イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 BY:シニョレッリ

カテゴリ: エミリア・ロマーニャ州

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日陰になっているエミリア通りは、夕立の雨が乾いていなかった。


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イタリア・ファシズムを担った建物が見えてきました。


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近代的塔がある建物は、1933年から1936年に建設されたCasa del Fascioです。


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Casa del Fascioの柱に施された浮彫です。


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ボローニャのファシスト連盟専属の彫刻家Amleto Beghelliの浮彫です。


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Ex-Casa del Fascioに観光案内所があります。


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Via Speri


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Vicolo Inferno


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Chiesa Cattolica Parrocchiale San Cassiano


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Piazza della Conciliazone


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Piazza della Conciliazone


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Vicolo Infernoに戻りました。


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エミリア通りに戻ります。


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Ex-Casa del Fascioです。


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グラムシ広場です。


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以前はエルベ広場と呼ばれていました。現グラムシ広場は、中世の頃、サン・バルナルド修道院とサン・パオロ修道院によって所有されていましたが、14世紀から、肉の処置所、肉市場として繁栄していました。


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グラムシ広場にある教会だった建物です。


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15世紀に建設されたサン・ベルナルド教会だった建物です。


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エミリア通りの東の方は後から見ます。


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エミリア通りに時計塔があります。


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ナポレオンに従ってイーモラに進駐してきたフランス軍将校によって、19世紀初めに贈られた時計です。


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時計塔の下を潜ります。


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時計塔の西側に出ました。


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潜ってきた時計塔を振り返って撮った写真です。


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再び時計塔の下を潜って、時計塔の東方に出ます。


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ポルティコが続きます。


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時計塔を越え、エミリア通りの右側にマッテオッティ広場があります。


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教皇シスト4世の計らいによって、1474年、イーモラ領主となったジローラモ・リア―リオ(サヴォーナ、1443-フォルリ、1488)(シスト4世の息子)が現在の姿に拡張整備したマッテオッティ広場です。


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ジローラモ・リア―リオが自分の宮殿として1480年に建設させたPalazzo della Signoria、現称Palazzo Sersantiです。


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中世の頃、マッテオッティ広場はイーモラ商業の中心地でした。


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Palazzo Comunaleです。


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1213年に建設されたPalazzo Comunaleです。現在の外観は、18世紀後半に行われた大修復工事の後のものです。


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Palazzo Comunaleのファサードです。


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ファサードのフレスコ画はシスト4世です。


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Palazzo Comunaleの入り口です。


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(つづく)

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次はドゥオーモです。


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イーモラのドゥオーモ、サン・カッシアーノ司教座聖堂 Basilica Minore e Cattedrale di San Cassianoです。


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イーモラの司教座教会は、12世紀後半までイーモラの西方にあるカストルム・サンクティ・カッシアーノと言う町にありました。
イーモラのコムーネはそのことに不満でした。1177年、イーモラはカストルム・サンクティ・カッシアーノを攻撃して、司教座教会を含めて町を攻略して屈服させました。それを受けて、当時のエンリコ司教は、現在地に新しい司教座教会の建設を決めました。
1187年に創建され、13世紀前半に完成しました。1271年、奉献式が執り行われました。


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1763年の補強工事において、建物の構造的欠陥があることが判明したので、1765年から1781年にかけて、建物の大部分が再建されました。


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現在のバロック様式のファサードは、1660年に完成しました。


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現在の鐘楼は1457年に完成したもので、完成年が鐘楼の台座が刻まれてます。


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場所によって完成年が大幅に異なる大聖堂外壁です。


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ファサードに向かって右側の外壁


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クーポラと鐘楼


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1981年、第264代教皇ジョヴァンニ・パオロ2世(1920‐2005 在位:1978‐2005)によってBasilica Minore に格付けされました。


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拝観します。


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聖堂内に入りました。


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三廊式、ラテン十字形、後期バロック様式の内部です。


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12世紀後半の創建時の姿は全く見ることが出来ません。


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Presbiterioが目立ちます。


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身廊中央のPresbiterioの前にクリプタの入り口があります。


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1698年から1704年に建設されたクリプタです。


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主祭壇


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クーポラ


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Presbiterio天井の装飾


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主祭壇画は、ピエトロ・テデスキ(ペーザロ、1750?‐ローマ、1808c)の「聖カッシアーノの殉教」


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Presbiterioは立ち入り禁止なので、主祭壇画の写真が全然ダメ。


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アンジェロ・ゴッタレッリ(カステル・ボロネーゼ、1740‐イーモラ、1813)の「聖カッシアーノと聖人たち(聖アポッリナーレ、聖コズマ、聖カルロ・ボッロメオ、聖テレンツィオ)と寄進者」


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ヤコポ・ベルトゥッチ(ファエンツァ、1502‐1579)に帰属する「聖母被昇天」


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逸名画家作「聖母子を崇める聖人たち」(19世紀)
小枠内の聖母子は15世紀のものです。


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逸名画家、恐らくカムッチーノ工房作の「聖ピエトロと聖パオロ」(19世紀)


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イグナツィオ・ゾッティ(イーモラ、1806‐フィレンツェ、1865)の「エマオの晩餐」(1850)


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トスカーナの逸名彫刻家作「磔刑像」(15世紀末)


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アンジェロ・ゴッタレッリ(カステル・ボロネーゼ、1740‐イーモラ、1813)の「十字架の高揚」(1783)


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ジャコモ・ザンパ(フォルリ、1731‐トッシニャーノ、1808)の「聖家族と聖ジョヴァンニーノ」


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左翼廊のオルガン


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右側廊の無原罪の御宿リ礼拝堂


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無原罪の御宿リ礼拝堂天井のフレスコ画


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右側廊


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左側廊


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洗礼盤(16世紀初頭)


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制作者情報等詳細不知の「キリストの洗礼」


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クリプタの入り口前から見た出入口方向


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外に出ました。
(つづく)

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晴れていましたが、遠雷が聞こえてきました。


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下校時間になったようで、若者の姿を多数見かけるようになりました。


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空は未だ晴れていましたが、雷鳴が徐々に近づいてきたようです。


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稲光が一閃、物凄い雷鳴。


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ポツリ、ポツリと雨が落ちてきました。


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天気雨です。


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雨が降ると思っていなかったので、傘を持っていません。


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直ぐに土砂降り。


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慌てて一旦ホテルに戻ることにしました。


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しかし、20分ほどで雨が上がりました。


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直ぐに晴れてきましたが、雷鳴は相変わらずでした。


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用心のため、傘を持参して再び外出。


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夕立で涼しくなると思いきや、気温は相変わらず高いまま。先ほど降った雨が直ぐに蒸発して、物凄い湿気です。


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サン・ジャコモ・マッジョーレ・デル・カルミネ教区教会です。


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カルメル会がイーモラで活動開始した14世紀に建設された修道院教会です。


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14世紀から再建される18世紀初頭までは、サンタ・マリア・ディ・モンテ・カルミネ修道院教会と呼ばれていたそうです。


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現在の建物は、ジョヴァンニ・ドメニコ・トリフォーり(1675‐1759)の設計によって1720年から1726年に再建された二代目となるものです。


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中に入りました。


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単廊式、ラテン十字形、新古典様式の内部です。


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右側壁


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天井の装飾がありません。


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アレッサンドロ・デッラ・ナーヴェ(ブドリオ、1732‐イーモラ、1821)の「天上の聖人に祈願するカルメル会修道女」(1732)


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詳細不知


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詳細不知


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アンジェロ・ゴッタレッリ(カステル・ボロネーゼ、1740‐イーモラ、1813)の「無原罪の聖母」(1792)


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外に出ました。


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次は教区博物館です。


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夕立前よりも暑くなったので参りました。


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ドゥオーモの扉は閉まったままでした。


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教区博物館がある司教館の扉も閉まったままでした。


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仕方がないので、扉が開くまでドゥオーモ広場で時間潰しです。


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時間通りに開館しないのがイタリア流です。


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聖職者のストはないので、そのうちに扉が開くでしょう。


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扉が開きました。扉の前で開館を待っているように見えた二人でしたが、直ぐに何処かに行ってしまいました。


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司教館です。


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入館します。


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ジョヴァンニ・ダ・リオーロの多翼祭壇画(1433)
制作者の署名と年号入りです。イーモラのサン・ドメニコ教会にありました。


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インノチェンツォ・ダ・イーモラの作品
教区博物館については既にアップしました。ご興味のある方はご参照願います。


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プロスペロ・ぺーシェの作品


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カルロ・ボノーニの作品


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充実した展示と言えるでしょう。


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天井の装飾


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私以外の入館者はいませんでした。


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外に出ました。
(つづく)




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要塞横のViale d' Agostinoです。


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カテリーナ・スフォルツァは、フォルリに定住していたので、イーモラには城代を置いて滅多に訪れなかったと言われてます。


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Via Fratelli Bandiera


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ガリバルディ通りに入りました。


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18世紀に建設されたPalazzo Rambaldiです。現在、高等学校になってます。


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ガリバルディ通りを進み、次の交差点を左折してドゥオーモ前に出ます。


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この時間、ドゥオーモは当然閉まってます。


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ドゥオーモの外観を見れば、その街の繁栄度が大体推察できます。


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ドゥオーモ広場から東に向かいます。


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Porta Montanaraです。


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イーモラの城壁に4つの門がありました。これはエミリア街道の東端に設けられた門です。


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1460年から1470年に建設された門です。


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イーモラの城壁は1925年に取り壊されましたが、その際、修復されて残された唯一の門です。


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モンタナ―ラ門の前から見たドゥオーモです。


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そろそろ昼食の時間です。


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ガリバルディ通りです。昼食はエミリア通りの店に決めてました。


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写真右奥はPalazzo Tozzoniです。


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18世紀前半に建設されたPalazzo Tozzoniです。


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Palazzo Tozzoniは市立博物館として一般公開されてますが、この時は休館中でした。


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写真左は18世紀に建設されたヴェルガ館です。


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Vicolo Olivo


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広場に出ます。


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広場から見えたドゥオーモの鐘楼


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Vicolo Inferno


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エミリア通りに出ました。


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昼食を食べます。


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入店しました。


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お腹一杯、食べ過ぎです。


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ドゥオーモの鐘楼です。


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サン・フランチェスコ修道院だった建物は市立図書館として利用されてます。


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Via Don Bughetti


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サン・ジャコモ(聖ヤコブ)教会だった建物がエミリア通りに面して建ってます。


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宗教活動は停止され、現在は展覧会などに使用されてます。


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Teatro Comunale


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この日の公演はありません。


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(つづく)

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エミリア通りです。


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写真左はPalazzo Sassatelliです。


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自転車利用者が非常に多いイーモラです。


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エミリア通りを左折してVia Don Bughettiに入りました。


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ヴェネツィア海軍総督タッデオ・デッラ・ヴォルぺによって15世紀に建設されたCasa della Volpeです。


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ドゥオーモの扉が閉まっていました。


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ドゥオーモの向かいに建つ司教館です。


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司教館内に教区美術館があります。


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司教館の扉が開いていたので、中に入ってみました。教区美術館は当然のことながら閉まっていました。


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ガリバルディ通りです。


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写真左は18世紀に建てられた神学校だった建物です。


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ガリバルディ通りの先にRocca Sforzescaがあります。


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スフォルツェスカ城塞 Rocca Sforzescaです。


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14世紀前半、イーモラは教皇領でした。
第197代教皇ベネデット12世(1285-1342 在位:1335-1342)は、イーモラの領有権をリッポ2世アリドージ(?、?-イーモラ、1350)に与えました。
要塞の現在地には、11世紀に建設された塔がありましたが、1334年、領有権を与えられたリッポ2世アリドージが塔の残骸の上に要塞の建設を開始しました。建設工事は、リッポ2世の死後は息子のロベルト・アリドージ(?、?-イーモラ、1362)に引き継がれ、ロベルトの存命中に一応の完成を見ました。


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アリドージ家のイーモラ支配は1424年まで続きましたが、同年、イーモラはミラノのヴィスコンティ家の支配下に置かれるようになりました。
その後、イーモラは、15世紀前半まで教皇領、ヴィスコンティ家、教皇領、ヴィスコンティ家と度々支配者が変わりました。
ミラノのヴィスコンティ家にとって、イーモラは飛地であり、その戦略的重要性(ボローニャとリミニを結ぶ交通の要衝)から、要塞はヴィスコンティ家によって拡大増強されました。


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1470年、イーモラは、ミラノ公爵スフォルツァ家の支配下に置かれるようになりました。


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1471年、第212代教皇に選出されたシスト4世(チェッレ・リーグレ、1414-ローマ、1484 教皇在位:1471-1484)は、実子と言われるジローラモ・リア―リオ(サヴォーナ、1443-フォルリ、1488)に領地を与えようとしました。
シスト4世は、貧しい家の生まれだったので、その一族郎党の繁栄に特に留意した教皇と言われてます。


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ジローラモ・リアーリオの領地としてミラノの飛地イーモラをターゲットに定めたシスト4世は、ミラノ公爵ガレアッツォ・マリア・スフォルツァ(フェルモ、1444-ミラノ、1476)に対して、ガレアッツォの娘カテリーナ・スフォルツァ(・デ・メディチ)(ミラノ、1463-フィレンツェ、1509)をジローラモ・リア―リオに持参金なしで嫁がせる代わりに、イーモラの領地代として4万ドゥカートをミラノ公に支払うとの提案を行いました。
当時、持参金は法外な金額でしたから、持参金なしで娘を嫁がせ、逆に領地代が入金するという絶好の条件だったので、ミラノ公はその提案を受け入れ、ジローラモ・リア―リオとカテリーナ・スフォルツァとの婚約が調ったのです。4万ドゥカートという領地代も巨額法外なものでした。


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1473年、ジローラモ・リア―リオとカテリーナ・スフォルツァは結婚しましたが、その際、フォルリはカテリーナの持参金代わりとされて、ジローラモ・リア―リオの領地となりました。


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要塞の周りを一周します。


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ジローラモとカテリーナの結婚前、ミラノの飛地イーモラの割譲を願っていたフィレンツェは、ミラノとの間にイーモラの割譲とフィレンツェ在住芸術家のミラノへの派遣の合意があったとされてます。


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ところが、1474年、教皇シスト4世から4万ドゥカートの支払い命令がメディチ銀行にあったのです。メディチ銀行ローマ支店は、教皇庁の銀行代理業務を行っていました。1474年当時、教皇庁には4万ドゥカートの金がなかったので、代理業務を行っていたメディチ銀行に支払い命令が下ったのです。


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4万ドゥカートがイーモラの領地代と知った、当時のメディチ家の当主ロレンツォ・イル・マニーフィコはミラノの合意違約を悟りました。また、ロレンツォの時代、既にメディチ銀行は破綻寸前で業務遂行の問題が出ていたので、巨額の4万ドゥカートのミラノへの支払いを渋りました。


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11世紀に建設された塔の残骸の一部です。


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メディチ銀行の支払いを渋る姿勢に業を煮やしたシスト4世は、教皇庁の銀行代理業務からメディチ銀行を外し、パッツイ銀行のローマ支店を起用して、4万ドゥカートの支払いを行ったのです。以後、メディチ銀行はドル箱だった教皇庁業務から完全に外され、破綻への道を進むことになりました。
このことは、1478年4月26日にフィレンツェ大聖堂で起きたパッツィ家陰謀事件の発端となりました。
脱線して関係者の肖像画をアップしておきましょう。


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巷間、カテリーナ・スフォルツァの肖像と言われてます。


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フォルリのサン・ドメニコ市立美術館で展示されてますが、そこではカテリーナの肖像画とは表示されてません。何故でしょうか?


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ミラノ公爵ガレアッツォ・マリア・スフォルツァの肖像です。


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フィレンツェのウッフィツィ美術館にあります。


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座っているのがシスト4世です。


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左から2番目、シスト4世にやや背を向けて立っているのがジローラモ・リア―リオです。


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ローマのヴァティカン絵画館にあります。


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ロレンツォ・イル・マニーフィコの肖像(ウッフィツィ美術館蔵)


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イーモラは、パッツィ家の陰謀事件の中心地です。


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フォルリとイーモラの伯爵ジローラモ・リア―リオはパッツイ家の陰謀事件の首謀者です。その辺の詳しい事情は「パッツィ家の反乱」とか「パッツィ家の陰謀事件」と検索すれば、幾つかの記事が出てきますので、そちらをご参照願います。


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ともあれ、パッツィ家の陰謀事件の首謀者ジローラモ・リア―リオは、1488年4月14日、ロレンツォ・イル・マニーフィコの後ろ盾を得た5人によってフォルリで暗殺されました。


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暗殺者たちの軍は、急を知ってフォルリ要塞に籠ったカテリーナ・スフォルツァに押し寄せて、有名な「ルネサンスの女傑」と言われる逸話が生まれたのです。


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夫の事件後、フォルリとイーモラの領主となったカテリーナ・スフォルツァは、2つの要塞を更に整備に努めました。


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1499年、チェーザレ・ボルジア軍がイーモラに攻め入りましたが、イーモラに苛政を布いていたカテリーナ・スフォルツァはイーモラ領民から嫌われ、イーモラのスフォルツェスコ城塞は無血開城されました。


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イーモラは教皇領となりましたが、イーモラ周囲も教皇領だったので、その戦略的重要性を失い、イーモラの防御は不要と判断されるようになりました。


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要塞は、1524年から教皇領の刑務所に転用されるようになりました。


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1958年まで刑務所でした。


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その後、修復整備されて、現在は陶器と武器の博物館として一般公開されてます。


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しかし、開館することは少ないような気がします。


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これで一周しました。
(つづく)

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イーモラ駅に到着しました。
イーモラは、人口70,075人(2019年12月31日現在)のエミリア・ロマーニャ州ボローニャ県のコムーネです。


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イーモラ駅の駅舎です。
イーモラは、ピアチェンツァ~パルマ~レッジョ・エミリア~モデナ~ボローニャ~イーモラ~フォルリ~リミニ~ペーザロ~ファーノ~セニガッリア~アンコーナの幹線上にあるので、鉄道利用が便利です。


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Viale Andrea Costa
鉄道駅から徒歩でこの日のお宿に向かいます。


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右折してViale Carducciに入りました。


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カヴール通りになりました。


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駅から旧市街まで約1㎞ほどあります。


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城壁が殆ど残されていないので、旧市街の判別が困難ですが、旧市街に入ったと思いました。


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サント・ステファノ教会です。


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サント・ステファノ教会に隣接して建っているのは、サンタ・キアーラ女子修道会のサント・ステファノ修道院です。


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カヴール通りを左折してフラテッリ・カイローリ通りに入りました。


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この日のお宿はもう直ぐです。
イーモラは、見所が多い街と思いますが、観光客には人気がないようで、宿泊設備は限られており、選択肢があまりないようです。


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この日のお宿です。3つ星ですが、お薦めです。
チェックインの時には、ホテルの写真を撮るのを失念してしまいました。後程、城を見に行ったのですが、雷雨に遭い、傘を持っていなかったので、慌ててホテルに逃げ帰った時に撮った写真です。だから道路が濡れてます。


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チェックインを済ませてから、早速市立美術館に向かいました。


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市立美術館となっているサン・ドメニコ修道院だった建物です。


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開館日の筈ですが、入り口扉が施錠されていたので困惑しました。


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イーモラ市立美術館については既に書きました。ご興味のある方はそちらをご参照願います。


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クリストフォロ・ディ・ベネデットの帰属作品


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ラヴィニア・フォンタナの作品


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ラッファエッロ・ボッティチーニの作品


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インノチェンツォ・ダ・イーモラの作品


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現代画も展示されてます。


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遺跡からの発掘物も展示されてます。


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市立美術館から外に出ました。
サン・ドメニコ教会を見ます。


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通常サン・ドメニコ教会と呼ばれてますが、正式名称はサンティ・ニコロ・エ・ドメニコ教区教会となってます。


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この場所にサン・ニコロに捧げられた小さな礼拝堂がありました。13世紀半ば、ドメニコ会修道士がイーモラ到着し、市当局からサン・二コラ礼拝堂が活動拠点として与えられ、定住しました。


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ドメニコ会修道士によって、1287年に創建され、1374年に完成したゴシック様式の教会修道院です。


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教区教会の入り口です。
1797年、ナポレオンの抑圧令によって修道院は閉鎖され、修道院教会にあった美術品や財宝などがフランス軍に略奪されました。1998年、修道院だった建物はイーモラ市の所有となり、2011年から市立美術館となりました。


180
ファサード横の洗礼堂


P1470326
ファサード入口扉上ルネッタの装飾


P1470327


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後陣


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鐘楼が微かに見えます。


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入口扉が閉まっていました。
市立美術館から教会を覗き込んだときに撮った写真があるので、それらで教会をしておきましょう。


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単廊式、装飾豊富なロココ調の内部です。


P1470286
1996年から2001年に大修復されました。


1
ルドヴィーコ・カッラッチ(ボローニャ、1555‐1619)の「聖オルソラの殉教」(1600c)


P1470284


P1470288
ジョヴァンニ・ドメニコ・フェッレッティ(フィレンツェ、1692‐1768)の「聖ドメニコ」


P1470290
フランチェスコ・キウス―リ(イーモラ、17世紀中頃‐1729)の「シエナの聖カテリーナに幼きキリストを渡す聖母」


P1470292
詳細不知


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サンティ・二コラ・エ・ドメニコ教区教会を離れ、オルシーニ通りを進みます。


P1470330
突き当りはエミリア通り、エミリア街道です。


P1470331
(つづく)

引き続きサン・コロンバーノ修道院聖堂です。
P1490649
制作者情報等詳細不知の「貧者にマントを与える聖マルティーノ」


P1490650
制作者情報等詳細不知の「聖コロンバーノの説教」


P1490653
詳細不知


P1490655
詳細不知


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ベルナルディーノ・ランツァーニ(サン・コロンバーノ・アル・ランブロ、1460‐1530c)の祭壇画をもう一度見ました。


