イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 BY:シニョレッリ

カテゴリ: エミリア・ロマーニャ州

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次はサン・ロッコ教会です。


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残念ながらサン・ロッコ教会の扉が閉まっていました。


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1500年、ファエンツァにサン・ロッコ同信会が設立され、新教会の建設が決まりました。そうして1519年に建設されたのがサン・ロッコ教会です。


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ファサード下に柱廊がありましたが、その後撤去されました。煉瓦積みの現在のファサードは1850年頃に再建されたものです。


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サン・ロッコ教会ファサードが面しているサン・ロッコ広場です。


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次はサンタ・ウミルタ・デイ・ネグサンティ教会です。


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通りの先に教会が見えてます。
中世から近世にかけての西洋美術は基本的にキリスト教関連となります。その当時の傑作とされる作品の多くは教会にあった、或いは現在も教会にあります。それが教会巡りをする理由です。


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写真左は女子修道院だった建物です。


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1741年から1744年にかけて建設されたバロック様式のサンタ・ウミルタ・デイ・ネグサンティ教会です。


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教会はヴァロンブロザーネ女子修道院に併設されていました。


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女子修道院は閉鎖され、教会の方も宗教活動を停止しています。


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女子修道院の建物は古典科学高校の校舎として使用されてます。旧教会の建物は同高校の講堂や会議室に転用されてます。


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ファエンツァ出身の聖ウミルタ(ファエンツァ、1226-フィレンツェ、1310)は主にフィレンツェで活動した女子修道士です。ファエンツァの守護聖人になってます。


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バスコリ通りの突き当りに歴史的建造物があります。


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14世紀に建設されたCasa Bubaniです。


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1807年、弁護士だったカルロ・ピア―ニが購入した建物なので、Casa Pianiとも呼ばれてます。建物を手に入れると、ゴシック様式から新古典様式に改修したのですが、改修後に資金難に陥り、手放すことになったそうです。


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Casa di Dio、Loggia dei Fantini、Portico della Caritaです。視点を何処に置くかによって、それぞれ名称が違います。


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15世紀初めに建設された孤児養育院と附属病院が前身です。現在は病院です。


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Palazzo Mazzolani


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この建物の由来など詳しいことを知りません。


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見逃しそうですが、写真左端に教会があります。


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サン・ジュゼッペ教会です。


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元はファエンツァで最古の教会の一つでしたが、信者数が少なく資金難が絶えず付きまとっていたそうです。19世紀前半のファエンツァ市街地整備の際、教会の土地などの資産を売却し、新たに建設される建物に一角に教会が置かれるようになったそうです。


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Corso Mazziniを少し進みます。


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サンティ・ヴィターレ・エ・クレメンテ教会です。


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教会の歴史は14世紀に遡るそうです。


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現在の建物は地元の建築家ピエトロ・トンバ(ファエンツァ、1774-1846)の設計によって1831年に再建された二代目となるものです。


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平日になると路上駐車の車が多くなるようです。


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市民病院の建物です。


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写真左側に教会が写ってます。


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1929年から1930年に建設されたネオ・ゴシック様式のサン・サヴィーノ教会です。


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然程長い距離を歩いていないにも拘らず、この教会の多さに驚きです。そんなに需要があるの?と思ってしまいます。


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開いている教会が少ないのは、需要が少ないの証左?


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恐らくサン・ドメニコ教会ならば開いているだろうと思いました。平日の午前と午後にミサが予定されてます。


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同じ通りを戻ります。


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サン・ドメニコ教会はジョヴァンニ・ギナッシ通りのサン・ドメニコ広場にあります。


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ファエンツァに来たのは、この時で4回目でした。


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場所や方角がある程度頭に入っているので、裏通りに入っても迷うことはありません。


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サン・ドメニコ教会の直ぐ傍まで来ました。


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並木道の左側にサン・ドメニコ教会があります。


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ロトンダ・ロッシです。


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(つづく)

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サンタゴスティーノ広場に面した、だまし絵の窓がある建物


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次はカルミネ教会です。
カルミネ教会はサンタゴスティーノ教会の至近にあります。


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16世紀初頭にイエズス会によって建設された教会です。


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建設当初の名称はジェズ教会でした。
17世紀末、教会はカルメル会の所有となり、カルミネ教会と改称されました。


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カルミネ会は、教会を現在の姿に改造しました。その当時、ファエンツァにおけるカルミネ会の拠点は、サン・フィリッポ・ネリ教会でしたが、改造工事が完了するとサン・フィリッポ・ネリ教会から修道士たちがカルミネ教会に移ってきました。


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写真右端の建物は隣接していた修道院です。


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サンタ・ウミルタ修道院だった建物です。


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現在、Collegio Santa Umiltaとなってます。


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カルミネ教会の後陣の方の扉が開いているように見得ましたが、閉まっていました。
ニッコロ・パガネッリの「聖霊降臨」があるので、開いていれば拝観する予定でした。


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サンタントニオ・ディ・パドヴァ教会です。


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後で拝観します。


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Via Ceonia
この辺は城壁内の南端に当たります。


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ファエンツァの城壁はあまり残ってませんが、街の南端は一部残されてます。


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城壁沿いの道を進んで、サンタ・マルゲリータ教会に向かいました。


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突き当りの右端に教会があります。


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サンタ・マルゲリータ教会です。


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14世紀末から15世紀初頭にかけて建設された小さな教会です。


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18世紀中頃に改修されましたが、現在の姿はその改修工事後のものです。


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予想通り扉が閉まっていました。


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身廊はマッテオッティ通りに面してます。


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見るべき作品はオルソラ・ミッシローリの祭壇画だけでしょう。


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ファサードは、Via Tommaso Minardiに面してます。


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写真左は城壁です。


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マッテオッティ通りを進みます。


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先ほど鐘楼が見えたサンタントニオ・ディ・パドヴァ教会に向かいます。


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18世紀の建物ですが、特に名前がないようです。


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通りの先にサンタントニオ・ディ・パドヴァ教会があります。


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眼前に鐘楼が迫って建ってます。


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3つの通りの角にありますが、道路よりも後に教会が建設されたので、その制約を受けて少し変な形状をしています。


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残念! サンタントニオ・ディ・パドヴァ教会は閉まっていました。


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初代の建物は1450年頃に遡ります。現在の建物は1701年に再建された二代目です。


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教区教会です。
中にジョヴァンニ・バッティスタ・べルトゥッチの作品があるので、拝観出来なかったのは痛かった。


2
見ることが出来なかった、ジョヴァンニ・バッティスタ・べルトゥッチの「聖母子とパドヴァの聖アントニオとアッシジの聖フランチェスコ」
(外部サイトから拝借した作品画像の転載)


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扉が開いている教会が少なく参りました。教会巡りは効率が悪いのです。


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かなり暑くなってきました。


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次はサンタ・マリア・アド・ニヴェス教会です。


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サンタ・マリア・アド・ニヴェス教会は、この日も閉まっていました。


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ネットの情報によれば、この日は扉が開いている筈でしたが、がさネタでした。


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教会横壁のタベルナコロ


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(つづく)

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中世の時代、ファエンツァは教皇領でした。


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教皇領でしたが、マンフレディ家が僭主としてファエンツァを支配していた時期がありました。そのマンフレディ家の住居として1377年に建設された建物が現市庁舎となってます。


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市庁舎の壁にある記念板


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Palazzo del Podestaのロッジャ


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Palazzo del Podestaのアーチ


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アーチを潜ってマルティーリ・デッラ・リベルタ広場に出ると、青空市が立っていました。


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青空市で買うものがないので、ポポロ広場に戻りました。


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14世紀に建設され、17世紀に改造されたPalazzo del Podestaです。


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次はサン・バルトロメオ教会です。


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サン・バルトロメオ教会はマッテオッティ通りにあります。


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その街で中心の広場、ドゥオーモ、市庁舎を見ると、繁栄度が大体分かります。ファエンツァはかなり繁栄している街です。


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Corso Matteotti


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マンサード屋根の建物があります。


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観光客が少ない街です。


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サン・バルトロメオ教会の鐘楼です。


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サン・バルトロメオ教会です。


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10世紀に建設された、現存するファエンツァ最古の建物の一つです。


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13世紀に現在の姿に拡張されました。


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中に古いフレスコ画があるそうですが、拝観したことがありません。


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教会活動が停止され、建物は戦没者記念堂に転用されてます。


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次はサンタゴスティーノ教会です。


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マッテオッティ通りを更に進みます。


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サンタゴスティーノ教会と呼ばれてますが、正式名はサンティ・アゴスティーノ・エ・マルゲリータ教区教会となってます。


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1256年、ファエンツァにアウグスティヌス会修道士が訪れ、定住した記録が残されてます。


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1271年、アウグスティヌス会修道士によって、この場所にゴシック様式の教会が建設されました。当時に名称は、サン・ジョヴァンニ・イン・スクラヴィ教会でした。更に修道院が併設されました。
15世紀にサンタゴスティーノ修道院教会に改称されました。
若きジローラモ・サヴォナローラがこの教会で修業したそうです。


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18世紀初頭にバロック様式で再建された二代目の建物が現在の姿です。


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柱廊付きのファサードです。


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鐘楼は三代目となるものです。


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後陣と鐘楼


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二代目の鐘楼は1712年に建設されましたが、第二次世界大戦のドイツ軍の爆撃によって1944年に破壊されました。現在の鐘楼は1962年に建設されたものですが、二代目の鐘楼とは色や形など非常に異なるとされてます。


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初代の建物にあったものは殆ど残されていません。


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ファサード下の柱廊


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出入り口扉


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中に入りました。


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単廊式、ラテン十字形、バロック様式の内部です。


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右側壁


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装飾が殆ど施されていない天井


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ファエンツァの逸名画家作「聖母の出現」(1848)


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ドメニコ・マッテウッチ(ファエンツァ、1914-1991)の「聖母子」
ドメニコ・マッテウッチの特徴的な作風要素が全く見られない異色作です。


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「聖母子」(1400)
教会のパンフレットでは1400年の作品と書かれているので、そのまま記載しましたが、私には、もっと後世の作品に思えます。


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セバスティアーノ・スカレッティ(ファエンツァ、1473-1559)の「玉座の聖母子と聖人たち(パドヴァの聖アントニオ、聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ、聖ジローラモ、トレンティーノの聖二コラ)」(1520)
この教会における最大の見所です。


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詳細不知


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主祭壇


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後陣天井


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詳細不知


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後陣左側壁の祭壇画(詳細不知)


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詳細不知


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後陣右壁の祭壇画
ドメニコ・マッテウッチの作品


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ドメニコ・マッテウッチの作品


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フランチェスコ・コッリーナ・グラツィアーニの「聖アゴスティーノ」(1928)


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詳細不知の「大天使聖ミケーレ」


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詳細不知


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詳細不知


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主祭壇前から見た出入口方向


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外に出ました。
セバスティアーノ・スカレッティの祭壇画を見ることが出来たのが収穫でした。
(つづく)

引き続きファエンツァのドゥオーモです。
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左側廊


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説教壇


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左側廊の聖アンナ礼拝堂です。


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聖アンナ礼拝堂の祭壇画:アルド・ロンティーニ(ブリジゲッラ、1948-)の「聖母の教育」


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聖アンナ礼拝堂の天井フレスコ画もアルド・ロンティーニによって制作されました。


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左側廊の聖ウミルタ礼拝堂です。
祭壇画(向かって左):ジョヴァンニ・バッティスタ・ガリッツィ(ベルガモ、1882-1963)の「聖ウミルタ」
向かって右手前は、ピエトロ・メランドリ(ファエンツァ、1885-1976)の「聖ウミルタ」


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左側廊の第1礼拝堂です。


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パスクゥアーレ・サヴィオッティ(ファエンツァ、1792-1855)の「キリストの洗礼」(1828)


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左側廊第1礼拝堂の天井フレスコ画は、ジュリオ・トンドゥッチ(ファエンツァ、1513c-1598?)によって1562年に描かれました。


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左側廊第1礼拝堂側壁のフレスコ画は、ジュリオ・トンドゥッチ(ファエンツァ、1513c-1598?)とピエトロ・バリオット(ファエンツァ、1481-1533)によって制作されました。


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左側廊の聖カルロ・ボッロメオ礼拝堂です。
ベアート・ジャコモ・フィリッポ・ベルトーニの墓碑(1483年死去)


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アレッサンドロ・ティアリーニ(ボローニャ、1577-1668)の「十字架を崇める聖カルロ・ボッロメオ」


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フェッラウ・フェンツォーニ(ファエンツァ、1562-1645)の「聖カルロ・ボッロメオの物語」


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フェッラウ・フェンツォーニ(ファエンツァ、1562-1645)の「聖カルロ・ボッロメオの物語」


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聖カルロ・ボッロメオ礼拝堂の天井スタッコとフレスコ画は、フランチェスコ・シルヴァ(1560-1643)によるものです。


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観光客が多くなってきました。ドゥオーモの祭壇画、彫刻、フレスコ画などの作品帰属が難しいので、観光気分で拝観しても分かる方は少数に留まるかと思います。


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右側廊第1礼拝堂です。
祭壇画は、ヴィンチェンツォ・ビアンコ―リの「ドッソ・ドッシ作『キリストと教会博士たちの問答』のコピー画」


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右側廊第1礼拝堂天井のフレスコ画(詳細不知)


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右側廊のCappella della Vergine Annunziata(第2礼拝堂)


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右側廊第3礼拝堂です。
祭壇画:ニッコロ・パガネッリ(ファエンツァ、1538-1620)の「聖マルティーノ」


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詳細不知


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右側廊のCappella di San Giovanni Battista


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インノチェンツォ・ダ・イーモラ(イーモラ、1490-ボローニャ、1550)の「玉座の聖母子と聖人たち(聖ピエトロ、聖パオロ、聖ザッカリア、聖エリザベッタ)」(1526)


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ロモーロ・リヴェラ―ニ(ファエンツァ、1809-1872)によるCappella di San Giovanni Battistaの天井装飾(1862)


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右側廊のCappella di San Terenzio


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ピエトロ・トンバ(ファエンツァ、1774-1846)によって制作された祭壇
ジョヴァンニ・バッティスタ・バッランティ・グラツィアーニ(ファエンツァ、1762-1835)の「大天使聖ミケーレ」


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右側廊のCappella di Santa Lucia


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ジュゼッペ・マルケッティ(フォルリ、1721-1801)の「聖ルチアの殉教」(1768)


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右側廊第8礼拝堂


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右後陣の礼拝堂です。


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逸名画家作「ポポロの聖母」(15世紀)


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フェッラウ・フェンツォーニ(ファエンツァ、1562-1645)のフレスコ画


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フェッラウ・フェンツォーニ(ファエンツァ、1562-1645)のフレスコ画


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右後陣礼拝堂の天井フレスコ画


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右翼廊の礼拝堂


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フランチェスコ・ゲッシ(ボローニャ、1588-1649)の「聖母子と聖フィリッポ・ネリと聖ロレンツォ」


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祭壇画が取り外された右側廊の礼拝堂


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主祭壇前から見た出入口方向(ファサード裏)


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外に出ました。


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ルネサンス期の作品は市立絵画館に移されているようで、比較的新しい作品が多いドゥオーモです。


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(つづく)

074
一旦、ホテルに戻ります。


078
パリオは夕方遅くに始まるので、それまで時間がありました。


022
夕寝?を終えてパリオに出かけました。会場の入場券を買っていないので、どうなることやら。


020
サン・ドメニコ教会です。


021
結局、パリオの会場には入場出来ず。


1
意外と空席があるように見えますが・・・・・


2
サラセン人を模したパリオの標的です。


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翌朝です。


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月曜日ですが、パリオの翌日とあって気怠い感じを漂わせている人が多いようです。


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先ずはドゥオーモの拝観です。


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ルネサンス期の建築家ジュリアーノ・ダ・マイアーノ(マイアーノ、1432c-ナポリ、1490)の設計によって、1474年創建、1515年に一応の完成を見た建物です。


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設計当初は大理石のファサードが予定されていましたが、大理石ファサードは着工されず、レンガ造りの粗壁のままのファサードです。


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奉献式は1581年に執り行われました。
1948年、時の教皇ピオ12世によってBasilica Minoreに格付けされました。正式名称はBasilica Cattedrale di San Pietroです。ファエンツァ=モディリアーノ司教区の司教座教会です。


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身廊
帆型の鐘楼が目立ちます。


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身廊側にも出入り口が設けられてます。


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後陣外観


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聖堂内に入りました。


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三廊式、ラテン十字形、ルネサンス様式の内部です。


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大理石の床が有名です。


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装飾が殆ど施されていない天井です。


4
構造図


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18世紀に改修されました。


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左右に翼廊が設けられてます。


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後陣左のサン・サヴィーノ礼拝堂です。


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ベネデット・ダ・マイアーノ(マイアーノ、1442-フィレンツェ、1497)の「聖サヴィーノの棺」
ベネデットは、ジュリアーノ・ダ・マイアーノの弟です。


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フェッラウ・フェンツォーニ(ファエンツァ、1562-1645)の「聖人の死」


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フェッラウ・フェンツォーニ(ファエンツァ、1562-1645)の作品


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ベネデット・マリーニ(ウルビーノ、1590-1629まで記録)の天井フレスコ画


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オルガン


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フィレンツェの逸名彫刻家による、左翼廊のベアータ・ヴェルジネ・デッレ・グラツィエ礼拝堂です。


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逸名画家作「グラツィエの聖母」(1412)


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ジュゼッペ・ミラーニ(フォンタネッラート、1716c-チェゼーナ、1798)の天井フレスコ「聖母の出現」(1763)


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ジョヴァンニ・バッティスタ・バッランティ・ガラツィアーニ(ファエンツァ、1762-1835)による、左側廊のサン・エミリアーノ礼拝堂(1809)


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左側廊のサン・ジョヴァンニ・ネポムチェーノ礼拝堂です。


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二コラ・パッセーリ(ファエンツァ、18世紀後半活動)の祭壇画(1779)


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ジャンバッティスタ・バッランティの「幼きキリストを抱く聖ジュゼッペ」(1823-24)


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ジャンバッティスタ・バッランティの「聖家族」(1823-24)


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ピエトロ・トンバ(ファエンツァ、1774-1846)の天井フレスコ画


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ピエトロ・トンバの作品


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ピエトロ・トンバの作品


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左側廊のサン・ピエル・ダミアーノ礼拝堂


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トマーゾ・ダルポッツォ(ファエンツァ、1862-1906)の作品


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トマーゾ・ダルポッツォ(ファエンツァ、1862-1906)の作品
(つづく)

P1220713
この時間、新古典様式博物館は閉まっていました。


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ジュリオ・チェーザレ・トンドゥッチ通りです。


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サンタ・マリア・アド・ニヴェス教会です。


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740年に遡る歴史があり、ファエンツァ最初の司教座教会でした。
新古典様式の現在の建物は、1655年に完成した3代目となるものです。八角形の鐘楼が特徴で、9世紀から10世紀にかけて建設されました。


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サンタ・マリア・デッランジェロ教会と区別するために、サンタ・マリア・アド・ニヴェス教会はサンタ・マリア・ヴェッキア教会と呼ばれることが多い。サンタ・マリア・デッランジェロ教会はサンタ・マリア・ヌオーヴァ教会と呼ばれるのが普通です。


P1220718
そのサンタ・マリア・デッランジェロ教会、別名サンタ・マリア・ヌオーヴァ教会は閉まっていました。


P1220719
この時間は市立絵画館も閉まっています。


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Via Severoliです。


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市庁舎です。


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出陣式が終わり、パリオの行列が会場へと向かった後のポポロ広場は、早くも片付けが始まっていました。


P1220726
午後5時を過ぎました。


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次はサン・フランチェスコ教会です。


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サン・フランチェスコ教会の扉が開いてました。


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フランチェスコ会修道士が、この場所に来たのは1231年だそうです。1271年、ゴシック様式の最初の建物がこの場所に建設されました。


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現在の建物は、1745年創建、1757年に完成した2代目となるものです。


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1743年に建設されたファサードです。


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1743年に建設された鐘楼です。


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サン・フランチェスコ教会のファサードに向かって右側にある建物です。明らかに教会の建物です。


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16世紀に建設されたサンタ・クローチェ同信会オラトリオだった建物です。


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現在は機能を停止したEx-Oratorioです。


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駐車場?に転用されている?


