イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 BY:シニョレッリ

2020年04月

144
サン・セヴェリーノの塔です。


163
サン・セヴェリーノ教会付近の城壁は要塞化されてます。


145
カプチン会のサン・セヴェリーノ教会です。
創建は560年に遡ると考えられており、スペッロで最古の教会の一つです。


147
1180年に修道院が拡張され、現在の姿の原形はその拡張後のものです。


146
17世紀に修復されました。
19世紀初めに修道院が活動を停止しました。


162
ファサード前の柱廊


148
扉が開いていたので拝観しました。


149
単廊式、ラテン十字形の内部です。


150
ウンブリアの逸名画家作「大天使聖ミケーレ」(15世紀)


158
主祭壇画


151
主祭壇画中央の「キリストの復活」(詳細不知)


153
向かって左の「聖母の誕生」(詳細不知)


160
向かって右の「幼きキリストへの崇拝」(詳細不知)


156
「玉座の聖母子と聖フランチェスコと聖ジローラモ」(詳細不知)


157
「天上の聖母子と聖人たち」(詳細不知)



164
作品の制作者などの詳細が分からないのが残念です。


165
サン・セヴェリーノ教会横にあるPorta dell'Arceです。


166
この町角の聖母は新しいものでしょう。


167
Via Cappucciniを通って、町の西端にある教会に向かいます。


178
直ぐに教会の建物が見えてきます。


168
サンタ・マリア・ディ・ヴァッレグローリア修道院です。


177
560年に遡る女子修道院が前身です。
1236年、フランチェスコ会の修道院になりました。


169
修道院は農地などに転換され、縮小されてます。


170
町の西端の城壁と修道院の壁が共通になってます。


176
建物は崩壊の危機にあり、修復するにしても莫大な費用が見込まれてます。
その費用の捻出は困難な見通しで、活動停止は時間の問題とされてます。


171
修道院の城壁からの景観


172
サンタ・マリア・ディ・ヴァッレグローリア修道院の横に旧サンタ・バルバラ教会があります。


173
サンタ・バルバラ教会は、16世紀中頃に建設され、1571年に奉献式が執り行われました。


174
旧サンタ・バルバラ教会の後に塔があります。1239年頃に建設されたCassero del Pianelloの一部として建てられた塔です。


175
サンタ・マリア・ディ・ヴァッレグローリア修道院と旧サンタ・バルバラ教会の間にある、Porta Montanaraです。


179
旧市街の中心に向かう道を少し下ると、サン・ビアージョ祈祷所(オラトリオ)があります。


180
この辺に1430年から1460年に建設された病院がありましたが、病院の礼拝堂として併せて建設されました。


181
現在はサン・ロレンツォ教会の管理下に置かれてます。15世紀に描かれた、かなり痛みがあるフレスコ画があるようです。


182
写真左の建物は旧病院です。
旧市街の中心に向かって道を下ります。


183
Palazzo Preziosi


184
更に道を下ります。


185
町角のフレスコ画


186
ウンブリアらしい建物が並んでます。


189
Palazzo Comunaleのロッジャに戻りました。


188
ロッジャの中に入りました。


187



191
次はPorta Venereです。


192
Porta Venereは、町の南端にあります。


196
二本の塔の間にあるPorta Venereです。


198
紀元前1世紀のローマ時代に築かれた門です。ローマ時代に築かれた門がこれを含めて6つありました。


199
こちらのローマ時代のオリジナルの門のようです。


197
12角形の2本の塔は、Torri di Properzioと呼ばれてます。


200
門の城壁からの景観


201
風情がある建物です。


203
この後、市立絵画館、サンタ・マリア・マッジョーレ参事会教会などに行きましたが、重複するので、この辺で終わりにしましょう。


204
(おわり)

098
カヴール通りです。イタリア統一以前の通りの名称は?


100
町の中心、共和国広場です。


099
1270年に建設されたPalazzo Comunale 市庁舎です。町役場というべき?


101
詳細不知の「受胎告知」のフレスコ画


103
Fontana di Palazzo Comunale


102
Palazzo Comunaleのロッジャに入ります。


104
ロッジャにスペッロの遺跡からの発掘物が展示されてます。


105
説明板などがないので、展示物の具体的なことが分かりません。


106


107
旧フェリーチェ神学校だったPalazzo Rosiです。


108
Palazzo Rosiにオラトリオがあります。


126
目立たないので見逃すかも知れません。


125
Oratorio di San Giovanni Battistaの入り口です。


124
13世紀前半、サン・ジョヴァンニ・バッティスタ女子修道院の礼拝堂だったとされてます。1348年の文書に礼拝堂の存在が最初に記載されました。
1643年、フェリーチェ神学校内に再建されました。


119
中に入りました。
単廊式、バロック様式です。スタッコ彫刻が目立ちます。


115
主祭壇は、逸名スタッコ彫刻家による「キリストの洗礼」(17世紀後半‐18世紀初め)です。


116
逸名彫刻家作「聖アンブロージョ」


117
逸名彫刻家作「聖アゴスティーノ」


118
詳細不知


120
説教壇


123


122
アンドレア・カマッセイ(ベヴァーニャ、1602‐ローマ、1649)の「アレッサンドリアの聖カテリーナとその生涯の物語」(17世紀前半)


121
マルカントニオ・グレッキ(スペッロ、17世紀前半活動)の「天上の聖母子と3聖人(聖ジョヴァンニ・バッティスタ、聖アポッロニア、聖カルロ・ボッロメオ)」(1613)


109
オラトリオの斜め前にサン・ロレンツォ教会があります。


110
この日は扉が閉まっていました。
1438年、シエナの聖ベルナルディーノがこの教会で説教をしたと伝えられてます。


111
それにしてもユニークなファサードです。


127
静かで誰もいない所が実に良い。


128
2月の町歩きは最高です。


129
サン・マルティーノ教会に向かってます。


130
花祭りの頃になれば、花一杯の小道になって観光客が訪れることでしょう。


131
ウンブリアらしい建物です。


132
緩い坂道を上り、更に坂を下れば目指す教会があります。


133
サン・マルティーノ教会が見えてきました。


134
13世紀に建設されたサン・マルティーノ教会です。


135
予想通り扉が閉まっていました。
15世紀初めに描かれたフレスコ画があるそうですが、見たことがありません。
所謂”貧しい教会”の範疇に入ってます。


136
サン・マルティーノ教会から少し進むと城壁沿いの道に出ます。そこからの景観です。


137
丘の上に築かれた町と実感できる光景です。


139
アウグストクスのアーチ通りを進みます。この先にアウグストクスのアーチがあります。


142
Arco di Augustusです。アウグストクスの時代よりも前に築かれた門です。


501
この付近は町の最高地点だそうです。


143
雪を抱いた山が見えます。
(つづく)

055
サンタンドレア教会です。
教会に関する最初の言及文書は1025年に遡ると言われてます。
1253年、教会はフランチェスコ会の所有となり、その後すぐに修道院の建設が始まったとされてます。


092
16世紀、17世紀、20世紀に改修工事が行われました。
併設の修道院は、1810年、ナポレオンによって閉鎖されました。その後、宗教活動を再開されることなく、建物は女児孤児院として使用されるようになりました。


093
教会の身廊と旧修道院だった建物


094
教会の後陣


095
教会ですが、一部要塞のような造りです。


056
この日、扉が開いてました。


057
中に入りましたが、点灯されておらず暗くて困りました。


060
それでも暗い中を目を凝らして拝観しました。


064
主祭壇と後陣


086
太陽が出てきたようで、多少明るくなりました。


069
Maestro Umbro-Giotescoの「彩色磔刑像」(13世紀末‐14世紀初め)
ジョッテスキ画家の作品です。


081
少し明るくなってきました。


083
単廊式、ラテン十字形の内部です。


084
左右の側壁に壁龕礼拝堂が設けられてます。


085
身廊天井


087
後陣のフレスコ画は20世紀初めに描かれた新しいものです。


072
後陣のフレスコ画は、べンヴェヌート・クリスポルディ(スペッロ、1886‐1923)の「12使徒」(1913)です。


073
後陣天井


074


088
聖体容器(15世紀後半)


058
Maestro di Santa Giuliana (?)のフレスコ画(14世紀)


059
コーラ・ペトルッチョーリ(オルヴィエート、1360‐ペルージャ、1401)周辺の逸名画かによるフレスコ画(14世紀後半)


061
トンマーゾ・コルボ(ウンブリア、1507‐1532活動記録)の「聖母子と聖アンナとバーリの聖二コラと聖ロッコ」(1532)


062
アッシェンスィドーニオ・スパッカ通称イル・ファンティーノ・ダ・ベヴァーニャ(ベヴァーニャ、1557‐1646)の追随者による「天上の聖母子とアレッサンドリアの聖カテリーナと聖ルチア」(16世紀後半)


063
ドーノ・ドーニ(アッシジ、1500c‐1575)の「聖ジョアッキーノと聖アンナの出会い」(1565)


065
ピントゥリッキオの祭壇画は暗くてよく見えません。


066
これには困りました。


067
パドヴァの聖アントニオ礼拝堂(17世紀)


076
急に点灯されました。嬉しかった!


070
早速見に行きます。


071
ベルナルディーノ・ディ・ベット通称ピントゥリッキオ(ペルージャ、1454‐シエナ、1513)と協力者による「玉座の聖母子と聖アンドレア(左から)、聖ルドヴィーコ、聖フランチェスコ、聖ロレンツォと聖ジョヴァンニーノ」(1507‐08)
協力者としては、エウセビオ・ダ・サン・ジョルジョ(ペルージャ、1507から記録‐1550没)とジョヴァンニ・ディ・フランチェスコ・チャンベッラ通称イル・ファンタジア(ペルージャ、15世紀末‐16世紀前半活動)2人が明らかになってます。
エウセビオ・ダ・サン・ジョルジョはペルジーノの弟子です。


075
チェーザレ・セルメイ(チッタ・デッラ・ピエーヴェ、1581‐アッシジ、1668)の「ベアート・アンドレア・カッチョ―リのレッジョ・エミリアでの奇跡」(1610)


079
左翼廊


080
スポレートの逸名画家作「聖母子」(14世紀前半)


089
クーポラ


090


091


077
もう一度ピントゥリッキオの祭壇画を見ます。


078
隣のサンタ・マリア・マッジョーレ参事会教会のピントゥリッキオのフレスコ画は写真不可ですが、非常に不可思議に思います。


096
中々良かった!


097
(つづく)

001
時は遡って、2013年2月のスペッロです。


002
建物などの写真を撮ったり、芸術作品などをゆっくり鑑賞するには、観光オフシーズンの2月が最適です。何せ空いてますから。


003
スペッロ駅の駅舎
しかし、中国人がイタリアに押し掛けるようになってからは、例え2月であっても旧正月の前後は彼らで席捲されることがあって、要注意です。
この日、スペッロ駅で下車したのは私を含めて3人でした。


004
写真右端に写っているワンちゃんが愛嬌良しで、暫し遊びました。


005
朝靄に煙る旧市街


007
丘上に築かれた町が多いウンブリア州です。
町の先、遠くに見える山頂は雪を抱いてました。


011
旧市街に向かう道路は工事中でした。


012
城壁


013
旧市街の入り口となっている、紀元前1世紀に建てられたPorta Consolareです。スペッロは、古代ローマの植民地として発展しました。


014
てっぺんに木が生えている塔は、Torri di Borgoと呼ばれてます。中世に建設されました。


015
門の下にローマ時代の遺跡があります。


018
ローマ時代の遺跡は、現在の地表よりも約2m低い位置にあります。


016
Porta Consolareの横に建つPalazzo Feliceです。


017
Porta Consolareの前の広場はケネディ広場と呼ばれてます。ケネディと名付けられている橋、通りなどがイタリアにありますが、アメリカ大統領のJ.F.ケネディとどのような関係があるのでしょうか?


019
自動車はPorta Consolareを通れないので、少し迂回して、この門から城壁内に入ります。
Porta Consolare近くにもう一つ門があります。


500
Portanaccioです。


P2360832
城壁内から見たPortanaccioです。


020
Porta Consolareを潜って城壁内に入りました。


021
花祭りと違って邪魔なものがありません。


023
Via Borgo San Sistoに寄り道します。


025
春になると花一杯になる通りです。


024
私以外の観光客がいなかった。


026
坂を上るにしたがって鐘楼が見えてきました。


027
咲いていたのはシクラメン、ゼラニウムくらいでした。


028
Oratorio di San Bernardinoだった建物です。


029
民家に転用されているそうですが、毎日後陣のフレスコ画を見ながら生活できて羨ましい。


030
旧サン・ミケーレ・アルカンジェロ教会です。


031
Cappella Tegaについては、(その4)で触れましたので省略します。


041
ドゥオーモに向かいます。


042
町一番の目抜き通りVia Consolareです。


043
ドゥオーモ、サンタ・マリア・マッジョーレ参事会教会にやってきました。


044
残念ながらドゥオーモの扉が閉まっていました。


046
気になるコリント式柱2本


047
旧修道院だった建物


048
ドゥオーモのファサード前のマッテオッティ広場


049
市立絵画館の開館は午前10時半からですが、もう扉が開いていました。


051
静かなものです。


050
参事会教会の鐘楼


053


052
参事会教会向かいにあるサンタ・マッダレーナ教会です。


054
この通りは後で行きます。
(つづく)