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詳細不知


P1490661
詳細不知


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ベルナルディーノ・ランツァーニ(サン・コロンバーノ・アル・ランブロ、1460‐1530c)のフレスコ画(1526‐30)


P1490665
ベルナルディーノ・ランツァーニ(サン・コロンバーノ・アル・ランブロ、1460‐1530c)によって描かれたフレスコ画(1526‐30)


P1490667
ベルナルディーノ・ランツァーニのフレスコ画


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聖堂から広場に出ました。


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この村で見たいと思った所は大体見たようです。しかし、10月の平日ということで、開いていない所が幾つかありました。


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ホテルに戻ります。


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サン・ロレンツォ教会を通り過ぎます。


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Piazza Santa Fara


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サン・ロレンツォ教会の鐘楼


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Vicolo della Noce


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芸術的にはあまり見どころが無かったような気がしました。


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ホテルに戻りました。


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ホテルの自室から見たサン・フランチェスコ修道院教会


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夕暮時のサン・フランチェスコ広場


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レストランに行ったら私一人でした。


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宿泊客も私一人でした。


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観光は昼間だけのようで、夜は寂しい田舎でした。


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美味しい料理を出す店です。


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お腹一杯になりました。


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食後の散歩に出ました。


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聞こえるのは虫の鳴き声だけ


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兎も角静かです。


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ホテルに戻りました。


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大人しく寝る以外なさそうです。


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翌朝です。


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この日は快晴でした。


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朝食は、私の出発の時間に合わせてくれました。


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通学の学生しか利用しないようなバスで、ピアチェンツァ駅に向かいました。


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高校生の殆どが途中でバスを下車して、ピアチェンツァまで乗車した客は数人でした。


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ピアチェンツァ駅前に定時に到着しました。
(おわり)

引き続きサン・コロンバーノ修道院聖堂です。
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ベルナルディーノ・ランツァーニ(サン・コロンバーノ・アル・ランブロ、1460‐1530c)のフレスコ画


5
天井の装飾


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右後陣の礼拝堂


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ベルナルディーノ・ランツァーニ(サン・コロンバーノ・アル・ランブロ、1460‐1530c)の「聖母子と聖人たちと天使たち」


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9世紀のモザイク断片


6
主祭壇とPresbiterio


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レオニーノ・レオーニ(ピアチェンツァ、16世紀後半活動)の「聖霊降臨」(1570)


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ジュリオ・カンピ(クレモナ、1502‐1572)に帰属する「聖母子と聖ステファノと聖ロレンツォと信者たち」(16世紀)


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「磔刑像」(16世紀)
クリプタに下ります。


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クリプタです。


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10世紀に建設されたクリプタです。


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13世紀に制作された錬鉄製の手すり


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クリプタの主祭壇に置かれている聖コロンバーノの墓


1
ジョヴァンニ・デ・パトリアルキスの「聖コロンバーノの墓」(1480)


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聖コロンバーノ墓の彫刻


2
クリプタのモザイク


3
クリプタに第一代修道院長、第二代修道院長、第三代修道院長の墓がありますが、こちらは第二代の修道院長聖アッターラ(ブルゴーニュ、6世紀‐ボッビオ、627)の墓です。
なお、初代の修道院長は聖コロンバーノです。


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聖アッターラの墓のフレスコ画


4
第三代修道院長聖ベルトゥルフォ(フランス、メーツ、6世紀‐ボッビオ、640)の墓


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聖ベルトゥルフォの墓の下のフレスコ画


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クリプタの天井


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クリプタから身廊に戻ります。


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制作者情報不知の「キリストの昇天」


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詳細不知


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制作者情報等詳細不知の「聖ロレンツォの殉教」


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天井のフレスコ


P1490619
詳細不知


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制作者情報等詳細不知の「悔悛の聖アポッロニア」


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初代の建物にあった「Madonna dell' Aiuto」


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右側廊


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右側廊から見た身廊


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左側廊


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左側廊から見た身廊方向


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ベルナルディーノ・ランツァーニ(サン・コロンバーノ・アル・ランブロ、1460‐1530c)のフレスコ画


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テオドリンダから贈られたと言われている洗礼盤(7世紀)


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詳細不知


P1490640
詳細不知


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ロザリオの聖母礼拝堂です。


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ロザリオの聖母礼拝堂天井のフレスコ画


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制作者情報等詳細不知の「ロザリオの聖母」


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制作者情報等詳細不知のロザリオの聖母礼拝堂側壁のフレスコ画


P1490646
(つづく)

P1490537
サン・コロンバーノ修道院とサン・コロンバーノ聖堂に向かいます。


P1490531
次の左に進む道に入ります。


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午後5時になりました。


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サン・コロンバーノ修道院です(写真左)。


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Palazzo Barone


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614年、聖コロンバーノ(ナヴァン、540c‐ボッビオ、615)が修道院を創設しました。


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Piazza Santa Fara


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広場に設けられた駐車場に駐車する車が夕方になって増えました。


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サン・ロレンツォ教会


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Piazza Santa Faraから今来た所を振り返って撮った写真です。


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修道院の柱廊
現在の修道院の建物は、883年に着工され、その後増築を繰り返して1522年に完成しました。


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Piazza Santa Faraからカステッロが見えます。


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サン・ロレンツォ教会は午後の早い時間に既に拝観したので、この時間はパスしました。


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サン・ロレンツォ通りを進みました。


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写真左はサン・コロンバーノ聖堂の左側壁で、聖堂のファサード側に回ります。


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サン・コロンバーノ広場に出ました。


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サン・コロンバーノ聖堂です。


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修道院のバジリカは、9世紀に建設されました。


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現在の聖堂の建物は、初代の遺跡の上に1456年から1522年に建設された二代目のものです。


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中世を通じて、サン・コロンバーノ修道院はヨーロッパで最重要の修道院の一つでした。


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16世紀に建設されたファサード下の柱廊が目立ちます。


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ファサード上の彫刻はサン・コロンバーノ像です。


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サン・ロレンツォ通り側の鐘楼は、初代の建物のもので9世紀に建設されました。


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鐘楼の横にあるファサードのように見える部分は、9世紀に建設された初代のバジリカの後陣です。


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ファサードに向かって右横に修道院博物館の入り口があります。


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柱廊に入りました。


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ポータル上のモットーのテンプレート


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拝観します。


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聖堂内に入りました。


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三廊式、ラテン十字形、ルネサンス様式の内部です。


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初代の建物の一部が残されてます。


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壁の多くがフレスコ画で装飾されてます。


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ベルナルディーノ・ランツァーニ(サン・コロンバーノ・アル・ランブロ、1460‐1530c)によって1526年から1530年に制作された内陣天井のフレスコ画
Presbiterioのフレスコ画は、ルイージ・ムッシ(ピアチェンツァ、1694‐1771)によって18世紀に制作されました。


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ベルナルディーノ・ランツァーニ(サン・コロンバーノ・アル・ランブロ、1460‐1530c)の「聖コロンバーノ」(1526‐30)


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Presbiterio天井のフレスコ画は、ルイージ・ムッシ(ピアチェンツァ、1694‐1771)の「栄光の聖コロンバーノ」


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Presbiterio右側壁のルイージ・ムッシ(ピアチェンツァ、1694‐1771)の「聖コロンバーノの生涯の物語」


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Presbiterio左側壁に描かれた、ルイージ・ムッシ(ピアチェンツァ、1694‐1771)の「聖コロンバーノの生涯の物語」


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Presbiterioに置かれたオルガン
(つづく)

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引き続きボッビオのドゥオーモです。


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ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857‐1935)?の「聖セバスティアーノの殉教」


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ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857‐1935)?の「聖アンブロージョ」


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ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857‐1935)?の「聖コロンバーノ」?


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パオロ・ペロッティ(ピアチェンツァ、1928‐2018)の「洗礼盤」


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新しい作品がかなり多いドゥオーモです。


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制作者情報等詳細不知の「キリストの洗礼」


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サン・セバスティアーノ礼拝堂です。


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1498年に建設されたサン・セバスティアーノ礼拝堂です。


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司教館の入り口にある「磔刑」のフレスコ画(14世紀)


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サン・セバスティアーノ礼拝堂天井のフレスコ画(1507)


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制作者は分かっていません。


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近年修復されたので色鮮やかに蘇りました。


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16世紀の逸名画家作「聖セバスティアーノの殉教」


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外に出ました。


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サン・ジョヴァンニ・バッティスタ礼拝堂とサン・セバスティアーノ礼拝堂が良かったけれど、全般的には新しい作品ばかりで興覚めでした。


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昼食を楽しんだ店


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Largo Rio Grandeを進んでサン・コロンバーノ修道院に行くつもりでしたが、急に気が変わりました。


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道草をしてドゥオーモの周りを歩くことにしました。


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トレッビア川の方に進んでいるので、道は緩い下り坂になってます。


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自分の写真でカレンダーを作ってますが、その候補になりそうな・・・・・


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これです。


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写真右は司教館です。


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昼食を食べた店がある建物の柱廊です。これでドゥオーモの周りを一周したことになります。


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今度こそサン・コロンバーノ修道院に向かいます。


P1490517
Contrada di Porta Nova


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この道を真直ぐ進めばサン・フランチェスコ広場のお宿です。


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日帰り観光客はみな家路についたようで、観光客は私一人のようでした。


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写真左の道を病院方向に進みます。


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突き当りはPalazzo Comunaleですが、その手前を右折します。


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Contrada dell' Osoedaleに入りました。


P1490523
映画館があります。


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映画館らしからぬ歴史ある建物


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ボッビオでも新型コロナが流行したのでしょうか?


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写真左は病院です。


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この先に教会の建物があります。


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1604年に建設されたロマネスク様式のサン・二コラ教会です。


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バロック様式興成の時代にわざわざロマネスク様式で建設されたそうです。1950年に閉鎖され、現在は私有建物となってます。


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旧サン・二コラ修道院の建物は、エノテカ兼レストランになってます。


P1490534
(つづく)

P1490375
クリプタから身廊に戻りました。


P1490377
フランチェスコ・ポッロ(ロンバルディア、18世紀前半活動)のフレスコ画(1723)


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ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857‐1935)のフレスコ画(19世紀)


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左側廊


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天井の装飾


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マッティア・トラヴェルソ(ジェノヴァ、1885‐1956)の「聖ジュゼッペ」


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天井の装飾


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ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857‐1935)のフレスコ画


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マッティア・トラヴェルソ(ジェノヴァ、1885‐1956)の「磔刑」


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ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857‐1935)のフレスコ画


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ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857‐1935)のフレスコ画


P1490396
ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857‐1935)の「ピエタのキリスト」


P1490397
左側廊


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左側廊から見た中央身廊方向


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フレスコ画で一杯です。


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右側廊


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右側廊から見た中央身廊方向


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カルロ・フランチェスコ・ヌヴォローネ(ミラノ、1609‐1662)の「守護天使」(1625)


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ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857‐1935)の「聖母子」


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詳細不知


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ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857‐1935)の「聖母子」


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天井の装飾


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ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857‐1935)のフレスコ画


P1490422
ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857‐1935)のフレスコ画


P1490424
カルロ・フランチェスコ・ヌヴォローネ(ミラノ、1609‐1662)の「磔刑と聖母と聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ」


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ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857‐1935)のフレスコ画


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ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857‐1935)のフレスコ画


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修復工事中の礼拝堂が途中にありました。


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聖心の礼拝堂


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サン・ジョヴァンニ・バッティスタ礼拝堂です。


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15世紀のフレスコ画が残されてます。


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1070年から1075年に建設されたサン・ジョヴァンニ・バッティスタ礼拝堂ですが、1630年のペスト禍の際、ライムで埋められてしまいました。1910年頃に再発見され、2012年に漸く修復されました。


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「受胎告知」(15世紀後半)


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天井のフレスコ画は殆ど落剝してしまいました。


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15世紀の磔刑像


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聖セバスティアーノの殉教


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テオドリンダ


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修復中の礼拝堂 一部13世紀のフレスコ画があります。


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こちらは少し新しいフレスコ画ですが、詳しいことが分かりません。


P1490463
(つづく)

P1480941
マドンナ・デッライウ―ト聖域聖堂からサン・フランチェスコ広場に戻りました。


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サン・フランチェスコ広場の先にドゥオーモの鐘楼が見えます。


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サン・フランチェスコ修道院教会の横を通ってドゥオーモの後陣横に出ます。


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ドゥオーモの横にあるSeminario Vecchioの建物です。


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Piazzetta Porta Agazza


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Albergo Cacciatoriの横を進みます。


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直ぐにドゥオーモ広場の入り口に出ます。


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ドゥオーモのファサード前にグループツアーのご一行様がいました。聖堂の内部にもいました。


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ボッビオのドゥオーモ Concattedrale di Santa Maria Assuntaです。
1014年にボッビオは単独の司教区になりましたが、1986年、ピアチェンツァ司教区と合区され、ピアチェンツァ₌ボッビオ司教区となりました。それに伴い、ピアチェンツァのドゥオーモが司教座教会になり、ボッビオのドゥオーモはConcattedraleとなりました。


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サン・コロンバーノ修道院と共に発展したボッビオですが、修道院領とは別に、1014年にボッビオは単独の司教区となりました。ボッビオの初代司教は、サン・コロンバーノ修道院長が兼務しましたが、初代司教が没すると、二代目司教は、1017年、修道院と司教座教会の分離を行うために新たに司教座教会の建設を決めました。
そうして、1070年に創建され、1075年にロマネスク様式のサンタ・マリア・アッスンタ司教座教会が完成しました。1075年に奉献式が執り行われました。


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14世紀から15世紀に増築され、現在の規模になりましたが、それまでは1075年当時のロマネスク様式の建物が維持されました。


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二本の鐘楼に挟まれたファサードは1463年に完成しました。完成時はゴシック様式のファサードでしたが、18世紀に行われた改造によって現在のファサードの姿になりました。


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ファサードに向かって左側の鐘楼です。
左右の鐘楼は1532年に完成しました。左側の鐘楼は途中修復されたものの、完成時の姿を保っていると言われてます。


P1490331
ファサードに向かって右側の鐘楼は時計塔になってます。
右側の鐘楼は、17世紀にコムーネの所有となり、コムーネの方針によって上部を破壊して高さを低くするとともに時計を付ける改造を受け、時計塔兼鐘楼となりました。


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後陣


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修道院と司教座教会の分離はやはり管理が異なるから行われたと思います。


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ファサードに向かって右側に司教館があります。司教館に大聖堂付属美術館がありますが、日曜だけの開館なので入館するのが結構大変です。この日は平日だったので休館です。


P1490332
聖堂内に入ります。


P1490337
中に入りました。


P1490339
三廊式、ラテン十字形、ロマネスク様式の内部です。


P1490338
1905年に行われた内装塗り直しの影響でしょうか、新しい印象を受けます。


P1490340
リブ付きのクロス・ヴォールト


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壁の多くがフレスコ画で覆われてます。


P1490342
1750年に遡る主祭壇とPresbiterio


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後陣のフレスコ画は、ロンバルディアの画家フランチェスコ・ポッロ(18世紀前半活動)によって1723年に制作されました。


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後陣のフレスコ画のテーマは「聖母被昇天」です。


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Presbiterioの聖歌隊席(17世紀)


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磔刑像(16世紀)


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フランチェスコ・ポッロ(ロンバルディア、18世紀前半活動)の「聖母被昇天」(1723)


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フランチェスコ・ポッロ(ロンバルディア、18世紀前半活動)の「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」(1723)


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2012年に作り直されたオルガン


P1490360
主祭壇前から見た出入口方向


P1490361


P1490363
次はクリプタです。


P1490364
クリプタに下りました。


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15世紀に造られたクリプタです。


P1490366
1600年以降の代々のボッビオ司教の墓があります。


P1490369
詳細不知


P1490370
クリプタの祭壇下にボッビオ司教の聖アントニオ・マリア・ジャネッリの遺体が安置されてます。


P1490371
ボッビオの代々の司教のうち、唯一列聖されたのが、聖アントニオ・マリア・ジャネッリ(カルロ、1789‐ピアチェンツァ、1846 ボッビオ司教在位:1837‐1846)
1951年、第260代教皇ピオ12世(教皇在位:1939‐1958)によって列聖されました。


P1490373
クリプタに安置されているボッビオ司教たちの墓
(つづく)

P1480939
ボッビオの城壁外Corgnate地区にあるBasilica e Santuario della Madonna dell' Aiutoです。1970年、Basilica Minoreに格付けされました。


P1480862
サン・フランチェスコ修道院教会の敷地だった場所に15世紀に建設されたロンバルド・後期ゴシック様式のマリアの受胎告知教会 Chiesa dell' Annunciazione di Mariaがありました。その教会が聖堂聖域の前身の一部です。


P1480868
現在の聖域聖堂の後陣と鐘楼は、マリアの受胎告知教会のものです。


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伝説に拠れば、14世紀後半、修道院(恐らくサン・フランチェスコ修道院教会)の敷地に隣接してブドウ園がありましたが、ブドウ園の所有者が修道院との境にあった隔壁を高くすることにしました。その際、高くした隔壁に壁龕を設け、壁龕に聖母子のフレスコ画を描かせました。
1472年、壁龕に描かれた聖母の顔が急に崇高さを増す奇跡が起こり、壁龕の聖母子は人々の信仰を集めました。近隣の人々やサン・コロンバーノ修道院の巡礼者の巡礼地となりました。やがて、壁龕のフレスコ画を保存するために壁龕の礼拝堂が建設されました。


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17世紀になると、「壁龕」礼拝堂をマリアの受胎告知教会に組み入れて聖域を造ることが決められ、1621年に建設工事が着工され、1836年に完成しましたが、奉献を境に名称がマドンナ・デッライウ―ト聖堂を改称されました。


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ファサード下に柱廊が設けられてます。


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ファサード下の柱廊です。


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聖堂内に入りました。


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単廊式ですが、半地下の壁龕の聖母礼拝堂があります。


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観光客には殆ど知られていないので、見かけるのは地元の人だけです。


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身廊天井にフレスコ画がありますが、暗くてよく見えませんでした。


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主祭壇
後陣はマリアの受胎告知教会のものです。


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後陣のフレスコ画


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15世紀に描かれたフレスコ画が後陣にありましたが、落剝してしまったので19世紀に描き直されたフレスコ画です。


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制作者不知


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後陣左壁のフレスコ画です。
制作者不知の「奇跡の聖母のタベルナコロを礼拝する人々」(20世紀)


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後陣右壁のフレスコ画です。
制作者不知の「奇跡の聖母のタベルナコロの礼拝堂建設を決める修道院長」(20世紀)


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ロレートの聖母礼拝堂


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右側壁の礼拝堂


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サルヴァトーレ・ポッツィ(またはポッツォ)(プーリア、1595‐1681)の「ボッビオを守護する奇跡の聖母と聖人たち」(17世紀)


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半地下に進みます。


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奇跡の聖母礼拝堂


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伝説の「奇跡の聖母」のフレスコ画が祭壇に収められてます。


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「奇跡の聖母」(1472)
私にはオリジナルのフレスコ画に見えなかったのですが・・・・・


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奇跡の聖母礼拝堂天井


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窓はだまし絵です。


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内陣に戻りました。詳細不知の「聖ジュゼッペ」


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制作者不知の「奇跡の聖母」(19世紀)


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制作者不知の「ご訪問」(17世紀)


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サルヴァトーレ・ポッツィ(またはポッツォ)(プーリア、1595‐1681)の「聖ジュゼッペの死」(17世紀)


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画面が光るので、少し角度を変えて撮ってみました。


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外に出ました。


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道を挟んで、聖域聖堂向かいの建物の壁にある「聖母子像」が必見です。


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これです。奇跡の聖母を模した浮彫でしょうね。


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Via Corgnateの先に行っても何もなさそうです。


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サン・フランチェスコ広場を経由してドゥオーモに向かいます。


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(つづく)

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村の中心に戻ります。


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サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂の鐘楼が目立ちます。


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この光景を見ると、川が山を侵食してできた広い河原に築かれた村がボッビオと思えます。


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山肌が露出している部分がかなり多い。


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写真右端がカステッロです。


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写真右の道路を歩いてます。


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写真左はサン・フランチェスコ修道院教会です。写真右はマドンナ・デッライウ―ト聖域聖堂です。


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紅葉してますが、この日は10月16日でした。


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橋の前の食堂に来ました。


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橋を渡ります。


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イタリア人はこれが好きですね。


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橋の形状を中心に見て歩きます。


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振り返って撮りました。


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ドゥオーモの後陣


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ドゥオーモの下の道を進みます。


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サン・フランチェスコ広場に向かいます。


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サン・フランチェスコ修道院教会です。


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Via dei Ponte Vecchio


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Via dei Ponte Vecchioから見たヴェッキオ橋


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ピアチェンツァ方向に進むSS45です。


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サン・フランチェスコ広場に戻りました。


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この日のお宿です。


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自室に戻り、トイレ休憩しました。


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再び外に出ました。サン・フランチェスコ修道院教会のファサードが見えてます。


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次はマドンナ・デッライウート聖域です。


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Via Corgnateに面して建っている教会がマドンナ・デッライウート聖域聖堂です。
(つづく)

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トレッビア川に架かるゴッボ橋 Ponte Gobbo、別名ヴェッキオ橋 Ponte Vecchio、悪魔橋 Ponte del Diavoloです。
gobboとは、湾曲した、起伏のある、隆起のあるという意味で橋の形状に由来してます。
ローマ時代に架けられた橋が前身なので、ヴェッキオ橋(古い橋)と呼ばれてます。
中世の頃、橋を架けることが難しく、伝説を生みましたが、伝説の一つが悪魔によって架橋されたというものでした。


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橋の下を流れるトレッビア川です。


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トレッビア川は、リグーリア州、エミリア₌ロマーニャ州を流れる、ポー川の左岸支流です。


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橋を渡って対岸のボルゴ・デル・トレッビアに向かいます。


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長さ273m、11の等距離でないアーチがあり、しかもアーチ状の橋部分の高さが異なります。


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グループツアーのご一行様が通り過ぎて行きました。


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この場所が橋が初めて架けられたのは、ローマ時代ですが、ローマ時代の具体的な世紀は分からないようです。


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7世紀に、サン・コロンバーノ修道院の修道士によって、ローマ時代に築かれた橋の基礎の上に橋が再建されました。
橋は、巡礼者や修道院の宗教的な行進に使用されました。
両岸の橋端に奉納の像が置かれてます。


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聖母子


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聖コロンバーノ


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対岸に渡り切りました。


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上流の橋桁が見える所まで移動します。


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トレッビア川は元々急流なので、普通の状態でも川床の激しい浸食があることに加え、暴れ川の異名の通り洪水が繰り返されたので、橋の砂利床が移動したり、橋が流されたり変形を受けるなど壊滅的な被害と再建を何度も繰り返しました。


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明確な記録が残されている15世紀以降に限ってみても、15世紀から現代まで11回の橋の流失、崩落、再建を繰り返したことが分かってます。


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現在の橋は、1971年の大洪水によって壊滅的な被害を受け、その後に再建、修復されたものです。


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レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」の背景に、この橋が描かれているとの説があります。


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ボッビオのドゥオーモ


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グループツアーのご一行様が帰路についたようです。


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ボルゴ・デル・トレッビアは見所が殆どありません。


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下流の方に向かいます。


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橋の下は進めないようです。


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ここを上って道に出た方が良さそうです。


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橋の正面にお店があります。


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店の前のBorgo del Trebbiaを進んで下流方向に行きます。


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店の前から見た橋と村の中心部


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道を進みます。


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下流の方に来ました。


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道路からは、橋がうまく写りません。


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Basilica e Santuario della Madonna dell' Aiuto


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カステッロ


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村の中心街に戻ることにしました。


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(つづく)

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カステッロからトレッビア川の方に向かいます。


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写真正面の家の前に城壁がありましたが、破壊されました。


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城壁内に戻りました。


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放棄された水車があります。


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水車があったので、この道の下に小川が流れていて暗渠になっているのでしょうか?


