしょうか?


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博物館から劇場内に入ることが出来ます。


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1994年に発掘された「Togato di Arezzo」


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ロッジャの壁にフレスコ画があったと思いますが、その片鱗さえもありません。


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階段の手すりにあったので、この角度になります。


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膨大な数の展示物が並んでます。


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イタリア各地の博物館に行けば必ず展示されている定番とも言える壺(420‐410BC)です。


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430‐420BCに制作された壺


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425‐400BCの制作


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紀元前5世紀末のもの


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この博物館は一段と人気がありません。


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係員以外に人の姿を見かけたことがありません。


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ジョストラの翌日なので、観光客の一人や二人は見かけることが出来ると思っていました。


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アレッツォのMuseoの中では、ここが最も人気薄です。


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日本人が心配する必要がないと言われそうですが、このような状況では、いつ何時合理化のため閉鎖されてもおかしくないと思います。それを防ぐには入館者を増やす必要があります。


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だって、ここは貴重な文化遺産ばかりですから、後世に残して見て貰わねばなりません。
イタリア好きのあなた、ここに行ってください。お願いします。


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1世紀のモザイク
プレトリオ宮の塔近くから発掘されたそうです。


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現在のVia Francesco Crisp、ローマ時代の古道にあったモザイク


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1世紀末‐2世紀初めのもの


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この部屋は何ですか?


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説明板がなかったのでお手上げです。


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遺跡を利用したことが分かる部屋です。


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これらの展示物の全てがアレッツォとその周辺で発掘されたものです。


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旧修道院のフレスコ


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「Cinerario Femminile」


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展示の紹介はこくらいにしましょう。
次は教会の拝観です。


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(つづく)




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ここに通りかかったならば、フレスコ画を見ないことには去れません。


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これです。


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ガリバルディ通りをバディア広場に向かって進みました。


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バディア広場に出ました。


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サンティ・フローラ・エ・ルチッラ大修道院(バディア)です。
初代の建物は、1278年に創建され1315年に完成しました。現在のバロック様式の建物は二代目のもので、ヴァザーリの設計によって1565年に工事着工しましたが、長らく未完成で、ヴァザーリの死後の1650年に漸く完成しました。


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1650年に建設された鐘楼です。
開いていたので拝観しました。


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三廊式、バロック様式の内部です。


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内部の構造図


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祭壇画を見ました。


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ジョルジョ・ヴァザーリの「聖母の昇天」


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ジョヴァンニ・アントニオ・ラッポーリの「ご訪問」


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バッチョ・ディ・モンテルポの「磔刑」


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「磔刑の上部ルネッタのフレスコ画はベルナルディーノ・サンティーニの作品です。


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「磔刑」の左右の側壁に描かれたフレスコ画(ベルナルディーノ・サンティーニ作)


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ベルナルディーノ・サンティーニのフレスコ画


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ベルナルディーノ・サンティーニの「聖母子と聖マウロと聖ルチア」


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テオフィーロ・トッリ(1555‐1624)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」


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ジョルジョ・ヴァザーリ作の主祭壇(1565)


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この主祭壇は、サンタ・マリア・セルヴィ教会によって注文され、200年間同教会にありましたが、1865年にこの教会に移されました。


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アンドレア・ポッツォによるクーポラの装飾(1702)


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セーニャ・ディ・ボナヴェントゥーラの「彩色磔刑像」(1319)
初代の建物にありました。


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「彩色磔刑像」の下にフレスコ画があります。


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残念ながら詳細不明です。


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制作者不明の「竜を退治する聖ジョルジョ」


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16世紀に制作されたオルガン


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Paolo De Matteis の「病人を治癒する聖マウロ」


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制作者不明の「無原罪の聖母と洗礼者聖ジョヴァンニと聖シルヴェストロ」


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ジュゼッペ・サンティーニの「聖ベネデットと聖スコラスティカ」(17世紀)


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その上部のフレスコ画はベルナルディーノ・サンティーニによって制作されました。


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ジュゼッペ・サンティーニの「天上の聖母子と聖バルトロメオと司教聖人」


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詳細不明の「無原罪の御宿り」


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バルトロメオ・デッラ・ガッタの「聖ロレンツォ」


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拝観の終わりごろになって、ソプラノ独唱のリハーサルが始まりました。