P2360988
サンタンドレア教会の扉は閉まったままです。


P2360989
この町で2泊の予定でしたが、市立絵画館を見てしまうと、やることがないのを知って愕然。


P2370216
まだ1日半あります。


P2370217
花祭りの準備状況を見る以外にありません。


P2370218
残るはテガ礼拝堂くらいです。


P2370219
写真右は、Cappella Tega またはサンタンナ礼拝堂と呼ばれている礼拝堂です。


P2370220
この付近に聖アンナ友愛同信会の病院がありましたが、その病院付属の礼拝堂です。
建設された年は特定されてませんが、15世紀の公証書にこの礼拝堂の記載があります。
1895年から20世紀初頭にかけて、礼拝堂の建物は店として使用されていましたが、店の主人の一人である仕立屋ピエトロ・テガがフレスコ画を発見したことで、Cappella Tegaの呼称となりました。


036
礼拝堂の壁に描かれたフレスコ画が有名です。


037
今は閉じられているが、2017年の修復以前には側壁のガラス窓の一か所が開けられていて、そこから中を覗くことが出来ました。


P2370221
ガラス窓越しではフレスコ画が良く見えません。また、写真の方もガラスに向かいの景色が映ってしまって、良く撮れません。


032
2人の画家によってフレスコ画が描かれたことが分かってます。
天井部分のフレスコ画は、ピエトロ・ディ・ジョヴァンニ・マッツァフォルテ(フォリーニョ、1404‐1463)に帰属します。


035
フレスコ画は、逐次修復が行われているようで、撮った時期によってフレスコ画の状態が違います。


8
ピエトロ・ディ・ジョヴァンニ・マッツァフォルテ(フォリーニョ、1404‐1463)に帰属する「聖母子と聖アンナ」


038
保存状態があまり良くないと思います。


039
ニッコロ・ディ・リベラトーレ通称ニッコロ・アルンノ(フォリーニョ、1430‐1502)の「磔刑」(1461)


9
最近の修復後の磔刑


10
この部分はニッコロ・アルンノの作品と特定されてます。


11


034


033


040
Cappella Tegaの番地です。


P2370222
道の突き当りに教会の建物があります。


P2370223
1444年に奉献式が執り行われた旧Oratorio di San Bernardinoです。
現在は民家となってます。


P2370224
ファサードのフレスコ画「聖ベルナルディーノ」


P2370226
このまま、この町にいても面白くないので、午後は何処に行こうかと考えていました。


P2370227



P2370228
花祭りの準備が着々と進んでます。


P2370229
ここはかなり具体的に準備してました。


P2370230
花で埋め尽くす設計図が用意されてます。


P2370232
成程こうやってやるのか、と感心しました。


P2370233
Porta Consolare


P2370234


P2370236
ここの準備はどうでしょうか。


P2370239
設計図が用意されてます。


P2370237
ケネディ広場


P2370238
まだ11時半です。昼食には少し早すぎます。


P2370240
詰まらないので、隣のフォリーニョに行くことにしました。


P2370241
駅に向かいました。


P2370242
駅は静かでした。


P2370243フォリーニョ行きの列車に乗りました。
(つづく)

P2360950
サンタ・マリア・マッジョーレ参事会教会に戻ります。


P2360951
共和国広場


P2360956
徐々に観光客が増えてきました。この町の宿泊施設は非常に限られていますが、何処からやってきたのか不思議です。


P2360957
花祭りの準備が中々進みません。


P2360958
教会のファサード前に観光客が沢山いたのを見て、バールで一息入れながら空くのを待機。


P2360959
Pinacoteca CivicaがあるPalazzo dei Canonici


P2360961
少し空いてきました。
ジュノーネとヴェスタに捧げられた神殿がこの地にありましたが、、その上に建てられた教会です。創建された年が明らかになっていませんが、11世紀初めとされてます。1025年に奉献された記録が残されており、カマルドレ会のサン・シルヴェストロ・ディ・コレピーノ修道院の一部として建設された教会です。


P2360964
1159年、教区の所有教会となりました。13世紀後半に完成したロマネスク様式の教会です。


P2360962
ファサードの彫刻はベヴァーニャの彫刻家によって12世紀に制作されたものです。


P2360963
ファサードは、1644年に改修されており、改修後の姿を見ていることになります。


P2360965
サンタ・マリア・マッジョーレ参事会教会の中に入りました。


P2360966
単廊式、ラテン十字形の内部です。


P2360967
1580年の火災によって内部の大部分が大きな被害を受けたので、古いものはあまり残ってません。


P2360969
フェリーチェ・リナルディの「聖母の誕生」(17世紀)


P2360970
バルトロメオ・ダ・ミランダ(ウンブリア、15世紀活動)の「聖母子」


7
ピエトロ・バンヌッチ通称ピエトロ・ペルジーノ(チッタ・デッラ・ピエーヴェ、1446‐フォンティニャーノ、1523)の「ピエタ」(1521)


P2360973
マルカントニオ・グレッキ(?‐1650)の「聖母被昇天」(17世紀)


P2360975
アンドレア・カマッセイの追随者作「聖母の結婚」(1671)


P2360977
詳細不知


P2360981
ピントゥリッキオのフレスコ画で有名なバリオーニ礼拝堂です。1580年の火災でも奇跡的に無傷でした。
礼拝堂は拝見有料で写真不可です。
仕方がないので、外部サイトから拝借したフレスコ画の作品画像を掲載します。


2
ベルナルディーノ・ディ・ベット通称ピントゥリッキオ(ペルージャ、1454‐シエナ、1513)の「ご誕生」(1501)
「マギの行列」も描かれてます。


3
ベルナルディーノ・ディ・ベット通称ピントゥリッキオ(ペルージャ、1454‐シエナ、1513)の「キリストと教会博士たちとの問答」(1501)
写真不可なのに、何故このような写真があるのか?


4
ベルナルディーノ・ディ・ベット通称ピントゥリッキオ(ペルージャ、1454‐シエナ、1513)の「受胎告知」(1501)
多分、その理由は「差別」でしょうね。


5
ピントゥリッキオによる礼拝堂天井のフレスコ画


6
ピントゥリッキオの自画像です。自負の現れで自画像を描いたのでしょう。


P2360976
出たり入ったりの人が多くて、とてもゆっくりと見てられない。


P2360984
外に出ました。


P2360985
美術鑑賞にはお祭り当日は不適です。


P2360982
次は絵画館です。


P2360983
市立絵画館があるPalazzo dei Canonici外壁入口上ルネッタのフレスコ画の痕跡


P2360986
市立絵画館の入り口


P2360987
コモ出身の建築家ドナート・ダ・コモによって1542年に建設されたPalazzo dei Canonici


P2360990
絵画館は1階(日本の2階)にあります。


P2360991
1994年に開館したスペッロ市立絵画館には、スペッロとその周囲の教会などから集められた作品や個人からの寄付作品が展示されてます。


P2360993
展示室は8室から成ってます。


P2370043
市立絵画館については、項を改めて詳しく触れることにします。


P2370073
入館者はちらほら。


P2370116
町の規模を考えると、出来の良い作品が並んでいると思います。


P2370130
美術ファンにとって、ここは必訪です。


P2370159
しかし、美術ファンは少ないのです。


P2370178
(つづく)

P2360865
絵画館は未だ開いていません。


P2360866
この辺はカヴール通り? 一本の道ですが、場所によって通りの名称が違います。


P2360867
マッテオッティ広場


P2360868
サンタンドレア教会は閉まっていました。


P2360873
拝観は後程


P2360869
Via Torri di Properzio


P2360870
案内標識が完備されてます。


P2360875
写真右がサンタンドレア教会です。


P2360876
城壁の方に行ってみます。


P2360877
サンタンドレア広場


P2360878
ウンブリアらしい建物が並んでます。


1
Rocca Baglioni


P2360879
サンタ・マリア・マッジョーレ参事会教会の後陣


P2360880
サンタ・マリア・マッジョーレ参事会教会の鐘楼


P2360881
城壁下の景観


P2360882
霞がかかった空


P2360884
次は共和国広場です。


P2360886
一旦カヴール通りに出ました。


P2360890
共和国広場にやってきました。


P2360889
時計がある建物はPalazzo Comunale 町役場です。


P2360955
時計の下に受胎告知のフレスコ画があります。


P2360954
Palazzo Comunaleの受胎告知


P2360891
Palazzo Comunaleにある、スペッロの紋章


P2360893
次はサン・ロレンツォ・マルティレ教会です。通りの左側に教会のファサードが写ってます。


P2360946
サン・ロレンツォ・マルティレ教会です。
教会建設の経緯や教会が建設された日時が諸説あって明確になっていないようです。
1120年創建、1127年創建、1191年から1198年に建設されたなど、諸説ありますが、12世紀に建設されたことは確かとされてます。
しかし、1228年に教皇グレゴリオ9世によって奉献されたという確実な記録が残されてます。


P2360948
ロマネスク様式のユニークなファサードが特徴です。


P2360947
ファサードの入り口周囲の装飾


P2360899
17世紀に大掛かりな修復が行われました。


P2360907
教会内に入りました。


P2360910
三廊式です。


P2360911
創建以来、修復改修が数度行われたので、創建時のロマネスク様式のものは殆ど残されていません。


P2360912
身廊天井


P2360900
左側廊の礼拝堂から見て行きます。


P2360902
ドーノ・ドーニ(アッシジ、1500c‐1575)の「聖母子と聖ジュゼッペと聖マルコ」(1530)


P2360903
左側廊


P2360904


P2360906
ペルージャの逸名画家作「キリストの洗礼」(16世紀後半)


P2360914
詳細不知


P2360916
詳細不知


P2360917
サン・フェリーチェ礼拝堂


P2360918
ジョヴァンニ・バッティスタ・バソッティの「聖フェリーチェの殉教」(1637)


P2360919
主祭壇


P2360921
フェーボ・ダ・モンテファルコ(ウンブリア、16世紀活動)とポンぺオ・ディ・ピエルジェンティーレ・コッキ(コルチャ―の、1490‐1552)の「聖ロレンツォの尋問」


P2360923
フェーボ・ダ・モンテファルコとポンぺオ・ディ・ピエルジェンティーレ・コッキの「聖ロレンツォの判決」


P2360925
フランチェスコ・ダ・カステッロ(ブリュッセル、1540‐ローマ、1621)の「キリストと聖母の煉獄の魂の栄光」(1599)


P2360926
マルカントニオ・グレッキ(?‐1650)の「聖フランチェスコと2天使」


P2360927
フランチェスコ・ダ・カステッロ(ブリュッセル、1540‐ローマ、1621)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの殉教」(1601)


P2360931
詳細不知


P2360932
三位一体礼拝堂(1874)


P2360933
フォリーニョの逸名画家作「聖ベルナルディーノ」(15世紀)


P2360936
入り口近くの右壁ニッチに描かれたフレスコ画


P2360938
マニエリスム逸名画家作「2天使」(16世紀)


P2360941
バルトロメオ・ダ・ミランダ(ウンブリア、15世紀活動)に帰属する「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」(1435)


P2360943
詳細不知


P2360944
右側廊


P2360945


P2360949
外に出た。
(つづく)

スペッロは、人口8,562人(2018年10月31日現在)のウンブリア州ペルージャ県にあるコムーネです。
P2360814
ペルージャ駅からフォリーニョ行きの普通列車に乗ってスペッロに向かいました。


P2360820
スペッロ駅に到着しました。


P2360819
止せば良いのに、わざわざ花祭り Infiorataが行われる週末にやってきました。


P2360821
駅舎 
無人駅です。


P2360822
駅から旧市街に向かう道です。
先ず、この日のお宿に向かいました。


P2360823
高速道路の下を潜ります。


P2360824
グリエルモ・マルコーニ通り


P2360825
旧市街が見えてきました。


P2360826
近くのコムーネと同じく丘上に築かれた町ですが、丘の高さが若干低いように思います。


P2360827
この日のお宿は、城壁外にありますが、城壁内に通じる門の直ぐ傍にあります。


P2360828
花祭りということで、青空市は専ら花屋さんの店。


P2360829
祭りの準備が進んでます。


P2360830
ケネディ広場


P2360831
Palazzo Felice


P2360833
門の向こうのアルベルゴに大きな荷物を預けて、身軽になって町歩きに出発しました。


P2360832
花祭りが開催される週末の土日2泊したのですが、花祭りの喧騒は趣味に合わないので、土曜の午後はフォリーニョへの日帰り遠足、日曜日はアンコーナへの日帰り遠足をしました。


P2360834
テントの下に下絵があって、それを色の異なる花で一杯にします。


P2360835
城壁内に入ります。


P2360838
Torri di Borgo


P2360837
Porta Consolare


P2360836
Via Consolareを進みます。


P2360839
車が通過できるように城壁を刳り抜いて出来たアーチ?


P2360840
花祭り前の土曜日の午前中ですが、既に観光客の人出が多い。


P2360841
坊や、何を見てるの? 


P2360842
サンタンジェロ通り


P2360843
塔の上に木が生えている!


