イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 BY:シニョレッリ

2020年05月

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歴史的建造物を見て回ります。


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写真左の建物が見ものです。


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1831年に建設されたPalazzo Gallettiです。ボルゲーゼ宮の影響を受けた壁龕の彫刻と言われてますが、何処がボルゲーゼ宮の影響なのか、サッパリ分かりません。


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写真右はPalazzo degli Sportiで、下部面積の有効利用のため、工夫されている建物です。


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オリウオーロ通りに入りました。


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振り返るとドゥオーモのクーポラが見えました。


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サン・ピエル・マッジョーレ広場に向かいます。


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塔がある建物が見えてきました。


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Torre di Corso Donati


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建物にアーチがありますが、1173年から1175年にかけて築かれた城壁の痕跡で、Arco di San pierinoと呼ばれてます。


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サン・ピエル・マッジョーレ広場、またはサン・ピエリーノ広場です。


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Palazzo Donatiの第2の塔です。


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写真右端は旧サン・ピエル・マッジョーレ教会です。


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旧サン・ピエル・マッジョーレ教会のファサードです。
11世紀に設されたベネデット会女子修道院が前身です。14世紀にゴシック様式の教会に改修され、1638年にファサードに柱廊が設けられました。
1783年、建物の一部が突如崩落し、危険と判断されて1784年に教会としての機能が停止されました。その後、教会だった建物は取り壊され、ファサードの一部だけが残され現在に至ってます。


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アルビツィ通りを進みます。


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14世紀中頃、フィレンツェは経済不振、ペスト、飢饉に見舞われ危機にありましたが、1350年代になると不況から脱しました。それに伴い、従来の旧勢力に代わって台頭してきたのが、ストロッツィ家、アルビッツィ家、メディチ家などの新興勢力でした。
この通りにアルビッツィ家とアルビッツィ家の支持者たちの家が並んでいました。


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写真右端がPalazzo Albiziです。


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Palazzo Albiziのアルビッツィ家の紋章


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Piazzetta Piero Calamandrei


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塔があります。


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アルビッツィ家の塔です。


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写真右の建物に注目です。


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Palazzo Valori-Altoviti


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この場所にはアルビッツィ家の建物がありました。
チョンピの乱後の1380年代から、フィレンツェはアルビッツィ家を中心とする寡頭政治下にありました。
1429年から1433年にかけてのルッカとの戦争によって、フィレンツェは財政危機に見舞われ、それを回避するために重税が課せられるようになると、ルッカとの戦争を推進したアルビッツィ家と戦争に消極的だったメディチ家を中心とする新興勢力との間に深刻な対立が起きました。
アルビッツィ家の当主リナルド・デリ・アルビッツィは、1433年、メディチ家の当主コジモ・イル・ヴェッキオを逮捕して、コジモの死刑を企図しましたが、死刑には至らず、結局コジモの10年間のフィレンツェ追放となりました。
1434年、フィレンツェがイーモラでミラノ軍に敗退すると、それを指導したリナルド・デリ・アルビッツィへの反感が俄かに高まり、ヴェネツィアに亡命していたコジモ・イル・ヴェッキオのフィレンツェ帰還が実現します。
アルビッツィ家はナポリに追放され、財産は没収となりました。
没収されたアルビッツィ家の建物や土地が売却されましたが、この場所にあった建物を買ったヴァローリ家が以前の建物を取り壊して新たに建設した建物です。ヴァローリ家はメディチ家の同盟者でした。


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Palazzo Valori-Altovitiの見所はファサードの彫刻です。


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ジョヴァンニ・バッティスタ・カッチーニ(モントポーリ・イン・ヴァル・ダルノ、1556-フィレンツェ、1613)によるファサードの彫刻


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建物の歴史を紐解くと、街歩きが一層楽しくなります。


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Palazzo Tanagli


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中にスタッコ彫刻、フレスコ画の傑作があります。


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当たり前ですが、勝手に中に入ることが出来ません。


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Palazzo Ramirez de Montalvoです。


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トスカーナ大公コジモ1世は、ナポリ副王の娘エレオノーラ・ディ・トレドと結婚しましたが、エレオノーラに従ってフィレンツェに来たのがスペイン出身のモンタルヴォのアントニオ・ラミレスです。
アントニオ・ラミレスは、コジモ1世の召使となりましたが、大変有能で、コジモの秘書兼侍従長のような存在になりました。
コジモ1世は、アントニオ・ラミレスを非常に気に入り、その貢献に報いるために、この場所を与えたのです。


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コジモ1世は、1568年、宮廷建築家バルトロメオ・アンマナティ(センティニャーノ、1511-フィレンツェ、1592)に命じて、この場所にあった建物を取り壊して、新しい建物を建設させたのです。


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ファサードのフレスコ装飾はかなり傷んでますが、トスカーナ大公国お抱えの哲学者で歴史家のヴィンチェンツォ・ボルギーニ(フィレンツェ、1515-1580)が図柄を作成し、宮廷画家のジョルジョ・ヴァザーリ(アレッツォ、1511、フィレンツェ、1574)と当時ヴァザーリの助手を務めていたベルナルディーノ・ポッチェッティ(フィレンツェ、1548-1612)によって制作されたものです。


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現在、Palazzo Ramirez de Montalvoはホテルになってます。


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プロコンソロ通り


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コルソ通りを進みます。


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コルソ通りの突き当りが共和国広場です。


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Torre dei Donati


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この塔とこの付近の建物には興味深い歴史があります。


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アルベルゴ・フィレンツェはお勧めしません。


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急遽フィレンツェに行くことになり、空いていたのはここだけでした。


1211
良かったのは、食堂のフレスコ画だけでした。
(つづく)

引き続きサンタ・マリア・ヌオーヴァ病院です。
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Chiostro delle Medicherieです。


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キオストロ回廊の作品を見て回ります。


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回廊に修復工房があります。


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修復工房の部屋にある作品です。(詳細不知)


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ジョヴァンニ・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1469‐1529)の「嘆き」


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制作者情報不知の「聖母子」(15世紀)


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詳細不知


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ビッチ・ディ・ロレンツォ(フィレンツェ、1373‐1452)の「1419年のサンテジーディオ教会奉献式を執り行う教皇マルティーノ5世(第206代教皇 在位:1417‐1431)」(1430c)


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看護師や医師と思われる人たちが回廊にいました。


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有名な作品が修復作業中でした。


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修復されていた作品です。
ゲラルド・ディ・ジョヴァンニ・デル・フォーラ(フィレンツェ、1445‐1497)の「サンタ・マリア・ヌオーヴァ病院の特権を許認する教皇マルティーノ5世」


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他に見たい作品が沢山ありましたが、病院なのでこれ以上の鑑賞を自制しました。


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観たかった作品です。(外部サイトから拝借した作品画像)


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次はサンテジーディオ教会です。


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サンタ・マリア・ヌオーヴァ病院の柱廊にサンテジーディオ教会があります。


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教会がある場所は、ロマネスク様式の修道院の一部でしたが、1289年に病院に組み込まれました。
14世紀末に柱廊に教会の建設が決まり、ロレンツォ・ディ・ビッチ(フィレンツェ、1350‐1427)に委嘱され、ロレンツォの設計によって15世紀初めに着工されました。
1419年、第206代教皇マルティーノ5世(在位:1417‐1431)によって奉献式が執り行われました。
現在の教会の外観は、ベルナルド・ブオンタレンティ(フィレンツェ、1531‐1608)の設計によって、ジュリオ・パリージ(フィレンツェ、1571‐1635)の建設工事監督によって16世紀末に行われた改修後のものです。


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入口扉上ルネッタの「聖母戴冠のテラコッタ」


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拝観します。


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単廊式、バロック様式の内部です。


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左側壁


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右側壁


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ジュゼッペ・トネリ(フィレンツェ、1668‐1732)とマッテオ・ボネーキ(フィレンツェ、1669‐1756)による天井装飾(18世紀前半)


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主祭壇と後陣


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主祭壇
奉献以来、主祭壇にはロレンツォ・モナコの「マギの礼拝」が置かれていましたが、1484年にフーゴー・ファン・デル・グースの「ポリティナーリのトリッティコ」に置き換えられました。
現在、その2つの作品はウフィッツィ美術館で見ることが出来ます。
ご参考までに、それらの作品画像を載せおきましょう。


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ロレンツォ・モナコの「マギの礼拝」


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フーゴー・ファン・デル・グースの「ポルティナーリのトリッティコ」


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羊飼いの礼拝


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聖トンマーゾと聖アントニオ・アバーテとポルティナーリ家の人々


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聖マルゲリータと聖マリア・マッダレーナとポルティナーリ家の人々


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後陣の装飾と磔刑像


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マッテオ・ボネーキ(フィレンツェ、1669‐1756)の後陣フレスコ画


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詳細不知


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ジャチント・ジェミニアーニ(ピストイア、1606‐1681)の「聖エジーディオ」(1670c)


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ジョヴァン・バッティスタ・パッジ(ジェノヴァ、1554‐1627)の「ベテスダの池」


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アレッサンドロ・アッローリ(フィレンツェ、1535‐1607)の「十字架降下」(1579)


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詳細不知


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バルダッサッレ・フランチェスキーニ通称イル・ヴォルテッラーノ(ヴォルテッラ、1611‐フィレンツェ、1690)の「病人を治癒させる聖ルドヴィーコ」(1665c)


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詳細不知


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制作者情報不知の「死せるキリスト」


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フェリーチェ・フィケレッリ(サン・ジミニャーノ、1605‐フィレンツェ、1660)の「聖母子と聖人たち」(1654‐57)


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詳細不知


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天井の装飾


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詳細不知


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詳細不知


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聖水盤


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シピオーネ・バルガーリの墓
シピオーネ・バルガーリ(シエナ、1540‐1612)は人文学者でした。


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主祭壇前から見た出入口方向


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外に出ます。


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(つづく)

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ホテルを出て、先ずファエンツァ通りを通ります。


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フリーニョの最後の晩餐美術館は開いているでしょうか?普段ならば開く日になってますが、近頃閉まっていることが多いのです。


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小さなホテルがファエンツァ通りに沢山あります。


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旧フリーニョ修道院だった建物です。


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この日も最後の晩餐美術館は閉まっていました。尚、フリーニョの最後の晩餐美術館に付いては既に取り上げました。


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毎日の行き来に見るジョヴァンニ・ディ・サン・ジョヴァンニの「聖母子のタベルナコロ」


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少し進むと、もう一つ「聖母子のタベルナコロ」があります。


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これです。


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聖母子のタベルナコロ


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14世紀のフィレンツェの逸名画家の作品です。


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次の交差点を左折します。


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メディチ家礼拝堂の前に出ました。


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サン・ロレンツォ聖堂身廊横を進みます。


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サン・ロレンツォ聖堂は拝観しないで先を急ぎます。


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メディチ・リカルディ宮殿を通り過ぎます。


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適当に歩いても何とかなります。


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写真右はPalazzo Incontriです。


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サン・ミケーレ教会(サン・ミケリーノ・ヴィスドミニ教会)です。


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ちょっとだけ拝観しました。


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外に出ます。


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メディチ家の紋章の玉が一つしかありません。


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街角の聖母子です。


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19世紀中頃のフィレンツェの逸名画家の作品です。


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バイクの駐車場です。


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イタリアにしては整然と行儀良く駐車しているので、驚きでした。
次はサンタ・マリア・ヌオーヴァ病院です。


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サンタ・マリア・ヌオーヴァ病院にやってきました。


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ダンテの最愛の人ながら結ばれることがなかったベアトリーチェ・ポルティナーリ(フィレンツェ、1266c‐1290)の父フォルコ・ポルティナーリ(ポルティコ・ディ・ロマーニャ、1222?‐1289)によって1288年に建設されたサンタ・マリア・ヌオーヴァ病院です。
高利貸しで財を成したフォルコ・ポルティナーリが、贖罪のために財産の大部分を寄付して建設されたのです。


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道路を挟んで病院の向かいにある建物です。


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女子修道院だった建物です。


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この修道院の修道女たちが向かいの病院で看護などをしていました。


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フィレンツェにおける最古の福祉施設ながら、今なお現役の病院です。


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芸術品の宝庫です。美術館に移された作品が幾つかありますが、今でも必見の作品が残されてます。


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しかし、病院なので観光客の立ち入りは自制すべきであり、見ることが出来る作品は限られてます。


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病院の建物にサンテジーディオ教会があります。教会の拝観は後回しにしました。


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入口の柱廊です。病院には柱廊、回廊があります。


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入口の柱廊のフレスコ画から見て行きます。


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東端の壁に描かれたフレスコ画です。


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タッデオ・ズッカリ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1529‐ローマ、1566)の「受胎告知」(1560c)


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アントニオ・チルチニャーニ通称イル・ポマランチョ(ポマランチェ、1560‐ローマ、1620)の「キリストと教会博士たち」(1614)
単にイル・ポマランチョというと数人の画家がいるので、区別することが肝要です。


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アントニオ・チルチニャーニ通称イル・ポマランチョ(ポマランチェ、1560‐ローマ、1620)の「嬰児虐殺」(1614)


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アントニオ・チルチニャーニ通称イル・ポマランチョ(ポマランチェ、1560‐ローマ、1620)の「マギの礼拝」(1614)


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アントニオ・チルチニャーニ通称イル・ポマランチョ(ポマランチェ、1560‐ローマ、1620)の「ご誕生」(1614)


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メディチ家とポルティナーリ家の紋章


1


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(つづく)

148
久し振りにドゥオーモのクーポラに上りました。


139
エレベーターが欲しいところですが頑張りました。


137
余ほど暇がないと上らない私ですが、この日は少々疲れ気味だったので、適当に過ごそうと思っていました。疲れ気味にも拘らず上ったのは、非常に空いていたからです。


