イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ: ウンブリア州

357
ホテルに戻る前に、ここでも一杯やりました。


332
ホテルに戻りました。


003
自室のテラスからの景観です。


359


362
翌朝です。


360
カメラのゴミが気になります。


361
雨粒によるカビが発生した?


363


004
ホテルに籠っていても時間が勿体ないので、外出しました。


006
プラート門から一旦城壁外に出ます。


007
サンタグネーゼ教会をもう一度拝観しました。


280
サンタグネーゼ教会のファサード前から見た旧市街です。


281


282
プラート門を潜って城壁内に戻ります。


283
エルベ通りです。


284
観光客が増えてきました。


285
この街の目抜き通りです。


286
サンタゴスティーノ教会を通り過ぎます。


287


288


289
ジェズ教会です。


304
ファサードは未完成のままのようです。


291
17世紀末に建設された、比較的新しい教会です。


305
扉が開いていたので拝観しました。


292
バロック様式の内部です。


293
イエズス会の紋章


294
アントニオ・コッリ(トリノ、1660c-ヴィテルボ、1723)による後陣のフレスコ画


295
詳細不知の主祭壇画


296
この教会の作品帰属が分かりません。


298


297


299


300


301


302
アントニオ・コッリ(トリノ、1660c-ヴィテルボ、1723)の「聖グレゴリオの奇跡」(1697)
アントニオ・コッリは、アンドレア・ポッツォの弟子です。


303
外に出ました。


290
ジェズ教会の横から城壁外に出ます。


307
城壁外からの景観


308
(つづく)

104
多分開いていないと思いながら、ドゥオーモを経由してサン・フランチェスコ教会に向かいました。


107
予想通り、サン・フランチェスコ教会は閉まったままでした。


106
どうしたことか、図書館も閉まったままでした。


105
開く筈の所が閉まったまま、と言うのがイタリア流ですから、こんなことでめげていては、イタリア好きになれません。


108
旧サンタ・キアラ教会でしょうか?


109
この建物は、オルヴィエートの教会リストに掲載されていません。


111
サンタ・キアラ広場です。


110
サンタ・キアラ広場に面して建つサン・ロレンツォ・デ・アラーリ教会です。


112
1000年頃に最初の建物が建設されました。現在の建物は、1291年に再建された二代目のものです。


114
ファサードの入り口扉上ルネッタに描かれたフレスコ画です。


115
中に入ったらミサ中でした。


113
ミサが始まったばかりのようで、終わるまで待てないので外に出ました。


116
次はブオン・ジェズ教会です。


118
ブオン・ジェズ教会の扉が閉まっていました。
修道院が併設されてます。


119
1559年、聖クレア会によって建設されたブオン・ジェズ修道院教会です。


117
現在も聖クレア会尼僧が修道院で活動しています。


120
次は、ドゥオーモ付属美術館分館です。


121
旧サンティ・フィリッポ・エ・ジャコモ教会のドゥオーモ付属美術館分館は、この日も閉まっていました。


122
共和国広場に向かいます。


123
共和国広場に面して建つサンティ・アンドレア・エ・バルトロメオ教会参事会の特徴ある鐘楼が見えてます。


126
共和国広場に出ました。


125
拝観しました。


124
サント・ステファノ教会を除いて大体見たようです。


127


128
オルヴィエートの市立劇場 Teatro Mancinelliです。


129
1866年にオープンした市立劇場です。1991年から1993年に大修復されました。


130
次はサント・ステファノ教会です。


131
サント・ステファノ教会です。


143
1156年から1171年に建設されたロマネスク様式のサント・ステファノ教会です。
19世紀に大修復されて現在の姿になりました。


146
鐘楼と後陣


145


144
珍しいことに扉が開いてました。


132
喜び勇んで中に入りました。


133
貴重なフレスコ画の断片が残されてます。


134
ウンブリア=シエナの逸名画家作「聖人たち」(15世紀)


135
ウンブリアの逸名画家作「磔刑」(15世紀)


136
ウンブリア=シエナの逸名画家作「磔刑」(15世紀)


137
後陣にある、ウンブリアの逸名画家作「聖ステファノ」(15世紀)


140
逸名画家作「聖母子」(15世紀)


142
19世紀に大修復された天井


141
外に出る前に、もう一度祭壇を見ました。


147
外に出ました。


149
オルヴィエートを去る日になりました。


148
今回も非常に楽しい旅になりました。


150


151


152
フニコラーレで鉄道駅に出ます。


153
(おわり)

072
次はサン・ドメニコ教会です。


071
聖ドメニコ別称ドメニコ・ディ・グスマン(カレルエガ、1170-ボローニャ、1221)の死後間もなくの1233年にドメニコ会修道士によって創建されました。ドメニコ会によって最初に建設された教会の一つです。


075
修道院と教会から成る大きな複合施設でした。


500
教会の扉が開きました。


501
聖トマス・アクィナス(アクィナス、1225、プリヴェルノ、フォッサノバ修道院、1274)が1263年から1264年にオルヴィエートに滞在しましたが、サン・ドメニコ修道院教会で神学の講義を行ったことで知られてます。


502
ファサードの入り口


073
入口扉上のルネッタに描かれたフレスコ画


074
ウンブリアの逸名画家作「聖母子」(14世紀)


503
実は、このフレスコ画は、サント・スピリト・デリ・アルメニ古代教会(現存しないようです)にあったもので、剥離・移設されたものだそうです。


505
修道院は、18世紀末に閉鎖されました。


504
縦90メートルの大教会でしたが、1932年、女子体育アカデミー建設のため、一部が破壊されると共に、縮小、大改造を受けた教会の建物です。


506
教会内部です。


507
20世紀前半に大改造された内部です。


508
現在の内部は、オリジナルの形には程遠いと言われてます。


509
礼拝堂


510
フレスコ画が僅かに残されてます。


512
ウンブリアの逸名画家作「聖ドメニコの生涯の物語」(1430)


511
剥離して、現在の場所に移設されたフレスコ画です。


364
この教会の主祭壇画は、シモーネ・マルティーニの「サン・ドメニコの多翼祭壇画」でした。


383
現在、この多翼祭壇画は、ドゥオーモ付属美術館で展示されてます。
サン・ドメニコ教会に戻ります。


513
フランドルの逸名彫刻家作「磔刑像」(11-12世紀)


514
サン・ドメニコ教会の創建以前に制作された磔刑像ですが、何処から移設されたのか、分からないようです。


515
Ippolito Barezaによって制作された「ジローラモ・マゴーニ(1530-1596)の墓」


516
アルノルフォ・ディ・カンビオ(コッレ・ディ・ヴァル・デルザ、1245c-フィレンツェ、1302/1310)の「デブレイ枢機卿の記念墓碑」(1282c)


517
アルノルフォ・ディ・カンビオの代表作の一つと言われてます。


518


519


520


521


078
街の中心に戻ります。


079
観光客が増えてきました。


080
(つづく)

084
翌朝です。


081
ホテルで朝食を食べていたら、ドゥオーモ広場から何台もの自動車の音が聞こえてきました。外に出ると、クラシックカーが広場に集結していました。


082
自分の所有者を互いに自慢しているようでした。


083
Im Club Italia?


085
折角外に出たので、ドゥオーモの拝観です。


086
観光客は拝観有料ですが、地元の人たちの信仰の場なので、朝の早い時間は無料で中に入ることが出来ます。


088


087


090


091


092


093


094


095


096


097


100
外に出ました。


102
Museoは、この時間、未だ開いてません。


101


099
ホテルに一旦戻り、身支度を整えてから街歩きに出発しました。


103
日帰りの観光客が多いようで、朝の時間は空いてます。


064


065
宿泊する観光客は少ないようです。


067
サンタントニオ教会です。


066
第二次世界大戦中に閉鎖され、その後、一度も活動が再開されていない廃教会です。


068
取り壊される予定と聞いたことがありますが、取り壊し費用の捻出が難しく放置されたままになってます。今頃は取り壊されている?


069
3月19日広場です。


070
サン・ドメニコ教会です。


076
もう直ぐ扉が開きます。


077
(つづく)

022
引き続き、夕日に輝くドゥオーモのファサードです。


023


028


029


030


031


032


033


034


035


036


037


038


039


040


041


042


043


045


046


047
未だ雲が多かったので、夕日が差していたのはラッキーでした。


024
午後8時過ぎでした。


025


026


027


044
未だ観光客がかなりいました。


048


050
雨が落ちてきました。


051
傘を差すほどではありませんでしたが、雨が降り続いていました。


052
次は夕食です。


053


054


055


056


057


058


059
そろそろ日没です。


060
雨が止みました。


061


062


063


049
この日はこれで終わりです。
(つづく)

282
彫刻工房の前を通り過ぎます。


283
ドゥオーモ付属美術館の分館であるサンティ・フィリッポ・エ・ジャコモ教会に向かいました。


284
サンティ・フィリッポ・エ・ジャコモ教会のドゥオーモ付属美術館分館は閉まったままでした。


285
サン・フランチェスコ教会も閉まったままでした。


286
サン・フランチェスコ教会の左側壁(写真右)を通り過ぎて、ドゥオーモの方に向かいました。


287
ロレンツォ・マイターニ通りを進みます。


288
スグラッフィート彫刻がある建物です。


289


290


291
ドゥオーモ広場に出ます。


292
天気が悪くなってきました。


306


310
雨が落ちてきました。


311
ホテルに戻ることにしました。


308
少し疲れてきたので、ホテルに戻って一休みです。


309
このホテルは有り難い。


312
夕立は直ぐに収まりました。


313
再び外出しました。


001


002


003


005
雨が完全に上がりました。


004
晴れてきました。


006
夕日が当たるドゥオーモのファサードを見なくては。


007


008
良い具合に夕日が当たってます。


009
ホテルから出たばかりでしたが、直ぐにホテルの方に戻ることにしました。


010


011
午後7時45分でした。


012
有名なお店です。


013


014
早足でドゥオーモに向かいました。


015
サン・ジュゼッペ教会の前を通り過ぎます。


016


017
ファサードに夕日が当たってます。


018


020


019


021
(つづく)

243
ポポロ広場近くの路地です。


244
カヴール通りに戻りました。


245
気温26度でした。


246
花屋さんではありません。


247
再び路地へ。


248


249


251


252


253
ポポロ広場に戻ってきてしまいました。


254
ポポロ宮外壁のフレスコ画を見ます。


255
私には、フレスコ画の帰属が分かりません。


256
こちらのフレスコ画はかなり落剝しています。


257


258


259
城壁に近い場所にポポロ広場があります。


260
城壁の北の方に向かって進みました。


261


262
道の突き当りが城壁になります。


267
城壁沿いの道に出ました。


263
城壁の上からの景観です。


264


265
Trenitaliaの高速線と在来線の線路が見えます。


266


269


270
フィレンツェ方向に向かう高速列車が見えました。


271
在来線を走る貨物列車が見えました。


272


273


268
街の中心に戻ることにしました。


274


275


276


278
ポポロ広場に戻りました。


279
ヒールが相当高いピンヒールを履いた女性が広場を足場らに闊歩していました。


277
ヒールの先が小さいので、ヒールの先が石と石の間に挟まらないか、心配になりましたが、そんなことにはなりませんでした。


280


281
(つづく)

