イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 BY:シニョレッリ

2019年09月

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Porta Torreに戻り、そこから城壁内に入ることにしました。


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学校です。


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城壁内から見たPorta Torreです。


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日陰ではかなり涼しかった。


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Via Cesare Cantu


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サン・フェデーレ聖堂に行くつもりでしたが、地図を見ないで勘を頼りに歩いているので、見つかりません。


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この彫刻については分かりません。


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ヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りに来たので、サン・フェデーレ聖堂の場所が分かりました。


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サン・フェデーレ聖堂の後陣です。


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後陣はオリジナルのものです。


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後陣、聖堂内部の一部は古いのですが、その他は新しい建物です。


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ロマネスクの彫刻


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Portal del Drago


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Portal del Dragoの右柱


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サン・フェデーレ聖堂の先にドゥオーモが見えますが、ドゥオーモは後回し。サン・フェデーレ聖堂のファサード側に出ます。


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サン・フェデーレ聖堂のファサードが面しているサン・フェデーレ広場に出ました。


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古い建物が建ち並ぶ、中世の雰囲気を漂わせる広場です。


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広場に面して建つサン・フェデーレ聖堂です。


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7世紀頃、この地にあった初期キリスト教会のサンテウフェミア司教座教会が前身です。


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その司教座教会の建物を取り壊して、11世紀半ばから建設が始まり、1120年に完成したロマネスク様式の教会ですが、完成時に奉献する聖人を聖フェデーレに変えたのです。


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完成後、幾度となく修復されましたが、ファサードだけは経年劣化が酷くて修復を諦め、1914年に新古典様式で再建された新規建物です。
鐘楼は1271年の姿を現在も留めてます。


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ファサードのルネッタ上のモザイクは、エレーナ・マッゼーリの「祈るキリスト」(1968)


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エレーナ・マッゼーリのモザイク(1968)


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聖堂内に入りました。


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三廊式、ラテン十字形の内部です。


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構造上の基本様式はロマネスクですが、創建以降、修復、改修が相次いだので、一概には何とも言えないようです。


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カルロ・インノチェンツォ・カルローニ(スカリア・ディンテルヴィ、1687‐1775)の「キリストの洗礼」(1765‐67)


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ジョヴァンニ・アンドレア・デ・マジストリス(コモ、1460‐1532)の「玉座の聖母子と聖セバスティアーノと聖ロッコ」(1504)


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右側廊


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13世紀のフレスコ画


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13世紀のフレスコ画


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マドンナの礼拝堂


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カルロ・インノチェンツォ・カルローニ(スカリア・ディンテルヴィ、1687‐1775)の「聖母被昇天」


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詳細不明の磔刑像


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ジョヴァンニ・ドメニコ・カレッサーナ(グレーリア、1568‐リーヴァ・サン・ヴィターレ、1619)のフレスコ画


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クーポラ


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ジョヴァンニ・ガッフーリ?の「聖母子」


118
ジョヴァン・ピエトロ・グソッキ?の「聖母子」


119
詳細不明


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外に出ます。


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(つづく)

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コモは、人口83,320人(2017年12月31日現在)のロンバルディア州コモ県の県都です。世界的な保養地コモ湖の中心都市で、何時も賑わってます。
この日は、ミラノ中央駅から列車でコモに向かいました。


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コモ・サン・ジョヴァンニ駅に到着しました。


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コモ・サン・ジョヴァンニ駅の駅舎です。


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道を下って、先ず、この日のお宿に向かいました。


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コモ湖にはあまり興味がないけれど、見逃せない教会、美術館、博物館などをゆっくり見て回るために泊まることにしました。


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この日のお宿はコモ湖畔にあります。


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中心地にやってきました。


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コモ湖に向かって進みます。


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ホテルに到着しました。


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フロントで大きな荷物を預かって貰い、身軽になって街歩きに出発しました。


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以前、泊まった時は、ホテルの名称が違っていた気がします。同じホテルが経営者が変わって名称が変わることが結構あるようで、度々経験しています。


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直ぐにコモ湖を後にしました。


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一旦、駅の方に戻ってサンタッボンディオ聖堂に向かいました。


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鉄道線路沿いの道を南に向かって(ミラノ方向)進みます。


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遠くに見張り塔が見えます。


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聖堂までかなり距離があります。


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サンタッボンディオ聖堂は日中でも開いているので、安心してゆっくり歩きました。


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聖堂が見えてきました。


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サンタッボンディオ聖堂です。


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11世紀に建設されたロンバルディア・ロマネスク様式聖堂の傑作と言われてます。


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この聖堂については、後程項を改めて詳しく触れる予定です。


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街外れにある聖堂を見てしまえば、他の見所がないので、チェントロ・ストーリコに戻る一手です。


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Viale Varece


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大通りを右折しました。


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ルイージ・カドルナ通りに入りました。


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ミラノ通りに出るとPorta Torreが見えます。


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ミラノ通り右側の建物が中々風情があります。


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振り返るとサン・ロッコ教会の鐘楼が見えました。


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1192年に建設されたPorta Torreです。


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高さが40mあります。


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ヴィットリア広場


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自転車シェア制度があるようです。


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ヴィットリア広場に立つ、ヴィンチェンツォ・ヴェラ(リンゴルネット、1820‐メンリーショ、1891)の「ジュゼッペ・ガリバルディ像」です。


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城壁


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ヴィットリア広場から見たミラノ通りです。


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サン・ヴィターレ門の方に行くことにしました。


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城壁が門まで続いてます。


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12世紀後半に建設されたサン・ヴィターレ門です。


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Viale Cesare Battisti


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ノルド線の線路の向こうに教会があります。


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線路を越えて教会に行こうとしたら踏切が閉まって列車がやってきました。


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踏切が上がって、向こう側に行ったらサントルソラ(聖オルソラ)教会の扉が閉まっていました。


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観光都市だけあって案内板があちこちにあります。


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サン・ヴィターレ門


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(つづく)

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屋上テラスから城の中に戻りました。


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パオロ3世ファルネーゼの居住部分の中で、最も豪華なこの部屋は、パオロ3世のゲストルームとして使用されていたそうです。


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マルティン・ルターの宗教改革に対して、ローマ・カトリックの優位性をゲストに示すために、パオロ3世は特に豪華な装飾を施すように指示しました。


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部屋の装飾は、ぺリン・デル・ヴァーガ(フィレンツェ、1501‐ローマ、1547)とペリンの助手たちによって1545年から1457年にかけて行われました。


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ペリンの助手たちには、1547年にぺリン・デル・ヴァーガに弟子入りしたばかりのペッレグリーノ・ティバルディ’ヴェルソルダ、1527‐ミラノ、1596)、ジローラモ・シチョランテ・ダ・セルモネータ(セルモネータ、1521‐ローマ、1580)などがいました。
なお、ジローラモ・シチョランテはレオナルド・ダ・ピストイアの弟子でしたが、ペリンの協力者でした。ペリンの死後、未完成となっていたペリンのフレスコ画制作を引き継ぎ、完成させました。


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フレスコ画のテーマは、アレキサンダー大王の逸話とパオロ3世の生涯となってます。


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天井にファルネーゼ家の紋章(写真左上)が描かれてます。


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床の紋章


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ハドリアヌス帝


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この男が描かれている意味が分かりません。


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次の部屋です。


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ペルセオ(ペルセウス)の間


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ロレンツォ・ロット(ヴェネツィア,1480c-ロレート,1556/1557)の「聖ジローラモ」


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ペルセオの間のフレスコ画は、ぺリン・デル・ヴァーガ(フィレンツェ、1501‐ローマ、1547)と助手たちによって1545年から1546年にかけて制作されました。


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マーゾ・ディ・サン・フリアーノ(フィレンツェ、1536‐1571活動)周辺のフィレンツェの逸名画家による「玉座の聖母子と聖人たち」(16世紀)


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詳細不明


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カルロ・クリヴェッリ(ヴェネツィア、1430c‐アスコリ・ピチェーノ、1495)の「聖オノフリオ」


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カルロ・クリヴェッリ(ヴェネツィア、1430c‐アスコリ・ピチェーノ、1495)の「祈るキリスト」


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ジョヴァンニ・マルティーノ・スパンツォッティ(カザーレ・モンフェッラート、1455c‐キヴァッソ、1528以前没)の「ピエタ」


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次の部屋です。


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1540年台に建てられたパオロ3世の寝室です。


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フレスコ画は、ぺリン・デル・ヴァーガ(フィレンツェ、1501‐ローマ、1547)と助手たちによって制作されました。


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ジャンピエトロ・リッツィ通称ジャンピエトリーノ(ミラノ、1495‐1549)の「荊刑のキリスト」


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詳細不明の肖像画


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パリス・ボルドン(トレヴィーゾ、1500‐ヴェネツィア、1571)の「十字架を担ぐキリスト」


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マルチェッロ・フォゴリーノ(ヴィチェンツァ、1485c‐1558)の作品です。


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部屋からサンタンジェロ橋が見えました。


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16世紀初めに造られたジュリオ2世のロッジャです。


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ロッジャのフレスコ装飾は、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニの弟子によるものです。


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これで大体見たようです。


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サンタンジェロ城の模型


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外に出ました。


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(おわり)

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次の部屋です。


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これがあると助かります。


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1540年台、パオロ3世ファルネーゼによって建設された部屋です。


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ファルネーゼ家の紋章


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詳細不明


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部屋のフレスコ画は、ルツィオ・ルーツィ通称ルツィオ・ロマーノ(トーディ、16世紀初頭‐16世紀末)と弟子によって1540年台に制作されました。


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フレスコ画のテーマは、ギリシャ神話のトリートーンとネーレイデスの物語です。


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ラッファエッロ様式で描かれていると言われてます。


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アントニオ・ジョニーマ(パドヴァ、1697‐ボローニャ、1732)の「イーモラ・ジャコモ3世ストゥアルトを迎えるゴッツァディーニ枢機卿」(1717‐19)


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次の部屋です。


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金庫室


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次の部屋です。


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詳細不明


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次の部屋です。


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今迄の部屋とは随分感じが違います。


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1926年、当時のサンタンジェロ博物館長だったマリアーノ・ボルガッティがアール・デコ様式で改装させた部屋です。


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部屋の装飾は、マリアーノ・ボルガッティによって招聘されたドゥイリオ・カンべッロッティ(ローマ、1876‐1960)によるものです。


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次の部屋です。


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18世紀半ばに建設された部屋です。


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この部屋のフレスコ画とスタッコ彫刻は、ドゥイリオ・カンべッロッティ(ローマ、1876‐1960)によって制作されました。


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アール・デコ様式がサンタンジェロ城に相応しいとは思えません。


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この部屋を経由して屋上テラスに進みます。


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屋上のテラスです。


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絶景ポイントなので、晴天の日は非常に賑わってます。


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ぺーテル・アントン・ファン・ヴェルシャッフェルト(ベルギー、ヘント、1710‐ドイツ、マンハイム、1793)の「大天使ミケーレ」(1752‐53)


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天使のテラスからの景観


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(つづく)

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階段を上ります。


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階段の壁にフレスコ画があります。


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順路に従って進みます。La Cagliostraと出てますが、この意味を知らないと部屋に入ってもあまり興味が湧かないと思います。


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次の部屋は、パオロ3世のロッジャの階上になります。


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説明板


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1543年にパオロ3世によって建てられた部屋です。


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部屋のフレスコ画は、ルツィオ・ルーツィ通称ルツィオ・ロマーノ(トーディ、16世紀初め‐16世紀末)と弟子によって1545年から1546年にかけて制作されました。