135
疲れ気味なのに、わざわざ上ってバカみたい。


143
晴れていましたが霞んでいました。


156
塔を見に行くことに。


155
ダンテの家博物館の塔です。


154
Torre dei Giuochi


198
ホテル・ブルネッレスキのビザンティン様式のTorre della Pagliazza


228
この塔の名前が思い出せません。


229
Torre dei Barbadori o Torre de Ridolfi?


230
ヴァザーリの回廊のTorre dei Mannelli


233
Torre degli Amidei


227
次はサント・ステファノ教会です。


216
サント・ステファノ教会の扉が閉まっていました。この日は、この教会でコンサートが行われるので必ず開く筈です。


225
2,3時間後に再びサント・ステファノ教会に行くことにして、街歩きを続けました。


224
フィレンツェは、見所が膨大にあるので退屈しません。


252
ブルネッレスキのロトンダ


253
フィリッポ・ブルネッレスキの設計によって1434年に建設されたサンタ・マリア・デリ・アンジェリ礼拝堂です。


254
ぺルゴラ劇場


223
1570年から1574年に建設されたPalazzo di Bianca Cappelloです。


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ベルナルディーノ・ポッチェッティ(フィレンツェ、1548‐1612)によるファサードの装飾が見ものです。


366
再びサント・ステファノ教会に向かいます。


432
サント・ステファノ・アル・ポンテ教会が開いてました。
教会の最初の記録は1116年の文書ということで、1116年以前に存在していたことが分かってます。


464
1233年頃、ファサードの下部が現在の姿に改修されました。
1986年、教会機能が停止されました。
現在、教会だった建物は、トスカーナ管弦楽団のホールになってます。トスカーナ古楽器管弦楽団やフィレンツェ室内管弦楽団などのコンサートが行われてます。


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単廊式、バロック様式の内部です。


479
左側壁


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右側壁
各礼拝堂の祭壇画を見て行きます。ここで注意したいのは、この教会に元々あった作品が少なく、他の教会にあった祭壇画が持ち込まれて礼拝堂に設置された作品が幾つかあることです。


435
制作者情報不知の「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」


438
フランチェスコ・コンティ(フィレンツェ、1681‐1760)の「天国の鍵を聖ピエトロに託すキリスト」


440
ミーノ・ダ・フィエーゾレ(ポッピ、1429‐フィレンツェ、1484)?の「聖母子」


442
16世紀のフィレンツェの逸名画家作「聖家族と聖ジョヴァンニーノ」


445
詳細不知


447
詳細不知


450
ニッコロ・ラーピ(フィレンツェ、1667‐1732)の「磔刑」
15世紀のフィレンツェの逸名彫刻家作「磔刑像」


452
フランチェスコ・クッラディ(フィレンツェ、1570‐1661)の「聖チェチリアの死」


456
制作者情報不明の「チゴリ作『十字架降下』のコピー画」


458
マッテオ・ロッセッリ(フィレンツェ、1578‐1650)の「聖ロレンツォに顕現する聖母子」


461
17世紀のフィレンツェの逸名画家作「トレンティーノの聖二コラ」


481
サント・ステファノ・アル・ポンテ教会のファサード横後方にサント・ステファノ付属美術館がありますが、近年開いていたことがありません。


482
中にジョット・ディ・ボンドーネ(コッレ・ディ・ヴェスピニャーノ1267c‐フィレンツェ、1337)の「聖母子」があります。


465
外に出ました。


466
オルサンミケーレ教会


464
ドゥオーモに来ました。


465
ホテルに戻る途中にドゥオーモがあるので、ホテル・ヴァザーリに泊まるときは、毎日ドゥオーモの前を行き来します。


468


462
(つづく)

388
晴れてきましたが、昨夜から未明にかけての雨で、日が当たらない道路は未だ濡れていました。


389
気温が急に上昇してきました。


390
次はサンティ・アポストリ教会です。この辺は13世紀から14世紀の建物や塔が並んでます。


391
サンティ・アポストリ教会です。
西暦800年に教会の歴史が遡るという記録があるのですが、その記録は後世の捏造との説が有力とされているようです。
現在のロマネスク様式の建物は11世紀末頃に着工されたそうです。


392
屋根付きのファサードが特徴です。
そのファサードは、建築家ベネデット・ダ・ロヴェッツァーノ(ロヴェッツァーノ、1474‐カナペール、1554c)の設計によって16世紀中頃に建設されました。


427
小さな鐘楼は、バルトロメオ・ディ・アーニョロ・バリオーニ通称バッチョ・ダーニョロ(フィレンツェ、1462‐1543)の設計によって16世紀前半に建設されました。


475
ファサードはリンボ広場に面してます。


426
リンボ(辺獄)広場の名称は、洗礼を受ける前に死んだ子供たちの墓地が広場にあったことに由来します。
洗礼を受けないで死ぬと成仏?できないと考えられており、赤ちゃんの死亡率が高かったので、誕生した翌日に洗礼式が執り行われることが屡々ありました。


393
毎日開いているので拝観し易いと思います。


394
教会内に入りました。


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教会の構造図


430
教会の案内板


395
三廊式、バジリカ形式のロマネスク様式の内部です。


396
コリント式列柱が目立ちます。


424
木組みの梁の天井


397
ヤコポ・ディ・チョーネ(フィレンツェ、1325‐1399)とニッコロ・ディ・ピエトロ・ジェリーニ(フィレンツェ、1368から記録‐1415没)の「玉座の聖母子と4聖人のポリッティコ」(1383)


476
私の写真が不鮮明なので、外部サイトから拝借した鮮明な作品画像を掲載しておきます。


399
ジョヴァンニ・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1469‐1529)の「Tabernacolo del sacramento」(1500‐25c)


477
私の写真が不鮮明なので、外部サイトから拝借した鮮明な作品画像を掲載してます。


404
マーゾ・ダ・サン・フリアーノ(フィレンツェ、1536‐1571)の「幼きキリストへの崇拝」


405
「幼きリストへの崇拝」の前のプレセピオ


406


408
アレッサンドロ・フェイ・デル・バルビエーリ(フィレンツェ、1543‐1592)の「大天使聖ミケーレ」


409
詳細不知


478
アントン・ドメニコ・ガッビアーニ(フィレンツェ、1652‐1726)の「サレスの聖フランチェスコの栄光」(1685)


411
上部


410
下部


412
パオロ・スキアーヴォ(ローマ、1397‐ピサ、1478)の「聖母子のシノピア」


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パオロ・スキアーヴォ(ローマ、1397‐ピサ、1478)の「聖母子」(1400‐10c)


415
詳細不知


416
詳細不知


417
詳細不知


419
ジョルジョ・ヴァザーリ(アレッツォ、1511‐フィレンツェ、1574)の「無原罪の御宿リの寓意」(1541)


421
詳細不知


423
詳細不知


431
外に出ました。


387
日が当たっている道は乾いていました。


359
サント・スピリト教会に向かいます。


362
橋を渡ります。


364


356
残念! サント・スピリト教会は閉まっていました。


354
教会が閉まる時間になったので、ウフィツィ美術館に行くことにしました。


379


378


370
(つづく)

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午後9時過ぎにサンタ・マリア・ノヴェッラ駅に到着しました。


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今回は、駅近くのお宿にしました。


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共和国広場に面したペンディーニ・ホテルの予約が満室だったので、ここにしました。毎年泊まってます。


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このホテルの特徴は、部屋のドア、廊下、食堂、部屋内などに名画の写真が沢山あることです。


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これを見て回るだけでも楽しいのです。


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部屋の扉には必ず肖像画があります。その肖像画は大体メディチ家の人々のものです。


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美術ファンならば一度泊まっても損がないと思います。


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広間天井のフレスコ画
16世紀中頃に建てられた修道院を改装したホテルなので、ホテル内のあちこちにオリジナルのフレスコ画があります。


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制作者と画題は大体分かります。


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肖像画は少し難しい。


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夕食に出ました。


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ホテルから徒歩数分の魚料理のレストランにしました。


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時々利用してます。


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外に出ました。


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ファエンツァ通り


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街角のタベルナコロ


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酔い覚ましのブラブラ歩きです。


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午後11時近くですが、まだまだ人通りが多い。


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教会です。


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開いていたことが一度もなく、拝観したことがありません。


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マルタ騎士団?


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ホテルに戻りました。


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翌朝です。
街角のタベルナコロ


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写真左の建物内にフレスコ画があります。
図々しく中に入って写真を撮らせて頂きました。


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父なる神


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ご誕生
夏に行った時、扉が開いていたので覗き込んだらフレスコ画があることが分かりました。


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フリーニョの最後の晩餐美術館は閉まっていました。ここについては既に取り上げました。


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近頃、大体閉まってます。


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街角のタベルナコロの中で傑作とされてます。


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ジョヴァンニ・ダ・サン・ジョヴァンニ(サン・ジョヴァンニ・ヴァル―ダルノ、1592‐フィレンツェ、1636)の「聖母子と聖人たち」
ジョヴァンニ・ダ・サン・ジョヴァンニはマッテオ・ロッセッリの弟子でした。
(つづく)

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次はサン・ロレンツォ聖堂とメディチ家礼拝堂です。


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見慣れたサンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂です。


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サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂の後陣


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サンタ・マリア・ノヴェッラ駅


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写真右端はメディチ家礼拝堂ですが、メディチ家礼拝堂については既に取り上げました。


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ジョットが生まれた場所に建つPalazzo Benciです。


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Palazzo Benciの外壁にフレスコ画が描かれてます。ジョヴァンニ・マリア・ブッテリ(フィレンツェ、1540c‐1606)によって描かれたとされてます。


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Palazzo Benciにあるトスカーナ大公フランチェスコ1世・デ・メディチの胸像です。この胸像がここにあるのは、フランチェスコ1世の愛妻ビアンカ・カッペロに対してベンチ家が援助したことに由来するそうです。


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サン・ロレンツォ広場の一部が工事中でした。


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歴史的建造物が建ち並んでます。


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サン・ロレンツォ聖堂のファサード側に回ります。


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サン・ロレンツォ聖堂については既に取り上げました。


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サン・ロレンツォ広場にある、バッチョ・バンディネッリ(フィレンツェ、1488‐1560)の「ジョヴァンニ・デッラ・バンデ・ネリのモニュメント」(1540)


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メディチ・リカルディ宮殿については既に取り上げました。


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粗石積みの外壁


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カヴール通り


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道を挟んで、メディチ・リカルディ宮殿の隣に建っているのがサン・ジョヴァンニーノ・デリ・スコロピ教会です。


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1351年にこの場所に建設されたサン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ礼拝堂がありました。
1557年、フィレンツェに訪れたイエズス会に対して、コジモ1世がイエズス会の活動拠点の一部として、その礼拝堂を与えました。
イエズス会は、礼拝堂を取り壊し、その上に新教会の建設を決め、建築家バルトロメオ・アマンナーティ(セッティニャーノ、1511‐フィレンツェ、1592)の設計によって、1579年に創建され、1665年に完成したマニエリスム様式のサン・ジョヴァンニーノ・デリ・スコロピ教会です。


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ローマのジェズ教会を参考にして設計されたと言われてます。


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1836年に再建されたファサードです。


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ファサードのイエズス会の紋章


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ファサードの装飾


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教会内に入りました。


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ミサ中でした。


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単廊式、ラテン十字形の内部です。


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右側壁


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天井
祭壇画を見て回ります。


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ヤコポ・リゴッツィ(ヴェローナ、1547‐フィレンツェ、1627)の「三大天使」(1602c)


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アレッサンドロ・アッローリ(フィレンツェ、1535‐1607)の「キリストとサマリア女」(1587c)


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アントニオ・フランキ(フィレンツェ、1638‐1709)の「聖ジュゼッペ・カラサンツィオの幻視」


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アントニオ・プリエスキ(フィレンツェ、1660‐1732)の「天上の聖母子と聖イグナツィオ・ディ・ロヨラ」


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主祭壇
ミサが終わりました。


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フランチェスコ・クッラディ(フィレンツェ、1570‐1661)の「聖フランチェスコ・ザビエルのインディアンへの説教」(1622)


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ジョヴァンニ・ドメニコ・カンピーリア(ルッカ、1692‐ローマ、1775)の「聖ニコラ・ダヴァンティに顕現するキリスト聖母」


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アゴスティーノ・ヴェラチーニ(フィレンツェ、1689‐1762)の「聖ジュリアーナ・ファルコニエーリ」


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アルベルト・ザルド(1876‐1959)の「聖ポンピリオ」(1936)


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ジローラモ・マッキエッティ(フィレンツェ、1535‐1592)の「磔刑」


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アゴスティーノ・ヴェラチーニ(フィレンツェ、1689‐1762)による天井フレスコ画(1758)


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イエズス会の紋章


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説教壇


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アレッサンドロ・フェイ・デル・バルビエーリ(フィレンツェ、1543‐1592)の「最後の晩餐」


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主祭壇前から見た出入口


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外に出ました。


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絵画ファンにとって嬉しい教会です。


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街角のタベルナコロ


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(つづく)

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フィレンツェの建物は一つ一つ見て行く価値があります。


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街角の「聖母子と2聖人」のタベルナコロ


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カッライア橋に向かいます。


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買わないならば見ないで、と言われてしまいました。


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セッラリ通りの先がカッライア橋です。


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カッライア橋からの景観


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手前がサンタ・トリニータ橋、その先がヴェッキオ橋です。


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橋を渡ってカルロ・ゴルドーニ広場に出ました。


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あの建物の街角のタベルナコロを見ます。


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ガラスの保護板があるので、よく見えません。


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Via del Fossiに必見の彫刻があります。


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レストラン「トレ・メルリ」の建物の外壁にある彫刻です。


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この彫刻です。


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私にはこの彫刻の詳細が分かりません。


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この建物は教会か礼拝堂だったと思います。


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「トレ・メルリ」ですが、お勧めです。


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Via del Fossiを進みます。


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街角の作品を見ます。


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教会だったような建物に作品があります。


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これです。


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保護のガラス板があるので、写真が・・・・・


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かなりマシになりました。


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荊刑のキリスト


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比較的新しい作品です。


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次はマリーノ・マリーニ美術館です。


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マリーノ・マリーニ美術館は、サン・パンクラツィオ教会だった建物にあります。


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マリーノ・マリーニ美術館です。


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サン・パンクラツィオ教会の最古の記録は931年の文書における記載だそうです。14世紀に増築され、18世紀中頃に現在の姿に改修されたそうです。


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1808年、教会としての活動が停止され、その後、様々な用途に使用されていました。


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マリーノ・マリーニ美術館は1988年にオープンしました。


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入館しました。
マリーノ・マリーニの作品は、私の好みから少し外れるので、展示作品紹介等は省略させて頂きます。


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少し晴れてきました。


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街角のタベルナコロ


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この通りは?