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サン・フランチェスコ教会を拝観します。


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中に入りました。


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単廊式、ラテン十字形、新古典様式の内部です。


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右側壁


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教区教会です。


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ジュゼッペ・マルケッティ(フォルリ、1721-1821)の「塩の聖母」


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天井装飾が殆ど施されていません。


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磔刑の礼拝堂


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ジュゼッペ・マルケッティ(フォルリ、1721-1821)の「聖ジュゼッペ・ダ・コペルティーノ」(1776)


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ボローニャ出身の彫刻家フィリッポ・スカンデッラーリの「パドヴァの聖アントニオ」(1755)


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18世紀の逸名画家作「聖母戴冠と聖人たち」


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主祭壇


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後陣に置かれたオルガンは、ボローニャのオルガン製造職人アントニオ・コロンナ・ダル・コルソによって1638年に制作されました。第二次世界大戦の爆撃を受け、戦後に修復されたオルガンです。


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主祭壇画はピエトロ・ファンチェッリの「聖痕を受ける聖フランチェスコ」(18世紀)です。


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後陣


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17世紀の逸名画家作「死者を蘇生させるパドヴァの聖アントニオ」
16世紀のヴェネツィア派の影響を受けているとされてます。


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天井


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詳細不知


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詳細不知


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Cappella della Beata Vergine della Cincezione(1714-16)


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クーポラのフレスコ画


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アルフォンゾ・レトッジャーニ(ブドリオ、1682-ボローニャ、1764)制作の祭壇


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出入口方向


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外に出ました。
(つづく)

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市庁舎前のポポロ広場に5チームが集結して、出陣式が行われます。


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6月の第4日曜日の午後4時過ぎの日差しが強烈です。


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春か秋ならば、この服装で問題ありませんが、真夏には厚着過ぎです。


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日本の夏至は梅雨ですが、イタリアの夏至は最も暑いと思います。


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この場に相応しいドゥオーモです。


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ドゥオーモの方から広場に入るのは、2地区です。


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ドゥオーモは扉が閉まったままでした。


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別の地区の入場行進が始まりました。


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この女性にカメラを向ける方が多かった!


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乗馬を相当練習したようです。


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ポポロ広場に近付けません。


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混雑を避けて裏通りを歩きます。


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磔刑のタベルナコロ


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18世紀の建物が建ち並んでます。


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写真右手前はPalazzo Bertoniです。


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18世紀に建設されました。


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9月20日通り


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写真右に市古典様式の建物が写ってます。


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18世紀に建設されたPalazzo Zucchiniです。


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ファエンツァ市長や政治家を輩出したファエンツェの名家ズッキーニ伯爵家の住居です。現在もズッキーニ家が住んでます。


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レンガ色の歴史的建造物です。


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Palazzo Azzalli-Ferdiani


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現在は分譲住宅になってます。


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パリオの行進が通らないので、この通りは静かです。


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写真右側の建物は18-19世紀に建設されました。


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パリオの行進を待つ人々


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皆さん、日陰で行進を待ってます。


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旧修道院の建物


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Palazzo Mengolini Sali


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クーポラが見えている教会ですが、その名称が分かりません。


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鐘楼が見えてきた教会に行ってみます。


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ナルディ通りです。


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サンタントニオ・ディ・パドヴァ教会です。


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現在の建物は18世紀に再建された二代目となるものです。初代の建物は1450年に遡ります。


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ジョヴァンニ・バッティスタ・べルトゥッチの「聖母子と2聖人」があります。


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イル・ベルトゥッチの祭壇画が観たいので、もう一度来る予定です。


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Palazzo Milzetti


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ロマーニャ地方の新古典様式博物館が置かれてます。


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(つづく)

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ファエンツァのパリオは、毎年6月の第4日曜日に行われます。


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ファエンツァのパリオの歴史は、騎士による馬上槍試合が行われた1410年に遡ります。
近世になって長らく休止されていましたが、1959年に復活され現在まで続いてます。


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パリオは、旧市街の4チームとBorgo Durbeccoの計5チームで争われます。


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6月の夏至前後の週末は各地でお祭りが開催されます。しかし、この日がパリオの当日であることはホテルに到着して初めて知ったので、パリオの入場券の手配等を含めて全くの準備不足でした。


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ファサードが修復中のセルヴィ教会です。


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第二次世界大戦後、閉鎖されていましたが、何かに利用されることになり、修復されていたようです。


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修復工事後のファサードです。使用途は特に決まってないようです。


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旧セルヴィ教会からドゥオーモが見えます。


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セルヴィ教会から見える、柱廊がある建物はパードリ・セルヴィ―ティ修道院でした。


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旧修道院の建物は市立図書館として使用されてます。


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次はピオ12世の神学校です。


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神学校の柱廊です。


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Seminario Vecchio、ピオ12世の神学校の入り口です。キオストロに入ります。


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神学校の中庭です。


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1576年に発足したファエンツァ神学校が前身です。


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この神学校は、長らくロマーニャ文化の中心を担っていたことで高く評価されているそうです。


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神学校はドゥオーモと司教館の間にあります。


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神学校のタベルナコロ


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神学校の柱廊から外に出ました。


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司教館?


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詳細不知のフレスコ画


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ホテルに戻って昼寝をしました。


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昼寝をしていたら、外が騒がしいので目覚めました。
ホテル前の通りに出ると、パリオの出陣式の行進が始まってました。


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この日は大変暑い日で、恐らく猛暑日だったともいます。


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結構な厚着なので、行進は大変だったと思います。


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日向での行進なので、皆さん汗だらけ。


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この辺は日陰なので、何とかなりそうでした。


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ドゥオーモ横に救急車が数台待機していましたが、行進に参加していた子供が搬送されました。


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美女が選ばれると思いますが、それにしても美女ばかりで恐れ入りました。


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待機中のチーム


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ドゥオーモ前から市庁舎前まで行進が始まりました。


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(つづく)

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トゥオーモがまだ開いていたら拝観するつもりでした。


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ドゥオーモが開いていました。


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Basilica Minoreのファエンツァ大聖堂です。


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ここは何度も拝観しています。


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聖堂内に入ったらミサの真っ最中でした。


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ミサの邪魔にならないように祭壇画を見始めました。


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ミサが始まったばかりのようです。


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落ち着いて拝観出来そうにもありません。パリオのお祭り中にも拘らず熱心な信者がかなりいました。仕方がないので、外に出ます。


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外に出たら12時半頃。


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ドゥオーモのファサード前から撮ったリベルタ広場です。


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そろそろ昼食の時間です。


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Palazzo Laderchiです。


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博物館の開館時間を調べます。


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残念ながら、博物館はもう直ぐ閉まります。


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ドゥオーモのミサが終わるのを待って拝観するために、昼食は手早くピザで済ませました。


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昼食を済ませてドゥオーモに行くと、扉が閉まっていた!
それが分かっていれば、フルコースの昼食をゆっくり食べれば良かった。でも後の祭り。
仕方がないので、街歩きを続けることにしました。


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サン・フランチェスコ教会も閉まっていました。お昼過ぎなので閉まっているのは当然です。


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サン・フランチェスコ広場にある彫像は、アレッサンドロ・トンバ(ファエンツァ、1825-フィレンツェ、1864)の「エヴァンジェリスタ・トッリチェッリのモニュメント」(1864)です。
エヴァンジェリスタ・トッリチェッリ(ファエンツァ、1608-フィレンツェ、1647)は17世紀前半の物理学者、数学者です。


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ホテルに戻っても、やることがありません。


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時間潰しのため、街歩きを継続することに。


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Viale IV Nobembre
城壁を取り壊して作られた道路です。


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この辺は城壁内に当たります。


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比較的新しい建物が建ち並んでます。


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Via Naviglio


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写真右は郵便局です。


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郵便局の先、Via NavigliとVia Giovanni Battista Campidoriの交差点に建つPalazzo Fernianiです。


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18世紀半ばに建てられたPalazzo Fernianiの無原罪の聖母像


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Palazzo Fernianiのファサード


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18世紀の建物が建ち並んでます。


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ファエンツァが裕福であることを示す建物群。


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18世紀に建てられたPalazzo Bertoniです。


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開いていないと思いましたが教会を見ます。


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サント・ステファノ・ヴェテーレ教会です。


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ジュリアーノ・ダ・マイアーノの設計によって15世紀に建設されました。


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八角形のルネサンス様式の建物です。


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ホテルに戻って昼寝する以外なさそうです。


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中小都市では昼過ぎの過ごし方に苦労します。


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暑いので歩いている人が殆どいません。


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午後2時前です。


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祭りの前の静けさ漂う広場です。


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ロッジャが目立つポデスタ宮


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(つづく)

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ゴシック様式の逸名彫刻家作「竜を退治する聖ジョルジョ」(14世紀)


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ロマーニャの逸名画家作「祈るキリストと聖エジーディオと聖エウトロピオ司教」(13世紀)


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ベナスキ(ベイナスキ)(フォッサーノまたはトリノ、1636-ナポリ、1688)の「聖ジュゼッペの変容」


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3点共に15世紀の国際ゴシック様式の逸名画家の作品とされてます。私が観た所、3点共に同じ画家による作品と思いました。


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聖ロッコ


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聖フランチェスコ


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聖ジョルジョ


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Maestro di San Pier Damianoの「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」、「聖ヴィトー」


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ジョヴァンニ・バッティスタ・べルトゥッチ・イル・ヴェッキオ通称イル・ベルトゥッチ、別名ジョヴァンニ・バッティスタ・ダ・ファエンツァ(ファエンツァ、1495-1516生存確認)の「十字架を担ぐキリスト」


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ジョヴァンニ・バッティスタ・べルトゥッチ・イル・ヴェッキオ通称イル・ベルトゥッチ、別名ジョヴァンニ・バッティスタ・ダ・ファエンツァ(ファエンツァ、1495-1516生存確認)の「キリストの埋葬」


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15世紀のヴェネトの逸名画家作「聖母子」


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バルトロメオ・ベッラーノ(パドヴァ、1437-1496)の「ピエタのキリストを支える2天使」
彫刻家でしたが、彼の珍しい絵画です。


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ピエトロ・バリオット(ファエンツァ、1481c-1533)の「永遠なる父」


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16世紀の逸名彫刻家作「まぐさ断片」


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17世紀の逸名画家作「グイド・レーニ作『聖母』のコピー画」


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ランゲッティ(ジェノヴァ、1625-1676)の「盲目の物乞い」


P1220473
ロレンツォ・パシネッリ(ボローニャ、1629-1700)の「ソフォニスバ」


P1220476
ルティリオ・マネッティ(シエナ、1571-1639)の「聖家族」


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ロレンツォ・パシネッリ(ボローニャ、1629-1700)の「シビッラ」


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アントニオ・ザンキ(エステ、1631-ヴェネツィア、1722)の「井戸のレベッカ」


P1220485
エミリアの逸名画家作「聖バルトロメオ?」


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グイド・カニッチ(サンタルカンジェロ・ディ・ロマーニャ、1601-ウィーン、1663)の「聖フランチェスコ」


P1220490
ボローニャの逸名画家作「クレオパトラ」(17-18世紀)


P1220494
アレッサンドロ・アルビーニ(ボローニャ、1566-1646)の「聖ジローラモ」


P1220498
フランス・ポルビュス・ジュニア(アンヴェルサ、1569-パリ、1622)の「イギリスのカルロ1世の肖像」


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逸名画家作「シモン・ヴーエ作『愛人』のコピー画」(18世紀)


P1220504
ユストゥス・サステルマンス(アンヴェルサ、1597-フィレンツェ、1681)の「スェーデンのカルロ10世の肖像」


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逸名画家作「司法官の肖像」(17世紀末)


P1220508
ベルナルド・ストロッツィ(ジェノヴァ、1581-ヴェネツィア、1644)の「ユディト」


P1220512
ジョヴァンニ・ベルナルド・カルボーネ(ジェノヴァ、1614-1683)の「少女の肖像」


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グイド・レーニ工房作「幼きキリストを抱く聖ジュゼッペ」(17世紀)


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逸名画家作「グイド・レーニ作『復活したキリスト』のコピー画」(17世紀)


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階段を下りました。


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カルロ・マジーニ(ファーノ、1720-1806)の静物画」


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アルカンジェロ・レサーニ(ローマ、1670-ラヴェンナ、1740)の「犬と籠」


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カルロ・マジーニ(ファーノ、1720-1806)の「静物画」


P1220528
ジョヴァンニ・バッティスタ・ルオッポーロ(ナポリ、1629-1693)の「静物画」


P1220530
ジュゼッペ・レッコ(ナポリ、1634、スペイン、アリカンテ、1695)の「静物画」


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グアルディ・フランチェスコ(ヴェネツィア、1712-カナレジョ、1793)の「花」


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外に出ました。
(おわり)

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ニコロ・パガネッリ(ファエンツァ、1638-1620)の「キリストの神殿奉献」


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マルコ・マルケッティ通称マルコ・ダ・ファエンツァ(ファエンツァ、1528c-1588)の「ファリサイ人の館のキリスト」
マルコ・ダ・ファエンツァは、出身地のファエンツァに加えて、ラヴェンナ、フィレンツェで活動した画家です。フィレンツェでは、ジョルジョ・ヴァザーリの下でヴェッキオ宮の装飾に参画したことで知られてます。


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ジョヴァンニ・バッティスタ・べルトゥッチ・イル・ジョーヴァネ(ファエンツァ、1539-1614)の「聖母の誕生」
イル・ジョーヴァネは、ジョヴァンニ・バッティスタ・べルトゥッチ・イル・ヴェッキオ通称イル・ベルトゥッチ、別称ジョヴァンニ・バッティスタ・ダ・ファエンツァ(ファエンツァ、1495-1516生存確認)の孫です。叔父のヤコポ・ベルトゥッチ通称ヤコポーネ・ダ・ファエンツァ(ファエンツァ、1502-1579)に師事しましたが、叔父と共に1567年に異端の告発を受け、1569年に厳重叱責(軽微な罪)の有罪判決を受けた記録が残ってます。


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ラメンギ通称バニャカヴァッロ・ジュニア(ボローニャ、1521-1601)の「聖霊降臨と聖ペトロニオと聖グレゴリオ・マーニョ」


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ジョヴァンニ・バッティスタ・アルメニーニ(ファエンツァ、1530-1609)の「聖母被昇天」
ジョヴァンニ・バッティスタ・アルメニーニは、画家としてよりも美術史家、美術評論家としての方が有名です。美術理論の本を著作しました。


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アレッサンドロ・ティアリーニ(ボローニャ、1577-1668)の「聖パオロの回心」


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ドナテッロ(フィレンツェ、1386-1466)の「聖ジローラモ」


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傑作、秀作の展示が続きます。


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ビアージョ・ダントニオ・ダ・フィレンツェ(フィレンツェ、1446-1516)の「玉座の聖母子と聖人たち」


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玉座の聖母子と2天使


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聖ドメニコと聖アンドレア


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聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタと聖トンマーゾ


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ビアージョ・ダントニオ・ダ・フィレンツェ(フィレンツェ、1446-1516)の「玉座の聖母子と聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタとパドヴァの聖アントニオ」


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ファエンツァのサン・フランチェスコ教会にありました。


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詳細不知


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ベアート・ジャコモ・フィリッポ・ベルトーニの顔がユニークです。そのため、この作品は何時見ても記憶に残ります。


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上記作品の説明プレート


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ビアージョ・ダントニオ・ダ・フィレンツェ(フィレンツェ、1446-1516)の「受胎告知」


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ベネデット・ダ・マイアーノ(マイアーノ、1442-フィレンツェ、1497)の「聖ジョヴァンニーノ」


P1220385
マルコ・パルメッツァーノ(フォルリ、1460-1539)の作品です。


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永遠の父なる神


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玉座の聖母子と大天使聖ミケーレと聖ジャコモ


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アルフォンゾ・ロンバルディ(フェラーラ、1497-ボローニャ、1537)の「聖母子と聖ジョヴァンニ・バッティスタと聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ」


P1220395
ベネデット・マリーニ(ファエンツァ、1590?-1627)の「天上の聖母子と聖ジョルジョと司教聖人(特定できないようです)」


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ベネデット・マリーニ(ファエンツァ、1590?-1627)の「エジプトへの逃避とアレッサンドリアの聖カテリーナと聖フランチェスコ」


P1220405
ジョヴァンニ・ダ・リミニ(リミニ、1292?-1336?)の「聖母子と2天使と聖人たち(聖フランチェスコ、大天使聖ミケーレ、聖アゴスティーノ、アレッサンドリアの聖カテリーナ、聖キアーラ)」


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上記作品の説明プレート


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彩色磔刑像


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上と下は違った画家の作品です。


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ミケーレ・ディ・マッテオ・ダ・ボローニャ(ボローニャ、1407?-1469/1470)の「ピエタのキリスト」


P1220419
ニッコロ・ディ・セーニャ(シエナ、?-1348)の「聖ベネデットと聖ガルガーノ」


P1220421
カルロ・パドヴァ―ニの「アントニオ・パドヴァ―ニの肖像」


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12世紀のロマーニャの逸名彫刻家による彫刻


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14世紀の逸名画家作「ポリッティコ」(14世紀前半)
(つづく)

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トスカーナの逸名工芸家作「カッソーネ」(15世紀)


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逸名彫刻家による浮彫です。


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トスカーナの逸名工芸家作「カッソーネ」(15世紀)


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ビアージョ・ダントニオ・ダ・フィレンツェ(フィレンツェ、1446-1516)の「聖母子と聖ジョヴァンニーノとパドヴァの聖アントニオ」


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象牙細工のようです。


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P1220248
ピエタのキリスト


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ロマーニャ銀行の所有です。


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銀行所有作品の多いことには驚くばかりです。


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ジョヴァンニ・バッティスタ・べルトゥッチ・イル・ヴェッキオ通称イル・ベルトゥッチ、別称ジョヴァンニ・バッティスタ・ダ・ファエンツァ(ファエンツァ、1495-1516生存確認)の作品です。


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聖ジョヴァンニ・バッティスタ


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聖マリア・マッダレーナ


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ジョヴァンニ・バッティスタ・べルトゥッチ・イル・ヴェッキオ通称イル・ベルトゥッチ、別称ジョヴァンニ・バッティスタ・ダ・ファエンツァ(ファエンツァ、1495-1516生存確認)の「玉座の聖母子と4聖人(シエナの聖ベルナルディーノ、聖ジョヴァンニ・バッティスタ、教皇聖チェレスティーノ、パドヴァの聖アントニオ)」


P1220266
ジョヴァンニ・バッティスタ・べルトゥッチ・イル・ヴェッキオ通称イル・ベルトゥッチ、別称ジョヴァンニ・バッティスタ・ダ・ファエンツァ(ファエンツァ、1495-1516生存確認)の「聖母子と聖パオロ」


P1220271
ジョヴァンニ・バッティスタ・べルトゥッチ・イル・ヴェッキオ通称イル・ベルトゥッチ、別称ジョヴァンニ・バッティスタ・ダ・ファエンツァ(ファエンツァ、1495-1516生存確認)の「ご誕生」


P1220273
ファエンツァのサン・ジュゼッペ教会にありました。


P1220278
ルカ・スカレッティ(1510-1538活動記録)の「キリストの洗礼」
ファエンツァ出身のルカ・スカレッティは、主にマントヴァで活動し、ジュリオ・ロマーノの下でテ離宮の装飾に従事した記録が残されてます。


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ボローニャの逸名画家作「キリストとサマリア女」(17世紀末)


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エルコーレ・プロカッチーニ・イル・ヴェッキオ(ボローニャ、1515-1595)の「聖母戴冠と4聖人(教皇聖チェレスティーノ、聖ジョヴァンニ・バッティスタ、聖ルカ、聖ベネデット)」
エルコーレはカミッロ・プロカッチーニの父です。


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アントニオ・リベリ・ダ・ファエンツァ通称アントニオ・ディ・マッツォ―ネ(ファエンツァ、1457-1535)の「玉座の聖母子と聖人たち(聖ピエトロ、聖パオロ、聖ドメニコ、聖ルカ、聖マルコ)」
アントニオは、マルケで活動した建築家、画家でした。


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フェッラウ・フェンツォーニ(ファエンツァ、1562-1645)の「カルヴァリオでのキリストの受難」


