この日の目的は、懸案だったサント・ステファノ・ディ・カヴァリエ―リ教会とサン・シスト教会を拝観することでした。
14世紀に建設されたサン・ドメニコ教会です。
ルネッタのフレスコ画
イタリア通り
サンタ・マリア・デル・カルミネ教会は何時ものように開いていました。
簡単に拝観しました。
何時ものようにメッツァ橋を渡りました。
橋から見た市庁舎
メッツァ橋を渡りガリバルディ広場に出ました。
街角の聖母子
当たり前ですが、同じ通りを通るので、同じ景色になります。
複製の彫刻
ポルティコを通りました。
ポルティコのフレスコ
カヴァリエ―リ広場に向かってます。
写真左のロッジャの先を左折します。
サント・ステファノ・ディ・カヴァリエ―リ教会に出ました。
カヴァリエ―リ広場です。広場の名称は、地中海に進出著しかったオスマン帝国に対抗した聖ステファノ騎士団の本部がこの広場に置かれていたことに由来してます。
聖ステファノ騎士団本部だった建物Palazzo della Carovanaです。
壁のスグラフィート彫刻
広場に立っているコジモ1世像
サント・ステファノ・ディ・カヴァリエ―リ教会です。
トスカーナ大公コジモ1世の命によって、ヴァザーリが設計した、1565年に創建された教会です。
戒律が厳しく信仰に徹している教会なので、観光客は歓迎されていません。ミサの時だけ開いているのが普通で、それ以外の時は大体閉まってます。
ミサの準備をする時間を狙って、ここに来ました。ミサが始まったら早々に退散する予定でした。
単廊式、マニエリスム様式の内部です。
天井
左側壁
右側壁
主祭壇の彫刻は、ジョヴァンニ・バッティスタ・フォッジーニ(フィレンツェ、1652‐1725)の「教皇聖ステファノ像」(1702‐09)です。
アレッサンドロ・フェイ(フィレンツェ、1543‐1592)の「教皇聖ステファノの逮捕」(1588c)
ルドヴィーコ・ブーティ(フィレンツェ、1560c‐1611以降没)の作品(1595c)
ブロンズィーノ(フィレンツェ、1503‐1572)の「ご誕生」
ヴァザーリ(アレッツォ、1511‐フィレンツェ、1574)の「聖ステファノの殉教」
アウレリオ・ローミ(ピサ、1556‐1622)の「聖家族と聖ステファノ」
アレッサンドロ・フェイの「信者を祝福する聖ステファノ」
詳細不明の聖母子像
ジョヴァンニ・ストラダーノ(ベルギー、1523‐フィレンツェ、1605)の「信徒たちの聖体拝領」(1588)
主祭壇前から見た出入口
ヴァザーリ設計のPalazzo dell'Orologio
Palazzo dell'Orologioのアーチを潜ってサン・シスト教会に向かいました。
壁のフレスコ画
写真左がサン・シスト教会です。
1133年奉献のロマネスク様式のサン・シスト教会です。
設計は、建築家Maestro di 1133です。名前が残されていない画家、彫刻家などの親方の中には、支払い記録などで作品の完成年や契約年が明らかである場合、Maestro di 1473と年号で、親方を区別することがあります。
落書きは困ります。
この教会は開いていることが多いと思います。
ルネッタにフレスコ画があった?
三廊式、ロマネスク様式の内部です。
左側廊方向
右側廊方向
右側廊
主祭壇の大理石彫刻はジュゼッペ・ヴァッカの作品(1730)です。
主祭壇前から見た出入口方向
制作者不明の「チントラの聖母」
詳細不明
マウロ・ソデリーニ(フィレンツェ、1704‐1746)の「聖テレーザの法悦」
ジョヴァンニ・ドメニコ・ピアストリーニ(1678c‐1740)の「聖イグナツィオに顕現するキリスト」
15世紀の磔刑像
ピサの逸名画家作「聖母子」(1290‐1300c)
長くなるので、この辺にしましょう。
(おわり)
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