P2360844
花祭り開催日は、古い建物や教会を巡るのは不向きと確信しました。
実は、アルベルゴを予約した時、花祭りの週末とは知りませんでした。


P2360845
緩い坂道です。


P2360846
今歩いた道を振り返って撮った写真。下絵がまだありません。


P2360848
この町に来たのは、これで3度目です。


P2360852
ボルゴ・サン・シスト通り


P2360847
次の目的地はサンタ・マリア・マッジョーレ参事会教会、この町のドゥオーモです。


P2360853
突き当りに見える教会はサン・ミケーレ・アルカンジェロ教会です。


P2360854
既に機能を停止した旧教会で、民有となってます。コムーネ発行の地図には教会名が記載されてません。それどころか教会の存在自体も書かれてません。


P2360856
私が秘かに命名したウンブリア様式(石積み)の建物に惹かれます。


P2360857
Largo San Veronica


P2360858
参事会教会はもう直ぐです。


P2360859
サンタ・マリア・マッジョーレ参事会教会のファサード前の観光客


P2360860
中に入りました。


P2360861
ピントゥリッキオのフレスコ画がある礼拝堂は、拝観有料となって方、すっかり博物館化しました。


P2360862
この時、団体客の一行が2組来たので、拝観を遠慮しました。


P2360863


P2360864
早々に退散しました。
(つづく)

P1080414
1518年に建設されたVilla Pallavicinoです。
ヤコポ・バロッツィ・ダ・ヴィニョーラ通称イル・ヴィニョーラ(ヴィニョーラ、1507‐ローマ、1573)、またはドナート・ブラマンテ(フェルミニャーノ、1444‐ローマ、1514)の設計と言われてますが、私としては、この説に疑問を持ってます。イル・ヴィニョーラは、このヴィッラの完成した1518年にはわずか11歳ですから設計者としては有り得ないと思います。ブラマンテが最晩年に設計し、死後にヴィッラが完成したことは有り得ますが、晩年のブラマンテの活動を考えると、設計者の確率は極めて低いと思います。


P1080416
1530年、神聖ローマ帝国皇帝カルロ5世の宿泊所として、パッラヴィチーノ家がこの建物を購入しました。それ以降、ヴィッラ・パッラヴィチーノと呼ばれることになりました。
1543年、このヴィッラでカルロ5世と教皇パオロ3世の面会が実現します。


P1080420
国立ヴェルディ博物館に入館しました。


P1080423
カルロ5世と教皇パオロ3世の邂逅を描いた絵画


P1080421
この時は館内写真不可でした。


P1080422
ヴィッラの門


P1080417
ヴィッラは堀に囲まれて建ってます。


P1080418
イタリア・オペラ好きには必訪と言える博物館でしょう。


P1080424
次は、Villa Pallavicinoの向かいに建っているサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会修道院です。


P1080425
15世紀中頃、パッラヴィチーノ州を作り、その支配者だったロランド・パッラヴィチーノ(ブッセート、1393‐1457)が、この地に教会を建設することを決めましたが、その生前には実現せず、教会建設を遺言しました。その遺言に基づき、ロランドの息子兄弟によって1470年から1474年に建設された後期ゴシック様式の教会です。
併設の修道院は1472年から1474年に建設されました。


P1080427
ファサード前の庭に白鳥の置物があります。


P1080429
1475年、教会と修道院はフランチェスコ会修道士に引き渡されました。


P1080430
幾つかの芸術作品がある教会修道院として知られてます。
その一つが入口扉上ルネッタのフレスコ画です。アントニオ・カンピ(クレモナ、1522‐1587)の「聖母被昇天とフランチェスコ会修道士たち」(1580c)


P1080431
もう一つの扉上のフレスコ画もアントニオ・カンピの作品です。


P1080428
扉が開いていました。


P1080432
中に入りました。


P1080434
四廊式、ゴシック様式の内部です。


P1080459
左側に2つの側廊があります。


P1080460
左側に修道院への通路がありますが、この日は閉鎖されていました。


P1080461


P1080433
右側壁


P1080458
右側廊


P1080435
16世紀の逸名彫刻家作「Madonna delle Grazie」(16世紀)


P1080462
Cappella di Sant'Antonio


P1080437
制作者情報不知の「聖アントニオの祭壇」(19世紀)


P1080465
一部がモザイク


P1080464


P1080439
ゴシック様式逸名画家作「Madonna del Canale」(15世紀)


P1080444
詳細不知


P1080445
詳細不知


P1080446
グイド・マッツォーニ(モデナ、1450‐1518)の「嘆き」(1475‐76c)


P1080447
グイド・マッツォーニの代表作の一つです。


P1080451
中央礼拝堂後陣の磔刑像


P1080453
詳細不知の主祭壇画


P1080454
ニコロ・デッラバーテ(モデナ、1510c‐フォンテーヌブロー、1571)の「十字架を担ぐキリスト」(1543‐44c)


P1080457
アントニオ・カンピ(クレモナ、1522‐1587)の「聖母子と聖フランチェスコ」(1580)


P1080450
主祭壇前から見た出入口方向


P1080468
外に出ました。


P1080466
立ち去る前に、もう一度ファサードを見ました。


P1080467
道の両側に低い城壁があります。


P1080469
(おわり)

P1080375ヴェルディ広場です。


P1080377
先ほど一息入れたカフェです。


P1080362
町歩きを続けます。


P1080382


P1080378
小さな町なので、どうしても同じ場所に何度も来てしまいます。


P1080384
時間が経ちません。


P1080386
この町には苛烈な歴史がありますが、それに触れずにさらっとやりましょう。


P1080387
この日、ここに泊まってオペラを楽しむ予定でした。


P1080388
残念ながら、それを果たせずに終わりました。


P1080389
次はヴェルディ博物館ですが、当時、午後の開館は午後3時からなので時間潰しが必要でした。


P1080390
ヴェルディ博物館は、ブッセート郊外、旧城壁外の駅近くにあります。


P1080391
博物館の開館時間に合わせるために、あちこち歩いて時間潰しです。


P1080392
何処を歩いても人通りが少ない。


P1080393
元々人口が少ないので、人通りが少ないのは当たり前です。


P1080394
ローマ通りの柱廊


P1080395
道を間違えるはずがないと高を括って歩いていました。


P1080396
どうやら道に迷ったみたい。


P1080397
東洋風の門?


P1080398
電柱がありません。


P1080399
電線を地下に埋設するにはコスト高となるので難しいと言っている我が国ですが、イタリアで出来て我が国に出来ないのは不可思議です。


P1080400
地上部分の電線


P1080401
電柱頼りは、何時も電力会社側に立つ政府施策の一環でしょう。


P1080402
電線が地上に出ている部分


P1080403
経済状態が日本より悪いイタリアに出来て、日本で出来ない電柱問題です。


P1080404
Rocca Pallavicinoに戻ってきました。


P1080406
午後3時を過ぎました。


P1080405
ここで一休みしました。


P1080407
道を間違えないように、素直にローマ通りを通ってヴェルディ博物館に向かいました。


P1080408
柱廊を進みました。


P1080410
監視カメラが結構あります。


P1080409
どうせ道草しても見どころがない。


P1080411


P1080412
博物館はもう直ぐです。


P1080413
ヴェルディ博物館があるVilla Pallavicinoに着きました。
(つづく)

P1080329
ヴェルディ像の後方に建っているのは、985年着工のRocca Pallavicinoです。


P1080333
1216年、ピアチェンツァ・ミラノ連合軍によってRoccaは破壊されましたが、1249年、神聖ローマ帝国皇帝フレデリック4世によって再建されました。


P1080339
Rocca Pallavicinoは、1543年、カルロ5世と教皇パオロ3世が邂逅した地として有名です。
時計塔下のアーチを潜って一旦中庭に出ます。


P1080340
中庭の南側の建物


P1080342
中庭からヴェルディ広場の反対側に出ます。向こう側は普通の住宅地となってます。


P1080344
Rocca Pallavicinoの裏側
1856年、Rocca Pallavicinoは、パルマ公爵からブッセートのコムーネに売却されました。当時のRoccaは非常に荒廃していたので、そのままでは使用不可でした。荒廃していた部分を取り壊して、一部を除いて再建されることになり、1857年から1868年にかけて現存する大部分が新古典様式で再建されたものが現在の姿です。


P1080343
広場に面した時計塔と狭間のある塔の部分は16世紀のものです。


P1080341
ヴェルディ広場側に出ます。


P1080379
Rocca Pallavicinoのファサードに向かって時計塔の左側はPalazzo Comunale、時計塔の右側がTeatro Giuseppe Verdiです。


P1080338
1857年から1868年に建設されたTeatro Giuseppe Verdiです。


P1080347
公演がない日は一般公開されてます。この日は公演日でした。


P1080346
客席数が僅か307席の小さな劇場ですが、オペラが上演されてます。毎年10月にパルマとその近郊で開催されるヴェルディ・フェスティヴァルの会場になってます。


1
劇場内部


P1080344
この日の演目はヴェルディの「ファルスタッフ」でした。


P1080351
オペラ上演の実態は、パルマ・オペラ座の出張公演です。


P1080345
ヴェルディ広場近くの教会を見に行きます。


P1080332
広場の端に教会が建ってます。


P1080354
ローマ通りを越えます。


P1080352
サン・バルトロメオ参事会教会 Collegiata di San Bartolomeoです。


P1080353
1437年に着工されたゴシック様式の教会です。


P1080355
ファサードのフレスコ画の痕跡


P1080364
後陣と鐘楼


P1080363
ブッセートのドゥオーモに相当しますが、地元ではドゥオーモと呼ばれていないようです。


2
1767年、ロココ式に改修された内部です。


3
ミケランジェロ・アンセルミ(ルッカ、1491/1492-パルマ、1556)によって1538年から1539年にかけて制作されたフレスコ画


4
ミケランジェロ・アンセルミのフレスコ画


P1080359
サン・バルトロメオ参事会教会の右奥に、14世紀から15世紀に建設されたOratorio della Santissima Trinitaがあります。


P1080358
1836年、ジュゼッペ・ヴェルディとヴェルディの最初の妻マルゲリータ・パレッツィと結婚式を挙げた祈祷所として有名です。


P1080373


P1080374


P1080366
ローマ通りの突き当りにも教会があります。


P1080371
サンタ・マリア広場に面して建つサンタ・マリア・アンヌンツィアータ教会です。


P1080370
前身は、1472年から1518年に建設された病院付属の礼拝堂です。病院は後に取り壊され、独立した礼拝堂になりました。
新古典様式の現在の建物は、1804年に再建された二代目のものです。


P1080369
1805年、ジュゼッペ・ヴェルディの両親がこの教会で挙式しました。


P1080368
サンタ・マリア広場にあるメルカト


P1080367
この辺がブッセートの中心地となります。


P1080372
サンタ・マリア広場から見えるサン・バルトロメオ参事会教会の鐘楼


P1080356
(つづく)

P1080291
ブッセート駅に到着しました。


P1080471
ブッセートは、人口6,939人(2018年1月1日)のエミリア・ロマーニャ州パルマ県にあるコムーネです。
駅名が入った写真がないと様にならないので、列車が発車するのを待って、向かいのホームから写真を撮りました。


P1080472
無人の小さな駅ですが、駅のトイレが使用可能です。
無人駅でもトイレがあるのが普通ですが、そのトイレは施錠されていて使用できないことが殆どです。折角なので利用させて頂きましたが、ブッセートのトイレは非常に清潔でした。


P1080292
駅舎です。
ブッセートは、ジュゼッペ・ヴェルディ所縁の町として有名です。ジュゼッペ・ヴェルディ(レ・ロンコーレ、1813‐ミラノ、1901)は、ブッセートの分離集落 Frazioneのレ・ロンコーレで生まれ、1824年にブッセートに移住してきました。


P1080294
田舎の佇まいの駅前広場


P1080293
旧市街に向かいます。


P1080296
Cappella della Madonna Rossaを通り過ぎます。


P1080297
駅から旧市街の入り口までは徒歩数分の僅かな距離です。


P1080298
頃合はブッセートで最も賑わいを見せる、ヴェルディ・フェスティヴァルが開催される10月です。


P1080299
緑豊かで、長閑な町です。


P1080300
住宅地


P1080301
Istituto Compresivo Busseto


P1080303
小学校です。


P1080302
この辺が旧市街の入り口になります。


P1080304
町の目抜き通りであるローマ通り


P1080305
この日、快晴、気温20℃くらいで絶好の町歩き日和でした。


P1080306
Busseto Terra di Verdiの横断幕が掲げられてます。


P1080308
この日はヴェルディ・オペラの上演日でした。


P1080307
ローマ通りと交差する道は静寂に包まれていました。


P1080309
尤もローマ通りも人通りが少なく、静かでした。


P1080310
この日のことは思い出したくないので、適当に書いておきます。


P1080311
柱廊が完備されてます。


P1080312
イエズス会の旧大学です。


P1080314
1617年から1682年に建設されたサンティグナツィオ・ディ・ロヨラ教会です。


P1080313
1613年、ラヌッチョ1世ファルネーゼ(パルマ、1569‐1622)がイエズス会に対して、ブッセートを活動拠点にして良いとの許可を与えたことにより、大学と教会が建設されました。
しかし、イエズス会の勢力はそれだけに留まらず、この町の多くを勢力下に置きました。
ヴェルディもこの大学で学びました。


