イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ: ロンバルディア州

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サント・ステファノ広場に建つサント・ステファノ・マッジョーレ聖堂です。


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417年に創建されたサン・ザッカリア教会が前身です。奉献する聖人が聖ステファノに変更されると共に教会名称も改められましたが、その時期はよく分かっていないようです。


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1070年、初代の建物は火災によって消失したので、1075年、ロマネスク様式で再建されました。二代目の建物が現在の姿の原形です。


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1594年、フェデリーコ・ボッロメオ枢機卿(当時は大司教)によって建物が改造されました。その改造の一環としてファサードも17世紀半ばに再建されました。


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1642年に鐘楼が倒壊したので、ジローラモ・クゥアドリオ(ルガーノ、1625-ミラノ、1679)の設計によって17世紀後半に再建された鐘楼が現在目にしています。


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ファサードの装飾


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この教会は2つの事柄によってかなり有名となってます。
1476年12月26日、ミラノ公爵ガレアッツォ・マリア・スフォルツァ(フェルモ、1444-ミラノ、1476)がこの教会で部下によって暗殺されました。ガレアッツォは酷薄苛烈な性格で、パアハラの権化でしたから、殺されるのは当然だったと思います。
もう一つは、1571年9月30日、ミケランジェロ・メリージ通称カラヴァッジョ(ミラノ、1571-ポルト・エンコレ、1610)がこの教会で洗礼を受けたのです。
それまで画家カラヴァッジョの生誕地としてミラノ説、カラヴァッジョ説の2つがあって、確定していませんしたが、2007年2月、ミラノのMuseo Diocesanoの保存文書の中からカラヴァッジョの洗礼記録が発見され、カラヴァッジョのミラノ生まれが確定したのです。


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ガレアッツォ・マリア・スフォルツァの暗殺を記述した聖堂にある碑文


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聖堂内に入りました。


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三廊式


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右側廊方向


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天井の装飾


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主祭壇


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天蓋


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主祭壇の磔刑像


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詳細不知


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説教壇


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詳細不知


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フランチェスコ・カイロ(ミラノ、1607-1665)に帰属する「聖ステファノ」


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左側廊の礼拝堂


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礼拝堂天井


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フェデリーコ・ビアンキ(マスナーゴ、1635-ミラノ、1719)の「聖母子と聖アンナ」


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詳細不知


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右側廊


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ジョヴァンニ・マウロ・デッラ・ローヴェレ通称イル・フィアッメンギーノ(ミラノ、1575-1640)の「ご誕生」


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ロンバルドの逸名画家作「キリストの神殿奉献」(17世紀)


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ロンバルドの逸名画家作「マギの礼拝」(17世紀)


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逸名画家作「ピエタ」


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フランチェスコ・カイロ(ミラノ、1607-1665)に帰属する「聖ステファノの殉教」


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詳細不知


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詳細不知


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左側廊


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左側廊天井


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詳細不知


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詳細不知


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聖体容器


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聖水盤


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詳細不知


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ロマネスクの浮彫(12世紀)


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16世紀の逸名画家作「聖アンブロージョ」


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逸名彫刻家作の「磔刑」(15世紀)


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右側廊


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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Cappella Trivulzio


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カミッロ・プロカッチーニ(ボローニャ、1551-ミラノ、1629)の「天上のキリストと聖ステファノ」


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(つづく)

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地下鉄でミッソーリ駅に着きました。


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サン・ナザーロ・マッジョーレ聖堂に向かいました。


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ありゃ、あれは何だ?


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サン・ナザーロ・マッジョーレ聖堂の左翼廊付近が修復中のようです。


3
普段はこのような外観です。


2
左翼廊


1
サンタ・カテリーナ礼拝堂


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聖堂の入り口があるトリヴルツィオ礼拝堂に回ります。


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トリヴルツィオ礼拝堂のファサードです。


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安心しました、扉が開いてます。


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聖堂の中に入ろうとしましたが、ミサ中でした。これでは拝観するわけにはいきません。


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入り口横の壁にあるフレスコ断片


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ミサが終わる時間にもう一度来ることにして、サン・ナザーロ・マッジョーレ聖堂を後にしました。


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ミラノ大学の方に行くことにしました。


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写真右は旧マッジョーレ病院です。


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ミラノは自転車シェアが盛んです。


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初代ミラノ公爵フランチェスコ・スフォルツァ(サン・ミニアート、1401-ミラノ、1466)によって1456年に創建されました。


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設計者は、アントニオ・ディ・ピエトロ・アヴェリーノ通称イル・フィアレーテ(フィレンツェ、1400c-ローマ、1469)でした。


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創建以来、幾度か増設され完成まで約200年を要しました。


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1943年8月15日夜から早朝にかけて、ドイツ軍による爆撃に大きな被害を受けました。その後、修復工事が行われましたが、新しく見える部分は再建された箇所です。


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1939年まで病院でした。1958年、ミラノ大学の本部として建物が使用されることになり、現在に至ってます。


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入口のファサードは、フランチェスコ・マリア・リチーニ(ミラノ、1584-1658)の設計によるもので、17世紀に建設されました。


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次はサンタントニオ・アバーテ教会です。


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サンタントニオ・アバーテ教会の鐘楼が見えてます。
ファサードの方に回ります。


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サンタントニオ・アバーテ教会のファサードが見えてます。


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聖アンブロージョ司教の時代、4世紀に建設されたTempioが前身とされてます。
1272年以降に再建されました。


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15世紀に建設された鐘楼


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17-18世紀に現在の姿に改造されました。


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ファサードの彫刻


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見逃せない作品が幾つかあります。


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扉が閉まっていたのが残念でした。
外部サイトから作品画像を拝借して、教会内にある作品を幾つか紹介させて頂きます。


4
ジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニ(ボローニャ、1574-ミラノ、1625)の「受胎告知」


5
ジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニ(ボローニャ、1574-ミラノ、1625)の「エジプトへの逃避」


6
ジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニ(ボローニャ、1574-ミラノ、1625)の「ご訪問」


7
ルドヴィーコ・カラッチ(ボローニャ、1555-1619)の「羊飼いの礼拝」


8
ピエル・フランチェスコ・マッツゥッケッリ通称通称イル・モラッツォーネ(モラッツォーネ、1573-ピアチェンツァ、1626)の「マギの礼拝」


9
ジョヴァン・バッティスタ・トロッティ通称イル・マロッゾ(クレモナ、1555-パルマ、1612)の「キリストの昇天」


10
ベルナルディーノ・カンピ(レッジョ・エミリア、1522-1591)の「聖チェチリア」


11
ジョヴァンニ・バッティスタ・カンピ通称イル・チェラーノ(ロマニャーノ・セーシャ、1573-ミラノ、1632)の「聖ガエターノ」


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ジョヴァンニ・アンブロージョ・フィジーノ(ミラノ、1540-1608)の「聖母の誕生」


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次はサント・ステファノ聖堂です。


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(つづく)

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成田空港は雨でした。


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アリタリア航空でミラノに向かいました。


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機内は退屈です。


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映画は見ません。見るのはフライト情報だけです。


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もう直ぐミラノです。


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マルペンサ空港に到着しました。


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予定よりも早く到着しました。


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荷物が出てきません。


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バスでミラノ中央駅に到着しました。


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ホテルは何時もの所でした。


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朝です。


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この日の朝、パレルモに飛びます。


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リナ―テ空港に向かいました。


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バスは空いていました。


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リナ―テ空港に到着しました。


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荷物預けとセキュリティ・チェックに問題がありました。


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問題の原因は、日本語の搭乗券でした。イタリア人には理解不能ですから。


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イタリア国内便の搭乗券は、日本語ではなくイタリア語又は英語表記が良いと思いました。


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搭乗口は2か所。


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ミラノを離れました。


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この回の旅行の最終目的地がミラノでした。フィレンツェからミラノ中央駅に到着しました。


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ホテルに向かいます。


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ミラノ・コレクションの開催週間だったので、何時もの中央駅近く(このホテルも近いですが)のホテルが満室でした。この時はここに泊まりました。


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チェックインを済ませて街歩きに出発しました。


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ミラノ・ポルタ・ジェノヴァ駅


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ポルタ・ジェノヴァ駅の駅舎


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駅前広場


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トラム・ターミナルがあって便利です。


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(つづく)

サン・シンプリチャーノ聖堂の続きです。
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17世紀の逸名彫刻家作「磔刑像」


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ジローラモ・キニョーリの「聖マウロの奇跡」


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アレッサンドロ・ブランビッラの「聖マウロの物語」(1891)


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アレッサンドロ・ブランビッラの「聖マウロの物語」(1891)


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15世紀のフレスコ画


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エミリオ・カヴェナーギ(カラヴァッジョ、1852-ミラノ、1876)の「四福音書記者」


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エミリオ・カヴェナーギ(カラヴァッジョ、1852-ミラノ、1876)の「四福音書記者」


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右側廊


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詳細不知


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詳細不知


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大部分の照明が消されてしまいました。


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説教壇


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右翼廊の礼拝堂


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14世紀のフレスコ画


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14世紀のフレスコ画


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ファサード裏にオルガンがあります。


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外に出ました。


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トラムで中央駅に戻りました。


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トラムに乗車中に雷雨となりました。


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止んだかと思うと直ぐに雷雨に。


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夕食のために外出しました。


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スコールを繰り返すので遠出を諦めて中央駅近くの店でお茶を濁します。


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この店は閉店して今はありません。ここで食べました。


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食べ終わって外に出ると青空が出てきました。


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翌朝です。


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帰国日の朝なので、適当に買い物へ。


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トラムで中心街へ


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ミラノと暫しのお別れです。


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バスでマルペンサ空港へ


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マルペンサ空港は雨でした。


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(つづく)

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次はサン・シンプリチャーノ聖堂です。


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ガリバルディ通りを進みます。


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この建物は何でしょうか?


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その答えはこれです。


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サン・シンプリチャーノ聖堂はもう直ぐです。


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パレルモ通りとの交差点


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次を左折すれば聖堂前の道路があります。


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サン・シンプリチャーノ聖堂です。


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4世紀第4四半世紀、ミラノ司教聖アンブロージョ(トーリア、339/340-ミラノ、397)によって異教の墓地だった現在地に建設された初期キリスト教会です。
聖アンブロージョは、聖シンプリチャーノ(べヴェラ―テ・ディ・ブリヴィオ、320c-ミラノ、401)をミラノ司教後継者に指名しました。401年、ミラノ大司教となった聖シンプリチャーノが没し、聖遺物となった聖シンプリチャーノの遺体はこの聖堂内に埋葬されましたが、それと共に教会の名称が現称に改称されました。


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建物は590年から615年にかけて拡大改造されました。
9世紀、ベネデット会の所有教会となり、教会に隣接して大修道院が建設されました。
教会は、11世紀から13世紀に、さらに15世紀に改造され、16世紀に増築されました。


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ローマ時代後期のアーチに支えられた身廊右側


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ネオ・ロマネスク様式のファサードは、1870年に再建された、比較的新しいものです。


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修道院の建物


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ファサードの、向かって右扉上ルネッタのモザイク


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中央扉上ルネッタ


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ファサードの左扉上ルネッタのモザイク


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聖堂内に入りました。


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1840年、現在の姿のように改装された内部です。


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三廊式、ラテン十字形


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交差ヴォールト


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右側廊


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右側廊からの眺め


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主祭壇


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詳細不知


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後陣のフレスコ画が見所です。


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アンブロージョ・ダ・フォッサーノ通称ボルゴニョーネ(フォッサーノ、1453c-ミラノ、1523)の「聖母戴冠」


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アウレリオ・ルイーニ(ミラノ、1530-1592)の「聖プラチドと聖マウロ司教」(1588)
アウレリオは、ベルナルディーノ・ルイーニの4男です。


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詳細不知


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16世紀のロンバルドの逸名画家作「十字架降下」


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無原罪の礼拝堂(19世紀)


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アレッサンドロ・ブランビッラの「ユディト」(19世紀)


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アレッサンドロ・ブランビッラの「デボラ」(19世紀)


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カミッロ・プロカッチーニ(ボローニャ、1561-ミラノ、1629)の「聖母の結婚」


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左側廊


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サン・ベネデット礼拝堂


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エネア・サルメッジャ(ベルガモ、1558-1626)の「子供を蘇生させる聖ベネデット」(1619)


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サン・ベネデット礼拝堂天井のフレスコ画
(つづく)

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ドゥオーモ広場に来たのはドゥオーモの拝観が目的ではありません。


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王宮で開催されているレオナルド・ダ・ヴィンチ展が目的です。


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完成作品が少ないレオナルド・ダ・ヴィンチ展の開催は、手稿や手稿に記された工夫の模型などを展示してお茶を濁すのが普通ですが、この時はミラノ万博の目玉となっていたので、完成作品がある程度揃っていたので大変な人気でした。


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あれっ、行列がない!!


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この一か月前にもレオナルド・ダ・ヴィンチ展に入ったのですが、その時は予約なしでした。ドゥオーモ近くまで長蛇の列で酷い目に遭いました。
それに懲りて、今回は予約して来たのです。


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拍子抜けしました。


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外に出ました。館内人数の定員制と採っていたのでしょう、中の混雑は一か月前と殆ど同じでした。


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ミラノ万博開催を機に、ドゥオーモは拝観有料に転じました。


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大した金額ではないけれど、無料で自由に拝観出来たことを思い出し、有料化に抵抗感があって、有料化以降一度も拝観したことがありません。


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夏至間近の観光シーズンにしては、全般的に人出が少なめでした。


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ドゥオーモのファサードを見ました。


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(つづく)

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以前、写真券を買えば写真OKだったアンブロジアーナ美術館ですが、多くの美術館や博物館で写真が解禁された2014年6月頃から何故か写真券制度がなくなって、写真不可となり、多分現在に至っていると思います。
展示室内は写真不可ですが、展示室に向かう途中の階段の壁などのある作品は写真OKのようです。


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制作者情報不知の「フェデリーコ・ボッロメオ枢機卿の肖像」
フェデリーコ・ボッロメオ枢機卿はアンブロジアーナ図書館の設立者です。


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パウル(ポール)・ブリル(アンヴェルサ、1554-ローマ、1626)の「アヌビスがいる風景」


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パウル(ポール)・ブリル(アンヴェルサ、1554-ローマ、1626)の「ムティウスがいる風景」


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ジャコモ・モラーリア(ミラノ、1791-1860)とポンぺオ・マルケージ(サルトリオ、1789-ミラノ、1858)とアントニオ・カノーヴァ(ポッサーニョ、1757-ヴェネツィア、1822)の「ジュゼッペ・ボッシのモニュメント」
ジュゼッペ・ボッシ(ブスト・アルシツィオ、1777-ミラノ、1815)は、画家、評論家、美術収集家でした。


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階段途中や壁の作品を見ます。


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有名なラオコーン
16世紀に制作された複製です。


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ミケランジェロのピエタがここにある、と叫んでいたイタリア人少年がいました。
16世紀に制作された複製です。非常に出来が良いので見る価値ありです。


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アントニオ・ブスカの作品


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ダニエーレ・クレスピ(ブスト・アルシツィオ、1597/1600-ミラノ、1630)の「聖母子とアッシジの聖フランチェスコと聖カルロ・ボッロメオ」


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この時も展示室内は写真不可でした。


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赤煉瓦の部分は隣接するサン・セポルクロ教会です。


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頼み込んだら、遠くからならば良いと撮らせてもらったカラヴァッジョの「果物籠」


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外に出ました。


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フェデリーコ・ボッロメオ枢機卿像


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アンブロジアーナ図書館に隣接して教会が建ってます。順序は逆で、教会に隣接して図書館の建物が建設されたのです。


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サン・セポルクロ教会です。


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1030年創建の教会です。現存する建物は、何度も改造されて創建時の姿とは全く違うとされてます。


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1099年、ロンバルド十字軍が聖地エルサレムを奪回したことの祝福として、1100年に拡大改造されました。


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1578年、聖カルロ・ボッロメオによって設立されたOblati dei Santi Ambrogio e Carlo(信心会)の教会になりました。


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1605年、フェデリーコ・ボッロメオ枢機卿によって、教会の隣と後ろにアンブロジアーナ図書館が建設されると共に、教会内部がバロック様式に改修されました。


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1713年から1719年にかけて、ファサードがバロック様式に改修されました。現在のネオ・ロマネスク様式のファサードは、元に姿に戻そうとして1894年から1897年にかけて再建されたものです。
2本の鐘楼は、12世紀のオリジナルのものです。


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中に入りました。


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1713年から1719年にバロック様式から新古典様式に改修された内部です。


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古い作品は美術館に移されました。


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1030年創建の痕跡は全くありません。


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天井のフレスコ画


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詳細不知


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カルロ・フランチェスコ・ヌヴォローネ(ミラノ、1609-1702)の「聖母子と2聖人」


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主祭壇前から見た出入口方向


P1640212
外に出ました。


P1640215
ドゥオーモ広場に向かいます。


P1640216


P1640217


P1640218


P1640219


P1640220
(つづく)

P1630737
ミラノ市立博物館の本館(スフォルツァ城内)です。


P1630710
ミラノ市立博物館については既に2回取り上げました。
毎年、複数回入館してますが、毎回少しづつ展示内容が違います。


P1630753
ベネデット・ベンボ


P1630765
アンブロージョ・べヴィラクゥア


P1630775
バルダッサッレ・デステ


P1630790


P1630784
ヴィンチェンツォ・フォッパ


P1630791
ヴィンチェンツォ・フォッパ


P1630801
ヴィンチェンツォ・フォッパ


P1630806
ヴィンチェンツォ・フォッパ


P1630808
ヴィンチェンツォ・フォッパ


P1630820
アンブロージョ・ダ・フォッサーノ通称イル・ベルゴニョーネ


P1630824
アンブロージョ・ダ・フォッサーノ通称イル・ベルゴニョーネ


P1630826
アンブロージョ・ダ・フォッサーノ通称イル・ベルゴニョーネ


P1630837
マルコ・ドッジョーノ


P1630860
ベルナルディーノ・ブティ―ノーネ


P1630867
ロンバルドの逸名画家


P1630881
マルコ・ドッジョーノ


P1630884
チェーザ・ダ・セスト


P1630895
ベルナルド・ゼナレ


P1630926
アゴスティーノ・ブスティ通称バンバイア


P1630930
ブラマンティーノ


P1630940
アンドレア・ソラーリオ


P1630944
べルナルディーノ・デ・コンティ


P1630946
ジャンピエトリーノ


P1630952
ベルナルディーノ・ルイーニ


P1630966
フィリッポ・リッピ


P1630970
アントネッロ・ダ・メッシーナ


P1630977
ジョヴァンニ・ベッリーニ


P1630983
マンテーニャ


P1630998
カルロ・クリヴェッリ


P1640004
コレッジョ


P1640093
ロレンツォ・ロット


P1640096
ティントレット


P1640102
幅広い展示です。


P1640122
外に出ました。


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次はアンブロジアーナ美術館です。


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徒歩で美術館に向かいました。


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ミラノ万博は、この時点では不人気でした。


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万博期間中のホテル代が高過ぎたのも、はじめ不人気だった理由の一つだったと思います。


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それで途中からホテル代を値下げしたら万博に客足が伸びたようです。


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終盤近くなって万博の大行列の報道に接して驚きました。


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振り返って写真を撮りました。


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ドゥオーモが写ってます。


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P1640141
アンブロジアーナ美術館に着きました。
(つづく)

引き続きサンタ・マリア・インコロナータ教会です。
P1350998
告解室?


