サン・ジョルジョ・マルティーレ教会です。
高い丘のこの場所は絶好の防御、監視拠点とされ、5世紀にRoccaが築かれました。やがてRoccaに小さな礼拝堂が設けられましたが、それが前身とされてます。
Roccaは拡張整備され城になりましたが、キエーリの軍事的な重要性が失われるとともに城は荒廃してしまいました。
14世紀にRoccaの遺跡の上にゴシック様式のサン・ジョルジョ・マルティーレ教会が建設されました。1412年の火災によって最初の建物は崩落消失してしまったので、1442年に再建されました。
ベルナルド・アントニオ・ヴィット―ネ(トリノ、1704‐1770)の設計、建築監督によって1752年に建設されたファサードです。
鐘楼は11‐12世紀に建設された城の塔を転用したものですが、1676年に現在の姿に改造されました。
サン・ジョルジョ・マルティーレ教会は美術作品が多いことで知られてますが、平日は扉が閉まっているので、中に入ることが出来ませんでした。
外部サイトから作品画像を拝借して、この教会の作品を紹介することにします。
グリエルモ・カッチャ通称イル・モンカルヴォ(モンタボーネ、1568‐モンカルヴォ、1625)の「聖母子と聖人たち(聖ジョルジョ、聖グリエルモ、聖ロッコ、聖セバスティアーノ)」(1601c)
グリエルモ・カッチャ通称イル・モンカルヴォ(モンタボーネ、1568‐モンカルヴォ、1625)の「キリストの復活」(1605)
18世紀の逸名画家作「聖ジュゼッペと聖人たち」(18世紀前半)
アゴスティーノ・マルキ―ジョの「聖ジョルジョ。マルティーレ」(18世紀中頃)
逸名画家作「バルトロメ・エステバン・ムリーリョ作『磔刑と聖フランチェスコ』のコピー画」(20世紀初め)
ジョヴァンニ・クローショ(ヴェルチェッリ、1583‐キエーリ、1625)の「聖母子と聖人たち」(1619)
オルソラ・マッダレーナ・カッチャ(モンカルヴォ、1596‐1676)の「聖家族と嬰児虐殺」(1630c)
逸名画家作「大天使聖ミケーレ」(17世紀後半)
逸名画家作「ジュゼペ・リベラ作『この人を見よ』のコピー画」(20世紀)
ジョヴァンニ・マリア・モントゥーの「荊刑のキリスト」(1824)
グイド・レーニのコピー画と思います。
アントニオ・アンドリエッリの「無原罪の御宿リ」(17世紀後半)
逸名画家作「聖母子」(17世紀)
逸名画家作「聖ロッコ」(17世紀)
逸名画家作「磔刑と聖フランチェスコ」(1700)
写真正面の建物に付属美術館があるようです。
付属美術館は滅多に開館しないようです。
ファサードに向かって右横にアーチがあります。
アーチを潜ります。
アーチのほぼ中間にサン・ミケーレ・アルカンジェロ教会があります。
写真左にサン・ミケーレ・アルカンジェロ教会の入り口があります。
サン・ミケーレ・アルカンジェロ教会の扉が開いてました。
中に入りました。
サン・ジョルジョ・マルティーレ教会のファサードと後陣の高さがかなり違うので、その間の空間を利用して15世紀初めに建設されたサン・ミケーレ・アルカンジェロ教会です。
フレスコ画で覆われてます。
逸名画家によって描かれた「大天使の物語」(17世紀後半)
「大天使の物語」
「聖母子」のイコン
「聖家族」のイコン
グリエルモ・カッチャ通称イル・モンカルヴォ(モンタボーネ、1568‐モンカルヴォ、1625)の「聖母子と大天使聖ミケーレと聖ジョルジョ」(1605)
「祈るキリスト」のイコン
「聖母子」のイコン
アントニオ・アンドリエットに帰属する「聖母の誕生」(17世紀後半)
逸名画家による「大天使聖ミケーレ」(17世紀後半)
アントニオ・アンドリエットに帰属する「ご訪問」、「聖母被昇天」
逸名画家作「大天使聖ミケーレ」(1639)
逸名画家作「聖ルイージ・ゴンザーガ」(18世紀)
逸名画家作「大天使聖ミケーレ」(17世紀後半)
詳細不知
逸名画家作「聖母被昇天」(18世紀)
アントニオ・アンドリエットに帰属する「聖母の結婚」(17世紀後半)
アントニオ・アンドリエットに帰属する「聖母の神殿奉献」(17世紀後半)
アントニオ・アンドリエットに帰属する「無原罪の御宿リ」(17世紀後半)
15世紀の磔刑像
祭壇をもう一度見てから外に出ます。
外に出ました。
(つづく)
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