4世紀頃に建設され、393年、フィレンツェの司教座教会として聖ロレンツォに奉献された記録がある初期キリスト教会が前身とされてます。
その後、フィレンツェの司教座はサンタ・レパラータ聖堂(現在のフィレンツェ・ドゥオーモの前身)に移されてしまいました。
11世紀になると手狭になったので、1059年に拡張工事が行われ、ロマネスク様式の建物となり、1095年に再度奉献式が執り行われました。
15世紀初めに建物が更に手狭になったので、フィリッポ・ブルネッレスキの設計によって1418年、再度拡張工事が開始され、フィリッポの老齢化に伴いミケロッツォに引き継がれて、1461年に完成したルネサンス様式の建物が今日の姿の原形となってます。三度目となる奉献式は1461年に執り行われました。
メディチ家出身の教皇レオ10世によってファサードのコンペが行われ、その結果、1518年にミケランジェロにファサード建設が委託され、ミケランジェロは木製模型を作成したものの工事には着手せず、ファサードは結局未完のまま現在に至ってます。
歴代メディチ家の菩提寺です。
メディチ家礼拝堂については既に取り上げたので、ここでは省略することにします。
拝観は有料です。
三廊式、ラテン十字形、ルネサンス様式の内部です。
左右の側壁に礼拝堂が設けられてます。
左側廊
観光客が多い季節なので、拝観する人たちが結構いました。
説明プレートなどがないので、詳しいガイドブックが必要でしょう。
右側廊
右翼廊への観光客の立ち入りが制限されていました。
聖堂内でも行儀の悪い振る舞いをする方がチラホラ。写真左端のお二人はキャキャ言いながら戯れておりました。
格子天井
ピエトロ・マルケシ―ニ通称イル・オルトラニーノ(ピストイア、1652‐1757)の「聖マッテオの召集」(1739c)
フランチェスコ・コンティ(フィレンツェ、1681‐1760)の「磔刑」(1709)
19世紀後半のフィレンツェの画家作「玉座の聖母子と聖ロレンツォと聖ザノービ」(1877)
「磔刑と2聖人」
木製磔刑は17世紀中頃にドイツで制作されたもの。2聖人はロレンツォ・リッピ(フィレンツェ1606‐1665)によって制作されました。
ジョヴァン・アントニオ・ソリアーニ(フィレンツェ、1492‐1544)の「聖アカツィオと磔刑」
ピエトロ・アンニゴーニ(ミラノ、1910‐フィレンツェ、1988)の「工房のキリストと聖ジュゼッペ」(1964)
ベルガモのセラッシ兄弟作のオルガン(1864‐65)
説教壇
ドナテッロ(フィレンツェ、1386‐1466)の「説教壇」(1460)
説教壇は内陣の左右にあって、こちらは主祭壇に向かって左にあります。
ドナテッロ作の説教壇ですが、こちらは主祭壇に向かって右側にある方です。
アーニョロ・ブロンズィーノ(モンティチェッリ、1503‐フィレンツェ、1572)の「聖ロレンツォの殉教」(1565‐69)
左翼廊
マルテッリ礼拝堂にある、この作品は有名です。
フィリッポ・リッピの「マルテッリの受胎告知」(1440)
リッピが描いたのはメインパネルの受胎告知で、プレデッラはリッピの弟子フランチェスコ・ペッセリーノによって描かれました。プレデッラのテーマは「聖ニッコロの物語」です。
マルテッリ礼拝堂の「磔刑」(15世紀)
制作者は不明のようです。
ジュゼッペ・二コラ・ナシーニ(カステル・デル・ピアーノ、1657‐シエナ、1736)の「聖ジローラモと天使」
私には詳細が分かりません。
次の礼拝堂です。
フランチェスコ・コンティ(フィレンツェ、1606‐1665)の「聖母子と聖人たち(聖ロレンツォ、聖ザノービ、聖アンブロージョ)」(1714)
次はPresbiterioです。
ドメニコ・ギルランダイオ工房の「タッディの祭壇画」
玉座の聖アントニオ・アバーテと聖ロレンツォと聖ジュリアーノ
ジョヴァンニ・ドゥプレの記念碑
「天使に支えられる聖フランチェスコ」
私には制作者が分かりません。
私には制作者などの詳細が分かりません。
聖堂の方では分かっていると思います。
後陣右側
礼拝堂の天井
この辺のところが分かりません。
写真だけ載せおきましょう。
(つづく)
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