次はサン・ジュゼッペ教会です。
写真右はサン・ジュゼッペ教会の一部です。
鐘楼に上れると良いなあ、と思いながら、ファサード側に出ます。
サン・ジュゼッペ教会の扉が開いていました。
教会が建っている場所は、ローマ時代の邸宅の遺跡がありました。その遺跡の上に、13世紀第4四世紀に建設されたサンタントニオ教会が前身です。
旧サンタントニオ教会を活動拠点にしていた巡礼者同信会は、17世紀前半、老朽化していた建物の再建を決めました。
そうして1643年に創建され、1653年に完成したバロック胸式の建物が現在の姿の原形です。
1656年に献堂式が執り行われ、それを機に奉献する聖人が聖ジュゼッペに変更され、教会の名称も現称になりました。
1859年と1939年の修復、改造を経て、現在の姿になりました。
巡礼者同信会の活動が1953年に停止され、それと共に教会としての機能も停止されました。1995年に建物の管理がアルバ市に移されるまで、建物は放置され、その間、貴重な絵画や彫刻が盗難に遭ってしまいました。
現在、教会はサン・ジュゼッペ文化センターに管理が委託され、博物館の扱いをされてます。
1774年に完成した、高さ64mの鐘楼は一般公開され、上ることが出来ます。
中に入りました。
単廊式、バロック様式の内部です。
多くの作品が盗まれてしまい、美術的に見るべき作品は数点しかありません。盗まれてしまった作品の代わりに、現代芸術家の作品が設置されてます。
ヴィットーレ・デ・二コラ・ディ・ロカルノとカルロ・ポステルラによって、1720年に制作された天井フレスコ画
「聖心を崇敬する聖ジュゼッペと聖ロッコ」(1720)
主祭壇横の説教壇
絵画とフレスコ画が多くあります。
磔刑の礼拝堂
クーポラ
ミラノの逸名彫刻家作「磔刑像」(1709)
磔刑像の背後の絵画はガエターノ・ぺーシェ(ラ・スペツィア、1939‐)によって描かれました。
この磔刑像は、この教会にあったものではなく、元々の磔刑像は盗まれてしまったので、個人から寄付されたものです。その磔刑像にぺーシェの背景画が付け加えられました。
制作者不明の「フランチェスコ・ピスト―ネ(ピエモンテ、17世紀活動)作『聖母子と聖人たち』のコピー画」
出来が良いコピー画です。
オリジナルの作品は盗まれてしまいました。
ガエターノ・ぺーシェ(ラ・スペツィア、1939‐)の「磔刑」
サンティ・ジョヴァンニ・バッティスタ・エ・ルイージ・ゴンザーガ礼拝堂(1711‐1716)
サンティ・ジョヴァンニ・バッティスタ・エ・ルイージ・ゴンザーガ礼拝堂天井の装飾
シルヴィオ・ロッソ(クーネオ、1940‐)の「赤と金の祭壇画」(2009)
印象強烈な抽象的な祭壇画です。
シルヴィオ・ロッソによるフレスコ画
詳細不知
Cappella Angelo Custode (1667-1691)
祭壇画は、カテリーナ・ベルゲーゼ(フォッサーノ、?‐)の「守護天使」
カテリーナ・ベルゲーゼのフレスコ画
Cappella dei Santi Pietro e Paolo
マウリツィオ・リナウドの「十字架降下」
エミリオ・プルノットの作品(2002)
ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704‐1793)の「ご誕生」(1755)
オペルティの作品が4点盗まれたそうです。
ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704‐1793)の「聖母の結婚」(1775)
主祭壇
セコンド・アントニオ・ボットの「聖ジュゼッペ」
ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704‐1793)の「父なる神」(1755)
ヴィットーレ・デ・二コラ・ディ・ロカルノとカルロ・ポステルラによる後陣フレスコ画(1720)
後陣の左右の側壁に4点の現代宗教画と思われる作品がありますが、私には制作者等の詳細が分かりません。
次はアンジェロ・プローリオの「キリストの生涯の物語」です。
大作です。
(つづく)
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