イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

2017年08月

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これらの彫刻は、マルガリトーネ・ダレッツォの帰属作品(18世紀)です。


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全部で6点あります。


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次の部屋です。


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オリヴッチョ・デ・チッカレッロ(カメリーノ、1365c‐アンコーナ、1439)の「聖母戴冠」


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オリヴッチョ・デ・チッカレッロの「ウミルタの聖母と天使たち」


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オリヴッチョ・デ・チッカレッロの「聖母の死」
作品が乗っている台が面白い。


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オリヴッチョ・デ・チッカレッロの「割礼」


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20世紀の作品は纏めて展示してほしいものです。


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古いクーラーのフィルターの残骸に見えます。いくら何でも本はないでしょう。


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次の部屋です。


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ロッコ・マルコーニ工房の作品です。


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「聖オルソーラに顕現する聖母子」


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アンドレア・デル・サルト工房の「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」


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ペッレグリーノ・ティバルディ(プーリア・ディ・ヴァルソーダ、1527‐ミラノ、1596)の「聖ジョヴァンニーノ」


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「古い作品と新しい作品のコラボ」の好例です。


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次の部屋です。


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天井の装飾


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壁のフレスコ画


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休館中にフレスコ画も修復作業が行われたと思います。


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セバスティアーノ・デル・ピオンボ(ヴェネツィア、1485‐ローマ、1547)の「フランチェスコ・アルシッリの肖像」(1516c)


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ティツィアーノ・ヴェッチェリオ(ピエーヴェ・ディ・カドーレ、1490‐ヴェネツィア、1576)の「ゴッツィの祭壇画(聖母子と聖フランチェスコと聖ビアージョと寄進者)」(1520)


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ジローラモ・ディ・ティツィアーノ(ヴェネツィア、1510c‐1572以前没)の「聖レオナルドと聖マルコと聖フランチェスコ」


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ボケ写真ですいません。


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ロレンツォ・ロット(ヴェネツィア、1480‐ロレート、1556/1557)の「アルバルダの祭壇画(聖母子と聖ステファノと聖ロレンツォと福音書記者聖ジョヴァンニと聖シモーネ)」(1538‐39)


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傑作が揃っている部屋です。


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次の部屋です。


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スパダリーノ(ローマ、1585‐1653以前没)の「ヴィッラノーヴァの聖トッマーゾの施し」
(つづく)





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絵画館の現状報告のため、現代作品を掲載してます。


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忍耐、忍耐と呟きながらやってます。


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17世紀以前の作品は全点紹介の予定ですが、それ以降の作品はかなり省略しています。


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階段を上ります。


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お待ち兼ねの+1階です。このフロアーにカルロ・クリヴェッリの作品があります。


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フランチェスコ・ポデスティの作品が並んでます。


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年代順に作品を並べてよ👈私の独り言


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フランチェスコ・ポデスティ(アンコーナ、1800‐ローマ、1895)の「ピエタ」(1830‐31)


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フランチェスコ・ポデスティの「ピエタ」


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フランチェスコ・ポデスティの「聖母子」


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写っている作品はカルロ・クリヴェッリの「聖母子」です。非常に小さな作品であることがお分かり頂けたでしょうか?


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カルロ・クリヴェッリ(ヴェネツィア、1430/1435-アスコリ・ピチェーノ、1495)の「聖母子」


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Crivelli,_madonna_d'ancona


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ネーリ・ディ・ビッチ(フィレンツェ、1419‐1491)の「聖母子」


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17世紀の無名画家の「聖母子」


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17世紀の無名画家の「La Carita」


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17世紀の無名画家の「シモン・ヴーエ作『キリストの埋葬』のコピー画」


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これは何でしょうか?


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髪の毛がついた本?


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また新しい作品です。


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展示方法が疑問で、戸惑ってしまいます。


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年代順に作品を並べて欲しい!!!!!


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新しい作品と古典作品がマッチして評論家筋から高く評価されている展示方法だそうです。


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見解の相違ですね。


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(つづく)




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私的には意味不明


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一緒に入館した2人は、この辺の作品を熱心に鑑賞してました。


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人の好みは本当に人それぞれですね。


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下の方にある手の意味が分かりません。


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ふ~ん、そうですか。


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くし?


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ボケ写真ですいません。


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階上に向かいました。


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-1階です。


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見たことがある顔です。


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写真かと思いました。


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オルフェオ?


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フランチェスコ・ポデスティの作品です。


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自分の作品も寄贈したフランチェスコです。


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フランチェスコ・ポデスティの作品です。


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何故ピストルなの?


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彫刻も制作していました。


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ここから休館前に展示されていた作品が始まります。


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以上3点はマルガリート・ダレッツォの作品(13世紀)です。
旧第1室の表示が残っていました。


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マルガリート・ダレッツォの作品(13世紀)です。


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パラッツォの中庭


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監視の係員が暇そうでした。


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0階になります。


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再び現代画になります。


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(つづく)

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アンコーナに行けば、市立絵画館が置かれている、この建物に必ず来ます。
2011年、修復工事と称して、休館となって久しいのですが、再オープンの話が一向にないので、気になって仕方がありません。


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クリヴェッリ、ティツィアーノ、ロレンツォ・ロットなどの貴重な作品を所蔵しています。


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2015年、再オープン予定とアンコーナ市HPに掲載されたこともありましたが、その記述は何時しか消去されたようで、その後、何の音沙汰もありませんでした。
2016年に関係者向けに内覧会のようなものが開催されましたが、正式オープンの話は一向に聞こえてきませんでした。
2017年になって、一般公開が再開されたことを知ったのです。ただ、木曜日夕方、金曜、土曜、日曜だけの開館で、毎週月曜から水曜まで休館(グループや学校関係の入館者については、予め連絡すれば開館)なので、旅程を組むには制約があると思っていました。
ところが、泊まっていたスペッロの花祭りが混雑し過ぎに加えて私にとって非常に退屈に思ったので、急遽、アンコーナ市立絵画館への日帰り遠足を思い立ったのです。


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従来、入り口だったところは出口になっていました。


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このように開館時間が明示されています。


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切符売り場と絵画館入口はVicolo Foschiにあります。ちょっと目立たない場所なので、行かれる方は注意が必要です。(従来の入り口に行ってしまうと、、遠回りすることになります)


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寧ろサンタ・マリア・デッラ・ピアッツァ教会を目指していくのが良いと思います。
鐘楼横の小道を少し上ったところに切符売り場があります。


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Pinacoteca Comunaleと出ているので迷うことはないでしょう。


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開館を待つ人が2人いました。
午前中の入館者は、結局私を含めて3人でした。


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扉が開きました。


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入ってビックリです。切符売り場と入り口(勿論、出口にもなります)、ブックショップがー4階で、+2階まである、全部で7階の大絵画館に変身したのです。
14世紀頃から18世紀頃までの絵画は、主に+1階と+2階に展示されてます。


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入り口から入ると、先ず目につくのが、フランチェスコ・マッジ(アンコーナ、1829‐1891)の「フランチェスコ・ポデスティの肖像」です。
絵画館は1884年のオープンですが、当時はフランチェスコ・ポデスティが個人収集し、寄贈した作品を主に展示していました。


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現代の作品の展示が以前と比べて拡大されました。


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サッパリ分かりません。


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この画家のことは全く知りません。


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私には理解不能です。


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次はー3階です。


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男性の下歯が黄色です。


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この辺の作品は何て言うべきか、考えてしまいます。


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少し古い時代の作品です。


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以前に見た記憶がある作品です。


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これは分かります、アンコーナの紋章です。


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ルイージ・ロッキ・カメラータ伯爵の胸像


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ロッキ・カメラータ家は、ベルガモ出身でアンコーナやイエージで財を成しました。ロッキ・カメラータ家の収集物をルイージがアンコーナ市に寄贈したのです。


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これがマドンナですと!


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今度はー2階です。


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点字?


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深淵過ぎて分かりません。


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以上3点はロベルト・パピーニの作品です。


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ユニークな作品ばかりが展示されてます。


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このコーナーの売りは、「古い建物空間と新しい作品の見事なコラボ」だそうです。


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くたびれた中年男にしか見えません。


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この絵画館は、現代画の展示に関して、イタリアで上位にランクされているそうです。


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ヘルメット?


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斬新です!


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芸術は深遠ですね。


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(つづく)



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教会の後陣を通り過ぎて、元の道まで上りました。


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チリアーコ・ピッツェコッリ通りに戻りました。


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市立絵画館の従来の入り口です。現在は出口になってます。


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今の入り口への行き方が図示されています。かなり遠回りしないと入り口に行けません。


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時間が余っていたので、サン・フランチェスコ教会を拝観することにしました。


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ファサードの彫刻が見所です。


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1323年創建のゴシック様式の教会ですが、途中の修復の結果、バロック様式や新古典様式の部分が認められます。


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鐘楼の内壁にフレスコ画があるようですが、何が描かれているのか、よく分かりません。


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ファサード前から海が見えます。


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ファサードの彫刻装飾はジョルジョ・ダ・セベーニコの作品(1454)です。


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中に入りました。


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新しく見えるのは、1953年に行われた修復によるものです。


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味気ない天井


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主祭壇


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主祭壇画は、ロレンツォ・ロットの「聖母被昇天」(1550)


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ペッレグリーノ・ティバルディの「キリストの洗礼」


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教会下にあるバールで一息入れました。


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間もなく市立絵画館の開館時間です。


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写真手前を右折しました。


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先客が2人いました。午前中の入館者は私を含めて3人でした。


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入口がー4階になります。


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カルロ・クリヴェッリの作品は非常に小さいのです。


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現代画、近代画の展示が充実しました。


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市立絵画館については、後で詳しく取り上げます。


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外に出ました。


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7年振りに傑作を見ることが出来て満足でした。


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正直なところ、以前の展示の方が遥かに良かったと思いました。特に、ルネサンス期の作品の横に現代画を展示する手法に違和感を覚えました。年代順に作品を展示して、どこが悪いの?


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このような展示法が流行していますね。


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かなり暑くなっていました。


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日曜日なので、乗車できる列車が限られます。


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駅に急ぎました。


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フォリーニョ行きのRVに乗車しました。


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市立絵画館だけに行ったアンコーナ日帰り遠足でした。


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フォリーニョ駅に到着しました。


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フォリーニョからタクシーでスペッロに戻りました。
アンコーナ市立絵画館に行って、気が済みました。
(おわり)


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2012年にアンコーナ市立絵画館に行きました。
扉が開いていたので、当然中に入りました。ところが切符売り場には誰もおらず、館内を回って漸く係員を探すことが出来ました。


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そうしたら、係員から「修復工事のため、休館中である」と告げられました。
ご覧のように工事は行われているどころか、中はいつもと同じようでした。見せて欲しいと頼みましたが、ダメと言われてしまいました。
その後、3回アンコーナを訪れ、工事の様子を見るためにここに来ましたが、物音一つ聞こえませんでした。
昨年秋、アンコーナのHPに近く再オープンされる予定と書かれるようになりました。今春、HP上に絵画館が再オープンされたことが掲載されました。
開館時間と私の旅行スケジュールが合わなくて、今年秋か来年に行ければ良いなと思っていました。
2017年6月17日と18日、お花祭り開催中のスペッロに2泊しましたが、17日のお祭り準備の段階で、スペッロはものすごい混雑で、美術鑑賞には全く不向きであることが分かりました。
18日は、スペッロのお祭りの他にトレヴィに日帰りする予定でしたが、17日の午後11時ころに、急遽アンコーナの市立絵画館に行こうと決心したのです。


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フォリーニョ発アンコーナ行き始発列車のRVに乗車しました。


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車窓からアンコーナが見えてきました。


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午前8時半頃、アンコーナ駅に到着しました。


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アンコーナ駅前です。
絵画館が開くのは午前10時です。開館まで1時間半あるので、徒歩でチェントロに向かいました。


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この日も快晴でした。
他の街では連日40度前後の猛暑に街歩きどころではありませんでしたが、港町のアンコーナは海のせいで、それほど気温が上がらないのです。


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吹き抜ける海風が心地よく、日差しの中でも問題なく歩くことが出来ました。


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港沿いの道を真っすぐ進みました。


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観光的には、この辺は何もありません。


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ピア門が見えてきました。


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教皇ピオ6世に命によって、1787年から1789年に建設されたピア門です。


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門を潜りました。
ピア門付近が駅とチェントロの入り口のほぼ中間だと思います。


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丘上に建つドゥオーモが見えていました。
写っている架線はトロリーバスのものです。


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ピア門からドゥオーモはかなり遠いのです。


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あそこまでは、とても行く気になれません。


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道路の下にあるのは、旧アンコーナ・マリッティマ駅です。
昔は、アンコーナ駅行き列車が頻発していて便利でしたが、合理化のため、2015年12月13日に廃止されました。


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数回、列車を利用したことがあります。


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見えてきたのは、トラヤヌス帝の像です。


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トラヤヌス帝の命により、アンコーナ北埠頭が建設され、アドリア海のみならず地中海貿易港としてアンコーナ繁栄が導きされたことに感謝するために像が建てられたそうです。


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この辺がチェントロの入り口になります。


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1827年に建設されたTeatro della Museです。
イタリア・オペラ上演で定評がありますが、このオペラ座の特徴はモーツアルトの作品を積極的に取り上げたことでしょう。イタリア語のダ・ポンテ三部作に留まらず、普段、あまり上演されることがない、モーツアルトの「偽の女教師」などのイタリア語オペラを上演したのです。


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劇場横の道を進みます。


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この辺からアンコーナ観光が始まります。


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サン・ドメニコ聖堂です。その下にある教皇像、フォンターナ、市立博物館などが見所ですが、何回も見て飽きているので、今回は見学省略です。


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Piazza del Plebiscito


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日曜日の午前9時前なので、どの店もやっていません。


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L'arco della prefettura


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トカゲの絵が描かれている案内板です。その指示に従って下に下りていきました。新絵画館の入り口は従来とは違った場所にあるのです。