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詳細不明の壺


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「カリオストラの間」と言う名称の由来は、ジュゼッペ・バルサーノ通称アレッサンドロ・ディ・カリオストロ(パレルモ、1743‐サン・レオ、1795)が1789年に、サンタンジェロ城のこの部屋に投獄されていたからです。
アレッサンドロ・ディ・カリオストロは、冒険家、魔術師、錬金術師であり、詐欺師として当時有名でしたが、フリーメーソンの会員だったとされて、投獄され死刑宣告を受けました。後に当時の教皇によって終身刑に減刑され、この部屋に投獄されていましたが、逃亡を図ったものの捕えられ、サンタンジェロ城よりも厳重なサン・レオ要塞に移され、そこで獄中死したのです。


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ジュゼッペ・チェーザリ通称カヴェリエール・ダルピーノ(アルピーノ、1568‐ローマ、1640)の「プロスペロ・ファリナッチの肖像」
何故、プロスペロ・ファリナッチの肖像画がこの部屋にあるのか、不思議に思いませんか?勿論、理由があって置かれているのです。
プロスペロ・ファリナッチ(ローマ、1544‐1618)は、判事、弁護士、そして当時有数の法学者として有名でしたが、父親殺しの罪で死刑判決を受けたベアトリーチェ・チェンチ(ローマ、1577‐1599)の弁護を引き受けたのです。プロスペロの弁護の甲斐なく、ベアトリーチェ・チェンチは有罪となり、1599年、サンタンジェロ城前のサンタンジェロ橋で公開斬首されましたが、斬首までの数日、この部屋に投獄されていたのです。


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以上のような逸話を知っておくと、サンタンジェロ博物館はより興味深く見て回ることが出来ると思います。


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階段を下りて下の階に戻ります。


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次は私のお目当ての部屋です。


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Sala dell'Adrianeoと呼ばれてます。


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教皇パオロ3世ファルネーゼによって1540年台に図書館などとともに建設された部屋です。


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ルーカ・シニョレッリ(コルトーナ、1445c‐1523)の「聖母子と4聖人(聖ピエトロ、聖ベルナルド、聖ステファノ、聖パオロ)」(1515‐20)


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コルトーナのサン・ミケランジェロ女子修道院長から注文され、サン・ミケランジェロ女子修道院に置かれていましたが、後のフィレンツェの個人蔵作品となりました。
1928年、ヴェティカンに寄贈され、サンタンジェロ城で展示されるようになりました。


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聖ステファノの衣装に描かれた「ピエタのキリスト」


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「キリストの復活」


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プレデッラの「聖トンマーゾの不信」


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「聖母の誕生」


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「キリストの洗礼」


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「最後の晩餐」、「キリストの鞭打ち」


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「聖ピエトロに天国のカギを託すキリスト」


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部屋の壁にフレスコ画が描かれてます。


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ルツィオ・ルーツィ通称ルツィオ・ロマーノ(トーディ、16世紀初め‐16世紀末)と弟子によって1544年から1545年に変えて制作されたフレスコ画です。


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神話がテーマです。


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何家の紋章でしょうか?


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二コラ・プッサン(フランス、1594‐ローマ、1665)の「バッカス祭」


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詳細不明
(つづく)

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次の部屋です。


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武器博物館の第2室です。


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これで武器博物館は終わりです。


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回廊に出てカフェで一休みしました。


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まだ早い時間なので客がおらず開店前かと思いましたが、営業してました。


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カフェからの景色


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トイレを拝借してからカフェを後にしました。


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巡回廊です。


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1543年に完成したパオロ3世のロッジャです。


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パオロ3世のロッジャのフレスコ画は、第220代教皇パオロ3世俗名アレッサンドロ・ファルネーゼ(カニーノ、1468‐ローマ、1549 教皇在位1534‐1549)がジローラモ・シチョランテ・ダ・セルモネータ(セルモネータ、1521‐ローマ、1580)に注文したものです。


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フレスコ画のテーマはハドリアヌス帝の生涯です。


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パオロ3世のロッジャからの景色は一見に値します。


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パオロ3世の住居です。


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中に入ります。


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パオロ3世の部屋です。


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この部屋のフレスコ画の保存状態はあまり良くない。


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グリエルモ・デッラ・ポルタ(ポルレッツァ、1515‐ローマ、1577)に帰属する「教皇パオロ3世像」


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次の部屋です。


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1540年台に建設された図書館です。


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図書館のフレスコ装飾は、ルツィオ・ルーツィ通称ルツィオ・ロマーノ(トーディ、16世紀初頭生まれ‐16世紀末没)によって1545年に制作されました。


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ルツィオ・ロマーノはぺリン・デル・ヴァーガの弟子です。


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パオロ3世愛用の豪華な暖炉


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私にはスタッコ彫刻の制作者が分かりません。


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(つづく)

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次はLa rampa diametrale e l'accesso al cilindroです。


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直径の階段と円柱への出入り口?


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武具があります。


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ローマの壁


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奥に進みます。


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牢獄の通気口です。


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トリグランマ


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階段を上ります。


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詳細不明


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サンタンジェロ城の中心「天使の中庭」にある「大天使聖ミケーレ像」


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ラッファエッロ・ダ・モンテルーポ(モンテルーポ、1504‐オルヴィエート、1566)の「大天使聖ミケーレ」(1544)
1753年まで城の上にありました。


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バルベリーニ家の紋章は蜂ですが、3匹の蜂の紋章です。


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ミケランジェロ設計のレオ10世の礼拝堂


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ピオ4世の巡回廊からの景色


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武器博物館を見た後で、ここで一休みする予定です。


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武器博物館に入りました。


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青銅器時代から現代までの武器が展示されてます。


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(つづく)

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40番のバスに乗ってサンタンジェロ城近くに着きました。


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ヴァティカンは相変わらずの大混雑です。


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この日は、サン・ピエトロ大聖堂を避けてサンタンジェロ城に向かいました。


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2世紀初め、当時のローマ皇帝ハドリアヌス帝が自分とその後の皇帝の霊廟として建設されたそうですが、外観を見る限り墓のような雰囲気を全く感じません。


117
サンタンジェロ城はテヴェレ川の右岸にあります。


116
大好きなルーカ・シニョレッリの作品があるのですが、それを思い出して、本当に久し振りのサンタンジェロ城です。


1321
先ずは、サンタンジェロ橋の天使像です。


120
教皇クレメンテ9世(在位1667‐1669)がベルニーニに注文した天使像(1対)ですが、サンタンジェロ橋にあるのは、制作者不明のベルニーニ作品のコピー彫刻です。
当初は、ベルニーニ作品がサンタンジェロ橋の欄干に置かれましたが、後の教皇が劣化を恐れてコピー作品に置き換え、本物はローマのサンタンドレア・デッレ・フラッテ教会に移動させたのです。


1317
サンタンジェロ橋から撮った写真です。


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この辺の風景が大好きです。


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3つに分裂していたローマ帝国を統一したアウレリアヌス帝(在位270‐275年)によって、霊廟だった建物は要塞に改装されました。さらに10世紀頃、ヴァティカンの軍事要塞となり、15世紀末に堡塁などが増強されて、ほぼ現在の姿になりました。


1322
牢獄としても有名です。


1323
ピオ4世(在位1559‐1565年)の頃に5角形の囲いが作られましたが、現在は公園となっています。


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サンタンジェロ城は、サンタンジェロ国立博物館として一般公開されてます。


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2017年の年間入館者は、1,155,244人でした。


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博物館の中に入りました。


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男の巨大な頭像(2世紀)


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Fontana delle Api (18世紀)


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巨大な彫刻物断片(2世紀)


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城内への入り口


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階段を上ります。


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石弾投てき器と石弾


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大砲も置かれてます。


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順路に従って進みました。


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通路下の公園


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ローマン・コンクリートの壁


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サン・ジョヴァンニ陵堡


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中に入りましたが、あったのはこれだけでした。


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詳細不明


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(つづく)

画家を目指す人にとって、スカルツォの回廊に描かれた、単色のフレスコ画のデッサンが必須と言われていた時期があり、今でも回廊に置かれた椅子に座ってデッサンをする画学生を見かけます。
スカルツォの回廊を「教会巡り」に含めるか、「美術館巡り」に含めるか迷うところですが、旧教会の上にMuseoとして公開されているので、後者を選択しました。
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フィレンツェのサン・マルコ教会です。


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サン・マルコ教会に向かって左側を走るカヴール通りです。写真右端の建物はサン・マルコ修道院です。


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カヴール通りを挟んで、サン・マルコ修道院の斜め前にスカルツォの回廊があります。


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あまり目立たない建物ですが、カヴール通りの69番地にあるので、通りの番地を見ながら歩けば見逃すことはないと思います。


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スカルツォの回廊です。


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スカルツォ scalzoとは「裸足の」と言う意味ですが、この場所に裸足で十字架行進を行う聖ジョヴァンニ・バッティスタ(洗礼者聖ヨハネ)信心会の修道院がありました。修道院は既に廃止され、建物は他の用途に転用されてます。
旧修道院のキオストロ回廊に描かれた単色フレスコ画のためのMuseoとして一般公開されてます。


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入館無料です。
注意すべきは公開日が少し変則であることに加えて、時々変わることがあるのです。
現在の一般公開日時は、毎週月曜日と毎週木曜日、毎月第1、第3、第5の土曜日、毎月第2、第4の日曜日の8:15‐13:50です。


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入口扉上ルネッタに彩釉テラコッタがあります。


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ロッビア一族の作品でしょうか?


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17世紀のフィレンツェの逸名画家作「聖ジュゼッペの夢」
回廊の入り口前に、係員がいる部屋がありますが、その部屋にある作品です。旧修道院にあった作品でしょうか?


