イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

2019年04月

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ロレンツォ・ディ・ニッコロ・ディ・マルティーノ(フィレンツェ、1392‐1412記録)の「聖母子 クスピデ:救世主」(1390‐1400c)


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ジュリアーノ・ディ・シモーネ・リッチ(ルッカ、1387‐1397記録)の「玉座の聖母子と4天使と4聖人(アレッサンドリアの聖カテリーナ、聖ジョヴァン・バッティスタ、聖フランチェスコ、殉教聖人)」(1390‐1400c)


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次の展示コーナーです。


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ゆったりとした展示で、鑑賞し易い美術館です。


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Maestro di San Davino (ピサとルッカ、1397‐1420c活動)の「聖母子と4聖人」(15世紀第1四半世紀)
白い紙が貼られてますが、修復箇所を示していると思われます。


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中央の授乳の聖母


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聖ベネデット、聖ミケーレ


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聖ジョアッキーノ、聖人(特定できません)


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修復箇所を示す白い紙がない時の作品画像です。


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スピネッロ・ディ・ルーカ・スピネッリ通称スピネッロ・アレティーノ(アレッツォ、1350/1352c-1410)の「聖フィリッポ・アポストロと聖グリサンテ」(1380-85)


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スピネッロ・ディ・ルーカ・スピネッリ通称スピネッロ・アレティーノ(アレッツォ、1350/1352c-1410)の「聖ドーリアと聖ジャコモ・ミノーレ」(1380-85)


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ゲラルド・ディ・ヤコポ・スタルニーナ(トスカーナとスペイン、1387から記録-1409/1413没)の「聖母戴冠」(1400-10c)


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ジョヴァンニ・ダ・フィエゾレ通称ベアート・アンジェリコ(フィエゾレ、1395/1400c-ローマ、1455)の「ウミルタの聖母と聖人たち(聖ジョヴァン・バッティスタ、聖パオロ、聖ドメニコ、聖フランチェスコ)」(1425-30c)


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15世紀の逸名画家作「受難の聖母」(1450-60c)


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クレタ=ヴェネツィアで活動した逸名画家作「ピエタ」(17世紀前半)


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ジョヴァンニ・ディ・パオロ(シエナ、1398-1482)の「キリストと十字架を持つ聖人たち」


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次の展示コーナーです。


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Maestro di Barga (ルッカ、15世紀初め活動)の「聖母子と4聖人」(1400-10c)


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聖母子と2音楽天使


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聖ステファノ、聖ジュリアーノ


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聖ロレンツォ、聖アントニオ・アバーテ


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ボッティチェッリの領域(Ambito di)の「聖母被昇天と聖ベネデットと聖トッマーゾ・アポストロ、聖ジュリアーノ」(16世紀初め)


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ドメニコ・ディ・フランチェスコ通称ドメニコ・ディ・ミケリーノ(フィレンツェ、1417-1491)の「聖ヴィンチェンツォ・フェッレーリ」(1450-70c)


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ビッチ・ディ・ロレンツォ(フィレンツェ、1373-1452)の「聖母子と4天使」(1433)


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ネーリ・ディ・ビッチ(フィレンツェ、1419-1492)の「聖母子と4聖人(聖フランチェスコ、聖バルトロメオ、聖ジョヴァン・バッティスタ、聖ジャコモ・マッジョーレ)」(1440-50c)


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フラ・ディアマンテ(テッラヌオーヴァ・ブラッチョリーニ、1430-フィレンツェ、1498まで記録)?の「悔悛の聖ジローラモ」(1450-70c)


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フラ・ディアマンテ(テッラヌオーヴァ・ブラッチョリーニ、1430-フィレンツェ、1498まで記録)?の「聖痕を受ける聖フランチェスコ」(1450-70c)


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ベルナルディーノ・ディ・クリストフォロ・カナーツィ通称ベルナルディーノ・ダ・レンディナーラ(レンディナーラ、1448c-フェラーラ、1506/1507)の「聖イラーリオの木製壁龕」(1494)


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迫力があります。


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ベルナルディーノ・ディ・クリストフォロ・カナーツィ通称ベルナルディーノ・ダ・レンディナーラ(レンディナーラ、1448c-フェラーラ、1506/1507)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの木製壁龕」(1494)


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次の展示コーナーです。


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ヤコポ・ロスキ(パルマ、1425-カルピ、1504c)の「パルマの旧カルミネ教会の剥離フレスコ」(1460-70c)


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逸名画家作「玉座の聖母子と聖ロッコと聖セバスティアーノ」(15世紀末)


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Maestro di Roccabianca (パルマ、15世紀第3四半世紀活動)の「聖ロレンツォの逮捕」(1460-70c)


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Maestro di Roccabianca (パルマ、15世紀第3四半世紀活動)の「聖ロレンツォの殉教」(146-70c)


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Maestro di Roccabianca (パルマ、15世紀第3四半世紀活動)の「聖ロレンツォを慰める天使」(1460-70c)


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ヤコポ・ロスキ(パルマ、1425-カルピ、1504c)の「聖母子と天使たちと永遠なる父」(1471)


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ヤコポ・ロスキ(パルマ、1425-カルピ、1504c)の「ご訪問と2聖人」(1460-70c)


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ご訪問


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聖イラーリオ


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聖ジローラモ


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白い紙がない時の作品画像です。(以前、撮った写真)
(つづく)

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次の部屋です。


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逸名彫刻家作「Porta di San Bertoldo」(10世紀)


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ポー川流域の逸名彫刻作「墓の碑文断片」(13‐14世紀)


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ポー川流域の逸名彫刻家作「聖年の記念碑」(14世紀初頭)


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ポー川流域の逸名彫刻家作「ジラーレ(蔦や葉が絡まった装飾)の板」(9世紀前半)


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ポー川流域の逸名彫刻家作「聖人と4信者の三角小間」(12‐13世紀)


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ポー川流域の逸名彫刻家作「ドラゴンの柱頭」(12‐13世紀)


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エミリアの逸名彫刻家作「アカンサス模様の柱頭」(1110‐15c)


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エミリアの逸名彫刻家作「子ヤギをつかむグリフィン(架空の動物)の柱頭」(1110‐15c)


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ポー川流域の逸名彫刻家作「ライオンの頭のメンソラ(棚)」(13世紀後半)


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ポー川流域の逸名彫刻家作「猿の頭のメンソラ(棚)」(13世紀後半)


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ポー川流域の逸名彫刻家作「聖母子」(14世紀)


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ベネデット・アンテラミ(パルマ、1178‐1196記録)の「Lastra con la Majestas Domini」(1178)


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ポー川流域の逸名彫刻家作「アカンサス模様の柱頭」(12世紀第1四半世紀)


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エミリアの逸名彫刻家作「スフィンクスの柱頭」(12世紀第1四半世紀)


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エミリアの逸名彫刻家作「聖マルティーノの柱頭」(12世紀第1四半世紀)


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ポー川流域の逸名彫刻家作「聖母の物語の柱頭」(11‐12世紀)


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前の柱頭と同じものです。


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ポー川流域の逸名彫刻家作「セイレーン(人魚)とジラーレ(蔦や葉が絡まった模様)の柱頭」(12世紀前半)


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ポー川流域の逸名彫刻家作「ケンタウロスの棚」(12世紀前半)


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ポー川流域の逸名彫刻家作「フェルレーディの柱頭」(1226)


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ベネデット・アンテラミ(パルマ、1178‐1196記録)の「ソロモンの判決、アブサロムの死、シバの女王と騎乗のアブサロム、ソロモン王とシバの女王」(1178)


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前の写真と同じ柱頭です。


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ベネデット・アンテラミ(パルマ、1178‐1196記録)の「楽園追放、カインとアベルの犠牲、アベルの殺害」(1178)


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前の写真と同じ柱頭です。


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前の写真と同じ柱頭です。


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ベネデット・アンテラミ(パルマ、1178‐1196記録)の「アダムとイヴを楽園に導く神、イヴの誘惑、原罪、裸を恥じるアダムとイヴ」(1178)


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前の写真と同じ柱頭です。


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前の写真と同じ柱頭です。


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次は絵画の展示です。


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相変わらず入館者が多くありません。


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アーニョロ・ガッディ(フィレンツェ、1369から記録‐1396没)の「玉座の聖母子と天使たちと聖人たち(聖ドメニコ、聖ジョヴァン・バッティスタ、聖ピエトロ・マルティーレ、聖パオロ、聖ロレンツォ、アクイーノの聖トッマーゾ)と祈る修道女」(1375)


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ベルナルド・ダッディ(フィレンツェ、1320‐1348記録)の「聖母子と聖ピエトロと聖パオロ」(1320‐30c)


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パオロ・ヴェネツィアーノ(ヴェネツィア、1333から記録‐1358/1362没)の「磔刑と聖母子と聖人たちのトリッティコ」(1330-40c)


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シモーネ・ディ・フィリッポ通称シモーネ・デ・クロ―チフィッシ(ボローニャ、1354から記録-1399没)の「聖母子と聖ジョヴァンニ・バッティスタと聖ジャコモ、本を持った聖人(特定できていません)と聖ビアージョ、聖オルソラと聖ルイージ9世」(1390-1400c)


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ニッコロ・ディ・ピエトロ(フィレンツェ、1368-1414記録)の「聖母の死と聖母被昇天」(1370-90c)


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聖母被昇天


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聖母の死


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プッチョ・ディ・シモーネ(フィレンツェ、1347から記録-1360/1362没)の「聖人たち」(14世紀中頃)


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(つづく)

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引き続きSaggi Accademiciです。
パルマ公爵のフィリッポ・ディ・ボルドーネ(ブルボン)によってAccademia Parmenese di Belle Artiが1752年に設立されました。
コンテストが行われ、第1位と第2位を受賞した作品が主に展示されてます。


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ジャック・アンリ・サブル(スイス、モルジュ、1749‐パリ、1803)の「パッランテの死」


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ヴィンチェンツォ・カンニツァーノ(レッジョ・カラブリア、1742‐1768)の「キリストの変容」


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パオロ・ボッローニ(ヴォゲーラ、1749‐1819)の「アルプス越えのハンニバル」


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アントワン・ギブリン(フランス、エクスアンプロヴァンス、1739‐1813)の「スカニアデル川で戦うアキレス」
アントワン・ギブリンの代表作です。


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ジョヴァンニ・バッティスタ・バグッティ(ローヴィオ、1744‐1823)の「ヘラクレスとデーイアネイラ」


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ガエターノ・トライ―ル(ヴェローナ、1761‐1810)の「ルキウス・アルビウスとウェスタの巫女」


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アントニオ・パケーラ(ヴェローナ、1749‐1791)の「ルキウス・アルビウスとウェスタの巫女」


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ピエール・ドゥ・ハラス(パリ、18世紀)の「ラートーナとディアナ」


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ヴィンチェンツォ・グアラーナ(ヴェネツィア、1753‐1815)の「ソフォニスバの死」


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ピエル・パオロ・ペッシーナ(ミラノ、18世紀)の「ソフォニスバの死」


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パオロ・ダルダーニ(ボローニャ、1725‐1789)の「Il Tevere predice ad Enea la grandezza di Roma」


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パオロ・ガッリノーニ(カラヴァッジョ、18世紀)の「シルヴィアの雌鹿の殺害」


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ジョヴァンニ・マルティーノ・ボーニ(ヴェネツィア、1753‐1810)の「シルヴィアの雌鹿の殺害」


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ヴィンチェンツォ・グアラーナ(ヴェネツィア、1753‐1815)の「パッランテの死」


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ヴィンチェンツォ・グアラーナ(ヴェネツィア、1753‐1815)の「エネアとマルスとヴィーナス」


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ダーモン・オルトラーニ(ローマ、1750c‐1789以降没)の「エネアとマルスとヴィーナス」


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ビアージョ・マンフレディ(レッジョ・エミリア、18世紀)の「アンキーセースとシビッラ・デイフォベとエネア」


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ジョヴァンニ・バッティスタ・タリアサッキ(フィデンツァ、1696‐カステルボスコ、1737)の「聖母子と聖人たち」


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ガエターノ・カッラーニ(パルマ、1736‐1809)の「ロンゴバルドのベアート・二コラとガスパーレ・デ・ボーノ」


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ジュゼッペ・ペローニ(パルマ、1710‐1776)の「天上の聖母子と聖人たち」


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ジュゼッペ・ペローニ(パルマ、1710‐1776)の「聖ルチオの殉教」


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ジュゼッペ・ペローニ(パルマ、1710‐1776)の「聖ルチアの殉教」


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ジュゼッペ・バルドリーギ(ストラデッラ、1722‐パルマ、1803)の作品ですが、題名が分かりません。


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ジュゼッペ・バルドリーギ(ストラデッラ、1722‐パルマ、1803)の「ドン・フィリッポ・ディ・ボルボ―ネ一家の肖像」


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ジュゼッペ・バルドリーギ(ストラデッラ、1722‐パルマ、1803)に帰属する「公爵一家の肖像」


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アントニオ・カノーヴァ(ポッサーニョ、1757‐ヴェネツィア、1822)の「マリア・ルイージの彫像」(1810‐14)


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ロラン・ぺシュー(リオン、1729‐トリノ、1821)の「ドン・フィリッポ・ディ・ボルボ―ネの肖像」


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ロラン・ぺシュー(リオン、1729‐トリノ、1821)の「ルイーズ・イサベッラの肖像」


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ロラン・ぺシュー(リオン、1729‐トリノ、1821)の「ドン・フェルディナンド・ディ・ボルボ―ネの肖像」


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ジャン・マルク・ナティエ(パリ、1685‐1766)の「ボルゴーニャ伯爵の肖像」


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ロラン・ぺシュー(リオン、1729‐トリノ、1821)の「ルイーザ・マリア・テレーザの肖像」


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ヨーハン・ゾファニー(フランクフルト・アム・マイン、1733‐ロンドン、1810)の「オーストリアのマリア・アマリア女公爵」


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ヨーハン・ゾファニー(フランクフルト・アム・マイン、1733‐ロンドン、1810)の「ドン・フェルディナンド・ディ・ボルボ―ネの肖像」


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ピエトロ・メルキオッレ・フェラーリ(シッサ、1735‐パルマ、1787)の「リボリオ・ベルトルッツィの肖像」


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詳細不明
説明プレートがありません。


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ピエトロ・メルキオッレ・フェラーリ(シッサ、1735‐パルマ、1787)の「ドゥ・ティロ―の肖像」


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ピエトロ・メルキオッレ・フェラーリ(シッサ、1735‐パルマ、1787)の「ドン・フェルディナンド・ディ・ボルボ―ネの肖像」


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ガブリエル・フランソワ・ドイエン(パリ、1726‐サンクトペテルブルク、1806)の「ヴィルジーニアの死」


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ピエトロ・メルキオッレ・フェラーリ(シッサ、1735‐パルマ、1787)の「桃源郷」


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ポンぺオ・バトーニ(ルッカ、1708‐パルマ、1787)の「テーティ―スとケンタウロスとアキレス」
(つづく)

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La Rocchettaの次の展示室です。


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天井の装飾


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アントニオ・アッレグリ通称イル・コレッジョ(コレッジョ、1489c‐1534)の「聖プラチドと聖フラヴィアの殉教」(1524c)


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制作者情報不詳の「グリエルモ・デッラ・ポルタ作『十字架降下』の複製」(16世紀?)


