イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ: エミリア・ロマーニャ州

P1480646写真右の建物はPavaglioneです。


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マドンナ・デル・カルミネ教会の左外壁沿いに進みます。


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ルーゴで最も格式が高い教会に向かいます。


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道路は清掃されて綺麗です。これが南イタリアに行くと違います。


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ルーゴで最も格式が高い教会はCollegiataです。聖堂参事会が管理する教会のことです。


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バラッカ通りです。


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大半の街では、最も格式が高い教会がドゥオーモと呼ばれてますが、ルーゴではドゥオーモと呼ばれている教会がないようです。


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尤も南イタリアに行くと、ドゥオーモと呼ばれている教会が複数存在する街が幾つかあるので、ドゥオーモと呼称する定義がよく分かりません。


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右折すれば参事会教会に出ます。


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参事会教会が見えてきました。


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サンティ・フランチェスコ・エ・イラーロ参事会教会です。
1233年、フランチェスコ会修道士が初めてルーゴに訪れましたが、その直後から当時の城壁外の現在地に修道院建設が開始され、1238年に完成したサン・フランチェスコ修道院教会の複合施設が前身です。
1438年、ルーゴの市当局はサン・フランチェスコ複合施設を城壁内に取り込むと共に、市壁の拡張を決定しましたが、それに伴い1471年に修道院回廊が追加されました。その回廊は、城塞に次いでルーゴに現存する最古の建物となってます。
18世紀中頃になると、建物の経時劣化が顕著となったので、建物の再建が決定されました。そうして、イーモラの建築家フランチェスコ・コジモ・カッシアーノ・モレッリ(イーモラ、1732‐1812)が起用され、1760年に最初の建物が取り壊され、モレッリの設計によって、その上に1762年から1772年に建設された2番目の建物が現在の姿となってます。


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残念ながら教会の扉が閉まっていました。しかし、修道院回廊は開いていました。


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回廊へと続く通路の壁にある浮彫(詳細不知)


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18世紀のもの


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修道院回廊に出ました。


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回廊から見た鐘楼


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回廊の壁に描かれたフレスコ画(15世紀)
回廊の壁はフレスコ画で覆われていたそうですが、現存するのはこの断片だけです。


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19世紀のもの


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回廊に囲まれたキオストロ


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キオストロにある古井戸


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修道院回廊から外に出ました。


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参事会教会の拝観もルーゴに来た目的の一つでしたが、教会の中に入れず残念でした。


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夕暮れを迎えていました。


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大体見終わったと思ったので、駅に向かいました。


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実はロッシーニ劇場に行くのを忘れていました。ロッシーニ劇場はルーゴで重要な見所の一つです。


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電車の時刻は予め調べていたので、発車まで時間がたっぷりあり、ブラブラ歩きで駅に向かいました。


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この道の先に駅があります。


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駅が見えてきました。


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ルーゴ駅です。
(ルーゴ編 おわり)

P1480596広場の突き当りにあるのは、サントノフリオ祈禱所です。


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一見、教会のファサードに見える建物があります。


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教会ではなく共同住宅です。


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次はマドンナ・デル・カルミネ教会です。


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マドンナ・デル・カルミネ教会です。ルーゴの守護聖人聖イラーロの聖遺物が納められてます。


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1480年、カルメル会の修道士によって建設された修道院と教会の複合施設が前身です。1526年に聖イラーロの聖遺物が納められたことからサンティラーロ教会と呼ばれるようになりました。


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1480年創建の建物が荒廃したので、18世紀に取り壊して、その上に新しい建物が建設されることになりました。地元の建築家フランチェスコ・アンブロージョ・ペトロッキの設計によって、1748年に着工、1772年に完成した建物が現在の姿となってます。2代目の建物にはマドンナ・デル・カルミネ教会と名付けられましたが、今でもサンティラーロ教会とも呼ばれてます。


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毎日開く教会なので拝観し易いと思います。


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中に入りました。


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単廊式、ラテン十字形、新古典様式の内部です。


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右側壁


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中央礼拝堂へと進みました。


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新古典様式の柱が目立ちます。


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柱頭の装飾


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こちらのオルガンは普通です。


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中央礼拝堂


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後陣の装飾


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後陣天井のフレスコ画は、ピッコーラ・オルシの「カルミネの聖母」
ピッコーラ・オルシという画家については全く知りません。


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主祭壇


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詳細不知の「聖母子」


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高名なオルガン制作者ガエターナ・アントニオ・カッリートによって制作されたオルガンです。


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ロッシーニが演奏したことで有名なオルガンです。


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主祭壇前から見たカウンターファサード方向


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16世紀の逸名画家作「受胎告知」


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教会内の聖人の彫刻が全部で12体あります。


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制作者など詳細不知です。


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詳細不知


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17世紀の逸名画家作「栄光の聖イラーロ」


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詳細不知の「聖イラーロ」


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サロモーネ・デ・グラッシの「カルミネの聖母」(14世紀末)
サロモーネは、ジョヴァンニーノ・ダ・グラッシ(ミラノ、1350c-1398)の息子です。父に師事したとされており、サロモーネの画風は父にそっくりです。ただ、父と違って、サロモーネの生涯がよく分かっていない謎の画家とされてます。


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グイドッチョ・ダ・イーモラ(イーモラまたはフェッラーラ、1425/1430‐イーモラ,1510)の「カルミネの聖母」(1481)


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「カルミネの聖母と聖イラーロ」のステンドグラス


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詳細不知


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外に出ました。
(つづく)

母が他界して暫く多忙です。落ち着くまでブログ更新を中断します。(2023年11月12日 追記)
P1480573引き続きエステンセ城塞です。


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緑の部分はかって堀であり、城塞の入り口前に跳ね橋があったそうです。


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名残の跳ね橋を思わせる通路を通ってエステンセ城塞内に入ります。


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城塞の入り口


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城塞の中庭
城塞はルーゴ市役所になってますが、その一部は博物館として公開されてます。


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銘板の数々


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絵画はなかったと思います。


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かって堀があった場所


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エステンセ城塞から外に出ます。


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次はPavaglioneです。


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Pavaglioneの中に入りました。
私の知る限りPavagolioneというイタリア語はないと思いますが、建設された当初はPadiglione(イタリア語でパビリオンという意味)と呼ばれましたが、建物の柱廊玄関が蚕の繭市場で有名となったので、「Padiglione de folicelli da seta(蚕のパビリオン)」と呼ばれ、次に「Paviglione」と呼ばれるようになり、やがて、恐らく18世紀後半頃から「Pavaglione」と呼ばれるようになったそうです。


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Pavaglioneは、各辺約100メートルの四柱廊(面積約1ヘクタール)から成ってます。


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四柱廊に囲まれた部分はマッツイーニ広場と呼ばれてます。


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元々、この場所はエステンセ城塞の一部でしたが、エステ家直系の最後のフェッラーラ公爵アルフォンゾ2世・デステ(フェッラーラ、1533-1597)の命によって、年に一度の見本市と週毎に開かれる市場を建設するために、1570年城塞の一部を解体しての工事が着工されました。
最初に建設されたロッジャは、民兵のための避難休息所、毎週の開市日に商人の避難休息所を提供することが目的でしたが、軍事機能が優先されました。
しかし、アルフォンゾ2世・デステ公爵が死去した翌年の1598年に、フェッラーラ公国は教皇領に戻りましたが、それに伴ってルーゴの軍事的機能が必要性が徐々に薄まると共に、ロッジャは商業的機能が優先されるようになりました。


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蚕と繭取引の増大に伴って、一つの柱廊ではスペース不足が深刻となりました。1780年、ルーゴ市議会は柱廊の増設を決定し、1784年に増設工事が完了して現在の姿になりました。
Pavaglioneは、今も完全に機能しています。