引き続きサンティ・アンドレア・エ・バルトロメオ参事会教会です。
215
トラスの天井は、16世紀初めに崩落したので、その後に復元されたものです。


202
Presbiterio


210
後陣天井の装飾


209


196
16世紀に制作されたフレスコ画


197


198
チェーザレ・ネッビア(オルヴィエート、1536c-1614)の「受胎告知」


200
後陣左の礼拝堂


201
16世紀に制作されたフレスコ画


204
アンジェロ・リーギ・ダ・オルヴィエート(オルヴィエート、1587-1605活動記録)の「十字架降下」


205
制作者情報不知の「聖母被昇天」


207
制作者情報不知の「聖母子と二聖人」


208


211
制作者情報不知の「無原罪の聖母」


213


214
説教壇


224


221
外に出ました。


223
ファサード左にロッジャがあります。


216
ロッジャの花屋さん


222


225
ドゥオーモの方に向かいます。


226
この店でバッグを買いました。


228
写真右に彫刻作品を製造販売している工房があります。


227
この工房です。


229
買いたかった大理石彫刻がありましたが、重いので買うのを断念。


230
ポポロ広場に向かいました。


231


234
ポポロ広場にやってきました。


232
12世紀に建設されたポポロ宮です。


233
オルヴィエートが自治都市だった時代、ポポロ宮はカピターノ(隊長)の公邸として使用されていました。


235
サン・ロッコ教会です。


236


237


238


239


240


241


242
(つづく)

167
城壁沿いの道からの景観です。


168
サン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ教会です。


169
この場所にはエトルリア寺院がありましたが、その遺跡の上に916年に建設され、1003年に奉献式が執り行われました。


p1045
17世紀の地震によって崩壊してしまい、その後、放置されました。


p1046
建物が再建されることになり、1687年、地震によって崩壊し建物が取り壊され、1704年に完成しましたが、その二代目の建物が現在の姿になってます。


170
教会は、今なお宗教活動が行われていますが、併設されていた修道院は閉鎖されました。


171
旧修道院のキオストロとキオストロ回廊に入ることが出来ます。


p1044
旧修道院の建物は、現在、Palazzo del Gustoと呼ばれてます。


p1043
Palazzo del Gustoの一部はエノテカになってます。


173
サン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ教会から至近の場所にサンタ・マリア・デル・ピアント教会があります。


172
1768年に建設されたサンタ・マリア・デル・ピアント教会です。


174
城壁沿いの道を進みます。


176
城壁沿いの道からの景観です。


177


175


178


179


180
城壁下にPorta Romanaがあります。


181
Porta Romanaです。


182
旧市街の中心部に戻ることにしました。


183
サンティ・アンドレア・エ・バルトロメオ参事会教会の鐘楼が見えてます。


184
市庁舎のアーチを潜ります。


185
アーチを潜って共和国広場に出ます。


217
共和国広場です。


186
サンティ・アンドレア・エ・バルトロメオ参事会教会です。


219
ローマ時代、この場所はフォロがありました。


220
6世紀、フォロの上に建てられた初期キリスト教会が前身です。
現在のロマネスク様式の建物は、12世紀に再建されたものです。この教会は、現在のドゥオーモが建設される前は、オルヴィエートで最も重要な教区教会でした。


p1047
特徴ある形状の鐘楼


218
この教会は大体開いてます。


187
中に入りました。


188
三廊式、ラテン十字形、ロマネスク様式の内部です。


189
右側廊方向


191
天井


190
教会内を見て回ります。


192
所々に剥離フレスコ画が残されてます。


193
「聖アンドレア像」(14世紀)


194
「聖クリストフォロ」


195
「ピエタ」


p1048
(つづく)

138
サンティ・フィリッポ・エ・ジャコモ教会です。


139
サンティ・アポストリ教会とも呼ばれてます。


137
1007年に記録に初めて、教会の存在が記載されました。恐らく10世紀頃に建設されたと言われてます。


p1037
1614年、ヴェネツィア商人に資金援助によって、オルヴィエートに公立大学Collegio Cappellettiが設立されましたが、1621年にイエズス会に大学ノン運営が委託されました。
1662年、サンティ・アポストリ教会の建物は、イエズス会によって購入されました。


p1039
イエズス会は、購入した教会の周囲の土地も購入して、その土地に大学、神学校を建設しました。


p1040
購入された教会の建物は、17世紀後半にほぼ現在の外観に改造されました。


p1038
教会の鐘楼とクーポラ


141
現在、サンティ・アポストリ教会は、Museo DODO=Museo Opera del Duomo di Orvieto ドゥオーモ付属美術館の分館として一般公開されてます。
この時は開いていませんでした。


140
サンティ・アポストリ教会外壁にあるタベルナコロに無原罪の聖母があります。


143
チェントロ・ストーリコの西の方に向かいます。


144
Vicolo dei Lattanziを進みます。


145
次は、サン・ロドヴィーコ教会です。


146
16世紀、17世紀の建物が建ち並んでます。


147
サン・ロドヴィーコ教会が写ってます。


p1041
サン・ロドヴィーコ教会です。


p1042
1350年の文書に、サン・ロドヴィーコ教会の存在が初めて記載されたそうです。


148
1778年に行われた大修復の際、現在のファサードに改造されたそうです。


149
複合施設の一部はB&Bになっているようです。


150
西の城壁に向かいます。


151
趣のある建物です。


152
道を下ります。


153
オルヴィエートは、高い崖上に築かれた街ですが、西の城壁高さは少し低くなってます。


154
道を下ります。


155
ジュリオ・チェーザレ・ヴェンティヴォーリオ(1868-1952)の「パードレ・ピオ別名聖ピオ・ディ・ピエトレルチーナ(1887-1968)像」


156
城壁沿いの道から見上げたオルヴィエートの景観です。


157


158


159
城壁の下の景観


160


161


162
崖を利用した城壁です。


163


164


165


166
(つづく)

引き続きドゥオーモ付属美術館です。
P2150630


P2150632


P2150634


P2150635


P2150637


P2150638


P2150639


P2150641


P2150642


P2150645


P2150646


P2150647


P2150649


118
外に出ました。


119
ドゥオーモ広場に出ます。


109


108
ドゥオーモ広場です。


122
ロレンツォ・マイターニ通りを進みます。


120
振り返ると、ドゥオーモが見えます。


123
サン・フランチェスコ教会の後陣が見えてます。


124
写真左の建物はサン・フランチェスコ教会です。


125
サン・フランチェスコ教会のファサードです。


126
この場所に、ベネデット会の修道院がありました。


129
1227年から1240年にかけて、ベネデット会の修道院の一部が取り壊され、その上にフランチェスコ会修道士によってサン・フランチェスコ教会が建設されました。


p1033
修道院の建物が、1262年から1264年に聖ボナヴェントゥーラ・ダ・バニョレージョ(バニョレージョ、1217/1221c-リオン、1274)によって再建されました。


127
1815年まで、フランチェスコ会が所有していましたが、オルヴィエート・コムーネの所有となりました。オルヴィエート・コムーネは、イエズス会の建物を譲渡し、イエズス会の修道院となりました。
1860年、イエズス会からオルヴィエート・コムーネに建物が返還され、研究所などに使用されました。


p1034
入口扉


p1035
入口扉上ルネッタ


128


p1036
鐘楼


130
サン・フランチェスコ修道院だった建物です。1999年から市立図書館として建物が使用されてます。


131
サン・フランチェスコ教会の扉は何時も閉まってます。市立図書館経由で中に入ることが出来るようです。


132
次はサンティ・アポストリ教会です。


133
建物と建物の間に鐘楼が写ってますが、サンティ・アポストリ教会のものです。


134
教会の正式名称は、サンティ・フィリッポ・エ・ジャコモ教会です。


135
ファサードの方に回ります。


136
ニャーゴがいました。


142
(つづく)

引き続きドゥオーモ付属美術館です。
P2150554


P2150551


P2150555


P2150553


P2150557


P2150558


P2150560


P2150561


P2150563


P2150565


P2150569


P2150571


P2150575


P2150576


P2150579


P2150580


P2150581


P2150584


P2150585


P2150586


P2150589


P2150590


P2150592


P2150594


P2150595


P2150598


P2150600


P2150602


P2150604


P2150606


P2150607


P2150610


P2150611


P2150614


P2150615


P2150618


P2150619


P2150622


P2150624


P2150628


P2150629
(つづく)

引き続きドゥオーモ付属美術館です。
P2150457


P2150462


P2150463


P2150466


P2150468


P2150436


P2150473


P2150474


P2150479


P2150483


P2150485


P2150488


P2150489


P2150493


P2150494


P2150499


P2150500


P2150503


P2150505


P2150509


P2150513


P2150514


P2150515


P2150518


P2150520


P2150522


P2150523


P2150526


P2150529


P2150531


P2150533


P2150534


P2150537


P2150538


P2150541


P2150542


P2150545


P2150546


P2150550


P2150552
(つづく)

引き続きドゥオーモ付属美術館です。
364


367


371


372


376


380


383


384


387


388


390


393


396


397


398


401


403


406


408


409


411


412


415


416


418


422


424


427


428


431


432


434


435


437


439


442


445


448


451


454
(つづく)

引き続きドゥオーモ付属美術館です。
299
付属美術館本館に移動します。


300
本館は一階(日本の二階)にあります。


301


303


305


306


307


309


311


312


313


318


316


319


322


323


324


326


328


331


332


334


335


336


337


338


339


340


341


342


343


349


350


345


347


351


356


359


360


363
(つづく)

114
ドゥオーモ付属美術館に向かいました。


115
ドゥオーモ付属美術館の入り口と切符売り場はこの奥にあります。


304
ルカ・シニョレッリのマグダラノマリアがドゥオーモ付属美術館のシンボルになってます。


305
入り口です。


244
入館しました。


245


247


248


250


251


253


255


256


257


259


261


262


264


266


267


268


271


273


269


270


275


276


278


280


281


283


284


286


288


289


290


292


293


295


296


298
(つづく)

引き続きドゥオーモです。
170


173


175


177


179


180


181


184


186


187


189


191


194


196


198


200


202


204


208


210


212


214


217


219


222


223


225


229


231


232


233


234


236


237


239


110
外に出ました。


111
次はドゥオーモ付属美術館です。


112
美術館はドゥオーモのファサードに向かって右側にあります。


116
ドゥオーモの右側壁です。


117
(つづく)

引き続きドゥオーモです。
87


88


92


95


98


100


102


103


104


105


107


109


111


113


114


115


117


118


122


123


126


130


134


136


139


142


145


147


148


149


150


151


153


158


160


162


163


164


166


168
(つづく)