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シジスモンド・フォスキ(ファエンツァ、1495c-1532)の「玉座の聖母子と聖人たち(聖パオロ、聖ジョヴァンニ・バッティスタ、聖ベネデット、聖セバスティアーノ、アレッサンドリアの聖カテリーナ、聖アポッロニア)」


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フェッラウ・フェンツォーニ(ファエンツァ、1562-1645)の「キリストの埋葬」


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ヤコポ・べルトゥッチ通称ヤコポーネ・ダ・ファエンツァ(ファエンツァ、1502-1579)の「十字架降下」
ヤコポ・ベルトゥッチですが、ジャコモ・べルトゥッチとも呼ばれていたようですが、その理由は不明です。
ヤコポ・ベルトゥッチは、ジョヴァンニ・バッティスタ・べルトゥッチ・イル・ヴェッキオ通称イル・ベルトゥッチの息子です。父のジョヴァンニ・バッティスタは、娘4人、息子4人の子宝の恵まれましたが、ヤコポはその4男でした。ラファエッロの協力者として主に活動しました。ヤコポの弟子にタッデオ・ズッカリがいました。


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フェッラウ・フェンツォーニ(ファエンツァ、1562-1645)の「ベテスダ池のキリスト」


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ヤコポ・ベルトゥッチ通称ヤコポーネ・ダ・ファエンツァ(ファエンツァ、1502-1579)の「聖母戴冠について議論する聖人たち(聖ベネデット、聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ、聖マッテオ、聖ジョヴァンニ・バッティスタ、教皇聖チェレスティーノ)」


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ビアージョ・マンツォーニ(ファエンツァ、1629-1648生存確認)の「聖エウトロピオの殉教」


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フェッラウ・フェンツォーニ(ファエンツァ、1562-1645)の「聖母の死」


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ヤコポ・ベルトゥッチ通称ヤコポーネ・ダ・ファエンツァ(ファエンツァ、1502-1579)の作品です。


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永遠なる父


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聖母子と聖グレゴリオ・マーニョと聖マグローリオ


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フィリッポ・ベッリーニ(ウルビーノ、1550-マチェラータ、1604)の「聖痕を受ける聖フランチェスコ」
フィリッポ・ベッリーニは、マルケやロマーニャで活動した画家で、アンコーナとマチェラータに数点の作品が残されてます。フェデリーコ・バロッチの強い影響を受けた画風でした。


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ボローニャの逸名画家作「聖家族と聖ジョヴァンニーノと天使」(17世紀末)


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アレッサンドロ・ティアリーニ(ボローニャ、1577-1668)の「聖母子と聖人たち(聖マルティーノ、聖キアーラ、聖フランチェスコ、パドヴァの聖アントニオ)」
(つづく)

025
ジローラモ・ライナルディ(ローマ、1570-1655)の設計によって、1621年から1646年に建設されたイエズス会のサンタ・マリア・ダッランジェロ教会です。


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教会に隣接してサンタ・マリア・ダッランジェロ修道院だった建物があります。


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旧修道院だった建物の中にファエンツァ市立絵画館があります。


047
旧修道院のファエンツァ市所有の建物は、現在Palazzo degli Studiと呼ばれてます。


048
10年ほど前は、こちらが絵画館の入り口でした。


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ファエンツァ市立絵画館は、1797年に開館しました。エミリア・ロマーニャ地方で最古の博物館・絵画館の一つです。ファエンツァ最古のMuseoです。


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現在の絵画館入口は教会のほぼ隣に設けられてます。
絵画館の総面積は約1,150㎡、展示室数が10、約200点の作品が展示されてます。


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現在、毎週月曜日が休館、火曜日から日曜日まで開館しています。
少し前までは、土曜日と日曜日の10:00-13:30と開館日時が限られていました。


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フェリーチェ・ボセッリ(ピアチェンツァ、1650-パルマ、1732)の「肉屋」
フェリーチェ・ボセッリは、ピアチェンツァ、パルマなどエミリア・ロマーニャ地方で活動した画家で、バロック時代の代表的な静物画画家でした。特に料理人、屠殺人、肉屋、食肉などを好んで描きました。
この作品はフェリーチェの代表作の一つです。
パルマ国立美術館、クレモナ市立アラ・ポンツォーネ美術館などにフェリーチェの作品があります。


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フェリーチェ・ボセッリの領域(Ambito)の「静物画」


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マルコ・パルメッツァーノの作品が並んでます。


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マルコ・パルメッツァーノ(フォルリ、1460-1539)の「聖アゴスティーノ」
ファエンツァのサンタゴスティーノ教会にありました。


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マルコ・パルメッツァーノ(フォルリ、1460-1539)の「聖アンブロージョ?」
ファエンツァのサンタゴスティーノ教会にありました。


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マルコ・パルメッツァーノ(フォルリ、1460-1539)の「聖ジローラモ」
ファエンツァのサンタゴスティーノ教会にありました。


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マルコ・パルメッツァーノ(フォルリ、1460-1539)の「大天使ラッファエーレとトビオーロ」
ファエンツァのサンタゴスティーノ教会にありました。


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階段横の壁に展示されているので、見難い作品です。


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ジョヴァンニ・バッティスタ・べルトゥッチ・イル・ヴェッキオ通称イル・ベルトゥッチ、別称ジョヴァンニ・バッティスタ・ダ・ファエンツァ(ファエンツァ、1495-1516生存確認、1516没)の「聖母子と聖人たちのポリッティコ」
ファエンツァのサンティ・イッポリート・エ・ロレンツォ教会にありました。
彼の顔が猿に似ていたので、Il Bertucciの綽名で呼ばれました。彼は、ペルジーノやピントゥリッキオの影響が色濃い画風でした。


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聖母子と聖ジョヴァンニーノと天使たち


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聖イッポリートと聖ベネデット


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聖ロレンツォと聖ロムアルド


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永遠なる父なる神


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相当見難いです。


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ジョヴァンニ・バッティスタ・べルトゥッチ・イル・ヴェッキオ通称イル・ベルトゥッチ、別称ジョヴァンニ・バッティスタ・ダ・ファエンツァ(ファエンツァ、1495-1516生存確認、1516没)の「我に触れるな」
ファエンツァのサンティ・ピエトロ・エ・アンドレア教会にありました。


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ヴィンチェンツォ・オノフリの彫刻です。


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ヴィンチェンツォ・オノフリ(ボローニャ、1493-1524活動記録)の「シエナの聖ベルナルディーノ」
ヴィンチェンツォ・オノフリの代表作は、ボローニャのサン・ペトロニオ聖堂にあります。


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ヴィンチェンツォ・オノフリ(ボローニャ、1493-1524活動記録)の「聖ピエトロ・マルティーレ」


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次の部屋です。


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暖炉ですが、元からこの部屋にあったものではありません。


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デジデリオ・ダ・セッティニャーノ(セッティニャーノ、1428-フィレンツェ、1464)の「暖炉」
ファエンツァのPalazzo Manfrediにありました。


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15世紀末のロマーニャの逸名画家作「ピエタのキリスト」
ロマーニャ銀行の所有作品です。


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ビアージョ・ダントニオ・ダ・フィレンツェ(フィレンツェ、1446-1516)の「ピエタのキリスト」
ロマーニャ銀行の所有です。


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角度を変えて撮ってみました。


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浮彫です。


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(つづく)

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ファエンツァのパリオは馬上槍試合です。
シエナのパリオが有名なので、パリオは競馬と思われがちですが、パリオにはレガッタ、旗振りなど種々の形式があります。


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ポポロ広場です。


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Corso Giuseppe Mazzini


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市庁舎です。


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Palazzo del Podesta


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14世紀末に建設されたPalazzo del Podestaです。


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パリオの準備が進んでいました。市庁舎とポポロ広場でパリオの出陣式が行われます。


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Via Evangelista Torricelli


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ベージュ色の建物は、17世紀に建設されたPalazzo Milzettiです。


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博物館として利用されてます。


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新古典の時代とはいつ頃?


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Via Severoli
この通りの先にあるPinacoteca Comunaleがお目当てです。絵画館は週末の午前中しか開いていないので、焦ってました。


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19世紀に建設されたCasa Valentiです。


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ファエンツェでかなり有名なCasa Valentiです。


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歴史的建造物が建ち並んでいるVia Severoliです。


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16世紀に建設されたPalazzo Pasoliniです。


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写真左がPalazzo Pasolini


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絵画館は直ぐ傍にあります。


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街角のタベルナコロ
酷い落書きが気になります。


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市立絵画館の建物です。以前はこの扉が入り口となっていました。


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土曜日と日曜日の午前中(この時は午後1時半まで)しか開館していません。この絵画館の開館日に合わせて旅程を策定した次第です。


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現在の絵画館の入り口は教会の横になってます。


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写真右は絵画館になっている建物ですが、イエズス会の修道院だった建物です。


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サンタ・マリア・デッランジェロ教会です。


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教会のファサード横にある、絵画館の現在の入り口です。


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旧修道院の建物


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旧修道院の庭


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入館します。


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1796年に設立された市立絵画館です。


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市立絵画館については、項を改めて詳しく触れることにします。


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外に出ました。


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外に出たら、教会の扉が開いていました。


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早速中に入りましたが、ミサの真っ最中でした。しかも始まったばかりのようです。


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ミサの邪魔をするわけに行かないので、直ぐに外に出ました。


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1621年から1646年にかけて建設されたバロック様式の教会です。


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ファサードが一見古そうに見えますが、意外にも比較的新しい教会です。


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教会と修道院は一体化されて建てられてます。


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教会の拝観を諦めました。


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お腹が空いてきました。


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絵画館に入館するために、かなり急いで移動したので少し疲れました。


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ポポロ広場に戻って昼食をたべることにしました。


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市の塔が見えます。
(つづく)

ファエンツァは、人口58,787人(2019年5月31日現在)のエミリア・ロマーニャ州ラヴェンナ県にあるコムーネで、陶器生産で有名です。
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ファエンツァ駅に到着しました。


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ミラノ~ピアチェンツァ~ボローニャ~リミニ~アンコーナの鉄道幹線上にあるので、交通が便利です。


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ファエンツァ駅の駅舎


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先ず、この日のお宿に向かいました。


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Viale Alfredo Baccarini


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この日のお宿は、駅から徒歩10-15分の旧市街のほぼ中心にあります。


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この日の前日が夏至でした。強烈な日差しの暑い日でしたが、街路樹が日差しを遮ってくれて日陰を選んで歩けば何とかなりました。


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写真左は陶器博物館の建物です。


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陶器博物館のオブジェ?


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陶器製造用の道具でしょうか?


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陶器博物館の入り口です。


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一度入館したことがありますが、二度入る所ではないと思ってます。尤も、この時は大きな荷物を引いてホテルに向かう途中なので、入館どころではなかった。


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ツタが絡まった建物


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陶器博物館を通り過ぎれば、旧市街の入り口に出ます。しかし、陶器博物館が建っている場所は城壁内に当たります。


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新しい建物が並んでます。ファエンツァは、第二次世界大戦中にドイツ軍の爆撃を受け、市域の3分の2が消失しました。この辺の新しい建物は恐らく戦後に建設されたものでしょう。


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旧市街です。
ルネサンス期の建物と新古典様式の建物が並んでます。


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何度も来ているので道に迷うことはありません。


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並木道が終わり、少し歩いただけでしたが汗が噴き出してきました。


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突き当りを右折すれば、ホテルがあるガリバルディ通りに出ます。


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ジュゼッペ・ガリバルディ通り


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ホテルの受付で知らされるまで、この日がパリオが行われる日とは知りませんでした。


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塔が見えてきました。塔がある広場が街の中心です。


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左側に陶器の土産物を売る店があります。


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陶器は重いので、旅の前半で買うのは躊躇います。


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この日のお宿に着きました。ここで2泊します。


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ドゥオーモの直ぐ傍にあります。この街で真面な宿泊場所はここしかないと思います。


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予約した時、シングルしか空いていませんでした。
パリオが行われる日と告げられ、ホテルの混雑に納得です。


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ホテルロビー天井の装飾


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シングルルームを予約した筈ですが、入室して予想外に広い部屋だったのでビックリ。


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荷物を部屋に置き、トイレを済ませてから直ぐに外に出ました。


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1780年に建設されたPalazzo Laberchiです。市所有の建物は、イタリア統一博物館など各種博物館として利用されてます。


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ファエンツァのドゥオーモ


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リベルタ広場


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ドゥオーモの拝観は後ですることにしました。


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市の塔


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17世紀に制作されたFontana Monumentale


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Fontanaはドゥオーモの横にあります。


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道路を境に広場の名称がリベルタ広場からポポロ広場に代わります。
写真右は市庁舎です。


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ポポロ広場のこちら側の建物はPalazzo del Podestaです。


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リベルタ広場


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ポポロ広場


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(つづく)

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1518年に建設されたVilla Pallavicinoです。
ヤコポ・バロッツィ・ダ・ヴィニョーラ通称イル・ヴィニョーラ(ヴィニョーラ、1507‐ローマ、1573)、またはドナート・ブラマンテ(フェルミニャーノ、1444‐ローマ、1514)の設計と言われてますが、私としては、この説に疑問を持ってます。イル・ヴィニョーラは、このヴィッラの完成した1518年にはわずか11歳ですから設計者としては有り得ないと思います。ブラマンテが最晩年に設計し、死後にヴィッラが完成したことは有り得ますが、晩年のブラマンテの活動を考えると、設計者の確率は極めて低いと思います。


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1530年、神聖ローマ帝国皇帝カルロ5世の宿泊所として、パッラヴィチーノ家がこの建物を購入しました。それ以降、ヴィッラ・パッラヴィチーノと呼ばれることになりました。
1543年、このヴィッラでカルロ5世と教皇パオロ3世の面会が実現します。


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国立ヴェルディ博物館に入館しました。


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カルロ5世と教皇パオロ3世の邂逅を描いた絵画


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この時は館内写真不可でした。


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ヴィッラの門


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ヴィッラは堀に囲まれて建ってます。


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イタリア・オペラ好きには必訪と言える博物館でしょう。


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次は、Villa Pallavicinoの向かいに建っているサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会修道院です。


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15世紀中頃、パッラヴィチーノ州を作り、その支配者だったロランド・パッラヴィチーノ(ブッセート、1393‐1457)が、この地に教会を建設することを決めましたが、その生前には実現せず、教会建設を遺言しました。その遺言に基づき、ロランドの息子兄弟によって1470年から1474年に建設された後期ゴシック様式の教会です。
併設の修道院は1472年から1474年に建設されました。


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ファサード前の庭に白鳥の置物があります。


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1475年、教会と修道院はフランチェスコ会修道士に引き渡されました。


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幾つかの芸術作品がある教会修道院として知られてます。
その一つが入口扉上ルネッタのフレスコ画です。アントニオ・カンピ(クレモナ、1522‐1587)の「聖母被昇天とフランチェスコ会修道士たち」(1580c)


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もう一つの扉上のフレスコ画もアントニオ・カンピの作品です。


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扉が開いていました。


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中に入りました。


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四廊式、ゴシック様式の内部です。


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左側に2つの側廊があります。


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左側に修道院への通路がありますが、この日は閉鎖されていました。


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右側壁


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右側廊


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16世紀の逸名彫刻家作「Madonna delle Grazie」(16世紀)


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Cappella di Sant'Antonio


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制作者情報不知の「聖アントニオの祭壇」(19世紀)


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一部がモザイク


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ゴシック様式逸名画家作「Madonna del Canale」(15世紀)


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詳細不知


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詳細不知


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グイド・マッツォーニ(モデナ、1450‐1518)の「嘆き」(1475‐76c)


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グイド・マッツォーニの代表作の一つです。


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中央礼拝堂後陣の磔刑像


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詳細不知の主祭壇画


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ニコロ・デッラバーテ(モデナ、1510c‐フォンテーヌブロー、1571)の「十字架を担ぐキリスト」(1543‐44c)


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アントニオ・カンピ(クレモナ、1522‐1587)の「聖母子と聖フランチェスコ」(1580)


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主祭壇前から見た出入口方向


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外に出ました。


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立ち去る前に、もう一度ファサードを見ました。


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道の両側に低い城壁があります。


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(おわり)

P1080375ヴェルディ広場です。


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先ほど一息入れたカフェです。


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町歩きを続けます。


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小さな町なので、どうしても同じ場所に何度も来てしまいます。


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時間が経ちません。


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この町には苛烈な歴史がありますが、それに触れずにさらっとやりましょう。


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この日、ここに泊まってオペラを楽しむ予定でした。


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残念ながら、それを果たせずに終わりました。


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次はヴェルディ博物館ですが、当時、午後の開館は午後3時からなので時間潰しが必要でした。


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ヴェルディ博物館は、ブッセート郊外、旧城壁外の駅近くにあります。


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博物館の開館時間に合わせるために、あちこち歩いて時間潰しです。


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何処を歩いても人通りが少ない。


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元々人口が少ないので、人通りが少ないのは当たり前です。


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ローマ通りの柱廊


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道を間違えるはずがないと高を括って歩いていました。


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どうやら道に迷ったみたい。


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東洋風の門?


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電柱がありません。


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電線を地下に埋設するにはコスト高となるので難しいと言っている我が国ですが、イタリアで出来て我が国に出来ないのは不可思議です。


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地上部分の電線


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電柱頼りは、何時も電力会社側に立つ政府施策の一環でしょう。


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電線が地上に出ている部分


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経済状態が日本より悪いイタリアに出来て、日本で出来ない電柱問題です。


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Rocca Pallavicinoに戻ってきました。


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午後3時を過ぎました。


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ここで一休みしました。


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道を間違えないように、素直にローマ通りを通ってヴェルディ博物館に向かいました。


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柱廊を進みました。


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監視カメラが結構あります。


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どうせ道草しても見どころがない。


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博物館はもう直ぐです。


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ヴェルディ博物館があるVilla Pallavicinoに着きました。
(つづく)

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ヴェルディ像の後方に建っているのは、985年着工のRocca Pallavicinoです。


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1216年、ピアチェンツァ・ミラノ連合軍によってRoccaは破壊されましたが、1249年、神聖ローマ帝国皇帝フレデリック4世によって再建されました。


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Rocca Pallavicinoは、1543年、カルロ5世と教皇パオロ3世が邂逅した地として有名です。
時計塔下のアーチを潜って一旦中庭に出ます。


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中庭の南側の建物


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中庭からヴェルディ広場の反対側に出ます。向こう側は普通の住宅地となってます。


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Rocca Pallavicinoの裏側
1856年、Rocca Pallavicinoは、パルマ公爵からブッセートのコムーネに売却されました。当時のRoccaは非常に荒廃していたので、そのままでは使用不可でした。荒廃していた部分を取り壊して、一部を除いて再建されることになり、1857年から1868年にかけて現存する大部分が新古典様式で再建されたものが現在の姿です。


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広場に面した時計塔と狭間のある塔の部分は16世紀のものです。


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ヴェルディ広場側に出ます。


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Rocca Pallavicinoのファサードに向かって時計塔の左側はPalazzo Comunale、時計塔の右側がTeatro Giuseppe Verdiです。


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1857年から1868年に建設されたTeatro Giuseppe Verdiです。


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公演がない日は一般公開されてます。この日は公演日でした。


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客席数が僅か307席の小さな劇場ですが、オペラが上演されてます。毎年10月にパルマとその近郊で開催されるヴェルディ・フェスティヴァルの会場になってます。


1
劇場内部


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この日の演目はヴェルディの「ファルスタッフ」でした。


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オペラ上演の実態は、パルマ・オペラ座の出張公演です。


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ヴェルディ広場近くの教会を見に行きます。


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広場の端に教会が建ってます。


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ローマ通りを越えます。


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サン・バルトロメオ参事会教会 Collegiata di San Bartolomeoです。


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1437年に着工されたゴシック様式の教会です。


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ファサードのフレスコ画の痕跡


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後陣と鐘楼


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ブッセートのドゥオーモに相当しますが、地元ではドゥオーモと呼ばれていないようです。


2
1767年、ロココ式に改修された内部です。


3
ミケランジェロ・アンセルミ(ルッカ、1491/1492-パルマ、1556)によって1538年から1539年にかけて制作されたフレスコ画


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ミケランジェロ・アンセルミのフレスコ画


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サン・バルトロメオ参事会教会の右奥に、14世紀から15世紀に建設されたOratorio della Santissima Trinitaがあります。


