イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

2021年03月

107
Cappella dell' Ultima Cenaの祭壇画は、シモン・ヴーエ(パリ、1590-1649)の「最後の晩餐」


110
Cappella dei Nome di Gesuのガスパーレ・ランディ(ピアチェンツァ、1756-1830)の作品


114
Cappella di San Michele Arcangeloのグイド・レーニ(ボローニャ、1575-1642)の「大天使聖ミケーレ」
これは恐らくコピー画でしょう。


117
Cappella di San Francesco d' Assisiのドメニコ・ザンピエーリ通称イル・ドメニキーノ(ボローニャ、1581-ナポリ、1641)の「聖フランチェスコ」
これもコピー画でしょう。


119
Cappella dei Santi Ignazio da Loyola e Filippo Neriのクリストフォロ・ウンテルベルガー(カヴァレーゼ、1732-ローマ、1798)の「聖イグナツィオ・ディ・ロヨラと聖フィリッポ・ネリ」


318
フランチェスコ・ダ・ヴォルテッラ(ヴォルテッラ、1535-ローマ、1595)の「ニコロ・カエターニの墓」


319
アウレリオ・ロンバルド(ヴェネツィア、1501-1563)の「永遠の父と祈る二天使」(1542)


320
アントニオ・エルコーレ・ラッジ(スイス、1624-ローマ、1686)の「ボナッコルシ枢機卿のモニュメント」


142
クーポラ


141
暗くてよく見えません。


143
チェーザレ・マッカーリ(シエナ、1840-1919)によって1895年から1907年に制作されたクーポラのフレスコ画です。
ここには、クリストフォロ・ロンカッリ通称イル・ポマランチョ(ポマランチェ、1552-ローマ、1626)が1611年から1612年に制作したフレスコ画がありましたが、劣化してしまったので、チェーザレ・マッカーリのフレスコ画に置き換えられたのです。


145
詳細不知


146
クリストフォロ・ロンカッリ通称イル・ポマランチョ(ポマランチェ、1552-ローマ、1626)の作品です。


147
クリストフォロ・ロンカッリ通称イル・ポマランチョ(ポマランチェ、1552-ローマ、1626)の作品です。


148
詳細不知(後陣にあります)


150
Sala del Tesoroです。


315
天井や壁上部が派手に装飾されてます。


152
Sala del Tesoroは、第231代教皇クレメンテ8世(ファーノ、1536-ローマ、1605 在位:1592-1609)の指示によって装飾されました。


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起用された画家は、クリストフォロ・ロンカッリ通称イル・ポマランチョ(ポマランチェ、1552-ローマ、1626)です。1605年から1609年に制作されました。


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317


316
クリストフォロ・ロンカッリ通称イル・ポマランチョ(ポマランチェ、1552-ローマ、1626)の「磔刑」


157
聖堂から外に出ます。


158
次は、ロレンツォ・ロットの最晩年の作品で有名なMuseo Antico Tesoraですが、開館まで時間があるので、適当に町をうろつきます。


038
真冬の寒い日だったので、時間潰しに困りました。


034


159
巡礼地だけあって、余計なものがありません。


163


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バールを探します。


171
開いている店がありません。


172


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Corso Boccaliniを市庁舎方向に向かいます。


174
巡礼者は来ないと思っているみたいです。


175
仕方がないので、戻ることにしました。


176
開館時間は間もなくです。


177
(つづく)

047
サンティ・アゴスティーノ・エ・ドメニコ礼拝堂です。
ドメニコ・デ・アンジェリ(ポンツァーノ・ロマーノ、、1735-ローマ、1804)の「聖アゴスティーノと聖ドメニコ」


049
サン・フランチェスコ・ディ・パオラ礼拝堂です。
アントニオ・カヴァッレッチ(セルネータ、1752-ローマ、1795)の「パオラの聖フランチェスコ」


055
アントン・フォン・マロン(1733-1808)の「聖エミーディオと聖カルロ・ボッロメオ」(18世紀末)


057
Cappella dell' Immacolataです。
カルロ・マラッタ(カメラーノ、1625-ローマ、1713)の「聖母子」


061
カルロ・マラッタ(カメラーノ、1625-ローマ、1713)の「聖母の結婚」


070
サン・マルコの聖具室です。


310
メロッツォ・ダ・フォルリの傑作があることで有名です。


309
メロッツォ・ディ・ジュリアーノ・デリ・アンブローズィ通称メロッツォ・ダ・フォルリ(フォルリ、1438-1494)の「キリストのエルサレム入城」
この場面にメロッツォ・ダ・フォルリの自画像が描き込まれてます。


313
右端の男がメロッツォ・ダ・フォルリの自画像です。


311
サン・マルコの聖具室の天井です。


312
八角形の天井にフレスコ画が描かれてます。上が天使、その下が預言者です。


064
1476年から1506年まで、ロレートの管轄権を有していたのがジローラモ・バッソ・デッラ・ローヴェレ枢機卿(アルビッソーラ・マリーナ、1434-ファブリカ・ディ・ローマ、1507)でした。枢機卿がメロッツォ・ダ・フォルリに注文して、1484年から1493年にかけて制作されたフレスコ画です。


065
メロッツォ・ダ・フォルリの弟子マルコ・パルメッツァーノ(フォルリ、1459-1539)も制作に参加した可能性が高いとされてます。


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スイスの礼拝堂です。


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カルロ・マラッタ(カメラーノ、1625-ローマ、1713)の「無原罪の御宿リ」


073
スイスの礼拝堂のフレスコ画は、カルロ・ドナーティ(ヴェローナ、1874-1949)の「聖アンナと聖ジョアッキーノの物語」(1935-38)


074


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314
ウルビーノ公の礼拝堂です。


080
ウルビーノ公礼拝堂の祭壇画は、フェデリーコ・バロッチ(ウルビーノ、1535-1612)の「受胎告知」のコピー画です。


081
フェデリーコ・ズッカリ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1542/1543-アンコーナ、1609)の「聖母の結婚」(ウルビーノ公礼拝堂のフレスコ画)


082
フェデリーコ・ズッカリのフレスコ画


083
フェデリーコ・ズッカリ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1542/1543-アンコーナ、1609)の「ご訪問」


086
Cappella Polacca


085
アウトゥーロ・ガッティ(ロレート、1878-1958)ポーランド礼拝堂のフレスコ画(1920)です。


088
Cappella Tedescaです。


087
ルドヴィーコ・セイツ(ローマ、1844-アルバーノ、1908)によって1892年から1908年に制作されたドイツ礼拝堂のフレスコ画です。


091
ドイツ礼拝堂のフレスコ画


094
Cappella Slava


095
Cappella Slavaのフレスコ画は、ビアージョ・ビアゲッティ(ポルト・レカナーティ、1897-マチェラータ、1948)によって1912から1913年に制作されました。


096
Cappella Slavaのフレスコ画のテーマは、聖クリッロと聖メトーディオの生涯です。


097
Cappella Francese


098
Cappella Franceseのフレスコ画


099
Cappella Franceseのフレスコ画


100


101
Cappella del Crocifissoです。
インノチェンツォ・ダ・ペトラリア(ペトラリア・スプラーナ、1592-パレルモ、1648)の「磔刑像」


105
Cappella del Crocifissoのフレスコ画


104
(つづく)

033
次は、聖なる家の聖堂 Basilica della Santa Casaです。


296
聖堂の全景は鉄道駅から眺めるのが最適です。(外部サイトから拝借した写真)


163
この聖堂の建設、聖なる家の移設の経緯については、中世後期の宗教的伝説に拠るものです。従って、その経緯と宗教的権威確立には、この聖堂に関与した教皇たちの多分にリーズナブルではない努力があったと思います。


162
ナザレにあった聖なる家とは、聖母が生まれ育ち、受胎告知を受け、聖霊を受けてキリストを懐妊した家で、1世紀初頭には聖家族(聖母、聖ジュゼッペ、キリスト)が住んでいました。
キロストの昇天後、聖なる家は教会に改築され、初代教皇聖ピエトロが奉献式を行ったとされてます。


180
336年、フラーヴィア・ジュリア・エレーナ(ヘレナ皇后、コンスタンティヌス1世の母)(248c-329)はナザレへの巡礼を行い、聖なる家を収容する聖堂建設を指示し、聖堂が建設されたとされてます。しかし、ヘレナ皇后がナザレを巡礼した336年には、ヘレナ皇后はこの世の人ではなかったので、ナザレ巡礼は後世の宗教的捏造説が有力で、歴史的事実ではないとされてます。
13世紀後半、イスラム教徒軍の侵攻によってナザレが脅かされるようになり、聖なる家の破壊が現実のものとなりつつありました。
1291年、聖なる家は天使たちによって空を飛んで運ばれ、最初はテルサットの丘(クロアチア)に置かれましたが、1294年、再び天使たちによってレカナーティ近くの森に置かれました。1295年、現在地のロレートに運ばれました。
その後、聖なる家は持ち上げられ、保管庫で覆われ、やがて教会が建設されました。


168
パレスチナ聖地がイスラム教徒に奪われそうな窮地にあった13世紀後半、聖なる家を囲む壁が幾つかに分解された所謂「聖なる石の壁」がロレートに運ばれ、「聖なる石の壁」を組み込んで聖なる家が出来たというのが事実のようです。
1468年、レカナーティ司教ニコロ・ダルステ Nicolo dall' Steは聖なる家を保護し、増え続ける巡礼者に対応するため、大きな聖堂の建設を決め、1468年に聖堂建設工事が着工しました。
ニコロ・ダルステ司教は、建設工事着工直後に没してしまいましたが、建設工事は211代教皇パオロ2世(ヴェネツィア、1417-ローマ、1471 在位:1464-1471)に引き継がれました。パオロ2世は、枢機卿だった1464年、ロレートを訪れ、ロレートの聖母によって奇跡的に癒されたことから、聖堂建設を強力に推進したと言われてます。
聖堂の設計建設に於いては、当時の一流建築家のジュリアーノ・ダ・マイアーノ(マイアーノ、1432c-ナポリ、1490)、ジュリアーノ・ダ・サンガッロ(フィレンツェ、1445c-1516)、ドナート・ブラマンテ(フェルミニャーノ、1444-ローマ、1514)が起用されました。
1468年から1587年に建設された後期ゴシック様式とルネサンス様式混合の聖なる家の聖堂です。


169
高さ75.6mの鐘楼


297
クーポラ
ジュリアーノ・ダ・マイアーノ(マイアーノ、1432c-ナポリ、1490)とジュリアーノ・ダ・サンガッロ(フィレンツェ、1445c-1516)によって1499年から1500年に建設されました。


295
クーポラと鐘楼


040
ファサード前に立つのは、教皇シスト5世像です。


041
聖堂内に入りました。中央通路の先に大理石の聖なる家があります。


043
三廊式です。


044
縦93m、横60mの内部です。


045
天井の装飾


298


122
見所が多いので、目移りしてしまいます。


121
巡礼先となっている聖なる家から見るのが普通でしょう。


042
中央通路を進みます。


299
ドナート・ブラマンテ(フェルミニャーノ、1444-ローマ、1514)設計の大理石彫刻で覆われた聖なる家です。


144
大理石彫刻には、当時の名の知られた彫刻家が制作に参加しました。


123
大理石彫刻に従事した彫刻家として、アンドレア・サンソヴィーノ(モンテ・サン・サヴィーノ、1467c-1529)、アントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ジョーヴァネ(フィレンツェ、1484-テルニ、1546)、ジローラモ・ロンバルド(フェッラーラ、1506-レカナーティ、1590)、グリエルモ・デッラ・ポルタ(ポリエッツァ、1515c-ローマ、1577)、バルトロメオ・バンディネッリ(バッチョ・バンディネッリ)(フィレンツェ、1493-1560)、ドメニコ・アイーモ(ヴァリニャーナ、1460-ボローニャ、1539)、ラッファエッロ・ダ・モンテルーポ(モンテルーポ・フィオレンティーノ、1504-オルヴィエート、1566)などがいました。


127


084
聖なる家の中に入ります。


124
聖なる家の中です。


125
側壁のフレスコ画(ブレブレ写真でスイマセン)


