引き続きSaggi Accademiciです。
パルマ公爵のフィリッポ・ディ・ボルドーネ(ブルボン)によってAccademia Parmenese di Belle Artiが1752年に設立されました。
コンテストが行われ、第1位と第2位を受賞した作品が主に展示されてます。
ジャック・アンリ・サブル(スイス、モルジュ、1749‐パリ、1803)の「パッランテの死」
ヴィンチェンツォ・カンニツァーノ(レッジョ・カラブリア、1742‐1768)の「キリストの変容」
パオロ・ボッローニ(ヴォゲーラ、1749‐1819)の「アルプス越えのハンニバル」
アントワン・ギブリン(フランス、エクスアンプロヴァンス、1739‐1813)の「スカニアデル川で戦うアキレス」
アントワン・ギブリンの代表作です。
ジョヴァンニ・バッティスタ・バグッティ(ローヴィオ、1744‐1823)の「ヘラクレスとデーイアネイラ」
ガエターノ・トライ―ル(ヴェローナ、1761‐1810)の「ルキウス・アルビウスとウェスタの巫女」
アントニオ・パケーラ(ヴェローナ、1749‐1791)の「ルキウス・アルビウスとウェスタの巫女」
ピエール・ドゥ・ハラス(パリ、18世紀)の「ラートーナとディアナ」
ヴィンチェンツォ・グアラーナ(ヴェネツィア、1753‐1815)の「ソフォニスバの死」
ピエル・パオロ・ペッシーナ(ミラノ、18世紀)の「ソフォニスバの死」
パオロ・ダルダーニ(ボローニャ、1725‐1789)の「Il Tevere predice ad Enea la grandezza di Roma」
パオロ・ガッリノーニ(カラヴァッジョ、18世紀)の「シルヴィアの雌鹿の殺害」
ジョヴァンニ・マルティーノ・ボーニ(ヴェネツィア、1753‐1810)の「シルヴィアの雌鹿の殺害」
ヴィンチェンツォ・グアラーナ(ヴェネツィア、1753‐1815)の「パッランテの死」
ヴィンチェンツォ・グアラーナ(ヴェネツィア、1753‐1815)の「エネアとマルスとヴィーナス」
ジョヴァンニ・バッティスタ・ダーモン・オルトラーニ(ローマ、1750c‐1789以降没)の「エネアとマルスとヴィーナス」
ビアージョ・マンフレディ(レッジョ・エミリア、18世紀)の「アンキーセースとシビッラ・デイフォベとエネア」
ジョヴァンニ・バッティスタ・タリアサッキ(フィデンツァ、1696‐カステルボスコ、1737)の「聖母子と聖人たち」
ガエターノ・カッラーニ(パルマ、1736‐1809)の「ロンゴバルドのベアート・二コラとガスパーレ・デ・ボーノ」
ジュゼッペ・ペローニ(パルマ、1710‐1776)の「天上の聖母子と聖人たち」
ジュゼッペ・ペローニ(パルマ、1710‐1776)の「聖ルチオの殉教」
ジュゼッペ・ペローニ(パルマ、1710‐1776)の「聖ルチアの殉教」
ジュゼッペ・バルドリーギ(ストラデッラ、1722‐パルマ、1803)の作品ですが、題名が分かりません。
ジュゼッペ・バルドリーギ(ストラデッラ、1722‐パルマ、1803)の「ドン・フィリッポ・ディ・ボルボ―ネ一家の肖像」
ジュゼッペ・バルドリーギ(ストラデッラ、1722‐パルマ、1803)に帰属する「公爵一家の肖像」
アントニオ・カノーヴァ(ポッサーニョ、1757‐ヴェネツィア、1822)の「マリア・ルイージの彫像」(1810‐14)
ロラン・ぺシュー(リオン、1729‐トリノ、1821)の「ドン・フィリッポ・ディ・ボルボ―ネの肖像」
ロラン・ぺシュー(リオン、1729‐トリノ、1821)の「ルイーズ・イサベッラの肖像」
ロラン・ぺシュー(リオン、1729‐トリノ、1821)の「ドン・フェルディナンド・ディ・ボルボ―ネの肖像」
ジャン・マルク・ナティエ(パリ、1685‐1766)の「ボルゴーニャ伯爵の肖像」
ロラン・ぺシュー(リオン、1729‐トリノ、1821)の「ルイーザ・マリア・テレーザの肖像」
ヨーハン・ゾファニー(フランクフルト・アム・マイン、1733‐ロンドン、1810)の「オーストリアのマリア・アマリア女公爵」
ヨーハン・ゾファニー(フランクフルト・アム・マイン、1733‐ロンドン、1810)の「ドン・フェルディナンド・ディ・ボルボ―ネの肖像」
ピエトロ・メルキオッレ・フェラーリ(シッサ、1735‐パルマ、1787)の「リボリオ・ベルトルッツィの肖像」
詳細不明
説明プレートがありません。
ピエトロ・メルキオッレ・フェラーリ(シッサ、1735‐パルマ、1787)の「ドゥ・ティロ―の肖像」
ピエトロ・メルキオッレ・フェラーリ(シッサ、1735‐パルマ、1787)の「ドン・フェルディナンド・ディ・ボルボ―ネの肖像」
ガブリエル・フランソワ・ドイエン(パリ、1726‐サンクトペテルブルク、1806)の「ヴィルジーニアの死」
ピエトロ・メルキオッレ・フェラーリ(シッサ、1735‐パルマ、1787)の「桃源郷」
ポンぺオ・バトーニ(ルッカ、1708‐パルマ、1787)の「テーティ―スとケンタウロスとアキレス」
(つづく)
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