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アントニオ・ベガレッリ(モデナ、1499‐1565)の「聖ベネデットの頭像」(1558c)


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アントニオ・アッレグリ通称イル・コレッジョ(コレッジョ、1489c‐1534)の「死せるキリストへの嘆き」(1524c)


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次の部屋です。


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フランチェスコ・マッツォーラ通称イル・パルミジャニーノ(パルマ、1503‐カザールマッジョーレ、1540)の「トルコの女奴隷」(1532c)


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アレッサンドロ・マッツォーラ・べドリ(パルマ、1533‐1608)の「聖家族と聖ジョヴァンニーノと2天使」(1567c)


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ジローラモ・マッツォーラ・ベドリ(ヴィアダーナ、1500c‐パルマ、1569)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」(1515c)


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フランチェスコ・マッツォーラ通称イル・パルミジャニーノ(パルマ、1503‐カザールマッジョーレ、1540)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」(1524c)


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ジョルジョ・ガンディーニ・デル・グラーノ(パルマ、15世紀末生まれ‐1538没)の「聖母子と聖ジョヴァンニーノと聖エリザベッタと聖マリア・マッダレーナ」(1527c)


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フランチェスコ・マッツォーラ通称イル・パルミジャニーノ(パルマ、1503‐カザールマッジョーレ、1540)に帰属する「自画像」


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ミケランジェロ・アンセルミ(ルッカ、1492‐パルマ、1556)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」(1530c)


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La Rocchettaの部屋です。


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ジョルジョ・ガンディーニ・デル・グラーノ(パルマ、15世紀末生まれ‐1538没)の「聖家族と聖人たちと天使たち」(1534‐35)


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フランチェスコ・マリア・ロンダ―ニ(パルマ、1490‐1550)の「聖母子と聖人たち」(1520‐30c)


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ミケランジェロ・アンセルミ(ルッカ、1492‐パルマ、1556)の「聖家族と聖バルバラと天使」(1534)


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ホールに戻りました。


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ファルネーゼ・コレクションとは関係ない作品が展示されてます。


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神話を題材した作品が多いのが特徴です。


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ガスパーレ・ランディ(ピアチェンツァ、1756‐1830)の「ウリッセとディオメーデ」


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ジャコモ・ベルジェル(サヴォイア、1754‐ナポリ、1822)の「プリアモス王の前のシノーネ」


P2620688
ピエール・マティアス・ゴディン(ブルージュ、1752‐1811)の「プリアモス王の前のシノーネ」


P2620691
ジュゼッペ・フォルナローリ(ピアチェンツァ、1770c‐ミラノ、1820)の「アキレスを認めるウリッセ」


P2620683
べノー・ぺシュー(ローマ、1779‐パリ、1831以降没)の「聖ピエトロの殉教」


P2620694
フランコ・カプーリ(ボローニャ、18世紀活動)の「聖ピエトロの殉教」


P2620697
カルロ・べヴィラクゥア(ヴェネツィア、1775‐1849)の「ポリッセーナを殺すピュロス」


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ジュゼッペ・パオレッティ(ヴェネツィア、18世紀活動)の「ソクラテスの死」


P2620705
アントニオ・コルシ(ローマ、1811記録)の「イカロスのために翼を作るダイダロス」


P2620707
アントワーヌ・ティスラン(19世紀初頭活動)の「イカロスのために翼を作るダイダロス」


P2620710
ビアージョ・マルティーニ(パルマ、1761‐1840)の「ソクラテスの死」


P2620712
アントンワン・ボレル・ロガート(パリ、1743‐1810)の「スティクス(嫌忌の川)にアキレスを浸けるテーティ―ス」


P2620714
アントンワン・ボレル・ロガート(パリ、1743‐1810)の「アレキサンダー大王の逸話」


P2620717
アレッサンドロ・アルベルガンティ(ヴェルセシアーノ?、18世紀活動)の「スティクスにアキレスを浸けるテーテュース」


P2620719
フィリッポ・ダエッリ(ミラノ、1750‐?)の「ダヴィデの逸話」


P2620722
アレッサンドロ・アルベルガンティ(ヴァルセシアーノ?、18世紀活動)の「Il flagello della peste invocata da David」


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ジュゼッペ・デナスデ(18世紀)の「アレキサンダーと医者フィリッポ」


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コスタンティン・ヴァンケの「アレキサンダーと医者フィリッポ」


P2620730
ジュゼッペ・バルドリーギ(ストラデッラ、1722‐パルマ、1803)の「プロメテオを解放するヘラクレス」


P2620733
ヴィンチェンツォ・ヴァルドレ通称イル・ファエンツァ(ファエンツァ、1750c‐1800c)の「眠そうなセレーノ」


P2620735
ジュリアーノ・トラバッレージ(フィレンツェ、1727‐ミラノ、1812)の「ローマを解放するフリオ・カミッロ」


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ピエトロ・メルキオッレ・フェラーリ(シッサ、1735‐パルマ、1787)の「麻痺の奇跡」
(つづく)

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国立美術館に入館しました。
ファルネーゼ劇場から美術館に入る順路では、古い作品から新しいものへとほぼ年代順に見ることが出来ますが、従来の出口から中に入ったので、新しい作品から見ることになり、少し戸惑いました。


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19世紀の作品が並ぶホールです。


P2620562
胸像が並んでますが、作品の説明プレートがないので、それらの紹介を省略します。


P2620563
これは、パルマの人なら直ぐに分かる有名な作品ですが、作品の説明プレートがありません。
この作品がここにある理由もパルマ人ならば、直ぐに分かるそうです。
ジョヴァンニ・バッティスタ・ボルゲージ(パルマ、1790‐1846)の「マリー・ルイーズ女公爵の肖像」
マリー・ルイーズ(ウィーン、1791‐パルマ、1847)は、神聖ローマ帝国の皇帝フランツ1世の娘で、フランス皇帝ナポレオン1世の皇后でした。
1814年、ナポレオン戦争終結後のヨーロッパの秩序を定めたウィーン会議によって、マリー・ルイーズのパルマ公国統治が決定されました。女公爵在位は、1814年から1847年でした。
パルマに在住していたマリー・ルイーズは、パルマ所縁の画家、特にコレッジョとパルミジャニーノの作品収集に力を入れ、その結果、この美術館の作品拡充に資することになったのです。


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ジョゼフ・レベッル(ウィーン、1787‐ドレスデン、1828)の「時化」


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ジョゼフ・レベッル(ウィーン、1787‐ドレスデン、1828)の「月夜の時化のナポリ湾」


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ローマ時代の彫刻「ヘラクレス」(2世紀)


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ローマ時代の彫刻「ファウヌス(森の神)とバッカス」(2世紀)


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コレッジョとパルミジャニーノの作品を見ることに。


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「La Rocchetta」と呼ばれている場所です。
マリー・ルイーズ女公爵はコレクションを増やしましたが、ここをコレッジョ作品を主に展示する場所としたのです。


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作品が取り外されていました。


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アントニオ・アッレグリ通称イル・コレッジョ(コレッジョ、1489c‐1534)の「受胎告知」(1521‐25c)


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制作者情報不詳の「パルミジャニーノ作『聖母子と聖ジローラモとフェルトレのベアート・ベルナルディーノ』の複製画」(17世紀初頭)


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制作者情報不詳の「コレッジョ作『聖母子と聖マリア・マッダレーナと聖ルチア』の複製画」
何処かで見たことがある作品と思いました。オリジナルはミラノのブレラ絵画館にあります。


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アンニーバレ・カラッチ(ボローニャ、1560‐ローマ、1609)とアゴスティーノ・カラッチ(ボローニャ、1557‐パルマ、1602)の「コレッジョ作『天使たち』の複製画」(16世紀末)


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同断


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パスクゥアーレ・テスタ(パルマ、1524‐1587)工房作のキャビネット


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キャビネットの寄せ木細工


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開館日の平均入館者数は200人弱となってます。


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アントニオ・アッレグリ通称イル・コレッジョ(コレッジョ、1489c‐1534)の「聖母戴冠」(1522c)


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アントニオ・アッレグリ通称イル・コレッジョ(コレッジョ、1489c‐1534)の「エジプトへの逃避途中の休息」


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次の部屋です。


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アントニオ・アッレグリ通称イル・コレッジョ(コレッジョ、1489c‐1534)の「ドゥオーモ・クーポラの聖母被昇天のシノピエ」


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アントニオ・アッレグリ通称イル・コレッジョ(コレッジョ、1489c‐1534)の「スカラの聖母」(1524c)


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アントニオ・アッレグリ通称イル・コレッジョ(コレッジョ、1489c‐1534)の「聖母子と聖ジローラモと聖マリア・マッダレーナ」


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La Rocchettaの廊下のような展示室です。


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パオロ・トスキ(パルマ、1788‐1854)の「Traduzione」
コレッジョとパルミジャニーノがパルマに残したフレスコ画のTraduzioneです。traduzioneは翻訳とか通訳と言う意味です。パオロがコレッジョとパルミジャニーノが残したフレスコ画を彼なりに理解して制作したコピー画のようなものでしょう。


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パオロ・トスキ(パルマ、1788‐1854)の「Traduzione」


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パオロ・トスキ(パルマ、1788‐1854)の「Traduzione」


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パオロ・トスキ(パルマ、1788‐1854)の「Traduzione」


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パオロ・トスキ(パルマ、1788‐1854)の「Traduzione」


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カルロ・ライモンディ(ボッケ・ディ・カターロ、1809‐パルマ、1883)の「パオロ・トスキの肖像」


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カルロ・ライモンディ(ボッケ・ディ・カターロ、1809‐パルマ、1883)の「パルミジャニーノ作『聖アガタ』の複製画」


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カルロ・ライモンディ(ボッケ・ディ・カターロ、1809‐パルマ、1883)の「パルミジャニーノ作『聖ヴィターレ』の複製画」


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カルロ・ライモンディ(ボッケ・ディ・カターロ、1809‐パルマ、1883)の「コレッジョ作『スカラの聖母』の複製画」


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カルロ・ライモンディ(ボッケ・ディ・カターロ、1809‐パルマ、1883)の「コレッジョがサン・パオロの部屋に描いたフレスコ画の複製」


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カルロ・ライモンディ(ボッケ・ディ・カターロ、1809‐パルマ、1883)の「コレッジョがサン・パオロの部屋に描いたフレスコ画の複製画」


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カルロ・ライモンディ(ボッケ・ディ・カターロ、1809‐パルマ、1883)の「コレッジョがサン・パオロの部屋に描いたフレスコ画の複製画」


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カルロ・ライモンディ(ボッケ・ディ・カターロ、1809‐パルマ、1883)の「コレッジョがサン・パオロの部屋に描いたフレスコ画の複製画」
(つづく)


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ピロッタ宮殿に向かいました。


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Piazzale della Pace


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ピロッタ宮殿にパルマ国立美術館があります。


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ピロッタ宮殿は、パルマ、ピアチェンツァ、カストロの公爵だったオッタヴィオ・ファルネーゼ(ヴァレンターノ、1524‐ピアチェンツァ、1586)によって1580年に創建されました。


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オッタヴィオの死後、公爵を継承したアレッサンドロ・ファルネーゼ(ローマ、1545‐アラス、1592)によってピロッタ宮殿の建設が引き継がれました。アレッサンドロの死後、公爵となった、アレッサンドロの息子ラヌッチョ1世ファルネーゼ(パルマ、1569‐1622)に宮殿の建設が引き継がれましたが、1611年、建設工事が中断され、ルネサンス様式の宮殿は未完成のまま現在に至ってます。


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1611年に工事中断された時の姿が現在のものではありません。


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1944年5月、第二次世界大戦の爆撃によって、宮殿の一部が破壊されましたが、その部分を修復することなく、戦後に危険との理由で、破壊された部分を完全に破壊して安全にした後の姿が現在の姿です。


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2018年、公園と宮殿は工事中でした。


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ピロッタ宮殿に美術館がオープンしたのは、1760年でした。
古い資料になりますが、2015年の年間入館者は59,757人でした。


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パルマ国立美術館の展示の中心は、ルネサンス期にファルネーゼ家が収集した所謂ファルネーゼ・コレクションです。ファルネーゼ家では、特に第220代教皇パオロ3世ファルネーゼ(カニーノ、1468‐ローマ、1549)とパオロ3世の孫アレッサンドロ・ファルネーゼ・イル・ジョーヴァネ枢機卿(ヴァレンターノ、1520‐ローマ、1589)の2人が美術品の収集に熱心でした。