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水車があるからには、それなりの流れの川が流れていた筈です。川は写真手前から道の先に流れている?


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村歩きをしているうちに、4つの廃棄された水車を確認できました。


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ヨーロッパの水車の殆どは粉挽き用だそうですが、ボッビオの水車は何用?


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村役場経由でトレッビア川に向かいます。


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柱廊のがっしりした柱に目が行きます。


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柱廊の天井が木製でした。


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再び城壁の外に出ました。と言っても、城壁は19世紀に取り壊され、この辺では残っていません。


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壁龕に聖母子像があるのを発見しました。


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これです。


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写真左の道を、写真手前方向に進みます。


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見所がそれなりにあるので、1泊しても退屈することはないと思います。


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この家並みの前に細い道があって、道の、家並みの反対側に城壁があったそうです。城壁を取り壊して広い道路が出来ました。


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再び城壁内に入りました。


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ワイン醸造所です。


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今もワイン生産しているのか、不明です。


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突き当りを左折すれば村役場があります。


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村役場です。


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サンタ・キアーラ広場に面して建つ村役場です。


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村役場に入ってみました。


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興味を引くようなものが無さそうです。


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ボッビオの紋章です。


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独立1000年の記念板


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サンタ・キアーラ広場からトレッビア川に向かいます。


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紅葉した蔦が絡まる民家


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落葉が進んでます。


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緩い下り坂の道


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古そうな建物ですが、特に名前が付けられていないようです。


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広い道に出ました。城壁を取り壊して作られた道?


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Strada del Fossato


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ここにも水車がありました。


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使用されなくなって、かなり経つ水車と思います。


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水車近くのアーチも補修されていないようで、少し危険と思いました。


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共同の洗い場です。


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水車、共同洗い場があることから、道路の下は川が流れているのかも知れません。


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通りの突き当りが川の堤防になります。


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写真左は城壁兼堤防です。


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サン・フランチェスコ修道院教会が見えてきました。


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SS45の横断歩道を渡ります。


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トレッビア川に架かるPonte Vecchioです。


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橋から振り返るとドゥオーモが見えます。
(つづく)

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一時、城壁外に出ました。


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丘の後方にトレッビア川が流れてます。


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写真左にカステッロがあります。


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案内板があります。


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カステッロ Castello Malaspina- Dal Vermeです。


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カステッロの入り口です。


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入り口前の地面に栗が沢山。


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614年に建設されたサン・コロンバーノ修道院と共に発展したボッビオですが、修道院がベネデット会の所有となった9世紀頃から城壁が築かれるようになりました。


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13世紀に本格的に城塞が建設されるようになり、村は要塞化されるようになりました。


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村の小高い丘にカステッロが建設されました。1219年の文書に、カステッロが建っている現在地にBraida de Castelloの存在が記載されてますが、それが前身とされてます。


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1304年から1341年まで、ボッビオはマラスピーネ家の支配下に置かれましたが、14世紀前半、ボッビオのシニョーリアのコッラディーノ・マラスピーナによって城の建設が開始されました。


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1341年から1436年まで、ボッビオはヴィスコンティ家の支配となりましたが、ヴィスコンティ家によって城は拡大されました。


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1436年から1743年まで、ボッビオはヴェローナ出身のダル・ヴェルメ家の支配下となりました。城はダル・ヴェルメ家の邸宅として整備拡充されて、1545年に完成しました。
城の名称は、創建したマラスピーナ家と完成させたダル・ヴェルメ家に因んで、Castello Malaspina- Dal Vermeと呼ばれてます。


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現在は、カステッロは国立博物館として一般公開されており、「パルマ・ピアチェンツァ公国の城」協会に運営管理が委託されてます。


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城の中に入ります。


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中の展示物がなく、殆どの部屋が閉まっていて、博物館として未整備のように思いました。


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切符売り場(この時は入館無料でしたが、無料券をもらってガイドと一緒に回るようになっていました)


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城内は見所が乏しく、期待外れで外に出ました。無料だったので贅沢は言えません。カステッロは人気がないようで、初めから最後まで私一人でした。


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城の庭に入ります。


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庭から村の全景が見えます。


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監視塔


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城壁の上から村の全景を見ます。


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鐘楼の向こう、山肌の下にトレッビア川の流れが見えます。


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サン・コロンバーノ修道院


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ドゥオーモ


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トレッビア川が写ってます。


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中秋の山


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これから博物館として整備されるのでしょう。


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カステッロ前の広場


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全部見たようです。


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階段を下りて扉の外に出ます。


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私が立ち去ると、係員が暇そうに外に出てきました。


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写真左はカステッロの城壁です。


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(つづく)

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サン・ロレンツォ教会です。グループツアーのご一行様は既に立ち去って、教会の中には誰もいませんでした。


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ファサードは12世紀のオリジナルに近いとされてます。


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12世紀のオリジナルの鐘楼は1779年に現在の姿に改造されました。


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ナポレオンの抑圧令によって、1803年に世俗同信会は解散させられ、教会は閉鎖となりました。1822年に教会の活動が再開されました。


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教会に隣接した建物は旧修道院で、現在は住居に転用されてます。


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中に入りました。


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単廊式、バロック様式の内部です。


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20世紀後半に再塗装されました。


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ロマネスク様式のファサードを見てから、この内部を見ると感じが全く異なり、少し戸惑います。


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主祭壇


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閉鎖となったサン・フランチェスコ修道院の教会から移設された磔刑像(17世紀)


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詳細不知


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後陣の木製聖歌隊席はサン・フランチェスコ修道院の教会から移設されたものです。


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主祭壇画の「聖ロレンツォの殉教」(制作者情報等詳細不知)


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詳細不知の「聖母子」


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制作者情報等詳細不知の「天上の聖家族と二聖人」


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制作者情報等詳細不知の「聖トンマーゾの不信」


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制作者情報等詳細不知の「天上の幼きキリストと二聖人」


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1144年の文書に、教会の初記録が記載されていますが、創建の年は不明のようです。
13世紀後半、バットゥーティと呼ばれるConfraternita di Laici(世俗同信会)の所有となり、隣接するサン・コロンバーノ修道院の修道士に依存する関係でした。


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経時劣化のため建物が危険になったので、活動が停止されました。1694年、ベネデット会修道士によって危険部分が取り壊され、一部が再建されると共に拡張されました。


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何となく納得できないサン・ロレンツォ教会でした。


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次はカステッロです。


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緩い上り坂の細い道を通ります。


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カステッロは、城壁内の小高い場所にあります。


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マッツィーニ通りを進みます。


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午後3時前なので、人出がなく、非常に静かです。


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この道の建物は17世紀に建設されたものが殆どです。


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風情のある建物です。


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写真左の道に進まず、写真手前を左折します。


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狭い城壁内の村外れに出ます。


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ここから柱廊が続きます。


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カステッロは写真右上辺りにあります。


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ポルティコが終わると城壁が現れます。


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防御力が感じない低い城壁です。


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最初の城壁は9‐10世紀に建設されましたが、修道院の村なので防御をあまり考えていないようです。


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漸く人を見かけました。


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城壁外に出ます。


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(つづく)

ボッビオ Bobbioは、人口3,544人(2019年11月30日現在)のエミリア・ロマーニャ州ピアチェンツァ県にあるコムーネで、「イタリアの最も美しい村」にリストアップされてます。
614年に建設されたサン・コロンバーノ修道院と共に発展し、1014年に独立しました。
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前泊地はイーモラでした。
写真は、カテリーナ・スフォルツァで名高いイーモラのスフォルツェスカ要塞です。


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イーモラ駅から鉄道でピアチェンツァ駅に向かいました。


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車内は、ボローニャに向かう時とボローニャを離れた時を除いて、大体空いてました。


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ピアチェンツァ駅に定時に到着しました。


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公共交通機関を使ってボッビオに向かうには、ピアチェンツァ駅からボッビオ行きバスで行くのが普通です。


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ピアチェンツァのバスターミナルは、ファルネーゼ宮殿前の広場にありますが、近郊の市町村に向かうバスの殆どは駅前の停留所を経由します。


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ボッビオ行きのバスに乗車しました。


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乗車1時間ほどでボッビオのサン・フランチェスコ広場に到着しました。


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サン・フランチェスコ広場に面した、この日のお宿に向かいました。日帰り観光客が殆どのボッビオですが、日帰りでは味気ないので主義として泊まることにしています。


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この日のお宿です。ボッビオの宿泊設備の選択肢は少ないのです。


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広場の名称の由来は、広場に面してサン・フランチェスコ教会修道院があるからです。活動を停止した旧教会修道院です。


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チェックインを済ませて外に出ました。


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レストランが主で、ホテル業は従といった感じでした。折から昼食時とあって、レストランは満員でした。
小さな村に泊まるときは、夕食に苦労した経験があるので(夜はやっていない店が殆ど)、レストラン併設のホテルを狙い目にしています。


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レストランが満員だったので、夕食の予約をしておきました。


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観光客がチラホラ。しかし、夕方になると観光客を滅多に見なくなります。


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Contrada di Porta Nuovaをドゥオーモ方向に進みます。


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独立した1014年から1000年以上の歴史を持つことを誇りにしているコムーネです。


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通りの突き当りがドゥオーモ広場になります。


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お腹が空いたので、軽く何か食べなくては。


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ドゥオーモ広場に行けば、この時間からでも食べられる店があるとの読みです。


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ドゥオーモ広場です。


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この時間は閉まっているドゥオーモです。


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この店で食べました。


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ボッビオはロマネスク様式の建物などが溢れてます。長い間、ロマネスク様式の建造物が大好きでしたが、近頃はその稚拙さが気になり、完成度が高くなる後世のゴシック様式、ルネサンス様式、バロック様式の建造物に惹かれるようになりました。


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Palazzo Vescovile


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Palazzo VescovileにMuseo Diocesanoがありますが、10月の平日のこの日は休館でした。


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ドゥオーモ広場からサン・コロンバーノ修道院の方に向かいます。徒歩で数分の距離です。


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先ほど、通ってきたポルタ・ヌオーヴァ通りです。


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サン・コロンバーノ修道院です。


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Piazza Santa Fara


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写真左の建物はPalazzo Baroneです。


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Piazza Santa Faraは駐車場になっていますが、1台しか駐車していなかった。


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この季節は、やはり観光客が少ないのです。


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この時間、空いているのはサン・ロレンツォ教会だけです。写っている鐘楼はサン・ロレンツォ教会のものです。


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サン・コロンバーノ修道院の鐘楼です。


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Via San Lorenzo


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サン・ロレンツォ教会の扉が開いていました。中に入ったら、観光客のグループツアーのご一行様で一杯でした。開いているのは、ここくらいなものなので、集中したようです。
ツアーのご一行様が立ち去るまで、近くを適当に歩きます。


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この付近は、新旧の建物が混在しています。


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イタリアから芸術作品を盗んでフランスに持ち去ったナポレオンが大嫌いですが、唯一評価できるのは修道院教会の抑圧令です。不労所得者の最たる者が宗教専従者ですから、それが多くては社会が疲弊してしまいます。


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そろそろ教会に戻っても大丈夫?


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(つづく)

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次はサンタ・マリア・デイ・セルヴィ聖堂です。


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道を挟んでセルヴィ・ディ・マリア広場の向かいにある、1638年に建設されたPalazzo Davia Bargelliniです。Museo Davia Bargelliniがあります。


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セルヴィ・ディ・マリア広場に入りました。


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サルヴィ・ディ・マリア広場に面してサンタ・マリア・デイ・セルヴィ聖堂が建ってます。
政治家で裕福な銀行家でボローニャのシニョーレであるタッデオ・ぺポリ(ボローニャ、1285/1290-1347)の莫大な寄付によって、1345年に創建された後、建築家アントニオ・ディ・ヴィチェンツァ(ボローニャ、1350-1401/1402)が起用され、工事が進みましたが、1383年に工事が中断してしまいました。
1386年、建築家アンドレア・ダ・ファエンツァ(ファエンツァ、1319-ボローニャ、1396)が新たに起用され、工事が再開されました。14世紀末にゴシック様式の建物が一応の完成を見ました。


P1010358
ぺポリ家を始めとしてボローニャの裕福な名家の寄付が続き、何度か改造、改装されました。


1035
1453年に建設された鐘楼です。


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聖堂を囲んだ柱廊が特徴です。
ポルティコは、1392年から建設が始まり、1492年、1515年から1521年にかけて、17世紀に拡大整備されました。


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聖堂のポルティコは後陣まで続いてます。


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聖堂の左側壁側のポルティコ・ルネッタにフレスコ画があります。


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15世紀のエミリアの画家によって描かれたフレスコ画は非常に保存状態が悪いのですが、これが最も良い方です。


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保存状態が良いフレスコ画の一部が剥離されて、保全されてます。


P1010357
1628年、ポルティコ全体の復元、修復工事が行われました。現在のポルティコは、その工事後のものです。


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旧修道院部分は警察の建物に転用されてます。


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拝観します。


1036
三廊式、ゴシック様式の内部です。


1037
美術的な見所が豊富です。


1038
ジョヴァンニ・バッティスタ・ボロニョーニ・セニオーレ(ボローニャ、1611-1668)の「磔刑像」


1039
リッポ・ディ・ダルマシオ(ボローニャ、1355c-1410)の「聖母子と聖人たちのポリッティコ」


1040


1041
チマブーエ(フィレンツェ、1240c-ピサ、1302)の「マエスタ」


1042


1043
リッポ・ディ・ダルマシオ(ボローニャ、1355c-1410)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」


1044
リッポ・ディ・ダルマシオ(ボローニャ、1355c-1410)の「聖母子と聖コズマと聖ダミアーノ」


1045
ジョヴァンニ・ダ・モデナ(モデナ、1379?-1455?)の「聖母子」


1046
ヴィンチェンツォ・オノフリ(ボローニャ、1493-1524消息)の「聖エウスタキオの祭壇」(1503)


1047
聖母子と聖ロレンツォと聖エウスタキオ


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非常に面白かったサンタ・マリア・デイ・セルヴィ聖堂でした。


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広場の八百屋を覗きました。


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Torresotto di Via San Vitaleです。
12世紀後半に築かれたボローニャ第2の城壁に設けられた塔です。


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市立劇場です。


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ルネッタのフレスコ画を見なくては!


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べンティヴォーリオ家の厩舎だった建物です。


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ジョヴァン・フランチェスコ・スピーニ(ボローニャ、17世紀後半活動)の「ピエタ」(1698)


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どうしても同じ場所に来てしまいます。


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サン・ジャコモ・マッジョーレ広場です。


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とうとう雨が降ってきました。


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暫し雨宿り


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キリがないので、この辺にしましょう。


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(おわり)

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ガルヴァーニ広場です。


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次はサン・ドメニコ聖堂です。


P1010305
サン・ドメニコ広場です。数点の見所がある広場です。広場に建っている建物がサン・ドメニコ聖堂と修道院です。


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1228年創建、1240年完成のロマネスク様式の教会です。ファサードは1240年に建設されました。


P1010307
1728年から1732年にかけて大掛かりな改修改造工事が行われました。外観、聖堂内部の多くはこの工事後の姿となってます。


1011
1884年、第256代教皇レオーネ13世(1810‐1903 在位:1878‐1903)によってBasilica Minoreに格付けされました。


1034
ファサードの入り口扉上ルネッタのモザイクは、ルチア・カサリーニ・トレッリ(ボローニャ、1677‐1762)の「聖ドメニコ」(オリジナルはフレスコ画)のコピーです。


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聖堂の左は修道院の建物です。


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修道院のキオストロに出ます。


1012
修道院のキオストロ回廊です。


1013
修道院は現在も活動をしています。修道院回廊の床に墓があったと思われますが、墓が見当たらず綺麗な床になってます。


1014
回廊から見たクーポラ


1015
回廊から見た鐘楼


1016
回廊の壁にあるフレスコ画


1017
回廊に置かれた法学者マッテオ・ガンドーニの墓(1330)
サン・ドメニコ広場に戻ります。


P1010310
中世の法学者ロランディーノ・デ・パッサジェリ(ボローニャ、1215c‐1300)の墓(1291)
この墓の右後方にも墓があります。


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医者のエジディオ・フォスケラーリの墓(1291)


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広場に立つ聖ドメニコ像(1627)


P1010315
広場に立つロザリオの聖母像(1632)


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ペストの流行が収まったことを聖母に感謝するために造られたもので、グイド・レーニのデザインと言われてます。


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聖堂内に入りました。


1018
ぺポリ礼拝堂です。


1019
ぺポリ礼拝堂の祭壇画は、デニス・カルヴァート(アントウェルペン、1540‐ボローニャ、1619)の「受胎告知」


1020
ぺポリ礼拝堂のフレスコ画は、プロスペロ・フォンターナ(ボローニャ、1512‐1597)によって1551年に制作されました。


1021
ジュンタ・ピサーノ(ピサ、1190/1200c-1260c)の「彩色磔刑像」


1022
これは有名な祭壇画です。


1023
フィリッピーノ・リッピ(プラート、1457-フィレンツェ、1504)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」(1501)


1024
Cappella del Rosario


1025
ロザリオの聖母の祭壇


1026
ロザリオ礼拝堂にある、グイド・レーニ(ボローニャ、1575-1642)の墓


1027
Cappella dell' Arca


1028
Cappella dell' Arcaのクーポラ


1029
Cappella dell' Arcaのフレスコ画は、グイド・レーニ(ボローニャ、1575-1642)の「聖ドメニコの栄光」(1613-16)


1030
主祭壇と後陣


1031
主祭壇画は、バルトロメオ・チェージ(ボローニャ、1556-1629)の「マギの礼拝」


1032
グエルチーノ(チェント、1591-ボローニャ、1666)の「聖トンマーゾ」(1662)


1033
制作者情報不知のフレスコ画「アクイーノの聖トンマーゾと聖ベネデット」
外に出ました。


P1010317
歴史的建造物です。


P1010318
16世紀に建設されたCasa Beroです。


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ロココ調の天井フレスコ画が見物です。


P1010316
(つづく)

P1010280
Piazza del Nuttunoです。曇ってますが、午後から晴れました。


P1010276
ジャンボローニャの「ネプチューンの噴水」は健在でした。


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Palazzo dei Banchiです。


P1010270
リッツォ―リ通りとインディペンデンツァ通りの交差点付近は何時も人通りが多い。


P1010269
Biblioteca SalaborsaとなっているPalazzo d' Accursioです。
建物の名称の由来は、法学者のAccorso da Bagnolo detto Accursio(インプルネータ、1184‐ボローニャ、1263)がこの場所の一角に自己の邸宅を建設したからです。市庁舎を建設するために、13世紀末にAccursio家からボローニャ市が購入し、邸宅を組み込みながら、増築拡大して現在の規模になりました。


P1010271
Piazza del Nuttunoを挟んで、Palazzo d' Accursioの向かいにあるPalazzo di Re Enzo エンツォ宮です。


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政治家でグエルファ党の指導者のフィリッポ・ウゴーニ(ブレーシャ、?‐ボローニャ、13世紀没)がポデスタ宮の延長として、1244年から1246年に建設したゴシック様式の建物です。


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マッジョーレ広場に面した方がポデスタ宮となります。


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エンリコ王宮の名称の由来は、建設者であるフィリッポ・ウゴーニとは無関係です。
シュヴァーベンのフェデリーコ2世(イエージ、1194‐フィオレンティーノ・ディ・プーリア、1250)の息子でサルデーニャ王のシュヴァーベンのエンツォ(クレモナ、1220‐ボローニャ、1272)に由来します。
1249年、シュヴァーベンのエンツォは、モデナ近くのフォッサルタでボローニャと戦った「フォッサルタの戦い」で戦い、敗れて捕らわれの身となりました。
エンツォは、戦後暫くしてからボローニャに移送され、1249年から、1272年に死ぬまでの23年間、この建物の一角に囚人として過ごしたのです。そのため、この建物は何時しかエンツォ宮と呼ばれるようになったのです。


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エンツォ王は、ボローニャのサン・ドメニコ聖堂に葬られました。


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1200年頃に建設されたPalazzo del Podestaです。


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元来、ロマネスク様式の建物でしたが、15世紀末にルネサンス様式に改修されました。現在の姿は、その改修後のものです。


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現在、Palazzo del Podestaは、展示会やイベント会場として利用されてます。


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これらの写真の大半は2012年の撮影です。


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サン・ペトロニオ聖堂のファサードが工事中でした。


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拝観しました。


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旧ボローニャ大学に行きます。


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旧ボローニャ大学は(その9)で書きました。


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小学生の校外学習と一緒でした。この頃から、ニーハオと挨拶されるようになりました。


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図書館になってます。


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図書館が多い方の街でしょう。


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サン・ペトロニオ聖堂の後陣です。


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次はサン・ニコロ・デリ・アルバーリ教会です。


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サン・ニコロ・デリ・アルバーリ教会にやってきました。


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1583年の文書に初めて記載された教会です。現在の建物は17世紀後半に再建された二代目となるものです。


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教会の右横が民有の建物になってます。


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ファサードの「バーリの聖二コラの浮彫」


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単廊式の内部です。


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詳細不知の「磔刑」


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ジュゼッペ・マリア・クレスピ(ボローニャ、1665‐1747)の「聖アントニオの誘惑」(1690c)


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詳細不知


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出来があまり良くないグイド・レーニ作「聖ミケーレ」の複製画でしょう。


P1010262
詳細不知


P1010265
Torre Azzoguidiです。


P1010267
アッツォグイディ家邸宅の塔として、12世紀後半に建設されました。ボローニャに20残る塔のうち、2番目に高い塔で、高さが61mあります。


729
写真右がボローニャの現存する塔の中で最も高い塔です。


727
地震が多いイタリアですが、意外にも塔が残っているのは何故でしょうか?


