イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 BY:シニョレッリ

カテゴリ: リグーリア州

P1890804
Oratorio di Nostra Signora dell'Assuntaの鐘楼を見ながら城への道を上りました。


P1890805
少し上っただけなのに下よりも風がかなり強く吹いていました。


P1890806
城に上る遊歩道から見た景色です。


P1890808
ストゥール川が見えてます。


P1890807
鐘楼の高さで自分が上って来たのが分かります。


P1890812
観光客どころか地元の人も遊歩道で見かけることはありませんでした。


P1890815


P1890816
城の入り口に着きました。


P1890817
城壁


P1890818
人気が全くないので、扉が閉まっていると予想していましたが、開いていました。扉上ルネッタにスピノーラ家の紋章がありました。


P1890819
中に入りました。


P1890821
13世紀にジェノヴァのスピノーラ家によって建設されました。


P1890822
小規模な城です。


P1890826
塔が開いていましたが、入れたのは写真左の橋の部分だけでした。


P1890827
塔の横の橋から見た景色


P1890825
城の庭を歩きましたが、目新しいものは何もありません。


P1890830
建物の廃墟


P1890829
この城の主な役目は周囲の監視で、守備兵が詰めていただけの城でした。


P1890831
見所が少ないので、直ぐに城壁の外に出ました。


P1890833
風が強く寒かったので、下に下りることにしました。


P1890835
道を下るのは簡単でした。


P1890836


P1890838
村の集会所


P1890839
城への道が一本しかないので、同じ道を下りました。


P1890841
「最も美しい村」の中では中位くらいでしょうか?


P1890842


P1890843
Oratorio di Nostra Signora dell'Assunta


P1890845
もう一度ドゥオーモに寄ることにしました。


P1890846


P1890847
ドゥオーモはやはり閉まっていました。


P1890849
村のパンフレットに出ていた見所は大体見たようです。


P1890851
駅に戻ることにしました。


P1890854


P1890858
サンティ・セバスティアーノ・エ・ロッコ祈祷所


P1890860
ジェノヴァ行きの列車の時刻まで時間があったので、バールで一息入れました。


P1890861


P1890864


P1890868


P1890871
ちょど良い時間になったので、駅に向かった出発しました。


P1890873
山道もありますが、安全を期して来た道と同じ道を通りました。


P1890875


P1890878
ストゥール川


P1890879


P1890882
旧教会の建物


P1890883
駅が見えてます。


P1890888
駅舎


P1890892


P1890893
列車は30分遅れでした。


P1890895
漸く列車が到着しました。


P1890896
遅れなしとの表示
30分遅れは定時運行のようです。
(おわり)

P1890738
さて、ドゥオーモは開いているでしょうか?


P1890741
やはりダメでした。


P1890742
この辺は仕方がありません。


P1890743
特に見たい作品があるわけではないので、残念には思いません。


P1890745
ドゥオーモの直ぐ近くに、もう一つ教会があります。


P1890747
右折すると直ぐに教会の建物が認められます。


P1890748
Oratorio di Nostra Signora dell'Assuntaです。


P1890752
1585年の記録に、この祈祷所の存在が初めて記載されてます。


P1890750
1600年の火災によって消失したので、1604年から1606年に再建された建物が現在の姿です。


P1890782
中に入りました。


P1890756
単廊式、バロック様式の内部です。


P1890755
翼廊がありません。


P1890785
天井と後陣はフレスコ画で覆われてます。


P1890757
かなり派手な感じがします。


P1890758
ルイージ・ガイノッティ(パルマ、1859‐ジェノヴァ、1940)の「聖母被昇天」(19世紀)


P1890761
ルイージ・ガイノッティによるフレスコ画


P1890762


P1890759
床の装飾


P1890760
主祭壇


P1890764
主祭壇画は、逸名画家作「聖母被昇天」(18世紀)


P1890767
ジェノヴァの逸名画家作「園のキリスト」(18世紀)


P1890769
ジェノヴァの逸名画家作「弟子の足を洗うキリスト」(18世紀)


P1890772
ジェノヴァの逸名画家作「聖母と聖ガエターノ」(18世紀)


P1890781
派手な磔刑像


P1890780
ウルシーノ・デ・マリ―(ナポリ、17世紀活動)の「聖母マリア」(17世紀)


P1890777
説教壇


P1890771
ファサード裏の聖歌隊席


P1890788
外に出ました。


P1890786
次はスピノーラ城です。


P1890789
この辺はストゥール川の氾濫で、何回も水につかったそうです。


P1890791
氾濫の被害から逃れるために、この村の住民は出来るだけ高い場所に家を構えたそうです。


P1890790
階段を上って高い道に出ます。50mと言う標識は川の水面から50mの高さを示してます。


P1890793
スピノーラ城の塔


P1890794
城の入り口前に古い建物があります。


P1890797
13世紀に建設されたChiesa del convento dei Santi Michele e Cristinoです。


P1890796
既に活動を停止した旧教会でしょう。


P1890798
今上って来た道です。


P1890795


P1890799
カステッロ公園横の道を上ります。


P1890800
ドゥオーモの鐘楼


P1890801
(つづく)

P1890635
中世の頃、この村を領有していたスピノーラ家の住居として1329年に建設されたスピノーラ宮殿です。当時、この村はハプスブルク家の支配下に置かれていました。
16世紀にジェノヴァに敗れて、ジェノヴァの支配下に置かれるようになると、スピノーラ宮殿はジェノヴァから派遣された代官の公舎として使用されました。


P1890637


P1890643
広場に立つ戦没者のモニュメントです。第1次世界大戦と第2次世界大戦の戦没者を悼んでます。


P1890645
村の地図を頂戴するために観光案内所に来ました。


P1890650
扉が閉まっていました。5月から9月までしか開いていないようです。


P1890647
実は左の真ん中の建物に泊まりたかったのですが・・・・・


P1890648
夏季だけの営業のようです。


P1890652
村の地図を頂戴するために村役場に行くことにしました。


P1890653
村役場は川の対岸にあります。


P1890654
石造りのサン・ミケーレ橋です。


P1890649
車の通行が禁止されているサン・ミケーレ橋です。


P1890655
サン・ミケーレ橋が初めて架けられたのは9世紀だそうです。


P1890656
橋の下を流れるストゥール川は、別名「暴れ川」と呼ばれており、別名通り大水、氾濫を繰り返しました。それによってサン・ミケーレ橋は度々損傷を受けたり、時には流失したことが数度あったのです。
現在の橋は、1842年に再建されたものですが、橋の形は9世紀の原形をほぼ保っていると言われてます。


P1890658
下を流れるストゥール川です。時計台がある建物が村役場です。


P1890666
サン・ミケーレ橋の上から見たチェントロ・ストーリコです。


P1890660
上流左岸


P1890661
下流左岸


P1890665
下流右岸


P1890667
写真左の建物はスピノーラ城です。


P1890671
サン・ミケーレ橋を渡り切って対岸に着きました。


P1890674


P1890675
1225年から1273年に建設されたスピノーラ城です。


P1890677
村役場側からチェントロ・ストーリコを見ると「最も美しい村」にリストアップされていることが理解できます。


P1890679
夏は川遊びで賑わうのでしょう。


P1890657
村役場に行きます。


P1890685


P1890680
村役場で地図を頂戴できました。


P1890696
サン・ミケーレ橋に戻るのは詰まらないので、村役場の先にある橋を渡ることにしました。


P1890686
幹線道路に架かる橋です。


P1890717
幹線道路の端から見た上流方向


P1890721
下流方向


P1890701


P1890706


P1890710


P1890722
幹線道路に架かる橋を渡ってチェントロ・ストーリコ側に戻りました。


P1890724
この時間ならば、ドゥオーモが開いているかも知れない、と思い、ドゥオーモに再び向かいました。


P1890727
18世紀に建設された建物です。


P1890728


P1890729
フレスコで装飾された建物


P1890731


P1890732
フレスコで装飾された別の建物


P1890733


P1890734


P1890735
ドゥオーモの鐘楼が見えてます。


P1890737
(つづく)

P1890573
カンポ・リーグレは、人口2,924人のリグーリア州ジェノヴァ県にあるコムーネです。
この村に鉄道で行く場合、ジェノヴァPP駅からアックイ・テルメ行きの普通列車を利用します。


P1890575
乗車約30分程でカンポ・リーグレ駅に到着しました。


P1890577
駅舎


P1890576
駅の下にストゥーラ川が流れてます。


P1890578
ストゥーラ川沿いの道を川の上流に向かって進み、チェントロ・ストーリコに向かいました。


P1890581
鐘楼があるので、教会でしょう。


P1890582
教会の名前が分かりません。


P1890583
最初の信号を右折するとチェントロ・ストーリコに行くことが出来ます。


P1890584
「最も美しい村」にリストアップされてます。


P1890585
カンポ・リーグレは、ジェノヴァに近いのですが、14‐15世紀はハプスブルク家の支配下にあり、16世紀にジェノヴァ共和国の支配下に置かれるまでハプスブルク家に忠誠を誓って村を上げてジェノヴァに抵抗したことで有名です。


P1890588
村の歴史は古く、古代ローマの共和政時代に遡ります。


P1890589
教会が見えてきましたが、その教会がチェントロ・ストーリコの入り口になります。


P1890590
サンティ・セバスティアーノ・エ・ロッコ祈祷所です。


P1890615
1418年創建の記録が残されてますが、外観は明らかにバロック様式です。


P1890618
1647年、教会は機能を停止して、村立病院に改装されました。1968年まで病院として使用されました。


P1890620
創建時の鐘楼が今でも残されてます。


P1890591
扉が開いていたので中に入りました。


P1890593
中は修復工事中でした。


P1890592
単廊式、バロック様式の内部です。


P1890594
壁の殆どがフレスコ画で覆われてます。


P1890595
天井のフレスコ画は、ドメニコ・ピオラ(ジェノヴァ、1627‐1702)によって描かれました。


P1890599


P1890597
主祭壇


P1890598


P1890601
主祭壇画は、ドメニコ・ピオラ(ジェノヴァ、1627‐1702)の「聖セバスティアーノと大天使聖ミケーレと聖ロッコ」


P1890604
地元の画家サンテ・レオンチーノのフレスコ画


P1890605
サンテ・レオンチーノのフレスコ画


P1890606
サンテ・レオンチーノ作のフレスコ画


P1890608
地元の逸名画家によるフレスコ画


P1890610
逸名画家作「ピエタ」(15世紀)


P1890602
ファサードの裏にオルガンと聖歌隊席があります。


P1890614
外に出ました。


P1890616
村の入り口は工事中でした。


P1890617
この辺は、美しい村の雰囲気は特にないようです。


P1890622
川の方は後で行くことにしました。


P1890623
先ず教区教会に向かいました。


P1890625
村の目抜き通りであるジュゼッペ・サラッコ通りです。


P1890627
目抜き通りにも拘らず人出がありません。


P1890629
よく清掃された綺麗な道です。


P1890631
もう直ぐ村の中心の広場に出ます。


P1890633
村の中心のヴィットリオ・エマヌエーレ2世広場です。


P1890644


P1890634
広場に面して建つナティヴィータ・ディ・マリア・ヴェルジネ教区教会、カンポ・リーグレのドゥオーモです。


P1890638
1758年創建、1762年に完成した後期バロック様式の教会です。扉が閉まっていました。


P1890640
扉上の「玉座の聖母子」のモザイク


P1890641
大天使聖ミケーレ


P1890642
聖マリア・マッダレーナ
(つづく)

P1900601
フランチェスコ・スコット(ジェノヴァ、1750c‐1826)の「磔刑」


P1900603
ジュゼッペ・イーゾラ(ジェノヴァ、1808‐1893)の磔刑礼拝堂の天井フレスコ画


P1900610
ベルナルド・ストロッツィ(ジェノヴァ、1581‐ヴェネツィア、1644)の祭壇画


P1900615
以上が左側廊の礼拝堂です。


P1900616
中央礼拝堂前から見た出入口方向です。


P1900617
中央礼拝堂と後陣


P1900618
後陣のフレスコ画は、ジュリオ・ベンソ(ぺーヴェ・ディ・テーコ、1592‐1668)の「受胎告知」、「聖母被昇天」


P1900619


P1900621


P1900623


P1900622
クーポラのフレスコ画は、ジョヴァンニ・アンドレア・アンサルド(ヴォルトリ、1584‐ジェノヴァ、1638)によって描かれました。


P1900620
ジャコモ・アンドレア・ポンソネッリ(マッサ、1654‐ジェノヴァ、1735)の「磔刑像」


P1900624
中央礼拝堂の左右の側壁に祭壇画があります。


P1900626
左側壁は、ジョヴァンニ・バッティスタ・カルロ―ネ(ジェノヴァ、1603‐パロディ・リグーレ、1684c)の「キリストの寺院への出現」


P1900628
右側壁は、ジョヴァンニ・バッティスタ・カルロ―ネ(ジェノヴァ、1603‐パロディ・リグーレ、1684c)の「キリストの博士たちとの問答」


P1900631
中央礼拝堂のイコン


P1900633
中央礼拝堂のイコン


P1900635
ロレートの聖母の礼拝堂です。


P1900636
レオナルド・ミラーノ(コモ、1577‐ジェノヴァ、1637)の「ロレートの聖母」


P1900639
ジョヴァンニ・バッティスタ・カルロ―ネ(ジェノヴァ、1603‐パロディ・リグーレ、1684c)の「ポルタの聖サルヴァトーレの奇跡」


P1900641
ジョヴァンニ・アンドレア・アンサルド(ヴォルトリ、1584‐ジェノヴァ、1638)の右側廊クーポラのフレスコ画


P1900646
トマーゾ・クレリーチ(ジェノヴァ、1636‐1657)の「三大天使」


P1900649
トマーゾ・クレリーチ(ジェノヴァ、1636‐1657)の「聖ドメニコ・ソリアーノの行為」


P1900652
パドヴァの聖アントニオ礼拝堂の祭壇画は、トマーゾ・オルソリーノ(ランポニオ、1587‐ジェノヴァ、1675)の「パドヴァの聖アントニオ」


P1900653
ジャコモ・ポルタ(?、?‐ジェノヴァ、1662)の「祭壇」


P1900655
右側廊


P1900656
ジョヴァンニ・カルロ―ネ(ジェノヴァ、1584‐ミラノ、1631)によって描かれた右側廊天井のフレスコ画


P1900657
同断


P1900660
ドメニコ・ピオラ(ジェノヴァ、1628‐1703)の「受胎告知」(1679)


P1900664
アンドレア・カルロ―ネ(ジェノヴァ、1626‐1697)の「ご訪問」


P1900666
アンドレア・カルロ―ネ(ジェノヴァ、1626‐1697)の「聖母の寺院への出現」


P1900667
説教壇


P1900668


P1900671
ジョヴァンニ・バッティスタ・カルロ―ネ(ジェノヴァ、1603‐1684)の「アルカンターラの聖ピエトロ」


P1900675
アンドレア・マリア・ピオラ(ジェノヴァ、1654‐1715)の「聖母子と聖グレゴリオと聖オルソラ」


P1900677
ダニエーレ・クレスピ(ボスコ・アルシツィオ、1600‐ミラノ、1630)の「聖ジョヴァンナ」


P1900682
ジョヴァンニ・ベルナルド・カルボーネ(ジェノヴァ、1614‐1683)の「十字架の前で祈るフランスの聖ルイ9世」


P1900684
クラウディオ・フランチェスコ・ボーモン(トリノ、1694‐1766)の「聖ルイ9世の寄進」


P1900686
クラウディオ・フランチェスコ・ボーモン(トリノ、1694‐1766)の「ペスト患者と聖ルイ9世」


P1900687
ドメニコ・フィアセッラ(サルザーナ、1589‐ジェノヴァ、1669)の天井フレスコ画


P1900688


P1900689


P1900691
サン・ジョヴァンニ・バッティスタ礼拝堂です。


P1900692
詳細不明


P1900693
祭壇(詳細不明)


P1900696
ドメニコ・ピオラ(ジェノヴァ、1628‐1703)の「磔刑の前の聖ドメニコ」


P1900698
シモーネ・パッラビーノ(ジェノヴァ、1575c‐ミラノ、1620c)の「聖ディエゴの奇跡」


P1900703
17世紀中頃の逸名画家作「聖ボナヴェントゥーラの奇跡」


P1900705
ドメニコ・ピオラの追随者作「聖霊降臨」


P1900709
ジョヴァンニ・アンドレア・デ・フェラーリ(ジェノヴァ、1598‐1669)の「アガルとイスマエーレ」


P1900712
グリエルモ・カッチャ通称イル・モンカルヴォ(モンタボーネ、1568‐1625)の「聖フランチェスコの誕生」


P1900714
ジョヴァンニ・バッティスタ・カルロ―ネ(ジェノヴァ、1603‐1684)の礼拝堂天井のフレスコ画


P1900715
カルロ―ネ一族、ピオラ一族など画家一家の作品が多くて、作品を特定させるのが大変でした。


P1900716
ブログの書き手として時間が相当かかった記事でした。


P1900721
外に出ました。
(おわり)

P1900508
ジェノヴァのバルビ通りの先に教会の建物があります。


P1900511
Piazza del Nunziataに面して建つ教会です。


P1900732
Basilica di Santissima Annunziata del Vastato
ジェノヴァに、2つの受胎告知教会があるので、区別するためにdel Vastatoが付けられて呼称されてます。


P1900516
この場所には、1228年に建てられた小さなサンタ・マリア・デル・プラート教会修道院がありましたが、1508年、教会修道院の建物はフランチェスコ会修道士の所有に変更されました。
フランチェスコ会は、譲渡された建物を取り壊し、その上に新しい建物の建設を決め、1520年に創建されましたが資金難のため、1537年に工事が中断され、シンプルで小さな建物のまま、活動していました。
1582年、工事が再開されましたが、資金難のため工事は遅々として進みませんでした。1591年、ロメッリーニ家が資金を負担することになり、彫刻家でもあり建築家であるタッデオ・カルロ―ネ(ローヴィオ、1543‐ジェノヴァ、1615)の工事監督によって、工事が再開され1615年に完成しました。


P1900734
新古典様式のファサードはジョヴァンニ・バッティスタ・レナスコとカルロ・バラビーノの設計、工事監督によるものです。


P1900725
身廊外観


P1900735
鐘楼がファサードの左右に二本設けられてます。


P1900722
第二次世界大戦の爆撃によって、大きな被害を受け、戦後に大修復された建物です。


P1900519
お布施を依頼してます。


P1900520
聖堂内に入りました。


P1900521
三廊式、バロック様式の内部です。


P1900522
縦54m×横33mの聖堂です。


P1900523
装飾が地味なのは柱くらいです。


P1900525
身廊天井のフレスコ画は、ジョヴァンニ・カルロ―ネ(ジェノヴァ、1584‐ミラノ、1631)とジョヴァンニ・バッティスタ・カルローネ(ジェノヴァ、1603‐パロディ・リグーレ、1684c)によって描かれました。


P1900526
場面毎に二人のうち誰によって描かれたのか特定されているそうです。


P1900688
その辺は、私にはあまり興味がありません。


P1900527
左側廊


P1900528
左右の側廊天井にもフレスコ画が描かれてます。


P1900529
左側廊にある礼拝堂から見て行きました。


P1900535
ジョヴァンニ・バッティスタ・カルローネ(ジェノヴァ、1603‐パロディ・リグーレ、1684c)の「聖クレメンテの殉教」
サン・クレメンテ礼拝堂の中央祭壇画です。


P1900537
ジョヴァンニ・バッティスタ・カルローネ(ジェノヴァ、1603‐パロディ・リグーレ、1684c)の「聖クレメンテの殉教」
サン・クレメンテ礼拝堂の右側壁にあります。


P1900540
ジョヴァンニ・バッティスタ・カルローネ(ジェノヴァ、1603‐パロディ・リグーレ、1684c)の「聖クレメンテの苦痛」
サン・クレメンテ礼拝堂の左側壁にあります。


P1900546
左側廊第2礼拝堂です。


P1900545
ジョヴァンニ・バッティスタ・パッジ(ジェノヴァ、1554‐1627)の「聖キアーラの変容」


P1900551
ジョヴァンニ・バッティスタ・カルローネ(ジェノヴァ、1603‐パロディ・リグーレ、1684c)の「洗礼する聖フランチェスコ・ソラーノ」


P1900555


P1900556


P1900560
クリスチャン・ラクロワ(フランス人、ジェノヴァで17世紀後半活動)の「磔刑」


P1900562
ルーカ・カンビアーソ(モネーリア、1527‐スペイン、エル・エスコリアル、1585)の「磔刑」


P1900568
ドメニコ・ピオラ(ジェノヴァ、1627‐1703)の「無原罪の聖母」


P1900570
左側廊天井のフレスコ画はジョヴァンニ・カルロ―ネ(ジェノヴァ、1584‐ミラノ、1631)の作品です。


P1900574
ドメニコ・ピオラ(ジェノヴァ、1627‐1703)の「天上の聖母子と聖ディエゴ」


P1900576
左第5礼拝堂の天井フレスコ画はドメニコ・ピオラ(ジェノヴァ、1627‐1703)によって描かれました。


P1900578
ドメニコ・ピオラ(ジェノヴァ、1627‐1703)の「聖ディエゴの説教」


P1900582
ドメニコ・ピオラ(ジェノヴァ、1627‐1703)の「フィリッポ2世の病気の息子を治す聖ディエゴ」


P1900583
左第6礼拝堂です。


P1900586
「聖フランチェスコ」(18世紀)