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宮殿の中に入ります。
残念ながら、ファルネーゼ・コレクションのお宝全部がここにあるわけではありません。コレクションの貴重な作品の大部分はカポディモンテ美術館に移されて、ピロッタ宮殿にあるのは、その残りカス?と言うべきでしょう。
ファルネーゼ・コレクションは、ローマのファルネーゼ宮(現フランス大使館)、カプラローラ(ヴィテルボの近く)のヴィラ・ファルネーゼ、パルマのピロッタ宮殿、ピアチェンツァのファルネーゼ宮殿に分散されていました。
17世紀中頃のパルマとピアチェンツァの公爵だったラヌッチョ2世ファルネーゼ(パルマ、1630‐1694)には、3人の男子がいました。先妻イサベッラ・デステとの間にできた長子で公世子のオドアルド2世(パルマ、1666‐1693)、後妻で先妻の妹エリザベッタとの間にできたフランチェスコ、アントニオがいました。
公世子のオドアルド2世は、ラヌッチョ2世の公爵在位中に死んでしまい、ラヌッチョの死後の公爵位は次男フランチェスコに引き継がれましたが、フランチェスコは子供に恵まれないまま1727年に死去してしまい、後継はアントニオとなりましたが、アントニオも子供に恵まれないまま1731年に死去してしまいました。
ラヌッチョ2世の公世子だったオドアルド2世には娘エリザベッタがいましたが、エリザベッタはスペイン王フェリペ5世の王妃でした。フェリペ5世とエリザベッタとの間に二人の息子カルロスとフィリッポがいました。
直系のファルネーゼ家はアントニオ・ファルネーゼ公爵の死を以って1731年に途絶え、ファルネーゼ・コレクションはスペイン王妃エリザベッタに引き継がれ、エリザベッタの息子カルロスがパルマ公になりました。
ところが、1734年、パルマ公のカルロスは、ナポリ公国王に叙せられ、カルロ3世となりましたが、その際、母エリザベッタから受け継いだファルネーゼ・コレクションもナポリに持って行ったのです。
新たにパルマ公になったのは、カルロスの弟フィリッポでしたが、ファルネーゼ・コレクション全部のナポリ移転に反対して、返還交渉を行い、コレクションの一部はパルマに戻されることになりました。
前述のように、1760年、パルマ公フィリッポによって、残されたファルネーゼ・コレクションを母体に一般に展示されることになりました。
ピロッタ宮殿に残されたファルネーゼ・コレクションは、更に問題が起きたのです。
1803年から1814年まで、パルマはナポレオンのフランスによって占領されてしまったのですが、同時にピロッタ宮殿にあった作品も戦利品としてパリに持ち去られてしまいました。
ナポレオンの失脚後、持ち去られた美術品の返還交渉が行われ、その大半はパルマに戻されましたが、一部はそのままパリに残され、現在、ルーヴル美術館で展示されてます。
ついでですが、カルロ3世によってナポリに移転されたファルネーゼ・コレクションの数々がナポリのカポディモンテ美術館の展示の根幹となってます。
ナポリにある傑作は、カポディモンテ美術館とカラヴァッジョが逃亡中にナポリで描いた作品になりますが、奇縁によってナポリの美術が面目が立ったと言えると思います。ファルネーゼが断絶せず、カラヴァッジョがローマで殺人を犯さなければ、ナポリの美術作品は悲惨な状況になっていたことでしょう。


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現在、ピロッタ宮殿には、パラティーナ図書館、ボドニアーノ美術館、国立考古学博物館、ファルネーゼ劇場、国立美術館があります。


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宮殿の中も工事中でした。


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展示室は1階(日本の2階)にあります。


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切符売り場です。


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国立美術館の出入り口です。
従来、ファルネーゼ劇場から美術館に入館し、この扉から出るのが普通でしたが、2018年には、劇場から美術館に行くことが出来なくなっていて、劇場から一旦切符売り場があるホールに出て、この扉から美術館に入館するようになっていました。


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写真右はファルネーゼ劇場への入り口です。2018年、この入り口は閉まっていました。


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図書館の入り口


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ホールの壁にあるフレスコ画の痕跡です。


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国立美術館とファルネーゼ劇場は、切符がセットになっています。先ずファルネーゼ劇場を見ることにしました。
前述のように、工事中のためか、劇場への何時もの扉が閉められ、その横に設けられた臨時?の出入り口から劇場に入りました。


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ファルネーゼ劇場です。


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パッラーディオ設計の、ヴィチェンツァにあるオリンピコ劇場を模して1618年に建設された木造劇場です。


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色々な公演が行われる現役の劇場です。


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残念ながら現在の劇場は1618年に建設されたオリジナルのものではありません。


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1618年に建設された劇場は、第二次世界大戦の爆撃によって消失してしまい、戦後にオリジナルの形に忠実に再建されたものが現在の劇場です。


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絵画と彫刻があります。


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舞台


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木組みの天井


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劇場の外の方に出ます。


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劇場の構造部


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戦災前の劇場を飾っていた彫刻が展示されてます。
ルーカ・レーティ(ライーノ、1598‐パルマ、1660)と協力者による「寓意的彫刻」(1618c)


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ルーカ・レーティ(ライーノ、1598‐パルマ、1660)と協力者による「寓意的彫像」(1618c)


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劇場の模型


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前の建物にあった焼失を免れた板絵


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同断


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船の模型が展示されてます。


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展示されている理由が分かりません?
ファルネーゼ・コレクション?


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消失した建物を飾っていた彫刻
吊り下げられた像は不気味です。


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舞台を上下させるもの


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劇場内に戻りました。


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劇場を出て、美術館に入館します。


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(つづく)

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パルマのドゥオーモ広場です。


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写真左端に教区博物館 Museo Diocesanoがあります。


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洗礼堂とのセット券で入館できます。


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ドゥオーモの対面にある建物はPalazzo Vescovileです。



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写真はPalazzo Vescovileの中庭です。


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博物館の入り口が別の建物にあるので、意外に思えますが、博物館はPalazzo Vescovileの中庭地下にあるのです。
早速入館しました。


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12世紀の聖水盤
ドゥオーモにありました。


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14世紀の大天使聖ミケーレ
ドゥオーモにありました。


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現在のドゥオーモの場所にあった初期キリスト教会の柱の一部


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Museo Diocesano 教区博物館なので、パルマ司教区に属する教会にあった作品などが展示されていると思いましたが、ドゥオーモのものばかりで、実態はドゥオーモ付属博物館でしょう。


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ドゥオーモの初代の建物にあったライオン像


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左は「ソロモン像」(高さ155cm)(1200‐10c)
右は「サバの女王」(高さ1200‐10c)
パルマ大聖堂洗礼堂にありました。


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手前の像は、「大天使聖ミケーレ」(高さ168cm)(1200‐10c)
パルマ大聖堂洗礼堂にありました。


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「大天使聖ミケーレ」(高さ175cm)(1200‐10c)
パルマ大聖堂洗礼堂にありました。


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アンテラミ派彫刻家による「ライオン像」(12世紀)
ドゥオーモにありました。


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アンテラミ派彫刻家による「ライオン像」(12世紀)
ドゥオーモにありました。


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左は、「預言者ダヴィデ」(1200‐10c)
右は、「預言者ナタン」(1200‐10c)
パルマ大聖堂洗礼堂にありました。


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「乞食にマントを与える聖マルティーノ」(12世紀)
ドゥオーモにありました。


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ドゥオーモにあった浮彫(12世紀)


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ドゥオーモにあった彫刻(12世紀)


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現在のドゥオーモが建っている場所にあった初期キリスト教会の床のモザイク


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同断


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同断


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初期キリスト教会の礎石


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ドゥオーモにあった幟(13世紀末)


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幟の先端部
これを掲げながら街を練り歩いたとされてます。


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図柄は、洗礼堂のクーポラのフレスコ画とほぼ同じです。


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2つの幟の先端、中部、下部と3枚の写真に分けて掲載してます。


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洗礼堂のクーポラのフレスコ画と同じと考えれば、制作者はグリスポロ・ディ・パルマ(パルマ、13世紀活動)とグリスポロ工房ということになりますが・・・・


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幟ではなくて、洗礼堂クーポラのフレスコ画の原画のように思うのですが・・・・


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Mensola con Protomo Leonina(13世紀末‐14世紀初頭)
ドゥオーモの洗礼堂にありました。


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初期キリスト教会の床


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浮彫(12世紀)
ドゥオーモにありました。


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同断


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12世紀に制作されてもので、ドゥオーモにありました。


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外に出ました。

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洗礼堂から外に出て、次は教区博物館です。


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洗礼堂と教区博物館が共通券になってます。


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Museo Diocesanoは、通常、教区に属する教会や修道院から集められた作品が展示されてますが、パルマの場合、ドゥオーモにあった作品が展示の中心になっていて、実質的にドゥオーモ付属博物館となってます。


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入館しました。


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この種の博物館としては、展示が少ない方でしょう。


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パルマ教区博物館については、後程項を改めて詳しく触れます。


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外に出たら、辺りはすっかり夕方の佇まいでした。


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もう閉館間近なのでパス。


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イタリアのオペラ劇場は、月に6,7日の公演が普通です。


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この日だけでなく、翌日、翌々日も公演がありません。


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ピロッタ宮殿は、この日の翌日に行きました。この日は、もう夕方で時間がありません。


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ガリバルディ通りをてくてく歩いてホテルに戻りました。


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夕食はホテル併設のレストランで。


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結構気に入ってます。


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クラテッロ・ディ・ジベッロが美味!
私が食べたイタリア生ハムでは、クラテッロ・ディ・ジベッロが最も美味しいと思います。


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皿が大き過ぎ。


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夜更けに外に出たけれど。


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直ぐに部屋に戻りました。


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翌日も快晴でした。


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ピロッタ宮殿に向かいました。


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公園は工事中でした。


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私にとって、パルマでの一番の見所はここです。


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パラティーナ図書館、ボドニアーノ博物館、ファルネーゼ劇場、国立美術館、国立考古学博物館がピロッタ宮殿にあります。


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宮殿の中も工事中でした。


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ファルネーゼ劇場と国立美術館はセットになってます。


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ファルネーゼ劇場です。


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以前は、劇場から美術館に行くようになっていましたが、今回は、劇場から一旦切符売り場のホールに出てから、従来、美術館の出口だった所から美術館に入館するようになっていました。


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作品の新しい時代のものから古い時代の作品を見て行くという、従来の逆の順路で見て行くことになりました。


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ファルネーゼ家のお宝収集作品は、直系相続人が絶えたことで、ナポリのカポディモンテに移されてしまい、その残りカス感が強いものの、それでも十分楽しめます。


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パルマ国立美術館については、項を改めて詳しく触れる予定です。


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レオナルド・ダ・ヴィンチの作品


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展示されている作品の数は、それほど多くはありません。


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国立考古学博物館も工事中でした。


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閉鎖されている部屋が数部屋あったと思います。


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興味深い展示ばかりで、時間をかけてゆっくりと見て回りました。


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国立考古学博物館も項を改めて詳しく触れる予定です。


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定番展示も数多くありました。


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かなり時間が経ちました。


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すっかり日が傾きました。


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この日も充実した一日になり、満足でした。


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(つづく)

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ベネデット・アンテラミの彫刻があるアーチの下に16のニッチ(壁龕)があります。


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16のニッチのうち、13のニッチにフレスコ画が描かれてます。あとの3つのニッチが扉となってます。
ニッチに描かれたフレスコ画を見て行きます。これらのフレスコ画は13世紀から15世紀に制作されたものですが、作品帰属がはっきりしないものが多いようです。


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Maestro del 1302 (エミリアで14世紀前半活動)の「ジェラルド・ビアンキ司教のニッチ」


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Maestro del 1302 (エミリアで14世紀前半活動)の「玉座の聖母子と天使と聖ジョヴァンニ・バッティスタとジェラルド・ビアンキ司教」


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次のニッチです。


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P2610409
ブオナミコ・ディ・マルティーノ通称ブッファルマッコ(フィレンツェ、1290c‐1340)の「竜を退治する聖ジョルジョ」(1330‐36)


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ブオナミコ・ディ・マルティーノ通称ブッファルマッコ(フィレンツェ、1290c‐1340)の「キリストの洗礼」、「聖ジョヴァン・バッティスタの斬首」(1330‐36)


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次のニッチです。


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ベルトリーノ・ダ・ピアチェンツァの「玉座の聖母子と聖人たち」(14世紀)


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ベルトリーノ・ダ・ピアチェンツァのフレスコ画(14世紀)


P1230716
次のニッチです。


P2610455


P2610456
ニッコロ・ダ・レッジョの「玉座の聖母子と2聖人」(14世紀)


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祭壇


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祭壇の後にあるニッチです。


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エセクトリ・デッラ・ヴォルタの「キリストの洗礼


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エセクトリ・デッラ・ヴォルタの「聖母子と4聖人」


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次のニッチです。


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14世紀のエミリアの逸名画家作「聖母戴冠」、「聖人たち」


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14世紀のエミリアの逸名画家のフレスコ画


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次のニッチです。


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14世紀のエミリアの逸名画家のフレスコ画


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次のニッチです。


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15世紀のエミリアの逸名画家のフレスコ画


P2610396
15世紀のエミリアの逸名画家のフレスコ画


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次のニッチです。


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P2610480
14世紀のエミリアの逸名画家のフレスコ画


P2610481
14世紀のエミリアの逸名画家のフレスコ画


P1230728
次のニッチです。


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P2610382
14世紀のエミリアの逸名画家のフレスコ画


P1230729
次のニッチです。


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15世紀のエミリアの逸名画家のフレスコ画


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15世紀のエミリアの逸名画家のフレスコ画


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次のニッチです。


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15世紀のエミリアの逸名画家のフレスコ画


P1230717
次のニッチです。


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15世紀のエミリアの逸名画家のフレスコ画


P2610451
15世紀のエミリアの逸名画家のフレスコ画


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これで大体見終わりました。


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(おわり)

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洗礼堂の中に入りました。


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7,8年前に、ここで実際に洗礼式が行われているのを見ました。観光客を立ちリ禁止して洗礼式が行われると聞いたことがありますが、その辺はどうなっているのでしょうか。


