フォリーニョは、人口56,794人(2019年6月30日現在)のウンブリア州ペルージャ県にあるコムーネです。紀元前8世紀頃にウンブリア人によって築かれた町で、フラミニア街道の主要都市として繁栄しました。中部イタリアにおける鉄道の中心地で、第二次世界大戦で激しい爆撃を受けました。
フォリーニョの旅の前泊地はアンコーナでした。
アンコーナ駅始発のRegionale Veroceに乗ってフォリーニョに向かいました。
ファブリアーノにも行きたいところでしたが、この時はフォリーニョに直行します。
フォリーニョ駅に到着しました。
フォリーニョ駅の駅舎。タクシーが常駐しています。
ローマへの出発が早朝なので、この日のお宿は駅前のここにしました。
チェックインを済ませて街歩きに出発しました。
旧市街の入り口サン・フェリチャネット門です。
この辺の城壁は撤去され道路になってます。門に旗があるのは、ジョストラの開催日に近いからでしょう。
門を越えて旧市街に入りました。
サン・フェリチャネット門から中心街に通じるウンベルト1世通りです。
何となく雲行きが怪しい日でした。この30分後、大雷雨に見舞われることになりました。
2012年から2013年にかけて、旧市街の道路整備が行われました。
古い建物よりも新しい建物が多いのは、第二次世界大戦で爆撃された建物が多く、戦後に再建されたからです。
ウンベルト1世通りの突き当りにあるスッフラージョ教会です。
サンタンナ同信会によって18世紀に建設された教会です。
スッフラージョ教会のファサード前横に歴史的建造物があります。
1515年に建設されたPalazzo Giusti-Orfiniは、17世紀に現在の姿に改修されました。
コンサートなどに使用されてます。
スッフラージョ教会前を左折してマッツィーニ通りに出ます。
スッフラージョ教会の左にある小さな広場に出ました。
ガーン!、扉が閉まってる、ガックリです。
15世紀末に建設されたヌンツィアテッラ祈祷所です。
中に素晴らしいフレスコ画があります。
扉が開くことが稀だと思います。この辺は仕方がない。
中にあるフレスコ画がこれです。
ピエトロ・ペルジーノ(チッタ・デッラ・ピエーヴェ、1446c-フォンティニャーノ、1523)の「磔刑」(1497-1507)
このフレスコ画もあります。
ノエル・グィッレリエール(フランス、1594-1669)の「磔刑」(1625-26)
礼拝堂だった建物です。
個人所有なので中に入れません。
マッツィーニ通りを進みます。
夏至過ぎの夏ですが、涼しいというよりも肌寒い日でした。
雲行きが一段と怪しくなってきました。
マッテオッティ広場です。
写真右の教会は、フォリーニョのドゥオーモです。
写真左の建物はPalazzo della Canoniche
ドゥオーモ
ファサードのモザイク
旧市街の中心である共和国広場です。
市庁舎
遠雷が聞こえてきました。
ドゥオーモのファサードを眺めていたら、急に空が暗くなってきました。
雨が降ってきたら、ドゥオーモに逃げ込めば良いと考えていました。
強烈稲光と雷鳴!
塔か鐘楼に落雷したようです。
(つづく)
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