引き続きドゥオーモです。
095


096


P2150226


P2150227


P2150228


P2150230


P2150220


P2150035


P2150033


P2150036


P2150037


P2150038


P2150040


P2150042


P2150044


P2150046


P2150048


P2150049


P2150050


P2150051


P2150052


P2150054


P2150059


P2150061


P2150062


P2150064


P2150066


P2150068


P2150071


P2150074


P2150076


P2150078


P2150080


P2150082


P2150084


P2150085


P2150086


P2150089


P2150097


P2150096
(つづく)

121
次はドゥオーモですが、先ずファサードを見ます。


086
ドゥオーモについては既に詳しく書きました。


088
聖母戴冠


089
バラ窓とその周囲の聖人たちの彫像


090
無原罪の聖母


091
聖ピエトロ


092


093
聖母の結婚


096


094
受胎告知とキリストの洗礼


097
神殿奉献


099
聖母の誕生


101
ファサード壁の彫刻


102


103


104
入口扉


105


106


107


113


081
ここにあるのはレプリカで、本物はドゥオーモ付属美術館にあります。


292


293


294


295


296


297


298


299


300


301


302


303
中に入りました。


088


087


090


091


092


093


094
(つづく)

引き続きサンタ・マリア・デイ・セルヴィ教会です。
034
後陣の装飾


036
詳細不知


038
詳細不知


p1030
この教会の主祭壇画はこれでした。現在は取り外されてます。
コッポ・ディ・マルコヴァルド(フィレンツェ、1225c-1276c)の「聖母子」(1270c)


039
制作者不知の「聖母子」(15世紀)


040


042
ベルナルディーノ・ガリアーディ(チッタ・ディ・カステッロ、1609-ペルージャ、1660)の「聖ジョルジョに顕現するキリスト」


043
詳細不知


044
詳細不知


046
外に出ました。


047
Corso Cavour


048
次はサンタンジェロ教会です。


p1032
サンタンジェロ教会にやってきました。


050
おばさん、顔を出さないでよ。


049
6世紀頃、この地にあった初期キリスト教会が前身とされてます。現在の建物は1838年に再建されました。


060
サンタンジェロ教会の左側壁と後陣


052
中に入りました。単廊式の単純な構造の内部です。


054
美術的な見所はありません。


056
制作者情報不知の「無原罪の聖母」


058
制作者情報不知の「磔刑像」


059


051


p1031
カウンターファサードにオルガンがあります。


061
外に出ました。


062
Torre del Moroが見えてきました。


063


064
オルヴィエートの目抜き通りです。


065


066


067
サン・ジュゼッペ教会です。


P2160633
1665年から1693年に建設された八角形のサン・ジュゼッペ教会です。


068
中に入りました。


070
中も八角形です。


071


P2160641
主祭壇


P2160643
フィリッポ・ナルディーニ(ウンブリアとローマで18世紀活動)の「聖家族と聖アンナ」


072
聖母と幼きキリストの冠があるときと外されている時があります。


074
ドゥオーモ広場に戻ってきました。


075


076


078
(つづく)

1360
ドゥオーモ付属美術館に入館しました。


1359


1358


1361


1366


1367


1368
もう夕暮です。


1369
この日はこれで終わりです。


1355
ホテルに戻りました。


1400
翌朝です。フニコラーレに乗車しました。


1402
オルヴィエート駅です。


1401
駅前からの景観


1403
次の目的地フィレンツェに向かいました。


277
前回の旅から2年後です。前泊地はローマでした。


154
オルヴィエート駅に到着しました。


155
ルカ・シニョレッリの作品が観たくて来ました。


012
お馴染みとなったオルヴィエート駅の駅舎


011
フニコラーレ駅


013
旧市街に向かいます。


014


015
途中で上下線のすれ違い


016


083
ドゥオーモ横のお気に入りのホテルにチェックインしました。


017
街歩きに出発しました。


018
サンタ・マリア・デイ・セルヴィ教会です。


019
ファサードが新しいので、一見して新しい教会と思われがちですが、オルヴィエートでは古い教会の一つです。
1259年から1265年に建設された、修道院と教会の複合施設です。
新古典様式のファサードは、ローマの建築家ヴェルジニオ・ヴェスピニャーニ(ローマ、1808-1882)の設計によって1857年に再建されたものです。


p1027
ファサードと内装が新しいだけで、教会の全景は創建時の姿を留めていることが分かります。


p1028
修道院は閉鎖されました。


p1029
煉瓦造りの後陣


045
修道院入り口扉上ルネッタに描かれたフレスコ画


020
教会内に入りました。


021
三廊式、ラテン十字形、新古典様式の内部です。


022
1857年にヴェルジニオ・ヴェスピニャーニ(ローマ、1808-1882)の設計によって改造改修された内部です。


023
祭壇画の多くは19世紀後半に制作されました。


024
制作者情報等詳細不知の「救世主」(16世紀)


026
詳細不知


028
チェーザレ・ネッビア(オルヴィエート、1536-1614)の「無原罪の聖母」


029
詳細不知


032
詳細不知


033
Presbiterio
(つづく)

1312
この日の天気予報は雨でしたが、見事に外れてくれてラッキー。


p1025
サンタゴスティーノ教会です。


1313
機能を停止した旧教会です。サンタゴスティーノ教会だった建物は、ドゥオーモ付属美術館の分館として一般公開されてます。


1315
分館では主に彫刻が展示されてます。


1314
強い日差しが照り付けていましたが、前日の寒さを引きずって非常に涼しかったことを覚えてます。


1317
サン・ジョヴェナーレ教会です。


1316
サン・ジョヴェナーレ教会のファサード前からの景観です。


1319
下から城壁に向かって吹きあがる風は寒いくらいでした。


1321


1320
ここは城壁の上に当たります。


1322
城壁の上に道を進みます。


1323
マッジョーレ門に向かいました。


1324
門の直ぐ傍に出ました。


1325
マッジョーレ門です。


p1026
門を潜って城壁外に出ました。


1327
城壁内に戻りました。


1318
写真左はサン・ジョヴェナーレ教会です。


1326
フィリッペスキ通りです。


1328
前日と全く違った佇まいの共和国広場です。


1330


1332
サン・フランチェスコ教会に向かいました。


1333
サン・フランチェスコ教会です。


1334
この日もサン・フランチェスコ教会の扉は閉まったままでした。


1335
ロレンツォ・マイターニ通りをドゥオーモの方に進みます。


1336
ドゥオーモのファサードに日が当たってます。


1338


1339


1337


1340


1341
扉がもう直ぐ開きます。


1343
この日はゆっくりと落ち着いて拝観出来ました。


1344
左側壁


1345


1346


1347


1342


1348


1349


1351


1353
(つづく)

P2660930
濃霧です。


P2660931
写真右は教区教会の柱廊です。


P2660932
オルヴィエートの目抜き通りCorso Cavourです。


P2660933
5月で、このように寒くなるとは全くの想定外でした。


P2660934
長袖の肌着を持参していなかったので、ホテルに戻って何を着込んだら良いのか思案してました。


P2660935
聖母子のタベルナコロ


P2660936
サン・ジュゼッペ教会が開いていましたが、拝観する気になれず。


P2660937
夕方のように見えますが、夏時間の午後2時頃でした。


P2660938
後からホテルのスタッフに聞きましたが、アルプスからの寒気が酷いと真夏でも寒くなることがあるそうです。


P2660941
流石に雪が降ることはないそうです。


P2660942
夕日に照らされてキラキラ輝くファサードが見物ですが、望むべくもありません。


P2660943
イタリアでは雨男の私です。


P2660945


P2660944
ホテルに戻りました。


1370
ホテルの部屋に籠っていたのでは、折角の機会が勿体ないので、再び外出しました。


1399
もう夕方です。


1372
要塞の隣にあるサン・パトリツィオの井戸を見に来ました。


1373
雨粒が写ってます。ホテルに戻った時に比べると一段と雨脚が強くなっていました。


1374
要塞横から撮った写真です。


1375
風が下から吹き上がってずぶ濡れ。


1376
これでは観光になりません。退散することにしました。


1377
サンタ・マリア・デイ・セルヴィ教会です。


1378
頑張って、このフレスコ画を見ましたが、それが精一杯でした。


1379
夕方になって更に寒さが増したようです。


1380
夕食を食べたかったのですが、開店まで、あと1時間ありました。夕食のために、もう一度外出するのが嫌だったので、適当に食べ物を買ってホテルで食べることにしました。


1381
サンタンジェロ教会です。


1382


1371
ホテルに戻る頃には、すっかり日が暮れていました。この日はこれで終わりです。


1383
翌朝です。


1384
霧雨が微かに降っていました。


1385
相変わらず気温が低かった。


1386
この日もダメか、と悲観的になってました。


1388
旧サン・ロッコ教会です。


1389
顔に雨が当たらなくなりました。


1390
雲が切れてきました。


1309
この天気ならば、歩き回れそうです。


1307
雲間から日差しが。


1308
日差しが出ると共に、急速に暖かくなってきました。


1310
それでも地元の人たちは用意周到、冬の服装の厚着でした。


1311
(つづく)

P2660879
ドゥオーモ付属美術館は開いていました。
ロレンツォ・マイターニ(シエナ、1275-オルヴィエート、1330)とウンブリア・シエナの逸名彫刻家による「聖母子と天使たち」


P2660880
ルカ・シニョレッリ(コルトーナ、1441/1445c-1523)の「聖マリア・マッダレーナ」(1504)


P2660882


P2660883
ルカ・シニョレッリ(コルトーナ、1441/1445c-1523)の「自画像とニッコロ・ダンジェリ・フランチェスキの肖像」(1500 o 1503)


P2660886
シモーネ・マルティーニ(シエナ、1284c-アヴィニョン、1344)の「オルヴィエートのポリッティコ」(1321c)


P2660889
聖マリア・マッダレーナ


P2660890


P2660891
聖ドメニコ


P2660892
聖ピエトロ


P2660893
聖母子


P2660896
聖パオロ


P2660888
シモーネ・マルティーニ(シエナ、1284c-アヴィニョン、1344)の「聖母子と二天使」(1322-24c)


P2150351
ピエロ・ディ・プッチョ(オルヴィエート、1350c-?)の「聖ジローラモ」(1388)


P2150356
ピエロ・ディ・プッチョ(オルヴィエート、1350c-?)の「聖アンブロージョ」(1388)


P2150361
スピネッロ・アレティーノ(アレッツォ、1350-1410)の「磔刑」(1390-1400c)


P2150385
バルトロメオ・ダ・ミランダ(ミランダ、?-1449以降没)の「聖母子と二聖人」(15世紀中頃)


P2660897
外に出ました。


P2660898
強い雨と風は一向に衰えていなかった。


P2660899
昼食の予約をしていたので、食べることにしました。


P2660900
観光客がチラホラ


P2660901
テレビで紹介されたラ・パロンバで食べたいと家内が言うので、電話で予約しました。(写真の店ではありません)