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トルナブオーニ通りでしょうか?


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Loggia Rucellai


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この通りを更に進めばサンタ・マリ・ノヴェッラ広場に出ます。


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かなり晴れてきました。


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オベリスク


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日が陰っていた方が写真写りが良いみたい。


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(つづく)

引き続きサン・フレディアーノ・イン・チェステッロ教会です。
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ジョヴァン・カミッロ・チャビッリ(シーニア、1675‐フィレンツェ、1746)の「聖アナスタショの殉教」(18世紀)


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「聖アナスタショの殉教」がある礼拝堂のフレスコ画です。


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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制作者情報不知の「聖ロッコ」


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ジョヴァンニ・カミッロ・サグレスター二(フィレンツェ、1660‐1731)の「聖マリア・マッダレーナ・デ・パッツィの光悦」(1702)


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「聖マリア・マッダレーナ・デ・パッツィの光悦」がある礼拝堂の装飾


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ジョヴァンニ・カミッロ・サグレスター二(フィレンツェ、1660‐1731)の「聖マリア・マッダレーナ・デ・パッツィの生涯の物語」


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次の礼拝堂です。


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礼拝堂クーポラのフレスコ画


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製作者情報不知


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アレッサンドロ・ゲラディーニの「ご誕生」


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詳細不知


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主祭壇前から見た出入口方向


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外に出る前に、もう一度主祭壇を見ました。


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外に出ました。


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ルイージ・ソデリーニ通りです。


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ルイージ・ソデリーニ通りではなく、チェステッロ通りを進みます。


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塔があります。


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塔の名称が分かりません。


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次はカルミネ教会です。


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サンタ・マリア・デル・カルミネ教会に到着です。


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カルミネ教会とブランカッチ礼拝堂については既に取り上げました。


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マザッチョとマゾリーノのフレスコ画を見て大満足。


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旧サンタ・モニカ教会です。


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1808年に宗教活動を停止した教会です。現在は、展示会、コンサートなどの会場として使用されてます。


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聖母子のタベルナコロ


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Via d'Ardiglione


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この通りにフィリッポ・リッピの生家があります。


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リッピの生家はこの先です。


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この建物がフィリッポ・リッピの生家です。


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壁に碑文があるので直ぐに分かります。


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Via d'Ardiglioneの30番地になります。


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受胎告知される聖母?


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(つづく)

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オルトラルノ(フィレンツェのアルノ川左岸)に向かいました。


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パラッツォ―ロ通りを進みます。


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パラッツォ―ロ通りを左折して、マーゾ・フィニグエッラ通りに入ります。


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映画館


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マーゾ・フィニグエッラ通りを真直ぐ進めば、アルノ川に架かるアメリゴ・ヴェスプッチ橋です。


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アルノ川右岸に出ました。対岸に見えているのは、サン・フレディアーノ・イン・チェステッロ教会です。


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アメリゴ・ヴェスプッチ橋の上からカッライア橋を望みます。


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近くよりもやや遠くからの方が教会外観全容がよく分かります。


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アメリゴ・ヴェスプッチ橋を渡ってアルノ川左岸に到着です。


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右岸にある、何回も泊まったことがあるホテルです。高いのが取り柄?のホテルですが、それなりのサービスを受けることが出来ます。


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オーニッサンティ教会


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ヴェッキオ宮の塔が見えてます。


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写真左端に写っている鐘楼は、サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂のものでしょう。


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現在、サン・フレディアーノ・イン・チェステッロ教会が建っている場所は、カルメル会のサンタ・マリア・デリ・アンジェリ修道院の敷地でした。
サンタ・マリア・デリ・アンジェリ修道院には、聖マリア・マッダレーナ・デ・パッツィ(フィレンツェ、1566‐1607)が居住していました。
教会は1450年頃に建設されました。


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1628年、カルメル会の修道女は、シトー会所有の建物と交換することを決め、修道院教会から立ち去り、この場所にあった修道院教会の建物はシトー会の所有となりました。
シトー会は、教会の改修を決め、建築家ゲラルド・シルヴァーニ(フィレンツェ、1579‐1675)に工事を委嘱しました。シルヴァーニの死去に伴い、工事は一時中断しましたが、1680年、建築家ジュリオ・セルティに引き継がれました。
また、クーポラはアントニオ・マリア・フェッリ(フィレンツェ、1651‐1716)の設計によって1689年に建設されました。
現在、クーポラが完成した1689年当時の姿を見ることになります。


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午前中の拝観は午前11時半までとなってます。


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ファサードは未完成です。


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質素なファサード側出入口


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教会内に入りました。


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三身廊、ラテン十字形、バロック様式の内部です。


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「フィレンツェでは珍しいバロック様式」と書いてきましたが、結構ありますね。


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かなり新しく見えるのは、20世紀の修復の際に再塗装されたからでしょう。


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18世紀に造られた大理石の祭壇


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クーポラ


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クーポラのフレスコ画は、アントン・ドメニコ・ガッビアーニ(フィレンツェ、1652‐1726)の「聖マリア・マッダレーナ・デ・パッツィの栄光」(1702‐18)です。


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天蓋


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フランチェスコ・クッラディ(フィレンツェ、1570‐1661)の「天上の聖母と聖人たち」


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詳細不知


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主祭壇の磔刑像


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詳細不知


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ヤコポ・デル・セッライオ(フィレンツェ、1441c‐1493)の「磔刑と聖人たち」


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Cappella di San Bernardoの「Madonna del sorriso」


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木彫りの「微笑みの聖母」(13‐14世紀)


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聖ベルナルド礼拝堂のフレスコ画は、ピエル・ダンディーニ(フィレンツェ、1646‐1712)の「シトー会創設聖人の生涯の物語」(1688‐89)です。


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聖べルナルド礼拝堂のクーポラ


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アントニオ・フランキ(ヴィッラ・バジリカ、1638‐フィレンツェ、1709)の「キリストの洗礼」(1706)


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詳細不知


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(つづく)

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次はサン・パオリーノ教会です。


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サン・パオリーノ教会のファサードが修復中でした。


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335年に設立され、404年に奉献された初期キリスト教会が前身です。
現在の建物は、1049年に着工されたゴシック様式のものが原形です。


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当時の名称はサン・パオロ・アポストロ教会でしたが、同名の教会が近くにあって混同を避けるために、1208年以降、サン・パオリーノ教会と改称されました。


1
修復工事後のファサード


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ファサードは未完成のまま現在に至ってます。
1217年にドメニコ会の教会となり、その後、カルメル会の所有となった時期があります。
17世紀のバロック様式に改修され、その改修工事が終了した1693年が建物の完成年とされてます。


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ファサードの紋章


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教会内に入りました。


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単廊式、ラテン十字形、バロック様式の内部です。


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右側壁


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バロック様式の教会にしては地味な天井装飾です。


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教会の説明パンフレット


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祭壇画などを見て行きます。
詳細不知


P1180920
詳細不知


P1180921
詳細不知


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ジョヴァンニ・アントニオ・ソリアーニのサークルの逸名画家作「受胎告知」(16世紀初め)


2
外部サイトから拝借した作品画像


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詳細不知


P1180928
詳細不知


P1180929


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主祭壇と後陣


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主祭壇


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ドメニコ・ウーディネ・ナーニ(ロベルト、1784‐フィレンツェ、1850)の「聖パオロの殉教」(1819)


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ドメニコ・ウーディネ・ナーニ(ロベルト、1784‐フィレンツェ、1850)の「聖パオロの回心」(1819)


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クーポラ


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詳細不知


P1180934
詳細不知


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新しそうなフレスコ


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P1180939
詳細不知


P1180941
詳細不知


P1180942
ジョヴァンニ・ドメニコ・フェレッティ(フィレンツェ、1692‐1765)の「マギの礼拝」


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ジョヴァンニ・ドメニコ・フェレッティ(フィレンツェ、1692‐1765)の「聖パオロの死」(1742)


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イグナツィオ・ヘックフォード(ピサ、1703‐フィレンツェ、1778)の「エジプトへの逃避途中の休息」


P1180951
ヴィンチェンツォ・メウッチ(フィレンツェ、1694‐1766)の「聖母の結婚」


P1180959
フランチェスコ・クッラディ(フィレンツェ、1570‐1661)の「天上の聖母子と聖ジョヴァンニ・デッラ・クローチェと聖テレーザ」


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ピエトロ・マルケジーニ通称ロトルラニーノ(ピストイア、1692‐1757)の「アビラの聖テレーザに首輪を与える聖母」(1740c)
ロトルラニーノの代表作です。


P1180961
イグナツィオ・ヘックフォード(ピサ、1703‐フィレンツェ、1778)の「聖ジョヴァンニ・デッラ・クローチェに顕現するキリスト」


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出入り口


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ファサード裏にオルガンがあります。


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入口扉のステンドグラス


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外に出る前に、もう一度祭壇を見ました。


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教会前の広場に出ました。
(つづく)

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サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂の後陣と鐘楼です。


P1180863
拝観しました。サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂については既に取り上げました。


P1180865
少なくても年に1回は拝観してます。


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ファサード側主扉上ルネッタのフレスコ画


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ファサードの柱頭


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向かって右扉上ルネッタのフレスコ画


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ファサードの扉横柱の彫刻


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向かって左扉上ルネッタのフレスコ画


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サンタ・マリア・ノヴェッラ広場


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オベリスクは、バルトロメオ・アンマナティ(セッティニャーノ、1511‐フィレンツェ、1592)によって16世紀に造られました。


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旧サン・パオロ病院の建物です。
13世紀初頭に巡礼者のホスピスとして建設され、1345年にサン・パオロ病院になりました。   
現在、アリナーリ博物館、ノヴェチェント美術館に使用されてます。


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旧サン・パオロ病院ロッジャの壁にある彩釉テラコッタを見ます。
アンドレア・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1435‐1525)の「Lo spedalingo B. Benigni」(1451)


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アンドレア・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1435‐1525)の「慈悲」


P1180882
アンドレア・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1435‐1525)の「聖キアーラ?」


P1180883
アンドレア・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1435‐1525)の「Santa Francescana」


P1180884
アンドレア・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1435‐1525)の「Santo Fracescano」


P1180885
アンドレア・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1435‐1525)の「シエナの聖ベルナルディーノ」


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ピエトロ・フランカヴィッラ(フランス、カンブレ、1548‐パリ、1615)の「フェルディナンド1世・デ・メディチの胸像」(1594c)


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アンドレア・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1435‐1525)の「Santo Fracescano」


P1180888
アンドレア・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1435‐1525)の「Santo Fracescano」


P1180889
アンドレア・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1435‐1525)の「聖フランチェスコ」


P1180890
アンドレア・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1435‐1525)の「慈悲」


P1180891
アンドレア・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1435‐1525)の「Lo spedalingo B. Benigni」(1491c)


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広場の端の建物のフレスコ画を見ます。


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フランチェスコ・フィオレンティーノの「玉座の聖母子と聖人たち」(1420)
フランチェスコ・フィオレンティーノは、ロレンツォ・モナコの弟子です。


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天使たちも描かれていましたが、落剝したようです。


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よく読めないのですが、コピー画のようです。


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スカーラ通りを進みます。


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15世紀に建設されたPalazzo del Borgo


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四つ星ホテルになってます。


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私は未だ泊まったことがありません。


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ホテルが多い通りです。


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街角の聖女のタベルナコロ
聖パオリーノ?