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回廊の入り口前の部屋にある「磔刑」の彫刻(詳細不明)


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キオストロへの入り口です。


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キオストロに入りました。


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キオストロの中から見た入り口です。


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日差しが当たりますが、フレスコ画の保存状態は悪くありません。


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この日は、椅子に座ってデッサンする人がいませんでした。


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簡単な説明板が置かれてます。


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フレスコ画のテーマは、「聖ジョヴァンニ・バッティスタ(洗礼者聖ヨハネ)の生涯」です。聖ジョヴァンニ・バッティスタ信心会によって注文されたので、そのテーマは当然でしょう。


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「聖ジョヴァンニ・バッティスタの生涯」のフレスコ画が全部で16場面描かれてますが、そのうち、アンドレア・ダーニョロ・ディフランチェスコ通称アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1531)が14場面(1509‐1523)、フランチェスコ・ディ・クリストファーノ通称イル・フランチャビージョ(フィレンツェ、1482‐1526)が2場面(1518‐1519)制作しました。
1505年、アンドレア・デル・サルトとフランチャビージョは友人同士となりましたが、すぐに意気投合して、翌年の1506年、フィレンツェのグラーノ広場に2人の共同工房を立ち上げました。
フランチャビージョはフレスコ画が得意だったので、アンドレア・デル・サルトが受注したフレスコ画制作に度々手伝っていました。
「聖ジョヴァンニ・バッティスタの生涯」は、アンドレア・デル・サルトに注文されたものですが、何故フランチャビージョが2場面制作したのかについての記録が残されてません。
その理由の有力説は、このフレスコ画の製作途中の1518年に、アンドレア・デル・サルトは、フランス王フランソワ1世から招聘を受け、フォンテーヌブローに赴きました(ここまでは事実です)が、フランス滞在の不在中の制作を親友のフランチャビージョに託したというものです。
アンドレア・デル・サルトのフランス滞在はもっと長期にわたる筈だったので、アンドレアの未着手のフレスコ画制作全部をフランチャビージョに託したと私は思います。
フランチャビージョが何故2場面制作したのか、これにはアンドレア・デル・サルトの悪妻ルクレツィアの存在が影響していると思います。
アンドレアの妻ルクレツィアは悪妻として有名ですが、フランス滞在中のアンドレアに対して「寂しいので早く帰って来て」との要求を何度も伝えて、フランス滞在の契約中にも拘らず、アンドレアはフィレンツェに戻ってきてしまったのです。
フランソワ1世は、呆れてアンドレアの悪口を言ったとの記録が残されてます。
アンドレアの妻は悪妻でしたが(この他にもエピソードがあります)、妻に惚れ込んでいたアンドレアは、異郷での独り身が堪えたので、これ幸いにフィレンツェに戻ったのでしょう。
アンドレアの不在中にフランチャビージョが制作したのは2場面で、アンドレアが戻ってきたので、残り全部をアンドレアが制作した、と考えるのが自然と思います。
ついでにアンドレアの妻ルクレツィアを載せましょう。


1
アンドレアは、後に妻となるルクレツィアが恋人になると、それ以降の作品に登場する聖母の顔は殆どがルクレツィアの顔となりました。


2
ハルピュイアの聖母(ウフィツィ美術館蔵)


3
聖家族(ローマ・バルベリーニ宮国立絵画館蔵)
恋人や妻を聖母のモデルにした画家は、フィリッポ・リッピ、マッテオ・ディ・ジョヴァンニなど数多くいます。
話が脱線しました。
では、次に16場面を紹介しましょう。


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アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1531)の「Fede (信義の女神)」(1523c)


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アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1531)の「ザッカリアでの天使の出現」(1523)


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回廊のルネッタにもフレスコ画があります。


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アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1531)の「ご訪問」(1524)


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アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1531)の「洗礼の名の命令」(1526)
単色フレスコ画の作品は少ないですが、画家の実力が出てしまいます。スカルツォの回廊のフレスコ画を見れば、アンドレア・デル・サルトの凄さが分かると思います。


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「洗礼の名の命令」の上部ルネッタのフレスコ画


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フランチャビージョ(フィレンツェ、1482‐1526)の「砂漠に出発する聖ジョヴァンニ・バッティスタへの祝福」(1518‐19)


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「砂漠に出発する聖ジョヴァンニ・バッティスタへの祝福」の上部ルネッタのフレスコ画


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フランチャビージョ(フィレンツェ、1482‐1526)の「キリストと聖ジョヴァンニ・バッティスタの出会い」(1518‐19)


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「キリストと聖ジョヴァンニ・バッティスタの出会い」の上部ルネッタのフレスコ画


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アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1531)の「キリストの洗礼」(1509‐10)
「キリストの洗礼」が最初に制作されました。


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「キリストの洗礼」の上部に描かれたフレスコア


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アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1531)の「慈愛」(1513)


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聖アントニーノ・ピエロッツィ大司教の胸像です。


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聖アントニーノ・ピエロッツィ大司教(フィレンツェ、1389‐モントナーギ、1459)は、サン・マルコ修道院長だった頃、ベアート・アンジェリコの庇護者として有名です。
しかし、この胸像がここにある理由が分かりません。


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アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1531)の「正義の女神」(1515)


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アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1531)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの説教」(1515)


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「聖ジョヴァンニ・バッティスタの説教」上部のフレスコ画


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アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1531)の「洗礼を施す聖ジョヴァンニ・バッティスタ」(1517)


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「洗礼を施す聖ジョヴァンニ・バッティスタ」の上部のフレスコ画


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アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1531)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの逮捕」(1517)


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「聖ジョヴァンニ・バッティスタの逮捕」の上部のフレスコ画


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アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1531)の「サロメの踊り」(1522)


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「サロメの踊り」上部のフレスコ画


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アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1531)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの斬首」(1523)


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「聖ジョヴァンニ・バッティスタの斬首」の上部


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アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1531)の「ヘロデ王の宴」(1523)


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「ヘロデ王の宴」の上部のフレスコ画


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アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1531)の「希望」(1523)


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以上16場面でした。


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外に出ました。


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何時訪れても感慨を新たにする傑作です。

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Oratorio di Nostra Signora dell'Assuntaの鐘楼を見ながら城への道を上りました。


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少し上っただけなのに下よりも風がかなり強く吹いていました。


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城に上る遊歩道から見た景色です。


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ストゥール川が見えてます。


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鐘楼の高さで自分が上って来たのが分かります。


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観光客どころか地元の人も遊歩道で見かけることはありませんでした。


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城の入り口に着きました。


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城壁


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人気が全くないので、扉が閉まっていると予想していましたが、開いていました。扉上ルネッタにスピノーラ家の紋章がありました。


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中に入りました。


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13世紀にジェノヴァのスピノーラ家によって建設されました。


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小規模な城です。


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塔が開いていましたが、入れたのは写真左の橋の部分だけでした。


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塔の横の橋から見た景色


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城の庭を歩きましたが、目新しいものは何もありません。


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建物の廃墟


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この城の主な役目は周囲の監視で、守備兵が詰めていただけの城でした。


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見所が少ないので、直ぐに城壁の外に出ました。


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風が強く寒かったので、下に下りることにしました。


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道を下るのは簡単でした。


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村の集会所


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城への道が一本しかないので、同じ道を下りました。


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「最も美しい村」の中では中位くらいでしょうか?


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Oratorio di Nostra Signora dell'Assunta


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もう一度ドゥオーモに寄ることにしました。


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ドゥオーモはやはり閉まっていました。


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村のパンフレットに出ていた見所は大体見たようです。


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駅に戻ることにしました。


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サンティ・セバスティアーノ・エ・ロッコ祈祷所


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ジェノヴァ行きの列車の時刻まで時間があったので、バールで一息入れました。


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ちょど良い時間になったので、駅に向かった出発しました。


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山道もありますが、安全を期して来た道と同じ道を通りました。


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ストゥール川


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旧教会の建物


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駅が見えてます。


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駅舎


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列車は30分遅れでした。


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漸く列車が到着しました。


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遅れなしとの表示
30分遅れは定時運行のようです。
(おわり)

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さて、ドゥオーモは開いているでしょうか?


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やはりダメでした。


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この辺は仕方がありません。


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特に見たい作品があるわけではないので、残念には思いません。


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ドゥオーモの直ぐ近くに、もう一つ教会があります。


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右折すると直ぐに教会の建物が認められます。


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Oratorio di Nostra Signora dell'Assuntaです。


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1585年の記録に、この祈祷所の存在が初めて記載されてます。


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1600年の火災によって消失したので、1604年から1606年に再建された建物が現在の姿です。


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中に入りました。


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単廊式、バロック様式の内部です。


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翼廊がありません。


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天井と後陣はフレスコ画で覆われてます。


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かなり派手な感じがします。


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ルイージ・ガイノッティ(パルマ、1859‐ジェノヴァ、1940)の「聖母被昇天」(19世紀)


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ルイージ・ガイノッティによるフレスコ画


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床の装飾


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主祭壇


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主祭壇画は、逸名画家作「聖母被昇天」(18世紀)


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ジェノヴァの逸名画家作「園のキリスト」(18世紀)


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ジェノヴァの逸名画家作「弟子の足を洗うキリスト」(18世紀)


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ジェノヴァの逸名画家作「聖母と聖ガエターノ」(18世紀)


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派手な磔刑像


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ウルシーノ・デ・マリ―(ナポリ、17世紀活動)の「聖母マリア」(17世紀)


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説教壇


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ファサード裏の聖歌隊席


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外に出ました。


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次はスピノーラ城です。


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この辺はストゥール川の氾濫で、何回も水につかったそうです。


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氾濫の被害から逃れるために、この村の住民は出来るだけ高い場所に家を構えたそうです。


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階段を上って高い道に出ます。50mと言う標識は川の水面から50mの高さを示してます。


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スピノーラ城の塔


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城の入り口前に古い建物があります。


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13世紀に建設されたChiesa del convento dei Santi Michele e Cristinoです。


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既に活動を停止した旧教会でしょう。


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今上って来た道です。


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カステッロ公園横の道を上ります。


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ドゥオーモの鐘楼


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(つづく)

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中世の頃、この村を領有していたスピノーラ家の住居として1329年に建設されたスピノーラ宮殿です。当時、この村はハプスブルク家の支配下に置かれていました。
16世紀にジェノヴァに敗れて、ジェノヴァの支配下に置かれるようになると、スピノーラ宮殿はジェノヴァから派遣された代官の公舎として使用されました。


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広場に立つ戦没者のモニュメントです。第1次世界大戦と第2次世界大戦の戦没者を悼んでます。


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村の地図を頂戴するために観光案内所に来ました。


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扉が閉まっていました。5月から9月までしか開いていないようです。


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実は左の真ん中の建物に泊まりたかったのですが・・・・・


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夏季だけの営業のようです。


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村の地図を頂戴するために村役場に行くことにしました。


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村役場は川の対岸にあります。


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石造りのサン・ミケーレ橋です。


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車の通行が禁止されているサン・ミケーレ橋です。


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サン・ミケーレ橋が初めて架けられたのは9世紀だそうです。


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橋の下を流れるストゥール川は、別名「暴れ川」と呼ばれており、別名通り大水、氾濫を繰り返しました。それによってサン・ミケーレ橋は度々損傷を受けたり、時には流失したことが数度あったのです。
現在の橋は、1842年に再建されたものですが、橋の形は9世紀の原形をほぼ保っていると言われてます。


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下を流れるストゥール川です。時計台がある建物が村役場です。


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サン・ミケーレ橋の上から見たチェントロ・ストーリコです。


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上流左岸


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下流左岸


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下流右岸


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写真左の建物はスピノーラ城です。


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サン・ミケーレ橋を渡り切って対岸に着きました。


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1225年から1273年に建設されたスピノーラ城です。


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村役場側からチェントロ・ストーリコを見ると「最も美しい村」にリストアップされていることが理解できます。


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夏は川遊びで賑わうのでしょう。


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村役場に行きます。


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村役場で地図を頂戴できました。


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サン・ミケーレ橋に戻るのは詰まらないので、村役場の先にある橋を渡ることにしました。


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幹線道路に架かる橋です。


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幹線道路の端から見た上流方向


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下流方向


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幹線道路に架かる橋を渡ってチェントロ・ストーリコ側に戻りました。


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この時間ならば、ドゥオーモが開いているかも知れない、と思い、ドゥオーモに再び向かいました。


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18世紀に建設された建物です。


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フレスコで装飾された建物


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フレスコで装飾された別の建物


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ドゥオーモの鐘楼が見えてます。


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(つづく)

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カンポ・リーグレは、人口2,924人のリグーリア州ジェノヴァ県にあるコムーネです。
この村に鉄道で行く場合、ジェノヴァPP駅からアックイ・テルメ行きの普通列車を利用します。


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乗車約30分程でカンポ・リーグレ駅に到着しました。


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駅舎


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駅の下にストゥーラ川が流れてます。


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ストゥーラ川沿いの道を川の上流に向かって進み、チェントロ・ストーリコに向かいました。