P1080315
ローマ通りは全長500mくらい?でしょうか。


P1080316
1679年から1682年に建設された、バロック様式のPalazzo del Monte di Pietaです。


P1080317
ローマ通りを更に進みます。


P1080318
柱廊が続いてます。


P1080319
通りの突き当りにある教会が見えてます。


P1080320
Palazzo Orlandi


P1080321
19世紀初頭に建設された新古典様式のPalazzo Orlandiです。
1845年、ヴェルディは、22,000リラの大金で、このPalazzoを買いました。1849年、ソプラノ歌手で、ヴェルディの後妻ジュゼッピーナ・ストレプトニと一緒にこのPalazzoで住むようになりました。


P1080322
ヴェルディとストレプトニがここで住むには色々と問題が生じました。その辺の詳細はここでは触れませんが、やがて、このPalazzoはストレプトニの所有となりました。


P1080323
現在はSIAEが所有しています。


P1080324
ヴェルディ広場は直ぐ傍です。


P1080325


P1080326
広場にやってきました。


P1080327
ヴェルディ広場です。


P1080328
広場に面したカフェで一休み。


P1080331
広場にあるのは勿論ヴェルディ像です。


P1080332
(つづく)

P2860108
聖杯(13世紀)


P2860109
ヴェルチェッリの金工家作「聖杯」(1879)


P2860113
ヴェルチェッリの金工家作「聖杯」(1854)


P2860116
イタリア製「聖杯」(20世紀)


P2860119


P2860120


P2860121
次の展示室です。


P2860122
意味不明な剥離フレスコ


P2860124


P2860126


P2860127


P2860128
次の部屋です。


P2860130
柱頭(3‐4世紀)


P2860133
柱頭(2‐3世紀)


P2860136


P2860137


P2860138


P2860139


P2860141


P2860143


P2860144


P2860146


P2860147


P2860149
聖人たち


P2860151


P2860152


P2860154
聖パオロ


P2860157
聖ジョヴァンニ・バッティスタ


P2860159
聖カルロ・ボッロメオの襟着


P2860162


P2860164


P2860165


P2860167
ヴェルチェッリの金工家作「聖フィリッポ・ネリ像」(18世紀末)


P2860169


P2860171


P2860172


P2860173


P2860175


P2860176


P2860178


P2860179


P2860181


P2860182


P2860184


P2860185


P2860186
階上に向かいました。


P2860187


P2860188
階上の部屋


P2860189
大司教のベッド


P2860193


P2860196
ジョヴァンニ・バッティスタ・チェリドーネ(ヴェルチェッリ、17世紀初め活動)の「玉座の聖母子と聖人たち」


P2860199
ロンバルドの逸名画家作「マギの礼拝」(17世紀)


P2860201
作品がありません。


P2860204
フランドルのタペストリ工房作「キリストの洗礼」(16世紀第2四半世紀)


P2860208
ジローラモ・ジョヴェノーネ(ヴェルチェッリ、1490‐1555)の「マギの礼拝」


P2860210
詳細不知


P2860211
絵画館部門は閉鎖されていました。


P2860212
外に出ました。
(おわり)

P2860215
ヴェルチェッリ大聖堂です。


P2860051
大聖堂の鐘楼です。


P2860050
鐘楼の後方に大司教館があります。


P2860052
大司教館にヴェルチェッリ大聖堂の宝物博物館 Museo del Tesoro del Duomo di Vercelliがあります。2000年に一般公開されるようになりました。


P2860053
大司教館の中庭を経由して博物館に入館します。


P2860054
3世紀から現在に至る宝石、家具、典礼品、タペストリ、絵画、本などが展示されてます。


P2860056
最初は本の展示です。


P2860055


P2860057
十字架の展示です。


P2860058


P2860059
磔刑の十字架(13世紀)


P2860061
絵巻物(12世紀末‐13世紀初め)


P2860062


P2860063


P2860066


P2860067
ボウルの数々


P2860068


P2860069


P2860070


P2860071


P2860072


P2860073


P2860075


P2860076


P2860078


P2860079


P2860081


P2860082


P2860084


P2860085
次の展示室です。


P2860086


P2860088
部屋のフレスコ画


P2860089


P2860090


P2860092


P2860093


P2860095


P2860097


P2860098


P2860099


P2860102


P2860103
(つづく)

P1000184
サン・パオロ教会から外に出ました。


P1000185
18世紀に建設されたPalazzo Avogadro della Motta e di Villanova


P1000187
18世紀に建設されたサン・ロレンツォ教会です。


P1000189
写真左はPalazzo Borgognaです。


P1000191
写真左はサンタ・マルゲリータ修道院です。


P1000192
サンタ・マルゲリータ修道院の入り口


P1000193
17‐18世紀に建設されました。


P1000194
緑地が多い街です。


P1000195


P1000196
Torre Vialardi


P1000200
修復の必要がある建物です。


P1000199
中に入ったことがありません。


P1000197


P1000201
小礼拝堂を見ておきます。


P1000204
小礼拝堂の祭壇


P1000203
聖母子の浮彫


P1000202
次はサンタ・アンナ教会です。


P1000205
サンタ・アンナ教会に行く前に写真のバールで一休み


P1000206


P1000207
サンタ・アンナ教会です。


P1000211
15世紀に建設されたルネサンス様式の教会です。


P1000208
中に15世紀に描かれたフレスコ画があるらしい。


P1000209
土曜日の夕方だけ開くようです。


P1000210
傷みが激しいファサードのフレスコ画


P1000212
Corso Liberta


P1000213
次はサント・スプリト教会です。


P1000214
17‐18世紀に建設されたサント・スプリト教会です。


P1000215
土曜日と日曜日だけ開くようで、この日は閉まっていました。


P1000216
教会巡りは効率が悪いのです。


P1000217
次はサン・ベルナルド教会です。


P1000218
今度は中の扉も開いていました。
1164年頃に建設されたロマネスク様式の教会です。


P1000220
中に入りました。


P1000221
三廊式、ロマネスク様式の内部です。


P1000222
資料が乏しく、祭壇画等の詳細が全く分かりません。


P1000223
詳細不知の聖母子


P1000224
詳細不知のフレスコ画


P1000225
主祭壇


P1000226
19世紀の後陣装飾


P1000227
後陣天井の装飾(19世紀)


P1000228
詳細不知のオルガン


P1000230
詳細不明の三位一体と聖ベルナルド


P1000231


P1000234


P1000235


P1000236
左側廊


P1000237
後陣


P1000238
ドゥオーモのクーポラが見えてます。


P1000311
街歩きを切り上げて次の目的地に向かいました。
(おわり)

P1000129
サンタ・カテリーナ教会です。


P1000132
1350年、サンタ・マリア・デッラ・ミゼリコルディア同信会によって建設された教会で、創建当時の名称はサンタ・マリア・デッラ・ミゼリコルディア教会でしたが、1382年にサンタ・カテリーナ教会と改称されました。


P1000131
左身廊側壁
現在の建物は18世紀前半に再建された二代目となるものです。


P1000130
ファサードの扉上に判別できないほど痛みがあるフレスコ画があります。


P1000143
ファサードのフレスコ画は初代の建物にあったもので、グリエルモ・カッチャ通称イル・モンカルヴォ(モンカルヴォ、1568‐1625)によって描かれたそうです。


P1000133
中に入りました。


P1000138
主祭壇と後陣


P1000135
ピエル・フランチェスコ・グアーラ(カザーレ・モンフェッラート、1698‐ミラノ、1757)の「聖母子と光悦のアレッサンドリアの聖カテリーナ」(1743)


P1000136
詳細不知


P1000139
ピエル・フランチェスコ・グアーラ(カザーレ・モンフェッラート、1698‐ミラノ、1757)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの説教」(1743)


P1000140
ピエル・フランチェスコ・グアーラ(カザーレ・モンフェッラート、1698‐ミラノ、1757)の「天国のカギを聖ピエトロに託すキリスト」(1743)


P1000137
ファサード裏に聖歌隊席があります。


P1000144
外に出ました。


P1000146
Piazza Palazzo Vecchio


P1000145
柱廊付きの建物は、14世紀に建設されたブロレットです。


P1000149
広場の中心にある噴水


P1000147
市の塔


P1000150
市の塔は修復中でした。


P1000151
次はドメニコ会の教会と旧修道院です。


P1000152
市庁舎近くとなると流石に人通りが多くなってきました。


P1000154
市庁舎


P1000155
ドメニコ会の旧サン・パオロ修道院だった建物が市役所として使用されてます。
次はサン・パオロ教会です。


P1000153
市庁舎に隣接して建っているサン・パオロ教会です。


P1000158
1229年、ドメニコ会によって、現在地に小さな教会が建てられ、後にその周囲に修道院が建設されました。
1420年に再建された二代目の建物がほぼ現在の姿となってます。


P1000156
1802年、サン・パオロ教会修道院はナポレオンによって活動が停止されてしまいました。


P1000157
1813年、ヴェルチェッリ市当局は、フランスから修道院だった建物を買収し、市庁舎に転用しました。
教会活動は、1820年に再開され現在に至ってます。


P1000159
中に入りました。


P1000161
1792年、建築家ジャコモ・ヴィンチェンツォ・カナヴァッリの設計によってバロック様式に改修されました。


P1000160
三廊式、ラテン十字形、一部バロック様式の内部です。
この教会は美術作品の宝庫とされていましたが、ナポレオンの占領時代にフランスに持ち去られた傑作がかなりあるそうです。しかし、一つも戻されていないようです。


P1000162
詳細不知


P1000163
詳細不知


P1000164
ベルナルディーノ・ラニーノ(モルタラ、1512‐ヴェルチェッリ、1578)の「十字架降下」


P1000165
ベルナルディーノ・ラニーノ(モルタラ、1512‐ヴェルチェッリ、1578)の「幼きリストへの崇拝」


P1000167


P1000169
無原罪の御宿リ礼拝堂


P1000168
制作者情報不詳の「聖トンマーゾの不信」


P1000170
主祭壇と後陣


P1000171
ロレートの聖母礼拝堂


P1000172
詳細不知


P1000173
サンタ・リータ礼拝堂


P1000175
ベルナルディーノ・ラニーノ(モルタラ、1512‐ヴェルチェッリ、1578)の「サン・パオロのポリッティコ」


P1000177
詳細不知


P1000178
詳細不知


P1000180
ベルナルディーノ・ラニーノ(モルタラ、1512‐ヴェルチェッリ、1578)の「グラツィエの聖母」


P1000181
詳細不知


P1000182
詳細不知


P1000183
主祭壇前から見た出入口方向
(つづく)

P1000078
サン・ベルナルディーノ教会の奥に、もう一つ教会があります。
17世紀に建設された旧・サン・ピエトロ・マルティーレ教会です。


P1000080
旧サン・ピエトロ・マルティーレ教会ファサードに描かれたフレスコ画


P1000082
写真右奥のTeatro Civicoに行きます。


P1000084
Teatro Civico
オペラ上演は暫時なしでした。


P1000085
劇場が面している道を更に進みます。


P1000086
観光客が余り足を運ばない街ですが、見所がそこそこあります。


P1000087
次はサンタ・マリア・マッジョーレ教会です。


P1000088
目指す教会の建物が見えてきました。


P1000089
イエズス会のサンタ・マリア・マッジョーレ教会です。


P1000091
10世紀に建設された、初代のサンタ・マリア・マッジョーレ教会は別の場所にありました。


P1000092
1578年、建物の荒廃が進み、大修復しても最早使用が難しいと判断され、再建が決まりました。しかし、中々実行に移されませんでした。
サンタ・マリア・マッジョーレ教会とは全く関係なく、現在地にフィリッポ・ユヴァラ(メッシーナ、1678‐マドリッド、1736)の設計によって、イエズス会によって1734年から1741年に完成した新古典様式の教会がありました。


P1000090
1775年、イエズス会はサンタ・マリア・マッジョーレ教会を所有することになりましたが、古い建物を取り壊して、現在地にある教会に移転する形(実際は交換した形態)にして、現称となったのです。
取り壊された旧サンタ・マリア・マッジョーレ教会はConcattedraleでBasilica Minoreでしたが、現在の教会がその格式を引き継いでいるかについては、私には分かりません。


P1000093
内部に入りました。


P1000095
左側壁


P1000094
右側壁


P1000106
天井の装飾


P1000096
詳細不知


P1000097
詳細不知


P1000098
ロレートの聖母


P1000100
主祭壇


P1000101
後陣の装飾


P1000104
詳細不知


P1000107
サンタ・マリア・マッジョーレ教会から外に出ると、カステッロが直ぐ傍にあります。


P1000108
カステッロについては既に触れました。


P1000109
城としての役目はナポレオン占領時代に終わりました。


P1000110
堅固な歴史的建造物は刑務所に転用されることが良くありますが、ここもその例外ではありません。


P1000111


P1000113
ヴェルチェッリは秀逸な美術館がある街として、もっと有名である筈と思います。


P1000114
市の塔


P1000115
塔の前に広場は青空市が開市でした。


P1000116
次はカヴール広場です。


P1000117
カヴール広場に来ました。


P1000120


P1000118
広場の中心に立つカヴール像


P1000119
広場の裏手にサン・ミケーレ教会があります。


P1000123
サン・ミケーレ教会です。


P1000124
広場から見える鐘楼はこの教会のもので、13世紀建設の以前の教会の鐘楼です。


P1000125


P1000127


P1000128


P1000126
(つづく)