731
(つづく)

P1010227
この時は、飛行機でボローニャに入りました。空港から中央駅まで、バスで約25分ほどなので便利です。


P1010228
この建物が何なのか、未だに分かりませんが、ボローニャに来れば必ず写真を撮ってます。


P1010229
Via dell' Indipendenzaのポルティコです。ポルティコの写真だけでは、何処なのか分かりません。


P1010230
Via dell' Indipendenzaに面して立つ、アルナルド・ゾッキ(フィレンツェ、1862‐ローマ、1940)の「ジュゼッペ・ガリバルディのモニュメント」(1900)


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左折してVia del Falegnamiに入りました。


P1010232
サン・マルティーノ・マッジョーレ聖堂を目指しました。


P1010233
サン・マルティーノ・マッジョーレ聖堂です。
1227年に創建されたゴシック様式の建物ですが、15世紀から16世紀に修復改造されました。


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1293年、カルメル会修道士に引き渡され、同会の所有の教会となりました。


P1010236
現在のファサードは、1879年に再建されたものなので、他の部分とやや調和を欠いて新しく見えます。


P1010253
鐘楼は18世紀に再建されたものです。
1941年、教皇ピオ12世によってBasilica Minoreに格付けされました。


P1010235
中央扉上ルネッタのモザイクは19世紀のものです。


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サイドポータルの浮彫が有名です。


1000
フランチェスコ・マンツィーニの「聖マルティーノ」(1531)


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聖堂内に入りました。三廊式、ラテン十字形、ゴシック様式の内部です。


P1010238
この礼拝堂は必見です。


1001
フランチェスコ・フランチャ(ボローニャ、1447‐1517)の「聖母子と聖人たち」
祭壇前飾りの「嘆き」はアミーコ・アスペルティーニの作品です。


1005
アミーコ・アスペルティーニ(ボローニャ、1474c‐1552)の「嘆き(十字架降下)」


P1010239
16世紀後半のトスカーナとエミリアで活動した逸名画家作「聖母子と聖アンナと巡礼者」(1590c)


P1010240
ルドヴィーコ・カッラッチ(ボローニャ、1555‐1619)の「聖ジローラモ」(1591)


1002
ロドヴィーコ・カッラッチとも呼ばれているようです。


P1010241
ロレンツォ・コスタ(フェッラーラ、1460‐マントヴァ、1535)の「聖母被昇天」(1506)


1003
この聖堂は傑作が揃ってます。


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主祭壇


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主祭壇画は、ジローラモ・シチオランテ・ダ・セルモネータ(セルモネータ、1521‐ローマ、1580)の「聖母子と聖人たち」(1548)


1004
主祭壇画


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シモーネ・デイ・クローチフィッシ(ボローニャ、1330c‐1399)の「ウミルタの聖母」


1007


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オルガン


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アルフォンゾ・トッレッジャンニの礼拝堂(1753)


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アミーコ・アスペルティーニ(ボローニャ、1474c‐1552)の「聖母子と聖人たち」(1510‐15)


1008


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詳細不知の「聖アンナと聖ジョアッキーノの邂逅」


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リッポ・ディ・ダルマシオ(ボローニャ、1352c‐1410c)の「聖母子」


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ドメニコ・リッツィ通称イル・ブルファフォルチの「天使たち」(16世紀)


1009
ドメニコ・リッツィについては殆ど知りません。


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急に明かりが消されてしまいました。


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ジローラモ・ダ・カルピ(フェッラーラ、1501‐1556)の「マギの礼拝」


1010
グエルチーノの作品が見つかりません。
外に出ることにしました。


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市庁舎です。


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市の美術コレクションとモランディ美術館に入館します。


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馬車で上れるようになっていた階段です。


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市の美術コレクションは紹介済みです。


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モランディ美術館の紹介は省略させて頂きます。


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(つづく)

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次に目指したのは市立劇場です。


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この日の夜に上演されるオペラをネットで予約したので、切符を受け取りに。ネットで予約すると、pdfの切符が送信されてくる場合もありますが、イタリアでは旧態依然の所が結構あります。


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サン・シジスモンド教会です。一度も拝観したことがありません。


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ザンボーニ通りに戻りました。


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ジュゼッペ・ヴェルディ広場


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市立劇場です。


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この日の演目は吉田裕史氏指揮の「フィガロの結婚」でした。吉田さんは、イタリアで非常に活躍している指揮者で、ボローニャ歌劇場オーケストラの芸術監督を務めています。


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サンタ・チェチリア祈祷所を拝観しました。


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写真右は、16世紀中頃に建設されたPalazzo Malvezzi Campeggiで、ボローニャ大学の学舎として使用されてます。


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サン・ジャコモ・マッジョーレ聖堂です。


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旧修道院の建物です。キオストロには入らず。


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拝観しました。


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ルネッタ上のフレスコ画が更に劣化して、何が描かれているのか、全く分かりません。


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Piazetta Achille Ardigoです。ユダヤ人のゲットーがあった場所です。サン・ドナート教区教会はこの日も閉まってました。


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斜塔に来た訳ではありませんが、街の中心にある上に目立つので、写真を撮ってしまいました。


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サンティ・バルトロメオ・エ・ガエターノ聖堂


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斜塔の修復工事は殆どが終わっていましたが、一部継続されていました。


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ガブリエーレ・ブルネッリ(ボローニャ、1615‐1682)の「聖ペトロニオ像」(1682)


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塔に上るつもりがなかったので、上れるようになったのかは未確認です。


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リッツォ―リ通りの道路工事は完了して綺麗になっていました。


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次はマッジョーレ広場です。


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Via Orefici


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夏恒例の野外映画の準備は未だでした。


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市庁舎の時計が故障のようです。


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もう夕方ですが、午後2時10分ころを表示していました。


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サン・ペトロニオ聖堂の修復工事が完全に終わっていました。


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この時は拝観せず。


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市庁舎の修復工事も完了してました。


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ポデスタ館の工事も終わっていました。


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工事が終了して、落ち着きを取り戻したマッジョーレ広場でした。


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Palazzo dei Banchi


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Palazzo dei Notai


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時計が動いていません。


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鐘楼が見えるようになりました。


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あっりゃ! これは何ですか。


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修復工事はネプチューンの噴水に移りました。


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大掛かりな工事です。


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近くをうろつきます。


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イタリア人に人気のオブジェですが、私の趣味から外れます。


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ホテルに戻ります。


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国立絵画館に行けば、ボローニャの旅はほぼ終わったようなものです。


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立派な図書館です。


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エンツォ宮


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Via dell' Indipendenza


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ドゥオーモの修復工事も終わりました。


P2210960
(つづく)

P1800508
夕方になって再び晴れてきました。


P1800510
ドゥオーモは修復中でした。


P1800511
Via dell' Indipendenzaは、歩行者天国状態になっていました。


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Via dell' Indipendenzaに面して立つ、アルナルド・ゾッキ(フィレンツェ、1862‐ローマ、1940)の「ジュゼッペ・ガルバルディのモニュメント」(1900)


P1800514
この日はこれで終わりです。


P2200807
前の写真のほぼ1年後の6月1日です。


P2200808
Via dell' Indipendenzaは修復が終わって、綺麗に整っていました。


P2200809
何時ものように先ず国立絵画館に向かいました。


P2200810
ボローニャに来た最大の目的である国立絵画館にやってきました。


P2200811
入館するたびに、展示されている作品が微妙に変わってます。


P2200820
入館しました。
ボローニャ国立絵画館については既に取り上げました。ご興味のある方は、ご参照願います。


P2200870
シモーネ・デイ・クローチフィッシの作品


P2200927
ジョヴァンニ・ダ・ボローニャの作品


P2200970
ジョットの作品


P2200974
ロレンツォ・モナコの作品


P2210067
ミケーレ・ディ・マッテオ・ダ・ボローニャの作品


P2210180
質の高い作品が多く、見応えがあります。


P2210188
チーマ・ダ・コネリアーノの作品


P2210211
アントニオ・ヴィヴァリーニの作品


P2210271
ロレンツォ・コスタの作品


P2210290
フランチェスコ・フランチャの作品


P2210348
ペルジーノの作品


P2210350
ラッファエッロの作品


P2210405
パルミジャニーノの作品


P2210448
ヤコポ・ティントレットの作品


P2210474
グイド・レーニの作品


P2210487
グイド・レーニの作品


P2210509
ルドヴィーコ・カッラッチの作品


P2210524
アンニーバレ・カッラッチの作品


P2210579
ジョルジョ・ヴァザーリの作品


P2210642
ドメニキーノの作品


P2210700
グエルチーノの作品


P2210703
グエルチーノの作品


P2210875
何時もの作品を何時もと同じく見ても新たな感動がありました。


P2210878
全作品を観ることなく、時間切れで外に出されました。この日の翌日も入館しました。


P2210879
サンタ・マリア・マッダレーナ教会です。まだ一度も拝観したことがありません。


P2210880
国立絵画館前のヴィットリオ・プントーニ広場です。


P2210882
ザンボーニ通りの先のサン・ドナート門まで行ってみることに。特に目的はなしでした。


P2210884
ボローニャ大学の図書館?と思いますが・・・・・


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ボローニャ第3の城壁に設けられた、13世紀に築かれたサン・ドナート門です。


P2210887
門の付近は詰まらないので、ザンボーニ通りを絵画館方向に戻りました。


P2210889
(つづく)

P1800152
次は、ザンベッカリ画廊 La Quadreria Zambeccariです。


P1800154
バイク専用駐車場です。日本よりもバイクを利用する人が多いと思います。特にナポリ、フィレンツェ、ローマなどに愛好家が目立ちます。


P1800155
Monnalisaという店が多いのですが、その営業範囲は多岐に渡ってます。


P1800180
リッツォ―リ通りは、道路工事中でした。


P1800181
車の通行は完全に遮断されていましたが、通行人の便を全く考えていない所がイタリアです。歩道を真直ぐに歩くことが出来ず、道路を数回横切るようになっていました。


P1800182
エンツォ宮を通り過ぎます。


P1800183
エンツォ宮を過ぎると、通りと歩道は一部工事が完了していて歩き易くなっていました。


P1800184
Palazzo Ronzani


P1800185
リッツォ―リ通りから見ると「斜塔」が斜塔に見えません。


P1800187
道路の右側は完全に工事終了のようでした。


P1800188
見る位置によって随分印象が異なる斜塔です。


P1800190
広場の横から見るとかなり傾いていることが分かります。


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Palazzo della Mercanzia


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これから入館することになるザンベッカリ画廊は入館無料ですが、一時期、ボローニャ市立の美術館、博物館などが無料になっていました。何時しか有料化に戻ったようです。


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サンティ・バルトロメオ・エ・ガエターノ聖堂のロッジャでしょう。


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ザンベッカリ画廊はカスティリオーネ通りにあります。


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17世紀に建設されたPalazzo Pepoli Campograndeです。この建物内にザンベッカリ画廊 La Quadreria Zambeccariがあります。


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マルケ出身の上院議員で貴族のジャコモ・ザンベッカリ(1723‐1785)が収集した絵画、彫刻などを展示する画廊で、1788年にオープンしました。


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1884年、Palazzo Pepoli Campograndeと展示されていた作品は、ボローニャ国立絵画館の所有となりました。現在、ザンベッカリ画廊 La Quadreria Zambeccariは、ボローニャ国立絵画館の別館となってます。


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前述のように入館無料です。


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入館しました。係員を見かけることは滅多になく、私以外の入館者の姿を見たことがありません。冬季、雷雨で一時停電したことがありましたが、心細いというよりも不気味さを感じました。


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パラッツォ内のフレスコ画が見所です。
ザンベッカリ画廊 La Quadreria Zambeccariについては既に取り上げました。ご興味のある方はそちらをご参照願います。


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ソフォニスバ・アングィッソーラの作品
この画廊の存在をご存知の方は少ないように思います。


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チェーザレ・ジェンナーリの作品
中小都市のMuseo Civicoよりも質の高い作品が並んでます。


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カルロ・チニャ―リの作品


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ボローニャ派画家たちの作品が充実してます。


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ジュゼッペ・マリア・クレスピの作品


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リオネッロ・スパーダの作品


P1800312
ドメニキーノの作品


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エリザベッタ・シラーニの作品


P1800363
ドメニキーノの作品


P1800381
バルトロメオ・パッサロッティの作品


P1800384
デニス・カルヴァートの作品


P1800393
ジャコモ・フランチャの作品


P1800399
カルロ・ボノーニの作品


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ルドヴィーコ・カッラッチの作品


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外に出ました。


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道を挟んでPalazzo Pepoli Campograndeの向かいにある建物です。


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Palazzo Pepoli Vecchioです。


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1344年に、ぺポリ家の邸宅として建設されたPalazzo Pepoli Vecchioには、1910年までぺポリ家が住んでいました。


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現在、Palazzo Pepoli Vecchioはボローニャ歴史博物館になってますが、この時間は閉まっていました。


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カスティリオーネ通りを斜塔の方に向かって戻ります。


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ザンベッカリ画廊でかなりの時間を過ごしたので、日が傾いていました。


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夕食にはまだ早すぎます。


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(つづく)

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ガルヴァーニ広場です。


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サン・ペトロニオ聖堂の後陣がガルヴァーニ広場に面してます。


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広場の名称の由来は、広場の真ん中にある電気化学者で、ボローニャ大学の卒業生で同大学の教授を務めたルイージ・ガルヴァーニ(ボロ-ニャ、1737‐1798)像があるからです。
広場に面して旧ボローニャ大学が建ってます。(Piazza Galvani 1)


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Palazzo dell' Archiginnasioのアーチを潜って中庭に出ます。


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Palazzo dell' Archiginnasio(旧ボローニャ大学)の中庭に入りました。


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11世紀に創立された、ヨーロッパ最古の大学であるボローニャ大学は、16世紀中頃まで街の様々な建物に分散していました。それらを一つの建物に統合する計画が持ち上がり、第224代教皇ピオ4世(ミラノ、1499‐ローマ、1565 教皇在位:1560‐1565)は大学統合計画を認可して、教皇使節聖カルロ・ボッロメオ枢機卿(アロナ、1538‐ミラノ、1584)をボローニャに派遣したのです。当時、教皇庁は中央集権化を目指しており、従来から教皇庁と一線を画したいボローニャ市当局に圧力をかけたかったようです。
建築家アントニオ・モランディ通称イル・テッリビッラ(ボローニャ、1508‐1568)に建築が委嘱され、1562年から1563年に建設されたPalazzo dell' Archiginnasioです。


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1803年、ボローニャ大学はPalazzo Poggiに移転して、この建物は大学棟としての役割を終了したのです。


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Palazzo Poggiです。


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大学が移転した後、小学校として使用されましたが、1838年から市立図書館が置かれるようになり、現在に至ってます。


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夏季の間、Palazzo dell' Archiginnasioの中庭でコンサートなどが行われてます。


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ロッジャを見て回ります。


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紋章、彫刻、フレスコ画などがロッジャにあります。


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詳細不知の紋章


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Iscrizione in onore di Carlo Borromeo


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これらの詳細がサッパリ分かりません。


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外に出ました。サン・ペトロニオ聖堂の左側壁です。


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外壁が修復工事中でした。


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サン・ペトロニオ聖堂は、先ほど拝観しました。


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お腹が空きました。


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エンツォ宮のアーチの先にジャンボローニャのFontana del Nettunoが見えてます。


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観光客らしく、観光客向けの普通のお味のトラットリアで昼食を食べました。


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マッジョーレ広場近くにお気に入りの店がありますが、ワインを飲まねばならないので、避けました。そこではビールだけという訳には行きません。


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Via Oreficiの各店はかなりの賑わいでした。


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(つづく)

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気温急上昇の中、強烈な日差しを避けて歩けるポルティコは有り難い限りでした。


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マッジョーレ広場はもう直ぐです。


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Biblioteca Salaborsa前の道路が工事中でした。


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Piazza Nettuno


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朝から人出が多かった。


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ボローニャに今いるのだ、と実感させる景観です。


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マッジョーレ広場は、夏恒例の野外映画会場になっていました。


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ジャンボローニャ(フランス、1529‐フィレンツェ、1608)とトンマーゾ・ラウレティ通称イル・シチリアーノ(パレルモ、1530c‐ローマ、1602c)の「Fontana del Nettuno」(1563‐66)


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フォンターナと図書館


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何時ものようにサン・ペトロニオ聖堂を拝観しました。


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この夜の上映は、カサブランカでした。


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上映開始21:45、無料ですが見ませんでした。DVDを持っているのでわざわざ見る必要を感じません。


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上映予定


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イサベッラ・ロッセリーニがこの夜の紹介者でした。


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ポデスタ宮は相変わらず修復工事中でした。


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サン・ペトロニオ聖堂横に建つPalazzo dei Notaiです。


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Palazzo dei Notaiと市庁舎


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Palazzo Comuneに2つの美術館があります。


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2年ほど続いた修復工事が終わったようです。


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市庁舎内にある「ボローニャ市の美術コレクション」に入館します。


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Palazzo Comunaleの中庭です。


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「ボローニャ市の美術コレクション」に入館しました。


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ヤコポ・ディ・パオロの作品
「市の美術コレクション」については、既に取り上げました。


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ヴィターレ・ダ・ボローニャの作品


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ティントレットの作品


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ルカ・シニョレッリの作品


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フランチェスコ・フランチャの作品


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ルドヴィーコ・カッラッチの作品


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アントニオ・カノーヴァの作品


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「ボローニャ市の美術コレクション」から見た景観


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外に出ました。


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人出が前よりも増えていました。


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写真左は、1384年から1422年に建設されたPalazzo dei Notaiです。


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修復中の建物は、1200年頃建設されたPalazzo del Podestaです。


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次は、サン・ジョヴァンニ・バッティスタ・デイ・チェレスティーニ教会です。


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小さいながらも美術的に見所が多い教会として知られてます。


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残念! サン・ジョヴァンニ・バッティスタ・デイ・チェレスティーニ教会は閉まっていました。


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1368年の創建です。現在の建物は1535年から1554年にかけて建設された二代目のものです。


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教会に隣接して、1560年から1561年に建設された修道院があります。既に宗教活動は停止しています。


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1257年に建設された、高さ30mのTorre de' Galluzziです。建設当初はもっと高かったそうです。


1
塔に隣接してサン・ジョヴァンニ・バッティスタ・デイ・フィオレンティーナ祈祷所があります。


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祈祷所横にあるフレスコ画


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(つづく)

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ソッツォ―リ通りです。写真左にマッジョーレ広場があります。


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ボローニャの街の中心マッジョーレ広場です。写真右端のエンツァ王宮は工事中でした。


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マッジョーレ広場の夏の風物詩である野外映画 Il Cinema Ritrovatoが開催していました。


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入場無料です。この夜は、上映開始間近に激しい雷雨があったので、どうなったのか分かりません。夕食を早めに切り上げてマッジョーレ広場に行く予定でしたが、雷雨を嫌って辞めました。


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次はサン・ペトロニオ聖堂です。


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1388年、Il Consiglio del Seicento del Comune di Bolognaは、街の守護聖人聖ペトロニオ司教(?、4世紀末生まれ‐ボローニャ、450)に奉献する市立教会建設を決めました。


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そうして1390年に創建され、1663年にゴシック様式の建物が完成しました。
市立教会なので、教皇庁の管理とは一線を画しており、司教座が置かれることなく現在に至ってます。


11
ファサードの中央扉上ルネッタの彫刻は、ヤコポ・デッラ・クゥエルチャ(シエナ、1374c‐1438)の「聖母子と聖ペトロニオと聖アンブロージョ」(1425‐34)です。


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ファサードは未完成です。
拝観しましたが、この時は、中は写真不可で、私の写真が一枚もありません。現在は僅かな金額(€2)の写真券を買えば写真可となっているようです。
聖堂内に入ってから、僅か10分程で閉鎖の鐘が鳴らされたので、慌てて外に出ました。


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市庁舎も修復工事中でした。


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この時は、未だ野外映画を見るつもりでした。


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夕食を早めに切り上げてマッジョーレ広場に戻った方が良さそうです。しかし、それでもなお夕食の時間には少し早いと思いました。


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一旦ホテルに戻って出直す方が無難と思いました。


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ジャンボローニャ(フランス、1529‐フィレンツェ、1608)の「ネプチューンの噴水」
噴水自体は別の人の作品です。


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ボローニャのドゥオーモ、サン・ピエトロ大司教座教会です。


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駅方面に向かうVia dell' Indipendenzaです。


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Via dell' Indipendenzaに面した建物の装飾


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ホテルに戻りました。


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前夜のボローニャ到着予定でしたが、飛行機が遅れて早朝のボローニャ到着でした。


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前日夜にチェックインの予定でしたが、早朝の到着となると伝えてあったので、難なく部屋に入ることが出来ました。


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2時間ほど寝ただけで、目が覚めてしまいました。勿体ないので、朝の散歩に出発しました。


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ガッリエラ門


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ボローニャの市域拡大によって三番目の城壁が築かれましたが、その城壁の門です。


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門の橋下に中世の石弾が置かれています。


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門を潜りました。


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駅の北側にはあまり行ったことがありません。


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Scala della Montagnola


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美術的に見栄えがしないと思います。


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1331年から1332年に枢機卿によって建設されたCastello di Gallieraの遺跡です。反教皇庁のボローニャ市民によって1511年に破壊された城です。


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朝食のため、一旦ホテルに戻りました。朝食後、外に出たら晴れていました。


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Via dei Mille?