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サンタ・マリア・デッラ・ピアッツァ教会後陣です。


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13世紀に建てられたロマネスク様式のサンタ・マリア・デッラ・ピアッツァ教会です。


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市立絵画館修復に合わせて、この教会も修復されたようです。


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普段、開いていることは滅多にありません。


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古いフレスコ画があります。


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これですね。


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開いていたら必見です。


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例え開いていなくてもファサードと鐘楼だけでも見る価値があると思います。


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鐘楼横の道を少し上ります。


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新設された市立絵画館の入り口です。


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開館まで50分ほど時間がありました。


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(つづく)


イコン展示の続きです。
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ヴォルガ上流域の「聖母の死」(17世紀末)


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ロシア中部の「使途たち」(17世紀末‐18世紀初頭)


P1950077
ノヴゴロドの「キリストの教え」(18世紀後半)


P1950082
ノヴゴロドの「十字架降下」(1480‐90c)


P1950085
ヤロスラヴリの「キリストの復活」(18世紀初め)


P1950090
パレフの「一週間」(19世紀初め)


P1950095
ロシア中部の「3月 4月 5月」(19世紀中頃)


P1950101
ロシア中部の「キリストの受難」(17世紀末)


P1950105
ロシア中部の「正義の死」(18世紀末)


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モスクワのイコンカバー(1846)


P1950112
ソフィアの「神の徳」(19世紀第2四半世紀)


P1950116
ロシア北部の「最後の審判」(18世紀前半)


P1950120
ロシア中部の「最後の審判」(19世紀末)


P1950122
ロシア中部の「最後の審判」(19世紀末)


P1950125
ロシアの「祈る聖母」(19世紀中頃)


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ロシアの「祈るキリスト」(19世紀中頃)


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ロシアの「キリスト」(19世紀中頃)


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ノヴゴロドの「聖母子」(15世紀)


P1950135
モスクワの「聖母子」(16世紀初頭)


P1950138
モスクワの「受胎告知」(18世紀初頭)


P1950141
ロシアの「聖母子」(18世紀末)


P1950145
ロストフの「聖母との別れ」(1705)


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中央ロシアの「聖母子」(19世紀中頃)


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モスクワの「聖母子」(19世紀中頃)


P1950155
ロシア中部の「聖母の誕生」(18世紀前半)


P1950157
ロシア中央の「聖母マリア」(17世紀末)


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ロシア中央の「創造の喜び」(19世紀前半)


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モスクワの「聖母との別れ」(16世紀)


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ウラジミールの「聖母子の奇跡」(19世紀末‐20世紀初め)


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これだけの数の聖母子に驚嘆しました。


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ヴォルガ地域の「イコンの歴史」(19世紀前半)


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北ロシアの「聖母」(17世紀末)


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北ロシアの「聖母子と聖人たち」(17世紀前半)


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モスクワの「聖母と聖人たち」(17世紀末)


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ノヴゴロドの「聖母の守護」(15世紀末)


P1950186
大変な数の展示です。


P1950187
サンクトペテルブルグのイコンカバー(1833)


P1950190
ウラジミールの「聖母の守護」(1830c)


P1950193
サンクトペテルブルクの「聖母の守護」(18世紀中頃)


P1950196
ロシアの地方の「聖母の守護」(18世紀初め)


P1950198
モスクワの「聖母の守護」(18世紀中頃)


P1950201
北方ロシアの「聖ニコラス」(17世紀中頃)


P1950204
北方ロシアの「聖ニコラス」(16世紀)


P1950207
ヴォルガ地方の「聖ニコラスの生涯」(18世紀初頭)


P1950211
北ロシアの「聖ニコラス」(18世紀中頃)


P1950214
モスクワの「聖パオロ」(17世紀第1四半世紀)


P1950217
ロシア中部の「聖トッマーゾ」(17世紀末)


P1950219
ノヴゴロドのイコンカバー(1792?)


P1950222
ウラジーミルの「聖ニコラス」(18世紀末)


P1950278
ここまで紹介した作品の3倍以上のイコンが展示されてます。


P1950280
キリがないので、イコン作品の紹介はこの辺で終わりにしましょう。


P1950281
イコンにご興味のある方にとって、この美術館は必見でしょうね。


P1950282
イコンの制作者が分からない理由が知りたいです。


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特にイコンの細密画には驚嘆しました。


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P1950285
外に出ました。


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(おわり)

P1940923
次の部屋です。


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P1940924
アエネイスの間と呼ばれてます。


P1940927
アエネイスの間もスタッコ彫刻とフレスコ画で装飾されてます。


P1940929
スタッコ彫刻は、ジローラモ・アリプランディのサークルによって1692年から1694年に制作されました。


P1940930
Louis Dorigny (Parigi, 1654- Verona, 1742)のフレスコ画(1692‐94)


P1940931


P1940933
フランチェスコ・フォンテバッソ(ヴェネツィア、1707‐1769)の「ディアナとカッリスト」(1740‐60c)


P1940936
ヴェネトの無名画家の「芸術の寓意」(1745‐55c)


P1940939
フランチェスコ・ズッカレッリの「エウロパの強奪」(1740‐45c)


P1940941
ヴェネトの無名画家の「ヴェネツィアの司法官の肖像」(1750‐70c)


P1940945
ジャンバッティスタ・ティエポロ(ヴェネツィア、1696‐マドリッド、1770)の「最後の審判」(1730‐35c)


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次は「ムーセの間」です。


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この部屋には展示作品がありません。壁に描かれたフレスコ画を見るだけです。


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剥離箇所が多く、保存状態が良くありません。


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フレスコ画はLouis Dorignyによって1692年から1694年にかけて制作されました。


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保存状態が比較的良いのは天井のフレスコ画です。


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ロッジャを通ってイコンの展示室に向かいます。


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ロッジャのスタッコとフレスコが見事です。


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Louis Dorignyのフレスコ画


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ジローラモ・アリプランティのサークルによるスタッコ彫刻


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見事な天井装飾ですが、個人的にはゴテゴテ感がする後期バロック様式が苦手です。


P1950107
イコンの展示コーナーです。


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ここで展示されているイコンは、ロシアの正教会のものです。


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ロシアの「聖人たち」(19世紀中頃)
イコンの製作者はすべて不明です。


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ロシア中央の「聖人たち」(19世紀)


P1940971
モスクワのイコン(16世紀末)


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ロシア西部の「預言者」(17世紀)


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シベリアの「大天使ミケーレ」(16世紀)


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ロシアの地方の「祈るキリスト」(16世紀)


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シベリアの「大天使ガブリエーレ」(16世紀)


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ロシアの「聖バルトロメオ」(19世紀末‐20世紀初頭)


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ロシアの「聖バルトロメオ」(19世紀末‐20世紀初頭)


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ロシアの「三預言者」(18世紀後半)


P1940996
ロシアの「聖パオロ、聖シモーネ、聖トッマーゾ」(19世紀末‐20世紀初頭)


P1940999
ロシアの「キリストと使徒たち」(15世紀末)


P1950004
ロシア中央の「サンタ・トリニータ」(16世紀末‐17世紀初頭)


P1950006
ノヴゴロドの「預言者エリア」(13世紀後半)


P1950009
北ロシアの「預言者エリア」(19世紀)


P1950014
ノヴゴロドの「預言者エリアの昇天」(16世紀)


P1950018
ロシア中央の「救世主」(18世紀後半)


P1950021
ウラジーミルの「聖人たち」(20世紀初め)


P1950024
ヴォログダの「聖書の物語」(15世紀末‐16世紀初頭)


P1950033
モスクワの「受胎告知」(16世紀末)


P1950035
ノヴゴロドの「受胎告知」(17世紀後半)


P1950039
ノヴゴロドの「キリストの誕生」(1475c)


P1950042
ロシア中央の「キリストの誕生」(18世紀前半)


P1950046
ロシアの「キリストの誕生」(18世紀後半)


P1950049
ロシア中央の「教会博士との問答」(19世紀)


P1950053
ロシア中央の「最後の晩餐」(18世紀後半)


P1950056
ヴォルガ地域の「三位一体とキリストの復活」(1780年代)


P1950059
ロシア中部の「キリストの変容」(18世紀初め)


P1950062
ロシアの「キリストの墓の前の女たち」(19世紀初頭)


P1950065
ロシアの「磔刑」(17世紀末)
(つづく)






P1940810
次の部屋です。


P1940811
展示されている作品がなく、部屋のスタッコ彫刻とフレスコ画を見るようになってます。


P1940813
フレスコ画はジュゼッペ・アルベルティによって描かれました。


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スタッコ装飾はジローラモ・アリプランティのサークルによるものです。


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次の部屋です。


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主に18世紀のヴェネツィア派絵画が展示されてます。


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部屋のスタッコ彫刻は、ジローラモ・アリプランディのサークルによるものです。


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ピエトロ・ロンギの作品が展示の中心です。


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ピエトロ・ロンギ(ヴェネツィア、1701‐1785)の「羊飼いの少年」(1735‐40c)


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ピエトロ・ロンギの「羊飼いの少女」(1735‐40c)


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ピエトロ・ロンギの「いかさま師」(1750‐60c)


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ピエトロ・ロンギの「ボルゴーニャ小劇場」(1760‐65c)


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ピエトロ・ロンギの「新世界」(1750‐60c)


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ピエトロ・ロンギの「家族の肖像」(1780c)


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ピエトロ・ロンギの「ペントラッチャ」(1750‐60c)
辞書を引いたところ、ペントラッチャとは、目隠しで水入りの瀬戸物を割る遊びの意味と分かりました。


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ピエトロ・ロンギの「失神」(1750‐60c)


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ピエトロ・ロンギの「象」(1774)


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ヴェネトの無名画家の「犀」(1751)
以前、この作品はピエトロ・ロンギの帰属作品とされていましたが、近年の研究によってピエトロ作説が否定されるようになりました。


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ピエトロ・ロンギの模倣者の「宣言」(1750‐70c)


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ピエトロ・ロンギの模倣者の「貴婦人の寝覚め」(1750‐70c)


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ピエトロ・ロンギの追随者の「ヴェネツィアのダンドーロ広場の休憩所」(1750‐70c)
絵画上の模倣者と追随者の区別が、私にはよく分かりません。


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ピエトロ・ロンギの追随者の「ヴェネツィアのダンドーロ広場の休憩所」(1750‐70c)


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ピエトロ・ロンギの追随者の「コーヒーショップ」(1750‐70c)


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ピエトロ・ロンギの追随者の「音楽のレッスン」(1750‐70c)


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次は「動物研究の間」です。


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この部屋には、ヴェネツィア派画家たちの風景画が展示されてます。


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「動物研究の間」のフレスコ画は、1684年にヴィチェンツァの無名画家によって制作されました。


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フレスコが落剝している部分がかなりあります。


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ジローラモ・アリプランティのサークルによるスタッコ装飾です。(1688年)


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次は、「動物研究の間」に展示されている絵画作品の紹介です。


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フランチェスコ・グアルディ(ヴェネツィア、1712‐1793)の「田舎の風景」(1780‐90c)


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フランチェスコ・グアルディの「ヴァル・ディ・ソーレの風景」(1780‐90c)


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アントニオ・マリア・マリーニ(ヴェネツィア、1668‐1725)の「滝がある山の風景」(1690‐1700c)


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カナレット(ヴェネツィア、1697‐1768)の「ラグーナとゴシック様式の教会」(1720‐21c)


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フランチェスコ・グアルディの「サン・マルコ広場の風景」(1775‐80c)


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フランチェスコ・アルボット(ヴェネツィア、1721c‐1757)の「サンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ教会」(1742‐50c)


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ミケーレ・マリエスキ(ヴェネツィア、1710‐1744)の「リアルト橋付近の大運河の風景」(1730‐35c)


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フランチェスコ・アルボットの模倣者の「大運河のカナレッジョ付近の風景」(18世紀末?)


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Hendrik Frans Van Lint (Antwerpen, 1684- Roma, 1763)の「サルーテ教会が見えるヴェネツィアの風景」(1750c)


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Luca Carlevarijs (Udine, 1663- Venezia, 1730)の「1711年11月6日のカルロ6世一行のミラノ・ドゥカーレ広場への到着」


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Luca Carlevarijsの「ウーディネのコンタレーナ広場の風景」(1720c)


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Luca Carlevarijsの「ヴェローナのネーヴィ橋付近の風景」(1720c)


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フランチェスコ・ズッカレッリ(ピティリアーノ、1702‐フィレンツェ、1788)の「アンドレア・パッラーディオの寓意的祝典のヴィチェンツァ」(1746‐52c)
(つづく)


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見どころが多いヴィチェンツァのContra Santa Coronaです。


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その通りに面して建っているのが、バロック様式のPalazzo Leoni Montanariです。


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繊維業で財を成したジョヴァンニ・レオーニ・モンタナーリは爵位を切望していましたが、爵位に相応しい邸宅の建築を考えるに至り、1678年から建設工事が始められ、18世紀後半に完成したのがPalazzo Leoni Montanariです。
建築家が誰であったのか、今となっては明確になってませんが、恐らくロンバルドの建築家ジュゼッペ・マルキがパッラーディオの建築様式を取り入れて設計したであろうとの説が有力とされてます。


P1940326
1808年、Palazzoは、モンタナーリ家からジローラモ・エジーディオ・ディ・ヴェーロ伯爵に売却されました。売却に伴い、邸宅の一部の内装が伯爵の好みである新古典様式に改められました。また、ヴェーロ伯爵は有名な美術コレクターでしたが、彼の収集物がこの美術館展示の一部になってます。


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1908年までに、Palazzoは伯爵家からアンブロジアーノ・ヴェネト銀行(現インテーザ・サンパオロ銀行)の所有となりました。
1999年、伯爵家の収集物を含むインテーザ・サンパオロ銀行保有の美術品を展示するために、開館したのが現在の美術館です。


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公開されている各部屋の装飾、18世紀のヴェネツィア絵画、ロシア・イコンなどが見所の美術館です。


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入館しました。


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中庭を経て展示室に向かうようになってます。


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井戸?