P1360002
詳細不知の磔刑像


P1360005
アンブロージョ・ダ・フォッサーノ通称イル・ベルゴニョーネ(フォッサーノ、1453c-ミラノ、1523)に帰属する「Cristo sotto il torchio」


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礼拝堂天井のフレスコ


P1360007
詳細不知


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チーロ・フェッリ(ローマ、1634-1689)の「トレンティーノの聖二コラの物語」


P1360013
チーロ・フェッリ(ローマ、1634-1689)の「トレンティーノの聖二コラの物語」


P1360016
チーロ・フェッリ(ローマ、1634-1689)の「トレンティーノの聖二コラの物語」


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詳細不知


P1360023
制作者情報不知の「聖カルロ・ボッロメオと聖フィリッポ・ネリとサレスの聖フランチェスコ」


P1360029
制作者情報不知の「磔刑」


P1360030


P1360031
説教壇


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制作者情報不知の「最後の晩餐」


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詳細不知のフレスコ断片


P1360039
詳細不知


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オリジナルのサンタ・マリア・インコロナータ教会の主祭壇です。


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詳細不知


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詳細不知


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外に出る前に、もう一度ボルゴニョーネのフレスコ画を見ました。


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外に出ました。


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トラムで移動します。


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トラムを乗り継いでノルド駅に着きました。


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スフォルツァ城に向かいます。


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この時、ミラノ万博が開催されたばかりでした。奇妙なオブジェはミラノ万博用のものでしょう。


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毎年入館しているミラノ市立博物館に入館するために来ました。


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スフォルツァ家の紋章


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P1630507
万博の切符売り場だったような・・・・・


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如何にもイタリア人が好みそうな・・・・・


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ミラノ万博は、閉幕近くになると大人気でしたが、開幕したばかりの時は全くの不人気でガラガラでした。


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城内に入りました。


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恐らくミラノ万博開催を記念して新設されたと思われるミケランジェロの「ロンダニーニのピエタ」展時専用設備。


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入館するには市立博物館の切符が必要です。


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切符売り場の入り口


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切符を買いました。

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入館します。


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ミケランジェロの遺作となった未完の「ロンダニーニのピエタ」


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P1630530
(つづく)

P1630459
成田空港から出発です。
定刻の出発時間が表示されていました。ところが、ところが、でした。


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遅れてウンザリ。


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マルペンサ空港に到着しました。


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バスで中央駅へ。


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この日のミラノは雨でした。


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中央駅横のバスターミナルに到着。
初夏だったので日没前に到着予定でしたが、イタリアからの成田到着便が遅れた影響で3時間遅れのマルペンサ到着となりました。


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駅至近のミケランジェロがこの日のお宿です。


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ホテル近くのスーパーに買い物に。


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予定では、レストランに行く予定でしたが、飛行機が遅れたので叶わず。


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翌朝です。


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かなり寒い雨の一日となりました。


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この後、バガッティ・ヴァルセッキ博物館とボスキ・ディ・ステファノ邸美術館に行きました。写真不可だったの紹介を省略させて頂きます。


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ミラノ到着から25日後、帰路のミラノです。


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天気に恵まれました。


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今まであまり拝観に恵まれなかった教会巡りをしました。


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今回は、サンタ・マリア・インコロナータ教会です。


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ガリバルディ通りに面して建つサンタ・マリア・インコロナータ教会、正式には教区教会です。


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珍しい二重ファサードが目立ちます。


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ミラノ自治都市時代に建設されたサンタ・マリア・ディ・ガルニャーノ教会が前身です。


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1400年、アゴスティーノ会修道士によって、サンタ・マリア・ディ・ガルニャーノ教会に隣接して、修道院が建設されました。
1451年、教会の名称がサンタ・マリア・インコロナータ教会に改称されました。
写真左側は後期ゴシック様式のサンタ・マリア・インコロナータ教会で、ミラノ公爵フランチェスコ1世・スフォルツァ(サン・ミニアート、1401-ミラノ、1466)によって1450年から1460年にかけて再建されました。
写真右側は、トレンティーノの聖二コラを奉献するサン・二コラ・ダ・トレンティーノ新教会で、ミラノ公爵フランチェスコ1世・スフォルツァの妻ビアンカ・マリア・ヴィスコンティ(セッティ―モ・パヴェ―ゼ、1425-クレモナ、1468)によって1460年に建設されました。
1468年、2つの教会は合併され、合併後の名称は左側のサンタ・マリア・インコロナータ教会がそのまま引き継がれました。


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鐘楼


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旧サン・二コラ・ダ・トレンティーノ教会の右側壁の礼拝堂
1654年と1827年に大改造され、現在の姿と異なる外観でしたが、1900年に中世の姿に戻す改造工事が行われ、現在の姿となりました。


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ファサードのStemma Visconteo


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右側の旧サン・二コラ・ダ・トレンティーノ教会の入り口扉上ルネッタ上の「トレンティーノの聖二コラ像」


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左側入口扉上ルネッタ上の「戴冠した聖母像」


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扉が開く時間に来ました。


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中に入りました。


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当たり前ですが、中も二重構造になっていました。


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左側のオリジナルのサンタ・マリア・インコロナータ教会です。


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その右側に旧サン・二コラ・ダ・トレンティーノ教会があります。


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左側壁


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旧サン・二コラ・ダ・トレンティーノ教会


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右側壁


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ロレンツォ・ギベルティ派逸名金工家作「右後陣の磔刑像」(16世紀)


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バロックの逸名画家作「トレンティーノの聖二コラの生涯」(17世紀)


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右後陣の天井


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詳細不知の「聖家族」


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15世紀のフレスコ画 上はアレッサンドリアの聖カテリーナ、下はモンテファルコの聖キアーラ


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詳細不知


P1350995
詳細不知


P1350996
詳細不知


P1350997
(つづく)

P1100859
この時の旅はこれで終了です。


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ホテルに戻り、荷物を受け取り、空港に行って搭乗するだけです。


P1100861
靴下と靴が濡れたので、替える必要がありそうでした。


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ホテルに預けた荷物の中に、靴がもう一足あるので靴の方は問題なしでした。


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ところが靴下の方に問題がありました。


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帰国日に合わせて、肌着や靴下の洗濯を止めていたので、替えの靴下がない!


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靴下の洗濯は簡単なので、ホテルでやっておけば良かったのですが、後の祭りです。


P1100868
ズボラな性格なもので、洗濯は必要最小限度にしていたのが仇になりました。


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靴下を買うために街歩きを少々継続です。


P1100870
靴下を売っている店を探しました。


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ミラノの中心街には紳士用靴下を売っていそうな店が中々ない。


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婦人用下着や靴下を売っている店には入りましたが、紳士用は扱っていない!


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P1100877
参りました。


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旅をしていると色々なことが起こります。


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中央駅の店で買うことが出来ました。


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イタリアでは爪切りを買うのが大変だったことを覚えてます。


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旅の途中で、持参していた爪切りが分解してしまい、爪が伸びたので爪切りが必要になったのです。


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スーパーに行ってもないし、100円ショップのイタリア版の店に行っても扱っていなかった。


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ドイツならば、ヘンケルの刃物類を扱っている店で簡単に買えますが・・・・・


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フィレンツェの金物屋で買うことが出来ました。


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出発まで、あと4時間です。


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余裕をもって空港に行きたいので、そろそろ切り上げの時間になりました。


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中央駅に行けば、靴下が買えるだろうと楽観視していました。


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地下鉄で中央駅に向かいました。


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駅のショップで靴下を買うのに意外に苦戦して時間がかかってしまいました。


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ラウンジで少しゆっくりしたかったのですが叶わず。


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小さな飛行機です。


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P2420505


P2420508
(つづく)

P1100773
トリノ通りに戻りました。


P1100774
次はサン・ジョルジョ・アル・パラッツォ教会です。


P1100775
教会が建っている小さな広場にやってきました。


P1100776
サン・ジョルジョ・アル・パラッツォ教会です。


P1100780
750年、または751年、ロンゴバルドのフリウリ公爵ラチス(後のイタリア王)によって創建されました。


P1100783
12世紀に再建されました。


P1100857
1158年と1201年の文書に、この教会の存在が記されているそうです。


P1100779
16世紀以降、3回に渡る大改修を受け、現在の外観となりました。


P1100858
ファサードは、フランチェスコ・クローチェ(ミラノ、1696-1773)の設計によって1774年に完成しました。


P1100777
アルフォンゾ・パッロッケッティの設計によって19世紀末に建設された新古典様式のクーポラと鐘楼です。


P1100782
ファサードの装飾


P1100781
中に入りました。


P1100786
三廊式、ラテン十字形、ネオ・バロック様式の内部です。


P1100785
1800年と1821年にルイージ・カニョーラ(ミラノ、1762-インヴェリーゴ、1833)によって大改修された内部です。


P1100787
天井


P1100789
左側廊


P1100788
右側廊


P1100790
詳細不知


P1100792
ガウデンツィオ・フェラーリ(ヴァルドゥッジャ、1475/1480-ミラノ、1546)の「聖ジローラモ」


P1100793
19世紀末に建設されたクーポラ


P1100822


P1100854


P1100794
ピエル・フランチェスコ・マッツゥッケッリ通称イル・モラッツォーネ(モラッツォーネ、1573-ピアチェンツァ、1626)の「聖ジョルジョの殉教」


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詳細不知


P1100796
ピエル・フランチェスコ・マッツゥッケッリ通称イル・モラッツォーネ(モラッツォーネ、1573-ピアチェンツァ、1626)の「マギの礼拝」


P1100798
詳細不知


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雨天のためか、暗くてよく見えません。


P1100801
詳細不知


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この教会の最大の見所、Cappella della Passioneです。


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礼拝堂のフレスコ画は、ベルナルディーノ・ルイーニ(ドゥメンツァ、1481c-ミラノ、1532)によって1516年に制作されました。


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嘆き


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荊刑のキリスト


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磔刑


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この人を見よ


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キリストの鞭打ち


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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主祭壇


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ベルナルディーノ・ルイーニ作説がある後陣のフレスコ画


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ジョヴァンニ・ステファノ・ダネーディ通称イル・モンタルト(トレヴィーリオ、1612-ミラノ、1690)の「幼きキリストへの崇拝」


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ジョヴァンニ・ステファノ・ダネーディ通称イル・モンタルト(トレヴィーリオ、1612-ミラノ、1690)の「割礼」


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後陣は立ち入り禁止なのでよく見えません。


P1100825
詳細不知


P1100826
詳細不知


P1100830
詳細不知


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ウンベルト・マリニャーニの「聖カルロ・ボッロメオ」(1926)


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ダニエーレ・クレスピ(ブスト・アルシツィオ、1598-ミラノ、1630)の「ロザリオの聖母」


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ジュゼッペ・メラーニ(ピサ、1673-1747)の「聖カルロ・ボッロメオに顕現するキリスト」


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詳細不知


P1100843
詳細不知


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詳細不知


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主祭壇前から見た出入口方向


P1100856
外に出ました。
(つづく)

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次はサン・セバスティアーノ市立寺院です。


P1100741
サン・セバスティアーノ市立寺院です。
この場所に初期キリスト教のサン・トランクィッリーノ教会がありました。


P1100771
16世紀後半、ミラノを襲ったペスト禍収拾を奉献するために、1576年、当時のミラノ司教聖カルロ・ボッロメオの主導によって、ペッレグリーノ・ティバルディ(ピューリア、1527-ミラノ、1596)の設計、ミラノ自治体の費用負担によって、1577年から1616年にかけて建設されました。
ペッレグリーノ・ティバルディは建設の途中で体調を崩したので、建築家ジュゼッペ・メーダ(1534-1599)に建設工事が引き継がれましたが、メーダも1599年に没してしまい、メーダの後を引き継いだファビオ・マンゴーネ(カラヴァッジョ、1587-ミラノ、1629)が完成させたのです。


P1100742
クーポラは、ピエトロ・アントニオ・バルカ(ミラノ、1586c-1639c)によって1616年-1617年に建設されました。


P1100743
他の教会と違って、今なおミラノ市が所有してます。


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ファサードの装飾


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扉が開いていました。


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中に入りました。


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ほぼ円形の内部です。


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マニエリスム様式の内部です。


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クーポラのフレスコ画は、アゴスティーノ・コメーリオ(ロカーテ、1784-1829)によって描かれました。


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コメーリオは未完成で没したので、ラザーロ・パシーニ(レッジョ・エミリア、1861-ミラノ、1949)によって完成されたフレスコ画です。


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詳細不知
見慣れた作品がありますが、私見では、オリジナルではないようで、恐らく複製画でしょう。


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詳細不知


P1100751
詳細不知


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詳細不知


P1100754
詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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ベネデット・カッチャトーリ(カッラーラ、1794-1871)の「ピエタ」


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詳細不知


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詳細不知


P1100762
詳細不知


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詳細不知


P1100765
詳細不知


P1100766
詳細不知


P1100767
詳細不知


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外に出ました。


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雨がかなり強くなってきました。


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次はサント・セポルクロ教会です。教会はアンブロジアーナ図書館の隣にあります。


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まだ8時を過ぎたばかりです。


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アンブロジアーナ美術館です。


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開館は午前10時からです。


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帰国の日に入館するわけにはいきません。


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少し大回りしてアンブロジアーナ図書館に向かいました。


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Via dell Ambrosiana


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アンブロジアーナ図書館です。


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図書館と教会がくっついてます。


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サント・セポルクロ教会です。


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鐘楼が2本あります。


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この日の朝は開いている筈ですが、来てみると扉が閉まっていました。


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「行ってみないと分からない、行ってみて初めて分かる」 今回もこれでした。


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トリノ通りに戻ります。


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嬉しいことに雨が少し小降りになりました。


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(つづく)

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ガッレリアに向かいました。


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ガッレリアの入り口でレオナルド・ダ・ヴィンチ展が行われていました。
手稿に記載されている機械、工夫などを模型によって具現化したものが展示されていました。


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ガッレリアに入りました。


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相変わらずの賑わいでした。


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ドゥオーモ広場とスカラ座方面を繋ぐ通路です。


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通路と通路の交差点四隅の店が時々変わります。


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この時はプラダが2つでしたが、4隅ともプラダだった時があったような気がします。


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ガッレリア中央の天井


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モザイク


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ミラノの紋章


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やってます!
牡牛の大事な所に踵を付けて、とまらずに3回転出来る幸福になれるそうです。


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数年前に修復されましたが、穴が出来てしまいました。
これってトリノの紋章なんです。
ミラノにサッカーチームが2つありますが、トリノの憎っきユヴェントスとの試合日前後に、トリノのシンボル牡牛の大事な所に踵を付けて回転させて、ファンの士気を高揚させたり、地元の勝利を祝したり、敗戦のうっぷん晴らしをするという別説があります。


151
修復されて間もないころ


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地元の人に聞いたことがありますが、ユヴェントス説を支持していました。


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ドゥオーモ広場に出ます。


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ドゥオーモ広場


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愛用のエルメデジルド・ゼニアの広告がありました。


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地下鉄で中央駅近くのホテルに戻りました。


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ミケランジェロが満室だったので、その向かいのホテルに泊まってました。


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特に問題なしのホテル


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それにしてもミラノのホテル代が高い!


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この時の旅の最後の夜なので、買い物に出ました。


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ブエノス・アイレス通りのスーパーに行きました。


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翌朝です。生憎の雨天でした。


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ドゥオーモ付近の教会を巡ります。


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トリノ通り


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マルペンサからの成田直行便に乗るので、午前10時半までにはホテルに戻りたいところです。


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サン・サティーロ教会


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拝観しました。


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写真不可なので、中の写真がありません。


P1100739
(つづく)

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ポルディ・ペッツォーリ美術館は、この日の翌日に行きました。


P1100644
次はサン・フェデーレ教会です。


P1100646
この日の公演はありません。


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スカラ座前からサン・フェデーレ教会が見えます。


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サン・フェデーレ教会です。正式名はChiesa di Santa Maria della Scala in San Fedeleと言います。
313年、この場所に建てられたサンタ・マリア・イン・ソラリオ―ロ教会が前身です。11世紀、奉献する聖人を聖フェデーレに変更すると共に、サン・フェデーレ教会と呼称されるようになりました。


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現在の建物は、16世紀に聖カルロ・ボッロメオが、反宗教改革を目的にイエズス会の教会として建設されました。


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ペッレグリーノ・ティバルディ(ピューリア、1527-ミラノ、1596)の設計によって、1569年に創建され、1579年に活動が行われる状態になったマニエリスム様式の建物です。
1579年、聖カルロ・ボッロメオによって奉献式が執り行われました。
1586年、建設工事は建築家マルティーノ・バッシ(セレーニョ、1542-ミラノ、1591)に引き継がれ、更に1629年、建築家フランチェスコ・マリア・リッチーニ(ミラノ、1584-1658)に引き継がれて完成しました。


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クーポラは、アンドレア・ビッフィ(ミラノ、1645-1686)の設計によって1684年に建設されました。


163
1773年、イエズス会活動抑止令によって教会活動が停止されてしまい、ファサードが1776年に取り壊されました。
現在のファサードは、建築家ピエトロ・ペスタガッリ(ミラノ、1776-1853)によって、ペッレグリーノ・ティバルディ設計に基づくオリジナルのファサードに出来るだけ忠実に復元(1835年)されたものです。


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サン・フェデーレ広場に、フランチェスコ・バルザーギ(ミラノ、1839-1892)の「アレッサンドロ・マンゾーニのモニュメント」(1883)があります。
アレッサンドロ・マンゾーニ(ミラノ、1785-1873)は詩人、作家ですが、1873年、サン・フェデーレ教会から外に出るときに躓いて大怪我をし、それがもとで死去したのです。


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ファサードの最上部は、ガエターノ・マッテオ・モンティ(ラヴェンナ、1776-ミラノ、1847)の「聖母被昇天」


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ファサードの彫刻


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教会の説明プレート


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教会の構造図


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教会内に入りました。


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単廊式、マニエリスム様式の内部です。翼廊がありません。


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左右に2つづつの礼拝堂があります。


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天井にイエズス会の紋章があります。


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Cappella della Deposizione


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シモーネ・ペテルツァーノ(ベルガモ、1535-ミラノ、1599)の「十字架降下」(1573-78c)


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説明板があります。


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詳細不知


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制作者情報等詳細不知の「キリストの洗礼」


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ペッレグリーノ・ティバルディのCappella Spinola- Rezzinico


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ベルナルディーノ・ルイーニ派逸名画家作「スカラの聖母」(16世紀)


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主祭壇


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クーポラ


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Cappella di Sant' Ignazio


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ジョヴァン・バッティスタ・クレスピ通称イル・チェラーノ(ロマニャーノ・セーシャ、1573-ミラノ、1632)の「聖イグナツィオ・ディ・ロヨラの幻視」(1622)


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詳細不知


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詳細不知の磔刑像


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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主祭壇前から見た出入口方向


P1100693
外に出ました。
(つづく)