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曲目はモーツアルトのハ短調の大ミサ曲K427のコンスタンツェが歌ったソプラノのパートでした。終了後、拍手をしたら喜んでいました。その出来具合から彼女はプロの歌手と思いました。(妻コンスタンツェが立派な歌手であることを父に示すために作曲されたので、歌いこなすにはかなりの力量が必要です)


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外に出ました。


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ここに来たら、あの彩釉テラコッタを見逃す手はありません。


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これです。


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6月のフンギ


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ワンちゃんにご挨拶


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カヴール通り


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サン・フランチェスコ広場


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グイド・モナコ通りの突き当りはFS駅です。


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聖堂を横に見ながら通り過ぎました。


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夏至の日差しが強烈でした。


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見慣れた光景


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ジョストラが終わりましたが、観光客で賑わっていたイタリア通りでした。


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朝早く行き過ぎたサン・ミケーレ教会をもう一度拝観するつもりです。


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この建物の壁の装飾に注目です。


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これです。


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フレスコではないと思います。


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装飾の手法がよく分かりません。


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教会はこの先左の広場にあります。


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もう一度来たのは、光線の具合で朝によく見えなかった作品をゆっくりと見るためでした。


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確かによく見えるようになってます。


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もう一度来た甲斐がありました。


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光線の具合が重要でした。


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(つづく)

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相当な目利きでないと芸術作品の流出を防ぐのは難しいと思います。


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17世紀の無名画家の「洗礼者聖ジョヴァンニ」


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17世紀の無名画家の「受胎告知」


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グイド・レーニ工房の「エジプトへの逃避」(17世紀前半)


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17世紀の無名画家の「聖家族と聖ジョヴァンニーノ」


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アレッサンドロ・アルガルディ工房の「聖母子」(17世紀)


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ミケーレ・チャンパンティ通称マエストロ・ディ・ストラトニーチェ(1463‐1511)の「玉座の聖母子と聖ロッコとと聖セバスティアーノと二天使」


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「受胎告知される聖母」(16世紀末‐17世紀初め)


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ティントレット工房の「最後の晩餐」(16世紀末)


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ネーリ・ディ・ビッチの「幼きキリストを崇拝する聖母」


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二階に向かいました。


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ピエトロ・ベンヴェヌーティ(1769‐1844)の「テレーザ・モッツィと息子の肖像」


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18世紀の無名画家の「キリストの鞭打ち」


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18世紀前半の無名画家の「高貴な女性の肖像」


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18世紀前半の無名画家の「高貴な男の肖像」


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マーゾ・ダ・サン・フリアーノ(1532‐1571)の「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」


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サッソフェッラート(1609‐1665)の「聖母子」


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グエルチーノ(1591‐1666)の「聖母子」


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ジョルジョ・ヴァザーリ(1511‐1574)の「高貴な女性とその息子の肖像」


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マッシモ・スタンツィオーネ(1585‐1656)の「聖母子」


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チェーザレ・ジェンナーリ(1637‐1688)の「マグダラのマリア」


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三階に行けないようになっていました。


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Henry Jaeckel の「オレヴァ—ノ・ロマーノの風景」(1860)


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ドイツの無名画家の「田舎の風景」(1830c)


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C. H. Poingdestre の「ヴェッレートリ(ラツィオ州)の風景」


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Karl Wilhelm Mueller の「ネーミ(ラツィオ州)の風景」(1864)


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Robert Hillingford の「オステリア(1870)


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Karl Girardert の「チョチャリーアの女」(1860)


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「カンパーニャのゲーテ」の複製画(19世紀)


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Heinrich Hiller の「コスタンティーノの凱旋門」(1880)


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Wilhelm Ritterbach の「ヒッザッケーリの泉とヴェスタ神殿」(1920)


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Leon Giffard の「コロッセオ」(1898)


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E. Stache の「サンタンジェロ城」(1870)


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Leon Joubert の「フォロ・ロマーノ」(1890)


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Nelius Gronland の「フォロ・ロマーノ」


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Franz Knebel の「ティヴォリの風景」(1860)


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Franz Knebel の「ティヴォリの風景」


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外に出ました。
非常に興味深い展示でした。
アンティーク市で掘り出し物を探すのは実に楽しいものですが、その一方で貴重な文化財の散逸や流出の問題と裏腹であることが、この博物館に入館することによって良く分かりました。
アレッツォのアンティーク市に併せて、この博物館に行くのがお勧めです。
(おわり)

