先ほど、自分のブログを見たら今日の更新がないので、ビックリしました。手違いがあって、5月4日分を飛ばしたようです。
駅舎です。
セスト・フィオレンティーノは、人口49,025人(2017年2月28日現在)のトスカーナ州フィレンツェ県にあるコムーネです。今から9000年以上前に人が住んでいたとされており、紀元前7世紀にエトルリア人の村があったと言われる古い歴史ある街です。
城壁は全く残されていません。
この辺は区画整理された新しい地区のようです。
新しい家ばかりです。
チェントロに向かいました。
この街に来たのは二つの教会に行くためです。
伝統的に社会主義政党が強い街として知られてます。
その理由は定かではありませんが、この街の陶器産業の発展と関係しているのではないか、と私は思うのですが・・・・・
1735年、カルロ・ジノーリ(1702‐1757)がヨーロッパで最初の”Porcellana Ginori"工場をセストに建て、所謂”Manifattura di Doccia"として大成功を収めました。
19世紀後半になると、セストの多業種の職人や他の街から移住してきた労働者がRichard-Ginoriに就職し、技術を会得した労働者の多くが独立して自分の工房を構えるようになったそうです。
そのような産業の発展によって、住民が社会主義に徐々に傾倒するようになったと思います。
チェントロが見つからない。
地図を見ましたが、自分がいる場所が分かりません。
6月の暑い日だったので汗が吹き出しました。
教会が見つかりません。
参ったなあ、地図に、このどぶ川(小川?)が載っていない!
どうしても見つかりません。
行きたかったのは、この教会です。(写真は外部サイトから拝借)
サンタ・マリア・ア・クリント教会です。中に2点の傑作があります。
スピネッロ・アレティーノのトリッティコ
Maestro di Madonna Strausの「受胎告知」
この辺で地図上の自分の位置が漸く分かりました。
教区教会のすぐ近くにいたのです。
道をかなり間違えていたことが分かりました。
鐘楼が見えました。
セスト・フィオレンティーノのドゥオーモ、サン・マルティーノ教区教会です。
868年奉献ですが、現在のロマネスク様式の建物は13世紀に再建された二代目のものです。
ファサード前の柱廊は16世紀に付け加えられたそうです。鐘楼は数度建て替えられたそうです。
デッラ・ロッビア風の「聖母子」は、19世紀にジノーリ工場で制作されました。
三廊式、ロマネスク様式の内部です。
左側廊方向
右側廊方向
木組みの梁の天井
中央祭壇
素晴らしい磔刑像が見ものです。
アーニョロ・ガッディ(フィレンツェ、1350c‐1396)の「彩色磔刑像」
ジノーリ工場作?
フレスコ画が残されてます。
制作者不明のようです。
詳細不明
ジノーリ工場作のデッラ・ロッビア風「受胎告知」(19世紀)
比較的大きな礼拝堂
先程とは描かれた時代が異なるフレスコ画でしょう。
木製の彩色聖母子像
ジノーリ工場作のデッラ・ロッビア風の3聖人(19世紀)
ジノーリ工場作のデッラ・ロッビア風聖母子(19世紀)
アレサンドロ・アローリ?の「受胎告知」
ギルランダイオ工房作?
ギルランダイオ工房作
来た甲斐がありました。
外に出ました。
傑作ですね。
戻ってサンタ・マリア・ア・クィント教会に行く気がしません。
駅に行って、フィレンツェに戻ることにしました。
ホームで列車を待っていると、蒸気機関車が走る音が聞こえました。
列車はかなりのスピードでフィレンツェの方に去っていきました。
フィレンツェSMN駅で先ほど見かけた機関車がいました。
夏の間、シエナ~アシャーノ間を走る特別列車の試運転だったようです。
先頭は時代物の電気機関車が牽引するようです。
かなり古そうな客車
(おわり)
駅舎です。
セスト・フィオレンティーノは、人口49,025人(2017年2月28日現在)のトスカーナ州フィレンツェ県にあるコムーネです。今から9000年以上前に人が住んでいたとされており、紀元前7世紀にエトルリア人の村があったと言われる古い歴史ある街です。
城壁は全く残されていません。
この辺は区画整理された新しい地区のようです。
新しい家ばかりです。
チェントロに向かいました。
この街に来たのは二つの教会に行くためです。
伝統的に社会主義政党が強い街として知られてます。
その理由は定かではありませんが、この街の陶器産業の発展と関係しているのではないか、と私は思うのですが・・・・・
1735年、カルロ・ジノーリ(1702‐1757)がヨーロッパで最初の”Porcellana Ginori"工場をセストに建て、所謂”Manifattura di Doccia"として大成功を収めました。
19世紀後半になると、セストの多業種の職人や他の街から移住してきた労働者がRichard-Ginoriに就職し、技術を会得した労働者の多くが独立して自分の工房を構えるようになったそうです。
そのような産業の発展によって、住民が社会主義に徐々に傾倒するようになったと思います。
チェントロが見つからない。
地図を見ましたが、自分がいる場所が分かりません。
6月の暑い日だったので汗が吹き出しました。
教会が見つかりません。
参ったなあ、地図に、このどぶ川(小川?)が載っていない!
どうしても見つかりません。
行きたかったのは、この教会です。(写真は外部サイトから拝借)
サンタ・マリア・ア・クリント教会です。中に2点の傑作があります。
スピネッロ・アレティーノのトリッティコ
Maestro di Madonna Strausの「受胎告知」
この辺で地図上の自分の位置が漸く分かりました。
教区教会のすぐ近くにいたのです。
道をかなり間違えていたことが分かりました。
鐘楼が見えました。
セスト・フィオレンティーノのドゥオーモ、サン・マルティーノ教区教会です。
868年奉献ですが、現在のロマネスク様式の建物は13世紀に再建された二代目のものです。
ファサード前の柱廊は16世紀に付け加えられたそうです。鐘楼は数度建て替えられたそうです。
デッラ・ロッビア風の「聖母子」は、19世紀にジノーリ工場で制作されました。
三廊式、ロマネスク様式の内部です。
左側廊方向
右側廊方向
木組みの梁の天井
中央祭壇
素晴らしい磔刑像が見ものです。
アーニョロ・ガッディ(フィレンツェ、1350c‐1396)の「彩色磔刑像」
ジノーリ工場作?
フレスコ画が残されてます。
制作者不明のようです。
詳細不明
ジノーリ工場作のデッラ・ロッビア風「受胎告知」(19世紀)
比較的大きな礼拝堂
先程とは描かれた時代が異なるフレスコ画でしょう。
木製の彩色聖母子像
ジノーリ工場作のデッラ・ロッビア風の3聖人(19世紀)
ジノーリ工場作のデッラ・ロッビア風聖母子(19世紀)
アレサンドロ・アローリ?の「受胎告知」
ギルランダイオ工房作?
ギルランダイオ工房作
来た甲斐がありました。
外に出ました。
傑作ですね。
戻ってサンタ・マリア・ア・クィント教会に行く気がしません。
駅に行って、フィレンツェに戻ることにしました。
ホームで列車を待っていると、蒸気機関車が走る音が聞こえました。
列車はかなりのスピードでフィレンツェの方に去っていきました。
フィレンツェSMN駅で先ほど見かけた機関車がいました。
夏の間、シエナ~アシャーノ間を走る特別列車の試運転だったようです。
先頭は時代物の電気機関車が牽引するようです。
かなり古そうな客車
(おわり)
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