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サン・マルコ教会を後にしました。


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ブレラ通りに来ました。


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ここに来た目的は勿論ブレラ絵画館です。


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美術学校の生徒の奇抜な服装が面白い。


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修復中だったナポレオン像です。


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入館しました。


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展示作品はすべて一級です。


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ヴェネツィア派絵画が充実しています。


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ルカ・シニョレッリの作品


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ブレラ絵画館については、既に2回取り上げました。


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かなり空いていました。


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外に出ました。


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ブレラ絵画館に何回入荷しても何時も感激します。


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どうしても館内に長くいるので、疲れます。


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旧サン・カルポフォロ教会です。


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非常に印象的なファサードです。


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旧サン・カルポフォロ教会の後陣


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フランチェスコ・アイエツのモニュメント


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フランチェスコ・バルザーギ(ミラノ、1839-1892)の「フランチェスコ・アイエツのモニュメント」(1890)


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17世紀に建設され、18世紀に改造されたPalazzo Cusani
ロンバルディア軍の司令部が置かれてます。


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スカラ座方向に歩きます。


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サンタ・マリア・デル・カルミネ教会です。


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Via Ciovasso


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写真左はサンタ・マリア・デル・カルミネ教会です。


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突き当りはブレラ通りになります。


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ブレラ通りに戻りました。


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次はサン・ジュゼッペ教会です。


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サン・ジュゼッペ教会です。


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フランチェスコ・マリア・リッチーニ(ミラノ、1584-1658)の設計によって1607年から1630年に建設されたロンバルド・バロック様式の教会です。


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ファサードの彫刻はルイージ・スコルツィーニ(ミラノ、1799-1839)によります。


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ルイージ・スコルツィーニ(ミラノ、1799-1839)の「聖家族」


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中に入りました。


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アンドレア・ランツァーニ(ミラノ、1645-1712)の「聖家族」(1712)


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外に出ました。


P1100643
(つづく)

P1100495
この日は、ポルタ・ガリバルディ駅から街歩きを始めました。


P1100496
直ぐにガリバルディ門が見えます。


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ジャコモ・モラーリア(ミラノ、1791-1860)によって1826年から18128年にかけて建設されたガリバルディ門です。


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ローマ時代に築かれた城壁の門が前身です。


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カドゥケウスの図像(交通のシンボル)


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門の横にある建物


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コルソ・ガリバルディから見たガリバルディ門


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コルソ・ガリバルディ


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サンタ・マリア・インコロナータ教会


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左が教会、右が修道院の所謂「二重教会」の建物です。


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15世紀に建設されました。


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扉が閉まっていました。


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ファサードのトレンティーノの聖二コラ像


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戴冠した聖母像


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教会前の広場


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マルサラ通り


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ガリバルディ通りを進みます。


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サルヴァトーレ・ピサーニ(モンジャーナ、1859-ミラノ、1920)の「ジョヴァンニ・バッティスタ・ピアッティのモニュメント」(1894)
ジョヴァンニ・バッティスタ・ピアッティ(ミラノ、1813-1867)は、圧縮空気ドリルを発明したエンジニアです。鉄道トンネルの掘削において、ピアッティの圧縮空気ドリルが飛躍的に効果を上げたのです。


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この辺は19世紀に再整備された地域です。


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新しい建物ばかりで詰まらない。


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ミラノの繁華街の一つです。


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サン・シンプリチャーノ聖堂に向かいます。


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聖堂はもう直ぐです。


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ガリバルディ通りの左側に聖堂があります。


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サン・シンプリチャーノ聖堂にやってきました。


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4世紀に建設された初期キリスト教会が前身です。


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異教の墓地がありましたが、葬儀用祈り場を初期キリスト教会に改造されたようです。


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9世紀に大きな礼拝堂が併設されました。


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11世紀から13世紀に大改修されました。


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ファサード・ルネッタのモザイク


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サン・シンプリチャーノ通りです。


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ガリバルディ通りに戻りました。


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写真右に面白い建物があります。


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1859年に建設されたTeatro Fossatiです。


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ユニークなファサードです。


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次の交差点を左折します。


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ポンタッチョ通りに入りました。


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ポンタッチョ通りを更に進みます。


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次はサン・マルコ教会です。


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ブレラ絵画館に近い。


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サン・マルコ教会にやってきました。


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1245年に創建された教会です。


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モーツァルトが3か月ほど滞在したことでも知られてます。


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1874年、ヴェルディ作曲のレクイエムが初演された教会です。
1871年に復元されたファサード。


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バラ窓


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ジョヴァンニ・ディ・バルドゥッチョ(ピサ、1300c-1349c)に帰属する「三聖人」


P1100564
入口扉上ルネッタのモザイクは、アンジェロ・インガンニ(ブレーシャ、1807-グッサーゴ、1880)のフレスコ原画に基づきます。


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扉が閉まっていました。


P1100566
(つづく)

333
サンタ・マリア・プレッソ・サン・チェルソ聖堂にやってきました。扉が開いていました。


331
Basilica e Santuario di Santa Maria dei Miracoli presso San Celsoが正式名です。
1950年、Basilica Minoreに格付けされました。
写真右はサン・チェルソ教会です。presso=近くの、という意味ですから、サン・チェルソ教会近くのサンタ・マリア・デイ・ミラコリ聖堂聖域と訳せば良いと思います。


329
本題とはあまり関係がありませんが、サン・チェルソ教会は、4世紀に創建された歴史ある教会で、現在の建物は11世紀に再建されたものです。ネオ・ロマネスク様式のファサードは、19世紀に改装された
ものです。
外観では、11世紀の再建された鐘楼が目立ちます。


327
地図があって分かり易い。


330
ジャン・ジャコモ・ドルチェブオーノ(ルガーノ、1445c-ミラノ、1504)とジョヴァンニ・バッタージョ(ローディ、15世紀―?)の設計によって1493年に建設工事が開始されました。
外壁を囲む柱廊は、チェーザレ・チェザリアーノ(ミラノ、1475-1543)、クリストフォロ・ロンアバルド通称イル・ロンバルディーノ(?、?-ミラノ、1556)などによって16世紀初頭に建設されました。


332
八角形のクーポラは、ジョヴァンニ・アントニオ・アマデオ(パヴィア、1447-ミラノ、1522)の設計によって1494年に建設が始められました。


258
Quadriportico


320
ジョヴァンニ・アントニオ・アマデオ(パヴィア、1447-ミラノ、1522)の設計によるQuadriportico


257
マニエリスム様式のファサード


260
ヴィンチェンツォ・セレーニ(セレーニョ、1519/1520-ミラノ、1594)の設計原案に基づきガレアッツォ・マレッシ(ペルージャ、1512-1572)の設計によって、マルティーノ・バッシ(セレーニョ、1549-ミラノ、1591)が1570年に完成させたファサードです。


261
ファサードの彫刻


262
ストルド・ロレンツィ(セッティニャーノ、1534-ピサ、1583以降没)とアンニーバレ・フォンターナ(ミラノ、1540-1587)によるファサードの彫刻


263


256
音楽天使たちの彫刻


310
聖堂内部に入りました。


265
三廊式、ルネサンス様式の内部です。


266
1565年、聖カルロ・ボッロメオは反宗教改革を表明しましたが、それに沿って内装されたと言われてます。


268
詳細不知


269
ジョヴァン・バッティスタ・クレスピ通称イル・チェラーノ(チェラーノ、1573-ミラノ、1632)による天井フレスコ


270
詳細不知


272
詳細不知


274
ジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニ(ボローニャ、1574-ミラノ、1625)の「聖ナザーリオと聖チェルソの殉教」(1607)


277
パリス・ボルドン(トレヴィーゾ、1500-ヴェネツィア、1571)の「聖家族と聖ジローラモ」


281
アントニオ・カンピ(クレモナ、1522-1587)の「キリストの復活」


285
カルロ・ウルビーノ(クレマ、1525-1585)の「聖母被昇天」


287
ガウデンツィオ・フェラーリ(ヴァルドゥッジャ、1475/1480-ミラノ、1546)の「キリストの洗礼」


288
カルロ・ウルビーノ・ダ・クレマ(クレマ、1525-1585)の「祝福を受けるキリスト」


290


292
詳細不知


293
詳細不知


294
詳細不知


295
左側廊天井


297
カミッロ・プロカッチーニ(ボローニャ、1551-ミラノ、1629)の「聖母被昇天」


302
ジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニ(ボローニャ、1574-ミラノ、1625)の「キリストの遺体の移送」


305
ジョヴァン・バッティスタ・クレスピ通称イル・チェラーノ(チェラーノ、1573-ミラノ、1632)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの殉教」(1603)


308
下の部分が有名です。涙の聖母と聖ナザーリオと聖チェルソ


309
アンドレア・アッピアーニ(ミラノ、1754-1817)のフレスコ画


311
詳細不知の磔刑像


312
主祭壇と後陣


313
アンドレア・アッピアーニ(ミラノ、1754-1817)のフレスコ画


314


315
左側廊


316
詳細不知


318
詳細不知


322


323


326


334
外に出ました。
(つづく)

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ドゥオーモの続きです。
壮大な柱に圧倒されます。


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一部修復工事中でした。
五廊式ですね。


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詳細不知


P1000333
エネア・サルメッジャの「聖母の結婚」


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マルコ・カレッリの墓(1394)


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聖カルロ・ボッロメオの墓


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外に出ました。


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外壁を見て回りました。


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ドゥオーモ広場


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サン・フェデーレ教会は閉まっていました。


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ファサード前のアレッサンドロ・マンゾーニ像


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サン・フェデーレ教会の身廊


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この日の公演はありませんでした。


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ポルディ・ペッツォーリ美術館に向かいます。


P1000367
毎年訪れてます。


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P2640321
入館しました。


P2640328
ポルディ・ペッツォーリ美術館に付いては既に取り上げました。


P2640604


P2640611


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P2650055
(つづく)

418
次はサンタ・マリア・デル・カルミネ教会です。


419
サンタ・マリア・デル・カルミネ教会はブレラ地区にあります。


420
サンタ・マリア・デル・カルミネ教会です。
広場にある奇妙なモニュメントにガックリ。


421
13世紀に建設されたカルメル会の修道院教会が前身です。14世紀、ここにいた修道士が別の修道院に移って最初の建物が放棄されました。
放棄された建物は急速に荒廃したので、1400年から1446年に建設された後期ゴシック様式で再建された建物が現在の姿の原形です。


422
17世紀にバロック様式に改造されました。
また、ファサードは、カルロ・マチャキーノ(インドゥーノ・オローナ、1818-ヴァレーゼ、1899)の設計によって1880年に建設された比較的新しいものです。


423
中央扉上ルネッタのモザイク


425
ファサードのテラコッタ「受胎告知する大天使」


426
「受胎告知される聖母」


427


462


429
中に入りました。


431
三廊式、ゴシック様式の内部です。


430
右側廊


434
ジョヴァンニ・マウーロ・デッラ・ローヴェレ通称イル・フィアッメンギーノ(ミラノ、1575-1640)の「キリストの神殿奉献」


436
17世紀の逸名画家作「磔刑」


437
フェデリーコ・ビアンキ(マスナーゴ、1635-ミラノ、1719)の「キリストとアヴィーラの聖テレーザ」


441
詳細不知


442
詳細不知


443
ミサが始まりそうです。


444


446
17世紀中頃の逸名画家作「聖母子と聖ゴッタルドと聖モニカ」(1641)


447
ベルゴニョーネ派逸名画家作「磔刑」(16世紀)


448
ベルゴニョーネ派逸名画家作「羊飼いの礼拝」(16世紀)


450
Cappella del Sacro Cuore


451
詳細不知


453
詳細不知


454
詳細不知のフレスコ画


455
詳細不知のフレスコ画


456
詳細不知の礼拝堂天井のフレスコ画


463
外に出ました。


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一旦ホテルに戻りました。


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中央駅近くを散策しました。


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見所は殆どありません。


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道路がほぼ碁盤の目になっているので迷うことはありません。


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中央駅付近はホテルが林立する地域です。


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Oratorio di San Gregorio Magno


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夜遅くに開くようです。


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一度も拝観したことがありません。


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トラムでドゥオーモへ。


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何時も外観を見るだけに終わっています。


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久し振りに拝観することにしました。


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聖堂内に入りました。


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P1000330
(つづく)

341
詳細不知の「聖母子と聖ジローラモと聖ロッコ」


347
アンブロージョ・ダ・フォッサーノ通称イル・ベルゴニョーネ(フォッサーノ、1453-ミラノ、1523)の「復活したキリスト」(15世紀末)


349
柱に描かれたフレスコ画


350
柱に描かれたフレスコ画


351
Ciborio


353
アンドレア・ランツァーニ(ミラノ、1645-1712)の「聖アンブロージョの最後の聖体拝領」


355
詳細不知


356
詳細不知


357
詳細不知


358
5世紀のモザイク


361


388


391


359


360


363
ここから宝物室の展示です。
アンブロージョ・ダ・フォッサーノ通称イル・ベルゴニョーネ(フォッサーノ、1453-ミラノ、1523)の「キリストと博士たち」(16世紀)


366
ジョヴァン・ステファノ・ダネーディ通称イル・モンタルト(トレヴィーリオ、1612-ミラノ、1690)の「聖カルロ・ボッロメオと聖フェデリーコ・ボッロメオ」(17世紀)


369
4世紀のもの


370
黄金の3聖人のモザイク


371
詳細不知


373
ベルナルディーノ・ゼナーレ派逸名画家作「聖母子と聖アンブロージョと聖ジローラモ」(15世紀)


376
アンブロージョ・ベソッツィ(ミラノ、1648-1706)の「介抱される聖セバスティアーノ」(17世紀)


378
墓です。


392
ベルナルドとアンセルモ1世の墓


379
詳細不知


380
詳細不知のプレセピオ


381
グリエルモ・コッタの墓のフレスコ(1267)


382
祭壇前飾り


383


384
詳細不知のフレスコ


387
詳細不知


393
聖具類の展示です。


394


395


396
詳細不知


397
クリプタに入ります。


399
半地下となっているので、外から光が入ります。


398
この先に聖アンブロージョの遺骸がありますが、行けないようになっていました。


400
クリプタから新キオストロに出ました。


401
新キオストロ


402
ブラマンテの作と言われているCanonica(司教館)の回廊


404
写真右がCanonica(司教館)の回廊です。


403
Oratorio di San Sigismondo


405
11世紀に建設されたオラトリオ


407
かなりの修復箇所が認められます。


409
オラトリオの後陣


411
聖堂の柱廊に戻りました。


412
聖堂の入り口扉の装飾


413
柱頭


414


415
アトリウム


416
アトリウムの柱廊


417
外に出ました。
(つづく)

288
トラムに乗ってサンタンブロージョ聖堂にやってきました。


297
聖堂前の広場には観光客が大勢いました。私もその中の一人です。


289
Campanile dei Canoniciは修復工事中でした。
Basilica Collegiata Abbaziale Prepositurale di Sant' Ambrogio、略してサンタンブロージョ聖堂です。


291
ミラノ司教聖アンブロージョ(トーリア、339/340‐ミラノ、397)の要請に基づき、379年から386年にかけて建設された教会です。386年、聖アンブロージョが奉献式を執り行いました。


292
入口のアトリウムに入ります。


293
現在の姿は、9世紀から11世紀にかけて再建されたロンバルディア・ロマネスク様式の建物になってますが、現在に至るまで修復が繰り返されてます。


295
アトリウムの柱廊


294


296
写真右の鐘楼は、9世紀に建設されたCampanile dei Monaciです。


298
写真左の修復中の鐘楼は、12世紀に建設されたCampanile dei Canoniciです。


501
修復工事後のCampanile dei Canonici


299
柱廊の壁に残るフレスコ画


500


303
聖堂内に入りました。


302
身廊と側廊がアーケードで仕切られてます。


301
右側廊


305
カミッロ・プロカッチーニ(ボローニャ、1551‐ミラノ、1629)の「テオドシウス帝を聖堂の前で制止する聖アンブロージョ」


307
ジョヴァンニ・バッティスタ・デッラ・ヴェルヴァ(ノヴァーラ、1515c‐ミラノ、1580)の「十字架降下」(1545)
ジョヴァンニ・バッティスタ・デッラ・チェルヴァは、ガウデンツィオ・フェラーリの弟子で、ガウデンツィオの追随者、協力者でした。


308
ガウデンツィオ・フェラーリ派逸名画家作「天使たち」(1545)


309
ガウデンツィオ・フェラーリ派逸名画家作「天使たち」(1545)


311
ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ(ヴェネツィア、1696‐マドリッド、1770)のフレスコ画


313
ガウデンツィオ・フェラーリ(ヴァルドゥッジャ、1475/1480-ミラノ、1546)の「聖母子と聖バルトロメオと聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ」(1540)


315
ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ(ヴェネツィア、1696-マドリッド、1770)の「聖サティーロの難破」(1737)
聖サティーロは、聖アンブロージョの弟です。


316
カルロ・ドネッリ通称イル・ヴィメルカーティ(1661-1715)の「皇帝の前の聖セバスティアーノ」


317
ベルナルディーノ・ルイーニ(ドゥメンツァ、1481c-ミラノ、1532)の「福音書記者たちのトンド」


318
ベルナルディーノ・ルイーニ(ドゥメンツァ、1481c-ミラノ、1532)の「福音書記者たちのトンド」


320
Cappella Santi Bernard e Benedetto


322
フィリッポ・アッビアーティ(ミラノ、1640-1715)の「教皇の前の聖ベルナルド」


321
カルロ・プレーダ(ミラノ、1651-1729)の「聖ベネデットの死」


323
クーポラの装飾


326
ガウデンツィオ・フェラーリ(ヴァルドゥッジャ、1475/1480-ミラノ、1546)の「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」


329
Cappella San Giorgio


330
ベルナルディーノ・ラニーノ(モルタラ、1512-ヴェルチェッリ、1578)の「聖ジョルジョの物語」


331


328
ベルナルディーノ・ラニーノ(モルタラ、1512-ヴェルチェッリ、1578)の「竜を退治する聖ジョルジョ」


334
主祭壇


333
後陣のモザイク(4-8世紀)


335


340
説教壇とスティリコの石棺


338
石棺の彫刻


337


336
(つづく)

096
Aula della monache


083
Aula della monacheの反対側


088
この部屋にもフレスコ画が一杯です。ベルナルディーノ・ルイーニと彼の息子たちによってフレスコ画が制作されましたが、場面毎の作品帰属がすべて明確になっているわけではないようです。


063
ジョヴァン・ピエトロ・ルイーニとアウレリオ・ルイーニ(ミラノ、1530c‐1593)の「最後の晩餐」
ジョヴァン・ピエトロはベルナルディーノ・ルイーニの3男、アウレリオはベルナルディーノ・ルイーニの4男、末っ子です。