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洗礼盤


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クーポラは、16本のコストローネ(肋材)から成る傘状になってます。


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クーポラの全面がフレスコ画で覆われてます。


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フレスコ画は、6つの同心円から成っており、テーマ毎に1つの同心円のフレスコ画が描かれてます。


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中心に近い赤色の同心円は、永遠の愛の赤い空を表現しているそうです。


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クーポラの中心から2番目の同心円に菱形が描かれてます。その菱形の中に星が描かれていて、その星はエルサレム上空に輝いているものとされてます。


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中心から3番目の同心円には、16本のコストローネで分けられた16の壁面に、12人の使途と4人の福音書記者が描かれてます。


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4番目の同心円には、キリストが描かれ、その左に聖母、キリストの右に聖ジョヴァンニ・バッティスタ、その他の壁面に13人の預言者が描かれてます。


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5番目の同心円には、聖ジョヴァン・バッティスタの生涯が12場面と4人の聖人が描かれてます。


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6番目の同心円には、アブラモ、自然の4要素(水、空気、土、火)、春夏秋冬の四季、聖母の生涯のエピソードが描かれてます。


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クーポラのフレスコ画は、グリスポロ・ディ・パルマ(パルマ、13世紀活動)とグリスポロ工房によって13世紀末に制作されました。


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フレスコ画の全場面の写真を撮ろうと思いましたが、見上げるのが辛くて直ぐに断念しました。


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上ばかり見ていると首が痛くなるし、やがて気持ち悪くなりました。


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制作するのが大変だったことでしょう。


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クーポラのフレスコ画はこのくらいで終わりにします。


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クーポラのフレスコ画の下に2層からなるギャラリーがあります。


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ギャラリーに何もないところが多いですが、ここに彫刻が置かれていたそうです。


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彫刻が置かれている場所があります。これらの彫刻は貴重な傑作とされてます。


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これらの彫刻を順を追って紹介しましょう。


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ベネデット・アンテラミ(ヴァル・ディンテルヴィ、1150c‐1230c)の傑作です。一部、アンテラミ工房の手が入っていると推察されてます。
左から、1月 水瓶座、2月 魚座


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左から3月 牡羊座、4月 牡牛座、5月 双子座


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ベネデット・アンテラミ(ヴァル・ディンテルヴィ、1150c‐1230c)の作品


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左の彫像は詳細不明です。
その右は、ベネデット・アンテラミの6月 蟹座、7月 獅子座


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左から8月 乙女座、真ん中は詳細不明、その右は9月 天秤座


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左から10月 蠍座、11月 射手座、12月 山羊座


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ギャラリーの説教壇


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3つの扉上ルネッタに彫刻があります。


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ベネデット・アンテラミ(ヴァル・ディンテルヴィ、1150c‐1230c)と工房の「エジプトへの逃避」


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ベネデット・アンテラミ(ヴァル・ディンテルヴィ、1150c‐1230c)と工房の「キリストの寺院への出現」


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ベネデット・アンテラミ(ヴァル・ディンテルヴィ、1150c‐1230c)と工房の「アルピコルドを弾くダヴィデ」
(つづく)

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次はパルマ大聖堂の洗礼堂 Battistero di San Giovanniです。


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12世紀後半から13世紀前半に活動した彫刻家であり、建築家でもあったベネデット・アンテラミ(ヴァル・ディンテルヴィ、1150c‐1230c)の設計によって、1196年に創建され、1216年に一応の完成をみたゴシック様式の建物で、最終的な完成は1270年とされてます。
ロマネスク様式からゴシック様式へと変わる過渡期におけるゴシック様式の建物です。


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八角形、五連窓の四層構造の上にブランド・アーチを持つ、高さ35mの建物です。


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ブラインド・アーチの上に8本の尖塔がありますが、高さと形状は不均一となってます。


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先ず、外側の彫刻などを見て行きます。


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入口扉が3つありますが、正面扉 Portale della Madonnaから見て行きました。


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Portale della Madonna上ルネッタの彫刻は、ベネデット・アンテラミ(ヴァル・ディンテルヴィ、1150c‐1230c)の「マギの礼拝」です。


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正面扉の柱


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正面扉、向かって右側の柱


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柱頭


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ベネデット・アンテラミ(ヴァル・ディンテルヴィ、1150c‐1230c)と工房による彫刻


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ゾオーフォロ(zooforo 人獣帯状装飾)と呼ばれている彫刻が75あります。


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ベネデット・アンテラミ(ヴァル・ディンテルヴィ、1150c‐1210c)と工房によってズオーフォロが作られました。


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柱頭


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殆どがオリジナルのものです。


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柱頭


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Zooforo


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Portale del Giudizio上ルネッタは、ベネデット・アンテラミ(ヴァル・ディンテルヴィ、1150c‐1230c)の「最後の審判」


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Portale del Giudizioの左


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Portale del Giudizioの右


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人獣帯状装飾


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Zooforo


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3つ目の扉Portale delle Vitaです。


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ルネッタの彫刻は、ベネデット・アンテラミ(ヴァル・ディンテルヴィ、1150c‐1230c)の「バラハムの伝説」


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横を見ました。


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外側は大体見たようです。


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(つづく)

引き続き交差ヴォールトのナヴァータに描かれたフレスコ画です。
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主祭壇から内陣二番目の交差ヴォールトから再開します。


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旧約聖書からの場面が描かれてます。


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クゥアドリーフォラ(四連窓)の上部はキリストの物語が描かれてます。


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四連窓の下部は聖人たちと予言者が描かれてます。


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交差ヴォールト天井のフレスコ画は、アレッサンドロ・マッツォーラ・べドリ(パルマ、1533‐1608)によって1571年から1574年に制作されたものです。


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逆光です。


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キリストの昇天


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次です。


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ナヴァータのフレスコ画は、ラッタンツィオ・ガンバラ(ブレーシャ、1530‐1574)が、ベルナルディーノ・ガッティ通称イル・ソジャロ(パヴィア、1495/1496-クレモナ、1576)の協力を得て制作されました。


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イル・ソジャロの協力の詳細については分かりません。


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次です。


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最後の晩餐


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次です。


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十字架昇架


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次です。


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キリストの復活


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これでナヴァータのフレスコ画は終わりです。


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中央礼拝堂をもう一度見ました。


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次はファサードの裏の壁に描かれたフレスコ画です。


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ラッタンツィオ・ガンバラ(ブレーシャ、1530-1574)の「キリストの昇天」


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カルロ・カルヴィとグイド・モンタナーリのステンドグラス(1954)
従来のステンドグラス経時劣化によって欠落したので、1954年に新たに制作されたものです。


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これで終わりですが、コンソルツィオ礼拝堂のクリストフォロ・カセッリの作品がなかったように思います。


1
見当たらなかったクリストフォロ・カセッリ通称イル・テンペレッロ(パルマ、1460c‐1521)の「玉座の聖母子と聖イラーリオと聖ジョヴァンニ・バッティスタと音楽天使」(1499)
(外部サイトから作品画像を拝借しました)


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外に出ました。

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ベルニエーリ礼拝堂の中に入って拝観したかったのですが、鉄扉が閉まっていました。


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鉄格子の間からカメラを入れて写真を撮りました。


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チーマ・ダ・コネリアーノの領域(Ambito)の「ご訪問」(15末‐16世紀初頭)
Ambito di Tizianoと書かれている作品をティツィアーノの作品と間違えないようにしましょう。P2600702



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フレスコ画は、バルトリーノ・デ・グロッシ(パルマ、15世紀初頭に活動)によって描かれました。


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「聖セバスティアーノの物語」


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15世紀末のパルマの逸名彫刻家作「聖ジローラモ・ベルニエーリの聖櫃」


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右側廊


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右側廊交差ヴォールト天井のフレスコ画は、アレッサンドロ・マッツォーラ・べドリ(パルマ、1533‐1608)によって1571年から1574年に制作されました。


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次は、交差ヴォールトのナヴァータ上に描かれたフレスコ画を左ナヴァータから見て行きましょう。


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ファサードに近い方から主祭壇の方に向かって順番に見て行きます。


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交差ヴォールト天井のフレスコ画はアレッサンドロ・マッツォーラ・べドリ(パルマ、1533‐1608)によって描かれました。


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ナヴァータのフレスコ画は、ラッタンツィオ・ガンバラ(ブレーシャ、1530‐1608)がベルナルディーノ・ガッティ通称イル・ソジャロ(パヴィア、1495/1496-クレモナ、1576)の協力を得て、1567年から1573年に制作されました。


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受胎告知


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上段が旧約聖書、中段がキリストの物語、下段が預言者、聖人たちとなってます。


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羊飼いの礼拝


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パオロ・フローニの「説教壇」(1613)


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クゥアドリーフォラ(四連窓 quadrifora)の上部は割礼


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クゥアドリーフォラの下部


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次です。


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嬰児虐殺


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次です。


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博士たちとの問答


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次です。


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キリストの洗礼


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オルガン


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中央礼拝堂と後陣


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フレスコ画は、ジローラモ・マッツォーラ・ベドリの「最後の審判」(1538‐44)
アルベルト・ディ・モンフェオーロ・ダ・カッラーラの聖体容器(1486‐88)


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交差ヴォールト・ナヴァータの右側のフレスコ画に移ります。


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寺院からの商人たちの追放


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(つづく)

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チェントーニ礼拝堂です。


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逆光です。


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チェントーニ礼拝堂の祭壇画は、アレッサンドロ・アラルディ(パルマ、1460c‐1528)の「玉座の聖母子と聖アントニオ・アバーテと聖パオロと寄進者ルドヴィーコ・チェントーニ」(1516)です。


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フランチェスコ・マリア・ロンダ―ニ(パルマ、1490‐1550)の「磔刑」(153‐31)


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詳細不明


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詳細不明


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フランチェスコ・マリア・ロンダ―ニ(パルマ、1490‐1550)の「キリストの受難」(1530‐31)


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天井のフレスコ画もフランチェスコ・マリア・ロンダ―ニ(パルマ、1490‐1550)によって1530‐31年に制作されました。


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次の礼拝堂です。


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Cappella del Comuneです。


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コムーネ礼拝堂の祭壇画は、ミケランジェロ・アンセルミ(パルマ、1491c‐ルッカ、1555c)の「聖母子と聖セバスティアーノと聖ロッコと聖オラーリオと聖ビアージョ」(1526c)です。


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詳細不明


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コムーネ礼拝堂の壁一面にフレスコ画が描かれてます。


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バルトリーノ・デ・グロッシ(パルマで15世紀初めから中頃活動)と工房に帰属する「聖セバスティアーノと聖ファビアーノの生涯のエピソード」(1450c)


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こちらの壁は聖ファビアーノの物語でしょうか?


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聖セバスティアーノ


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こちらの壁は聖セバスティアーノの物語でしょう。


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聖ロッコ?


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カドゥーティ礼拝堂です。今日ではバイアルディ礼拝堂と呼ばれることが多いようです。


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扉が閉まっていますが、見どころが乏しいので、その理由が分かりません。


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古いフレスコ画が落剝したので、その残渣を塗り潰し、20世紀に新たに制作されたフレスコ画です。


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ビアージョ・ビアゲッティによって1920年に制作されたフレスコ画


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ビアージョ・ビアゲッティと言う画家は全く知りません。


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サン・マルティーノ礼拝堂です。


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この礼拝堂の装飾も新しい。


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礼拝堂の壁全面にフレスコ画が描かれてます。


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ジローラモ・マニャーニのフレスコ画(1881‐82)


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18世紀末から19世紀初めにパルマで活動した逸名彫刻家作「聖ジュゼッペと幼きキリスト」(18世紀末)


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(つづく)

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右翼廊のサン・パオロ礼拝堂です。


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オラツィオ・サマッチーニ(フィデンツァ、1770‐パルマ、1845)による天井装飾です。


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サン・パオロ礼拝堂のフレスコ画は、ポンポニオ・アレグリ(コレッジョ、1521‐パルマ、1845)の「シナイ山のモーゼ」(1560‐62)


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大聖堂で買い求めたガイドブックがあるので、作品帰属を書くのが容易です。


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アントニオ・プレシャーニの「聖パオロの回心」
サン・パオロ礼拝堂の祭壇画です。


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詳細不明


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詳細不明


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次はマドンナ・デッレ・ネ―ヴェ礼拝堂です。


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カティーノのフレスコ画は、クリストフォロ・カセッリ(パルマ、1460‐1521)の「父なる神」(1505‐06)


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金が使われてます。


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詳細不明の「無原罪の聖母」


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クリストフォロ・カセッリ(パルマ、1460‐1521)の「死せるキリストを支える2天使」(1507)


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バルトロメオ・モンティーニの墓碑


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この上にチーマ・ダ・コネリアーノの「玉座の聖母子と聖人たち」がありましたが、取り外され、現在はピロッタ宮殿のパルマ国立美術館にあります。


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バルトロメオ・モンティーニの墓(1507)


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エルコーレ・プロカッチーニ・イル・ヴェッキオ(ボローニャ、1515‐1595)の「兵士」(1560‐62)


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お目当ての作品です。
パルマ大聖堂で必見の作品を1点挙げるとすれば、これになると思います。


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ベネデット・アンテラミ(ヴァル・ディンテルヴィ、1150c‐1230c)の「十字架降下」(1178)


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日光が変に当たって、作品が見難くて困りました。


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傑作は何度見ても見飽きることがありません。


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右側廊の柱頭


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サンタガタ礼拝堂の扉が閉まっていました。


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鉄格子の間にカメラを入れて写真を撮りました。


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サンタガタ礼拝堂の祭壇を飾るベルナルド・ガッティ通称イル・ソジャロ(パヴィア、1495/1496-クレモナ、1576)の「磔刑と聖マリア・マッダレーナと聖アガタとウベルティの聖ベルナルドと天使」(1566-74)
ベルナルド・ガッティの代表作です。彼の代表作がパルマ大聖堂にあることはあまり知られていないと思います。