300
聖なる家のロレートの聖母です。
長年、レバノン杉で作られた聖母子像は、ランプで照らされ、その煙で燻されて黒くなってます。オリジナルのロレートの聖母は、1921年の火災によって消失してしまいました。現在のものはその後に制作されたものです。
外に出て、大理石彫刻をじっくり見ました。


301
ジローラモ・ロンバルド(フェッラーラ、1506-レカナーティ、1590)の「ダヴィデ」


302
アンドレア・サンソヴィーノ(モンテ・サン・サヴィーノ、1467c-1529)の「羊飼いの礼拝」


304
ドメニコ・アイーモ(ヴァリニャーナ、1460-ボローニャ、1529)の「聖母の死」


303
ジャンバッティスタ・デッラ・ポルタ(ヴィコエケネセ、1535-ナポリ、1615)の「イザイア」


305
ラッファエッロ・ダ・モンテルーポ(モンテルーポ・フィオレンティーノ、1504-オルヴィエート、1566)の「ご訪問」


126
「聖なる家」の上にクーポラが見えます。
次は、大好きなルカ・シニョレッリのフレスコ画を見ます。


128
再び見ることが出来て幸せです。


129
Sagrestia di San Giovanniです。


306
ジローラモ・バッソ・デッラ・ローヴェレ枢機卿(アルビッソーラ・マリーナ、1434-ファブリカ・ディ・ローマ、1507)がロレートにいた1477年に、ルカ・シニョレッリ(コルトーナ、1450c-1523)に注文して制作されたフレスコ画です。


131
ルカ・シニョレッリ(コルトーナ、1450c-1523)によって、1477年から1480年に制作されたフレスコ画です。


133
シニョレッリの代表作の一つです。


134
入口にロープが張られて、中に入ることが出来ません。


135
どうしても同じ場面の写真ばかりになってしまいます。


136


308
天井


307


138


140
(つづく)

004
ロレートは、人口12,913人(2019年12月31日現在)のマルケ州アンコーナ県にあるコムーネです。町はその中心に建つ聖なる家の聖堂に向けて、世界中からカトリック教徒が押し寄せる巡礼地です。


003
隣町のレカナーティからバスでロレートのレオパルド広場に着きました。


294
レオパルド広場から城壁内に入ります。


005
16世紀に建設されたPorta Romanaです。


006
ロレートは、堅固な城壁に囲まれてます。


007
ローマ門を潜ります。


008
ガリバルディ広場に出ました。


010
ガリバルディ広場から見たローマ門です。


009
時計がある建物は市庁舎で16世紀末に建設されました。


011
城壁の中からの景観です。


012
ロレート鉄道駅が見えます。


013
ロレート最初の城壁は、1315年に建設されました。
1518年6月5日、スルタン・セリム1世(1470-1520)のオスマン帝国軍がポルト・レカナーティを攻撃しました。時の第217代教皇レオ10世・デ・メディチは、オスマン帝国軍の脅威に対して、ロレートの城壁の増強整備の必要性を痛感して、アントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ジョーヴァネ(フィレンツェ、1484-テルニ、1546)を派遣して、城壁の増強整備に当たらせました。アントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ジョーヴァネの設計によって、1518年から1522年に増強整備された城壁が現在の姿の原形となってます。


015
町の中心を貫くCorso Boccaliniです。


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世界中からカトリック教徒が訪れる巡礼地なので、町の規模にしては宿泊設備が多いと思います。


017
15世紀に建設された市庁舎の建物です。


020
マリーノ・ディ・マルコ・チェドリーニ(ヴェネツィア、15世紀活動)とジュリアーノ・ダ・マイアーノ(マイアーノ、1432c-ナポリ、1490)の設計によって建設されました。


286
市庁舎の壁のロレートの紋章


019
航空歴史博物館が併設されてます。


018
この博物館には入館したことがありません。


021
2月の寒い日だったので、人出が非常に少なかった。


022
通りの先に聖なる家の聖堂が見えてきました。


023
マドンナ広場です。聖堂の拝観を後回しにして、ジョヴァンニ23世広場に行きます。


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ジョヴァンニ23世広場です。


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広場にある第261代教皇ジョヴァンニ23世(ソット・イル・モンテ、1881-ローマ、1963 在位:1958-1963)のモニュメント
1962年、ジョヴァンニ23世は、アッシジのサン・フランチェスコ聖堂とロレートの聖なる家の聖堂を訪れて、当時、難しかった教皇庁の将来を2つの巡礼地に託したと言われてます。


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場違いな感じがするローマ時代の兵士像が広場の端にありました。


024
大司教館となっているアポーストリコ宮です。


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アポーストリ宮のアーチを潜ってマドンナ広場に出ます。


029
アポーストリ宮のアーチ


030
アポーストリ宮の柱廊


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177
再びマドンナ広場に出ました。


032
一階(日本の二階)にも柱廊が設けられてます。


035
マドンナ広場にある、バロック様式のFontana Maggioreです。


037
カルロ・マデルノ(カポラーゴ、1556-ローマ、1629)とカルロの叔父ジョヴァンニ・フォンターナ(メリデ、1540-ローマ、1614)によって1604年から1614年に造られたFontana Maggioreです。


161
傑作とされている噴水ですが、気温2℃だったので寒々しい感じがしました。


170


036
アポーストリ宮は、第216代教皇ジュリオ2世(アルビゾラ、1443-ローマ、1513 在位1503-1513)がドナート・ブラマンテ(フェルミニャーノ、1444-ローマ、1514)に命じて建設させました。
ブラマンテがロレートに滞在したのは、1507年から1509年で、アポーストリ宮だけではなく、聖堂のファサード建設にも関与しました。


039
ブラマンテの手によって完成したのは、アポーストリ宮の一部にすぎませんでしたが、ブラマンテの設計による建設は、アントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ジョーヴァネ(フィレンツェ、1484-テルニ、1546)に引き継がれました。


164
アントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ジョーヴァネは、1518年から1522年にかけてアポーストリ宮の建設に従事しましたが、それでも工事は終わらずジョヴァンニ・ボッカリーニ(カルピ、1520c-ロレート、1580)に引き継がれました。


159
アポーストリ宮の完成は20世紀になってからと言われてます。
(つづく)

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やがてチェスの対局が始まりました。


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晴れていたのは嬉しいのですが、気温上昇と高湿気には困りました。


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日陰のベンチで一休み。


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グロッセートに来た最大の目的は、マレンマ博物館の入館です。


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博物館の開館時間まで、ぶらぶら歩きで時間潰しです。


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狭い城壁内なので、同じ場所に何度も来てしまいます。


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日陰を選んで歩きました。


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マレンマ地方観光の醍醐味は、ソヴァーナ、ソラーノ、ピティリアーノです。


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ピティリアーノへは、グロッセートからバスがあるので、簡単に行けます。


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ソヴァーナへは、鉄道駅からの直通バスはなくなって、ピティリアーノ発のバスで行くことになったので不便になりました。


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サンタ・キアーラ教会は、相変わらず扉が閉まっていました。


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サン・フランチェスコ教会は開いてました。


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ジュゼッペ・カスッチ(ロッカストラーダ、1877-アルゼンチン、1964)の「聖母子と聖フランチェスコと聖フォルトゥナート」(1927)をじっくり見ました。


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もう一度拝観しました。


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マレンマ博物館にやってきました。神学校だった建物です。


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博物館前の彫像は、「アンドレア・ダ・グロッセート(グロッセート、13世紀前半‐?、?)像」です。
アンドレア・ダ・グロッセートは、散文作家でグロッセートのサン・フランチェスコ教会の修道士でした。当時の作家はラテン語で書くのが普通でしたが、アンドレア・ダ・グロッセートはイタリア語の最初の作家という説があります。


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マレンマ博物館と簡単に表記しましたが、Museo Archelogico e D' Arte della Maremmaが正式名称です。


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開館時間がこのように表記されてますが、この日は16:00~19:00のみの開館でした。


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入館しました。


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マレンマ博物館については、既に書きました。
ご興味のある方は、次のページをご参照願います。
(前編)
http://luca-signorelli.blog.jp/archives/17823152.html
(後編)
http://luca-signorelli.blog.jp/archives/17826171.html


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アレッサンドロ・カソラーニ(メンサノ、1552‐シエナ、1660)の「磔刑」(1583)


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Maestro dell' Osservanzaの「聖ジローラモ」(左)(1450‐60c)とサーノ・ディ・ピエトロ(シエナ、1406‐1481)の「聖アントニオ・アバーテ」(右)(1450‐60c)


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サンティ・ディ・ティート(ボルゴ・サン・セポルクロ、1536‐フィレンツェ、1603)の「聖母子と聖ジョヴァンニーノと聖エリザベッタ」(1601)


P1050869
グイド・ディ・グラツィアーノ通称グイド・ダ・シエナ(シエナ、1230c‐1290c)と工房の「最後の審判」(13世紀)


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ルドヴィーコ・カルディ通称イル・チゴリ(チゴリ、1559‐ローマ、1613)の「ピエタ」(1599c)


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バルトロメオ・ブルガリーニ(シエナ、1337‐1378記録)の「聖母子」(1370)


P1050885
ジョヴァンニ・ディ・二コラ(シエナとピサ、1326から記録-1363/1365没)の「聖母子」


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アンドレア・ディ・ニッコロ(シエナ、1440-1514)の「ピエタのキリスト」(15世紀末)


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外に出ました。


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次はMuseo di Storia Naturale della Maremmaです。


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この日は、残念ながら開いていませんでした。


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特にやることがありません。


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見たいところは大体見たようです。


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これならば、昼食でワインを1本空け、ビールを飲んで時間をかけて楽しむべきでした。


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サン・フランチェスコ教会の鐘楼が見えてます。


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Piazza Pacciardi
写真左はミゼリコルディア教会です。


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グロッセートのニャーゴ


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城壁にやってきました。


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城壁外に出ます。


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Porta Vecchia


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ホテルに戻ることにしました。


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夕方になると、人出が多くなります。


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サン・ピエトロ教会が開いていました。


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拝観しました。


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キリがないので、この辺で終わりにしましょう。
(グロッセートの項、おわり)

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ホテルに戻って昼寝を小一時間すると。外は晴れていました。


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今度は傘を持たずに外出です。


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先ず城壁外を見て回ります。


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城壁内は狭いので、街の住民の大多数が城壁外に住んでます。


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パーチェ通りに沿って大きな教会があります。


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サクロ・クオーレ参事会聖堂 Basilica Minore e Collegiata del Sacro Cuore di Gesuです。


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1954年から1958年に建設されたネオ・ルネサンス様式の新しい教会です。


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この聖堂の建設には、グロッセート市民の悲惨な出来事がありました。


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城壁外の聖堂が建設された場所には小さな遊園地がありましたが、イースター・マンデイの1943年4月26日、大勢の子供たちが遊園地で遊んでいました。空襲警報が出ていなかったので、安心して遊んでいたそうです。ところが、米軍爆撃機一機が何故か遊園地で遊んでいた子供たちを急襲、爆撃によって大勢の子供たちを含む134人が犠牲となりました。
犠牲者の鎮魂のため、建設されたのが、この聖堂です。
犠牲の現場となったところが、この聖堂のクリプタとなってます。


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遊園地で遊んでいた子供を急襲するなんて普通の神経を持った兵士ならば、多分やらないと思いますが、原爆を投下するくらいですから、米兵にとっては朝飯前の普通の任務だったのでしょう。


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コンクリートのファサード
建設の経緯を知る第260代教皇ピオ12世(ローマ、1876-カステル・ガンドルフィ、1958 在位:1939-1958)は、直ぐにBasilica Minoreに格付けしました。


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ファサードの彫刻


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鐘楼


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左側壁


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ファサード前に小さな公園があります。


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小さな公園前から見たファサード


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イタリアが親米なのか分かりませんが、原爆を落とされた我が国が米国と同盟とは。


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咲き誇るブーゲンビリア


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城壁外の、城壁近くにもう一つ新しい教会があります。


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この辺は旧市街の北西、城壁外に当たります。


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Porta Nuovaの近くです。


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教会の鐘楼が見えてきました。


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この教会のファサードはローマ通りに面してます。ファサード側に回ります。


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Chiesa della Medaglia Miracolosa、奇跡のメダル教会とでも訳すのでしょうか?