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鐘楼があるので、教会でしょう。


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教会の名前が分かりません。


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最初の信号を右折するとチェントロ・ストーリコに行くことが出来ます。


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「最も美しい村」にリストアップされてます。


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カンポ・リーグレは、ジェノヴァに近いのですが、14‐15世紀はハプスブルク家の支配下にあり、16世紀にジェノヴァ共和国の支配下に置かれるまでハプスブルク家に忠誠を誓って村を上げてジェノヴァに抵抗したことで有名です。


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村の歴史は古く、古代ローマの共和政時代に遡ります。


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教会が見えてきましたが、その教会がチェントロ・ストーリコの入り口になります。


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サンティ・セバスティアーノ・エ・ロッコ祈祷所です。


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1418年創建の記録が残されてますが、外観は明らかにバロック様式です。


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1647年、教会は機能を停止して、村立病院に改装されました。1968年まで病院として使用されました。


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創建時の鐘楼が今でも残されてます。


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扉が開いていたので中に入りました。


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中は修復工事中でした。


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単廊式、バロック様式の内部です。


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壁の殆どがフレスコ画で覆われてます。


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天井のフレスコ画は、ドメニコ・ピオラ(ジェノヴァ、1627‐1702)によって描かれました。


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主祭壇


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主祭壇画は、ドメニコ・ピオラ(ジェノヴァ、1627‐1702)の「聖セバスティアーノと大天使聖ミケーレと聖ロッコ」


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地元の画家サンテ・レオンチーノのフレスコ画


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サンテ・レオンチーノのフレスコ画


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サンテ・レオンチーノ作のフレスコ画


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地元の逸名画家によるフレスコ画


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逸名画家作「ピエタ」(15世紀)


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ファサードの裏にオルガンと聖歌隊席があります。


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外に出ました。


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村の入り口は工事中でした。


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この辺は、美しい村の雰囲気は特にないようです。


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川の方は後で行くことにしました。


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先ず教区教会に向かいました。


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村の目抜き通りであるジュゼッペ・サラッコ通りです。


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目抜き通りにも拘らず人出がありません。


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よく清掃された綺麗な道です。


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もう直ぐ村の中心の広場に出ます。


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村の中心のヴィットリオ・エマヌエーレ2世広場です。


P1890644


P1890634
広場に面して建つナティヴィータ・ディ・マリア・ヴェルジネ教区教会、カンポ・リーグレのドゥオーモです。


P1890638
1758年創建、1762年に完成した後期バロック様式の教会です。扉が閉まっていました。


P1890640
扉上の「玉座の聖母子」のモザイク


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大天使聖ミケーレ


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聖マリア・マッダレーナ
(つづく)

P2450876後編は新ドゥオーモ、サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂です。


P2450826
旧ドゥオーモは、その周囲の地表の高さが経年と共に徐々に高くなることに伴い、16世紀後半には、その床の高さは地表よりも一段低い場所となってしまい、雨水の流入や高湿度の問題が深刻となったので、新しいドゥオーモの建物建設が検討されるようになりました。


029
そうして、新ドゥオーモの建設が1603年に決定され、1604年に初期キリスト教のバジリカが建っていた現在地に創建されました。
しかし、1630年にブレーシャで大流行したペストによる経済的な困窮と人口減少によって、工事が中断されてしまいました。17世紀末に漸く工事が再開されましたが、中々進捗しませんでした。


P2450823
18世紀にファサードの建設が始まり、1825年に完成しました。1825年のファサードの完成を持って、新ドゥオーモの建設が漸く終了したのです。


P2450877
高さ80mのクーポラは19世にに完成しました。


030
ファサードの入り口扉上の彫刻は、アントニオ・カレガリ(ブレーシャ、1699‐1777)の「アンジェロ・マリア・ケリーニ枢機卿の胸像」
ブレーシャ司教を務めたアンジェロ・マリア・ケリーニ枢機卿(ヴェネツィア、1680‐ブレーシャ、1755)は、進捗しなかった新ドゥオーモの建設に尽力しました。


P2450825
建築様式としては、後期バロック様式と新古典様式の折衷と考えられてます。


P2450829
三廊式、ギリシャ十字形の堂内です。


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左側壁


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右側廊


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彫刻の装飾が目を引きます。


P2450833
クーポラ


035
クーポラ周囲の彫刻は、カレガリ一族とジョヴァンニ・バッティスタ・カルボーニ(ブレーシャ、1729‐1790)によって制作されました。


038
聖マルコと聖マッテオの彫刻は、ジョヴァンニ・バッティスタ・カルボーニ(ブレーシャ、1729‐1790)によるものです。


P2450860
聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタと聖ルーカは、カルガリ一族の作品です。


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ジョヴァンニ・アントニオ・エマヌエリ(ブレーシャ、1816‐ミラノ、1894)の「カルロ・ドメニコ・フェラーリ司教(ブレーシャ、1769‐1846)の墓」(1855)


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クラウディオ・ボッタ(マネルビオ、1891‐ミラノ、1958)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの銅像」


P2450838
ジローラモ・ロマーニ通称ロマニーノ(ブレーシャ、1484c‐1566c)の3作品、左から「聖母の誕生」、「聖母の結婚」、「ご訪問」です。


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左側の礼拝堂です。


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ジャコモ・ゾボーリ(モデナ、1681‐ローマ、1767)の「キリストの昇天」(1735)


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ジュゼッペ・ヌヴォローネ(サン・ジミニャーノ、1619‐1703)の「天上の聖母子と聖人たち」(1679)


P2450845
ジュゼッペ・ヌヴォローネ(サン・ジミニャーノ、1619‐1703)の「聖母の誕生」


039
左側廊突き当りの礼拝堂です。


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パルマ・イル・ジョーヴァネ(ヴェネツィア、1548/1550-1628)の「聖母被昇天と聖カルロと聖フランチェスコ」


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中央礼拝堂です。


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主祭壇画は、ジャコモ・ゾボーリ(モデナ、1681-ローマ、1767)の「聖母被昇天」(1735)


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ガスパーロ・カイラーノ(ミラノ?、1489以前生まれ-ブレーシャ?、1517以前没)の「聖アポッロニオの墓碑」(1508-10)


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右側廊


037
仕切りの前に移動しました。


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右側廊突き当りの礼拝堂です。


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ルイージ・バジレッティ(ブレーシャ、1780-1859)の「子供に天国への道を示す守護天使」


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サンティッシモ・サクラメント礼拝堂です。


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アレッサンドロ・ボンヴィチーノ通称イル・モレット(ブレーシャ、1498c-1554)の「イサクの犠牲」


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右側第1礼拝堂です。


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フランチェスコ・ジョルフィーノ(ヴェローナ、15世紀後半-16世紀前半)の「磔刑像」(1502)


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詳細不明


P2450869
ガエターノ・マッテオ・モンティ(ラヴェンナ、1776-ミラノ、1847)の「カブリオ・マリア・ナバ司教(バルザーノ、1758-ブレーシャ、1831)の墓」
カブリオはブレーシャ司教でした。


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外に出ました。
(おわり)

前編は旧ドゥオーモです。
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ブレーシャのドゥオーモ広場です。


018
写真手前の丸い建物が旧ドゥオーモ、その先にある建物が新ドゥオーモです。


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ロトンダとも言われる旧ドゥオーモ、ドゥオーモ・ヴェッキオです。


042
この場所には、ローマ時代の紀元前1世紀に建てられた公衆浴場がありましたが、その遺跡の上に、恐らく6世紀に建てられた初期キリスト教会が前身です。6世紀に建設された柱や床は、旧ドゥオーモのクリプタに一部残ってます。


019
最初の建物は8世紀の火災によって消失し、直ぐに再建されましたが、10世紀に取り壊されました。
現在の建物は、10世紀に創建されたものがクリプタとして残されてます。1095年のブレーシャ大火災によって大きな被害を受けたとされてます。16世紀末の大改修後の姿が現在の旧ドゥオーモとなってます。


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堂内に入ると分かりますが、聖堂内の床は、地表から一段低い場所にあります。聖堂内の床の高さは10世紀頃の地表と同じ高さにありました。
地表からの流水の侵入と湿気の問題が経年とともに徐々に深刻化するようになり、16世紀末に新ドゥオーモの建設が検討されるようになり、旧ドゥオーモの隣の場所に新ドゥオーモの建設工事が1604年に始まったのです。


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出入り口


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中に入りました。信者席がある床が、10世紀頃の地表の高さとほぼ同じとされてます。16世紀末の大改修工事によって、信者席よりも一段高い場所に礼拝堂が設けられるようになりました。


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円形のロトンダの天井


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ブレーシャ司教聖アポッロニオ像(13世紀)


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アンジェロ・ガンディーノ(ブレーシャ、1560‐1631)の「子供に天国への道を示す守護天使」(1605‐06)


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中央礼拝堂は工事中でした。


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観たい作品があるのですが、これではどうにもなりません。


023
工事前は観ることが出来ました。


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主祭壇画も修復中でした。


9
仕方がないので、外部サイトから拝借した主祭壇画の写真を載せておきます。
アレッサンドロ・ボンヴィチーノ通称イル・モレット(ブレーシャ、1498c‐1554)の「聖母被昇天」(1524‐26)


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かなり大掛かりな修復工事です。


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ローマ時代の公衆浴場のモザイク(紀元前1世紀)を見ることが出来ます。


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サンティッシモ・サクラメント礼拝堂の扉が閉まっていましたが、柵の間にカメラを入れて写真を撮りました。


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中央は、パオロ・カイリーナ・イル・ヴェッキオ(ブレーシャ、1420/1430-1486)の「キリストの鞭打ち」
左は、アレッサンドロ・ボンヴィチーノ通称イル・モレット(ブレーシャ、1498c-1554)の「聖マルコ」
右は、モレットの「聖ルーカ」


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サンティッシモ・サクラモンテ礼拝堂のフレスコ画は、ジローラモ・ロマーニ通称ロマニーノ(ブレーシャ、1484c-1566c)によって描かれました。


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アレッサンドロ・ボンヴィチーノ通称イル・モレット(ブレーシャ、1498c-1554)の「エリアを慰める天使」


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アレッサンドロ・ボンヴィチーノ通称イル・モレット(ブレーシャ、1498c-1554)の「信者たちの寄宿舎の復活祭」


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右翼廊の礼拝堂の祭壇画です。
フランチェスコ・マッフェイ(ヴィチェンツァ、1605c-パドヴァ、1660)の「ドミナトーレ司教とパオロ司教とアナスタショ司教の遺体の移送」(1656)


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右翼廊の礼拝堂のフレスコ画は、トンマーゾ・サンドリーニ(ブレーシャ、1580-1630)とフランチェスコ・ジューニョ(ブレーシャ、1577-マントヴァ、1621)によって描かれました。


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フランチェスコ・マッフェイの作品


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フランチェスコ・マッフェイの作品


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クーポラのフレスコ画は、トンマーゾ・サンドリーニ(ブレーシャ、1580-1630)とフランチェスコ・ジューニョ(ブレーシャ、1577-マントヴァ、1621)によって描かれました。


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サンタ・クローチ礼拝堂の扉が閉まっていました。


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この奥にドメニコ・デ・ドミニーチ葬儀モニュメントがありますが、これではどうにもなりません。
サンタ・クローチ礼拝堂の祭壇画を外部サイトから拝借した写真で載せておきましょう。


11
アントニオ・ガンディーノ(ブレーシャ、1560-1631)の「バビエーラのナーモの寄付」(1605-06)