P2860249
駅前広場を通り過ぎてホテルに戻ります。


P2860251
駅前広場の噴水


P2860252
未だ気温32℃


P2860253
ホテルに戻りました。


P2850998
ホテルのレストランで夕食です。


P2850999
レストランの方が本業で、ホテルはそのついでに営業と言った感じです。


P2860002


P2860003
ホテル自家製の生ハムが秀逸です。


P2860006


P2860009


P2860008


P2860010


P1000019
街歩きに出発です。


P1000021
Via Galileo Ferrariaです。
写真左はサンタンドレア聖堂です。


P1000022
15世紀中頃に建設されたSalone Dugentescoです。


P1000023
道路を挟んでSalone Dugentescoの向かいにあるのがサンタンドレア聖堂です。


P1000046
この建物は旧病院です。


P1000048


P1000049
建物の地上階に柱廊が設けられてます。


P1000053


P1000050
柱廊の扉上ルネッタに描かれたフレスコ画


P1000051
旧病院付属の教会でしょう。


P1000055
旧サンタ・クローチェ教会です。


P1000052
16世紀末に建設されました。


P1000054
旧サンタ・クローチェ教会の外壁に聖人の絵がありました。


P1000056


P1000057
通りを更に進みます。


P1000058
Palazzo Cantono di Ceva


P1000059
18世紀から19世紀にかけて建設されたPalazzo Cantono di Cevaです。


P1000061
一見古そうに見える教会です。


P1000063
1894年から1896年に建設されたSantuario della Madonna degli Infermiです。


P1000067
道路を挟んで、Santuario della Madonna degli Infermiの向かいにあるのがPalazzo Cantono di Cevaです。


P1000069
この辺一帯は昔も今も賑わいを見せる一角です。


P1000070
これも歴史的建造物です。


P1000071
15‐16世紀に建設されたPalazzo Arborio Biaminoは旧教会でもありました。


P1000068
写真左手前が後陣になります。


P1000064
現在、メルカトになっている建物です。


P1000065
メルカトの建物は、14世紀から15世紀に建設されたサン・マルコ教会でした。


P1000076
次はサン・ベルナルディーノ教会です。


P1000072
12世紀のサン・ベルナルディーノ教会です。


P1000077
扉が開いているように見えましたが、中扉が閉まっていました。


P1000074


P1000075
(つづく)

P1000274
ドゥオーモのファサード前から駅前まで広い公園があります。


P2860049
次はドゥオーモ宝物博物館です。


P2860050
鐘楼の後方に大司教館があります。


P2860051
12世紀に建設された鐘楼


P2860052
大司教館の宝物博物館への入り口です。


P2860053
大司教館の中庭から宝物博物館に入ります。


P2860054展示物は、最古のものは3世紀、最新のものは21世紀と約1800年間にわたる宝物、家具、タペストリ、絵画などです。


P2860059
宝物博物館については、項を改めて詳しく触れます。


P2860208
ジローラモ・ジョヴェノーネの「マギの礼拝」(1515)


P2860212
外に出ました。


P2860216
次はサンタンドレア聖堂です。


P2860217
入口があるファサード側に回ります。


P1000308
1219年創建、1227年に完成したゴシック様式のサンタンドレア聖堂 Basilica di Sant'Andreaです。Basilica Minoreに格付けされてます。


P1000310
シトー会建築様式の影響を受けていると言われてます、ファサード左右の2本の鐘楼が目立ちます。
1227年の完成以降、大きな修復改修が行われなかったので、ほぼ原形を保っているそうです。


P1000033
灰緑色の石を使ったファサード


P1000034
中央扉上ルネッタ上の浮彫は、ベネデット・アンテラミ(ヴァルデルテヴィ、1150c‐1230c)またはベネデット・アンテラミ派逸名彫刻家作の「磔刑の聖アンドレア」
ベネデット・アンテラミの作品ではないとする説が有力とされてます。


P1000035
ファサードに向かって左扉上ルネッタ上の浮彫は、「玉座の聖アンドレアに教会を捧げるグアーラ・ビッキエーリ」


P2860219
ファサードのバラ窓


P1000037
聖堂内に入りました。


P1000039
三廊式、ラテン十字形、ゴシック様式の内部です。


P1000038
装飾が少なく、すっきり感がします。


P2860223
交差ヴォールト


P2860226
左側廊


P2860227


P2860245
右側廊


P2860228
礼拝堂を見て行きます。


P2860229


P1000281
トンマーゾ・ガッロ修道院長の墓碑(14世紀前半)


P2860232
Maestro della Tomba di Tommaso Galloの「聖母戴冠と音楽天使たち」(14世紀中頃)


P2860234
Maestro della Tomba di Tommaso Galloの「玉座のトンマーゾ・ガッロ修道院長」(14世紀中頃)


P2860236
制作者不詳の彫刻
左からディオニージ・ロ・プセウド・アエロパギータ、アレッサンドリアの聖カテリーナ、聖母子、トンマーゾ・ガッロ修道院長、聖アンドレア


P2860237
詳細不知


P2860238
詳細不知


P2860239
礼拝堂天井


P2860240
主祭壇と後陣


P2860241
後陣のフレスコ


P2860242
クーポラ


P2860244
詳細不知


P1000044
パオロ・ザッカの「聖職者席」(1511)


P1000045
ミサが始まりました。


P1000289
ミサの邪魔になるので、キオストロに出ることに。


P1000290
聖堂と修道院の全体模型


P1000291


P1000296
キオストロを回廊が囲んでます。


P1000297
回廊の壁にフレスコ画があったと思いますが、それが残されていません。


P1000298


P1000299


P1000300


P1000305


P1000304


P1000042
堂内に再び入りました。


P1000294
主祭壇前から見た出入口方向です。

P2860247
外に出ました。
(つづく)

P2860021
夕方の主な予定は、ドゥオーモの拝観とドゥオーモ博物館に入館すること、そしてサンタンドレア聖堂の拝観です。


P2860024
鉄道駅近くは金融機関が多いと思いました。


P2860026
「お好み焼き」と書かれた提灯がぶら下がっている店がありました。日本人がやっているとは限りません、日本語が分からない中国人や韓国人の店がイタリアでは多いようです。


P2860027
鐘楼はサン・ピエトロ・マルティーレ教会のものですが、写真右に顔を覗かせている教会に先ず行きます。


P2860028
サン・ベルナルド教会は閉まっていました。


P2860029
開いていれば、中々のフレスコ画があるので、拝観したかったのですが、淡い期待に終わりました。


P2860030
先ほど、鐘楼が見えていた教会です。


P2860032
機能を停止した旧教会なので、閉まっていて当然です。


P2860031
ファサードのフレスコ画


P2860033
15世紀に建設されたPalazzo Arborio Biamino


P2860034
サン・ベルナルド教会の後陣


P2860035
メルカト


P2860036
駅近くですが、この辺は歴史的建造物が多い。


P2860037
18世紀に建設されたPalazzo Cantono di Ceva


P2860041
サンタンドレア聖堂に向かいます。


P2860043
2本の鐘楼が目印です。


P2860046
サンタンドレア聖堂は扉が閉まっていました。この日は午後4時から開くことを確認してから、ドゥオーモを先に拝観することにしました。


P2860045
ドゥオーモは駅近くにあります。


P2860048
ドゥオーモにやってきました。


P2860215
サンテウセビオ大司教座聖堂 Basilica Cattedrale Metropolitana di Sant'Eusebioです。
1834年、教皇グレゴリオ16世によってBasilica Minoreに格付けされました。街の規模からすると格式が高い聖堂です。


P2860214
ヴェルチェッリの最初の司教である聖エウセビオ(サルデーニャ、283‐ヴェルチェッリ、371)の墓近くに、4世紀に建設された初期キリスト教会が前身です。
現在の建物は、ペッレグリーノ・ティバルディ(ピューリア、1527‐ミラノ、1596)の設計によって、1570年から1582年に建設されたルネサンス様式の建物が原形です。
18世紀初めに拡張改修されました。


P2860213
新古典様式のファサードは、18世紀から19世紀に再建されました。


P1000239
鐘楼は12世紀後半に建設されたもので、再建以前の建物で唯一現存しています。


P1000267
16世紀に建設された部分と18‐19世紀に建設された部分が混在していて、調和に欠ける感じがする外観です。


P1000269
1860年に建設されたクーポラ


P1000271
左翼廊


P1000270
ファサード側に戻ります。


P1000262
先ずファサード下の柱廊に入ります。


P1000242
芸術作品らしきものが見当たらない柱廊です。


P1000243
聖堂内に入りました。


P1000245
2012年に大改修された内部です。


P1000244
三廊式で、天井を支える2本組の列柱が特徴です。


P1000246
右側廊


P1000260
美術的な見所は主祭壇の十字架だけと言っても過言ではありません。


1
オットー美術の傑作「オットーの十字架」(10世紀末)


P1000247
詳細不知


P1000248
詳細不知


P1000249
詳細不知


P1000250
ピエル・フランチェスコ・グアーラ(カザーレ・モンフェッラート、1698‐ミラノ、1757)の「栄光の聖エウセビオ」


P1000252


P1000253
お宝芸術品は、付属博物館で見ることが出来ます。


P1000254
詳細不知


P1000255


P1000256
詳細不知


P1000258
フランチェスコ・グランディ(ローマ、1831‐1891)の「キリストの洗礼」


P1000259
詳細不知


P1000264
外に出ました。
(つづく)

P2850948
アントニオ・ボルゴーニャ通りに入りました。
写真手前右はこの街のシンボルというべき天使の塔 Torre dell'Angeloです。写真右端にサンタグネス・イン・フランチェスコ教会の鐘楼が建ってますが、その鐘楼下に写っている赤っぽい建物が美術館です。


P2850949
Epaminonda Ferreroが1836年に建設した新古典様式のPalazzo Ferreroです。


P2850952
1882年、アントニオ・ボルゴーニャが購入したので、Palazzo Borgognaと呼ばれてます。


P2850954
アントニオ・ジャコモ・フランチェスコ・ボルゴーニャ通称アントニオ・ボルゴーニャ(ストロッピアーナ、1822‐ヴェルチェッリ、1906)は、裕福な家に生まれた政治家で、活動的な慈善家でもありました。
1870年、若くして引退したアントニオは、予てから美術品収集に熱心でしたが、それにより一層拍車がかかって、イタリア国内は固よりヨーロッパ、アフリカ、東洋に旅をしながら、美術品の収集に努め、更にオークションで競り落とした美術品が収集品に加わりました。
アントニオの収集したコレクションは有名となり、その展示場所を探していましたが、1882年、現在美術館となっているパラッツォを購入しました。


P2850951
1899年、アントニオは、美術収集品全てを建物ごとヴェルチェッリ市に寄贈しましたが、その際、美術館を父であるフランチェスコ・ボルゴーニャ(1797‐1877)に捧げて、美術館をフランチェスコ・ボルゴーニャ美術館と命名すると共に、美術館を運営するための財団を作って財政基盤の安定に努めました。


P2850950
美術館の入り口です。
一般公開は1908年からで、1908年時点で約2000点の美術品が展示されていました。その後、財団によってピエモンテ各地の美術品が購入され、展示は更に充実したものになってます。
現在、ピエモンテ州ではサバウダ美術館に次いで2番目の美術館となってます。


3
中は写真不可です。
私の写真は一枚もありません。
しかし、それでは美術館紹介にならないので、美術館HPから作品画像を拝借して、紹介することにします。写真の版権等は美術館側が保持していることを承知の上で連載するので、作品画像はごく一部にします。それでも権利侵害であることは明らかですが。
質の高い作品が多数展示されているので、美術ファンがもっと訪問するべき美術館と思います。


4
Pittore della Passione di Cristoの「磔刑」(1450c)


5
ベルナルディーノ・ラニーノ(モルタラ、1512c‐ヴェルチェッリ、1583/1584c)の「最後の晩餐」


1
ベルナルディーノ・ラニーノ(モルタラ、1512c-ヴェルチェッリ、1583/1584c)の「聖会話」


2
ソドマ(ヴェルチェッリ、1477-シエナ、1549)の「聖家族と聖ジョヴァンニーノと天使」


9
ジローラモ・ジョヴェノーネ(バレンゴ、1490c‐ヴェルチェッリ、1555)の「幼きキリストへの崇拝」(1510‐13c)


6
デフェンデンテ・フェッラーリ(キヴァッソ、1509-1535c活動)の「聖母子と聖人たちのポリッティコ」(1520-25)


7
ジョヴァンニ・バッティスタ・ナルディーニ(フィレンツェ、1535-1591)の「アポロとミューズ」(1580-85)


10
ルドヴィーコ・カラッチ(ボローニャ、1555‐1619)の「アリアンナとバッカス」


8
アンジェリカ・カウフマン(スイス、1741-ローマ、1807)の「ドメニカ・ヴァルパートの肖像」(1791)