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居住者が多くなった城壁外の住民のために、1936年から1937年に建設されたネオ・ロマネスク様式の教会です。


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入口扉上ルネッタの浮彫は、地元が生んだ彫刻家トロ―メオ・ファケンディ(グロッセート、1905-1970)の「聖母とベアータ・カテリーナ」(1937)です。


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美術的には、ファサードの浮彫を観れば十分と言えるでしょう。


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壮大な郵便局の建物


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昼寝ボケで眠かったので、ここで一服入れました。


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Villino Pastorelli


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未だ城壁外です。


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この辺だけ城壁がありません。


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城壁内に入りました。


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ダンテ広場です。


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ダンテ広場でチェスが行われるようです。


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(つづく)

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次はサン・ミケーレ門です。


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パオルッチ通りを進みます。サン・ミケーレ門は旧市街の南西にあります。


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ドゥオーモの鐘楼が見えました。


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小雨が相変わらず降り続いてます。


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昼を過ぎて、閉まっている店が多くなっています。


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小さなジョヴァンニ・ヴァレーリ広場を通り過ぎます。


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マッツィーニ通りからサン・ミケーレ広場に入ります。


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サン・ミケーレ広場にある「木のオブジェ」です。遠くから見ると木ですが、よーく見ると金属製の木です。金属製の木ではなく、普通の木でも良いと思いました。


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1819年に建設されたTeatro degli Industriです。


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サン・ミケーレ門はもう直ぐです。


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サン・ミケーレ門が見えてきました。


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城壁の南西に設けられたサン・ミケーレ門です。


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城壁外に出ました。


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城壁外には見所が乏しいので、城壁内に戻ります。


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Bastione Molino a Vento


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公園内の池にイノシシの噴水があります。


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ダンテ広場に戻りました。


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古い建物ですが映画館になってます。


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ドゥオーモ


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雨が強くなってきたので柱廊に逃げ込みました。


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昼食のビールが効いてきました。


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ここで一服して、トイレをお借りしました。


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Porta Vecchiaに向かいます。


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Via San Martino


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14世紀に遡るPorta Vecchiaです。


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城壁外に出ました。16世紀後半にメディチ家に拠って城壁の増強整備が行われましたが、その際、14世紀のPorta Vecchiaがそのまま新城壁に組み込まれました。


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城壁外に広い駐車場があります。


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城壁内に戻りました。


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Via San Martino


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城壁が殆ど残されているのが確認出来ました。


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Via dell Unione


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ドゥオーモ広場に出ます。


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狭い城壁内なので、どうしても同じ場所に何回も来てしまいます。


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ダンテ広場に立つローマ時代の柱 Colonna Romana e Monumennto a Canaponeです。


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雨の中をあちこち行くのが嫌になってきました。


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Corso Giosue Carducci


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ホテルに戻って昼寝をすることにしました。

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サン・ピエトロ教会を通り過ぎます。


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(つづく)

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Strada Ginoriです。


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古い建物が建ち並んでます。次はサン・フランチェスコ教会修道院ですが、Strada Ginoriの突き当りに教会があります。


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Piazza Indipendennzaに出ました。


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サン・フランチェスコ教会修道院の鐘楼です。


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グロッセート病院の井戸が広場にあります。


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1465年に造られたPozzo di Santa Maria della Scala di Sienaです。


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共和国広場は、以前、サン・フランチェスコ広場と呼ばれていました。


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サン・フランチェスコ教会を見ます。


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10世紀に建設されたサン・フォルトゥナート教会が前身です。


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1188年、時の教皇クレメンテ3世(第174代教皇)(ローマ、1121-1191 在位:1187-1191)は、サン・フォルトゥナート教会をグロッセート司教に寄贈しました。


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12世紀末に教会はベネデット会の所有となりましたが、1220年、ベネデット会修道士は教会を去ることになり、フランチェスコ会に建物を売却しました。売却を機に、教会名称がサン・フランチェスコ教会と改称されました。


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新たに所有者となったフランチェスコ会修道士は、教会修道院を再建することにし、1231年から1289年に再建された建物が現在の姿の原形となってます。


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1859年から1865年にかけてサン・ロレンツォ大聖堂の修復工事が行われましたが、その工事期間中、司教座がサン・フランチェスコ教会に臨時に置かれました。
1949年から教区教会 Parrocchiaになりました。


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ファサード横にある聖フランチェスコの記念碑


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13世紀に建設された、オリジナルの鐘楼は、17世紀頃、落雷によって倒壊してしまいました。現在の鐘楼は、1926年に再建されたものです。


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教会の入り口です。


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入口上ルネッタのフレスコ画は、ジュゼッペ・カスッチ(ロッカストラーダ、1877-アルゼンチン、1964)の「聖母子と聖フランチェスコと聖フォルトゥナート」(1927)です。


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中に入りました。


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見るに値する作品が幾つかあります。


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単廊式


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木組みの天井


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ピントゥリッキオ派のシエナの逸名画家の作品(1510c)です。


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14世紀のシエナ派逸名画家作「聖アントニオ・アバーテ」(14世紀)


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逸名画家作「聖クリストフォロ」(14世紀)


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後陣と主祭壇


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ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ(シエナ、1255c-1318/1319)の「彩色磔刑像」(1289c)
この磔刑像は歴史的にドゥッチョの作品と言われてきました。


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しかし、近年になってグイド・ディ・グラツィアーノ(シエナ、1278-1302記録)の作品であるとの別説が出されています。


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15世紀の逸名画家作「聖フランチェスコと聖ベルナルディーノ」


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ニッコロ・ディ・セーニャ(シエナ、?-1348c)の領域(Ambito di)の「聖母子」


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フランチェスコ・クゥッラディ(フィレンツェ、1570-1661)の「受胎告知」(1615)


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翼廊の礼拝堂


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かなり新しそうなフレスコ画です。


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フレスコ画の制作者や制作された時代等の詳細が分かりません。


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キオストロ回廊に出ました。


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修道院と教会を連絡する回廊の壁にフレスコ画があることが多いですが、ここにはないようです。


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1590年に造られたPozzo della Bufaraです。


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回廊にある作品を観ます。


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彩釉テラコッタの聖母子


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大天使聖ミケーレ


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キリストの鞭打ち


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教会経由で外に出ます。


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もう一度ドゥッチョの彩色磔刑像を見ました。


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主祭壇前から見た出入口方向


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外に出ました。
(つづく)

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Via D' Azeglioです。


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雨がしつこく降ってます。


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メンシーニ広場を通り過ぎます。


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次はミゼリコルディア教会です。


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Piazza Martiri d' Istriaに入りました。


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広場に建っているのがミゼリコルディア教会です。


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12世紀中頃に、現在地に建設された病院別館がありましたが、その別館に設けられたサン・ロレンツォ礼拝堂が前身です。
程なく、病院別館と小礼拝堂はテンプル騎士団に寄贈され、13世紀に同騎士団によってサン・ロレンツォ教会が建設されました。


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1312年、テンプル騎士団はサン・ロレンツォ教会を放棄しました。教会は衰退しましたが、ミゼリコルディ同信会によって細々と維持されました。1844年、経時劣化によって建物が危険になったので解体され、1854年に再建された建物が現在の姿となってます。


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ガリバルディ通りを城壁に向かって進みます。


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城壁前にいかめしい建物が建ってます。


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Casa Circondariale


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刑務所です。


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何か監視されている気がしましたが、刑務所なので当然です。観光客には不向きな刑務所ですが、城に行くには、この前を通るのが普通です。


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刑務所の警備員の屯所でしょうか?


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刑務所は城壁内に建ってます。


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Cassero Seneseに向かいます。


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Cassero Seneseです。14世紀にシエナ共和国によって建設された城です。


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1565年、トスカーナ大公コジモ1世・デ・メディチ(フィレンツェ、1519-1574)に拠って城壁の整備拡張が行われましたが、その際、城は城壁に囲まれた要塞の要塞として新城壁に組み込まれました。
Bastione Fortezzaと呼ばれてます。


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Cassero Seneseの入り口です。


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入口扉上のメディチ家の紋章


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Cassero Seneseに観光案内所が設けられてます。観光案内所で地図を頂戴するとともにMuseo、教会の開く時間を確認しました。


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城の中に入りました。


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城の中庭はコンサート会場になっていました。


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観光案内所と中庭以外には入ることが出来ないようになっていました。


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Cassero Seneseから外に出ます。


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Cassero Seneseの周囲を見て回ることにしました。


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高い壁のCassero Seneseです。


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写真左がCassero Seneseの壁、写真右は市域の城壁です。


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城壁外に出ました。


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1565年から1593年に築かれた城壁です。


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Cassero Seneseです。


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城壁外から見たCassero Seneseです。


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城壁内に戻ります。


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Cassero Seneseの入り口を通り過ぎます。


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Piazza Martiri d' Istriaに戻ります。


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ミゼリコルディア教会が見えます。


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このレストランで昼食を食べました。
(つづく)

引き続きドゥオーモです。
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クーポラです。


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クーポラの四隅に四福音書記者が描かれてます。


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聖マルコ


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アントニオ・ギーニ・ダ・パオロ(ルッカ?、?-シエナ、1478以前没)の洗礼盤(1470-1474)


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アントニオ・ギーニの傑作とされてます。


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グロッセートの紋章


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イラーリオ・カソラーニ(シエナ、1588-1661)の「天上の聖母子と聖人たち」(1630)


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ヴェントゥーラ・サリンベーニ(シエナ、1568-1613)の「キリストの勝利と聖ロレンツォと聖カルロ・ボッロメオ」(17世紀初頭)


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傑作とされている聖人たちのステンドグラス


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「祈るキリスト」のイコン


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ジローラモ・ディ・べンヴェヌート(シエナ、1470-1524)の作品


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主祭壇前から見た出入口方向


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外に出る前に、もう一度聖堂内部を見回しました。


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外に出ました。


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1870年から1873年に建設されたPalazzo Comunaleです。


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市庁舎が建設される前には、この場所に古いサン・ジョヴァンニ・デコッラート教会の建物がありました。教会は18世紀末に機能を停止しましたが、建物は倉庫として使用されていました。市庁舎を建設するために旧教会の建物は解体されたのです。


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ドゥオーモ広場を後にしました。


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ドゥオーモ広場からダンテ広場に入りました。


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ダンテ広場中央に立つのは、ルイージ・マギ(アシャーノ、1804-フィレンツェ、1871)の「レオポルド2世の記念碑」(1846)です。


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「カナポーネの記念碑」とも呼ばれてます。


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ロレンツォ・ポルチャッティ(カナ、1864-グロッセート、1928)の設計によって、1900年から1903年に建設されたPalazzo Aldobrandeschiです。


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現在、県庁舎として使用されてます。


P1050475
Palazzo Aldobrandeschiが建っている場所には、Palazzo Pretorioがありました。1898年、グロッセート市民は劣化したPalazzo Pretorioの修復を行って県庁舎として使用することを求めました。しかし、その願いは叶わず、1899年に解体され、その跡地にPalazzo Aldobrandeschiが新築されたのです。


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ダンテ広場の南側にある建物です。


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ダンテ広場には古い建物が建ち並んでます。これらと調和させるために、Palazzo Aldobrandeschiが古風な造りにされたと言われてます。


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ダンテ広場を後にして、マニン通りを進みます。


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ジョベルティ広場へと進みます。


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ジョベルティ広場から振り返るとドゥオーモが見えました。


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ジョベルティ広場から南門に向かいます。


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南門を潜って城壁外に出ます。


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グロッセートに最初の城壁は12世紀に完成しました。
現在の城壁は、市域の拡大と防御力向上のために、トスカーナ大公コジモ1世・デ・メディチ(フィレンツェ、1519-1574)の命によって、1565年から1593年に建造されました。


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城壁はほぼ完全な形で残されてます。


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城壁外に設けられたParco Giochiです。


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城壁内に戻ります。


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城壁内に泊まるなら、このホテルがお勧めです。


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マッツィーニ通り


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Piazza Maestri del Lavaroにレストラン併設のホテルがあります。


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(つづく)

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Corso Giosue Carducciから広場に差し掛かるとドゥオーモが見えてきます。


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ドゥオーモ広場に入りました。


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ドゥオーモ広場に建つ、グロッセート司教区の司教座教会 Cattedrale di San Lorenzoです。