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入口ロビーの装飾は、彫刻家アンジェロ・モリナーリによるものです。


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展示室は階上にあります。


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会議室、講演室?に出ます。


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アポッロの間


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アポッロの間のフレスコ画は、ジュゼッペ・アルベルティ(カヴァレーゼ、1640‐1716)によって制作されました。


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次は「古代ローマの間」です。


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「古代ローマの間」のフレスコ画は、フランチェスコ・ポッツォ(クレマとヴィチェンツァで17世紀末に活動)によって17世紀末に描かれました。


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「古代ローマの間」の展示は、エトルリア遺跡からの出土物です。


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次の部屋です。


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四大陸の間と呼ばれてます。


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スタッコ彫刻とフレスコ画で装飾されている部屋です。


P1940787
スタッコ彫刻は、ジローラモ・アリプランティ(コモ、1650c‐1690以降没)とアンドレア・ペッリ(ヴェネトとトレントで17世紀末活動)によって1688年に制作されました。


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フレスコ画は、ジュゼッペ・アルベルティの作品(1688)です。


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P1940792
暖炉上の装飾は、18世紀第3四半世紀にフランチェスコ・ロレンツィ(ヴェローナ、1723‐1783)によって行われました。


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次は「真実の間」です。


P1940801
天井のフレスコ画は、ジュゼッペ・アルベルティの作品(1688)です。


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スタッコ彫刻は、ジローラモ・アリプランティとアンドレア・ペッリの作品(1688)です。


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P1940806


P1940807


P1940808


P1940809
(つづく)




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アレッサンドロ・マガンツァの「信義」


P1950445
アレッサンドロ・マガンツァの「希望」


P1950443
アレッサンドロ・マガンツァの「慈愛」


P1950448
アレッサンドロ・マガンツァの「悔悛」


P1950450
アレッサンドロ・マガンツァの「聖ジローラモの幻視」


P1950453
ジョヴァンニ・バッティスタ・ツェロッティ(ヴェローナ、1526‐マントヴァ、1578)の「聖パオロの回心」


P1950455
ジョヴァンニ・バッティスタ・ツェロッティの「漁の奇跡」


P1950459
16世紀のヴェローナの無名画家の「聖母子と聖人たちと寄進者」(16世紀後半)


P1950462
16世紀のヴェネトの無名画家の「受胎告知」(16世紀第4四半世紀)


P1950466
アレッサンドロ・トゥルキ通称オルベット(ヴェローナ、1578‐ローマ、1650)の「園の祈り」


P1950468
17世紀のヴェネトの無名彫刻家の「聖フランチェスコ(ブロンズ)」(17世紀)


P1950470
17世紀のヴェネトの無名彫刻家の「聖アントニオ」(17世紀)


P1950473
フランチェスコ・マッフェイ(ヴィチェンツァ、1605‐パドヴァ、1660)の「最後の晩餐」


P1950475
17世紀のヴィチェンツァの無名彫刻家の「洗礼者聖ジョヴァンニ」(17世紀後半)


P1950478
17世紀後半のヴェネトの無名画家の「父なるアントニオ・パガーニの肖像」(1690‐1700c)


P1950480
ジュリオ・カルピオーニの領域の「十字架を担ぐキリスト」(17世紀後半)


P1950483
ジュリオ・カルピオーニ(ヴェネツィア、1613‐ヴィチェンツァ、1678)の「マギの礼拝」


P1950487
ジュリオ・カルピオーニの「聖家族と聖エリザベッタと聖ジョヴァンニーノ」


P1950491
フランチェスコ・マッフェイの「磔刑」


P1950494
フランチェスコ・マッフェイの「キリストの鞭打ち」


P1950496
次の部屋です。


P1950497
オラツィオ・マイナーリの領域の「聖家族」


P1950500
ウバルド・ガンドルフィ(ボローニャ、1728‐1781)の「聖ジュゼッペの死」


P1950503
アントニオ・デ・ピエーリ通称ロ・ゾッポ(ヴィチェンツァ、1671‐1751)の「キリストとサマリア女」


P1950506
アントニオ・デ・ピエーリ通称ロ・ゾッポの「聖アポッロニア」


P1950508
ウバルド・ガンドルフィの「聖家族と三位一体」


P1950512
ジローラモ・ブルサフェッロ(ヴェネツィア、1677‐1745)の「我に触れるな」


P1950515
ジローラモ・ブルサフェッロの「ラザロの蘇生」


P1950518
ジローラモ・ブルサフェッロの「キリストとサマリア女」


P1950522
ジローラモ・ブルサフェッロの「キリストと百人隊長」


P1950524
誰もいませんね、勿体ないことです。


P1950526
ローマ?の無名画家の「ジョヴァンニ・バッティスタ・ガウッリ作『天井のキリストとフランチェスコ会聖人と修道士たち』の複製画」(18世紀前半)


P1950528
聖具類の展示


P1950529


P1950531
バルトロメオ・リッテリーニ(ヴェネツィア、1669‐1748)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」


P1950533
ピエトロ・ローイ(ヴィチェンツァ、1819‐ヴェネツィア、1896)の「ジュゼッペ・カッペッラーリ司教の肖像」


P1950535
ジュゼッペ・ストッキエーロ(ヴィチェンツァ、1890‐1946)の「フェルディナンド・ロドルフィ司教の肖像」


P1950537


P1950538
教区博物館の定番の展示です。


P1950540
18世紀のヴェネトの無名画家の「マルコ・ザグーリ司教の肖像」(18世紀後半)


P1950544
ローマ時代の遺跡からの発掘物


P1950546
ローマ時代の建造物の柱頭(1世紀中頃)


P1950548
司教博物館の展示としてはごく普通です。


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時間があれば入館しても損はないと思います。


P1950553
(おわり)


P1950361
ヴィチェンツァの司教館です。


P1950364
司教館はドゥオーモのファサードの斜め前にあります。


P1950365
司教館にあるのがMuseo Diocesano、教区博物館です。


P1950366
14世紀後半のイタリアの無名彫刻家の「聖母子」(14世紀末)


P1950368
ガジーニ工房?の「聖ジャコモ」、「聖アンドレア」(15世紀)


P1950371
イギリスの無名彫刻家の「最後の晩餐」、「キリストの昇天」、「聖霊降臨」(15世紀第2四半世紀)


P1950375
現代の宗教画が展示されてます。


P1950376
イコンも展示されてます。


P1950377
制作者不詳の「墓石のマギの礼拝」」(15世紀末)


P1950379
「ヴィチェンツァ・ドゥオーモにあった彫刻」(8世紀)


P1950381
「ヴィチェンツァ・ドゥオーモの彫刻断片」(7世紀末‐8世紀初頭)


P1950383
「ヴィチェンツァの教会にあった彫刻断片」(8世紀)


P1950385
シチリアの工芸家の作品(13世紀第2四半世紀)


P1950386
シチリアの工芸家の作品(13世紀第2四半世紀)


P1950388
ヴェネトの無名画家の「ヴィチェンツァ・ドゥオーモのフレスコ画断片」(14世紀末‐15世紀初頭)


P1950391
アンジェロ・ディ・ジョヴァンニ・ダ・ヴェローナの「聖人」(1469)


P1950392
アンジェロ・ディ・ジョヴァンニ・ダ・ヴェローナの「聖人」(1469)


P1950393
アンジェロ・ディ・ジョヴァンニ・ダ・ヴェローナの「聖人」(1469)


P1950396


P1950397


P1950399
ヴェネトの無名彫刻家の「磔刑」(15世紀前半)


P1950402
ヴィチェンツァ?の無名画家の「聖母子と2天使」(15世紀中頃)


P1950405
ヴェネトの無名画家の「キリストの鞭打ち」(16世紀前半)


P1950408
ヴェネトの無名画家の「死せるキリストを支える2天使」(15世紀末)


P1950410
ヴェネトの無名画家の「聖ベルナルディーノ」(16世紀初頭)


P1950413
ジョヴァンニ・バディーレ(ヴェローナ、1379c‐1448)の「ヴィチェンツァ・ドゥオーモにあったフレスコ画断片」


P1950414
ジョヴァンニ・バディーレの「ヴィチェンツァ・ドゥオーモのフレスコ画断片」


P1950417
ジローラモ・バッサーノ(バッサーノ・デル・グラッパ、1566‐1621)の「園の祈り」


P1950420
パリス・ボルドン(トレヴィーゾ、1500‐1571)の「祈るキリスト」


P1950422
ジャンバッティスタ・マガンツァ・イル・ジョーヴァネ(ヴィチェンツァ、1577‐1617)の「聖ジローラモ」


P1950425
ポルフィーリオ・モレッティ(16世紀後半生まれ‐1624年以降ヴィチェンツァで没)の「死せるキリストを支える2天使と聖人たち」


P1950429
ヴェネトの工房の「聖母子」(16世紀後半)


P1950432
アレッサンドロ・マガンツァ(ヴィチェンツァ、1548‐1632)の「聖ジローラモの幻視」


P1950435
アレッサンドロ・マガンツァの「キリストの復活」


P1950438
アレッサンドロ・マガンツァの「永遠なる父」
(つづく)

P1940154
ヴィチェンツァは単独の司教区となっており。その司教座が置かれているCattedrale di Santa Maria Annunciataです。


P1940148
多色の大理石を使った、ゴシック様式の美しいファサードが特徴です。
しかし、現在のファサードはオリジナルのものではありません。第二次世界大戦の爆撃によってオリジナルのファサードは殆ど崩落してしまったので、現在、見ることが出来るファサードの大部分は戦後に造り直されたものです。


P1940143
この地に、古代ローマの建物がありましたが、その建物内に3世紀頃、小さな初期キリスト教会が設けられましたが、それが前身とされてます。その後、数回建て直されました。ロレンツォ・ダ・ボローニャの設計によって、1482年に創建され、1560年代に完成したゴシック様式の建物が現在の姿の原型となってます。


P1940156
クーポラ、後陣、身廊側出入口は、アンドレア・パッラーディオの設計によるルネサンス様式となってます。


P1940022
パッラーディオが設計した出入口


P1940158
後陣


P1940018
鐘楼は後陣の向かいにあります。


P1940019
ゴシック様式の鐘楼は二代前の建物の鐘楼として10世紀に建てられ、12世紀に現在の高さまで高くされました。現在のドゥオーモの中で、クリプタに次いで二番目に古いものです。


P1940144
ファサード側の出入り口から中に入りました。


P1940023
単廊式、ゴシック様式の広く大きな空間を持つ内部です。


P1940024
左右の側壁に礼拝堂が設けられてます。


P1940025
右側壁


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簡素な装飾の天井


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床の模様


P1940028
礼拝堂を見て回りました。


P1940029


P1940031
アレッサンドロ・マガンツァの「聖母被昇天」


P1940035
アレッサンドロ・マガンツァの「死せるキリストとマグダラのマリアと聖フランチェスコ」


P1940037
入り口近くにある磔刑像(詳細不明)


P1940040
17世紀の無名画家の「パドヴァの聖アントニオ」


P1940041


P1940043
バルトロメオ・モンターニャの「玉座の聖母子とマグダラのマリアと聖ルチア」


P1940044
詳細不明のフレスコ画


P1940047


P1940048
次の礼拝堂です。


P1940049
アントニーノ・ダ・ヴェネツィアの「聖母戴冠」(1448)


P1940051
木製彫刻に彩色した作品です。


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誰の墓でしょうか?


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次の礼拝堂です。


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祭壇にタベルナコロが置かれてます。


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ジャンマッテオ・アーゾラと弟子のレオーネ・レオーニによって描かれた作品です。


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全部で5点の作品があり、テーマはキリストの受難です。


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2人で一緒に描いた作品はありません。それぞれ師匠と弟子単独で描かれましたが、作品帰属は明確になってません。


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17世紀の無名画家の作品


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この奥にも礼拝堂があります。


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詳細不明


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クリプタに入りました。


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12世紀初頭から13世紀後半に建てられた三代目の教会がクリプタの原型です。


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祭壇の彫刻(14世紀)


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ジャンマッテオ・アーゾラとレオーネ・レオーニの作品


P1940083
ニコラ・ヴィチェンティーノの作品(1563‐65)


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20世紀に描かれた「ピエタ」(制作者不明)


P1940087
内陣に戻ります。


P1940088
中央礼拝堂


P1940090
後陣に祭壇画が10点以上あるのですが、後陣は立ち入り禁止なので見ることが出来ませんでした。


P1940091
ルッフィーノ・ディ・アッシジやジュリオ・ロマーノなどの作品があるようです。


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次の礼拝堂です。


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ジャンバッティスタ・ピットーニの「玉座の聖母子とトレンティーノの聖二コラとバーリの聖二コラ」(1744)


P1940096
17世紀の無名画家の「受胎告知される聖母」


P1940098
詳細不明


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ロレンツォ・ヴェネツィアーノの「聖母の死の多翼祭壇画」(1366)


P1940106
ロレンツォの最高傑作と言われてます。


P1940108
数年前に修復されたばかりです。


P1940114
逆光のためよく見えません。


P1940117
裾絵の聖人たち


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今の建物の前の建物の主祭壇に置かれていたそうです。


P1940135
フランチェスコ・マッフェイの「マギの礼拝」


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アレッサンドロ・マガンツァの「羊飼いの礼拝」


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詳細不明


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古いフレスコ画が残ってます。


P1940123
詳細不明


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現代に描かれた「受胎告知」


P1940157
(おわり)

P1950332
Palazzo Thieneをちょっとだけ見学することにしました。


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1542年、マルカントニオ・ティエーネとアドリアーノ・ティエーネがジュリオ・ロマーノに設計を依頼したのですが、1544年になって、ジュリオ・ロマーノの原設計に対してアンドレア・パッラーディオが一部の設計変更を行い、建設されました。


P1950334
ジュリオ・ロマーノの原設計のまま建設されなかった理由が不明です。


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Palazzo Thieneは、現在、Banca Popolare di Vicenzaの所有となっており、同銀行の本社が置かれてます。