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1895年に設置された時計が柱廊玄関にあります。


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(つづく)

1次はRocca Estense エステンセ城塞です。


2
ルーゴの要塞の起源についてはよく分かっていないそうですが、ラヴェンナ大司教区の修道院によって10世紀頃に今の場所の南に建設されたと推定されてます。


3
最初の要塞は1037年の文書にCastrum(軍事防衛拠点の意味)と記載されたそうです。
1202年、ラヴェンナ大司教によってCastrumは増築され防衛機能が強化されました。しかし、その僅か16年後の1218年、ラヴェンナ大司教区の封建領主クニオ伯爵家は、クレモナ領主と同盟を結んで、ルーゴは彼らによって征服され、Castrumは破壊されてしまいました。
その後、ルーゴ要塞は13世紀に何度か再建、破壊を繰り返しました。1296年、クニオ伯爵家の居城であるルーゴ要塞は徹底的に破壊され、要塞があった場所は瓦礫だらけの平地となりました。
14世紀になると、ロマーニャ・ギベリン家、ボローニャ、ミラノのヴィスコンティ家と次々と支配者が変わりましたが、1376年にフェッラーラのエステ家の支配下に置かれ、現在の場所にRoccaが築かれました。しかし、エステ家の支配は長続きせず、ルーゴは混乱に巻き込まれました。
1437年、エステ家は教皇庁からルーゴを購入して、再び支配者となりました。エステ家の統治下、ルーゴはロマーニャにおけるエステ家支配地で最も重要な商業の中心地となりましたが、その防衛のためにエステンセ城塞は整備増強されました。現在の外観は、16世紀頃の姿が原形となってます。
1598年、エステ家直系が断絶すると、フェッラーラ公国は教皇庁領に組み入れられましたが、それと共にルーゴ防衛力の必要性は徐々に低下して、エステンセ城塞はその機能を失うことになりました。


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1830年代に司法事務所と郵便局を造るために改造された建物です。


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1860年、城塞は市庁舎に転用されることになりました。市庁舎になってからも、改造された建物に司法事務所と郵便局が置かれたままでしたが、19世紀末に移転して、改造された建物も市庁舎として使用されるようになり現在に至ってます。


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市庁舎の入り口


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城塞の外を一周します。


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城塞の北側に出ました。


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城塞の北側にガリバルディ広場があります。


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ガリバルディ広場


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ガリバルディ広場は駐車場になってます。


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城塞の東側です。


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東側はマッジョーレ広場と呼ばれてます。


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北東にある塔


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ガリバルディ将軍が演説したバルコニーがあります。


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1859年にガリバルディ将軍が演説したことを示す銘板


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城塞の南側に進みます。


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マッジョーレ広場から見た塔


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カヴール広場角にあるサン・ジミニャーノ・エ・サン・プロスぺロ銀行ルーゴ支店の建物です。同銀行の本店はヴェローナにあります。


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城塞の南側の西端です。


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マルティーニ広場です。


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写真右側の建物はPavagolioneです。


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(つづく)

1次はChiesa del Suffragio スッフラージョ教会です。suffragioとは、代祷、祈りという意味です。


2
この場所に、12世紀の記録にその存在が記載されているサン・ジュゼッペ祈祷所がありましたが、それが前身とされてます。


3
サン・ジュゼッペ祈祷所は1620年に解体され、その上に1620年から1628年に建設されたマドンナ・デッラ・ネーヴェ教会が二代目です。


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二代目の建物はは1719年から1721年に改造され、現在の姿となりましたが、その改造を機に教会の名称がスッフラージョッ教会に変更されました。


5
ファサードの彫刻は、ジョヴァン・バッティスタ・バランティ・グラツィアーニ別称グラツィアーニ・ダ・ファエンツァ(ファエンツァ、1762-1835)とグラツィアーニ工房によって制作されました。


6
グラツィアーニ・ダ・ファエンツァと彼の工房による作品です。


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教会内に入りました。


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三廊式、バロック様式の内部です。


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右側廊


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Presebiterio


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中央礼拝堂


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主祭壇画を観ます。


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主祭壇画は、ベネデット・ダル・ブオーノ(ルーゴ、1711-1775)の「聖家族と聖ミケーレ」


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詳細不知の「聖母子」


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右側廊


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後陣右礼拝堂


17
バルトロメオ・スケドーニ(モデナ、1578-パルマ、1615)の「聖母戴冠」
画家として有名なバルトロメオ・スケドーニの珍しい彫刻です。


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右側廊から見た内陣中央方向


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後陣右礼拝堂の天井


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後陣右礼拝堂天井のフレスコ画(詳細不知)


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左側廊


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左側廊から見た内陣中央方向


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詳細不知の「聖母子と聖人たち」


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後陣左礼拝堂


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チェーザレ・ルイーナの「無原罪の御宿りと聖フランチェスコ」(1874)


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イグナツィオ・スターン(オーストリア、1679-ローマ、1748)の「聖ジュゼッペの死」


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イグナツィオ・スターン(オーストリア、1679-ローマ、1748)の「聖アンナの死」


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中央礼拝堂から見たカウンターファサード方向


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カウンターファサードにオルガンがあります。


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外に出ました。


34
(つづく)

1Piazza Trisiです。


2
トリージ広場に面して建つのは18世紀に建設されたOratorio di Sant’Onofrioです。


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サントノフリオ祈祷所は平日には開いていないようです。(この日は平日でした)


3
サントノフリオ祈祷所前から眺めたPiazza Trisiです。


4
この辺が旧市街の中心です。


5
18世紀後半に建設されたPavaglioneです。
古くからイタリアでは絹織物が大変好まれました。蚕、繭、絹織物の市場として、イタリアで最も栄えていた市場がルーゴのPavaglioneでした。しかし、19世紀後半になると東洋から輸入された絹織物に対して、コスト的に太刀打ち出来なくなって、ルーゴのPavaglioneは廃れてしまいました。


6
通りの名称がこの辺でVia BaraccaからLargo Relenciniに変わります。


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ドゥオーモの後陣です。


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Rocca Estenseの方に進みました。


10
Rocca Estenseが面したPiazza dei Martieriです。


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中世の頃、ルーゴはエステ家の支配下にありました。ルーゴの歴史的建造物の多くはエステ家治世の時代に建設されました。


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広場に中心に立つのは、1936年に制作されたフランチェスコ・バラッカのモニュメントです。
フランチェスコ・バラッカ(1888-1918)は、ルーゴ伯爵エンリコ・バラッカの息子で地元の英雄です。第一次世界大戦当時、イタリア空軍のエースパイロットでしたが、フランチェスコが操縦していた戦闘機が爆撃され不時着したのですが、その際、捕虜の身になることを恥じて拳銃で自決したのです。


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Pavaglioneは、バラッカ広場にも面してます。


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エステ家によって建設された城です。


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Rocca Estenseの建物は市役所として使用されてます。


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Pavaglioneは大きな建物です。中に入ることが出来ますが、入るのは後回しにしました。


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ローマ銀行です。


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Piazza Baraccaから見たPiazza dei Martieriです。


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写真左はChiesa del Suffragioです。


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この後、Chiesa del Suffragioの拝観をしたのですが、それについては(その3)で触れることにします。


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リベッタ通りです。


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ここから少し離れた場所にあるサン・ジャコモ教会とロッシーニの家に向かいます。


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サン・ジャコモ教会です。


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ロッシーニの家です。


29
ロッシーニの家は、オペラ作曲家ジョアッキーノ・アントニオ・ロッシーニ博物館となってます。
作曲家ロッシーニ(ペーザロ、1792-パリ、1868)はルーゴと直接関係がありませんが、彼の父ジュゼッペ・ロッシーニがこの家を建設して。ジョアッキーノの生まれる前に住んでいました。
観光資源が少ないルーゴなので、有名なロッシーニ博物館にしたようです。