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1836年、ジュゼッペ・ヴェルディとヴェルディの最初の妻マルゲリータ・パレッツィと結婚式を挙げた祈祷所として有名です。


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ローマ通りの突き当りにも教会があります。


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サンタ・マリア広場に面して建つサンタ・マリア・アンヌンツィアータ教会です。


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前身は、1472年から1518年に建設された病院付属の礼拝堂です。病院は後に取り壊され、独立した礼拝堂になりました。
新古典様式の現在の建物は、1804年に再建された二代目のものです。


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1805年、ジュゼッペ・ヴェルディの両親がこの教会で挙式しました。


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サンタ・マリア広場にあるメルカト


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この辺がブッセートの中心地となります。


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サンタ・マリア広場から見えるサン・バルトロメオ参事会教会の鐘楼


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(つづく)

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ブッセート駅に到着しました。


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ブッセートは、人口6,939人(2018年1月1日)のエミリア・ロマーニャ州パルマ県にあるコムーネです。
駅名が入った写真がないと様にならないので、列車が発車するのを待って、向かいのホームから写真を撮りました。


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無人の小さな駅ですが、駅のトイレが使用可能です。
無人駅でもトイレがあるのが普通ですが、そのトイレは施錠されていて使用できないことが殆どです。折角なので利用させて頂きましたが、ブッセートのトイレは非常に清潔でした。


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駅舎です。
ブッセートは、ジュゼッペ・ヴェルディ所縁の町として有名です。ジュゼッペ・ヴェルディ(レ・ロンコーレ、1813‐ミラノ、1901)は、ブッセートの分離集落 Frazioneのレ・ロンコーレで生まれ、1824年にブッセートに移住してきました。


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田舎の佇まいの駅前広場


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旧市街に向かいます。


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Cappella della Madonna Rossaを通り過ぎます。


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駅から旧市街の入り口までは徒歩数分の僅かな距離です。


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頃合はブッセートで最も賑わいを見せる、ヴェルディ・フェスティヴァルが開催される10月です。


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緑豊かで、長閑な町です。


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住宅地


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Istituto Compresivo Busseto


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小学校です。


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この辺が旧市街の入り口になります。


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町の目抜き通りであるローマ通り


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この日、快晴、気温20℃くらいで絶好の町歩き日和でした。


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Busseto Terra di Verdiの横断幕が掲げられてます。


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この日はヴェルディ・オペラの上演日でした。


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ローマ通りと交差する道は静寂に包まれていました。


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尤もローマ通りも人通りが少なく、静かでした。


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この日のことは思い出したくないので、適当に書いておきます。


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柱廊が完備されてます。


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イエズス会の旧大学です。


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1617年から1682年に建設されたサンティグナツィオ・ディ・ロヨラ教会です。


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1613年、ラヌッチョ1世ファルネーゼ(パルマ、1569‐1622)がイエズス会に対して、ブッセートを活動拠点にして良いとの許可を与えたことにより、大学と教会が建設されました。
しかし、イエズス会の勢力はそれだけに留まらず、この町の多くを勢力下に置きました。
ヴェルディもこの大学で学びました。


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ローマ通りは全長500mくらい?でしょうか。


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1679年から1682年に建設された、バロック様式のPalazzo del Monte di Pietaです。


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ローマ通りを更に進みます。


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柱廊が続いてます。


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通りの突き当りにある教会が見えてます。


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Palazzo Orlandi


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19世紀初頭に建設された新古典様式のPalazzo Orlandiです。
1845年、ヴェルディは、22,000リラの大金で、このPalazzoを買いました。1849年、ソプラノ歌手で、ヴェルディの後妻ジュゼッピーナ・ストレプトニと一緒にこのPalazzoで住むようになりました。


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ヴェルディとストレプトニがここで住むには色々と問題が生じました。その辺の詳細はここでは触れませんが、やがて、このPalazzoはストレプトニの所有となりました。


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現在はSIAEが所有しています。


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ヴェルディ広場は直ぐ傍です。


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広場にやってきました。


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ヴェルディ広場です。


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広場に面したカフェで一休み。


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広場にあるのは勿論ヴェルディ像です。


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(つづく)

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パオロ・エミリオ・べセンツィ(コヴィオ―ロ・ディ・レッジョ・エミリア、1608‐1656)の「悔悛の聖ジローラモ」


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ロレンツォ・フランキ(ボローニャ、1565‐レッジョ・エミリア、1632)の「玉座の聖母子と聖ジョヴァンニーノ」


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フェリーチェ・ボセッリ(ピアチェンツァ、1650‐ローマ、1732)の4点の作品


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エミリアの逸名画家作「斬首された聖ジョヴァンニ・バッティスタの首」(17世紀前半)


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ルカ・フェラーリ通称ルカ・ディ・レッジョ(レッジョ・エミリア、1605‐パドヴァ、1654)の「バッカス祭の寓意」


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ルカ・フェラーリ通称ルカ・ディ・レッジョ(レッジョ・エミリア、1605‐パドヴァ、1654)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


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ルカ・フェラーリ通称ルカ・ディ・レッジョ(レッジョ・エミリア、1605‐パドヴァ、1654)の「パリス(ギリシャ神話の)」


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ルカ・フェラーリ通称ルカ・ディ・レッジョ(レッジョ・エミリア、1605‐パドヴァ、1654)の「ルクレツィアの自殺」


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パオロ・エミリオ・べセンツィ(コヴィオ―ロ・ディ・レッジョ・エミリア1608‐1656)の「キリストの致命傷に接吻するシエナの聖カテリーナ」


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ジョヴァンニ・フランチェスコ・ゲッシ(ボローニャ、1588‐1649)の「アクイーノの聖トンマーゾの誘惑」


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パオロ・エミリオ・べセンツィ(コヴィオ―ロ・ディ・レッジョ・エミリア、1608‐1656)の「ご訪問」(17世紀)


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ピエトロ・パルトロニエーリ通称ミランドレーゼ(ボローニャ、1673‐1741)の「町の風景」


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ジュゼッペ・バルナバ・ソリエーリ別名フラ・ステファノ・ダ・カルピ(カルピ、1710‐レッジョ・エミリア、1766)の「最後の晩餐」


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ビアージョ・スパーニ(レッジョ・エミリア、18世紀活動)の「ギアーラの聖母と聖人たち」(18世紀)


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ガエターノ・ガンドルフィ(サン・ジョヴァンニ・イン・ペルシチェト、1734‐ボローニャ、1802)の「磔刑」(18世紀)


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ジローラモ・ドンニーノ(コッレッジョ、1681‐ボローニャ、1743)の「アキレウスをケイローンに預けるテティス」


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エミリアの逸名彫刻家作「聖母子」(18世紀)


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フランチェスコ・ヴェッラーニ(モデナ、1688‐1768)の「井戸のレベッカ」(18世紀)


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ジャコモ・パヴィア(ベルガモ、1812‐パヴィア、1882)とジローラモ・ドンニーニ(コッレッジョ、1681‐ボローニャ、1743)の「聖フィリッポ・ネリの物語」
4点のうち、ジャコモ・パヴィアの作品は1点だけです。ジローラモ・ドンニーニが4点制作しましたが、後に1点紛失したので、ジャコモ・パヴィアが紛失作品補充のために制作したようです。


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ジェミニアーノ・ムンディーチ(モデナ、1823‐1908)の「エルサレム幽囚のエピソード」(1856)


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ルイージ・カザーリ・バッシ(レッジョ・エミリア、1805‐1887)の「クロッピ劇場の幕の下絵」


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ドメニコ・ぺリッツィ(レッジョ・エミリア、1818‐1874)の「嬰児虐殺」(1853)


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アルフォンゾ・キエリーチ(レッジョ・エミリア、1816‐1873)の「3人の男」


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アルフォンゾ・キエリーチ(レッジョ・エミリア、1816‐1873)の「ジェレミア」(1857)


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アルフォンゾ・キエリーチ(レッジョ・エミリア、1816‐1873)の「聖ビアージョの奇跡」(1843)


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アルフォンゾ・キエリーチ(レッジョ・エミリア、1816‐1873)の「寺院からの商人たちの追放」(1844)


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アルフォンゾ・キエリーチ(レッジョ・エミリア、1816‐1873)の「3人の男」


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19世紀のエミリアの逸名画家作「風景画」


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アルフォンゾ・ベッカルーヴァ(レッジョ・エミリア、1839‐1871)の「クズナ山」(1870)


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現代画も展示されてます。


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詳細不明


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エミリアの逸名画家作「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」(15世紀第4四半世紀)


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フランスの逸名彫刻家作「聖ロッコ」(16世紀末‐17世紀初頭)


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外に出ました。


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(おわり)

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考古学部門の展示です。


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コイン、メダルの展示


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動物の剥製の展示


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新しく整備された展示部門です。


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階上に向かいました。


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彫刻断片の展示


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この街の歴史年表


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次は絵画、彫刻の展示です。


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Maestro di Tassarolaの「聖母子」(13‐14世紀)


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Maestro del Dossale di Reggioの「使徒」(14世紀第1四半世紀)


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エミリアの逸名画家作「聖母子」(15世紀第1四半世紀)


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レッジョ・エミリアの逸名画家作「聖母子と聖フランチェスコとトロサの聖ルドヴィーコ」(15世紀後半)


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ニコロ・パタラッツィ(レッジョ・エミリア、1495‐1562)の「我に触れるな」


P1070121
Pittore del 1477の「聖母子と聖アントニオ・アバーテ」


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ジョヴァンニ・ソンチーニ(レッジョ・エミリア、1503‐1539消息)の「聖母子と聖プロスペロと聖ベルナルド」


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カルレット・カリアーリ(ヴェネツィア、1570‐1596)の「受胎告知」


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ニコロ・デッラバーテ(モデナ、1509/1512-フォンテーヌブロー、1571)の「合奏」


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アレッサンドロ・ティアリーニ(ボローニャ、1577-1668)の「聖母子と聖フランチェスコ」


P1070133
アレッサンドロ・ティアリーニ(ボローニャ、1577-1668)の「カミッラ・ルッジェーリ・ブラミ?の肖像」


P1070135
アレッサンドロ・ティアリーニ(ボローニャ、1577-1668)の「ヤエルとシサラ」


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パオロ・エミリオ・べセンツィ(コヴィオ―ロ・ディ・レッジョ・エミリア、1608-1656)の「聖母子と聖アンナと聖ジョアッキーノ」


221
ベルナルディーノ・フェラーリ(ヴィジェーヴァノ、1495-1574)の「玉座の聖母子と聖ピエトロと聖アンブロージョ」(1515)


223
エミリアの逸名画家作「聖母子と聖人たち」(16世紀)


225
エミリアの逸名画家作「ご誕生」(16世紀)


226
フェルディナンド・ポルタ(ミラノ、1687-1763)の「キリストの洗礼」


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逸名画家作「聖母子」


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詳細不明


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逸名画家作「祈るキリスト」(16世紀)


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ミケーレ・ディ・マッテオ(ボローニャ、1410-1469)の「聖母子」(15世紀前半)


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シモーネ・デイ・クローチフィッシ(ボローニャ、1330-1399)の「聖母子」(14世紀中頃)


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シモーネ・デイ・クローチフィッシ(ボローニャ、1330-1399)の「トロサの聖ルドヴィーコ」(14世紀)


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シモーネ・デイ・クローチフィッシ(ボローニャ、1330-1399)の「聖パオロと聖ジョヴァンニ・バッティスタと聖ピエトロ」


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ボローニャの逸名画家作「磔刑」(16世紀)


P1260374
ボローニャの逸名画家作「嬰児虐殺」(16世紀)


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ピエル・フランチェスコ・チッタディーニ(ミラノ、1616-ボローニャ、1681)の「聖ステファノの殉教」
(つづく)

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レッジョ・エミリアのPiazza Martiri del 7 Luglioです。大きな広場で、場所によって広場の名称が異なり、3つあります。


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広場に面して建っているサン・フランチェスコ教会です。


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サン・フランチェスコ教会のファサードに向かって左側にあって、教会と隣接する建物が旧サン・フランチェスコ修道院で、現在Palazzo dei Museiと呼ばれてます。


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Palazzo dei Museiに市立博物館が置かれてます。2014年から2017年にかけて、レッジョ・エミリアの美術館博物館の再編が行われました。その結果、Palazzo dei Museiにおける絵画・彫刻部門が縮小され、その一部は市立パルメッジャ―ニ美術館に移されました。


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入館無料です。


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地上階の廊下です。


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廊下から展示室に入ります。


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最初はモザイクの展示です。


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モザイクの展示箇所がもう一つあります。こちらの方は時代の古いモザイクの展示です。


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SS9とは何ぞや?


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モザイクがあった場所、制作された推定年などの説明表記がありません。


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”Libreria(図書館)”に入りました。図書館らしからぬ展示です。


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理解が難しい展示です。


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Museo Chierici di Paletnologiaに入りました。
chiericiは聖職者とか学者という意味、paletnologiaは先史人類学という意味ですが。


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頭蓋骨の展示


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石器、鉄器


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石器類


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青銅器、鉄器


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彫刻などの展示


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紀元前5世紀のもの


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ちょっと時代が新しいような・・・・・


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再びモザイクの展示です。


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(つづく)

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説明プレートがないので、作品帰属や画題が分かりません。


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作品を見た画風だけで制作者名が分かるほどの画家でもなさそうです。


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次の部屋です。


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次はSala Fiamminga Olandeseです。


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次はSala Franceseです。


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一旦、最初の部屋に戻り、そこを経由して他の展示室に向かいました。


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次の部屋です。


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Sala delle Armi


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エル・グレコ(ギリシャ、イラクリオン、1541‐スペイン、トレド、1614)の「救世主」


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フィレンツェ派逸名画家作「聖家族と天使」(1510c)


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制作者不明の「ルイージ・パルメッジャ―ニの肖像」


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明治初期に制作された日本画(制作者不明)


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詳細不明


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バッチョ・バンディネッリ(フィレンツェ、1488‐1560)の「聖ロレンツォの殉教」


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外に出ました。
作品帰属、画題などを明示して欲しいと思いましたが、大した作品ではなさそうなので、市当局の方がその必要性がないと判断したのかも知れません。
(おわり)

P2820327
アンドレア・チェレスティ(ヴェネツィア、1637‐トスコラーノ、1712)の「モーゼ」


P2820331
フィリッポ・タルキアーニ(カステッロ、フィレンツェ、1576‐フィレンツェ、1645)の「アポロとパン」


P2820334
ジョヴァンニ・フランチェスコ・ロマネッリ(ヴィテルボ、1610‐1662)の「エウロパの強奪」


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ヤコポ・バッサーノ工房作「田舎の光景」(16世紀後半)


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17世紀のハープ


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逸名彫刻家作「聖母子」(14世紀)


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逸名画家作「貴公子の肖像」


P2820344
逸名彫刻家作「聖母子」(15世紀)


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ヤン・ファン・エイク(ベルギー、マーサイク、1390c‐ベルギー、ブルージュ、1441)の「玉座の聖母子と2聖人のトリッティコ」
この美術館で1点選ぶとしたら、この作品になります。


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次の部屋です。


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Sala Spagnola


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スペインの逸名画家作「ユダの接吻とキリストの鞭打ち」(1410c)


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Jaime Baco detto Jacomart (ヴェレンシア、1431‐1482)の「大天使聖ミケーレ」


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ヴァレンシアの逸名画家作「磔刑と玉座の聖母子と天使たちとアレッサンドリアの聖カテリーナ?と聖バルバラ」(1490c)


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カスティアリアの逸名画家作「ドーリア・メンチャと聖ドメニコ」(1500c)


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ペドロ・ディアス・デ・オヴィエド(スペイン、15世紀末‐16世紀初頭活動)の「ご訪問、受胎告知、マギの礼拝のトリッティコ」(1490‐95)


P2820366
詳細不明


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カスティアリアの逸名画家作「聖キアーラと修道女たちのミサ」(1500c)


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アラゴンの逸名画家作「聖母の物語」(1410‐20c)


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ロドリゴ・デ・ヴィッランドランド(マドリッド、1588‐1622/1623)の「ブルボンのレジーナ・イサベッラの肖像」
(1622c)


P2820376
スペインまたはフランスの逸名画家作「男の肖像」(1810c)


P2820379
ドイツの逸名画家作「スペインのフィリッポ4世の肖像」(1630-35)


P2820383
ジュゼペ・デ・リベラ(スペイン、1591‐ナポリ、1652)の「アルキメデス?」


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デニス・カルヴァート(アンヴェルサ、1540‐ボローニャ、1619)の「女性の肖像」


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ジュゼペ・デ・リベラ工房作「聖ジローラモ」


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スペインの逸名画家作「玉座の聖母子と聖ジョヴァンニーノ」(17世紀)


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アラゴンの逸名画家作「玉座の聖母子と音楽天使たち」(1470‐80)


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次の部屋です。


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Sala Velluti


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織物の展示


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次はSala Cesare Dettiです。


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ローマの逸名彫刻家作「少年」


P2820404
逸名画家作「女性の肖像」


P2820405
逸名画家作「愛人たち」


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逸名画家作「婚約者」


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次はSala Escosuraです。


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P2820438
(つづく)

P2820256
レッジョ・エミリアのヴィット―リア広場です。


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ヴィット―リア広場の角、Corso Benedetto Cairoli 1に市立パルメッジャ―ニ美術館があります。


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教会の鐘楼のような塔が付いている、ゴシック=ルネサンス様式の建物が美術館になってます。


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レッジョ・エミリア出身の政治家ルイージ・パルメッジャ―ニは、美術品の収集に熱中していました。自分が収集した作品を展示するために、1924年、この建物を購入しました。


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購入後、建物内部は改造され、フランス風ぷらすスペイン風の調度が持ち込まれ、19世紀の住宅博物館のような側面を有してます。


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ルイージ・パルメッジャ―ニの死後、中の展示物調度品は建物ごとレッジョ・エミリア市当局に寄贈され、現在は市立美術館として一般公開されてます。


P2820265
現在、ルイージ・パルメッジャ―ニの収集物に加えて、他の場所にあった絵画や彫刻なども展示されてます。
入館無料です。なお、レッジョ・エミリアにある美術館、博物館は全て入館無料となってます。


P2820266
入館しました。


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Sala dei Giotelli


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逸名画家作「ピエタのキリストと4聖人」(15世紀)


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逸名彫刻家作「フランスの女性の胸像」


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フランスの逸名彫刻家作「聖母子」(15世紀)


P2820273
フランスの逸名彫刻家作「聖母子」(15世紀)


P2820275
逸名画家作「我に触れるなと聖人たちの祭壇前飾り」(15世紀)


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展示されている作品の殆どに説明プレートがありません。


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Sala Frammenti Marmi


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彫刻の断片が展示されてます。


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P2820284
詳細不明


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詳細不明


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次の部屋です。


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Sala Scultore Reggiano il Clemente


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次の部屋です。


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主に絵画と彫刻が展示されてます。


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ジョヴァンニ・バッティスタ・サルヴィ通称イル・サッソフェッラート(サッソフェッラート、1609‐ローマ、1685)の「幼きキリストを崇拝する聖母」(17世紀後半)


P2820296
ボニファチョ・ベンボ(ブレーシャ、1447‐ミラノ、1477)に帰属する「4人の人物」


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ローマ時代に制作された「ヘラクレス像」


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17世紀の逸名画家作「パオロ・ヴェロネーゼ作『寓意画』の複製画」


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逸名画家作「エマオの晩餐」


P2820306
詳細不明


P2820308
17世紀のフランスの逸名画家作「十字架降下」


P2820311
17世紀のフランスの逸名彫刻家作「荊刑のキリスト、キリストの埋葬」


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ジョヴァンニ・アントニオ・カナール通称カナレット(ヴェネツィア、1697‐1768)の「ヴェネツィアの風景」(18世紀)


P2820315
詳細不明


P2820316
詳細不明


P2820317
詳細不明


P2820318
詳細不明


P2820319
詳細不明


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18世紀の逸名画家作「我に触れるな」


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ボニファチョ・ベンボの追随者?の「6人の人物」


P2820326
詳細不明
(つづく)

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主祭壇


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主祭壇画は、フェデリーコ・ズッカリ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1539‐アンコーナ、1609))の「聖母被昇天」


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詳細不明の「磔刑像」


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後陣右の礼拝堂


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次の礼拝堂です。


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後陣右のクーポラ


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ニコロ・デッラ・タルシアの「サンターレの聖母」(1510‐12)


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アウグスト・ムッシーニ通称フラ・パオロ(レッジョ・エミリア、1870‐ローマ、1918)の作品


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カヴァリエール・ダルピーノ(アルピーノ、1568‐ローマ、1640)の「ご訪問」(1604)


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制作者不明の「受胎告知」


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主祭壇前から見た出入口


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説教壇


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次の礼拝堂


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詳細不明の「ロザリオの聖母」


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次の礼拝堂


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パルマ・イル・ジョーヴァネ(ヴェネツィア、1544‐1638)の「ピエタ」(1607)


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次の礼拝堂


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かなり有名な聖母子


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逸名画家作「サンティッシマの聖母」


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右側廊


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右側廊から見た中央方向


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誰の墓碑でしょうか?