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サンタガタ礼拝堂のフレスコ画は、セバスティアーノ・ガレオッティ(フィレンツェ、1675-モンドヴィ、1746)とペッレグリーノ・スパッジャーリ(ミラノ、1728-1750記録)の二人によって、1717年から1719年に制作されました。


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フレスコ画のテーマは「天上の聖ジョヴァンニ・アバーテ」


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ジョヴァンニ・フランチェスコ・カリッシーミ家の墓」(1520-47)


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詳細不明


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詳細不明


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かなり傷んでます。


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聖水盤
(つづく)

クリプタの続きです。
P2600479
詳細不明


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ベルトリーノ・デ・グロッシ(パルマ、1425‐1462記録)工房によって描かれたフレスコ画


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クリプタの礼拝堂


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クリプタの礼拝堂


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ジローラモ・マッツォーラ・ベドリ(ヴィアダーナ、1500‐1569)の「ウベルティの聖ベルナルディーノの墓」(1544)


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クリプタの拝観が終わりました。


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内陣に戻りました。


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左側の礼拝堂を見て回りました。


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ガスパーレ・トラヴェルシ(ナポリ、1732c‐1769)の「磔刑と聖人たち」(1753)


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左翼廊天井


P2600490
詳細不明


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左翼廊の礼拝堂を見ます。


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これがあると助かります。


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アッスンタ礼拝堂です。


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アッスンタ礼拝堂のフレスコ画は、ミケランジェロ・アンセルミ(パルマ、1492‐ルッカ、1554)によって1548年に制作されました。


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ミケランジェロ・アンセルミのフレスコ画


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同断


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ティンティ(パルマ、1558‐1617)の「聖母被昇天」(1589‐91)


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次はサン・フェルモ礼拝堂です。


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アントニオ・パシーニ(フィデンツァ、1770‐パルマ、1845)の「キリストの埋葬」(1815)


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サン・フェルモ礼拝堂のフレスコ画です。
オラツィオ・サマッチーニ(ボローニャ、1532‐1577)の「モーゼの奇跡」(1570‐76)


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サン・フェルモ礼拝堂にある彫刻(詳細不明)


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サン・フェルモ礼拝堂にある彫刻(詳細不明)


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説教壇


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クーポラ


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クーポラのフレスコ画が傑作として有名です。


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四隅は4福音書記者


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アントニオ・アッレグリ・ダ・コレッジョ通称コレッジョ(コレッジョ、1489c‐1534)の「聖母被昇天」(1526‐30)


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コレッジョの代表作です。


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制作は危険と隣り合わせでしょうね。


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次は後陣の礼拝堂です。


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P2600526
ジローラモ・マッツォーラ・ベドリ(ヴィアダーナ、1500‐1569)の「最後の審判」(1538‐44)


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P2600527
ジローラモ・マッツォーラ・ベドリによるフレスコ画


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アントニオ・ギデッティの祭壇の装飾彫刻(1766)


P2600537


P2600539
詳細不明


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後陣の礼拝堂


P2600531


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中央礼拝堂前から見た出入口方向


P2600533


P2600541
オルガン


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青銅製の祭壇(12‐13世紀)
(つづく)

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サン・セヴェーレ礼拝堂です。


P2600415
詳細不明


P2600417
ガスパーレ・トラヴェルシ(ナポリ、1732c‐1769)の「天使たちと聖人たちと磔刑」


P2600419
ガスパーレ・トラヴェルシ(ナポリ、1732c‐1769)の「聖ルチアと聖アグネスと聖アポッロニア」


P2600422
ガスパーレ・トラヴェルシ(ナポリ、1732c‐1769)の「聖パスクゥアーレ・バイロン」


P2600424
詳細不明


P2600426
ガスパーレ・トラヴェルシ(ナポリ、1732c‐1769)の「聖痕を受ける聖フランチェスコ」


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詳細不明


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扉が閉まっていたサン・マルティーノ礼拝堂です。


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鉄柵の間にカメラを入れて写真を撮りました。


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16世紀後半のパルマの逸名画家作「聖母子」(16世紀第3四半世紀)


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サン・マルティーノ礼拝堂の天井フレスコ画です。


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サン・マルティーノ礼拝堂のフレスコ画は、セバスティアーノ・ガレオッティ(フィレンツェ、1675‐モンドヴィ、1719)によって1719年に描かれました。


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セバスティアーノ・ガレオッティの「天上の聖母と天使たち」(1719)


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ピエル・ルイージ・パッラヴィンチーノの「威厳の聖母と天使たち」(1966)


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1423年から1426年に建設されたヴァレーリ礼拝堂です。
扉が閉まっていました。


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この礼拝堂は壁一面に描かれたフレスコ画が必見ですが、鉄扉が邪魔して写真がうまく撮れません。


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鉄格子にカメラを入れて写真を撮りました。


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ベルトリーノ・デ・グロッシ(パルマ、1425‐1462記録)と工房によって制作されたフレスコ画です。ジョヴァンニ・ダ・モデナのスタイルで描かれたそうです。


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フレスコ画のテーマは、この礼拝堂の注文主であるクリストフォロ・ヴァレーリの家族とキリストの物語となってます。


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クリストフォロ・ヴァレーリはパルマの有力政治家でしたが、政争に敗れてパルマから追放されてしまいました。追放後に彼の家族を思って、このフレスコ画を注文したそうです。


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制作者情報不詳の「磔刑像」(15世紀)


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他の信者がいなかったので、クリプタに入ることにしました。信者以外は立ち入りが禁止されてます。


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クリプタです。


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規模の大きなクリプタです。


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クリプタの礼拝堂の祭壇画、フレスコ画などを見て回りました。


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ミケランジェロ・アンセルミ(パルマ、1492‐ルッカ、1554)の「家族に顕現する聖アグネス」(1526)


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次のクリプタ礼拝堂です。


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アレッサンドロ・アラルディ(パルマ、1460c‐1528)の「聖母の結婚」(1519)


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クリプタの壁にフレスコ画の断片が残されてます。


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ベルトリーノ・デ・グロッシ工房によって制作されたフレスコ画


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クリプタにある礼拝堂です。


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詳細不明のフレスコ画


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アントニオ・バレストラ(ヴェローナ、1666‐1740)の「聖イラーリオ」(1733)


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詳細不明


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詳細不明


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ベルトリーノ・デ・グロッシ工房によって制作されたフレスコ画


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同断


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(つづく)

今回は、ロマネスク様式建築物の代表作の一つであり、ルネサンス様式の内部装飾が見所のパルマ大聖堂です。
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ドゥオーモ通りからドゥオーモ広場に向かいました。


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ドゥオーモ広場にやってきました。


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パルマ大聖堂、Cattedrale di Santa Maria Assuntaです。1834年、教皇グレゴリオ16世によってBasilica Minoreに格付けされました。


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現在のドゥオーモが建っている場所に既に初期キリスト教会がありました。
9世紀頃、パルマ司教だったグイボルド(?、820c‐パルマ、895)司教は、初期キリスト教会を取り壊し、その上に新しい建物の建設を決め、新しい建物の奉献式が890年に行われました。
しかし、1055年、または1058年に起きた火災によって、建物が消失してしまったので、1061年頃から再建作業が開始されました。二代目の建物の奉献式が、1106年、第160代教皇パスクゥアーレ2世(ブレダ、1050c‐ローマ、1118)によって執り行われました。


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その後、地震に見舞われ、途中修復工事が行われた結果、二代目の建物は当初予定よりも遅れて1170年頃に一応完成しました。


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現在の姿の原形は、13世紀のものです。


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高さ63mのゴシック様式の鐘楼は、オビッツィオ・サンヴィターレの設計によって、1284年から1294年に再建された二代目のものです。


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鐘楼は、ご覧のように長い間、修復工事が行われていました。
2009年10月21日の深夜から翌22日の未明にかけて、パルマは大雷雨に見舞われ、その際の落雷によって鐘楼は火災が発生して大きな被害を受けてしまいました。そのため、修復工事が行われ、2015年9月19日に工事が完了するまで、ご覧のような状態の姿だったのです。


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鐘楼の横に洗礼堂が建ってます。


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洗礼堂は、ベネデット・アンテラミ(ヴァル・ディンテルヴィ、1150c‐1230c)の設計によって1196年から1216年頃に建設されました。
洗礼堂については、別に取り上げることにします。


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ジャンボノ・ダ・ビッソーニのプロテュルムのライオン(1281)


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ライオン像は左右で一対です。


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ロマネスクの彫刻


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柱頭の彫刻


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ルチーノ・ピアンキーノの門(1491)


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聖堂内に入りました。


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三廊式、ラテン十字形、ルネサンス様式の内部です。


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右側廊方向


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天井


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聖堂内の構造図


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これがあると助かります。


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アレッサンドロ・アラルディ(パルマ、1460c‐1528)の「聖家族とドメニコ・ダ・イーモラ司教」(1496)


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礼拝堂を順番に見て行きます。


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フランチェスコ・モンティ通称イル・ブレーシャニーノ(ブレーシャ、1646‐パルマ、1712)の「ご訪問」


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見所が豊富です。


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詳細不明


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左側廊


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(つづく)

第15室の続きです。
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フランチェスコ・モンティ通称イル・ブレーシャニーノ(ブレーシャ、1646‐パルマ、1712)の「旅人と羊飼いがいる風景」


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フランチェスコ・モンティ通称イル・ブレーシャニーノ(ブレーシャ、1646‐パルマ、1712)の「戦闘」


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フランチェスコ・モンティ通称イル・ブレーシャニーノの領域(Ambito)の「戦闘」


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イラリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「騎兵がいる風景」


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フランチェスコ・モンティ通称イル・ブレーシャニーノ(ブレーシャ、1646‐パルマ、1712)の「騎兵戦」


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フランチェスコ・モンティ通称イル・ブレーシャニーノ(ブレーシャ、1646‐パルマ、1712)の「騎兵戦」


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フランチェスコ・モンティ通称イル・ブレーシャニーノ(ブレーシャ、1646‐パルマ、1712)の「騎兵戦」


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フランチェスコ・モンティ通称イル・ブレーシャニーノ(ブレーシャ、1646‐パルマ、1712)の「水浴するニンフ」


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フランチェスコ・モンティ通称イル・ブレーシャニーノ(ブレーシャ、1646‐パルマ、1712)の「合奏」


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フランチェスコ・モンティ通称イル・ブレーシャニーノ(ブレーシャ、1646‐パルマ、1712)の「ニンフとプットたち」


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次の部屋です。


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第16室になります。


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イグナツィオ・ステルン(オーストリア、1679‐ローマ、1748)の「磔刑像を手に瞑想する聖ブルノーネ」


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アントニオ・ムリエ通称イル・テンペスタ(オランダ、ハールレム、1637‐ミラノ、1701)の「パリーデの判決」


P2610306
アントニオ・ムリエ通称イル・テンペスタ(オランダ、ハールレム、1637‐ミラノ、1701)の「ヴィーナスとアドーネ」


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クロード・ロレイン(フランス、シャマーニュ、1600‐ローマ、1682)の「幸福な出来事」


P2610311
18世紀後半のヴェネトの逸名画家作「カナレット作『ドーロのブレンタ川』の複製画」


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ジャコモ・アントニオ・ボーニ(ボローニャ、1688‐ジェノヴァ、1766)の「漁師がいる風景」


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フランチェスコ・フォンテバッソ(ヴェネツィア、1707‐1769)の「天上の聖母子と聖ジョルジョと聖マルコと聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ」


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フランチェスコ・フォンテバッソ(ヴェネツィア、1707‐1769)の「聖ジュゼッペの死」


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フランチェスコ・フォンテバッソ(ヴェネツィア、1707‐1769)の「パオラの聖フランチェスコの奇跡」


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フランチェスコ・フォンテバッソ(ヴェネツィア、1707‐1769)の「教皇聖グレゴリオと聖人たち」


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フランチェスコ・フォンテバッソ(ヴェネツィア、1707‐1769)の「十字架の発見と聖エレーナ」


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劇場?