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この記事を書いたのは、5月22日でしたが、先月(6月)、同銀行についてニュースが伝えられたので、7月初め(現在ですが)、記事を一部修正しました。


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欧州中央銀行(ECB)は、6月23日、Banca Popolare di Vicenzaを破綻しつつある、或いは破綻の可能性が高いと判断を示し、イタリアの破産関連法に基づいて清算することになるとの見通しを示しました。
このニュースを聞いて、私が気になるのは、プラートのパラッツォ・デリ・アルベルティ美術館です。ここは同銀行の所有であり、支店が置かれているのですが、その2階の副社長室に50点ほどの絵画があります。。カラヴァッジョの「荊刑のキリスト」、ジョヴァンニ・ベッリーニの「磔刑」、フィリッポ・リッピの「聖母子」があるのです。電話予約すれば見ることが出来たのですが、2016年7月に休館となり、その後、開館の話を聞いたことがありません。
破綻となれば、所有美術品は売却され美術館どころではないでしょう。


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次はMuseo Diocesanoです。


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夕方を迎えたCorso Palladioです。


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パッラーディオが設計した建物です。


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午前中に外観だけ見ました。


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ゆっくり見学したいところですが時間がありません。


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歩くのが楽しくなる街です。


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高さ82mのTorre Bissareに上るのは難しそうです。


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バジリカの見学も出来ませんでした。


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Loggia del Capitaniato


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シニョーリ広場


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Museo Diocesanoはドゥオーモの前にあります。


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ドゥオーモを通り過ぎました。


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ドゥオーモ広場


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司教館にMuseo Diocesanoが置かれてます。


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司教館の前に立つのはヴィットリオ・エマヌエーレ2世の像です。


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以前は土日だけの開館だったので、一度しか入館したことがありません。当時は写真厳禁だったので、どのような作品が展示されていたのか殆ど覚えていません。


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Museoの入り口です。


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残念なことに、重要な作品はあまりありません。


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展示作品の質と量は普通です。


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空間を十分にとった、ゆったりとした展示なので非常に鑑賞し易い。


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Museoについては、日を改めて詳しく触れることにします。


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外に出ました。


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ドゥオーモ近くにあるお店です。


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カステッロ広場


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広場の一部はバスターミナルになってます。


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パッラーディオが設計した建物です。


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壁に日が当たっている方は普通の建物に見えます。


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Palazzo Porto


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一日中、時間に追われてゆっくり出来ませんでした。


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流石に疲れました。


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一旦、ホテルに戻って一休みすることにしました。


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Palazzo Piovini


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カステッロ門


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門を潜って城壁の外に出ました。


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有意義な一日でした。


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歩いた距離は大したことがありませんが、クイック・バイトの昼食を除いて殆ど立ったままでした。


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駅に向かう人々。


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カステッロ門を潜った下にスーパーがあります。ここで果物を買いました。


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主なところ全部を一日で見ようとするのは、やはり無理でした。


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もう無理はできない体であることを忘れていました。


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この日は、これで終わりです。(夕食の外出時にカメラを持っていくのを忘れたので写真がありません)


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さて、翌朝です。


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この日も快晴でした。


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ホテルの朝食を開始の7時から食べて、急いで駅に来ました。


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午前7時半でした。


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列車に乗り、パドヴァ経由でカステルフランコ・ヴェネトに向かいました。


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(おわり)

P1940727
次は、ユニークな展示を誇るGallerie d'Italia です。


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Gallerie はサンタ・コローナ教会と同じ通りにあります。


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教会を通り過ぎました。


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この通りに見どころが3つ固まってます。


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そのうちの一つが考古学博物館です。


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ヴィチェンツァ・カードで入館出来ますが、時間に余裕がないのでパスしました。


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次のGallerieが見所豊富なので、予定している2時間では足りないかも知れません。


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ヴィチェンツァ貴族で富裕な商人でもあったレオーニ・モンタナーリが1678年に建て始めたPalazzo Leoni Montanariです。


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現在、PalazzoはIntesa Sanpaolo銀行の所有となってます。同銀行などの保有美術品のために、Gallerieとして1999年にオープンした新しい美術館です。


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その展示は多岐にわたり、併せてパラッツォの各部屋の装飾も大きな見どころとなってます。


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はっきり言って、この美術館は中級以上の美術ファンにとっては非常に楽しいと思いますが、それ以外の人には退屈と思います。


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18世紀のヴェネツィア派絵画作品が充実しています。


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ここの最大の特徴はイコン作品の展示が素晴らしいことです。


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イコンの展示では、その質と数において、イタリア一と思います。


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Gallerieについては、後程、別個に取り上げる予定です。


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外に出たら、日が傾いていました。


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ヴィチェンツァ観光が見所が多くて大変です。
次はサント・ステファノ教会です。


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12世紀創建、15世紀に完成したPalazzo Negri De Salvi


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サント・ステファノ教会です。


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現在の建物は、1685年に創建され、1740年に完成した四代目となるものです。
この地にあった初期キリスト教会が前身です。12世紀に再建され、1459年に再再建された歴史があります。


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ファサードの彫刻は、ジャコモ・カッセッティ(サム部ルソン、1682‐ヴィチェンツァ、1757)の作品です。


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ジャコモ作の彫刻


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単廊式、ラテン十字形、バロック様式の内部です。


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左側壁


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右側壁


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クーポラ


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中央礼拝堂


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後陣


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祭壇画を見て回りました。


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パルマ・イル・ヴェッキオの「玉座の聖母子と聖ジョルジョと聖ルチア」


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詳細不明


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アントニオ・アッリゴーニの「パドヴァの聖アントニオに顕現する幼きキリスト」(1710)


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ドメニコ・ティントレットの「聖パオロ」
数年前までドメニコの父であるヤコポ・ティントレットの作品とされていましたが、近年の詳細な鑑定によって息子ドメニコの作品と帰属が変更されました。


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アレッサンドロ・マガンツァの「キリストの洗礼」


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ジョヴァンニ・バッティスタ・マガンツァ・イル・ヴェッキオの「聖ステファノの殉教」


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フランチェスコ・マッフェイの「聖ガエターノの変容」


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秀作があるので、拝観する価値があります。


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ドメニコ・アンジェリ作の礼拝堂


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見逃した作品が3店ありました。


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出入口方向


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外に出ました。


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パッラーディオの作品です。


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(つづく)

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ヴィチェンツァの中世の歴史において、重要な役割を果たしたサンタ・コローナ教会です。


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1259年、ヴィチェンツァ司教ベアート・バルトロメオ・ダ・ブレガンツェがフランス王ルイ9世から聖遺物のトゲ(荊刑を受けたキリストが被されていた)の寄贈を受けました。
それを祀るために、ヴィチェンツァ自治政府とドメニコ会によって、1261年から教会の建設が始められました。


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1270年完成、1504年に奉献されたロンバルディア・ゴシック様式の教会です。


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大理石造りの壮大なファサードが特徴です。


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ファサードのバラ窓


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入口ポータル上ルネッタの彫刻「荊刑のキリスト」は、19世紀に制作された二代目のものです。


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柱頭


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修道院の建設が1265年頃に始められ、1532年に完成しました。


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この教会修道院には暗い歴史があるのです。


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写真右の建物の白っぽい部分は、1944年の米英軍による爆撃によって破壊され、戦後に再建された箇所です。
そこは異端審問所が置かれた場所で、その下には拷問部屋と囚人部屋があったそうです。
1797年、ナポレオン軍の侵攻によってヴィチェンツァはナポレオン軍の占領下におかれ、それと同時に活動停止の命を受け、サンタ・コローナ教会修道院は閉鎖されますが、その時まで異端審問が行われていたのです。
ここの異端審問の特異な点は、単に宗教上に留まらず、キリスト教で卑賤の業とされた金貸しを異端審問の対象者として厳しく罰したことでした。
財産没収、処刑された金貸し業者が多数に上ったとされていますが、それらの記録の焼却によって証拠隠滅がなされ、具体的なことは殆どわかっていません。


P1940191
三廊式、ラテン十字形の内部です。
現役の教会ですが、多数の美術作品があることからMuseoとして公開されており、拝観有料となってます。


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内陣中央から左側廊方向を見たところです。


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左側廊


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右側廊方向


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右側廊


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天井の装飾


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バルトロメオ・モンターニャ(オルツィヌオーヴィ、1450c‐ヴィチェンツァ、1523)の「マグダラのマリアと4聖人(聖ジローラモ、聖パオラ、聖モニカ?、聖アゴスティーノ)」(1514‐15c)


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レアンドロ・ダ・ポンテ通称レアンドロ・バッサーノ(バッサーノ・デル・グラッパ、1557‐ヴェネツィア、1622)の「聖アントニーノの施し」(16世紀末)


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レアンドロ・ヴェネツィアーノ(14世紀後半活動)とマルチェッロ・フォゴリーノ(ヴィチェンツァ、1483‐トレント?、1550)の「星の聖母」(1360c、1519)


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ガルツァドーリの祭壇


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ジョヴァンニ・ベッリーニ(ヴェネツィア、1430c‐1516)の「キリストの洗礼」


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横から撮った方が作品画像がはっきりします。


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アレッサンドロ・マガンツァ(ヴィチェンツァ、1548‐1632)の「聖人たち(聖母、マグダラのマリア、福音書記者聖ルーカ、聖アントニオ・アバーテ、聖ライモンド)を祝福するキリスト」(1604)


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聖なるトゲ礼拝堂です。


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ジャコモ・テントレッロ(16世紀活動)の「荊刑のキリスト」(1563)


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中央礼拝堂はロレンツォ・ダ・ボローニャの作品(1504)です。


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後陣の装飾


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主祭壇は、フィレンツェのコルバレッリ家と工房の作品(1681‐1685)の作品です。


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「荊刑のキリスト」
コルバレッリ家と工房ですが、フランチェスコ・コルバレッリが親方で、その息子ドメニコによって主導され、ピエトロ・パオロ、ベネデット、アントニオ、ジャンバッティスタなどの息子や弟子がいたとされてます。


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「最後の晩餐」


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「キリストの復活」


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絵画も組み込まれてます。


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後陣に入ることが出来ます。


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中央礼拝堂の彫刻は、アンジェロ・マリナーリ(アンガラノ、1654,1654‐ヴィチェンツァ、?)の作品(1691‐1700)です。


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聖ジローラモ


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マグダラのマリア


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天使


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後陣のステンドグラス


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クーポラ


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聖歌隊席です。


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聖歌隊席は、ピエル・アントニオ・デル・アッバティー・ダ・モデナの作品(1544)です。


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P1940221
ジョヴァンニ・バッティスタ・ピットーニ(ヴェネツィア、1687‐1767)の「聖母子と聖ピオ5世と聖ピエトロと聖パオロ」(1718‐25)


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ミケリーノ・ダ・ベソッツォ(ベソッツォ、1370‐1455)のフレスコ画(15世紀初め)


P1940225
これもミケリーノのフレスコ画です。


P1940229
アントニオ・デ・ピエーリ(ヴィチェンツァ、1671‐1751)の「聖ヴィンチェンツォ・フェッレーリに顕現する聖母子と聖ヴィンチェンツォ・マルティーレと聖ジローラモ」(1750)


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ロザリオの聖母礼拝堂


P1940235
パオロ・ヴェロネーゼ(ヴェローナ、1528‐ヴェネツィア、1588)の「マギの礼拝」(1573)


P1940238
ジョヴァンニ・ブサート(ヴィチェンツァ、1806‐1886)の「聖ジュゼッペの死」(1875)


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ドメニコ・ツォルツィ(ヴェローナ、1729‐パドヴァ、1792)の「聖母の教育」(18世紀)


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フランチェスコ・マッフェイ(ヴィチェンツァ、1605c‐パドヴァ、1660)の「ベアート・マッテオ・カッレーリオ」(1632c)


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詳細不明


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フレスコ画が残されてます。これらは、16世紀に活動した画家アレッサンドロ・ヴェルーラの作品(1519)です。


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「慈悲の聖母」


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「ベアート・イスナルド・ダ・キャンボ」


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聖水盤


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出入口


P1940333
外に出ました。


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アンドレア・パッラーディオの墓があるクリプタは非公開でした。


P1940330
(おわり)

P1940453
次はオリンピコ劇場です。


P1940451
劇場は、13世紀に建設された城の中庭にあります。
ここは城の城門です。


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門を潜って中庭に入りました。


P1940351
中庭に彫像などが並んでます。
これらは、遺跡からの発掘物なのか、もともと城にあったのか、その辺が分かりません。


P1940352
この建物の中に劇場があります。つまり、オリンピコ劇場は屋内劇場なのです。


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ここ(切符売り場になってます)から中に入ります。


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切符売り場から中に入ると、肖像画が並べられた廊下に出ます。
1555年、ヴィチェンツァの有力者や富者、芸術家などが街の文化活動を発展させるための拠点としてアッカデミア・オリンピカを創設したのですが、併せてその活動を実際に行うための拠点として建設されたのが、この建物です。
並べられている肖像画が誰なのか殆ど特定されていますが、彼らは恐らくアッカデミア・オリンピコの創設に携わった人たちであると思います。


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「イサベッラ・ディ・サヴォイア・デステの肖像」


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ピエトロ・ダッラ・ヴェッキア(ヴィチェンツァ?、1602‐ヴェネツィア、1678)の「貴婦人とその息子の肖像」(17世紀中頃)


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フランチェスコ・ゴンザーガの肖像」


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劇場の方に行くには、突き当りを右に進みます。


P1940362
マルコ・バサイーティ?の「男の肖像」(16世紀初め)


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ヴェネトの無名画家の「アロンゾ・マルケーゼの肖像」(1611)


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制作者不詳の「男の肖像」(17世紀初め)


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広間に出ました。


P1940380
Accademia Olimpicoと書かれてます。


P1940374
ODEOとは音楽室とか屋内劇場という意味です。


P1940369
この部屋のフレスコ画は、フランチェスコ・マッフェイと彼の工房によって1647年から1648年に描かれました。


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P1940372


P1940373


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次の部屋はブックショップになってます。


P1940382
この部屋のフレスコ画は、アレッサンドロ・マガンツァと彼の工房によって1595年から1596年に描かれました。


P1940383
ブックショップがある部屋にも肖像画があります。


P1940384


P1940386
レアンドロ・バッサーノ(バッサーノ・デル・グラッパ、1557‐ヴェネツィア、1622)の「男の肖像」(16世紀末)


P1940388
作者不詳の「ヴィンチェンツォ・カテーナ作『ジャン・ジョルジョ・トリッシーノの肖像』(18世紀)の複製画」(19世紀初頭)


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ヤコポ・バッサーノの追随者の「アルフォンゾ・カプーラの肖像」(1638)


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オリンピコ劇場に入りました。


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現在も使用されている現役の劇場です。


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1555年に設されたアッカデミア・オリンピコに対して、1579年、アンドレア・パッラーディオが劇場の建設を提案して1580年から建設が開始されました。


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ローマ時代の円形劇場を模して設計されましたが、そのスペースの制約から楕円形となってます。


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世界最初の屋内劇場です。


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仕切りがない、木製の観客席です。


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1580年2月に創建されましたが、その数か月後に設計監督者のパッラーディオは病の床に伏し、1580年8月19日に死去しました。
オリンピコ劇場は天才パッラーディオの遺作となりました。


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設計監督はパッラーディオの息子であるシッラに引き継がれましたが、間もなく建築家ヴィンチェンツォ・スカモッツィに引き継がれ、ヴィンチェンツォによって1585年に完成しました。


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ヴィチェンツァ観光での最も有名な場所がここです。


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非常に良かった!