P2660902
左右の建物に風雨が遮られ、通りを歩くことに困難は感じません。


P2660903
悪天にも拘らず、何時も通り開店している店が殆どでした。


P2660904
サンティ・アンドレア・エ・バルトロメオ教会です。


P2660905
入店しました。


P2660906
何時も満席の人気店ですが、この日は悪天とあって空席がありました。


P2660908


P2660909


P2660911


P2660913
外では激しい大雷雨のようです。


P2660915


P2660918


P2660919


P2660921
外に出ました。


P2660923
雨と風は収まっていましたが、霧雨が降っていました。


P2660922
教会前の白いものは何と氷です。先ほど雹が降ったようです。


P2660924
今度は寒くて観光どころではありません。


P2660925
5月の昼過ぎです。ホテルを出るとき、ジャケットを着ていましたが、10度ほど気温が急降下したようで、寒くて風邪を引きそうです。


P2660926
ホテルに戻ることにしました。


P2660928
アルプスから寒気が下りてきたようです。


P2660929
サンティ・アンドレア・エ・バルトロメオ教会の拝観は後回しです。


P2660927
(つづく)

オルヴィエートは、人口20,197人(2020年8月31日現在)のウンブリア州テルニ県にあるコムーネです。
P2230989
前泊地はローマでした。


P2230990
ローマ・テルミニ駅から普通列車(快速)に乗ってオルヴィエートに向かいました。


P2230991
このホームが遠いので参りました。
この日のオルヴィエートの天気予報は大雨、強風の嵐だったのですが、ローマでは青空が見えていたので安心していました。


P2230992
車内は非常に空いてました。発車してから20分ほど経つと、外は雨でした。


P2660836
オルヴィエート駅に到着しました。運悪く天気予報が当たったようです。


P2660948
オルヴィエート駅の駅舎です。


P2660837
この時は未だ傘を差さずにフニコラーレ駅に行くことが出来ました。気温がローマよりもかなり低くなっていました。


P2660838
フニコラーレ駅でケーブルカーを待っていると、急に雨と風が強くなってきました。


P2660839
この後、ケーブルカーに乗り、さらにバスに乗り換えて、ドゥオーモ横のホテルにチェンクインしたのですが、嵐のために途中の写真がありません。大きな荷物を引き、傘を差しながら大雨と強風の中、写真を撮るのは無理と言うものです。


P2660842
私のオルヴィエート観光は、大好きなルカ・シニョレッリの作品があるドゥオーモとドゥオーモ付属美術館に尽きます。


P2660840
嵐の中、先ずドゥオーモに行きました。ホテルからドゥオーモまでは僅か100メートルほどでしたが、それでも濡れました。


P2660844
ドゥオーモが開いていました。


P2660848
我々(珍しく家内と一緒でした)を除き、観光客がいなかった。また、地元の信者もいなかった。


P2660845
ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ(ファブリアーノ、1370c-ローマ、1427)の「マエスタ」(1425)


P2660849
ドゥオーモについては、既に詳述したので、そちらの方をご参照願います。


P2660852


P2660853


P2660855
お目当てのCappella di San Brizioです。


P2660856
天井フレスコ画の一部がベアート・アンジェリコによって描かれました。


P2660857
それ以外は、ルカ・シニョレッリ(コルトーナ、1441/1445c-1523)によって1499年から1504年に制作されました。


P2660858


P2660860


P2660861


P2660862


P2660864


P2660865


P2660866


P2660870


P2660873


P2660875
後陣のフレスコ画です。


P2660876


P2660877
イッポリート・スカルツァ(オルヴィエート、1532-1617)の「ピエタとニコデモ」(1579)


P2660878
外に出ました。


1392
雨が一層強くなりました。


1396
レンズに雨が付きました。


1393
これではどうにもなりません。


1394
ドゥオーモの扉が閉まりました。


1397
観光客がもう来ないと判断して扉を閉めたようです。


1395
ドゥオーモ付属美術館が臨時閉館となっては困ります。慌てて美術館に向かいました。


1398
(つづく)

179
Fortilizio dei Muliniから城塞に戻ります。


P1680600


P1680602
エレベーターで下るのは味気ないので、ドゥオーモ経由で徒歩で下ることにしました。


P1680604


P1680620


P1680621


P1680635
もう夕方です。


224
サン・フィリッポ・ネリ教会です。


225
1640年から1671年に建設されたバロック様式の教会です。


223
この時は修復工事中で閉鎖されていました。
1997年に地震によって被害が出たので、修復工事のため17年間閉鎖され、2014年に活動が再開されましたが、2016年と2017年のイタリア中部地震で再び被害を受けたようです。


226
この教会は知りません。


227
銀行の建物です。


P1690674
ホテルに戻りました。


001
ホテルで一休みしてから、再び外に出ました。


002
サン・グレゴリオ・マッジョーレ聖堂です。


004
古い作品が幾つかあって、美術ファンにとって見逃せない教会でしょう。


003
拝観します。


P1680010
中に入りました。


P1680013
この聖堂については、既に詳しく触れました。


P1680015


P1680045


P1680076


005
日が完全に沈みました。


006
マドンナ・デッラ・ステッラ修道院教会です。


008
この日も閉まっていました。


007
拝観したことが一度もありません。


009
フラミニア通りです。


010
ローマ時代に敷設された、あのフラミニア街道です。


011
テッシーノ川です。


012


013
街歩きはこれにて終了です。


015
レストランに向かいます。


P1020647


P1020649


P1020650


P1020651


P1020652
お腹一杯です。


P1020653
食後の散歩です。


P1020654
人通りが殆どありません。ホテルに戻った方が良さそうです。


P1020656
翌朝です。


P1020657
徒歩で鉄道駅に向かいました。


P1020659
次の目的地ローマに向かいました。
(おわり)

P1680211
引き続き、城塞の2つの広場を結ぶアーチの壁に描かれたフレスコ画です。


P1680212


P1680214
もう一つの広場に出ました。城塞に詰める兵士たちが利用していたそうです。


P1680215
刑務所だった時代、この場所は囚人用の運動所になっていました。


P1680187
閉館時間が近づいてきました。入館者は私を除いていなくなったようです。


159
私が外に出るのを待ったいたのでしょう、外に出ると直ぐに扉が閉められました。


P1680585
閉館時間まで10分ほどあった筈ですが、係員が家路に急ぎたかったようです。でもイタリアの美術館や博物館は何処も同じです、閉館時間よりも前に閉館します。


P1680586
イタリアの閉館時間とは、最後の係員が建物の扉を施錠して家路につく時間を示すようです。すべての入館者を外に出してから着替え、トイレを済ませ、支度を整える訳で、閉館時間の30分前が実質的な閉館時間という訳です。


P1680587
次はPonte delle Torriです。


P1680588
遠くに教会があります。


P1680590
サン・ピエトロ教会です。


P1680592
Ponte delle Torriです。


P1680594
橋を渡り、更にサン・ピエトロ教会に行くつもりです。


156
城塞から外に出ます。


157
城塞からの景観


158


161
門を潜って城塞外に出ます。


162
橋の下にテッシーノ川が流れてます。


163
橋の先にFortilizio dei Muliniがあります。トッリ橋は、城塞とFortilizio dei Muliniを結んでます。


164
9つのアーチがあり、長さ230メートル、高さ80メートルの橋です。


165
ローマ時代にかけられた水道橋と言われてますが、具体的に誰によって架けられた橋なのか、何時頃架けられたのか、その辺が不明とされてます。
現在の橋は、13世紀頃、橋の再建工事が始められ、14世紀終わりに完成しました。その存在についての初めての記録は、1346年から1367年に書かれた本だそうです。
1390年、スポレート防衛の戦略的理由によって、橋の一部が破壊されました。1639年に石積みで再建され、1845年には煉瓦で大修復されました。


169
橋を渡ります。


170
この時は渡ることが出来ました。


p1016
橋の安全が懸念されていて、2006年から2008年に耐震性の調査が行われ、一応安全とされていました。
しかし、2016年のイタリア中部地震によって、橋の安全性が担保できないということで、2016年8月に橋の閉鎖が行われました。
イタリア中部地震は余震を含めて2017年まで続きましたが、橋桁の損傷が発見され、現在でも立ち入り禁止になっているようです。


p1018



171
橋からの景観


p1017


173


172
橋の上から見た城塞


174


175
Fortilizio dei Muliniに着きました。
ローマ時代、橋の防御と監視のために既に存在していたとされてますが、具体的な建設時期が不明です。監視塔の他に製粉所がありました。


177
中に入ることが出来ません。


180
Fontanaがあります。


p1019


181
周りを少し歩いてみました。


p1020
水道橋の源流でしょうか?


p1021
監視塔です。


p1022


178
Fortilizio dei Muliniから見た城塞


176


182
Fortilizio dei Muliniからの景観
(つづく)

P1680257
引き続き地上階の展示です。


P1680258


P1680259


P1680260


P1680261


P1680262


P1680263


P1680264


P1680265


P1680266


P1680267


P1680268


P1680269


P1680270


P1680271


P1680272


P1680273


P1680274


P1680275


P1680276


P1680277


P1680278


P1680279


P1680280


P1680281


P1680282


P1680284


P1680195
地上階の展示室から中庭に出ました。


P1680197
アーチを潜って、もう一つの中庭に向かいます。


P1680198
その前にアーチの壁に描かれたフレスコ画を見ます。


P1680199


P1680201
スポレートの風景画


P1680202


P1680203


P1680204


P1680205


P1680206


P1680207


P1680208


P1680210
(つづく)

P1680216
地上階に下りました。


p1015
地上階の展示室に入りました。


P1680217
石棺の展示が続きます。


P1680218


P1680219


P1680220


P1680221


P1680222


P1680223


P1680224


P1680225


P1680226


P1680227


P1680228


P1680229
次の部屋です。


P1680230


P1680231


P1680232


P1680233


P1680234


P1680235
フレスコ画が僅かに残されてます。床にはモザイクがあります。


P1680242


P1680236


P1680237


P1680238


P1680239


P1680241


P1680243


P1680245


P1680244


P1680246


P1680247


P1680248


P1680249


P1680250


P1680252


P1680251


P1680253


P1680255


P1680256
(つづく)

P1680514


P1680515


P1680516
次の部屋です。


P1680517
壁のフレスコ装飾


P1680518


P1680520


P1680521


P1680522


P1680523


P1680524
普通、聖母子が中央パネルですが・・・・・


P1680527


P1680530


P1680531


P1680533


P1680534
ポリッティコです。


P1680535
欠落したパネルは恐らく聖母子と思います。


P1680536


P1680541
クスピデ


P1680538


P1680543


P1680540


P1680545
次の部屋です。


P1680546
部屋のフレスコ


P1680547
部屋の天井


P1680548


P1680549


P1680553


P1680556


P1680559


P1680560


P1680562


P1680563


P1680565


P1680568


P1680569


P1680571


P1680574


P1680575
二階ロッジャに戻りました。


P1680580
二階ロッジャからの景観


P1680581


P1680582
(つづく)