P2850955
外に出ました。
最初から最後まで入館者は私1人でした。勿体ないことです。
写真OKにすれば、各種媒体でのPRがされて、入館者がもっと多くなることでしょう。


P2850953
おわり

P2850963
Castello Viscoteoです。


P2850964
ミラノの君主で、ヴェルチェッリ領主であったマッテオ・ディ・ヴィスコンティ(インヴォーリオ、1250‐ミラノ、1322)によって1290年頃から工事が着工された城です。


P2850965
現在は裁判所など司法関係部署が使用してます。


P2850962
ナポレオンのイタリア侵攻時には、ナポレオン軍の司令部が置かれていました。


P2850966
裁判所の前は刑務所でした。


P2850967
暑い日だったので早々に退散します。


P2850968
Torre dell'Angeloが目立ちます。


P2850972
マッシモ・ダツェーリオ広場です。


P2850969
写真右の赤っぽい建物が刑務所だったとは信じられません。


P2850970
刑務所にしては普通の建物なので、重罪犯用ではないと思います。


P2850973
クローチェ・ディ・マルタ館


P2850974
カヴール広場に戻りました。


P2850975
カヴール広場で簡単な昼食を食べました。


P2850976
昼食後のこの時間ですから、サン・ミケーレ教会は閉まっていました。


P2850977
この通りの先にある、有名な塔を見に行きます。


P2850978
Torre degli Avogadro


P2850979
ヴェルチェッリ領主だったアヴォガドロ家によって、1266年8月19日から建設された塔です。


P2850980
この辺の一帯にアヴォガドロ家の屋敷がありました。


P2850981
ジュゼッペ・ヴェルディ通りです。


P2850983
通りの名称の由来は、通りの突き当りにオペラ劇場があるからです。


P2850984
1815年に開場した市立劇場です。伝統的な馬蹄形をしています。


P2850985
1923年、最初の建物は放火によって倒壊してしまいました。現在の建物は焼失後に再建されたもので、1929年に再開場されたそうです。


P2850986
ヴェルチェッリで最も大きな教会であるサンタンドレア聖堂に向かいます。


P2850987
サンタンドレア聖堂の鐘楼が見えてきました。


P2850988
サンタンドレア聖堂です。


P2850989
昼過ぎなので、当然扉が閉まっていました。


P2850990
夕方に再び来ることにしました。


P2850991
サンタンドレア聖堂のファサード前から見た駅前広場です。


P2850992
ガリレオ・フェッラーリス通り


P2850993
アヴォガドロの塔とサン・ピエトロ・マルティーレ教会の鐘楼


P2850994
何の建物でしょうか?


P2850995
一旦ホテルに戻って昼寝することにしました。


P2850996
ホテルに戻りました。


P2860015
窓が閉まっている部屋ばかりで、殆ど空室?


P2860014
1時間ほど昼寝をしてから、再び出発しました。


P2860016
桜並木です。


P2860017
サクランボ


P2860018
こちらの木のサクランボは美味しそう!


P2860019
採って食べる人がいないようですが、私は採って数粒食べました。甘くておいしかった。


P2860020
(つづく)

ヴェルチェッリは、人口46,035人(2018年12月31日現在)のピエモンテ州ヴェルチェッリ県の県都です。街の歴史は古く、紀元前600年頃、リグーリア人の一部族Libiciの首都でした。
1120年、都市国家として独立しましたが、その後、ミラノ、フランス、スペインの支配下に置かれました。18世紀にサヴォイア家に属し、イタリア統一を迎えました。
P2850925
駅に到着しました。
ミラノ~トリノを結ぶ幹線上にあり、RVが停車します。


P2860259
観光客をあまり見かけない街です。


P2860258
駅舎


P2860257
駅前広場から見えるサンタンドレア聖堂の鐘楼


P2860256
この日のお宿に向かいます。


P2850927
ホテルは、駅から徒歩5分の住宅街にあります。
ヴェルチェッリの宿泊先はかなり限られる上に郊外に点在しているので、交通の便を考えると選択肢は一つしかありません。


P2860255
この日のお宿です。レストランが併設されてます。


P2850930
朝の早い時間でしたが、部屋に入ることが出来ました。荷物を部屋に置いて身軽になったので、早速外出しました。


P2850931
チェントロ・ストーリコに向かう大通りは緑が一杯です。


P2850932
この街に来るのは4回目ですが、身の安全という点では心配不要と思います。


P2850933
旧市街の入り口というべき広場にやってきました。この場所に城門があったそうです。


P2850935
Piazza Pajetta


P2850936
広場の中心に立つ「将軍の制服のヴィットリオ・エマヌエーレ2世像」(1887)


P2850934
ヴェルチェッリに来た目的はMuseo Francesco Borgognaです。あまり知られていない絵画館ですが、所蔵作品は傑作揃いです。


P2850937
Corso Liberta


P2850938
913年創建のサンティッシモ・サルヴァトーレ教会です。現在の外観は18世紀に再建された二代目の建物です。扉が開いていましたが、美術的に魅力に欠けるので素通りしました。


P2850939
この辺から道幅が少し狭くなります。


P2850940
自転車が多い。


P2850941
用事がないけれど、街の中心の広場に寄り道します。


P2850942
次の交差点を左折すれば、直ぐに広場です。


P2850943
カヴール広場です。
この街のシンボルLa Torre dell'Angeloが見えます。


P2850944
イタリア統一後、現称に改称されましたが、それ以前はマッジョーレ広場、またはメルカンティ広場と呼ばれていたそうです。


P2850945
広場の四方は歴史的建造物に囲まれてます。


P2850946
17世紀に建設されたサン・ロレンツォ教会です。


P2850947
目指すMuseoは直ぐ傍にあります。


P2850948
写真左に塔が見えますが、塔の下に見える赤い建物がMuseo Francesco Borgognaです。


P2850949
とうとうやってきました。


P2850950
入館しました。中は写真不可で、残念ながら私の写真は一枚もありません。


P2850952
MuseoのHP掲載の作品画像を拝借して、この美術館の紹介を項を改めてやることにしましょう。


1
Museoの所蔵作品です。
ベルナルディーノ・ラニーノ(モルタラ、1512‐ヴェルチェッリ、1578)の「聖会話」


2
ソドマ(ヴェルチェッリ、1477‐シエナ、1549)の「聖家族と聖ジョヴァンニーノと天使」


P2850955
写真を撮ることが出来ませんでしたが、大満足で外に出ました。


P2850954
ここに再び来ることはもうあるまい、と思いながらMuseoを後にしました。


P2850956
サンタグネス・イン・サン・フランチェスコ教会です。


P2850957
拝観したかった教会ですが、Museoでたっぷり時間を使ったので、扉が閉まる時間になってしまいました。


P2850958


P2850959
Palazzo Arborio di Gattinara


P2850960
カステッロに向かいます。


P2850961
カステッロ
(つづく)

P1360413
テヴェレ川に架かるファブリチョ橋を渡ってティベリーナ島に向かいます。


P1360430
ティベリーナ島からチェスティオ橋を渡ります。


P1360432
チェスティオ橋の上から振り返ってティベリーナ島を見たところです。


P1360433
チェスティオ橋を渡れば、直ぐにトラステヴェレのピシヌーラ広場に出ます。広場の突き当りに小さな教会の建物が見えますが、それがサン・ベネデット・イン・ピシヌーラ教会です。


P1360436
ピシヌーラ広場です。写真右は、14世紀に建設されたPalazzo Matteiです。


17
Palazzo Mattei
マッテイ家は、中世の頃、この教会の守護者でしたが、17世紀になると相続人がいなくなってしまい、教会の財政面が困難となりました。


P1360435
piscinulaは、ラテン語のpiscinaから派生した単語で、piscinaとは「魚がいる池」という意味だそうです。
広場は、魚市場があった場所で、生きた魚ための池があったのが広場の名称の由来されてます。また、18世紀に、この場所から発掘された遺跡からローマ時代の浴場が発見され、浴場の遺跡の上に魚市場があったことが明らかになりました。


18
教会の起源について、文書化されていないので不明とされてます。しかし、幾つかの有力説があるようですが、定説とされるものは一つもないようです。
伝説に拠れば、聖ベネデット・ダ・ノルチャ(ノルチャ、480c‐モンテカッシーノ、547)は、5世紀末にローマに到着し、現在、教会が建っている場所に居を構えて修行に励んだと言われてます。聖ベネデットの死後、間もなくして教会が設立されたとされてます。現教会が発行している資料には、この説が教会の起源として書かれてます。
しかし、聖ベネデットの宗教的評価を高めたいとの意図から、中世の頃に作られたフィクションであるというのが定説になってます。


19
教会の建物の基礎部分は8世紀のものであるという確実な証拠があるそうですが、その建物が教会であったかについては不明のようです。
鐘楼の小さな鐘に1069年と刻印されているので、1069年以前に教会が建設されたという説がある一方、他の教会の鐘を転用したという別説があるようです。
1192年の記録に、この教会の存在が初めて記されているそうです。
1386年、教区教会になりました。


21
小さな鐘楼は、数あるローマの教会の中で最小と言われてます。


20
トラステヴェレのこの地区には貧しい人々が多く住んでおり、教会は絶えず財政面で問題を抱えていましたが、マッテイ家の援助が途絶えると、急速に荒廃が進みました。18世紀前半、機能が停止され廃教会となりました。
19世紀に修復されたものの、機能回復は一時的で、直ぐに宗教活動は停止され、再び忘れられた存在になってしまいました。漸く2007年になって復元されたのです。


P1360442
中世のアトリウムだった入口ホールに入りました。


P1360437
入口ホール壁の剥離フレスコ「聖母子」(14世紀)


P1360438
入口ホール壁の剥離フレスコ



P1360439


P1360443
教会内に入りました。


22
教会の構造図
かなり複雑な構造です。


P1360445
新しく見える部分は2007年に復元されたからです。


P1360444
右側廊方向


P1360446
2007年に復元された天井


P1360452
主祭壇と後陣


P1360457
19世紀初頭に修復されました。
聖母子の下の聖ベネデットは中世のものです。
その左右のフレスコ画は、フランチェスコ・ジャンジャコモ(ローマ、1783‐1864)の「バーリの聖二コラ(左)」、「セバステの聖ビアージョ(右)」(19世紀初頭)


P1360451
「聖母子」(14世紀)


P1360449
フランチェスコ・ジャンジャコモ(ローマ、1783‐1864)の「聖母戴冠」(19世紀初頭)


P1360456
逸名彫刻家作「ジョヴァンニ・デ・プレディス・ディ・タヴェルナの記念碑」(1691)
「聖母子と聖アンナ」(15世紀)


P1360458
逸名彫刻家作「司祭アントニオ・ピアペナンジの記念碑」(1720‐30)
フレスコ画は「聖エレーナ(フラヴィア・ジュリア・エレーナ)」(1500c)


P1360447
詳細不知


P1360454
レオポルド・アンシリオーニ(トリノ、1832‐ローマ、1894)の「玉座の聖母子と聖ベネデットと聖ロレンツォ」(19世紀)


P1360453


P1360455
祭壇画の下に置かれている、逸名彫刻家作「聖ロレンツォ像」(19世紀)


P1360459
逸名画家作「カンタベリーの聖アンセルム」(19世紀)
逸名彫刻家作「パドヴァの聖アントニオ」(19世紀)


P1360462
13世紀末のフレスコ画


P1360464
12世紀のフレスコ画


P1360466
13世紀に造られたCappella della Vergine


P1360465
礼拝堂の建物は8世紀に建設されたそうです。


P1360475
礼拝堂祭壇の「慈悲の聖母」(14世紀)


P1360477
ノルチャの聖ベネデットが修行したとされる部屋です。


P1360448
コスマテスク様式の床


P1360482
コスマテスク様式の床部分は、この教会の創建時のオリジナルとされてます。


P1360480
伝説では、聖ベネデットがこの床を歩き回って瞑想に耽ったとされてます。


P1360473
床の石ですが、古代ローマ人がエジプト、ギリシャなどから持ってきた石が使用されているそうです。


P1360467


P1360468
柱頭は新しい?