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この街の裕福さが分かる劇場でした。


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(つづく)

大広間の続きです。
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ピエトロ・リベリ(パドヴァ、1614‐ヴェネツィア、1687)の「バテシバの水浴」


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ルーカ・ジョルダーノの「バテシバの水浴」(17世紀後半)


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ルーカ・ジョルダーノの「女神たちに飾られるヴィーナス」(1665c)


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ルーカ・ジョルダーノの「カナの結婚」(17世紀後半)


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ジュリオ・カンピオーニ(ヴェネツィア?、1613c‐ヴィチェンツァ、1678)の「レアンドロの遺体を受けるニンフ」(1676‐77)


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次の部屋です。


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第5室


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アレッサンドロ・トゥルキ通称オルベットの追随者の「アダムとエヴァ」(17世紀前半)


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パドヴァニーノ(パドヴァ、1588‐ヴェネツィア、1649)の「ローマのルクレツィア」(17世紀前半)


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カルロ・サラチェーニ(ヴェネツィア、1579‐1620)の「マグダラのマリア」


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ジュゼッペ・ヴェルミーリオ(アレッサンドリア、1585c‐1635c)の「イサクの犠牲」


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ジュゼッペ・ヴェルミーリオの「ユディト」(1620c)


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フランチェスコ・カイロ(ミラノ、1607‐1655)の「ヘロデア」(1634‐35)
ヘロデアはサロメの母です。置かれている首は斬首された洗礼者聖ジョヴァンニのものです。


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フラ・センプリーチェ・ダ・ヴェローナ(ヴェローナ、1589c‐1654c)の「天使に支えられる死せるキリスト」(1634)


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次の部屋です。


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第6室


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天井の装飾


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保護板があるのでよく見えません。
Frans Franken II (Anversa, 1589‐1626)の「聖母子」(17世紀初頭)


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パオロ・フィアッミンゴ(アンヴェルサ、1540‐ヴェネツィア、1596)の「ニンフたちが漁をしている風景」(16世紀末)


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カルロ・エイスマン・ブリジゲッラ(ヴェネツィア、1679‐ヴェローナ、?)の「水車がある風景」(1700‐10c)


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Luca Carlevarijs (Udine, 1663-Venezia, 1730)の「凱旋門がある風景」(1710‐14c)


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マルコ・リッチ(ベッルーノ、1676‐ヴェネツィア、1730)とセバスティアーノ・リッチ(ベッルーノ、1659‐ヴェネツィア、1734)の「遺跡がある風景」(1720‐30c)


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クレメンテ・スペーラ(ノヴァーラ、1661‐ミラノ、1742)に帰属する「遺跡がある風景」(18世紀前半)


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フランチェスコ・アヴィアーニ(ヴェネツィア、1662‐ヴィチェンツァ、1715)の「キリストと教会博士たち」(18世紀初め)


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フランチェスコ・アヴィアーニの「ラザロと金持ちがいる風景」(18世紀初め)


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次の部屋です。


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第7室


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13世紀、14世紀、15世紀頃の作品が全然見当たりません。


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ローザ・ダ・ティボリ(フランコフォルテ、1655‐ローマ、1706)の「羊飼いがいる風景」(17世紀後半)


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ローザ・ダ・ティボリの「羊飼いがいる風景」(17世紀後半)


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Cornelio Dusman (アムステルダム、?‐ヴィチェンツァ、1680c)の「ヴィチェンツァの市場」(17世紀後半)


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ジャコモ・ダ・カステッロ(アンヴェルサ、1637‐ヴェネツィア、1712)の「静物画」(1680?)


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エリザベッタ・マルキオーニ(ロヴィーゴ、17‐18世紀に活動)の「静物画」(18世紀初頭)


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エリザベッタ・マルキオーニの「静物画」(18世紀初頭)


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部屋の天井


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扉が閉鎖されていました。
この階にはこれ以上の作品が展示されていないようでした。
数年前までは、第1室が13世紀頃の作品が展示されており、年代順に部屋番号が割り振られていて非常に見易かったと思いますが・・・・・


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階上に向かいました。


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図書室?


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フランチェスコ・マッフェイ(ヴィチェンツァ、1605‐パドヴァ、1660)の「カインとアベル」


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アンドレア・デル・サルトの領域の「洗礼者聖ジョヴァンニ」


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ブルサソルツィ(ヴェローナ、1539‐1605)の「十字架降下」


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ガロファロ(フェッラーラ、1476c-1559)の「聖家族と聖ジョヴァンニーノと聖アンナ」


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無名画家の「La Rua」(18世紀末‐19世紀初め)


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ジャンドメニコ・ティエポロ(ヴェネツィア、1727‐1804)の「商人」


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Giovanni Grubacs (ヴェネツィア、1830‐ポーラ、1919)の「ヴェネツィアの風景」


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この人が個人収集したものの展示です。


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第7室のようです。


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次の部屋です。


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第9室のようです。


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工事中の部屋がありました。第8室?


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次の部屋です。


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部屋の表示番号に戸惑いました。


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天井のフレスコ画を見るための部屋のようで、展示されている作品はありません。


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次の部屋です。


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第2室?


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この部屋の天井です。
展示作品はありません。


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次の部屋です。


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この部屋の見どころは天井の装飾です。


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これで終わりです。


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外に出ました。


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展示されていない作品が非常に多かったのは何故でしょうか?パオロ・ヴェネツィアーノの多翼祭壇画、ティエポロの「無原罪の御宿リ」、ヤコポ・バッサーノの傑作などが見ることができなくて残念でした。
13世紀から15世紀の作品全部、16世紀の作品の殆どがありませんでした。その旨の表示板でもあれば、それなりに納得できましたが、何の表示もありませんでした。
バカヤロー、と心の中で叫んで絵画館を後にしました。


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(おわり)





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ジローラモ・キエリカーティ伯爵が建築家アンドレア・パッラーディオに注文して、1550年頃から建設が始まったキエリカーティ宮です。完成したのは1617年でした。
パッラーディオの初期の傑作とされてます。


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ここに市立絵画館がオープンしたのは1855年のことでした。
2007年から建物の修復工事のため長らく閉鎖されていましたが、2012年に漸く再開館されました。


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絵画館の入り口です。
なお、切符売り場はここにはありません。他の美術館や博物館の入館の際、ヴィチェンツァ・カードを買うか、または隣にあるオリンピコ劇場の切符売り場で切符(共通券)を買います。


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展示室は階上にあります。


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階段を上って中に入ると、先ず大広間に出ます。


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大広間は第4室となってます。
第4室から始めても混乱の元となるので、順番通り第1室から始めることにします。


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第1室です。


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部屋の配置図があります。


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キエリカーティ伯爵家の名刀です。日本刀と異なり特に名刀には見えませんね。


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武具


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ジョヴァンニ・アントニオ・ファーゾロ(マンデッロ・デル・ラーリオ、1530‐ヴィチェンツァ、1572)の「イッポリート・ダ・ポルトの肖像」(16世紀後半)


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フランチェスコ・バッサーノ(バッサーノ・デル・グラッパ、1549‐ヴェネツィア、1592)の「騎士とその娘の肖像」(1580c)


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アレッサンドロ・マガンツァ(ヴィチェンツァ、1548‐1632)の「騎士の肖像」(1580c)


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次の部屋です。


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第2室


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部屋の壁に描かれたフレスコ画


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寓意画でしょうね。


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アレッサンドロ・マガンツァの「ルドヴィーコ・キエリカーティの肖像」(1607c)


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アレッサンドロ・マガンツァの「若かりし頃のベルナルディーノ・ロスキの肖像」(16世紀末)


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ジョヴァンニ・アントニオ・ファーゾロの「ヴァルマラーナ家の人々の肖像」(1553‐54)


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アレッサンドロ・マガンツァの「マッダレーナ・カンピーリアの肖像」(1580年代末ー1590年代初頭)


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ジョヴァンニ・アントニオ・ファーゾロの「ジュゼッペ・グアルドと二人の息子の肖像」(1566‐67)


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ジョヴァンニ・アントニオ・ファーゾロの「パオラ・ボナノーメ・グアルドと二人の娘の肖像」(1566‐67)
パオラはジュゼッペの妻です。夫婦と4人の子供と一緒の肖像画でも良かったと思うのですが、男性と女性を分けて描かせたのです。


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ジローラモ・フォルニ(ヴィチェンツァで1558年から記録、ヴィチェンツァで1610年没)の「イサベッラ・ティエーネ・ヴァルマラーナの肖像」(1594c)


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次の部屋です。


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第3室


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この部屋にもフレスコ画があります。


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制作者不明の「パオロ・ヴェロネーゼ作『彫刻家の肖像』の複製画」(16世紀末)


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これは不思議で、面白い作品です。
首がない彫像はローマ時代の”Piccola Ercolanese"と呼ばれている彫像です。16世紀のヴェネトの無名彫刻家がその首の彫像を新たに創造したものです。


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アレッサンドロ・ヴィットリア(トレント、1525‐ヴェネツィア、1608)の「ヴィンチェンツォ・ペッレグリーニの胸像」(1561‐66)


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アレッサンドロ・ヴィットリアに帰属する「ボニファチョ・ポイアーナの胸像」(16世紀後半)


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ヴェネト?の無名画家の「彫刻家の肖像」(17世紀前半)


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第4室は大広間です。


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グレゴリオ・ラッザリーニ(ヴェネツィア、1655‐ロヴィーゴ、1730)の「パリーデの裁決」(17世紀末)


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ルーカ・ジョルダーノ(ナポリ、1634‐1705)の「エネアとヴィーナス」(17世紀後半)


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ルーカ・ジョルダーノの「パリーデの裁決」(17世紀後半)


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アントニオ・ペッルッチ(ヴェネツィア、1654‐ソリーゴ、1726)の「シピオーネの自制」(1690c)


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アントニオ・ペッルッチの「アレキサンダー大王の前のダリオ家の人々」(1680c)


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ピエトロ・バルトロメオ・チッタデッラ(ヴィチェンツァ、1636‐1704)の「魔法から森に逃げるリナルド」(17世紀末)


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アントニオ・バレストラ(ヴェローナ、1666‐1740)の「無知から知識を守る徳」(17世紀末)


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大広間のフレスコ画です。


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フレスコ画は、ジュリオ・カンピオーニ(ヴェネツィア?、1613c‐ヴィチェンツァ、1678)によって17世紀後半に制作されました。


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フレスコ画のテーマは「栄誉の寓意」です。


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Henricus Hondius (アムステルダム、1597‐1651)の「地球儀」(1640)


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ヴィンチェンツォ・コロネッリ(ヴェネツィア、1650‐1718)の「地球儀」


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(つづく)

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Torre Bissara (Torre Civica )を見ました。


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1174年に創建されましたが、工事が中々進みませんでした。13世紀に入ると工事が進捗して、1211年から1229年にかけて工事が進み、一応の完成を見ました。
しかし、1348年に地震によって崩落してしまいました。その修復工事の過程で、塔をさらに高くすることになり、15世紀半ばに現在の高さ82mになりました。
ところが、第二次世界大戦で何回も爆撃され、1945年の爆撃で大きな被害を受けてしまい、2002年になって漸く修復工事が完了したのです。


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この部分はオリジナルのものでしょう。


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かってヴェネツィア領だったことを示す有翼のライオン像です。


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シニョッリ広場にも有翼のライオン像があります。


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ヴィチェンツァは、1404年から1797年までの約400年もの間、ヴェネツィア共和国領でした。その間、経済的に大いに繁栄し、芸術が発展したのです。


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道草をしたので、午前中にサンタ・コローナ教会を拝観するのは無理そうでした。


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Corso Palladio


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通りの東端にやってきました。


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この辺がヴィチェンツァ観光の中心でしょうね。


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マッテオッティ広場に立っているのは、経済学者、作家、政治家で、イタリア統一とヴィチェンツァの振興に尽くしたフェデーレ・ランペルティーコ(ヴィチェンツァ、1833‐1906)の像です。
このような立像をしっかり見ることがその街の理解と街歩きの基本と思います。


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オリンピコ劇場は午後に行く予定でした。


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サンタ・コローナ教会の後陣です。
正午近くになってしまい、午前中の拝観は無理ですが、午後の時間を確認するために教会に行きました。