064
ジョヴァン・ピエトロ・ルイーニとアウレリオ・ルイーニ(ミラノ、1530c‐1593)の「十字架降下」


065
「キリストの鞭打ち」


066
「キリストの逮捕」


067
「ピラトの前のキリスト」


068


071
アウレリオ・ルイーニ(ミラノ、1530c‐1593)の「ノアの箱舟の物語」


072
アウレリオ・ルイーニの画風の特徴がよく出た傑作です。


074
ベルナルディーノ・ルイーニの4人の息子のうち、最も技量が優れていたのはアウレリオだったと思います。


075
ベルナルディーノ・ルイーニ(ドゥメンツァ、1481c‐ミラノ、1532)の「アレッサンドリアの聖カテリーナと聖アガタ」


076
ベルナルディーノ・ルイーニ(ドゥメンツァ、1481c‐ミラノ、1532)の「キリストの埋葬」


077
「聖骸布に包まれるキリスト」


078
「我に触れるな」


079
詳細不知


080


081
ベルナルディーノ・ルイーニ(ドゥメンツァ、1481c‐ミラノ、1532)の「カルヴァリオへの上り」


082
詳細不知


084


085
ジョヴァン・ジャコモ・アンテニャーティのオルガン(1554)


087


089
「キリストの嘲笑」


097
ベルナルディーノ・ルイーニ(ドゥメンツァ、1481c‐ミラノ、1532)の「カナの結婚」


090
「ユダの裏切り」


091
Aula dei Fedeli に戻りました。


099
旧女子修道院のキオストロに行きました。


100
回廊に遺跡からの発掘物が置かれてます。


102
ミラノ市立考古学博物館としての展示でしょう。


101
入館しましたが、この時は写真不可でした。


105
外に出ました。


493
トラムを乗り継いで、スカラ座前で降りました。


492
サン・ジュゼッペ教会が閉まっていました。


490
ブレラ通り


469
ブレラ美術館にやってきました。


471
館長を務めていたフランチェスコ・アイエツのブロンズ像


472


473


474


475
入館する前に一休みしました。


476
この階段が結構キツイ。


477


480


481
入館しました。


488
外に出ました。
この当時、中は写真不可でした。


487
美術館は疲れます。


489
(つづく)

103
次はサン・マウリツィオ教会です。


104
ルイーニ通りに面して建つPalazzo Littaです。
1642年建設着工、1761年にファサードが完成したロココ様式の建物です。


019
道路を挟んでPalazzo Littaの向かいにあるサン・マウリツィオ教会です。


020
Chiesa di San Maurizio al Monastero Maggiore


021
初期キリスト教の女子修道院の教会が前身です。その女子修道院はカロリング朝時代の文書に記載されています。ミラノで裕福な修道院として知られていたそうです。
現在のルネサンス様式の教会建物は、ジャン・ジャコモ・ドルチェブオーノ(ルガーノ、1445c‐ミラノ、1510)とジョヴァンニ・アントニオ・アマデオ(パヴィア、1447‐ミラノ、1522)の設計によって、1503年から1509年に再建された二代目となるものです。


023
写真右側に修道院の門があります。
修道院は、1798年に閉鎖され、一度も修道院活動を再開することなく、兵舎、女学校、病院として使用された後、現在はミラノ市立考古学博物館になってます。


022
中はフレスコ画の宝庫です。


025
中に入りました。
L' Altar maggiore nell' Aula dei Fedeli


093
左側壁


092
場面毎に見て行きます。


091
フレスコ画、祭壇画はAula dei Fedeli だけではありません。


095
ベルナルディーノ・ルイーニ(ドゥメンツァ、1481c‐ミラノ、1532)の「聖チェチリアと聖オルソラ」(1530c)


043


044
ベルナルディーノ・ルイーニ(ドゥメンツァ、1481c‐ミラノ、1532)の「聖マウリツィオの殉教」、「聖母被昇天」


046
ボケ写真で申し訳ありません。
アントニオ・カンピ(クレモナ、1524‐1587)の「マギの礼拝」(1578)


047
ベルナルディーノ・ルイーニの「聖女」、「聖ルチア」


048
ベルナルディーノ・ルイーニ(ドゥメンツァ、1481c‐ミラノ、1532)の「イッポリータ・スフォルツァと聖人たち」(1530c)


049


050
アウレリオ・ルイーニ(ミラノ、1530c‐1593)によって描かれたCapella Bentivoglioのフレスコ画(1570)
ベルナルディーノ・ルイーニには、トビア、エヴァンジェリスタ、ジョヴァン・ピエトロ、アウレリオの4人の息子がいました。アウレリオは4番目の息子でした。


054
Cappella Besozzi


053
ベルナルディーノ・ルイーニ(ドゥメンツァ、1481c‐ミラノ、1532)の「荊刑のキリスト」(1530)


056
ベルナルディーノ・ルイーニ(ドゥメンツァ、1481c‐ミラノ、1532)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの奇跡」


055
ベルナルディーノ・ルイーニ(ドゥメンツァ、1481c‐ミラノ、1532)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの斬首」


026
シモーネ・ペテルツァーノ(ヴェネツィア、1535‐ミラノ、1599)の「商人たちの寺院からの追放」


028
ジョヴァン・ピエトロ・ルイーニとアウレリオ・ルイーニ(ミラノ、1530c‐1593)の「キリストの復活」(1555)


029
ジョヴァン・ピエトロ・ルイーニとアウレリオ・ルイーニ(ミラノ、1530c‐1593)の「我に触れるな」(1555)
ベルナルディーノ・ルイーニには4人の息子がいましたが、ジョヴァン・ピエトロは3番目の息子、アウレリオは末っ子でした。


030
ジョヴァン・ピエトロ・ルイーニとアウレリオ・ルイーニ(ミラノ、1530c‐1599)の「エマオのキリスト」(1555)
ジョヴァン・ピエトロ・ルイーニの生年、没年が分かっていないようです。


034
エヴァンジェリスタ・ルイーニの「聖ステファノの殉教」(1550c)
エヴァンジェリスタ・ルイーニは、ベルナルディーノ・ルイーニの次男です。


035
エヴァンジェリスタ・ルイーニの「聖ステファノの説教」(1550c)


036
エヴァンジェリスタ・ルイーニの「フランチェスコ・カッレートの肖像」(1550c)
カッレート家はミラノ有力貴族でした。フランチェスコはカッレート家の当主でした。


041
Cappella Carreto


038
エヴァンジェリスタ・ルイーニの「キリストの洗礼」(1545)


040
ビアージョ・アルチンボルド(アルチンボルディ)とジュゼッペ・アルチンボルド(アルチンボルディ)(ミラノ、1526‐1593)の「Imposizione del nome a San Giovanni Battista」
ビアージョはジュゼッペの父。


039
ビアージョ・アルチンボルド(アルチンボルディ)とジュゼッペ・アルチンボルド(アルチンボルディ)(ミラノ、1526‐1593)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの斬首」


059
詳細不知


060
詳細不知


061
詳細不知
(つづく)

235
この日は曇りでした。


234
夕方にミラノに到着しました。美術館に行くには時間が足らないので、教会巡りをすることに。


238
こちらの教会は修復工事のため、観光客の立ちリが制限されていました。


239
サンテウフェミア聖堂に向かいます。


240
サン・ジョヴァンニ・イン・コンカ教会の残骸を通り過ぎます。


241
サンテウフェミア聖堂は、コルソ・イタリアのサンテウフェミア広場にあります。


242
Palazzo del Touring Club Italiano


243
サン・パオロ・コンヴェルソ教会です。


252
1549年から1580年に建設されたバロック様式の教会です。


255
ファサードは、ジョヴァンニ・バッティスタ・クレスピ通称イル・チェラーノ(ロマニャーノ・セーシャ、1573‐ミラノ、1632)の設計によって1619年から1631年に建設されました。


250
通りを挟んで、サン・パオロ・コンヴェルソ教会の隣にあるのがサンテウフェミア聖堂です。


249
472年頃、聖セナトーレ司教によって建てられた古い歴史ある教会です。


251
15世紀に再建され、16世紀に大掛かりな改修を受けました。
現在の姿は、1870年に行われた改造後のものです。


335
聖堂の扉が開きました。


245
ファサード柱廊のモザイク


246
ラヴェンナのモザイクを参考にして制作されたそうです。


247


248


363
聖堂内に入りました。


364
左側壁


365
右側壁


337
ルイージ・カヴェナーギ(カラヴァッジョ、1844‐ミラノ、1918)のフレスコ画


345
アゴスティーノ・カイローニ(1820‐1907)の後陣フレスコ画


338
マルコ・ドッジョーノ(オッジョーノ、1475c‐ミラノ、1524c)の「聖母子と聖人たちと音楽天使たち」


340
詳細不知


341
詳細不知


344
詳細不知


347
詳細不知


349
詳細不知


352
ベルナルディーノ・ベルゴニョーネ(ミラノ、1455/1460-1525)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」


353
マルコ・ドッジョーノ(オッジョーノ、1475c-ミラノ、1524c)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」


355


356
シモーネ・ペテルツァーノ(ヴェネツィア、1535-ミラノ、1599)の「聖霊降臨」


359
詳細不知


361
アウグスト・ロッジャ(サンジャーノ、1896-ガルド―ネ・リヴェイラ、1962)の「聖母子と聖人たち」


362


366
外に出ました。


003
次はラルゴ・カイローリにあるサンタ・マリア・デッラ・コンソラツィオーネ教会です。


004
サンタ・マリア・デッラ・コンソラツィオーネ教会です。
1471年、ミラノ公爵ガレアッツォ・マリア・スフォルツァによって建設された礼拝堂が前身です。1492年、礼拝堂はアウグスティヌス修道会の所有となりました。


017
現在の建物は、1588年に再建され、1836年に現在の姿に改造されたものです。


005
ミラノのフィリピン人たちの教会となってます。


006
中に入りました。


009
左側壁


008
右側壁


016
主祭壇画の「ピエタ」(制作者情報不知)


013
詳細不知


011
エネア・サルメッジャ(ネンブロ、1575以前-ベルガモ、1626)の「聖アンドレアの殉教」(1604)


010
詳細不知


018
外に出ました。
(つづく)

158
Parco delle Basiliche

157
Basilica Collegiata Prepositurale di San Lorenzo Maggiore


159
サンタ・マリア・デッラ・ヴィット―リア教会です。


161
1629年から1669年にかけて再建されたバロック様式の建物です。


163
1996年にルーマニア正教会の所有となったので、オルトドッサ・ルメーナ(ルーマニア正教会)教会とも呼ばれてます。


164
サンタ・マリア・デッラ・ヴィット―リアは中世のティチネーゼ門の前にあります。


162
中世のティチネーゼ門です。


160
11世紀に築かれた城壁のうち、残っているのはこの門だけです。


169
門を潜って11世紀の城壁内に入りました。
現在の門の姿は、1861年に建築家カミッロ・ボイト(ローマ、1836‐ミラノ、1914)によって大きく改造された後のものです。


166
門を潜ると、3‐4世紀の異教寺院の遺跡があります。


168
異教寺院のコリント式列柱


173
異教寺院遺跡は若者たちの憩いの場となってます。


177
コリント式列柱の保護のために、この区間だけトラムが単線になってます。


170
サン・ロレンツォ・マッジョーレ聖堂です。


172
聖堂ファサード前に立つのは、ミラノ勅令を出したコンスタンティヌス帝像です。


174
サン・ロレンツォ・マッジョーレ聖堂を拝観しました。


175
外に出ました。


176
床屋に行きます。


171
イタリアにおける唯一の散髪経験をした店。


178
サン・ロレンツォ・マッジョーレ聖堂の横を通ってトリノ通りの教会に向かいました。


180
サン・ジョルジョ・アル・パラッツォ教会です。


182
聖ジョルジョのコンスタンティヌス軍事騎士団によって12世紀に建設された教会です。
ファサードは18世紀のものです。


181
ファサードの装飾


179
19世紀末に追加されたクーポラ。


183
拝観しました。
次はサン・セバスティアーノ寺院です。


185
サン・セバスティアーノ寺院です。


186
Civico Tempioなんてあるんですね。


184
ペッレグリーノ・ティバルディの設計によって、1577‐1616年に建設されたマニエリスム様式の教会です。


187


189
トリノ通りに面して建ってます。


190


191
4‐5世紀に建設されたサン・ジョヴァンニ・イン・コンカ教会だった残骸です。


192
次はサント・ステファノ・マッジョーレ聖堂です。


193
聖堂はサント・ステファノ広場にあります。


194
サント・ステファノ・マッジョーレ聖堂です。


196
417年に建設されたサン・ザッカリア教会が前身です。10世紀に奉献する聖人が聖ステファノに変更され、サント・ステファノ教会に名称が変更されました。
1070年に火災のために消失したので、1075年にロマネスク様式で再建されました。


209
1476年12月26日、聖堂内でミラノ公爵ガレアッツォ・マリア・スフォルツァ(フェルモ、1444‐ミラノ、1476)が暗殺されたことで有名です。


208
また画家のカラヴァッジョ(本名:ミケランジェロ・メリージ)がこの聖堂で1571年9月30日に洗礼を受けました。
2007年2月、カラヴァッジョの洗礼記録が発見され、カラヴァッジョのミラノ生まれが確定したのです。


203
ファサードの彫刻


205


204
聖堂の入り口


198
聖堂内に入りました。


200


199


201
出入口方向


207
外に出ました。


195
サント・ステファノ・マッジョーレ聖堂の横にあるサン・ベルナルディーノ・アッレ・オッサ教会です。


202
1127年に建設された納骨堂が前身です。


210


211
すっかり夕方になりました。


212
23番のトラムに乗車して移動しました。


213
ドゥオーモ広場に戻りました。


215
(つづく)

198
王宮にも入館しました。この当時、中は写真不可でした。


197
次はドゥオーモ博物館です。


195
博物館に入館しました。


194
写真不可だったので、ドゥオーモ博物館の写真がありません。


212
トラムで移動しました。


112
ヴェネツィア門です。


113
こちらもヴェネツィア門です。左右に門があります。


114
Corso Buenos Aires


115
再びトラムに乗り、ティチネーゼ門通りにやってきました。


117
通りの突き当りにあるのがティチネーゼ門です。


116
ティチネーゼ門の手前に教会があります。


119
1396年に建てられたベネデット会の礼拝堂が前身です。1568年、聖カルロ・ボッロメオによって建設されたサン・ゴッタルド・アル・コルソ教会です。


118
ファサードの装飾


120
ナポレオン時代の1802年から1814年に建設された新古典様式のティチネーゼ門です。


121
ティチネーゼ門通りを後戻りします。


122
サンテウストルジョ聖堂です。


123
ポルティナーリ礼拝堂が最大の見所ですが、拝観有料となってます。
聖堂ファサードの裏側に教区美術館があり、現在、教区美術館とポルティナーリ礼拝堂が共通扱いとなってます。


124
ファサード中央扉上ルネッタのフレスコ画


127


125


126
こちらの扉からもポルティナーリ礼拝堂に行くことが出来ます。


128
教区美術館に向かいます。


129
旧サンテウストルジョ修道院の建物


130


131
サンテウストルジョ聖堂の裏側に回りました。


132
教区美術館です。


134
教区美術館に入館すると共に、ポルティネーリ礼拝堂を拝観しました。
この当時、何れも写真不可だったので、写真は一枚もありません。


136
教区美術館の横は公園になってます。


137
公園から見たサンテウストルジョ聖堂


138


139


140


141


142


143
派手な装飾の建物


144
次はサンタ・マリア・プレッソ・サン・チェルソ聖堂です。


145
サンタ・マリア・プレッソ・サン・チェルソ聖堂です。


146
1950年、Basilica Minoreに格付けされました。


147
ファサードの天使たちの彫像が特徴です。


148
扉が開きません。


149
クーポラ


150


152


153
聖堂の後方は公園です。


154
公園の噴水


151


155
(つづく)

008
ミラノ中央駅に到着しました。


007
この日のお宿に向かいます。


003
今回のお宿は中央駅横のミケランジェロです。見本市と重ならない時期だったので、リーズナブルな値段で泊まることが出来ました。


001
大きな荷物をフロントに預けて、身軽になったので早速街歩きの開始です。


006
旧市街に向かいますが、公共交通機関の切符が必要です。


005
地下鉄よりもトラム派です。


004
何時も切符を買う店が消えていたので、切符を買うために中央駅へ。


200
トラムで旧市街へ。


147
ドゥオーモに到着。


148
特に来るつもりではなかったけれど、ごく自然に来てしまいました。


149
エルコーレ・ローザ(ローマ、1846‐1893)の「ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のモニュメント」(1879‐96)


150


151
修復が終わりました。


153
未だ穴が開いていません。


160
スカラ広場


154
ピエトロ・マーニ(Magni)(ミラノ、1816‐1877)の「レオナルド・ダ・ヴィンチのモニュメント」(1859‐72)


159
レオナルド・ダ・ヴィンチ(ヴィンチ、1452‐アンボワーズ、1519)
彼の足元に4人の弟子たちの像があります。


158
ジャン・ジャコモ・カプロッティ通称イル・サライ(アンドレア・サライーノ)(ヴィメルカーテ、1480‐ミラノ、1524)


157
チェーザレ・ダ・セスト(セスト・カレンデ、1477‐ミラノ、1523)


156
マルコ・ドッジョーノ(オッジョーノ、1475c‐ミラノ、1524c)


155
ジョヴァンニ・アントニオ・ボルトラフィオ(ミラノ、1467‐1516)


162
次はサン・フェデーレ教会です。


163
聖カルロ・ボッロメオの指示によって建設されたサン・フェデーレ教会です。


166
ペッレグリーノ・ティバルディ(ピューリア、1527‐ミラノ、1596)の設計によって1569‐1579年に建設されたマニエリスム様式の教会です。


165
ファサード前にある彫刻は、フランチェスコ・バルザーギ(ミラノ、1839‐1892)の「アレッサンドロ・マンゾーニのモニュメント」(1883)です。


167
サン・フェデーレ教会の中に入りました。


171
シモーネ・ペテルツァーノ(ヴェネツィア、1535‐ミラノ、1599)の「十字架降下」(1591)
シモーネ・ペテルツァーノは、カラヴァッジョの師匠ですが、カラヴァッジョが弟子入りした当時に制作された作品です。カラヴァッジョが師匠の制作において下働きをしたと考えられてます。


169
ジョヴァンニ・バッティスタ・クレスピ通称イル・チェラーノ(ロマニャーノ・セーシャ、1573‐ミラノ、1632)の「聖イグナツィオの幻視」


170
サン・フェデーレ付属美術館がありますが、中は写真不可でした。


172
外に出ました。


174


175


176
サン・サティーロ教会に向かいました。


177
行く所は毎回殆ど同じです。


178
サン・サティーロ教会にやってきました。


180
開いていましたが、相変わらず中は写真不可でした。


182


189


190


191


192


193
次はアンブロジアーナ美術館です。


187
何回入館しても飽きることがありません。


186
工事中だったので、大回り。


183
出口は図書館からになります。


184
アンブロジアーナ絵画館を創設したフェデリーコ・ボッロメオ枢機卿像


188
(つづく)

127
サン・マウリツィオ教会はフレスコ画の宝庫です。


163
中の写真を撮りませんでした。


128
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ聖堂の後陣


131
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ聖堂のファサード


164
ルネッタのフレスコ画



132
この当時、レオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐は写真不可でした。


126
パオリーノ・ダ・ヴィンチ、アントニオ・ダ・ヴィンチなど現代まで名前が残るヴィンチ村出身の芸術家がいます。レオナルド・ダ・ヴィンチ=ダ・ヴィンチとする方々は、パオリーノやアントニオなどは無視ですか?