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聖水盤


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フランチェスコ・フォンタネージによって描かれたフレスコ画(1770)


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クリプタに入りました。


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クリプタの壁にフレスコ画が残されてます。


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クリプタから内陣に戻りました。


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プロスペロ・ソガリ通称イル・クレメンテ(レッジョ・エミリア、1516‐1584)の「ランゴーネ司教の墓」(1566)


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アウグスト・ムッシーニ通称フラ・パオロ(レッジョ・エミリア、1870‐ローマ、1918)の「キリスト」


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外に出ました。
(おわり)

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レッジョ・エミリアの街の中心Piazza Prampoliniです。


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Piazza Prampoliniに面して建っているレッジョ・エミリア大聖堂です。


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レッジョ・エミリア=グスタッラ司教区の司教座教会 Cattedrale di Santa Maria Assunta です。


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伝承によれば、451年創建の初期キリスト教会がこの地にあり、それが前身とされてますが、その記録が残ってません。9世紀の文書にこの教会の存在が記されており、それ以前に建設されたことは確実です。
現在の教会の姿は、13世紀に再建されたロマネスク様式の建物を基本に、その後、次々に改造改修が行われましたが、1599年に一応の完成を見たルネサンス様式の建物です。


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外観の特徴は、ファサード上にある八角形の鐘楼です。
13世紀初めに完成した鐘楼ですが、完成間もなくの1228年に発生した大地震によって倒壊してしまったので、1268年に八角形の現在の姿に再建されたものです。
写真右端は、Torre del Bordelloです。


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鐘楼の金色の聖母子像は、バルトロメオ・スパーニ(レッジョ・エミリア、1468‐1539)によって1522年に制作されました。


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ドゥオーモの洗礼堂は、ファサードに向かって左側にあるドゥオーモに隣接する建物の左端にあります。


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ドゥオーモの洗礼堂


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洗礼堂扉上ルネッタ上の「キリストの洗礼」の浮彫


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サン・プロスペロ広場から見えるドゥオーモの後陣


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ドゥオーモのファサードに戻ります。
ファサードの扉上にある彫刻は、プロスペロ・ソガリ通称イル・クレメンテ(レッジョ・エミリア、1516‐1584)の「アダムとイヴ」(1584)です。


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ファサードの壁龕に4体の彫像がありますが、これらは街の4聖人のものです。4体の彫刻ともプロスペロ・ソガリ通称イル・クレメンテ(レッジョ・エミリア、1516‐1584)によって制作されました。
こちらは「聖グリサンテ像」です。


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「聖ヴェネリオ像」


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「聖ジョコンダ像」


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「聖ダリア像」


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メイン扉上にあったフレスコ画は、Museo Diocesanoに移されました。


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聖堂内に入りました。


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三廊式、ラテン十字形、バロック様式の聖堂内部です。


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1832年の大地震によって大きな被害を受けたので、その後、大修復工事が行わマした。そのため、かなり修正が加えられた内部は新しく見えます。


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縦が73.3mあります。


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天井の装飾


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左側廊


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左側廊から見た身廊方向


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左第1礼拝堂


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Cappella dei Notaiの扉が閉まっていました。


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鉄柵の間にカメラを入れて撮りました。
「Madonna Tacoli」(1250c)


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次の礼拝堂です。


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ルイージ・アングィッソーラ(1479‐1553)の「玉座の聖母子と聖ジローラモとアレッサンドリアの聖カテリーナ」(1520c)


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次の礼拝堂です。


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グイド・レーニの「大天使聖ミケーレ」に似てますが、制作者は不明のようです。


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ジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリ通称グエルチーノ(チェント、1591‐ボローニャ、1666)の「聖母被昇天と聖ジローラモと聖ピエトロ」


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ポマランチョ?の作品


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カルロ・ボノーニ(フェラーラ、1569‐1632)の「聖セバスティアーノ」


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左翼廊の礼拝堂


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オラツィオ・タラーミ(1624‐1708)の「嬰児虐殺」


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Cappella Santissimo


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右翼廊の礼拝堂


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詳細不明
(つづく)

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次はベアータ・ヴェルジネ・デッラ・ギアーラ聖堂です。


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この日、ベアータ・ヴェルジネ・デッラ・ギアーラ聖堂は開いている情報があったので、期待していました。


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皆さんは、イタリア人と一緒に仕事をしたことがありますか?


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借りたB&Bの鍵について「あるある劇場」が開演した話がありましたが、貸す側のB&Bの方は仕事、借りる側の我々は観光という側面があるので、「あるある劇場」が開演しても仕方がないと許したことでしょう。
しかし、イタリア人、日本人の両陣営とも仕事である場合に「あるある劇場」が開演すると、収拾がつかなくなります。品質管理の業務遂行時に「あるある劇場」が発生したので、イタリア側に生産委託をすることを断念したことがあります。品質管理基準を甘くしてほしいと言われてしまっては話になりません。


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ベアータ・ヴェルジネ・デッラ・ギアーラ聖堂にやってきました。


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扉が閉まっているように見えましたが、開いていました。


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ファサードの扉上の大理石浮彫は、1642年にレッジョ・ネッレミリア市当局から寄贈されたものです。


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18世紀にBasilica Minoreに格付けされました。
現在は、聖堂の建物は、レッジョ・ネッレミリア市当局の所有となってますが、教会活動が行われてます。


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聖堂内に入りました。


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1313年、現在の場所に建設されたベアータ・ヴェルジネ教会が最初の建物です。


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聖母の奇跡を齎す教会として信仰を集めました。やがて、それが評判となり遠方から信者が訪れる巡礼地となりました。
そうなると最初の建物が手狭になってしまったので、16世紀末、当時のレッジョ・ネッレミリア司教が規模の大きな建物への建て替えを決めました。その決定に従い、最初の建物が取り壊され、その上に建設されたのが、1597年創建、1619年完成のバロック様式の二代目の建物で、それが現在の姿となってます。


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三廊式、ギリシャ十字形、バロック様式の聖堂内部は、縦60m、両翼廊間が45mあります。


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クーポラ


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主祭壇と後陣


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後陣にパイプオルガンがあります。


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アレッサンドロ・ティアリーニ(ボローニャ、1577‐1668)の「聖母子と聖人たち」


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リオネッロ・スパーダ(ボローニャ、1576‐パルマ)によって描かれたフレスコ画(1616)


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ジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリ通称グエルチーノ(チェント、1591‐ボローニャ、1666)の「磔刑」(1624‐25)


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第1礼拝堂のクーポラのフレスコ画は、カミッロ・ガヴァセッティ(モデナ、1596‐パルマ、1630)によって1629年から1630年に描かれました。


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オラツィオ・タラーミ(レッジョ・エミリア、1624‐1708)の「聖フィリッポ・ベニッツィの功徳」(1673)


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ルドヴィーコ・カッラッチ(ボローニャ、1555‐1619)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの殉教」(1619)


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後陣のフレスコ画は、アレッサンドロ・ティアリーニ(ボローニャ、1577‐1668)の「聖母戴冠」(1625‐29)です。


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リオネッロ・スパーダの祭壇画は貸し出し中でした。


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フランチェスコ・ブラーニの「聖ニコロ・ラゴネールの奇跡」(1648)


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リオネッロ・スパーダ(ボローニャ、1576‐パルマ、1622)の「聖霊降臨」


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Cappella e Alyare della Vergine


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カルロ・ボノーニ(フェラーラ、1569‐1632)?の「ギアーラの聖母」


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第2礼拝堂のクーポラ


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アレッサンドロ・ティアリーニ(ボローニャ、1577‐1668)の「聖母子と聖フランチェスコ」(1629c)


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バロックですね。


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中央礼拝堂前から見た出入口方向


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カルロ・ボノーニ(フェラーラ、1569‐1632)の「聖母被昇天」


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左翼廊


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右翼廊


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外に出ました。


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天気が少し持ち直してきました。


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一旦ホテルに戻りました。


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夕方近くなって、天気が急速に回復しました。


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見慣れた景色であっても、天気が良くなると感じが随分異なります。


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(おわり)

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翌朝です。


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低い雲がどんよりと垂れ込め、雨が落ちていないだけマシ。


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青空市ならぬ、ドン曇り空市が立っていました。


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ローマ時代の遺跡は何処に行った、と思いながら歩き回ります。


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もっと歴史を感じさせてよ。


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近頃、中国人が営業している青空市の出店が多くなってきました。


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ドゥオーモが開いていたので中に入ります。


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朝のミサが終わった時間なので、ゆっくりと拝観出来ました。


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クリプタ


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ご訪問


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グエルチーノの作品


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外に出ました。


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ドゥオーモの洗礼堂


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洗礼堂扉上ルネッタの「キリストの洗礼」


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レッジョ・エミリアの博物館や美術館が入館無料なので、好きな時に入館出来ます。


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市庁舎


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未だ午前9時前です。


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市立劇場がある広場の方に向かいました。


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アルプスからの寒気が押し寄せると、まるで冬のような天気になります。


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こちらの広場も青空市が開催中。


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度々起きる地震への対策でしょうか、柱廊の柱が補強されています。


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絵画館にもう一度入館します。


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こちらは美術図書館


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Civica Galleria Parmeggiani


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複数回入館することによって、理解が深まります。


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作品帰属は、Galleria Parmeggianaだけを取り上げた時に明示します。


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外に出ました。


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次は市立博物館です。


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市立劇場


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寒々しい感じを強調させる広場の噴水。


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開いているように見えたサン・フランチェスコ教会ですが、やはり閉まっていました。


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市立博物館にもう一度入館します。


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絵画を重点に見ました。


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作品帰属については、博物館の詳述の際に明示します。


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(つづく)

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次はサン・ピエトロ教会です。


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時々、他の方のブログで、フレスコ画や祭壇画などがアップされているのを目にしますが、その制作者、つまり作品帰属への言及がないのが殆どです。作品帰属を書くことによって、後になって役立ったり、自分の鑑賞力のアップに繋がると思います。


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Caffe Arti e Mestieri


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建物の名称を失念しましたが、歴史的建造物です。


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サン・ピエトロ教会は直ぐ傍にあります。


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1586年創建、1782年完成のバロック様式のサン・ピエトロ教会です。


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中に入りました。


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単廊式、バロック様式の内部です。


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美術的に見逃せません。


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反宗教改革を旗印に建設されたので、内部装飾が派手です。


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カミッロ・カヴァッセティ(モデナ、1596‐パルマ、1630)とジローラモ・マッサリーニ(レッジョ・エミリア、1626‐1700)の「聖ジュリアと聖クリストフォロの殉教」(1623,1684)
1623年にカミッロ・カヴァッセティによって制作が始められましたが、未完成のまま放置され約60年後にジローラモ・マッサリーニによって完成された作品です。しかし、どの部分が未完成だったのか、については不明のようです。


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パオロ・エミリオ・べセンツィ(レッジョ・エミリア、1608‐1656)の「聖プラチドと聖フラヴィアの殉教」(1649‐50)


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トンマーゾ・オッタ―ヴィ(レッジョ・エミリア、1814‐1909)の「聖ジャコモ・マッジョーレの殉教」(19世紀後半)


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ピエトロ・デサーニ(ボローニャ、1595‐レッジョ・エミリア、1657)の「聖母子と大天使聖ミケーレと聖グレゴリオ・マーニョ」(1630c)


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アレッサンドロ・ティアリーニ(ボローニャ、1577‐1668)の「聖バルバラの殉教」(1625)


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17世紀中頃のエミリアの逸名画家作「天上の聖母子と4聖人(聖シモーネ、聖ルチア、聖カルロ・ボッロメオ、聖フランチェスコ)」(1650c)


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詳細不明


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フランチェスコ・マリア・コデルッピ(1592記録)の「聖母子と聖ベネデットと聖プロスペロ」(1593)


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主祭壇


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アンセルモ・ゴヴィによる後陣のフレスコ画(1939)


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ジョヴァンニ・アンドレア・コンドゥッチ通称マステッレッタ(ボローニャ、1575‐1655)の「聖ピエトロと聖ジョコンダと天使」(1639)
枠内の聖母子は、サッソフェッラート作品の複製画です。(制作者不明)


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ジローラモ・マッサリーニ(レッジョ・エミリア、1626‐1700)の「聖ジュゼッペの死」(17世紀後半)


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制作者不明の「カミッロ・プロカッチーニ作『マギの礼拝』の複製画」(1619)


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ルカ・フェラーリ(レッジョ・エミリア、1605‐パドヴァ、1654)の「カナの晩餐」(1649)


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ジローラモ・マッサリーニ(レッジョ・エミリア、1626‐1700)の「嬰児虐殺」(17世紀後半)


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ルカ・フェラーリ(レッジョ・エミリア、1605‐パドヴァ、1654)の「キリストの洗礼」(1649)


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ジローラモ・マッサリーニ(レッジョ・エミリア、1626‐1700)の「マギとエロデの邂逅」(17世紀後半)


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セバスティアーノ・ヴェルチェレージ(レッジョ・エミリア、1603‐1657)の「聖マウロの殉教」(1644c)


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外に出ました。


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雨が上がりました。ホテルに着いてしまいましたが、部屋に入ってしまうのは勿体ない。


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もう少しぶらぶら歩きを続けます。


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イタリア美術とは全くの無関係ですが、久し振りにNHKの大河ドラマを見ていたら、歴史的に存在しなかった人物が重要な登場人物になっているのを見て、違和感を覚えました。脚本家の創造上人物の大活躍は歴史に対する冒涜です。「明智光秀」ではなく、想像上の人物『明智又助(名前は誰でも良い)』の物語として話を進めるべきと思いました。時代考証担当の先生は、何故、そのような人物のドラマへの登場を看過しているのか不思議です。


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サン・ピエトロ教会のクーポラ


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すっかり夕方です。


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Palazzo Bolardiに行ってみる。


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Palazzo Bolardiです。


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中に入ることが出来ません。


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(つづく)

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Piazza Roversi


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広場の先に教会があります。


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Oratorio del Cristo


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このオラトリオが開いているのを見たことがありません。


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次はサン・プロスペロ聖堂です。


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Via Macari


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この通りを進めばサン・プロスペロ聖堂に出ます。


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写っているのはサン・ジョルジョ教会の鐘楼とクーポラです。


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Via Due Gobbiとの交差点を越えます。


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写真右はPalazzo Pratonieri


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サン・プロスペロ聖堂は、この日も閉まっていました。


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ファサード前にあるライオン像


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ファサードの彫刻


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サン・プロスペロ広場の先に見えているのはドゥオーモの後部です。


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聖堂前にあるライオン像が2つ以上あるので、サン・プロスペロ広場はPiazza Leoniとも呼ばれてます。


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市立劇場の方に行ってみることにしました。


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サン・フランチェスコ広場に向かってます。


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Palazzo Liberti


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四つ星ホテルになってます。


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市立劇場です。


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サン・フランチェスコ教会


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見所が多いと言えないレッジョ・エミリアなので、どうしても同じ場所に来てしまいます。


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1つの広場ですが、その場所によって広場の名称が3つあるのです。


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3つの広場の境界線などがサッパリ分かりません。


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広場の噴水


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次はベアータ・ヴェルジネ・デッラ・ギアーラ聖堂です。


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ベアータ・ヴェルジネ・デッラ・ギアーラ聖堂のクーポラが見えてます。


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1597年創建、1619年に完成したルネサンス様式の建物です。


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ベアータ・ヴェルジネ・デッラ・ギアーラ聖堂は開いていないことが多い。


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この日も閉まっていました。


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ファサードの浮彫


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ベアータ・ヴェルジネ・デッラ・ギアーラ聖堂の後陣、鐘楼、クーポラ


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広場にあるオベリスク


P1060901
次はサン・ピエトロ教会です。


P1060902
(つづく)

P1060797
Via Emilia San Pietroを進みます。


P1060799
写真左はPalazzo Salvi


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この辺は16‐18世紀に建設された建物が並んでます。


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柱廊がなくなりましたが、それに合わせて雨が止みました。


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この辺の建物が特定できません。


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Palazzo Guicciadi Trivelli?


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Via Don Giuseppe Andreoli


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Palazzo del Capitano del Popoloの前を通って広場に向かいました。


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Piazza Pramplini


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写真右はDomus Notariurum


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ドゥオーモ


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教会のような建物は洗礼堂です。


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Palazzo del Monte dei Pieta


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Torre Civica Orologio


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ドゥオーモは開いていなかったので、拝観は別の機会に。


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市庁舎


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市庁舎のアーチを潜ります。


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Via Falini


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この通りの先にあるサン・ジョルジョ教会に向かってます。


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16世紀後半に建設されたPalazzo Ancini


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Palazzo Anciniの入り口


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サン・ジョルジョ教会(写真左)に到着しました。


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1146年の文書に、この地にあった教会の記録が残されてます。


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その教会は、1610年、イエズス会の所有となり、イエズス会は古い建物を取り壊し、その上に新建物の建設をきめました。1638年創建、1743年完成の建物が現存しています。


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1996年の地震によって教会は閉鎖されました。地震による損壊の修復後、建物は市当局の所有となりました。


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入口にある聖母子のイコン


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中に入りました。


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単廊式、ラテン十字形・バロック様式の内部です。


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旧教会ですが、地元の信者の方が訪れてます。


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詳細不明


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天井


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アレッサンドロ・ティアリーニ(ボローニャ、1577‐1668)の「天上の聖母子と聖フランチェスコ・サヴェリオと聖イグナツィオ・ロヨラ」


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後陣のフレスコ画


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詳細不明


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地元の人たちに崇拝されている主祭壇


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クーポラ


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詳細不明


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主祭壇前から見た出入口方向


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外に出ました。
(つづく)

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午後1時過ぎですが、すっかり夕方の佇まいです。


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青空が見えてましたが、雨が落ちてきました。


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雷鳴が聞こえてきました。


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急に気温が低くなってきました。


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シロッコが勢いを低下させ、アルプスからの寒気が下りてきたとの天気予報の説明がありました。


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雷鳴が聞こえ、小雨が降り始めても青空市の各店は悠然と営業継続中でした。ちょっと心配になりました。


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サン・プロスペロ聖堂です。


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残念ながら鐘楼は修復工事中でした。


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サン・プロスペロ広場


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聖堂の身廊の一部が店舗になっています。


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青空が多くなってきました。天気が不安定。


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あまり食べたくない、しかし、少しは食べておかねば夕方まで持たないということで、妙な店に入りました。


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変な海苔巻き。


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お札を燃やすような店でした。


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Palazzo Liberti


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下肢に痛みと痺れを感じたのでホテルに戻ることにしました。


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午後2時頃になると極端に人出が少なくなります。


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扉が開いていましたが、拝観は後日することにしました。


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未だ雷鳴が聞こえていましたが、雷雲は遠ざかったようです。


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学校の建物


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かなりの距離を歩きました。


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この頃は未だ健脚でした。


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再び街歩きに出かけました。


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Via Emilia San Pietro


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柱廊が続いてます。


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第1次世界大戦、第2次世界大戦で兵舎だった建物です。現在は音楽学院となってます。


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見えている鐘楼はサン・ピエトロ教会のものです。


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旧サン・ピエトロ修道院のキオストロ外壁の「聖母子」


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よく見たらモザイクです。


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エミリア街道=Via Emilia San Pietoro


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サン・ピエトロ教会のファサード


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この教会は何時も開いているので、拝観は帰路に行うことにしました。


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小雨模様の悪天になったので、柱廊が有難い。


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16世紀に建設された建物


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15世紀‐17世紀の建物が並んでます。


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私が住んでいる街には15世紀建設の建物はありません。


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私の家の近くに更級日記の菅原孝標の娘が住んでいましたが、その場所は特定されてません。