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次はヴァンケトーニ祈祷所です。


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街角のピエタ


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コジモ2世の妻マリア・マッダレーナ・ダ・オーストリアによって1602年から1604年に建設されたOratorio dei Vanchetoni o Arciconfraternita di San Francesco detta dei Vanchetoniです。


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ロレンツォ・リッピなどの祭壇画がありますが、扉が閉まっていました。


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酷い落書きの案内板


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(つづく)

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次は、写真右のサンタ・マルゲリータ・デイ・チェルキ教会です。


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1032年の文書に記載がある、フィレンツェで最古の教会の一つです。12世紀頃、数度改造されて現在の姿になったそうです。


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1285年、または1290年、ダンテが婚約者ジェンマ・ドナーティと結婚式を挙げた教会とされており、別名ダンテ教会とも呼ばれてます。
しかし、ダンテは近くにあるサン・マルティーノ教会で挙式したとの有力説があり、本当の所はよく分からないようです。


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ダンテの最愛の女性ベアトリーチェ・ポルティナーリの墓があることでも有名です。
しかし、ベアトリーチェは、フィレンツェの銀行家、大商人のバルディ家に嫁ぎ、離婚しなかったことから、サンタ・クローチェ聖堂のキオストロ回廊にあるバルディ家の墓に葬られたと考えるのが自然とされてます。つまり、この教会にあるベアトリーチェの墓は後世の捏造の可能性があるのです。


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観光客で大体賑わってます。


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中に入りました。


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単廊式、ロマネスク様式の内部です。


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右側壁


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天井


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祭壇画を見ます。


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ネーリ・ディ・ビッチ(フィレンツェ、1419‐1492)の「玉座の聖母子と4聖人(聖ルチア、聖マルゲリータ、聖アガタ、アレッサンドリアの聖カテリーナ)」(15世紀)
ロレンツォ・ディ・ビッチ(フィレンツェ、1350‐1427)の作品説もあります。


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後陣のフレスコ画
暗くて写りません。


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詳細不知


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ベアトリーチェ・ポルティナーリの墓


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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外に出ました。


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午後7時近くになりました。


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そろそろ夕食にしなくては。


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例によって、何時ものお店で食べます。


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2リットル入りのボトルから自分で注いで飲みます。飲んだ量に従って支払います。


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オッソ・ブーコ


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店から外に出ました。


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腹ごなしの食後の散歩です。


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私には味がやや塩辛いお店です。


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何時もの通り、ここでジェラートを食べました。


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ホテルに戻るには早過ぎます。


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食後の散歩を続けます。


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この店でスイーツを買いました。


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ドゥオーモにやってきました。


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洗礼堂が修復中でした。


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ファエンツァ通り
(つづく)

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13世紀中頃に建設されたポデスタ宮です。16世紀にはバルジェッロ(司法長官)の邸宅兼司法事務所になっていました。


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プロコンソロ通りを挟んでバルジェッロ宮の向かいにバディア・フィオレンティーナがあります。


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写真右がバディア・フィオレンティーナです。バディアとは修道院という意味です。


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バディア・フィオレンティーナがある場所にサント・ステファノ・デル・ポポロ教会がありましたが、960年、女性貴族ウィッラ・ディ・トゥスチャ Willa di Tusciaに教会が売却されました。ウィッラは、ベネディクト会の修道院の建設を決め、後にバディア・フィオレンティーナと呼ばれることになる修道院が978年着工されました。
1071年、病院が修道院に併合されました。


226
プロコンソロ通りに面している古い後陣


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1310年から1330年に建設された鐘楼です。


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高さ70mの鐘楼です。


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かなり目立ちます。


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ファサード上のStemma Ugo di Toscana


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入口扉上の彩釉テラコッタは、ベネデット・ブリオーニ(フィレンツェ、1459‐1521)の「聖母子と2天使」です。


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彩釉テラコッタの上にある彫刻


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ファサード側の入り口


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入口から中に入ると柱廊に出ます。


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バディア・フィオレンティーナの構造図


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Cappella Pandolfiniの入り口扉のStemma Padolfini


4
Chiostro degli Aranciです。
キオストロ回廊の壁に描かれたフレスコ画を見ます。


5
アゴスティーノ・ヴェラチーニ派逸名画家による「聖母子と聖ベネデット」(18世紀)


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ジョヴァンニ・デル・コンサルヴォの「聖ベネデットの物語」


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ジョヴァンニ・デル・コンサルヴォの「聖ベネデットの物語」


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教会の方に向かいます。


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教会の中に入りました。


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元々ゴシック様式の内部ですが、17世紀の改修の結果、随分違った感じがします。


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翼廊がない単廊式です。


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フィリッピーノ・リッピ(プラート、1457‐フィレンツェ、1504)の「聖ベルナルドの前に顕現する聖母」(1486)


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ミーノ・ディ・フィエーゾレ(ポッピ、1429‐フィレンツェ、1484)の「Dossale Neroni」


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ミラベッロ・カヴァローリ(フィレンツェ、?‐1572以降没)の「聖霊降臨」


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ジョルジョ・ヴァザーリ(アレッツォ、1511‐フィレンツェ、1574)の「聖母被昇天と2聖人」


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聖母被昇天


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詳細不知


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後陣


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詳細不知の磔刑像


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ジャン・ドメニコ・フェッレッティ(フィレンツェ、1692‐1768)とピエトロ・アンデルリーニ(フィレンツェ、1687‐1755)の後陣のフレスコ画(1733‐34)


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ナルド・ディ・チョーネ(フィレンツェ、1320‐1366)に帰属する「キリストの物語」


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ナルド・ディ・チョーネに帰属する「キリストの物語」


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ナルディーニ(フィレンツェ、1535‐1591)の「カルヴァリオへの上り」(1556c)


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詳細不知


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詳細不知


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オルガン


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外に出ました。
(つづく)

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サン・フィリッポ広場にやってきました。


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写真左はバディア・フィオレンティーナの鐘楼です。右のいかめしい建物にバルジェッロ国立博物館が置かれてます。


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サン・フィリッポ広場に面して建つサン・フィレンツェ複合体 Complesso di San Firenzeです。


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1174年の文書に、この場所にサン・フィレンツェ教会の存在が記されてます。
1640年、第235代教皇ウルバーノ8世(在位:1623‐1644)がサン・フィレンツェ教会周辺の土地をサン・フィリッポ・ネリ会(オラトリオ会)に与えました。
同会は、与えられた土地に新しい教会修道院の建設を決め、1645年、ピエトロ・ダ・コルトーナに委嘱しましたが、ピエトロの設計は壮大過ぎて経済的に難しいと判断され、着工に至りませんでした。


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ピエトロ・ダ・コルトーナに代わって、建築家ピエル・フランチェスコ・シルヴァーニ(フィレンツェ、1620‐ピサ、1685)が起用され、シルヴァーニの設計によって1667年創建、1749年に完成したバロック様式の複合体です。フィレンツェでは珍しいバロック様式の建物です。
修道院は1745年から1749年にかけて建設されました。


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建物の左側がサン・フィリッポ・ネリ教会です。


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教会以外の部分、向かって右側になりますが、2012年まで裁判所になっていました。裁判所が移転し、その後修復されて、その一部は展示会、見本市、イベントなどの会場として利用されてます。


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Lo Stemma dei Serragli


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教会ファサードの彫刻


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複合体の構造図です。


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教会は構造図の1の部分になります。


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教会内に入りました。


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単廊式、バロック様式の内部です。


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右側壁


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身廊天井


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中央礼拝堂


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詳細不知の磔刑像


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主祭壇


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主祭壇画は、アントニオ・プリエスキ(フィレンツェ、1660‐1732)の「無原罪の御宿リと聖人たち」(1715)


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祭壇画の下部がよく分かりません。


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後陣天井のフレスコ画は、ニッコロ・ラーピ(フィレンツェ、1667‐1732c)の「三位一体と聖人たち」


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ジョヴァッキーノ・フォルティーニ(セッティニャーノ、1670‐フィレンツェ、1736)の「純粋」


1
ジョヴァッキーノ・フォルティーニ(セッティニャーノ、1670‐フィレンツェ、1736)の「慈愛」


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トンマーゾ・レーディ(フィレンツェ、1665‐1726)の「聖家族」(1715)


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ジュゼッペ・カミッロ・サグレスター二(フィレンツェ、1660‐1731)の「磔刑」(1729)


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Stemma Serragli


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ジョヴァッキーノ・フォルティーニ(セッティニャーノ、1670‐フィレンツェ、1736)の「聖フィリッポ・ネリの物語」


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ジョヴァッキーノ・フォルティーニ(セッティニャーノ、1670‐フィレンツェ、1736)の「聖フィリッポ・ネリの物語」


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アントニオ・ドメニコ・ガッビアーニ(フィレンツェ、1652‐1726)の「聖フィリッポ・ネリに顕現する聖母子」(1724)


3
詳細不知


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アレッサンドロ・ギラルディーニ(フィレンツェ、1665‐1723)の「ピエタ」(1715)


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ジョヴァッキーノ・フォルティーニ(セッティニャーノ、1670‐フィレンツェ、1736)の「聖フィリッポ・ネリの物語」


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ジョヴァッキーノ・フォルティーニ(セッティニャーノ、1670‐フィレンツェ、1736)の「聖フィリッポ・ネリの物語」


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詳細不知の天井画


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トンマーゾ・レーディ(フィレンツェ、1665‐1716)の「聖フランチェスカ・ロマーナの聖体拝領」(1715)


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ジョヴァンニ・アントニオ・プッチ(フィレンツェ、1679‐1716)の「聖母の神殿奉献」(1715)


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詳細不知


2
ルイージ・サバテッリ(フィレンツェ、1772‐1850)によるクーポラのフレスコ画


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主祭壇前から見た出入口方向


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外に出る前に主祭壇を見ました。


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外に出ました。


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広場を挟んで教会の向かいにあるのは、ジュリアーノ・ダ・サンガッロの設計によって15世紀末に建設されたPalazzo Gondiです。
(つづく)

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昼食にかける時間が勿体ないので、トリッパの立ち食いです。


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シニョーリア広場にやってきました。目的があってここに来た訳ではなく、ウフィツィ美術館に行くには、この広場を通過する必要があります。


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アルノルフォ・ディ・カンビオの設計と言われてます。


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1299年に創建されたヴェッキオ宮です。


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奇妙なオブジェがなくてスッキリした広場です。


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バルトロメオ・アマンナーティ(セッティニャーノ、1511‐フィレンツェ、1592)の「ネプチューンの噴水」(1563‐65)


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バルトロメオの弟子バッチョ・バンディネッリが助手として制作に参加したそうです。


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1559年、コジモ1世が広場に噴水を作るべくコンペを行い、バッチョ・バンディネッリ(フィレンツェ、1488‐1560)が勝利しましたが、制作に掛かる前の1560年に死去してしまいました。バッチョの弟子であるバルトロメオ・アマンナーティが仕事を引き継ぎ、バッチョ・バンディネッリのデザインに基づき完成させた彫刻です。


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ジャンボローニャ(ドゥアイ、1529‐フィレンツェ、1608)の「コジモ1世の騎馬像」(1594)


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コジモ1世の騎馬像の台座の彫刻


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シニョーリア広場は、フィレンツェの政治の中心として13世紀から14世紀にかけて整備拡張されました。


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観光するには、このくらいの混雑が最適です。


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高さ94mの塔


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ヴェッキオ宮については、既に詳しく触れました。


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制作者不知の「ドナテッロ作『ユディト』の複製彫刻」
本物は、現在ヴェッキオ宮博物館内にありますが、1495年、複製彫刻がある場所に置かれました。


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ライオン像


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ヤコポ・ディ・チョーネの設計とされているランツィのロッジャは、1376年から1382年に建設されました。


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ロッジャの彫刻を見ます。


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この日は空いていました。


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パトロクロスを抱きかかえるメネラウス


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古代ローマの彫刻を復元したものです。


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ジャンボローニャ(ドゥアイ1529‐フィレンツェ、1608)の「ヘラクレス」(1599)


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6
べンヴェヌート・チェッリーニ(フィレンツェ、1500‐1571)の「ペルセウス」(1545)


7
ジャンボローニャ(ドゥアイ1529‐フィレンツェ、1608)の「サビーネ女の略奪」(1574‐80)


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ロッジャからのシニョーリア広場


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この日の主目的はウフィッツィ美術館に入館することでした。


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アンドレア・オルカーニャ(フィレンツェ、1308‐1368)


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ニコラ・ピサーノ(ピサ、1220‐1284)


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ジョット・ディ・ボンドーネ(コッレ・ディ・ヴェスピニャーノ、1267c‐フィレンツェ、1337)


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ドナテッロ(フィレンツェ、1386‐1466)


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この日、ウフィッツィ美術館は空いていました。


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入館しました。


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ウフィッツィ美術館については、既に詳しく触れました。


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この階段を上るのが辛くなってきました。


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外に出ました。


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6時間ほど館内にいましたが、もう疲労困憊です。


P1170677
(つづく)

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ドゥオーモを通り過ぎます。


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ツア―客に大人気のドゥオーモです。


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閑散期の2月中旬でしたが、かなりの混雑です。


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クーポラからの絶景を楽しむには絶好の天気です。


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並んでいる人は一人もいません。これが5,6月となると長蛇の列になります。


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次は、サン・マルティーノ同信会祈祷所 Oratorio della Confraternita di San Martino dei Buonomini o Oratorio dei Buonomini di San Martinoです。


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画材店のゼッキを通り過ぎます。祈祷所は、ダンテの家から至近の場所にあります。


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ダンテ通りの街角の受胎告知です。


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フィレンツェの逸名画家によるフレスコ画です。


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ダンテの家の博物館については、そのうちに触れることにします。


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祈祷所は直ぐ傍です。


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ここです。以前は閉まっていることが多かったと思います。


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この日、サン・マルティーノ同信会祈祷所は開いていました。


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10世紀頃、この場所にサン・マルティーノ・アル・ヴェスコーヴォ教会がありました。
中世後期になると、フィレンツェの人口が増えるに従って、小さな教区が増えて乱立するようになりました。そのため、小さな教区の統廃合の一環として、教会の再編が必要とされました。


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1441年、当時のフィレンツェ司教で聖アントニーノ・ピエロッツィ(フィレンツェ、1389‐1459)によって、La Comoagnia di San Martinoが設立され、サン・マルティーノ・アル・ヴェスコーヴォ教会は新たに設立された福祉組織に委ねられました。


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1479年、祈祷所が再建整備されたのです。


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ファサードの入り口扉上の「フィレンツェ司教聖アントニーノ」


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コジモ・ウリヴェッリ(フィレンツェ、1625‐1705)のタベルナコロ