今回は、アレッツォにあるCasa Museo di Ivan Bruschi を取り上げます。
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Casa di Ivan Bruschiはイタリア通りを挟んでピエーヴェ教会の向かいにあります。


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現在、博物館となっている建物は、13世紀に、アレッツォの貴族だったカマイアーニ家が邸宅として建てました。15世紀には市の所有となったようです。
第二次世界大戦によって被災しましたが、主にエトルリア銀行の資金援助によって1960年代に復元されました。


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Ivan Bruschi は古書収集家で古書の売買を手掛けていましたが、現在、アレッツォの名物となっているアンティーク市の創始者でもある推進者でした。また、Ivanはアンティーク市に出された貴重な芸術品などの散逸や流出防止に努めたそうです。
Ivanの死後、主にエトルリア銀行がパトロンになって、Ivanの意志を継承して芸術と古書文化への愛を広めるためにIvan Bruschi財団が設立されました。


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博物館の入り口(入館無料)


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展示室は、一階に4部屋、二階に4部屋あります。


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様々な展示品が並べられてます。


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展示作品の説明シートを持ち帰ることが出来ます。


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その説明シートを見れば、主な作品の制作者や制作された年代が分かります。


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しかし、それをやるには大変な時間と労力が必要です。


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イタリアの貴重な芸術作品がオークションに出され、イタリア文化庁が大慌てでその流出防止に努めますが、時既に遅しのケースがままあるようです。
ここの展示は、その防止の成功例というべきものですが、展示品の質の高さを考えると、アンティーク市の性格が垣間見えます。


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「書斎」


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フランチェスコ・ディ・ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ(15世紀前半‐1497?没)の「聖母子と聖アゴスティーノとアレッサンドリアの聖カテリーナ」


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ソドマの「聖母誕生」(1530‐35)
一瞥しただけでソドマの作品と分かりますが、これが捨て値で市に出されたそうです。俄かに信じがたい話ですが、こうして誰かに買われてオークションで莫大な値が付けられるのでしょう。


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ジュゼッペ・マリア・クレスピ(1665‐1747)の「聖ルイージ・ゴンザーガ」


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マッテオ・ロッセッリ(1578‐1650)の「聖ドナート司教」


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これらが流失したり散逸しても特に困ることは無さそうですが・・・・・


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ジョヴァンニ・デッラ・ロッビアの作品(16世紀初め)


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小さな中庭があります。


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16‐17世紀制作の胸像


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Sala del Camino


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アンドレア・ディ・ネーリオ(アレッツォ、1331‐1387記録)の「聖母子」


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「ピエタのキリスト(17世紀)


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ベネデット・ブリオーニ工房の「洗礼者聖ジョヴァンニ」(15世紀末‐16世紀初め)


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ジョヴァンニ・デッラ・ロッビアの「救世主」(16世紀初め)


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「女性の胸像」(16‐17世紀)


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ルーカ・ジョルダーノの追随者の「エレミータの聖パオロ」(17世紀第3四半世紀)


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サッソフェッラート工房の「コルトーナの聖マルゲリータ」


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(つづく)


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顔を出しているのはアレッツォ大聖堂Cattedrale dei Santi Pietro e Donato の鐘楼です。


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丘の上に建ってます。
現在の鐘楼は、19世紀中頃に再建された三代目となるものです。


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この地に初期キリスト教会があったとされてます。
304年に殉教した当時のアレッツォ司教だった聖ドナートを奉献する、Colle del Pionta と呼ばれる旧大聖堂が現在の大聖堂の南西1㎞離れたところにありましたが、1203年、教皇インノチェンツォ3世が現在地への移転を決めたのです。


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その決定に基づき、1278年に創建され、1511年に一応の完成を見た建物が現在のドゥオーモの原形となってます。


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身廊部はほぼ創建時の姿をそのまま留めていると言われてます。


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ドゥオーモ広場


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身廊側入り口上ルネッタの彫刻が有名です。


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ニッコロ・ディ・ルーカ・スピネッリ(またはニッコロ・アレティーノとも呼ばれてます)の「玉座の聖母子と聖ドナートと教皇聖グレゴリオ10世と二天使」(1330)