12
グラツィオ・コッサリ(オルツィヌオーヴィ、1563-ブレーシャ、1629)の「子スタンティンへの十字架の幻影」(1605)


P2450909
ステンダリオがあります。


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詳細不明


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アレッサンドロ・ボンヴィチーノ通称イル・モレット(ブレーシャ、1498c-1554)と弟子による「アブラハムとメルキゼデクの出会い」


P2450915
クリプタに進みます。


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6世紀の柱などが一部残されてます。


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大部分が8-9世紀に建設されたものです。


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一旦外に出ました。次は新ドゥオーモです。
(つづく)

P2450720
駅近くからチェントロ・ストーリコに向かうCorso Martiri della Libertaです。


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Corso Martiri della Libertaに面して建つサンタ・マリア・デイ・ミラーコリ教会です。


155
1480年から1484年にかけて、ブレーシャではペストが大流行して、多くの犠牲者を出しました。


153
ペストに苦しんでいた市民は、この場所にあった建物の壁に描かれた聖母子のフレスコ画が奇跡的なご利益があるとの評判が立ち、そのフレスコ画を崇拝するようになりました。


154
1486年、ブレーシャの教会関係者は深い信仰を集めることになったフレスコ画がある場所に教会を建設することを決め、フレスコ画ある建物の買収交渉を開始しました。


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ルドヴィーコ・ベレッタの設計によって1487年創建、1490年に完成したルネサンス様式のサンタ・マリア・デイ・ミラーコリ教会です。


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この教会の見所は何といってもファサードです。


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柱廊を含むファサードの設計は、ジョヴァンニ・アントニオ・アマデオ(パヴィア、1447c‐ミラノ、1522)によるものです。
ジョヴァンニ・アントニオ・アマデオの代表作は、ベルガモのコッレオーニ礼拝堂でしょう。


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ファサードの彫刻もジョヴァンニ・アントニオ・アマデオの作品です。


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第二次世界大戦の爆撃によって大きな被害を受けた教会ですが、ファサードだけは奇跡的に罹災を免れました。


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ファサード以外の部分は、爆撃によって大きな被害を受けたので、戦後に大修復されました。


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中に入りました。


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三廊式、ルネサンス様式の内部です。


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右側壁


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教会の構造図


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ペスト治癒の信仰を集めた聖母子のフレスコ画の写真


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主祭壇


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主祭壇に置かれたペスト治癒の信仰を集めた聖母子(15世紀)


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後陣


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クーポラ


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爆撃を免れた建設当時のオリジナルの場所


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左側廊


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左側廊から見た中央礼拝堂


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右側廊


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祭壇画を見て行きます。


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グラツィオ・コッサ―リ(オルツィヌオーヴィ、1563‐1629)の「聖母の浄化」(1594)


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ピエトロ・マローネ(ブレーシャ、1548c‐1603)の「聖母被昇天」


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オッタヴィオ・アミゴーニ(ブレーシャ、1606‐1661以降没)の「無原罪の御宿リ」(1646)


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エンリコ・アルブリッチ(ヴィルミノーレ・ディ・スカルヴェ、1714‐1775)の「天国のカギを聖ピエトロに託すキリスト」(1754)


P2450754
エンリコ・アルブリッチ(ヴィルミノーレ・ディ・スカルヴェ、1714‐1775)の「ライ病の回復」


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パオロ・コスタの「磔刑」(1618)


P2450759
詳細不明


P2450762
詳細不明


P2450765
詳細不明


P2450767
詳細不明


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中央礼拝堂の左側壁に2点の祭壇画があります。


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トンマーゾ・ボーナ(ブレーシャ、1548‐1614)の「聖母の誕生」


P2450776
ピエトロ・マリア・バニャトーレ(ブレーシャ、1548c‐1627c)の「受胎告知」(1592)


P2450783
エンリコ・アルブリッチ(ヴィルミノーレ・ディ・スカルヴェ、1714‐1775)の「聖二コラの死」


P2450788
ジュゼッペ・ファッリ(ブレーシャ、1697‐1772)の「我に触れるな」


P2450791
詳細不明


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ジュゼッペ・アリアッジ(ブレーシャ、1825‐1906)の「モレット作『聖母子と聖二コラ』の複製画」
モレットの作品は、元々この場所にありました。参考までにモレットの作品画像を載せておきましょう。


P2460752
アレッサンドロ・ボンヴィチーノ通称イル・モレット(ブレーシャ、1498c‐1554)の「聖母子とバーリの聖二コラ」(1539)
現在、この作品はブレーシャのトージオ・マルティネンゴ美術館にあります。


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美術的に見所が豊富な教会です。


P2450813
外に出ました。

引き続き休館中のトージオ・マルティネンゴ絵画館の所蔵作品の臨時展示です。
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ジローラモ・ロマーニ通称ロマニーノ(ブレーシャ、1484/1487-1560)の「ご誕生」(1545c)


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トージオ・マルティネンゴ美術館の作品がこのように置かれていました。このような部屋が2部屋ありました。
この部屋は立ち入り禁止です。


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アレッサンドロ・ボンヴィチーノ通称イル・モレット(ブレーシャ、1498c-1554)の「天上の聖母子と聖ジョヴァンニーノと地上の4聖人(聖ベネデット、聖パテーリオ、聖エウフェミア、聖ジュスティーナ)」(1527c)


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アレッサンドロ・ボンヴィチーノ通称イル・モレット(ブレーシャ、1498c-1554)の「聖母子とバーリの聖二コラ」(1539)


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次の展示コーナーです。


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Stendario Caprioli (1604)


P2460760
ピエトロ・リッチ(ルッカ、1606-ウーディネ、1675)の「騎乗のトマーゾ・カプリオーリの肖像」(1649c)


P2460763
ジャコモ・チェルーティ通称ピトッケット(ミラノ、1698-1767)の「姉妹の肖像」(1720-25c)


P2460766
アントニオ・パーリア(ブレーシャ、1680c-1747)の「紳士の肖像」(1720-30c)


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アントニオ・パーリア(ブレーシャ、1680c-1747)の「紳士の肖像」(1720-30c)


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ジャコモ・チェルーティ通称ピトッケット(ミラノ、1698-1767)の「若い紳士の肖像」(1760c)


P2460775
モンス・モンターニャ(アンヴェルサ、1608c-パリ、1660)の「時化」(1635-45c)


P2460778
アントニオ・ラーショ(ブレーシャ、1677-1695c活動)の「春」(1685-95c)
ジュゼッペ・アルチンボルドの作品が思い出されます。


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アントニオ・ラーショ(ブレーシャ、1677-1695c活動)の「秋」(1685-95c)


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アントニオ・ラーショ(ブレーシャ、1677-1695c活動)の「夏」(1685-95c)


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アントニオ・ラーショ(ブレーシャ、1677-1695c活動)の「冬」(1685-95c)


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次の展示コーナーです。


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臨時展示の最終コーナーです。


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P2460799
ジャコモ・チェルーティ通称ピトッケット(ミラノ、1698-1767)の「ポーター」(1730-34c)


P2460803
ジャコモ・チェルーティ通称ピトッケット(ミラノ、1698-1767)の「洗濯女」(1720-25c)


P2460805
ジャコモ・チェルーティ通称ピトッケット(ミラノ、1698-1767)の「二人の乞食」(1730-34c)


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ジャコモ・チェルーティ通称ピトッケット(ミラノ、1698-1767)の「森の中の出会い」(1730-35c)


P2460811
ジャコモ・チェルーティ通称ピトッケット(ミラノ、1698-1767)の「紡績女」(1730-34c)


P2460815
ジャコモ・チェルーティ通称ピトッケット(ミラノ、1698-1767)の「賭博の諍い」(1730-35c)


P2460794
アントニオ・チフロンディ(クルソーネ、1656-ブレーシャ、1730)の「砂時計を持つ老人」(1717c)


P2460797
アントニオ・チフロンディ(クルソーネ、1656-ブレーシャ、1730)の「雪中の老人」(1717c)
臨時展示は以上でしたが、トージオ・マルティネンゴ美術館の主な作品が展示されていませんでした。その中の幾つかの作品画像を載せておきましょう。尚、作品画像は外部サイトから拝借しました。


1
ヴィンチェンツォ・フォッパ(バニョーロ・メッラ、1430-ブレーシャ、1515)の「玉座の聖母子と聖ファウスティーノと聖ジョヴィタ」


2
アレッサンドロ・ボンヴィチーノ通称イル・モレット(ブレーシャ、1498c-1554)の「聖霊降臨」(1543)


3
アレッサンドロ・ボンヴィチーノ通称イル・モレット(ブレーシャ、1498c-1554)の「羊飼いの礼拝」


4
アレッサンドロ・ボンヴィチーノ通称イル・モレット(ブレーシャ、1498c-1554)の「羊飼いの礼拝」


5
シモーネ・カンタリーニ(ペーザロ、1612-ヴェローナ、1648)の「ロザリオの聖母」


6
Maestro Parotoの「チェンモのポリッティコ」(1447)


7
フランチェスコ・アイエツ(ヴェネツィア、1791-ミラノ、1882)の「エサウとヤコブの邂逅」(1844)


8
フランチェスコ・アイエツ(ヴェネツィア、1791-ミラノ、1882)の「パルガの難民」(1831)
こんなところでしょうか。


P2460816
サンタ・ジュリア博物館の出口です。


P2460818
外に出ました。


P2460819
(おわり)

引き続き休館中のトージオ・マルティネンゴ絵画館の所蔵作品の臨時展示です。
P2460637
ラファエッロ・サンツィオ(ウルビーノ、1483‐ローマ、1520)の「天使」(1501)


P2460640
久し振りに見ることが出来ました。


P2460642
ラファエッロ・サンツィオ(ウルビーノ、1483‐ローマ、1520)の「祈るキリスト」(1505‐06c)


P2460643


P2460647
次の展示コーナーです。


P2460646
進行方向左側は肖像画ばかりです。


P2460648
ジョヴァンニ・バッティスタ・モローニ(アルビーノ、1520c‐ベルガモ、1579)の「司法官の肖像」(1560)


P2460652
ジョヴァンニ・バッティスタ・モローニ(アルビーノ、1520c‐ベルガモ、1579)の「紳士の肖像」(1560)


P2460655
ピエトロ・マリア・バニャトーレ(オルツィヌオーヴィ、1548c‐ブレーシャ、1629)の「鎧を着た男の肖像」(1596)


P2460658
ヤコポ・ティントレット(ヴェネツィア、1519‐1594)の「60歳の男の肖像」(1575c)


P2460660
ベルテル・トルバルセン(コペンハーゲン、1779‐1884)の「ガニュメーデース(鷲に化けたゼウスに攫われる美少年」(1815)


P2460663
ロレンツォ・ロット(ヴェネツィア、1480c‐ロレート、1566)の「羊飼いの礼拝」(1530)


P2460667
ベルナルディーノ・ダ・アーゾラ(ヴェネツィア、1526記録)?の「机の前の22歳の男の肖像」(1520)


P2460670
ガスパーレ・ランディ(ピアチェンツァ、1756‐1830)の「鷲に化けたゼウスに酒を注ぐへーべー(ゼウスとエラの娘)」(1790)


P2460672
次の展示コーナーです。


P2460673


P2460675
パオロ・ヴェネツィアーノ(ヴェネツィア、1333‐1358記録)の「4聖人(聖ジョヴァンニ・バッティスタ、聖アンブロージョ?、聖アゴスティーノ?、聖パオロ」