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現在、ドゥオーモが建っている場所にローマ時代初期に建設された壮大な神殿がありました。392年、テオドシウス帝によってキリスト教会が国教として認められると、神殿はサンタ・マリア・アッスンタ教会と呼称される初期キリスト教会に改修転用されるようになりました。この初期キリスト教会が現在のドゥオーモの前身です。


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グロッセートが属していた司教区司教座は12世紀前半までグロッセートの北10kmにあるロッゼレにありましたが、1138年、第164代教皇インノチェンツォ2世(ローマ、?-1143 在位:1130-1143)はグロッセートに司教座を移して、ローマ時代の神殿を転用したサンタ・マリア・アッスンタ教会の建物を取り壊して、その上に新しい建物を建設して司教座教会にすることを決定しました。


P1050790
そうして、当時の一流建築家ソッツォ・ディ・ルスティキーノが起用され、ソッツォの設計、工事監督によって、1294年に創建され、1302年に完成した建物が現在の姿の原形となってます。
14世紀初めに奉献式が執り行われ、それを機に聖ロレンツォ司教座教会と改称されました。


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再建された建物のファサードは、1338年から1340年に建設されましたが、19世紀初めには経時劣化によって一部危険となったので、1840年から1845年にかけて、現在の赤と白の大理石を組み合わせて改修工事が行われました。
現在のファサードは、この改修後の姿であり、少し新しく見えます。


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バラ窓


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16世紀に追加されたランタン


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四福音書記者の彫刻は、アゴスティーノ・ディ・ジョヴァンニ(シエナ、1285c-1347c)とその息子ジョヴァンニ・ディ・アゴスティーノ(シエナ、1310-1348)によって1320年から1340年に制作されました。
聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタの彫刻


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聖ルカ


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聖マルコ


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聖マッテオ


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ダンテ広場から見た右側外壁


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サイドポータル上ルネッタの「聖母子」の彫刻は、レオポルド・マッカリ(1850-1894?)によって制作されました。


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右側壁に描かれた日時計のフレスコ画は、アルナルド・マッザンティ(ミラノ、1939-)によって1983年に制作されました。


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グロッセートの紋章


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1402年に建設された鐘楼です。


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拝観します。


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聖堂内に入りました。


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三廊式、ラテン十字形の聖堂内部です。創建当時のロマネスク・ゴシック様式の構造を維持してますが、その後に行われた修復、改修を経ていて、創建時の姿を想像できません。
現在の姿は、1856年から1865年に行われた改修後のものです。


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身廊中央通路から見た右側廊方向


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聖堂の構造図


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左側廊


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右側廊


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主祭壇と後陣


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主祭壇は、ジョヴァンニ・アントニオ・マッゾ―リ(1639-1714)によって1692年に制作されました。


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彩色磔刑像が必見です。


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ロレンツォ・ディ・ピエトロ通称イル・ヴェッキエッタ(シエナ、1410-1480)に帰属する「彩色磔刑像」(15世紀後半)


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マドンナ・デッレ・グラツィエ礼拝堂です。


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マッテオ・ディ・ジョヴァンニ(ボルゴ・サン・セポルクロ、1430-シエナ、1495)の「聖母と天使たち」(1470)


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サン・ロレンツォ礼拝堂です。


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詳細不知の「羊飼いの礼拝」


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かなり出来が良いと思います。


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詳細不知


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十字架の礼拝堂です。


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制作者情報不知の「木製磔刑像」(15世紀)


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詳細不知の礼拝堂
(つづく)

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グロッセート駅に到着しました。


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グロッセートは、人口82,378人(2019年12月31日現在)のトスカーナ州グロッセート県の県都です。マレンマ地方の中心都市です。


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グロッセート鉄道駅の駅舎です。


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駅近くのホテルにチェックインしました。
変わりやすい天気の日で、自室に10分ほどいるうちに雨が降ってきました。


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俄雨が上がったので、街歩きに出発しました。


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トリエステ通りを右折します。


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ローマ通りに入りました。


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駅から旧市街を囲む城壁まで徒歩5,6分ほどかかります。


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旧市街はもう直ぐです。


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Piazza Fratelli Rosselliに面して建つPalazzo del Governoです。


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Piazza Fratelli Rosselliに面して建つ郵便局の建物です。


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11月4日通りです。


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1908年から1913年に建設された、ネオ・ゴシック様式のVillino Pastorelliです。


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グロッセートで活躍した建築家ロレンツォ・ポルチャッティ(カナ、1864-グロッセート、1928)の傑作とされているVillino Pastorelliです。


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城壁が見えました。


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1925年から1939年に建設されたCasa del Fascioと時計塔です。マレンマ地方ファシズムの中心地でした。


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グロッセートの城壁は、殆ど無傷で残っている城壁の稀な例の一つです。


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城壁内に入りました。ここにあった城壁は、1939年から1941年に取り壊されました。


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1912年にBanca Monte dei Paschi di Sienaが建設したPalazzo del Monte dei Paschi di Sienaです。


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Corso Giosue Carducciを進みます。


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写真左の建物は、1911年に建設されたPalazzo del Genio Civileです。


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Corso Giosue Carducciに面して建つ、ロマネスク様式のサン・ピエトロ教会です。


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9世紀に遡るグロッセート最古の教会です。1188年に文書に、教会の存在が初めて記載されたそうです。


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サン・ピエトロ教会の後陣です。


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サン・ピエトロ教会の後方に建っているのは、1634年に建設されたルネサンス様式のサンタ・キアーラ教会です。現在はビギ教会と呼ばれることが多いようです。


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サンタ・キアーラ教会は、Via Vinzaglioに面して建ってます。


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サンタ・キアーラ教会から見たサン・ピエトロ教会の後陣です。


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サン・フランチェスコ教会です。拝観は後でゆっくりすることにしました。


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マレンマ博物館は午後に入館することに。


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街の中心ドゥオーモ広場に向かいます。


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Corso Giosue Carducciに戻りました。


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Palazzo del Genio Civileのフレスコ装飾を見ます。


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Corso Giosue Carducciを更に進みます。


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城壁内を縦貫するメイン通りです。


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写真左は市庁舎です。


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街の中心ドゥオーモ広場にやってきました。


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ドゥオーモです。
(つづく)

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カステッロ広場に向かいます。


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街角の聖母子を発見しました。


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カステッロ広場にやってきました。


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写真右奥の建物はTeatoro Municipaleです。


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17世紀初頭、カステッロの城壁に面する現在地に劇場が建設されました。


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しかし、最初の建物は構造的に運営上の問題が深刻となり、1697年に閉鎖されてしまいました。
最初の建物が取り壊され、木造で1703年に再建されました。


7
ところが、地元の貴族たちから木造ではみすぼらしい等の不満が沸騰したので、スポレートの修道院長で建築家のアゴスティーノ・ヴィットーリに劇場建設が委嘱され、アゴスティーノ・ヴィットーリの設計によって1780年から1786年に三代目となる建物が建設されました。
三代目の劇場で1791年に初演を迎えました。
1861年、劇場は地元の貴族から市当局に売却され、市有となりましたが、管理上の問題から上演出来ず、100年以上も閉鎖されたままでした。
大掛かりな修復工事が行われ、1990年に漸く再上演に漕ぎつけることが出来、現在に至ってます。


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カザーレ・モンフェッラート城、Castello dei  Paleologiです。


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この場所には、10世紀末の記録に、その存在が記された要塞がありました。要塞の建設時期はそれ以前と思われてますが、具体的には分かってません。


9
モンフェッラート侯爵ジョヴァンニ2世・パレオロゴ(カザーレ、1321-ヴォルピアノ、1372)は、1352年、要塞を増強拡大させ城にしました。


10
城の増強整備は、後継のモンフェッラート侯爵グリエルモ8世パレオロゴ(カザーレ・モンフェッラート、1420-1483)とモンフェッラート侯爵ボニファチョ4世パレオロゴ(カザーレ・モンフェッラート、1512-1530)に引き継がれ、15世紀中頃から16世紀前半にかけて工事が行われました。


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1559年、カザーレ・モンフェッラートは、マントヴァのゴンザーガ家領となりました。
ゴンザーガ家は、防衛上、この城の必要性はないとしながらも、塔と城壁を追加させるとともに、宮殿として整備させ、。マントヴァ公爵家の離宮として使用されるようになりました。


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ゴンザーガ家の衰退によって、1708年、カザーレ・モンフェッラートは、ゴンザーガ家からサヴォイア家領となりました。1710年から城はサヴォイア家の兵舎として使用されるようになりました。


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1856年、都市整備の一環から市場を新たに作るために、城の一部が取り壊されました。


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更にカステッロ広場を造るために、城の一部が取り壊されました。


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城はかなり荒廃しています。一般公開されていますが、この日はダメでした。


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本丸しか残されていないようです。


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カステッロの庭だった部分です。


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鐘楼はParrocchia di Sant' Ilarioのものです。


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広場に面して教会が建ってます。


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バロック様式の建物の教会です。


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写真左は市の塔です。


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サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会です。


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サンタ・カテリーナ教会とも呼ばれてます。


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1718年から1726年に建設されたギリシャ十字形、バロック様式の教会です。
1726年に奉献されました。


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この教会ファサードの後方に教会に隣接する1700年に建設されたドメニコ会のシエナのサンタ・カテリーナ修道院があり、修道院修道女によって教会が一部運営されたので、別名サンタ・カテリーナ教会と呼ばれた所以です。


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カステッロ広場を後にします。


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広場から見えた市の塔


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サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の横、Via Alessandriaに入りました。


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サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会に隣接して修道院だった建物が建ってます。


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ドメニコ会のサンタ・カテリーナ・ダ・シエナ修道院だった建物です。


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修道院は16世紀に建設されました。
旧修道院の先がサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会です。
修道院は、ナポレオンの抑圧令によって18世紀末に閉鎖され、1867年から修道院だった建物はEnte Municipale Convitto Trevisoが使用するようになりました。


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アレッサンドリア通りを更に進みます。


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写真右は、15世紀に建設されたPalazzo Vittaです。Natta d' Alfiano侯爵夫人の住居でした。


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観たいと思っていた観光先の殆どが閉まっていたし、午後にも開かないことが分かりました。


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臨時休館ならばHPに記載されるべきと思う私ですが、イタリアではHPの更新をしないことが多いのです。こんなことにめげてはイタリアの旅はやっていられません。


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6月28日でした。


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ローマ通りを進みます。


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通りの先はサンタ・クローチェ教会です。


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1344年に建設された後期ゴシック様式のサンタ・クローチェ教会です。


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未完成のファサードは、1748年にフランチェスコ・オッタヴィオ・マニョカヴァッリの設計によって一旦工事が開始されたものの、結局未完成に終わりました。


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1950年頃、宗教活動が停止され、その後の改造を工事を経て、1994年に教会だった建物はショッピングセンターに生まれ変わりました。


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左側壁に店舗が設けられてます。


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教会の建物は総じて地震に強くないのですが、大丈夫でしょうか?