P1900587
左第6礼拝堂の天井フレスコ画はジョアッキーノ・アッセレート(ジェノヴァ、1600‐1649)の「聖母被昇天」


P1900591
左翼廊のクーポラ


P1900594
レオナルド・ミラーノ(コモ、1577‐ジェノヴァ、1637)の「聖母子と聖人たち」


P1900596
ルチアーノ・ボルツォーネ(ジェノヴァ、1590‐1645)の「聖母子と聖人たち」
(つづく)

P1900292
ジェノヴァのサン・ロレンツォ通りです。


P1900298
ドゥオーモの後方、Piazza Matteottiに面して建つジェズ教会です。


P1900454
ジェノヴァにおけるイエズス会の本拠地教会ですが、その名称はChiesa del Gesu e dei Santi Ambrogio e Andreaと言います。


P1900453
この地に6世紀頃に建設されたサンティ・アンブロージョ・エ・アンドレア教会がありましたが、宗教改革に危機感を抱いたジェノヴァ大司教区は、1552年、教会をイエズス会に譲渡、宗教活動をイエズス会に委ねました。
建物が再建されることになり、イエズス会信者で画家でもあり建築家でもあったジュゼッペ・ヴァレリアーニ(またはヴァレリアーノ)(ラクイラ、1526‐ナポリ、1596)の設計によって、1589年創建、1606年に完成したバロック様式の建物が現在見ることが出来る姿となってます。1598年に献堂式が行われました。


P1900461
クーポラと鐘楼


P1900307
ファサードにイエズス会の紋章があります。


P1900306
ミケーレ・ラモーニノ(ヴェラッツェ、1821‐ジェノヴァ、1881)の「聖アンブロージョ」


P1900309
ミケーレ・ラモーニノ(ヴァラッツェ、1821‐ジェノヴァ、1881)の「聖アンドレア」


P1900308


P1900310
開いていたので拝観しました。


P1900312
三廊式、バロック様式の内部です。


P1900314
左側廊方向


P1900315
右側廊方向


P1900313
反宗教改革旗印のイエズス会教会らしい派手な装飾が特徴です。


P1900360
中央礼拝堂(主祭壇)


P1900364
主祭壇画は、ピーテル・パウル・ルーベンス(ドイツ、ジーゲン、1577‐ベルギー、アンヴェルサ、1640)の「割礼」(1608)


P1900365
ジュゼッペ・カルロ―ネ(ジェノヴァ、1599‐1624活動記録)の「聖パオロ」


P1900368
ジュゼッペ・カルロ―ネ(ジェノヴァ、1599‐1624活動記録)の「聖ピエトロ」


P1900371
ジョヴァンニ・バッティスタ・メラーノ(ジェノヴァ、1632‐ピアチェンツァ、1698)の「嬰児虐殺」(1661)


P1900372


P1900374
ドメニコ・ピオラ(ジェノヴァ、1627‐1703)の「エジプトへの逃避」


P1900317
ジョヴァンニ・カルロ―ネ(ジェノヴァ、1584‐ミラノ、1631)のクーポラのフレスコ画(1624c)


P1900318
このフレスコ画もジョヴァンニ・カルロ―ネ(ジェノヴァ、1584‐ミラノ、1631)によって1624年頃に描かれました。


P1900324
アンドレア・ポッツォ(トレント、1642‐ウィーン、1709)の「聖フランチェスコ・ボルジャ」


P1900330
ドメニコ・パッシニャーノ(タヴァルネッレ・ヴァル・ディ・ぺーザ、1559‐フィレンツェ、1638)の「キリストの洗礼」


P1900335
ピーテル・パウル・ルーベンス(ドイツ、ジーゲン、1577‐ベルギー、アンヴェルサ、1640)の「聖イグナツィオの奇跡」


P1900339


P1900337
装飾過多ですね。


P1900343
ジョヴァンニ・バッティスタ・パッジ(ジェノヴァ、1554‐1627)の「聖ステファノの殉教」


P1900346
サン・フランチェスコ・サヴェーリオ礼拝堂


P1900348
ドメニコ・グラッシの「聖フランチェスコ・サヴェーリオの説教」


P1900352
ドメニコ・フィアセッラ(サルザーナ、1589‐ジェノヴァ、1669)の「聖フランチェスコ・サヴェーリオの物語」


P1900354
ドメニコ・フィアセッラ(サルザーナ、1589‐ジェノヴァ、1669)の「聖フランチェスコ・サヴェーリオの物語」


P1900345
礼拝堂天井もドメニコ・フィアセッラ(サルザーナ、1589‐ジェノヴァ、1669)の「聖フランチェスコ・サヴェーリオの物語」です。


P1900376
説教壇


P1900379
説教壇


P1900385
グイド・レーニ(ボローニャ、1575‐1642)の「聖母被昇天」


P1900388
反射を避けて撮ってみました。


P1900390
アンドレア・ポッツォ(トレント、1642‐ウィーン、1709)の「無原罪の御宿リ」


P1900395
見所豊富です。


P1900399
オルガン


P1900402
シモン・ヴーエ(パリ、1590‐1649)の「磔刑」


P1900405
詳細不明


P1900407
ジョヴァンニ・アンドレア・デ・フェラーリ(ジェノヴァ、1598‐1669)の「テオドシス帝と聖アンブロージョ」


P1900409
派手派手です。


P1900411
美術ファンにとっては非常に見所が多いと思います。


P1900412


P1900421


P1900428
マッティア・トラヴェルソ(ジェノヴァ、1885‐1956)の「聖心」


P1900429
ベルナルド・ストロッツィの作品を探しましたが見つかりませんでした。


P1900430
外に出ました。

P1900089
右側廊


P1900090
右側廊


P1900093
後陣右側にあるノストラ・シニョーラ礼拝堂です。


P1900096
フェデリーコ・バロッチ(ウルビーノ、1535‐1612)の「磔刑」


P1900101
ロレンツォ・デ・フェラーリ(ジェノヴァ、1680‐1744)の「玉座の聖母子と聖スタニスラオと聖フランチェスコ・ボルジャ」


P1900104
天井のフレスコ画はジョヴァンニ・アンドレア・カルロ―ネ(ジェノヴァ、1584/1590-ミラノ、1630)の「聖セバスティアーノの説教」


P1900102
これは有り難い。


P1900108
大理石の祭壇は、カルロ・バラビーノ(ジェノヴァ、1768-1835)とイグナツィオ・ペスキエーラ(ジェノヴァ、1777-1839)の「天使たち」(1830)


P1900107
15世紀の逸名画家作「聖母子」


P1900109
ステンドグラスも見事です。


P1900111
「聖母被昇天」(19世紀)


P1900114


P1900116
グイド・ガレッティ(ロンドン、1893-ジェノヴァ、1977)の「幼きキリストと聖ジュゼッペ」


P1900119
ガエターノ・プレヴィアーティ(フェラーラ、1852-ラヴァ―ニャ、1930)の「聖母被昇天」(1905)


P1900128
扉上ルネッタのフレスコ画


P1900131
Maestro Costantinopolitano di San Salvatore in Choraの「聖母子と2聖人と2天使」(1312c)


P1900134
有名な彫刻です。


P1900141
15世紀の逸名彫刻家作「磔刑」


P1900140
パオロ・ジローラモ・ピオラ(ジェノヴァ、1666-1724)の「天上のキリストと聖ジローラモと聖マリア・マッダレーナと聖人」


P1900147
ルーカ・カンビアーソ(モネーリア、1527-エル・エスコリアル、1585)の「聖ゴッタルド」


P1900153
入口扉上のフレスコ画


P1900152


P1900149
Maestro Costantinopolitano di San Salvatore in Choraの「玉座のキリストと聖人たち」(1312c)


P1900170
詳細不明


P1900173
詳細不明


P1900179
サン・ジョヴァンニ礼拝堂


P1900178
クーポラ


P1900181
ドメニコ・ガジーニ・ダ・ビッソーネ(ビッソーネ、15世紀後半活動)と弟子のエリア・ガジーニの「祭壇」


P1900190
ドメニコ・ガジーニ・ダ・ビッソーネ(ビッソーネ、15世紀後半活動)とエリア・ガジーニの「聖ジョヴァンニ・バッティスタの生涯」


P1900185
アンドレア・コンドゥッチ通称イル・サンソヴィーノ(モンテ・サン・サヴィーノ、1467c-1529)の「聖母子」


P1900194
Museoに行きます。


P1900195
Museoの入り口


P1900196


P1900197
高価でしょうね。


P1900198


P1900199


P1900200


P1900201


P1900202
芸術性はあまり感じません。


P1900205


P1900206
聖堂内に戻り、後陣左のレルカーリ礼拝堂の拝観です。


P1900210
礼拝堂祭壇


P1900211
ジャン・ジャコモ・デッラ・ポルタとグリエルモ・デッラ・ポルタとニコロ・ダ・コルテの「サンティ・ピエトロ・エ・パオロの祭壇」(1533-37)


P1900212
ガスパーレ・フォルラーニのオルガンのカヴァー絵(1554-55)


P1900221
天井のフレスコ画は、ジョヴァンニ・バッティスタ・カステッロ通称イル・ベルガマスコ(カステッロ・ガンディーノ、1509-マドリッド、1569)の「聖母戴冠」(1564)と「聖母被昇天」(1564)


P1900223
詳細不明


P1900240
外に出ました。
(おわり)

P1900272
見応えがあるファサードです。


P1900278


P1900280
ファサードの彫刻の作品帰属について、聖堂内に説明プレートがあります。


P1900165
これです。


P1900166
これがあるので助かります。


P1900282
次は身廊外観です。


P1900283
鐘楼を横から見たところです。


P1900284
サン・ロレンツォ通り側の出入り口


P1900285


P1900286


P1900287


P1900288


P1900289


P1900290


P1900053
ファサード側の向かって右の出入り口が開いていたので、聖堂内に入ります。


P1900054
三廊式、ラテン十字形、ロマネスク様式の内部です。


P1900055
左側廊方向


P1900059
左側廊


P1900060
左側廊からの眺め


P1900061
左側廊上部


P1900066


P1900161


P1900056
右側廊方向


P1900144
右側廊


P1900145
右側廊からの眺め


P1900162


P1900057
天井
第二次世界大戦中の1941年2月9日、イギリス軍の爆撃によって、聖堂身廊天井が破壊され、天井のフレスコ画の殆どが落剝してしまいました。その後、天井は修復されましたが、僅かに残っていたフレスコは白く塗り潰されました。


P1900058
ジョルジョ・フィエスキの墓


P1900062
ジョヴァンニ・アンドレア・アンサンド(ヴォルトリ、1584‐ジェノヴァ、1638)によって、オルガンカヴァーとして描かれた「聖ロレンツォ」


P1900067


P1900071
ジョヴァンニ・バッティスタ・パッジ(ジェノヴァ、1554‐1627)に帰属する「受胎告知」


P1900072
ジョヴァンニ・ガジーニ(パレルモ、1470c‐?、?)の「ジョルジョ・フィエスキの墓碑」


P1900074
中央礼拝堂と後陣は修復作業中でした。


P1900076
後陣のフレスコ画、彫刻、ステンドグラスなどをゆっくり見たかった!


P1900078
ラッザーロ・ダヴァローネ(ジェノヴァ、1556‐1640)のフレスコ画(1622)


P1900088
ラッザーロ・タヴァローネ(ジェノヴァ、1556‐1640)の「最後の晩餐」


P1900091
後陣の彫刻を見たかったけれど、これではね。


P1900092
詳細不明


P1900075
説教壇


P1900080
校外学習の一行がやってきました。聖堂内に説明の声が良く響きます。
(つづく)

P1900033
ジェノヴァ市の中心サン・ロレンツォ通りです。


P1900037
サン・ロレンツォ通りを東に進むと、直ぐに大聖堂の鐘楼と、道の突き当りにあるジェズ教会が見えてきます。


P1900042
サン・ロレンツォ大司教座教会、Cattedrale Metropolitana di San Lorenzoです。
ジェノヴァ大司教区の大司教座が置かれています。


P1900270
3世紀中頃、この場所にキリスト教徒の墓地があり、信仰の場となっていました。5‐6世紀頃に教会が建設されましたが、それが現在の建物の前身です。
1007年、司教座が置かれ、Cattedraleに昇格しました。


P1900043
11世紀中頃、建物の老朽化と信者が多くなって手狭になったので、建物が再建されることになりました。
1098年に創建されたロマネスク様式の二代目の建物が、現在の姿の原形です。
1118年に奉献式が執り行われた後、1133年に大司教座が置かれるようになりました。


P1900274
1230年頃、ゴシック様式に改築されることになり、改築はファサードから始められ、ファサードは1307年から1312年の間に完成しました。


P1900228
白と黒の大理石による組み合わせ模様は、ジェノヴァ貴族の象徴とされていたものです。
ファサードの建築に従事した労働者はフランスから集められたそうです。


P1900268
当初、鐘楼はファサードの左右2本の建設が予定されていましたが、右だけが1552年に完成しました。高さが60mあります。
向かって左の鐘楼は、1477年にロッジャ部分まで建設が進みましたが、そのままで放置され未完成のまま、現在に至ってます。


P1900462
クーポラですが、1550年に工事が始められ、17世紀に完成しました。


P1900463
クーポラは暫く修復工事中です。


P1900229
ポータル上のフレスコ


P1900224
ベネデット・アンテラミ(ヴァル・ディンテルヴィ、1150c‐1230c)の作品(1210c)


P1900238
修復後のものでしょうね。


P1900225
1894年から1900年にかけて大規模な修復工事が行われました。


P1900226


P1900227


P1900231
ベネデット・アンテラミ、ベネデット・アンテラミ派彫刻家による作品


P1900232


P1900233


P1900234


P1900235


P1900236



P1900237
ファサードの左右にライオン像があります。
カルロ・ルバット(ジェノヴァ、1810‐1891)の「ライオン像(左)」(1840)


P1900259
カルロ・ルバット(ジェノヴァ、1810‐1891)の「ライオン像(右)」(1840)


P1900241
聖母子


P1900046


P1900047


P1900051
聖ロレンツォ


P1900052


P1900242
ベネデット・アンテラミ(ヴァル・ディンテルヴィ、1150c‐1230c)またはベネデット・アンテラミ派彫刻家の「キリストと聖ロレンツォ」


P1900044


P1900244


P1900045
バラ窓


P1900245


P1900246


P1900247
扉横の彫刻


P1900248


P1900250
扉横の柱に施された彫刻


P1900251
柱下部


P1900252


P1900254


P1900255


P1900256
以上は中央扉の写真です。


P1900257
向かって右の扉です。


P1900258


P1900260
ベネデット・アンテラミの彫刻


P1900261


P1900263


P1900265
(つづく)

157
ホテルで一休みしてから、再び外出しました。


158
相変わらず雨模様です。


159
丘上に住宅が広がってます。


160
16世紀に建設されたPalazzo del Principe Doriaです。


163
地中海の各地などを結ぶ定期客船が発着する新港です。


162
丘の上にあるCastel d'Albertisが見えました。


166
海沿いの道を進みました。


167
Palazzo San Giorgioの方に向かってますが、この道を逆方向に進むと陸橋が崩落した場所に出ます。


168
サン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ教会は何時ものように閉まっていました。


169
この時間でもメルカトが開いていたので果物を買いました。


P1900487
雨男なので、何時も雨天に恵まれてます。


P1900488
霧雨でしたが、風があるので直ぐに濡れてしまいます。


P1900489
地下鉄のプリンチペ駅


P1900490
丘上に行っても見どころがあまりありません。ジェノヴァ湾が一望できる絶景ポイントがありますが、この天気では行っても冴えないと思いました。


P1900491
PP駅の方に戻ることにしました。


P1900492
アンドレア・ドーリア通り


P1900493
駅前広場


P1900494
グランド・ホテル・サヴォイアもお勧めです。


P1900496
PP駅


P1900497
この時は、お宿を素通りしました。


P1900498
サンティッシマ・アンヌンツィアータ教会に向かいました。


P1900500
この辺のホテルは部屋からの眺めが良いのですが、坂を上るのが大変なホテルがあります。(エレベーターがありますが、不便です)


P1900502
何回も通ったバルビ通り


P1900505
王宮


P1900506
時間が遅くて、この日も王宮博物館に入館出来ず、結局入館したのは、この日の翌日になってしまいました。


P1900507
ジェノヴァ、ボローニャは見所が豊富ですが、ガイドブックで大きく取り上げられないのは何故でしょうか?


P1900508
サンティッシマ・アンヌンツィアータ教会が見えてきました。


P1900511
光線の具合から聖堂内の美術品を見るには午前中の方が良いのですが、雨天なので、その辺はあまり影響ないと思いました。


P1900509
ジェノヴァ大学となっているPalazzo Belimbau


P1900516
今回は時間をかけてじっくりと拝観しました。


P1900519
勿論、少額ながら寄進しました。


P1900520
外が薄暗いにも関わらず、聖堂内は明るいのが意外でした。


P1900541
この教会については、項を改めて詳しく触れる予定です。


P1900570


P1900719
17世紀にジェノヴァで活動した画家たちの作品が数多くあります。


P1900732
外に出たら、弱弱しい日差しがありました。


P1900729
青空が出てきました。


170
青空はほんの束の間で、すぐに雨が降ってきました。


171
詳細不明


172
街角のタベルナコロを発見。


173
これです。


174
この辺のお店で食べようかと思いましたが、例のお店に行くことに。


P1900486
このお店です。(昼間に撮った写真)


192


P1900481


P1900482


P1900484


P1900485
キリがないので、この辺で終わりにします。
(おわり)

P1900456
Via di Porta Soprana


P1900455
13世紀に建設されたPorta Soprana


P1900457
門を潜った先にコロンブスの家があります。


115
Porta di Sant'Andreaとも呼ばれてます。門の潜った先にサンタンドレア教会があったので、そう呼ばれているのでしょう。


113
門を潜りました。


112
城壁外から見える門は丸くなっていて、感じが違います。


114
城壁内から見える門の形が違うので、門が二つあると錯覚しそうになります。


111
Chiostro di Sant'Andrea


110
城壁外は若干緑があります。


106
コロンブスの家です。


108
コロンブスが少年時代を過ごした家と言うのが通説ですが、コロンブスとは無関係との説も根強いそうです。
ここはMuseoになってますが、お得感ゼロ、お損感十分と思います。一度入館して懲りたので、今回もパス。


104
ジェノヴァに来たからには、この辺に来るのは付き合いというものですが、メリットは足腰が鍛えられることくらい?


105
そろそろ昼食の時間です。
この通りのお店に入りましたが、値段だけが一流で、肝心のお味、サービスがイマゴ(イマイチではなく、イマニでもなく、イマサン、イマヨンでもありません)でした。


126
街角のタベルナコロ


127
次はサンタ・マリア・アッスンタ聖堂です。


128
上り坂の上に教会の建物が直ぐに見えてきます。


129
サンタ・マリア・アッスンタ・ディ・カリニャーノ聖堂です。Basilica minori


131
1552年創建のルネサンス様式の建物です。


133
ファサードの聖母被昇天


135
聖ピエトロ


136
聖パオロ


132
青空が出てきました。


134
聖堂は高台にあります。


139
海が見えました。


140
共同井戸?


141
日差しも出てきました。


142
サンタゴスティーノ教会


143
入口扉上ルネッタのフレスコ画はジョヴァンニ・バッティスタ・メラーノ(ジェノヴァ、1632‐ピアチェンツァ、1698)によって描かれました。


144
修道院が併設されていました。


145
旧サンタゴスティーノ修道院のキオストロ回廊


148
12世紀に建設されたサン・ドナート教会


147
サン・ドナート教会の身廊外観


146
サン・ドナート教会の古い鐘楼


P1900463
サン・ロレンツォ通りに戻りました。


P1900465
変わりやすい天気で、雨が降ってきました。


P1900467
雨が降っていなければ、もう少しぶらぶら歩きを続けていたと思います。


P1900468


P1900470
Palazzo San Giorgio


P1900472


P1900473
見慣れた光景です。


P1900475
傘を持っていても差さない人が多い。


P1900476
ガレー船


182


P1900477
一旦ホテルに戻ります。


P1900478
(つづく)

P1900010
Palazzo San Giorgioの見学です。


P1900012
ヴェルディのオペラ「シモン・ボッカネグラ」がお好きですか?
「シモン・ボッカネグラ」のオペラのモデルとなったジェノヴァの初代提督(ドージェ)がシモーネ・ボッカネグラ(?、?‐ジェノヴァ、1363没)と、この建物と直接関係ありませんが、シモーネ・ボッカネグラの叔父グリエルモ・ボッカネグラによって1260年に建設されたのがPalazzo San Giorgioです。


P1900014
ファサードのフレスコ画のうち、「竜を退治する聖ジョルジョ」の左下に描かれているのがシモーネ・ボッカネグラの肖像画と言われてます。


P1900015
ファサードのフレスコ画ですが、最初のものはラッザーロ・タヴァローネ(ジェノヴァ、1556‐1640)によって1606年から1608年に制作されたそうです。
しかし、この場所は海岸のすぐ傍にあるので、フレスコ画にとって最悪に近い環境です。
19世紀頃にはフレスコ画の落剝・退色が進み、その痕跡が分かる程度まで劣化したので、ルドヴィーコ・ポリアーギ(ミラノ、1857‐ヴァレーゼ、1950)によって、1912年から1914年に描き直されました。タヴァローネの原画を尊重しながらポリアーギが描いたと言われてますが、タヴァローネの原画はその痕跡程度しか判別できない状態だったので、本当のところは分からないようです。
現在、観ることが出来るフレスコ画がかなり鮮やかに見えますが、ルドヴィーコ・ポリアーギによって描かれたフレスコ画の傷みが激しかったので、フレスコ画の大修復が1987年から1990年に行われたからです。
潮風と海水の飛沫に直接晒される環境なので、フレスコ画が今度どれだけ持つのか心配です。


P1900013
竜を退治する聖ジョルジョ


P1900018
現在、Palazzo San Giorgioはジェノヴァ港湾局の本部になってます。


P1900011


P1900023
市庁舎として建設されましたが、市庁舎として使用されたのは完成後僅か2年間だったそうです。


P1900025
堅固な建物なので刑務所として使用されていたことがあります。


P1900026
この付近の柱廊の柱に注目です。


P1900027
この柱です。


P1900028
古い柱


P1900029


P1900030
Via San Lorenzoに入りました。ドゥオーモに向かいました。


P1900033
直ぐにドゥオーモの鐘楼が見えてきます。


P1900039
サン・ロレンツォ大聖堂


P1900044
見所が沢山あります。


P1900054
拝観しました。


P1900089
美術品ばかりです。


P1900126
大聖堂については、後程詳しく触れる予定です。


P1900214
美術ファンは必訪でしょうね。


P1900259
外に出ました。


P1900281
次はジェズ教会です。


P1900292
ジェズ教会はドゥオーモの後方にあります。


P1900295
マテオッティ広場


P1900296
広場の一部は駐車場になってます。


P1900297
ドゥカーレ宮


P1900301
ジェズ教会の拝観です。


P1900312
ジェズ教会も見どころが豊富です。


P1900314
ジェズ教会は、後程項を改めて詳しく触れる予定です。


P1900317
クーポラ


P1900339
ルーベンスの作品


P1900348
バロック期の作品が多い。


P1900430
外に出ました。


P1900435
比較邸新しい建物が多いところにやってきました。


P1900436
フェラーリ広場


P1900437
困ったことに雨が本降りになってきました。


P1900438
ゴッホ展に並ぶ人たち


P1900441
天気が悪くてウンザリ


P1900442
1912年‐1924年に建設されたPalazzo della Regione Liguria


P1900443
1906年‐1912年に建設されたPalazzo della Borsa


P1900446
雨が強くなったので、雨宿りを兼ねてドゥカーレ宮で一息入れました。


P1900447


P1900448
ゴッホには興味がないので、ゴッホ展はパス


P1900449


P1900451
(つづく)

P1890958
ジェノヴァの3日目です。


P1890959
先ずサン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ・ディ・プレ教会です。


P1890960
残念! 扉が閉まっていました。


P1890961
開くことが稀な教会のようで、最近拝観したことがありません。


P1890962
教会巡りは効率が悪いのです、扉が開いていなければ、それで終わりですから。


P1890963
Museiになった?