133
ミラノには、ブレラ絵画館、Gallerie d'Italia、アンブロジアーナ絵画館、ポルディ・ペッツォーリ美術館、司教区美術館、市立博物館(スフォルツェスコ城)などがあるので、私にとっては嬉しい限りです。


134
20世紀初頭に建設されたPalazzo della Banca Commerciale Italiaはスカラ広場にあります。


135
少し古い建物は、度重なる戦乱で遺跡化しているものが結構多いようです。


137
サンタンブロージョ聖堂


139
新しい建物もかなり多い街です。


140


141
Porta Ticinese


142
この部分のトラムは単線になってます。


145
サン・ロレンツォ・マッジョーレ教会


149
3‐4世紀の異教寺院の遺跡です。


150
コリント式列柱が目立ちます。これらの列柱の遺跡を保護するために、振動軽減策として単線になってます。


147
列柱越しのサン・ロレンツォ・マッジョーレ教会


146
NHKの「世界ふれあい街歩き」のミラノ編に登場した床屋


151
サン・ロレンツォ・マッジョーレ教会


153
初夏の絶好の日向ぼっこ日和


154
過去と現代が交錯する街です。


155
ドゥオーモに来てしまいました。来ようと思って来た訳ではありません。


157


158


156


159
ドゥオーモの扉の彫刻


160


161
初夏の強烈な日差し


162
日陰を求めて一休み


165
ブレラ絵画館に向かいました。


166
サン・ジュゼッペ教会


167
ブレラ絵画館に入館しました。


168
この当時、写真不可だったので、展示作品の写真は一枚もありません。


169
ブレラ絵画館から見えるサン・カルポフォロ教会の後陣


170
サン・カルポフォロ教会のファサード


171
旧教会です。ブレラが保有してます。


172
サン・マルコ教会


174
サン・マルコ教会ファサードの装飾


002
この日のミラノは、どんより曇った寒い日になりました。


003
王宮前に兵器が展示されてました。


004
ドゥオーモをしっかり見なくては。


005
ガッレリアに行きます。


006


007


008


009


010


011


013
(つづく)

004
ミラノ中央駅に到着しました。


001
ミラノ中央駅の駅舎


002
駅前広場は工事中でした。


003
この旅における中央駅近くのお宿です。


199
トラムで旧市街に向かいました。
景色が見えるので、地下鉄よりもトラム利用が好みです。


005
ドゥオーモ広場にやってきました。


006
ゴシック様式のドゥオーモ


010
精巧繊細な彫刻


014
ブログを始めたのは2012年でしたが、それ以前の旅では殆ど写真を撮っていませんでした。


015
美術館や博物館の多くが写真不可だったことも、写真を撮らなかった理由の一つです。


011
ミラノに来るのは、年に2,3回くらいです。やはり成田からの直行便があるのが大きい。


012
ミラノのホテルでは、駅近くのミケランジェロ、ブリストル、コロンビア、ベルーナに泊まってます。
ミラノでは、ミラノ・コレクションなどの見本市開催中のホテル代が馬鹿高く、しかも予約することが難しくなるので、泊まるホテルは状況次第で決めてます。


013
引退してからは当然自分の懐から支払うので、ホテル代に敏感になりました。


009
ドゥオーモ広場に戻りました。


008


007
お上りさんなので、当然行きます。


016
四隅が全部プラダの店だったこともあります。


017
マックは撤退した?


018
この日はワーグナーだったのパスしました。ドイツ語圏ものだったら、許せるのはモーツァルトのダ・ポンテ3部作です。尤もダ・ポンテ三部作はイタリア語です。
ドイツ語ものは、ドイツ語圏でやってくれ!


020
サン・サティーロ教会


021
サン・サティーロ教会は、今でも内部写真不可だったように思います。


022
サン・サティーロ教会の鐘楼


023
サン・サティーロ教会のファサード

024
サン・セバスティアーノ教会


025
サン・セバスティアーノ教会のファサード


026
サン・セポルクロ教会


027
サン・セポルクロ教会とアンブロジアーナ図書館


031
アンブロジアーナ図書館


029
アンブロジアーナ絵画館に入館しました。


030
アンブロジアーナ絵画館から見たサン・セポルクロ教会


028


032
フェデリーコ・ボッロメオ枢機卿のモニュメント
フェデリーコ・ボッロメオ枢機卿はアンブロジアーナ絵画館の創始者です。


033
スフォルツェスコ城


034


035
ミラノ市立博物館に入館しました。


036


037


038
当時、博物館内は写真不可でした。


039


040


041


042


043


044


045


046
(つづく)

P1000465
Cappella di Nuvoloniです。
祭壇画は、フェルモ・ギソーニ・ダ・カラヴァッジョ(カラヴァッジョ、1505‐マントヴァ、1575)の「磔刑」(1556)


P1000467
Cappella di Nuvoloniの左側壁のフレスコ画は、フェルモ・ギソーニ・ダ・カラヴァッジョ(カラヴァッジョ、1505‐マントヴァ、1575)に帰属する「Prospetto architettonico dipinto」(1570)


P1000466
Cappella di Nuvoloniの右側壁に描かれたフレスコ画は、フェルモ・ギソーニ・ダ・カラヴァッジョ(カラヴァッジョ、1505‐マントヴァ、1575)に帰属する「Prospetto architettonico dipinto」(1570)です。


P1000469


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P1000473
サンティッシモ・サクラメント礼拝堂です。


P1000474
ルイージ・ニッコリ―ニの「聖アンドレアと聖ロレンツォ」(19世紀初め)


P1000476
サンティッシモ・サクラメント礼拝堂の左側壁に描かれたフェリーチェ・カンピ(マントヴァ、1746‐1817)の「エリコの陥落」(1804)


P1000475
サンティッシモ・サクラメント礼拝堂の右側壁に描かれたフェリーチェ・カンピ(マントヴァ、1746‐1817)の「饗宴の誘い」(1804)


P1000478


P1000479


P1000480


P1000481


P1000482
間違った方向を示す案内 
矢印は左側を示さないとサンティッシモ・サクラメント礼拝堂に行きません。矢印の上には天井があります。


P1000488
サン・ロンジーノ礼拝堂です。


P1000483
これはコピー画です。本物は、ナポレオン軍によってフランスに持ち去られ、現在、ルーブル美術館で展示されてます。
制作者不明の「ジュリオ・ロマーノ作『ご誕生と聖ロンジーノと聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ』のコピー画」


P1000484
サン・ロンジーノ礼拝堂の左側壁に描かれた、ジュリオ・ロマーノ(ローマ、1499c‐マントヴァ、1546)とリナルド・マントヴァーノ(マントヴァ、1502‐1540)の「キリストの聖血の発見」(1534)


P1000486
サン・ロンジーノ礼拝堂の右側壁に描かれた、ジュリオ・ロマーノ(ローマ、1499c‐マントヴァ、1546)とリナルド・マントヴァーノ(マントヴァ、1502‐1540)の「磔刑」(1534)


P1000485
サン・ロンジーノ礼拝堂の天井


P1000489


P1000490
カッタネア礼拝堂


P1000493
カッタネア礼拝堂の左側壁に描かれた、イッポリート・アンドレアージ通称アンドレアジーノ(マントヴァ、1548‐1608)の「聖母の誕生」


P1000491
カッタネア礼拝堂の右側壁に描かれた、イッポリート・アンドレアージ通称アンドレアジーノ(マントヴァ、1548‐1608)の「聖母被昇天と聖母戴冠」


P1000495
サン・セバスティアーノ礼拝堂です。


P1000501


P1000499
15世紀のロンバルドの逸名画家作「聖母子と聖ジローラモと聖エリザベッタと聖ジョヴァンニーノ」(1495)


P1000496
サン・セバスティアーノ礼拝堂の左側壁に描かれたリナルド・マントヴァーノ(マントヴァ、1502‐1540)の「聖セバスティアーノの殉教」


P1000498
サン・セバスティアーノ礼拝堂の右側壁に描かれたリナルド・マントヴァーノ(マントヴァ、1502‐1540)の「聖セバスティアーノの殉教」


P1000497
サン・セバスティアーノ礼拝堂の天井


P1000502
サン・アントニオ礼拝堂です。
祭壇画は、ジュリオ・チェーザレ・アッリヴァベーネ(マントヴァ、1806‐フィレンツェ、1896)の「パドヴァの聖アントニオ」(1846)


P1000503
サン・アントニオ礼拝堂の左側壁に描かれたベネデット・パーニ(ぺーシャ、1504‐マントヴァ、1578)の「煉獄と楽園」(1570)


P1000504
サン・アントニオ礼拝堂の右側壁に描かれたベネデット・パーニ(ぺーシャ、1504‐マントヴァ、1578)の「地獄」(1570)


P1000506
ジュゼッペ・ラゼッティ(マントヴァ、1801‐1888)の「ラザロの蘇生」


P1000507


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P1000510
外に出ます。


P1000512
見所が多い聖堂でした。


P2730621
(おわり)

P2730609
マントヴァの旧市街に入ると、鐘楼とクーポラが目立ちます。


P2730611
クーポラはサンタンドレア聖堂のものです。


P2750791
マントヴァで最大の教会です。Concattedraleであり、Basilica Minoreです。


P1000440
教会の歴史は古く、804年のキリストの聖血遺物の発見に関連しています。初代の建物は11世紀に建設されました。


P1000439
現在の建物は、マントヴァ公ルドヴィーコ3世ゴンザーガ(マントヴァ、1412‐1478)の指示により、建築家レオン・バッティスタ・アルベルティ(ジェノヴァ、1404‐ローマ、1472)を起用して、1460年に再建工事が着工されましたが、1472年のアルベルティの死によって工事が中断してしまいました。
その後、フランチェスコ・ゴンザーガ枢機卿は、建築家ルーカ・ファンチェッリ(セッティニャーノ、1430c‐マントヴァ、1502c)に工事を引き継がせることにして、1482年に中断していた工事が再開され、1488年に完成しました。


P2750790
1413年に建設された後期ゴシック様式の鐘楼


P1000627
クーポラは1732年に完成しました。


P1000630
身廊左側壁


P1000632
Facciata del vestibolo laterale


P1000633


P1000638
レオン・バッティスタ・アルベルティ広場から見た聖堂の北側


P1000628
レオン・バッティスタ・アルベルティ広場に面した柱廊


P1000625
正面ファサードの方に戻ります。


P2750788


P2750789
Arco centrale con lesena scanalate


P1000624


P1000623


P2730614
聖堂内に入りました。


P1000441
2012年5月20日と29日のエミリア大地震によって大きな被害を受け、後陣は長らく修復工事が行われていました。


P2730615
単廊式、ラテン十字形の内部です。


P2730616
広く明るい堂内です。


P2730617
天井


P1000444


P2730618
燭台の上部の精緻な装飾


P2730619
見所が沢山あります。


P2730620
作品帰属を調べるのが大変です。


P1000445
ジュゼッペ・ラゼッティ(マントヴァ、1801‐1888)の作品


P1000446
ジョルジョ・アンセルミ(カラヴェルナ、1723‐ヴェローナ、1797)の作品


P1000447
フェリーチェ・カンピ(マントヴァ、1746‐1817)の作品


P1000448
フェリーチェ・カンピ(マントヴァ、1746‐1817)の作品


P1000449
マンテーニャの作品です。


P1000450


1
どうも写真写りが悪い。


2
外部サイトから作品画像を拝借しました。


P1000451
サン・シルヴェストロ礼拝堂です。
祭壇画は、ロレンツォ・コスタ(イル・ヴェッキオ)(フェラーラ、1460‐マントヴァ、1535)の「聖母子と聖人たち(聖セバスティアーノ、聖シルヴェストロ、聖パオロ、聖ジローラモ、聖ロッコ)」(1525)


P1000452
ファブリツィオ・ぺルラの「キリストの復活」(1575)


P1000453
ファブリツィオ・ぺルラの「リンボへの降下」(1575)


P1000456
右第3礼拝堂


P1000457
Cappella dell'Immacolata


P1000458
ロレンツォ・コスタ・イル・ジョーヴァネ(マントヴァ、1537‐1583)の「マギの礼拝」


P1000460
ロレンツォ・コスタ・イル・ジョーヴァネ(マントヴァ、1537‐1583)の「羊飼いの礼拝」


P1000462
詳細不明の「聖フランチェスコ」


P1000463
詳細不明
(つづく)

P2730667
Cappella dell'Incoronata内にある礼拝堂です。


P2730669
詳細不明


P2730689
左側廊に戻ります。


P2730690
サン・ジローラモ礼拝堂です。


P2730692
フェリーチェ・カンピ(マントヴァ、1746‐1817)の「聖ジローラモ」(18世紀)


P2730693
次の礼拝堂に進みます。


P2730695
左側後陣にある、17世紀に建設されたサンティッシモ・サクラメント礼拝堂です。


P2730696
サンティッシモ・サクラメント礼拝堂の左側


P2730697
サンティッシモ・サクラメント礼拝堂の右側


P2730698
サンティッシモ・サクラメント礼拝堂のクーポラ


P2730700
クーポラのフレスコ画は、フェリーチェ・カンピ(マントヴァ、1746‐1817)の「信仰」(1799c)


P2730708
サンティッシモ・サクラメント礼拝堂の主祭壇画は、フェリーチェ・カンピ(マントヴァ、1746‐1817)の「聖ピエトロと聖アンドレアの召命」(1798)


P2730702
サンティッシモ・サクラメント礼拝堂にある、フェリーチェ・カンピ(マントヴァ、1746‐1817)の「聖アゴスティーノ」


P2730704
ドメニコ・ブルサソルツィ(ヴェローナ、1516‐1567)の「聖マルゲリータ」(1552)


P2730706
フェリーチェ・カンピ(マントヴァ、1746‐1817)の「聖グレゴリオ・マーニョ」


P2730710
フェリーチェ・カンピ(マントヴァ、1746‐1817)の「聖ジローラモ」(1803)


P2730711
パオロ・ファリナティ(ヴェローナ、1524‐1606)の「貧者を救う聖マルティーノ」(1552)


P2730712
フェリーチェ・カンピ(マントヴァ、1746‐1817)の「聖人」


P2740797
右側第2側廊


P2740799
右側廊の礼拝堂


P2740802
ベルナルディーノ・マルピッツィ(マントヴァ、1553‐1623)の「聖ドメニコの祭壇画」(1595‐99)


P2740804
サン・ジュゼッペ礼拝堂


P2740806
ニッコロ・リッチョリーニ(ローマ、1687‐1772)の「聖ジュゼッペの死」
ニッコロ・リッチョリーニは、ピエトロ・ダ・コルトーナの弟子です。


P2740810
中央礼拝堂


P2740812
中央礼拝堂後陣のフレスコ画は、アントニオ・マリア・ヴィアーニ(クレモナ、1550c‐1635c)の「三位一体」(1593)


P1000543
主祭壇画の詳細が分かりません。


P1000544
 

P2740820
守護聖人の祭壇


P2740819
ドメニコ・マリア・カヌーティ(ボローニャ、1625‐1684)の「守護聖人」(1670c)


P2740821
イトリアの聖母の祭壇


P2740822
アントニオ・マリア・ヴィアーニ(クレモナ、1550c‐1635c)の「イトリアの聖母」(1595c)


P2740826
右側の第1側廊


P2740828
私には制作者が分からない「アッシジの聖フランチェスコ」


P2740829
サンタ・キアーラ礼拝堂


P2740830
クレメンテ・ルッタ(パルマ、1685‐1767)に帰属する「聖母子とアッシジの聖フランチェスコの聖キアーラとパドヴァの聖アントニオ」(18世紀)


P2740831


P2740832
説教壇


P2740833
私には制作者が分からない「聖カロルス」


P2740834
詳細不明


P2740836


P2740837
右側第1礼拝堂です。


P1000533
グエルチーノ派の逸名画家作「聖エディージョの奇跡」


P1000536


P1000537
14世紀のフレスコ画


P1000572


P1000573


P2740849
外に出ました。
(おわり)

P2750727
マントヴァの中心ソルデッロ広場です。


P2740851
ソルデッロ広場に面して建つマントヴァ大聖堂、Cattedrale di San Pietro Apostoloです。


P2740848
教会の歴史は古く、マントヴァで最古の場所である、この地に3世紀頃にあった礼拝堂が前身とされてます。5‐6世紀の教会のモザイクの床がこの場所の遺跡から発見されたことから、その頃には初期キリスト教会が存在していたとされてます。


P1000581
現在の建物は、カノッサの屈辱で有名なトスカーナ女辺境伯マティルデ・ディ・カノッサ(カノッサ、1046?‐1115)によって、11‐12世紀に建設されたロマネスク様式の教会が元となってます。


P1000580
マントヴァのCondottieroフランチェスコ1世ゴンザーガ(マントヴァ、1366-カヴィアーナ、1407)によって、建物はほぼ現在の規模となりました。


P2750729
教会の外観はやはりファサードになりますが、現在、見ることが出来るのは、1756年から1761年に再建された後期バロック様式のものです。
フランチェスコ1世ゴンザーガ時代のファサードは、絵画によって分かります。


P2740186
この作品にファサードが描かれてます。
ドメニコ・モローネ(ヴェローナ、1442c‐1517)の「マントヴァからのボナコルシ家の追放」(1494)
ドゥカーレ宮殿博物館で見ることが出来ます。


P2750777
ロマネスク様式の鐘楼は、フランチェスコ1世ゴンザーガによって建物が拡大された時のものです。


P2730643
砂岩で出来た身廊横


P1000907
18世紀中頃に装飾されたファサードは、美術的な見所は乏しいように思います。


P1000905
聖堂内に入ります。


P2730644
観光客に対して寛容な教会なので、ミサの時以外は自由に見ることが出来ます。


P2730645
コリント式列柱が目立つ、5廊式、ラテン十字形の内部です。


P2730646
現在の内部は、16世紀中頃に行われた修復工事後の姿です。
1545年、ジュリオ・ロマーノ(ローマ、1499c‐マントヴァ、1546)によって着工された修復工事は、1546年のジュリオ・ロマーノの死によって中断の已む無きに至りました。
1549年、建築家ジョヴァンニ・バッティスタ・ベルターニ(マントヴァ、1516‐1576)に引き継がれ、1576年に完成したのです。ベルターニは、工事完成直後に没してしまいました。


P2730647
天井


P2730648
左側第1側廊


P2730649
左側第2側廊


P2730650
左側の礼拝堂から見て行きます。


P1000566
エルコーレ・ゴンザーガ枢機卿がジョヴァンニ・バッティスタ・ベルターニを起用して1552年に建設したサンタガタ(聖アガタ)礼拝堂です。


P2730652
イッポリート・コスタ(ボローニャ、1506‐1561)の「聖アガタの殉教」(16世紀中頃)
イッポリートはロレンツォ・コスタ(イル・ヴェッキオ)の息子です。


P1000563
エルコーレ・ゴンザーガ枢機卿がジョヴァンニ・バッティスタ・ベルターニを起用して1552年に建設したサンタ・スペチョーザ礼拝堂です。


P2730656
イッポリート・コスタ(ボローニャ、1506‐1561)とイッポリートの息子ロレンツォ・コスタ・イル・ジョーヴァネ(マントヴァ、1537‐1583)の「聖スペチョーザ」


P2730653
私には制作者が分からない「アレッサンドリアの聖カテリーナ」


P2730658
私には制作者が分からない「聖アンドレア」


P2730661
私には制作者が分からない「聖アポッロニア」


P2730663
次に進みます。


P1000555


P2730664
突き当りがCappella dell'Incoronataです。


P2730665
Cappella dell'Incoronataです。


P2730666
ルドヴィーコ3世ゴンザーガ(マントヴァ、1412‐ゴイト、1478)が建築家ルーカ・ファンチェッリ(セッティニャーノ、1430c‐マントヴァ、1502c)を起用して、1482年に建築させたCappella dell'Incoronataです。


P2730673
クーポラ


P2730671
礼拝堂後陣の側壁にフレスコ画が描かれてます。


P2730672


P2730675
私には制作者が分からない「聖母の死」


P2730681
私には制作者が分からない「聖母被昇天」


P2730682
私には制作者が分からない「聖霊降臨」


P2730676
Cappella dell'Incoronataの主祭壇です。


P2730679
礼拝堂主祭壇画「誓いの聖母」


P2730684
Cappella dell'Incoronata内にある礼拝堂です。


P2730686
ロンバルドの逸名画家作「聖母子と聖レオナルド」(1482)


P2730688
(つづく)

P2740738
次の部屋です。


P2740739
26室、Camera da Lettoです。


P2740737
Letto in stile neoclassico


P2740740
天井の装飾
この部屋は、パオロ・ポッツォ(ヴェローナ、1741‐マントヴァ、1803)によって1783年に建設されました。


P2740741
27室に行けないようになっていました。何故?