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朝の散歩のときは涼しかったのですが、急に気温が上昇。


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8月8日広場


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マッジョーレ広場に向かってます。


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何時も同じ通りを歩くのは気が利かないので、違った道を選択しました。


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ボローニャで迷うことはありませんが、わざわざいつもと違った道を歩いて迷子になったことが何度もあります。地図を持っていても迷うので困ります。イタリアでは通り表示が必ずありますが、自分のいる場所の通り名が分かっても、その通りを地図上で探すのが大変だからです。


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何時も場所に来ました。この建物名が分かりません。旧教会に思うのですが・・・・・


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Via Galliera


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Via dell' Indipendenzaに出ます。


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Via dell' Indipendenzaの柱廊を進みます。


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(つづく)

引き続きサン・ジョヴァンニ・イン・モンテ教会です。
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八角形の柱に描かれている聖人は、ジャコモ・フランチャ(ボローニャ、1484‐1557)とジュリオ・フランチャ(ボローニャ、1487‐1540)の兄弟の作品です。
二人はフランチェスコ・ライボリーニ通称フランチェスコ・フランチャの息子です。


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カミッロ・プロカッチーニ(ボローニャ、1551‐ミラノ、1629)の「聖母子と2聖人」


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ベネデット・ジェンナーリ・イル・ジョーヴァネ(チェント、1633‐ボローニャ、1715)の「聖アニアーノ」
ベネデット・ジェンナーリはグエルチーノ工房にいた画家です。


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詳細不知


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リッポ・ディ・ダルマシオ(ボローニャ、1355c‐1410)の「安らぎの聖母」(15世紀)


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詳細不知


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詳細不知


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オルガン


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ジャコモ・フランチャとジュリオ・フランチャ兄弟のフレスコ画


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詳細不知


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この礼拝堂の祭壇画は必見です。


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ロレンツォ・コスタ(フェッラーラ、1460‐マントヴァ、1535)の「玉座の聖母子と聖人たち」(1497)


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ジャコモ・フランチャ(ボローニャ、1484‐1557)とジュリオ・フランチャ(ボローニャ、1487‐1540)の聖人のフレスコ画


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ジョヴァンニ・ディ・ピエトロ・ファッロッピ通称ジョヴァンニ・ダ・モデナ(モデナ、1379?‐1455?)の「サルーテの聖母」(15世紀)


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聖人たちの彫像がありますが、私には制作者が分かりません。


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イラリオ・マッキオ(ボローニャ、17世紀活動)の「聖カルロ・ボッロメオ」(1628)


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ルカ・ロンギ(ラヴェンナ、1507‐1580)の「磔刑と聖マリア・マッダレーナ」(16世紀)


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フランチェスコ・ゲッシ(ボローニャ、1588‐1649)の「キリストと聖ジャコモと聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ」


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バルトロメオ・チェージ(ボローニャ、1712‐1781)に帰属する「磔刑と聖ピエトロと聖マッテオ」


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次の礼拝堂です。


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カルロ・アントニオ・クレスピ(ボローニャ、1712‐1781)に帰属する「聖家族」(1753)


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詳細不知


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エルコーレ・デ・マリア(サン・ジョヴァンニ・イン・ペルシチェット、?‐1640c)の「受胎告知」
エルコーレ・デ・マリアはグイド・レーニの弟子でした。


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次の礼拝堂です。


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詳細不知


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ベルトゥシオ(ボローニャ、1577‐1644)の「聖母子と2聖人」


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詳細不知


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次の礼拝堂です。


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ジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリ通称グエルチーノ(チェント、1591‐ボローニャ、1666)の「磔刑像を崇める聖フランチェスコ」(1645)


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ジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリ通称グエルチーノ(チェント、1591‐ボローニャ、1666)の「聖ジローラモ」(1645)


10
ジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリ通称グエルチーノ(チェント、1591‐ボローニャ、1666)の「聖マリア・マッダレーナ」(1645)


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ヴィンチェンツォ・スピサネッリ(オルタ・サン・ジュリオ、1595‐ボローニャ、1662)の「聖母子と聖人たち」


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詳細不知


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詳細不知


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出入口


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外に出ました。


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すっかり夕方の佇まいになっていました。


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マッジョーレ広場に向かいます。


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もう夕食を食べている人がいました。


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(つづく)

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16世紀に建設されたCasa Montignaniです。


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1760年台、薬物商フェルディナンド・モンティニャーニがこの建物を購入して、現在の姿に改装しました。


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Palazzo Zagnoniです。Palazzo Spadaとも呼ばれてます。


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1414年に建設された建物に不具合があったようで、1540年に再建されました。1706年、ジュゼッペ・マリア・ザニョーニが購入し、その後、現在の姿に改造したそうです。


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Torresotto di Strada Castiglione


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この塔は、12世紀後半に築かれたボローニャ2番目の城壁の一部です。
カスティリオーネ通りからサン・ジョヴァンニ・イン・モンテ教会に向かいました。


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通りに見えますが、何故かサン・ジョヴァンニ・イン・モンテ広場と呼ばれてます。


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サント・ステファノ聖堂から徒歩2,3分の、広場の先にサン・ジョヴァンニ・イン・モンテ教会があります。聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタに奉献する教会です。美術作品が多い教会として知られ、美術ファンにとっては必訪でしょう。


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伝統的に、433年、聖ペトロニオ司教(?、4世紀末生まれ‐450c没)によって建設された教会と言われてますが、伝説の域を脱していないとされてます。


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ほぼ確実とされているのは、5世紀にこの場所にあったモンテ・オリヴェート教会が前身という説です。


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最初にこの教会の存在が記載されたのは、1045年のボローニャの文書でした。


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1118年以前に、教会はCanonici regolari della Lateranenseの所有となり、1200年から1300年の間に修復、更に増築拡大されました。1286年にロマネスク様式に改造されました。


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最初の建物が経時劣化したので、1450年頃、後期ゴシック様式で再建されました。ルネサンス様式のファサードは1474年に建設されました。
写真右端は、修道院だった建物です。


1
旧修道院のキオストロと回廊です。
1543年から1549年にかけて修道院が建設されました。1797年、ナポレオンの抑圧令によって修道院は閉鎖され、その後、修道院活動が再開されることなく現在に至ってます。


2
ナポレオンの失脚後、修道院だった建物は裁判所、刑務所として使用され、やがて刑務所だけの使用となり、1984年まで刑務所でした。
刑務所の閉鎖後、建物は大改修されて1996年からボローニャ大学の一部になってます。


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ファサードの前に戻りました。


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ファサード入口扉上の彫刻は、ニッコロ・デッラルカ(dell' Arca)(?、1435c‐ボローニャ、1494)の「聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタのシンボル」です。


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中に入りました。


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三廊式、ラテン十字形、ゴシック様式の内部です。


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八角形の柱が目立ちます。


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交差ヴォールト


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内陣に彫刻があります。


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ジョヴァンニ・アンジェロ・デル・マイーノ(ミラノ、1475c‐パヴィア、1536?)とティブルツィオ・デル・マイーノ(パヴィア、1496‐1531記録 1536没)の「十字架とキリスト」
ティブルツィオ・デル・マイーノは、ジョヴァンニ・アンジェロ・デル・マイーノの弟子でした。


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左側廊


3
Presbiterio


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彩色磔刑像と主祭壇画は必見です。


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プセウド・ヤコピーノ・ディ・フランチェスコ(ボローニャ、1360‐1383記録)の「彩色磔刑像」(14世紀中頃)


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ロレンツォ・コスタ(フェッラーラ、1460‐マントヴァ、1535)の「聖母戴冠と聖人たち」(1501)


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祭壇前飾りとして描かれたクリスト・ダ・ぺサリーニの「最後の晩餐」(1979)


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詳細不知


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詳細不知


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リッポ・ディ・ダルマシオ(ボローニャ、1355c‐1410)の「聖母子」(15世紀初頭)


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サンタ・チェチリア礼拝堂です。


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これは本物の複製画です。ナポレオン以前には本物がありました。


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クレメンテ・アルベーリ(ボローニャ、1803‐1864)の「ラッファエッロ作『聖チェチリアの光悦』のコピー画」(1560‐61)


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ラッファエッロ作品の写真です。
ボローニャ国立絵画館で展示されてます。


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1796年、イタリアに侵攻したナポレオン率いるフランス軍によって、サン・ジョヴァンニ・イン・モンテ教会から取り外され、フランスに持ち去られて1815年までルーブル美術館で展示されていました。


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右側廊


P1260776
詳細不知


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柱の所々にフレスコ画があります。
ジャコモ・フランチャ(ボローニャ、1484‐1557)とジュリオ・フランチャ(ボローニャ、1487‐1540)によって描かれた聖人です。
二人はフランチェスコ・フランチャの息子で、ジャコモが長男、ジュリオが次男です。


4
ジローラモ・ダ・トレヴィーゾ(トレヴィーゾ、1498‐ブローニュ、1544)の「我に触れるな」


P1260715
ピエトロ・ファチーニ(ボローニャ、1562‐1602)の「聖ロレンツォの殉教」(1590)
(つづく)

P1260570
ミケーレ・ディ・マッテオ・ダ・ボローニャ(ボローニャ、1407から記録‐1467没)の「聖ペトロニオと聖ステファノの生涯」(15世紀)


46
以前は、三位一体教会にありました。


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ボローニャの逸名画家作「聖アントニオ・アバーテ」(14世紀末)


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フェッラーラの逸名画家作「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」(15世紀後半)


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インノチェンツォ・ダ・イーモラ(イーモラ、1494‐ボローニャ、1548)の「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」(16世紀前半)


P1260583
ボローニャの逸名画家作「聖母子」(14世紀)


P1260586
ヤコポ・ディ・パオロ(ボローニャ、1345c‐1430c)の「聖母子と聖人たちとピエタと受胎告知の多翼祭壇画」(14世紀末)


P1260589
多翼祭壇画です。


P1260596
誰の作品でしょうか?


P1260595


P1260592


P1260594


P1260598
ヴィターレ・ダ・ボローニャ派逸名画家に帰属する「聖フロニアーノ」(14世紀)


P1260603
ミケーレ・コルテッリーニ(フェッラーラ、1480‐1542)の「聖ピエトロ」(16世紀前半)


P1260605
ミケーレ・コルテッリーニ(フェッラーラ、1480‐1542)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」(16世紀前半)


P1260602
ミケーレ・コルテッリーニ(フェッラーラ、1480‐1542)の「ピエタ」


P1260607


P1260608
フェッラーラ派逸名画家作「園の祈り」(16世紀)


P1260611
詳細不明(説明シートなし)の「聖母子」


P1260612
リッポ・ディ・ダルマシオ(ボローニャ、1360‐1410)の「ピエタ」


P1260614
シエナ派逸名画家作「アレッサンドリアの聖カテリーナ」、「聖ジャコモ」(14世紀中頃)


P1260618
Museo Diocesanoの定番展示物


P1260619
逸名画家作「聖セバスティアーノ」(18世紀)


P1260621
詳細不明(説明シートなし)


P1260622
詳細不明(説明シートなし)


P1260623
詳細不明(説明シートなし)


P1260624
逸名画家作「聖ジローラモと聖アントニオ」(17世紀)


P1260626
エミリア派逸名画家作「嘆き」(15世紀)


P1260629
逸名画家作「十字架降下」(16世紀)


P1260631
ボローニャの逸名画家作「聖アントニオ」(17世紀)


P1260633
カッラッチ派逸名画家作「この人を見よ」(17世紀)


P1260635
逸名画家作「荊刑のキリスト」(17世紀)


P1260640
次は礼拝堂です。


P1260637
美術館に組み入れられた礼拝堂です。


P1260638
詳細不明


P1260642
マルカントニオ・フランチェスキーニ(ボローニャ、1648‐1729)の「聖家族と聖ベネデット」(18世紀初頭)


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P1260648
ボローニャの逸名画家作「ご訪問」(18世紀)


P1260650
ベルリンギエーロ・ベルリンギエーリ通称ベルリンギエーロ・ダ・ルッカ(ヴォルテッラ、1175c‐ルッカ?、1235/1236)の「嬰児虐殺」(13世紀)
この美術館の代表作品です。


P1260653
詳細不明(説明シートなし)


P1260657
詳細不明(説明シートなし)


P1260658
礼拝堂天井のフレスコ画(詳細不明)


P1260654
聖具類


P1260655


P1260656
小さな庭園があります。


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P1260661


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美術館から外に出ます。


P1260664
キオストロ回廊に出ました。


P1260665
サント・ステファノ聖堂はこれで終わりです。


P1260666
ピラトの中庭を経由して外に出ます。


P1260667


P1260669


P1260676
サント・ステファノ広場に出ました。


P1260677
ボローニャの歴史を辿るには、サン・ペトロニオ聖堂よりもここに来た方が良いでしょう。


P1260678
(この項 おわり)

P1260508
キオストロ回廊にフレスコ画があります。


P1260509
「聖母子と2聖人」(詳細不知)


P1260530
2聖人は、聖ジョヴァンニ・バッティスタと聖ピエトロ?


47
こちらのフレスコ画はかなり古そうです。


48
詳細不明


P1260513
階上の壁の装飾を見ました。


P1260514


P1260529


P1260516
階上階の柱頭を見て行きます。


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劣化したので、一部複製された柱頭があるようです。


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キオストロから見た鐘楼


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ニャーゴがキオストロ回廊にいました。


P1260528
次は美術館です。


P1260504
こちらは出口のようです。


P1260531
こちらが美術館の入り口です。


P1260533
キリスト(中央)と聖ヴィターレ(左)と聖アグリコラ
1940年にオリジナルの浮彫は取り外され、美術館に収容されました。


P1260683
サンティ・ヴィターレ・エ・アグリコラ聖堂の入り口扉上に浮彫がありました。現在はレプリカが置かれてます。


50
レプリカの浮彫(1940)


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詳細不知


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ミケーレ・ディ・マッテオ・ダ・ボローニャ(ボローニャ、1407から活動記録-1467没)の「聖母子」(15世紀前半)


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シモーネ・デイ・クローチフィッシ(ボローニャ、1330c-1399)の「聖母子」(14世紀中頃)


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シモーネ・デイ・クローチフィッシ(ボローニャ、1330c-1399)の「トロサの聖ルドヴィーコ」(14世紀)


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シモーネ・デイ・クローチフィッシ(ボローニャ、1330c-1399)の「磔刑と聖人たち」(14世紀)


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シモーネ・デイ・クローチフィッシ(ボローニャ、1330c-1399)の「聖パオロと聖ジョヴァンニ・バッティスタと聖ピエトロ」(14世紀)


P1260551
シモーネ・デイ・クローチフィッシ(ボローニャ、1330c-1399)の「聖ベネデットと聖プロチドと聖シスト」(14世紀)


P1260554
シモーネ・デイ・クローチフィッシ(ボローニャ、1330c-1399)の「聖ジャコモと聖アンドレアと聖バルトロメオ」(14世紀後半)


P1260557
詳細不知


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ボローニャの逸名画家作「修道院長聖人」(14世紀)


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トンマーゾ・ガレッリ(ボローニャ、1450-1495活動記録)の「最後の晩餐」(15世紀)


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トンマーゾ・ガレッリ(ボローニャ、1450-1495活動記録)の「聖人たち」(15世紀前半)


P1260566
トンマーゾ・ガレッリ(ボローニャ、1450-1495活動記録)の「聖人たち」(15世紀前半)


P1260568
トンマーゾ・ガレッリ(ボローニャ、1450-1495活動記録)の「ピエタのキリスト」(15世紀前半)
(つづく)

P1260447
ピラトの中庭に戻りました。第3小礼拝堂が開いてました。


P1260472
第3小礼拝堂です。


P1260475
祭壇に聖遺物が置かれている?


P1260473
フレスコ画があります。


P1260476
聖堂で買い求めた説明書には、この礼拝堂の記述がありません。


P1260477
詳細不明


P1260474
中庭に面した柱廊に出ます。


P1260668
次は、ピラトの中庭に面した、写真右のChiesa del Martyrium、別称三位一体教会です。


P1260465
三位一体教会の後陣外壁がピラトの中庭に面してます。


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ピラトの中庭に面した壁龕に描かれたフレスコ画(詳細不知)


P1260471
壁龕に描かれた「聖母戴冠」(詳細不知)


44
ピラトの中庭に面した入口から三位一体教会に入ります。


P1260478
中に入りました。


P1260479
4-5世紀にこの場所に設けられた殉教者の墓地が前身です。


P1260480
現在の5廊式の教会は、17世紀に建設されました。


P1260482
有名な「マギの礼拝」(1290-1370c)の彫刻


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14-15世紀のフレスコ画


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聖ピエトロ?(1370c)


P1260486
ゴシック様式のフレスコ画(詳細不知)


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ゴシック様式の「殉教聖人」のフレスコ画


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フレスコ断片


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P1260492
詳細不明


P1260493
詳細不明


P1260494
ゴシック様式のフレスコ画


P1260495
詳細不明


P1260496
詳細不明


P1260501
詳細不明


P1260502
詳細不明


P1260503
三位一体教会の床


P1260485
次はキオストロ回廊です。


P1260505
キオストロ回廊に出ました。


P1260512
中世の回廊と呼ばれてます。


P1260507
ピラトの中庭よりも広いキオストロです。


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回廊は2階建てで、2階の殆どと1階の一部が修道院でした。


P1260510
ロマネスク様式の現存する回廊の1階(地上階)部分は、1000年以上前に建築されました。


P1260514
階上階(日本の2階)は、12世紀半ばにピエトロ・ダルべリコ(d’Alberico)(ボローニャ、12世紀活動)によって建築されました。
階上階は立ち入り禁止でした。


P1260506
キオストロに古井戸があります。


P1260511


P1260515
(つづく)

25
今回、(その3)では、構造図の6番がピラトの中庭で、その左側にある2つの小礼拝堂と5番のサンティ・ヴィターレ・エ・アグリコラ聖堂を取り上げます。


P1260455
ピラトの中庭に面した柱廊にある「Gallo di San Pietro」(14世紀)です。


P1260463


40
柱廊の壁のフレスコ画


P1260444
ピラトの中庭です。


P1260443
ピラトの中庭に面した柱廊に3つの小礼拝堂があります。


P1260446
第1小礼拝堂に入りました。祭壇画が取り外されていました。恐らく付属美術館に移されたように思います。


P1260457
第2小礼拝堂、Cappella Consolazioneに入りました。


P1260456
Cappella Consolazioneの祭壇に「聖母子と2聖人」のフレスコ画があります。
聖母子の方は痛みがありますが、2聖人とは制作された時期が違います。


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中央の「Madonna della Consolazione」(12世紀)


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逸名画家によるフレスコ画です。


P1260460
バルトロメオ・チェージ(ボローニャ、1556-1629)の「聖ステファノ」


P1260461
バルトロメオ・チェージ(ボローニャ、1556-1629)の「聖ロレンツォ」


P1260458
Cappella Consolazioneの天井フレスコ画もバルトロメオ・チェージ(ボローニャ、1556-1629)によって描かれました。
第3小礼拝堂は、20分後に開く予定となっていたので、後程入ることにしました。


P1260349
次は、サンティ・ヴィターレ・エ・アグリコラ聖堂です。Basilica del Sepolcroの隣に建ってます。


P1260682
サント・ステファノ聖堂の中で最古の部分がサンティ・ヴィターレ・エ・アグリコラ聖堂です。


P1260686
西暦80年から100年頃に建設されたエジプトの神イシスを祀る神殿がありましたが、4世紀頃に初期キリスト教会に転用されました。その後、6世紀にかけて拡大されたようです。