P1890964
美術館や博物館にもなれば、大体当てにできます。当てにならない場合も結構ありますが・・・・・


P1890965
海岸沿いの道からドゥオーモ辺りまで行くと言うのが、この日の大体の予定です。


P1890967
低い黒い雲が立ち込めて、今にも泣きだしそうな空でした。


P1890968
痛みが激しいタベルナコロ


P1890969
Via Antonio Gramsci


P1890970
古い建物が多い一角です。


P1890971
市場です。


P1890972
果物を買いたかったけれど、ホテルを出発したばかりに荷物が重くなるのは避けたいところでした。


P1890973
その上は王宮です。


P1890974
道路が濡れていたので、明け方に降雨があったようでした。


P1890975
地下鉄がありますが、徒歩で行きます。


P1890976
1155年から1159年に建てられたPorta dei Vacca


P1890977
ジェノヴァ城壁の要塞でした。


P1890976
写真左の塔は20世紀後半に修復されたものです。


P1890980
引き続き海岸沿いの道を進みました。


P1890983
ガリバルディ通りに出る道です。


P1890984
かなり広い広場に出ました。


P1890985


P1890986
Via al Ponte Calvi
初志貫徹で、この道には入らず。


P1890987
柱廊を進みました。


P1890988
風情があります。


P1890990
魅力的な道ですが、道草は禁物です。我慢しました。


P1890992
柱廊から広場に出ました。


P1890993
ジェノヴァ名物の水族館


P1900002
一回は入館する価値がある水族館です。


P1890994
数年前に入館したことがあるので、今回はパス。


P1890995
Piazza Caricamento


P1890996
13世紀に建設されたTorre dei Morchio o Morchi


P1890997
柱廊がある所は中世の城壁がありました。


P1890998


P1890999
広場に立つのは、船会社を設立して大金持ちになり、イタリア海軍の創設者となったRaffaele Rubattino(ジェノヴァ、1810‐1881)像です。


P1900005
1257年から1260年に建設されたPalazzo San Giorgio


P1900007


P1900008
波止場の方に行ってみることにしました。


P1900009


P1900006
(つづく)

P1880789
この時の旅では、ジェノヴァに4泊しました。4泊では全然足りませんでした。


P1880794
主なところを丹念に見て回ろうと思ったら、多分1週間は必要でしょう。


P1880795
ジェノヴァの歴史をある程度知ってしまうと、必要な日数は確実に増えると思います。


005
王宮に立ち寄ることにしました。
この時、王宮のファサードの写真を撮るのをうっかり忘れてしまったので、夏に行った時の写真で代用します。


007
閉館時間間近なので、もう切符は売ってくれません。


006
それでも一寸だけ覗きました。


009
係員から今日は終わりましたと告げられ、早々に退散。


008
全部を見ようとすると2,3時間は必要でしょう。


P1880796
中庭は未だ見学できます。


P1880798
夕方なので、人気が全くありません。


P1880800
ジェノヴァでは団体ツアーの一行を見かけることが非常に少ないと思います。


P1880801
中国人のツアーを見かけることがあっても、日本人のツアーを見かけることは滅多にありません。


P1880802
プリニョーレ駅付近には泊まったことがありません。


P1880804
中庭の敷石


P1880805


P1880807
この彫刻については不知です。


P1880808
同断


P1880810
バルビ通りに戻りました。


P1880813
夕食にはまだ早すぎます。


P1880816
ホテルに戻って入浴しました。


P1880819
夕食の頃合になりました。外に出たら雨が止んでいました。


P1880821
PP駅を横目に見ながら、何時ものお店に向かいました。


P1880830
写真右のお店です。


P1880824


P1880826


P1880828
単なる塩焼きの魚として注文しました。
持参の醤油をかけて日本のように食べました。脂が乗ったイサキで美味でした。


P1880833
ほろ酔い気分でホテルに戻りました。


P1880837
これで一日目終了です。


P1880839
翌日は晴れ。


P1880842
この日はジェノヴァ観光をしませんでした。


P1880844
サヴォーナとアルベンガへの日帰り遠足をしました


P1890905
2日目の夜です。
このホテルを気に入ってます。


P1890907
例によって何時ものお店に向かいます。


P1890908
サン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ教会です。


P1890909
この時間は扉が閉まっているので拝観が無理です。


P1890910
12世紀に建設された教会で、見どころが豊富です。


P1890911
PP駅のすぐ近くですが、この辺は緊張を強いられる場所です。


P1890928
今夜も来ました。


P1890914


P1890915


P1890918
少し食べた後の写真


P1890919


P1890924


P1890926
以上、全部で€15
ツーリスト・メニューではありません。すべてアラカルトで注文したもの。
私の体験した食堂で、最もコスパが高いお店がここです。


P1890927
お腹一杯


P1890935
夜の景色は何時も同じです。


P1890937
何時ものホテルと何時ものの食堂を往復するだけですから。


P1890941
何処の街に行っても、ほぼ同じに過ごしてます。


P1890944
2日目終了です。


P1890947
(つづく)

086
オペラ座です。


087
ここに来たのは、ネットで予約したので、切符を受け取るためです。


089
ネット予約した際に、pdfファイルの切符が添付されていて、そのコピーを持参すれば、そのまま入館できるところもあるのですが、ジェノヴァは依然として旧態依然のままでした。


090
郷に入っては郷に従えですが、郷に入っても郷に従いたくない性分です。


P1880749
これで、この日の予定していたことは大体やり終えました。


P1880750
引き返すことにしました。


P1880751
同じ道を通って帰るのは気が利かないけれど、ジェノヴァの最大の見所がガリバルディ通りなので、それは納得です。


P1880752
イタリアの雨男なので、何時も雨に恵まれます。


P1880753
10月、11月、2月、3月、4月に雨が多いと思います。


P1880755
Palazzo Angelo Giovanni Spinola
正面扉は閉まっていましたが、その左下の通用口が開いていました。


072
図々しく中に入ってロビーのフレスコ画を見ました。


073


074
ラッザーロ・タヴァローネ(ジェノヴァ、1556‐1640)のフレスコ画でしょうか?


075
銀行なので早々に退散しました。


P1880757
写真右の建物も開いていました。


064
中に入りました。


067
見たのはロビーだけです。


068


P1880765
1536年から1544年に建設されたPalazzo della Meridiana、別名Palazzo Gerolamo Grimaldiです。


P1880766
傘を差さない人がいますが、小降りではありません。


P1880767
Palazzo Gio Carlo Brignoleの入り口のテラモンが有名です。
ジェノヴァの彫刻家フィリッポ・パロディ(ジェノヴァ、1630‐1702)によって1671年に制作されました。


P1880769
ジェノヴァの街歩きでは、建物や建物に施された装飾を見るのが楽しくなります。


P1880774
突き当りを左折します。


P1880775
大きな通りに出ました。


P1880778
Via Paolo Emilia Benson


P1880781
サンティッシマ・アンヌンツィアータ・デル・ヴァスタート教会が開いていました。この教会は美術作品が豊富なので立ち寄らないわけにはいきません。


P1880783
1520年、それまで、この場所にあったサンタ・マリア・デル・プラート教会を取り壊し、その上にフランチェスコ会によって建設された教会ですが、途中、工事が何度も中断され、完成は18世紀になってからでした。


P1880784
新古典様式のファサードは、1830年から1840年頃にかけて建設された比較的新しいものです。


020


019
三廊式、ラテン十字形、マニエリスム様式の内部です。


021
左側廊


022
身廊天井のフレスコ画は、ジョヴァンニ・アンドレア・アルサンド、ジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニ、ジョヴァンニ・カルロ―ネ、ヴァレリオ・カステッロ、ドメニコ・ピオラなど8人の画家によって描かれたそうですが、誰がどの部分を描いたのか、私には分かりません。


023
ジョヴァンニ・アンドレア・デ・フェラーリ(ジェノヴァ、1598‐1669)の「アガルとイシマエル」


024
グリエルモ・カッチャ(モンタボーネ、1568‐モンカルヴォ、1625)の「羊飼いの礼拝と聖フランチェスコ」


025
ドメニコ・ピオラ(ジェノヴァ、1627‐1703)の「聖家族」


026
ドメニコ・ピオラ(ジェノヴァ、1627‐1703)の「サント・スプリトの下降」


027
ダニエーレ・クレスピ?の「聖ジョヴァンニ―ナ」


028
アントン・マリア・ピオラ(ジェノヴァ、1654‐1715)の「聖母子と聖グレゴリオ・マーニョと聖オルソラ」


029
ドメニコ・ピオラ(ジェノヴァ、1627‐1703)の「受胎告知」


030
ジョヴァンニ・アンドレア・カルロ―ネ(ジェノヴァ、1639‐1697)の「ご訪問」


031
ストラーダ・ヌオーヴァ美術館で疲れてしまったので、適当なところで切り上げることにしました。


032
主祭壇


033
主祭壇左側壁のフレスコ画は、ジュリオ・ベンソ(ピエーヴェ・ディ・テーコ、1592‐1668)の「キリストの寺院への出現」


034
主祭壇右側壁のフレスコ画はジュリオ・ベンソ(ピエーヴェ・ディ・テーコ、1592‐1668)の「教会博士たちとの問答」


P1880787
PP駅の方に向かってます。


P1880788
(つづく)

P1880688
ストラーダ・ヌオーヴァ美術館は3館あるので、流石に疲れました。


P1880690
1559年から1565年に建設されたポデスタ宮、別名Palazzo Nicolosio Lomellinoです。


P1880692
ポデスタ宮でルチアーノ・ボルツォーネ(ジェノヴァ、1570‐1645)の特別展が開催中でしたが、ストラーダ・ヌオーヴァ美術館で目が疲れたのでパスしました。
肖像画が得意だったルチアーノですが、75歳の老齢ながらジェノヴァの受胎告知教会マドンナ・デリ・アンジェリ礼拝堂のフレスコ画制作に注力しました。あと数筆を入れれば完成と言うときに、梯子から転落して死去してしまいました。


P1880693
ポデスタ宮天井の装飾です。


P1880694
外壁の装飾にマッチしてしています。


P1880695
Palazzoを一つ一つ見て行くと時間がいくらあっても足りません。
内部のフレスコ画やスタッコ彫刻など見所が沢山ありますが、非公開のPalazzoが多いので、その辺には注意が必要です。


P1880691
この時間では遅いと思いましたが、ダメもとで国立美術館に行ってみることにしました。


P1880702
ガリバルディ通りから一本奥の道に入りました。


P1880704
目立たない場所に建つスピノーラ宮です。


P1880706
1593年、フランチェスコ・グリマルディによって建設されたスピノーラ宮です。


P1880707
この建物に国立美術館Galleria Nazionale di Palazzo Spinolaがあります。


P1880708
開館中!


P1880709
入館しようと思いましたが時間切れでした。
国立美術館はガイド付きの決められた時間の入館制を採っており、この日の最終回受付は既に終了したとのことでした。閉館まで2時間あったので、ガイドなんかいらない、勝手に見たい、ガイドよりも俺の方が知っていると粘ったのですが、駄目の一点張りでした。


P1880710
切符売り場にあった、この墓碑だけはしっかり見ました。
15世紀後半のロンバルドの逸名彫刻家作「フランチェスコ・マリア・スピノーラの墓碑」


800px-Antonello_da_Messina_003
国立美術館で見たかった作品はこれでした。
アントネッロ・ダ・メッシーナの「この人を見よ」


P1880715
イタリアで係員とやり取りしても、こちらの思う通りには絶対になりません。徒労に終わるだけです。
ダメなものはダメ、絶対にダメ。


P1880716
Palazzo Gentile


P1880717
相変わらずだのう。


P1880711
国立美術館の向かいにある建物です。


P1880712
16世紀に建設されたPalazzo di Pietro Spinola di San Luca


P1880718
小雨が降り続いてました。


P1880719
赤の宮殿はジェノヴァ市立図書館になってますが、図書館の入り口は裏通りにあります。


P1880720
この場所で街娼に声をかけられたのでビックリ仰天。


P1880721
危険を察知してガリバルディ通りに戻りました。


P1880725
1562年に建設されたPalazzo Baldassarre Lomellini


P1880728
1583年に建設されたPalazzo Giacomo e Lazzaro Spinola


P1880729
この建物には入ったことがありません。


P1880730
「Rolli」に掲載された邸宅が続きます。
1576年、ジェノヴァでは貴族の邸宅を賓客をもてなすために利用することが法制化されましたが、その対象となる邸宅リストをRolliと呼んだのです。


P1880731
1558年‐1576年に建設されたPalazzo Angelo Giovanni Spinola


P1880732
以前はドイツ銀行でしたが、今はアメリカン銀行となってます。


P1880734
中々先に進みません。


P1880735
Palazzo Franco Lercari(16世紀)


P1880736
Palazzo Tobia Pallavicini(16世紀)


P1880737
ガリバルディ通りの端に来ました。


P1880738
Palazzo Pantaleo Spinola(15世紀)


P1880740
Piazza delle Fontane Marone


P1880739



P1880741
Palazzo Ayrolo Negrone(16世紀)


P1880743
突き当りを右折します。


P1880745
Palazzo Giacomo Spinola(15世紀)


P1880746
4月25日通りに入りました。


P1880747
(つづく)

P1880600
金属製の容器などが展示されている部屋です。


P1880602
トゥルシ宮内の博物館の案内が金属製容器を展示する部屋にありました。これを置くのは第22室がベストと思いました。
展示室番号は白の宮殿からの継続として表示されているようです。


P1880601
訪問者のことなんぞは、あまり考えてないからでしょう。


P1880603
この部屋から絵画の展示になります。


P1880590
ドメニコ・パロディ(ジェノヴァ、1668‐1740)の「高貴な女性の肖像」


P1880604
バルトロメオ・グイドボーノ(サヴォーナ、1654‐トリノ、1709)の「アガルの絶縁」


P1880607
バルトロメオ・グイドボーノ(サヴォーナ、1654‐トリノ、1709)の「聖マルゲリータの幻視」


P1880611
グレゴリオ・デ・フェラーリ(ポルト・マウリツィオ、1647‐ジェノヴァ、1709)の「砂漠の聖ジローラモ」


P1880614
グレゴリオ・デ・フェラーリ(ポルト・マウリツィオ、1647‐ジェノヴァ、1709)の「砂漠の聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


P1880617
グレゴリオ・デ・フェラーリ(ポルト・マウリツィオ、1647‐ジェノヴァ、1709)の「井戸のサマリア女」


P1880620
グレゴリオ・デ・フェラーリ(ポルト・マウリツィオ、1647‐ジェノヴァ、1709)の「我に触れるな」


P1880623
ロレンツォ・デ・フェラーリ(ジェノヴァ、1680‐1744)の「トビアスと天使」
ロレンツォ・デ・フェラーリは、グレゴリオ・デ・フェラーリを父に、ドメニコ・ピオラの娘マルゲリータ・ピオラを母に持つ、画家の良血です。


P1880626
グレゴリオ・デ・フェラーリ(ポルト・マウリツィオ、1647‐ジェノヴァ、1709)の「モーゼの奇跡」


P1880629
グレゴリオ・デ・フェラーリ(ポルト・マウリツィオ、1647‐ジェノヴァ、1709)の「エジプトへの逃避途中の休息」


P1880632
次の部屋です。


P1880631
第23室です。


P1880634
ジョヴァンニ・マリア・デッレピアーネ通称イル・ムリナレット(ジェノヴァ、1660‐モンティチェッリ・ドンジーナ、1745)の「ジェノヴァ総督フランチェスコ・マリア・インぺリアーレの肖像」


P1880636
ドメニコ・パロディ(ジェノヴァ、1668‐1740)の「高貴な女性の肖像」


P1880640
アレッサンドロ・マニャースコ(ジェノヴァ、1667‐1749)の「兵士」


P1880642
アレッサンドロ・マニャースコ(ジェノヴァ、1667‐1749)の「兵士」


P1880644
アレッサンドロ・マニャースコ(ジェノヴァ、1667‐1749)の「ゲッセマネ園のキリスト」


P1880646
アレッサンドロ・マニャースコ(ジェノヴァ、1667‐1749)の「法悦の聖フランチェスコ」


P1880648
アレッサンドロ・マニャースコ(ジェノヴァ、1667‐1749)の「高貴な男の肖像」


P1880650
ジョヴァンニ・マリア・デッレピアーネ通称イル・ムリナレット(ジェノヴァ、1660‐モンティチェッリ・ドンジーナ、1745)の「赤い服を着た男の肖像」


P1880652
アレッサンドロ・マニャースコ(ジェノヴァ、1667‐1749)の「奇行」


P1880654
アレッサンドロ・マニャースコ(ジェノヴァ、1667‐1749)の「奇行」


P1880656
アントン・フォン・マロン(ウィーン、1733‐ローマ、1806)の「ジェノヴァ共和国総督のミケランジェロ・カンビアーソの肖像」(1792)


P1880659
アントン・フォン・マロン(ウィーン、1733‐ローマ、1806)の「アンナ・ピエーリ・ブリニョーレ=サーレの肖像」


P1880661
ヘンドリック・フランス・ヴァン・リント(アンヴェルサ、1694‐ローマ、1762)の「風景」


P1880663
カルロ・アントニオ・タヴェッラ(ミラノ、1668‐ジェノヴァ、1738)の「風景」


P1880665
カルロ・アントニオ・タヴェッラ(ミラノ、1668‐ジェノヴァ、1738)の「風景」


P1880667
ジャン=バティスト・ティアチェ(フランス、ルーアン、1737‐フィレンツェ?、1790)の「ティヴォリの滝」


P1880669
二コラ・ランクレ(パリ、1690‐1743)の「庭園のダンス」


P1880671
ミケーレ・プランケール(パルマ、1796‐1848)の「テミストクレス(紀元前6‐5世紀のアテネの政治家・軍人)の説得」


P1880673
フランチェスコ・フォンテバッソ(ヴェネツィア、1709‐1769)の「画家・彫刻家・建築家」


P1880675
ジョヴァンニ・ダヴィド(カベッラ・リグーレ、、1743‐ジェノヴァ、1790)に帰属する「カフェの女の肖像」


P1880686
外に出ました。
(おわり)

P1880552
次はタペストリの間です。


P1880553
トゥルシ宮の展示内容は博物館でしょうね。


P1880561
床の装飾


P1880557
タペストリのテーマはアレキサンダー大王の逸話です。


P1880558
17世紀中頃にブリュッセルで織られたそうです。


P1880555
ルーベンスの追随画家によってタペストリの原画が描かれたそうです。


P1880559
タペストリの饐えたような臭いが気になります。


P1880562
天井と壁に施された豪華な装飾が見ものです。


P1880563


P1880564


P1880565
次はリグーリア・セラミックの展示です。


P1880566
陶器は博物館の定番ともいえる展示です。


P1880567


P1880568
絵画や彫刻と違い、陶器は同じようなものを幾つも製造可能な再現性に勝るので、芸術品として見た場合、その価値はどうなんだろうと思います。


P1880569


P1880570


P1880571


P1880572
沢山あります。


P1880573
イタリアの博物館に少なからず行ってますが、陶器類の展示を熱心に見ている人を見かけたことがありません。


P1880574
楽器類の展示は人気が高いと思います。


P1880575


P1880576


P1880577
薬草から薬にする過程の展示です。


P1880578
次はメダルやコインの展示室です。


P1880579
ローマ時代から19世紀までの2000年以上の間に造られたコインやメダルがほぼ時代順に展示されてます。


P1880580


P1880581
金貨が少ない。


P1880582



P1880583
コインの展示が膨大です。


P1880584


P1880585
まだまだ続きます。


P1880586


P1880587


P1880588


P1880592


P1880593


P1880595
貨幣やコインが好きなので、熱心に見ました。


P1880597


P1880598


P1880599
(つづく)