P2740742
27室、Stanza dell'Appartamento dell'Imperatriceです。
27室の先にも行けません。


P2740746
次の部屋です。


P2740748
33室、Sala dell'Aquilaです。この部屋は、エルコーレ・ゴンザーガ枢機卿によって1550年に建設されました。
結局、27,28,29,30,31,32室に行くことが出来ませんでした。


P2740747
天井の装飾


P2740749
タペストリがあります。
ラッファエッロ・サンツィオ(ウルビーノ、1483‐ローマ、1520)と工房によって制作された原画に基づき、ブリュッセルで1549年から1557年頃に織られたタペストリ「聖ステファノの殉教」です。


P2740751
ラッファエッロ・サンツィオ(ウルビーノ、1483‐ローマ、1520)と工房によって制作された原画に基づき、ブリュッセルのタペストリ工房で1549年から1557年頃にかけて織られたタペストリ「地方総督の改宗」


P2740753
ラッファエッロ・サンツィオ(ウルビーノ、1483‐ローマ、1520)と工房によって制作された原画に基づき、ブリュッセルのタペストリ工房で1549年から1557年頃にかけて織られたタペストリ「奇跡の漁」


P2740757
次の部屋です。


P2740755
第34室、Cappellinaです。


P2740758
フェリーチェ・カンピ(マントヴァ、1746‐1817)によって描かれたフレスコ画


P2740761
フェリーチェ・カンピ(マントヴァ、1746‐1817)の「羊飼いの礼拝」


P2740760
ジョヴァンニ・バッティスタ・マルコーニのテンペラ画とスタニスラオ・ソマッツィ(マントヴァ、?‐1770)のスタッコ彫刻


P2740763
次の部屋です。


P2740765
35室、Sala dei Leoniです。


P2740764
天井の装飾


P2740767
ラッファエッロ・サンツィオ(ウルビーノ、1483‐ローマ、1520)と工房によって制作された原画に基づき、ブリュッセルのタペストリ工房によって1549年から1557年頃にかけて織られたタペストリ「アテネでのパオロの説教」


P2740770
ラッファエッロ・サンツィオ(ウルビーノ、1483‐ローマ、1520)と工房によって制作された原画に基づき、ブリュッセルのタペストリ工房によって1549年から1557年頃にかけて織られたタペストリ「サウロの回心」


P2740772
ラッファエッロ・サンツィオ(ウルビーノ、1483‐ローマ、1520)と工房によって制作された原画に基づき、ブリュッセルのタペストリ工房によって1549年から1557年頃にかけて織られたタペストリ「聖ピエトロの召命」


P2740774
ラッファエッロ・サンツィオ(ウルビーノ、1483‐ローマ、1520)と工房によって制作された原画に基づき、ブリュッセルのタペストリ工房によって1549年から1557年頃にかけて織られたタペストリ「キリストの昇天」


P2740775


P2740776


P2740777
次の部屋です。


P2740779
36室、Sala delle Imperatrici


P2740778
天井の装飾


P2740782
ラッファエッロ・サンツィオ(ウルビーノ、1483‐ローマ、1520)と工房によって制作された原画に基づき、ブリュッセルのタペストリ工房によって1549年から1557年頃にかけて織られたタペストリ「リストリの犠牲」


P2740786
ラッファエッロ・サンツィオ(ウルビーノ、1483‐ローマ、1520)と工房によって制作された原画に基づき、ブリュッセルのタペストリ工房によって1549年から1557年頃にかけて織られたタペストリ「「アナニアの死」


P2740789
ラッファエッロ・サンツィオ(ウルビーノ、1483‐ローマ、1520)と工房によって制作された原画に基づき、ブリュッセルのタペストリ工房によって1549年から1557年頃にかけて織られたタペストリ「身体障害者の治癒」


P2740791
この部屋で終わりです。


P2740792
観ることが出来なかった部屋がかなりありました。


P2740793
広いので疲れました。


P2740794


P2740795
外に出ました。
(おわり)

P2740667
次の部屋です。


P2740669
21室、Loggetta di Santa Barbaraです。
ということは、Corridoro dei Moriには部屋番号表示がありませんが、廊下は20室なのでしょう。


P2740668
フレスコ画で装飾されてます。


P2740670
しかし、私にはフレスコ画の制作者が分かりません。


P2740671
次の部屋です。


P2740674
22室、Gabinetto dei Moriです。


P2740673


P2740675
ビアージョ・ポーリ(マントヴァ、17世紀活動)の「時化」(1650‐80c)


P2740680
詳細不明


P2740681
詳細不明


P2740683
詳細不明


P2740686
次の部屋です。


P2740687
23室、Camera dei Falconiです。


P2740698
フレスコ画で装飾されてます。


P2740699
Camera dei Falconiのフレスコ画は、ロレンツォ・コスタ・イル・ジョーヴァネ(マントヴァ、1537‐1583)によって1581年に制作されました。


P2740700
肖像画が並んでます。


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16世紀後半のサッビオネータの逸名画家作「マルゲリータ・ゴンザーガ・ディ・グァスタッラの肖像」(1581‐82)


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ジョヴァンニ・バウェット(マントヴァ、1552から活動記録‐1597没)の「Ann Edgemon van Burenの肖像」(1580‐90c)


P2740696
ジョヴァンニ・バウェット(マントヴァ、1552から活動記録‐1597没)の「貴婦人の肖像」(1580‐90c)


P2740701
逸名画家作「Ann d'Austriaの肖像」(17世紀初め)


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ジョヴァンニ・バウェット(マントヴァ、1552から活動記録‐1597没)の「メディチ家の女性の肖像」(1580‐90c)


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ジョヴァンニ・バウェット(マントヴァ、1552から活動記録‐1597没)の「アンナ・カテリーナ・ゴンザーガ?の肖像」(1582)


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ジョヴァンニ・バウェット(マントヴァ、1552から活動記録‐1597没)の「Jane Dormer?の肖像」(1580‐90c)


P2740714
次の部屋です。


P2740716
24室


P2740717
Sala dello Zodiaco


P2740715
フレスコ画とスタッコ彫刻で装飾されてます。


P2740718
1578年、マントヴァ公爵グリエルモ1世ゴンザーガ(マントヴァ、1538‐1587)がSala dello Zodiacoの装飾を指示しました。


P2740719
フレスコ画は、ロレンツォ・コスタ・イル・ジョーヴァネ(マントヴァ、1537‐1583)によって1579年から1580年に制作されました。


P2740720


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P2740722


P2740723


P2740724
次の部屋です。


P2740725
25室、Salone dei Fiumiです。


P2740726
マントヴァ公爵グリエルモ1世ゴンザーガ(マントヴァ、1538‐1587)によって1579年から1580年に建設されたSalone dei Fiumiです。


P2740727
しかし、部屋の装飾が本格的に行われるようになったのは18世紀になってからでした。


P2740728
ジョルジョ・アンセルミ(カラヴェルナ、1722‐レンディナーラ、1797)によって制作されたフレスコ画です。


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Grotta con stemma napoleonico


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P2740735


P2740736


P2740745
Grotta con stemma gonzagesco
(つづく)

P2740574
次の部屋です。


P2740576
第17室


P2740577
La Stanza del Crogiolo


P2740575
肖像画が並んでます。


P2740579
エミリアの逸名画家作「フルヴィア・ピコ・ダ・コレッジョ?の肖像」(1585‐90c)


P2740583
サンテ・ぺランダ(ヴェネツィア、1566‐1638)と工房の「フェデリーコ2世ピコの肖像」


P2740586
サンテ・ぺランダ(ヴェネツィア、1566‐1638)の「マルゲリータ。ゴンザーガ・デステの肖像」


P2740589
サンテ・ぺランダ(ヴェネツィア、1566‐1638)の「ジュリア・デステの肖像」


P2740591


P2740593
制作者不詳の「17世紀のエミリアの逸名画家作『ジョヴァンニ・フランチェスコ・ピコの肖像』の複製画」


P2740595
制作者不詳の「17世紀のエミリアの逸名画家作『ジョヴァンニ・ピコ・デッラ・ミランダの肖像』の複製画」


P2740599
サンテ・ぺランダ(ヴェネツィア、1566‐1638)の「モデナ公爵チェーザレ・デステの肖像」


P2740604
サンテ・ぺランダ(ヴェネツィア、1566‐1638)の「アルフォンゾ・デステの肖像」


P2740610
サンテ・ぺランダ(ヴェネツィア、1566‐1638)の「アレッサンドロ1世ピコの肖像」


P2740614
サンテ・ぺランダ(ヴェネツィア、1566‐1638)の「ルイージ・デステの肖像」


P2740617
サンテ・ぺランダ(ヴェネツィア、1566‐1638)の「アレッサンドロ・デステ枢機卿の肖像」


P2740620
サンテ・ぺランダ(ヴェネツィア、1566‐1638)の「ラウーラ・デステ・ピコの肖像」


P2740624
サンテ・ぺランダ(ヴェネツィア、1566‐1638)と弟子の「ガレオッティ4世ピコ?の肖像」


P2740627
サンテ・ぺランダ(ヴェネツィア、1566‐1638)の「ミランドラ公爵アレッサンドロ1世ピコの肖像」


P2740629
旧礼拝堂です。


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中に入ることが出来ません。ロープの外から覗き込むだけです。


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近くで見たかった絵画がありましたが、これではどうにもなりません。


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天井の装飾


P2740633
テオドーロ・ギージ(マントヴァ、1536‐1601)の「磔刑と聖ロンジーノと聖マリア・マッダレーナ」


P2740636
次の部屋です。


P2740638
18室、Sala di Amore e Psicheです。
この部屋にあるパルマ・イル・ジョーヴァネの作品を見たいと思っていたのですが・・・・・


P2740637
ロープが張られて、作品の前に行けないようになっていました。残念!


P2740639
遠くから眺めるだけでした。
パルマ・イル・ジョーヴァネ(ヴェネツィア,1548/1550-1628)、サンテ・ぺランダ(ヴェネツィア、1566-1638)、アゴスティーノ・コメーリオ(ロカーテ、コモ、1784-レコア―ロ、1829)の作品があります。


P2740640
次の部屋です。


P2740641
第19室、Saletta dei Quattro Elementiです。
理解できない注意書きでした。立ち止まらなければ作品が見えない。


P2740643
ジョルジョ・アンセルミ(カラヴェルナ、1722-レンディナーラ、1797)の「空気の寓意」


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ジョルジョ・アンセルミ(カラヴェルナ、1722-レンディナーラ、1797)の「水の寓意」


P2740649
ジョルジョ・アンセルミ(カラヴェルナ、1722-レンディナーラ、1797)の「オーストリア女帝マリア・テレサの肖像」
貴重な肖像画です。


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ジョルジョ・アンセルミ(カラヴェルナ、1722-レンディナーラ、1797)の「大地の寓意」


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ジョルジョ・アンセルミ(カラヴェルナ、1722-レンディナーラ、1797)の「火の寓意」


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次は廊下、Corridoro dei Moriです。


P2740658
フレスコ画が見所です。


P2740659
アントニオ・マリア・ヴィアーニ(クレモナ、1540-マントヴァ、1635)によって制作されたフレスコ画です。


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P2740664


P2740665


P2740666
(つづく)

P2740471
次の部屋です。


P2740474
第15室です。


P2740475
La Stanza di Giuditta


P2740473
天井の装飾


P2740472
この部屋の装飾は、マントヴァ伯爵カルロ2世ゴンザーガ(マントヴァ、1629‐1665)の指示によって、画家ピエトロ・マンゴ(ナポリ、17世紀活動)によって制作されました。


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絵画のテーマは「ユディトの物語」となってます。


P2740477
ドメニコ・フェッティのキリストと使徒たちが展示されてます。


P2740479
ドメニコ・フェッティ(ローマ、1589c‐ヴェネツィア、1623)の「祈るキリスト」(1614‐22)
以下ドメニコ・フェッティの使途たちです。


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聖ピエトロ


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聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ


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P2740493
聖パオロ


P2740496


P2740498


P2740500


P2740502
聖アンドレア


P2740504
更にドメニコ・フェッティ(ローマ、1589c‐ヴェネツィア、1623)の作品、6聖人が並んでます。


P2740506
聖セバスティアーノ


P2740508
聖バルバラ


P2740510
トロサの聖ルドヴィーコ


P2740512
アレッサンドリアの聖カテリーナ


P2740515
聖人


P2740519
聖人


P2740522
次の部屋です。


P2740523
第16室


P2740525
1601年、マントヴァ公爵ヴィンチェンツォ1世ゴンザーガ(マントヴァ、1562‐1612)がこの部屋の装飾を指示しました。


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天井の装飾


P2740528
サンテ・ぺランダ(ヴェネツィア、1566‐1638)の「黄金の時代」(1608‐10)


P2740530
パルマ・イル・ジョーヴァネ(ヴェネツィア、1548/1550-1628)の「鉄の時代」(1610)


P2740534
サンテ・ぺランダ(ヴェネツィア、1566-1638)の「ブロンズの時代」(1608-10)


P2740531
サンテ・ぺランダ(ヴェネツィア、1566-1638)の「銀の時代」(1608-10)


P2740532
Specchiera settecentesca con vetri di Murano


P2740536
ルクリーナ・フェッティ(ローマ、1590c-マントヴァ、1651)の「聖エレーナに扮した貴婦人の肖像」
ルクリーナ・フェッティは、ドメニコ・フェッティの妹です。1613年、ドメニコ・フェッティはマントヴァ公爵フェルディナンド1世ゴンザーガから宮廷画家としての招聘を受け、ローマからマントヴァに赴任しましたが、何故かルクリーナもドメニコに同行したのです。やがて、ルクリーナもゴンザーガ家から仕事を受けるようになりました。1622年、ドメニコ・フェッティはヴェネツィアに去りましたが、ルクリーナは終生マントヴァを離れず、マントヴァで没したのです。


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ロレンツォ・オットーニ(ローマ、1658-1736)の「男の胸像」


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ロレンツォ・オットーニ(ローマ、1658-1736)の「アンナ・ベアトリーチェ・デステの胸像」


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ピエトロ・ファケッティ(マントヴァ、1539-ローマ、1613)に帰属する「祈るペトロッツァーニ家の人々」


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彫刻が並んでます。


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ルクリーナ・フェッティ(ローマ、1590c-マントヴァ、1651)の「オーストリア皇后エレオノーラ・ゴンザーガの肖像」(1622)


P2740563
ユストゥス・サステルマンス(アンヴェルサ、1597-フィレンツェ、1681)に帰属する「ヴィンチェンツォ2世ゴンザーガの肖像」


P2740572
ジェレミアす・ギュンターに帰属する「オーストリアのアンナの肖像」(1613)
(つづく)


12室の続きです。
P2740373
ジュゼッペ・マリア・クレスピ通称ロ・スパーニョレット(ボローニャ、1665‐1747)の「サレスの聖フランチェスコ」(1730c)


P2740375
フランチェスコ・マリア・ライネリ通称ロ・スキヴェノーリア(スキヴェノーリア、1676‐マントヴァ、1758)の「アヴィラの聖テレーザとアルカンタラの聖ピエトロに顕現する聖ジュゼッペ」(1750c)


P2740379
ジョルジョ・アンセルミ(バディア・カラヴェ―ナ、1720‐レンディナラ、1797)の「聖ドメニコに顕現する聖ピエトロと聖パオロ」(1760‐80c)


P2740382
ジュゼッペ・ボッターニ(クレモナ、1717?‐マントヴァ、1784)の「民衆に説教する聖ヴィンチェンツォ・フェッレール」(1780c)


P2740385
ジローラモ・ドンドーニ(コレッジョ、1681‐ボローニャ、1743)の「聖母とベアータ・オサンナ・アンドレアージ」(1731以降)


P2740389
ジュゼッペ・バッザーニ(マントヴァ、1690‐1769)の「アクイーノの聖トンマーゾの幻視」(1731c)


P2740392
ジュゼッペ・バッザーニ(マントヴァ、1690‐1769)の「聖家族と聖ロッコ」(1730以前)


P2740396
ジュゼッペ・バッザーニ(マントヴァ、1690‐1769)の「天上の聖人」(1750c)


P2740400
ジュゼッペ・バッザーニ(マントヴァ、1690‐1769)の「聖ジュゼッペの死」(1755‐60c)


P2740402
ジュゼッペ・バッザーニ(マントヴァ、1690‐1769)の「カペストラーノの聖ジョヴァンニとマルカの聖ジャコモに顕現する聖母子」(1740‐50c)


P2740405
ドメニコ・マリア・カヌーティ(ボローニャ、1625‐1684)の「聖ジローラモの最後の聖体拝領」(1672c)


P2740408
前の部屋の隣の部屋です。


P2740410
この部屋は14室なので、順番通りに13室から見て行くことにしました。


P2740411
13室です。


P2740412
部屋一面に装飾されたフレスコ画が見所です。


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これがあると助かります。


P2740414
1618年、マントヴァ公爵フェルディナンド1世ゴンザーガ(マントヴァ、1587‐1626)がこの部屋の装飾を指示しました。


P2740415
フレスコ画制作に参加した画家は、アントニオ・マリア・ヴィアーニ(クレモナ、1560?‐マントヴァ、1630)と彼の工房で働いていた画家、ヤコポ・ボルボーネ・ダ・ノヴェッラーラ(ノヴェッラーラ、1566‐グァスタッラ、1623)、カルロ・サントナー(ミュンヘン、1591c‐1630?)、ジャン・ジャコモ・セメンティ(ボローニャ、1580‐1638)、フランチェスコ・ゲッシ(ボローニャ、1588‐1649)でした。


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どの部分を誰が描いたのか、明らかになってます。


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調べるのが大変で煩雑なので、ここでは作品帰属を避けたいと思います。