P1680447


P1680449


P1680452


P1680453


P1680456


P1680458
部屋の壁に描かれたフレスコ画です。


P1680460


P1680464


P1680461


P1680463


P1680468


P1680469


P1680470


P1680471


P1680472
今まで見ていた展示室の全景です。


P1680473
次の部屋です。


P1680474
天井のフレスコ画


P1680475


P1680477


P1680480


P1680483


P1680485


P1680487


P1680488


P1680490


P1680491


P1680492
次の部屋です。


P1680493
壁にフレスコ断片(詳細不知)が残されてます。


P1680494


P1680497


P1680499


P1680500


P1680501


P1680502


P1680505


P1680506
次の部屋です。


P1680508


P1680510


P1680511


P1680512


P1680513
(つづく)

P1680394
引き続き二階ロッジャの壁に描かれたフレスコ画です。


P1680396


P1680397


P1680398


P1680400


P1680402


P1680403


P1680404
ロッジャから部屋に入りました。ここから博物館としての展示が主になります。


P1680405
部屋のフレスコ断片


P1680407


P1680408


P1680409


P1680410


P1680411


P1680412


P1680413


P1680415


P1680417
他の場所にあった剥離フレスコ画


P1680419


P1680420


P1680421


P1680422


P1680423


P1680424


P1680425


P1680426


P1680427
次の部屋です。


P1680428


P1680429


P1680431


P1680432


P1680434


P1680435


P1680436


P1680437


P1680438


P1680440


P1680441


P1680443


P1680444


P1680446
(つづく)

P1680353
次の部屋区画に入ります。


P1680354
この区画の壁にもフレスコ画が描かれてます。


P1680364
説明プレートは前の区画と同じです。


P1680355


P1680356


P1680357


P1680358


P1680359


P1680361


P1680363


P1680365


P1680366


P1680367


p1007


p1008


p1009


p1010


p1011


p1012


p1013


p1014


P1680401
二階ロッジャに戻りました。


P1680368
二階ロッジャの壁のフレスコ画を見て回ります。


P1680371


P1680372


P1680373


P1680374


P1680375


P1680376


P1680378


P1680381


P1680382


P1680383


P1680384


P1680385


P1680386


P1680387


P1680389


P1680391


P1680392
(つづく)

P1680301
引き続き二階ロッジャのフレスコ画です。


P1680299


P1680303


P1680305


P1680308
二階ロッジャからの景観


P1680309


P1680311


P1680313


P1680315


P1680318


P1680319


P1680320


P1680323


P1680326


p1002


p1003
部屋の中に入ります。


P1680329
部屋の中に入りました。


P1680327
部屋の名称


P1680328
部屋の壁にフレスコ画があります。


P1680332
ホールとしての照明がなされた天井


p1004


P1680340
講演やコンサート会場として使用されてます。


p1006
室内楽のリハーサル


P1680330
フレスコ断片


P1680333


p1005
シノピエ


P1680335


P1680336


P1680338



P1680341
次の部屋です。


P1680350
フレスコ画があります。


P1680351
部屋の説明とフレスコ画の作品帰属


P1680349


P1680348


P1680346


P1680345


P1680344


P1680343


P1680342
(つづく)

P1690656
次はスポレートの高地に聳えるアルボルノツィアーノ城塞です。


p1001
教皇庁がアビニョンにあった時代の第199代教皇インノチェンツォ6世(フランス、べサック、1282-アヴィニョン、1362 在位:1352-1362)はその権力と威光が薄れていたイタリア中部の教皇領における軍事力を強化して、それを背景に教会の権威を確立しようとしました。
その命を受けた枢機卿エジーディオ・アルボルノス(スペイン、1310-ヴィテルボ、1362)は教皇領各地に軍事要塞を建設しましたが、スポレートのアルボルノツィアーノ城塞はそのうちの一つです。城塞の名称はエジーディオ・アルボルノスに由来します。
建築家マッテオ・ディ・ジョヴァンネッロ・ガッタポーネ通称マッテオ・ガッタポーニ(グッビオ、1300c-1383)の設計と工事監督によって1363年から1367年に建設された城塞です。堅固な要塞という機能に加えて、迎賓館としての住居が加味された建物です。


137
城壁の下の道を進みます。


P1680609
城門です。


P1680610


P1680606
城塞の城壁の下を進みます。


P1680602
こちらは城壁の門でしょう。


138
城塞の門を潜ります。


139
城塞の四隅に塔が設けられてます。


140
16世紀末には軍事的には城塞は不要となり、その重要性は薄れてしまいました。


141
教皇庁から派遣された高位聖職者やスポレートを訪れる貴族たちの宿舎として利用されていましたが、不便な高台にあることから、1764年から使用されなくなって、それらの機能を大司教館が担うことになりました。


143
1817年から1982年まで刑務所として使用されました。
その後、修復が行われ、2007年にスポレート公国国立博物館として一般公開されるようになり、現在に至ってます。


144
建物前の小広場からの景観が楽しめます。


142


145


146


147


148


149


150


151


152


154


P1680588


P1680589


160
博物館に入館します。


155


P1680583
中庭に出ました。


P1680584


P1680575
一階と二階にロッジャがあります。


P1680576
ロッジャの壁にフレスコ画があります。


P1680577
殆どがフレスコで描かれた紋章です。


P1680578


P1680579


P1680188
一階のフレスコ画から見て行きました。


P1680190


P1680287
次は二階のロッジャのフレスコ画です。


P1680288


P1680290


P1680295


P1680297
(つづく)

134
次はサン・シモーネ教会です。


p1065
正式名称をChiesa dei Santi Simone e Guidaという旧教会は1254年にフランチェスコ会修道士によって建設されました。修道院が併設されました。


p1066
ゴシック様式の建物ですが、ロマネスク様式が垣間見えるゴシックとロマネスクの折衷様式と言うべきでしょう。


p1067
ナポレオンのイタリア侵攻が切迫していた時期、スポレートは教皇庁領でしたが、サン・シモーネの複合施設はナポレオン軍に対抗する教皇庁軍の兵舎として転用されることになり、サンティ・シモーネ・エ・ジュダ修道院教会は1796年に閉鎖されたのです。


p1068
しかし、スポレートの教皇領軍は1798年にフランス軍の敗れてしまい、複合施設はフランス軍の兵舎として使用されることになりました。
フランス軍の撤退後、この複合施設における宗教活動は一度も再開されることなく放置されてしまい荒廃が進みました。
1863年、イタリア王国軍の兵舎として使用されることになりましたが、1890年頃に空き家となりました。
その後、改造修復工事が行われ、1893年から1950年頃まで孤児のための寄宿学校になりました。
1980年頃から修復工事が行われるようになりましたが、工事は中々進捗しませんでした。
現在は自治体の所有物件として展示や室内楽、パーティなどの各種催事場として利用されてます。


p1091
後陣


135
催事場として使用される時を除いて扉が開くことはないようです。


p1069
地震に弱そうな内部です。


1070
三廊式、ゴシック様式の内部です。


p1071
修復されたとはいえ、相当イタミがあり危険に思えます。


p1072
柱は補強されているものの、強い地震でもあれば天井が崩落しそうです。


p1074
フレスコ画が一部残されてます。


p1075


p1076
シミにしか見えないフレスコ画の痕跡


p1077


p1078
フレスコ画の作品帰属や描かれた年代等の詳細が分からないようです。


p1079
聖スコラスティカ


p1080
聖アンサーノ


p1081


p1083
聖母子


p1082


p1084


p1086



p1085
キリストの復活


p1087
聖マルコ


p1088


p1089


p1090
サンティ・シモーネ教会が面してるカンペッロ広場です。


P1680612
一見して危険に思えます。


P1680613
教会近くの噴水に向かいます。


P1680615


P1680616
これが噴水です。


P1680618
かなり有名な噴水です。


P1680617
サン・シモーネ教会の外壁にあるので、サン・シモーネの噴水とも呼ばれてます。


p1092
何時頃造られたのかは不明です。


p1093
1428年と1498年に修復された記録が残されてます。


p1094
現在の噴水は1608年に再造されたものです。


P1680619
噴水近くからドゥオーモの鐘楼とファサードが見えます。


P1680611


136
(つづく)

121
コッリコーラ広場です。


120
コッリコーラ広場に面して建つPalazzo Collicolaです。


p1041
Palazzo Collicolaはサン・ドメニコ教会の直ぐ傍にあります。


p1038
建築家セバスティアーノ・チブリアーニ(シエナ、1660c-ローマ、1738)の設計によって、名門貴族コッリコーラ家の邸宅として1717年から1730年に建設されたPalazzo Collicolaです。


p1039
19世紀、コッリコーラ家の直系家族が途絶えると、相続した同家の傍流家族によって邸宅にあったインテリア家具、絵画、タペストリなどが売却されてしまいました。
1939年、ウンブリア州が建物を購入し、修復工事後、ウンブリア州立美術館がオープンしました。
現在は、スポレート市が建物を所有して、現代美術館と図書館として使用されてます。


p1040
切符売り場です。


p1042
私が苦手の現代絵画と現代彫刻が展示されてます。


p1043
現代美術館としては非常に評価が高いようです。


p1044
そうは言っても閑古鳥が鳴いてます。


p1045
Palazzoの装飾は見る価値があると思います。


p1046
ロココ的なフレスコ画


p1047


p1049


p1048
暇潰しに最適です。


122
次はサン・ロレンツォ教会です。


123
サン・ロレンツォ教会です。催事でもやっていれば中に入ることが出来ますが、駄目でした。


p1051
1138年の記録に存在が記載されているロマネスク様式のサン・ロレンツォ教会です。


p1052
1825年にサン・ドメニコ教会に併合され活動が縮小されました。20世紀初めに閉鎖され、建物はホームレスの避難所として使用されることになりました。
1950年頃にスポレート市の所有となりました。現在はSala Pegasusという名称の映画館、催事場になってます。


p1053
鐘楼


p1054
後陣


p1055
映画館として使用される時の内部。


p1056
礼拝堂、祭壇画、フレスコ画が残されてます。


p1057
18世紀の逸名画家作「聖家族とパドヴァの聖アントニオ」


p1059
フレスコ画の礼拝堂


p1058
逸名画家作「バラの聖母と聖ジョヴァンニ・バッティスタとパドヴァの聖アントニオ」(1592)


p1060
16世紀の逸名画家作「聖ピエトロ・マルティーレ」


p1061
16世紀の逸名画家作「聖マリア・マッダレーナ」


124
次はサン・シモーネ教会です。


125
アーチを潜ります。


126
勘を頼りに歩いていたら、サン・シモーネ教会の場所が分からなくなりました。


127
地図で自分の居場所を調べました。


128
小さな映画館がありました。


129
サン・シモーネ教会は活動を停止した旧教会なので、地図に教会名が記載されていなかったのです。


047
Piazza del Mecatoの噴水です。


131
市庁舎に行って、旧教会の場所を聴きました。


132
持っていた地図にサン・シモーネ教会がある場所に印をつけてもらいました。


133
すぐに行くことが出来ました。


p1063
旧サン・シモーネ教会は要塞の下にあります。


p1064
1250年から1260年に建設されたサン・シモーネ教会です。


p1062
1698年にパドヴァの聖アントニオの聖遺物(頭蓋骨)を収容することになった由緒正しき教会でした。
(つづく)