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ロッシーニ博物館の内部


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見るべきものが乏しいと思います。


33


34
(つづく)

1この日、イーモラで3泊4日した時の中日でしたが、ルーゴへの日帰り遠足をしました。


2
ブリジゲッラの観光案内所に行った時に、ブリジゲッラ近郊のお勧めの街として紹介を受けたのが、バニャカヴァッロとルーゴでした。その際、二つの街の地図と観光案内書を貰ったのでした。中々、行く機会が無かったのですが、漸く、この日、ルーゴへの日帰り遠足が実現したというわけです。


3
イーモラ駅に向かいました。


4
イーモラ駅です。イーモラはピアチェンツァからアンコーナを結ぶ幹線上にあります。


5
ルーゴに行くには、イーモラとラヴェンナを結ぶ支線上に駅があるので、鉄道利用が便利です。


6
イーモラ始発ラヴェンナ行きの普通列車は空いていました。


7
ルーゴ駅に定刻に到着しました。


8
ルーゴは、人口31,981人(2023年5月31日現在)のエミリア・ロマーニャ州ラヴェンナ県にあるコムーネです。同名の都市が他にあるので、区別するためにルーゴ・ディ・ロマーニャとも呼ばれてます。


9
ルーゴ駅は有人駅です。


10
駅前広場


11
Viale Rosini


12
Viale Rosiniを進んで旧市街に向かいました。


13
Viale RosiniとViale Manzoniとの交差点です。


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Viale Rosiniをさらに進みました。


15
Piazzale Carducciです。


16
地図を持っていましたが、何時ものように地図を見ないで勘を頼りに街の中心を目指しました。


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教会が見えてきたので、勘が当たったようです。


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地図を見て、参事会教会の後陣と分かりました。


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ルーゴは多分独立した司教区になっていないと思ったので、参事会教会がドゥオーモでしょう。


20
この時間は通常教会の扉が開いていることが稀なので、拝観を後にして先を急ぎました。


21
イーモラは、この日の午前中大雨でしたが、ルーゴもかなりの降雨があったと思いました。


22
人通りが非常に少なかった。


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写真右のバールで一休みしました。


25
写真右は、サントノフリオ(聖オノフリオ)祈祷所(オラトリオ)だった建物で、現在は小学校になってます。


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Via Fratelli Cortesi


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Via Fratelli Cortesiの突き当りを右折してVia Baraccaに入りました。


29
旧市街の中心はもうすぐです。


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古来ブドウ栽培が主産業のルーゴでしたが、中世から近世にかけて蚕の育成と絹織物で非常に栄えました。


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Rocca Estenseが見えてきました。


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写真左の建物はカルミネ教会です。


34
(つづく)

1
1ピエトロ・テスタ(ルッカ、1612-ローマ、1650)の「生贄のイフィゲニア」


2
88番の作品です。


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アントニオ・アモロージ(コムナンツァ、1660-1738)の「老女にサクランボをかざす少女」


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逸名画家作「アルテミジア・ジェンティレスキ作『ユディト』のコピー画」


11


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13
アルテミジア・ジェンティレスキの「ユディト」は、2点現存しています。それらは非常に似ていて、区別が困難です。
念のため、2点の作品写真を掲載しておきましょう。


14
アルテミジア・ジェンティレスキ(ローマ、1593‐ナポリ、1652/1653)の「ユディト](1612-13)
ナポリのカポディモンテ美術館にあります。


15
アルテミジア・ジェンティレスキ(ローマ、1593-ナポリ、1652/1653)の「ユディト](1620-21)


16
フィレンツェのウフィッツィ美術館にあります。
違いがお分かりになりますか。
さて、別館にあるコピー画ですが、サロメの服の色と構図からカポディモンテ美術館にある第1作のコピー画であると考えられてます。


17
リオネッロ・スパーダ(ボローニャ、1576‐パルマ、1622)に帰属する「サロメ」


18
アントニオ・マリーニ(ヴェネツィア、1668-1725)の「時化」
同姓同名の画家がもう一人いるので、区別するために、こちらのアントニオ・マリーニを「ヴェネツィアのアントニオ・マリーニ」と称するのが普通です。


19
フランチェスコ・シモニーニ(パルマ、1686‐フィレンツェ、1753)の「戦闘」


20
マリヌス・ファン・レイメルスワーレ(オランダ、1490c-1546c)の「収税人」


21
有名な画家そっくりの画風です。その「有名な画家」とは誰でしょうか?


22
有名な画家とは、クエンティン・マサイスです。マリヌス・ファン・レイメルスワーレはクエンティン・マサイスの追随者でした。


23


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次の部屋の天井です。


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天井にフレスコ画が描かれてます。


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この部屋の天井フレスコ画も有名です。


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Sala di Felsinaです。


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Sala di Felsinaの天井フレスコ画は、ジュゼッペ・ロッリとアントニオ・ロッリの兄弟によって1690年頃に描かれました。


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ジョヴァン・フランチェスコ・ゲッシ(ボローニャ、1588-1649)の「聖家族と二天使」


32
ジョヴァン・フランチェスコ・ゲッシ(ボローニャ、1588-1649)の「聖ボナヴェントゥーラの奇跡」


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34


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36
ジョヴァン・フランチェスコ・ゲッシ(ボローニャ、1588-1649)の「聖根を受ける聖フランチェスコ」


37
ピエル・フランチェスコ・チッタディーニ(ミラノ、1616-ボローニャ、1681)の「聖アグネス」


38


39
外に出ました。


40
(おわり)

1ニコロ・カッサーナ(ヴェネツィア、1659‐フィレンツェ、1713)の「老兵」


2
80番の作品です。


3


4
この作品を収集した理由は何でしょうか。


5


6
ヨハン・ゲルスミュター(パルマ、1606-1607活動記録)の「男の肖像」


7
81番の作品です。


8
ヨハン・ゲルスミュターは、フランダース人画家で、パルマ宮廷で1606年から1607年に3点の作品を制作しました。


9
この男の姓名、役職など全て判明しています。


10
ニコロ・カッサーナ(ヴェネツィア、1659-フィレンツェ、1713)の「老女の肖像」


11
82番の作品です。


12


13


14


15
アレッサンドロ・ゲラルディーニ(フィレンツェ、1655-リヴォルノ,1726)の「磔刑像を崇める聖ジローラモ」


16
83番の作品です。


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19


20


21
パオロ・ファリナーティ(ヴェローナ、1524-1606)に帰属する「十字架降下」


22
84番の作品です。


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25


26
17世紀のヴェネトの逸名画家作「オリュンポス山の神々」


27
85番の作品です。


28


29


30


31
イグナツィオ・フゴフォルド(フィレンツェ、1703-1778)の「磔刑」


32
86番の作品です。


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35


36


37
ジョヴァンニ・バッティスタ・ピアツェッタ(ヴェネツィア、1682-1754)の「キリストの復活」


38
87番の作品です。


39


40


41


42
(つづく)

1逸名画家作(恐らくベルナルド・ストロッツィ工房で働いていた画家)「ベルナルド・ストロッツィ作『べレニーチェ』のコピー画」


2
72番の作品です。


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6
ジョヴァン・フランチェスコ・カッサーナ(カッサーナ、1620c-ミランドラ、1690)に帰属する「聖マルティーノの施し」