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最後の望みは市立博物館ですが、日が悪いので、多分臨時休館だろうと諦めていました。


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19世紀に建設されたPalazzo Gaspardoneです。


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中庭に入ってみました。


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現在、Governatoreになってます。


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写真右の建物が市立博物館です。


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15世紀末に建設されたサンタ・クローチェ修道院だった建物です。


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旧修道院の建物が市立博物館になってます。


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この日は何故か休館でした。


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城、美術館、博物館などが全てダメでした。


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これでは何もやることがありません。


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夕方にも城。美術館、博物館、教会などに行きましたが、状況は変わらずでした。


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仕方がないので、ホテルで体を休めることにしました。
(おわり)

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サン・ドメニコ教会を横に見ながら、ジョヴァンニ・ランツァ通りを進みます。


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写真右は賃貸・分譲アパートです。


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塔がある建物が見えますが、後で行きます。


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サン・ドメニコ教会修道院の周りを巡ります。


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17世紀中頃に建設されたPalazzo Morelliです。


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先ほどの塔が見えました。


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塔がある建物はPalazzo Morelliであることが分かりました。


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Palazzo Morelliにロッジャがあります。


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ロッジャに入ってみました。


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ランツァ通りに戻りました。


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Via Saletta


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Palazzo Morelliの塔が見えます。


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同じ所を行ったり来たり。


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市の塔に行ってみる。


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昼食を食べた店が通りの突き当りに見えてます。


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次は市の塔です。


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市の塔です。


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高さが60mあります。


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11世紀に防御用の見張り塔として築かれました。16世紀初めにほぼ現在の姿の原形となりました。その後、経時劣化や修復のため、16世紀初めの姿と少し違う形になりましたが、1920年に行われた修復の際に16世紀初めの姿に復元されました。


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市の塔がサント・ステファノ教会の鐘楼と間違える人が少なからずいらっしゃいます。


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次は、そのサント・ステファノ教会です。


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サント・ステファノ広場にやってきました。
写真左がサント・ステファノ教会です。


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これを撮っておくと、後で行う写真整理に役立ちます。


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写真右の建物は、Palazzo Ricci di Cenesetoです。


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Palazzo Ricci di Cereseto前から見たサント・ステファノ広場です。


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サント・ステファノ教会です。


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市の塔が教会の鐘楼のように見えると思います。


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写真右の建物の上に顔を覗かせているのが、サント・ステファノ教会の鐘楼です。


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サント・ステファノ教会の最初の建物は11世紀に遡るとされてます。現在の建物は17世紀に再建された二代目となるもので、1661年に奉献されました。


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この時間は教会の扉が閉まってます。


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サント・ステファノ広場に面した、このお店はお勧めです。


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サント・ステファノ広場に立つのは、彫刻家ベネデット・カッチャトーリ(カッラーラ、1795-1871)の「ルイージ・カニーナのモニュメント」です。
ルイージ・カニーナ(カザーレ・モンフェッラート、1795-フィレンツェ、1856)は、地元出身の考古学者、建築家です。


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中にイル・モンカルヴォなどの祭壇画があります。


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サント・ステファノ広場を後にします。


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次はクリスティアーナ・エヴァンジェリカ教会です。次を右折して小道に入ります。


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Vicolo Giovanni Carottoです。


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ここから10mと出ています。


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写真左の建物が教会のような・・・・・


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如何にも教会の入り口のように見えましたが・・・・・


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アーチがありますが・・・・・


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アーチの上の装飾


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アーチに教会の入り口があります。


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クリスティアーナ・エヴァンジェリカ教会です。


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アーチを潜りました。


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鐘楼があります。教会の形がよく分かりません。


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(つづく)

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サン・ドメニコ教会の側面入り口に向かいます。


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写真右の建物がサン・ドメニコ教会の側面です。


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側面の扉も閉まっていました。


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結局、サン・ドメニコ教会に入れないことになりました。


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側面ファサードの丸窓


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側面ファサードの入り口


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サン・ドメニコ教会の後陣


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鐘楼


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サン・ドメニコ教会の側面入り口向かいに教会があります。


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サン・ピエトロ・マルティーレ教会です。


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聖リータにも奉献しているので、サンタ・リータ教会とも呼ばれてます。


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鐘楼が見えます。
1503年の刻印がある煉瓦が建物に使用されているので、創建は1503年、またはそれ以前とされてます。
1515年のカザーレ・モンフェッラートの文書に、サン・ピエトロ・マルティーレ教会が初めて記載されてます。


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中に入りました。


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単廊式です。


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右側壁


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天井


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フレスコ画で一杯です。


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主祭壇


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フレスコ画のテーマは聖ピエトロ・マルティーレの物語です。


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後陣左のフレスコ画


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詳細不知の「磔刑像」


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フレスコ画は18世紀に描かれたようですが、制作者などが分かりません。


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主祭壇前から見た出入口方向です。


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外に出ました。


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サン・ドメニコ界隈を後にしました。


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Via Giovanni Lanzaに出ました。


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かなりの賑わいを見せている通りです。


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前夜に大食いしたので、胃の調子があまり良くなかったけれど、昼食に何か食べないと夜まで持ちません。


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お手軽に済ませることに。


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食欲がなかったので、これで十分過ぎるほど。


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コッパ広場です。


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ジョヴァンニ・ランツァ通りに面して教会が建ってます。


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サン・ジュゼッペ教会です。


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(つづく)

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次はサン・ピエトロ教会です。写真の通りの突き当りに教会があります。


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サン・ピエトロ教会です。


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正式名はChiesa della Confraternita di San Pietro Apostoloと言います。


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サン・ピエトロ同信会が建築家フランチェスコ・ガッロ(モンド―ヴィ、1672-1750)に注文して、ガッロの設計によって1726年から1739年にかけて建設されました。


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フランチェスコ・ガッロは、教会建築が得意で、50以上の教会の設計を行ったことで知られてます。


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扉が閉まってましたが、それは予想通りでした。


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Via Paleologi


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次はサン・ドメニコ教会です。


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サン・ドメニコ教会は、次を右折します。ドゥオーモの西方にあります。


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通りの突き当りにあるのがサン・ドメニコ教会です。


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サン・ドメニコ広場に出ます。


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Confraternita dei Nobiliの本拠であり、カザーレ・モンフェッラートでは、ドゥオーモに次いで重要な教会とされてます。


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モンフェッラート侯爵グリエルモ8世・パレオロゴ(カザーレ・モンフェッラート、1420-1483)によって1472年に創建されました。グリエルモ8世の死後、建設工事はグリエルモ8世の弟ボニファチョ3世に引き継がれ、1506年に完成しました。


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1506年、併設の修道院が建設され、Padri Domenicaniに託されました。


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1513年、奉献式が執り行われました。


6
ファサードのポータルが見所です。


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バルトロメオ・スアルディ通称ブラマンティーノ(ミラノ、1456-1530)によって1510年に装飾されたファサード・ポータルです。


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丸窓


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バルトロメオ・スアルディ通称ブラマンティーノの「聖母子とボニファチョ・パレオロゴ一族」(1510c)


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入り口横の、バルトロメオ・スアルディ通称ブラマンティーノ(ミラノ、1456-1530)の「シエナの聖カテリーナ」(1510c)


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入り口横にある、バルトロメオ・スアルディ通称ブラマンティーノ(ミラノ、1456-1530)の「聖ドメニコ」(1510c)


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サン・ドメニコ教会の左横にミゼリコルディア教会がありますが、後で見ることにしました。


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サン・ドメニコ修道院回廊に入りました。


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1506年に建設されました。
Confraternita dei Nobiliの支援を受けて、非常に豊かな修道院でした。


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ナポレオンの抑圧令によって活動が停止された旧修道院となってます。


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修道院のキオストロ回廊に僅かにフレスコ画が残されてます。


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劣化が著しく、何が描かれていたのか、全く分かりません。


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回廊の壁ルネッタ上にフレスコ画があったとされてます。


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高さ40mの鐘楼


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今度はミゼリコルディア教会です。


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1527年3月25日、Compagnia della Misericordiaが設立されましたが、その活動拠点としてサンタ・マリア・ディ・ピアッツァ教会(マッツイーニ広場にあります)が選ばれました。


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その後、自前の教会を持ちたい、との希望から資金集めが行われ、ミラノの建築家フランチェスコ・マリア・リキーノ(リキーニ)(ミラノ、1584-1658)の設計によって1611年に建設されたミゼリコルディア教会です。


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ファサードの装飾は、ジョヴァンニ・バッティスタ・ヴィスカルドの「慈悲の聖母」(1617)


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ヴィスカルドの作品


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ヴィスカルドの作品


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サン・ドメニコ広場


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活動を停止した旧教会です。


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(つづく)

ドゥオーモ付属美術館の続きです。
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司教杖(18世紀)


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大理石棺(18世紀第4四半世紀)


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17世紀のカザーレ・モンフェッラートの逸名画家作「合奏」


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ドゥオーモ本堂外にある礼拝堂です。


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礼拝堂天井


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礼拝堂の聖職者席と十字架


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聖職者席上方の彫刻


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ジョルジョ・アルベリーニ通称ジョルジョ・ダ・カザーレ(アレッさんソリア、1567-カザーレ・モンフェッラート、1626)の「聖母子と聖ベルナルディーノと聖カルロ・ボッロメオ」(1610)


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ジョルジョ・アルベリーニの作品が数点あります。尚、ジョルジョ・アルベリーニは、グリエルモ・カッチャ通称イル・モンカルヴォ(モンタボーネ、1568-モンカルヴォ、1625)の協力者でした。


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ピエル・アントニオ・セッラの「キリストと大人たち」(17世紀)


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ピエル・アントニオ・セッラの「キリストの証言」(18世紀前半)


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ピエル・アントニオ・セッラの「ゲッセマネ園のキリスト」(18世紀前半)


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聖具類


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純銀製


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ガウデンツィオ・フェラーリ(ヴァルドゥッジャ、1475/1480-ミラノ、1546)の「キリストの洗礼」(1534)


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ジョルジョ・アルベリーニ通称ジョルジョ・ダ・カザーレ(アレッサンドリア、1567-カザーレ・モンフェッラート、1626)の「聖ルチア」


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ジョルジョ・アルベリーニ通称ジョルジョ・ダ・カザーレ(アレッサンドリア、1567-カザーレ・モンフェッラート、1626)の「聖エヴァージョ」(1615)


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ジョルジョ・アルベリーニ通称ジョルジョ・ダ・カザーレ(アレッサンドリア、1567-カザーレ・モンフェッラート、1626)の「聖ロレンツォ」(1615)


P1280609
ジョルジョ・アルベリーニ通称ジョルジョ・ダ・カザーレ(アレッサンドリア、1567-カザーレ・モンフェッラート、1626)の「聖バルトロメオ」(1615)


P1280610
ジョルジョ・アルベリーニ通称ジョルジョ・ダ・カザーレ(アレッサンドリア、1567-カザーレ・モンフェッラート、1626)の「聖プロイエント」(1615)


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ヴェネツィア製のピオ5世の式服(16世紀末)
第225代教皇ピオ5世(ボスコ・マレンゴ、1504-ローマ、1572 在位:1566-1572)


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ピエモンテの逸名画家作「聖母子と聖人たち」(1628)


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エヴァンジェリスタ・マルティノッティ(カザーレ・モンフェッラート、1634-1694)の「キリストの洗礼」(17世紀後半)
エヴァンジェリスタ・マルティノッティは、サルヴァトール・ローザの弟子です。


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ジョルジョ・アルベリーニ通称ジョルジョ・ダ・カザーレ(アレッサンドリア、1567-カザーレ・モンフェッラート、1626)の「聖オルソラ」


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驚きました。聖堂内から入ることが出来なかったCappella di Sant' Evasioに付属美術館から入れるようになっていました。


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18世紀のものです。


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聖エヴァージョ礼拝堂の装飾は、その殆どが18世紀のものです。


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礼拝堂天井のフレスコ画


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礼拝堂の祭壇


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外に出ました。


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(つづく)

今回はドゥオーモの続きとドゥオーモ付属美術館です。
P1280531
説教壇


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制作者情報不知の「Vergine della Consolata」(17世紀)


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聖ジュゼッペの祭壇です。


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18世紀の逸名画家作「聖エヴァーショに顕現する幼きキリストと聖ジュゼッペ」


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サン・ロレンツォ礼拝堂です。


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ステファノ・ボッティネッリ・ダ・ヴィッジュ―の「聖ロレンツォと聖エヴァーショと聖ナターレ」(18世紀)


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Cappella di Sant' Evasioは閉まっていました。


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グラツィエの聖母礼拝堂


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アゴスティーノ・ブスティ通称イル・バンバイア(ブスト・アルシツィオ、1483c-ミラノ、1548)の「聖母子と聖アントニオ・アバーテと聖ベルナルディーノ」


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グラツィエの聖母礼拝堂天井の装飾


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Narthexへの入り口


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Cappella di Sant' Agata e Sant Apollonia


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グリエルモ・カッチャ通称イル・モンカルヴォ(モンタボーネ、1568-モンカルヴォ、1625)の追随者作「聖アガタと聖アポッロニア」


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Cappella di Santa Lucia


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グリエルモ・カッチャ通称イル・モンカルヴォ(モンタボーネ、1568-モンカルヴォ、1625)の追随者作「聖ルチアと聖人たち」


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Cappella della Madonna di Fatima


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Narthexに出ます。


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外に出ました。


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左側壁の後陣方向に向かいます。


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ドゥオーモ付属美術館の入り口です。


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写真左の建物が美術館になってます。


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司教館の一部が美術館になってます。


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ドゥオーモ内部はアゴスティーノ・ブスティ通称イル・バンバイアの彫刻を除いて見所が余りありません。美術ファンの不満を癒す一助になりそうなのが付属美術館と言えるかも知れません。