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祈祷所の中に入りました。


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祭壇に向かって左横に説明板があります。


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贔屓の引き倒しのような記述があるので要注意です。


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見所が豊富な祈祷所です。


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フレスコ画は、ドメニコ・ギルランダイオ工房によって描かれたのは記録から明らかですが、工房にいた画家の誰によって描かれたのか、が議論になってます。
ここでは、多分フィリッピーノ・リッピとなってますが、現在ではフランチェスコ・ダントニオ・ザッキ通称イル・バレッタ(ヴィテルボ、1407c‐1476以降没)に描かれたという説が有力とされてます。他にドメニコ・ディ・ジョヴァンニの名前が挙げられました。


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アンドレア・デル・ヴェロッキオ(フィレンツェ、1435‐ヴェネツィア、1488)の「聖アントニーノ司教」


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「聖マルティーノの夢に現れたキリスト」(1478‐81)
フレスコ画は10点あって、聖マルティーノに関するもの2点、福祉組織の慈悲の業が6点、公証人の活動が2点となってます。


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ビザンチン様式の逸名画家作「聖母子」(11世紀)


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「貧者のマントを与える聖マルティーノ」(1478‐81)


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「慈悲の業:死者の埋葬」(1478‐81)


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「慈悲の業:巡礼者を迎える」(1478‐81)


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ロッビア工房作「聖母子」


P2200104
「慈悲の業:囚人への訪問」(1478‐81)


P2200102
「慈悲の業:病人への訪問」(1478‐81)


P2200100
「慈悲の業:衣服を与える」(1478‐81)


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「慈悲の業:喉の渇きを癒すために水を与える」


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「公証人の活動:結婚」


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「公証人の活動:在庫調査」(1478‐81)


P2200092
ニッコロ・ソッジ(アレッツォ、1480‐1552)、またはペルジーノ派逸名画家の「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」
ニッコロ・ソッジはペルジーノの弟子でした。


P1170618
詳細不知


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外に出ます。


P1170621
外に出たら、直ぐに扉が閉められました。


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美術ファンにとっては中々興味深い祈祷所です。


P1170625
(つづく)

P1170452
後陣右の礼拝堂ですが、礼拝堂の名称が分かりません。


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詳細不知のフレスコ画


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詳細不知


P1170455
詳細不知


P1170481
主祭壇


P1170457
ヤコポ・ディ・チョーネ(フィレンツェ、1325‐1390)の「嬰児虐殺を命令するヘロデ王」


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ヤコポ・ディ・チョーネ(フィレンツェ、1325‐1390)の「嬰児虐殺」


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1967年製の後陣のオルガン


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主祭壇横にある、ピサの逸名彫刻家作「聖母子」(14世紀)


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詳細不知の後陣天井のフレスコ画


P1170460
クリプタに入ることが出来ませんでした。


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Cappella Carnesecchi di Zanobi


P1170464
アーチのフレスコ画


P1170465
Cappella Carnesecchi di Bernardo


P1170468
ジョヴァンニ・ディ・フランチェスコ(アレッツォ、1412‐フィレンツェ、1459)の「磔刑」


P1170472
フィレンツェの逸名画家(コッポ・ディ・マルコヴァルド?)の「Madonna Reliquiario」
reliquiario=聖遺物箱


P1170473


P1170470
Cappella Carnesecchi di Bernardoの天井フレスコ画


P1170469
詳細不知


P1170474
Cappella Orlandini Concini


P1610360
フランチェスコ・コッリーナ(19世紀活動)の「磔刑の浮彫」(1897)


P1170476
ジョヴァンニ・バッティスタ・カッチーニ(モント―ポリ・イン・ヴァル・ダルノ、1556‐ローマ、1613)の「ピエタ」


P1170477
ロレンツォ・メルリーニ(フィレンツェ、1666‐ローマ、1739以降没)の「潔白」(1715c)


P1170478
ロレンツォ・メルリーニ(フィレンツェ、1666‐ローマ、1739以降没)の「清純」


P1170484
Cappella Carnesecchi di Maria Maddalena de'Pazzi


P1610357
オノフリオ・マイナーリ(フィレンツェ、1627‐1715)の「パッツィの聖マリア・マッダレーナの顕現するキリスト」


P1170487
ヴィンチェンツォ・メウッチ(フィレンツェ、1694‐1766)の「聖女」


P1170489
ヴィンチェンツォ・メウッチ(フィレンツェ、1694‐1766)の「聖女」


P1170491
ヴィンチェンツォ・メウッチ(フィレンツェ、1694‐1766)によるCappella Carnesecchi di Maria Maddalena de'Pazziの天井フレスコ画


2
Cappella Boni


P1170494
マッテオ・ロッセッリ(フィレンツェ、1578‐1650)の「聖家族と聖フランチェスコ」


P1170496
詳細不知


P1170499
ヴィンチェンツォ・メウッチ(フィレンツェ、1694‐1766)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


P1170501
ヴィンチェンツォ・メウッチ(フィレンツェ、1694‐1766)の「大天使ラッファエーレ」


P1170502
ヴィンチェンツォ・メウッチ(フィレンツェ、1694‐1766)によるCappella Boniの天井フレスコ画


3
Cappella Panciatichi


P1170503
このフレスコ画を見ます。


P1170504
15世紀初頭の逸名画家による「永遠なる父」


P1170507
15世紀初頭の逸名画家による「授乳の聖母」


P1170508
詳細不知の「死せるキリスト」


P1170510
詳細不知


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ガリレオ・キーニの「パドヴァの聖アントニオ」


4


P1170513
柱に描かれたフレスコ画を見て回ります。


P1170515
マリオット・ディ・ナルド・ディ・チョーネ(フィレンツェ、1365c‐1424)の「聖ルチア」


P1170516
「聖ルチア」の上にある、マリオット・ディ・ナルド・ディ・チョーネ(フィレンツェ、1365c‐1424)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


P1170517
詳細不知


P1170518
その上の「聖ピエトロ」


P1170519
詳細不知


P1610389
マリオット・ディ・ナルド・ディ・チョーネ(フィレンツェ、1365c‐1424)の「聖人」


P1170522
マリオット・ディ・ナルド・ディ・チョーネ(フィレンツェ、1365c‐1424)の「聖セバスティアーノの殉教」


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マリオット・ディ・ナルド・ディ・チョーネ(フィレンツェ、1365c‐1424)の「聖マリア・マッダレーナ」


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マリオット・ディ・ナルド・ディ・チョーネ(フィレンツェ、1365c‐1424)の「聖人」


P1610403


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主祭壇前から見たファサード側出入口


P1170536
外に出た。
(つづく)

P1170403
この日は快晴でした。


P1170404
フィレンツェ中心街で働く通勤の人たちが沢山いました。


P1170405
この日の予定は、先ずサンタ・マリア・マッジョーレ教会です。


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SMN駅からドゥオーモに向かう途中にあるので、お馴染みの教会と言えるでしょう。


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フィレンツェにおける最古の教会の一つですが、創建時が文書化されていません。
580年、第63代教皇ペラギウス2世(在位:579‐590)によって創設されたという説がありますが、伝説の域を出ていないとされてます。
ロンゴバルド時代の8世紀に存在していたようですが、これも記録がありません。


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最初の記録は931年の文書での記載です。2番目の記録は1021年の文書だそうです。


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後にシトー会派の所有教会となり、13世紀にシトー会派によってゴシック様式で再建されましたが、再建された建物が現在の姿の原形となってます。


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1521年、教会はカルメル会に渡されましたが、19世紀初頭に同会によって放棄されてしまいました。


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大理石のファサードが設計されましたが、工事着工に至らず、ロマネスク様式の粗石造りのまま現在に至ってます。


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ファサード側扉上のルネッタの聖母子


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13世紀?の聖母子


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鐘楼


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身廊側にも扉があります


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身廊側扉の彫刻


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ファサード側扉の彫刻


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最近作られたもの?


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中に入りました。


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三廊式、ゴシック様式の内部です。


P1170412
新しく見えるのは、1966年のアルノ川の大洪水で被害を受けたので、修復された箇所があるからでしょう。


P1170414
交差ヴォールト


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大洪水後に張り替えられた床


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左側廊


P1170514
右側廊


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教会の構造図
祭壇画などを見て回ります。


P1170415
詳細不知


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柱に描かれたフレスコ画
マリオット・ディ・ナルド・ディ・チョーネ(フィレンツェ、1365c‐1424)の「聖スコラスティカ」


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同じ柱の「聖スコラスティカ」の上部に描かれたフレスコ画
マリオット・ディ・ナルド・ディ・チョーネ(フィレンツェ、1365c‐1424)の「聖人」


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Cappella Panciatichi


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詳細不知の「ピエタ」


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詳細不知の「聖母子」


P1170428
詳細不知


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ジュゼッペ・ピンツァーニ(トスカーナ、18世紀活動)によって描かれたCappella Panciatichiの天井フレスコ画


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ドメニコ・プリアーニ(ヴァ―リア、1589‐フィレンツェ、1658)の「聖マリア・マッダレーナの聖体拝領」


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ドメニコ・プリアーニ(ヴァ―リア、1589‐フィレンツェ、1658)の「聖アルベルト」


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ドメニコ・プリアーニ(ヴァ―リア、1589‐フィレンツェ、1658)の「聖テレーザ」


1
15世紀初頭のフレスコ画


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詳細不知


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プリモ・コンティ(フィレンツェ、1900‐フィエーゾレ、1988)の「カスチャの聖リータ」


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詳細不知


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ピエル・ダンディーニ(フィレンツェ、1646‐1712)の「聖フランチェスコ」
(つづく)

P2680075
フィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ駅に到着しました。


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サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂は修復工事中でした。


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徒歩で、この日のお宿に向かいます。


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突き当りは、15世紀に建設されたPalazzo Antinoriです。


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スグラフィート彫刻のある建物


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ジャンボローニャ聖っ系によって16世紀に建設されたPalazzo Vecchiettiです。現在、5つ星ホテルになってます。


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ストロッツィ宮を見ると、おお、フィレンツェだ、と思います。


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この日のお宿です。


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旧市街に泊まるときは、ここにしています。


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人気があるので、予約できないことも結構あります。その場合は、SMN駅近くのホテルにします。


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チェックインを済ませて外に出たら、晴れてました。


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共和国広場は賑わってました。校外学習の一行のようです。


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そろそろ昼食時です。


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ヴェッキオ宮とウフィツィ美術館に行きたいので、時間をかけて食事する暇がありません。


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トリッパの立ち食いにしました。


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ここも気に入っているので、1階の旅で必ず利用します。


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もつ料理を食べるなら、レストランよりもお勧めです。


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雲行きが怪しくなってきました。


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またまた妙なものが・・・・・


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コジモ1世の騎馬像の写真を撮るのは久し振りです。


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グッチ博物館に入館したことがありません。


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とうとう雨が落ちてきました。


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傘を差している人がいません。


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イタリア人と比べると、日本人は断然傘好きですね。


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私もヴェッキオ宮に入ります。


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毎年1回は入館します。


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年に一回以上見たい作品が沢山あります。


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何時ものホテルに泊まり、何時ものレストランに行って同じものを食べる、見慣れた芸術品をじっくり見る、何処に何があるかまで熟知している教会を拝観する、等々が私のフィレンツェの旅の醍醐味です。


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傑作です!


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外に出ました。


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次はウフィツィ美術館です。


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私は年間入場券がありますが、同行者は持ってません。


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3月なので、予約なしでも大丈夫と読んでいましたが、結構待たされました。


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混雑しているからと言って美術ファンが多いわけではありません。


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通常期よりは入館者が少ないようです。


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それでも人気の展示室は相変わらずの混雑です。


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天気がパッとしません。


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41室は閉まっていました。


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42室が開いていました。


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45室が開いていました。


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2019年になって、漸く展示室と展示作品が落ち着いたようです。


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1階(日本の2階)の展示室です。


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外に出たら、すっかり夕暮時になっていました。


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(つづく)

P1600266
捨て子養育院柱廊のフレスコ画を見ることにしました。


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捨て子養育院美術館に付いては既に取り上げました。


119
フィリッポ・ブルネッレスキ(フィレンツェ、1377‐1446)の設計によって1419年に創建され、後にフランチェスコ・ダ・ルーナ(フィレンツェ、1373‐?)に引き継がれて、1445年に完成したルネサンス様式の建物です。


120
アンドレア・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1435‐1525)のメダイヨン


P1600281
教会もあります。


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ジョヴァンニ・ディ・フランチェスコ(アレッツォ、1412‐フィレンツェ、1459)の「永遠なる父と聖人たちと捨て子たち」(1459)


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詳細不知


P1600278
ベルナルディーノ・ポッチェッティ(フィレンツェ、1548‐1612)の「寓意画」(1612)


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ベルナルディーノ・ポッチェッティ(フィレンツェ、1548‐1612)の「寓意画」(1612)


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ベルナルディーノ・ポッチェッティ(フィレンツェ、1548‐1612)によって描かれた柱廊天井のフレスコ画


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捨て子を養育院に預けるための回転扉、所謂「赤ちゃんポスト」です。


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次はサン・ミケーレ・ヴィスドミニ教会です。


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教会があるセルヴィ通りに戻ります。


129
サン・ミケーレ・ヴィスドミニ教会は開いていました。
教会名の由来は、古くからのフィレンツェ貴族ヴィスドミニ家がパトロンになってきたからです。


128
12世紀頃、現在のドゥオーモの後陣がある場所に教会がありました。
14世紀中頃、ドゥオーモの後陣を拡張するために、その場所にあった教会の立ち退きが決まりました。そのため、建築家ジョヴァンニ・ディ・ラーポ・ギーニ(フィレンツェ、14世紀活動)の設計によって、現在地で1364年から建設工事が始まりました。