7
73番の作品です。


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11


12
ベルナルド・ストロッツィ(ジェノヴァ、1581-ヴェネツィア、1644)の「聖セバスティアーノと聖ロッコ」


13
74番の作品です。


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16


17
昔、フェデリーコ・バロッチの帰属作品とされていた「少女の肖像」


18
75番の作品です。


19
フェデリーコ・バロッチ工房で働いていた逸名画家の作品説もあります。


20


21


22
ピエトロ・ベッロッティ(サロ、1625-ガルニャーノ、1700)の「本を手にする薄汚い男の肖像」


23
76番の作品です。


24


25


26


27
ピエトロ・ベッロッティ(サロ、1625-ガルニャーノ、1700)の「老女の肖像」


28
77番の作品です。


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30


31


32
セバスティアーノ・リッチ(ベッルーノ、1659-ヴェネツィア、1734)の「聖ジローラモの誘惑」


33
78番の作品です。


34


35


36


37
パルマ・イル・ジョーヴァネ(ヴェネツィア、1544-1628)の「磔刑」


38
79番の作品です。


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41


42


45
(つづく)

1次の部屋の天井に描かれたフレスコ画です。


2
Sala di Alessandroと呼ばれている部屋です。


3
天井のフレスコ画は、ドナート・クレティ(クレモナ、1671-ボローニャ、1749)によって、1708年から1710年に描かれました。


4
フレスコ画のテーマは、「ゴーディアン・ノットを斬るアレクサンダー大王」です。


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19
バルトロメオ・マンフレディ(オスティアーノ、1582-ローマ、1662)の「ダイダロスとイカロス父子」


20
68番の作品です。


21


22


23


24
ジュゼッペ・リベラ工房作「Tizio」


25
69番の作品です。


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27


28


29
ルカ・ジョルダーノ(ナポリ、1634-1705)の「死せるキリストへの哀悼」


30
70番の作品です。


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35


36
マッティア・プレティー(タヴェルナ、1613-マルタ、ヴァレッタ、1699)の「イサクの犠牲」


37
71番の作品です。


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42


43
(つづく)

1
ペッレグリーノ・ティバルディ(プーリア・ディ・ヴァルソルダ、1527-ミラノ、1596)に帰属する「カナの晩餐」


2
60番の作品です。


3


4


5


6
カルロ・ボノーニ(フェラーラ、1569-1632)の「天使」


7
61番の作品です。


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11
カルロ・ボノーニ(フェラーラ、1569-1632)の「天使」


12
62番の作品です。


13


14


15


16
逸名画家による「ルドヴィーコ・カラッチ作『聖母被昇天』のコピー画」


17
65番の作品です。


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22


23
ルドヴィーコ・カラッチ(ボローニャ、1555-1619)の「ヤコブの階段」


24
63番の作品です。


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28


29
ルドヴィーコ・カラッチ(ボローニャ、1555-1619)に帰属する「聖母の誕生」


30
66番の作品です。


31


32


33


34
ヌンツィオ・ロッシ(ナポリ、1626-シチリア、1651)の「聖グリエルモ」


35


36
ヌンツィオ・ロッシ(ナポリ、1626‐シチリア、1651)の「聖トンマーゾ」


37
ジョヴァンニ・アンドレア・シラーニ(ボローニャ、1610-1670)の「聖アガタ」


38
グイド・カニャッチ(サンタルカンジェロ・ディ・ロマーニャ、1601‐ウィーン,1663)の「ルクレツィア」


39


40
エリザベッタ・シラーニ(ボローニャ、1638-1665)の「シビッラ](1660)


41
エリザベッタ・シラーニ(ボローニャ、1638-1665)の「シビッラ」(1660)
(つづく)

1ガスパーレ・サッキ(イーモラ、1517-1536活動記録)の「若い男の肖像」


2
51番の作品です。


3


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6
プロスぺーロ・フォンターナ(ボローニャ、1512-1597)の「男の肖像」


7
52番の作品です。


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10


11
バルトロメオ・パッセロッティ(ボローニャ、1529-1592)の「聖フランチェスコ」


12
53番の作品です。


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17
ティブルツィオ・パッセロッティ(ボローニャ、1553-1612)に帰属する「カササギから白蝶への変化」


18
54番の作品です。


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22
バルトロメオ・パッセロッティ(ボローニャ、1529-1592)の「ルクレツィア」


23
55番の作品です。


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29
デニス・カルヴァート(アンヴェルサ,1540c‐ボローニャ、1619)の「警戒」


30
56番の作品です。


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34
バルトロメオ・パッセロッティ(ボローニャ、1529-1592)の「聖母の神殿奉献」


35
57番の作品です。


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37


38


39
ジャコモ・フランチャ(ボローニャ、1484c-1557)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚と聖人たち」


40


41
58番の作品です。


42


43


44
(つづく)

1逸名画家作「アンニーバレ・カラッチ作『キリストの復活』のコピー画」


2
48番の作品です。


3


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5


6
次の部屋です。


7
天上界の間 Sala dell'Olimpoです。


8
Sala della’Olimpoの天井にフレスコ画が描かれてます。


9
Sala della’Olimpoの天井フレスコ画は、ジュゼッペ・マリア・クレスピ(ボローニャ、1665-1747)によって描かれました。


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11
フレスコ画の説明版


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29
ドメニキーノ(ボローニャ、1582-ナポリ、1747)に帰属する「聖フランチェスコ」


30
49番の作品です。


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33


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35
フランチェスコ・カラッチ(ボローニャ、1595-ローマ、1622)の「聖会話」


36
50番の作品です。


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38


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40


41
(つづく)

引き続きQuadreria Zambeccariです。
1
ドメニキーノ?の「フェルディナンド1世・ゴンザーガ枢機卿の肖像」


2
39番の作品です。


3


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5


6
カルロ・チニャーニ(ボローニャ、1628-フォルリ、1719)の「サムソンとデリラ」


7
40番の作品です。


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9


10


11
エリザベッタ・シラーニ(ボローニャ、1638-1665)の「聖マリア・マッダレーナ」


12
41番の作品です。


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15


16
エリザベッタ・シラーニ(ボローニャ、1638-1665)の「聖ジローラモ」


17
42番の作品です。


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20


21
ルドヴィーコ・ラーナ(ゴティゴーロ、1597-モデナ、1646)に帰属する「年輩の男の肖像」


22
43番の作品です。


23


24


25


26
ロレンツォ・ガルビエーリ(ボローニャ、1580-1654)の「カノーニコ・ラテラネンセの肖像」


27
44番の作品です。


28


29


30


31
エルコーレ・グラツィアーニ・イル・ジョーヴァネ(ボローニャ、1688-1765)の「スザンナの水浴」


32
45番の作品です。


33


34


35
シモーネ・カンタリーニ(ペーザロ、1612-ヴェローナ、1648)の「聖ジュゼッペと聖ドメニコ](1640-45c)


38


36
シモーネ・カンタリーニ(ペーザロ、1612-ヴェローナ、1648)の「パドヴァの聖アントニオとパオラの聖フランチェスコ」(1640-45c)


37


39
シモーネ・カンタリーニ(ペーザロ、1612-ヴェローナ、1648)の「アポロ」(1648)


40
ピエッレ・エティエンネ・モンノート((フランス、1657-ローマ、1733)の「ピエタのキリストと天使」


41
46番の作品です。


42


43


44


45
(つづく)

引き続きPalazzo Pepoli CampograndeのQuadreria Zambeccariです。
1
エルコーレ・グラツィアーニ・イル・ジョーヴァネ(ボローニャ、1688-1765)の「ロトと娘たち」