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扉はまだ開いていました。


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中にいた切符売り場の係員に確認すると、「ゆっくり見てください」とのこと。
イタリアには珍しくフレキシビリティ溢れる対応で感心しました。
なお、この教会は現役の教会?ですが、拝観有料で観光客に公開しています。


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先客がいました。


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拝観有料の教会は美術的に見どころが多いのが普通です。ここも例外ではありません。


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ジョヴァンニ・ベッリーニの「キリストの洗礼」


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この教会については、古寺巡礼で改めて詳しく触れる予定です。


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私が外に出るのを待って、教会の扉が閉じられました。


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アンドレア・パッラーディオと彼の家族の墓があるクリプタは残念ながら非公開でした。


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サンタ・コローナ教会に隣接する建物は、ドメニコ会の修道院でした。


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旧修道院の建物は考古学自然博物館となってます。


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ヴィチェンツァのMuseo巡りのためのヴィチェンツァ・カードで入館できますが、その時間配分を考えた時、入館するのは無理と判断しました。
この街の見どころをしっかり見ようとすると、丸2日は必要です。それを1日でやろうとするのですから、無理が出ます。


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気が急いて困りました。


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写真左の建物が凄いんです。


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ここは後で入館します。


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イコンの展示では、その質と数に置いて、ここがイタリア一と思います。
この美術館を知る人は少ないと思いますが、宗教美術上の必見と思います。


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Casa Coronaと書かれてます。


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昼食はゆっくりと食べてはいられません。何せ時間が足りないのです。


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写真右のバールで早食い昼食を済ませました。


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サンタ・コローナ教会を通り過ぎました。


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次はキエリカーティ宮です。


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Corso Palladio


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写真右の建物にタベルナコロがあります。


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これです。
ガラスの保護板に周りの建物が写ってよく見えません。


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パッラーディオの傑作、キエリカーティ宮です。1855年から市立絵画館が置かれてます。


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入館しました。


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以前と比べると、様子が大きく変わったように思います。


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展示作品が少なくなりましたね。


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キエリカーティ宮市立美術館については、後程詳しく触れることにします。


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(つづく)



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15世紀から16世紀に建設されたPalazzo Capraです。


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Palazzo Braschiと似てますが、下がロッジャになっていません。だから違います。


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Corso Palladioには有名な建築物が並んでいるので、見逃さないように注意して歩きました。


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Palazzo Braschiが見えてきました。赤っぽい建物です。


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この建物がPalazzo Braschiです。


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下がロッジャになってます。
この建物の至近にパッラーディオの建物があります。


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パッラーディオが設計したPalazzo Pojanaです。


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Palazzo Pojanaの一部が修復工事中でした。


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この建物も有名だったと思います。


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チェントロのほぼ中心にあるホテル・ドゥエ・モーリもお勧めの宿です。


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Palazzo delle Poste


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次はドゥオーモの拝観です。


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エレガントなファサードが印象的なファサードです。


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ヴィチェンツァの繁栄振りが反映されているドゥオーモです。


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見事な多翼祭壇画


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薄暗いクリプタが普通ですが、ここは採光が良く明るいのです。


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ドゥオーモについては、古寺巡礼で改めて詳しく触れる予定です。


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可能であれば、サンタ・コローナ教会の拝観を午前中に済ませたいと考えていました。


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ドゥオーモ広場


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先ほど、ドゥオーモ来た時に通った道と同じ道を通りました。


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サンタ・コロナータ教会はチェントロの東にあります。


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バジリカが見えてきました。


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バジリカとは、普通、Basilica Minoreなどの聖堂を指しますが、中世の北イタリアでは、集会所とか裁判所のことを指す場合があります。この建物は後者の意味です。


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バジリカは、パッラーディオの設計によって1617年に完成しました。


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この広場がチェントロの中心です。


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シニョーリ広場


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もう11時半過ぎです。サンタ・コロナータ教会は12時に閉まります。


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写真右がバジリカです。


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時間があまりないので焦りました。


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パッラーディオ設計の建物です。


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(つづく)


ヴィチェンツァは、人口112,408人(2016年6月末日現在)のヴェネト州ヴィチェンツァ県の県都です。後期ルネサンスの建築家アンドレア・パッラーディオが建てた建物がある華麗な街として知られてます。
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この日、鉄道でヴィチェンツァに到着しました。


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ヴィチェンツァ駅の駅舎です。


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駅前は広い公園になってます。


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FS駅からチェントロの入り口に通じるViale Romaです。


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公園内にある像は、ヴィチェンツァで生まれ死んだアントニオ・ピガフェッタ(1491‐1534)のものです。
多芸多才なアントニオでしたが、今日まで知られることになったのは、マゼランの世界航海に参加して、その詳細な記録を残したからです。
1519年、マゼランの船団は総勢270人で出発しましたが、1522年に一行がスペインに戻った時、わずか18名でした。その18人の一人がアントニオでした。マゼランは航海の途中で死んでしまいましたが、その偉業が明らかになったのはアントニオの記した記録からだったのです。


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旧市街に入り口に建つカステッロが見えます。


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先ず、この日のお宿に向かいました。
ヴィチェンツァは見所が沢山あるので、じっくり見学しようと思うなら、1泊以上した方が良いでしょう。しかし、宿泊施設が限られるのが難点です。それもあってヴェローナ、パドヴァから近く交通が便利なので、日帰りする観光客が多いと思います。


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ジャルディーニ・サルヴィ公園の入り口です。この入り口も有名です。


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公園を通り過ぎて、お宿に急ぎました。


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この日のお宿は、Corso San Feliceに面して建つ、城壁外にある家族経営の小さなホテルです。


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この日のお宿です。値段がお安く、部屋も広く、非常に親切なのでお勧めです。「EUにおけるイタリア経済の今後」について、ホテルの人たちと議論したいと思わなければ、片言のイタリア語で十分というものです。


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大きな荷物をホテルの部屋に置いて身軽になったので、早速街歩きを開始しました。


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城壁内に入る前に公園に立ち寄りしました。


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公園内にパッラーディオの建築物があります。


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あれですね。


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アンドレア・パッラーディオのLoggia Valmarana


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城壁内に入ります。


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Porta Castello


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門を潜って城壁内に入りました。


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カステッロ広場


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広場に面して建つPalazzo Thiene Bonin Longare


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パッラーディオの建築物です。


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広場に建つジュゼッペ・ガリバルディの像です。
イタリアの広場に立つのは、ガリバルディやカヴールなどイタリア統一の英雄が定番ですが、これがシチリアに行くと植民地時代の外国の提督や王様となるのでカンが狂ってしまいます。
シチリア人は、イタリア統一はサヴォイア王家の植民地になったとの認識ですから、その辺は仕方がないかもしれません。シチリア独立を掲げて運動しているシチリア人がいますが、彼らが目指しているのが両シチリア王国への回帰だそうで、またもや理解不能になります。両シチリア王国って、ナポリ・シチリア・ブルボン家なんですよ。植民地なんですよ。シチリア人によるシチリアの独立ならば話は分かりますが、ブルボン家の方が良いとは!この辺がサッパリわかりません。
シチリアに行くと、この辺のことが気になって仕方がありません。


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Palazzo Piovini


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こちらは普通の建物です。


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Corso Palladio


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次はサン・フィリッポ・ネリ教会の拝観です。


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写真左がサン・フィリッポ・ネリ教会です。


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1730年から1832年に建てられた新古典様式の教会です。


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1825年に奉献式が行われました。
ここにある祭壇画などが描かれた年代から考えると、現在の建物の前に教会があったと思われます。


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単廊式、新古典様式の内部です。


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左側壁


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右側壁


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後期バロック様式のゴテゴテ感の反省が認められる装飾です。


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主祭壇


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後陣


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クーポラ


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オラツィオ・マイナーリ工房の「四福音書記者」です。
勿論、作品が4点あります。


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オラツィオ・マイナーリは、1720年に没しました。生前、この注文を受けていましたが、未完成のまま死去したので、親方の死後、マイナーリの弟子たちが完成させた作品です。


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アレッサンドロ・マガンツァの「玉座の聖母子と聖フィリッポ・ネリ」(1829)


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フランチェスコ・ソリナーメの作品です。


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詳細不明


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主祭壇前から見た出入口です。


P1940002
外に出ました。


P1940003
(つづく)








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この日の予定はこれにて終了です。


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好みの形の鐘楼です。


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道を下ってシニョレッリ広場に向かいました。


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先月の旅の出発の直前に持参予定のPCの調子が悪くなり、急遽非常用のPCを購入して出発しました。これが安かったにも拘らず中々の優れモノで重宝しました。
ローマで暇があったので、PC屋さんを覗いたのですが、イタリアのPCが高価なことに驚嘆しました。デルやアップルの日本で流通しているのと同じモデルが、日本よりも可なり高く売られてます。


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下りの方が上りよりも膝にかかる負荷が高いそうです。


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道の突き当りの左が広場です。


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シニョレッリ広場


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エトルリア・アカデミー博物館が置かれているカザーリ宮


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夕方になると、観光客の姿が少なくなり地元の人が多くなりますが、宿泊施設が限られているのが理由でしょうか。


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レプッブリカ広場


P2170530
静かで魅力的な夕方です。


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昼間に買ったペッタンコ桃を夕食後にホテルの部屋で食べました。


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ホテルの部屋からの眺めです。


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P2170538
翌朝です。


P2170539
朝の早い時間には晴れていましたが、すぐに霧がかかり、やがて曇ってしまいました。


009
サンタ・マルゲリータ聖堂に向かいました。


013
サン・ドメニコ教会は閉まっていました。


014
濃霧に覆われていましたが、それが切れると道が少し濡れていました。


016
道を上りました。


017
サン・ドメニコ教会の横の道を通ります。


018
かって教会だった建物でしょうね。


019
描かれているのは聖ジローラモ?


020
サンタ・マルゲリータ通り


021
朝の早い時間なので、誰も歩いていませんでした。


023
雲が垂れ込めてきました。


024
聖マルゲリータ(1247‐1293)は、フランチェスコ会修道院に入り、貧しい人たちに人生を捧げた、コルトーナの守護聖人です。
聖マルゲリータの遺体を祀るために建てられたのがサンタ・マルゲリータ聖堂です。別名「聖マルゲリータの墓所」とも言われてます。


025
旧修道院の建物


026
朝まで晴れていたのがウソのように雲が厚くなってきました。


027


028
鐘楼が見えてきました。


061
サンタ・マルゲリータ聖堂です。
街の高い場所にあるので、車で来る人たちが殆どです。


062
11世紀の記録に、この地にロマネスク様式のサン・バジーリオ教会の存在が記載されてます。聖マルゲリータの没後4年の1297年、聖マルゲリータの遺体を祀る教会が創建され、1304年に献堂されました。


065
現在の姿は19世紀に再建された二代目の建物です。
1927年、Basilica Minoreにランクされました。


060
見どころがあまりない外観です。


057
三廊式、ラテン十字形の内部です。


058
中央礼拝堂です。
再建された建物の主祭壇は美術的に冴えませんが、初代の建物の時代には素晴らしい祭壇画が主祭壇を飾っていました。


P2160951
ルーカ・シニョレッリの「死せるキリストへの哀悼」(1502)
この作品が主祭壇を飾っていました。しかし、17世紀中ごろ、ドゥオーモに目ぼしい作品がないことを残念に思っていた、当時のコルトーナ司祭が、この作品をドゥオーモに移動するように命じたのです。


036
現在、この聖堂にある作品を紹介しておきましょう。
ヤコポ・キメンティ・ダ・エンポーリの「聖母被昇天と三聖人」(1610)


039
ピエトロ・ジャッノッティの「嬰児虐殺」(1636)


042
17世紀のトスカーナの無名画家の「コルトーナを守護する聖マルゲリータ」


045
フランチェスコ・ヴァンニの「聖母戴冠と四聖人」(1602)


048
ピエトロ・バロッチの「聖カテリーナの殉教」(1610)


051
詳細不明


066
拝観を終え、坂道を下りました。


069
小さな街なので、同じ道を何度も行き来します。


072
サン・ドメニコ教会が開いていたので、もう一度拝観しました。


077
何回見ても飽きることがありません。


074
キリがないので、この辺で終わりにしましょう。


092
(おわり)

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13世紀に建設されたカザーリ宮です。


P2170527
カザーリ宮にエトルリア・アカデミー博物館が置かれたのは、約300年前の1727年のことでした。
正式名称は、Museo dell'Accademia Etrusca e della citta di Cortonaと言い、その展示は名称の通り、単にエトルリアに留まらず、他のコムーネにあるMuseo Civicoとほぼ同じの幅広い展示が特徴です。


059
展示は多岐にわたってます。


060
エトルリア人の住居の模型


061
エトルリア人の墓


062
エトルリア人の骨も展示されてます。


063


064


065


066


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ローマ時代のモザイク
コルトーナは、紀元前4世紀にローマの支配下に入りました。


068


069
コルトーナ出身の現代画家ジーノ・セヴェリーニの作品が展示されている部屋です。


070


072
ジーノ・セヴェリーニの「受胎告知」


073
ジーノ・セヴェリーニの「授乳の聖母」
次は絵画部門です。


077
フィレンツェ派無名画家の「8聖人」(15世紀)


079
フィレンツェ派無名画家の「聖母子」(15世紀)


081
アントニアッツォ・ロマーノの「聖母子」


082
ニッコロ・ディ・ピエトロ・ジュリーニの「二聖人」


083
ニッコロ・ディ・ピエトロ・ジュリーニの「二聖人」


085
マリオット・ディ・ナルドの「玉座の聖母子と二天使」


088
ビッチ・ディ・ロレンツォの「聖母子と聖人たちのトリッティコ」


090
作者不明のモザイク(15世紀初め)


092
ルーカ・シニョレッリの「聖母子と聖人たちのトンド」(1512)