p1001
壁の所々に残されたフレスコ画を見ます。


p1002
左側壁のフレスコ画です。


p1033
このフレスコ画の作品帰属が明らかにされてます。


p1003
バルトロメオ・ダ・ミランダ(トーディ、?-スポレート、1449以降没)に帰属する「シエナの聖カテリーナの聖体拝領」(15世紀)


p1004
15世紀の逸名画家作「聖母子」


p1005


p1013
15世紀の逸名画家作「ピエタ」


p1006
司教聖人


p1007



p1019


p1008
15世紀の逸名画家作「聖母子」


p1010
右側壁のフレスコ画です。


p1030
壁龕の聖母子


p1009


p1015


p1011
司教座の聖トンマーゾ


p1012


p1014
聖バルトロメオ


p1016
聖母子(15世紀)


p1017
ピエタ


p1018
聖ステファノと聖ピエトロ・マルティーレ


p1020
三位一体


p1021
聖ピエトロ・マルティーレ


p1022
聖ジョヴァンニ・バッティスタ(左)


p1023


p1024


p1025


p1026
聖母子が多い。


p1027



p1028
聖母子と天使たち


p1029
ジョヴァンニ・ディ・ピエトロ通称ロ・スパーニャ(スペイン、1450c-スポレート、1529c)の「磔刑」


p1031


p1032


p1034
じっくり見ると時間がかかります。


p1035


p1036
名残惜しいが時間が切迫しているので、次に向かいます。


p1037
ファサード前のサン・ドメニコ広場です。


105


118
サン・ドメニコ広場に面して建つ小学校の建物です。


119
(つづく)

p1019
次はクリプタです。


p1020
クリプタはサン・ピエトロ・マルティーレ教会とも言われてます。


p1021
14世紀に描かれたフレスコ画と15世紀に描かれたフレスコ画が残されてます。


p1022
フレスコ画の作品帰属は不明です。


p1023
慈悲の聖母


p1024
玉座の聖母子と二聖人


p1025


p1026
祭壇画を見て回ります。


p1030
カヴァリエール・ダルピーノ(アルピーノ、1568-ローマ、1640)の「ラファエッロ作『キリストの変容』の複製画」


1042
こちらがラッファエッロ作の「キリストの変容」です。ローマのヴァティカン美術館にあります。


p1031
ジョヴァンニ・ランフランコ(パルマ、1582-ローマ、1647)の「天上の聖母子と聖アンナと三聖女」(1630c)


p1032
三聖女は、左からシエナの聖カテリーナ、中央がアレッサンドリアの聖カテリーナ、右の十字架を手にしているのはが聖エレーナです。


p1033
フランチェスコ・レフィーニ(スポレート、1615/1620-1692c)の「天上の聖母と聖ジャチントと聖ブリツィオ」


p1034
17世紀の逸名画家作「天上の聖母子と聖人たち」


p1035
ルドヴィーコ・グリッロッティの「ベアート・レオポルド・ダ・ガイケ」(1893)
Ludovico Grillottiという画家は全く知りません。


p1036
マルカントニオ・デル・フォルノに帰属する「キリストの逮捕」
Marcantonio del Fornoという画家も全く知りません。


p1037
ラヴィニア・フォンターナ(ローマ、1552-1614)に帰属する「天上の聖母子と聖ジャチント」(17世紀前半)



p1038
逸名画家作「パオラの聖フランチェスコ」


p1039
タッデオ・コッリコーラの墓(1643)


p1049
カルロ・ニーニの墓(1692)


p1041
サン・ピエトロ・マルティーレ礼拝堂です。
Maestro di Fossaの「磔刑像」


p1042
次はサンタ・マリア・マッダレーナ礼拝堂です。


p1043
フレスコ画で覆われているサンタ・マリア・マッダレーナ礼拝堂です。


p1044
1973年に修復復元が行われた礼拝堂のフレスコ画です。


p1045
Maestro dei Calvari(ウンブリア、14世紀末-15世紀初頭活動)によって15世紀初めに描かれたフレスコ画です。


p1046
フレスコ画のテーマは聖マリア・マッダレーナの生涯です。


p1047
聖マリア・マッダレーナがキリストの妻だった有力説がありますが、それに従って描かれたフレスコ画です。


p1048


p1050


p1051
我に触れるな


p1052
祝福するキリスト


p1053


p1054


p1055


p1056


p1057
場違いに思えますが・・・・・


p1058


p1059


p1060


p1061
(つづく)

099
次はサン・ドメニコ教会です。


p1000
サン・ドメニコ教会のファサード前に門があり、閉まってますが、教会は広場に面して建っているので門が閉まっていても問題ありません。


p1002
サン・ドメニコ広場です。


104
元々の名称はサン・ドメニコ教会でしたが、現称のサン・ドメニコ教会は正式名称の略称です。


117
現在の正式名称は、サンティ・ドメニコ・エ・フランチェスコ教会です。そのように呼ばれることになったには訳があります。
創建以来、ドメニコ会の教会でサン・ドメニコ教会と呼ばれていました。
20世紀初めに修復工事が行われることになりましたが、アッシジのサン・フランチェスコ聖堂で行われた修復を参考にして、Frati Minori(フランチェスコ会)の修道士が主導して修復が行われました。それを機に、この教会を管理する修道士会がFrati Domecani(ドメニコ会)からFrati Monoriに変更されたのです。つまり、フランチェスコ会の教会となり、奉献する聖人がそれまでの聖ドメニコに加えて聖フランチェスコが追加され、二人になったので、教会名が変更されたのです。


p1001
この地にサン・ピエトロ・ディ・フェレンティッロ(ヴァッレのサン・ピエトロ修道院)の修道士によって建設されたサン・サルヴァトーレ修道院教会がありました。
13世紀前半、スポレート定住を希望していたFrati Domenicaniでしたが、1247年、漸くを願いが叶い、定住地としてサン・サルヴァトーレ修道院教会が与えられました。
サン・サルヴァトーレ教会の一部を利用しながら、1248年から1259年に建設されたのが現在の建物の原形です。
修道院は、サン・サルヴァトーレ修道院を増築整備する形で建設され、1288年に完成しました。


p1003
元々はゴシック様式でしたが、外観と内装の一部は17世紀にバロック様式に改造されました。更に20世紀前半、元の姿に戻され現在に至ってます。


103
ファサード側の入り口扉です。装飾が殆どなく簡素な造りです。


102
ファサードに向かって右側壁にサイドポータルがあります。


100
サイドポータル上ルネッタにフレスコ画があります。


101
ペリーノ・チェーザレイ通称ピエリーノ・ダ・ペルージャ別称ペリーノ・ダ・ペルージャ(ペルージャ、1530c-スポレート、1602)の「救世主」(1591)


p1004
ピエリーノ・ダ・ペルージャは、ステファノ・ダ・ヴェローナ(ヴェローナ、1379-1451)の信奉者で模倣者でもありました。


p1005
鐘楼


p1006
鐘楼に時計がついてます。


p1007
地元産の二色の石を使って外壁が造られてます。


106
中に入りました。


p1008
1934年にバロック様式から元の姿に戻された内部ですが、その改造工事前に撮られた写真です。この写真によって、バロック様式の礼拝堂があったことが分かります。


p1009
単廊式、ロマネスク・ゴシック折衷様式の内部です。


p1010
木組みの天井は21世紀のものです。
1997年の地震によって大きな被害を受けたので、2000年から2002年に再建されたのです。


p1011
塗り直された白壁が目立ちます。


p1029



p1012
後陣のステンドグラス


116
カウンターファサード


p1013
カウンターファサードのステンドグラス


p1014
ステンドグラスは、創建時のものではないようです。


p1015
新しいPresbiterio


p1027


p1028


112
オルガンについては詳細不知です。


p1016
聖職者席は20世紀のものです。


p1017
それでも内部の見所は豊富です。


p1018
Presbiterio上の木製磔刑像(14世紀)


108
殆どの壁に描かれたフレスコ画は塗り潰されましたが、それでもフレスコ画の宝庫と言えるでしょう。


107
13世紀から16世紀に制作されたフレスコ画ですが、制作者は分かってません。


109
壁という壁、柱など全面にフレスコ画があったとされてますが、16世紀と17世紀に行われた改造と修復工事の際に殆どが塗り潰されとされてます。


111
断片的にしか残されていません。


113
それでも見る価値は十分にあるフレスコ画です。


114


115


110
祭壇画もあります。
(つづく)

076
次はラルゴ・クレメンティの噴水です。


077
ドゥオーモ通りを下ります。


078
アーチを潜ります。


079
ドゥオーモ通りを更に下れば、旧市街で最古の場所に出ます。


080
突き当りがLargo Clementiです。


p1097
Fontana di Largo Clementiです。


081
16世紀中頃に造られた噴水ですが、Palazzo Mauriの庭にありました。


p1096
Palazzo Mauriから1894年から1896年に現在地に移設されたのです。


082
Palazzo Zacchei Travagliniです。


083
Via Filitteriaからの景観


084
ドゥオーモの鐘楼と城塞が見えました。


085
次はサンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ教会です。


086
この辺は特に古い建物が多いようです。


087
教会だった建物のようです。調べましたがよく分かりません。


p1098
サンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ教会です。


p1100
11世紀に建設された建物を12世紀に改造してロマネスク様式の教会にしたと言われてます。


p1102
1174年に奉献式が執り行われました。


p1101
側壁に古いフレスコ画が残されてます。


p1103
13世紀から14世紀に制作されたフレスコ画


p1105
現在は閉鎖されており、特別な時を除いては中に入れないようです。
フレスコ画が残されてます。


p1106
ピエルマッテオ・ジーリ(スポレート、1533-?)のフレスコ画
ピエルマッテオは、ヤコポ・シチリアーノ(ジュリアーナ、1490-リエーティ、1544)の模倣者でした。


1107
聖トーマス・ベケットの殉教


p1108
聖ジョヴァンニと聖パオロの殉教


p1109
磔刑


p1110
授乳の聖母


p1104
既に宗教活動を停止した教会でしょうか?