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その彫刻の上に描かれたフレスコ画です。


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ファサードの写真掲載を後にしたのには理由があります。


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創建から600年以上経ってもファサードは着工さえされずにそのまま放置されていました。ファサードの建設は1901年に始められ、1904年に漸く完成したのです。新古典様式のファサードをよく見ると、身廊外観と比べるとややアンバランスな感じがします。


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ファサードの装飾は20世紀初めのものです。


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現代彫刻と言っても良さそうなルネッタの浮彫です。


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写真を撮りましたが、有難がって撮る必要がありません。


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身廊側のニッコロ・アレティーノの浮彫と比較すると雲泥の差です。


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三廊式、ゴシック様式の内部です。


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芸術作品が沢山あります。


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どれが見たいのか、予め予習していると見逃すことがありません。例え見たくても閉まっている礼拝堂があるのは仕方がありません。


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天井


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主祭壇と後陣


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「Arca di San Donato」(1362c)
14世紀後半に活躍していたシエナ、フィレンツェ、アレッツォの彫刻家が制作したと言われてます。


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中央の聖母子はジョヴァンニ・ディ・フランチェスコとベット・ディ・フランチェスコによって制作されたそうです。


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「聖母子」以外の主要部分は、アゴスティーノ・ディ・ジョヴァンニとアーニョロ・ディ・ヴェントゥーラによって制作されたそうです。


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実は裏側にも彫刻があります。後陣に立ち入らないと裏面を見ることが出来ません。後陣への立ち入りは時々制限されることがあるので注意が必要です。


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裏側です。


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彫刻のテーマは「聖ドナートの生涯」です。


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裏面にも彫刻があることを覚えておくと、行った時にうっかり見逃すことがないでしょう。


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後陣天井


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後陣のステンドグラス


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ステンドグラスの大部分は第二次世界大戦の爆撃によって崩落したので、戦後に作られた比較的新しいものです。


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サン・シルヴェストロ礼拝堂です。


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ジュゼッペ・セルヴォリーニの「聖レオーネ・マーニョと教皇聖ジョヴァンニ1世」(フレスコ)


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フランス人画家でアレッツォで没したGuillaume de Marcillat (1470-1529)の「慈愛の寓意と聖シルヴェストロと聖ルチア」(1516)


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この作品が見たくてドゥオーモに来るのです。


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ピエロ・デッラ・フランチェスカの「マグダラのマリア」(1460‐66)


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グイド・タリア—ティの記念碑
グイドは、1327年にアレッツォで死去したアレッツォ司教です。


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ジョットの原画に基づき、アゴスティーノ・ジョヴァンニとアーニョロ・ディ・ヴェントゥーラが制作した「グイド・タリア—ティ司教の生涯」(1330)


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ジョヴァンニ・ディ・アゴスティーノの「Ciuto Tariati の墓」(1334)


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Maestro dei Vescovado の「磔刑(フレスコ)」


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14世紀後半の無名画家の「聖母子と聖クリストフォロと聖ジャコモ・マッジョーレの生涯」


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教皇グレゴリオ10世の墓


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墓の後ろにフレスコ画があります。


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右側廊


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左側廊


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ミサが行われる礼拝堂


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説教壇


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ピエロの作品をもう一度見ました。


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外に出ました。


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(おわり)

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ジョストラ会場の広場に行ってみることに。


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朝早くから清掃車が出て、前夜汚れた道路を綺麗にしていました。


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Via Seteria


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グランデ広場に来ました。


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観客席は未だ前夜のままでした。


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盛られた土の撤去作業が行われていました。


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かなりの土の量です。


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前夜、絶好の観覧席となった家々の窓です。次ジョストラを見る機会に恵まれたならば、特等席のここから見たいと思いました。しかし、席確保の手段が分かりません。


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こちらの切符を買うのも大変です。


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写真ではよく分からないと思いますが、盛られた土は40-50㎝ほどです。


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一夜明けて、兵どもの夢のあと


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この日も快晴でした。


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年に2回、毎年同じことを繰り返しているので、手慣れたもので、この日の夕方にも広場に来たのですが、観覧席と土はすべて撤去されて、見事に元の広場に戻っていました。
イタリアは非効率の極みと思うことがありますが、祭りの準備や後片付けなどは非常に手際が良いと感心しました。


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フラテルニタ・デイ・ライチ館です。


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馬が通った通りの土は道路の端に撤去されていました。この後、トラックとショベルカーがやってきて、土の運び出し作業が始まりました。