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第17室


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次の部屋です。この部屋から展示作品全点の紹介を控えます。(興味がないから)


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第18室


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エンリコ・バンディーニ(パルマ、1807‐1888)の「彫刻家トッマーゾ・バンディーニ」(1830c)


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ベルナルディーノ・リッカルディ(パルマ、1814‐ローマ、1854)の「嘆きの聖母」(1839)


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ジョヴァンニ・リッコ(パルマ、1817‐1873)の「聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ」(1840)


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ボルゲージ(パルマ、1790‐1846)の「十字架を担ぐ聖ジョヴァンニ」(1816c)


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次の部屋です。


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第19室


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次の部屋です。


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第20室


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第21室で終わりです。


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外に出ました。
アンニーバレ・カラッチ、ラヴィーニア・フォンターナ、ジョヴァンニ・ランフランコの作品などが印象に残りました。
(おわり)

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次の部屋です。


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第13室になります。


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ジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリ通称イル・グエルチーノの領域(Ambito)の「苦しみのキリスト」(17世紀)


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18世紀の逸名画家作「聖母の神殿奉献」


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バルトロメオ・マンフレディ(オスティアーノ、1587‐ローマ、1622)に帰属する「男の頭」


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テオフィリ・ビグー通称マエストロ・キャンドルライト(フランス、アルル、1579‐アヴィニョン、1650)の「聖母の頭」


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バルトロメオ・マンフレディ(オスティアーノ、1587‐ローマ、1622)に帰属する「男の頭」


P2610174
ジュゼッペ・チェーザリ通称カヴァリエール・ダルピーノ(アルピーノ、1568‐ローマ、1640)の「キリストの頭」


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ジュゼッペ・チェーザリ通称カヴァリエール・ダルピーノ(アルピーノ、1568‐ローマ、1640)の「兵士の頭」


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17世紀にローマで活動したフランス人逸名画家作「羊飼いの礼拝」(17世紀後半)


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18世紀のエミリアの逸名画家作「聖チェチリア」


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パルマの家具工房作「箪笥」(18世紀初め)


P2610187
アンドレア・ランツァーニ(ミラノ、1641‐1712)の「エジプトへの逃避途中の休息」


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制作者情報不詳の「ティツィアーノ作『救世主』の複製画」


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ベネデット・ジェンナーリ(チェント、1633‐ボローニャ、1715)の「聖アグネス」


P2610195
17世紀前半のフィレンツェの逸名画家作「純潔の寓意」


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17世紀のエミリアの逸名画家作「グイド・レーニ作『悲しみの聖母』の複製画」


P2610203
18世紀のトスカーナの逸名画家作「グイド・レーニ作『鳩の聖母』の複製画」


P2610206
17世紀のエミリアの逸名画家作「グイド・レーニ作『聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ』の複製画」


P2610209
フィレンツェの逸名画家作「謙虚の寓意」(17世紀前半)


P2610211
ジョヴァン・フランチェスコ・フェランテ(ボローニャ、1600‐ピアチェンツァ、1653)の「聖アンドレア・アヴェッリーノ」


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次の部屋です。


P2610215
第14室


P2610217
ジョヴァン・バッティスタ・ガウッリ通称イル・バチッチョ(ジェノヴァ、1639‐ローマ、1709)の「光悦の聖イグナツィオ」


P2610220
アレッサンドロ・マリ(トリノ、1650‐マドリッド、1707)の「アレッサンドリアの聖カテリーナ」


P2610223
アレッサンドロ・マリ(トリノ、1650‐マドリッド、1707)の「パドヴァの聖アントニオ」


P2610226
アレッサンドロ・マリ(トリノ、1650‐マドリッド、1707)の「聖チェチリア」


P2610229
制作者情報不詳の「ティツィアーノ作『カルロ5世の肖像』の複製画」


P2610231
ジョヴァンニ・ボッラ(パルマ、1650‐1735)の「聖家族」


P2610235
アントニオ・モロ(アントニス・モル)(オランダ、ユトレヒト、1517‐ベルギー、アントウェルペン、1577)の「パルマ=ピアチェンツァ公爵夫人、マルゲリータ・デ・オーストリアの肖像」


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フランス・デニス(アントワープ、1610‐マントヴァ、1670)の「ラヌッチョ2世の肖像」(1662)


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フランス・デニス(アントワープ、1610‐マントヴァ、1670)に帰属する「イサベッラ・デステ」(1664‐66)


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次の部屋です。


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第15室


P2610246
ジョヴァンニ・ベネデット・カスティリオーネ通称イル・グレチェット(ジェノヴァ、1609‐マントヴァ、1664)の「雄鶏、七面鳥、ネズミ」


P2610249
フェリーチェ・ボセッリ(ピアチェンツァ、1650‐パルマ、1732)の「野菜、果物、肉の静物画」


P2610252
ジョヴァンニ・ベネデット・カスティリオーネ通称イル・グレチェット(ジェノヴァ、1609‐マントヴァ、1664)の「猫、亀、鳥の静物画」


P2610255
フェリーチェ・ボセッリ(ピアチェンツァ、1650‐パルマ、1732)の「野菜、果物、肉の静物画」


P2610258
フランチェスコ・モンティ通称イル・ブレーシャニーノ(ブレーシャ、1646‐パルマ、1712)の「サティーロ、ニンフ、プットたち」


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フランチェスコ・モンティ通称イル・ブレーシャニーノ(ブレーシャ、1646‐パルマ、1712)の「サティーロとニンフとプットたちの遊び」


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フランチェスコ・モンティ通称イル・ブレーシャニーノ(ブレーシャ、1646‐パルマ、1712)の「プット、サティーロ、ニンフ」
(つづく)

P2610059
次の部屋です。


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第10室になります。


P2610062
エルコーレ・デッラバーテ(モデナ、1562‐1613)の「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」


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アントニオ・マリア・ヴィアーニの領域(Ambito)の「三位一体」(17世紀前半)


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パルマの逸名画家作「聖家族と聖ジョヴァンニーノ」(1600‐10c)


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ジョヴァンバッティスタ・ザノリーニ(フィデンツァ、1593‐1599存在確認)の「聖母子とパドヴァの聖アントニオとオリヴェート会修道士聖人」


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バルトロメ・エステバン・ムリーリョの領域(Ambito)の「幼きキリスト」(18世紀後半)


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16世紀初頭のエミリアの逸名画家作「マールテン・デ・フォス作『聖家族と天使たち』の複製画」


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バルトロメ・エステバン・ムリーリョの領域(Ambito)の「聖ジョヴァンニーノ」(18世紀後半)


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ジョヴァンバッティスタ・ターリアサッキ(フィデンツァ、1696‐カンプレモルド・ソプラ、1737)の「聖ジョヴァンニーノ」


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フランス・フランケン2世・イル・ジョーヴァネ(17世紀後半活動)の「羊飼いの礼拝」


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16世紀後半のフランドルの逸名画家作「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


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フェラーラの逸名画家作「我に触れるな」(1590‐1600)


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フェラーラの逸名画家作「ピエタ」(1590‐1600)


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次の部屋です。


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第11室


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ここは、旧サン・パオロ修道院の台所でした。


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17世紀中頃のパルマの家具工芸工房作「クローゼット」


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次の部屋です。


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第12室


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フランチェスコ・ストリンガ(モデナ、1635‐1709)の「天上の聖母子と天使たち」


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カルロ・ボノーネ(フェラーラ、1569‐1632)の「永遠なる父の頭」


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ジョヴァンニ・ランフランコ(パルマ、1582‐ローマ、1647)の「聖ブルノーネ」


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カルロ・ボノーネ(フェラーラ、1569‐1632)の「聖人の頭」


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18世紀のヴェネトの逸名画家作「聖母被昇天」


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ジョヴァンニ・マウロ・デッラ・ローヴェレ通称フィアッミンギーノ(ミラノ、1575‐1640)の「寓意的場面」


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ジョヴァンニ・アントニオ・ファゾーロ(マンデッロ・デル・ラーリオ、1530‐ヴィチェンツァ、1572)の「男の頭」


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ジョヴァンニ・アントニオ・ファーゾロ(マンデッロ・デル・ラーリオ、1530‐ヴィチェンツァ、1572)の「女の頭」


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17世紀前半のエミリアの逸名画家作「聖母子」


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17世紀のパルマの逸名画家作「バルトロメオ・スケドーニ作『キリストの埋葬』の複製画」


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バルトロメオ・スケドーニ(モデナ、1578‐パルマ、1615)の「聖エリザベッタの施し」


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シスト・バルダロッキオ(パルマ、1585‐ローマ、1585c)の「聖母」


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ジョヴァンニ・ランフランコ(パルマ、1582‐ローマ、1647)の「聖オッタヴィオの殉教」


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ヴァレリオ・カステッロ(ジェノヴァ、1624‐1659)の「聖ジャコモを洗礼する聖ピエトロ」
(つづく)

P2600919
次の部屋です。


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第6室になります。


P2600921
ミケランジェロ・アンセルミ(ルッカ、1492c‐パルマ、1556)の「聖母戴冠のステンダルド(旗)」


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制作者情報不詳の「ヤン・ファン・エイク作『戴冠した聖母』のコピー画」


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フィリッポ・リッピの追随者作「聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ」(16世紀前半)


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ロンバルドの逸名画家作「聖母子」(1500‐20c)


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ロレンツォ・レオンブルーノ(マントヴァ、1477‐1537)に帰属する「聖母子」


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アントニオ・ベガレッリの領域(Ambito)の「聖母の頭像」(16世紀)


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ジャコモ・ライボリーニ通称ジャコモ・フランチャ(ボローニャ、1486c‐1540)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


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17世紀前半のトスカーナの逸名画家作「この人を見よ」


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ジャコモ・ライボリーニ通称ジャコモ・フランチャ(ボローニャ、1486c‐1540)の「聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ」


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トスカーナの逸名画家作「この人を見よ」(1500‐10c)


P2600954
ローマの逸名画家作「ラファエッロ・サンツィオ作『キューピッドの頭』の複製画」(16世紀前半)


P2600957
15世紀末のジェノヴァの逸名画家作「聖家族」


P2600959
15世紀末の逸名画家作「タッデオ・ズッカリ作『死せるキリストへの哀悼』の複製画」


P2600963
フランチェスコ・マリア・ロンダ―ニ(パルマ、1490‐1550)の「聖母子と聖ジョヴァンニーノと聖フランチェスコとベネデット会修道士聖人」


P2600966
コレッジョの追随者作「園のキリスト」(16世紀前半)


P2600968
次の部屋です。


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第7室


P2600972


P2600973
16世紀末のパルマの逸名画家の素描


P2600976
ジローラモ・マッツォーラ・ベドリ(ヴィアダーナ、1500c‐パルマ、1569)の「祭壇画の下絵」


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17世紀のエミリアの逸名画家作「聖母被昇天」


P2600986
17世紀末のエミリアの逸名画家作「コレッジョ作『聖アントニオ』の複製画」


P2600988
ジョヴァンニ・ジョゼッフォ・ダル・ソーレの領域画家作「グイド・レーニ作『無原罪の聖母』の複製画」(17世紀後半)


P2600993
ジローラモ・マッツォーラ・ベドリ(ヴィアダーナ、1500c‐パルマ、1569)の「男の肖像」


P2600996
フランチェスコ・ロンギ(ラヴェンナ、1544‐1618)の「聖母の頭」


P2600998
インノチェンツォ・マルティーニ(パルマ、1551‐1623)の「使徒の頭」


P2610002
次の部屋です。


P2610003
第8室


P2610005
アンニーバレ・カラッチ(ボローニャ、1560‐ローマ、1609)の「キリストとカナン人」


P2610009
17世紀初頭のボローニャの逸名画家作「ルドヴィーコ・カラッチ作『キリストの逮捕』の複製画」


P2610012
ヤン・ソーンス(オランダ、スヘルトーヘンボス、、1547‐パルマ、1611)の「この人を見よ」


P2610014
17世紀のイタリアの逸名画家作「聖ロッコ」(1647)


P2610018
ラヴィーニア・フォンターナ(ボローニャ、1552‐ローマ、1714)の「ユディト」


P2610021
次の部屋です。


P2610022
第9室


P2610023
17世紀後半の逸名画家作「聖フィリッポ・ネリ」


P2610026
17世紀後半の逸名画家作「聖フィリッポ・ネリ」


P2610030
ドメニキーノ(ボローニャ、1581‐ナポリ、1634)の「聖ドメニコの頭」


P2610033
ピエル・アントニオ・ベルナベイ(17世紀初め活動)の「死せるキリストへの哀悼」


P2610035
17世紀のパルマの逸名画家作「聖フランチェスコ」


P2610038
16世紀初めのエミリアの逸名画家作「十字架降下」


P2610041
17世紀のパルマの逸名彫刻家作「フランチェスコ・ダ・メーダの胸像」


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P2610045


P2610049
ピエル・アントニオ・ベルナベイ(パルマ、1567‐1630)の「磔刑」


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18世紀のパルマの逸名画家作「聖フィリッポ・ネリ」
(つづく)

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Monument della Veccia Torre di San Paoloが見えてます。その塔は旧サン・パオロ教会修道院の鐘楼でした。


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旧サン・パオロ教会です。
サン・パオロ教会修道院は、985年、この場所に建設されました。現在の建物は、1584年に建設された二代目のものです。
その後、教会の名称がサン・ルドヴィーコ教会に変更されました。
1810年、当時のパルマ司教によって教会は閉鎖されました。


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閉鎖されてから、建物は学校として使用されていました。


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学校としての使用が中止され、2002年、ストゥアルド絵画館がオープンしました。こちらは旧修道院だった建物です。


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絵画館の入り口です。
絵画館は、主に旧修道院東側の建物にあります。


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入館しました。
毎週火曜日が休館です。入館無料です。(無料にしておくのが勿体ないと思います)


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展示室に進みます。


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第2室です。
守備塔の発掘調査の過程で、発掘されたものが展示されてます。


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ストゥアルド絵画館は、ジュゼッペ・ストゥアルドが個人集した美術品が主に展示されてます。


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ジュゼッペ・ストゥアルド(パルマ、1790‐1834)に帰属する「自画像」
彼は眼病を患ったので、アイパッチをしていたそうです。


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アントニオ・イラリオーリ(チサーノ・ベルガモスコ、1825‐1883以降没)の「ジュゼッペ・ストゥアルドの胸像」


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ルイージ・ヴィゴッティ(パルマ、1807‐1861)の「ジュゼッペ・ストゥアルドの肖像」
エッチングです。


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次の部屋です。


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第3室です。


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部屋のフレスコの説明でしょうか。


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ニコロ・ディ・トッマーゾ(フィレンツェ、1348‐1375存在確認)の「死せるキリストへの哀悼」


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Maestro della Misericordia(フィレンツェ、1350c‐1375c存在確認)の「玉座の聖母子」


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次の部屋です。


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第4室です。


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15世紀のエミリアの逸名画家作「聖母子」


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ビッチ・ディ・ロレンツォ(フィレンツェ、1373‐アレッツォ、1452)の「聖トッマーゾと聖ジョヴァンニ・バッティスタ」、「聖ジャコモ・ミノーレとバーリの聖二コラ」


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コレッジョの領域(Ambito di Correggio)の「聖ピエトロ?」(16世紀初頭)
サン・パオロ修道院にあったフレスコ画の剥離断片です。


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ジョヴァンニ・ディ・フランチェスコ(アレッツォ、1412 o 1428-フィレンツェ、1458)に帰属する「十字架を担ぐキリスト」


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次の部屋です。


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第5室になります。


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12世紀のギリシャのビザンチン様式逸名画家作「聖母子と2天使」


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パオロ・ディ・ジョヴァンニ・フェイ(シエナ、1340c‐1411)に帰属する「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


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ピエトロ・ディ・ジョヴァンニ・ディ・アンブロージョ(シエナ、1409c‐1449存在確認)の「キリストのエルサレム入城」


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16世紀のエミリアの逸名彫刻家作「キリスト」(16世紀初頭)


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Maestro della Elle(フィレンツェ=クレタ、16世紀後半活動)の「羊飼いの礼拝」


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16世紀末のヴェネト=クレタの逸名画家作「キリストの復活」
(つづく)

パルマは、人口196,475人(2018年3月31日現在)のエミリア・ロマーニャ州パルマ県の県都です。
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パルマ駅に到着しました。


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3,4年前に再建された駅舎です。駅至近のこの日のお宿に向かいました。


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オペラを見ることが滅多になくなったので、このところ、このホテルに泊まってます。


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荷物を預け身軽になったので、早速街歩きに出発しました。


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ガリバルディ通り、またはトレント通りを真っすぐ進めば、旧市街です。同じ通りですが、場所によって名称が異なるので、時々戸惑うことがあります。


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この辺ではガリバルディ通りになるでしょう。


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サンタ・テレーザ教会の拝観は後日にしてパス。


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Piazza della Pace
広場に面して建っているのはピロッタ宮殿です。


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ストゥアルド絵画館の開館時間を確認しました。それで後で入館することにしました。


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ドゥオーモ広場にやってきました。


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洗礼堂は後回し。


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先ずドゥオーモを拝観することにしました。


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堂内に入りました。


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クリプタ


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クーポラのフレスコ画


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日が当たって見難かった!