2
25番の作品です。


3


4


5
ユストゥス・スステルマンス(アンヴェルサ、1597‐フィレンツェ、1681)の「若い男の肖像」


6
ジュゼッペ・マリア・クレスピ(ボローニャ、1665-1747)の「子供たちの居眠り」


7
26番の作品です。


9


8


10
リオネッロ・スパーダ(ボローニャ、1576-1622)の「ユディト」


11
27番の作品です。


12


13


14
グエルチーノ工房作「ロトと娘たち」


15
28番の作品です。


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17


18


19
フェリーチェ・トレッリ(ヴェネツィア、1667-ボローニャ、1748)の「キリストの逮捕」


20
31番の作品です。


21


22


23


24
ドナート・クレティ(クレモナ、1671-ボローニャ、1749)の「少女の肖像」


25
32番の作品です。


26


27


28
フラミニオ・トッリ(ボローニャ、1621-1661)の「キリストの逮捕」


29
33番の作品です。


30


31


32


33
1520年頃のアンヴェルサの逸名画家作「エステルとアハシュエロス、アダムとイヴのトリッティコ」


34
38番の作品です。


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38


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43


44
(つづく)

1ロレンツォ・パシネッリ(ボローニャ、1629-1700)の「2人の果物売り」


2
22番の作品です。


3


4


5


6
ジュゼッペ・ガンバリーニ(ボローニャ、1680-1755)の「日常の光景」


7
21番の作品です。


8


9


10
ジュゼッペ・ロマーニ(コモ、1654/1657c-1727)の「農民」


11
14番の作品です。


12


13


14
最初の絵画展示室の天井フレスコ画です。


15
最初の絵画展示室 Sala di Felsinaです。


16
Sala di Felsinaのフレスコ画は、アントニオ・ロッリ(ボローニャ、1643-1695)とジュゼッペ・マリア・ロッリ(ボローニャ、1545-1727)の兄弟によって、1690年に制作されました。


17
フレスコ画のテーマは、「フェルシナの勝利」となってます。


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24
アントニオ・ロッリ(ボローニャ、1643-1695)の「プットたち」


25
アントニオ・ロッリ(ボローニャ、1643-1695)の「慈愛」


26
次の絵画展示室です。


27
Sala delle Stagioniと呼ばれてます。


28
Sala delle Stagioniの天井にフレスコ画が描かれてます。


29
Sala delle Stagioniのフレスコ画は、ジュゼッペ・マリア・クレスピ(ボローニャ、1665-1747)によって1691年に描き始められ、1702年頃に完成しましたが、途中で制作が中断されていたそうです。


30
フレスコ画のテーマは、「ヘラクレスの勝利」となってます。


31
四季の擬人化された表現で有名です。


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39
次はSala delle Stagioniの展示されている絵画作品の紹介です。


40
フランチェスコ・ソリナーメ派逸名画家(ソリナーメ工房で働いていた画家でしょう)の「レベッカ」


41
24番の作品です。


42


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44
(つづく)

1次はZambeccari家の収集作品です。


2
各作品の題名と作品帰属を明示するには、少し手間がかかります。


3
ソフォニスバ・アングィッソーラ(クレモナ、1532/1533‐パレルモ、1625)に帰属する「貴婦人の肖像」


4
作品説明シートが用意されています。これにより前の写真の作品は1番と分かります。


5
作品説明シートの裏面です。これの1番を見ると画題と作品帰属(作品の制作者)が分かる、というわけです。


6
この貴婦人ですが、ソフォニスバ・アングィッソーラの妹でしょうか?


7
チェーザレ・ジェンナーリ(チェント、1637‐ボローニャ、1688)の「フローラ」


8
2番の作品です。


9


P1800211


10
作品リストに掲載されていても展示されてない作品がかなりあります。修復や貸し出しなどがあるので、それは首肯できるのですが、作品リストに掲載されてない作品がてんじされていることがかなりあるので、困ることがあります。


11
ピエル・フランチェスコ・チッタディーニ(ミラノ、1616‐ボローニャ、1681)の「幼児の肖像」


12
3番の作品です。


13


14
ベネデット・ジェンナーリ・イル・ジョーヴァネ(チェント、1633‐ボローニャ、1715)の「リーヴァ家の人々」


15
6番の作品です。


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17


18
グイド・レーニ工房作「女性の肖像」


19
8番の作品です。


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23
逸名画家による「ニコロ・デッラバーテ作『合奏』の複製画」


24
9番の作品です。


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28
ジローラモ・フラボスコ(ヴェネツィア、1605‐パドヴァ、1679)に帰属する「貴婦人と子供たち」


29
18番の作品です。


30


31


32
カルロ・チニャーニ(ボローニャ、1628‐フォルリ、1719)の「司法官の肖像」


33
17番の作品です。


34


39
ジュゼッペ・ロマーニ(コモ、1654/1657c‐1729)の「兄弟喧嘩」


36


37
13番の作品です。


38


41
(つづく)

1次は、ボローニャ国立絵画館の別館です。


2
別館があるPalazzo Pepoli Campograndeに向かいます。写真正面に建物に向かって右側の通りを進みます。


3
Palazzo Pepoli Campograndeはカスティリオーネ通りに面して建ってます。


4
写真左の建物がPalazzo Pepoli Campograndeです。写真右はPalazzo Pepoli Campograndeと同じくぺポリ家の邸宅で、Palazzo Pepoli Vecchioと呼ばれてます。


5
Palazzo Pepoli Vecchioです。


6
銀行業で財を成し、14世紀前半にはボローニャを支配するようになったぺポリ家が1337年に建設したゴシック様式の邸宅がPalazzo Pepoli Vecchioです。


7
後に、通りを挟んで向かい側にあるPalazzo Pepoli Campograndeを含めて、ぺポリ家は幾つかの建物をボローニャに建設したので、区別するために最初に建設された建物がPalazzo Pepoli Vecchioと呼ばれるようになったそうです。
現在、Palazzo Pepoli Vecchioは、歴史博物館として使用されてます。


11
ボローニャ国立絵画館の別館が置かれているPalazzo Pepoli Campograndeです。


12
17世紀中頃のぺポリ家の当主だったオドアルド・ぺポリによって1653年に建設されたPalazzo Pepoli Campograndeです。


8
Palazzo Pepoli Nuovaとも呼ばれているPalazzo Pepoli Campograndeです。


9
18世紀前半、Palazzo Pepoli Campograndeは、ボローニャ貴族であるカンポグランデ家に売却されました。建物の名称は、建設したぺポリ家と、その後に所有したカンポグランデ家に由来します。


10
1970年台にカンポグランデ家は、Palazzo Pepoli Campograndeをボローニャ市当局に寄贈しました。


15
こちらの新古典様式の建物は、元老院議員を務めたZambeccari家が1775年に建設したPalazzo Zambeccariです。現在は、ミラノ市民銀行の建物になってます。


16
Palazzo Zambeccariの入り口です。
Zambeccariの代々の当主は美術品の収集に熱心でしたが、1884年、同家が収集した300点以上の絵画をボローニャ国立絵画館に寄贈しました。


14
Palazzo Pepoli Campograndeの地上階柱廊です。
寄贈された絵画は、現在の国立絵画館(本館)で一部が展示されるようになりましたが、展示スペースが限られて困っていました。


18
1,970年台にカンポグランデ家によって寄贈されたPalazzo Pepoli CampograndeがZambeccari家の収集した絵画の展示場所に決まり、ボローニャ国立絵画館の別館Quadreria Zambeccariが誕生したのです。


17
入館無料です。


19
一般公開は階上になります。


22
別館の見どころはPalazzo Pepoli Campograndeの内部装飾とZambeccari家の収集絵画です。


23
大広間です。


24
大広間の床


20
大広間の天井


21
大広間に設けられた礼拝堂


25
礼拝堂の祭壇画を見ます。


26
ドメニコ・マリア・カヌーティ(ボローニャ、1625‐1684)の「Miracolo della Mula」(1674)