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ヴァザーリのロッジア


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前の日の夕方、この辺で足止めされ身動きできなかった私です。


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陰になって写真によく写らなかったフレスコ画です。


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3場面あるフレスコ画の一つ


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Palazzo Camaiani Alberotti


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この付近も清掃中でした。


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Torre della Bigazza


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ドゥオーモに向かいました。


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リベルタ広場


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Palazzo Comunale


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市の塔は高過ぎて写真に写りません。


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ドゥオーモ


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ファサードのフレスコ画


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ロープが張られて内陣に立ち入ることが出来ません。


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床の所々に馬の落とし物がありました。


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清掃中でした。


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左翼廊に行けるようになっていましたが、左翼廊礼拝堂はミサ中でした。


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この日はピエロ・デッラ・フランチェスカのフレスコ画を見ることが出来ませんでした。


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入り口付近を見ただけで外に出ました。


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市の塔


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人出が少し多くなってきました。


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次はヴァザーリの家です。


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写真右はPalazzo Albergottiです。


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トスカーナ大公ロレーナのフェルディナンド3世(フィレンツェ、1769‐1824)像


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通りの突き当りにサン・ドメニコ聖堂があります。


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サン・ドメニコ聖堂を通り過ぎました。


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Via San Domenico


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この日もヴァザーリの家に入りました。


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アレッツォに来れば、行くところが毎回同じです。ここも、そのうちの一つです。


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サン・ヴィト―教会です。


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扉が開いていたことがありません。


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道を下りました。


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アレッツォの道路清掃体制、恐るべし!何処かしこも綺麗になっていました。


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前日の夕方に歩いた時には、ゴミが散乱していました。


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突き当りにサン・ロレンティーノ門が見えます。


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クローチェ教会です。開くことがあるの?


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未明まで騒いで疲れたのでしょう、この辺は実に静かでした。


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街が寝覚めてない感じでした。


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サンティッシマ・アンヌンツィアータ教会


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祭りの後の気怠さも中々良いものです。


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この日、足を運ぶつもりが全くないにも拘らず来てしまいました。


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ガリバルディ通り


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(つづく)




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後編はピエロ・デッラ・フランチェスカ以外の作品です。


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作品の帰属が分かりません。


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勿論、調べれば全てのフレスコ画などの作品帰属が分かります。


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ロレンティーノ・ダンドレア(1430‐1506)のフレスコ画(1480)


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スピネッロ・アレティーノの「聖霊降臨」


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ミサが行われていましたが、参加者が数名でした。


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スピネッロ・アレティーノ派無名画家の「磔刑」


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この部分は有名なフレスコ画ですが、ミサ中なのでご遠慮申し上げました。


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ベルナルディーノ・サンティーニ(1593‐1652)の「光悦の聖フランチェスコ」


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ジョヴァンニ・アントニオ・ラッポーリ(1492‐1552)の「マギの礼拝」(1527)


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ミケーレ・ダ・フィレンツェ(1385c‐1455c)の「フランチェスコ・ロッセッリの墓碑」


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ネーリ・ディ・ビッチの「受胎告知」


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マッテオ・ラッポーリ(1450‐1504)の「受胎告知」
最近までルーカ・シニョレッリの作品とされていましたが、鑑定技術の進歩によってマッテオの作品というのが定説となりました。しかし、依然としてシニョレッリ作としている本などがあります。
作品の帰属は専門家に任せるよりありません。


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ニッコロ・ディ・ピエトロ・ジェリーニの「トリッティコ」


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数年前、この作品は修復されていました。


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スピネッロ・アレティーノのフレスコ画


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スピネッロ・アレティーノのフレスコ画


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スピネッロ・アレティーノのフレスコ画


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カドゥーティ礼拝堂です。
ミサが終わったので、もう一度詳しく見ていきました。


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ロレンティーノ・ダンドレアのフレスコ画


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スピネッロ・アレティーノの「聖霊降臨」


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詳細不明


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スピネッロ・アレティーノまたはアンドレア・ディ・ネーリオの作品とされてます。


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この「受胎告知」は有名です。
これもスピネッロ・アレティーノまたはアンドレア・ディ・ネーリオの作品とされてます。