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ドゥオーモについては、項を改めて詳しく触れる予定です。


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見所が多いので目移りしてしまいます。


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説教壇


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味わい深い柱頭


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外に出ました。


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雲一つない秋晴れ


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Palazzo Vescovile


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絵画館の開館時間になったので、絵画館に向かいました。


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Monument della Vecchia Torre di San Paolo


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旧サン・パオロ教会


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ストゥアルド絵画館は、旧サン・パオロ教会修道院の建物にあります。
月曜日も開館しています。入館無料です。


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ジュゼッペ・ストゥアルド(パルマ、1790‐1834)の「自画像」
ジュゼッペ・ストゥアルドは、パルマ貴族の芸術家、美術品収集家です。彼が個人収集した美術品が展示されてます。


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絵画館については、項を改めて詳しく触れる予定です。


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収集家の品良い好みが伺えます。


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近代画が充実しています。


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次は洗礼堂の拝観です。


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日がすっかり傾きました。


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団体さんがいました。


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洗礼堂に入りました。外にいた団体さんは何故か中に入ってきません。


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洗礼堂については、後程項を改めて詳しく触れる予定です。


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近頃、長い間見上げるのが辛くなってきました。


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見上げないと鑑賞できないので、辛くなっても我慢の一手です。


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(つづく)

282
1258年創建のロマネスク様式のサン・フランチェスコ教会です。


281
奉献式が1285年に執り行われました。
建物の完成後、二回大修復が行われましたが、老朽化したので、17世紀半ばに再建されました。現在の姿は、再建された二代目の建物です。


283
鐘楼は13世紀に建設されました。


279
教会の入り口は閉まっています。
教会のことを述べてますが、サン・フランチェスコ教会修道院の建物が博物館として使用されている上に、サン・フランチェスコ教会自体が博物館の一部として組み込まれているからです。


280
教会の入り口上ルネッタに描かれたフレスコ画「聖母子と聖フランチェスコと聖キアーラ」
制作者は不明のようです。


245
この建物が博物館の入り口となってます。
サン・フランチェスコ教会修道院ですが、18世紀末のナポレオンのイタリア侵攻に伴い、宗教活動が縮小制限されると、急速に荒廃が進み、1810年には活動が停止され閉鎖されてしまいました。その後、宗教活動は一度も再開されることなく現在に至ってます。
1833年から1893年まで大学の学舎として使用されていました。
その後、建物はコムーネの所有となり、20世紀初頭に一部改造され、村民ホールや会議室などとして使用されるようになりました。


244
1980年に村民ホールや会議室としての使用が停止され、1997年にコムナーレ博物館がオープンしました。
Complesso Museale di San Francescoが正式名称です。その名前の通り、幾つかの博物館から成る複合博物館です。


354
先ず、教会に入りました。


353
有名なオルガン


246
教会の壁に描かれたフレスコ画は、Maestro di Fossaの「磔刑」


355
教会を経由して、旧修道院のキオストロを経て、博物館の方に入る順路になってます。


248
キオストロ回廊のルネッタに描かれたフレスコ画


250
考古学部門


251


252
絵画部分は熱心に見ました。
入館者は私一人だけだったと思います。


254
17世紀のウンブリアの逸名画家作「聖母子と聖マリア・マッダレーナとアレッサンドリアの聖カテリーナ」


255
17世紀のウンブリアの逸名画家作「ロザリオの聖母」
肝心のロザリオの聖母部分はこの画面の上部にあるようですが、落剝してありません。


256
16世紀のウンブリアの逸名画家作「エマオの晩餐」


257
17世紀のウンブリアの逸名画家作「受胎告知」


258
トッマーゾ・マウリツィの「聖母被昇天」


260
ピントゥリッキオの「聖母子」


261
じっくりと鑑賞しました。


262
ジョヴァンニ・ディ・ピエトロ通称ロ・スパーニャ(?、1450c‐スポレート、1528)の「サン・マルティーノの祭壇画」(1522)
トレヴィのサン・マルティーノ教会の主祭壇を飾っていた祭壇画です。


263
聖母戴冠
ロ・スパーニャの代表作です。


264
プレデッラ


265
裾絵の中央が欠落しています。


267
ロ・スパーニャの「アレッサンドリアの聖カテリーナ」(1520c)
トレヴィのマドンナ・デッラ・ラクリメ教会にありました。


269
ロ・スパーニャの「聖チェチリア」(1520c)
この作品もトレヴィのマドンナ・デッレ・ラクリメ教会にありました。


271
アレッサンドロ・トゥルキ通称ロルベット(オルベット)(ヴェローナ、1578‐ローマ、1649)の「聖母被昇天」(1630‐40c)
トレヴィのサンタントニオ教会にありました。


272
フランチェスコ・ナシーニ(カステル・デル・ピアーノ、1611‐1695)の追随者作「聖ヴィンチェンツォの奇跡」(1720‐30c)
トレヴィのサン・ドメニコ教会にありました。


273
17世紀のローマの逸名画家作「聖トッマーゾの不信」
トレヴィのサンティ・トッマーゾ・エ・ラザロ教会にありました。


274
ジョヴァンニ・ディ・コッラドゥッチョ(フォリーニョ、1404‐1430活動記録)の「サン・フランチェスコのポリッティコ」(1430c)
トレヴィのサン・フランチェスコ教会にありました。


275
詳細不明の「慈悲の聖母」
説明プレートがありません。


276
16世紀のウンブリアの逸名画家作「ピエタ」
トレヴィのマドンナ・デッレ・ラクリメ教会にありました。


277
制作者情報不詳の「祈る聖母」


247
写真館です。


253
オリーブ博物館


278
(おわり)

245
トレヴィのコムナーレ博物館です。


253
博物館はオリーブ、考古学。絵画などの部門に分かれてます。


261
展示作品数は少ないですが、傑作が幾つかあります。


266
コムナーレ博物館については、項を改めて詳しく触れる予定です。


281
博物館として使用されている旧サン・フランチェスコ教会の建物です。


284
15世紀に建設されたモルト門を潜りました。


285
モルト門に描かれたフレスコ画(18世紀)です。制作者は不祥のようです。


287
モルト門を潜って、村の中心マッツィーニ広場に出ました。


286
広場に面して建つPalazzo Comunale、村役場です。13‐14世紀に建設されたそうです。


288
村役場の横にある「村の塔」です。13‐14世紀に建設された塔です。
次はペルジーノの作品が残るマドンナ・デッレ・ラクリメ教会です。


352
1485年に創建されたマドンナ・デッレ・ラクリメ教会です。


350
ペルジーノの「マギの礼拝」(1521)


351
制作者不明の「聖母子」(15世紀)
次はドゥオーモです。


289
細い道のベアート・プラチーダ通りの突き当りにドゥオーモがあります。


291
地元の人々からドゥオーモと呼ばれているサンテミリアーノ教会です。教区教会にも格付けされていないようです。


293
道幅が狭いので、ファサード全体の写真を撮るのが難しい教会です。


309
この場所に、既に3世頃には初期キリスト教会の存在を示す記録が残されているそうです。
12世紀、その初期キリスト教会を取り壊し、その上に建設されたロマネスク様式の教会が前身です。
15世紀、建物は拡張されることになり、それに伴いルネサンス様式に改造されました。
その後、地震、落雷、火災の被害を受け、建物が老朽化したので、19世紀後半に建築家ルーカ・カリミ―ニの設計によって、15世紀の改造後の姿を出来るだけ生かしながら、再建されました。


308
この部分だけ15世紀の改築のものです。


310
ファサードにある聖エミリアーノ像(13世紀)です。
聖エミリアーノは、トレヴィを含む司教区の最初の司教でしたが、304年、棄教を拒んでトレヴィ郊外で拷問の饐えに殉教したのです。この教会に聖エミリアーノの聖遺物が残されてます。
トレヴィの守護聖人になっています。


311
ドゥオーモの外壁にフレスコ画が残されてます。


312
15世紀のウンブリアの逸名画家の作品です。


292
扉が閉まっていたのでガックリしました。念のため、扉を押したら、扉が開きました。このようなこともあるのです、ビックリしました。


294
中に入りました。
1997年9月26日に発生したウンブリア・マルケ地震によって大きな被害を受け、大修復されたので柱が新しく見えます。


303
1997年のウンブリア・マルケ地震で、アッシジのサン・フランチェスコ聖堂のフレスコ画が崩落してしまいました。


304
後陣


306
この中に聖エミリアーノの聖遺物(心臓)が収められているそうです。本当?


298
ロッコ・ダ・ヴィチェンツァと工房による「秘跡の祭壇」(1521)
秘跡の祭壇がドゥオーモの見所とされてます。


297
祭壇画もロッコ―ダ・ヴィチェンツァの作品ですが、傷みが激しくて何が描かれているのか判然としません。


300
アル・メランツィオに帰属する「聖母子」
初代の建物にあったフレスコ画で、15‐16世紀に制作されました。


302
ウンブリアの逸名画家作「玉座の聖母子と聖人たち」


301
一般的に地震や火災などの被害を受けた教会には、フレスコ画や祭壇画の傑作があまり残されていません。
この教会の傑作とされていた彫刻や祭壇画は、ナポレオンのイタリア侵攻の際に殆ど全部がフランスに持ち去られ、戻されていないのです。


305
詳細不明


295
開いていただけで幸運でした。


313
外に出ました。如何にもウンブリアらしい佇まいです。


314
壁にフレスコ画が描かれた民家があります。


315
前回見た時よりも痛みが進みました。


316
受胎告知ですね。


317
村の中心のマッツィーニ広場が最高地点のようで、後は下り坂ばかりのようです。


318
下り坂は楽でした。


319
あちこち歩きましたが、城壁沿いの道に出てしまいました。


320
もっと見て回るつもりでしたが、雨が降ってきました。


321
直ぐに雨が強くなってきたので、駅までの道のりを考えて駅に向かうことにしました。


322
振り返って旧市街を撮りました。


325


324
(おわり)

トレヴィは、人口8,372人(2017年1月1日現在)のウンブリア州ペルージャ県にあるコムーネです。「イタリアの最も美しい村」にリストアップされてます。
P2390667
トレヴィは、スポレート駅とフォリーニョ駅の間にあって、車窓から村の全容を見ることが出来ます。


P2100572
トレヴィを知ったのは、車窓からの眺めでした。


P2100573
高い丘の上にに築かれた村です。(車窓から撮った写真)


205
トレヴィ駅に到着しました。この日は、スポレートからの日帰り遠足でした。


206
トレヴィ駅の駅舎です。
無人駅で、券売機が1台ありますが、故障中のことがあって困ります。
待合室が開いているだけで、駅舎にバールはありません。トイレがありますが、入り口が施錠されているので使用できません。トイレの裏で用足しをしている男性を何度も見かけましたが、女性の方は不知です。


207
トレヴィは、ローマ・テルミニ~オルテ~スポレート~フォリーニョの幹線上にあって、RとRVが停車します。


208
防衛と対マラリアの観点から、高い場所に村が築かれたそうです。高い場所の方が蚊が少ないそうです。


210
駅横から丘上の向かうバスがありますが、バスの本数が少ない上に、この時は列車が大幅に遅れてバスに接続しなかったので、已む無く徒歩で旧市街に向かいました。


209
平坦な道が暫く続くので、景色が殆ど変わりません。


213
バスが通る道を避け、旧市街への近道である農道を通りました。


212
トレヴィは、オリーブ油の名産地として知られ、村の麓にオリーブ畑が広がってます。


211
旧市街に近付いてきました。


214
道の横から駅の方を見やると、かなり上ってきたことを実感しました。


215
オリーブ畑の先が旧市街です。


216
旧市街の南の出入り口であるサン・ファビアーノ門です。


217
サン・ファビアーノ門を潜り、旧市街に入りました。城壁沿いのサン・ファビアーノ通りを上ります。


219
道の右手にあった建物です。


220
サンタ・キアーラ女子修道院です。


221
18世紀に再建された建物です。初代の建物は14世紀に建設されました。


222
扉が開いていたので、中に入りましたが、大勢の尼僧がお祈りの真っ最中でした。
中に初代の建物が一部残されており、そこにジョット派画家に描かれたフレスコ画があるので、観たいと思いましたが、ミサ中なので見学を遠慮しました。