27
ドメニコ・マリア・カヌーティは、グイド・レーニ工房で修業を始め、後にグエルチーノに師事したボローニャ派の画家です。


28
大広間はフレスコ画とスタッコ彫刻で装飾されてます。


29
大広間のフレスコ画は、ドメニコ・マリア・カヌーティ(ボローニャ、1625‐1684)とドメニコ・サンティ通称イル・メンガッツィーノ(ボローニャ、1621‐1694)によって1669年から1671年に制作されました。


30
フレスコ画のテーマは、「ヘラクレスの神格化」です。


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40


41


42


43
(つづく)

1「悔悛の聖マリア・マッダレーナ」


2


3


4
「パオラの聖フランチェスコの幻視」


5


6


7
「聖ジョンヴァンニ・ネポムチェーノ」


8


9


10
「犬を抱く男の肖像」


11


12


15
アンジェロ・クレシンベーニ(ボローニャ、1734‐1781)の「テレーザ・カンポーリの肖像」


14


16


42


17
「聖ジュゼッペの夢」


18


19


20


21
「農家の光景」


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26


27


28
「ジュゼッペ・マリア・クレスピの自画像」


29
ブレラにも彼の自画像があったと思います。


30


31
「教皇クレメンテ13世の肖像」


32


33


34


35
カヴァリエール・ダルピーノの「アンドロメダを解放するペルセウス」


36
逸名画家による「フェルディナンド・ゴンザーガの肖像」


37
ヴィンチェンツォ・スピサネッリの「聖ルチア」


38
ロレンツォ・パシネッリの「聖カテリーナ」


39
この日も時間切れで、外に出ました。


40
ボローニャ国立絵画館の本館はこれで終わりです。
(つづく)

1「バルタザールの饗宴」


2


3
「建築家アントニオ・カルトラーリの肖像」


4


5


6
6
「聖アガタの殉教」


7


8
8


9


10


11


12
「アブラハムの勝利を祝福するキルキゼデク」


13


14


15


16
「天上の聖母子と聖人たち」


17


18


19
「キリストの洗礼」


20


21


22


23


24
「聖ジョヴァンニ・バッティスタの誕生」


25


26


27


28
「ロザリオの聖母」


29


30


31


32


33


34
「聖母子と聖人たち」


35


36


37
「Filottete sull’isola di Lemno」


38


39


40
「男の肖像」


41


42
(つづく)

1「聖ジョヴァンニ・バッティスタの誕生」


2


3


4


5


6
「天上の聖母子を崇める聖イグナツィオ・ロヨラと聖セバスティアーノ・コストカ」


7


8


9
「ご訪問」


10


11


12
「マギの礼拝」


13


14
「美少女の肖像」


15


16


17


18
四季を描いた作品で、春夏秋冬の4点から成ってます。


19


26
こちらは「冬」です。


20
「秋」


21


23
「夏」


22


25
「春」


24


26
「冬」


32


27
これは別の「秋」です。


28


31


29
「冬」


30


33
「少女」


34


35
「キリストの洗礼」


36


37
「窓辺の児童」


38


39
「ソロモン」


40


50
(つづく)

1
「川で舟に乗って遊ぶ人がいる風景」


2


4


3
「狩猟の風景」


2
ドメニキーノの作品です。(写真再掲)


5


6
「女性たちがいる光景」


7


8


9
「悔悛の聖マリア・マッダレーナ」


10


11


18


12
「聖ベネデットの死」


13


14


15


16
「肖像画を描く画家の寓意(自画像)」


17


19


20


21
「マルボーロ公爵ジョン・チャーチルの寓意的な墓」


22


23


24
「寓意的墓」


25


26


27


28
「ジャン・キャンベル公爵の寓意的墓」


29


30


31
「霊感」


32


33


34
「ポンぺウスの妻ジュリアの失神」


35


36


37
「アベルの死」


38


39


40
「スティクスに飛び込むアキレス」


41


42
(つづく)

1「聖アゴスティーノに顕現するキリスト」


2


3


4
「聖ジローラモ」


5


6


7
「玉座の聖母子とアレッサンドリアの聖カテリーナと聖マリア・マッダレーナ」


8


9


10
フランチェスコ・アルバーニの「自画像」


11


13


12
「天上の聖母子と聖ジローラモと聖フランチェスコ」


14


15


16
「スザンナの水浴と出歯亀」


17


18


19
「幼きキリストを崇めるパドヴァの聖アントニオ」


20


21


35


22
「エルミニアと羊飼い」


23


24


25


26


27
二点の風景画


28


29


30
静物画


31


32


33
「聖オルソラの殉教」


34


36


37


38
「花の静物画と聖母子」


39


40


41
(つづく)

1「聖ジュゼッペ」


2


3


4
「聖ピエトロ・チェレスティーノ」


5


6


7
「天上の聖母子を崇める聖ブルーノ」


8


9


10


11


14


12
「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


13


15


16
「聖ピエトロ・マルティーレ」


17


18


19


20
「聖ピエトロ・マルティーレの殉教」


21


22


23


24


25
「天上の聖母子と三聖人」


26


27


31


32


33


28
「証書を読む聖ジローラモ」


29


30


34
「聖フェリーチェ司教の修道院居住を認可する聖グリエルモ」


35


36


37


38


39


40


41
(つづく)

1「キリストの死を嘆く聖母」


2


3


4
「貧者に施しを行う聖母」


5


6


7
「嘆き」


8


9


10
「芸術の寓意」


11


12


13
「ピエトロの拒否」


14


15


16
「ユディト」


17


18


19


20


21
「エジプトへの逃避途中の休息」


22


23


24
「キリストに仕える天使たち」


25


26

1「シルヴィアの裸体を盗み見る好色な男がいる風景」


2


3


4
「ヴィーナスの化粧」


5


6


7


8
「受胎告知」


9


10


11


12


13
「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」


14


15


16
「放蕩息子の帰還」


17


18


19
「高貴な女性とその娘の肖像」


20


21
「高貴な男性とその息子の肖像」


22


23


24
「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」


25


26


27
「聖エウジェニアの殉教」


28


29


30
「天上の聖母子と聖アローと聖ペトロニオ」


31


32


33


34


35


36


37
「妖婦」


38


39


40


41
「ライオンを八つ裂きにするサムソン」


42


43
(つづく)

1「天上の聖母子と聖人たち」


2


3


4


5
「聖アンナの無原罪の御宿りで受肉する聖母」


6


7


8


9


10
「マギの礼拝」


11


12


13


14


15


16


17


18


19


20


21


22


23
「キリストの鞭打ち」


24


25


26


27


28


29
「アッシジの聖フランチェスコに顕現する聖母子」


30


31


32
「天上の聖母子と聖ジョヴァンニ・バッティスタとアッシジの聖フランチェスコ」


33


34


35
「エウロパの強奪」


36


37


38


39
「聖ジョヴァンニ・バッティスタがいる風景」


40


41
(つづく)

1「聖グレゴリオ・マーニョ邸の晩餐」


2


3


4


5


6


7


8


9


10
「ゴッツァディーニ家の人々」


11


12


13


14


15


16
「祭事のために横臥する幼児」


17


18


59


19
「キリストの鞭打ち」


20


21


22


23


24


25


26
「キリストの埋葬」


27


28


29


30


31


32


33


34
「聖母戴冠と聖人たち」


35


36


37


38


39


40


41
(つづく)

1「キリストの変容」


2


3


4


5


6


7


8


9


10


11


12
「マルタとマリアの家のキリスト」


13


14


15


16


17


18
「羊飼いの礼拝」


19


20


21


22


23


24


25
「聖母の神殿奉献」


26


27


28


29


30
「聖母被昇天」


31


32


33


34


35


36


37
「ルイーザ・ディ・サヴォイアの息子を祝福するパオラの聖フランチェスコ」


38


39


40


41
(つづく)