P1360469


P1360470


P1360472


P1360479


P1360471
主祭壇前から見た教会入り口


P1360483
外に出ました。


P1360484
(この項、おわり)
キリがないのでローマの教会巡りはこれで終わりにします。

P1570510
チェンチ川岸通りからサン・パオロ・アッラ・レゴラ通りに入ります。


P1570511
この一帯は、アグリッパによって整備されたそうです。


P1570512
ローマ時代の家、パラッツォ・スペッキです。


P1570513
この時は中に入りませんでしたが、共和制ローマ時代に建てられた、古い構造を持つ建物です。現存する建物の基本構造は3世紀初頭のものです。


P1570514
パラッツォ・スペッキを通り過ぎると、直ぐに教会の建物が見えてきます。
写真左の赤茶色の建物は、巡礼者をサポートするために建てられたホスピスです。
この通りの先にスパーダ宮殿、ファルネーゼ宮殿があります。


P1570515
サンティッシマ・トリニータ・デイ・ペッレグリーニ教区教会です。
この場所に、14世紀に建設されたサン・ベネデット・デ・アレヌラ教区教会がありました。


P1570518
1548年、貧者と病人に救済するための組織「L'Arciconfraternita dell Pellegrini e Convalescenti della Santissima Trinita」が聖フィリッポ・ネリによって設立されました。
その大信心会(Arciconfraternita)の活動拠点は別の場所にありましたが、直ぐに民衆の圧倒的な支持を集めました。
1558年、第223代教皇パオロ4世(在位:1555‐1559)は、大信心会に対して、その活動拠点としてサン・ベネデット・デ・アレヌラ教区教会の永久使用を認めました。それを機に、教会の名称が現称に改称されました。
1559年、大信心会は教会近くの土地を購入して病院ホスピスを建設しました。
1575年の聖年には、18万人の巡礼者がその病院ホスピスを利用しました。


1
ファサードに向かって左側にある赤茶色の建物が旧病院ホスピスの一部です。
大勢の巡礼者が病院ホスピスを訪れるようになると、古くて狭い教会の建物では対応が困難になったので、16世紀後半、大信心会は教会の建物の再建を決めました。
建築家マルティーノ・ロンギ・イル・ヴェッキオ(ヴィッジュ1534‐ローマ、1591)の設計によって、1587年創建、1612年に完成し、1616年に奉献された二代目の建物が現在の姿の原形です。この時、ファサードは工事未着工でした。


P1570516
建築家ジュゼッペ・サルディ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1680‐ローマ、1753)の設計によって、1722年に完成したファサードです。


P1570517
ファサードに、彫刻家ベルナルディーノ・ルドヴィージ(ボローニャ、1693c‐ローマ、1749)の「4福音書記者」の彫刻(1723‐24c)があります。


P1570555
下段左の「聖ルカ」


P1570556
下段右の「聖マルコ」


2
ファサード上段の彫刻は、左から「聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ」、「聖マッテオ」


P1570519
毎日開く教会なので、拝観が容易です。


P1570520
単廊式、ラテン十字形の内部です。


P1570553
コリント式列柱が目立ちます。


P1570521
1847年から1853年にかけて復元された内部です。


P1570523
クーポラは1612年頃に完成しました。


P1570524
ジョヴァンニ・バッティスタ・リッチ(ノヴァーラ、1537‐ローマ、1627)によって描かれたクーポラのフレスコ画「4福音書記者」


3
クーポラの装飾は19世紀に修復されたものです。


P1570549


P1570550
クーポラ突端の「永遠なる父」は、グイド・レーニの作品ではなく、レーニに触発された逸名画家によって制作されました。


P1570548



P1570525
主祭壇を見ます。


P1570527
主祭壇画は、グイド・レーニ(ボローニャ、1575‐1642)の「三位一体」(1625‐26)


4
外部サイトから拝借した作品画像


P1570528
ヤコブ・コルネリス・コバール(ベルギー、1535?‐ローマ、1615)の「聖マッテオと天使」


6


5
天井画(外部サイトから拝借した作品画像)


P1570542
ギョーム・コートイス通称イル・ボルゴニョーネ(フランス、1628‐ローマ、1679)の「幼きキリストを聖フィリッポ・ネリに差し出す聖母」


P1570533
バルダッサーレ・クローチェ(ボローニャ、1558‐ローマ、1628)の「煉獄で魂を介抱される教皇グレゴリオ1世」


P1570541
逸名彫刻家作「磔刑像」(18世紀)


P1570535
Cappella dei Santi Agostino e Francesco


P1570537
ジュゼッペ・チェーザリ通称カヴァリエール・ダルピーノ(アルピーノ、1568‐ローマ、1640)の「聖母子と聖アゴスティーノと聖フランチェスコ」


P1570530
ジョヴァンニ・バッティスタ・リッチ(ノヴァーラ、1537‐ローマ、1627)の「聖母子と聖ベネデットと聖ジュゼッペ」


P1570540
アントニオ・ビアンキ―ニ(ローマ、1803‐1884)の「聖母子と聖人たち」


P1570546
バルダッサーレ・クローチェ(ボローニャ、1558‐ローマ、1628)の「グレゴリオ1世」


P1570531
主祭壇前から見た出入口方向


P1570551
外に出る前に、もう一度主祭壇を見ました。


P1570554
グイド・レーニとカヴァリエール・ダルピーノの作品が秀逸です。


P1570557
外に出ました。


P1570559
(この項、おわり)

P2220172
Cappella dei Vignaroliの祭壇画です。
17世紀の逸名画家作「聖母子と聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


P2220177
アントニオ・チルチニャーニ通称イル・ポマランチョ(ポマランチェ、1560‐ローマ、1620)の「カナの結婚」
通称がイル・ポマランチョと呼ばれた画家は3人いたので、通称だけではなく本名を併記しないと区別できません。


P2220179
アントニオ・チルチニャーニ通称イル・ポマランチョ(ポマランチェ、1560‐ローマ、1620)の「ラザロの蘇生」


P2220181
後陣左の礼拝堂


P2220185
中央礼拝堂(主祭壇)


P2220192
この主祭壇画が有名です。


P2220191
アントニアッツォ・ロマーノ(ローマ、1430c‐1508c)の「慰めの聖母」


P2220200
後陣天井の装飾


P2220198
中央礼拝堂左壁にある作品です。  
クリストフォロ・ロンカッリ通称イル・ポマランチョ(ポマランチェ、1552‐ローマ、1626)の「聖母被昇天」


P2220194
中央礼拝堂右側壁です。


P2220196
クリストフォロ・ロンカッリ通称イル・ポマランチョ(ポマランチェ、1552‐ローマ、1626)の「聖母の誕生」


P2220202
後陣右の礼拝堂


P2220204
「聖母のイコン」(13世紀)


P2220211
パオロ・ガッリナーロの「受胎告知」(2016)
パオロの宗教画は高く評価されているそうです。(事実ですが、私見ではホンマカイナ?)


P2220208
ジョヴァンニ・バリオーネ(ローマ、1566‐1643)の「貧者に施す聖パオロ」


P2220209
ジョヴァンニ・バリオーネ(ローマ、1566‐1643)の「聖母の神殿奉献」


P2220214
「最後の晩餐」だそうです。


P2220215
定型的で陳腐な宗教画を脱して、個性的で新しい宗教画の境地を開く傑作だそうです。うーん、そうですか。


P2220217
詳細不知


P2220219
右の礼拝堂に行きます。


P2220221
リヴィオ・アグレスティ通称イル・リッチゥチィーノ(フォルリ、1505‐ローマ、1579)の「聖母子と聖人たち」


P2220223
Cappella dei Pastori


P2220224
リヴィオ・アグレスティ通称イル・リッチゥチィーノ(フォルリ、1505‐ローマ、1579)の「聖母子」


P2220225
Cappella Mattei


3
フェデリーコ・ズッカリ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1539‐アンコーナ、1609)の「磔刑」


P2220226
フェデリーコ・ズッカリ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1539‐アンコーナ、1609)の「キリストの鞭打ち」


P2220228
フェデリーコ・ズッカリ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1539‐アンコーナ、1609)の「ピラトの前のキリスト」


P2220230
右側廊


P2220231


P2220233
この礼拝堂は不知です。


P2220182
中央礼拝堂前から見た出入口方向です。


P2220183
外に出ます。


P2220235
教会設立の経緯を知らないと理解が難しい拝観になりそうです。


P2220238
(この項、おわり)


P2220100
今回はカンピテッリ地区にあるサンタ・マリア・デッラ・コンソラツィオーネ教会を取り上げます。


P2220114
ローマ市庁舎です。


P2220120
カンピドーリオ広場から崖下の道に下ります。


P2220122
モンテ・タルぺオ通りに下りると直ぐにサンタ・マリア・デッラ・コンソラツィオーネ教会の建物が見えます。


P2220123
アーチを潜ると、写真右は崖下になります。


P2220236
Rupe Tarpeo、タルペーイアの岩です。


1
タルぺーイアの岩は、共和制ローマ時代から1550年まで処刑場でした。


184
岩のことに触れているのは、教会の歴史と関係があるからです。
タルペーイアの岩の麓に教会があります。


P2220124
1385年、ローマ貴族ジョルダネッロ・デリ・アルベリーニは死刑判決を受け、タルペーイアの岩から突き落とされることになりました。
死刑に臨んで、ジョルダネッロは金貨2枚を払って、現在教会が建っている場所に聖母像を置いてもらい、生前の最後を慰めました。
また、当時、聖母像を置いてもらった場所に隣接して病院が建っていました。
15世紀中頃、死刑囚を慰めるためと病院に関係する人々のための信仰の場所として教会が建設されることになり、15世紀後半に工事着工、1506年に完成した慰めの聖母教会です。1470年に奉献されました。
病院とタルペーイアの岩と関係なさそうですが、精神を病んだ病人や回復の見込みがない重病人や伝染力が高い病気に罹患した病人も時に崖上から突き落とされたという忌まわしい事実があるのです。


P2220125
1505年、ローマの有力貴族のマッテイ家、コロンナ家、サンタクローチェ家、フランジパネ家によって慈善事業団体「Compagnia di Gentiluomini」が設立され、貧しい人々の救済と病院への資金援助を行いました。
その慈善事業団体は財政が豊かだったので、完成してから年月が経っていない教会の再建を決めました。建築家マルティーノ・ロンギ・イル・ヴェッキオ(ヴィッジ、1534‐ローマ、1591)に建設が委嘱され、マルティーノの設計、工事監督によって1583年から1606年にかけて、バロック様式の建物が再建されました。


P2220126
パスクゥアーレ・ベッリ(ローマ、1752‐1833)によって1827年に完成したファサードです。


P2220127
預言者イザヤとゼカリアの彫像


P2220128
ファサード前の階段は20世紀になって追加されました。
聖ルイージ・ゴンザーガは、教会に隣接する病院(現在は市役所となっています)でペスト患者を救済中に死んだのです。
財政的に豊かな教会だったので、制作費用が高い画家などに祭壇画などを注文した経緯から美術ファンにとっては嬉しい教会です。


P2220129
観光客はあまりいません。


P2220130
この教会に展示されるようになったのだ!
現代の宗教画が得意な画家パオロ・ガッリナーロです。


P2220131
中に入りました。


P2220132
三廊式、バロック様式の内部です。


P2220134
左右に5つづつの礼拝堂、主祭壇を含めて後陣に3つの礼拝堂があります。


P2220136
天井は地味です。


P2220137
後陣の装飾


P2220143
左側廊


P2220144
左側廊の礼拝堂から見て行きます。


P2220139
ラッファエッロ・ダ・モンテルーポ(モンテルーポ、1505‐オルヴィエート、1566)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」(1530)


2
ルイージ・カッポーニ(ミラノ、1450c‐1506)の「磔刑」


P2220141
パオロ・ガッリナーロの作品を見るのは初めてですが、ビックリしました。


P2220142
「大天使聖ミケーレ」ですと!


P2220146
詳細不知


P2220147
詳細不知


P2220150
17世紀の逸名画家作「聖痕を受ける聖フランチェスコ」


P2220151
Cappella Sacchiのプレセピオ
「聖痕を受ける聖フランチェスコ」の下にあります。


P2220153
Cappella dei Carzoni degli Osti
祭壇画の下半分が切り取られてます。


P2220155
フランチェスコ・ナッピ(ミラノ、1565c‐ローマ、1630)の「聖母被昇天」(1620)


P2220158
フランチェスコ・ナッピ(ミラノ、1565c‐ローマ、1630)の天井フレスコ画


P2220160
フランチェスコ・ナッピ(ミラノ、1565c‐ローマ、1630)の「幼きキリストへの崇拝」


P2220161
Cappella dei Pescatori
逸名彫刻家作「この人を見よ」(17世紀)


P2220164
マルツィオ・ディ・コラントニオ・ガナッシーニ(ローマ、1560‐1623以降没)の「聖アンドレア」


P2220166
マッティア・プレティ(タベルナ、1613‐マルタ、ヴァレッタ、1699)の「聖アンドレアの殉教」


P2220169
マルツィオ・ディ・コラントニオ・ガナッシーニ(ローマ、1560‐1623以降没)の「聖ピエトロの逆さ磔」
(つづく)

010
ナツィオナーレ通りです。


494
通りに面して建っているサン・ヴィターレ聖堂です。


496
ナツィオナーレ通りよりも低い場所に建ってます。長年に渡る土砂の堆積に拠るのか、初期キリスト教会を前身とする教会は現在の地表の高さよりも低い場所に建っていると思います。


011
正式名称は、Basilica dei Santi Vitale e Compagni Martiri in Foveaとなってます。
4世紀、現在聖堂がある場所に聖ヴィターレの二人の息子聖ゲルヴァシオと聖プロタシオに捧げる礼拝堂が建設されましたが、その礼拝堂が前身です。
4世紀後半、礼拝堂は取り壊され、三身廊のバジリカが再建され、402年、第40代教皇インノチェンツォ1世(在位:401‐417)によって奉献式が執り行われました。


495
三身廊のバジリカ様式の二代目の建物は、8世紀終わりから9世紀初めにかけてと中世の時代(具体的な世紀は不明)に修復されました。
1475年、第212代教皇シスト4世(在位:1471‐1484)によって再建され、更に1595年、第231代教皇クレメンテ8世(在位:1592‐1602)によって再建されました。修復、再建を繰り返しましたが、二代目の建物の基本部分の一部は今も留めているそうです。
1859年、第255代教皇ピウス9世(在位:1846‐1878)によって、道路から聖堂に下りる階段が追加されると共に内部が大修復されました。
1937年から1938年にかけて入り口などが修復されましたが、現在の姿は、この修復後のものです。