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写真左の建物が有名です。


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15世紀末に建設されたPalazzo Sacratiの入り口です。


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Palazzo Sacratiの中庭にお邪魔します。


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入口天井のフレスコ装飾


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中庭に入りました。


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中庭から外に出て、エミリア街道から建物外観の写真を撮ることにしました。


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通りの向かい側から見たPalazzo Sacratiです。


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P1060795
(つづく)

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サンタゴスティーノ教区教会です。


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中に入りました。


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単廊式、ラテン十字形、バロック様式の内部です。


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見逃せない祭壇画が数点あります。


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建築家ガスパーレ・ヴィガラーニ(レッジョ・エミリア、1588‐モデナ、1663)によって1651年から1660年にかけて現在の姿に改造されました。


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二代目の建物にあったフレスコ画断片「授乳の聖母」(14世紀)


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詳細不明


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次の礼拝堂


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ヤコポ・ネグレッティ通称パルマ・イル・ジョーヴァネ(ヴェネツィア、1544‐1628)の「ギアーラの聖母」


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次の礼拝堂


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詳細不明


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次の礼拝堂


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逸名画家作「聖ロレンツォの殉教」(16世紀)


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主祭壇


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クーポラに描かれた聖母戴冠のフレスコ画


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右翼廊の礼拝堂


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パオロ・エミリオ・べセンツィ(レッジョ・エミリア、1608‐1656)の「神殿奉献」


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左翼廊の礼拝堂


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ジョヴァン・フランチェスコ・バルビエリ通称グエルチーノ(チェント、1591‐ボローニャ、1666)の「聖アポッリナーレ」


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詳細不明


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次の礼拝堂


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ジャン・ブーランジェ(フランス、アミアン、1606‐パリ、1660)の「聖アンドレアの殉教」


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次の礼拝堂


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カルロ・ボノーニ(フェラーラ、1569‐1632)の「羊飼いの礼拝」


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次の礼拝堂


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ジョヴァンニ・ウゴリーノの「聖モニカの死」


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次の礼拝堂


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詳細不明


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ジョヴァン・バッティスタ・カッタ―ニの「聖モニカ」


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主祭壇前から見たファサード方向


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パオロ・エミリオ・べセンツィ(レッジョ・エミリア、1608‐1656)の作品


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旧修道院回廊の壁にあった作品


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外に出ました。


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昼過ぎになったので、教会巡りは終わりです。


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そろそろ昼食の時間です。


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しかし、お腹が空いてません。


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Palazzo del Capitano del Popoloに戻ってきました。


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暑いので、「動かない」パフォーマンスは辛いだろうと思いました。


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切りピザでも食べようと思ったけど、店が見つからない。


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(つづく)

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イタリアでは所得水準の高い州として知られているエミリア・ロマーニャ州ですが、中でもレッジョ・エミリアは裕福な街となってます。


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Torre Campanaria dell'Orologio


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最も賑わい見せる通りに出ました。


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1280年に建設されたPalazzo del Capitano del Popolo
現在は店舗として使用されている他、ホテルにも転用されてます。


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チェントロ・ストーリコに泊まるのならば、このホテルはお勧めです。


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ホテルの前を通り過ぎてドゥオーモに向かいました。


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レッジョ・エミリアの街の中心Piazza Pramplini


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Palazzo del Comune


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広場に立つStatua del Crostolo


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街を流れていたクロストロ川の寓意像です。その川は一部埋め立てられ暗渠になっているらしい。


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Palazzo del Monte


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広場に面して建つドゥオーモ



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Cattedrale di Santa Maria Assunta


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ファサードの黄金の聖母子


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拝観しました。


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外観とは異なり、新しく見える聖堂内部です。


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1823年の大地震によって、聖堂内部は大きな被害を受けてしまいました。現在の内部は大地震後の大規模修復工事後の姿となってます。


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ドゥオーモについては、項を改めて詳しく触れる予定です。


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外に出ました。


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1489年に建設された市の塔、Torre del Bordelloです。


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気温が急激に上昇中。


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ホテルを出るとき、フロントの女性から、昼過ぎ後は暑くなるので、危険だから出歩かないようにと言われました。


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イタリア人って意外に厚着?


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1456年建設のDomus Notariurum


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市庁舎のアーチを潜りました。


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次はサン・ジョルジョ教会です。


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1638年に建設されたサン・ジョルジョ教会です。扉が閉まってました。


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ファサードの聖ジョルジョの浮彫が有名です。


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中にパオロ・ヴェロネーゼ、アレッサンドロ・ティアリーニの作品があります。


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18世紀に建設されたChiesa del Cristoは何時も閉まっています。


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次はサンタゴスティーノ教区教会です。


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路地に入って、その突き当りが目指すサンタゴスティーノ教会です。


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ファサード側に回りました。


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1183年の文書に、この地に、その存在が記載されているサンタポッリナーレ教会が前身です。サンタポッリナーレ教会は1249年の破壊され、その上に1268年に新しい建物が再建されました。二代目の建物の奉献に合わせて、教会の名称が現在のサンタゴスティーノ教会に改められました。また、教区が再編され、サン・ロレンツォ教区の教区教会となりました。
1423年の火災によって消失したので、1452年から3代目の建物の建設工事が開始されました。現在のバロック様式のファサードは、1746年の修復の際に改造されたものです。


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ファサードが面している公演


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写真右は旧サンタゴスティーノ修道院の建物です。


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旧修道院のキオストロ


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キオストロから教会内に入りました。
(つづく)

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次は市立博物館です。


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午前中は涼しかったのですが、、午後になると急激の気温が上昇して炎暑日(40℃以上)となりました。


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厚着の方が多いのは何故でしょうか?


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市立博物館が置かれているPalazzo Museiです。


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入館します。


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入館無料です。


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以前、この建物内で展示されていた絵画作品の多くは、Galleria Parmeggianaに移されました。


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古い歴史ある街レッジョ・エミリアですから、共和制ローマ時代、帝政ローマ時代の遺跡からの発掘物が充実しています。


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現代のエッチング作品と動物の剥製


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現代の絵画


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夥しい数の昆虫の標本や石器


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共和制ローマ時代、レッジョ・エミリアに居住していた人たちの頭蓋骨


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碑文が沢山展示されてます。


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Palazzo Fontanelliの門(1517)


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鳥の剥製


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階段を上って上の階に行きます。


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上の階です。


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この街の歴史が説明されてます。


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あまり興味が湧かない分野の展示ばかりだったので、お座なりに見て回りました。


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外に出ました。


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次はドゥオーモです。


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暑くなってきました。


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(つづく)

レッジョ・エミリアは、人口172,010人(2018年10月31日現在)のエミリア・ロマーニャ州レッジョ・エミリア県の県都です。
正式な都市名は、Reggio nell'Emiliaですが、市発行の観光地図やパンフレットなどにレッジョ・エミリアと表記されてます。地元の人はレッジョと呼んでます。
街の歴史は古く、共和制ローマ時代の政治家マルクス・アエミリウス・レピドゥス(ローマ、紀元前201から記録‐紀元前152没)がエミリア街道の拠点都市の一つとして、紀元前183年に建設したレギウム(レッジョ・ネッレミリアの旧称)が全身です。
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ICに乗ってレッジョ・エミリアに向かいました。


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レッジョ・エミリア駅に到着しました。
チェントロ・ストリーコの郊外に高速列車が走る高速鉄道専用線のReggio Emilia AV Mediopadana駅があります。
ボローニャで高速列車を下車してRVに乗り換えてレッジョ・エミリア駅に向かうのが良いのか、高速列車をそのまま乗ってAV Mediopadana駅で下車するのが良いのか、どちらを選択すべきか迷うところです。
どちらも一長一短あるのです。


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レッジョ・エミリア駅の駅舎です。


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広い駅前広場
この日のお宿に向かいます。



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駅近くの、この日のお宿です。お勧めです。
外は明るいですが、午後6時半を過ぎてます。疲労していたし、お腹が空いていたので、すぐに夕食を食べて、ホテルでゆっくりしたいと思いましたが、早くても1時間後開店の食堂ばかり。


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このような場合、重宝しているのが中華料理店です。
一帯一路に参加したイタリアですが、レストラン一つを取ってみても中国人にやられそうです。中国人経営のイタリア料理店が続々と増えてます。午前11時から深夜まで通し営業のものまで出てきてます。


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青島ビールを注文したのですが、置いていないと言われてしまいました。


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大きな丸テーブルに通されたけど、前客の皿が下げられていない。


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これで初日が終了です。


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翌朝です。


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旧城壁沿いの道を進み、チェントロ・ストーリコに向かいました。


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ピアーヴィ通り


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古い歴史がある街ですが、開発がかなり進んで、「古い歴史ある街」の雰囲気があまりありません。


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ピアーヴィ通りは、城壁を取り壊して、その上に作られた道路です。


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ピアーヴィ通りを左折してローマ通りに入りました。


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晴れてきました。


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サン・ジャコモ教会です。


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後陣


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扉が開いていましたが、サン・ジャコモ教会は開いていることが多いので、拝観を後回しにして先を急ぎました。


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ローマ通りを進みます。


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広い広場の端に出ました。


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文化振興に注力しているレッジョ・エミリア市の象徴的な存在が市立博物館です。


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数年前、内容を拡充してリニューアルオープンしました。ここを見るのは後回しです。(入館無料)


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市立博物館の隣に教会があります。


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サン・フランチェスコ教会です。


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ファサードに描かれたフレスコ画


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先ず美術館です。


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広場の中心にある戦没者慰霊碑


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塔のある建物に美術館があります。


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美術館の向かいの建物


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Galleria Parmeggiani
未だ扉が開いてません。


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その隣の建物も美術館として使用されてます。


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扉が開きました。


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入館しました。入館無料です。


P2820291
美術館については、項を改めて詳しく触れる予定です。


P2820292
作品帰属が明示されていない作品が殆どです。


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外に出ました。
(つづく)

P2850902
ピアチェンツァの9月20日通りです。写真右はサン・フランチェスコ教会です。


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9月20日通りの突き当りにドゥオーモがあります。


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ピアチェンツァ=ボッビオ司教区の司教座教会、Basilica Cattedrale di Santa Maria Assunta e Santa Giustinaです。教会の格付けはBasilica Minoreです。


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ピアチェンツァの最初の司教ピアチェンツァの聖ヴィットーレ(375年没)が司教を務めた初期キリスト教会が前身とされてます。546年、トティラ王のピアチェンツァ占領によって、初期キリスト教会は破壊されましたが、その後、サンタ・ジュスティーナ大聖堂が再建されました。しかし、1117年の大地震によって倒壊してしまいました。


036
現在のロマネスク様式の建物は、1122年から1233年に建設された3代目のものです。


2
高さ71mの鐘楼です。鐘楼上部の鉄檻に注目です。


3
15世紀後半、ミラノのルドヴィーコ・イル・モーロの指示によって作られた鉄檻です。見せしめのために罪人を晒したり、嘲笑の対象にすることが目的でした。


028
ファサードの左扉横のライオン像


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027
入口扉上の彫刻は、ウィリジェルモとニコロに師事したピアチェンツァの逸名彫刻家によるものです。(12世紀)


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詳細不明の入り口扉上ルネッタのフレスコ画


P1070310
バラ窓


4
入口扉横の彫刻はニッコロ・ダ・フェッラーラによって1122年に制作されました。名前と1122年が刻まれてます。


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柱を支える男の彫刻は、ロマネスクの傑作とされるもので、ウィリジェルモとニコロに師事したピアチェンツァの逸名彫刻家による作品です。


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壁龕の彫刻は失われました。


029
扉が開きました。


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三廊式、ラテン十字形、ロマネスク様式の聖堂内部です。


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25本の巨大な柱で建物を支えてます。


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聖堂の高さは32mあります。


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交差ヴォールト


030
左側廊


031
聖堂内の装飾はボローニャ派画家たちの作品が中心です。


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カミッロ・プロカッチーニ(パルマ、1551‐ミラノ、1629)の「聖母子」


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カミッロ・プロカッチーニ(パルマ、1551‐ミラノ、1629)の「慈悲の聖母」


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「慈悲の聖母」の上のフレスコ画の詳細は不明です。


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右側廊


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P1070551
詳細不明


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制作者情報不詳の「最後の晩餐」


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詳細不明


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逸名画家によるフレスコ画(16世紀初め)


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エリザベッタ・シラーニ(ボローニャ、1638‐1665)の「磔刑」


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逸名画家によるフレスコ画(16世紀初め)


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P1070569
詳細不明


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ジョヴァンニ・バッティスタ・タリアサッキ(フィデンツァ、1697‐カンプレモルド・ソプラ、1737)の「ジットの聖母」


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主祭壇と後陣


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ピエル・フランチェスコ・マッズッケッリ通称イル・モラッツォーネ(モラッツォーネ、1573‐ピアチェンツァ、1626)による後陣のフレスコ画


1
ジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリ通称イル・グエルチーノ(チェント、1591‐ボローニャ、1666)によるクーポラのフレスコ画


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ルドヴィーコ・カラッチ(ボローニャ、1555‐1619)のフレスコ画


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グイド・レーニ(ボローニャ、1575‐1642)の「聖ジローラモと天使」


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ロベルト・デ・ロンジェ(ブリュッセル、1646‐ピアチェンツァ、1709)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」


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P1070583
ルドヴィーコ・カラッチの作品


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ルドヴィーコ・カラッチの「キリスト」


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ルドヴィーコ・カラッチ(ボローニャ、1555‐1619)の「聖マルティーノと乞食」


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ロベルト・デ・ロンジェ(ブリュッセル、1646‐ピアチェンツァ、1709)の「聖フランチェスコ・サヴェーリオの死」


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クリプタへの階段


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祭壇前から見た出入口方向


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外に出る前にもう一度祭壇を見ました。


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外に出ました。
(おわり)

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ピアチェンツァのTeatro Municipaleです。


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ジュゼッペ・ヴェルディ通りの突き当りにサンタントニーノ聖堂があります。
写真右手前がTeatro Municipale、左の建物がPalazzo Anguissola Cimafava Roccaです。


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ピアチェンツァ最初の司教聖ヴィットーレによって、350年に創建され、375年に完成したロマネスク様式の教会です。教会の格付けはBasilica Minore、聖堂です。


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ピアチェンツァの守護聖人聖アントニーノ(?、3世紀後半‐トラヴォ、303)を奉献しており、聖アントニーノの聖遺物が聖堂内保存されてます。


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ファサードは、ニッコロ・ダ・フェッラーラの設計で、ニッコロの弟子によって7世紀に建設されました。


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八角形の鐘楼が聖堂の目印になってます。


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創建以来、一度も再建されてませんが、何度も修復、改修が行われました。現在の聖堂の外観は、1915年から1930年に行われた、ジュリオ・アラータの設計による改修後の姿です。


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ファサードの出入り口上ルネッタの紋章


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ファサード左横のブロンズ像は、ジョルジョ・グロッピ(1927‐)の「教皇グレゴリオ10世」(1998)です。
第184代ローマ教皇グレゴリオ10世(ピアチェンツァ、1210c‐アレッツォ、1276)は、ピアチェンツァ出身の唯一の教皇(在位:1271‐1276)です。


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扉が開きました。


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三廊式、ギリシャ十字形の聖堂内部です。


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建物の基本構造はロマネスク様式ですが、創建以来幾度となく改修された結果、ゴシック様式、バロック様式の混在が認められます。


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創建時は、木組みの梁天井でしたが、後にゴシック後期の典型的な交差ヴォールトに改められました。
祭壇画を見て行きます。


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詳細不明


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ロベルト・デ・ロンゲ(ブリュッセル、1646‐ピアチェンツァ、1709)の「民衆の聖母」


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ベルナルド・カステッロ(ジェノヴァ、1557‐1629)の「最後の晩餐」(1624)


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ジョヴァンニ・フランチェスコ・フェッランテ(ボローニャ、1600c‐ピアチェンツァ、1653)の「天上の聖母子と聖人たち」


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ジョヴァンニ・マリア・デッレ・ピアーネ通称イル・モリナレット(ジェノヴァ、1660‐モンティチェッリ・ドンジーナ、1745)の「聖フランチェスカ・ロマーナ」


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右側廊


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詳細不明


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詳細不明


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詳細不明


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14世紀のフレスコ画


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主祭壇と後陣


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後陣のフレスコ画は、カミッロ・ガヴァセッティ(モデナ、1596‐パルマ、1630)によって1624年頃に制作されました。


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このフレスコ画は、カミッロ・ガヴァセッティの代表作とされてますが、後にこれを見たグエルチーノは凡作と評しました。


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詳細不明


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ロベルト・デ・ロンゲ(ブリュッセル、1646‐ピアチェンツァ、1709)の「聖アントニーノの殉教」


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ロベルト・デ・ロンゲ(ブリュッセル、1646‐ピアチェンツァ、1709)の「殉教した聖アントニーノ」


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左側の礼拝堂です。


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詳細不明


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15世紀のフレスコ画


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詳細不明


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15世紀のロマーニャの逸名画家によるフレスコ画


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ロベルト・デ・ロンゲの作品?


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ロベルト・デ・ロンゲの作品?


P1070529
詳細不明


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詳細不明


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左側廊


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ロンバルディアの逸名画家によって、11世紀半ばに描かれたフレスコ画


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聖堂の南側に位置する回廊付きの中庭に出ました。


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1483年に造られた中庭と回廊


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回廊の壁にフレスコ画が残されてます。


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聖堂内に戻ってから外に出ました。


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(おわり)

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ピアチェンツァ旧市街の中心カヴァッリ広場です。


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広場の東南に教会があります。


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13世紀後半の皇帝派の有力貴族ウンベルティーノ・ランディがパトロンになって、フランチェスコ会修道士によって1278年から1363年に建設されたロンバルディア・ゴシック様式のサン・フランチェスコ教会です。


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教会の建物の完成後、修道院が併設されました。修道院は14世紀後半にクラリッセ女子修道会の女子修道院になりました。


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18世紀末、ナポレオン軍の進駐によって、教会と修道院は活動が停止され、その建物は病院と倉庫に転用されましたが、1810年、教会に戻されました。
教会の格付けはBasilica Minoreです。


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ファサードの入り口扉上ルネッタ上の浮彫は、15世紀末のエミリアの逸名彫刻家による「聖痕を受ける聖フランチェスコ」(1480)です。


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教会前にある彫像は、彫刻家Cristoforo Marzaroli (1836-1871)のGian Domenico Romagnoliの大理石像(1867)です。クリストフォロの代表作と言われてます。
ジャン・ドメニコ(1761‐1835)は、18世紀後半から19世紀前半にかけてのイタリアに於いて活躍した哲学者、経済学者、法律家でした。


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道路沿いの身廊は店屋に利用されてます。


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詳細不明のタベルナコロ


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聖堂内に入ります。


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ボローニャのサン・フランチェスコ教会に模して設計された内部です。


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三廊式、ゴシック様式の内部です。


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天井


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左側廊の礼拝堂から見て行きます。


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カミッロ・プロカッチーニ(パルマ、1561‐ミラノ、1629)の「天上の聖母子とフランチェスコ会聖人たち」


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パドヴァの聖アントニオ礼拝堂


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詳細不明


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詳細不明


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フレスコ断片(15世紀)


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ドメニコ・リエーティの「嘆き」


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詳細不明の聖ピエトロと聖ジョヴァンニ・バッティスタのステンドグラス


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バルトロメオ・スケドーニ(モデナ、1578‐パルマ、1615)の「聖ロレンツォの殉教」


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詳細不明


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後陣のフレスコ画


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14‐15世紀に制作されたフレスコ画


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制作者は特定されてません。


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複数の画家によって制作されているようです。


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後陣


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主祭壇


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ジュゼッペ・ヌヴォローネ(サン・ジミニャーノ、1619‐ミラノ、1703)の「聖霊降臨」


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詳細不明


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ジュゼッペ・バイ―ニの祭壇(1843)


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次の礼拝堂です。


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カルロ・フランチェスコ・ヌヴォローネ(ミラノ、1609‐1702)の「父なる神」
カルロ・フランチェスコ・ヌヴォローネは、先に出てきたジュゼッペ・ヌヴォローネの実兄です。