P1260683
聖ヴィターレと聖アグリコラは、ディオクレティアヌス帝の時代の304年頃、キリスト教の棄教を拒否してボローニャで殉教しました。
393年頃、ミラノの聖アンブロージョ司教が2人の遺体を発見し、2人の遺体をこの教会に移しました。それを機に、教会の名称が現在の呼称に変更されました。なお、2人の遺体はクリプタの主祭壇の下に置かれてます。
この教会に司教座が置かれていた時期がありました。


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ファサード上の彫刻「キリスト(中央)と聖ヴィターレと聖アグリコラ」


43
ファサード入口扉周囲の装飾


41
柱頭


42


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サンティ・ヴィターレ・エ・アグリコラ聖堂に隣接する礼拝堂は閉まっていました。


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礼拝堂入口扉上ルネッタ上の彫刻(詳細不知)


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聖堂内に入りました。


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歴史の重みを感じさせます。三廊式です。


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右側廊に聖アグリコラが処刑された時に使われた十字架があります。


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聖アグリコラの十字架(4世紀)


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右側廊


P1260433
左側廊


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柱にフレスコ画があります。


P1260435
祈る聖母?(詳細不知)


P1260436
詳細不知


P1260439
詳細不知の剥離フレスコ画


P1260440
左側廊の先端に聖ヴィターレと聖アグリコラの墓(7-11世紀)があります。


P1260442
墓の中は空です。聖ヴィターレと聖アグリコラの遺骨はクリプタの主祭壇下に置かれてます。


P1260692
サント・ステファノ聖堂の鐘楼


P1260680
一旦十字架教会に入ります。


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間違ったわけではなく、十字架教会を経由してピラトの中庭に戻るためです。


P1260675


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十字架教会のPresbiterio前から見た出入口方向


P1260669
ピラトの中庭に戻りました。
(つづく)

25
サント・ステファノ聖堂の配置図を再掲します。
今回、(その2)で取り上げるのは、上図の4番Basilica del Sepolcro、6番のピラトの中庭です。


P1260449
ピラトの中庭から見たBasilica del Sepolcroです。ファサードはサント・ステファノ広場に面してます。


P1260679
Basilica del Sepolcroは、(その1)で取り上げた十字架教会の隣にあります。


P1260681
ボローニャの守護聖人聖ペトロニオ司教(?、4世紀末-ボローニャ、450)がエルサレムのSanto Sepolcro Costantinianoを模して5世紀に建設させました。しかし、その建物は現存しません。


P1260685
10世紀、最初の建物は侵入したハンガリー人によって徹底的に破壊されてしまいました。11世紀、ベネデット会修道士が最初の建物の廃墟の上に再建した建物が現在見る姿の原形(殆ど同じ)となってます。


P1260452
11世紀から12世紀にかけて聖堂外壁の装飾が施されました。


30
外に置かれた石棺


31
ファサードの装飾


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33


P1260408
聖堂内に入りました。


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説教壇と聖ペトロニオの墓です。


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復活祭の朝、聖ペトロニオの墓が開けられ、聖ペトロニオの聖遺物を拝むため、中を這って聖遺物の前に進みました。復活祭の朝の聖マリア・マッダレーナの故事に従い、ボローニャの売春婦たちが中を這いました。一説に拠れば聖マリア・マッダレーナは娼婦でした。


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天井


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天井を支える太い円柱が目立ちます。


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説教壇に上る階段


34
階段入口に置かれたライオン像


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1141年、聖ペトロニオの墓から聖ペトロニオの聖遺物が発見され、墓であることが立証されたのです。
ここにあった聖ペトロニオの聖遺物は、2000年、マッジョーレ広場のサン・ペトロニオ聖堂に移されてしまいました。


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説教壇の彫刻を鑑賞します。


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次はピラトの中庭と、中庭に面した柱廊です。


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ピラトの中庭は、737年から744年にかけてロンゴバルド族によって造られました。


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柱廊の先に鐘楼が写ってます。


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ピラトの中庭にある聖水盤


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柱廊の壁の彫刻


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P1260465
ピラトの中庭を挟んでBasilica del Sepolcroの向かいにあるChiesa del Martyrium


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P1260467
(つづく)

ボローニャの教会で必見のサント・ステファノ聖堂を取り上げます。
P2210919
「ボローニャの斜塔」からサント・ステファノ聖堂に向かいました。


P1260341
斜塔があるポルタ・ラヴェニャーナ広場から南東方向に走るサント・ステファノ通りに入りました。


P1260342
斜塔から聖堂がある広場まで徒歩5分ほどかかります。


P1260343
サント・ステファノ広場手前の写真右の建物は、1517年から1525年にかけて建設され、その後、さらに増設されたPalazzo Salina Amorini Bologniniです。


P1260344
サント・ステファノ広場の奥にあるのがサント・ステファノ聖堂です。


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広場に面して歴史的建造物ばかりが建ってます。


P1260346
写真左は、1455年に建設されたPalazzo Bolognini-Isolaniです。


P1260351
Casa Beccadelli- Bovi- Tacconi


P1260353
聖堂前から見た広場右の建物


P1260354
聖堂前から見た左側の建物


P1260352
聖堂前から見た、斜塔方向の広場全景


P1260348
サント・ステファノ聖堂、またはサント・ステファノ大修道院(Abbazia)と呼ばれるのは、幾つかの教会から成る集合体です。


P1260349
集合体全体がBasilica Minoreに格付けされてます。
説明ではよく分からないと思いますので、サント・ステファノ聖堂の配置図を示しておきましょう。


25
外部サイトから拝借したサント・ステファノ聖堂の地図です。敷地を含む建物全部を合わせたものがサント・ステファノ聖堂です。
1と3がChiesa del Crocifissoで、1が教会内陣、3がPresbiterioです。
2はクリプタです。
4は、Basilica del Sepolcroです。
5がBasilica dei Santi Vitale e Agricolaです。
6は、Cortile(庭)とPilatoです。
7は、Chiesa del Martyrium
8は、キオストロ
9,10の一部はChiesa della Bendaです。
10の一部、11,12がMuseoとなってます。


P1260358
この場所には、西暦80年から100年頃に建設されたエジプトの神イシスを祀る寺院がありました。伝説に拠れば、聖ペトロニオ司教(?、4世紀末生まれ-ボローニャ、450)によって、風化した寺院の上に建設されたのがサント・ステファノ聖堂の前身とされてます。
しかし、それは伝説とされており、最古の部分は、現在のサンティ・ヴィターレ・エ・アグリコラ聖堂の場所とされており、その場所に存在していた4世紀に建設された初期キリスト教会が前身と言うのが定説のようです。


P1260350
初めに十字架教会、Chiesa del Crocifissoから見て行きます。


P1260355
ロンゴバルド時代の8世紀に建設され、16世紀から17世紀にかけて改造されましたが、その改造後の建物が現在の姿とされてます。


P1260356
1488年に追加された説教壇


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ファサード入口扉上の装飾


26
ノーフラッシュならば写真を撮ることが出来ます。(サント・ステファノ聖堂内全てが写真OK)


P1260359
Chiesa del Crocifissoの中に入りました。


P1260362
Presbiterioとクリプタの一部が創建時のものです。


P1260361
右側壁
Presbiterioには、内陣から上ることが出来ませんが、クリプタ経由で入ることが出来ます。


P1260381
先ず、必見なのは彩色磔刑像です。


29
逆光なので、彩色磔刑像の写真をうまく撮るのは非常に難しいと思います。


28
仕方がないので、外部サイトから拝借した作品画像を載せておきます。
シモーネ・デイ・クローチフィッシ(ボローニャ、1330c-1399)の「彩色磔刑像」(1380)
シモーネ・デイ・クローチフィッシの傑作です。


P1260363
主祭壇画も見物ですが・・・・・


P1260365
祭壇画、フレスコ画などを見て回ります。


P1260366
ピエル・フランチェスコ・チッタディーニ通称イル・ミラネーゼ別称イル・フランチェスキーノ(ミラノ、1616-ボローニャ、1681)の「聖ステファノの殉教」


P1260369
アンジェラ・テレーザ・ムラトリ(ボローニャ、1661-1708)の「聖マウロ・アバーテの奇跡」


P1260372
詳細不知


P1260374
詳細不知


P1260375
アレッサンドロ・ジュスベルティ(ボローニャ、1955-)の「聖ステファノ」(2013)


P1260377
逸名画家作「聖母子」(15世紀初頭)


P1260382
アンジェロ・ピオ(ボローニャ、1690-1770)の「ピエタ」(18世紀)


P1260383
フランチェスコ・カッチャネミーコ(ボローニャ、?-1542)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの斬首」


P1260384
カッチャネミーコまたはカッチャネミーチとも呼ばれてます。


P1260386
ミケーレ・ディ・マッテオ・ダ・ボローニャ(ボローニャ、1410から記録-1469没)のフレスコ画です。


P1260388
次はクリプタです。


P1260390
クリプタに下りました。


P1260391
8世紀に建設されたクリプタです。


P1260392
その後、何度も改修、修復を繰り返しました。


P1260393
クリプタの構造上、上部の荷重がかかるので強度的な問題から改修、修復は止むを得ないところです。


P1260397
クリプタの祭壇下に、聖ヴィターレと聖アグリコラの聖遺物(遺骨)が収められているそうです。


P1260394
逸名画家作「聖ペンタレオーネ」(18世紀)


P1260398
クリプタはサン・ジョヴァンニ・バッティスタ教会とも呼ばれてます。


P1260399
詳細不知


P1260401
パードレ・アンブロージョ・フマガッリ(カンビアーゴ、1915-1998)の「聖フランチェスカ・ロマーナ」


P1260404
フィリッポ・スカンナベッキ通称リッポ・ディ・ダルマシオ(ボローニャ、1355c-1410)の作品です。


P1260406


P1260407
クリプタはこれで終わりです。
(つづく)

引き続きサン・ジャコモ・マッジョーレ聖堂です。聖堂内は写真不可なので、私の写真がありません。仕方がないので、外部サイトから写真を拝借して聖堂内の主な作品を載せておきます。以下12枚の写真が外部サイトから拝借したものです。
23
単廊式、ルネサンス様式の内部です。


15
この聖堂の最大の見所は、このべンティヴォーリオ礼拝堂でしょう。


14
ヤコポ・デッラ・クゥエルチャ(クゥエチェ・グロッサ、1374-シエナ、1438)の「アントン・ガレアッツォ・べンティヴォーリオの墓」(1438)


16
フランチェスコ・ライボリーニ通称イル・フランチャ別称フランチェスコ・フランチャ(ボローニャ?、1447/1449c-ボローニャ、1517)の「べンティヴォーリオの祭壇画」


24



19
次はロレンツォ・コスタの寓意的フレスコ画です。


17
ロレンツォ・コスタ(フェッラーラ、1460-マントヴァ、1535)の「名声の凱旋」(1490)


18
ロレンツォ・コスタ(フェッラーラ、1460-マントヴァ、1535)の「死の凱旋」(1490)


25
シモーネ・デイ・クローチフィッシ(ボローニャ、1330-1399)の「彩色磔刑像」(1370)


20
バルトロメオ・パッサロッティ(パッセロッティ)(ボローニャ、1529-ローマ、1592)の「玉座の聖母子と聖人たち」(1560-65)


21
ペッレグリーノ・ティバルディ(ヴェルソルダ、1527-ミラノ、1592)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの受胎告知」(1551-53)


22
ペッレグリーノ・ティバルディ(ヴァルソルダ、1527-ミラノ、1596)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの召命」(1551-53)


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サン・ジャコモ・マッジョーレ聖堂から外に出ました。


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ザンボーニ通りを挟んでサン・ジャコモ・マッジョーレ聖堂の向かいにあるPalazzo Malvezzi Campeggiです。


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1500年頃に建設されたPalazzo Malvezzi Campeggiはボローニャ大学法学部の学舎として使用されてます。


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ロッシーニ広場


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歴史的建造物が大好きなので、それらを見ながら歩くと時間がかかります。


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16世紀の柱頭


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Piazetta Achille Ardigoです。この小広場はユダヤ人ゲットーがあったところで、写真右端にゲットー入口の門があります。


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サン・ドナート教区教会です。


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最初の建物の記録が残されていないようです。1210年の記録に、この教会の存在が初めて記載されたそうです。1454年に再建されましたが、1505年の大地震によって倒壊して廃墟になってしまいました。その後に再び建設され、18世紀に改造されて現在の姿になりました。


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ファサードのフレスコ画は、フランチェスコ・オルランディ(ボローニャ、1725-1769)によって1751年に制作されました。


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Piazetta Achille Ardigoに面して建っているのは、13世紀起源のPalazzo Malvasiaで、現在、ベスト・ウエスタン・ホテル・サン・ドナートとなってます。


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「ボローニャの斜塔」が見えてきました。


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写真右が高さ97mのTorre degli Asinelli、左が高さ48mのTorre Garisendaです。


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Torre degli Asinelliに上ることが出来ますが、この時は修復工事のため立ち入り禁止でした。エレベーターがないので、498段の階段を自分で上らねばなりません。


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二本の塔がある広場Piazza di Porta Ravegnanaに置かれているのは、ガブリエーレ・ブルネッリ(ボローニャ、1615-1682)の「聖ペトロニオ像」(1682)です。
この場所に置かれるようになったのは、2001年からです。ガブリエーレ・ブルネッリが「聖ペトロニオ像」を制作したのは、Arte dei Drappieriのためで、制作されてから約200年はArte dei Drappieriがあった場所に置かれていたそうです。1871年に、マッジョーレ広場のサン・ペトロニオ聖堂に置かれるようになりました。そこから再度移設されたのです。


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斜塔の先にあるのは、サンティ・バルトロメオ・エ・ガエターノ聖堂です。


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聖堂のロッジャ


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ロッジャから見た二本の塔


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1382年から1391年に建設されたゴシック様式のPalazzo della Mercanzia、別称メルカンティのロッジャです。


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Piazza della Mercanzia


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Via Santo Stefanoです。この後、サント・ステファノ教会に行く予定でしたが、その前に道草してサンタ・ルチア教会に行くことにしました。


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中世の頃、地表面積によって税額が決められていたので、空間有効利用の工夫として、このように上部拡大された建物を散見します。


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ポルティコが続きます。


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古そうな列柱


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サンタ・ルチア教会は、ボローニャ大学の講堂になっているのですが、この日は開く日と聞いていたのです。


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カスティリオーネ通りです。


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写真左に教会があります。


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サンタ・ルチア教会です。1866年に宗教活動を停止した旧教会です。


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432年、この場所に建設されたサン・ペトロニオ教会が前身です。903年、マジャール人の来襲の際、消失してしまいました。
1208年から1418年にかけて再建されました。ボローニャ市民は、より大きく立派な、街を守護する聖人のための聖堂を欲したことから、14世紀末にマッジョーレ広場にサン・ペトロニオ聖堂が建設されました。その完成と移転を機に奉献する聖人が聖ルチアに変更され、サンタ・ルチア教会と改称されました。


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ボローニャ大学の催事は終了したようで、扉が閉まっていました。残念!
未完のファサードです。


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16世紀、イエズス会の所有となり、1623年から1663年にかけて改造工事が行われ、バロック様式に改造されました。
1866年、イタリア統一戦争における軍施設として没収され、その後、一度も宗教活動が再開されることがありませんでした。
1873年、ボローニャ市当局の所有となりましたが、ボローニャ大学体育館に転用されました。1988年からボローニャ大学の講堂に改造されました。


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旧サンタ・ルチア教会に離接している建物です。


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(つづく)

明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
新年になったばかりですが、来年の今頃はどうなっているだろうと、つい考えてしまいます。こんなことは人生で初めてです。
1
サンタ・チェチリア祈祷所は写真不可なので、外部サイトから拝借した写真を使用して、祈祷所の壁に描かれたフレスコ画を紹介することにします。
この写真を含めて、以下13枚の写真が外部サイトから拝借したものです。
フレスコ画のテーマは、「聖ヴァレリアーノとその妻聖チェチリアの物語」で、全部で10画面ありますが、ロレンツォ・コスタ、フランチェスコ・フランチャ、アミーコ・アスペルティーニなどによって1505年から1506年に制作されました。


2
祈祷所祭壇画は、フランチェスコ・ライボリーニ通称イル・フランチャ別称フランチェスコ・フランチャ(ボローニャ?、1447/1449c-ボローニャ、1517)の「磔刑」


3
フランチェスコ・フランチャ(ボローニャ?、1447/1449c-ボローニャ、1517)の「聖チェチリアと聖ヴァレリアーノの結婚」(1505-06)


4
ロレンツォ・コスタ(フェッラーラ、1460-マントヴァ、1535)の「聖ヴァレリアーノと回心させる聖ウルバーノ」(1505-06)


5
ジョヴァンニ・マリア・キオダローロ(ボローニャ、1480c-1530c)とチェーザレ・タマロッチョ(ボローニャ、16世紀初め活動)に帰属する「聖ヴァレリアーノの洗礼」
ジョヴァンニ・マリア・キオダローロは、ロレンツォ・コスタの追随者でした。
チェーザレ・タマロッチョは、フランチェスコ・フランチャの弟子でした。


6
バルトロメオ・ラメンギ通称イル・バニャカヴァッロ(バニャカヴァッロ、1484-ボローニャ、1542)とビアージョ。プピーニ(ボローニャ、15世紀末生まれ-1575c没)に帰属する「天使によって戴冠される聖チェチリアと聖ヴァレリアーノ」


7
少し前までは、フランチェスコ・フランチャの作品と考えられていました。


8
アミーコ・アスペルティーニ(ボローニャ、1474c-1552)の「ヴァレリアーノとティブルツィオ兄弟の斬首」(1506)


9
アミーコ・アスペルティーニ(ボローニャ、1474c-1552)の「ヴァレリアーノとティブルツィオ兄弟の埋葬」(1506)


10
バルトロメオ・ラメンギ通称イル・バニャカヴァッロ(バニャカヴァッロ、1484-ボローニャ、1542)とビアージョ・プピーニ(ボローニャ、15世紀末生まれ-1575c没)の「預言者アルマキウスと議論する聖チェチリア」


11
ジョヴァンニ・マリア・キオダローロ(ボローニャ、1480c-1530c)とチェーザレ・タマロッチョ(ボローニャ、16世紀初め活動)に帰属する「聖チェチリアの殉教」(1505-06)


12
ロレンツォ・コスタ(フェッラーラ、1460-マントヴァ、1535)の「貧しい人々に財産を寄贈する聖チェチリア」


13
フランチェスコ・ライボリーニ通称イル・フランチャ別称フランチェスコ・フランチャ(ボローニャ?、1447/1449c-ボローニャ、1517)の「聖チェチリアの埋葬」(1505-06)


159
祈祷所のキオストロに出ました。


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次はサン・ジャコモ・マッジョーレ聖堂です。


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ベアート・ジョヴァンニ・ボーノ・ダ・マントヴァ修道士会は、1247年、聖ジャコモに奉献する教会と修道院の建設を決定しました。それに基づいて1267年から1315年に建設されたロマネスク・ゴシック様式の教会です。


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聖堂内に数多くの美術作品がありますが、残念ながら内部は写真不可となってます。
サン・ペトロニオ聖堂をはじめ、他の都市に比べるとボローニャの教会は写真不可の所が多いと思います。


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15世紀に建物の一部がルネサンス様式に改造されました。


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ファサード天辺のヴェネツィア様式の彫刻はMaestri Lombardi制作(1295)です。


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ファサード左(向かって)のフレスコ画
風雨、日光に晒されて経時劣化が著しく、聖人の特定が出来ません。


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入口扉上ルネッタのフレスコ画


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こちらの方は保存状態が良いと思います。(詳細不知)


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入口扉左右のライオン像


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ファサード横のポルティコに向かいます。


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ポルティコの壁にフレスコ画があります。


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かなり痛みがあるフレスコ画です。


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伝統的にトンマーゾ・フィリッピに帰属するとされてます。


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ポルティコ側にも聖堂への入り口があります。


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Basilica Minoreに格付けされてます。
聖堂内に入って拝観しましたが、前述のように写真不可なので、私の写真が一枚もありません。外部サイトから拝借して、一部の作品を(その4)で紹介することにします。


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後陣と鐘楼


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ファサード横に旧修道院の建物があります。


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旧修道院壁龕上部のフレスコ画


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写真左端の入り口からキオストロに入ることが出来ます。


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キオストロと回廊


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旧修道院の建物は音楽学校になってます。


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キオストロ回廊に置かれたベンチに座って、建物から流れる音楽を聴きながら暫し休息。


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(つづく)

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Via delle Belle Artiです。


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これ以上歩いてもVia delle Belle Artiには見所がありません。Via Zamboniの方が見所が豊富です。


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見所豊富なVia Zamboniです。


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ボローニャ貴族ポッジ家の邸宅として、1549年から1560年に建設されたPalazzo Poggiです。


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Palazzo Poggiは、ボローニャ大学の本部となっている他、幾つかのMuseoがあります。


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Museoに入館するためにPalazzo Poggiの階段を上りました。


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ところが、開館日の筈でしたが、何故か休館になってました。


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突発的な臨時休館はイタリアでは時々起きるので、驚くことではありませんが、予定が狂いました。


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Via Zamboniを挟んでPalazzo Poggiの向かいに、ボローニャ大学芸術学部の建物があります。


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芸術学部がある建物の壁に絵画があります。学生が描いた?