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ボローニャからフレスコ画制作に従事したジャン・ジャコモ・セメンティとフランチェスコ・ゲッシは、デニス・カルヴァートに師事してからグイド・レーニに弟子入りしたという、似た経歴を持ってます。


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14室に戻りました。


P2740432
何といってもルーベンスの作品が最大の見所でしょう。


P2740433
ドメニコ・フェッティの作品も展示されてます。


P2740441
ドメニコ・フェッティ(ローマ、1591c‐ヴェネツィア、1623)の「聖オルソラのデッサン」


P2740443
ドメニコ・フェッティ(ローマ、1591c‐ヴェネツィア、1623)の「パンと魚の奇跡」(1630)


P2740436
ドメニコ・フェッティ(ローマ、1591c‐ヴェネツィア、1623)?の「聖母の神殿奉献」(1615c)


P2740438


P2740446
ピーテル・パウル・ルーベンス(ジーゲン、1577‐アンヴェルサ、1640)の「聖なる三位一体を礼拝するゴンザーガ家の人々」(1605)


P2740450
ピーテル・パウル・ルーベンス(ジーゲン、1577‐アンヴェルサ、1640)の「斧槍兵」(1605)


P2740454
ピーテル・パウル・ルーベンス(ジーゲン、1577‐アンヴェルサ、1640)の「フランチェスコ4世ゴンザーガの肖像」(1605)


P2740458
ピーテル・パウル・ルーベンス(ジーゲン、1577‐アンヴェルサ、1640)の「小さな犬」(1605)


P2740463


P2740466
アントニオ・マリア・ヴィアーニ(クレモナ、1555/1560-マントヴァ、1630)の「天国のキリストと聖母」


P2740467


P2740469
ドメニコ・フェッティ(ローマ、1591c-ヴェネツィア、1623)の「マルゲリータ・ゴンザーガに聖オルソラ教会の模型を示して計画を説明するアントニオ・マリア・ヴィアーニ」(1618-20)
(つづく)

P2740250
次の部屋です。


P2740252
第10室


P2740251
この部屋から絵画・彫刻の展示になります。


P2740253
ジャンフランチェスコ・トゥーラ(マントヴァ、1510‐1546記録)の「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」(1518‐19c)


P2740258
ジャン・フランチェスコ・カロート(ヴェローナ、1480c‐1555)の「シビッラ・ティブルティーナ」(1540c)


P2740260
部屋の壁に描かれたフレスコ画


P2740262
フランチェスコ・ボンシニョーリ(ヴェローナ、1460‐カルディエーロ、1519)の「聖母子と聖ジョヴァンニーノと聖アンセルモ」


P2740266
15世紀後半の逸名画家作「救世主キリスト」(1470‐75c)


P2740270
ニッコロ・ソリマーニ・ダ・ヴェローナ(ヴェローナ、1446‐1497記録)?の「アンティオキアの聖イグナツィオ」(1480‐90c)


P2740275
ニッコロ・ソリマーニ・ダ・ヴェローナ(ヴェローナ、1446‐1497記録)?の「聖アゴスティーノ」(1480‐90c)


P2740271
イッポリート・コスタ(マントヴァまたはボローニャ、1506‐マントヴァ、1561)?の「天上の聖母子と大天使ミケーレと聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタとアッシジの聖フランチェスコと聖ジョルジョ」(1525‐30c)


P2740277
フランチェスコ・ボンシニョーリ(ヴェローナ、1460‐カルディエーロ、1519)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタと聖パオロと聖セバスティアーノ」(1515‐19)


P2740281
バルトロメオ・ファンチェッリ(フィレンツェで1502記録、マントヴァで1524記録)の「聖母子とアレッサンドリアの聖カテリーナと聖マリア・マッダレーナ」(1520‐25c)


P2740285
バルトロメオ・ファンチェッリ(フィレンツェで1502記録、マントヴァで1524記録)の「聖母子と聖人たち」(1515c)


P2740289
フランチェスコ・ボンシニョーリ(ヴェローナ、1460‐カルディエーロ、1519)の「グラツィエの聖母」(1510‐15c)


P2740291
次の部屋です。


P2740293
第11室


P2740292


P2740295
ヤコポ・ボルボーネ(ノヴェッラーラ、1566‐グァスタッラ、1623)の「聖母子と聖人たち(ベアート・ルドヴィーコ・ロサティ、聖ヴィンチェンツォ・フェッレール、聖アンセルモ、聖カルロ・ボッロメオ、聖ドロテア)」(1614)


P2740298
リナルド・マントヴァーノ(マントヴァ、1502‐1540)?の「キリストの鞭打ち」(1539‐40?)


P2740300
フランチェスコ・ボルガーニ(マントヴァ、1557‐1624)の「天上の聖母子と聖フランチェスコ」(1618c)


P2740307
16世紀のフェラーラの逸名画家作「カルヴァリオへの上りの途中で十字架を担いだまま倒れるキリスト」(1520‐30c)


P2740309
フェルモ・ギソーニ・ダ・カラヴァッジョ(カラヴァッジョ、1505c‐マントヴァ、1575)の「キリストの埋葬」(1539‐40?)


P2740314
ジローラモ・マッツォーラ・ベドリ(ヴィアダーナ、1500‐パルマ、1569)の「聖パオロの回心」(1560c)


P2740317
ベルナルディーノ・マルピッツィ(マントヴァ、1533c‐1623)?の「アウレア門での聖アンナと聖ジョアッキーノの邂逅」(1600‐05c)


P2740321
テオドーロ・ギージ(マントヴァ、1536c‐1601)の「アウレア門での聖アンナと聖ジョアッキーノの邂逅」(1580‐85c)


P2740323
次の部屋です。


P2740324
第12室


P2740327
アントニオ・マリア・ヴィアーニ(クレモナ、1560?‐マントヴァ、1630)の「悪魔を退治する大天使ミケーレ」(1594c)


P2740330
アントニオ・マリア・ヴィアーニ(クレモナ、1560?‐マントヴァ、1630)の「聖母子と聖人たち(ポルトガルの聖エリザベッタ、パオラの聖フランチェスコ、聖フランチェスカ・ロマーナ、聖カルロ・ボッロメオ、大天使ラッファエーレ)」(1620‐25c)


P2740334
アントニオ・ガッティ(ボローニャ、1570c‐パルマ、1624)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚と聖人たち(聖ジュゼッペ、聖アポッロニア、聖フランチェスコ、聖ドメニコ)」(1614‐15c)


P2740337
ピエトロ・マルティーレ・ネリ(クレモナ、1591/1601?-ローマ、1661)の「天上のキリストとパオラの聖フランチェスコと聖フラヴィア」(1645)


P2740341
カール・サントナー(ミュンヘン、1591c-1630?)の「受胎告知」(1615-18c)


P2740346
オラツィオ・サッマチーニ(ボローニャ、1532-1577)の「天上の聖ジョヴァンニーノとアレッサンドリアの聖カテリーナと教皇聖セルヴェリオ」(1570-75c)


P2740349
カルロ・ボノーニ(フェッラーラ、1569-1632)の「聖キアーラの奇跡」(1614-16)


P2740351
カルロ・パッラーゴ(フィレンツェ、1540-マントヴァ?、1604)の「天使」(1595-1604)


P2740354
カール・サントナー(ミュンヘン、1591c-1630?)の「受胎告知される聖母」(1620c)


P2740357
カール・サントナー(ミュンヘン、1591c-1630?)の「受胎告知する大天使」(1620c)


P2740360
カルロ・パッラーゴ(フィレンツェ、1540-マントヴァ?、1604)の「天使」(1595-1604)


P2740364
ダニエル・ヴァン・デン・ダイク(アンヴェルサ、1610-マントヴァ、1663)の「聖母の結婚」(1660-62c)


P2740367
ジュゼッペ・マリア・クレスピ通称ロ・スパーニョレット(ボローニャ、1665-1747)の「聖ジョヴァンニ・フランチェスコ・レジス」(1730c)


P2740370
ジュゼッペ・オリオーリ(マントヴァ、1681-1750)の「聖母子と聖スタニスラオ・コストカと聖フランチェスコ・ボルジア」(1736c)
(つづく)

P2740197
次の部屋です。


P2740198
第2室になります。


P2740200
Prima Sala di Guastalle


P2740201
ゴンザーガ家の人々の肖像画がフレスコで描かれてます。


P2740202
1701年、最後のマントヴァ公爵フェルディナンド・カルロ・ゴンザーガ・ネヴェレスによって注文されたフレスコ画です。
制作者が誰なのか、調べましが私には分かりませんでした。


P2740203
最後のマントヴァ公爵夫人アンナ・イサベッラ・ゴンザーガ・ディ・グァスタッラ(グァスタッラ、1655‐マントヴァ、1703)が1671年から1703年まで、この部屋に居住していました。


P2740204


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P2740207
第2室の先は行けないようになっていました。


P2740208
第2室から行けないようになっていた第7室です。


P2740209
結局、4,5,6,7室の4つの部屋に行くことが出来ませんでした。


P2740210
順路に従って進みます。


P2740232
次の部屋です。


P2740233
武器や武具などが展示されている第3室です。


P2740211
16世紀の小銃


P2740213
12‐13世紀の小剣


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15‐16世紀の剣


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14‐15世紀の剣


P2740226
陶器類も展示されてます。


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廊下に出ました。


P2740229
廊下の天井とフレスコ画


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次はピサネッロの間です。


P2740235
第8室になります。


P2740236
この部屋のフレスコ画は、アントニオ・ディ・プッチョ・ピサーノ通称ピサネッロ(ピサ又はヴェローナ、1390以前生まれ‐ナポリ、1455c)によって1440年頃描かれました。


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保存状態が良くありません。


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シノピエ


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P2740244
(つづく)

P2740122
次はSala dei Capitaniです。


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Sala dei Capitaniは、ジョヴァン・バッティスタ・ベルターニ(マントヴァ、1516‐1576)によって建設されました。


P2740124
天井の装飾


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ベルナルディーノ・インディア(ヴェローナ、1528‐1590)の「Luigi Gonzaga riceve il giramanto delle autorita cittadine」


P2740131
次の部屋は中に入ることが出来ませんでした。20室と表示されてますが、今まで展示室番号の表示が無かったので少し混乱。


P2740128
本来ならば、この部屋は美術ファンにとっては必訪だったと思います。


P2740127
Sala dei Marchesi


P2740129
ヤコポ・ロブスティ通称ヤコポ・ティントレット(ヴェネツィア、1518‐1594)の作品が4点ありました。現在、そのコピー画2点があるだけです。


P2740130
マントヴァ公爵グリエルモ・ゴンザーガ(マントヴァ、1538‐ゴイト、1587)がヤコポ・ロブスティ通称ヤコポ・ティントレット(ヴェネツィア、1518‐1594)に注文して、1578年から1579年に制作された4点の絵画がこの部屋にありました。17世紀に取り外され、現在は4点ともにミュンヘンのアルテ・ピナコテークにあるのです。
17世紀になると、ゴンザーガ家は多くの美術品を売るようになってしまいました。恐らく金欠病に罹患?したのでしょう。


P2740132
廊下に出ました。階段の突き当りの扉の先は入室禁止となっていたSala dei Marchesi(20室の表示があります)です。
肖像画が並んでますが、殆どが逸名画家の作品です。


P2740133
フランチェスコ・ボルガーニ(マントヴァ、1557‐1624)のサークル画家作「フランチェスコ・アーニェッロ・ソアルディ(1537‐1608)の肖像」(1590c)


P2740137
制作者不詳の「セバスティアーノ・デル・ピオンボ(ヴェネツィア、1485‐ローマ、1547)作『ジュリア・ゴンザーガ(1513‐1566)の肖像』の複製画」(16世紀後半)


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ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(ピエーヴェ・ディ・カドーレ、1490‐ヴェネツィア、1576)?の「カルロ5世(1500‐1558)の肖像」(1570‐80c)または逸名画家作「ティツィアーノ作『カルロ5世の肖像』の複製画」(1570‐80c)


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アレッサンドロ・アッローリ(フィレンツェ、1535‐1607)のサークル画家作「コジモ1世メディチの肖像」(1580‐1600)


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フェルモ・ギソーニ・ダ・カラヴァッジョ(カラヴァッジョ、1505‐マントヴァ、1575)のサークル画家作「エルコーレ・ゴンザーガ枢機卿(1505‐1563)の肖像」(1556‐60c)


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逸名画家作「フランチェスコ・ゴンザーガ枢機卿(1537‐1566)の肖像」(1561‐80c)


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制作者不詳の「ヘンリー・テステリン(パリ、1616‐ハーグ、1695)作『ルイ14世(1638‐1715)の肖像』の複製画」(1650‐75)


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ピエル・フランチェスコ・チッタディーニ(ミラノ、1616c‐ボローニャ、1681)のサークル画家作「幼児の肖像」(1560c)


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フェルモ・ギソーニ・ダ・カラヴァッジョ(カラヴァッジョ、1505‐マントヴァ、1575)のサークル画家作「幼児の肖像」(1560c)


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16世紀の逸名画家作「アルバ公爵ドン・フェルナンド・アルヴァレス・デ・トレド(1507‐1582)の肖像」(1580‐90c)


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マントヴァの逸名画家作「マルゲリータ・ゴンザーガ・ボッロメオ(1561‐1628)の肖像」(1582‐1600c)


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順路に従って一旦、外に出ます。


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ロッジャのフレスコ画を見ながら先に進みます。


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サンタ・バルバラ教会を通り過ぎます。


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再び宮殿内に入ります。


P2740168
順路に従って進みます。


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階段を上ります。階段途中の壁に宮殿の歴史などが書かれています。


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階段の踊り場に置かれている彫刻(詳細不明)


P2740171


P2740172
部屋の中に入室しました。


P2740175
第1室


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Sala del Morone


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陶器が展示されてます。


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14‐16世紀の陶器です。


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P2740186
ドメニコ・モローニ(ヴェローナ、1442‐1517)の「マントヴァからのボナコルシ家の追放」(1494)


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ゴンザーガ家の人の紋章(14世紀末‐15世紀初め)


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ゴンザーガ家の人の紋章(14世紀中頃)


P2740195
ゴンザーガ家の人の紋章(14世紀中頃)
(つづく)

P2740064
Sala di Troiaにやってきました。


P2740065
ドゥカーレ宮殿の中で見所とされている部屋です。


P2740071
Sala di Troiaは、1531年、マントヴァ公爵フェデリーコ2世ゴンザーガ(マントヴァ、1500‐1540)(父はフランチェスコ2世ゴンザーガ公爵、母はイサベッラ・デステ)がジュリオ・ロマーノ(ローマ、1499c‐マントヴァ、1546)に命じて建設された部屋で、実際には1538年から1539年に建てられたそうです。


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フレスコ画で有名なSala di Troiaです。


P2740066
フレスコ画制作に従事したのは、ジュリオ・ロマーノ(ローマ、1499c‐マントヴァ、1546)、リナルド・マントヴァーノ(マントヴァ、16世紀‐1546以前没)、フェルモ・ギソーニ・ダ・カラヴァッジョ(カラヴァッジョ、1505‐マントヴァ、1575)、ルーカ・ダ・ファエンツァ(ファエンツァ、?‐16世紀中頃)の4人の画家たちでした。


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1538年から1539年に制作されました。


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フレスコ画のテーマはトロイの木馬戦争です。


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スタッコ彫刻は、アンドレア・デル・ゴンフォ(マントヴァ、16世紀第2四半世紀活動)によって制作されました。


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彫刻があります。
ローマ時代の石棺正面「アドーネの神話」(2世紀末)


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古代ローマ芸術「コルセット付きトルソ」(2世紀第2四半世紀)


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古代ローマ芸術「ローマ軍兵士の浮彫断片」(1‐2世紀)


P2740093
古代ローマ芸術「石棺正面、メーディアの伝説」(2世紀第2四半世紀)


P2740095
古代ローマ芸術「石棺正面、ギリシャとアマゾネスとの戦い」(2世紀第2四半世紀)


P2740098
古代ローマ芸術「石棺、トロイの陥落」(2世紀中頃)


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古代ローマ芸術「石棺正面、ヘラクレスの難行」(2世紀第3四半世紀)


P2740108
古代ローマ芸術「”del Generale"の石棺、ローマの男の生涯」(2世紀第3四半世紀)


P2740112
次の部屋です。


P2740111
Camerino dei Cesari
ティツィアーノのユリウス・カエサルのコピー画があるのが部屋の名称の由来です。


P2740113
天井


P2740114
有名な部屋です。


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ジュリオ・ロマーノと弟子によって1532年に描かれました。


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P2740121


P2740119
ローマ芸術「Dioscuro」(紀元前2世紀第2四半世紀)
(つづく)

P2730973
次に進みます。


P2730974
ジュリオ・ロマーノ(ローマ、1499c‐マントヴァ、1546)によって建設されたCorte Nuovaです。


P2730975
Sala di Mantoです。


P2730976
Sala di Mantoは、Appartamennto di Troiaとサン・ジョルジョ城の間にあります。


P2730977
Sala di Mantoは、マントヴァ伯爵グリエルモ・ゴンザーガ(マントヴァ、1538‐ゴイト、1587)(フランチェスコ2世ゴンザーガの次男)の命によってジョヴァン・バッティスタ・ベルターニ(マントヴァ、1516‐1576)によって1572年から1580年に建設されました。


P2730978
スタッコ彫刻は、イアコポ・デュゲットによって制作されました。


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Sala di Mantoのフレスコ画は、ロレンツォ・コスタ・イル・ジョーヴァネ(マントヴァ、1537‐1583)によって制作されました。


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有名なロレンツォ・コスタ(フェッラーラ、1460‐マントヴァ、1537)は、ロレンツォ・コスタ・イル・ジョーヴァネの祖父です。


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フレスコ画のテーマは、マントヴァ設立の神話です。


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P2730994
彫刻が置かれてます。
紀元前5世紀末のギリシャ彫刻アテーナ・パルテノス像の複製彫刻
複製された時期は不明のようです。


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紀元前5世紀のギリシャ彫刻「女の彫像」(オリジナルです)


P2740001
紀元前5世紀?のギリシャ彫刻「女性の彫像」の複製
複製時期等の詳細が不明です。


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順路に従って進みます。


P2740004
次の部屋です。


P2740014
Camera dei Cavalli


P2740015
フレスコ画などで装飾されてます。


P2740005
古代ギリシャ、ローマの彫刻が展示されてます。


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古代ギリシャの墓の浮彫「若い女性と2天使」(紀元前2世紀後半)


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アスクレピオス?像(紀元前1世紀第2四半世紀)


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葬儀用のLoutrophorosの男像(紀元前1世紀第2四半世紀)


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ギリシャ彫刻「葬儀の別れ」(紀元前4世紀後半)


P2740022
Camera dei Cavalliの絵画は、リナルド・マントヴァーノ(マントヴァ、16世紀-1546以前没)とフェルモ・ギソーニ・ダ・カラヴァッジョ(カラヴァッジョ、1505-マントヴァ、1575)によって描かれました。


P2740024
天井画


P2740017
ルーカ・ダ・ファエンツァによって描かれたフレスコ画


P2740025
葬儀用ギリシャ彫刻「Figure del culto isiaco」(紀元1世紀第2四半世紀)


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石棺浮彫「騎士」(紀元前2世紀第2四半世紀)