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入館無料です。土日は常時開館してますが、平日の開館は不定期と思っていた方が良いでしょう。原則は、夏場は月~金開館、冬季は平日閉館となってますが、夏季の平日に開館しているとは限りません。


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入館しました。
12世紀の逸名彫刻家作「聖人」
聖人は、聖エヴァーショの可能性があるとされてます。


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16世紀のフランスの逸名彫刻家作「ランゴバルド王リュートバルド像」
リュートバルド王(690c-744)は、8世紀中頃にカザーレ・モンフェッラート大聖堂の前身であるサン・ロレンツォ教会を建設しました。


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16世紀のフランスの逸名彫刻家作「テオドリンダ像」
テオドリンダもサン・ロレンツォ教会建立に尽力しました。


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14世紀前半のロンバルディアの逸名彫刻家作「アレッサンドリアの聖カテリーナ像」
14世紀前半から17世前半までカザーレ・モンフェッラート大聖堂のファサードに置かれていました。


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12世紀のモザイク
カザーレ・モンフェッラート大聖堂の内陣床にありました。


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12世紀のモザイク


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ロンバルドの逸名彫刻家作「磔刑像」(1450-60)


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12世紀のモザイク「魚屋」


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12世紀のモザイク


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12世紀のモザイク「男とイノシシ」


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創建時の床にあったモザイクです。


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(つづく)

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写真左はPalazzo dei Credito Italianoです。


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マッツィーニ広場からドゥオーモに向かいます。


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Torre Civicaが見えてます。


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高さ60mのTorre Civicaの歴史は古く、11世紀に遡るそうです。現在の姿は、1731年と1780年に行われた修復後の姿ですが、その2回の修復後に改造されたので、1920年に2回の修復後の姿に復元されたそうです。


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ドゥオーモ通りに入った途端、その突き当りにドゥオーモが見えます。


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現在、ドゥオーモが建っている場所には紀元後1世紀に建設されたユーピテル神殿がありましたが、8世紀前半、ロンゴバルド王リュートプランド Liutprando(?、690c-パヴィア?、744)がユーピテル神殿の廃墟の上に建設した小さなサン・ロレンツォ教会が前身とされてます。


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11世紀になると建物が劣化したので、再建されることになり、11世紀後半に創建され、12世紀初頭に完成したロマネスク様式の建物が現在の姿の原形となってます。


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1107年、第160代教皇パスクゥアーレ2世(ブレーダ、1050c-ローマ、1118 在位:1099-1118)によって献堂式が執り行われ、その際、聖エヴァーショ(アスティ司教)に奉献されました。


1
1215年、所謂ヴェルチェッリ戦争で、ミラノ・アスティ、アレッサンドリア、ヴェルチェッリの同盟軍の攻撃によって、カザーレ・モンフェッラートの街は大きな被害を受けましたが、その際、この教会の後陣が破壊され、13世紀中頃に元の後陣の近い形に復元されました。


2
非対称の、高さの異なる二本の鐘楼が特徴です。
1474年、カザーレ・モンフェッラートは単独の独立した司教区に昇格しましたが、それに伴い、本教会に司教座が置かれました。司教座教会への昇格後、ロマネスク様式で増築され現在の規模になりました。


3
15世紀に増築されたロマネスク様式の建物は、17世紀にバロック様式に改造されました。
また、1857年から1861年に行われた修復工事によって、現在のネオ・ロマネスク様式に改修されました。


4
現在のファサードは、1857年から1861年にかけて再建されました。


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外側壁


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側壁側入り口扉上ルネッタの彫刻


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ファサード側の入り口から中に入ります。


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ファーサード側入り口扉上ルネッタの彫刻


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中に入ると、Narthex(アトリウム)に出ます。


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6、7世紀のバジリカ様式の教会ではNarthexが良く見られますが、11世紀以降に建造された教会ではNarthexは非常に珍しい。


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Narthexが新しく見えるのは、1995年から2007年に行われた改装工事の際、オリジナルの形に新造復元されたからです。Narthexを経由して聖堂内に入ります。


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Narthexから聖堂内部への入り口


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聖堂内部に入りました。


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五廊式、ラテン十字形、ロマネスク様式(ロマネスク・リバイバル)の内部です。


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左右にそれぞれ2つの側廊があります。


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かなり複雑な形をしています。


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増築、改造、改修、復元されたので、中を一見しただけではオリジナルの構造が想像できません。


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右側廊


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左側廊


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中央身廊天井


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クーポラの装飾


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Presbiterioの磔刑像(12世紀)
この磔刑像はアレッサンドリア大聖堂にありましたが、傭兵隊長ボニファチョ・カーネ通称ファチーノ・カ―ネ・ダ・カザーレ(カザーレ・モンフェッラート、1360-パヴィア、1412)が1403年にアレッサンドリア大聖堂から取り外して、この聖堂に持ち込んだものです。


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19世紀のステンドグラス


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Presbiterioのネオ・ゴシック様式のフレスコ画とモザイクは、コンスタンティーノ・セレーノ(カザーレ・モンフェッラート、1829-トリノ、1893)の作品です。


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コンスタンティーノ・セレーノ(カザーレ・モンフェッラート、1829-トリノ、1893)の「エマオの晩餐」(1884)
(つづく)

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道を挟んで、市庁舎の向かいに教会があります。


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サン・パオロ・デイ・バルナビティ教会です。


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ミラノの建築家ロレンツォ・ビナゴ(ミラノ、1554-1629)の設計、工事監督によって1568年創建、1595年に完成しました。1594年に奉献されました。


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ウンベルト・コッポによって18世紀後半に改造されました。


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ファサードの彫刻


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中にグリエルモ・カッチャ通称イル・モンカルヴォの祭壇画があります。


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日曜日の午前中だったので、日曜朝のミサが終わってゆっくり拝見できることを期待していました。


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ところが扉が閉まっていました。


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カヴール通りを進みます。


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市庁舎の一部として使用されている建物です。


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市庁舎なので、日曜日には扉が固く閉じられてます。


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18世紀に建設されたPalazzo Magnocavalliです。


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これがあると助かります。


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Palazzo Magnocavalliの向かいにある、18世紀後半に建設されたCasa Alleanzaです。


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使用されてない部屋が多い?


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18世紀に建設された貴族の館、Palazzo Trevilleです。


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Palazzo Trevilleは、現在高級アパートになってます。


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高級アパートになっている、19世紀前半に建設されたPalazzo Arditiです。


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Via Mameli


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次はサン・ミケーレ教会です。


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街角の聖母子を発見しました。


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これです。


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Via San Evasioに面して建っているサン・ミケーレ教会です。


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Confraternita dei Nobiliによって16世紀初めに建設されたサン・ミケーレ教会です。


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ファサードに3大天使の彫刻が置かれてます。


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大大天使聖ミケーレ


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大天使ラッファエーレとトビオーロ


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大天使ガブリエーレ


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写真左はサン・ミケーレ修道院だった建物です。


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中にイル・モンカルヴォの祭壇画が6点あるのですが、扉が閉まっていました。仕方がないので、外部サイトから拝借した祭壇画を載せておきます。


2
グリエルモ・カッチャ通称イル・モンカルヴォ(モンタボーネ、1568-モンカルヴォ、1625)の「竜を退治する聖ミケーレ」


3
グリエルモ・カッチャ通称イル・モンカルヴォ(モンタボーネ、1568-モンカルヴォ、1625)の「ご誕生」


4
ジョヴァンニ・アントニオ・カッサーノ(パヴィア、16世紀後半-17世紀初め活動)のクーポラのフレスコ画(1597)


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ベルノッティ広場です。
広場に立つのは、ウルバーノ・ラッタッツィ(アレッサンドリア、1808-フロジノーネ、1873)像です。
ウルバーノ・ラッタッツィはイタリア統一で活躍した政治家です。


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旧裁判所の建物です。


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ベルノッティ広場は都市開発の対象になっているので、今後、姿が大幅に変わりそうです。


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一見教会風の建物がありますが、詳細不明です。


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ラッタッツィ広場を通り過ぎます。


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街の中心の広場に向かいます。


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マッツィーニ広場にやってきました。


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マッツィーニ広場がカザーレ・モンフェッラートの中心です。


P1280453市の塔 Torre Civicaが見えてます。


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広場の中心に立つのは、カルロ・アルベルト・ディ・サヴォイア(トリノ、1798-ポルトガル、ポルト、1849)のモニュメントです。
カルロ・アルベルトはヴィットリオ・エマヌエーレ2世の父です。


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(つづく)

カザーレ・モンフェッラートは、人口33,637人(2019年12月31日現在)のピエモンテ州アレッサンドリア県にあるコムーネです。
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アレッサンドリア駅始発の普通列車に乗ってカザーレ・モンフェッラート駅に向かいました。


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ほぼ定時にカザーレ・モンフェッラート駅に到着しました。


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ポー川南岸のモンフェッラート丘陵に位置し、古くからワイン醸造で有名です。美術的に見所が多い街と言えるでしょう。


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広い駅前広場


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カザーレ・モンフェッラート駅の駅舎です。


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駅前広場の噴水


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この日のお宿に向かいました。


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翌朝の出発が早いので、駅前のホテルに予約していましたが、この旅の出発前に工事のため休業するので、他のホテルに予約を振り替えたいとの連絡があったので、旧市街にあるホテルに泊まることになりました。


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鉄道駅から旧市街に通じる道です。


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Viale Bistolfi


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ジョヴァンニ・ランツァ(カザーレ・モンフェッラート、1810-ローマ、1882)像です。
ジョヴァンニ・ランツァは、カヴールやガリバルディほど知られてませんが、イタリア統一戦争で活躍した地元出身の英雄です。統一後、文部大臣を務め、イタリアの教育行政確立に尽力しました。


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カヴール通りに入りました。この日のお宿は、この通りにあります。


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写真左が、この日のお宿です。


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チェックインを済ませて外出しました。ホテルに向かう途中、余り写真を撮っていなかったので。駅方向に少し戻って、ビストルフィ通りとカヴール通りの交差点から街歩きを開始しました。


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城壁が残ってませんが、この辺から旧市街になるのでしょう。


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写真左は修道院だった建物です。


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中に入ってみます。


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非常に荒廃した建物です。


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警察署です。


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修道院は17世紀中頃に閉鎖されました。


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サンタゴスティーノ教会修道院だった建物です。


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フレスコ画の痕跡


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サンタゴスティーノ教会修道院の建物は、その後取り壊されたようです。


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修復費用が膨大なので、取り壊して新築した方が経費がかからない?


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警察署の外に出ます。


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カヴール通りです。


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この日のお宿が見えてます。


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ホテルを通り過ぎます。


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更に進んで、市立博物館に行きます。


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市立博物館は市庁舎内にあります。


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旗が掲げられている建物が市庁舎です。


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18世紀に建設されたPalazzo Gozani di San Giorgioです。


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中に入りました。


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この日は日曜日だったので、市庁舎は閉まってます。


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しかし、博物館は日曜日開館、の筈でした。


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Palazzoの中庭


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博物館は閉まっていました。何故?