218
更に坂を上ります。


223
直ぐにサンタ・クローチェ教会があります。


225
17世紀に建設された教会です。


226
扉が閉まっていました。美術的には見るべき作品がないようです。


227
汗が噴き出すに違いない、真夏に歩くのは不適な道です。


228
足腰が衰えた老人はこの村で暮らすのが大変でしょうね。


229
写真では勾配がよく分からないと思いますが、この辺では息が上がって大変でした。


230
やがて道の峠を越えて、下り坂になりました。


231
駅が小さく見えました。川が旧市街を囲むように流れていることが分かりました。


232
車、人を見かけません。


233
Museo Civicoに向かってます。


234
女子修道院の尼僧さんたちを除けば、この村で初めて見かけた人です。


235
道は再び坂の上りになりました。


236
Museo Civicoは、旧市街の端にあるサン・フランチェスコ教会にあります。


237
ローマ帝政時代の1世紀に建設されたAntica Portaです。この門は旧市街の中心近くにあります。ローマ時代はこの門が旧市街の入り口だったそうで、ローマ時代の村は現在よりも格段に小さかったことが分かります。


238
門を潜ると視界が開けます。


239
天気が良ければ、絶景が楽しめます。


241
この日は曇り時々晴れの天気でした。


242
イタリアでは雨男なので、この日は天気に恵まれた方です。


243
サン・マルティーノ教会が見えました。
(つづく)

P1580509
アブラハム・ブリューゲル(アントワープ、1631‐ナポリ、1697)の「秋と冬」


P1580512
ジュゼペ・デ・リベラ通称ロ・スパーニョレット(スペイン、1591‐ナポリ、1652)の「アドニスの死」


P1580514
マッティア・プレティ(タヴェルナ、1613‐マルタ、ヴァレッタ、1699)の「銭の貢ぎ」


P1580516
ルーカ・ジョルダーノ(ナポリ、1634‐1705)の「キリストのエルサレム入城」


P1580518
フランチェスコ・トレヴィサーニ(スロベニア、コペル、1656‐ローマ、1746)の「聖マリア・マッダレーナ」


P1580519
マッシモ・スタンツィオーネ(オルタ・ディ・アテッラ、1585‐ナポリ、1658c)の「薔薇の聖母」


P1580525
ニコラス・トゥルニエ(フランス、モンペリアル、1590‐トゥールーズ、1639)の「Sinite parvuolos」


P1580527
ジェラルド・シーガー(アントワープ、1591‐1651)の「ユディト」
ジェラルド・シーガーは、テネリズムのカラヴァッジェスキ画家です。


P1580530
シモン・ヴーエ(パリ、1590‐1649)の「サロメ」


P1580532
ジュゼッペ・チェーザリ通称カヴァリエール・ダルピーノ(アルピーノ、1568‐ローマ、1640)の「ラザロの蘇生」


P1580534
15世紀のウンブリアの逸名画家作「聖母子」


P1580536
フランチェスコ・ライボリーニ通称イル・フランチャ(ボローニャ、1450‐1517)の「竜を退治する聖ジョルジョ」


P1580538
ジョヴァンニ・ダ・ミラノ(カヴァルサッチョ、1325c‐1370c)の「玉座の聖母子と聖人たちとキリストの物語」


P1580539
15世紀のフィレンツェ派逸名画家作「玉座の聖母子」


P1580542
ニッコロ・ディ・ピエトロ(ヴェネツィア、1394‐1427記録)の「聖人たち」


P1580543
ニッコロ・ディ・ピエトロ(ヴェネツィア、1394‐1427記録)の「聖人たち」


P1580546
14世紀のフィレンツェ派逸名画家作「聖母子と聖ジローラモと聖フランチェスコ」


P1580549
アンドレア・ディ・チョーネ通称オルカーニャ(フィレンツェ、1343‐1368記録)の「聖母戴冠」


P1580553
Maestro di San Vendiana(フィレンツェ、1370‐1400活動記録)の「トリッティコ」


P1580555
14世紀のフィレンツェ派逸名画家作の「トリッティコ」


P1580556
ジョン・ギブソン(コンウェイ、1790‐ローマ、1866)の「プシケを支える天使」


P1580561
カラヴァッジョの作品が展示されている部屋に来ました。


P1580566
ヨハン・ハインリッヒ・シェーンフェルト(オーストリア、ビベラッハ・アン・デア・リース、1609‐ドイツ、アウグスブルク、1684)の「獄中の聖ピエトロを救出する天使」


P1580568
制作者情報不詳の「アントン・ヴァン・ダイク作『荊刑のキリスト』の複製画」


P1580569
部屋の天井装飾


P1580571


P1580575
アゴスティーノ・マスッチ(ローマ、1691‐1768)の「グイド・レーニ作『聖アンドレア・コルシーニ』の複製画」


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ジャコモ・ソーポリ(モデナ、1682‐ローマ、1759)の「パオリの聖ヴィンチェンツォの説教」


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マルコ・ヴェネファアル(ローマ、1684‐1764)の「聖カテリーナ・フィエスキの幻視」


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アゴスティーノ・マスッチ(ローマ、1691‐1768)の「法悦のリッチの聖カテリーナ」


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ピエトロ・パオロ・クリストファーニ(ローマ、1685‐1734)の「教皇クレメンテ7世コルシーニとネーリ・マリア・コルシーニ枢機卿の肖像」


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ピエル・レオーネ・ゲッツィ(ローマ、1674‐1755)の「聖ジュリアーナ・ファルコニエーリの死」


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扉の装飾


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部屋の天井装飾


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退館しました。


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カラヴァッジョ、グイド・レーニなどの作品が秀逸でした。


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外に出ました。


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カラヴァッジョの作品は貸し出されることがあるので、要注意です。


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(おわり)

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ローマの逸名彫刻家作「テヴェレの化身」(16世紀末‐17世紀初頭)


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シピオーネ・プルツォーネ(ガエータ、1550‐ローマ、1598)の「ジャコモ・サヴェッリ枢機卿の肖像」


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シモーネ・カンタリーニ(ペーザロ、1612‐ヴェローナ、1648)の「アントニオ・バルベリーニ枢機卿の肖像」


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サルヴァトール・ローザ(ナポリ、1615‐ローマ、1673)の「灯台」


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ジュスト・スステルマンス(アンヴェルサ、1597‐フィレンツェ、1681)の「コジモ3世・デ・メディチの肖像」


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17世紀のフランスの逸名画家作「紳士の肖像」


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16世紀のフィレンツェの逸名画家作「高貴な幼児たちの肖像」


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バルトロメオ・パッセロッティ(ボローニャ、1529‐ローマ、1592)の「紳士の肖像」


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17世紀のエミリアの逸名画家作「聖ジョヴァンニーノ」


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オッタヴィオ・レオーニ(ローマ、1578‐1630)の「紳士の肖像」


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クロード・ルフェーブル(フォンテーヌブロー、1632‐パリ、1675)の「紳士の肖像」


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ジョヴァン・バッティスタ・サルヴィ通称サッソフェッラート(サッソフェッラート、1609‐ローマ、1685)の「聖母子」


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アゴスティーノ・カラッチ(ボローニャ、1557‐パルマ、1602)の「騎士の肖像」


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サルヴァトール・ローザ(ナポリ、1615‐ローマ、1673)の「風景」


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シモーネ・カンタリーニ(ペーザロ、1612‐ヴェローナ、1648)の「自画像」


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サルヴァトール・ローザ(ナポリ、1615‐ローマ、1673)の「風景」


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16世紀のローマの逸名画家作「女性の肖像」


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17世紀のボローニャの逸名画家作「修道女の肖像」


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フランス・ポルビュス・イル・ジョーヴァネ(アントウェルペン、1569‐パリ、1622)の「紳士の肖像」


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17世紀のローマの逸名彫刻家作「幼児の争い」


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フランチェスコ・カイロ(ミラノ、1607‐1665)の「ルイージ・スカラムッチャの肖像」


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ヤン・フランス・ヴァン・ブルーメン(アントウェルペン、1662‐1748c)の「司祭の肖像」


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アントニオ・アッレグリ通称コレッジョ(コレッジョ、1489‐1534)の「聖アントニオ・アバーテ」


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16世紀のヴェネトの逸名画家作「紳士の肖像」


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フランチェスコ・コッツァ(スティ―ロ、1605‐ローマ、1682)の「ピエタ」


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マルチェッロ・ヴェヌスティ(マッツォ・ディ・ヴァルテッリーナ、1510‐ローマ、1579)の「受胎告知」


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アブラハム・ブリューゲル(アントワープ、1631‐ナポリ、1697)の「春と夏」


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バルトロメ・エステバン・ムリーリョ(スペイン、セビリア、1617‐1682)の「聖母子」


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マルコ・デ・カーロ(17世紀後半活動)の「魚貝の静物画」


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Christian Berentz (ハンブルグ、1658‐ローマ、1722)の「朝食の静物画」


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Christian Berents (ハンブルグ、1658-ローマ、1722)の「静物画」


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クリスチャン・べレンツ(ハンブルグ、1658‐ローマ、1722)の「静物画」


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ポンぺオ・バトーニ(ルッカ、1708‐ローマ、1787)の「ご誕生」


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クリスチャン・べレンツ(ハンブルグ、1658‐ローマ、1722)の「鳥」


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マキシミリアン・プフェイラー(18世紀)の「果物」


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クリスチャン・べレンツ(ハンブルグ、1658‐ローマ、1722)の「野菜と果物」


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クリスチャン・べレンツ(ハンブルグ、1658‐ローマ、1722)の「果物」


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クリスチャン・べレンツ(ハンブルグ、1658‐ローマ、1722)の「静物画」
(つづく)

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もう少し入館者が多くなると良いと思ってます。


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チェーザレ・チェンナーリ(チェント、1637‐ボローニャ、1688)の「ユースティティア(正義の女神)」


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シャルル・ルイ・クレリソ(パリ、1721‐1820)の「パンテオン前のローマの儀式」


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リベラ派逸名画家作「聖ジローラモ」(17世紀)


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ジャン・パオロ・パンニーニ(ピアチェンツァ、1691‐ローマ、1765)の「廃墟と羊飼い」


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二コラ・プッサン派逸名画家作「風刺の風景」


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バルトロメオ・スケドーニ(モデナ、1578‐パルマ、1615)の「聖家族と聖ジョヴァンニーノ」


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パンドルフォ・レスキ(ダンツィカ、1643‐フィレンツェ、1699)の「滝がある風景」


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ジャン・パオロ・パンニーニ(ピアチェンツァ、1691‐ローマ、1765)の「温泉がある廃墟」


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フィレンツェ派逸名画家作「聖母子と聖アンナと聖ジョヴァンニーノ」(16世紀)


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フィリッポ・ラウーリ(ローマ、1623‐1694)の「光悦の聖フランチェスコ」


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アンジェロ・カロセッリ(ローマ、1585‐1652)の「聖母子」


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17世紀の逸名画家作「パルマ・イル・ジョーヴァネ作『聖セバスティアーノ』の複製画」


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ジュスタス・ヴァン・エグモント(オランダ、ライデン、1601‐ベルギー、アントウェルペン、1674)の「スェーデンのクリスティーナ女王」


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カルロ・マラッタ(カメラーノ、1625‐ローマ、1713)の「井戸のレベッカ」


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ピーター・ニーフス・イル・ジョーヴァネ(アンヴェルサ、1620‐1675以降没)の「アンヴェルサ大聖堂の聖堂内部」


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Jacob Van Steverden(ローマで17世紀活動)の「果物売り」


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ピーター・ニーフス・イル・ジョーヴァネ(アンヴェルサ、1620‐1675以降没)の「アンヴェルサ大聖堂の聖堂内部」


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展示室天井のフレスコ画


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フレスコ画の詳細は持ち合わせていません。


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ミケランジェロ・チェルクゥオッツィ(ローマ、1602‐1660)の「キノコ採り」


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シャルル・ルイ・クレリソ(パリ、1721‐1820)の「ローマ時代の建築物での儀式」


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ミケランジェロ・チェルクゥオッツィ(ローマ、1602‐1660)の「森の猟師」


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16世紀のトスカーナの逸名画家作「十字架降下」


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テオドール・ロンバウト(アンヴェルサ、1597‐1637)の「合奏」


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ヤコポ・バッサーノの追随逸名画家作「羊飼いの礼拝」(16世紀)


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16世紀の逸名画家作「パルミジャニーノ作『聖家族と聖ジョヴァンニーノと聖マリア・マッダレーナ』の複製画」


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マルチェッロ・ヴェヌスティ(マッツォ・ディ・ヴァルテッリーナ、1510‐ローマ、1579)の「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」


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ジュスト・スステルマンス(アンヴェルサ、1597‐フィレンツェ、1681)の「フィデス(信義の女神)に扮したヴィットリア・デッラ・ローヴェレの肖像」


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17世紀の逸名画家作「ジョヴァンニ・ランフランコ作『聖マリア・マッダレーナの昇天』の複製画」


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グイド・レーニ(ボローニャ、1575‐1642)の「嘆きの聖母」


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グイド・レーニ(ボローニャ、1575‐1642)の「荊刑のキリスト」


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グイド・レーニ(ボローニャ、1575‐1642)の「聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ」


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ジョヴァン・バッティスタ・ガウッリ(ジェノヴァ、1639‐ローマ、1709)の「ネーリ・コルシーニ枢機卿の肖像」


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アレッサンドロ・アローリ(フィレンツェ、1535‐1607)の「トスカーナ大公フェルディナンド・デ・メディチの肖像」


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ヤーコブ・デ・ハーシュ(ユトレヒト、1656‐アムステルダム、1701)の「漁師がいる湾」


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ピエトロ・ファケッティ(マントヴァ、1535‐ローマ、1616以降没)の「ミケーレ・ベレッティの肖像」


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サルヴァトール・ローザ(ナポリ、1615‐ローマ、1673)の「海岸にある廃墟」


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ピエル・フランチェスコ・ディ・ヤコポ・フォスキ(フィレンツェ、1502‐1567)の「ピエトロ・ストロッツィ?の肖像」


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フランチェスコ・ディ・クリストファーノ通称フランチャビージョ(フィレンツェ、1484‐1525)の「紳士の肖像」


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ヤーコブ・デ・ハーシュ(ユトレヒト、1656‐アムステルダム、1701)の「漁師がいる湾」
(つづく)

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