088
次はサン・ニコロ修道院教会です。


093
サン・ニコロ教会です。


p1111
バーリの聖二コラ(トルコ、270c-マイラ、343)の死の直後に、この地に建設されたサン・二コラ・ディ・バーリ礼拝堂(4世紀頃)が前身とされてます。


p1112
1089年に文書にサン・二コラ・ディ・バーリ教会の存在が初めて記録されたそうです。
1264年、教会はサンタゴスティーノ修道士に与えられました。
1304年から修道院と教会が改めて建設されました。


p1113
後陣


p1114
1745年、スポレートはスペインに占領され、修道院はスペイン兵の兵舎に転用されてしまいました。また、1767年の地震によって建物の一部が崩壊してしまいました。18世紀末には抑圧令によって閉鎖となりました。
1823年からは倉庫に転用されましたが、1849年に火災によって消失してしまいました。1873年に修道院は完全に取り壊されました。


094
ファサードの入り口扉上ルネッタにフレスコ画


095
鐘楼が微かに見えます。


096
身廊外壁


097
1960年から修復と再建の工事が行われました。


098
現在、再建された修道院と修復された教会は市の所有となっており、各種文化イベントの会場や文化センターになってます。


089
複合施設のキオストロ


092


090
再建された修道院


091
(つづく)

P1690527
左第四礼拝堂です。


p1083
Cappella di Sant’Antonio di Padovaです。


P1690528
祭壇はジュゼッペ・ヴァラディエ(ローマ、1762-1839)によって制作されました。


P1690529
左第三礼拝堂です。


p1084
Cappella della Presentazioneとも呼ばれてます。


P1690532
アントニオ・カヴァッルッチ・ダ・セルモネータ(セルモネータ、1752-ローマ、1795)の「聖母の神殿奉献」(1790c)


P1690533


P1690534
左第二礼拝堂です。


p1085
Cappella di Sant’Andrea Apostoloとも呼ばれてます。


P1690536
ガエターノ・ガンドルフィ(サン・マッテオ・デッラ・デチーマ、1734-ボローニャ、1802)の作品説がある「聖母子と聖アンドレア・アポストロとパオラの聖フランチェスコとパドヴァの聖アントニオ」です。


P1690538
ヤコポ・アレッサンドロ・カルヴィ(ボローニャ、1740-1815)の作品説も有力です。


P1690484
左第一礼拝堂です。


p1086


P1690486
詳細不知


p1087
Cappella di Santa Rita da Casciaです。


P1690488
ウンブリアの逸名画家作「聖母子と教皇聖人とベアート・グレゴリオ・ダ・モンテルーコ」(16世紀)


P1690493


p1088
聖水盤(1484)


p1089
Cappella di Sant’Annaです。


p1090
1477年と1590年に描かれたフレスコ画


p1091
非公開で中に入ることが出来ません。


P1690541
床のタイルなどの装飾を見ます。


P1690330


p1092


p1093


p1094


p1095


P1690539
左側廊


P1690540


P1690542
地味な天井


P1690543
右側廊


201


P1690333
リッピの遺作をもう一度見てから外に出ます。


P1690560


064
外に出ました。


065
ドゥオーモの上にある要塞です。


072
階段を上り、道を左方向に進みます。


073


074


075
(つづく)

P1690456
Absidiola Sinistraです。


P1690482
1583年から1632年に造られたCappella del Santissimo Sacramentoです。


P1690459
フランチェスコ・ジョヴァンネッリ・ダ・ヴォルテッラ作と言われている祭壇


P1690461
ピエトロ・ラブルッツィ(ローマ、1739-1805)とリボリオ・チョチェッティ(フォリーニョ、1739-ローマ、1816)による「父なる神」と「受胎告知」


P1690462
フレスコ画とスタッコで装飾された天井


P1690483
天井のフレスコ画は、フランチェスコ・レフィーニ(スポレート、1615/1620-1692)によって制作されました。


p1077
ジョヴァンニ・ダ・フォリーニョによって再作されたスタッコ彫刻


P1690473
キリストの受難のシンボルと手にした天使像がありますが、私には制作者が分かりません。


P1690474


P1690475


P1690464
6点の祭壇画があります。


P1690466
ピエトロ・ラブルッツィとリボリオ・チョチェッティによって描かれたと思うのですが、私には作品帰属の情報がありません。


P1690468


P1690472


P1690477


P1690481


p1078
左側廊第六礼拝堂です。


P1690495
Cappella delle Reliqueと呼ばれてます。


P1690518
磔刑像があります。


P1690516
詳細不知の磔刑像


p1079
聖フランチェスコがレオーネ兄弟に宛てて書いた自筆の手紙です。


P1690519
その説明書き


P1690496
ジョヴァンニ・アンドレア・ディ・セル・モスカートとダミアーノ・ディ・マリオットによって1548年から1554年に制作さされた木工キャビネット


P1690497
預言者たちと女預言者たちは、フランチェスコ・ナルディーニ(16世紀中頃活動)によって1553年から1554年に制作されました。


p1080


p1081
Cappella delle Relique天井のフレスコ画は、フランチェスコ・ナルディーニの「聖母の物語」(1553-60)です。


P1690500
聖母の神殿奉献


P1690503
ご訪問


P1690505
預言者たち


P1690506
聖母の誕生


P1690499
聖霊降臨


P1690510


P1690511
聖母被昇天


P1690513


P1690514


P1690517


P1690520
左第五礼拝堂です。


p1082
Cappella degli Angeliとも呼ばれてます。ジュゼッペ・ヴァラディエ(ローマ、1762-1839)による祭壇(1792)


P1690525
ピエトロ・ラブルッツィ(ローマ、1739-1805)の「守護天使」(1790c)


P1690526
(つづく)

P1690385
他の礼拝堂を見て行きます。


p1058
右側廊第二礼拝堂です。


P1690388
ドメニコ・コルヴィ(ヴィテルボ、1721-ローマ、1803)の「十字架降下」(1792)


P1690390


P1690391
右側廊第三礼拝堂です。


p1059


P1690395
アントニオ・コンチョ―リ(ぺルゴラ、1739-ローマ、1820)の「聖アンドレア・アヴェッリーノの死」(1792)


P1690396
ベルナルディーノ・ノッキ(ルッカ、1741-ローマ、1812)の作品説もあるようです。


P1690398
右側廊第四礼拝堂です。


p1060


P1690399
ジョヴァンニ・アルベルティ(ボルゴ・サン・セポルクロ、1558-ローマ、1601)の「ご訪問」(1597c)


P1690405


P1690416


P1690417
右側廊第五礼拝堂です。


p1061
ジュゼッペ・ヴァラディエ(ローマ、1762-1839)によって制作された祭壇
この聖堂内の殆どの祭壇がジュゼッペ・ヴァラディエによって制作されました。


P1690420
ピエトロ・ラブルッツィ(ローマ、1739-1805)の「スポレートのベアート・グレゴリオに顕現する天使」(1792)


P1690424


p1062
右側廊第六礼拝堂です。


P1690428
アルベルト・ソティオ(スポレート、1100-1187)の「彩色磔刑像」(1187)
この磔刑像については既に紹介しました。


P1690430
右翼廊の礼拝堂です。


p1063
Cappella della Madonna della Manna d’Oroです。


P1690546
フィリッポ・リッピの墓があります。


P1690432
アンニーバレ・カッラッチ(ボローニャ、1560-ローマ、1609)の「黄金のマナの聖母と聖フランチェスコと聖ドロテア」(1599)


p1064


p1074
アンブロージョ・バロッチの「ジョヴァン・フランチェスコ・オルシーニの葬儀記念碑」(1499-1500)


p1066
ジョヴァン・フランチェスコ・オルシーニの葬儀記念碑


P1690435
Absidiola Destra


P1690436
Cappella della Santissima Iconaです。


P1690437
ジョヴァンニ・バッティスタ・モーラ(コルドレリオ、1585-ローマ、1665)によって制作された祭壇


p1065
聖母のイコン(11-12世紀)


p1067
アレッサンドロ・アルガルディ(ボローニャ、1598-ローマ、1654)の「ダヴィデ」


p1068
アレッサンドロ・アルガルディ(ボローニャ、1598-ローマ、1654)の「ソロモン」


p1069
天井の装飾


p1070
天井のフレスコ画(制作者不知)


p1071
アレッサンドロ・アルガルディ(ボローニャ、1598-ローマ、1654)の「アンドレア・マウリの胸像」


P1690438


p1073
ベルニーニの作品があります。


p1072
ジャンロレンツォ・ベルニーニ(ナポリ、1598-ローマ、1680)の「教皇ウルバーノ8世の胸像」(1640-44)


p1075
オルガン


p1076
(つづく)

P1690354
次はCappella dell’Assuntaです。


P1690352


185
壁の殆どがフレスコ画で装飾されてます。


P1690356
ジャコモ・サントロ別称ヤコポ・シチリアーノ(ジュリアーナ、1490-リエーティ、1554)の「昇天した聖母を見上げるフランチェスコ・エローリ司教」(1500-50c)
フランチェスコ・エローリ(ナルニ、15世紀後半-スポレート、1540)は1500年から1540年の40年間、スポレート司教を務めました。


P1690357
ジャコモ・サントロ別称ヤコポ・シチリアーノ(ジュリアーナ、1490-リエーティ、1554)の磔刑(1550-50c)


P1690359
ジャコモ・サントロ別称ヤコポ・シチリアーノ(ジュリアーナ、1490-リエーティ、1554)の聖人たち(1500-50c)


P1690361
ジャコモ・サントロ別称ヤコポ・シチリアーノ(ジュリアーナ、1490-リエーティ、1554)の聖人たち(1500-50c)


186
ジャコモ・サントロ別称ヤコポ・シチリアーノ(ジュリアーナ、1490-リエーティ、1554)の聖ジローラモ(1500-50c)


P1690372
ジャコモ・サントロ別称ヤコポ・シチリアーノのフレスコ画


P1690373
ジャコモ・サントロ別称ヤコポ・シチリアーノのフレスコ画


P1690375
ジャコモ・サントロ別称ヤコポ・シチリアーノのフレスコ画


P1690378
ジャコモ・サントロ別称ヤコポ・シチリアーノのフレスコ画


P1690381
ジャコモ・サントロ別称ヤコポ・シチリアーノのフレスコ画


P1690382
ジャコモ・サントロ別称ヤコポ・シチリアーノのフレスコ画


P1690383
ジャコモ・サントロ別称ヤコポ・シチリアーノのフレスコ画


187
Cappella dell’Assuntaの天井です。


P1690363
Cappella dell’Assunta天井フレスコ画は、ジョヴァンニ・ダ・スポレート(スポレートで1516年活動記録)とトンマーゾ・ダルカンジェロ・ベルナベイ通称パパチェッロ(コルトーナ、1505-1559)によって16世紀前半に制作されました。


P1690364
場面毎の作品帰属が不明です。


p1046


p1047


p1048


p1049
次はCappella Eroliです。


P1690341
ピントゥリッキオのフレスコ画で有名なCappella Eroliです。


P1690334
ピントゥリッキオ(ペルージャ、1454-シエナ、1513)によって1497年に制作されたフレスコ画です。


188


P1690346
父なる神


P1690347
聖母子と二聖人


p1050
聖母子


p1051
聖ジョヴァンニ・バッティスタ


p1052
聖ステファノ


p1053


p1054


P1690349
祭壇に描かれたピエタのキリスト


P1690350


P1690342
天井のフレスコ画もピントゥリッキオによって描かれましたが、殆ど落剝してます。


p1056
勝利


p1055


P1690343


p1057
フランチェスコ・エローリ司教(ナルニ、15世紀後半-スポレート、1540)の紋章


P1690544
(つづく)