ストラーダ・ヌオーヴァ美術館の最後は、ドリア・トゥルシ宮、または単にトゥルシ宮です。
P1880758
ドリア・トゥルシ宮、またはトゥルシ宮は、後になっての名称です。
ジェノヴァ貴族のニッコロ・グリマルディの注文によって、ジェノヴァの建築家だったドメニコとジョヴァンニのポンツェッロ兄弟の設計及び建築工事監督によって、1565年に完成した建物です。
そのため、Palazzo di Nicolo Grimardiが建築当時からの名称で、現在でも、そのように呼ばれることがあります。


P1880759
1597年、この建物はジョヴァンニ・アンドレア・ドリアに売却され、ドリア家邸宅となりましたが、その後、更にカルロ・トゥルシ公爵に売却され、トゥルシ家の所有となりました。
ドリア家、トゥルシ家の所有だったので、ドリア・トゥルシ宮と呼ばれるようになりました。


P1880685
1848年、建物はトゥルシ家によってジェノヴァ市当局に売却されました。民間最後の所有者がトゥルシ家だったので、単にトゥルシ宮と称されることになりました。


P1880684
建物を所有することになったジェノヴァ市は、1848年から市庁舎として使用を開始し、現在も市庁舎となってます。


P1880683
2004年、市庁舎内にストラーダ・ヌオーヴァ美術館の一部が置かれるようになりました。


P1880682
市庁舎の入り口からトゥルシ宮に入りました。


P1880681
Museoとして公開されている1階(日本の2階)に向かいます。


P1880680


P1880679
トゥルシ宮内のMuseoは、白の宮殿からも入ることが出来ます。


P1880678
最初にトゥルシ宮を見てから白の宮殿に行くのが良いか、その逆に白の宮殿からトゥルシ宮に行くかは、自分の好みで決めるよりありません。
美術ファンは白の宮殿から回ることをお勧めします。パガニーニ好きの方は断然トゥルシ宮を先にすべきでしょう。


P1880517
白の宮殿1階の庭園からトゥルシ宮に行くこと出来ます。


P1880509
白の宮殿の庭と接しているのがトゥルシ宮です。


P1880519
この彫刻に向かって右側に出入り口があります。


P1880520
開いている所がトゥルシ宮への入り口です。
この時は誰もいませんでしたが、入り口付近に係員がいることが多いので、迷うことはないと思います。


P1880521
トゥルシ宮の中庭回廊に出ました。


P1880525


P1880526
写真正面の階段を上ります。


P1880530
Museoへの行き方を示す赤の表示があります。


P1880531
赤の矢印に従って進みます。


P1880532


P1880533


P1880534
1階(日本の2階)に出ました。


P1880536
部屋が沢山ありますが、赤の矢印がない部屋に入るのは避けるのが無難です。


P1880537
壁一杯フレスコ画で覆われた部屋がありますが、通常非公開です。


P1880539
最初の部屋は「パガニーニの部屋」です。トゥルシ宮のMuseoは美術館ではなく博物館と訳した方が良いと思います。
ニッコロ・パガニーニ(ジェノヴァ、1782‐ニース、1840)の所有したヴァイオリンや彼が作曲した楽譜、彼所縁の品々を展示する部屋です。
パガニーニはヴァイオリン演奏の超絶技法で悪魔とまで言われたヴァイオリン演奏家です。勿論、作曲家としても有名ですが。


P1880543
バルトロメオ・ジュゼッペ・グアルネーリ通称イル・ジェズが1743年に制作したヴァイオリンです。「カノン」と呼ばれてます。
パガニーニが愛用したヴァイオリンです。


P1880544
1802年、賭博に目がなかったパガニーニですが、その日は負け続けで、所持金全部ばかりか、演奏会で使用する予定のヴァイオリンまで賭博のために換金したものの、全て取られてしまって、演奏会で演奏するヴァイオンがないと言う状態に陥ってしまいました。


P1880545
困っていたパガニーニに対して、それを知った「カノン」の所有者は「このヴァイオリンを演奏会で使用したらどうか」と申し入れ、パガニーニはその申し出を受け入れ、「カノン」で演奏会に臨み、大成功を収めたのです。
「カノン」の所有者は、パガニーニが一生「カノン」を使用することを条件に「カノン」をパガニーニに寄贈したのです。
「カノン」という名称は、そのヴァイオリンが奏でる音の大きさに感心したパガニーニが名付けたとされてます。
「カノン」は、パガニーニの遺言によって、1851年、ジェノヴァ市に寄贈されました。


P2710822
バルトロメオ・ジュゼッペ・グアルネーリ通称イル・ジェズはクレモナの名工です。
クレモナのヴィオリーナ博物館に彼の作品が展示されてます。


P2710820
シェリング、クライスラー、ハイフェッツなどがイル・ジェズのヴァイオリンを愛用しました。


P2710824
以上3枚の写真はクレモナのヴィオリーナ博物館で撮りました。


P1880541
パガニーニが愛用したヴァイオリンがもう一つ展示されてます。


P1880542
フランスのヴァイオリン名工によって制作されたヴァイオリンです。
このヴァイオリンは、パガニーニの遺言によって、パガニーニの弟子カミッロ・シヴォーリに遺贈されましたが、カミッロの死後に、カミッロの遺族によってジェノヴァ市に寄贈されました。


P1880546
パガニーニ夫人像?
この彫像がこの部屋にある理由が分からないし、誰の彫像なのかさえも分かりません。


P1880548
パガニーニゆかりの品々


P1880549


P1880551
床の装飾
(つづく)

P1880438
次の部屋です。


P1880437
ドメニコ・ピオラの作品が並んでいる第21室です。


P1880439
ドメニコ・ピオラ(ジェノヴァ、1628‐1703)の「聖マリア・マッダレーナ」


P1880443
ドメニコ・ピオラ(ジェノヴァ、1628‐1703)の「古き良き時代を強制するアテナイオン」


P1880446
ドメニコ・ピオラ(ジェノヴァ、1628‐1703)の「アレッサンドロの寛容」


P1880449
ドメニコ・ピオラ(ジェノヴァ、1628‐1703)とアントン・マリア・ピオラ(ジェノヴァ、1654‐1715)の「エジプトへの逃避途中の休息」
アントン・マリア・ピオラはドメニコ・ピオラの息子ですが、その技量は父には遠く及びませんでした。


P1880452
ドメニコ・ピオラ(ジェノヴァ、1628‐1703)の「ホルタのベアート・サルヴァトーレの奇跡」


P1880456
ドメニコ・ピオラ(ジェノヴァ、1628‐1703)の「ジェノヴァのサン・ルーカ教会クーポラのフレスコ画の下絵(聖母戴冠)」


P1880458
次はパオロ・ジローラモ・ピオラの作品が並ぶ第22室です。


P1880460
パオロ・ジローラモ・ピオラ(ジェノヴァ、1666‐1724)の「慈悲の寓意」
パオロ・ジローラモ・ピオラはドメニコ・ピオラの息子です。ドメニコ・ピオラには8人の子供がいましたが、画業を志した息子のうち、最も優れていたのがパオロ・ジローラモです。老いてしまった父に代わり、17世紀末以降のジェノヴァ画壇の中心はパオロ・ジローラモ・ピオラとなりました。


P1880463
パオロ・ジローラモ・ピオラ(ジェノヴァ、1666‐1724)の「川の神」


P1880465
パオロ・ジローラモ・ピオラ(ジェノヴァ、1666‐1724)の「アイネイアースに出現するヴィーナス」


P1880468
パオロ・ジローラモ・ピオラ(ジェノヴァ、1666‐1724)の「アポロとムーサ」


P1880471
パオロ・ジローラモ・ピオラ(ジェノヴァ、1666‐1724)の「発明」


P1880473
パオロ・ジローラモ・ピオラ(ジェノヴァ、1666‐1724)の「模倣」


P1880476
パオロ・ジローラモ・ピオラ(ジェノヴァ、1666‐1724)の「信義と賢明」


P1880479
パオロ・ジローラモ・ピオラ(ジェノヴァ、1666‐1724)に帰属する「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」


P1880481
パオロ・ジローラモ・ピオラ(ジェノヴァ、1666‐1724)の「アグネスを見よ」


P1880484
パオロ・ジローラモ・ピオラ(ジェノヴァ、1666‐1724)の「悔悛と潔白」


P1880487
パオロ・ジローラモ・ピオラ(ジェノヴァ、1666‐1724)の「エジプトへの逃避途中の休息」


P1880490
パオロ・ジローラモ・ピオラ(ジェノヴァ、1666‐1724)の「エステルとアハシュエロス(エステルの夫)」


P1880493
パオロ・ジローラモ・ピオラ(ジェノヴァ、1666‐1724)の「ディアーナ(月の女神)とエンデュミオーン(ギリシャ神話に出てきます)」


P1880496
ドメニコ・プリーゴ(フィレンツェ、1492‐1527)の「クレオパトラ」


P1880499
ドメニコ・アルファーニ(ペルージャ、1480c‐1553以降没)の「男の肖像」


P1880502
ジョルジョ・ヴァザーリ(アレッツォ、1511‐フィレンツェ、1574)の「フィレンツェの男の肖像」


P1880505
展示は以上で終わりです。


P1880504
次はトゥルシ宮です。
トゥルシ宮に続きます。白の宮殿はこれで終わりです。

P1880361
次の部屋です。


P1880360
第19室には、オランダ黄金時代の画家たちの作品が展示されてます。
オランダ絵画の質は高いのですが、驚くことに、1640年から1660年の20年間だけで、オランダだけで130万点以上の絵画が制作されたのです。当然、供給過剰となり、作品の質に対する正当な報酬は期待薄で、多くの画家たちは貧困に喘いだのです。


P1880363
ウィレム・ヴァン・ミエリス(オランダ、ライデン、1662‐1747)の「貴重の認識」


P1880366
ヤン・ステーン(オランダ、ライデン、1626c‐1679)の「復活祭の花」


P1880369
ヤン・ステーン(オランダ、ライデン、1626c‐1679)の「居酒屋」


P1880371
アールト・ファン・デア・ネール(アムステルダム、1603‐1677)の「風景画」


P1880374
ヤーコブ・ファン・ロイスダール(ハールレム、1628c‐1682)の「風景画」


P1880377
ニコラス・マース(オランダ、ドルトレヒト、1634‐アムステルダム、1693)の「男の肖像」


P1880380
ヨース・デ・モンペル(アンヴェルサ、1584‐1635)の「モンターニャの風景」


P1880382
ダフィット・テニールス・イル・ジョーヴァネ(アンヴェルサ、1610‐ブリュッセル、1690)の「用心棒」


P1880386
コルネリス・デ・ワール(アンヴェルサ、1592‐ローマ、1667)の「兵士たちの野営」


P1880389
ヤン・ヴィルデンス(アンヴェルサ、1586‐1653)とコルネリス・デ・ワール(アンヴェルサ、1592‐ローマ、1667)の「街路樹のある風景」


P1880392
コルネリス・デ・ワール(アンヴェルサ、1592‐ローマ、1667)の「病人の診察」


P1880395
ルーカス・デ・ワール(アンヴェルサ、1591‐1661)の「乞食」


P1880398
コルネリス・デ・ワール(アンヴェルサ、1592‐ローマ、1667)の「囚人の診察」


P1880401
次の部屋です。


P1880400
第20室


P1880402
主にヴァレリオ・カステッロの作品が展示されてます。


P1880403
ヴァレリオ・カステッロ(ジェノヴァ、1624‐1659)の「Mose' Bambino e La Prova dei Carboni Ardenti」
モーゼについては興味がないので、何が描かれているのか分かりません。


P1880407
ステファノ・マニャースコ(ジェノヴァ、1635‐1672)の「マギの礼拝」
ステファノ・マニャースコの代表作と言われている傑作です。


P1880410
ステファノ・マニャースコ(ジェノヴァ、1635‐1672)の「聖家族と天使たち」


P1880413
ヴァレリオ・カステッロ(ジェノヴァ、1624‐1659)の「シモーネ邸の饗宴」


P1880417
ヴァレリオ・カステッロ(ジェノヴァ、1624‐1659)の「ダヴィデ」


P1880420
ヴァレリオ・カステッロ(ジェノヴァ、1624‐1659)の「ヴェールの聖母」


P1880424
ヴァレリオ・カステッロ(ジェノヴァ、1624‐1659)の「フランスの聖ルイ9世の施し」


P1880427
ヴァレリオ・カステッロ(ジェノヴァ、1624‐1659)の「聖ロレンツォの殉教」


P1880431
ヴァレリオ・カステッロ(ジェノヴァ、1624‐1659)の「聖ズィータの奇跡」


P1880435
ヴァレリオ・カステッロ(ジェノヴァ、1624‐1659)の「エジプトへの逃避」


P1880513
少し疲れたので、庭園に出て一休みしました。


P1880507
向かいにある赤の宮殿


P1880506
(つづく)

P1880238
次の部屋です。


P1880237
第15室になります。


P1880239


P1880241
バルトロメ・エステバン・ムリーリョ(セヴィリア、1618‐1682)の「エジプトへの逃避」
甘美な聖母が印象的なムリーリョですが、修道院のフレスコ画制作中に梯子から墜落して死去しました。


P1880246
フランシスコ・デ・スルバラン(スペイン、フェンテ・デ・カントス、1598‐マドリッド、1664)の「聖ボナヴェントゥーラの臨終聖餐」


P1880249
フランシスコ・デ・スルバラン(スペイン、フェンテ・デ・カントス、1598‐マドリッド、1664)の「聖エウフェミア」


P1880252
フランシスコ・デ・スルバラン(スペイン、フェンテ・デ・カントス、1598‐マドリッド、1664)の「聖オルソーラ」
これは有名な作品です。


P1880256
ジュゼペ・デ・リベラ(スペイン、シャティバ、1591‐ナポリ、1652)と協力者による「天使から認可を受ける聖フランチェスコ」 


P1880259
次の部屋です。革製の椅子の座り心地が良いので、寛いで鑑賞できます。


P1880258
第16室
白の宮殿は、北方画家たちの作品が充実しているのが特徴です。


P1880261
ヨース・ファン・クレーフェ(アンヴェルサ、1485c‐1540)の「聖母子」
ヨース・ファン・クレーフェの代表作の一つです。


P1880265
Maestro di San Giovanni Evangelistaの「最後の晩餐」(15世紀末)
ジェノヴァの受胎告知教会にあった祭壇画です。1882年に取り外されて白の宮殿で展示されるようになりました。


P1880269
Maestro di San Giovanni Evangelistaの「聖コッパ・アッヴェレナータの奇跡」(15世紀末)
この作品もジェノヴァの受胎告知教会にありましたが、1882年に取り外されて、白の宮殿に置かれるようになりました。
次の2つの作品、「聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタと天使」と「聖ドルンアーナの復活」も同じで、ジェノヴァの受胎告知教会から白の宮殿に、1882年に移されました。


P1880272
Maestro di San Giovanni Evangelistaの「聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタと天使」


P1880275
Maestro di San Giovanni Evangelistaの「聖ドルンアーナの復活」(15世紀末)


P1880279
ヤン・プロヴォスト(ベルギー、モンス、1465‐ブルッヘ、1529)の「受胎告知」


P1880283
ヤン・プロヴォスト(ベルギー、モンス、1465‐ブルッヘ、1529)の「ウンゲリアの聖エリザベッタ」


P1880286
ヤン・プロヴォスト(ベルギー、モンス、1465‐ブルッヘ、1529)の「聖ピエトロ」


P1880288
ヘラルト・ダヴィド(オランダ、アウデクーテル、1460c‐ベルギー、ブルッヘ、1523)の「チェルヴァーラのポリッティコ」


P1880290
磔刑


P1880293
聖母子


P1880295
聖ジローラモ


P1880298
聖ベネデット


P1880301
ハンス・メムリンク(ドイツ、ゼ―リンゲンシュタット、1435/1440-ベルギー、ブルッヘ、1494)の「祈るキリスト」


P1880311
次の部屋です。


P1880310
第17室


P1880312
ヤン・ファン・スコーレル(オランダ、スコーレル、1495-オランダ、ユトレヒト、1592)の「聖家族」


P1880316
16世紀のフランドルの逸名画家作「ラファエロ作『ヴェロの聖母』のコピー画」


P1880319
ヤン・マサイス(アンヴェルサ、1509c-1575c)の「聖母子」


P1880322
小さな肖像画


P1880324
コルネイユ・デ・リオン(オランダ、デン・ハーグ、1500-フランス、リオン、1575)の「男の肖像」


P1880327
ヤン・マサイス(アンヴェルサ、1509c-1575c)の「La Carita」


P1880330
ピーテル・アールツェン(アムステルダム、1508-1575)の「女料理人」(1559)


P1880333
ヨアヒム・ブーケラ―ル(アンヴェルサ、1533c-1574c)の「市場」


P1880336
ピーテル・クック・ファン・アールスト(ベルギー、アールスト、1502-ブリュッセル、1550)の「マギの礼拝と受胎告知とエジプトへの逃避途中の休息のトリッティコ」


P1880340
次の部屋です。


P1880339
第18室


P1880342
ジャコモ・レージ(リエージ?、1600c-ミラノ、1640)の「市場」


P1880345
ヤン・ルース(アンヴェルサ、1591-ジェノヴァ、1638)の「果物と野菜の静物画」


P1880348
ヤン・ルース(アンヴェルサ、1591-ジェノヴァ、1638)の「シーレーノス(森の神)の収穫」


P1880352
アントン・ヴァン・ダイク(アンヴェルサ、1599-ロンドン、1641)の「ヴェルトゥム(豊穣の神)とポモーナ」


P1880355
ピーテル・パウル・ルーベンス(ドイツ、ジーゲン、1577-アンヴェルサ、1640)の「ヴィーナスとマルス」


P1880358
ギリアム・ヴァン・デイネン(アンヴェルサ、1575-ブリュッセル、1618以降没)の「ジェノヴァの貴婦人の肖像」
(つづく)

P1880120
次の部屋です。


P1880121
第10室は廊下です。


P1880122
ジュリオ・ベンソ(ピエーヴェ・ディ・テーコ、1592‐1668)の「カルヴァリオへの上り」


P1880126
ジュリオ・ベンソ(ピエーヴェ・ディ・テーコ、1592‐1668)の「キリストのエルサレム入城」


P1880129
ジョヴァンニ・バッティスタ・カルローネ(ジェノヴァ、1603‐1680)の「聖シーロとバジリスク(蛇の王とされる架空の動物)」


P1880131
ジョヴァンニ・バッティスタ・カルローネ(ジェノヴァ、1603‐1680)の「聖シーロとバジリスク」


P1880135
次の部屋です。


P1880134
第11室


P1880137
ジョヴァンニ・アンドレア・デ・フェラーリ(ジェノヴァ、1598‐1669)の「公正の寓意」


P1880140
ベルナルド・ストロッツィ(ジェノヴァ、1581‐ヴェネツィア、1644)の「聖ヴァレリアーノと聖ティブルツィオの首を持つ聖チェチリア」
ベルナルドが描く、独特の女性の顔です。少しアホ気に見える?