P2740031
ギリシャ彫刻「Loutrophoros」(紀元前4世紀前半)


P2740033
ギリシャ彫刻「アスリートの頭像」(紀元前5世紀末)


P2740036
葬儀用ギリシャ彫刻「女の頭像」(紀元前4世紀第3四半世紀)


P2740038
ギリシャ彫刻「葬儀の別れ」(紀元前4世紀中頃)


P2740040
ギリシャ彫刻「葬儀の食事のシーン」(紀元前4世紀第3四半世紀)


P2740043
ギリシャの葬儀用石碑断片「若い男」(紀元前3世紀末-紀元前2世紀初め)


P2740045
次の部屋です。


P2740046
Camera delle Teste


P2740047


P2740049
Camera delle Testeのフレスコ画は、リナルド・マントヴァーノ(マントヴァ、16世紀-1546以前没)によって制作されました。


P2740048
天井のフレスコ画


P2740053


P2740051
ローマ時代の墓石(2世紀中頃)


P2740054
ローマ時代の葬儀用神殿断片(紀元前1世紀第1四半世紀)


P2740056
ローマ時代の葬儀用神殿断片(紀元前1世紀第1四半世紀)


P2740058
ローマ時代の若い男像(紀元前1世紀第2四半世紀)


P2740060
ローマ時代の「踊るマイナスとサティーロ」(紀元前2世紀)


P2740062
ローマ時代の「踊るマイナスとサティーロ」(紀元前1世紀第3四半世紀)
(つづく)

P2730874
次の部屋です。


P2730879
Sala delle Cappe


P2730869
マントヴァの起業家ロマーノ・フレッディのコレクションが展示されてます。


P2730871
ローマの逸名画家作「荊刑のキリスト」(1520c)


P2730877
ジュリオ・ロマーノのデザインに基づきルーカ・ダ・ファエンツァとルーカ・フィアッミンゴが描いた「ジュピターとネプチューンとプルート」(1536‐38)


P2730880
天井のフレスコ画


P2730881


P2730882


P2730883
サン・ジョルジョ城からドゥカーレ宮殿に移ります。


P2730884
宮殿の下に通じる階段が使えないようになっていました。


P2730885


P2730886
絵皿が展示されてます。


P2730887
表裏両面に描かれてます。


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北イタリアの逸名画家作「ルイージ・ゴンザーガ?の肖像」(1550c)


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裏面に描かれた「磔刑」(1550c)


P2730895
ロマーノ・フレッディのコレクション


P2730899


P2730901


P2730908
ロマーノ・フレッディのコレクションが展示されてます。


P2730909


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P2730911
次の部屋です。


P2730924


P2730913
フェルモ・ギソーニ・ダ・カラヴァッジョ(カラヴァッジョ、1505‐マントヴァ、1575)の工房作「ルイージ1世ゴンザーガの肖像」(1550‐80c)


P2730916
フェルモ・ギソーニ・ダ・カラヴァッジョ(カラヴァッジョ、1505‐マントヴァ、1575)の工房作「フランチェスコ2世ゴンザーガの肖像」(1550‐80c)


P2730919
フェルモ・ギソーニ・ダ・カラヴァッジョ(カラヴァッジョ、1505‐マントヴァ、1575)の工房作「フランチェスコ・ゴンザーガ枢機卿の肖像」(1550‐80c)


P2730922
フェルモ・ギソーニ・ダ・カラヴァッジョ(カラヴァッジョ、1505‐マントヴァ、1575)の工房作「ゴンザーガ家の男の肖像」(1550‐80c)


P2730925
ゴンザーガ家の紋章


P2730926
ロマーノ・フレッディのコレクション


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16世紀後半のものが並んでます。


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デッラ・ロッビア工房作「聖人?」(16世紀後半)


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P2730944


P2730946


P2730948


P2730951
フランス・ポルビュス・イル・ジョーヴァネ(ベルギー・アントウェルペン、1569‐パリ、1622)の「ヴィンチェンツォ1世ゴンザーガの肖像」(1600‐20c)


P2730954
ドメニコ・フェッティ(ローマ、1589‐ヴェネツィア、1623)の「宝探しの例え」(1619‐21c)


P2730956


P2730957


P2730959
ピーテル・パウル・ルーベンス(ドイツ・ジーゲン、1577‐ベルギーアントウェルペン、1640)の「フランチェスコ4世ゴンザーガの肖像」(1605)


P2730963
フランス・ポルビュス・イル・ジョーヴァネのサークルの画家作「マルゲリータ・ゴンザーガ・デステの肖像」(1604‐05c)


P2730965
マントヴァの逸名画家作「マルゲリータ・ゴンザーガ・デステの肖像」(1580c)


P2730968


P2730971
(つづく)

P2730770
次の部屋です。


P2730771
Camera dei Soli


P2730776
サン・ジョルジョ城内のこの部屋は、1549年、フランチェスコ3世ゴンザーガとオーストリアのカテリーナとの結婚を機に造られました。


P2730777
マントヴァの起業家ロマーノ・フレディが収集した美術品が2025年まで展示されてます。


P2730773
部屋の壁がフレスコ画で装飾されてます。


P2730774
この部屋のフレスコ画は、15世紀に制作が開始されましたが、途中で制作が放棄されてしまいました。それをジュリオ・ロマーノ(ローマ、1499c‐マントヴァ、1546)が引き継ぎ、ジュリオ・ロマーノの弟子のジョヴァン・バッティスタ・ベルターニ(マントヴァ、1516‐1576)によって完成されました。


P2730775
展示されている美術品は、ロマーノ・フレディによって収集されたものです。


P2730779
Maestro del Matrimento mistico della Cappella Bonacolsiの「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」(1330c)


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ロレンツォ・ディ・ビッチ(フィレンツェ、1350c‐1427)の「玉座の聖母子と天使たちと聖ジョヴァンニ・バッティスタと聖アントニオ・アバーテ」(1390‐1400c)


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アッレグレット・ヌーツィ(ファブリアーノ、1315c‐1373)に帰属する「受胎告知する大天使または祈る天使」(1350c)


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Maestro della Cappella Bonacolsiの「磔刑と天使たち」(1315‐20c)


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次の部屋です。


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サン・ジョルジョ城内のCamera di Mezzo


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部屋のフレスコ画は、ジュリオ・ロマーノの差配の下、ジュリオ・ロマーノの弟子や協力者によって制作されました。


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この部屋にもマントヴァの起業家ロマーノ・フレディの収集物が展示されてます。


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ボニファチョ・ベンボ(ブレーシャ、1420‐ミラノ、1477)工房作の「女の肖像」(1460c)


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ボニファチョ・ベンボ(ブレーシャ、1420‐ミラノ、1477)工房作の「女の肖像」(1460c)


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グイドッチョ・コッツァレッリ(シエナ、1450‐1517)の「玉座の聖母子と4天使」(1480c)


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Maestro di Trebonのサークルの画家作「聖エドヴィーゲ?と聖マリア・マッダレーナ」(1390‐1400c)


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Maestro di Trebonのサークルの画家作「聖グイダ・タッデオと聖トンマーゾ」(1390‐1400c)


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次の部屋です


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Scultore di area alpino?の「聖母子」(15世紀初め)


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デッラ・ロッビア工房作「聖母子」(1510c)


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ジョヴァンニ・ダ・ノーラ(ノーラ、1478‐ナポリ、1559)のサークルの彫刻家作「聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ」(16世紀第1四半世紀)


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ドメニコ・アッリゲッティ(16世紀後半‐17世紀前半)の「ザクロを持つ女」(1600c)


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逸名彫刻家作「アントニオ・ロッセッリーノ作『聖母子』の複製彫刻」(15世紀)


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トスカーナの逸名彫刻家作「聖母子」(1320‐35c)


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ウンブリアの逸名彫刻家作「聖母子」(14世紀後半)


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ロマーノ・フレディが収集した陶器類の展示です。


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ロマーノ・フレディが収集した工芸品


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マントヴァの逸名画家作「ベアータ・オサンナ・アンドレアージ」(1540‐50c)


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(つづく)

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中世の頃、マントヴァの政治と芸術の中心だったソルデッロ広場です。


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ソルデッロ広場に建つドゥカーレ宮殿です。


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13世紀に創建され、18世紀に完成しました。最初はボナコルシ家の住居でしたが、1308年からゴンザーガ家の住居になりました。


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地上階にロッジャがあります。


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サン・ジョルジョ城を含むドゥカーレ宮殿は、約35,000㎡の広さで、500以上の部屋、7つの庭園、8つの中庭などから成り、約34,000㎡が博物館として一般公開されてます。約34,000㎡の博物館は、イタリアではヴァティカン博物館に次いで二番目の広さです。
広いので見るのが大変です。


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切符売り場の入り口


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2012年5月のエミリア地震によって大きな被害を受けました。大部分は修復が完了して以前のように公開されてますが、今なお修復工事中の所があって非公開となってます。


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地震後、順路が変わりました。


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一旦、カステッロ広場に出ます。


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左右の壁にフレスコ画があります。


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カステッロ広場に向かって右側の壁


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カステッロ広場です。


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写真左方から広場に入ってきました。


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こちらは国立考古学博物館です。宮殿の建物の一部にありますが、切符は別売で、ドゥカーレ宮殿の切符では入館できません。


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カステッロ広場に面したロッジャのフレスコ画を見ます。


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今でもフレスコ画が残ってますが、傷みが激しい。


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サンタ・バルバラ教会の鐘楼が見えてます。


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写真右端の赤いオブジェの先に博物館の入り口があります。


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2012年5月のエミリア地震の前は、サン・ジョルジョ城にある結婚の間は最後の方で見る順路になっていましたが、現在は博物館の入り口が移動して結婚の間を最初に見学するようになってます。


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小さな中庭があります。


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中庭を経由して城に入ります。


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順路に従って結婚の間に向かいます。


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廊下の壁に描かれたフレスコ画


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結婚の間に入るための待機所です。


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結婚の間は、一回に入ることが出来る人数が制限されてます。待機所が二か所あります。


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次の次に結婚の間に入る人たちが待機所に入ってきました。


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結婚の間に入室しました。


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係員がいるところが待機所から結婚の間を繋ぐ通路となってます。


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天井の装飾


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結婚の間のフレスコ画は、アンドレア・マンテーニャ(イーゾラ・ディ・カルトゥーロ、1431‐マントヴァ、1506)によって1465年から制作が始められ、1474年に完成しました。


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マンテーニャは、このフレスコ画の褒賞として、マンテーニャの家になっている土地と資金を受け取ることが出来ました。


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2012年の地震によって被害を受けたので、暫く閉鎖されていました。


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有名な天井のフレスコ画です。


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地震によって崩落が伝えられた天井です。


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(つづく)

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2階(日本の3階)に向かいます。


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階段横の壁にフレスコ画あります。


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修復されたものの、以前の保存状態が良くなかったので、何が描かれているのか判然としません。


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2階の展示室です。


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部屋の壁のフレスコ画


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アンドレア・マンテーニャ派逸名画家作「機会の寓意」(1490)


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目の不自由な人向けの触ることが出来る浮彫


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アンドレア・マンテーニャの様式で描かれたフレスコ画(1490‐1510c)


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マントヴァの逸名画家作「グロテスク様式の模様」(1500‐50c)


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部屋の壁に描かれたフレスコ画


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16世紀の逸名画家作「テオフィーロ・フォレンゴの肖像」


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バルダッサッレ・カッラーリ(フォルリ、1460‐ラヴェンナ、1516)?の「羊飼いの礼拝」(1490)


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ヴィンチェンツォ・フォッパ様式の逸名画家作「授乳の聖母」(1490)


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フランチェスコ・ボンシニョーリ(ヴェローナ、1460‐カルディエーロ、1519)の「からヴァリオへの上り」(1510c)


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目の不自由な人向けの触って鑑賞するための浮彫?


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ジョヴァン・フランチェスコ・カロート(ヴェローナ、1480‐1555)の「玉座の聖母子と信者」(1513)


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ベルナルド・ダ・パレンツォ通称イル・パレンティーノ(パレンツォ、1437c‐ヴィチェンツァ、1531)の「聖スコラスティカ」(1496c)


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ベルナルド・ダ・パレンツォ通称イル・パレンティーノの「聖ベネデット」(1496c)


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アントニオ・ディ・パヴィア(パヴィア、1503‐1527生存確認)の「玉座の聖母子と聖人たち」(1490)


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壁のフレスコ


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フランチェスコ・ボンシニョーリ(ヴェローナ、1460‐カルディエーロ、1519)の「ベアータ・オサンナ・アンドレアージ」(1519c)


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壁に描かれたフレスコ画


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アントニオ・ディ・パヴィア(パヴィア、1503‐1527生存確認)の「ベアータ・マッダレーナ・コッビーニ」(1490)


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アントニオ・ルッジェーリの「勝利の聖母」(1797c)


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サン・セバスティアーノ宮殿の模型


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外に出ました。


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(おわり)

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次の部屋です。


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逸名彫刻家作「Rilievo con la capra Amaltea」(17世紀前半)


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逸名彫刻家作「エウロパの強奪の浮彫」(17世紀前半)


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ジャンクリストフォロ・ロマーノ(ローマ、1456‐ロレート、1512)の「フランチェスコ2世ゴンザーガの胸像」(1495以降)


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逸名彫刻家作「バッティスタ・スパニョーリの胸像」(16世紀第1四半世紀)


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逸名彫刻家作「アッシジの聖フランチェスコとシエナの聖ベルナルディーノ」(15世紀後半)


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ヴェネトの逸名彫刻家作「教皇ジュリオ2世デッラ・ローヴェレの胸像」(16世紀前半)


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リナルド・マントヴァーノ(マントヴァ、16世紀‐1546以前没)のフレスコ断片(1540c)


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逸名彫刻家作「2匹の蛇と眠るキューピッド」(16世紀)


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逸名彫刻家作「ディアナの浮彫」(16世紀)


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逸名彫刻家作「天使童子」(15世紀末)


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逸名彫刻家作「燭台」(15世紀末)


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次の部屋です。


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古代彫刻が展示されます。


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バッカス(紀元前2世紀)


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男のトルソ(紀元前4‐3世紀)


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ナルキッソスまたはアドニス(紀元前4世紀)


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ヴィーナスのトルソ(紀元前3‐2世紀)


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牡のスフィンクス(紀元前5世紀)


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牝のスフィンクス(紀元前5世紀)


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男のトルソ(紀元前5‐4世紀)


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ヴィーナスのトルソ(紀元前2世紀)


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アルテミス(紀元前5世紀)


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男のトルソ(2世紀前半)


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墓石の浮彫(2世紀前半)


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墓碑(1世紀)


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玉座(1世紀)


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墓碑(1‐2世紀)


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次の部屋です。


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ロンバルド・ヴェネトの逸名彫刻家作「バッティスタ・スパニョーリの胸像」(1500‐10c)


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ロンバルド・ヴェネトの逸名彫刻家作「フランチェスコ2世ゴンザーガの胸像」(1500‐10c)


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ロンバルド・ヴェネトの逸名彫刻家作「Busto di Virgilio」(1500‐10c)


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詳細不明


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詳細不明


P2760571
詳細不明


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マンテーニャの家にあったもの(15世紀)


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ゴンザーガの紋章(15世紀)


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ゴンザーガの紋章(15世紀)
(つづく)

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次の部屋です。


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部屋の壁に紋章のフレスコ画が描かれてます。


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フレスコ画の保存状態は比較的良い方でしょう。


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紋章の彫刻が展示されてます。


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カテリーナ・グロッシ・ボッカッリの紋章


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フランチェスコ・ラーミの紋章


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フランチェスコ・ラーミの紋章


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オリヴィ家の紋章


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オリヴィ家傍流家の紋章


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詳細不明の紋章


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詳細不明の紋章


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詳細不明の紋章


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上階に向かいます。


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階段途中の壁にフレスコ画があります。


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宮殿が建設された16世紀初めに描かれたと推定されてますが、制作者等詳細が不明です。


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フレスコ画の保存状態が良くありません。


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次の部屋です。


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アンドレア・マンテーニャ(イーゾラ・ディ・カルトゥーロ、1431‐マントヴァ、1506)の傑作「ユリウス・カエサルの勝利」が展示されてます。
しかし、そのように書いては完全な間違いとは言えないものの、正確を欠きます。


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ここにあるのはフレスコ画です。マンテーニャの「カエサルの勝利」はフレスコ画ではありません。


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マンテーニャの「カエサルの勝利」(勿論、本物です)は、サン・セバスティアーノ宮殿にありました。マントヴァ侯爵フランチェスコ2世ゴンザーガがこの宮殿を建設した理由の一つがマンテーニャの「カエサルの勝利」をこの宮殿に置くことでしたから、それは当然です。


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これらのフレスコ画は、恐らくルドヴィーコ・ドンディ通称イル・マントヴァーノ(マントヴァ、1585‐1614活動)によって17世紀初めに描かれたマンテーニャ作品の複製です。
複製された理由やオリジナルと異なりフレスコで描かれた理由など詳細が分からないようです。


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実は、マンテーニャが制作した「カエサルの勝利」(本物)はイギリスにあるのです。
その辺の詳細には、複雑な経緯があります。


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1492年、アンドレア・マンテーニャ(イーゾラ・ディ・カルトゥーロ、1431‐マントヴァ、1506)は「カエサルの勝利」の制作を開始して、製作途中の1501年にドゥカーレ宮殿で一部公開が開始され、大変な評判となりました。1505年に完成したと言われてます。


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制作の初期の段階の1492年3月2日、マントヴァに訪れていたジョヴァンニ・デ・メディチ(後の教皇レオ10世)は「カエサルの勝利」を見て最大級の賛辞を述べ、フランチェスコ2世ゴンザーガは鼻高々でした。


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サン・セバスティアーノ宮殿が完成した1508年頃に、マンテーニャの「カエサルの勝利」はドゥカーレ宮殿からサン・セバスティアーノ宮殿に移されました。


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1598年、それまで一枚の大作だった「カエサルの勝利」は、アンドレア・アンドレア―ニ(マントヴァ、1584‐1610)によって分割されてしまいました。その分割された作品を見て、17世紀初めにルドヴィーコ・ロンディがフレスコでコピー画を制作したようです。


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1626年、分割されたマンテーニャの「カエサルの勝利」は、ロレンツォ・コスタの2作品ともにサン・セバスティアーノ宮殿からドゥカーレ宮殿に移されました。
1627年、マンテーニャの分割された「カエサルの勝利」の全点はマントヴァを離れ、イギリスのロイヤル・コレクションに加わることになりました。
この辺の事情を調べましたが、何故イギリス王家の所有になったのか、その理由が分かりませんでした。
現在、マンテーニャの「カエサルの勝利」は、イギリスのハンプトンコート宮殿にあり、観ることが出来ます。


9
イギリスのハンプトンコート宮殿にあるマンテーニャの「ユリウス・カエサルの勝利」の作品画像を載せましょう。(作品画像は外部サイトから拝借しました)
作品は9分割されてます。


10
第1画面の詳細


11
第2画面
マンテーニャの制作後、何回も修復が行われて原画とは異なっていると言われてます。


12
第2画面の詳細


13
第3画面


14
第4画面


15
第5画面


16
第5画面の詳細


17
第6画面


18
第7画面


19
第8画面


20
第9画面
(つづく)

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