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フィレンツェのサン・ロレンツォ聖堂です。


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聖堂の後方にメディチ家礼拝堂があります。
メディチ家礼拝堂はサン・ロレンツォ聖堂の一部ですが、両方とも有料で、しかも別料金になっているので、このブログではそれぞれ別に取り上げることにします。


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これは外部サイトから拝借したサン・ロレンツォ聖堂の構造平面図の写真です。
メディチ家礼拝堂とは、この図の2の新聖具室と3の君主の礼拝堂を合わせたものを指します。


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君主の礼拝堂です。
メディチ家礼拝堂建設の経緯等については、ここでは触れません。ガイドブックなどの記述にお任せしたいと思います。


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入口は君主の礼拝堂のここにあります。


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切符売り場から中に入ると「君主の礼拝堂」の下に出ます。


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16世紀のフィレンツェ派無名画家作「教皇ピオ5世によって戴冠されるトスカーナ大公コジモ1世」(16世紀末)
1569年3月5日にヴァティカンのシスティーナ礼拝堂で行われた戴冠の様子を描いた作品です。


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メディチ家系トスカーナ大公の家系図があります。
トスカーナ大公の初代コジモ1世から第7代大公のジャン・ガストーネまでメディチ家の大公が続きましたが、1737年にジャン・ガストーネが没すると、メディチ家は断絶してしまい、ジャン・ガストーネの遺言によってトスカーナ大公国はハプスブルク・ロートリンゲン家に継承されました。


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アルフォンゾ・ボニンセーニ(1910‐1994)の「アンナ・マリア・ルイーザ・デ・メディチ(1667‐1743)のブロンズ像」(1946)
アンナ・マリア・ルイーザはメディチ家最後の人となりましたが、フランチェスコ1世の娘マリア(マリー・ド・メディシス)がフランス王アンリ4世との間に生まれた娘たちがイギリス王、スペイン王に嫁いだことにより(二人の間に出来た息子がルイ13世)、メディチ家の血は現代のヨーロッパ王家にまで流れていると言われてます。


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聖具類が展示されてます。


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金銀で出来た高価なものばかりです。


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私にとっては重要な展示ではありません。


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適当に眺めただけで先を急ぎました。


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ミケランジェロの彫刻がある新聖具室に行くには、君主の礼拝堂を経由する必要があります。


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階段を上ります。


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君主の礼拝堂は修復工事中でした。


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この辺は後でゆっくり見ることにしました。


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高さ59mのクーポラ


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新聖具室に向かいました。


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新聖具室に行く途中にある彫刻は、シルヴィオ・コルシーニ(1495‐1547)の「軍事的トロフィー(未完)」(1534以前)です。
シルヴィオはミケランジェロの弟子です。新聖具室の建設を嫌々引き受けたミケランジェロの指示によって制作されたものですが、1534年ミケランジェロがフィレンツェを発ちローマに向かったことにより、シルヴィオもミケランジェロに従ってローマに赴くことになったので、そのまま未完で放置されました。
未完のトロフィーはもう一つあります。ミケランジェロが構想しながらも制作しなかった彫刻の両端に置かれる予定だったとされてます。


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シルヴィオ・コルシーニの「軍事的トロフィー(未完)」(1534以前)


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君主の礼拝堂の模型が置かれてます。


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新聖具室です。


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説明板


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祭壇です。
向かって右端の彫刻はシルヴィオ・コルシーニの作品、左端は18世紀にジローラモ・ティッチャーティによって制作されたものです。ブロンズの磔刑像はジャンボローニャの帰属作品とされてます。


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天井


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今日は時間がないので、この辺で終わることにします。ミケランジェロの彫刻については後編で触れることにします。


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(つづく)