096
ルーカ・シニョレッリの「羊飼いの礼拝」


098
バルトロメオ・デッラ・ガッタの「聖母子」


100
ピントゥリッキオの「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」


102
ヤコポ・ディ・ジョヴァンニの「嘆きの聖母」


104
チゴリの「荊刑のキリスト」


106
ヤコポ・ディ・ジョヴァンニの「マグダラのマリア」


108
ミケーレ・ディ・リドルフォ・デル・ギルランダイオの「受胎告知」


110
チゴリの「ご訪問」


112
チゴリの「二人の男の肖像」


114
ヤコポ・キメンティ・ダ・エンポーリの「聖ジュゼッペ」


116
サンティ・ディ・ティート工房の「キリストの復活」


118
ルドヴィーコ・ヴェヌーティ(1785‐1872)の「自画像」


119
Johann Zoffany (1733-1810)の「自画像」(1776)


120
James Northcote (1746-1831)の「自画像」(1778)


122
ルーカ・シニョレッリの追随者の「聖アントニオ」


124
ルーカ・シニョレッリの追随者の「玉座の聖母子と二聖人」


125
ピエトロ・ダ・コルトーナ派無名画家の「聖テレーザの法悦」


127
ピエトロ・ダ・コルトーナ派無名画家の「聖テレーザと聖アゴスティーノ」


129
ピエトロ・ダ・コルトーナ派無名画家の「聖母の結婚」


132
ピエトロ・ダ・コルトーナの戴冠した天才」


134
チーロ・フェッリの「ルツの結婚」


136
ピエトロ・ダ・コルトーナの「聖母子と聖人たち」


137
バッチョ・チャルピ(1574‐1654)の「聖ベネデットの奇跡」


140
ネーリ・ディ・ビッチの「十字架降下と聖人たち」、「ピエタのキリストと聖人たち」


142
ミケーレ・ディ・リドルフォ・デル・ギルランダイオの「聖人たち」


150
ミケーレ・ディ・リドルフォ・デル・ギルランダイオの「プレデッラ」


151
フランチェスコ・シニョレッリの領域の「聖母子と聖人たち」


154
ルーカ・シニョレッリ派無名画家の「聖家族と聖ジョヴァンニーノ」


156
ルーカ・シニョレッリ派無名画家の「聖母子と聖二コラと聖アントニオ」


158
ルーカ・シニョレッリ派無名画家の「聖母子」


159
ベランダを通って隣の建物に移動しました。


160
シニョレッリ工房があった場所です。


201


161
ベランダから見えた景色


163


165


166
こちらは”市立博物館”でしょう。


167
18世紀にアッカデミアが設された際に、当時の修道院長が保有する絵画、図書、エジプト関係にコレクションを寄贈しました。この辺は寄贈されたものが主に展示されてます。


168
複雑なカザーリ宮の歴史を反映して雑多な展示が特徴です。


169
説明版がありません。


170


171



175


181


183
ジョヴァンニ・バッティスタ・ピアツェッタの「天上の聖母子と聖人たち」


187
ドメニコ・プリーゴの「祈る寄進者」


188


189


190


196


199
図書室



P2170186
外に出ました。
(おわり)

P2160821
11世紀に、古代ローマ時代の神殿の上に建てられた小さな教会が前身で、12世紀ころに教区教会に昇格しました。13世紀になると、新たに司教座教会を作ろうとの動きが高まり、1262年にニコラ・ピサーノの設計によって、それまであった建物を取り壊し、その上に建てられたのが現在の姿の原型です。
当時、コルトーナはアレッツォ司教区に属していましたが、アレッツォのコムーネと司教の反対によって、コルトーナ新司教区の設置が見送られてしまいました。


P2160814
コルトーナ司教区設置を目的に、1481年から1507年にかけて増築されました。現在の姿はこの増築後の建物です。
1507年、当時の教皇ジュリオ2世の裁定によって、コルトーナに司教座が置かれるようになりました。
1986年、司教座の整理によって、コルトーナは独立した司教区から新たにアレッツォーサンセポルクローコルトーナ司教区に合区されました。その結果、正式名称はConcattedrale di Santa Maria Assuntaとなり、現在に至ってます。
ロマネスク様式のファサードです。


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コリント式円柱が目立つ三廊式、ルネサンス様式の堂内です。


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内陣中央から見た左側廊方向


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右側廊方向


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天井の装飾


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中央礼拝堂の祭壇は、コルトーナのフランチェスコ・マッツゥオーリの作品(1664)です。


P2160827
後陣にフレスコ画がありますが、制作者不明です。


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後陣右の礼拝堂のテラコッタ「ピエタ」(13世紀前半)


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フランチェスコ・シニョレッリの「聖トッマーゾの不信」


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クリストファノ・アッローリの「チントラの聖母」


P2160837
ルーカ・シニョレッリの「磔刑」
大聖堂で買い求めた本にはルーカの作品と記載されてますが・・・・・


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トッマーゾ・ベルナベーイの「聖母を囲む聖人たち」


P2160846
アンドレア・コッモディの「サルヴァトーレ聖堂の献堂式」(1559)


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チゴリの「ロザリオの聖母」(1597)


P2160851
アンドレア・デル・サルトの「聖母被昇天」
私にはアンドレアの作品に見えません。


P2160853
ジョヴァンニ・グラーディの「聖母子と守護聖人」(17世紀)


P2160856
ジョヴァンニ・マリア・モランディーの「聖母子と聖ガエターノ」


P2160862
ロレンツォ・ベッレッティーニ(コルトーナ、1620‐1672)の「聖ジュゼッペの死」


P2160864


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16世紀の無名画家の「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」


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ラッファエッロ・ヴァンニの「キリストの変容」


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右側廊


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作者不明の「聖母子(テラコッタ)」(15世紀)


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ラッザーロ・バルディー(ピストイア、1624‐1730)の「聖セバスティアーノ」


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左側廊


P2160891


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P2160893
ピエトロ・ベッレッティーニ(コルトーナ、1597‐1669)の「ご誕生」


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アンドレア・セッラーリ(コルトーナ、1600‐1672)の「磔刑」


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ロレンツォ・ベッレッティーニの「聖母子と聖人たち」


P2160906


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サルヴィ・カステッルッチの「聖母と聖人たちの問答」
サルヴィはピエトロ・ベッレッティーニの弟子でした。


P2160912
ミーノ・ダ・フィエゾレまたはウルバーノ・ダ・コルトーナの作品(1491)


P2160916
詳細不明


P2160917
外に出ました。


P2170168
(おわり)

P2170410
次はサン・ニコロ教会です。


P2170411
勾配がある道を一旦上り、平坦な場所に出てから更に坂を下ります。


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足腰がしっかりしていないと、コルトーナに行けませんね。


P2170413
そうは言っても、この街にはお年寄りが比較的多く住んでいるように思います。


P2170416
さて、この時向かっていたサン・ニコロ教会ですが、ルーカ・シニョレッリの祭壇画があるのです。その祭壇画は表裏両面に描かれています。


P2170417
サン・ニコロ教会が見えてますが、この道を進まず、わざと遠回りをしました。


P2170419
この先に小さな礼拝堂があるので、それを見てからサン・ニコロ教会に向かうことにしました。


P2170420
先ほど上ってきた道を振り返ったところです。


P2170421
この先に小さな公園があります。


P2170422
この周囲に宗教施設が点在しているのですが、その理由がよく分かりません。ここから50m以内に4つあるのですから。宗教施設の供給過剰?


P2170424
写真左の建物は保育園だったと思います。


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この小さな礼拝堂に寄り道したかったのです。


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14世紀と16世紀に描かれたフレスコ画があります。


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16世紀に描かれた「玉座の聖母子」と「受胎告知」


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14世紀のフレスコ画
こちらの方は痛みがあって画像判別が困難です。


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小さな礼拝堂は坂に建てられてます。


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サン・ニコロ教会への案内板がありますが、ここから30mくらいの距離しかありません。


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それにしても暑かった!


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サン・ニコロ教会です。


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宗教活動を数年前に終了し、現在は博物館になってます。


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主祭壇です。
主祭壇画はルーカ・シニョレッリの作品です。表裏両面に描かれていますが、現役の教会だった時には、裏面の画面を見ることができませんでした。


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表に描かれたルーカ・シニョレッリの「十字架降下」(1510)


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祭壇画の横にモーターがつけられ、それによって裏面が見えるように祭壇画が動くのです。博物館に転身する以前には、この仕掛けがありませんでした。


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裏面に描かれたルーカ・シニョレッリの「玉座の聖母子と聖ピエトロと聖パオロ」(1510)


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教会の天井
他にフレスコ画、祭壇画がありますが、ルーカ・シニョレッリの作品以外、それらは詳細不明です。おそらく博物館側は製作者等を把握していると思います。博物館になったからには、各作品の説明プレートがあってもよいと思います。


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詳細不明


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詳細不明


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詳細不明


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詳細不明


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詳細不明


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裏面が見えるようになって本当に良かったと思います。


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現役の教会だった時代、この扉が開いていることは滅多にありませんでした。


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次はサンタ・キアーラ教会です。


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サン・二コラ教会から20mほど坂を下れば、サンタ・キアーラ教会があります。


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先に、こちらの方を拝観しました。


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中には、これだけしかありませんでした。
彩色磔刑像、聖フランチェスコ、聖キアーラ


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サンタ・キアーラ教会の拝観です。


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祭壇の後ろが見所ですが、扉が閉まっていました。


P2170491
詳細不明


P2170494
詳細不明


P2170496
詳細不明


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外に出ました。


P2170501


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山上にあるサンタ・マルゲリータ教会に行きたいと思いましたが、暑いので(35度くらいあったと思います)無理をしないことにしました。


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それに折角上ってみても教会の扉が開いているのか、その辺がよく分からないのです。


P2170504
(つづく)

P2170301
次はサン・フランチェスコ教会です。


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サン・ドメニコ教会からサン・フランチェスコ教会に行くには、旧市街の中心を経由して行くのが最も近道になります。


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ナツィオナーレ通り


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レプッブリカ広場を通り過ぎました。


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広場から教会までは坂道となってます。


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広場から約100mほど進めば教会です。


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ここのタベルナコロは見逃せません。


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「磔刑」は地元コルトーナの画家によって描かれました。


P2170314
行った先々の街の繁栄度は、その街の教会やMuseo Civicoなどの展示作品を見れば大体分かります。


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有名な画家や彫刻家の作品が幾つもあれば、その街は繁栄していたのです。芸術はパトロンがいないと成り立ちません。裕福なパトロンがいることが、芸術の質を左右することになります。


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もう教会です。


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サン・フランチェスコ教会のファサードが見えてきました。


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1245年に完成したゴシック様式の教会です。


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再建されずに現在に至ってます。


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しかし、現在の姿は1245年当時のものとはかなり違うそうです。それは17世紀前半に大幅な修復工事が行われたからとされてます。


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ポータル、ルネッタ並びにその周辺は創建時の姿とされてます。


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単廊式、ゴシック様式の内部です。


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左側壁


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右側壁


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木組み梁の天井


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後陣


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中央礼拝堂


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後陣右の礼拝堂


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14世紀の無名画家の「グラツィエの聖母」


P2170341
アンジェロ・ディ・ピエトロとフランチェスコ・ディ・ピエトロ兄弟の「ラニエーリ・ウンベルティーニの墓」(1360)
ラニエーリ・ウンベルティーニは、コルトーナの初代司教で、1348年にコルトーナで没しました。


P2170345
チーロ・フェッリの「天上の聖母と聖ルイージと聖ルドヴィーコと聖二コラと聖フランチェスコとコルトーナの聖マルゲリータ」(1625)


P2170357


P2170358
ジローラモ・ピアモンティーニの「磔刑」
フランチェスコ・ファッブルッチの「聖フランチェスコ」、「コルトーナの聖マルゲリータ」(17世紀)


P2170361
チゴリの「パドヴァの聖アントニオの奇跡」(1597)


P2170369
ピエトロ・ダ・コルトーナの「受胎告知」(1669)


P2170372
アンドレア・コッモディの「無原罪の御宿りと聖クリストフォロと聖ルドヴィーコと聖チェチリアとアレッサンドリアの聖カテリーナ」(1609)


P2170377
ジョヴァンニ・カミッロ・サグレスター二(1660‐1731)の「聖ルチアの奇跡」


P2170381
ヤコポ・ディ・ミーノ・デル・ポッリチャーイオの「聖母戴冠」(フレスコ、14世紀)


P2170384
オラツィオ・フィダーニの「聖ジョアッキーノと聖アンナの邂逅」(1845)


P2170388


P2170390
ラッファエッロ・ヴァンニの「ご誕生」(17世紀)


P2170394
ニッコロ・モンティ・ディ・ピストイアの「スルタンと面会する聖フランチェスコ」(1842)


P2170397
これが見たかったのです。


P2170398
1523年10月16日、ルーカ・シニョレッリはコルトーナで没しました。


P2170399


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詳細不明のフレスコ画


P2170402


P2170404


P2170405
中庭に出てルーカ・シニョレッリの墓を探しました。


P2170406
ルーカの墓はサン・フランチェスコ教会にあります。


P2170407
ルーカの墓を見つけることができませんでした。


P2170408


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外に出ました。


P2170321


P2170323
(つづく)

P2170186
シニョレッリ劇場です。


P2170184
シニョレッリ劇場の隣に建っているプレトーリオ宮です。


P2170185
プレトーリオ宮はエトルリア・アカデミー博物館になってます。入館しました。
この博物館については、後程、項を改めて詳しく取り上げる予定です。


P2170179
博物館から外に出ました。


P2170182
シニョレッリ劇場に一度も入ったことがありません。


P2170183
6月となると、一挙に人出が多くなるコルトーナです。


P2170187
写真左に見えるのが小さなスーパーマーケットです。
開くのを待って、大好物のペッタンコ桃を買いました。


P2170191
強烈な日差し。暑かった!