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ガックリ。何時ものイタリア流をやられてしまいました。


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フレスコで装飾されてます。


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折角来たのに、突発的休館には困りました。この辺の所は、イタリアではよくあることで、どうにもなりません。


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外に出ます。


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この当時、市立博物館は、金土日の週末だけの開館でした。開館日に合わせて旅程を組んだのが無駄になりました。トホホ
(つづく)

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森、畑などを見ても旅行記になりません。


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あちこち歩き回っても見どころが限定されているので時間が経ちません。


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まだ11時35分です。


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昼食を食べることしか用事がありませんが、昼食には少し早すぎます。


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べンティヴォーリア広場を囲むロッジャです。


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男だけの老人のグループ。女性が加わることは極めて稀のようです。


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やることがないので、一度ホテルに戻ります。


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一泊だけでも十分過ぎるほどと後悔しきり。でも修正が効きません。


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Palazzo Bentivoglia


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黒い雲が出てきました。


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小雨が降ってきたので、ホテルに戻る良い口実が出来ました。


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1時間ほどホテルで休憩してから再び外に出ました。雨は数分で上がりました。先ず昼食を食べます。


002
食べるものは何処でも大体同じです。


003
ワインとビールを少々嗜みました。


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食後の散歩に出ました。


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べンティヴォーリア広場から200mも離れると家並みが途絶えて緑が深くなります。


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日陰で一休み。


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グアルティエーリに来たのは後にも先にも、この時が初めてでしたが、こんなに見所が少ないとは全くの予想外です。


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それでも折角来たからには、と思い、無駄な努力を続けました。


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写真左はサンタンドレア教会です。


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「最も美しい村」を即断してはダメです。


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結論としては、この村の見所はべンティヴォーリア広場と広場に面した建物、それにサンタンドレア教会に尽きます。


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トラックが走っているのはポー川堤防沿いの道です。


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ポー川の支流です。


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村の外は農地が広がってます。


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村の外に出ても見どころは何もなし。


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村の入り口


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Palazzo Bentivogliaに出ました。


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夕方になりました。


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夕食はホテル併設のレストラン以外、選択肢がありません。


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人出がありません。


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被写体が同じです。


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この辺で終わりにしましょう。


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(おわり)

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この村には城壁がありません。


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ワイン醸造所ですが、多分廃業した?と思います。


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参事会教区教会の鐘楼です。


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横道には、さしたる見どころが無さそうです。


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ヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りに戻りました。


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写真左横に小さな広場があり、広場に面して教会があります。


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Chiesa della Confraternita della Immacolata Concezioneです。


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1547年の文書に、この教会の存在が記されてます。


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開いているかも知れない、との淡い期待を抱いていましたが、予想違わず扉が閉まっていました。


1
中の見どころは、ボローニャの逸名画家によって天井に描かれたフレスコ画です。(外部サイトから作品画像を拝借しました)


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横道は直ぐに家並みが途絶えて緑深くなってます。


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振り向くと時計塔が見えます。


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ヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りを進みます。


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写真左に教会があります。


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Piazza Bentivogliaとその広場に面して建つ建物がなかった時代、村の中心地はこの辺でした。


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カヴァッロッティ広場です。


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広いカヴァロッティ広場に修道院がありました。


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カヴァッロッティ広場の真ん中に並木道があります。


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カヴァッロッティ広場に面して建つサンタンドレア教会です。宗教活動を停止した旧教会です。


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現在地に9世紀に建てられた小さな礼拝堂が前身です。


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12世紀に礼拝堂が取り壊され、サンタンドレア教会が建設されました。1542年、グアルティ―エリ教区が出来るとともに教区教会になりました。


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1547年、この教会を拠点とするConfraternita della Concezioneが設立され、教会は同信会の所有となりました。


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1566年、グアルティエーリは、コルネリオ1世・べンティヴォーリオ侯爵(フェッラーラ、1519-1585)の領地となりました。
1571年、コルネリオ1世は鐘楼を新建造するとともに、教会の建物を修復させました。


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1585年、コルネリオ1世が没すると、グアルティ―エリは、コルネリオ1世の息子イッポリート・べンティヴォーリオ(フェッラーラ、?-モデナ、1619)の領地となりました。
1600年、サンタ・マリア・デッラ・ネーヴェ教会が完成するのを待って、イッポリートは、教区教会をサンタンドレア教会からサンタ・マリア・デッラ・ネーヴェ教会にするとともに、サンタンドレア教会をFrati Francescini(フランチェスコ兄弟修道会の所有にしました。
建物が経時劣化したので、モデナ公爵でレッジョ・エミリア公爵でもあったリナルド・デステ(モデナ、1655-1737)は、デステ家のお抱え建築家ジョヴァンニ・マリア・フェッラローニ(レッジョ・エミリア、1662-1755)に命じて、サンタンドレア教会修道院の再建を決め、デステ家の資金によって1713年から1738年に建設された建物が現在の姿です。


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1795年、ナポレオンの抑圧令によって教会修道院は閉鎖され、建物は民有となりました。イタリア統一後はコムーネの所有となりました。
第一次世界大戦中、軍事病院に転用されましたが、1919年に現在の姿に復元されました。


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特別な時を除いて、建物が開くことはありません。


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サンタンドレア教会前のカヴァッロッティ広場と広場の並木道


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Pozzo di Piazza Nuova


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18世紀に造られました。


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ヴィットリオ・エマヌエーレ2世通り


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Villaに行きます。


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やはりVillaは閉まってました。


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Villa Torello Malaspinaです。
ローマ時代の遺跡の上に建てられたパルマ司教の別荘です。


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コルネリオ1世・べンティヴォーリオがPalazzo Bentivogliaの建設中に住んでいました。
1841年にフランチェスコ・マラスピーナ侯爵とローラ・トッレッロ伯爵夫人が住んだのでVilla Torello Malaspinaと呼ばれてます。


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(つづく)

サンタ・マリア・デッラ・ネーヴェ参事会教区教会の続きです。
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サンタンドレア礼拝堂です。


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カルロ・ザッティ(ブレシェッロ、1810-1899)の「聖アンドレアと聖人たち」(1844)


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パドヴァの聖アントニオ礼拝堂です。


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逸名画家作「パドヴァの聖アントニオ」


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ファサード裏にオルガンがあります。


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1784年に制作されたオルガン


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制作者、制作時期等詳細不知の「聖クララ」


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制作者、制作時期等詳細不知の「聖ルチア」


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マドンナ・デル・カルミネ礼拝堂です。


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ルドヴィーコ・カッラッチの影響を受けた逸名画家作「カルミネの聖母と聖シモーネと聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


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祝福された秘跡礼拝堂です。


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エミリアの逸名画家作「祝福された秘跡を崇める聖人たち」


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トレリ伯爵の礼拝堂です。


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カミッロ・リッチ(フェッラーラ、1580/1590c-1618/1626)の「磔刑」(1600-26)


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制作者、制作時期等詳細不知の「聖アポッロニア」


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制作者、制作時期等詳細不知の「聖アガタ」


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この礼拝堂を通り過ぎて別室にある礼拝堂に向かいます。


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受胎告知の礼拝堂です。


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礼拝堂上部


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受胎告知礼拝堂天井のフレスコ画


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カルロ・ボノーニ(フェッラーラ、1569-1632)の「受胎告知」


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この作品が本教会の最大の見所です。


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クリプタに行きます。


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クリプタの経緯等、詳しいことが分かりません。


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クリプタ天井のフレスコ画


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詳細不知の「キリストの復活」


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主祭壇前から見た出入口方向


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中央礼拝堂をもう一度見てから外に出ます。


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外に出ました。


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ジョヴァンニ・バッティスタ・アレオッティ通称アルジェンタ(アルジェンタ、1546-フェッラーラ、1636)のデザインによって造られた広場です。


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時計塔と時計塔左右の建物もジョヴァンニ・バッティスタ・アレオッティ通称アルジェンタ(アルジェンタ、1546-フェッラーラ、1636)の設計です。


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広場に面して建つすべての建物はジョヴァンニ・バッティスタ・アレオッティ通称アルジェンタの設計によります。


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時計塔を潜ります。


P1200101
時計塔を潜ってヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りに出ました。


P1200102
ヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りから見た時計塔


P1200103
時計の下に村の紋章が描かれてます。
(つづく)

P1190984
スッザーラ駅です。


P1190985
スッザーラ始発パルマ行き普通列車に乗ってグアルティエーリ駅に向かいました。


P1190994
乗車約15分でグアルティエーリ駅に到着しました。


P1190995
グアルティエーリ駅の駅舎です。


P1190996
グアルティエーリは、「最も美しい村」にリストアップされている、人口6,366人(2019年12月31日現在)のエミリア・ロマーニャ州レッジョ・エミリア県にあるコムーネで、村の北にポー川が流れてます。


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この村に3泊して、近くにある町村を巡ります。


P1190998
駅から村の中心地に向かうSS63です。


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SS63の先に鐘楼が見えますが、鐘楼がある所が村の中心地になります。


P1200001
この辺から道路の名称がガリバルディ通りに変わります。


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村の中心、べンティヴォーリア広場です。


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グアルティエーリ侯爵べンティヴォーリア家の邸宅Palazzo Bentivogliaです。


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べンティヴォーリア広場に隣接する11月4日広場です。この旅のお宿は11月4日広場に面してます。


P1200006
この旅のお宿です。グアルティエーリの宿泊設備は限られますが、真面なホテルはここだけです。レストランを併設しているホテルです。


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チェックインを済ませてから外に出ました。


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Palazzo Bentivogliaの裏側です。


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先ず村役場内にある観光案内所に向かいます。写真右の柱廊に観光案内所があります。


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ここでエスプレッソを一杯


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村役場 Palazzo Comunaleです。


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Palazzo Comunaleのポルティコから見た広場


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Palazzo Comunaleのポルティコから見た参事会教会です。


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写真左はPalazzo Bentivogliaです。


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先ずドゥオーモ、サンタ・マリア・デッラ・ネーヴェ参事会教区教会の拝観です。


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16世紀中頃、グアルティエーリ侯爵コルネリオ1世・べンティヴォーリオ(フェッラーラ、1519-1585)はPalazzo Bentivogliaの建設を始めましたが、それと同時にPlazzoの隣に小さな礼拝堂を1547年に建てました。その小さな礼拝堂が現在の教会の前身です。


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やがてコルネリオ1世・べンティヴォーリオは、礼拝堂ではなく教会建設を考えるようになり、建築家ジョヴァンニ・バッティスタ・アレオッティ通称アルジェンタ(アルジェンタ、1546-フェッラーラ、1636)を起用し、アルジェンタの設計によって教会の建設が開始されました。
コルネリオ1世の死後、教会建設は息子のイッポリート・べンティヴォーリオ(フェッラーラ、?-モデナ、1619)に引き継がれ、1600年に完成しました。


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しかし、ポー川の洪水によってグアルティエーリは度々被害を受けました。この教会も被害を免れることはありませんでした。


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1679年に完成した鐘楼です。


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1765年のポー川の大洪水によって、教会の建物は、その一部が流失、外部分が水没、流れてきた土砂に埋まってしましました。
以前の建物のごく一部を利用して、建物が再建されることになり、1773年創建、1783年に完成した建物が現在の姿となってます。


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ファサードの装飾


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1608年、第233代教皇パオロ5世(ローマ、1550-1621 教皇在位:1577-1621)によってCollegiataに格付けされたこと記す碑文です。


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ファサード下に柱廊があります。


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教会の入り口


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教会の中に入りました。


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単廊式、ルネサンス様式の内部です。


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右側壁


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天井装飾は殆どありません。


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中央通路


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主祭壇を見ます。


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主祭壇と後陣(中央礼拝堂)


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主祭壇画


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クーポラ


P1200039
パルマの逸名画家作「ロザリオの聖母」(16世紀)
(つづく)

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街一番の目抜き通り、エミリア通りです。


P1480717
写真左は、19世紀に建設されたPalazzo Vacchiです。


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13世紀後半に建設されたPalazzo Pighiniです。イーモラで残る唯一の中世貴族の邸宅です。


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この一帯は古い建物が残ってます。


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お馴染みの時計塔


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Piazza Caduti Per Liberta


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時計塔を潜ります。


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写真左はEx-Casa del Fascioです。


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エミリア通り


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イーモラ市民はカテリーナ・スフォルツァが大嫌いでした。


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写真右は市立図書館です。


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旧サン・フランチェスコ修道院の建物


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旧サン・フランチェスコ教会の後陣


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ドゥオーモにやってきました。


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Via Don Bughetti


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15世紀に建設されたCasa della Volpe


P1480751
エミリア通りに戻りました。


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大人しくホテルに戻ります。


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この日はこれで終わりです。


172
この日は良い天気になりました。


173
アッピア門


175
市立美術館に入館しました。


179
サン・ドメニコ教会の入り口扉上ルネッタの装飾


181
サン・ジャコモ・マッジョーレ・デル・カルミネ教会


183
Rocca Sforzesca


184
この日も中に入れません。


187


188


191
100年後でも多分同じと思われる通りです。


199
ドゥオーモ


203


204


205


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イーモラを離れる朝を迎えました。
サンタ・カテリーナ祈祷所です。


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駅に向かいます。


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Instituto Santa Caterina


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サント・ステファノ・デッレ・クラリッセ教会です。


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写真左は、サンタ・キアーラ修道院、またはサント・ステファノ修道院です。