1「聖マッテオの召命」


2


3


4


5


6
「聖母子と聖ジローラモと聖フランチェスコ」


7


8


9


10


11
「聖母被昇天」


12


13


14


15


16
「天上の聖母子と聖人たち」


17


18


19


20


21


22
「タッコーニ家の家族」


23


24


25


26


27
「受胎告知」


28


29


30


31
「磔刑像を崇めるアッシジの聖フランチェスコ」


32


33


34


35
「川辺に猟師がいる風景」


36


37


38
「荊刑のキリスト」


39


40


41
(つづく)

1「聖オルソラの殉教」


2


3


4


5


6


7


8
「受胎告知」


9


10


11


12


13


14


15
「磔刑された聖ピエトロ・トーマ」


16


17


18


19
「玉座の聖母子と聖ジョヴァンニーノと聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタとアレッサンドリアの聖カテリーナ」


20


21


22


23


24


25


26
「聖ジローラモの最後の聖体拝領」


27


28
「玉座の聖母子と聖人たち」


29


30


31


32


33


34


35


36
「聖母被昇天」


37


38


39


40


41
(つづく)

1「天上の聖母子と聖人たち」


2


3


4


5


6


7


8


9


10


11


12


13
「聖母戴冠と聖人たち」


14


15


16
「磔刑」


17


18


19


20


24
以上、第22室の展示でした。


21
グイド・レーニの作品が展示されている第22室です。


22


23
次は第23室です。カラッチ一族の作品が展示されてます。


25
「サウロの回心」


26


27


28


29


30


31
「ピシーナの奇跡」


32


33


34


35


36
「聖ジョヴァンニ・バッティスタの説教」


37


38


39


40


41
(つづく)

84「荊刑のキリスト」


85


86


87
「サムソンの勝利」


88


89


90


91


92


93


94
「シビッラ」


95


96


97


98


99
「聖アンドレア・コルシーニ」


100


101


102


103
「ピエタのキリストを崇める聖人たち」


104


105


106


107


108


109


110


111


112


113


114
「聖セバスティアーノ」


115


116


117
「嬰児虐殺」


118


119


120


121


122


123


124


125


126


127


128


129


130
(つづく)

42「ご訪問」


43


44


45
「磔刑」


46


47


48
次はニッコロ・デッラバーテのフレスコ画です。


49


50
これらのフレスコ画は、ニッコロ・デッラバーテ(モデナ、1509/1512‐フォンテーヌブロー、1533)が1548年から1552年までボローニャに滞在していた間に、ボローニャのPalazzo Torfaniniに描いたフレスコ画です。
フレスコ画のテーマは、中世の詩人ルドヴィーコ・アリオスト(レッジョ・エミリア、1474‐フェラーラ、1533)が1516年に著した叙事詩Orlando Furiosoに基づいてます。


51
残念ながら、フレスコ画の保存状態が良くありません。


52


53


54


55


56


57


58


59


60


61


62


63


64


65


66


67


68


69
「Giustizia」


70


71


72
「母ジネヴラ・プッチの肖像」


73


74


75


76
「グイド・レーニの肖像」


77


78


79


80
「Arianna」


81


82


83
(つづく)

1「シビッラと二人の子供」


2


3


4
「シビッラと二人の子供」


5


6
次は第20室です。


7
「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


8


9
ラッファエッロ作品のコピー画です。


10
こちらはラッファエッロの作品写真です。現在、フィレンツェのウフィッツィ美術館にあります。元々ウフィッツィ美術館で展示されていましたが、一時期、フィレンツェのピッティ宮のパラティーナ美術館、更にはフィレンツェのアッカデミア美術館で展示されていましたが、2018年からウフィッツィ美術館に戻され展示されるようになりました。


11
「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」


12


18


13
「ご誕生」


14


15


16
「聖母子と聖人たち」


17


19


20


21


22


23


24


25
「最後の晩餐」


26


27


28
「嘆き」


29


30


31


32
「羊飼いの礼拝」


33


34


35


36


37


38


39


40


41
(つづく)

44「永遠なる父」


45


46


47


48


49
「羊飼いの礼拝」


50


51
「聖家族と聖エリザベッタと聖ジョヴァンニーノ」


52


53


54
次は第19室です。


55
「聖母子と聖人たち」


56


57


59


58


60


61


62


63


64


65


66


67
「プレデッラの三連画」


68


69
聖ジュゼッペの夢


71
ご誕生


72
エジプトへの逃避


73


74
「ファリサイ派からの質問に答えるキリスト」


75


76


77


78
「聖母子と聖人たち」


79


80


81


82


83
「聖母の結婚」


84


85


86


87


88
(つづく)

1「天上の聖母子と音楽天使たち」


2


3


4
次は第17室です。


5
「天上の聖母子と聖人たちと修道女たち」


6


7


8
「天上の聖母子と聖人たち」


9


10


11


12


13


14


15


16


17
「玉座の聖母子と聖パオロと聖マリア・マッダレーナと聖ジョヴァンニーノ」


18


19


20


21
「四聖人と寄進者」


22


23


24
次は第18室です。


25
「聖母子と聖エリザベッタと聖ジョヴァンニーノと寄進者」


26


27


28
「天上の聖母子と三聖人」


29


30


31


32
「聖母子と聖人たち」


33


34


35


36


37


38


39
「キリストの埋葬」


40


41


42


43
(つづく)

47「聖家族」


48


49
聖ジュゼッペが耳が遠くて「え、えっ、何を言ってるの?」と聞き返しているような感じがします。


50
聖ジュゼッペは老人のように描かれることが多いようですが、精力絶倫だったようで、聖母マリアとの間に7人の子供がいました。


51
「聖母子」


52


53


54
次は第16室です。


55
「シエナの聖カテリーナの神秘な結婚」


56


57


58
「聖母子」


59
聖ジョヴァンニーノが描かれているようです。


60


61
「天上の聖母子と4聖人」


62


63


64


65


66


67


68


69
「法悦の聖チェチリア」


70


71


72


73


74


75


76


77


78


79


80


81


82


83


84
「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」


85


89


90


91


92


86
「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」


87


88


93
(つづく)

1「聖母子とアッシジの聖フランチェスコ」


2


3


4
「永遠なる父」


5


6


7


8
「玉座の聖母子と聖人たち」


9


10


11
「ピエタのキリスト」


12


13


14
「聖アゴスティーノの幻視」


15


16


17


18


19
次は第15室です。


20
「マギの礼拝」


21


22


23


24


25


26


27


28


29


30


31


32


33
「聖家族と聖人たち」


34


35


36


37
「幼きキリストへの崇拝」


38


39


40


41


42


43


44


45


46
(つづく)

1次は第13室です。


2
「ピエタのキリストを支える二天使」


3
イル・フランチャと言えば、フランチェスコ・ライボリーニを指すのが一般的ですが、フランチェスコの長男であるジャコモ・ライボリーニもイル・フランチャと呼ばれることがあり、混同しないように注意が必要です。


4


5


6


7
「玉座の聖母子と聖人たち」


8


9


10


11


12


13


14


15
「受胎告知された聖母と聖ジローラモと聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


16


17


18
「玉座の聖母子と聖パオロとアッシジの聖フランチェスコと聖ジョヴァンニーノ」


19


20


21


22


23


24
次は第14室です。


25
「幼きキリストへの崇拝」


26


27


28


29


30


31


32


33
「聖母の結婚」


34


35


36


37


38
「受胎告知された聖母と聖人たち」


39


40


41


42
(つづく)