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クーポラのフレスコ画


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クーポラのフレスコ画は、ジョヴァンニ・バッティスタ・トロッティ通称イル・マロッゾ(クレモナ、1555‐パルマ、1619)の「聖母戴冠」(1597)です。


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ジョヴァン・バッティスタ・トロッティ通称イル・マロッゾ(クレモナ、1555‐パルマ、1619)の「受胎告知」


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詳細不明


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ベルナルド・カステッロ(ジェノヴァ、1557‐1629)の「ピエタ」(1580)


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13世紀に描かれたフレスコ画断片


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ファサードの裏に絵画があります。


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ベネデット・マルティーニの「パンと魚の増加の奇跡」


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主祭壇をもう一度見てから外に出ました。


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(おわり)

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詳細不明


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詳細不明


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17世紀後半のピアチェンツァの逸名画家作「聖母子ととパドヴァの聖アントニオ」


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主祭壇です。


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問題の主祭壇画です。 
ピエトロ・アントニオ・アヴァンツィーニ(ピアチェンツァ、1656‐1733)の「ラファエッロ・サンツィオ作『システィーナの聖母』の複製画」


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主祭壇画ですが、1513年には既にラファエッロの「システィーナの聖母」がありました。
ところが、1754年、ベネデット会修道士が金に目が眩んで、ポーランドのアウグストゥス3世に売却してしまったのです。現在、ラファエッロの作品はドレスデン国立絵画館にあります。
売却後は、代わりに複製画が置かれてます。


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主祭壇から見た出入口方向


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レアンドロ・バッサーノ(バッサーノ・デル・グラッパ、1557‐ヴェネツィア、1622)の「聖バルバラの殉教」


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ヤコポ・オラツィオ・フェリナーティ(ヴェローナ、1524‐1606)の「羊飼いの礼拝」(1570c)


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ヤコポ・オラツィオ・フェリナーティ(ヴェローナ、1524‐1606)の「天上のキリストと聖母とパドヴァの聖アントニオ」


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詳細不明


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カミッロ・プロカッチーニ(パルマ、1561‐ミラノ、1629)の「嬰児虐殺」(1604‐05)


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ジャン・パオロ・カヴァーニャ(ベルガモ、1550‐1627)の「聖ロレンツォの逮捕」


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聖歌隊席の彫刻に注目です。


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ジオ・ピエトロ・パムビアンコ・ダ・コロルノとバルトロメオ・ダ・ブッセートによる木組み彫刻(1512‐14)


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ジョヴァン・アンジェロ・ボッローニ(クレモナ、1684‐ミラノ、1772)の「聖バルトロメオの殉教」


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左側廊


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詳細不明の燭台


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シモーネ・モスキーノ(オルヴィエート、1553‐パルマ、1610)のオーストリアのマーガレットの墓碑(1587‐17世紀初め)


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逸名彫刻家作「磔刑像」(17世紀)
サン・フェルモ教会にあったそうです。


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ピエトロ・ダ・コルトーナ(コルトーナ、1596‐ローマ、1669)の「聖ステファノの殉教」


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ピエトロ・ダ・コルトーナ(コルトーナ、1596‐ローマ、1669)の「十字架降下」


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ピットーニ(ヴェネツィア、1687‐1767)の「割礼」(1742c)


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ジョヴァンニ・バッティスタ・タリアサッキ(ボルゴ・サン・ドニーノ、1696‐カステルボスコ、1737)の「聖ゲルトルーデと聖マルゲリータの贖い」(1730c)


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ジローラモ・マッツォーラ・ベドリ(パルマ、1500c‐1569)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


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ステファノ・ランブリ(17世紀活動)の「受胎告知」(1649)


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アントニオ・カンピ(クレモナ、1524‐1587)の「羊飼いの礼拝」(1570c)


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ジュゼッペ・ヌヴォローネ(サン・ジミニャーノ、1619‐ミラノ、1703)の「聖ジローラモと天使」(17世紀)


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左第2礼拝堂のフレスコ画は、アントニオ・カンピ(クレモナ、1524‐1587)の復活したキリスト」


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ベルナルディーノ・ザケッティ(レッジョ・エミリア、16世紀前半活動)によるクーポラのフレスコ画(1517)


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左側廊


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主祭壇をもう一度見ました。


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中庭に出ました。


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これを売るなんて、軽蔑すべき修道士です。


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外に出ました。
(おわり)

P1080164
ピアチェンツァのインペラトリーチェ・アンジルベンガ通りです。


P1080165
ボッセリ門です。


P1080166
門を潜るとサン・シスト通りに出ます。


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サン・シスト通りの突き当りに教会があります。


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教会の入り口に門があります。


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神聖ローマ帝国皇帝ルドヴィーコ2世の妻Engelberga d'Alasaziaによって、852年から874年に建設された教会が前身です。その後、修道院が建設され、エンゲルベルガ皇后は、大修道院長に任命されました。
中世の頃、この修道院に対して特権と特典が与えられ、大変な勢力でした。
1129年、修道院はポリローネのベネデット会の所有となりました。
1425年、ベネデット会派のカッシネージ修道会に引き継がれました。


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1622年に建設された門を潜って中庭に入ります。


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15世紀後半、建物が経時劣化したので、それを取り壊し、その上に新しい建物を建設することになり、1490年創建、1511年に完成したルネサンス様式の建物が現在の姿です。


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1591年に完成したファサードは、1755年に現在の姿に改装されました。


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中庭を囲んで回廊が設けられてます。


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ファサードに向かって右側の回廊


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ファサード前から見たサン・シスト通り


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旧修道院の建物


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修道院は、1810年に活動が停止され、兵舎として使用されました。その後、一度も宗教活動が行われることなく現在に至ってます。


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回廊の壁に修道士のフレスコ画が描かれてます。


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P1080173
これについては、後述します。


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中に入りました。


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三廊式、ラテン十字形、ルネサンス様式の内部です。


P1080181
美術的に見所が豊富です。


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右側廊の礼拝堂から見て行きます。


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五廊式と間違えそうな造りです。


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ジュゼッペ・ランブーリに帰属する「キリストの洗礼」


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ジェルヴァシオ・ガッティ(クレモナ、1550‐1631)の「聖ベネデットと聖マウロをもてなすトティラ王」(1585c)


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16世紀の逸名画家作「聖ジュゼッペの死」
ベルナルド・カンピの作品説もあるようです。


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逸名彫刻家作「チントラの聖母」(16世紀)
サンタ・マリア・イン・ボルゲット教区教会にあったそうです。


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右側廊の第3礼拝堂です。


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第3礼拝堂のフレスコ画は、アントニオ・カンピ(クレモナ、1524‐1587)の「砂漠の聖ジローラモ」(1570c)


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セバスティアーノ・ノヴェッリの「聖母子と聖人たち」(1530)


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タッデオ・ズッカリ(ウルビーノ、1529‐ローマ、1566)に帰属する「キリストの埋葬」


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右側廊第4礼拝堂です。


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カミッロ・プロカッチーニ(パルマ、1561‐ミラノ、1629)の「天上の聖母子と聖トンマーゾと聖カルロ・ボッロメオと聖フランチェスコ」(1610)


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逸名画家作「聖家族とパドヴァの聖アントニオと聖マルゲリータ」


P1080207
詳細不明


P1080208
エミリオ・ビアンキの「聖エレーナ」(1575)


P1080209
フランチェスコ・ギットーニ(リッツォ―ロ、1855‐ピアチェンツァ、1928)の「ピエタ」


P1080213
パルマ・イル・ジョーヴァネ(ヴェネツィア、1549‐1628)の「聖バルバラの殉教」


P1080215
ジョヴァンニ・バッティスタ・ピットーニ(ヴェネツィア、1687‐1767)の「聖ロレンツォの殉教」(1741c)
(つづく)

P2850796
次の展示コーナーです。


P2850797
第5室になります。


P2850799


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次の展示コーナーです。


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第6室になります。


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次の展示コーナーです。


P2850823
第8室になります。


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馬橇


P2850842
次の展示コーナーです。


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消防用の馬車が展示されてます。


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はしご車


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次の展示コーナーです。


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第9室になります。


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西部劇に出てくる駅馬車に似ています。


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輿が並んでます。


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第11室になります。


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閉館時間間近になりました。時間切れです。絵画館と馬車博物館の2つを見て終わりになりました。


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外に出ました。


P2850884
(おわり)

P2850709
絵画館を終わりました。


P2850710
次は馬車博物館です。


P2850711
ファルネーゼ家が使用した馬車は展示されていません。


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ベルリン型馬車(18世紀中頃)
この博物館で展示されている馬車のうち、これが最古のものです。


P2850716
ベルリン型馬車(1770)
ピアチェンツァの司教館で使用されていた馬車です。


P2850719


P2850721
ベルリン型馬車(1879)
ヴィットリオ・エマヌエーレ2世が注文した馬車で、ウンベルト1世が使用していました。


P2850724
ベルリン型馬車(1879)
サヴォイア家の人々が使用していたそうです。


P2850727
ベルリン型馬車(1860‐70)
ローマの馬車工房製で、乗り心地が改善されているそうです。


P2850730
ベルリン型馬車(19世紀中頃)
サヴォイア家の馬車工房製


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ベルリン型馬車(1870c)
ミラノの馬車メーカー製


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次の展示コーナーです。


P2850743
第2室


P2850744
旅行用グラン・クーペ(1805‐15)
ミラノ製


P2850746
Brougham-Coupe de ville(1860)
ミラノ製


P2850749
Brougham-Coupe de ville(1860c)
ミラノ製


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P2850752
Bougham-Coupe(1880c)


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Londau(1890c)


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P2850758
Londau(1880-90)


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乳母車


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P2850792


P2850795
(つづく)

P2850597
次の展示コーナーです。


P2850599
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「エリザベッタ・ファルネーゼのチェント・クローチ山でのファルネーゼ家からの旅立ち」(1720‐21)


P2850601
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「フランチェスコ・ファルネーゼ公爵とゴッサディーニ枢機卿の邂逅」(1714‐17)


P2850604
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「宮廷への訪問」(1715‐17)


P2850607
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「初子の前のフィリッポ5世とエリザベッタ・ファルネーゼ王妃」(1716以降)


P2850610
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「兵士の乗船」(1730‐31)


P2850614
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「勝利」(1670‐80)
この作品は、ファルネーゼ・コレクションの一つで、ナポリに移されましたが、後にピアチェンツァに返還されました。


P2850617
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「バルディとコンピアーノ要塞の鍵を受け取るラヌッチョ2世」
ファルネーゼ・コレクションの一つで、ナポリに移されましたが、後にピアチェンツァに返還された作品です。


P2850620
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「建物建設に助力するファルネーゼ家皇太子」
ファルネーゼ・コレクションの一つで、ナポリに移されましたが、後にピアチェンツァに返還された作品です。


P2850623
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「ピエル・ルイージ・ファルネーゼをピアチェンツァとパルマの公爵に叙する教皇パオロ3世」(1690‐95)
ファルネーゼ・コレクションの一つで、ナポリに移されましたが、後にピアチェンツァに返還された作品です。


P2850625
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「ピエル・ルイージ・ファルネーゼをキエーザの行政長官に任命する教皇パオロ3世」(1690‐95)
ファルネーゼ・コレクションの一つで、ナポリに移されましたが、後にピアチェンツァに返還された作品です。


P2850628
次の部屋です。


P2850629
第24室です。


P2850630
フェリーチェ・ボゼッリ(ピアチェンツァ、1650‐パルマ、1732)の「静物画」(1720c)


P2850632
フェリーチェ・ボゼッリ(ピアチェンツァ、1650‐パルマ、1732)の「静物画」(1720c)


P2850636
バルダッサッレ・デ・カーロ(ナポリ、1689‐1750)の「狩猟の戦利品」
ファルネーゼ・コレクションの一つで、ナポリに移されましたが、後にピアチェンツァに返還された作品です。


P2850639
18世紀後半のエミリアの逸名画家作「四季の寓意」


P2850641


P2850643


P2850645


P2850647


P2850650
フェリーチェ・ボゼッリ(ピアチェンツァ、1650‐パルマ、1732)の「桃」(1710c)


P2850653
フェリーチェ・ボゼッリ(ピアチェンツァ、1650‐パルマ、1732)の「キノコと鳩」(1710c)


P2850656
アントニオ・ジャンリージ(クレモナ、1677‐1727)の「静物画」


P2850658
アントニオ・ジャンリージ(クレモナ、1677‐1727)の「静物画」


P2850662
セバスティアーノ・チェッカリーニ(ファーノ、1703‐1783)の「フランチェスコ・ランディ・ピエトラ枢機卿の肖像」(1743‐57)


P2850664
セバスティアーノ・ガレオッティ(フィレンツェ、1676‐モンド―ヴィ、1741)の「聖チェチリア」(1720‐30)
ピアチェンツァのサン・ヴィンチェンツォ教会にありました。


P2850668
オノリオ・マリナーリ(フィレンツェ、1627‐1715)の「モーゼの発見」


P2850671
アレッサンドロ・マニャースコ工房作「修道士がいる風景」


P2850673
次の部屋です。


P2850674
第25室は、絵画館の最終展示室になります。


P2850675
ガエターノ・ガンドルフィ(サン・マッテオ・デッラ・デチーマ、1734‐ボローニャ、1802)の「ウリッセとキルケとメルクリオ」(1766)


P2850679
ガエターノ・ガンドルフィ(サン・マッテオ・デッラ・デチーマ、1734‐ボローニャ、1802)の「エットーレの遺体を引きずるアキレス」(1801)


P2850681
ガスパーレ・ランディ(ピアチェンツァ、1756‐1830)の「カテリーナ・アングィッソーラ・ダ・トラヴォの肖像」(1790‐92)


P2850685
ガスパーレ・ランディ(ピアチェンツァ、1756‐1830)の「自画像」(1817)


P2850687
ガスパーレ・ランディ(ピアチェンツァ、1756‐1830)の「博士たちとの問答」(1812‐17)
ピアチェンツァのサンタ・マリア・デッラ・パ―チェ教会にありました。


P2850692
ロレンツォ・トンチーニ(カロル祖、1802‐ピアチェンツァ、1884)の「負傷した剣闘士」(1828‐30)


P2850695
カルロ・マリア・ヴィガノーニ(ピアチェンツァ、1784‐1839)の「アンジェロ・マイ閣下の肖像」(1820‐22)


P2850697
ガスパーレ・ランディ(ピアチェンツァ、1756‐1830)の「ラヌツィオ・アングィッソーラ・ダ・グラッツァーノとその息子の肖像」(1791‐92)


P2850700
ガスパーレ・ランディ(ピアチェンツァ、1756‐1830)の「ビアンカ・スタンパ・ディ・ソンチーノ伯爵夫人の肖像」(1791)


P2850703
ガスパーレ・ランディ(ピアチェンツァ、1756‐1830)の「愛犬とジャコモ・ロータ伯爵の肖像」(1798)


P2850707
フランチェスコ・モンティ通称イル・ブレーシャニーノ(ブレーシャ、1646‐パルマ、1712)の「ピアチェンツァのフィエラの光景」(1705c)
絵画館はこれで終わりです。
(つづく)

P2850493
次の展示コーナーです。


P2850495
フランチェスコ・モンティ通称イル・ブレーシャニーノ(ブレーシャ、1646‐パルマ、1712)の「騎兵戦」(1670‐95)
この展示コーナーから、ファルネーゼ・コレクションの作品になります。ナポリに移されたましたが、戻されてきました。何となく戻された理由が分かります。要すれば、有名画家の作品でもなく、傑作として有名ではないものが戻されたという訳です。


P2850498
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「モーゼの傭兵とアロン(モーゼの兄)」(1721‐26)
これもファルネーゼ・コレクションで、ナポリから戻された作品です。


P2850502
フランチェスコ・モンティ通称イル・ブレーシャニーノ(ブレーシャ、1646‐パルマ、1712)の「戦闘のシーン」(1670‐80c)
ファルネーゼ・コレクション、ナポリから戻された作品


P2850504
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「ヨシュア」(1721‐26)
パルマにあったファルネーゼ・コレクションで、ナポリに移され、何故かピアチェンツァに来てしまった作品です。


P2850509
次の部屋です。


P2850512
第21室です。


P2850511
天井のフレスコ画


P2850514
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「ドン・カルロ・ディ・ボルボーネにパルマを託すパルマ市当局」(1733)
この部屋の展示作品は、所謂ファルネーゼ・コレクションに該当します。一旦、ナポリに移されましたが、ピアチェンツァに戻されたものです。


P2850519
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「軍隊の野営」
大したことがない作品なので、戻ってきたのでしょう。


P2850522
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「月夜の攻撃」(1705‐15)
ティツィアーノなどの有名画家による作品は一つも戻されてません。


P2850525
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「ピアチェンツァ城塞建設の寓意」


P2850528
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「食堂で座るアレッサンドロ・ファルネーゼ」


P2850531
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「黄金杵を受け取るアレッサンドロ・ファルネーゼ」


P2850534
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「フランチェスコ・ファルネーゼ公爵の下船」


P2850537
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「軍勢の下船」


P2850539
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「2指揮官の邂逅」


P2850542
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「ファルネーゼ軍の進撃」


P2850545
第23室が見えてますが、その前にもう一つ展示室があります。


P2850546
次の部屋です。


P2850548
第22室です。


P2850549
天井のフレスコ画


P2850550


P2850551
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「小銃兵の行軍」
これもファルネーゼ・コレクションの一つで、ナポリに移されてからピアチェンツァに戻された作品です。


P2850553
反射を避けて角度を変えて撮って見ました。


P2850556
変化なし


P2850559
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「戦闘のシーン」
ファルネーゼ・コレクションではありません。


P2850561
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「戦闘のシーン」
ファルネーゼ・コレクションではありません。


P2850564
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「フランドル支配を受諾するフィリッポ2世」
この作品はファルネーゼ・コレクションです。ナポリに移されたものの、戻されました。


P2850566
スポルヴェリーニ工房作「強く握手する2君主」
ファルネーゼ・コレクションの一つで、ナポリに移されましたが、後に戻ってきました。


P2850569
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「要塞前の2指揮官の邂逅」
これもファルネーゼ・コレクションで、ナポリに移された増したが、後にピアチェンツアに戻されました。


P2850575
天井のフレスコ画


P2850585


P2850586


P2850577
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「対トルコ戦」
この展示コーナーの作品は何れもファルネーゼ・コレクションに含まれ、一旦、ナポリに移され、後にピアチェンツァに戻されました。


P2850580
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「アレッサンドロ・ファルネーゼをフランドル総督に任命するフィリッポ2世」


P2850583
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「教皇の剣を受け取るアレッサンドロ・ファルネーゼ」


P2850587
次の部屋に向かいます。


P2850588


P2850589
第23室です。


P2850591
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「ファルネーゼ家最後の人、エリザベッタの栄華」


P2850595
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「フランチェスコ・ファルネーゼ公爵のパルマ入り」
(つづく)

P2850361
次の部屋です。


P2850362
第19室になります。


P2850364
ファルネーゼ・コレクションはありません。


P2850366
ヤコポ・デル・カゼンティーノ(プラートヴェッキオ、1297c‐1349c)に帰属する「聖母子と聖人たち、聖人たち、受胎告知のトリッティコ」(14世紀前半)


P2850370
14世紀中頃のトスカーナの逸名画家作「聖母子」


P2850375
ヤコポ・ディ・チョーネ(フィレンツェ、1325c‐1390以降没)に帰属する「聖母子と聖人たちと天使たち」


P2850379
ジョヴァンニ・ダ・ミラノ(カヴェルサッチョ、1325/1330c-1370c)に帰属する「聖母子」


P2850382
14世紀中頃のナポリの逸名画家作「ウミルタの聖母と天使」


P2850385
シモーネ・デ・クロ―チフィッシ(ボローニャ、1355-1399消息)の「マギの礼拝」


P2850388
15世紀の北フランスの逸名彫刻家作「祈る聖母」


P2850392
14世紀のトスカーナ?の逸名彫刻家作「玉座の聖母子」


P2850395
15世紀の逸名彫刻家作「聖母子」


P2850397


P2850399
Maestro dei Cassoni (トスカーナ、15世紀後半活動)に帰属する「マルコ・ヴェスプッチとシモネッタ・カッタネオの結婚」


P2850402
デッロ・デッリ(フィレンツェ、1404‐セゴヴィア、1464?)の「エネアの物語」


P2850403
左半分


P2850406
右半分


P2850409
アンドレア・ダ・フィレンツェ(フィレンツェ、1346‐1379記録)に帰属する「玉座の聖母子と聖人たちと天使たちと受胎告知」


P2850412
ジョヴァンニ・ダ・ポンテ(フィレンツェ、1385‐1437)に帰属する「聖母戴冠と聖ジョヴァンニ・バッティスタとバーリの聖二コラと受胎告知」


P2850415
ロッゼッロ・ディ・ヤコポ・フランキ(フィレンツェ、1376/1377-1456c)の「聖母子と聖アントニオ・アバーテと聖バルトロメオと天使たち」