P2460677
ブレーシャ?の逸名画家作「竜を退治する聖ジョルジョ」(1460‐65c)


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ヴェネト?の工芸家作「聖体顕示台」(15世紀末)


P2460683
ヴェネトの工芸家作「聖体容器」(15世紀前半)


P2460685
北イタリアの”Prima Bottega delle storia di Susanna"作「スザンナの物語付き婚礼用鍵箱」(1425‐50c)


P2460687
ブレーシャの工芸家作「Pace detta di Rodengo」(15世紀末)


P2460690
ブレーシャの工芸家とヴェネトの工房作「十字架」(15世紀末)


P2460692
次の展示コーナーです。


P2460695
ベルナルディーノ・リチーニオ(ヴェネツィア、1485/1489-1550c)の「羊飼いの礼拝」(1530c)


P2460698
カッリスト・ピアッツァ(ローディ、1500c-1561/1562)の「聖ステファノとフィレンツェの聖アントニーノの幼きキリストへの崇拝」(1524)


P2460701
アレッサンドロ・ボンヴィチーノ通称イル・モレット(ブレーシャ、1498c-1554)の「受難のキリストと天使」(1550c)


P2460705
ジョヴァンニ・ジローラモ・サヴォルド(ブレーシャ、1480c-1548以降没)の「羊飼いの礼拝」(1540)


P2460708
アレッサンドロ・ボンヴィチーノ通称イル・モレット(ブレーシャ、1498c-1554)の「エマオの晩餐」(1527c)


P2460711
ジローラモ・ロマーニ通称ロマニーノ(ブレーシャ、1484/1487-1560)の「十字架を担ぐキリスト」(1545c)


P2460714
ジローラモ・ロマーニ通称ロマニーノ(ブレーシャ、1484/1487-1560)の「悔悛の聖ジローラモ」(1516-17c)


P2460717
ジョヴァンニ・ジローラモ・サヴォルド(ブレーシャ、1480c-1548以降没)の「フルートを持つ男の肖像」(1525c)


P2460720
アレッサンドロ・ボンヴィチーノ通称イル・モレット(ブレーシャ、1498c-1554)の「手紙を持つ男の肖像」(1538c)


P2460723
ラッタンツィオ・ガンバラ(ブレーシャ、1530c-1574)の「アポロとプット」(1557)


P2460726
ラッタンツィオ・ガンバラ(ブレーシャ、1530c-1574)の「ケーレス(農事・豊穣の女神)」(1556-58c)


P2460728
アレッサンドロ・ボンヴィチーノ通称イル・モレット(ブレーシャ、1498c-1554)の「預言者」(1525c)


P2460731
アレッサンドロ・ボンヴィチーノ通称イル・モレット(ブレーシャ、1498c-1554)の「預言者」(1525c)


P2460734
ヴィンチェンツォ・チヴェルキオ(クレマ、1470c-1544)、フランチェスコ・ナポレターノ(?、?-ヴェネツィア、1501)、ロンバルドの逸名画家による「トレンティーノの聖二コラのポリッティコ」(1495-1500c)
パネルによって制作者が異なります。


P2460736
ロンバルドの逸名画家作のピエタ


P2460738
ヴィンチェンツォ・チヴェルキオのトレンティーノの聖二コラ


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ヴィンチェンツォ・チヴェルキオとフランチェスコ・ナポレターノの聖セバスティアーノ


P2460742
ヴィンチェンツォ・チヴェルキオの聖ロッコ
(つづく)

引き続きIl Coro delle Monacheです。
P2460572
十字架昇架


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天井


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P2460576
磔刑


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受胎告知する大天使


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受胎告知される聖母


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聖バルトロメオと聖ルイージ


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P2460586
十字架降下


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祭壇


P2460588
既述のように、Il Coro delle Monacheのフレスコ画は、フロリアーノ・フェルモ―ラ(ブレーシャ、1478c‐1528)、パオロ・ダ・カイリーナ・イル・ジョーヴァネ(ブレーシャ、1485c‐1545c)、その他の逸名画家、工房の画家などによって制作されました。


P2460590
この人を見よ


P2460592


P2460593
ユディト


P2460595


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竜を退治する聖ジョルジョ


P2460598



P2460600
キリストの復活


P2460601
聖母子と聖アンナ


P2460602
パドヴァの聖アントニオ


P2460603


P2460604


P2460606
我に触れるな


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聖痕を受ける聖フランチェスコ


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聖トンマーゾの不信


P2460611


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P2460613
アントニオ・マンジャカヴァッリ(コモ、15世紀後半生まれ‐ブレーシャ、16世紀前半没)の「ニコロ・オルシーニの墓碑」(1500‐10c)


P2460614
復活したキリスト


P2460615


P2460618


P2460619


P2460620


P2460621
マルティネンゴの廟をもう一度見て次に進みました。


P2460622
建物の修復工事のため、休館中のトージオ・マルティネンゴ絵画館の所蔵作品が臨時展示されていました。


P2460623
アントニオ・カノーヴァ(ポッサーニョ、1757‐ヴェネツィア、1822)の「エレオノーラ・デステの肖像」(1819)


P2460625


P2460626
アレッサンドロ・ボンヴィチーノ通称イル・モレット別称モレット・ダ・ブレーシャ(ブレーシャ、1498c‐1544)の「サロメに扮した貴婦人の肖像」(1537c)


P2460629
ラファエッロ・サンツィオ工房の「聖母子」(1520‐30c)


P2460632


P2460635
フランチェスコ・デ・ライボリーニ通称フランチェスコ・フランチャ(ボローニャ、1447c‐1517)の「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」(1500‐05c)
(つづく)

引き続きサン・サルヴァトーレ聖堂です。
P2460517
サン・ジョヴァンニ礼拝堂の前に展示コーナーが設けられて礼拝堂の中に入ることが出来ません。


P2460518
サン・ジョヴァンニ礼拝堂のフレスコ画は、Maestro Milaneseの「聖ジョヴァンニ・バッティスタの物語」(14世紀後半)です。


P2460519
逆光です。


P2460520
保存状態が良くありません。


P2460521
サン・サルヴァトーレ聖堂右側のフレスコ画(12世紀)


P2460522
サン・サルヴァトーレ聖堂の出入り口です。この先にIl Coro delle Monacheがあります。


P2460523
出入り口の上部


P2460524
出入り口の壁に描かれたフレスコ画の制作者の帰属がよく分かっていないようです。


P2460525
パオロ・ダ・カイリーナ・イル・ジョーヴァネ工房作説があります。


P2460526
ブレーシャの逸名画家作説もあるようです。


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Maestro Milaneseのフレスコ


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シノピエ


P2460530
パオロ・ダ・カイリーナ・イル・ジョーヴァネ(ブレーシャ、1485c‐1545c)の「キリストの鞭打ち」(1527)


P2460531
サン・サルヴァトーレ聖堂の正面入り口手前にある、15世紀後半に建設されたIl Coro delle Monache(修道女の合唱隊席)です。


P2460533
マルティネンゴの霊廟


P2460532
Il Coro delle Monacheの最大の見所とされてます。


P2460534
ベルナルディーノ・ダッレ・クローチ(パルマ、1450c‐ブレーシャ、1528/1530)とガスパーロ・カイラーノ(ミラノ?、1489以前生まれ-ブレーシャ?、1517以前没)のベルナルディーノ・マルティネンゴ・ディ・パテルネッロの霊廟(1503-1516)


P2460535
Il Coro delle Monacheの壁の殆どがフレスコ画で覆われてます。


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ルネサンス期に描かれたフレスコ画です。


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最後の晩餐


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天使


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弟子の足を洗うキリスト


P2460540
フレスコ画の制作には、多くの画家が参加したと言われてます。


P2460542
制作した画家のうち、名前が分かっているのは、フロリアーノ・フェルモ―ラ(ブレーシャ、1478c-1528)とパオロ・ダ・カイリーナ・イル・ジョーヴァネ(ブレーシャ、1485c-1545c)です。


P2460543
その他にブレーシャ、ミラノ、ロンバルディアの逸名画家や地元の工房がフレスコ画の制作に参加したとされてます。


P2460545
キリストの逮捕


P2460546
しかし、私には各場面の作品帰属が分かりません。


P2460541
誰の墓でしょうか?


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博物館の方は作品帰属が分かっていると思います。


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P2460551
カイアファの前のキリスト


P2460554
キリストの鞭打ち


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P2460557
大天使ミケーレ


P2460559
大天使ラッファエーレとトビアス


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カルヴァリオへの上り


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制作者不明の「聖パテリオの聖櫃」(1478c)


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荊刑のキリスト


P2460568
この人を見よ


P2460570
キリストの判決
(つづく)

P2460450
次に進みます。


P2460451
sagratoは前庭、教会正面の柱廊、教会の墓地という意味ですが、この場合は柱廊にあるフレスコ画と考えた方が良いと思います。


P2460453
聖マリア・マッダレーナ(14世紀中頃)
サン・サルヴァトーレ教会にありました。


P2460456
ルネッタの聖母子と2聖人、大天使ガブリエーレ、大天使ラッファエーレ、聖ジュリア(12世紀末)
サン・サルヴァトーレ教会にありました。


P2460458
聖ピエトロと聖パオロ(14世紀後半)
サン・サルヴァトーレ教会にありました。


P2460460
順路に従って進みました。


P2460461
ローマ時代の遺跡から発掘された石棚をサン・サルヴァトーレ教会の鐘楼用資材として使用しました。


P2460463
大天使聖ミケーレ(14世紀中頃)


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サン・サルヴァトーレ聖堂の構造変遷の説明


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サン・サルヴァトーレ聖堂に入りました。


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左側廊


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右側廊


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天井


P2460470
サントビツィオ礼拝堂です。


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サントビツィオ礼拝堂のフレスコ画は、ジローラモ・ロマーニ通称ロマニーノ(ブレーシャ、1484c‐1566c)によって1526‐1527年に制作されました。


P2460472
フレスコ画のテーマは聖オビツィオの物語です。


P2460473
サントビツィオ礼拝堂の天井


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柱頭


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柱頭


P2460479
次はサン・サルヴァトーレ聖堂の聖母の礼拝堂です。


P2460478
エジプトへの逃避
聖母の礼拝堂のフレスコ画は、パオロ・ダ・カイリーナ・イル・ジョーヴァネ(ブレーシャ、1485c‐1545c)によって1527年から制作が開始されました。


P2460480
フレスコ画のテーマは聖母の物語です。


P2460481


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磔刑


P2460484
聖母の結婚


P2460485
聖母の教育


P2460487
聖家族と聖ジョヴァンニーノ


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P2460491
永遠の父


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P2460495
聖母子


P2460496
授乳の聖母


P2460498


P2460500


P2460501


P2460502


P2460503
音楽天使たち


P2460504
無原罪の御宿リ


P2460505
聖母子


P2460506
マギの礼拝


P2460508
マギの礼拝


P2460509
聖母の誕生


P2460510
ご訪問


P2460511
聖母の神殿奉献


P2460512
ご誕生


P2460513


P2460514


P2460515


P2460516
(つづく)

P2460372
次はサンタ・ジュリア博物館の地から発掘されたものです。


P2460373
プブリコ・アントニオ・カッリスティオーネへのモニュメント(2‐3世紀)
サンタ・ジュリア博物館の場所から発掘されました。


P2460374
プブリコ・アントニオ・カッリスティオーネへのモニュメント(2‐3世紀)


P2460376
サンタ・ジュリア博物館の地下遺跡からの発掘物(2世紀)