P1880143
ベルナルド・ストロッツィ(ジェノヴァ、1581‐ヴェネツィア、1644)の「天上の聖テレーザ」


P1880146
ベルナルド・ストロッツィ(ジェノヴァ、1581‐ヴェネツィア、1644)の「悔悛の聖マリア・マッダレーナ」


P1880150
ベルナルド・ストロッツィ(ジェノヴァ、1581‐ヴェネツィア、1644)の「音楽」
例の表情、顔つきです。


P1880154
ジョヴァンニ・アンドレア・デ・フェラーリ(ジェノヴァ、1598‐1669)の「音楽の寓意」


P1880157
ジョヴァンニ・アンドレア・デ・フェラーリ(ジェノヴァ、1598‐1669)の「聖母子と聖人たち(聖フランチェスコ、アレッサンドリアの聖カテリーナ、聖カルロ・ボッロメオ、特定できない聖人)」
私にはアレッサンドリアの聖カテリーナが描かれているのか、よく分かりません。


P1880159
シニバルド・スコルツァ(ヴォルタッジョ、1589‐ジェノヴァ、1631)の「風景画」


P1880162
シニバルド・スコルツァ(ヴォルタッジョ、1589‐ジェノヴァ、1631)の「羊飼い」


P1880164
アントニオ・トラーヴィ通称イル・セストーリ(セストーリ・ポネンテ、1608‐1665)の「井戸のレベッカ」


P1880167
アントニオ・トラーヴィ通称イル・セストーリ(セストーリ・ポネンテ、1608‐1665)の「猟師がいる廃墟の風景」


P1880169
アントニオ・トラーヴィ通称イル・セストーリ(セストーリ・ポネンテ、1608‐1665)の「羊飼いの礼拝」


P1880172
ジョヴァンニ・ベネデット・カスティリオーネ通称イル・グレチェット(ジェノヴァ、1608/1610-マントヴァ,1663/1665)の「ノエの犠牲」


P1880174
アントン・マリア・ヴァッサッーロ(ジェノヴァ、1617/1618-ミラノ、1660)の「エジプトへの逃避」


P1880176
アントン・マリア・ヴァッサッーロ(ジェノヴァ、1617/1618-ミラノ、1660)の「神話のシーン」


P1880183
次は第12室です。


P1880185
ジョアッキーノ・アッセレート(ジェノヴァ、1600-1649)の「聖ステファノの殉教」


P1880188
ジョアッキーノ・アッセレート(ジェノヴァ、1600-1649)の「燃える髪のセルウィウス・トゥッリウス」
セルウィウス・トゥッリウスは王政ローマ時代の第6代王で、燃える髪の伝説があります。


P1880191
ジョアッキーノ・アッセレート(ジェノヴァ、1600-1649)の「荊刑のキリスト」


P1880194
ジョアッキーノ・アッセレート(ジェノヴァ、1600-1649)の「聖フランチェスコと音楽天使」


P1880196
ジョアッキーノ・アッセレート(ジェノヴァ、1600-1649)の「小カト―の自死」
マルクス・ポルキウス・カトー・ウティケンシス(紀元前95-紀元前46)は、元老院派の中心人物で、反元老院のカエサルの政敵でした。
有名な紀元前46年のタプススの戦いによって、元老院派はカエサル軍に敗れ、勝利したカエサルは小カト―に降伏を迫りましたが、小カト―はこれを拒否して刀剣を自分の身体に突き刺しました。それを見ていた小カト―の奴隷は、小カト―を介抱し医者を呼んで傷口を縫合させますが、やがて一人になった小カト―は傷口を開いて、腸を引き出して自死したのです。
絵画の鑑賞は、その絵画が意味することを知ることが前提となります。


P1880200
ジョアッキーノ・アッセレート(ジェノヴァ、1600-1649)の「法悦の聖フランチェスコ」


P1880203
シルヴェストロ・キエーザ(ジェノヴァ、1623-1657)の「ライ病の子供を治すベアート・ジョアッキーノ・ピッコロミーニ」


P1880209
次の部屋です。


P1880178
第14室になります。
西洋では13は忌避されている数字のせいでしょうか、第13室が欠番になっている博物館、美術館、ホテルなどがあります。白の宮殿美術館では第13室が見当たりません。


P1880179
ジョヴァンニ・ベネデット・カスティリオーネ通称イル・グレチェット(ジェノヴァ、1608/1610-マントヴァ、1663/1665)の「動物の習作」


P1880181
ジョヴァンニ・ベネデット・カスティリオーネ通称イル・グレチェット(ジェノヴァ、1608/1610-マントヴァ、1663/1665)の「動物の習作」


P1880211
ジョヴァンニ・バッティスタ・カルローネ(ジェノヴァ、1603-パロディ・リグーレ、1683/1684)の「トビアスの魚」


P1880214
ジョヴァンニ・バッティスタ・カルローネ(ジェノヴァ、1603-パロディ・リグーレ、1683/1684)の「音楽天使」


P1880217
ジョヴァンニ・バッティスタ・カルローネ(ジェノヴァ、1603-パロディ・リグーレ、1683/1684)の「天上の聖女たち」


P1880220
ジョヴァンニ・バッティスタ・カルローネ(ジェノヴァ、1603-パロディ・リグーレ、1683/1684)の「父タビトの目を治すトビアス」


P1880223
アントン・マリア・ヴァッサッーロ(ジェノヴァ、1617/1618-ミラノ、1660)の「悔悛の聖マリア・マッダレーナ」


P1880226
オラツィオ・デ・フェラーリ(ヴォルトリ、1605-ジェノヴァ、1657)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの斬首」


P1880229
オラツィオ・デ・フェラーリ(ヴォルトリ、1605-ジェノヴァ、1657)の「盲人の治療」


P1880232
オラツィオ・デ・フェラーリ(ヴォルトリ、1605-ジェノヴァ、1657)の「キリストと姦通女」


P1880235
アントン・マリア・ヴァッサッーロ(ジェノヴァ、1617/1618-ミラノ、1660)の「静物画」
(つづく)

P1880033
次は白の宮殿です。


P1880721
白の宮殿は、道路を挟んで、赤の宮殿の斜め向かいにあります。


P1880763
10年ほど前は、もう少し白かったと思いますが、この辺は修復の際の外壁の磨き方と関係があるのかも知れません。
白の宮殿は、1530年から1540年にかけて、ジェノヴァ有数の貴族だったルーカ・グリマルディによって建設された邸宅です。
その後、1658年と1711年に、所有者が変わりました。


P1880025
この絵画は、マッテオ・ピカッソによって描かれた「マリーア・ブリニョーレ=サーレ・ダ・フェラーリ(ジェノヴァ、1811‐パリ、1888)の肖像」(1829)ですが、マリーアはブリニョーレ=サーレ公爵夫人で、同家最後の相続人でした。マリーアは赤の宮殿で生まれました。
マリーアの遺言によって、マリアの死後、白の宮殿と宮殿にあった全てのものがジェノヴァ市当局に遺贈されました。
なお、マリーアの肖像画は赤の宮殿にあります。また、赤の宮殿と宮殿内にあったものは、マリーアによって生前にジェノヴァ市当局に寄贈されたのです。


P1870440
1892年、白の宮殿は美術館として一般公開されるようになりました。
白の宮殿美術館は通称で、正式名称はGalleria di Brignole-Sale de Ferrariと言います。


P1870439
ストラーダ・ヌオーヴァ美術館は、赤の宮殿、白の宮殿、トゥルシ宮の3つから成りますが、展示されている作品の質と言う点では、この白の宮殿が最も勝ると思います。


P1880038
入館しました。
ピエッレ・フランクゥエヴィッレ通称ピエトロ・フランカヴィッラ(フランス・カンブレ―、1553‐パリ、1615)の「ユピテル」


P1880040
詳細不明


P1880042
最初の展示室にある作品です。
ランベルト・サストリス(アムステルダム、1515c‐1584)の「ピエタと天使たち」


P1880045
パオロ・カリアーリ通称イル・ヴェロネーゼ(ヴェローナ、1528‐ヴェネツィア、1588)の「磔刑」


P1880048
次の展示室に移動しました。


P1880047
部屋によって、このような表示があります。展示室番号の表示はあったりなかったりです。


P1880050
ヤコポ・ニグレティ通称パルマ・イル・ジョーヴァネ(ヴェネツィア、1548‐1628)の「キリストとサマリア女」


P1880053
ヤコポ・ニグレティ通称パルマ・イル・ジョーヴァネ(ヴェネツィア、1548‐1628)の「キリストと姦通女」


P1880056
パオロ・カリアーリ通称パオロ・ヴェロネーゼ(ヴェローナ、1528‐ヴェネツィア、1588)の「スザンナの水浴」


P1880058
アレッサンドロ・ボンヴィチーノ通称イル・モレット(ブレーシャ、1498‐1554)の「聖母子」
作品を一瞥しただけでモレットの作品と分かります。モレットらしさ?が非常に出ています。


P1880063
次の部屋です。


P1880062
第8室になります。
この部屋まで7つの部屋があったとは思えません。恐らく5室ほど閉鎖されていたのではないでしょうか?


P1880064
カラヴァッジョの作品が目立ちます。


P1880067
ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ通称イル・カラヴァッジョ(ミラノ、1571‐ポルト・エルコレ、1610)の「この人を見よ」


P1880065
日本に来ていましたね。


P1880072
ピエル・フランチェスコ・マッツゥッケッリ通称モラッツォーネ(モラッツォーネ、1573‐ピアチェンツァ?、1626)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの斬首」


P1880077
ジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニ(ボローニャ、1574‐ミラノ、1625)の「砂漠の聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


P1880080
ジョヴァン・バッティスタ・クレスピ通称イル・チェラーノ(チェラーノ、1565/1570-ミラノ、1632)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの斬首」


P1880087
ヘンデリック・ファン・ソマー(ベルギー・ローケレン、1607-ナポリ、1656)の「聖ジローラモ」


P1880091
ルチアーノ・ボルツォーネ(ジェノヴァ、1590-1645)の「キリストの洗礼」


P1880094
マティアス・ストーマ―(オランダ・アメルスフォールト、1600-シチリア、1655没)の「サロメ」


P1880098
ジュゼッペ・ヴェルミーリオ(アレッサンドリア、1585c-1635c)の「イサクの犠牲」


P1880100
次の部屋に、このような説明プレートがありますが、展示されているのは1作品だけです。


P1880102
ルーカ・カンビアーソ(モネーリア、1527-エル・エスコリアル、1585)の「父の肖像画を描く自画像」


P1880104
1階(日本の2階)の展示が終わりです。


P1880105
一旦、1階のテラスに出て一休みしました。小雨が止んでいました。


P1880106
道路を挟んで、向かいに建つ赤の宮殿です。


P1880108
2階(日本の3階)の展示室に向かいました。


P1880109
階段の先にフィリッピーノ・リッピの作品が見えます。


P1880111
フィリッピーノ・リッピ(プラート、1457-フィレンツェ、1504)の「フランチェスコ・ロメッリーニの祭壇画」


P1880112
聖母子と2天使


P1880114
聖セバスティアーノと聖ジョヴァンニ・バッティスタと聖フランチェスコ


P1880116


P1880118


P1880119
(つづく)

P1870945
次の部屋です。絵画作品の展示がありません。


P1870943
第22室になります。


P1870946
天井のフレスコ画は地元ジェノヴァの画家ドメニコ・ピオラ(ジェノヴァ、1627‐1703)によって描かれました。


P1870944
この銘板が助かります。


P1870947
次は第23室と表記されてますが、ベランダの通路です。


P1870949
見所は、パオロ・ジローラモ・ピオラ(ジェノヴァ、1666‐1724)によって描かれたフレスコ画です。


P1870948
パオロ・ジローラモ・ピオラはドメニコ・ピオラの息子です。


P1870953
次の部屋です。


P1870950
第24室になります。


P1870952
天井のフレスコ画は、ジョヴァンニ・アンドレア・カルロ―ネ(ジェノヴァ、1639‐1697)によって描かれました。


P1870954
壁のフレスコ画は、インぺリアーレ・ボッティーノ(ポルト・マウリツィオ、1689‐1725活動)によって描かれました。


P1870955
壁の油彩画はジョヴァンニ・アンドレア・カルロ―ネ(ジェノヴァ、1639‐1697)の作品ですが、画題が分かりません。


P1870956
壁の油彩画はジョヴァンニ・アンドレア・カルロ―ネ(ジェノヴァ、1639‐1697)の作品(画題不明)


P1870958
赤の宮殿内の礼拝堂です。


P1870959
礼拝堂のフレスコ画はドメニコ・ピオラ(ジェノヴァ、1627‐1703)によって描かれました。


P1870970
次の部屋です。部屋番号が表示されてません。


P1870960
ジョヴァンニ・バッティスタ・キアッペ(ノーヴィ・リグーレ、1721 o 1722-1766)の「リドルフォ・ブリニョーレ=サーレの肖像」
リドルフォは、1762年から1764年までジェノヴァ総督を務めました。


P1870962
カルロ・アントニオ・タヴェッラ(ミラノ、1668‐ジェノヴァ、1738)の「グロッポーリの風景」


P1870964
ヤコポ・アントニオ・ボーニ(ボローニャ、1688‐ジェノヴァ、1766)の「ジョヴァンニ・フランチェスコ・ブリニョーレ=サーレの肖像」
ジョヴァンニ・フランチェスコは、1635年から1637年までジェノヴァ総督の地位にありました。


P1870968
ヤコポ・アントニオ・ボーニ(ボローニャ、1688‐ジェノヴァ、1766)の「ジョヴァンニ・フランチェスコ2世・ブリニョーレ=サーレの肖像」
ジョヴァンニ・フランチェスコ2世は、1746年から1748年までジェノヴァ総督でした。


P1870972
16世紀のヴェネトの逸名画家作「悔悛の聖マリア・マッダレーナ」


P1870975
ヴェネツィアの逸名画家作「紳士の肖像」(16世紀末‐17世紀初頭)


P1870978
ヴェネツィア派逸名画家作「聖会話」(16世紀末‐17世紀初頭)


P1870981
17世紀のフランスの逸名画家作「悔悛の聖マリア・マッダレーナ」


P1870985
ヴァレンティン・ルフェーブル(ブリュッセル、1642‐1680c)に帰属する「聖ジュスティーナの殉教」


P1870989
18世紀の逸名画家作「レオナルド・ダ・ヴィンチ作『聖ジョヴァンニ・バッティスタ』の複製画」


P1870991
ラッザーロ・カルヴィ(ジェノヴァ、1512‐1587?)の「聖母子と聖フランチェスコ」


P1870995
ベルナルド・カステッロ(ジェノヴァ、1557‐1629)の「聖家族と聖ジョヴァンニーノ」


P1870999
チェーザレ・コルテ(ジェノヴァ、1550‐1613)の「聖母子」


P1880003
ウスタシュ・ル・スュール(パリ、1617‐1655)の「魚の肝を焼くトビアス」


P1880006
カルロ・アントニオ・タヴェッラ(ミラノ、1668‐ジェノヴァ、1738)の「池と森がある風景」


P1880009
カルロ・アントニオ・タヴェッラ(ミラノ、1668‐ジェノヴァ、1738)の「湖の風景」


P1880011
シジスモンド・ベッティ(フィレンツェ、1699‐1765)の「リドルフォ・ブリニョーレ=サーレの肖像」(1739)


P1880014
アントン・フォン・マロン(ウィーン、1733‐ローマ、1808)の「アンナ・ピエーリ・ブリニョーレ=サーレの肖像」(1792)


P1880017
カルロ・アントニオ・タヴェッラ(ミラノ、1668‐ジェノヴァ、1738)の「田園の風景」


P1880019
シジスモンド・ベッティ(フィレンツェ、1699‐1765)の「ベッリ―ナ・ロメッリーニ・ブリニョーレ=サーレの肖像」(1739)


P1880021
アントン・フォン・マロン(ウィーン、1733‐ローマ、1808)の「駐イタリアのスェーデン大使ゲオルグ・ワンゲルの肖像」(1792)


P1880023
第29室の展示は1作品だけです。


P1880025
マッテオ・ピカッソ(レッコ、1794‐ジェノヴァ、1879)の「マリーア・ブリニョーレ=サーレ・デ・フェラーリの肖像」(1829)


P1880027
以上で終わりです。
グイド・レーニ、グエルチーノのボローニャ派絵画が良いと思いました。


P1880029
外に出て、白の宮殿に向かいました。
これで赤の宮殿を終わり、白の宮殿に続きます。

第33室の続きです。
P1870857
トマーゾ・オルソリーノ(ランポニオ、1587?‐ジェノヴァ、1675)の「イルカとプット」


P1870859
詳細不明の燭台


P1870861
詳細不明


P1870863
詳細不明


P1870864
トマーゾ・オルソリーノ(ランポニオ、1587?‐ジェノヴァ、1675)の「イルカとプット」


P1870869
次の部屋です。


P1870866
第33室の隣が第19室なので、当惑しました。


P1870868
天井のフレスコ画はグレゴリオ・デ・フェラーリ(ポルト・マウリツィオ、1647‐ジェノヴァ、1726)によって制作されました。


P1870873


P1870867


P1870871
アントン・ヴァン・ダイク(アンヴェルサ、1599‐ロンドン、1641)の「十字架を担ぐキリスト」


P1870875
アントン・ヴァン・ダイク(アンヴェルサ、1599‐ロンドン、1641)の「アントン・ジュリオ・ブリニョーレ=サーレの肖像」(1627)



P1870878
アントン・ヴァン・ダイク(アンヴェルサ、1599‐ロンドン、1641)の「パオラ・アドルノ・ブリニョーレ=サーレの肖像」(1627)


P1870880
次の部屋に移動しました。この部屋で始めて入館者を見かけることが出来ました。
展示室番号が未表示でしたが、この部屋の隣両室が第19室、第21室なので、この部屋は第20室と判断するのが至当でしょう。


P1870881
天井のフレスコ画はグレゴリオ・デ・フェラーリ(ポルト・マウリツィオ、1647‐ジェノヴァ、1726)の作品です。


P1870883
グレゴリオ・デ・フェラーリ(ポルト・マウリツィオ、1647‐ジェノヴァ、1726)の「天上フレスコの下絵」


P1870886
アントン・ヴァン・ダイク(アンヴェルサ、1599‐ロンドン、1641)の「ジェロニーマ・サーレ=ブリニョーレとその娘アウレリアの肖像」(1627)


P1870889
アントン・ヴァン・ダイク(アンヴェルサ、1599‐ロンドン、1641)の「モネタのキリスト」


P1870891
詳細不明


P1870893
アントン・ヴァン・ダイク(アンヴェルサ、1599‐ロンドン、1641)の「プッチ家の紳士とその息子の肖像」


P1870896
アントン・ヴァン・ダイク(アンヴェルサ、1599‐ロンドン、1641)の「フィリッポ・スピノーラ・ディ・タッサローロの肖像」


P1870900
次の部屋です。


P1870898
第21室


P1870901
天井フレスコ画はドメニコ・ピオラ(ジェノヴァ、1627‐1703)によって描かれました。


P1870899


P1870903
プロスペーロ・フォンターナ(ボローニャ、1512‐1597)の「ジョヴァン・マリア・チオッキ・デル・モンテ枢機卿の肖像」
教皇ジュリオ3世の枢機卿時代の肖像画です。


P1870906
16世紀の逸名画家作「ティツィアーノ作『スペイン王フィリッポ2世の肖像』の複製画」


P1870909
ヤコポ・ダ・ポンテ通称バッサーノ(バッサーノ・デル・グラッパ、1510‐1592)とバッサーノ工房の「火の寓意」


P1870912
ジョヴァンニ・ベネデット・カスティリオーネ通称イル・グレチェット(ジェノヴァ、1609‐マントヴァ、1644)の「アブラハム一家の旅」


P1870915
グイド・レーニ(ボローニャ、1575‐1642)の「福音書記者聖マルコ」


P1870919
ベルナルド・ストロッツィ(ジェノヴァ、1581/1582-ヴェネツィア、1644)の「磔刑像を崇める聖フランチェスコ」


P1870921
ジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリ通称イル・グエルチーノ(チェント、1591-ボローニャ、1666)の聖母子と聖ジョヴァンニーノと聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタと聖バルトロメオ」(1661)


P1870924
ジョヴァンニ・バッティスタ・ガウッリ通称イル・バチッチョ(ジェノヴァ、1639-ローマ、1709)の「幼きキリスト」


P1870928
グイド・レーニ(ボローニャ、1575-1642)の「祈る聖母」


P1870931
ジローラモ・ダ・ポンテ通称ジローラモ・バッサーノ(バッサーノ・デル・グラッパ、1566-ヴェネツィア、1621)の「羊飼いの礼拝」


P1870934
ボニファチョ・デ・ピターティ通称ボニファチョ・ヴェロネーゼ(ヴェローナ、1487c-ヴェネツィア、1553)の「マギの礼拝」


P1870936
グイド・レーニ(ボローニャ、1575-1642)の「救世主キリスト」


P1870941
ヤコポ・ロブスティ通称ヤコポ・ティントレット(ヴェネツィア、1519-1594)の枠組みの「男の肖像」
(つづく)

P1870795
次の展示室に移動します。


P1870796
第16室になります。


P1870797
コルネリス・デ・ワール(アンヴェルサ、1592‐ローマ、1667)の「小銃を持った歩兵と騎兵の戦闘」


P1870801
Jan Wildens (Anversa, 1586-1653)の「9月 狩猟」


P1870804
Jan Wildens (Anversa, 1586-1653)の「6月 池」


P1870808
Jan Wildens (Anversa, 1586-1653)の「7月 草刈」(1614)


P1870810
Jan Wildens (Anversa, 1586-1653)の「8月 収穫」
1階(日本の2階)の展示はこれで終わりです。


P1870813
2階(日本の3階)に向かいます。


P1870820
階段の左右の壁に作品が展示されてます。


P1870818


P1870814
ピエトロ・パルトロニエーリ(ミランドラ、1673‐1741)の「遺跡」
ミランドラはエミリア・ロマーニャ州モデナ県にあるコムーネです。


P1870816
ピエトロ・パルトロニエーリ(ミランドラ、1673‐1741)の「古い教会」


P1870819
階段踊り場にある彫刻(詳細不明)


P1870821
ピエトロ・パルトロニエーリ(ミランドラ、1673‐1741)の「廃墟」


P1870823
ピエトロ・パルトロニエーリ(ミランドラ、1673‐1741)の「川辺の廃墟」


P1870825
2階(日本の3階)の最初の展示室です。


P1870831
部屋番号は一挙に飛んで第31室です。同じフロアに第21室があるので、戸惑います。この辺はイタリア流と割り切ってあまり気にしないことです。


P1870826
天井のフレスコ画(詳細不明)


P1870828
詳細不明の3点の作品が展示されてます。


P1870829
作品の説明板がありません。


P1870830


P1870832
次の部屋に進みます。写っているのは係員です。


P1870833
第32室です。


P1870835
調度品を含めて部屋の設計はドメニコ・パローティによるもの(1735c)です。


P1870836


P1870837
ジャコモ・ボーニによって描かれたフレスコ画


P1870838
天井のフレスコ画


P1870834
これがあるので助かります。


P1870839
イアサント・リゴー(フランス・ペルピニャン、1659‐パリ、1743)の「バッティ―ナ・レッジ・ブリニョーレ=サーレの肖像」(1739)


P1870841
イアサント・リゴー(フランス・ペルピニャン、1659‐パリ、1743)の「ジョヴァンニ・フランチェスコ2世ブリニョーレ=サーレの肖像」(1739)


