第10室を後にする前にお気に入りの作品をもう一度鑑賞しました。
次の部屋に移動しました。
第11室です。
レアンドロ・バッサーノ(バッサーノ・デル・グラッパ、1557‐1622)の「ラザロの蘇生」
ジャンバッティスタ・ティエポロ(ヴェネツィア、1696‐マドリッド、1770)の「Devoti affacciati ad una loggia」
ジャンバッティスタ・ティエポロの「Devoti affaccianti ad una loggia」
私にとっては訳の分からない作品です。
ベルナルド・ストロッツィ(ジェノヴァ、1581‐ヴェネツィア、1664)の「ジョヴァンニ・グリマーニ枢機卿の肖像」
ベルナルド・ストロッツィの「シメオーネ邸の饗宴」
ボニファチョ・デ・ピターリの「大金持ち」
ポルデノーネ(ポルデノーネ、1483‐フェッラーラ、1539)の「ベアート・ロレンツォ・ジュスティニアーニと聖人たち」
ヤコポ・ティントレットの「磔刑」
ヤコポ・ティントレットの「聖母子と聖セバスティアーノと聖マルコと聖テオドーロと3枢機卿」
次の部屋は彫刻の展示です。
アントニオ・カノーヴァ(ポッサーニョ、1757‐ヴェネツィア、1822)の「Creugante」(1796‐1801)
アントニオ・カノーヴァの「パリ」(1807‐12)
アントニオ・カノーヴァの「Madama Letizia Bonaparte」(1804‐07)
アントニオ・カノーヴァの「ナポレオン」
アントニオ・カノーヴァの「Leopoldo Cicognara」(1821‐22)
ルイージ・ボッロ(ヴィットリオ・ヴェネト、1826‐ヴェネツィア、1886)の「ジョヴァンニ・ベッリーニ」(1853)
ロレンツォ・モレッティ・ラレーゼ(ヴェネツィア、1809‐1885)の「セバスティアーノ・デル・ピオンボ」(1872)
ルイージ・ボッロの「憑りつかれた人の解放」(1850)
リナルド・リナルディ(パドヴァ、1793‐ローマ、1873)の「ティツィアーノ」(1815‐16)
バルトロメオ・フェッラーラ(マロースティカ、1780‐ヴェネツィア、1844)の「アントニオ・カノーヴァ作『ピエタ』の複製彫刻」(1830)
絵画の展示室です。
第11室です。先ほど11室を見たばかりです。
参ったなあ!
11室が2つあるのです。ローマ数字とアラビア数字で区別しているようですが、混乱の元ですね。改善した方が良いと思います。
Giovanni De Min ( Belluno,1786- Tarzo,1859) の「Aiace」
フランチェスコ・アイエツ(ヴェネツィア、1791‐ミラノ、1882)の「アリスティデス(注:アテネの政治家・軍人)」(1812)
フランチェスコ・アイエツの「ソロン(注:アテネの政治家)」
ヴィンチェンツォ・ジャコメッリ(グリッツィオ、1816-ヴェネツィア、1890)の「ディオメデス(注:ギリシャ神話)」
フランチェスコ・アイエツの「リナルドとアルミダ」(1813)
Giovanni De Minの「ヘラクレスの決断」(1812)
次の部屋です。
アラビア数字の第10室です。紛らわしい!
アントニオ・カノーヴァの「ティツィア—ノへのモニュメント」(1795)
題名が理解不能です。アントニオ・猪木の「コブラツイスト」に見えました。
3つの作品ともにアントニオ・カノーヴァ作です。
次の部屋に移りました。
アラビア数字の第9室です。
ジャンドメニコ・ティエポロの「聖体拝領の制度」(1778)
アントニオ・マリア・ヴィセンティーニ(ヴェネツィア、1688‐1782)の「建築のファンタジー」(1771‐77)
ミケランジェロ・モルライテール(ヴェネツィア、1729‐1806)の「芸術賞を授与されるヴェネツィア」(1756)
ピエラントニオ・ノヴェッリ(ヴェネツィア、1729‐1806)の「デッサン、色彩、創作」(1768‐69)
フランチェスコ・バッタリオーリ(モデナ、1720c‐1797)の「建築の遠近法」(1772‐77)
アントニオ・カナールの「遠近法」
ジュゼッペ・モレッティ(18世紀後半にヴェネツィアで活動)の「遠近法」
アントニオ・ジョーリ(モデナ、1700c‐ナポリ、1777)の「古代テルメの遠近法」
ジャンバッティスタ・ピットーニ(ヴェネツィア、1687‐1767)の「受胎告知」(1757)
フランチェスコ・ズッカレッリ(ピティリアーノ、1702‐フィレンツェ、1788c)の「洗礼者聖ジョヴァンニがいる風景」(1763)
ドメニコ・フェデーリ(ヴェネツィア、1713‐1794)の「美術学校の寓意」(1762‐63c)
フランチェスコ・マッジョット(ヴェネツィア、1738‐1805)の「画家の寓意」(1768‐69)
(つづく)
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