P2460377
サンタ・ジュリア博物館の地下遺跡からの発掘物(2世紀)


P2460379
サンタ・ジュリア博物館の地下遺跡からの発掘物(2世紀)


P2460380
サンタ・ジュリア博物館の地下遺跡からの発掘物(2世紀)


P2460381
サーティロとメナーディの彫刻がある石棺正面断片(2世紀中頃)
サンタ・ジュリア修道院の遺跡から発掘されたものです。


P2460383
結婚した男女の彫刻がある石棺正面(4世紀初め)
サンタ・ジュリア修道院の遺跡から発掘されました。


P2460385
モザイク(2世紀)
サンタ・ジュリア修道院の北にある遺跡から発掘されました。
次からはサンタ・ジュリア博物館とは違う場所で発掘されたものです。


P2460387
座った男の彫像(1世紀初め)
ブレーシャのスパルティ・サン・マルコ通り下の遺跡から発掘されました。


P2460389
死者の名前が入ったモザイクの墓石(1‐2世紀)
ブレーシャのクレモナ門から出土しました。


P2460390
ブレーシャの遺跡からの発掘物


P2460391
ブレーシャの遺跡からの発掘物


P2460392
聖書のエピソードの彫刻がある石棺(4世紀中頃)
ブレーシャのサンタンジェロ・メリーチ教会の遺跡から発掘されました。


P2460394
聖書のシーンの彫刻がある石棺(4世紀)
サンタ・ジュリア修道院にありました。


P2460397
ブレーシャの遺跡からの発掘物


P2460398
天使のフレスコ(13世紀末)
ブレーシャのブロレットにありました。


P2460401
2司教聖人(13世紀末)
ブレーシャのブロレットにありました。


P2460403
聖クリストフォロ(13世紀末)
ブレーシャのブロレットにありました。


P2460405
ライオン像(13世紀前半)
ブレーシャのサンタゴスティーノ教会にありました。


P2460407
ヴェネトの逸名彫刻家作「天使の胸像」(15世紀初め)


P2460409
聖ファウスティーノ(13世紀中頃)
ブレーシャのピーレ門にありました。


P2460411
「嘆きの聖母と聖人」(13世紀後半)


P2460414
次はサン・バルナバ修道院にあったものの展示です。


P2460415
左がジョヴァンニ・ダ・ロマッツォの墓石(1334)
右は不明の墓石(14世紀)
サン・バルナバ教会にありました。


P2460417
バルナルド・マッジへのモニュメント(1309‐17)
サン・バルナバ教会にありました。


P2460419
石棚(13世紀末‐14世紀初め)
サン・バルナバ教会にありました。


P2460424
次はブレーシャのサンタ・カテリーナ修道院にあったものの展示です。


P2460422
天上の聖母(15世紀前半)
サンタ・カテリーナ修道院にありました。


P2460425
テラモン(1300‐10c)
サンタ・カテリーナ教会にありました。


P2460427
ブレーシャの逸名画家作「玉座の聖母子」(1320‐30)
サンタ・カテリーナ教会にありました。


P2460430
アレッサンドリアの聖カテリーナの議論(1330c)
サンタ・カテリーナ教会にありました。


P2460432
次の展示室です。


P2460433
ブレーシャのベネデット会レノ修道院にあったものの展示です。


P2460434
聖人の頭像付きの石棚(14世紀)
レノ修道院にありました。


P2460436
助祭の頭像付き石棚(14世紀初め)
レノ修道院にありました。


P2460438
レノ修道院の柱頭(14世紀末‐15世紀初め)


P2460440
レノ修道院の柱頭(13世紀後半)


P2460441
レノ修道院のルネッタ(12世紀末‐13世紀初め)


P2460443
レノ教会入り口扉上のルネッタ(12世紀後半)


P2460445
次はサンティ・コズマ・エ・ダミアーノ修道院にあったものの展示です。


P2460446
腕木(1298‐1302)
ブレーシャのサンティ・コズマ・エ・ダミアーノ修道院にありました。


P2460448
聖水盤(12世紀後半)
ブレーシャのサンティ・コズマ・エ・ダミアーノ修道院にありました。
(つづく)

引き続きDomus dell'Ortagliaです。
P2460302
ドムスのモザイクがある部屋が残されてます。


P2460303
2世紀頃に制作されたモザイクです。


P2460304


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Domus dell'Ortagliaの別の部屋です。


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ブロンズの偶像(紀元前4‐3世紀)


P2460310
床の装飾


P2460311


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床のモザイク


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トイレ


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部屋の大きさが分かるように、対比のための女性像が置かれてます。


P2460320


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P2460321
これでDomus dell'Ortagliaを一周したことになります。


P2460323
次はブレーシャの遺跡から発掘されたものの展示です。


P2460324
柱などの装飾断片(1世紀後半)
ブレーシャのサンティ・カッシアーノ・エ・イッポリート教会の遺跡にありました。


P2460326
男の彫像(2世紀後半)
サンティ・カッシアーノ・エ・イッポリート教会の遺跡から発掘されました。


P2460328
女性の彫像断片(2世紀前半)
ブレーシャのサンティ・カッシアーノ・エ・イッポリート教会の遺跡から発掘されました。


P2460330
紀元前4世紀頃のブロンズ像


P2460331
サンタ・ジュリア博物館下の遺跡から発掘された床


P2460333
ブレーシャのサンタンジェロ・メリーチ通り下の遺跡から発掘されたモザイク(1世紀末‐2世紀初め)


P2460334
ブレーシャのサンタンジェロ・メリーチ通り下の遺跡から発掘されたモザイク(1世紀末‐2世紀初め)


P2460336
ブレーシャのアレアルド・アレアルディ通り下の遺跡から発掘されたモザイク(3‐4世紀)


P2460338
ブレーシャのセッテントリナーレ通り下の遺跡から発掘されたモザイク(紀元前1世紀末‐1世紀初め)


P2460340
ブレーシャのテバルド・グルサート通り下の遺跡から発掘されたモザイク(1世紀後半)


P2460342
ブレーシャのサン・ドメニコ通り下の遺跡から発掘されたモザイク(1世紀)


P2460344
ブレーシャの旧サント・スピリト修道院の遺跡から発掘されたモザイク(1世紀中頃)


P2460346
男の頭像(紀元前2世紀中頃)
ブレーシャのトリエステ通りの遺跡から発掘されました。


P2460348
女性の彫像断片(1‐2世紀)
ブレーシャのマジェンタ通り下の遺跡から発掘されました。


P2460350
ブレーシャのゲツィオ・カリーニ通り下の遺跡から発掘されたモザイク(2世紀末‐3世紀初め)


P2460352
黒像式陶器


P2460355
サーティロの頭像(2世紀初め)


P2460357
男の頭像(2世紀)


P2460360
旧サントスピりと修道院の遺跡から発掘されたモザイク(1世紀末)


P2460362
サン・ロッキーノ通りのドムスのモザイク(1世紀末)


P2460363
サン・ロッキーノ通りのドムスのモザイク(1世紀末)


P2460364
サン・ロッキーノ通りのドムスのモザイク(1世紀末)


P2460366
サン・ロッキーノ通りのドムスのモザイク(1世紀末)


P2460368
サン・ロッキーノ通り下遺跡のモザイク(2世紀)


P2460370
サン・ロッキーノ通り下遺跡のモザイク(2世紀)
(つづく)

P2460240
見て回り易いように展示が工夫されてます。


P2460241
アウグストゥス家の男の頭像(紀元前1世紀末‐1世紀初め)


P2460243
アウグストゥス家の男の頭像(紀元前1世紀末‐1世紀初め)


P2460244
石棺(1世紀)


P2460245
柱頭断片(紀元前1世紀前半)
サンタ・ジュリア博物館の土地から発掘されました。


P2460247
次の展示室です。


P2460248


P2460249
フレスコ断片(紀元前1世紀前半)


P2460251
大理石装飾断片(紀元前1世紀前半)


P2460253
建築物装飾断片(紀元前1世紀前半)


P2460257
女性の頭像(紀元前1世紀中頃)


P2460261
次はカピトリーノ神殿からの発掘物です。


P2460259
紀元前1世紀に建設されたカピトリーノ神殿の模型です。


P2460263


P2460262


P2460264


P2460265
有名なブロンズ像


P2460266
翼がある勝利の女神像(紀元前2世紀頃)


P2460267
北イタリアの工房で制作されたとされてます。カピトリーニ神殿から発掘されました。


P2460270
次の部屋です。


P2460271
ローマ劇場からの発掘物の展示です。


P2460272
柱頭断片(2‐3世紀)


P2460274
ジュピターの頭像(1世紀後半)


P2460276
サーティロの頭像(1世紀後半)


P2460278
女性の頭像がある柱頭(2世紀末‐3世紀初め)


P2460280
キューピッドの頭像がある柱頭(2世紀末‐3世紀初め)


P2460282
戦士と勝利の女神がある柱頭(2世紀末‐3世紀初め)


P2460284
フォロだった場所からの発掘物です。


P2460286
フォロの柱(1世紀中頃)


P2460287
装飾されたフォロの壁(1世紀前半)


P2460288
フォロの柱頭(1世紀後半)


P2460290
次はDomus dell'Ortagliaです。


P2460292
ドムス


P2460293
ドムスの壁


P2460294
ドムス中央のブロンズ像(紀元前4世紀‐3世紀)


P2460295
ドムスの建材(2‐3世紀)


P2460296
ドムスから発掘されたもの(2‐3世紀)


P2460297
ドムスのモザイクがバラバラになったもの


P2460298


P2460299


P2460300
ドムスから発掘されたもの(2‐3世紀)


P2460301
ドムスからの発掘物(2‐3世紀)
(つづく)

P2460191
ブレーシャのサン・ドメニコ修道院の柱頭(17世紀初め)


P2460192
ブレーシャのサン・ドメニコ修道院の柱頭(17世紀初め)


P2460194


P2460195
順路に従って進みました。


P2460196
考古学部門でも興味がある部分とそうでない部分があります。


P2460197


P2460188


P2460199
土器のかけらを見てもちっとも面白くありません。


P2460200


P2460201


P2460202
退屈な展示です。


P2460203


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この辺は興味が湧きません。


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P2460239
(つづく)

P2460123
引き続きサンタ・マリア・イン・ソラーリオ礼拝堂の上堂です。


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上堂の壁の殆どがフレスコ画で覆われてます。


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天井


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上堂のフレスコ画は、ブレーシャの画家フロリアーノ・フェッラモ―ラ(ブレーシャ、1478c‐1528)によって1513年から1524年に制作されました。


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磔刑


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聖母子と4聖人


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アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚


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無原罪の聖母


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聖霊降臨


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聖ベネデット


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聖グレゴリオ・マーニョ


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カルヴァリオへの上り


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聖アントニオ


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聖ジローラモ


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この部分はフロリアーノ・フェッラモーラの作品ではないように思います?