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次の目的地はピアチェンツァでした。


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何度も入館した市立美術館です。


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再訪したいと思うイーモラですが、その望みは叶いそうもありません。


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サン・ドメニコ教会の鐘楼


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(イーモラの項 おわり)

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サンタ・マリア・デイ・セルヴィ教会から時計塔に向けて進みます。


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エミリア通りです。エミリア街道に築かれた街で、エミリア通りと称している街は少数派でしょう。


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サンタゴスティーノ教会の横を通り抜けます。


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この時の旅では、とうとう拝観出来ないで終わりました。


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聖職者が幾つかの教会を掛け持ちしているので、開ける教会が限られるそうです。


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右折します。


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Piazza Giovanni Codronchi Angeliを通り過ぎます。


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カヴール通りに出ました。


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Collegio delle Donzelle


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建物の下のトンネルを潜ります。


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一旦、エミリア通りに戻りました。


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午後2時前です。ルーゴ行列車に十分間に合う時間です。


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時計塔前を右折してVia Appiaに入りました。


P1480403
Via Appiaを直進すれば、突き当りがイーモラ駅です。


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19世紀に建設されたPalazzo Vacchiです。


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下校時間と重なったので、大勢の学生と一緒に駅に向かいました。


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Piazza Megaglie d' Oroです。


P1480413
イーモラの城壁の北に設けられたアッピア門です。


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門の大部分が破壊されて、一部しか残されていません。
1047年の文書に初めてアッピア門が言及されてます。


P1480416
門はサントウルスラ修道院に隣接していたので、ウルスリーナ門とも呼ばれていたそうです。


P1480709
門は1449年から1460年にかけて再建されました。


P1480710
イーモラ領主ジローラモ・リア―リオ(サヴォーナ、1443-フォルリ、1488)は、再建されたアッピア門では防御力が弱いと判断して、もう一度門を再建することに決め、トスカーナの建築家ジャン・ロドヴィーコ・メンギを起用してアッピア門を再建させました。その1482年に完成した門の一部が現存しています。


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旧城壁外に出ました。


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突き当りにイーモラ駅が見えてます。


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通りの名称がViale Andrea Costaに変わってます。


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下校時間には列車の本数が結構多く設定されてます。


P1480422
イーモラ駅に到着しました。この後、ルーゴへの日帰り遠足をしました。


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ルーゴから戻ってきました。


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この日はこれで終わり、ホテルに戻ります。


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Viale Andrea Costa


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アッピア門が見えてます。


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19世紀に建設されたCasa Paola


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Viale de Amicisを渡ります。


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アッピア通り


P1480713
午前中の大雨がウソのように思えました。


P1480714
(つづく)

P1480338
サンタゴスティーノ教会です。


P1480339
サンタゴスティーノ教会前の、エミリア通りを右折してVia Cosimo Morelliに入ります。


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サンタ・マリア・イン・レゴーラ教会です。


P1480341
現在の教会内には美術的な見所があまりないようです。


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この日は、キオストロの入り口が閉まっていました。


P1480343
1780年から1786年にかけて再建された新古典様式の建物です。


P1480344
Via Cosimo Morelliです。


P1480345
エミリア通りとの交差点にサンタゴスティーノ教会があります。


P1480346
一旦エミリア通りに戻り、有名な鐘楼に向かいます。


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目的の鐘楼です。


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1080年3月23日の文書に言及されているサンタ・マリア・イン・レゴーラ教会修道院の鐘楼です。


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旧サンタ・マリア・イン・レゴーラ修道院のキオストロです。


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ローマ時代のアレーナ、または劇場の遺跡上に教会修道院が建設されました。


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遺跡の一部が転用されているそうです。


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高さ約23mの鐘楼です。


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サンタ・マリア・イン・レゴーラ教会は、998年9月16日付の文書に初めて記載があるそうです。


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エミリア通りに戻ります。


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さらに東に向かって進みます。


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通りの先にある教会を目指します。


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リミニ方向に向かっていることになります。


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これからルーゴに行く予定ですが、列車の発車時間まで間があるので、ぶらぶら歩きしました。


P1480363
ローマ時代に敷設されたエミリア街道とほぼ同じです。


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次はサンタ・マリア・デイ・セルヴィ教会です。


P1480365
教会はもう直ぐです。


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サンタ・マリア・デイ・セルヴィ教会です。


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Padri Servitiによって14世紀後半に建設されたサンタ・マリア・デイ・セルヴィ教会です。


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美術的には見るべき作品が2点あると思います。残念ながら扉が閉まっていました。


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ファサード前のロッジャは16世紀に追加されました。


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サンタ・マリア・デイ・セルヴィ教会のすぐ横にオラトリオがあります。


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サン・マカリオ祈祷所です。


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1506年に建設されました。


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現在の外観は18世紀に再建されたものです。


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サンタ・マリア・デイ・セルヴィ教会とサン・マカリオ祈祷所が建っているミッリ広場です。


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ミッリ広場の噴水は、現代芸術家アンドレア・マウロの作品です。


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P1480376
この先は見どころが無さそうです。


P1480378
エミリア通りを時計塔の方に戻ることにしました。


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P1480382
(つづく)

P1470842
イーモラに行く人は、行く前に15世紀から17世紀頃の歴史を予め調べておくと、より一層楽しい旅となると思います。


P1470843
何度もお世話になった観光案内所。


P1470844
そろそろホテルに戻る潮時です。


P1470845
お馴染みのエミリア通りです。


P1470847
市立図書館となっているサン・フランチェスコ修道院だった建物です。


P1470849
秋の夕暮は早いです。


P1470852
この日はこれで終わりです。


P1480284
翌日は雨になりました。


P1480285
朝から大雨で、とても傘を差して徒歩で出かける状態ではありませんでした。


P1480286
エミリア通りとVia Fratelli Bandieraの交差点に建つ建物に塔がありますが、この辺の詳細が分かりません。


P1480287
依然として雨が降り続いてます。


P1480288
この後、市立美術館に入館しました。


P1480290
サン・ジャコモ(聖ヤコブ)教会だった建物です。


P1480291
写真左は旧サン・フランチェスコ修道院です。


P1480292
前日に大体見てしまったので、見残したところを重点に行くことにしました。


P1480294
Ex-Casa del Fascioが見えてます。


P1480295
取り敢えずの目的は、写真左先の店で昼食を食べることです。


P1480296
写真左のレストランで食べました。


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お腹一杯で外に出ました。


P1480311
午後の一応の予定は、列車に乗ってイーモラ近くのルーゴに行くことでした。


P1480313
雨が降り続いていたので、ルーゴに行くことを止めてイーモラに留まろうかと考えていました。


P1480315
ところが雨が弱くなってきたので、ルーゴに行くべきか迷いました。


P1480316
Ex-Casa del Fascioの柱の浮彫です。


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ボローニャのファシスト連盟専属の彫刻家Amleto Beghelliの作品です。この彫刻家は意識的に忘れ去られたようです。


P1480319
時計塔が旧市街の中間のようです。


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Piazza Caduti Per Liberta


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青空市は大雨中止のようです。


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グラムシ広場です。


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雨が小降りになってきました。


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時計塔を潜ります。


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塔の下から道幅が狭くなります。


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次はマッテオッティ広場です。


P1480329
ポルティコは雨天の時に有難いと思います。


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マッテオッティ広場です。


P1480331
私以外の観光客はいなかったと思います。


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雨が止みました。


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市庁舎


P1480335
ルーゴに行くことにしました。


P1480336
フレスコ画がある建物


P1480337
(つづく)

P1470791
マッテオッティ広場の続きです。


P1470792
エミリア通りの写真左奥の柱廊がある建物にフレスコ装飾があります。


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これです。


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暫く見てましたが、テーマがよく分かりません。


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柱廊ルネッタ上のフレスコ


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マッテオッティ広場に戻ります。


P1470798
Palazzo Sersantiの説明板


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Palazzo Sersantiの柱廊


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低い塔がある建物を見ます。


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「サソリの塔」と呼ばれているようです。


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広場に面して教会が建ってます。


P1470783
ピオ・スッフラージョ教会です。


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建築家ロレンツォ・マット―ニの設計によって1687年に建設されました。


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1882年にピエトロ・ミッリの設計によって建設されたファサードです。


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扉が開いていたので拝観しました。


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教会内に入りました。


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単廊式、ラテン十字形、新古典様式の内部です。


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美術的に見るべき作品が数点あります。


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壁の装飾は殆ど施されてません。


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主祭壇


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後陣天井


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ベアータ・ヴェルジネ礼拝堂


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17世紀後半の逸名画家作「聖母とキリストの物語」


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詳細不知


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ジョヴァンニ・ジョゼッフォ・ダル・ソーレ(ボローニャ、1654-1719)の「三位一体」


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サンタ・リータ礼拝堂


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詳細不知


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カルロ・チニャ―リ(ボローニャ、1628-1719)の「聖母子と聖フェリーチェ」


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主祭壇前から見た出入口方向


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外に出ました。


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午後4時半でした。


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エミリア通りを進みました。


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エミリア通りに面して教会が建ってます。


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サンタゴスティーノ教会です。


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12世紀に創建され、14世紀完成したサンタゴスティーノ教会です。
残念ながら扉が閉まっていました。見たい作品が1点ありました。


2
これが観たかった作品です。
マルカントニオ・フランチェスキーニ(ボローニャ、1648-1729)の「磔刑」


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サンタゴスティーノ教会至近にもう一つ教会があります。


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サンタ・マリア・イン・レゴーラ教会です。


3
998年の文書に本教会の存在が記されてます。現在の新古典様式の建物は1780年から1786年にかけて建設されました。


6
サンタ・マリア・イン・レゴーラ教会の見所は教会内部よりもキオストロです。


7
キオストロの柱頭


5
キオストロ回廊のフレスコ画


4


P1470837
エミリア通りに戻りました。


P1470838
少し暗くなってきました。


P1470839


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時計塔を潜ります。


P1470841
(つづく)

P1470467
日陰になっているエミリア通りは、夕立の雨が乾いていなかった。


P1470468
イタリア・ファシズムを担った建物が見えてきました。


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近代的塔がある建物は、1933年から1936年に建設されたCasa del Fascioです。


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Casa del Fascioの柱に施された浮彫です。


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ボローニャのファシスト連盟専属の彫刻家Amleto Beghelliの浮彫です。


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Ex-Casa del Fascioに観光案内所があります。


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Via Speri


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Vicolo Inferno


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Chiesa Cattolica Parrocchiale San Cassiano


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Piazza della Conciliazone


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Piazza della Conciliazone


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Vicolo Infernoに戻りました。


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エミリア通りに戻ります。


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Ex-Casa del Fascioです。


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グラムシ広場です。


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以前はエルベ広場と呼ばれていました。現グラムシ広場は、中世の頃、サン・バルナルド修道院とサン・パオロ修道院によって所有されていましたが、14世紀から、肉の処置所、肉市場として繁栄していました。


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グラムシ広場にある教会だった建物です。


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15世紀に建設されたサン・ベルナルド教会だった建物です。


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エミリア通りの東の方は後から見ます。


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エミリア通りに時計塔があります。


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ナポレオンに従ってイーモラに進駐してきたフランス軍将校によって、19世紀初めに贈られた時計です。


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時計塔の下を潜ります。


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時計塔の西側に出ました。


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潜ってきた時計塔を振り返って撮った写真です。


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再び時計塔の下を潜って、時計塔の東方に出ます。


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ポルティコが続きます。


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時計塔を越え、エミリア通りの右側にマッテオッティ広場があります。


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教皇シスト4世の計らいによって、1474年、イーモラ領主となったジローラモ・リア―リオ(サヴォーナ、1443-フォルリ、1488)(シスト4世の息子)が現在の姿に拡張整備したマッテオッティ広場です。


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ジローラモ・リア―リオが自分の宮殿として1480年に建設させたPalazzo della Signoria、現称Palazzo Sersantiです。


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中世の頃、マッテオッティ広場はイーモラ商業の中心地でした。


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Palazzo Comunaleです。


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1213年に建設されたPalazzo Comunaleです。現在の外観は、18世紀後半に行われた大修復工事の後のものです。


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Palazzo Comunaleのファサードです。


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ファサードのフレスコ画はシスト4世です。


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Palazzo Comunaleの入り口です。


P1470790
(つづく)

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