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現ドゥオーモの後陣にあった建物は1368年に取り壊され、同年に現在の建物に教会が移転してきました。


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ファサードは、建築家バルトロメオ・アマンナーティ(セッティニャーノ、1511‐フィレンツェ、1592)の設計によって、1577年から1590年に建設されました。


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中に入りました。


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単廊式、ラテン十字形、バロック様式の内部です。18世紀に行われた修復の際、バロック様式に改修されました。


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ポントルモ、イル・ポッピ、パッシニャーノなどの作品があります。


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オルガンが後陣にあります。


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主祭壇


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天井のフレスコ画


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1966年のアルノ川の大洪水の際、14世紀のフレスコ画が偶然見つかった礼拝堂です。


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14世紀のフレスコ画


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詳細不明
グイド・レーニの「大天使聖ミケーレ」のコピー画でしょう。


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アゴスティーノ・チャンペッリ(フィレンツェ、1565‐ローマ、1640)の「聖母の誕生」


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フランチェスコ・モランディ―ニ通称イル・ポッピ(ポッピ、1544‐フィレンツェ、1597)の「キリストの復活」


150
詳細不明の「磔刑像」


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14世紀のフレスコ画


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フランチェスコ・モランディ―ニ通称イル・ポッピ(ポッピ、1544‐フィレンツェ、1597)の「無原罪の御宿リ」


P1600247
アゴスティーノ・ヴェラチーニ(フィレンツェ、1565‐ローマ、1640)の「聖トンマーゾ・ヴィッラヌオーヴァの施し」


P1600250
ヤコポ・ダ・ポントルモ(ポントルメ、1494‐フィレンツェ、1557)の「聖母子と聖人たち」(1518)


1


136


P1600251
ドメニコ・クレスティ通称イル・パッシニャーノ(タヴァルネッレ・ヴァル・ディ・ぺーザ、1559‐フィレンツェ、1638)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの説教」


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イル・ポッピまたはベルナルディーノ・ポッチェッティ(フィレンツェ、1548‐1612)の「聖母子と聖人たち」


133
ヤコポ・キメンティ・ダ・エンポリ(フィレンツェ、1551‐1640)の「ご誕生」


P1600245
これで拝観は大体終わりです。


P1600284
外に出ました。


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次はアカデミア美術館です。


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相変わらずの混雑です。


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何回見ても良いものは良い!


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外に出ると、すっかり夕暮でした。


P1610306
(つづく)

引き続きサンティッシマ・アンヌンツィアータ聖堂です。
P1780562
聖堂内に入りました。


014
入口左のCappella della Santissima Annunziataです。
1341年に建設された最古の部分です。ミケロッツォの手になる祭壇と言われてます。ここでミサが行われることが多いようです。


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地元の人から信仰を集めている礼拝堂です。


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奇跡のフレスコ画「受胎告知」です。


P1780604
マッテオ・ディ・パチーノ(1359‐1394記録)に帰属する「受胎告知」


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芸術作品が多い聖堂です。


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単身廊です。


P1780621
祭壇画などを見て回ります。


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主祭壇


P1780596
後陣天井のフレスコ画は、バルダッサーレ・フランチェスコキーニ通称ヴォルテッラーノ(ヴォルテッラ、1611‐フィレンツェ、1690)の「聖母被昇天」(1680‐83)です。


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Cappella di Santa Giuliana Falconieri


P1780598
ヴィンチェンツォ・ムッチ(フィレンツェ、1694‐1766)の「聖母被昇天」
アレッソ・バルドヴィネッティ(フィレンツェ、1425‐1499)に帰属する「十字架」(1456c)


P1780607
詳細不知
調べれば作品帰属が全部分かりますが、時間がないので、覚えていない作品は「詳細不知」にします。


P1780609
詳細不知


P1780615
詳細不知


P1780618
詳細不知


P1780623
ペルジーノ(チッタ・デッラ・ピエーヴェ、1448c‐フォンティニャーノ、1523)の「聖母被昇天」(1506c)


P1780625
ルイージ・アデモッロ(ミラノ、1764‐フィレンツェ、1849)の「L'Arca Santa」(1826)


P1780628
ルイージ・アデモッロ(ミラノ、1764‐フィレンツェ、1849)の「ダヴィデとゴリアテ」(1826)


024
詳細不知


025
詳細不知


031
バッチョ・バンディネッリ(フィレンツェ、1488‐1560)の「ニコデモに支えられる死せるキリスト」(1554‐59)


035
バルダッサーレ・フランチェスキーニ通称ヴォルテッラーノの作品


037
詳細不知


047
詳細不知


057
ヨハン・カール・ロス(ミュンヘン、1632‐ヴェネツィア、1698)の「聖ジュゼッペの死」(1693)


049
詳細不知


050
詳細不知


052
詳細不知


053
詳細不知


054
詳細不知


093
詳細不知


P1780591
詳細不知


P1780590
詳細不知


P1780594
詳細不知


P1780569
第1回廊(大回廊)に出ました。


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回廊の壁にフレスコ画が描かれてます。


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一部だけ見ることが出来るようになってます。


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ベルナルディーノ・ポッチェッティ(フィレンツェ、1548‐1612)の「聖ウグッチョーネと聖ソステーニョの死」


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ベルナルディーノ・ポッチェッティ(フィレンツェ、1548‐1612)の「聖ウグッチョーネに面会するアスブルゴ伯爵ロドルフォ1世」


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ベルナルディーノ・ポッチェッティ(フィレンツェ、1548‐1612)の「2人の罪人を改宗させる聖フィリッポ・べニツィ」


P1780583
ベルナルディーノ・ポッチェッティ(フィレンツェ、1548‐1612)の「聖アレッショ・ファルコニエーリの死」


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アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1530)の「サッコの聖母」(1525)


P1780586
アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1530)の「エジプトへの逃避途中の休息」(1525)


P1780635
外に出ました。
(つづく)

001
早起きして、何時もよりも早くホテルを出ました。


002
この時間では、ドゥオーモは流石に空いていました。


003
サン・ミケーレ教会は未だ開いていません。


004
ここは後で拝観する予定です。


005
セルヴィ通りを進みました。


006
セルヴィ通りの先は広場で、広場の突き当りにあるのがサンティッシマ・アンヌンツィアータ聖堂です。


008
サンティッシマ・アンヌンツィアータ広場です。


010
広場から振り返るとドゥオーモのクーポラが見えます。


P1780541
噴水、トスカーナ大公の彫像、歴史的建造物などがある盛沢山の広場です。


P1600264
1516年創建のLoggia dei Sarvi di Maria


P1600266
1417年から1436年に建設された捨て子養育院 Spedale degli Innocenti


P1600268
ピエトロ・タッカ(カッラーラ、1577‐フィレンツェ、1640)の「Fontane dei nostri marini」(1627‐41c)
広場に2つあります。


P1780553
もう一つの噴水


P1600265
ジャンボローニャ(ドゥアイ、1529‐フィレンツェ、1608)とピエトロ・タッカ(カッラーラ、1577‐フィレンツェ、1640)の「トスカーナ大公フェルディナンド1世・デ・メディチ像」(1602‐07)


408
ピエトロ・タッカがジャンボローニャ工房で働いていた時期に制作されたようです。


P1780545
写真左の建物はPalazzo delle Due Fontane、写真右の建物はPalazzo Grifoniです。


P1780631
1563年から1574年にかけて建設されたPalazzo Grifoniです。


P1780630
Spedale degli InnocentiとPalazzo delle Due Fontane


P1780632
Loggia dei Sarvi di Mariaです。


P1780634
サンティッシマ・アンヌンツィアータ聖堂 Basilica della Santissima Annunziataです。
1806年、第251代教皇ピオ7世(在位:1800‐1823)によってBasilica Minoreに格付けされました。


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聖堂はバッティストリ通りに面してます。


P1780633
マティルデ・ディ・カノッサの時代の1081年以降、聖堂がある現在地に聖母に捧げられた礼拝堂がありましたが、1233年に、その礼拝堂は廃棄されました。
1250年、その礼拝堂があった場所にマリアの下僕同信会によって教会が創建され、1280年頃に一応の完成を見ました。


411
しかし、初代の建物は小さかったので、1384年、神父で建築家だったアンドレア・マンフレディ・ダ・ファエンツァ(ファエンツァ、1319‐ボローニャ、1396)によって再建計画が立案されました。アンドレアの考えは、アントニオ・ディ・プッチョ・ブッチ(フィレンツェ、1350c‐1416以降没)に継承されましたが、計画の域を脱することが出来ませんでした。
ミケロッツォ・ディ・バルトロメオ・ミケロッツォ通称ミケロッツォ(フィレンツェ、1396‐1472)によって漸く実現の運びとなり、二代目の建物が1444年に創建され、建物の基本部分は1453年に一応の完成を見ました。
1460年、アントニオ・マネッティ(フィレンツェ、1423‐1497)によって拡張工事が開始され、更にレオン・バッティスタ・アルベルティ(ジェノヴァ、1404‐フィレンツェ、1472)に引き継がれ、ファサード下の柱廊が追加されました。
アルベルティの死後の16世紀初めに完成したルネサンス様式の二代目の建物が現在の姿の原形です。
1516年、二代目の建物の奉献式が執り行われました。


431
鐘楼と後陣


P1780547
ファサードのフレスコ画とモザイクを見ます。


P1780549
こちらのフレスコ画は、ポントルモが1513年から1514年に制作した作品の複製です。(制作者不明)
本物は、フィレンツェ郊外の旧サン・サルヴィ修道院だった建物に置かれている「アンドレア・デル・サルトの最後の晩餐美術館」にあります。


P1780551
ダヴィド・ギルランダイオ(フィレンツェ、1452‐1525)の「受胎告知(モザイク)」(1509)


474
サンティッシマ・アンヌンツィアータ聖堂修道院は複雑な構造をしています。


099
中に入ると先ず柱廊玄関に出ます。
Chiostro dei Voti 誓いの回廊と呼ばれている柱廊玄関は、ミケロッツォの設計によって1447年に建設されました。


100
誓いの回廊のフレスコ画は見逃せません。


109
構造図の2が誓いの回廊です。


102
アレッソ・バルドヴィネッティ(フィレンツェ、1425‐1499)の「羊飼いの礼拝」


103
コジモ・ロッセリ(フィレンツェ、1439‐1507)の「聖フィリッポ・べニツィ」


104
アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1530)の「ハンセン病患者を治癒する聖フィリッポ・べニツィ」


105
アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1530)の「冒涜者の処罰」


106
アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1530)の「悪魔に取りつかれた人を解放する聖フィリッポ・べニツィ」


107
アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1530)の「死に瀕した子供を蘇生させる聖フィリッポ・べニツィ」


108
アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1530)の「聖フィリッポ・べニツィの聖遺物に対するフィレンツェの人々の信仰」


110
ロッソ・フィオレンティーノ(フィレンツェ、1495‐フォンテーヌブロー、1540)の「聖母被昇天」


111
ポントルモ(エンポリ、1494‐フィレンツェ、1557)の「ご訪問」


101
アンドレア・デル・サルト像


428
聖母子像


425
アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1530)の「マギの行列」


426
アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1530)の「聖母の誕生」


427
フランチャビージョ(フィレンツェ、1482‐1525)の「聖母の結婚」
(つづく)

242
サンタ・トリニータ橋に行ってみました。


235
サンタ・トリニータ橋から見たヴェッキオ橋


236
何時もと変わらね光景です。多分、100年経っても変わらないと思いました。


237
水量は普通です。


243
Ponte alla Carraia


246
トリニータ広場


247
近頃、フィレンツェに行っても美術館、博物館、教会でも限られた所ばかりに行ってます。


248
ストロッツィ宮には入らず通り過ぎました。


249
サンティ・ミケーレ・エ・ガエターノ教会の扉が閉まりました。


253
ジョットの鐘楼が見えましたが、あちらの方には行かずに中央市場へ。


254
頼まれていた買い物をしてからホテルに戻りました。


503
ホテルでの会合が終わり、息抜きにシニョーリア広場にやってきました。


500
単なるブラブラ歩きで、夕食を食べる以外に目的がありません。


501
夏時間なので、日没にはまだ時間があります。


502
そういえば、今年から夏時間はないのです。日本との時差8時間は一年中変わりなし。


505
まだまだ賑わってます。


413
ファエンツァ通り


415
メディチ家礼拝堂に日が当たってます。


416
ドゥオーモに来ました。


418
フィレンツェにいるんだ、と思いました。


419


420
イタリアに行けば、フィレンツェに必ず訪れてます。


425
引退してから、フィレンツェで毎年平均20泊ほどしています。


427
1回の旅行で大体1週間ほどフィレンツェにいます。


428
ドゥオーモのファサードは意外にも新しい。


429


431


432


433


438


441


445


449
プロコンソリ通り


470
夕食は何時もの店で。


471


472


453
お腹一杯食べてから、コルソ通り経由でホテルに戻ります。


454
コルソ通りに面して建つ、1508年創建のサンタ・マルゲリータ・イン・サンタ・マリア・デイ・リッチ教会、略してマドンナ・デイ・リッチ教会です。


457
殆ど毎晩のようにコンサートが行われています。


456
久し振りに拝観します。かなり酩酊していたので不謹慎でした。


458
中に入りました。


459
単廊式、後期バロック様式の内部です。


472
ロレンツォ・デル・モーロ(フィレンツェ、1677‐1735)の「聖母被昇天」


473
ロレンツォ・デル・モーロによる後陣フレスコ画


471
制作者情報不知の「アントニオ・ジュゼッペ・リナルデスキの物語」


467
詳細不知


465
詳細不知


464
コンサートが始まるのを待っていましたが、始まらないので外に出ます。


479
この店でジェラートを食べました。


481
共和国広場に行ってみます。


488


489
(つづく)