P2850418
14世紀のトスカーナの逸名画家作「授乳の聖母と聖人たち」


P2850422
15世紀のロンバルディアの逸名画家作「聖パオロ」


P2850425
15世紀のトスカーナの逸名画家作「聖母子」


P2850431
ベルナルディーノ・フンガイ(シエナ、1460-1516)に帰属する「聖母子」


P2850428
サーノ・ディ・ピエトロ(シエナ、1406-1481)の「聖母子」


P2850433
ラッザロ・バスティアーニ(パドヴァ、1429-ヴェネツィア、1512)の「聖母子」


P2850437
次の展示コーナーです。


P2850439
ユストゥス・サステルマンス(アンヴェルサ、1597-フィレンツェ、1681)の「高貴な女性の肖像」(1630c)


P2850441
パウルス・モレルス(ユトレヒト、1571-1638)の「ヴィーナスとアモーレ」(1630-38)


P2850445
17世紀末の逸名画家作「聖パオロの回心」


P2850448
17世紀にローマで活動した逸名画家作「ダヴィデ」(1640-60)


P2850451
ロベルト・デ・ロンゲ(ブリュッセル、1646-ピアチェンツァ、1709)の「アガルとイシマエル」(1700-09)


P2850454
ロベルト・デ・ロンゲ(ブリュッセル、1646-ピアチェンツァ、1709)の「イサクの犠牲」(1700-09)


P2850457
ロベルト・デ・ロンゲ(ブリュッセル、1646-ピアチェンツァ、1709)の「聖ジュゼッペ」(1688-90)


P2850460
クリストフォロ・ストレール(コスタンツァ、1611-ミラノ、1671)の「聖ジローラモ」(1643)


P2850465
ピーター・バウト(ブリュッセル、1658-1719)の「馬市」(1699)


P2850467
次の部屋です。


P2850472
第20室になります。


P2850468
天井のフレスコ画


P2850470
私には、フレスコ画の制作者等の詳細が分かりません。


P2850471


P2850474
フランチェスコ・モンティ通称イル・ブレーシャニーノ(ブレーシャ、1646-パルマ、1712)に帰属する「時化」(1670-80)


P2850478
フランチェスコ・モンティ通称イル・ブレーシャニーノ(ブレーシャ、1646-パルマ、1712)の「時化の難破船」(1670以降)


P2850482
フランチェスコ・モンティ通称イル・ブレーシャニーノ(ブレーシャ、1646-パルマ、1712)の「騎兵戦」(1670-95)


P2850485
フランチェスコ・モンティ通称イル・ブレーシャニーノ(ブレーシャ、1646-パルマ、1712)の「騎兵戦」(1670-95)


P2850487
フランチェスコ・モンティ通称イル・ブレーシャニーノ(ブレーシャ、1646-パルマ、1712)の「砲兵の戦い」(1670-95)


P2850490
フランチェスコ・モンティ通称イル・ブレーシャニーノ(ブレーシャ、1646-パルマ、1712)の「騎兵戦」(1670-80)
(つづく)

P2850257
ジョヴァン・バッティスタ・トロッティ通称イル・マロッゾ(クレモナ、1556‐パルマ、1619)の「聖母子と聖アントニオ・アバーテと聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ」(1599)
ピアチェンツァのサンタ・マリア・ディ・ピアッツァ教会にありました。


P2850260
ジョヴァン・バッティスタ・トロッティ通称イル・マロッゾ(クレモナ、1556‐パルマ、1619)の「ピアチェンツァの街を守護するキリストと聖母」(1603)
ピアチェンツァのサン・ヴィンチェンツォ教会にありました。


P2850264
ジョヴァン・バッティスタ・トロッティ通称イル・マロッゾの工房作「聖フランチェスコに顕現する聖母子」(16世紀末‐17世紀初め)


P2850269
ジローラモ・マッツォーラ・べドリ(ヴィアダーナ、1500‐パルマ、1570)の「ピタゴラスとユークリッド」(1545c)
パルマのサン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ教会にありました。


P2850272
カミッロ・ボッカッチーノ(クレモナ、1505‐1545)の「預言者イザヤとダヴィデ」(1530)


P2850274
16世紀の逸名画家作「聖ジローラモ」


P2850278
17世紀の逸名画家作「悔悛の聖ジローラモ」


P2850281
17世紀のロンバルドの逸名画家作「この人を見よ」


P2850284
17世紀のロンバルドの逸名画家作「聖アグネス」


P2850287
16世紀の逸名画家作「十字架降下」


P2850290
次の展示コーナーです。


P2850291
この辺にはファルネーゼ・コレクションがありません。


P2850293
ピエル・フランチェスコ・フェッランテ(ボローニャ、1600‐1652)の「ソロモンとシバの女王」(1652)


P2850295
アレッサンドロ・ティアリーニ(ボローニャ、1577‐1668)の「子供に洗礼を施す聖カルロ・ボッロメオ」(1635‐45)


P2850299
ヤン・ソーンス通称イル・フィアッミンゴ(オランダ、セントーヘンボス、1547‐パルマ、1611)の「音楽」(1580‐90)


P2850302
ヤン・ソーンス通称イル・フィアッミンゴ(オランダ、セント―ヘンボス、1547‐パルマ、1611)の「天文学」(1580‐90)


P2850305
ジョヴァンニ・ランフランコ(パルマ、1582‐ローマ、1647)の「聖ルーカ」(1611)


P2850309
イタリア中央の逸名画家作「聖キアーラの剃髪式」(17世紀前半)


P2850313
ティブルツィオ・パッセロッティ(ボローニャ、1553‐1612)の「聖母子と聖人たち」


P2850316
次の展示コーナーです。


P2850318
天井に描かれたフレスコ画


P2850319
制作者等詳細が不明です。


P2850320


P2850321


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P2850325
カルロ・フランチェスコ・ヌヴォローネ(ミラノ、1608‐1661)の「キリストの神殿奉献」(1645)


P2850328
ジュゼッペ・ヌヴォローネ(ミラノ、1619‐1703)の「聖母子と聖ジローラモと聖ベネデット」(1665)


P2850331
ドメニコ・フィアセッラ(サルザーナ、1589‐1669)の「キアラヴァッレの聖ベルナルドに顕現する聖母子と聖ジョヴァンニ・バッティスタ」(1643)


P2850334


P2850337
ヴァレリオ・カステッロの追随者作「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」(1650c)


P2850341
ジョヴァンニ・バッティスタ・メラーノ(ジェノヴァ、1632‐ピアチェンツァ、1698)の「マギの礼拝」(1685‐90)


P2850344
ジョヴァンニ・バッティスタ・メラーノ(ジェノヴァ、1632‐ピアチェンツァ、1698)の「磔刑」(1673)


P2850347
ジョヴァンニ・バッティスタ・メラーノ(ジェノヴァ、1632‐ピアチェンツァ、1698)の「ソロモン」(1673c)


P2850350
ジョヴァンニ・バッティスタ・メラーノ(ジェノヴァ、1632‐ピアチェンツァ、1698)の「バルダッサッレの饗宴」(1650‐59)


P2850354
ユストゥス・サステルマンス(アンヴェルサ、1597‐フィレンツェ、1681)の「アルフォンゾ4世デステの肖像」(1650c)


P2850356
部屋番号表示が出てきました。


P2850357


P2850363
ボッティチェッリの作品が展示されてます。


P2850359
サンドロ・ボッティチェッリ(フィレンツェ、1446‐1510)の「幼きキリストを崇拝する聖母と聖ジョヴァンニーノ」
(つづく)

P1070379
16世紀から約200年間、ファルネーゼ家の支配下にあったピアチェンツァですが、ピアチェンツァに於けるファルネーゼ公爵家の住居がファルネーゼ宮殿です。宮殿にピアチェンツァ市立博物館があります。


P1070375
宮殿の歴史と、ファルネーゼ家とピアチェンツァとの関りについて触れておきましょう。
ファルネーゼ宮殿入口に向かって左側に古い要塞構造の部分があります。


P2850885
街の北部、城壁とポー川から直ぐ傍の現在地に、ミラノ公爵ガレアッツォ2世ヴィスコンティ(ミラノ、1320‐パヴィア、1378)が1352年に要塞を建設しましたが、その要塞がファルネーゼ宮殿の前身です。
写真左の塔を含む部分が1352年に建設された要塞の一部に当たります。


064
ミラノは、ヴィスコンティ家からスフォルツァ家の支配になりましたが、それに伴いピアチェンツァもスフォルツァ家の支配下に置かれ、それが1499年まで続きました。1499年からフランスの支配を受け、フランス支配が1521年まで続きましたが、その後、非公式ながら教皇領の一部に組み入れられました。


P2850225
第220代ローマ教皇パオロ3世俗名アレッサンドロ・ファルネーゼ(カニーノ、1468‐ローマ、1549)(教皇在位:1534年‐1549)には4人の息子(一生独身とされた教皇ですが、当時の教皇には子供がいたのです)がいましたが、最も愛していた長男ピエル・ルイージ・ファルネーゼ(ローマ、1503‐ピアチェンツァ、1547)のために、公国を設立して、ピエル・ルイージを公爵にしようと考えたのです。


P2850226
1545年、教皇パオロ3世は、当時イタリア王でもあった神聖ローマ皇帝カール5世(ヘント、1500‐スペイン、ユステ修道院、1556年)の承認を得て、金を支払って買ったことにより、ピアチェンツァとパルマをミラノ公国から切り離し、ピアチェンツァ公国とパルマ公国を設立して、両公国の公爵位を長子ピエル・ルイージに授けたのです。ピエル・ルイージは、両公国の首都をピアチェンツァに定めました。


P2850227
1547年、ピエル・ルイージ・ファルネーゼ公爵は、”ピアチェンツァの陰謀”によって、この古い城塞で殺害されたのです。
第二代公爵を継いだのは、ピエル・ルイージの息子オッタヴィオ(バレンタノ、1524‐ピアチェンツァ、1586)でした。


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1558年、ピアチェンツァとパルマとカストロの公爵オッタヴィオ・ファルネーゼとその妻オーストリア皇女マルゲリータ(1522‐1586)(神聖ローマ皇帝カール5世の娘)は、古い城塞には住み難いということで、新たに宮殿を建設することを決め、建築家フランチェスコ・パチェットが起用されました。
当初の設計では城塞を取り壊し、その上に宮殿を建設することになっていましたが、要塞の西側と2本の塔を残すことに改められました。


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その後、建設工事は建築家ヤコポ・バロッツィに引き継がれましたが、1602年に作業が中断され、未完のまま現在に至ってます。


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未完に終わった部分
宮殿は当初設計の半分の規模で終わったのです。
ここで前述したファルネーゼ家の人々とカール5世の有名な肖像画があります。


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教皇パオロ3世の肖像


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カポディモンテ美術館にあります。


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教皇パオロ3世の肖像


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ファルネーゼ・コレクションの傑作はナポリに移されてしまいました。その経緯については後述します。


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ピエル・ルイージ・ファルネーゼ(パオロ3世の長子)の肖像


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パオロ3世とアレッサンドロ・ファルネーゼ(イル・ジョーヴァネ)枢機卿とオッタヴィオ・ファルネーゼ


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アレッサンドロ・ファルネーゼ枢機卿(ローマ、1520‐1589)とオッタヴィオ・ファルネーゼ(バレンタノ、1524‐ピアチェンツァ、1586)は、ピエル・ルイージの子供です。パオロ3世の孫です。


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アレッサンドロ・ファルネーゼ枢機卿の肖像


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教皇パオロ3世とその孫アレッサンドロ・ファルネーゼ・イル・ジョーヴァネ枢機卿の2人が美術品の収集に熱心でした。2人によって所謂”ファルネーゼ・コレクション”の中核が形成されたのです。


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神聖ローマ皇帝カール5世の肖像


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ファルネーゼ宮殿の中庭から撮った写真です。
宮殿は3階建てですが、回廊によって繋がれてます。各階に中階が組み込まれてます。


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中庭


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中庭の左側


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宮殿の外側に出ました。
ここが以前の入り口です。


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現在は宮殿の入り口扉が開いているので、ここから出入りします。


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展示物が多いので、午前4時間、午後3時間の開館時間に効率良く見て回る必要があります。


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博物館は、絵画館、馬車博物館、考古学博物館、リソルジメント(イタリア国家統一運動)博物館に分かれてます。


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ルネサンス期にファルネーゼ家が収集したものが所謂ファルネーゼ・コレクションです。前述のように、ファルネーゼ家では、特に第220代教皇パオロ3世(カニーノ、1468‐ローマ、1549)とパオロ3世の孫アレッサンドロ・ファルネーゼ・イル・ジョーヴァネ枢機卿(ヴァレンターノ、1520‐ローマ、1589)の2人が美術品収集に熱心でした。
コレクションは、ローマのファルネーゼ宮殿(現在はフランス大使館になってます)、カプラローラ(ヴィテルボ近く)のヴィッラ・ファルネーゼ、パルマのピロッタ宮殿、ピアチェンツァのファルネーゼ宮殿などに分散されていました。


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時代は下り、1731年、ファルネーゼ家直系男子が途絶え、断絶してしまいました。ファルネーゼ・コレクション散逸の危機を迎えたのです。
この辺の経緯とその結幕に触れてみます。
17世紀中頃から後半のパルマとピアチェンツァの公爵だったラヌッチョ2世ファルネーゼ(パルマ、1630‐1694)は、3人の男子に恵まれました。先妻との間にできた公世子オドアルド2世(パルマ、1666‐1693)、後妻との間にできたフランチェスコとアントニオがいました。
公世子オドアルド2世は、父ラヌッチョ2世の公爵在任中の、ラヌッチョ2世死去の前年に死んでしまい、ラヌッチョ2世死後の公爵位は、次男フランチェスコに引き継がれましたが、子供に恵まれないまま、1727年に没したのです。ラヌッチョ2世の3男アントニオが公爵位を引き継ぎましたが、アントニオも子供に恵まれないまま、1731年死去してしまい、ファルネーゼ家は断絶してしまいました。
公世子ラヌッチョ2世ファルネーゼには娘エリザベッタがいましたが、エリザベッタはスペイン王フェリペ5世に嫁ぎスペイン王妃になっていました。
エリザベッタには、フェリペ5世との間に2人の息子カルロスとフィリッポがいました。
1731年、ファルネーゼ家断絶に伴い、ファルネーゼ・コレクションはスペイン王妃エリザベッタに引き継がれ、パルマ公爵はエリザベッタの息子カルロスが襲位したのです。カルロスが引き続きパルマ公になっていれば、コレクションには何の問題もなかったことでしょう。
ところが、1734年、カルロスは、ナポリ公国の王に叙せられ、カルロ3世となりましたが、母エリザベッタから受け継いだファルネーゼ・コレクションの大部分をナポリに持って行ったのです。
新たにパルマ公になったのは、カルロスの弟フィリッポでしたが、コレクションの一部返還を兄に訴え、一部がパルマに戻されました。
ピアチェンツァの宮殿にあったものは、移動が困難なフレスコ画や調度品を除いてナポリに移され、後の返還交渉で一部の大したことない作品はピアチェンツァに戻されたものの、その大部分は戻ることがありませんでした。


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切符売り場は未だ閉まったまま。
ナポリに持ち出された後のファルネーゼ宮殿は悲惨で直ぐに荒廃が始まりました。オーストリア軍や、その後に侵攻してきたナポレオン軍の兵舎などに使用されました。また、第二次世界大戦の爆撃によって家を失った被災者の避難所として使用されました。
1965年に宮殿の大修復工事が開始され、2006年に市立博物館としてオープンしました。


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午後3時になっても切符売り場の扉が開きません。
残念ながら、ファルネーゼ・コレクションのお宝はこの宮殿には殆どありません。
ナポリの王宮、国立考古学博物館、カポディモンテ美術館でファルネーゼ・コレクションのお宝を見ることが出来ます。


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漸く切符売り場が開きました。


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入館しました。


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何処から見て行くか。


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考古学部門から見て行くことにしました。


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ジュリオ・マッツォ―ニの「モーゼの泉」(1560)


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「モーゼの泉」は、ピアチェンツァのサンタゴスティーノ修道院にあったそうです。


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このまま考古学部門を見ていると時間が足りないと思いました。


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已む無く絵画館を先に見て、その次に馬車博物館を見ることにしました。


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ファルネーゼ家の紋章


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絵画館の最初の部屋です。


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部屋のフレスコ
(つづく)

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1803年から1804年に建設された新古典様式のピアチェンツァ市立劇場です。


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ミラノ・スカラ座に外観が似ています。残念ながら、この日の公演はありません。


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次はサンタントニーノ聖堂です。


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サンタントニーノ聖堂です。


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この写真で市立劇場とサンタントニーノ聖堂の位置関係が分かると思います。写真右手前が市立劇場です。


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八角形の鐘楼が目立ちます。
扉が開くまで少し時間があります。


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Palazzo Anguissola Cimafava Roccaです。


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サンタントニーノ聖堂の扉が開くまで、時間潰しが必要です。


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多分、扉が閉まっているだろう、と思いながらもサンタゴスティーノ教会に行ってみることにしました。


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予想に反して開いている教会は滅多にありません。


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サンタゴスティーノ教会は予想通り閉まっていました。


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サンタゴスティーノ教会隣にあるPalazzo dei Conti Scotti da Sarmatoです。


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Palazzo dei Conti Scotti da Sarmatoの大広間に素晴らしいフレスコ画があるようですが、私有の建物で非公開です。


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一応時間潰しになりました。


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Palazzo Scotti di Sermato


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窓の上の彫刻を見て回りました。


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そろそろサンタントニーノ聖堂の扉が開く時間です。


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サンタントニーノ聖堂の扉が開いてます。


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中に入りました。


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主祭壇と後陣


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一旦、キオストロ回廊に出ました。


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サンタントニーノ聖堂については、項を改めて詳しく触れる予定です。


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外に出ました。


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次はドゥオーモの拝観です。


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扉が開いていました。


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堂内に入りました。


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美術的に見所が豊富です。


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ドゥオーモについては、項を改めて詳しく触れる予定です。


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外に出ました。


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サン・ロッコ教会は何時ものように閉まっていたので、素通りしました。


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次はサン・サヴィーノ聖堂です。


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サン・サヴィーノ聖堂です。扉が開いていました。


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聖堂の歴史が書かれてます。


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903年に創建された初代の建物は、10世紀に侵攻してきたハンガリー人によって破壊されてしまいました。
二代目の建物は11世紀から12世紀に建設されたロマネスク様式のもので、その奉献式は1107年に執り行われました。
17世紀前半になると二代目の建物は老朽化が進んだので、二代目の建物の大部分を取り壊して、1631年から1637年にかけてバロック様式で大修復されました。大修復と言うよりも再建と言った方が良いようです。


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現在のファサードは1721年に建設されました。
聖堂の現在の姿は、1902年から1903年にかけて行われた修復後のものです。


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聖堂内に入りました。


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三廊式、ロマネスク様式の内部です。


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天井


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祭壇と後陣


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クーポラのフレスコ画は、イル・ポルデノーネによって1529年から1531年に制作されました。


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クリプタのモザイクが最大の見所ですが、施錠されていて中に入ることが出来ません。


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内陣床のモザイク


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中に入れただけでも良しとしましょう。


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教会巡りは運ですね。信者ではなく観光客ですから。


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祭壇前から見た出入口方向


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外に出ました。


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急に雨が降ってきました。


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サンタ・マリア・イン・ガリヴェルト教会は閉まっていました。


080
天気が悪くなってきたので、教会巡りをする気が失せてきました。


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サン・クリストフォロ教会


082
そろそろ切り上げてホテルに戻った方が良さそうです。


083


084
サンテウスタキオ教会


078
切り上げてホテルに戻りました。
(おわり)

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