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ベネデット・シニガルディの墓


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パッリ・スピネッリのフレスコ画


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スピネッロ・アレティーノの「磔刑」


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シノピエ


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ロレンティーノ・ダンドレアのフレスコ画


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ロレンティーノ・ダンドレアの作品


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ダヴァンティ礼拝堂です。ロレンティーノ・ダンドレアのフレスコ画があります。


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アントニオ・ディ・アンギアーリのフレスコ画


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アントニオ・ディ・アンギアーリのフレスコ画


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僅かに残るフレスコ画はアントニオ・ディ・アンギアーリの作品です。


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サン・フランチェスコ聖堂を拝観すれば、アレッツォに来た甲斐があるというものです。
(おわり)


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次はいよいよ美術館です。


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開館していました。


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15世紀に建設されたPalazzo Bruni Ciocchiが美術館になってます。


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私が最も見たい、ルーカ・シニョレッリの2作品


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ジョストラ当日ということで沢山の観光客が街中にいたものの、ここの入館者は私以外誰もいない状況でした。だから無料にしたのでしょう。


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門に行くことにしました。特に用事はありませんが、門が見えたので単純に行ってみたいと思ったのです。


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サン・ロレンティーノ門です。


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門を潜って城壁外に出ました。


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城壁外は新しい建物が多かった。


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見処がなさそうだったので城壁内に戻りました。


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バールで一休み


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何時も閉まっているサンティ・ロレンティーノ・エ・ペルジェンティーノ教会です。


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この道は未だマシな方ですが、アレッツォのチェントロは走り難いと思います。


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サンタ・マリア・イン・グラーディ教会が開いていました。無視して通り過ぎるわけにも行かないので拝観することにしました。


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数が少ないですが、無料の美術館というわけです。


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ヴィンチェンツォ・ダンディーニの「光悦の聖カルロ・ボッロメーオと聖アンドレア・ゾックラルド」(1658)


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ここまで来たらサン・ドメニコ聖堂に向かう一手です。


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旧サンティ・ファビアーノ・エ・セバスティアーノ教会


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このフレスコ画が剥離するのは時間の問題でしょう。


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歩き慣れた通りです。


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アレッツォに来れば、必ず訪れるサン・ドメニコ聖堂です。


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拝観しました。


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何回見ても良いものは良い!


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この時も新しい感動がありました。


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神学校です。


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未だ明るいですが夕方です。


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美術館で時間をかけすぎて、ジョストラの開始時間が迫っているのをうっかりしました。


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槍試合は午後9時半開始ですが、それまでにグランデ広場で様々な催しが行われます。


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指定席を買うことが出来なかったので、広場の良い場所を確保する必要がありました。


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ジョストラに向かう人たちです。


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結論を言えば、完全に出遅れでした。


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スグラフィート彫刻の家


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無料の一般立見席?スペースは既に満員との事で、切符保持者以外は広場に暫く入れないということで、広場に通じる道の通行規制が行われていました。


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皆さん、これからグランデ広場に向かうようです。


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駅方向から広場に向かう人たちです。


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この人たちに付いて行ったら広場に入れました。


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広場を囲んで高い建物が建ってますが、それらの窓際の部屋が有料の臨時席となっているようでした。


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私は背の高い人たちの中に囲まれて、ジョストラの写真を一枚も撮れないで終わってしまいました。


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外部サイトから拝借しました。


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(外部サイトの写真)


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翌朝です。清掃車が朝早くから出動して道路清掃です。


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午前3時頃まで騒がしかった街が、祭り後の気怠さを感じさせる朝を迎えました。


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静かでした。


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4時間ほど寝ただけですが、元気一杯で教会巡りです。1095年創建のサン・ミケーレ教会です。18世紀後半に改造されたものの、1817年から1824年に行われた修復工事によって元の姿に戻されたそうです。


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ファサード・ルネッタのモザイク「父なる神と聖ミケーレと聖アドリアーノ」


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単廊式、ロマネスク様式の内部です。


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ネオ・ロマネスク?