引き続きサンタ・トリニータ聖堂です。
131
ロレンツォ・モナコ(シエナ?、1370c-フィレンツェ、1425c)の「受胎告知」(1424)


132
Cappella Bartolini Salimbeniのフレスコ画です。
ロレンツォ・モナコ(シエナ?、1370c-フィレンツェ、1425c)の「聖ジョアッキーノと聖アンナの邂逅」(1420-24)


136
ロレンツォ・モナコ(シエナ?、1370c-フィレンツェ、1425c)の「聖母の結婚」(1420-24)


135
ロレンツォ・モナコ(シエナ?、1370c-フィレンツェ、1425c)の「聖母の死」(1420-24)


138
ロレンツォ・モナコによるCappella Bartolini Salimbeni天井フレスコ画


141
マーゾ・ダ・サン・フリアーノ(フィレンツェ、1531‐1571)の「キリストの復活」(1552)


144
フランチェスコ・クッラディ(フィレンツェ、1570‐1661)の「聖母子と聖人たち」


145
ジョヴァンニ・トスカ―ニ(フィレンツェ、1372‐1430)の「ピエタ」(1424)


526
Cappella Sassettiです。


151
ドメニコ・ギルランダイオ(フィレンツェ、1448‐1496)のフレスコ画で有名なCappella Sassettiです。


152
メディチ銀行の総支配人だったフランチェスコ・サッセッティ(フィレンツェ、1421‐1490)がドメニコ・ギルランダイオに注文して描かれたフレスコ画です。


150
フレスコ画のテーマは「聖フランチェスコの生涯」(1483‐86)です。


149
ドメニコ・ギルランダイオ(フィレンツェ、1448‐1496)の「羊飼いの礼拝」(1485)


155
羊飼いの礼拝に向かって右端にフランチェスコ・サッセッティが描かれてます。


527
ドメニコ・ギルランダイオ(フィレンツェ、1448‐1496)の「祈るフランチェスコ・サッセッティ」(1483‐86)
国父コジモ・イル・ヴェッキオ(フィレンツェ、1389‐1464)には、痛風病みのピエロ、ピエロ・イル・ゴットーゾ(フィレンツェ、1416‐1469)とジョヴァンニ・ディ・コジモ・デ・メディチ(フィレンツェ、1421‐1463)の2人の息子がいました。
フランチェスコ・サッセッティを雇ったコジモ・イル・ヴェッキオは、フランチェスコの才を認めてジュネーヴ支店の経営を任せましたが、コジモの期待違わず、支店の業績は向上しました。
コジモの次男ジョヴァンニは若いころ芸術に傾倒して銀行業に熱心ではなかったので、コジモは、フランチェスコをジョヴァンニの家庭教師にしました。ジョヴァンニは徐々に頭角を現してきたので、コジモは病弱の長男ピエロよりもジョヴァンニに大きな期待を寄せていました。
1459年、フランチェスコはメディチ銀行の総支配人に任じられました。
コジモの死の1年前にジョヴァンニが若くして亡くなってしまいました。
病弱のピエロは、銀行業に精を出すことなく1469年に没してしまい、ピエロの後を継いだロレンツォ・イル・マニーフィコも家業の銀行業には不熱心でした。
コジモの晩年からメディチ銀行の業績は徐々に下降線に入っていましたが、ピエロ、ロレンツォ父子の本業不熱心によって、メディチ銀行はやがて倒産してしまいます。その間の経営の担い手は総支配人であるフランチェスコですから、彼の手腕には大いに疑問符が付くと思います。
こんなことを思いながら、フレスコ画を見るのも一興です。


157
クリストファノ・アローリ(フィレンツェ、1577‐1621)とザノービ・ロッシ(フィレンツェ、1577‐1631)の「San Pietro sulle acque」(1621)


158
ファブリツィオ・ボスキ(フィレンツェ、1572‐1642)とマッテオ・ロッセッリ(フィレンツェ、1578‐1650)によって制作されたCappella Usimbardiの天井フレスコ画(1643)


160
ヤコポ・キメンティ・ダ・エンポリ(フィレンツェ、1551‐1640)の「天国の鍵を聖ピエトロに託すキリスト」(1607)


163
フェリーチェ・パルマ(マッサ、1583‐1625)の「磔刑」(1614)


170
Cappella Scaliです。
ルカ・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1400‐1482)の「ベノッツォ・フェデリギの墓」(1454)


165
ジョヴァンニ・ダ・ポンテ(フィレンツェ、1385‐1438)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの斬首」(1434)


166
ジョヴァンニ・ダ・ポンテ(フィレンツェ、1385‐1438)の「聖バルトロメオの殉教」(1434)


169
ジョヴァンニ・ダ・ポンテとスメラルド・ディ・ジョヴァンニのCappella Scali天井のフレスコ画


173
Cappella di San Giovanni Gualberto


178
ドメニコ・クレスティ通称イル・パッシニャーノ(タヴァルネッレ・ヴァル・ディ・ぺーザ、1559‐フィレンツェ、1638)の「フランスのルドヴィーコ9世を歓迎する聖ジョヴァンニ・グアルベルト」(1593‐94)


177
パッシニャーノの作品


179
Cappella Spini


180
デジデリオ・ダ・セッティニャーノ(セッティニャーノ、1430c‐フィレンツェ、1464)の「聖マッダレーナ・マリア」(1450c)


184
アレッソ・バルドヴィネッティ(フィレンツェ、1425‐1499)の「司教聖人」(1470)


182


186
ネーリ・ディ・ビッチ(フィレンツェ、1418/1420-1492)の「聖ジョヴァンニ・グアルベルトと聖人たち」(1455)


191
ネーリ・ディ・ビッチ(フィレンツェ、1418/1420-1492)の「受胎告知」(1475)


193
ビッチ・ディ・ロレンツォ(フィレンツェ、1373-1452)の「聖母戴冠」(1430)


196
Cappella Davanzati
マーゾ・ディ・バンコ(フィレンツェ、?-1348)の追随者作「アレッサンドリアの聖カテリーナの物語」(1340-50)


198
マーゾ・ディ・バンコの追随者作「受胎告知」(1340-50)


200
アントニオ・デル・チェライオーロ(フィレンツェ、1520-1525記録、1538c没)の「シエナの聖カテリーナと聖ニッコロの神秘な結婚」(1515-20)


204
ミケーレ・トシーニ通称ミケーレ・ディ・リドルフォ・デル・ギルランダイオ(フィレンツェ、1503-1577)の「受胎告知」(1570)


208
リドルフォ・デル・ギルランダイオ(フィレンツェ、1483-1561)の「聖ジローラモ」(1558)


210
ヤコポ・キメンティ・ダ・エンポリ(フィレンツェ、1551-1640)の「受胎告知」(1603)


213
ポンぺオ・カッチーニ(フィレンツェ、1577-ローマ、1624)の「聖ルチアの殉教」(1606)


217
コジモ・ガンベルッチ(フィレンツェ、1562-1621)の「聖アレッシオの葬儀」(1605)


220
Cappella Strozzi Sinistraの天井フレスコ画です。
ベルナルディーノ・ポッチェッティ(フィレンツェ、1548-1612)の「天国」


222
ジョヴァンニ・ダ・ポンテ(フィレンツェ、1385-1438)によるCappella Diniのフレスコ画


223
15世紀のフィレンツェの逸名画家作「受胎告知される聖母」


229
修道院、キオストロ回廊、クリプタに入ることが出来ませんでした。


228
祭壇をもう一度見てから外に出ました。


233
(つづく)

引き続きオーニッサンティ教会です。
122
Cappella Vespucci


522
ドメニコ・ギルランダイオのフレスコ画が素晴らしい!


083
ドメニコ・ギルランダイオ(フィレンツェ、1448‐1496)の「慈悲の聖母」(1471‐72c)


081
ドメニコ・ギルランダイオ(フィレンツェ、1448‐1496)の「十字架降下」(1471‐72c)


085
ルドヴィーコ・ブーティ(フィレンツェ、1550/1560c-1611)の「キリストの昇天」(1580-90)


088
詳細不知


089
詳細不知


090
身廊天井のフレスコ画


091
コジモ・ウリヴェッリ(フィレンツェ、1625-1705)の「聖母子と聖フランチェスコ」


520
キオストロ回廊に出ました。


521
回廊のフレスコ画が中々のものです。


126
回廊を経由して食堂に入りました。


127
ドメニコ・ギルランダイオ(フィレンツェ、1448-1496)の「最後の晩餐」
サン・マルコ修道院にもドメニコの「最後の晩餐」があります。2つの最後の晩餐は非常に似ており、見ただけでは違いが分かりません。2つを並べて見れば、違いがよく分かりますが、それは不可能です。


131
外に出ました。


130
オーニッサンティ広場にある「ヘラクレスとライオン」のモニュメント


098
広場に面して建つ、1470年に建設されたPalazzo Lenzi


102
対岸に見えるサン・フレディアーノ教会


104
Ponte alla Carraiaでしょうか?


011
次はサンタ・トリニータ聖堂です。


108
Basilica Minoreなので、サンタ・トリニータ聖堂と訳しました。


110
1077年の記録に、この地にあった教会の存在が記されているそうです(当時は別の名称でした)。その教会の一部が現在の聖堂のクリプタです。
初代の建物の一部の上に、ニコラ・ピサーノ(アプリア、1220/1225c-ピサ?、1284c)またはネーリ・ディ・フィオラヴァンテ(ピストイア、?-フィレンツェ、1374)の設計によって、1250年から1258年にかけて建設されたゴシック様式の教会とされてます。
しかし、私は、ネーリ・ディ・フィオラヴァンテの設計は、生年が不明ですが没年が1374年が正しいとすると有り得ないと思います。


109
ファサードは、ベルナルド・ブオンレンティ(フィレンツェ、1531-1608)の設計によって、1593年に建設されました。


112
1966年のアルノ川の大洪水によって深刻な被害を受けました。
この聖堂は宗教美術品の傑作が目白押しで、美術ファンは必見です。
この聖堂にあった最高傑作は、現在ウフィツィ美術館で展示されている、ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノの「ストロッツィの祭壇画、マギの礼拝」でしょう。


P2540306
これがその作品の写真です。


P2540310
かなり脱線しました。


P2540313
このような脱線が大好きです。
話を元に戻します。


113
聖堂内に入りました。


115
三廊式、ゴシック様式の内部です。


232
左側廊


523
左右非対称の少し複雑な構造をしています。


114
身廊から右側壁方向を見た聖堂内部


231
右側廊


116
Cappella Maggiore、中央礼拝堂です。


117
主祭壇画は、マリオット・ディ・ナルド(フィレンツェ、1388-1424)の「三位一体のトリッティコ」(1416)


119
中央礼拝堂後陣のステンドグラス


227
中央礼拝堂の磔刑像


225
アレッソ・バルドヴィネッティ(フィレンツェ、1425-1499)によって描かれた中央礼拝堂天井のフレスコ画(1470c)


120
フランチェスコ・クッラディ(フィレンツェ、1570-1661)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの説教」(1649)


124
詳細不知の「幼きキリストを抱く聖ジュゼッペ」


125
ネーリ・ディ・ビッチ(フィレンツェ、1418/1420-1492)の「玉座の聖母子と聖人たち」(1481)


126
右半分が光るので、角度を変えて撮ったら、今度は左半分が光りました。


525
どうも上手くいきません。


129
スピネッロ・アレティーノ(カポローナ、1350c-1410)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」


524
(つづく)

P2820820
フィレンツェ・リフレディ駅に到着しました。普通はサンタ・マリア・ノヴェッラ駅に到着しますが、同駅は行き止まり駅なので発着に時間がかかるので、高速列車の一部はサンタ・マリア・ノヴェッラ駅に入らず、カンポ・デ・マルテ駅やリフレディ駅発着となってます。


101
リフレディ駅からタクシーで、この日のお宿に着きました。
現役の頃にはよく泊まっていましたが、引退してからはそうも行きません。ルネサンス芸術に関する催事がここで開催されるので、久し振りに泊まることにしました。


100
荷物をフロントに預けて、早速街歩きに出発です。


099
先ずは、ホテルと同じ広場に面して建つ教会の拝観が順序というものです。


097
ロンバルディアのウミリアーティ会が1251年建設着工したサン・サルヴァトーレ・イン・オーニッサンティ教会、通称オーニッサンティ教会です。


096
バロック様式のファサードは、マッテオ・ニジェッティ(フィレンツェ、1560/1570c-1648)の設計によって17世紀前半に再建されたものです。
鐘楼はオリジナルです。


107
ポータル上ルネッタの彩釉テラコッタ「聖母戴冠」は、以前のファサードにあったもので、ジョヴァンニ・デッラ・ロッビアまたはベネデット・ブリオーニの作品と言われてます。


012
中に入りました。


014
単廊式、ラテン十字形の内部です。


013
縦95m、横14mの内部です。
祭壇画などを見て回ります。


015
バルトロメオ・トラバッレージ(フィレンツェ、1540c-1585)の「受胎告知」(1570)


016
画面が光るので、少し横から撮ってみました。


022
リドルフォ・デル・ギルランダイオ(フィレンツェ、1483-1561)の「聖母戴冠と三位一体」(1520-30c)


020
三位一体


024
サンティ・ディ・ティート(フィレンツェ、1536-1603)とマーゾ・ダ・サンフリアーノ(フィレンツェ、1531-1571)の「聖母被昇天と聖ジョヴァンニ・バッティスタと聖ボナヴェントゥーラ」(1571)


027
ドメニコ・ギルランダイオ(フィレンツェ、1449-1494)の「書斎の聖ジローラモ」(1480)


