サン・ロレンツォ教会です。グループツアーのご一行様は既に立ち去って、教会の中には誰もいませんでした。
ファサードは12世紀のオリジナルに近いとされてます。
12世紀のオリジナルの鐘楼は1779年に現在の姿に改造されました。
ナポレオンの抑圧令によって、1803年に世俗同信会は解散させられ、教会は閉鎖となりました。1822年に教会の活動が再開されました。
教会に隣接した建物は旧修道院で、現在は住居に転用されてます。
中に入りました。
単廊式、バロック様式の内部です。
20世紀後半に再塗装されました。
ロマネスク様式のファサードを見てから、この内部を見ると感じが全く異なり、少し戸惑います。
主祭壇
閉鎖となったサン・フランチェスコ修道院の教会から移設された磔刑像(17世紀)
詳細不知
後陣の木製聖歌隊席はサン・フランチェスコ修道院の教会から移設されたものです。
主祭壇画の「聖ロレンツォの殉教」(制作者情報等詳細不知)
詳細不知の「聖母子」
制作者情報等詳細不知の「天上の聖家族と二聖人」
制作者情報等詳細不知の「聖トンマーゾの不信」
制作者情報等詳細不知の「天上の幼きキリストと二聖人」
1144年の文書に、教会の初記録が記載されていますが、創建の年は不明のようです。
13世紀後半、バットゥーティと呼ばれるConfraternita di Laici(世俗同信会)の所有となり、隣接するサン・コロンバーノ修道院の修道士に依存する関係でした。
経時劣化のため建物が危険になったので、活動が停止されました。1694年、ベネデット会修道士によって危険部分が取り壊され、一部が再建されると共に拡張されました。
何となく納得できないサン・ロレンツォ教会でした。
次はカステッロです。
緩い上り坂の細い道を通ります。
カステッロは、城壁内の小高い場所にあります。
マッツィーニ通りを進みます。
午後3時前なので、人出がなく、非常に静かです。
この道の建物は17世紀に建設されたものが殆どです。
風情のある建物です。
写真左の道に進まず、写真手前を左折します。
狭い城壁内の村外れに出ます。
ここから柱廊が続きます。
カステッロは写真右上辺りにあります。
ポルティコが終わると城壁が現れます。
防御力が感じない低い城壁です。
最初の城壁は9‐10世紀に建設されましたが、修道院の村なので防御をあまり考えていないようです。
漸く人を見かけました。
城壁外に出ます。
(つづく)
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