P1870845
次の部屋です。


P1870843
第33室です。


P1870846
床の装飾


P1870847
ドメニコ・パローディの天井フレスコ画


P1870848
バルトロメオ・グイドボーノによる壁のフレスコ画


P1870850


P1870844
これによって制作者が分かります。
しかし、次の3点の絵画が分かりません。


P1870851
説明板がありません。


P1870852
詳細不明


P1870853
詳細不明


P1870854
グレゴリオ・デ・フェラーリ(ポルト・マウリツィオ、1647‐ジェノヴァ、1726)の「アポロの勝利」
(つづく)

P1870674
次の展示室です。


P1870673
第11室


P1870675
アゴスティーノ・ブオナミーチ通称アゴスティーノ・タッシ(ペルージャ、1566c‐ローマ、1644)の「聖オルソーラの乗船」


P1870680
オラツィオ・ジェンティレスキ(ピサ、1563‐ロンドン、1639)の「聖母子」
アゴスティーノ・タッシの作品の横にわざわざオラツィオ・ジェンティレスキの作品を並べるとは、驚きを禁じえません。
アゴスティーノ・タッシとオラツィオ・ジェンティレスキは互いに親友でした。オラツィオがロンドンに旅発つ前に、娘アルテミジアをアゴスティーノに託したのです。アゴスティーノは、アルテミジアに熱心に絵を教えるうちに、アルテミジアを強姦したのです。それを知った父オラツィオは烈火のごとく怒り、アゴスティーノを強姦罪で訴え、アゴスティーノは有罪となりました。
アルテミジア・ジェンティレスキは女流画家として大成し、現在ではカラヴァッジェスキ画家の第一人者と言われてます。


P2840464
参考までにアルテミジア・ジェンティレスキの傑作「ホロフェルネスの首を斬るユディト」を載せておきましょう。(ウフィツィ美術館にあります)
アゴスティーノを終生恨んだアルテミジアは、ホロフェルネスの顔として師匠アゴスティーノ・タッシの顔を描いたと言われてます。
少し脱線しました。元に戻りましょう。


P1870684
ジョヴァンニ・ランフランコ(テレンツォ、1582‐ローマ、1647)の「キリストの復活」


P1870686
ジョヴァンニ・バッティスタ・ベイナスキ(フォッサーノ、1636‐ナポリ、1688)の「聖ピエトロ」


P1870691
ジョヴァンニ・アントニオ・ガッリ通称ロ・スパダリーノ(?、1580c‐ローマ、1650以降没)の「聖フランチェスカ・ロマーナ」


P1870694
ガスパール・デュゲ(ローマ、1615‐1675)の「風景」


P1870698
ルイージ・ミラドーリ通称イル・ジェノヴェスィーノ(ジェノヴァ、1605c‐クレモナ、1656c)の「リュート奏者」


P1870700
目線の先に作品が置かれているので非常に見易い。
それにしても入館者が少な過ぎです。


P1870702
アレッサンドロ・マッティア・ダ・ファルネーゼ(ファルネーゼ、1635‐1679以降没)の「ペスト患者を治癒させる聖ロッコ」


P1870713
次の展示室です。


P1870704
第12室


P1870707
カルロ・ドルチ(フィレンツェ、1616‐1686)の「ゲッセマネ園の祈り」


P1870709
ジョヴァンニ・バッティスタ・サルヴィ通称イル・サッソフェッラート(サッソフェッラート、1605‐ローマ、1685)の「聖母子」


P1870714
絵画の方はジャチント・ブランディ(ポル、1621‐ローマ、1691)の「聖ジローラモ」ですが、それ以外は不明です。


P1870719
アンドレア・サッキ(ネットゥーノ、1599‐ローマ、1661)の「ダイダロスとイカロス」


P1870723
カルロ・マラッティ(カメラーノ、1625‐ローマ、1713)の「エジプトへの逃避途中の休息」(1680)


P1870726
ジェイコブ・フェルディナンド・フート(アンヴェルサ、1639‐パリ?、1700)の「貴婦人の肖像」


P1870730
17世紀後半のローマの逸名画家作「紳士の肖像」


P1870732
次は第13室です。


P1870734
ロヒール・ファン・デル・ウェイデン(ベルギー・トゥルネ、1400c‐ブリュッセル、1464)作の「十字架降下」の複製画


P1870738
ヨース・ファン・クレーフェ(アンヴェルサ、1485c‐1540)の枠組みの「悔悛の聖ジローラモ」


P1870742
フランス・ポルビュス・イル・ヴェッキオ(ブルージュ、1545‐アンヴェルサ、1581)の「Viglius Von Ayttaの肖像」


P1870746
アルブレヒト・デューラー(ニュルンベルク、1471‐1528)の「若い男の肖像」(1506)


P1870749
ウィレム・キー(オランダ・ブレダ、1510/1520「アンヴェルサ、1568)?の「女性の肖像」


P1870753
ヘラルト・ダヴィド(オランダ・アウデワーテル、1460c-ベルギー・ブルッヘ、1523)の「聖母子とミルク粥」
彼の代表作です。


P1870755
ヤン・サンダース・ファン・ヘメッセン(ベルギー・ヘーミクセム、1500c-オランダ・ハールレム、1565c)の「祈る聖ジローラモ」


P1870759
次は第14室です。


P1870762
Jan Wildens (Anversa, 1586-1653)の「1月 スケートをする人々」


P1870764
Jan Wildens (Anversa, 1586-1653)の「4月」


P1870768
Jan Wildens (Anversa, 1586-1653)の「5月」


P1870772
アルバート・カイプ(オランダ・ドルトレヒト、1620-1691)の「兎がいる風景」(1689)


P1870776
アブラハム・テニールス(アンヴェルサ、1629-1670)の「パイプ煙草に火を点ける男」


P1870779
アブラハム・テニールス(アンヴェルサ、1629-1670)の「オステリアの光景」


P1870782
ヘンドリック・アーフェルカンプ(アムステルダム、1585-オランダ・カンペン、1634)の「冬の遊びの光景」


P1870785
へンドリック・アーフェルカンプ(アムステルダム、1585-オランダ・カンペン、1634)の「氷上で遊ぶ光景」


P1870787
次は第15室です。


P1870789
Jan Wildens (Anversa, 1586-1653)の「11月 海」


P1870793
階段が邪魔です。


P1870792
ジャン・ルース(アンヴェルサ、1591-ジェノヴァ、1638)の「羊飼い」
(つづく)

P1870559
第5室です。


P1870562
ジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリ通称イル・グエルチーノ(チェント、1591‐ボローニャ、1666)の「小カト(マルクス・ポルキウス・カト・ウティケンシス)の自死」(1641)
この作品は、小カトの人となり生涯を知らないと意味が分からないと思います。カエサルが小カトに降伏を迫りましたが、小カトはそれを拒否して自死を選びました。
小カトがいるのですから、大カトも当然いました。小カトは大カトの曾孫でした。
小カトは歴史上の有名な人物です。ご興味のある方は「小カト」を検索すれば、すぐに出てくると思います。


P1870566
ジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリ通称イル・グエルチーノ(チェント、1591‐ボローニャ、1666)とバルトロメオ・ジェンナーリ(チェント、1594‐ボローニャ、1661)の「寺院から商人たちを追放するキリスト」


P1870570
ジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリ通称イル・グエルチーノ(チェント、1591‐ボローニャ、1666)の「永遠の父と天使」(1620)


P1870574
ジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリ通称イル・グエルチーノ(チェント、1591‐ボローニャ、1666)の「クレオパトラの死」(1648)


P1870576
次は第6室です。


P1870579
マッティア・プレティー(タヴェルナ、1613‐マルタ・ヴァレッタ、1699)の「使徒たちの不信」


P1870581
キャビネット(詳細不明)


P1870583
マッティア・プレティー(タヴェルナ、1613‐マルタ・ヴァレッタ、1699)の「ラザロの蘇生」


P1870587
マッティア・プレティー(タヴェルナ、1613‐マルタ・ヴァレッタ、1699)の「オリンドとソフロニアを救出するクロリンダ」
この作品もクロリンダの逸話を知らないと理解が難しいでしょう。ドラクロアが描いた同じ主題の傑作が有名です。


Delacroix98
ドラクロワの「オリンドとスフロニアを救出するクロリンダ」
ご参考までにドラクロワの傑作(ミュンヘン、ノイエ・ピナコテーク所蔵)画像を載せておきます。


P1870592
フランチェスコ・フラカンツァーノ(モノポーリ、1612‐ナポリ、1656)の「音楽家の肖像」


P1870623
ベルナルド・ストロッツィの作品が並んでいる第7室です。


P1870628



P1870596
ベルナルド・ストロッツィ(ジェノヴァ、1581‐ヴェネツィア、1644)の「授乳の聖母と天使たち」


P1870600
ベルナルド・ストロッツィ(ジェノヴァ、1581‐ヴェネツィア、1644)の「聖パオロ」


P1870603
ベルナルド・ストロッツィ(ジェノヴァ、1581‐ヴェネツィア、1644)の「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」


P1870607
ルーカ・カンビアーソ(モネーリア、1527‐エル・エスコリアル、1585)の「聖母子と聖アンナと聖ジョヴァンニーノ」


P1870612
ルーカ・カンビアーソ(モネーリア、1527‐エル・エスコリアル、1585)の「十字架降下」


P1870616
ベルナルド・ストロッツィ(ジェノヴァ、1581‐ヴェネツィア、1644)の「聖フランチェスコ」


P1870621
ベルナルド・ストロッツィ(ジェノヴァ、1581‐ヴェネツィア、1644)の「聖トッマーゾの不信」


P1870625
ベルナルド・ストロッツィ(ジェノヴァ、1581‐ヴェネツィア、1644)の「女料理人」
ベルナルドの代表作です。


P1870629
第8室は、ベランダ兼通路で、作品が展示されてません。


P1870630


P1870631


P1870632


P1870634
次の展示室です。


P1870633
第9室


P1870637
シニバルド・スコルツァ(ヴァルタッジョ、1589‐ジェノヴァ、1631)の「ノエの犠牲」


P1870639
ジョヴァンニ・ベネデット・カスティリオーネ通称イル・グレチェット(ジェノヴァ、1609‐マントヴァ、1664)の「ノアの箱舟に乗船する動物たち」


P1870643
シニバルド・スコルツァ(ヴォルタッジョ、1589‐ジェノヴァ、1631)の「ロトのアブラハムの別れ」


P1870647
ジョヴァンニ・ベネデット・カスティリオーネ通称イル・グレチェット(ジェノヴァ、1609‐マントヴァ、1664)の「磔刑」


P1870651
ジョヴァンニ・ベネデット・カスティリオーネ通称イル・グレチェット(ジェノヴァ、1609‐マントヴァ、1664)の「ご誕生」


P1870654
ジョヴァンニ・ベネデット・カスティリオーネ通称イル・グレチェット(ジェノヴァ、1609‐マントヴァ、1664)の「羊の逃走」


P1870660
次の部屋です。


P1870656
第10室


P1870658
ドメニコ・フィアセッラ(サルザーナ、1589‐ジェノヴァ、1669)の「アブラハム一家」


P1870663
ペッレグリーノ・ピオラ通称イル・ペッレグロ(ジェノヴァ、1617‐1640)の「聖バルバラ」


P1870666
ペッレグリーノ・ピオラ通称イル・ペッレグロ(ジェノヴァ、1617‐1640)の「ファルファッラの聖家族」


P1870670
ジョヴァンニ・ベルナルド・カルボーネ(ジェノヴァ、1616‐1683)の「眠る幼きキリスト」
(つづく)

P1880754
ジェノヴァ貴族の邸宅が建ち並ぶジェノヴァのガリバルディ通りです。


P1880758
ストラーダ・ヌオーヴァ美術館はガリバルディ通りにあります。美術館は赤の宮殿、白の宮殿、トゥルシ宮の3つの建物にあります。


P1870442
赤の宮殿 Palazzo Rosso o Palazzo di Ridolfo e Gio Francesco Brignole


P1880762
白の宮殿 Palazzo Bianco o Palazzo di Luca Grimani


P1880688
トゥルシ宮 Palazzo Tursi o Palazzo di Nicolo Grimardi


P1870443
美術館の切符売り場はガリバルディ通りに面したトゥルシ宮にあります。


P1880723
3つの宮殿の展示作品数が多く、ストラーダ・ヌオーヴァ美術館を一括して紹介するよりもパラッツォ毎に取り上げた方が良いと思います。
と言うことで最初に赤の宮殿を取り上げることにします。
赤の宮殿ですが、17世紀後半にジェノヴァ貴族ブリニョーレ・サーレ家が同家邸宅として建設しました。1874年、同家が収集した美術品と共に建物をジェノヴァ市に寄贈しました。その後、美術館として一般公開されるようになりました。


P1870444
赤の宮殿に入館しました。


P1870445
階段踊り場に置かれた彫刻(詳細不明)


P1870446
展示室は1階(日本の2階)です。


P1870473
非常に見易く展示されてます。


P1870448
パリス・ボルドン(トレヴィーゾ、1500‐ヴェネツィア、1571)の「聖家族と聖ジローラモとアレッサンドリアの聖カテリーナと天使」


P1870451
パオロ・カリアーリ通称イル・ヴェロネーゼ(パオロ・ヴェロネーゼ)(ヴェローナ、1528‐ヴェネツィア、1588)の「ユディト」


P1870454
ヤコポ・ダ・ポンテ通称ヤコポ・バッサーノ(バッサーノ・デル・グラッパ、1517‐1592)の「獄中の聖ジローラモ・エミリア―ニ」


P1870457
アレッサンドロ・ボンヴィチーノ通称モレット(ブレーシャ、1498‐1554)の「ピエトロ・アンドレア・マッティオーリの肖像」


P1870460
パッラージョ・ミキエルまたはミケーレ(ヴェネツィアで1547‐1578知らせ)の「女性の肖像」


P1870464
パリス・ボルドン(トレヴィーゾ、1500‐ヴェネツィア、1571)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」


P1870467
パリス・ボルドン(トレヴィーゾ、1500‐ヴェネツィア、1571)の「男の肖像」


P1870471
パリス・ボルドン(トレヴィーゾ、1500‐ヴェネツィア、1571)の「高齢の男の肖像」


P1870475
パリス・ボルドン(トレヴィーゾ、1500‐ヴェネツィア、1571)の「若い男の肖像」


P1870477
次の展示室です。


P1870479
フランチェスコ・ブレア(ニッツァ、1512‐1555記録)の「聖マリア・マッダレーナと2聖女」
聖女2人は特定されてません。


P1870482
フランチェスコ・ブレア(ニッツァ、1512‐1555記録)の「聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタと聖ザッカリアと聖女」


P1870485
アミーコ・アスペルティーニ(ボローニャ、1474‐1552)に帰属する「男の肖像」


P1870489
べンヴェヌート・ティーズィ通称イル・ガロファロ(フェラーラ、1481‐1559)の「聖家族と聖ジョヴァンニーノと聖人」


P1870492
プロスペーロ・フォンターナ(ボローニャ、1512‐1597)に帰属する「聖家族と2聖人」


P1870496
ベルナルディーノ・リチーニオ(ヴェネツィア、1485‐1550c)の「フランチェスコ・フィレットの肖像」


P1870499
ヤコポ・ネグレッティ通称パルマ・イル・ヴェッキオ(セリーナ、1480c‐ヴェネツィア、1528)の「聖母子と聖ジョヴァンニ・バッティスタと聖マリア・マッダレーナ」


P1870504
16世紀前半のトスカーナの逸名画家による「アンドレア・デル・サルト作『聖家族と聖アンナと聖ジョヴァンニーノ』の複製画」


P1870508
ミケーレ・ディ・ジョヴァンニ・ボーノ通称ジャンボノ(トレヴィーゾ、?‐ヴェネツィア、1420‐1462知らせ)の「ピサネッロ?の肖像」


P1870511
16世紀初めのトスカーナの逸名画家作「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」


P1870514
ピエトロ・ボナッコルシ通称ぺリン・デル・ヴァーガ(フィレンツェ、1501‐ローマ、1547)の「聖家族と聖ジョヴァンニーノ」


P1870518
次の展示室です。


P1870517
第4室


P1870520
ジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニ(ボローニャ、1574‐ミラノ、1625)の「聖家族と聖ジョヴァンニーノと聖エリザベッタ」


P1870525
ルドヴィーコ・カラッチ(ボローニャ、1555‐1619)の「受胎告知」


P1870527
シスト・バダロッキオ(パルマ、1585‐ボローニャ、1647?)の「カルヴァリオへの上り」


P1870532
グイド・レーニ(ボローニャ、1575‐1642)の「聖セバスティアーノ」


P1870537
アレッサンドロ・ティアリーニ(ボローニャ、1577‐1668)の「十字架像の前の3修道士」


P1870540
ジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニ(ボローニャ、1574‐ミラノ、1625)の「聖トッマーゾ・アポストロ」


P1870545
ジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニ(ボローニャ、1574‐ミラノ、1625)の「聖マッテオ・アポストロ」


P1870547
ジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニ(ボローニャ、1574‐ミラノ、1625)の「聖シモーネ・アポストロ」(1621)


P1870551
ジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニ(ボローニャ、1574‐ミラノ、1625)の「聖パオロ」(1621)


P1870557
ジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニ(ボローニャ、1574‐ミラノ、1625)の「聖母子」
(つづく)

ジェノヴァは、人口578,924人(2018年3月31日現在)のリグーリア州の州都であり、ジェノヴァ県の県都です。
P1890573
ジェノヴァPP駅に到着しました。


191
ジェノヴァPP駅の駅舎


P1880840
先ず、この日のお宿に向かいます。


P1880841
駅前広場に立つコロンブス像
ジェノヴァ出身ながらポルトガル、スペインのために働き、現地人を虐殺、虐待など悪行の限りを尽くしたコロンブスを称えるジェノヴァの人々に合点がいきません。


P1880814
この日のお宿です。
ジェノヴァに来れば、満室でない限り必ずここに泊まります。駅前にあり、何かと便利です。値段も手ごろでしょう。


P1870397
チェックインを済ませて、外に出たら雨模様。傘を取りに自室に戻りました。


P1870398
駅前から続くバルビ通りには、見どころが沢山あります。


P1870399
バルビ通りの左側は高台になってます。


P1870400
高台の入り口サンタ・ブリジーダ門


P1870401
バルビ通りに戻ると、直ぐに王宮が見えてきます。


P1870402
この日はMuseo Palazzo Realeに入館しませんでした。
この建物は、ジェノヴァの大貴族バルビ家の大邸宅でしたが、1830年頃にサヴォイア王室の住居として使用されたので王宮と呼ばれてます。


P1870403
王宮の向かいに教会があります。


P1870404
17世紀に建設されたサンティ・ヴィットーレ・エ・カルロ教会です。
美術的には駄作凡作しかないので、素通りしました。


P1870405
通称大学宮殿と言われている建物です。


P1870406
この日は扉が閉まっていました。


P1870407
この通りも面白いですが、道草は禁物です。


P1870408
最上階のロッジャが目立ちます。


P1870409
教会も併設しています。


P1870410
17世紀に建設されたPalazzo Gio Agostino Balbi


P1870411


P1870413
Palazzo Gio Agostino Balbiの先に教会が見えてきました。


P1870415
サンティッシマ・アンヌンツィアータ・デル・ヴァスタート教会です。


P1870418
美術的には見所が多い教会と言えると思います。


P1870419
拝観を後回しにして先を急ぎました。


P1870416
教会前の広場です。「アンヌンツィアータ広場」と思っていたら、ヌンツィアータ広場なんですね。


P1870417


P1870420
交通が激しい場所です。


P1870421
ナポリの船会社Flotta Lauroが所有していた建物なので、Palazzo Flotta Lauroと呼ばれていました。第二次世界大戦の爆撃によって完全に破壊されてしまい、戦後に元の形を忠実に再現する形で再建されました。
現在、Palazzo Nicolo Lomelliniと呼ばれてます。


P1870422
この日の目的はストラーダ・ヌオーヴァ美術館に入館することでした。


P1870423
パオロ・エミリオ・ベンサ通り


P1870426
雨の中、傘を差しながら写真を撮るのに難儀しました。


P1870427
右折します。


P1870428
Via Cairoli


P1870430
通りの名称が途中で変わりますが、この道を進めば美術館に出ます。


P1870432
ストラーダ・ヌオーヴァ美術館は、赤の宮殿、白の宮殿、トゥルシ宮の3つから成ってます。


P1870413
それら3つを一日で全部見ようとしています。尤も、この日は展示作品の写真を撮るのが目的で、鑑賞はこの日の2日後にやりました。


P1870433
展示作品の写真を撮ることと鑑賞は両立しません。


P1870434
美術館があるガリバルディ通りの入り口にやってきました。


P1870435
1536年から1554年に建設されたPalazzo Gerolamo Grimaldi


P1870436
1671年に建設されたPalazzo Gio Carlo Brignole


P1870437
ガリバルディ通りがジェノヴァ観光の中心でしょう。


P1870438
何度来ても飽きません。


P1870439
白の宮殿


P1870440
切符売り場はここにはありません。


P1870441
赤の宮殿


P1870442
道幅が狭いので、宮殿の全景がうまく撮れません。


P1870443
ストラーダ・ヌオーヴァ美術館の切符売り場
美術館については、後程詳しく触れます。
(つづく)

