オルタ・サン・ジュリオのサンタ・マリア・アッスンタ教会のファサード前を右に行くと、サクロ・モンテに向かうことが出来ます。
Sacro Monte、聖山の名称の通りで坂を上ります。
道はオルタ湖を見下ろしながら山へと続いてます。
祠が道の両側に点在してます。
「神域に来たのだ」という感じがします。
中ほどにオルタ・サン・ジュリオの墓地があります。
墓地に教会があり、その中にジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニのフレスコ画があるのですが、入り口の扉が閉まっていました。
サクロ・モンテの門が見えてきました。
宗教改革によって教会の堕落を攻撃されたカトリック側は、反宗教改革の一環として宗教活動の自浄を図ります。その具体策の一つとしてサクロ・モンテと呼ぶ祈りの場所が建てられることになりました。
サクロ・モンテの最初の場所として、ヴァラッロ、ヴァレーゼと共にオルタが選ばれました。
オルタのサクロ・モンテの具体的な計画は、フラチェスコ会のPadre Cleto da Castelletto Tocinoの主導のもとにフランチェスコ会修道士によって推進されました。従って、ここはアッシジの聖フランチェスコに奉献する場なのです。
礼拝堂の拝観は後回しにして、先ず教会に向かいました。
最初の礼拝堂の建設が始まったのが1590年でした。当初の計画では32の礼拝堂建設が予定されてましたが、約100年経って20の礼拝堂が完成した所で、サクロ・モンテ活動意欲の低下と資金難によって中断され、そのまま現在に至ってます。
こちらの礼拝堂の拝観も後回し。
20の礼拝堂の他に、一つの教会と、観光客向けの展示場として建設された新礼拝堂があります。
サンティ・デイ・フランチェスコ・エ・二コラオ教会です。
9世紀、この地に建てられたサン・二コラオ教会が前身です。教会の存在は10世紀中ごろの記録に記載されてます。12-13世紀にロマネスク様式で再建されました。
現在の建物は、フランチェスコ会のPadre Cleto da Castelletto Tocinoの命により、1602年に創建され、1607年に完成した三代目のものです。アッシジのサン・フランチェスコ聖堂の下聖堂を模して建設されました。
ロマネスク様式の鐘楼は12-13世紀の二代目の建物にあったものです。
教会の礼拝堂です。閉まっていました。
ファサードのルネッタ上のフレスコ画
単廊式、変形ギリシャ十字形、バロック様式の内部です。
左右の側壁に礼拝堂が設けられてます。
観光客が次々と現れます。静謐な宗教空間とは言い難く、何時もざわざわしています。
20ある礼拝堂でミサが行われることは少なく、ミサは通常、この教会で行われます。聖職者はサン・ジュリオ島にある聖堂と兼務しているようです。
主祭壇画は、アントニオ・ブスカ・ダ・ミラノ(ミラノ、1625‐1686)の「聖フェリーチェに顕現する聖母子」
美術ファンの見どころはこの1点だけかと思います。
ジョヴァンニ・バッティスタ・カンタルーピ・ダ・ミアーシモ(ミアーシモ、1732‐1780)の「パドヴァの聖アントニオとフランチェスコ会の聖人たち」
17世紀後半から18世紀初頭のロンバルディアの逸名画家による「天上の聖母とフランチェスコ会修道士たち」
詳細不明の「ピエタ」(19世紀中ごろ)
ジョヴァンニ・ナルディーニ・ダ・ミラノの彫刻(1926)
サクロ・モンテの見どころは礼拝堂でしょうね。
教会内に入らなくても、この教会はお勧めです。
ファサード前がオルタ湖とサン・ジュリオ島の絶景ポイントなのです。ここに来る価値は十分あります。
(つづく)
コメント
コメント一覧 (2)
ブログの引っ越し、おめでとう。
前のブログは会員制でしたが、レベルの高い会員がいなくて心配してました。私も飽きたらず、シニョレッリさんよりも半年前に書くのを止めました。
気張らずに長く続けられるよう頑張ってください。
コメント、有難うございます。
帰国したばかりでお疲れの所で恐縮です。
そのうちに土産話をお聞かせください。
仰るようにノンビリと自分のペースを守って続けるつもりです。