引き続きドゥオーモです。
サン・サヴィーノ礼拝堂です。
クラウディオ・フランチェスコ・ボーモント(トリノ、1694-1766)の「聖母子と聖サヴィーノと聖ベッソと聖テゴーロ」(18世紀)
カルロ・フランチェスコ・コグロッシ(トレヴィーリオ、1749-1789)の「聖サヴィーノの殉教」
サン・サヴィーノ礼拝堂の天井画は、カルロ・フランチェスコ・コグロッシ(トレヴィーリオ、1749-1789)の「昇天したキリスト」
カルロ・フランチェスコ・コグロッシ(トレヴィーリオ、1749-1789)の「聖ベッソの殉教」
制作者情報不知の「聖母被昇天」
グイド・レーニ作品のコピー画でしょうね。
詳細不知
ジョヴァンニ・パレッラ司教(1437-1479)の墓
制作者情報不知の「キリストの洗礼」(18世紀)
旧洗礼盤?
詳細不知
ピエモンテの逸名画家作「聖ジュゼッペの死」(18世紀)
詳細不知
制作者情報不知の「磔刑」
ファサード裏にオルガンがあります。
外に出ました。
ドゥオーモ広場に面して、もう一つ教会があります。サン・二コラ・ディ・トレンティーノ教会です。
次はカステッロです。写真左の塔がカステッロのものです。写真右の鐘楼はドゥオーモのものです。
カステッロです。
高い塀に囲まれてます。
サヴォイア家の邸宅として使用されていましたが、外国支配などにより徐々に戦略的機能を失い、17世紀には殆ど使用されなくなったそうです。
4本の塔があります。
現在、カステッロは国有資産となってますが、その運営管理はトリノ県に委託されてます。
一般公開は、特別な機会に限定されており、通常はカステッロの中に入ることが出来ません。
カステッロとドゥオーモは同じ標高に建ってます。
司教館です。
ドゥオーモ広場からの眺望です。
写真左端は市庁舎の時計塔です。
何処の教会の後陣と鐘楼でしょうか?
雨は小康状態でした。
(つづく)
左側廊にある礼拝堂です。
サン・サヴィーノ礼拝堂です。
クラウディオ・フランチェスコ・ボーモント(トリノ、1694-1766)の「聖母子と聖サヴィーノと聖ベッソと聖テゴーロ」(18世紀)
カルロ・フランチェスコ・コグロッシ(トレヴィーリオ、1749-1789)の「聖サヴィーノの殉教」
サン・サヴィーノ礼拝堂の天井画は、カルロ・フランチェスコ・コグロッシ(トレヴィーリオ、1749-1789)の「昇天したキリスト」
カルロ・フランチェスコ・コグロッシ(トレヴィーリオ、1749-1789)の「聖ベッソの殉教」
制作者情報不知の「聖母被昇天」
グイド・レーニ作品のコピー画でしょうね。
詳細不知
ジョヴァンニ・パレッラ司教(1437-1479)の墓
制作者情報不知の「キリストの洗礼」(18世紀)
旧洗礼盤?
詳細不知
ピエモンテの逸名画家作「聖ジュゼッペの死」(18世紀)
詳細不知
制作者情報不知の「磔刑」
ファサード裏にオルガンがあります。
外に出ました。
ドゥオーモ広場に面して、もう一つ教会があります。サン・二コラ・ディ・トレンティーノ教会です。
次はカステッロです。写真左の塔がカステッロのものです。写真右の鐘楼はドゥオーモのものです。
カステッロです。
アオスタ渓谷に通じる道路を支配するために戦略的防御機能を目的に、サヴォイア家のアメデオ6世(シャンベリー、1334-サント・ステファノ・ディ・カンポバッソ、1383)によって、1358年に創建され、アメデオ6世の死後の1395年に完成したカステッロです。
高い塀に囲まれてます。
サヴォイア家の邸宅として使用されていましたが、外国支配などにより徐々に戦略的機能を失い、17世紀には殆ど使用されなくなったそうです。
1700年から刑務所として使用されるようになりましたが、それに伴い高い塀が築かれました。刑務所が閉鎖されたのは1970年のことでした。
4本の塔があります。
現在、カステッロは国有資産となってますが、その運営管理はトリノ県に委託されてます。
一般公開は、特別な機会に限定されており、通常はカステッロの中に入ることが出来ません。
カステッロとドゥオーモは同じ標高に建ってます。
司教館です。
ドゥオーモ広場からの眺望です。
写真左端は市庁舎の時計塔です。
何処の教会の後陣と鐘楼でしょうか?
雨は小康状態でした。
(つづく)
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