P1860359
次の部屋です。


P1860361
17世紀の無名画家作「聖ピエトロ」(17世紀初め)
個人寄贈


P1860364
17世紀の無名画家作「聖フランチェスコ」(17世紀初め)
個人寄贈


P1860367
無名画家作「聖ベネデット」(18世紀)
ヴァレーゼ・リグーレのサンティ・アントニオ・エ・ロッコ祈祷所にありました。


P1860369
無名彫刻家作「磔刑像」(18世紀後半?)
カルタぺスタのモナケ・カルメリターネ・デッラ・スペツィア修道院にありました。


P1860373
ミケランジェロ・ベルトロットまたはジャンロレンツォ・ベルトロットの「パドヴァの聖アントニオに顕現する聖家族」
ラ・スペツィアのサン・ヴィトー教会にありました。


P1860376
トスカーナの無名画家作「聖母子」(16世紀末‐17世紀初め)
個人寄贈


P1860379
ジョヴァンニ・アンドレア・デ・フェッラーリの「聖母の家族」
ラ・スペツィアのノストラ・シニョーラ・デッラ・サルーテ教会にありました。


P1860381
制作者不詳の「ロザリオの聖母のステンダリオ」(17世紀)
ラ・スペツィアのサンティ・ジョヴァンニ・エ・アゴスティーノ教会にありました。
ステンダリオですから裏面にも描かれてます。


P1860383
裏面です。


P1860386
制作者不詳の「ロザリオの聖母のステンダリオ」(17世紀)
ラ・スペツィアのサンティ・ジョヴァンニ・エ・アゴスティーノ教会にありました。


P1860389
その裏面の「死のシンボル」


P1860390


P1860391
マラリアーノ工房の「この人を見よ」
ヴァレーゼ・リグーレのアゴスティニアーネ修道院にありました。
個人所蔵の寄託展示です。


P1860394
祭壇前飾り
ヴァレーゼ・リグーレのアゴスティニアーネ修道院にありました。
個人所蔵の寄託展示です。


P1860396


P1860397
詳細不明


P1860398
詳細不明


P1860399
詳細不明


P1860400
詳細不明


P1860401
16世紀の無名工芸家作「聖体容器」


P1860403
18世紀のリグーリアの無名彫刻家作「聖母子」
ポルチョラスコのサン・ミケーレ教会にありました。


P1860406
17世紀の無名画家作「悔悛の聖ジローラモ」


P1860409
18世紀の無名画家作「聖ジュゼッペの死」
ラ・スペツィアのコムーネ所有


P1860411
制作者不詳のコレッジョ作品のコピー画


P1860416
ここから民族学博物館となります。そのような表示がありませんが、展示物から推察しました。


P1860417


P1860418


P1860420


P1860421


P1860422
こうして見ていくと、市立博物館と言っても良い展示内容です。


P1860423


P1860424
新しい雰囲気の街並みのラ・スペツィアですが、文化を大切するという方向性はユニークな展示をする博物館を見れば分かります。


P1860425


P1860426


P1860427
キリがないので、この辺で終わることにします。


P1860571
(おわり)

P1860258
ラ・スペツィアの教区博物館です。


P1860259
この建物は15世紀に建設された旧サン・ベルナルディーノ祈祷所です。


P1860428
スペツィア=サルザーナ=ブルニャート司教区の教会、修道院などから集められた作品や聖具類などが主に展示されてます。
チンクエ・テッレも同司教区に属しています。


P1860429
Museo Etnografico(民族学博物館)も併設されてます。



P1860296
展示は主に1階と2階となります。


P1860290
14世紀の無名彫刻家作「聖母子」
ファビアーノ・アルトのサンタンドレア教会にありました。



P1860292
ピサの無名彫刻家作「聖母子」(14世紀)
マリナスコのサント・ステファノ教会にありました。


P1860295
Maestro delle Cinque Terre工房の「聖母子と二聖人のトリッティコ」(15世紀)
リオ・マッジョーレのサン・ジョヴァンニ・バッティスタ教区教会にありました。


P1860297
聖母子


P1860299
聖ロッコ


P1860302
聖セバスティアーノ


P1860305
ベルナルディーノ・デル・カステッレットの「キリストの洗礼」(1490‐1500c)
フォント―ナのサン・ミケーレ教区教会にありました。


P1860309
カルロ・ブラッチェスコの「聖エラーズモと聖ジローラモ」、「聖パンタレオと司教聖人」
レヴァントのサンタンドレア教会にありました。


P1860311
無名画家作「修道士聖人、聖バルバラ」(15世紀末‐16世紀初め)


P1860317
15世紀の無名画家作「聖ルチアと聖アントニオ・アバーテと聖ビアージョ」(15世紀)
レヴァントのサン・ピエトロ教区教会にありました。


P1860321
アントニオ・マリア・カルペニーノの「トレンティーノ聖二コラの栄光」(1539)
ラ・スペツィアの市庁舎にありました。


P1860324
ニコロ・ヴェスペシアーノの聖セバスティアーノと福音書記者聖ジョヴァンニと聖ロッコ」(16世紀)
キエーザヌオーヴァのサン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ教会にありました。


P1860329
ジェノヴァの無名画家作「受胎告知」(16世紀末‐17世紀初め)
個人コレクションの寄贈



P1860333
ドメニコ・ベッカフーミ派?無名画家作「受胎告知」(15世紀)
個人コレクションの寄贈


P1860338
ヤコポ・スピノロットの「聖母子」(1474)
ラ・スペツィアのサン・ヴェネーリオ教会にありました。


P1860340
制作者不詳の「ジョヴァンニ・フランチェスコ・ポリアスカ司教の紋章」(16世紀)


P1860343
イギリスの無名彫刻家作「三位一体」(15世紀)
ヴァレーゼ・リグーレのサン・ジョヴァンニ・バッティスタ教会にありました。


P1860346
アントニオ・マリア・カルペニーノの「悔悛の聖ジローラモ」(16世紀)
ラ・スペツィアの市立図書館にありました。


P1860349
無名画家作「救世主キリスト」(16世紀)


P1860351
聖具類


P1860353
ジェノヴァの金工家作「洗礼者聖ジョヴァンニ」
リオ・マッジョーレのサン・ジョヴァンニ・バッティスタ教区教会にありました。


P1860355
ジェノヴァの金工家作「聖ロレンツォ」
マナローラのサン・ロレンツォ教区教会にありました。


P1860357


P1860358


P1860352
(つづく)

ポルト・ヴェーネレは、人口3,588人(2016年12月31日現在)のリグーリア州ラ・スペツィア県にあるコムーネです。ラ・スペツィア湾の突端にある美しいリゾート地です。
1483
ラ・スペツィアからバス乗車約30分でポルト・ヴェーネレに到着しました。


1485
とうとう小雨が降ってきました。



1486
2月の寒い日に小雨が追い打ちでした。


1488
ポルト・ヴェーネレに来るベストシーズンとは程遠いですが、観光客がいないオフシーズンの方が寛げます。


1489
誰もいない海


1490


1491
遠くに見えているのはサン・ロレンツォ教会です。


1493
活気がありません。それに静かです。



1494
湾の突端にあるサン・ピエトロ教会に行ってみることに。


1495
ヨットハーバーがあります。


1497
チンクエ・テッレを含めて、この辺の村は似たような景色をしています。


1499
高台にある砦はジェノヴァ共和国が築いたドーリア城です。


1500
門を潜ってチェントロに入りました。


1502
村の目抜き通りです。



1503
サン・ピエトロ教会です。



1508
5世紀創建、13世紀に完成したゴシック様式の教会です。14世紀までは教区教会でした。


1509
拝観しました。


1510
内部装飾はありません。


1506
教会からの眺めが最高と言われてますが、この天気では冴えません。


1511


1512
監視塔です。


1513


1514
波立っている所もありましたが、この日、海は和いでました。


1515


1516
寒くて敵わん。


1517
早々に退散することに。


1518
ここに来ることはもうないだろうと思って、振り返ってもう一度見ました。


1505
次はサン・ロレンツォ教会です。


1519
階段を上ればサン・ロレンツォ教会のファサード前に出ます。


1520
1098年創建、12世紀の完成したロマネスク様式のサン・ロレンツォ教区教会です。しかし、現在の教会の名称はSantuario della Madonna Biancaといいます。


1521
鐘楼とクーポラが少し新しく見えるのは、1493年の火災によって被害を受けたので、1582年に終わった大修復工事の際に再建されたからでしょう。


1522
教会から見下ろしました。


1523
残念ながら教会の扉が閉まっていました。


1524
寒くて大変なので下に引き上げてきました。


1525
天気が悪くてはどうにもなりません。


1526
このところ、同じ写真を2枚アップされてしまう不具合があり、その対策法がよく分かりません。お見苦しいですが、ご容赦を。
(おわり)

P1860252
印章博物館が置かれているパラッツォ・アルティの隣にアメデオ・リア市立美術館があります。


P1860253
アマデオ・リア市立博物館がある建物です。


P1860438
この建物は1616年に建設されたサン・フランチェスコ・ディ・パオラ修道院で、1798年に宗教活動を停止して軍事病院として使用され、後に市民病院となりました。
1914年には兵舎に転用されましたが、第二次世界大戦後は裁判所や市庁舎として使用されてきました。


P1860430
1990年台の初めに、市立美術館として使用することが決定され、修復改造工事が行われ、1996年に市立美術館がオープンしました。


P1860436
入館しました。
展示作品の中心は、ラ・スペツィアのアメデオ・リアが生前に個人収集した物です。それらはアメデオの死後、遺族によって市当局に寄贈されました。


P1860432
全部で13の展示室があり、その他に特別展示を行う部屋があります。


P1860433
この美術館に入館するのは、この日で3回目でしたが、館内は3回とも写真不可でした。


P1860434
今日現在で、美術館HPを見ると、ノーフラッシュならば写真OKとなっているようです。


P1860435
この美術館は見逃せない佳作秀作があるので、私の写真がないことを理由にスルーするわけに行かないので、美術館のHPから拝借した作品画像を使用して紹介させて頂きたく存じます。
また、私がラ・スペツィアに再訪する機会はもうないだろうと思っていることも、その理由です。
以下の作品画像全ては美術館のHPから拝借したものです。


1
マッテオ・ディ・ジョヴァンニの「聖母子と聖人たち」(15世紀末)


2
ビッチ・ディ・ロレンツォの「聖ジローラモ」(1433)


3
ベネデット・ベンボの「ウミルタの聖母と音楽天使たち」(15世紀末)


4
ジョヴァンニ・マツォーネの「トレンティーノの聖二コラ」(1470‐80c)


5
アルヴィーゼ・ヴィヴァリーニの「悔悛の聖ジローラモ」(15世紀末)


6
ジャンピエトリーノの「聖母子」(15世紀末)


7
セバスティアーノ・デル・ピオンボの「アドーネの誕生」(1510c)


8
セバスティアーノ・デル・ピオンボの「アドーネの死」


9
ティントレットの「嘆き」(1555‐56)


10
ティツィアーノの「男の肖像」(1510c)


11
ジョヴァンニ・バッティスタ・モローニの「女の肖像」(16世紀後半)


12
ポントルモの「自画像」(1520c)


13
ルーカス・クラナッハ・イル・ヴェッキオの「アレッサンドリアの聖カテリーナ」(1530‐40c)


14
サルヴァトール・ローザの「ロットと娘」(17世紀)


15
ピエトロ・デッラ・ヴェッキアの「モーゼ」(17世紀後半)


16
カラヴァッジェスキ無名画家の「聖ジローラモ」(17世紀)


17
エルマンノ・ストロイフィの「バッカスとアリアンナ」(17世紀)


18
モンス・デシデリオの「ご誕生」(17世紀)


19
モンス・デシデリオの「エジプトへの逃避」(17世紀)


20
ベルナルド・べロットの「サン・マルコ広場の風景」


21
カナレットの「ラグーナの風景」


22
シモーネ・マルティーニ工房の「磔刑」(14世紀中頃)


23
バルナーバ・ダ・モデナの「磔刑」(1370‐80c)


24
ピエトロ・ロレンツェッティの「福音書記者聖ジョヴァンニ」(14世紀前半)


25
ピエトロ・ロレンツェッティの「死せるキリスト」(1320‐30c)


26
ベルナルド・ダッディの「洗礼者聖ジョヴァンニ」(1320‐30c)


27
リッポ・ディ・ベニヴィエーニの「磔刑」(13世紀末‐14世紀初め)

作品画像がありませんが、このほかにリッポ・メンミ、パオロ・ジョヴァンニ・フェイ、サセッタ、サーノ・ディ・ピエトロ、ヴィンチェンツォ・フォッパ、ジェンティーレ・ベッリーニ、ロレンツォ・ロットの帰属作品などの作品があります。

P1860285
あのような斬新で近代的な大聖堂は非常にユニークな存在です。


P1860286
次はMuseo Diocesanoです。


P1860288
高台のてっぺんにある城塞が見えましたが、この日は行く気になれず。


P1860287
ぶらぶら歩きをしながら、教会があれば見ていきました。


1531
天気が悪くなってきました。


1532
1887年創建のノストラ・シニョーラ・デッラ・サルーテ教会です。


1534
海軍基地が築かれ、人口増に対応するために新たに建設された教会です。扉が開いていましたが、美術的に注目すべき作品が皆無なので素通りしました。


1535
少し古そうな建物です。


1536
青空が出てきました。


1537
19世紀第4四半世紀に建設されたノストラ・シニョーリ・デッラ・ネーヴェ教会です。


1538
ファサードの彫刻とモザイク


1528
13世紀に建設されたサンタ・マリア・アッスンタ前大聖堂です。現在のドゥオーモの建設以前には、ここが司教座教会でした。


P1860289
ごく普通の共同住宅ばかりです。


P1860428
Museo Diocesanoです。


P1860296
入館しました。


P1860359
ラ・スペツィアとその周辺の教会などから集められた作品が展示されてます。


P1860416
Museo Diocesanoは改めて詳しく触れる予定です。


P1860439
次はアメデオ・リア市立美術館です。


P1860430
入館しました。


P1860436
今日現在、ノーフラッシュならば写真OKとなったようですが、ごく最近まで写真不可でした。


P1860434
そのため、私が撮った写真が殆どありません。


P1860432
この美術館の紹介を行うべきか迷うところですが、美術館の公式サイトから作品画像を拝借して、項を改めて触れることにします。


P1860435
一見の価値がある作品が幾つか展示されてます。


P1860431
外に出ました。


P1860440
雲行きがあやしくなってきました。


P1860441
昼食後、ポルト・ヴェーネレに行きました。
ポルト・ヴェーネレはラ・スペツィアの分離集落と思っていたので、このまま続けるつもりでしたが、別のコムーネと分かりました。
と言うことで、ラ・スペツィアはこれで終わりです。
(おわり)

ラ・スペツィアは、人口93,569人(2017年8月31日現在)のリグーリア州ラ・スペツィア県の県都です。
P1860234
ラ・スペツィア中央駅に到着しました。


P1860235
駅舎


P1860237
駅から30mの、この日のお宿です。


P1860239
午前中のまだ早い時間でしたが、部屋に入ることが出来ました。荷物を置いて早速街歩きに出発しました。


P1860238
未だ晴れていましたが、この日の午後は雨になりました。


P1860240
この日の予定は、ドゥオーモ、司教区美術館、アメデオ・リア美術館と回り、昼食後にポルト・ヴェネーレへの日帰り遠足でした。


P1860241
ラ・スペツィアは美しい湾を持つ小さな港町でしたが、イタリア統一後、1860年から1865年にかけて築かれたイタリア最大の海軍基地を擁する軍港として大変貌を遂げました。


P1860242
碁盤の目のように作られた広い道路や整然と立ち並ぶ共同住宅は、当時の再開発の名残です。


P1860243
近年、この街にも中国人を数多く見かけるようになりました。


P1860244
中世の家並みが好みの私にとって、ラ・スペツィアの街歩きは退屈度が非常に高いと言わざるを得ません。


P1860245
それでも時々来るのは、一見の価値がある美術館や博物館があるからです。


P1860246
観光客にとって見所が少ないものの、ラ・スペツィアの隣がチンクエテッレであり、しかも公共交通機関が便利なので、チンクエテッレ観光の基地として、この街に訪れる観光客を数多く見かけます。


P1860247
味気ない家並みが続きます。


P1860248
教会も新しいものが多いので、教会巡りをする気力が湧きませんが、その代表的存在のドゥオーモだけは行っておきたいと思いました。


P1860249
戦後、軍事都市の性格を維持しつつ、商港を擁する工業都市として発展して、所得が高い街として知られてます。


P1860250
高額所得者の多くは高台に住んでいるそうです。


P1860251
印章博物館になっているパラッツォ・アルティです。


P1860252
紀元前4000年頃から現代までの約1500点以上の印章が展示されてます。一見の価値がある博物館です。
未だ開館時間前なので扉が閉まっていました。この時の旅では入館しませんでした。(一見の価値は十分にあるものの、二見の価値があるとは思いません)


P1860253
パラッツォ・アルティの隣はアメデオ・リア美術館です。傑作が多い美術館として知られ、美術ファンにとって必見です。後で入館しました。


P1860255
ドゥオーモに向かいました。


P1860256
この街を歩く人たちのスピードが速いのが目立ちます。


P1860257


P1860258
Museo Diocesanoの建物です。


P1860259
ドゥオーモの後に入館しました。


P1860260
ドゥオーモは港を見下ろす高台にあります。


P1860261
海岸に向かって歩きました。


P1860262


P1860264
Teatro Civico


P1860265
大通りに出ました。


P1860268
道幅が広いのは軍事用途に作られた道だからです。


P1860269
この建物は?


P1860270
スペツィア=サルザーナ=ブルニャート司教区の司教座教会 Cattdrale di Cristo Reです。


P1860272
この地にカップッチーニの修道院がありましたが、1927年、当時の教皇ピオ11世がスペツィア=サルザーナ=ブルニャート新司教区の司教座教会建設を決めたのです。
建物の設計はコンペによって行われることになり、その結果、第1位となった合理主義建築家の設計によって、1975年に完成した建物です。
従来の大聖堂建築物と正反対の極めて斬新的なドゥオーモです。


P1860276
聖堂内部も斬新的です。


P1860276
ここに初めて来たときにはビックリしました。


P1860278
あるのは磔刑像だけで、祭壇画や彫刻がありません。


P1860279


P1860281
天井の装飾


P1860282
祭壇


P1860283
外に出ました。


P1860284
(つづく)

1619
ヴェルナッツァの続きです。


P1870187
冬のマルコーニ広場は、観光客がチラホラといるだけですが、夏場は混雑し過ぎのようです。


P1870188
暑さに弱いので、盛夏にイタリアに行ったことがあまりありません。


P1870189
6月初旬にマルコーニ広場に来たことがありますが、ピーク前とは言え、狭い海岸は海水浴客で溢れ、広場はうんざりするほどの大混雑でした。


P1870190
その時、困ったのが食事でした。
全てのレストランが営業していましたが、供給が需要に追い付かない状態で、どの店も行列が出来ていました。2時間待ちはざらで、待つのが大嫌いな私はジェラートを食事の代わりにして飢えを凌ぎました。


P1870191
人気の観光地にしては、宿泊施設や食堂が少ない気がします。冬は休業している所が多く、夏場は混雑し過ぎなので、予め準備しておく必要があろうかと思います。


P1870193
宿泊する場合は予約必須でしょうね。


P1870195
シャッケートラは美味しいですが、高価過ぎます。スーパーなどで買っても€40以上ですから、レストランで頼むと大変なことになります。


P1870084
新鮮な魚料理が名物ですが、何日も海が荒れて出漁できないときに偶然訪れると悲劇です。


P1870196
この時がそうだったのです。酷い店となると、何も言わないで冷凍魚を使った料理を平気で出すと聞いたことがあります。


P1870200
駅にやって来ました。


P1870201
駅を超えて山側に行ってみることに。


P1870207
反対側に出ました。


P1870203
線路の下をくぐっただけですが、その先は随分感じが違います。


P1870204
小さな公園にヘンテコなモニュメントを発見!


P1870208 
これは何でしょうか?
作者が記され、車輪の芸術作品ですと! 参ったなあ。


P1870210
振り返るとTorre di Avvistamento(監視塔)が見えました。


P1870211
上の方に上りヴェルナッツァを眼下に一望したいと思いました。


P1870214
先に進んでも、それほど変化がある景色の場所に辿り着けません。


P1870215


P1870217
斜面の葡萄畑を上るか、高い場所に建っているサン・フランチェスコ教会に行けば何とかなるだろうと思いました。


P1870218
タベルナコロを発見!


P1870222
これですね。


P1870223



P1870220
一目散に監視塔を目指すべきでした。


P1870225


P1870226
この道を上りましたが視界が開けません。


P1870227
ところが途中で雨が落ちてきたのです。


P1870229
サン・フランチェスコ教会に上っても良かったのです。でも後の祭りでした。


P1870230
二兎を追う者は一兎をも得ずになってしまいました。


P1870231
雨が降ってきましたが、傘を差すほどではありません。


P1870234
5つ目の村モンテロッソに行くつもりでしたが、次の列車まで少し時間があったので、駅近くの路地を歩くことにしました。


P1870235


P1870237
この奥の路地は更に狭くなります。


P1870239


P1870243


P1870244
変なモノを売っている店がありました。


P1870246
こういったものを売っていました。こんなものを買う人がいるの?と思っていたら、梱包された重そうなものを下げた観光客が店から出て来たのでビックリしました。どうやら買ったようでした。
チンクエ・テッレで最も印象に残ったのはこのお店でした。


P1870248


P1870250
駅に戻りました。


P1870253
小雨が降っていました。


P1870256


P1870257
列車が時刻通りに来ました。


P1870393


P1870260
モンテロッソ駅に到着しました。


P1870263
駅舎


1629
海は荒れていました。


1630
雨は降っておらず、薄日が差してました。


P1870262
夏は海水浴で賑わう浜辺です。


P1870264
駅に向かって左はホテルが並んでます。チェントロは向かって右の方にあります。


P1870267
チェントロに向かいました。


P1870268
チェントロは700mほど先になります。


P1870269


P1870272
(つづく)




P1870065
次はヴェルナッツァです。


P1870066
到着しました。プラットホームの大部分がトンネル内にあります。


P1870255


P1870067
5つの村の中で観光客が最も多いかもしれません。


P1870068
ヴェルナッツァは、人口848人(2015年12月31日現在)のリグーリア州ラ・スぺツィア県にあるコムーネです。コルニリアはこのコムーネの分離集落です。


P1870070
海へと続くローマ通りです。


P1870072
タベルナコロを発見!


