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エレミターニ教会、Chiesa degli Eremitaniです。


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エレミターニ教会のファサードです。
正式名称は、サンティ・フィリッポ・エ・ジャコモ・ミノーレ教会と言います。
エレミターニ教会の別称は、建築家フラ・ジョヴァンニ・デリ・エレミターニの設計によって建設されたので、建築家の名前に由来すると思われます。


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エレミターニ教会の前身は、アレーナの敷地であった現在地にあったサンタ・マリア・デリ・カリタ教会とされてますが、その教会の詳細は殆ど分かっていないとされてます。


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パドヴァ市の公費負担に基づき、建築家フラ・ジョヴァンニ・デリ・エレミターニの設計によって、1276年創建、1306年頃に完成した教会です。


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教会のファサードに向かって左側にあるのが併設された修道院の建物です。


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修道院だった建物は、現在、パドヴァ市立エレミターニ博物館として使用されてます。


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こちらも修道院だった建物です。


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1806年、エレミターニ教会修道院は、ナポレオンの教会抑圧令によって閉鎖されてしまいました。
1808年、教会の方は宗教活動が再開されましたが、修道院は宗教活動が再開されることなく兵舎に転用されました。修道院の方は、その後一度も宗教活動が再開されることなく現在に至ってます。


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ファサードの右側にある「トレンティーノの聖二コラ像」


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ファサードに柱廊玄関があるのが特徴です。


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右身廊の外観が少し新しく見えます。これは当然で、1944年3月11日、第二次世界大戦の米英軍の爆撃を受け、教会のファサード、天井、後陣が分bん的に破壊、教会内の2つの礼拝堂が完全に破壊されてしまいました。
少し新しく見えるのは、破壊箇所が戦後に修復されたからです。


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爆撃によって破壊された教会です。



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外部サイトから写真を拝借しました。
天井が完全に崩落したことが分かります。


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南側、右身廊側に扉があります。


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右身廊側扉の装飾は、ニコロ・バロンチェッリ(フィレンツェ、?‐フェラーラ、1453)によるものです。


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第二次世界大戦の爆撃によって破壊され、戦後に修復された箇所。


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後陣も戦後に大修復されました。


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どの部分がオリジナルなのか、を考えながら拝観すると良いと思います。


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ファサード側に戻りました。


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ファサードの扉から中に入って拝観します。


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やはり少し新しく見えます。


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戦後に、元の姿に忠実に修復されたそうです。


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右側壁方向


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戦後に再建された天井


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ペトラルカの墓碑とヤコポ2世・ダ・カッラーラの墓


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ヤコポ2世・ダ・カッラーラは、パドヴァのシニョーレで1350年に没しました。


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制作者は、アンドリオーロ・デ・サンティ別名アンドリオーロ・ダ・ヴェネツィア(ヴェネツィア、1320c‐1375c)、14世紀中頃のヴェネツィアの逸名彫刻家2人、ボニーノ・ダ・カンピオーネ(ロンバルド、1357‐1397活動記録)です。


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ヤコポ2世・ダ・カッラーラの墓は、サンタゴスティーノ教会にありましたが、戦後に行われたエレミターニ教会の大修復工事の際、ここに移されたものです。


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Ave Regina Caelorum


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ステファノ・ダ・フェラーラ(フェラーラ、1357‐1397活動)の聖母子


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彫刻等の作品帰属が不明です。


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洗礼盤


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Ave Regina Caelorum


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(つづく)