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面白いので暫し鑑賞。


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ボローニャ大学の学舎が並んでる通りです。


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Via Zamboniの先にサン・ジャコモ・マッジョーレ聖堂があります。


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写真右のTeatro Comunaleに用事がありました。オペラの切符をネットで予約したので、切符を受け取ります。


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ヴェルディ広場


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1651年に建設されたマルヴェッツィ劇場が1745年に消失してしまったので、建築家アントニオ・ガッリ・ビビエーナ(1697-1774)の設計によって建築され、1763年にオープンしたボローニャ市立劇場です。


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ボローニャ歌劇場の本拠地です。


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特にモーツァルトのダ・ポンテ三部作が魅力的な歌劇場と思います。


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受け取った切符はコジ・ファン・トゥッテです。ナポリのサン・カルロ劇場で見た演出と同じでした。


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ボローニャ歌劇場は来日引っ越し公演をしたことがあります。


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夏の強烈日差しが、先ほど降った雨に濡れた道路を乾かして、大変な高湿度、高温となりました。


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Via Zamboniとヴェルディ広場を挟んで、市立劇場の向かいにある建物(旧べンティヴォーリオ厩舎)に描かれたフレスコ画が必見です。


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ジョヴァンニ・フランチェスコ・スピーニの「ピエタ」(1698)です。


153
ボローニャでは、このような案内板が完備されています。


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次はサンタ・チェチリア祈祷所です。


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サンタ・チェチリア祈祷所の入り口は、サン・ジャコモ・マッジョーレ聖堂横のロッジャにあります。


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サンタ・チェチリア祈祷所の入り口上に案内表示があるので、迷うことはないと思います。


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サンタ・チェチリア祈祷所に入って行く人がいました。


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中に入りました。ポルティコの壁にフレスコ画があります。


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写真右の赤い幕がある所が祈祷所の入り口です。


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オラトリオのポルティコの壁に描かれたフレスコ画を見ます。


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アミーコ・アスペルティーニの弟子によって描かれた部分がありますが、ポルティコのフレスコ画の作品帰属は明確になっていないようです。


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父なる神


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聖チェチリア


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保存状態があまり良くない部分


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祈祷所の中に入ります。中は写真不可です。


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祈祷所の外から撮った祈祷所内部の写真です。


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祈祷所の祭壇画は、フランチェスコ・ライボリーニ通称イル・フランチャ別称フランチェスコ・フランチャ(ボローニャ?、1447/1449c-ボローニャ、1517)の「磔刑」です。
写真不可にも拘らず、外部サイトに祈祷所内部の写真があるのが不可思議(私が日本人とみて侮られていたのでしょう、私の写真は一枚もありません)ですが、ここは必見なので、それらの写真を無断拝借して(その3)に掲載することにしましょう。


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外に出ました。
(つづく)

大変な一年が過ぎようとしています。
今年は、ベートーヴェン生誕250年にあたり、演奏会に行く予定でしたが、コロナのために実現しませんでした。
ヴェネツィアのカーニバルが途中で中止され、封鎖された時には、今年の秋には何とかなるだろうと楽観視していました。見通しの甘さを痛感しています。
イタリアが遠くなる一方ですね。イタリアが身近に感じられずに、記事を書いている毎日です。
本年もお付き合いいただき有難うございます。
来年もどうぞよろしくお願い致します。

ボローニャは、人口392,696人(2019年11月30日現在)のエミリア・ロマーニャ州の州都であり、同州ボローニャ県の県都です。
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前泊地がカステッラルクア―トだったので、最寄り駅のフィオレンツォ―ラ駅から列車でボローニャに向かいました。フィオレンツォ―ラ駅は、ピアチェンツァ~パルマ間にある快速列車が停車する駅です。


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フィオレンツォ―ラ駅を定時に発車しました。


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フィオレンツォ―ラ駅を発車した時、車内は写真のように空いてましたが、パルマ、レッジョ・エミリア、モデナで乗車する人が多く、ボローニャ手前ではほぼ満員状態になりました。


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快速列車なので、地上駅に到着しました。特急列車は大体地下駅の発着となるので、地上に上がるまで時間がかかります。


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ボローニャは、美術的な見所が満載なので、毎年来ています。


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ボローニャ駅の駅舎です。


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この時は、駅前の写真左のホテルにしました。飛行機利用の場合、必ずこのホテルに泊まることにしています。


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荷物をホテルに預けてから、街歩きに出発しました。午前中にも拘らず雷鳴が聞こえてきました。晴れていたと思っていたのですが、ホテルから外に出ると、空は黒い雲に覆われていました。


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市域の拡大によって、城壁が拡張されましたが、第3の城壁に築かれたガッリエラ門です。


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私には教会のように見えます。恥ずかしながら、初めてボローニャに来た時、門と思わず教会の建物と思ってました。


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1200年頃に建設されたガッリエラ門は、戦争、紛争などで破壊、再建を繰り返しました。現在、見ることが出来るバロック様式のガッリエラ門は、1660年から1663年に建設されました。


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門の後方にガッリエラ城の遺跡があります。


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ボローニャに来たならば、真っ先に目指すのは国立絵画館です。


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国立絵画館は、開館日時が頻繁に変更されるので、要注意です。


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この時は、曜日によって午前のみ、午後のみの開館となっていて、ゆっくり鑑賞したい私としては困りものの絵画館となっていました。一回の旅で、絵画館に二回入館して写真を撮る日と鑑賞だけする日に分けているのが常でしたが、ボローニャ絵画館だけは、それが叶いませんでした。
展示作品が多いので、午前中に全作品の写真を撮るには時間が足りず無理でした。鑑賞も同じでした。
だから、一回のボローニャの旅で、写真撮るために2日、鑑賞するために2日、計4日必要だったのです。


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雷鳴が近くなると、やがて雨が降ってきました。


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ポルティコがどこまでも続くボローニャなので、急な雨でも歩き回るには支障がありません。


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恐らく教会だった建物と思いますが、詳しいことが分かりません。


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幸いにも雨が上がりましたが、雷鳴がまだ聞こえてきます。


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赤い煉瓦に染まる街ボローニャです。


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切りピザ店に立ち寄り、一切れ買い求めて食べながら国立絵画館へと急ぎました。閉館の午後2時まで頑張らないといけないので、エネルギー補給が必要でした。


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大学生が多いですね。イタリアの大学は、入学は容易、卒業は難しいと言われてます。
私が大学を卒業したのは、半世紀以上前ですが、勉強させられました。理工系でしたが、午後1時から実験が始まって、終わるのが午後9時過ぎ、自宅で実験レポートを書いて、それを15週やって僅か1単位でした。製図は、自宅で数日かけて仕上げて、15週かけて15点の墨入れ製図を提出して僅か1単位。卒業は、文科系も理工系も同じ124単位以上でしたから、割に合いませんね。


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ぽつぽつと雨が落ちてきました。


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夏でしたが、アルプスからの寒気が強くて、天気が安定しません。


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柱廊の突き当りを右折すれば、絵画館です。


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絵画館の建物です。雲の切れ間から強い日差しが照り付けてきました。


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国立絵画館にやってきました。強い日差しによって、雨に濡れた道路から水分が蒸発して、大変な湿気でした。


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入館しました。


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ボローニャの国立絵画館については、既に取り上げました。ご興味のある方はご参照願います。


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この絵画館の特徴はボローニャ派絵画の殿堂であることでしょう。日本では、ボローニャ派絵画はあまり人気がないように思えるのですが、如何でしょうか?


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グイド・レーニの作品


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ルドヴィーコ・カッラッチの作品


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アンニーバレ・カッラッチの作品


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グエルチーノの作品


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ドメニキーノの作品


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グエルチーノの作品


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途中で時間切れとなってしまいました。


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国立絵画館のパラッツォの中庭


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私が外に出るのを待ってます。


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閉館の30分くらい前に、係員から「そろそろ閉館の時間です」と言われます。


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閉館時間の10分前に外に出たら、すぐに扉が閉まりました。私が最終入館者だったようです。


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大勢の学生が絵画館がある建物の柱廊で座り込んでいました。


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直ぐに大粒の雨が落ちてきました。


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雨宿りを兼ねて、サンタ・マリア・マッダレーナ教会向かいにあるカフェで学生たちと昼食をともに。


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食べているうちに俄雨が上がりました。
(つづく)

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日曜朝のポポロ広場は静寂に包まれていました。
前日は、青空市のため、ポポロ広場全体の写真を撮れなかったが快晴でした。この日は、今にも雨が降り出しそうな悪天でしたが、広場全体の写真を撮れました。


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ポポロ広場に面して建つサンティ・アンナ・エ・ジョアッキーノ教会です。


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建築家ジャコモ・サッシ・ファッブリによって1663年に建設された教会です。中にクリストフォロ・セッラ(チェゼーナ、1600-1689)の祭壇画、フレスコ画があるようです。
観光案内所に事前リクエストをすれば、中に入ることが出来るようです。


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次はマラテスティアーナ要塞です。


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写真左にマラテスティアーナ要塞に通じる門があります。


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要塞への門が開いてました。


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現在の要塞は三代目です。


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門前から見たポポロ広場です。


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要塞への坂道を上り始めました。


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現在の要塞の西方にサヴィオ川が流れてますが、現在の要塞よりも西側にローマ時代後期に建設された”Castrum Romanum"がありましたが、その遺跡の上に”Rocca Antica"と呼ばれる最初の要塞が建設されました。


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”Rocca Antica"は、1000年頃のサヴィオ川の洪水によって起きた崖崩れで破壊されてしまいました。その後、”Rocca Antica”よりもサヴィオ川の稍々下流の丘に二番目の要塞”Rocca Vecchia"が建設されました。二番目の要塞にフェデリーコ・バルバロッサ(1122-1190)が暫く留まった記録が残されてます。


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要塞の城壁です。
二番目の要塞”Rocca Vecchia"は、1377年、ロベルト・ダ・ジネブラ枢機卿(後の対立教皇クレメンテ7世)が率いたブルトン軍(ブルターニュ地方)によって破壊されました。


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丘を上ってきました。


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現在の三代目のマラテスティアーナ要塞は、この地を支配していたマラテスタ家のガレオット1世・マラテスタ(リミニ、1300c-チェゼーナ、1385)が、1377年に破壊された”Rocca Vecchia"を基に、改装整備工事を1380年に開始し、ガレオット1世の死後、子孫に引き継がれ1477年に完成しました。


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チェーザレ・ボルジアに仕えていたレオナルド・ダ・ヴィンチが、1502年から1503年にかけて対大砲防御工事を行ったことでも知られてます。


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写真左に要塞の本丸?への入り口があります。


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要塞本丸と中庭に通じる門です。


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中庭に入りました。


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要塞の本丸?です。


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中に入ることが出来ますが、この時期は休館でした。


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夏季には中庭でコンサートなどが行われます。


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日曜朝にここに来た物好きは私一人でした。


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人の気配が全くありません。


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何もないので、中庭から外に出ました。


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要塞から下る道の途中で、サンタゴスティーノ教会の鐘楼が見えました。


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要塞を見上げる位置まで道を下ってきました。


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この頃は未だ足腰が丈夫でした。


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広場に下りてきました。


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この旅の前回、ここに泊まりました。観光するには絶好の場所にあります。メリットはそれだけ?


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お馴染みとなったポポロ広場です。


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空き過ぎも拍子抜けします。


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元々、Palazzo Albornozと呼ばれていた市庁舎です。


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14世紀半ば、スペイン出身のエジーディオ・アルボルノス枢機卿(スペイン、1310-ヴィテルボ、1367)によって建設されたので、Palazzo Albornozと呼ばれたのです。


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写真左の広場に進みました。


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アメンドーラ広場です。


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次はサンタゴスティーノ教会です。


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道の突き当りがサンタゴスティーノ教会です。日曜朝のミサがあるので、扉が開くと淡い期待を抱いていました。


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1252年、フランチェスコ会によって建設された修道院が前身です。その後、教会が併設されました。


P1140017
1457年、マラテスタ・ノヴェッロの妻ヴィオランテ・ダ・モンテフェルトロは、フランチェスコ会修道士にオッセルヴァンツァ教会を与え移住させ、アゴスティーノ会にこの場所にあった修道院教会に与えたのです。


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残念、サンタゴスティーノ教会は閉まっていました。


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譲渡を受けたアゴスティーノ会は、アゴスティーノ修道院教会と改称すると共に、1520年に改修工事を行いました。


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現在の姿は、1748年から1777年に再建されたものです。


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サンタゴスティーノ教会の鐘楼


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開く教会は限られてます。教会巡りは効率が悪いと思います。


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人通りがありません。


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次はサント・スピリト教会です。


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1694年から1695年に建設されたサント・スピリト教会です。


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現在の教会の後陣後方にあった、14世紀に建設された修道院が前身です。
ナポレオンの抑圧令によって閉鎖され、その後、宗教活動が再開されたことがない旧教会です。


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歴史的建造物です。


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修道院だった建物です。


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これで見たいものは大体見たようです。


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美術品が多いので、チェゼーナは私にとっては珠玉の街です。


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雨が強くなってきました。


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次の目的地ボローニャに向かいました。


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(おわり)

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道路を挟んで、サンタ・マリア・デイ・セルヴィ教会の向かいに劇場があります。


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チェゼーナ市立アレッサンドロ・ボンチ劇場です。
とうとう雨が降ってきました。


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1843年から1846年に建設されました。
市立劇場の名称はチェゼーナ生まれの名テノール歌手アレッサンドロ・ボンチ(チェゼーナ、1870-ヴィセルバ・ディ・リミニ、1940)に因んでます。


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ドゥオーモの方に向かいました。


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エミリア街道は、この辺ではガリバルディ通りと呼ばれてます。


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雨が急に強くなったので、ポルティコを歩きます。


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昼食を食べるまで快晴だったので、油断して傘を持っていませんでした。


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雨が小降りになったので、エミリア街道を歩きました。


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程なくドゥオーモの鐘楼と後陣が姿を現します。


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エミリア街道に築かれた街中でエミリア街道と呼ばれることは稀のようです。


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ドゥオーモのファサード前にあるジョヴァンニ・パオロ2世広場です。


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幸いにも雨が止んでくれました。


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ドゥオーモの中を覗いたら、土曜の夕べのミサの真っ最中でした。


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雨が何時強くなってもおかしくないので、ホテルに戻ることにしました。


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城壁外に向かうCorso Sozziです。


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かなり薄暗くなってきました。


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城壁と城門の代わりに建てられたBarriera Cavourが見えてます。


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この日は、これで終わりです。
友人との夕食のどんちゃん騒ぎがありますが、写真がありません。


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翌朝です。日曜日の朝なので、バスターミナルにはバスが一台もなかった。


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雨が落ちていませんでしたが、今にも泣き出しそうな曇天です。


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低い城壁です。


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車が走らず、人通りが殆どありません。


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日曜朝のミサまで、かなり時間があったので、聖堂内は信者が数名いただけでした。ゆっくりと拝観出来ました。


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チェゼーナの図書館に敬意を表して、もう一度図書館を見ます。


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Corso Mazziniのポルティコ


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Palazzo del Ridotto、ex-Palazzo del Podesta


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人出が少ないので、写真を撮るには絶好ですが、天気が良くないのが玉に瑕。


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Palazzo del Ridotto前から見たドゥオーモ


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マラテスティアーナ図書館


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ボッカクゥアットロ教会


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図書館は日曜休館です。


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マラテスティアーナ図書館の前に立つ彫像は、Maurizio Bufalini (チェゼーナ、1787-フィレンツェ、1875)です。イタリアの臨床医で、医学部の教授法で革命を起こしたことで有名です。


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こちらはRenato Serra (チェゼーナ、1884-モンテ・ポドゴーラ、1915)の頭像です。Serraは文芸評論家、作家です。


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Piazza Fabbriから見たPalazzo del Ridottoです。


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Palazzo del Ridottoの左側壁外観です。その先にサンタ・マリア・デル・スッフラージョ教会が写ってます。


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Palazzo del Ridottoの市民の塔です。


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ポルティコを通ってポポロ広場に向かいました。


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突き当りに市庁舎が写ってます。


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日曜日は完全休業の市庁舎です。


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ポポロ広場


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マラテスティアーナ要塞


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マシーニの噴水(1588-91)


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(つづく)

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そろそろ昼食の時間です。


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チェゼーナは友人の方が良く知っているので、友人に店選びを任せました。


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アルビッツィ広場です。


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友人のお気に入りの店は休業でした。行き当たりばったりで適当に探すことにしました。


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突き当りにサンタ・キアーラ修道院だった建物があります。


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旧サンタ・キアーラ修道院の建物です。


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1233年から街の文書にサンタ・キアーラ修道院が記載されるようになりました。1540年に拡張され、現在の規模になりました。


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外壁にフレスコ画が残されてます。
身廊部分は1722年に再建されたそうです。


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ナポレオンのイタリア侵攻後の教会活動抑圧令に伴い、18世紀末に修道院活動が停止され、その後、一度も宗教行為が再開されることなく現在に至ってます。


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ドゥオーモ近くの、冴えないお店で昼食を食べました。料理がイマイチだったので、ワインをがぶ飲みする羽目に。


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昼食後、外に出たら雲が厚くなって、今にも泣き出しそうでした。
Contrada Uberti


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サン・ゼノーネ教会です。


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教会の存在が初めて記載されたのは、1292年の文書だそうです。現在の建物は、1764年に再建された二代目のものです。


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13世紀末に建設された鐘楼が今でも現役ですが、私の写真に写ってません。


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ソッツィ通りにあるPalazzo Ghiniです。


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この場所には、紀元前3世紀から2世紀に建設された建物があったそうです。それらの遺跡の上に建ってます。


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Palazzo Ghiniの入り口です。
チェゼーナの貴族ギーニ家の邸宅として1760年台に建設されました。


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ファサードが未完成?のようで、荒々しい感じがする外観です。


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次は市立絵画館です。


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アルベルティ―ニ通りを進みます。


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市立絵画館が置かれている旧サン・ビアージョ教会修道院の外壁までやってきました。


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市立絵画館の入り口です。
チェゼーナ市立絵画館については、既にアップしました。
ご興味のある方は下記サイトをご参照ください。
http://luca-signorelli.blog.jp/archives/cat_352893.html


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旧サン・ビアージョ教会の鐘楼です。


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Via Aldiniを進みます。


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写真左の建物の先、その横に教会があります。


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サンタ・マリア・デイ・セルヴィ教会です。


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セルヴィ・ディ・マリア教会とも呼ばれてます。
1233年にフィレンツェで設立されたSette Santi Fondatori修道会によって、1300年に建設されたサンタ・マリア・デイ・セルヴィ修道院が前身です。


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教会は15世紀後半に再建されましたが、18世紀前半には建物劣化が進み危険になってしまいました。現在の建物は1三代目となるもので、1756年工事着工、1765年に完成しました。


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1782年6月2日、第250代教皇ピオ6世(チェゼーナ、1717-フランス、1799 在位:1758-1799)によって奉献式が執り行われました。
ピオ6世は、ナポレオンのイタリア侵攻によってフランスに送られ、悲嘆のうちにフランスで死去しました。


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後陣と鐘楼


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中に入りました。


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単廊式、ラテン十字形の内部です。


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右側壁


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天井


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逸名画家作「聖母子」(16世紀)


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18世紀のエミリアの逸名画家作「聖ペッレグリーノを治すキリスト」


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詳細不知


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ジョヴァン・バッティスタ・バッランティ・グラツィアーニ(ファエンツァ、1762-1835)の「ピエタ」


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詳細不知


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逸名画家作「聖フィリッポ・べニツィの栄光」(17世紀末)


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後陣左壁の絵画を見ます。


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1514年に制作された「磔刑」と「聖セバスティアーノ」


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後陣右壁のジャンフランチェスコ・モディリアーニ(フォルリ、1590-1609活動記録)の「ピエタ」とリーヴィオ・モディリアーニ(フォルリ、1540c-1610c)派逸名画家作「受胎告知」


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ビックリです。カルロ・サラチェーニの作品が取り外されていました。
ガックリ、残念でした。


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取り外されていた作品の画像です。(外部サイトから拝借しました)
カルロ・サラチェーニ(ヴェネツィア、1585-1625)の「ペスト患者を見舞う聖カルロ・ボッロメオ」(1618)


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祭壇前から見た出入口方向


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外に出る前に祭壇をもう一度見ました。


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外に出ました。
(つづく)

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ポポロ広場の西端にサン・ドメニコ教会があります。
サン・ドメニコ教会は美術ファンにとって必訪です。
ナポレオンによるイタリア侵攻によって、多くの美術品がフランスに持ち去られましたが、チェゼーナも例外ではありませんでした。
ナポレオンの失脚後、フランスに持ち去られた作品の返還交渉が行われ、チェゼーナに戻された作品もあります。また、フランス軍によってチェゼーナの教会から取り外されたものの、フランスに移されずにチェゼーナの街中に散らばっている作品がありました。当時の教区司祭のドメニコ・パッソッキは、それらの作品の多くを集めて、サン・ドメニコ教会の礼拝堂や側壁などに掲げたのです。その結果、サン・ドメニコ教会は、今日「第2のアートギャラリー」と呼ばれるようになりました。


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サン・ドメニコ教会です。


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ドメニコ会修道士の聖ピエトロ・マルティーレ別称ピエトロ・ダ・ヴェローナ(ヴェローナ、1205c-セベソ、1252)は、死の直前、現在サン・ドメニコ教会が建っている場所で説教を行いました。
彼の死後、説教が行われた場所に修道院建設が計画され、1279年にサン・ピエトロ・マルティーレ修道院が完成し、1280年に奉献式が行われました。
15世紀に修道院に隣接してサン・ピエトロ・マルティーレ教会が建設されました。


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17世紀末、修道院と教会の建物は経時劣化のため継続使用が困難となりつつあったので、その再建が布告されました。


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チェゼーナの建築家ジョヴァンニ・フランチェスコ・ゾンディ―ニに再建工事が委嘱され、彼の設計によって1707年から1727年にかけて修道院と教会が再建されました。
教会の再建が一応の完成を見た1722年に奉献式が執り行われ、それを機にサン・ドメニコ教会と改称されました。


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写真左が修道院だった建物です。
ナポレオンのイタリア侵攻によって、修道院活動が抑圧され、1811年まで孤児院となりました。その後、旧修道院の建物は市立病院に転用され、1911年から現在に至るまで学校の校舎となってます。