1「聖セバスティアーノ」


2


3


4


5
「聖母の死」


6


7


8


9


10


11
「アレッサンドロ・ファルッフィーノの肖像」


12


13


14
「聖母子」


15


16


17


18
「聖母被昇天と天使たち」


19


20


21


22


23
「幼きキリストへの崇拝」


24


25


26


27


28
「玉座の聖ペトロニオと聖フランチェスコと聖ドメニコ」


29


30


31


32
聖ペトロニオ


33
聖ペトロニオの玉座の下に描かれているマギの礼拝


34


35
「玉座の聖母子と聖ペトロニオと聖テクラ」


36


37


38
「キリストの埋葬」


39


40
(つづく)

1
「受胎告知」


2
この作品は表裏両面に描かれており、受胎告知は裏面のようです。


3


4


5


6
「玉座の聖母子と二聖人」


7
表面に描かれてます。


8


9


10
聖フランチェスコ


11
聖セバスティアーノ


12
次は第11室です。


13
「悔悛の聖ジローラモ」


14


15


16


17
「聖マリア・マッダレーナ」


18


19


20


21
「大天使聖ミケーレ」


22


23


24


25
「玉座の聖母子と聖ペトロニオと聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ」


26


27
「玉座の聖母子と二天使」


28


29
「聖アポッロニア」


30


31


32
次は第12室です。


33
「二人の男」


34


35
「ルドヴィーコ・ボロニーニの肖像」


36


37


38
「ピエタのキリストと玉座の聖母子と四聖人」


39


40


41
ピエタのキリスト


42
聖ジローラモ


43
聖カストリオ
(つづく)

1「聖アボンディオ」


2


3
「聖母子」


4


5


6


7


8
「受胎告知」、「ご訪問」


9


10


11


12
「聖母子」


13


14


15
「聖セバスティアーノと聖プロスぺロ」


16


17


18
「聖アントニオ・アバーテと聖ロッコ」


19


20



21
「幼きキリストへの崇拝」


22


23


24
「玉座の聖母子と聖ジョヴァンニ・バッティスタと聖アントニオ・アバーテ」


25


26


27


28
「ポリッティコ」


29


30


31
ピエタのキリスト


32


33
聖ピエトロ、聖グレゴリオ


34


35
聖アウグストゥス、聖パオロ


36


37
聖母子


38


39
聖アンブロージョ、聖ジローラモ


40


41
聖ジョヴァンニ・バッティスタ、バーリの聖二コラ


42


43


44
(つづく)

1引き続き第8室Sala di Mezzarattaのフレスコ画です。


2
ボローニャの逸名画家による「キリストの物語](1330-75c)


3
ボローニャの逸名画家による「キリストの物語](1330-75c)


4


5
ボローニャの逸名画家による「キリストの物語](1330-75c)


6


7


8


9
ボローニャの逸名画家による「キリストの物語](1330-75c)


10


11
ボローニャの逸名画家による「キリストの物語](1330-75c)


12
ボローニャの逸名画家による「ジュゼッペ・エブレオの物語](1330-75c)


13


14
ボローニャの逸名画家による「ジュゼッペ・エブレオの物語](1330-75c)


15


16
ボローニャの逸名画家による「ジュゼッペ・エブレオの物語」(1330-75c)


17


18
ボローニャの逸名画家による「ジュゼッペ・エブレオの物語」(1330-75c)


20
ボローニャの逸名画家による「ジュゼッペ・エブレオの物語](1330-75c)


21


22
ボローニャの逸名画家による「ジュゼッペ・エブレオの物語」(1330‐75c)


23


24
ボローニャの逸名画家による「ジュゼッペ・エブレオの物語」(1330-75c)


25


26
ボローニャの逸名画家による「ジュゼッペ・エブレオの物語」(1330-75c)


27


28
ヤコポ・ディ・パオロと弟子たちによる「モーゼの物語」(1375-80c)


29


30
ヤコポ・ディ・パオロと弟子たちによる「モーゼの物語」(1375-80c)


32
ヤコポ・ディ・パオロと弟子たちによる「モーゼの物語」(1375‐80c)


33


34
ヤコポ・ディ・パオロと弟子たちによる「モーゼの物語」(1375-80c)


35


36
ヤコポ・ディ・パオロと弟子たちによる「モーゼの物語」(1375-80c)


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次は第10室です。


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「ポリッティコ」


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42
(つづく)

1「玉座の聖母子と司教聖人」


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「キリストと聖人たち」


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ヴィターレ・ダ・ボローニャのフレスコ画です。


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最後の晩餐


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次は第7室です。


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シノピエが展示されてます。


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第7室で展示されているシノピエは、第8室で展示されているフレスコ画のものです。


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次は第8室です。


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フレスコ画が展示されてます。


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第8室はSala di Mezzarattaと呼ばれてますが、その名称の由来は、これらのフレスコ画はChiesa di Santa Apollonia da Mezzarattaにあったからです。


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Chiesa di Santa Apollonia da Mezzarattaのフレスコ画の大部分は、ヴィターレ・ダ・ボローニャによって描かれたものです。


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ヴィターレ・ダ・ボローニャの受胎告知


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ヴィターレ・ダ・ボローニャのマリアの夢


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向かって右の壁に展示されているフレスコ画です。


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シモーネ・デイ・クローチフィッシの「割礼」(1350‐60c)


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シモーネ・デイ・クローチフィッシの「マギの礼拝」(1350‐60c)


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ボローニャの逸名画家によるフレスコ画(1330‐75c)


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(つづく)

1「彩色磔刑像」


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9
「二聖人」


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「彩色磔刑像」


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「聖母子」


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第9室には剥離されたフレスコ画が展示されてます。


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「戦う聖ジャコモ」


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「聖ピエトロ・マルティーレ」


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28
「三人の男」


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「四人の姿」


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35
「レリーダの若者の奇跡」


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「玉座の聖母子と二聖人」


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40
「玉座の聖母子と聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ」


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42
(つづく)

1「聖母戴冠」


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3


4
「ポリッティコ」


5


6


7
ピエタ


8
聖ジャコモ、聖マリア・マッダレーナ


9
聖ジョヴァンニ・バッティスタ、聖ロッコ


10


16


11
クスピデ


12
プレデッラ


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14


15


17
「ポリッティコ」


18


19


20
玉座の聖母子


21
聖ドメニコ


22
聖フランチェスコ


23
聖人


24


25


26
「ポリッティコ」


27


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29


30
「彩色磔刑像」


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35


36


37


38


39
「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」、「聖ジローラモ」


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41


42


43
(つづく)

1「天候の勝利」


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3
次は第5室です。


4
「聖ジャコモ」、「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


5


6


7
「ポリッティコ」


8


9
玉座の聖母子


10
聖セバスティアーノ


11
聖マッテオ


12
プレデッラ


13


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15


16
「聖アントニオ・アバーテ」


17


18


19
「授乳の聖母と六聖人」


20


21


22
「玉座の聖母子と四聖人」


23


24


25
「ポリッティコ」


26


27


28
聖ジローラモ


29


30
聖ペトロニオ


31
次は第6室です。


32
「聖オルソラ」


33


34


35


36
「聖ウバルド司教」


37


38


39
「ピエタ」


40


41
天井のフレスコ画
(つづく)

1「聖クリストフォロ」


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3


4
「聖アンブロージョ」


5


6


7
「聖バルトロメオ」、「聖アントニオ・アバーテ」


8


42


43
聖バルトロメオ


44
聖アントニオ・アバーテ


9
「キリストの物語」


10


11
ご誕生


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12
十字架降下


15


13
キリストの埋葬


16


17
「彩色磔刑像」


18


19


20
「最後の晩餐」


21


22


23


24
「最後の審判とキリストの受難」


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26


27


28


29
「シエナの聖ベルナルディーノとその生涯の物語」


30


31


32
「マギの礼拝」


33


34


35
「天国と地獄」


36


37


38


39


40
「名声の勝利」


41
(つづく)

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