222
次はドゥオーモです。


057
ドゥオーモ広場に向かって階段を下ります。


P1690555
ドゥオーモのファサードに向かって左側にサンテウフェミア聖堂の後陣があります。


059
スポレートのドゥオーモです。スポレート₌ノルチャ大司教区のサンタ・マリア・アッスンタ大司教座教会です。


061
スポレート大聖堂については、既に書いたので、ご興味のある方はそちらをご参照願います。


062
写真左の建物は大司教館です。


068
大司教館のクーポラ


063
この場所に存在していた最初の教会については、殆ど明らかになっていないようです。


066
二番目の教会は、1067年に建設されたサン・プリミアーノ司教座教会でした。
12世紀、スポレートはフェデリック・バルバロッサ(1122-1190)軍の攻撃と略奪によって荒廃してしまいましたが、その際、サン・プリミアーノ司教座教会も荒らされてしまい、継続使用が困難となってしまいました。
1151年に創建され、1227年に一応の完成を見た建物が現在の原形です。1198年に奉献式が執り行われ、活動が開始されましたが、それを機に教会名称が現称に変更されました。


069
13世紀に建設された鐘楼です。


p1032
鐘楼の下部はローマ時代の遺跡と中世初期の教会の建物の一部から成ってます。


183
ファサードは13世紀に建設されましたが、その後、改造と修復を経て現在の姿になってます。


067
ファサードのモザイクとバラ窓


p1033
Maestro Solsternoの「祈るキリストと聖母と聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタのモザイク」(1209)
Solsternoの名前と制作年がモザイクに書かれてます。


p1034
ファサードの彫刻


p1035


p1036


p1039
説教壇


p1040
ピエタのキリスト


070
ファサード下に柱廊が設けられてます。


071
アントニオ・バロッチ(ミラノ、1471から活動-1520没)の設計によって15世紀に追加された柱廊です。


p1037
入口扉横のライオン像


p1038


184
聖堂内に入りました。


189
多くの見所があって目移りしてしまいます。


203
フィリッポ・リッピに敬意を表して、彼の墓から見て行きます。


P1690551
右翼廊にある、フィリッポ・リッピ(フィレンツェ、1406c-スポレート、1469)の墓


P1690552
スポレート大聖堂後陣のフレスコ画の注文を受けたフィリッポ・リッピは、妻子、弟子とともに1467年にスポレートに移り住み、制作に励んでいましたが、その途中で没しました。


p1041
リッピの死因ですが、毒殺説が有力です。


204
Presbiterio


p1042
フィリッポ・リッピの遺作となった後陣のフレスコ画です。


P1690332
未完成でフィリッポ・リッピが没してしまいましたが、その後、弟子と息子によって完成したのです。


200
フレスコ画のテーマは聖母の物語です。


p1043
受胎告知


p1044
聖母戴冠


P1690455


P1690442
聖母の死


P1690452
ご誕生


P1690425
アルベルト・ソティオ(スポレート、1100-1187)の「彩色磔刑像」(1187)


p1045
(つづく)

P1680840
ネーリ・ディ・ビッチ(フィレンツェ、1419c-1492)の作品です。


P1680841


P1680907
セバスティアーノ・コンカ(ガエータ、1680-ナポリ、1764)の作品


P1680908


P1680920
アレッサンドロ・アルガルディ(ボローニャ、1598-1654)の「聖フィリッポ・ネリの胸像」(1650c)


P1680921


P1680922
ジャンロレンツォ・ベルニーニ(ナポリ、1598-ローマ、1680)の「教皇ウルバーノ8世の胸像」(1640-44)


P1680923


P1680924
フランチェスコ・トレヴィサーニ(スロベニア、1656-ローマ、1746)の帰属作品


P1680926


P1680927
大司教館の礼拝堂です。


P1680936


P1680928
礼拝堂の天井


214
次はサンテウフェミア聖堂です。


215
三廊式、ロマネスク様式の内部です。


p1018
新しく見えるのは、1907年に復元されたからでしょう。


p1019
天井


216
左側廊


218
主祭壇


p1020
主祭壇に置かれるものが、訪れる毎に異なるのは何故でしょうか。この磔刑像も前の写真の磔刑像と違うものです。
美術館なので、その辺に全く拘りがないようです。
実はオリジナルの主祭壇画が存在していて、この美術館の展示室で展示されてます。それを主祭壇に置くのが自然と思います。


P1680776
バルトロメオ・ダ・ミランダ(トーディ、1437から記録-1449以降没)のトリッティコが主祭壇を飾っていました。


p1021
「聖母の死」が置かれている時もありました。


p1022
詳細不知の「聖母の死」


p1023
後陣のフレスコ画


p1024
逸名画家作「聖エウフェミア」(16世紀初頭)
後陣は1558年までフレスコ画で覆われていたそうです。


p1025
フレスコ画が僅かに残されてます。


p1026


217
この時は聖堂内に置かれていました。


219


220


p1027
展示作品、作品の展示場所が変わるので要注意です。


p1028
創建時の祭壇


p1029
1907年に復元された柱頭


p1030
1907年に復元された柱


p1031
2015年頃に修復工事が行われていたので、変わっているかも知れません。


P1680975
修復工事中(2015年頃)


213
外に出ました。


212
フィリッピーノ・リッピ、ベルニーニ、アンドレア・ダ・カルダローラなどの作品が秀逸です。


221
サンテウフェミア聖堂はメイン扉から入りたかった。


211
大司教館を後にしました。


210


209
(つづく)

P1680643
写真左の建物は大司教館です。


P1680638
壁にフレスコ画がある建物が大司教館です。


P1680640
サンテウフェミア聖堂はここから入ります。


P1680641
大司教館の一部と旧ベネデット会修道院だった建物の一部、それにサンテウフェミア聖堂だった建物に教区美術館が置かれてます。


P1680642


P1680647
大司教館の入り口です。


P1680648
入口上部の外壁に描かれたフレスコ画


P1680649
アーチの天井に描かれたフレスコ画


056
アーチを潜ってベネデット会修道院の中庭に出ます。


052
サンテウフェミア聖堂です。


055
確実な記録が残されておらず、建設された時期が不明とされてます。
スポレート公国があった10世紀以前に存在していたとの記録が残されてます。8世紀から9世紀頃には既に存在していたとする有力説があります。


p1014
10世紀に修道院が併設されました。12世紀にサンテウフェミア聖堂は新たに建設された大司教館に囲まれました。


p1015
サンテウフェミア聖堂は大きな建物でしたが、ドゥオーモの建設(1151年から1227年)に伴い、規模が縮小され、当初の半分ほどの大きさにされてしまいました。


058
サンテウフェミア聖堂の後陣です。


P1690300
後陣は、ドゥオーモに下る階段の左手にあります。


P1680635
ドゥオーモに下る階段です。


p1016
サンテウフェミア聖堂の後陣は、当初、ドゥオーモに下る階段の右の方にあったようです。


p1017
既に活動を停止した旧教会となってます。


054
修道院回廊


053
教区美術館の入り口です。


P1680659
入館しました。
教区美術館に付いては既に紹介しました。ご興味のある方はそちらをご参照願います。


P1680664
天井のフレスコ画です。


P1680729


P1680734


P1680723


P1680728


P1680717


P1680722


P1680778
バルトロメオ・ダ・ミランダ(トーディ、1437から記録-1449以降没)の帰属作品


P1680789


P1680806
次の部屋です。


P1680808
天井のフレスコ画


P1680810
ドメニコ・ベッカフーミ(モンテアペルティ、1486-シエナ、1551)の作品


P1680813


P1680814
ジョヴァンニ・アンドレア・デ・マジストリス別称アンドレア・デ・カルダローラ(カルダローラ、1510?-1573以降没)の作品です。


P1680820


P1680824
ほぼ同時代の同姓同名の画家ジョヴァンニ・アンドレア・デ・マジストリス(コモ、1460-1532)がいるのをご存知でしょうか。
技量は圧倒的にカルダローラ生まれの方が上であり、有名ですが、紛らわしいので困ります。美術本でも時々混同している記述を散見します。


P1680835
フィリッピーノ・リッピ(プラート、1457-フィレンツェ、1504)の作品


P1680836


P1680834
(つづく)

043
Piazza Mercatoにやってきました。


p1001
この広場は、ローマ時代の交易と商業の中心地だったフォロ広場があった場所です。


045
広場に面して古い建物が建ち並んでます。


P1690055
建物の壁に描かれたフレスコ画


P1690056


044
正面の建物は1600年頃に建設されたもので、現在は分譲アパートになってます。


047
Fontana di Piazza del Mercatoです。


p1002
一見教会のように見えますが、それは当然で、サン・ドナート教会のファサードです。
ロマネスク様式のサン・ドナート教会は、16世紀後半に荒廃してしまい放棄されました。


p1003
13世紀に、サン・ドナート教会の前に噴水があったことが知られてます。
1626年、カルロ・マデルノ(カポラーゴ、1,556-ローマ、1,629)の設計によって、放棄されたサン・ドナート教会ファサード前にFontanaが設けられました。


p1004
1746年、カルロ・マデルノ設計の噴水が取り壊され、コンスタンティーノ・フィアスケッティの設計によって、改めて噴水が造られることになりました。


p1005
そうして、1746年から1748年に造られた三代目のFontanaが現在のものです。


p1006
サン・ドナート教会ニッチのフレスコ画が僅かに残されてます。


P1690050
これが残されたフレスコ画です。


046
Fontana横の建物に日時計があります。


P1690067


P1690057


P1690027
次は市庁舎です。


P1690031
市庁舎はローマ時代の邸宅の上に建設されてます。


048
市庁舎の最古の部分は塔です。13世紀に建設された塔です。


050
日時計があります。


P1690036
日時計が比較的多い街です。


049
現代ものに弱い私ですが、イタリアでは大人気です。


p1007
ニーノ・フランキーノ(パルマノーヴァ、1912-ローマ、1987)の「スポレート’62」の彫刻


P1690046
市庁舎の装飾


p1008


P1690048


P1690038
市庁舎に絵画館 Pinacotecaがあります。
絵画館は写真不可だったので私の写真がありませんが、外部サイトから作品画像を拝借して掲載します。


p1009
グエルチーノ工房作「アルフォンゾ・パレット―ニの肖像」(1623)


p1010
パオロ・アントニオ・バルビエリ(チェント、1603-ボローニャ、1649)の「アルフォンゾ・パレット―ニ?」(1637c)
パオロ・アントニオ・バルビエリはグエルチーノの弟です。


p1011
ジョヴァンニ・ディ・ピエトロ通称ロ・スパーニャ(スペイン、1470/1480-スポレート、1528)の「聖母子と聖人たち」(1514-16c)


P1690039


P1690043
ローマ時代の邸宅の上に市庁舎の建物が建ってますが、そのローマ時代の邸宅が発掘されて一般公開されてます。


P1690024
これがあるので簡単に見つかります。


P1690023
この時は無料でしたが、今はどうでしょうか?


P1690022
中に入ります。


p1012
市庁舎の下にローマ時代の邸宅があることは予め分かっていたようですが、それを気にせずに遺跡を埋め立て建物を建設したそうです。


P1690002
20世紀に発掘調査が行われました。


P1690007
発掘は土地所有者の義務であり、その費用を負担しないといけないので、知らん顔を決め込む土地所有者がいるようです。


P1690011
モザイクがある床が多いと思います。


p1013


P1690019
邸宅遺跡からの発掘物


P1690014
(つづく)

↑このページのトップヘ