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教会内に入りました。


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単廊式、後期バロック様式の内部です。


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左右の側壁に礼拝堂が各3つづつあります。


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半円形の後陣です。


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カウンターファサードに絵画が4点あります。


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クリストフォロ・セッラ(チェゼーナ、1600-1689)の「キリストとサマリア女」


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アンドレア・マイナルディ通称イル・キアヴェジーノ(クレモナ、1550c-1617)の「聖アルデブランドの奇跡」(1678)


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アンドレア・マイナルディ通称イル・キアヴェジーノ(クレモナ、1550c-1617)の「悪魔に取りつかれた男を介抱するキリスト」


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クリストフォロ・セッラ(チェゼーナ、1600-1689)の「悪魔に取りつかれた男を解放する聖ウバルド」(1629c)


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クリストフォロ・サヴォリーニ(チェゼーナ、1639-1677)の「聖ドメニコの祭壇画」(1671)


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エミリアの逸名画家作「キリストの埋葬」(16世紀)


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フランチェスコ・アンデリーニの「永遠なる父と聖人たち」(18世紀)


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聖母の祭壇です。


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「授乳する聖母」(15世紀)を取り囲んでフランチェスコ・アンデリーニの「聖母の物語」(17世紀)が15場面描かれてます。


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15世紀の逸名画家作「授乳の聖母」


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フェリーチェ・トレッリ(ヴェローナ、1667-ボローニャ、1748)の「聖母子と聖カルロ・ボッロメオ」(1716)


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ジャンフランチェスコ・モディリアーニ(フォルリ、1590-1609)の「天上の聖母子と聖フランチェスコと聖ジローラモと聖ジョヴァンニ・バッティスタとアレッサンドリアの聖カテリーナ」(1602以降)


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フランチェスコ・マンチーニ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1679-ローマ、1758)の「聖ペッレグリーノ・ラツィオージ」


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フランチェスコ・アンデリーニの「聖ヴィンチェンツォ・フェッレーリ」(1731)


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18世紀の逸名画家作「聖ヴィンチェンツォ・フェッレーリ」


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ピエル・パオロ・メンゾッキ(フォルリ、1532-1589)の「マギの礼拝」


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クリストフォロ・セッラ(チェゼーナ、1600-1689)の「聖ピエトロ・マルティーレの殉教」


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ジュゼッペ・チェーザリ通称カヴァリエール・ダルピーノ(アルピーノ、1568-ローマ、1640)の「天上の聖母子と聖ドメニコと信者たち」(1601c)


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ボローニャの逸名画家作「聖母被昇天」(17世紀末-18世紀初頭)


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フェリーチェ・トレッリ(ヴェローナ、1667-ボローニャ、1748)の「聖母子と聖アンナとサレスの聖フランチェスコ」(1716-17)


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16世紀後半の「磔刑像」


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ラッザーニ(1712-1791)の「天国のカギを聖ピエトロに託すキリスト」


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後陣祭壇画の写真をうまく撮れません。


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フランチェスコ・メンゾッキ(フォルリ、1532-1589)の「磔刑」


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作品帰属は全部分かってます。(私が)


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ビアージョ・ダントニオ・トゥッチ(フィレンツェ、1446-1516)の「ピエタのキリスト」(15世紀末)


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ラッザーニの「聖バルトロメオと聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ」、クリストフォロ・セッラ(チェゼーナ、1600-1689)の「聖パオロと祈るキリスト」(1635c)



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ジョヴァンニ・バッティスタ・ラッザーニの「受胎告知」(1640c)


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まだまだ沢山ありますが、キリがないのでこの辺で終わりにします。


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外に出ました。
(つづく)

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引き続きドゥオーモです。
クリプタから内陣に戻りました。


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リーヴィオ・モディリアーニ(フォルリ、1540c-1610c)の「ジャンフランチェスキ・アウグストクスの物語」


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制作者情報不知の「大理石のポリッティコ」(1514-17)


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アントニオ・アレオッティ(アルジェンタ、1450以降-チェゼーナ、1530c)の「三位一体」(1509)


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カルロ・ゴッタルディの「聖セヴェーロ」(1490)


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16世紀のエミリアの逸名画家作「聖母子とパドヴァの聖アントニオ」


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Cappella della Madonna del Popolo


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Cappella della Madonna del Popoloのクーポラのフレスコ画は、コッラード・ジャクゥイント(モルフェッタ、1703-ナポリ、1766)の「ポポロの聖母」(1750)


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Cappella della Madonna del Popoloの主祭壇画は、バルトロメオ・ラメンギ通称イル・バニャカヴァッロ(バニャカヴァッロ、1484-ボローニャ、1542)の「ポポロの聖母」(1520)


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ロレンツォ・ブレーニョ(オスティーノ、1475/1485c-ヴェネツィア、1523)の「聖クリストフォロと聖レオナルドと聖エウスタキオ」(1514-17)


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制作者情報不知の「キリストの聖心」


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詳細不知


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逸名画家作「聖ヴィンチェンツォ・フェッレーリ」(16世紀)


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逸名画家作「聖ロッコ」(16世紀)


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一旦、外に出ます。


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次はドゥオーモ博物館です。


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後陣の写真左にピンクぽい建物がありますが、それは旧サン・トビア礼拝堂で、その礼拝堂にドゥオーモ博物館があります。


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開館日時が限られており、それに合わせてチェゼーナへの旅程を決めたので、開館を確かめて安心しました。


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入館無料です。


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ドゥオーモ博物館の入り口です。美術的に必見の作品が数点あります。


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入館しました。


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ジョヴァンニ・フランチェスコ・ダ・リミニ(リミニ、1441-ボローニャ、1470)の「玉座の聖母子」


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最近、修復されたようです。


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パオロ・ヴェネツィアーノ(ヴェネツィア、1300-1365)の「玉座の聖母子」(1347)


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ジローラモ・ジェンガ(ウルビーノ、1476-1551)の「受胎告知」(1516-18)


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礼拝堂クーポラ


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礼拝堂天井


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ジローラモ・フォラボスコ(パドヴァ、1604-1679)の「聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ(福音書記者聖ヨハネ)に顕現する聖母」


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詳細不知


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昇階誦


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詳細不知


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詳細不知


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Museo Diocesanoの定番展示物


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聖具類


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ベネデット・ジェンナーリ(チェント、1563-1610)の「キリストの洗礼」(17世紀)


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同名の孫ベネデット・ジェンナーリ(チェント、1633-ボローニャ、1715)も画家でしたが、この作品は祖父、孫のどちらの作品でしょうか?


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詳細不知


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シピオーネ・サッコ(ソリアーノ・アル・ルビコーネ、1495-チェゼーナ、1558)の「聖グレゴリオ・マーニョに顕現する聖母子」(1542)


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逸名画家作「教皇ピオ7世の肖像」
第251代教皇ピオ7世(チェゼーナ、1742-ローマ、1823 在位:1800-1823)


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逸名画家作「教皇ピオ6世の肖像」
第250代教皇ピオ6世(チェゼーナ、1717-フランス、1799 在位:1758-1799)
ピオ6世、ピオ7世と、チェゼーナ生まれの教皇が2代続きましたが、ナポレオンのイタリア侵攻によって受難続きでした。


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(つづく)

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チェゼーナのドゥオーモです。


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チェゼーナ=セルシーナ司教区の司教座が置かれたサン・ジョヴァンニ・バッティスタ大聖堂です。


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1960年、第261代教皇ジョヴァンニ23世(ヨハネ23世)(ソット・イル・モンテ、1881-ヴァティカン、1963 在位:1958-1963)によってBasilica Minoreに格付けされました。


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14世紀第3四半世紀まで、チェゼーナの司教座教会はマラテスティアーナ要塞内部にありましたが、不便ということで、別の場所に司教座教会の建物新築の話が持ち上がりました。
その企画は、1378年、第202代教皇ウルバーノ6世(イトリ、1318c-ローマ、1389)によって認可されました。


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リミニとチェゼーナの支配者アンドレア・マラテスタ(1373-1416)の資金負担によって、建築家Canton Undervaldo(恐らくスイス出身)の設計、工事監督下で1385年に工事着工、1405年に完成したロマネスク=ゴシック様式の教会です。


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ファサードは、マウロ・コドゥッシ(レンナ、1440-ヴェネツィア、1504)の設計によって15世紀末に完成しました。


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後陣


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鐘楼は、ルガーノ出身の建築家マーゾ・ディ・ピエトロの設計によって1443年から1456年に建設されましたが、現在の鐘楼はオリジナルのものとは少し違います。


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1741年から1753年にかけて聖堂全般の改造工事が行われましたが、その際、鐘楼が高くされ、現在の72mの高さとなりました。


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入口扉のブロンズ彫刻を見ます。


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15世紀末に完成したファサードの入り口にもブロンズ彫刻がありましたが、経時劣化による損傷が激しく使用不能となったので、2000年に現在のブロンズ彫刻の扉に置き換えられました。


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イラリオ・フィオラヴァンティ(チェゼーナ、1922-サヴィニャーノ・スル・ルビコーネ、2012)によって2000年に制作されたブロンズ製扉


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ブロンズ彫刻のテーマは「聖ジョヴァンニ・バッティスタ(洗礼者聖ヨハネ)の物語」です。


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入口扉横の柱の彫刻


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柱頭


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ヴィンチェンツォ・ゴッタルディの「聖母子」(1510)


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左側壁横にある、レオナルド・ルッキ(チェゼーナ、1952-存命中)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタ(洗礼者聖ヨハネ)像」


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右側壁


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写真右はサン・トビア礼拝堂です。


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サン・トビア礼拝堂にドゥオーモ博物館が置かれてます。


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拝観します。


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聖堂内に入りました。


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三廊式、ロマネスク・ゴシック様式の内部です。


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ギリシャ十字形のように見えますが、左翼廊があるものの、右側には翼廊がありません。


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木組み梁の天井


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左側廊


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右側廊


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「San Zenoneの磔刑像」(15世紀)


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ブレーニョ(オステーノ、1455c-ヴェネツィア、1520c)の「コルプス・ドイーニの祭壇」(1505)


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コルプス・ドイーニの祭壇は非常に有名です。


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詳細不知


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ピエル・ジャコモ・ベッカリーニの「ポポロの聖母」
この画家については存じません。


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主祭壇と後陣


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後陣左側壁にあるジュゼッペ・ミラーニ(フォンタネッラート、1716?-チェゼーナ、1798)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの誕生」(1782)


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後陣右側壁にあるジュゼッペ・ミラーニ(フォンタネッラート、1716?-チェゼーナ、1798)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの斬首」(1782)


1
クリプタに入りました。


3
聖マウロの聖遺物


2
(つづく)

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再び街歩きに出発しました。


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少し雲が出てきました。


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城壁です。チェゼーナは城壁がかなり残っている街です。


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城壁沿いのViale Gaspare Finaliです。


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城壁が築かれた頃は、地表からの城壁の高さはもっと高かったとされてます。


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通りの名称はこの彫像が置かれているからでしょう。Gaspale Finali(チェゼーナ、1829-マッラーディ、1914)は、地元出身の大臣、上院議員などを歴任したイタリア王国の政治家です。


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旧市街の入り口Barriera Cavourに来ました。


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旧市街のソッツィ通りに入りました。次はサンタ・マリア・デル・スッフラージョ教会です。


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サンタ・マリア・デル・スッフラージョ教会です。小さな教会ですが、かって主祭壇を飾っていた素晴らしい作品の残念な歴史があるのです。


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この場所にシナゴーグがありましたが、1656年にキリスト教会に変換されました。教会を所有することになったConfraternita del Suffragioは新たな建物を望み、ボッロミーニの弟子ピエル・マッティア・アンジェローニの設計、工事監督によって1685年から1689年に再建されたバロック様式の建物が現在の姿となってます。


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Palazzo del Ridottoのほぼ向かいにあります。


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教会内に入りました。


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単廊式、バロック様式の内部です。


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右側壁


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スタッコ彫刻による装飾


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フランチェスコ・カッリガーリによる装飾


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フランチェスコ・カッリガーリの彫刻


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主祭壇画を見ます。


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コッラード・ジャクゥイント(モルフェッタ、1703-ナポリ、1765)の「聖母の誕生と聖マンツィオ司教」(1752)


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実は、この教会にあった主祭壇画は、ナポレオンのイタリア侵攻の際、フランス軍に没収されてしまったので、この作品に差し替えられたのです。
オリジナルの主祭壇画は、グエルチーノの「コルトーナの聖マルゲリータ」でした。


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この教会にあった主祭壇画、ジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリ通称グエルチーノ(チェント、1591-ボローニャ、1666)の「コルトーナの聖マルゲリータ」(1648)です。
フランス軍の没収された本作品はパリに持ち去られ、一旦はルーヴル美術館で展示されていましたが、ナポレオンの没落後、返還交渉が行われたものの、この教会には戻らず、何とヴァティカンに移されてしまいました。
現在、この作品はヴァティカン絵画館で展示されてます。


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フランチェスコ・アンデリーニの「聖母子と聖人たち」(1751)


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フランチェスコ・カッリガーリの彫刻


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フランチェスコ・アンデリーニの「無原罪の聖母と聖人たち」(1751)


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フランチェスコ・アンデリーニのことは全く分かりません。


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詳細不知


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外に出ました。


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ポポロ広場に来ました。


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Palazzo Comunaleです。


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ポポロ広場が街の中心です。


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人出が一段と多くなってきました。


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青空市が開市されていたポポロ広場です。


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ポポロ広場にある、フランチェスコ・マシーニ(チェゼーナ、1532-1601)の「マシーニの噴水」(1588-91)です。フランチェスコは地元出身の画家、建築家です。


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マニエリスム彫刻の傑作とされている「マシーニの噴水」です。


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マラテスティアーナ要塞


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要塞がポポロ広場を見下ろしてます。


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青空市が賑わっていました。


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中国人が多数青空市に進出してます。逞しいです。


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(つづく)

チェゼーナは、人口97,025人(2019年10月31日現在)のエミリア・ロマーニャ州フォルリ=チェゼーナ県の県都です。街の歴史は古く、紀元前5世紀にはウンブリア人の町があったとされてます。紀元前189年から187年に敷設されたエミリア街道に置かれたローマ軍の軍事基地の一つとして発展しました。
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前泊地はプラートでした。


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プラート中央駅からICの直通列車に乗車してチェゼーナに向かいました。車内は空気運搬の如く非常に空いてました。


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チェゼーナ駅にほぼ定時に到着しました。
チェゼーナは、ピアチェンツァ~フィデンツァ~パルマ~レッジョ・エミリア~モデナ~ボローニャ~イーモラ~ファエンツァ~フォルリ~リミニ~ペーザロ~ファーノ~セニガッリア~アンコーナの鉄道幹線上にあるので、鉄道利用がお勧めです。


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チェゼーナ駅の駅舎です。


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駅前に広いバスターミナルがあります。


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この日のお宿は、駅前広場に面したホテルです。


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ホテルに荷物を預けて身軽になったので、街歩きに出発しました。


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スーパーConadの本社はボローニャにありますが、営業部門の本部はチェゼーナにあるようです。


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陸橋です。


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JFK陸橋です。ケネディ大統領は、イタリアで人気なようで、道路や広場などの名称になってます。


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この日の午前中は快晴でした。
鉄道駅から旧市街まで意外に距離があって、徒歩で10分以上かかります。


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寄り道し過ぎで、ここまで来るには時間がかかってしまいました。ここは旧市街の入り口Barriera Cavourです。
この場所に城壁の門であるチェルヴェ―ゼ門がありましたが、イタリア統一を機に城壁と門が取り壊され、1864年にBarriera Cavourが新たに建設されたのです。


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旧城壁内のソッツィ通りに入りました。


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土曜日の午前中とあって、人出で多かった。


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先ずドゥオーモに行きます。Barriera Cavourから徒歩1~2分でドゥオーモに出ます。


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ドゥオーモです。この後、拝観しましたが、その内容については(その3)で纏めて触れることにします。


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ドゥオーモからジョヴァンニ・パオロ2世広場に出ました。


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ジュゼッペ・マッツィーニ大通り(Corso)を西に向かいます。


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チェゼーナ最大の見所である市民図書館を目指します。市民図書館はドゥオーモから徒歩2分くらいです。


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チェゼーナ市民の多くがイタリア統一運動に積極的に参加して、重要な役割を果たしたことで有名です。


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Palazzo del Ridottoです。


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1401年に建設されたPalazzo del Podestaです。


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第211代教皇パオロ2世(ヴェネツィア、1417-ローマ、1471 教皇在位:1464-1471)によって、1466年から1472年にかけてロッジャ、市民の塔などが増築され、名称が現在の名前に変更されました。


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Palazzo del Ridottoの後方にPiazza Fabbriがあります。


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Piazza Fabbriに面してマラテスティアーナ図書館があります。


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この日、図書館は休館でした。


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Condottieroだったドメニコ・マラテスタ通称マラテスタ・ノヴェッロ(ブレーシャ、1418-チェゼーナ、1465)によって、1452年にオープンした、ヨーロッパ最古の市民図書館です。


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図書館の建物は、建築家マッテオ・ヌーティ通称マッテオ・ダ・ファーノ(コルフィオリト、1405-ファーノ、1470)の設計によって1447年から1452年にかけて建設されました。


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図書館の建物の一部は考古学博物館になってます。


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この日は考古学博物館に入館しませんでした。


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Piazza Fabbriに面して建つボッカクゥアットロ教会です。


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1252年に建設されたサンタ・マリア・ナスチェンテ教区教会が前身です。1574年、Confraternita del Gofaloneの所有となり、現在の教会名称に変更されました。


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現在の建物は、18世紀に再建されたものですが、ファサードだけは19世紀前半に改造されました。


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さらに西に進みます。この辺ではVia Carbonariと呼ばれてます。この先に川が流れているだけ。


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17世紀の建物ですが、劣化が著しく解体されるかも知れません。


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東の方(ドゥオーモがある方)に戻ります。


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友人とホテルで待ち合わせしたので、一旦ホテルに戻ります。


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急ぐ必要がないので、勘を頼りに適当に歩き始めました。


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Barriera Cavourを越えて旧市街を後にします。


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Corso Cavour


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適当にぶらぶら歩きをして道に迷ったことが何度もあるのを思い出し、地図を見ながらホテルに戻ることにしました。


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(つづく)

引き続き、時計塔です。
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時計塔内部への入り口に向かいます。


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時計塔内部への入り口は、予想通り扉が閉まっていました。内部は通常一般非公開のようです。


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時計塔の下に行っても、近過ぎて却ってよく見えません。


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時計塔を取り囲む通路から絶景を楽しむのが最適と思いました。


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時計塔は鐘楼を兼ねていますが、鐘の音を聴いたことがありません。


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砦ならば、絶好の場所にあるので、その機能や目的が理解できますが、1850年に時計塔として、わざわざ再建された理由がよく分かりません。やはり、その目的は軍事的な監視機能だったと思うのですが・・・・・


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時計塔下の通路から見たマンフレディアーナ要塞とモンティチーノ聖域です。


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時計塔の影がスパーダ通りの建物に写ってます。


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サン・ミケーレ・アルカンジェロ参事会教会


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オッセルヴァンツァ教会と旧オッセルヴァンツァ修道院


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スッフラージョ教会


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ロバの道が通っている建物


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リメンブランツェ公園


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鉄道駅


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遥か遠くにサン・ジョヴァンニ・イン・オッタ―ヴォ教会の鐘楼が見えます。


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下に下ります。


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朝の良い散歩になりました。


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もう年なので、再び時計塔に来ることはあるまいと思いました。


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上ったところで、たいして意味がありません。ブリジゲッラに来たならば、3つの山に登る、という自己満足でしかありません。


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右に行けば要塞に行けます。


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下りは流石に上りよりも楽でした。


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振り返って時計塔を見ました。


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要塞を若干見上げるようになりました。


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民家の横に来ました。


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次はロバの道です。


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Via delle Torreのアーチの壁にある、これは何でしょうか?


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ここからロバの道に入ります。この入り口の写真を撮るために、わざわざ一旦マルコーニ通りに出ました。


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Antica Via "degli Asini" o "del Borgo"です。


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ロバの道は、マルコーニ広場に面した建物の中にある高架道路です。


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ブリジゲッラの村を防衛するために、14世紀に築かれ防御壁沿いに設けられた巡回道路が前身です。


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1467年、ブリジゲッラを訪れたウルビーノ公フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ(グッビオ、1422-フェッラーラ、1482)によって、防衛上の理由から、防御壁と共に道路が建物内に組み込まれました。


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道の両端の階段を塞いでしまえば、堅固の要塞に直ぐに変身することが出来たのです。


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また、平時には、ブリジゲッラの主要産物である石膏を採石場から運ぶ道路として使用され、車を引いたロバが行き来することから、ロバの道と呼ばれました。


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写真左にはロバの厩舎がありました。


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旧ロバの厩舎は民家となってます。


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ロバ飼いは、ロバの道の上階に住んでいたそうです。


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ロバの道の出口近くです。


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ロバ車が置かれていた場所


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要塞と時計塔に行ける階段


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外に出ます。


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通りに出ました。


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これでブリジゲッラの主な見所は全部見たようです。


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お腹が空きました。


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ホテルの朝食が遅くて困りました。


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ホテルの朝食まで、未だ20分ほどありました。


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空きっ腹で暫し時間潰しです。


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旧ロザリオ教会


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スッフラージョ教会


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サン・ミケーレ・アルカンジェロ参事会教会の後陣


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朝食を済ませて、チェックアウトしてから駅に向かいました。


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列車を待つ乗客は、私を除いてわずか一人でした。


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次の目的地フィレンツェに向かいました。
(おわり)

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