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大雷雨になったので、ドゥオーモの堂内に逃げ込み、これ幸いと拝観しました。
従って、この時はドゥオーモの外観や中の写真は撮ってません。(外が薄暗く、聖堂内は特に暗くてノーフラッシュでは写真が良く写りません) 
この時、以前と以後に撮った写真を組み合わせてアップすることにします。


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さて、ドゥオーモは現在閉鎖されて立ち入り禁止になってます。
2016年から2017年にかけて、中部イタリアで発生した4回の地震によって大きな被害を受けたからです。
2016年8月24日 マグニチュード6.0
2016年10月26日 マグニチュード5.9
2016年10月30日 マグニチュード6.5(本震とされてます)
2017年1月18日 マグニチュード5.5
建物が使用不適、危険と判断され、長期にわたる大規模修復工事が必要とされてます。
なお、この日(大雷雨があった日)は2016年6月20日です。


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サン・フェリチャーノ司教座教会、フォリーニョのドゥオーモです。
ファサードが2つあるのが特徴です。
写真左はPalazzo della Canonicheで、その横にあるのがメイン・ファサードです。


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共和国広場に面しているのがサイド・ファサードです。


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フォラム・フラミニとスポレートの司教でもあり、フォリーニョ司教だった聖フェリチャーノ(フォラム・フラミニ、160-フォリーニョ、249)が埋葬された現在地に、9世紀から10世紀に建設された教会が前身とされてます。
1133年、1201年、1457年から1548年にかけての3回の増築を経て、建築家ジュリアーノ・ディ・バッチョ・ダーニョロ・バリオーニ(フィレンツェ、1491-1555)の設計によって、1543年から1548年にかけて改造、増築された建物が現在の姿の原形です。


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現在のメイン・ファサードは、1904年に元の初期ロマネスク様式に戻されました。


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閉鎖中のドゥオーモに代わって、臨時司教座がサンタゴスティーノ教会に置かれてます。


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メイン・ファサードのモザイク


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メイン・ファサードのバラ窓


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メイン・ファサードの入り口扉上の彫刻


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メインファサード入口のライオン像(向かって左)


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メインファサード入口のライオン像(向かって右)


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ファサード横に金属扉がありますが、大聖堂付属博物館の入り口扉です。付属博物館は、この当時、大体休館していました。現在は地震の被害を受けて無期休館中です。


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1201年に制作された壁龕の聖母子


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サイド・ファサードです。


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サイド・ファサードの装飾


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サイド・ファサード入口扉上の装飾


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サイド・ファサード入口のライオン像(向かって左)


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サイド・ファサード入口のライオン像(向かって右)


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サイド・ファサード入口扉の木彫り(1620)


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クーポラと鐘楼


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聖堂内に入りました。


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内部は1772年から1819年にかけて新古典様式に改修されました。従って、内部の彫刻や祭壇画は、その改修後に制作されたものが大半で、私としては味気ない。


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単廊式、ラテン十字形の内部です。


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古い彫刻や祭壇画は、付属博物館にあります。


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左翼廊


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右翼廊


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バロック様式の天蓋付き主祭壇


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クリプタへの入り口が主祭壇前にありますが、扉が閉まっていました。


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問題の主祭壇画です。
18世紀の逸名画家作「ラファエッロ・サンツィオ作『フォリーニョの聖母』(1511c)のコピー画です。
現在、本物はヴァティカン絵画館にありますが、本来ならばフォリーニョにあるべきでした。


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このようにしてヴァティカン絵画館で展示されてます。


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私が撮った本物の写真です。
ラファエッロ・サンツィオの作品は、ローマのサンタ・マリア・イン・アラコエリ聖堂の主祭壇画として制作され、同聖堂の主祭壇を飾っていました。しかし、持ち主が変わり、1565年からフォリーニョのサンタンア教会の主祭壇に置かれるようになりました。そのため、「フォリーニョの聖母」と呼ばれるようになりました。
ナポレオンのイタリア侵攻に伴い、「フォリーニョの聖母」は取り外され、フランスに持ち去られ、ルーブル美術館で展示されるようになりました。しかし、ナポレオンの没落後、作品の返還交渉が行われ、その結果、何故かヴァティカンの所有とされて、フォリーニョに戻ることはありませんでした。フォリーニョ司教は、作品が戻ればドゥオーモの主祭壇に置く予定でしたが、当てが外れてしまいました。ナポレオンに奪われ、何故か元に戻されずヴァティカンの所有になった作品として他に有名なものに、カラヴァッジョの「十字架降下」などがあります。
フォリーニョのドゥオーモに話を戻します。


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後陣のフレスコ画は、フランチェスコ・マンチーニ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1679-ローマ、1758)の「フォリーニョへの加護を請願する聖フェリチャーノ」
フランチェスコ・マンチーニはカルロ・チニャーニの弟子です。


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左翼廊の礼拝堂です。


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デーチョ・トラヴァルツァの「天上の聖母子と聖人たち」(1836)
この画家については全く知りません。


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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ラファエッロ・フォリアルディ・ダ・トレンティーノの「天上の聖母子と聖人たち」(1829)
この画家について全く知りません。


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右翼廊の礼拝堂です。


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フランチェスコ・コスタンティーノの「磔刑」(1598)


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ピッツォーニ・フランチェスコの「聖フランチェスコ」
この画家について全く知りません。


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ガエターノ・ガンドルフィ(サン・ジョヴァンニ・イン・ペルシチェト、1734-ボローニャ、1802)の「フォリーニョを守護する聖フェリチャーノ」(1791)


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ラッツァリーニ(ベッルーノ、1712-1791)の「聖家族と聖人たち」(1779)


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詳細不知


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ウィカル(フランス、リール、1762-ローマ、1834)の「キリストの洗礼」(1826)


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エンリコ・バルトロメイ・ディ・フォリーニョ(フォリーニョ、1815-1901)の「聖メッサリーナの殉教」


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主祭壇前から見た出入口方向です。


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外に出ました。
新しい作品ばかりでやや退屈でした。ともあれ早期の修復工事が行われ、再奉献される日が速く訪れることを願います。
(つづく)