030
アッリーゴ・ポッチェッティ(ペルージャ、17世紀前半活動)の「パドヴァの聖アントニオ」(1620c)


032
ジョット・ディ・ボンドーネ(コッレ・ディ・ヴェスピニャーノ、1267c-フィレンツェ、1337)の「オーニッサンティの磔刑」


034
ピエトロ・マルケジーニ(ピストイア、1692-1757)の「コルトーナの聖マルゲリータの光悦」(1728)


035
詳細不知


036
ファイト・シュト―ス(ドイツ、1447-1533)に帰属する「磔刑」


037
中央礼拝堂


038
バルトロメオ・チェンニーニ(フィレンツェ、?-1674)の「磔刑」(1669-74)
後陣のフレスコ画は、ジョヴァンニ・ダ・サン・ジョヴァンニ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1592-フィレンツェ、1636)の作品です。


039
ピエル・ダンディーニ(フィレンツェ、1646-1712)の「聖パスカリス・バイロン」(1690)


041
ピエル・ダンディーニ(フィレンツェ、1646-1712)の「聖パスカリス・バイロン」


046
ジュゼッペ・ピンツァーニの「ヴィテルボの聖ローザの説教」(1714-15)


047
ジョヴァンニ・バッティスタ・クィンチの「栄光のヴィテルボの聖ローザ」(1715c)


048
ヤコポ・リゴッツィ(ヴェローナ、1547-フィレンツェ、1627)の「聖ディエゴ」(1595)


049
Cappella di San Pietro d'Alcantara


050
マッテオ・ボネーキ(フィレンツェ、1669-1756)の「栄光のアルカンタラの聖ピエトロ」(1722)


051
マッテオ・ボネーキ(フィレンツェ、1669-1756)の「アルカンタラの聖ピエトロ」


053
マッテオ・ボネーキ(フィレンツェ、1669-1756)の「アルカンタラの聖ピエトロ」


055
Cappella Vespucci
ヴィンチェンツォ・ダンディーニに拠る祭壇画


056
ジョヴァンニ・ドメニコ・フェレッティ(フィレンツェ、1692-1768)によるCappella Vespucciの天井フレスコ画


058
ジュゼッペ・ピンツァーニの「ウンゲリアの聖エリザベッタ」(1730c)


060
マッテオ・ロッセッリ(フィレンツェ、1578-1650)の「聖アンドレアの殉教」(1620)


062
マッテオ・ロッセッリ(フィレンツェ、1578-1650)の「ポルトガルの聖エリザベッタ」(1625)


064
ドメニコ・プリアーニ(ヴァ―リア、1589-フィレンツェ、1658)の「オルタの聖サルヴァトーレの説教」


067
ルドヴィーコ・ブーティ(フィレンツェ、1550/1560c-1611)の「聖母被昇天」


069
ニコデモ・フェッルッチ(フィレンツェ、1574-1650)の「聖フランチェスコ」


073
サンドロ・ボッティチェッリ(フィレンツェ、1445-1510)の「聖アゴスティーノ」(1480c)


077
サンティ・ディ・ティート(フィレンツェ、1536-1603)の「聖会話」
途中ですが、今日は時間がないので、この辺で一旦切り上げます。
(つづく)

P2370159
次の部屋です。


P2370158
第7室です。


P2370161
聖ピエトロ


P2370162
ピエル・フランチェスコ・モーラは、カヴァリエール・ダルピーノの弟子で、風景画や風景が主体の宗教画が得意でした。フランチェスコ・アルバーニの協力者でもありました。


P2360961
作品があったサンタ・マリア・マッジョーレ参事会教会です。


P2370164
聖パオロ


P2370165
サンタ・マリア・マッジョーレ参事会教会にありました。


P2370167
聖フェリーチェ司教


P2370168


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無原罪の聖母


P2370171
ノエル・キレリアーは、フランス、イギリスなどで活動したフランス人画家です。スペッロの隣のフォリーニョに作品が残されます。
サンタ・カテリーナ・ディ・ラペッキアーノ修道院にあった作品です。


18
フォリーニョとの国境近くにある旧サンタ・カテリーナ・ディ・ラペッキアーノ修道院教会です。


19
サンタ・カテリーナ・ディ・ラペッキアーノ修道院教会は、1476年から1484年にかけて建設されました。修道院は1826年に閉鎖され、教会は1912年に閉鎖され、現在は個人の住居として使用されてます。


P2370174
聖ルフィーノ


P2370173


P2370178
次の部屋です。


P2370177
第8室、最終展示室です。


P2370180
聖ボナヴェントゥーラと聖ベルナルディーノとトローサの聖ルドヴィーコ


P2370181
アンドレア・カマッセイは、ローマにいたドメニキーノに師事しました。後にピエトロ・ダ・コルトーナ工房に移りました。


P2370183
聖ピエトロ・マルティーレ


P2370184
サンタ・マリア・マッジョーレ参事会教会にありました。


P2370186
聖ジャコモ・マッジョーレ


P2370187
クリストフォロ・ダ・フォリーニョについては、全く知りません。


P2370189
聖フェリーチェの壺


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P2370192
ロザリオの聖母


P2370193
イル・ファンティーノは、ドーノ・ドーニの追随者でしたが、その通称から推察すれば小人症だったかも知れません。


P2370195
ロザリオの聖母


P2370196
サンタ・マリア・マッジョーレ参事会教会にありました。


P2370198
慈悲の聖母


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旧慈悲の聖母祈祷所にありました。


20
1348年から1359年にかけて建設された旧慈悲の聖母祈祷所です。


21
中にフレスコ画が残されてます。


P2370200


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P2370204
聖セバスティアーノ


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助祭聖人


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聖体顕示台


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聖体顕示台


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聖皿


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展示はこれで終わりです。


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外に出た。


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(おわり)

第4室の続きです。
P2370102
聖ジャコモ・マッジョーレ?


P2370104
サンタ・バルバラ教会にありました。


172
旧サンタ・バルバラ教会です。(写真再掲)


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聖ジュゼッペ・ダリマテア


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何処にあったのか、不明のようです。


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聖母子


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サンタ・マリア・デッラ・スペッラ聖域にありました。


16
サンタ・マリア・デッラ・スペッラ聖域です。山にあります。


17
雪中のサンタ・マリア・デッラ・スペッラ聖域です。


P2370111
聖ルチアの聖体拝領


P2370114
カミッロ・バガッツォッティは、マルケ滞在中のロレンツォ・ロットに師事したとされてます。ロットの弟子としては、他にドゥランテ・ノビーリがいます。


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次の部屋です。


P2370115
第5室です。


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聖人が描かれたパネルが並んでます。


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左から聖トンマーゾ、聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ


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聖マッテオ、聖フィリッポ


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聖ピエトロ、キリスト、聖アンドレア


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聖ジャコモ・マッジョーレ、聖ジャコモ・ミノーレ


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聖バルトロメオ、聖シモーネ


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サンタ・マリ・マッジョーレ参事会教会にありました。


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サンタ・マリア・マッジョーレ参事会教会です。


P2370130
次の部屋です。


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第6室です。


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入館者が殆どいません。


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天国


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サンタ・マリア・マッジョーレ参事会教会にありました。
マルカントニオ・グレッキの画風形成の過程がよく分からないとされてますが、フランチェスコ・ヴァンニ(シエナ、1563‐1610)か、またはピエトロ・ソッリ(サン・グズメ、1556‐シエナ、1622)に師事したという説があります。
ヴェントゥーラ・サリンベーニ、クリストフォン・ロンカッリなどのシエナ派画家と密接な交流があったそうです。


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燭台


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Palazzo Comunaleにありました。


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Palazzo Comunaleです。


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聖アントニオ・アバーテ


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聖母子と聖人たち


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サンタ・マリア・マッジョーレ参事会教会にありました。


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聖母子と大天使聖ミケーレと聖フランチェスコ


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サンタ・マリア・マッジョーレ参事会教会にありました。


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聖フェリーチェと2天使


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天上の聖母子と聖人たち


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サンタ・マリア・マッジョーレ参事会教会にありました。
(つづく)

P2370043
次の部屋です。


P2370042
第2室です。


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多翼祭壇画です。


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中央パネルは、欠落しており、しかも現存していない可能性があります。


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イメージとして、聖母子の白黒写真を示したものです。
この写真の元となった剥離フレスコ画が第2室に展示されてます。


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向かって左:聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ、聖イザヤ


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向かって右:聖ジョヴァンニ・バッティスタ、バーリの聖二コラ


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向かって左のクスピデ:受胎告知する大天使


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向かって右のクスピデ:受胎告知される聖母


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プレデッラの左から「ご誕生」


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「マギの礼拝」


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「キリストの神殿奉献」


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聖母子と聖ジローラモとシエナの聖ベルナルディーノ


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サン・ベルナルディーノ教会にありました。


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作品があった旧サン・ベルナルディーノ祈祷所です。現在は民有の住居です。


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フレスコで装飾された柱


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サン・ベルナルディーノ教会にありました。


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聖母子


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サンタ・マリア・マッジョーレ参事会教会にありました。


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次の部屋です。


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第3室です。


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ピエタの彫刻


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マドンナ・ディ・ヴィーコ教会、通称トンダ教会にありました。


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1517年創建のマドンナ・ディ・ヴィーコ教会です。


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マドンナ・ディ・ヴィーコ教会は、スペッロの西端のアッシジとの境界近くにあります。この周辺は、ペルージャとアッシジとの境界だったので、両都市間の係争に度々巻き込まれたそうです。


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ゴンファローネ表面の「聖十字架の奇跡」


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ゴンファローネ裏面の「慈悲の聖母」


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Oratorio della Croceにあったゴンファローネですが、この祈祷所について、私は分かりません。


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磔刑


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キリストの磔刑の場にいた聖人は、聖母、聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ、聖マリア・マッダレーナとされてます。
サンタ・マリア・ディ・ヴァッレグロリア修道院にありました。


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城壁内西端にあるサンタ・マリア・ディ・ヴァッレグローリア修道院です。


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次の部屋です。


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第4室です。


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受胎告知


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サンタ・マリア・イン・パテルノ教会にありました。


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サンタ・マリア・イン・パテルノ教会です。(写真再掲)
この教会はフレスコ画の宝庫だったそうです。


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Figure femminili reggistemma


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サンタ・マリア・イン・パテルノ教会にありました。


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両面に描かれてます。
聖バルバラの殉教


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裏面の天上の聖バルバラ


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サンタ・バルバラ教会にありました。


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旧サンタ・バルバラ教会です。
(つづく)

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サンタ・マリア・マッジョーレ参事会教会の隣にある写真左手前の建物がPalazzo dei Canoniciです。


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写真右手前に2本の柱が写ってますが、その先にあるのがPalazzo dei Canoniciで、そこに市立絵画館があります。


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この建物は元々12世紀に建設された教会の一部で、宗教関係者などの住居を兼ねていましたが、ピントゥリッキオが一時住んでいたそうです。
1542年、ルネサンス様式に改修され、ほぼ現在の姿になりました。


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Palazzo dei Canoniciのルネッタ上のフレスコ画の痕跡


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Palazzo dei Canoniciの入り口です。


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市立絵画館の入り口です。
ここで一般公開されるようになったのは、1994年からです。


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市立絵画館はPalazzo dei Canoniciの1階(日本の2階)にあります。


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展示室は全部で8室あって、作品の制作された、ほぼ古い時代からの年代順に展示されてます。
また、展示作品の多くはスペッロの教会修道院から集められたもの、個人からの寄付によるものです。


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第1室です。


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聖母子


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隣のサンタ・マリア・マッジョーレ参事会教会にあった。


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聖母子


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サンタ・マリア・イン・パテルノ教会にありました。


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城壁外にあるサンタ・マリア・イン・パテルノ教会です。
1178年の文書にこの教会についての初めての記載があります。旧教会です。


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聖母子と聖アンナと聖ジャコモ


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サンタ・マリア・イン・パテルノ教会にありました。


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聖母子


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サンタ・マリア・イン・パテルノ教会にありました。
この教会には、壁一杯に描かれたフレスコ画があったそうです。19世紀には既に宗教活動を停止して民有となりましたが、フレスコ画が貴重ということで公的機関が19世紀末に買い上げたそうです。建物を修復しても、その使用方法に困り、結局中のフレスコ画の主だった箇所を剥離させて保存することになりました。


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聖母子


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サンタ・マリア・イン・パテルノ教会にありました。


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聖母子と信者たち


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サンタ・マリア・イン・パテルノ教会にありました。


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玉座の聖母
幼きキリストを抱いていましたが、キリスト像が失われ、聖母だけになりました。


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サンタ・バルバラ教会にありました。


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旧サンタ・バルバラ教会です。


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聖母子


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サンタ・マリア・イン・パテルノ教会にありました。


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詳細不明の十字架
作品の説明板がありません。


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詳細不明の鐘
説明板がありません。


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死せるキリスト


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サンタ・マリア・マッジョーレ参事会教会にありました。


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十字架


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サン・ロレンツォ教会にありました。


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サン・ロレンツォ教会のファサード


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磔刑


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城壁外のサンティッシマ・トリニータ教会にありました。


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12世紀に建設された旧サンティッシマ・トリニータ教会です。
一時、画家のマルカントニオ・グレッキが所有していたそうです。


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十字架


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サンタ・マリア・マッジョーレ参事会教会にありました。


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保護板があるので、写真写りが良くありません。


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磔刑


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聖母戴冠


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コーラ・ペトルッチョーリ(オルヴィエート、1360‐ペルージャ、1401)は、ウゴリーノ・ディ・ピレーテ・イラーロの弟子です。シエナ派の画風でした。
(つづく)

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