ピストイアのドゥオーモ広場です。
ピストイア司教区の司教座が置かれているドゥオーモです。
1965年、教皇パオロ6世によってBasilica Minoreに格付けされたので、正式名はBasilica Minore e Cattedrale di San Zenoと呼ばれてます。
5世紀頃、現在のドゥオーモ広場に既に司教座教会があったとされてます。
928年、現在のドゥオーモの位置に創建された教会が前身です。最初の建物は、1108年の火災によって大きな被害を受けたので、直ぐに二番目の建物が再建され、1145年に聖ジョコモ・マッジョーレに奉献されました。
ところが、1202年、またしても火災に遭い、1274‐75年に大修復工事が行われました。更に1298年に大地震に遭い、直ちに大掛かりな修復が行われました。二番目となる大修復工事のあと、1336年に奉献式が行われましたが、その際、奉献する聖人が聖ゼーノに変更されました。
16世紀末から17世紀初頭にかけて、及び18世紀の改修によって外観が変わりましたが、1952年から1999年の改修の際、元の姿に戻されました。
鐘楼の原形は10世紀のもので、その後、何度も修復工事が行われましたが、1999年に元に姿に戻されました。
洗礼堂の創建は10世紀でした。現在の洗礼堂は二代目となる建物です。
ファサードの柱廊は1339年ー1449年に作られました。
柱廊のルネッタに描かれたフレスコ画
柱廊天井のフレスコ画
ファサード側に出入り口が3か所設けられてますが、閉まっていることが多いようです。聖堂内への出入りは身廊側の扉で行われるのが普通です。
柱頭
ファサードの彩釉テラコッタによる装飾は、アンドレア・デッラ・ロッビアの作品(1504年)です。
「聖母子と天使たち」
ファサード
身廊側から聖堂内に入りました。
三廊式、ロマネスク様式の内部です。
傑作や秀作が幾つかありましたが、そのうち6点が美術館などに移されました。
左側廊
それでも未だ一級の作品が残されてます。
右側廊
天井
聖水盤
右側最初の礼拝堂
アゴスティーノ・ディ・ジョヴァンニの「チーノ・デ・シニブルディの葬儀モニュメント」(1337)
説教壇
詳細不明
トスカーナの無名画家の「磔刑と聖人たちの三連画」(1424)
詳細不明
クリプタ
クリプタの「磔刑像」(12世紀)
内陣に戻りました。
レオーネ・ストロッツィ司教の墓
マッティア・プレーティの「聖母戴冠」
主祭壇
主祭壇画はクリストファノ・アッローリの「キリストの復活」(1606‐10)
コッポ・ディ・マルコヴァルドの「磔刑像」(1274)
この聖堂で1点選ぶとすれば、この作品になるでしょう。
サレルノ・ディ・コッポの「聖母子」(1275)
ジョヴァン・バッティスタ・パッジの「聖母被昇天」(1590‐1600)
ロレンツォ・ディ・クレディの「玉座の聖母子と洗礼者聖ジョヴァンニと聖ドナート」(1474‐86)
これも傑作です。
墓
詳細不明の「聖母子」
マッテオ・ボネーキ(1669‐1750)の「聖バルトロメオの殉教」
祭壇前から見た出入口方向です。
一旦外に出て、次は洗礼堂です。
サン・ジョヴァンニ洗礼堂は、二コラ・ピサーノ設計によって1303‐1361年に建設されました。
中に入りました。
天井
祭壇前飾り
(おわり)
コメント
コメント一覧 (2)
サン・ジョヴァンニ・フォルチヴィタス教会が実にゆったりして、好きです。
コメント、有難うございます。
色大理石を組み合わせて縞模様の外観の教会が特に好きなので、私もしばしばピストイアに訪れてます。
市立美術館にある、太り気味で年増の聖母の「聖母子」が時々見たくなります。