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聖アガタの殉教


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聖女(誰でしょうか?)の殉教


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エジプトへの逃避


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聖痕を受ける聖フランチェスコ


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サンタ・マリア・イン・ソラーリオ礼拝堂はこれで終わりです。


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サンタ・マリア・イン・ソラーリオ礼拝堂から回廊に出ました。


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回廊から見たサン・サルヴァトーレ教会です。


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P2460187
ここから次に進みます。


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入り口前にある彫刻(詳細不明)


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P2460189
ローマ時代の遺跡


P2460190
(つづく)

P2460064
次の部屋です。


P2460065
第8室になります。


P2460066
8‐9世紀の碑文


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15世紀後半のロンバルドの逸名画家作「天使」(15世紀)
サン・サルヴァトーレ教会にありました。


P2460070
15‐16世紀の陶器


P2460063
15‐16世紀の陶器


P2460071
15世紀前半のロンバルドの逸名画家作「聖母子と聖アントニオ・アバーテ」(15世紀)
サン・サルヴァトーレ教会にありました。


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次の部屋です。


P2460075
第9室になります。


P2460076
装飾付き墓石板断片(2‐3世紀)
サン・サルヴァトーレ教会床にありました。


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石棺断片(2‐3世紀)


P2460080
石棺断片(3世紀中頃―4世紀初め)
サン・サルヴァトーレ・エ・サンタ・ジュリア修道院床にありました。


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石棺正面(3世紀)
サン・サルヴァトーレ教会床にありました。


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石棺正面(3‐4世紀)
サン・サルヴァトーレ・エ・サンタ・ジュリア修道院床にありました。


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柱断片
サン・サルヴァトーレ教会にありました。


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マルケリヌスの葬儀碑文(3世紀)
サン・サルヴァトーレ教会床にありました。


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石棺側面(2‐3世紀)
サン・サルヴァトーレ教会床にありました。


P2460092
次の部屋です。


P2460093
第10室


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シーレーノス(森の神)の頭像(2世紀)
サン・サルヴァトーレ・エ・サンタ・ジュリア修道院床下にありました。


P2460097
第11室


P2460098
石棺正面(2‐3世紀)
サン・サルヴァトーレ教会床下にありました。


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石棺正面(2‐3世紀)
サン・サルヴァトーレ教会床下にありました。


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一旦修道院回廊に出て、サンタ・マリア・イン・ソラーリオ礼拝堂に向かいます。


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修道院の建物です。


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次はサンタ・マリア・イン・ソラーリオ礼拝堂です。


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礼拝堂の入り口です。


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サンタ・マリア・イン・ソラーリオ礼拝堂は、上下の二重構造で、こちらは下礼拝堂です。


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帯状装飾(2‐3世紀)
サン・サルヴァトーレ・エ・サンタ・ジュリア修道院床下にありました。


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石柱(12世紀)


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石柱(12世紀)


P2460113
必見とされているものです。


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象牙製の聖遺物箱(4世紀後半)
サン・サルヴァトーレ・エ・サンタ・ジュリア修道院にありました。


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サンタ・マリア・イン・ソラーリオ礼拝堂の上堂に行きます。


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階段を上ります。


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サンタ・マリア・イン・ソラーリオ礼拝堂の上堂です。


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説明プレート


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必見とされている「デジデリオの十字架」(8世紀末)です。


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デジデリオの十字架の裏面
(つづく)

P2450994
Via dei Museiを通って、カピトリーノ神殿からサンタ・ジュリア博物館に向かいました。


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直ぐに博物館の西端に出ます。旧サンタ・ジュリア教会のファサードが見えます。


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写真左が博物館の一部となっている建物です。


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ロンゴバルド王デジデリオが753年に建てたベネデット会のサンタ・ジュリア修道院、ローマ時代のドムスの上に9世紀に建てられたサン・サルヴァトーレ教会、ロマネスク様式のサンタ・マリア・イン・ソラリオ礼拝堂、1593年から1599年に建設されたサンタ・ジュリア教会などを含む約14,000㎡の広大な博物館です。


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1998年にオープンしたサンタ・ジュリア博物館は世界遺産に登録されてます。


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博物館の入り口です。
2016年の年間入館者は145,347人でした。


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切符売り場


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ローマ時代のドムスから発掘された遺跡


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この場所は切符売り場があるロビーです。


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場違いな感じがする自動車が置かれてます。


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ここから展示室に入ります。


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制作者不詳の「聖ベネデット」(15世紀前半)


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ジョヴァンニ・カッラ(1619‐1677生存確認)の「磔刑の聖ジュリア」(17世紀)


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最初の部屋です。


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第1室


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フレスコによる帯状装飾断片(8世紀後半)
サン・サルヴァトーレ教会の横第二礼拝堂にありました。


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十字架装飾断片(9世紀)
サン・サルヴァトーレ・エ・サンタ・ジュリア修道院にありました。


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装飾仕切り(8世紀)
サン・サルヴァトーレ・エ・サンタ・ジュリア修道院にありました。


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墓石断片(9世紀)
サン・サルヴァトーレ・エ・サンタ・ジュリア修道院にありました。


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小円柱(8世紀)
サン・サルヴァトーレ・エ・サンタ・ジュリア修道院にありました。


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柱頭付き小円柱2本(8世紀)
サン・サルヴァトーレ・エ・サンタ・ジュリア修道院にありました。


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第3室


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男の胸像断片(9世紀初め)
サン・サルヴァトーレ教会のクリプタにありました。


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聖母子(9世紀前半)


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聖母子(9世紀前半)


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次の部屋です。


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第4室


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フレスコ断片(10‐12世紀)
サン・サルヴァトーレ教会にありました。


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柱頭付き小円柱(12世紀)
サン・サルヴァトーレ教会のクリプタにありました。


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次の部屋です。


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第5室


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フレスコ断片(12世紀)
サン・サルヴァトーレ教会にありました。


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フレスコ断片(12世紀)
サン・サルヴァトーレ教会にありました。


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第6室


P2460057
15世紀のロンバルドの逸名彫刻家作「聖母子(テラコッタ)」
サンタ・ジュリア修道院にありました。


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第7室


P2460061
15世紀前半のロンバルドの逸名画家のフレスコ断片
サン・サルヴァトーレ教会にありました。
(つづく)

014
1605年から1609年にかけて建設されたマドンナ・デル・リーノ教会です。


015
フレスコ画、祭壇画があって美術的に見所が多い教会ですが、扉が閉まっていました。


017
柱廊を通ってドゥオーモ広場に向かいました。


018
ドゥオーモ広場には青空市が立っていました。


019
自転車のシェア制度が盛んです。


020
広場の写真は撮ってあるので、青空市でも気になりません。


112
修復工事が終わらないトージオ・マルティネンゴ美術館です。


110
モレット広場です。


113
立像は、ドメニコ・ギドーニ(オスピタレット、1857‐ブレーシャ、1920)の「アレッサンドロ・ボンヴィチーノ通称イル・モレット(ロヴァート、1498c‐1564)像」(1898)
その下の座像は分かりません。


114
サンタンジェラ・メリーチ教会です。


117
6世紀の初期キリスト教会が前身です。現在の建物は16世紀に再建された三代目のものです。


115
開いていたので喜び勇んで歩を進めましたが、中の扉が閉まっていました。ティントレットの「変容」、フランチェスコ・バッサーノなどの作品があるので、観ることが出来なくて残念でした。


118
サンタレッサンドロ教会です。ここも閉まっていました。


120
5世紀の初期キリスト教会が前身です。バロック様式の原罪の建物は1769年に建設された四代目のものです。


091
サンタ・ジュリア博物館に入館しました。


082
この日は作品の写真を撮ることに専念しました。


082
やはり広くて大変でした。


084
2日連続して見たので、理解が深まりました。


096
Palazzo Cigola


095
1662年頃に建設されたPalazzo Cigolaです。


098
Palazzo Cigolaの中庭に入ってみました。


099
この辺は公園になってます。


100
12世紀創建ですが、18世紀に再建されたバロック様式のサンタ・マリア・イン・カルチェラ教会です。


101
モレット、ロマニーノなどの作品があるので、拝観したかった教会です。


102
開いている教会が少なくて参りました。


103
ルーカ・マレンツィオ音楽学校


105
ルーカ・マレンツィオ大楽学校の隣に教会があります。


104
1632年に建設されたバロック様式の旧サン・バルナーバ教会です。演奏会場、催事場などとして使用されてます。


106
サンテウフェミア教会です。


107
現在の建物は18世紀に再建された二代目のものです。この教会も閉まっていました。


109
教会巡りは効率が悪い。


121
何という教会でしょうか?


122
明らかに機能を停止した廃教会でしょう。


125
オペラ劇場、Teatro Grandeです。


129
この劇場に2回オペラを見ました。


130
Corso Zanardelli


131
地下鉄を利用せず歩き通しだったので疲れてきました。


132
この建物が分かりません。


139
1492年から1574年に建設されたPalazzo della Loggiaです。


133
現在、ブレーシャ市議会として使用されてます。


134


142
こちらの建物は、Palazzo della Loggiaの旧入り口です。


137
Torre dell'Orologio


141
Piazza della Loggia


138
ロッジャ広場に立つLa "Bell' Italia"


148
サンタガタ教会です。


150
サンタガタ教会も閉まっていました。


143
ホテルに戻ることにしました。


154
(おわり)

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世界遺産の市立サンタ・ジュリア博物館にやってきました。


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毎週月曜日が休館ですが、祝日の月曜日は開館しています。


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入館しました。


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博物館の展示対象と大きく異なる車の展示には戸惑いました。


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広大な博物館ですが、案内板が整備されているので見易いと思います。


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この日は鑑賞が主体で、写真を撮るのは翌日にしました。


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展示物が多く、建物自体も大きな見どころです。


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いたるところに美があるので、観て回るには相当な時間が必要です。


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博物館の敷地面積は、約14,000㎡に上るそうです。


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更に展示物を充実させる計画があるそうです。


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この博物館は体力勝負ですね。


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博物館は、ローマ時代の遺跡の上に建てられた教会、修道院から成っているので、それだけ展示の幅が広くなってます。


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博物館については、項を改めて詳しく触れることにします。


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「翼を持つ勝利の女神」(1世紀)


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「デジデリオ王の十字架」


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休館中のトージオ・マルティネンゴ美術館の所蔵作品の一部が展示されていました。


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傑作とされている作品でも展示されていないものがかなりの数に上ります。


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それでもラファエッロの作品を久し振りに観ることが出来ました。


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再会できて嬉しかった!


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トージオ・マルティネンゴ美術館の所蔵作品が移されていました。この場所は立ち入り禁止です。


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外に出ました。


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すっかり日が傾いていました。


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来た時と同じ道を通ってホテルに戻ることにしました。


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博物館で立ち通しだったので、疲れてしまって、他の場所に行く気がしません。


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005
翌日です。


004
壁にフレスコ装飾がある家


006
モレット通りにあるサントルソラ(聖オルソラ)教会です。1620年から1627年に建設されたバロック様式の教会です。


007
ファサードのフレスコ画は、ジョヴァンニ・マウロ・デッラーローヴェレ(1575‐1640)の「聖オルソラ」(17世紀)ですが、1748年に画家アントニオ・ドゥシ(ぺルティカ・バッサ、1726‐ブレーシャ、1776)によって大修復されました。
ジョヴァンニ・マウロ・デッラ・ローヴェレは、ジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニ(ボローニャ、1574‐ミラノ、1625)の弟子です。


008
サントルソラ教会の直ぐ傍、同じモレット通りにあるサンタ・クローチェ教会です。


009
1488年創建で、創建時はルネサンス様式の教会でしたが、後にバロック様式に改装されました。


010
メルカト広場にやってきました。
彫刻家ジョヴァンニ・アントニオ・ラブス(ブレーシャ、1806‐1857)の「Abbondanza(豊穣)像」があるFontana del Donegani


011
Palazzo Martinengo Palatini


012
パラッツォの中に入って見ました。


013
(つづく)

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