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スピネッロ・アレティーノ派無名画家の「磔刑」


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アンドレア・ディ・ネーリオに帰属する「聖母子」


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詳細不明


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詳細不明


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この主祭壇画が私のお目当てです。


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ネーリ・ディ・ビッチの「玉座の聖母子と四聖人」(1466)


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外に出ました。


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サン・ミケーレ広場に来たならば、あのフレスコ画は必見です。


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「聖母子」


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つづく

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写真左の建物に注目です。


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アンドレア・チェーザルピーノ邸です。アンドレア(アレッツォ、1519か1524生まれ‐ローマ、1603)は、植物学者、哲学者、そして医者でもあった人です。


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午前中に拝観できなかったサン・フランチェスコ聖堂に向かいました。


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この時間ならば大丈夫でしょう。


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今度はゆっくりと拝観できそうです。


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ジョストラの日なので、観光客で溢れているとの予想は見事に覆されました。


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シニョレッリファンの私としては、数年前まで穴のあくほど熟視した作品ですが、今となっては適当に見て終わりです。(数年前までルーカ・シニョレッリの作品とされていましたが、現在ではシニョレッリ作説は否定されています)


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隣接する旧修道院?の建物で、ココアに関する特別展が開催されていました。


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このフレスコ画を観るのは久し振りです。


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これを見ることが出来ただけでも大満足。


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モーツアルトの「コジ・ファン・トゥッテ」で、侍女デスピーナがフィオルディリージとドラベッラに給仕したのがココア飲料だったそうです。←ホンマカイナ?


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ココアの木と実の植物画


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ココアを飲んで楽しんでいる主題の作品が幾つか展示されていました。


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茶器入れ


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今一つピンと来ない展示でした。


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外に出ると、何時もと変わらない広場がありました。


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雲が出て来て、時々日差しを遮ってくれるようになりました。


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次はサンティ・フローラ・エ・ルチッラ教会です。


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普段は、この時間は閉まっていますが、ジョストラの日は特別で開いているかも知れないとの淡い期待を抱いてました。


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外扉は開いていました。


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甘くはなかった! 中の扉が施錠されていました。


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仕方がありません。教会巡りは運ですから。


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この辺は旗の色が違います。


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写真左の建物にあるフレスコ画が見どころです。


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これです。


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天気が悪い日や冬場は閉まっていることが多いガラス窓です。


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次はサンティッシマ・アンヌンツィアータ教会です。


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ここは「アレッツォ散歩」の初めの方で紹介しました。


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国立美術館にやってきました。


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この時間は未だ開いてません。受胎告知教会の拝観が先です。


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ガリバルディ通り


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サンティッシマ・アンヌンツィアータ教会です。


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13世紀頃、この地に教会があった記録が残されています。


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現在のルネサンス様式の建物は、バルトロメオ・デッラ・ガッタの設計、施工監督によって1491年創建され、バルトロメオの死後を引き継いだアントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ヴェッキオの建築によって16世紀初めに完成しました。


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この部分のフレスコ画は色褪せて何が描かれているの判別できません。



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ファサード横のフレスコ画は傑作として有名です。


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スピネッロ・アレティーノの「受胎告知」(1370c)


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初代の建物にあったとされてます。


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中に入りました。


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三廊式、ラテン十字形、ルネサンス様式の内部です。


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幾つかの秀作美術作品があることで知られてます。


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地味な天井装飾


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ベルナルド・ブオンタレンティー作の主祭壇(1600)


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ミケーレ・ダ・フィレンツェの「ラークリメの聖母」(1430c)


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クーポラ


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左翼廊


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右翼廊


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アーニョロ・ディ・ポーロの「聖母子と聖ロッコと聖フランチェスコのテラコッタ」(1526)
アーニョロはヴェロッキオの弟子でした。


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ピエトロ・ダ・コルトーナの「法悦の聖フランチェスコ」(1641)


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17世紀の無名画家の「天上の聖母と聖フランチェスコと聖ドナート」


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ベルナルディーノ・サンティーニ(1593‐1652)の「聖痕を受ける聖フランチェスコ」


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テオフィーロ・トッリ(1555‐1623)の「磔刑」


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右側廊


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左側に向かいました。


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左側廊


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この作品には戸惑いました。ピエトロ・ダ・コルトーナの作品です。こちらは複製画? それとも本物?


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ヴァザーリの「十字架降下」(1529)


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三人の画家の作品です。


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ルネッタは17世紀の無名画家
中央枠内の「聖母子」は16世紀の無名画家の作品
それ以外の聖人たちはピエトロ・カステルッチの作品です。


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14世紀のシエナの無名芸術家の「磔刑」


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マッテオ・ロッセッリの「受胎告知」


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ニッコロ・ソッジの「ご誕生」(1521)


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外に出ました。


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つづく











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