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歴史的建造物を見て回ります。


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写真左の建物が見ものです。


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1831年に建設されたPalazzo Gallettiです。ボルゲーゼ宮の影響を受けた壁龕の彫刻と言われてますが、何処がボルゲーゼ宮の影響なのか、サッパリ分かりません。


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写真右はPalazzo degli Sportiで、下部面積の有効利用のため、工夫されている建物です。


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オリウオーロ通りに入りました。


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振り返るとドゥオーモのクーポラが見えました。


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サン・ピエル・マッジョーレ広場に向かいます。


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塔がある建物が見えてきました。


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Torre di Corso Donati


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建物にアーチがありますが、1173年から1175年にかけて築かれた城壁の痕跡で、Arco di San pierinoと呼ばれてます。


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サン・ピエル・マッジョーレ広場、またはサン・ピエリーノ広場です。


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Palazzo Donatiの第2の塔です。


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写真右端は旧サン・ピエル・マッジョーレ教会です。


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旧サン・ピエル・マッジョーレ教会のファサードです。
11世紀に設されたベネデット会女子修道院が前身です。14世紀にゴシック様式の教会に改修され、1638年にファサードに柱廊が設けられました。
1783年、建物の一部が突如崩落し、危険と判断されて1784年に教会としての機能が停止されました。その後、教会だった建物は取り壊され、ファサードの一部だけが残され現在に至ってます。


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アルビツィ通りを進みます。


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14世紀中頃、フィレンツェは経済不振、ペスト、飢饉に見舞われ危機にありましたが、1350年代になると不況から脱しました。それに伴い、従来の旧勢力に代わって台頭してきたのが、ストロッツィ家、アルビッツィ家、メディチ家などの新興勢力でした。
この通りにアルビッツィ家とアルビッツィ家の支持者たちの家が並んでいました。


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写真右端がPalazzo Albiziです。


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Palazzo Albiziのアルビッツィ家の紋章


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Piazzetta Piero Calamandrei


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塔があります。


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アルビッツィ家の塔です。


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写真右の建物に注目です。


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Palazzo Valori-Altoviti


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この場所にはアルビッツィ家の建物がありました。
チョンピの乱後の1380年代から、フィレンツェはアルビッツィ家を中心とする寡頭政治下にありました。
1429年から1433年にかけてのルッカとの戦争によって、フィレンツェは財政危機に見舞われ、それを回避するために重税が課せられるようになると、ルッカとの戦争を推進したアルビッツィ家と戦争に消極的だったメディチ家を中心とする新興勢力との間に深刻な対立が起きました。
アルビッツィ家の当主リナルド・デリ・アルビッツィは、1433年、メディチ家の当主コジモ・イル・ヴェッキオを逮捕して、コジモの死刑を企図しましたが、死刑には至らず、結局コジモの10年間のフィレンツェ追放となりました。
1434年、フィレンツェがイーモラでミラノ軍に敗退すると、それを指導したリナルド・デリ・アルビッツィへの反感が俄かに高まり、ヴェネツィアに亡命していたコジモ・イル・ヴェッキオのフィレンツェ帰還が実現します。
アルビッツィ家はナポリに追放され、財産は没収となりました。
没収されたアルビッツィ家の建物や土地が売却されましたが、この場所にあった建物を買ったヴァローリ家が以前の建物を取り壊して新たに建設した建物です。ヴァローリ家はメディチ家の同盟者でした。


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Palazzo Valori-Altovitiの見所はファサードの彫刻です。


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ジョヴァンニ・バッティスタ・カッチーニ(モントポーリ・イン・ヴァル・ダルノ、1556-フィレンツェ、1613)によるファサードの彫刻


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建物の歴史を紐解くと、街歩きが一層楽しくなります。


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Palazzo Tanagli


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中にスタッコ彫刻、フレスコ画の傑作があります。


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当たり前ですが、勝手に中に入ることが出来ません。


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Palazzo Ramirez de Montalvoです。


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トスカーナ大公コジモ1世は、ナポリ副王の娘エレオノーラ・ディ・トレドと結婚しましたが、エレオノーラに従ってフィレンツェに来たのがスペイン出身のモンタルヴォのアントニオ・ラミレスです。
アントニオ・ラミレスは、コジモ1世の召使となりましたが、大変有能で、コジモの秘書兼侍従長のような存在になりました。
コジモ1世は、アントニオ・ラミレスを非常に気に入り、その貢献に報いるために、この場所を与えたのです。


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コジモ1世は、1568年、宮廷建築家バルトロメオ・アンマナティ(センティニャーノ、1511-フィレンツェ、1592)に命じて、この場所にあった建物を取り壊して、新しい建物を建設させたのです。


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ファサードのフレスコ装飾はかなり傷んでますが、トスカーナ大公国お抱えの哲学者で歴史家のヴィンチェンツォ・ボルギーニ(フィレンツェ、1515-1580)が図柄を作成し、宮廷画家のジョルジョ・ヴァザーリ(アレッツォ、1511、フィレンツェ、1574)と当時ヴァザーリの助手を務めていたベルナルディーノ・ポッチェッティ(フィレンツェ、1548-1612)によって制作されたものです。


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現在、Palazzo Ramirez de Montalvoはホテルになってます。


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プロコンソロ通り


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コルソ通りを進みます。


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コルソ通りの突き当りが共和国広場です。


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Torre dei Donati


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この塔とこの付近の建物には興味深い歴史があります。


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アルベルゴ・フィレンツェはお勧めしません。


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急遽フィレンツェに行くことになり、空いていたのはここだけでした。


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良かったのは、食堂のフレスコ画だけでした。
(つづく)