P2170195
午後3時半を過ぎたばかりです。


P2170196
買い求めた桃が意外に重かったので、一旦ホテルに戻り、部屋の冷蔵庫に入れました。これが出来るというのが、旧市街の中心にあるホテル・イタリアのメリットです。


P2170197
街歩きの再開です。次はサン・ドメニコ教会です。


P2170198
ナツィオナーレ通り


P2170199
2週間後に予定されている祭りのために旗が掲げられています。
夏至前後の週末に、祭りが開催されるコムーネが非常に多いようです。


P2170202
通りの突き当りがガリバルディ広場です。


P2170203


P2170204
ガリバルディ広場から見たサン・ドメニコ教会です。


P2170205
広場は絶景ポイントの一つです。


P2170207
見えているのはトラズィメーノ湖で、コルトーナはトラズィメーノ湖の北にあります。


P2170208


P2170210
現在地に、1230年に建設が開始された小さな教会と修道院がサン・ドメニコ教会の前身です。


P2170213
今日、見ることができる教会の建物は1438‐1557年に建てられた二代目のものです。


P2170214
美術的に優れた教会が多いコルトーナにあって、サン・ドメニコ教会は傑作が多い、或いは多かった教会として特筆すべき存在です。


P2170215
美術好きは勿論のこと、例え美術があまりお好きではない方にも、この教会だけは拝観する価値があると思います。


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何故かレオナルド・ダ・ヴィンチのこれがサン・ドメニコ教会の横にあります。


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今回は少々ショックでした。
入口扉上ルネッタの硝子板が外され、ルネッタ上に描かれたフレスコ画の痕跡すらも分からなくなっていました。
10年くらい前は、退色剥離したフレスコ画が微かに認められました。7,8年前に保護のガラス板によってフレスコ画が覆われるようになりました。
ルネッタ上には、ベアート・アンジェリコのフレスコ画(1439‐40)があったのです。そのフレスコ画のシノピエ(フレスコ画の下絵)が教区美術館で展示されてます。


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これが、そのシノピエです。


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単廊式、ゴシック様式の内部です。


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左側壁


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右側壁


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天井


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中央礼拝堂(主祭壇)と後陣


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主祭壇画は、ロレンツォ・ディ・ニッコロ・ジェリーニの多翼祭壇画です。
フィレンツェの国父と言われたコジモ・ディ・メディチが1440年に注文した祭壇画です。


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頭頂部の三位一体、受胎告知


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中央


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向かって左


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向かって右


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裾絵


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後陣左の礼拝堂です。


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後陣左の礼拝堂の祭壇画はルーカ・シニョレッリの作品です。


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ピエトロ・コロンバーティの「祈りの聖母」(18世紀)


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パルマ・イル・ジョーヴァネの「聖母被昇天」


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中央パネルが欠落しています。
ヴィンチェンツォ・コンティの「天上の聖母と聖人たち」(1708)
ヴィンチェンツォはカルロ・マラッタの弟子でした。


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取り外されてますが、ここにパッシニャーノの「磔刑」がありました。


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教会の床にありました。


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アンドレア・コッモディ(フィレンツェ、1560‐1638)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの論争」(1603)


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バルトロメオ・デッラ・ガッタの「聖ロッコ」


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バッチョ・ボネッティ(フィレンツェ、1557‐コルトーナ、1645)の「十字架降下」


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バルトロメオ・デッラ・ガッタのフレスコ画


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ラッファエッリーノ・デル・コッレの「聖アウグストゥス」
サン・ドメニコ教会にあった作品で、現在は司教区美術館で展示されている作品が凄いです。
以下3点の作品がそうです。


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ベアート・アンジェリコの「受胎告知」


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ベアート・アンジェリコの多翼祭壇画


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サッセッタの多翼祭壇画


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祭壇前から見た出入口方向です。


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外に出ました。


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非常に良かった! 大満足。


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多くの傑作があったことから、この教会の重要性が垣間見えます。


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(つづく)






P2170029ピエトロ・ロレンツェッティ(シエナ、1280c‐1348)の「彩色磔刑像」(1320‐34c)
コルトーナのサン・マルコ教会にありました。


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ベアート・アンジェリコの「聖母子と聖人たちのポリッティコ」(1438)
コルトーナのサン・ドメニコ教会にありました。


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中央パネル


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聖マッテオ、洗礼者聖ジョヴァンニ


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福音書記者聖ジョヴァンニ、マグダラのマリア


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裾絵は聖ドメニコの物語


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教会の楽譜は四線譜です。


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次は聖具室です。


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13世紀末のシエナ派無名画家の「コルトーナの聖マルゲリータの生涯」(13世k末)
コルトーナのサンタ・マルゲリータ修道院にありました。


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ガーノ・ディ・ファツィア(シエナ、1302‐1318以前記録)の「聖母子」(1310‐18c)
サンタ・マルゲリータ聖域にありました。


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ピエトロ・ロレンツェッティの「カルヴァリオへの途」(1330‐40c)
コルトーナのサンタ・マルゲリータ聖域にありました。


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14世紀初頭のシエナ派無名彫刻家の「聖母子」(1310‐20c)
コルトーナのサンタ・マルゲリータ聖域にありました。


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詳細不明


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詳細不明


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詳細不明


P2170077
詳細不明


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詳細不明


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詳細不明


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ニッコロ・ディ・セーニャ(シエナ、1331‐1335記録)の「聖母子」(1336c)
コルトーナのサンタ・マルゲリータ聖域にありました。


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ピエトロ・ロレンツェッティの「玉座の聖母子と四天使」(1330‐40c)


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チュッチョ・ディ・ヌッチョ?の「洗礼盤」(1474)
コルトーナのドゥオーモにありました。


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上の作品額縁の下にあったものです。


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詳細不明


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ピエトロ・ロレンツェッティの「磔刑」(1325?)


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次は、現在司教区美術館になっている建物の地下に設けられたジェズ祈祷所です。


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地下祈祷所の壁にフレスコ画が描かれてます。


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祈祷所のフレスコ画は、ヴァザーリ派画家のクリストファノ・ゲラルディ通称イル・ドチェーノ(ボルゴ・サンセポルクロ、1508‐1556)によって、16世紀中ごろに制作されました。


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天井のフレスコ画


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側壁


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主祭壇のテラコッタは、ベルナルディーノ・コヴァッティ(コルトーナ、1519から記録)?の「死せるキリストへの哀悼」(16世紀前半)


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クリストファノ・ゲラルディの「最後の晩餐」


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クリストファノ・ゲラルディの「ゲッセマネ園の祈り」


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ヴィンチェンツォ・ディ・ピエトロ・パオロ・ダ・コルトーナ(コルトーナ、1450‐1517)の「聖職者席」


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14世紀末のトスカーナの無名彫刻家の「天使」(14世紀末)


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ベアート・アンジェリコのシノピエ
コルトーナのサン・ドメニコ教会にありました。


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ローマ時代の石棺(2世紀)


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聖具類


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素晴らしい展示でした。


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外に出ました。
(おわり)

コルトーナに行ったならば、ベアート・アンジェリコ、ルーカ・シニョレッリの傑作が展示されている司教区美術館 Museo Diocesano は必訪です。
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コルトーナのドゥオーモ広場です。


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司教区美術館の建物です。


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司教区美術館の隣にあるのは旧ジェズ教会です。旧ジェズ教会の建物の一部が司教区美術館として使用されてます。
美術館は1945年にオープンしました。


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入館すると、先ずルーカ・シニョレッリの作品が展示されている部屋が出迎えてくれます。


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ルーカ・シニョレッリ(コルトーナ、1450c‐1523)と工房の「聖母の昇天」(1519‐20)
向かいのドゥオーモにありました。


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ルーカ・シニョレッリと協力者の「無原罪の御宿りの寓意」(1521‐23)
ジェズ教会にあった祭壇画です。


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ルーカ・シニョレッリの「キリストから聖体拝領する使徒たち」(1512)
ジェズ教会の主祭壇を飾っていました。


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ルーカ・シニョレッリ工房の「キリストの教会への出現」(1521c)
工房制作の作品であっても手抜きすることなく親方ルーカが筆を入れたと言われてます。


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ルーカ・シニョレッリと弟子たちによる裾絵「聖ベネデットの物語」(1515‐16c)
何処にあったか、置かれていた場所が不明です。


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ルーカ・シニョレッリ工房の「聖母子と聖人たち(大天使ミケーレ、パドヴァの聖アントニオ、シエナの聖ベルナルディーノ、バーリの聖二コラ)」(1515c)


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ルーカ・シニョレッリ工房の「羊飼いの礼拝」(1521‐24)
工房で仕事をしていたフランチェスコ・シニョレッリ(ルーカの息子)とアントニオ・ディ・ドッニーノ・デル・マッツィエーリが描いたと言われてます。


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ルーカ・シニョレッリの「死せるキリストへの哀悼」(1501‐02)


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コルトーナのサンタ・マルゲリータ教会にありましたが、18世紀中ごろにドゥオーモに移され、1945年に美術館オープンの際にここで展示されるようになった作品です。
ヴァザーリに拠れば、キリストの遺体の描写は、1502年にペストで没したルーカの息子の遺骸を参考にしたとされてます。


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裾絵の「ゲッセマネ園の苦悩」


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「最後の晩餐」


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「キリストの逮捕」


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「キリストの鞭打ち」


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ルーカ・シニョレッリと弟子たちによる「玉座の聖母子と聖フランチェスコとトローザの聖ルドヴィーコと聖ボナヴェントゥーラとパドヴァの聖アントニオ」(1510‐15c)
オリジナルの設置場所が不明の祭壇画です。


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ルーカ・シニョレッリ工房の「羊飼いの礼拝」(1522c)
コルトーナのサン・フランチェスコ教会にあった祭壇画です。


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いいですねえ。


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次の部屋に移りました。
写真ダメの表示がありますが、2015年頃から写真OKとなりました。(但しノーフラッシュで)


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小さなタベルナコロ


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絵画は取り外されています。


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詳細不明(説明プレートがありません)


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ジュゼッペ・マリーア・クレスピ(ボローニャ、1665‐1747)の「コルトーナの聖マルゲリータの光悦」(1701)
コルトーナのサンタ・マリア・ヌオーヴァ教会にありました。


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フェデリーコ・ズッカリ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1540/1541-アンコーナ、1609)に帰属する「聖母被昇天と洗礼者聖ジョヴァンニとアレッサンドリアの聖カテリーナ」


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フランチェスコ・カッペッラ(ヴェネツィア、1711-ベルガモ、1774)の「パオラの聖フランチェスコの奇蹟」(1750)


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サッセッタ(コルトーナ?、14世紀末‐シエナ、1450c?)の「聖母子と四聖人」(1436)
コルトーナのサン・ドメニコ教会にありました。


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中央パネル


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バーリの聖二コラ、大天使ミケーレ


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洗礼者聖ジョヴァンニ、ウンゲリアの聖マルゲリータ


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ドメニコ・ディ・ミケリーノ(フィレンツェ、1417‐1491)の「聖フランチェスコとシエナの聖ベルナルディーノとパドヴァの聖アントニオ」(1450‐60c)
コルトーナのサン・フランチェスコ教会にありました。


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次の部屋に移動しました。


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この部屋が最も人気があると思います。


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マルティーノ・ディ・バルトロメオ(シエナ、1389‐1434記録)の「聖母被昇天」(1400-10c)


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ベアート・アンジェリコ(ヴェッキオ・ディ・ムジェッロ、1395c‐ローマ、1457)の「受胎告知」(1434-36)


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非常に名高い作品です。


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裾絵の聖母の誕生、聖母の結婚


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ご訪問


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マギの礼拝


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この部分の画題が私には分かりません。


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聖母の死


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傑作ですね。


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(つづく)

コルトーナは、人口22,450人(2015年12月31日現在)のトスカーナ州アレッツォ県にあるコムーネです。
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この日は鉄道でカムーチャ駅に到着しました。


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タクシーはおらず、バスは40分後。


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旧市街は丘上にあり、丘上に行くにはタクシーで10分、バスで15分かかります。


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電話を架けてタクシーを呼びました。


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直ぐに行くとの事でしたが、タクシーが中々来ません。漸く来たと思ったら、客を駅前で降ろしてから、私の方にタクシーが来たのです。往復ともに客がいて運転手さんはご機嫌でした。


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旧市街の中心にあるホテル(写真右)にチェクイン後、直ぐに外に出ました。


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旧市街の中心レップブリカ広場です。


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市庁舎


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市庁舎横のアーチの先に、この日のお宿があります。コルトーナに来れば必ず泊まってます。


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お昼を過ぎ、お腹が空いたので先ず昼食です。


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シニョレッリ広場は青空市が開催されていました。


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シニョレッリ劇場


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ここに来たら、ワンちゃんにご挨拶を忘れてはいけません。


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1年前は歓待してくれましたが、「お前なんか知らないよ」と全く無視されてしまいました。目を背けて合わそうとしません。


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コルトーナに来れば、大体ここで食べてます。


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この店です。


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午後は大好きなシニョレッリ作品の鑑賞です。そのためには素面が良いのです。断腸の思いでアルコールなしで我慢、我慢。


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ワインにぴったりの前菜を注文。


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ドルチェとエスプレッソの写真を撮り忘れました。


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お腹一杯になり、シニョレッリ作品鑑賞の準備が整いました。


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教区博物館の建物がもう見えてます。


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ドゥオーモ広場


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教区博物館


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広場を挟んで、博物館の対面に建っているドゥオーモです。


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ドゥオーモの横は断崖絶壁となってます。写真左端からの景観が見事です。


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見事な景観


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午後2時過ぎでしたが、ドゥオーモが開いていました。何時扉が閉められるかわからないので、教区博物館に入館する前にドゥオーモの拝観をすることにしました。


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見るべき美術品が10点ほどあります。


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ドゥオーモについては、「古寺巡礼」で別に取り上げる予定です。


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いよいよ教区博物館です。


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展示作品が少ないですが、傑作揃いの博物館です。


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シニョレッリの作品


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教区博物館については、後程項を改めて詳しく取り上げます。


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生きているうちにあと何回来ることが出来るだろう。


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この日の翌日の午前にもう一度教区博物館に入館しました。


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(つづく)

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