012
ファサードの柱廊


013
柱廊の出入り口


497
初期キリスト教時代の柱廊が今でも残ってます。


504
柱廊から見た階段


498
17世紀に制作された木彫りの扉


499
柱廊の柱の柱頭


014
この部分は古い造りです。


015
聖堂内に入ります。


049
バジリカ様式風ですが、何処となく新しい感じがします。


050


016
後陣の構造は初期キリスト教会風で、当初はモザイクがあったと思われます。


023
1859年に1595年の再建時の姿に復元された内部です。


022
木の床は1934年のものです。


503
木の天井も1934年のものです。


036
主祭壇と後陣


500
後陣にはモザイクがあったと思います。


039
後陣のフレスコ画は、アゴスティーノ・チャンペリ(フィレンツェ、1565‐ローマ、1630)の「聖ヴィターレの殉教」


035
タルクイニオ・リグスティ(ヴィテルボ、1564‐1621)とアンドレア・コモディ(フィレンツェ、1560‐1638)によって描かれたフレスコ画


037
タルクイニオ・リグスティ(ヴィテルボ、1564‐1621)とアントニオ・コモディ(フィレンツェ、1560‐1638)のフレスコ画


043
アゴスティーノ・チャンペリ(フィレンツェ、1565‐ローマ、1630)のフレスコ画


045
アゴスティーノ・チャンペッリ(フィレンツェ、1565‐ローマ、1630)のフレスコ画


046
タルクイニオ・リグスティ(ヴィテルボ、1564‐1621)のフレスコ画


047
タルクイニオ・リグスティ(ヴィテルボ、1564‐1621)のフレスコ画


048
不知の紋章
祭壇画を見て行きます。


018
ジョヴァンニ・バッティスタ・フィアッメーリ(フィレンツェ、1530‐ローマ、1606)の「聖人たちの告解」


501



020
アンドレア・コモディ(フィレンツェ、1560‐1638)のフレスコ画


021
タルクイニオ・リグスティ(ヴィテルボ、1564‐1621)のフレスコ画


026
ジョヴァンニ・バッティスタ・フィアッメーリ(フィレンツェ、1530‐ローマ、1606)の「殉教聖女たち」


502


028
タルクイニオ・リグスティ(ヴィテルボ、1564‐1621)のフレスコ画


029
タルクイニオ・リグスティ(ヴィテルボ、1564‐1621)のフレスコ画


031
ジョヴァンニ・バッティスタ・フィアッメーリ(フィレンツェ、1530‐ローマ、1606)の「無原罪の聖母」


032
礼拝堂の祭壇


033
タルクイニオ・リグスティ(ヴィテルボ、1564‐1621)のフレスコ画


034
主祭壇と後陣をもう一度見てから外に出ました。


055
(この項、おわり)

051
サン・ベルナルド広場にやってきました。
写真左がサンタ・マリア・デッラ・ヴィットリア広場、写真右がモーゼの噴水です。


242
写真左がサンタ・スザンナ聖堂、右がサンタ・マリア・デッラ・ヴィットリア教会になります。



243
ドメニコ・フォンターナ(スイス、メリデ、1543‐ナポリ、1607)の「モーゼの噴水」(1587)


033
折角来たので、素通りしないで噴水を見ます。


034
巨大なモーゼ像


035
ライオン像を見ながら教会へと進みました。


036
9月20日通りに面して建っているサンタ・マリア・デッラ・ヴィットリア教会です。
1605年、カルメル会がこの場所に教会を新設することを決め、建築家カルロ・マデルノ(カポラーゴ、1556‐ローマ、1629)に設計と建築工事を委嘱して、1608年から1620年に建設されたバロック様式の教会です。当初、聖パオロに捧げる教会で、サン・パオロ教会と呼称されていました。1620年時点では、ファサードは工事着工されていませんでした。
カルロ・マデルノが起用された理由ですが、道を挟んで隣接するサンタ・スザンナ聖堂のファサードをカルロが1597年から1603年にかけて改修したからだという説があります。


037
30年戦争における白山の戦いで、敗色濃厚だったカトリック教徒でしたが、皇帝軍総司令官が首にかけていた「キリストを崇拝する聖母」像が敵を幻惑させる鮮やかな光線が出て、勝利したという伝説から、1622年に改称され、勝利を導いた聖母に奉献する教会になったのです。


241
ファサードは、建築家ジョヴァンニ・バッティスタ・ソリア(ローマ、1581‐1651)の設計によって、1624年から1626年にかけて建設されました。
隣接するサンタ・スザンナ聖堂のファサードから強い影響を受けていると言われてます。


213
ファサードの建設費用を負担したのは、美術品収集で有名なシピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿(アルテーナ、1577‐ローマ、1633)でした。
この教会の建設工事中に古代の大理石彫刻が出土したのですが、それが欲しくなったボルゲーゼ枢機卿はカルメル会と交渉して、大理石彫刻と引き換えにファサードの資金負担をするという条件を出したのです。条件が受け入れられ、ボルゲーゼ家お抱えの建築家ソリアが起用されたという訳です。
ファサードの建築費用は相当高額だった筈ですから驚きです。


038
教会扉横にいる物乞いの縄張りが凄いと聞いたことがあります。


049
最近、観光客に大人気のようで、何時も混雑しています。


039
中に入りました。


217
単廊式、バロック様式の内部です。


041
主祭壇


240
カトリックの優位性を示すために造られた豪華な祭壇です。


220
後陣のフレスコ画ですが、教会内部は1833年の火災によって被害を受けたので、19世紀後半に改めて描かれました。
ルイージ・セッラ(ボローニャ、1846‐1888)の「白山の戦いで勝利したカトリック軍のプラハ入城」(1885)


215
天井のフレスコ画です。
ジョヴァンニ・ドメニコ・チェッリ―ニ(ペルージャ、1609‐ローマ、1681)の「聖母の勝利とプロテスタントの追放」(1675)


244
ジョヴァンニ・ドメニコ・チェッリ―ニ(ペルージャ、1609‐ローマ、1681)の「地獄に追放されるプロテスタント」(1675)


046
クーポラのフレスコ画は、ジョヴァンニ・ドメニコ・チェッリ―ニ(ペルージャ、1609‐ローマ、1681)の「駄天使の落下」(1654‐55)


225
Cappella Cornaro


040
この彫刻だけでも見る価値があります。


218
ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(ナポリ、1598‐ローマ、1680)の「聖テレーザの法悦」(1651)


245
ベルニーニの最盛期の作品の一つです。傑作です。


214
ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(ナポリ、1598‐ローマ、1680)の「Parchetti」(1644‐52)


226
Cappella di San Giuseppe
この彫刻をベルニーニの作品と間違える人が多いとか・・・・・


228
ドメニコ・グイディ(とラーノ、1625‐ローマ、1701)の「聖ジュゼッペの夢」


239
見所が多いので目移りしてしまいます。


224
詳細不知


221
オルガン


246
祭壇画を見て回ります。


229
ジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリ通称グエルチーノ(チェント、1591‐ボローニャ、1666)の「三位一体」(1642c)


233
グイド・レーニの作品です。


234
グイド・レーニ(ボローニャ、1575‐1642)の「ベルリンギエロ・ゲッシ枢機卿の肖像」(1641)


048
ドメニキーノの作品です。


227
ドメニコ・ザンピエーリ通称ドメニキーノ(ボローニャ、1581‐ナポリ、1641)の「聖母子と聖フランチェスコ」(1630)


230
ドメニコ・ザンピエーリ通称ドメニキーノ(ボローニャ、1581‐ナポリ、1641)の「光悦の聖フランチェスコ」(1630)


231
ドメニコ・ザンピエーリ通称ドメニキーノ(ボローニャ、1581‐ナポリ、1641)の「聖痕を受ける聖フランチェスコ」(1630)


232
ヘラルト・ファン・ホントホルスト(ゲラルド・デッレ・ノッティ)(ユトレヒト、1592‐1656)の「聖パオロの恍惚」(1620)


236
ニコラス・ロライン(シャルマーニュ、1600‐ローマ、1682)の「クローチェの聖ジョヴァンニに顕現するキリスト」(1667c)


237
ニコラス・ロライン(シャルマーニュ、1600‐ローマ、1682)の「クローチェの聖ジョヴァンニの魂を救う聖母」(1667)


238
ニコラス・ロライン(シャルマーニュ、1600‐ローマ、1682)の「クローチェの聖ジョヴァンニの死」(1667)


053
外に出ました。
(この項、おわり)

097
サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂からサンタ・プデンツィアーナ聖堂に向かいました。


100
大聖堂と聖堂は直線距離で約300mくらいなので、徒歩5分ほどで行けます。


101
鐘楼が見えてきましたが、目指すサンタ・プデンツィアーナ聖堂のものです。


102
道路よりも低い場所に聖堂が建ってます。


103
ローマの教会巡り17でサンタ・プラッセ―デ聖堂を取り上げましたが、この聖堂が献堂する聖プデンツィアーナと先に取り上げた聖プラッセ―デは姉妹で、聖プラッセ―デが姉、聖プデンツィアーナは妹と言われてます。
フィリピン人の国立教会となってます。


266
プデンテ元老院議員(聖プデンテ)(ローマ、1世紀‐2世紀)は、現在、この聖堂が建っている場所にドムスを所有していましたが、キリスト教に改宗するとドムス内の目立たぬ場所に教会を建設しました。キリスト教が禁じられていた時代なので、知れは仕方がなかったと思います。
2世紀、伝説に拠れば、プデンテ議員の娘プラッセ―デとプデンツィアーナは、聖ピエトロによって洗礼を受け、キリスト教に改宗しました。


280
マルクス・アウレリウス帝とアントニウス・ピウス帝から出されたキリスト教禁止令に背いて、姉妹は殉教しました。
4世紀頃、聖プデンテのドムスだった場所に建設されたのが、この聖堂です。ローマで最古の初期キリスト教会の一つとされてます。


104
創建された時期ですが、5世紀説など数説あって、起源と創建年について、今なお議論されているようです。


107
4世紀頃、または5世紀頃に創建された建物が、現在の建物の基本構造になってますが、その後に行われた改修や修復によって、外観と聖堂内部は創建時のものとは大きく異なります。
聖堂外観はかなりアンバランスに見えます。ファサードは一見古そうですが、よく見ると新しいものであることが分かります。
現在の外観は、1588年に大きく改修され、1870年に修復復元されたものです。


268
聖プラッセ―デの彫刻


105
ファサードのフレスコ画は色褪せて落剝も認められますが、長年、太陽と風雨にさらされた結果です。実は、ピエトロ・ガリアルディ(ローマ、1809‐フラスカーティ、1890)によって19世紀に修復されたものです。修復と言っても修復前には、フレスコ画の痕跡があるだけだったので、ガリアルディの作品と言っても過言ではないでしょう。


106
彫刻は、11世紀のもので、19世紀に修復されました。


269
ロマネスク様式の鐘楼は13世紀に建設されました。


113
中に入りました。


270
単廊式、バロック様式の聖堂内部です。
元々は三身廊、バジリカ様式の内部でしたが、1588年、柱廊を取り除き、聖歌隊席を撤去し、柱を増加させて強度を増加するために改造したのです。


114
祭壇画を見て行きました。
ジョヴァンニ・パオロ・ロッセッティ(1519‐1586)の「殉教者を悼む聖プデンツィアーナと聖プラッセ―デ」


115
ローマの逸名画家作「聖プデンテを洗礼する聖ピエトロ」(17世紀)


116
アントニオ・タナーリ(ローマ、17世紀中頃活動)の「シエナの聖カテリーナ」


117
アントニオ・タナーリ(ローマ、17世紀中頃活動)の「シエナの聖カテリーナ」


118
制作者情報不知の「大天使ラッファエーレとトビアス」


119
礼拝堂の名称が分かりません。


271
ローマの逸名画家作「クレメンツァの聖母」(1590c)


120
ラッザロ・バルディ(ピストイア、1624c‐ローマ、1703)の「聖母の誕生」


272


133
ラッザロ・バルディ(ピストイア、1624c‐ローマ、1703)の「ご誕生」


273



121
後陣と主祭壇


122
後陣のモザイク(390c)
ローマで最古のモザイクと言われてます。


127
修復の際、修復されなかった聖人の下半身がありません。


274


275
左の女性が聖プデンツィアーナです。


276
聖プラッセ―デ


124
主祭壇後方の3点の作品は、ベルナルディーノ・ノッキ(ルッカ、1741‐ローマ、1812)によって、1807年に制作されました。
左から、「聖ティモテウス」、「聖プデンツィアーナの栄光」、「聖ノヴァトゥス」


123
ニッコロ・チルチニャーニ通称イル・ポマランチョ(ポマランチェ、1530c‐1597c)の後陣フレスコ画


126


130
詳細不知


131
詳細不知


277


278


128
ピエタのモザイク


125
Cappella Caetani


129


112
外に出ました。


135
(この項、おわり)

↑このページのトップヘ