コジモ・ロッセリ(フィレンツェ、1439‐1507)と工房の「聖バルバラと洗礼者聖ジョヴァンニと聖マッテオ」(1468)
ドメニコ・ギルランダイオ(フィレンツェ、1449‐1494)の「聖ステファノと聖ヤコポと聖ピエトロ」(1493)
フランチェスコ・グラナッチ(ヴィッラマーニャ、1469‐フィレンツェ、1543)の「聖母被昇天と聖人たち(ウベルティの聖ベルナルド、聖ジョルジョ、聖ジョヴァンニ・グアルベルト、アレッサンドリアの聖カテリーナ)」(1520以降)
16世紀第1四半世紀のフィレンツェの無名画家の「永遠なる父」(1505c)
ビアージョ・ダントニオ(フィレンツェ、1445‐1508以降没)の「永遠なる父と受胎告知」(1475c)
リドルフォ・デル・ギルランダイオ(フィレンツェ、1483‐1561)の「祈る天使たち」(1505‐08c)
フランチャビージョ(フィレンツェ、1484‐1525)の「聖家族と聖ジョヴァンニーノ」(1508‐10c)
15世紀第4四半世紀のフィレンツェの無名画家の「ピエタ」(1490c)
以上でSala dei Colossoの展示作品を終わります。
今回、見ることが出来なかった作品が幾つかあることが分かりました。
例えば、この作品です。
フランチェスコ・グラナッチの「聖アポッロニアの物語」(1530c)です。
次はGalleria dei Prigioni です。
一段と混雑してきました。
「ダヴィデ」がお目当ての方が殆どのようです。
フラ・バルトロメオ(プラート、1475‐フィレンツェ、1517)の「預言者イザイア」(1514c)
フランチェスコ・グラナッチの「チントラの聖母」(1508‐09c)
フラ・バルトロメオの「預言者ジョッベ」(1514c)
ミケランジェロ・ブオナローティ(カプレーゼ、1475‐ローマ、1564)の「Schiavo che sidesta」
ミケランジェロの「Atlante」
フランチェスコ・グラナッチの「聖母子と聖フランチェスコと聖ザノービ」(1508)
リドルフォ・デル・ギルランダイオ(フィレンツェ、1483‐1561)の「死に瀕した少年を蘇させる聖ザノービ」(1516c)
ミケランジェロの「若き奴隷」
マリオット・アルベルティネッリ(フィレンツェ、1474‐1515)の「受胎告知」(1510)
アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1530)の「ピエタのキリスト」
リドルフォ・デル・ギルランダイオの「聖ザノービの遺体の移送」(1516c)
ミケランジェロの「Prigione」
ミケランジェロの「Prigione」
ミケーレ・ディ・リドルフォ・デル・ギルランダイオ(フィレンツェ、1503‐1577)の「Testa Ideale」(1560‐70c)
ミケランジェロの「ピエタ」
ポントルモ(ポントルモ、1494‐フィレンツェ、1557)の「ヴィーナスとキューピッド」(1533)
ミケーレ・ディ・リドルフォ・デル・ギルランダイオの「Testa Ideale」(1560‐70c)
次は「ダヴィデ」です。
ミケランジェロの「ダヴィデ」(1504)
人物彫刻の最高傑作でしょうね。
高さが4m34cmあります。
ジュリアーノ・ブジャルディーニ(フィレンツェ、1475‐1555)の「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」(1520)
ステファノ・ピエーリ(フィレンツェ、1542‐1629)の「イサクの犠牲」(1585)
フランチェスコ・サルヴィアーティ(フィレンツェ、1510‐ローマ、1563)の「聖母子と聖ジョヴァンニーノと天使」(1543‐48c)
貸し出し中と表示されていましたが、貸し出されている作品の表示がありませんでした。肝心の作品が分からないのでは無意味な表示のように思えました。
マーゾ・ダ・サン・フリアーノ(フィレンツェ、1531‐1571)の「三位一体と聖人たち(聖ジャコモ・マッジョーレ、聖アゴスティーノ、聖フィリッポ、聖クリスピーノ)」(1569‐70c)
ヴァザーリの追随者の「聖バルバラ」(1550‐60c)
ピエル・フランチェスコ・フォスキ(フィレンツェ、1502‐1567)の「聖家族と聖ジョヴァンニーノ」(1525‐35c)
カルロ・ポルテッリ(ローロ・チウッフェンナ、1510‐フィレンツェ、1574)の「無原罪の御宿リ」(1566)
サンティ・ディ・ティート(ボルゴ・サン・セポルクロ、1536‐フィレンツェ、1603)の「十字架降下」(1592c)
サンティ・ディ・ティートの「キリストのエルサレム入城」(1582‐83c)
ブロンズィーノ(フィレンツェ、1503‐1572)の「十字架降下」(1560‐61)
アレッサンドロ・アッローリ(フィレンツェ、1535‐1607)の「聖母子と聖人たち(聖ジョヴァンニーノ、聖ルチア、聖チェチリア、聖アポッロニア、聖アグネス、アレッサンドリアの聖カテリーナ、聖エリザベッタ)」(1575)
ステファノ・ピエーリの「十字架降下」(1587)
アレッサンドロ・アッローリの「受胎告知」(1578‐79)
アレッサンドロ・アッローリの「聖母戴冠」(1593)
(つづく)
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