P1870073
うーん、チョット趣味ではないなあ。


P1870074
少し歩けば、もう海岸です。


P1870075
あの教会は大体開いているので慌てる必要がありません。


P1870076
教会は開いていました。予想通りです。


P1870078
サンタ・マルゲリータ教会です。聖マルゲリータですが、アンティオキアとコルトーナ出身の2人の聖女がいます。ここはアンティオキア出身の聖マルゲリータに奉献されてされているので、区別するためにサンタ・マルゲリータ・ディ・アンティオキアと呼ばれてます。


P1870079
前日よりも海は凪いでいましたが、出漁する船が少ないのは観光客が少なくて需要があまりないからでしょう。


P1870081


P1870082
路地に入り込みました。


P1870088
路地は風情があります。


P1870089


P1870090


P1870083
ローマ通りに戻りました。路地はローマ通りに通じるようになっているようです。


P1870091
観光スポットのマルコーニ広場です。


P1870149
現在地にバジリカ様式の教会が既に11世紀にあったとされています。それが前身です。13世紀に再建され、1318年に完成したロマネスク様式の建物が現在の姿の原型とされてます。


P1870127
教会はその立地上の問題を抱えていました。


P1870092
立地上の問題をモノともせず、16世紀から拡大工事が始められ、18世紀に完了しましたが、その途中の1750年にバロック様式に改造されました。その当時の教会の出入り口は現在の出入り口の反対方向、つまりファサード側にありました。
現在の出入り口はマルコーニ広場に面した後陣側にありますが、19世紀に設けられました。その際、外観も現在のロマネスク様式に戻されて現在に至ってます。


P1870155
高さ40mの鐘楼の横前にも小さな鐘楼があります。


P1870094
入口から階段を上ると右側廊に出ます。


P1870096
三廊式、ロマネスク様式の内部です。


P1870097
簡素な造りです。


P1870098
簡素なのは造りだけではなく、装飾も簡素です。


P1870099
木製の天井です。天井は幾度となく張り替えられ、現在のものは1964年と1970年に交換されたものです。


P1870100
左側廊


P1870101


P1870103
右側廊です。


P1870114
この教会の立地から構造上の問題を孕んでいるのが右側壁なのです。


P1870095
右側壁の所々は素通しになってます。


P1870124
素通しになっていので、教会内からの眺めが良いので観光客には有難いです。
教会は波打ち際に建てられてます。荒天になれば、大波や海しぶきが右側壁に押し寄せます。それを少しでも緩和するために工夫が壁の一部を素通しにすることでした。


P1870105
主祭壇


P1870106
フレスコ画や祭壇画の類いがないのは、海しぶきによる影響を懸念しているからでしょう。


P1870108
17世紀の磔刑像


P1870109
彫刻が装飾の基本のようです。


P1870112
Anton Maria Maragliano (ジェノヴァ、1664‐1739)の「聖母子」


P1870115
洗礼盤もAnton Mariaの作品です。


P1870117


P1870118


P1870119


P1870104


P1870102


P1870121
夏は涼しい風が吹き込んで心地よいと思いますが、冬の寒い日のミサは大変でしょうね。


P1870122
海が荒れているときは更に大変でしょうね。


P1870125
外に出ました。


P1870126
他の場所に教会を建てても良かったと思うのですが・・・・


P1870132
この写真を見れば、数えきれないほど修復されたことが分かりますね。どんなに強く作った壁でも押し寄せる高い波には無力でしょう。


P1870133
まあ観光客は余計な事を考えないで景色を楽しめばよいのです。


P1870136
教区教会がドゥオーモと呼ばれる場合がかなりありますが、ここでは呼ばれていないようです。


P1870137


P1870139


P1870162


P1870176


P1870181


P1870183
(つづく)

P1860960
サン・ロレンツォ教会の拝観です。


P1860887
1338年創建、ゴシック様式の建物です。創建以来、外観が変わるような修復が行われなかったので、今なお創建時の姿を留めているそうです。


P1860952
創建以来、聖ロレンツォに捧げられた教会ですが、Chiesa della Nativa di Maria Vergine とも呼称されてます。


P1860883
地元産の砂岩で出来たファサードです。


P1860884
教会は教皇インノチェンツォ4世広場に面して建ってます。生家は残されていませんが、教皇インノチェンツォ4世はマナローラのこの地で生まれたとされており、広場の名称はそれに因んで名付けられてます。


P1860888
バラ窓


P1860889
フレスコ画があったと思われるルネッタ


P1860881
古代の遺跡の上に建てられた鐘楼です。鐘楼からの眺望が見事ですが、今は一般の人が登れないようです。


P1860944
鐘楼の後ろは眺望が開けているので、鐘楼に上れなくても絶景を十分楽しむことが出来ます。


P1860890
三廊式の内部です。


P1860892
ゴシック様式ですが、17世紀の改修の際、一部バロック様式に変更されました。


P1860924
左側廊


P1860891
マナローラの見所とされる教会ですが、観光客の姿を見かけることは滅多にありません。


P1860925
右側廊


P1860893
天井


P1860894
天井に描かれた「聖ロレンツォのフレスコ画」(15世紀)


P1860895


P1860897
主祭壇


P1860905
小型の「彩色磔刑像」(15世紀後半)


P1860903
14世紀の主祭壇画


P1860911
後陣左の礼拝堂


P1860923


P1860912
後陣右の礼拝堂


P1860913
Maestro delle Cinque Terre の「聖ロレンツォと聖アントニオ・アバーテと聖ベルナルディーノ」(15世紀)


P1860917


P1860920
詳細不明


P1860926


P1860928


P1860930
詳細不明


P1860935
詳細不明


P1860937
創建時の柱


P1860938
質の高い祭壇画があるので、美術的に楽しめる教会です。


P1860941
床は新しそうに見えました。


P1860910
ファサード裏にオルガンが設置されてます。


P1860909
私が外に出るまで地元の人は誰も訪れませんでした。


P1860882
広場に面して教会らしい建物があります。調べましたが良く分かりません。


P1860955
広場の建物


P1860956


P1860959


P1860951
鐘楼の後ろからの景色を楽しみました。


P1860947


P1860958
山の方に向かいました。


P1860971


P1870048
ブドウ畑が続くだけでした。


P1860948
海岸のほうに下りて行って食事をすることに。


P1860962
上ってきた時と同じ道を歩いてはつまらないので、下りは路地を通りました。


P1860963
車の進入が難しそうな細い道です。


P1860964


P1860965
何のことはない、すぐに上ってきた道、Via Antonio Discovolo に戻ってしまいます。


P1860966
検討したけれど宿泊しなかったB&Bの横に出ました。


P1860969


P1860972
海岸に向かうには、結局この道しかありませんでした。


P1860973
FSの線路を超えます。


P1860975


P1860976


P1860977
ホテルです。


P1860978
階段の上の広場


P1860979
Via Renato Birolli


P1860980


P1860981
(つづく)


P1860825
愛の小道の”柵”まで行ってみることに。


P1860829
2012年に歩行中の観光客が地滑りのため負傷したのですが、その後の大雨によって道路が不通となったのを機に全面通行止めとなった愛の小道です。
2015年にほんの一部だけ開通したそうです。
最新情報が分かりませんが、全面開通の可能性はかなり低いと思います。


P1860830
「一部開通部分」とは、ここのことでしょうか?


P1860831
柵のある所までは数百メートルの距離しかありません。


P1860832
対岸に、先ほど通ってきた、村役場から駅へと通じる道が見えました。


P1860833
波が荒い。


P1860836
柵の所に来ました。


P1860834
愛の小道です。
修復が難しい崩落個所がある上に、崩落、落石の危険性があるそうです。


P1860839
ここまでしか来ることが出来ません。


P1860842
愛の絆の鍵?


P1860843
戻るよりありません。


P1860844
リオマッジョーレ~マナローラ間を、愛の小道を歩いて行き来したことが2回あります。
その時の写真を載せましょう。


1545
2012年2月です。観光客4人負傷したのは、この年の9月24日でした。


1548
この時も波が荒かった。


1549


1551


1552


1556
2月だったので、観光客が殆どいませんでした。


1557
落石防止のためでしょうか、トンネルが設けられてます。


1558
歩いていて危険を感じことがありません。


1559
愛の小道のシンボルです。


1560


1561


1562
休憩所が途中にありました。


1563


1564


1566
こんな所でしょうね。
話を元に戻します。


P1860845
何が描かれているのでしょうか?
愛の小道の道路敷設工事の様子でしょうか?


P1860846
駅に戻りました。


P1860826
鉄道でマナローラに向かうことにしました。


P1860827
プラットホームの一部がトンネル内にあります。


P1860828
列車を待つ人は少なかったのですが・・・・


P1860847
所が急に人が多くなったのです。チンクエ・テッレは人気があります。


P1860851
僅か数分の乗車でマナローラ駅に到着しました。


P1860854
駅舎です。(無人駅)


P1860853
正午前なので、教会の拝観を優先しました。


P1860855
教会は高い場所にあるので、歩道トンネルを通って山側に出ます。


P1860857
マナローラは、東端のリオマッジョーレから西へ1駅の所にあり、5つの村の中でコルにリアに次いで小さな村と言われてます。
行政上は、リオマッジョーレのコムーネに属する分離集落Frazione です。Frazioneの概念としては、「村」が適当でしょうか。


P1860860
Via Antonio Discovolo


P1860861
鐘楼は、これから行こうとしていたサン・ロレンツォ教会のものです。


P1860863
坂道を上ります。


P1860865
振り返って撮った写真です。


P1860864
マナローラの山側は少々面白味に欠けます。


P1860866


P1860867
ここにいると足腰が鍛えられます。


P1860869
山の斜面の葡萄畑


P1860870
通りのあちこちにB&Bがあります。


P1860871
この時の旅で泊まろうかと検討したB&Bです。


P1860873
夏場だけ営業するB&Bが殆どですが、ここは通年営業しています。


P1860874
選択しなかった理由は、マナローラで夜オープンしているレストランがなかったからでした。


P1860875
教会は右上にあります。


P1860877
サン・ロレンツォ教会です。


P1860880
教区教会、Parrocchia ですが、ドゥオーモと呼ばれていないようです。


P1860885
ファサード前は全景ポイントです。


P1860953
ファサード前に寝そべっていたニャーゴ


P1860961


P1860948
(つづく)

P1860728
ジェノヴァ共和国が1260年から築き始め16世紀に完成したカステッロです。


P1860729
夏場は中に入ることが出来ます。


P1860727
カステッロの横にサン・ロッコ祈祷所が建ってます。1480年に建設されたそうです。


P1860731
主祭壇画のトリッティコが見どころですが、この日は扉が閉まったままでした。


P1860732


P1860733


P1860734
カステッロの周りは公園になってます。カステッロはチェントロの最高点にあるので、この公園は絶景ポイントの一つとして知られてます。


P1860736
公園は断崖の上にあるので、雨天の日は特に足元にご注意を!


P1860749


P1860740
閉鎖中の愛の小道が見えました。


P1860747


P1860738


P1860743


P1860746


P1860742


P1860745
十二分に絶景を楽しむことができました。雨が上がって本当に幸運でした。


P1860750
次はMunicipioです。


P1860751
先ほどと同じ道を下りました。


P1860752
レモンの木


P1860753


P1860754
ドゥオーモの鐘楼が見えました。


P1860758
この下に村役場があります。


P1860759
ある程度若くないとチョンクエ・テッレを歩き回るのは難しいと思うようになりました。


P1860760
教区教会広場手前の右の道を下れば村役場に出ます。


P1860761
この時が区教会の見納めとなりました。


P1860762


P1860763
カステッロに向かう道の一本下の道を進みました。


P1860764
村役場に向かって左側は視界が開けてます。


P1860765
車が辛うじて進入できる細い道です。


P1860767
村役場の分庁舎


P1860768


P1860769
本庁舎はこの先の建物です。


P1860770
Municipio


P1860771
ムラーレスが描かれてます。


P1860772
趣味ではないなあ。


P1860773
やり過ぎ?


P1860774


P1860775


P1860779
階段を上り、Municipio の入り口扉から撮りました。


P1860766


P1860776


P1860777
海岸近くの村人がここまで登って来るのは大変でしょうね。


P1860780


P1860781
村役場と駅を結ぶ道路です。この道からの眺めが素晴らしいことでよく知られてます。


P1860783
愛の小道はまだ閉鎖中でしょうか?そうであるならば、その間、その代替えに十分なりえる道と思います。


P1860784
観光客が殆ど通らない道のようです。


P1860785


P1860786
愛の小道です。


P1860789
柵が設けられ その先に進めないようになっているようです。


P1860790


P1860791
駅が見えてきました。


P1860795


P1860796


P1860799


P1860807


P1860810
駅の上に来ました。


P1860811
エレベーターは運転休止でした。


P1860813


P1860816
駅舎


P1860818
坂道を一気に下りました。


P1860819


P1860820


P1860821
駅はこの先です。


P1860824
(つづく)

リオマッジョーレの続きですが、今回はドゥオーモが中心です。
P1860659
リオマッジョーレは、ラ・スぺツィア‐サルザーナ‐ブルニャート司教区に所属しています。(司教座教会はラ・スぺツィアにあります)


P1860710
正式名称は、Parrocchiale di San Giovanni Battista 、教区教会、ドゥオーモです。


P1860663
リオマッジョーレのチェントロの高い場所に建ってます。


P1860662
1340年創建、14世紀後半に完成したロマネスクとゴシックの折衷様式の建物が原型ですが、現在に至るまで数度の改修改造が行われましたが、1870年から1871年に行われたネオ・ゴシック様式へと改修された後の建物が現在の姿となってます。


P1860650
鐘楼


P1860664


P1860665
創建時の姿を留めるバラ窓


P1860666


P1860668


P1860670


P1860672


P1860673
ルネッタに描かれたフレスコ画は傷みが激しく、何が描かれていたのかさえも分かりません。


P1860674
19世紀後半のもの?


P1860675
創建時のロマネスク・ゴシック様式の構造を維持している内部です。


P1860676
三廊式で、左側廊の中央付近に翼廊があります。


P1860677
しかし、右側には翼廊がありません。


P1860678
左側廊


P1860679
右側廊


P1860708
天井


P1860680
1530年に制作された説教壇


P1860681


12


P1860694


P1860682
主祭壇


P1860685
後陣に掲げられた「聖母被昇天」


P1860688
後陣右側の礼拝堂


P1860693
詳細不明


P1860692
詳細不明


P1860697
ベネデット・アンテラミに帰属する彫刻


P1860698
後陣左側の礼拝堂


P1860700
詳細不明


P1860702
ドメニコ・フィアセッラの「洗礼者聖ジョヴァンニの説教」


13
Maestro delle Cinque Terre 工房の「聖母子と聖ロッコと聖セバスティアーノ」


P1860704


P1860705


P1860706


P1860695


P1860709
オルガンがファサードの裏側に設置されてます。


P1860707
祭壇前から見た出入口


P1860712
外に出ると海が見えました。


P1860653
明け方まで降った雨でテラスが濡れてます。


P1860654


P1860655


P1860661
山の方


P1860657
次はカステッロです。


P1860713
崖に寄り添って建っている集合住宅


P1860717


P1860714


P1860716
見張り台の役目もしていたカステッロなので、高い場所にあります。


P1860719
細い道を上りました。


P1860720


P1860721


P1860722


P1860723
時計が見えてますが、カステッロです。


P1860724
時計の時刻は狂ってました。(動いていました)


P1860725
(つづく)


P1860575
前泊地はラ・スぺツィアでした。


P1860577
この日はリオマッジョーレで泊まります。


P1860578
鉄道で移動しました。


P1860579
リオマッジョーレは、人口1,576人(2015年12月31日現在)のリグーリア州ラ・スぺツィア県にあるコムーネです。5つの村から成るチンクエ・テッレですが、隣のマナローラはリオマッジョーレのコムーネにあります。


P1860581
駅の一部はトンネル内にあります。


P1860583
駅の下の海は大荒れでした。


P1860580
先ず、この日のお宿に向かいました。


P1860584
愛の小道は相変わらず閉鎖されていました。


P1860586


P1860588
駅舎


P1860587
観光案内所で地図を頂戴しました。


P1860589
リオマッジョーレのチェントロはトンネルの先にあります。


P1860590


P1860591
トンネルを潜り抜ければチェントロです。


P1860594
コロンボ通り


P1860596
通りを上りました。


P1860598
写真では坂の勾配が分かりませんが、かなりきつい傾斜です。


P1860600


P1860603
意外に距離があるので驚きました。数年前に泊まった時は、坂とか距離なんて全く気にならなかったので、今回は気になったのはそれだけ歳を取ったのでしょう。


P1860606
振り返って写真を撮りました。


P1860608
2月なので観光客が殆どいませんでした。


P1860610
鐘楼が見えたので、この日のお宿は直ぐ傍にあります。


P1860613
教会を通り過ぎれば、この日のお宿です。


P1860638
到着しました。冬場は休業中のホテルやB&Bが多いチンクエ・テッレですが、ここは通年営業しています。


P1860639
荷物をフロントに預けました。朝早くなので、部屋は未だ用意出来ていませんでした。


P1860595
坂の下まで戻って村歩きを再開しました。


P1860597
今度は坂が全然気にならず。


P1860609


P1860612
今度はゆっくり拝観できます。


P1860637
トラックが邪魔です。しかし、救急車は何時もこの場所に駐車しています。


P1860614
16世紀に建設されたサンタ・マリア・アッスンタ祈祷所です。


P1860634
この祈祷所の詳細ですが、調べても分かりません。


P1860635
ファサードにある彫刻


P1860642
鐘楼


P1860636


P1860615
単廊式の簡素な内部です。


P1860617
左側壁


P1860616
右側壁


P1860618
主祭壇のトリッティコが知られてますが、詳細不明のようです。


P1860620
「聖母子と洗礼者聖ジョヴァンニとグツマンの聖ドメニコのトリッティコ」


P1860623


P1860631


P1860628


P1860630


P1860621
素朴な信仰空間でした。


P1860633
外に出ました。


P1860640
この日のお宿を通り過ぎ、ドゥオーモに向かいました。


P1860641
前日の雨が、この日の明け方まで残っていました。


P1860643


P1860644
ドゥオーモへの近道です。


P1860645
ドゥオーモは更に高い場所に建ってます。


P1860646
ここから上り坂になります。


P1860647
突き当りが広場です。


P1860648
写真右がドゥオーモの身廊です。


P1860649
ファサード側に行きました。


P1860651
つづく

P1860513
雨が降ってきたので、ぶらぶら歩きを止めて要塞に向かいます。


P1860517
サン・フランチェスコの塔です。


P1860514
要塞は二重の城壁によって守られています。


P1860515
町のホームページに、冬場でも土曜日と日曜日は開いていると書いてありました。この日は土曜日でした。だから来たのです。


P1860518
結論から言えば、ホームページの記述は正しくありませんでした。


P1860519
塔の内側にも町が築かれてます。


P1860521
18世紀に建設されたレメーディ邸です。


P1860522
学校


P1860523
この辺一帯は、4世紀に築かれた砦の周囲に出来た集落が前身です。


P1860524
通りの突き当りが要塞の本丸に相当する部分です。


P1860525
やって来ました。


P1860526
閉まっていました!


P1860527
これも予想の範疇でした。それならば、ホームページに閉まっていると書けばよいではないかというのが我々の考え方ですが、イタリアではそうは通じません。


P1860528
4世紀に築かれた砦の上に、ジェノヴァ共和国が10世紀に構築した要塞が原型です。


P1860530
15世紀後半、フィレンツェのロレンツォ・イル・マニーフィコが10世紀の要塞を更に拡充整備しましたが、その建物が現在の姿です。


P1860534
夏は野外コンサートなどが行われます。ホームページによれば、冬は土曜日日曜日だけの公開との事ですが、正しくは非公開です。


P1860531
こちらも楽しみにしてました。でも明かりが点いてない!


P1860533
電話を架けましたが、呼出音が聞こえるだけで誰も応答なしでした。
事前予約受付もメールで可能との事なので、出発前に日本からメールを出しましたが返事なしでした。


P1860535
雨の土曜日の夕方。誰もいません。


P1860536
開けていても誰も来ないのでしょう。


P1860538
保存状態は良いと思います。


P1860539
酷いことになりました。


P1860540
教会は一つも拝観が叶わず、要塞、教区美術館は開いていないですから。


P1860541


P1860542


P1860543
仕方がない。


P1860544
人気(ひとけ)がありません。


P1860545
退散するよりありません。


P1860547
残念ながら、こんなこともあります。


P1860546
チェントロに戻ることにしました。


P1860548
戻ったところで、ご覧のような有様ですから特にやることがありません。


P1860549
土曜日の夕べのミサもありません。


P1860550
B&Bに戻っても特にやることがありません。


P1860551
ぶらぶら歩きを続けました。


P1860552


P1860553
所が雨が強くなってきたのです。


P1860554
B&Bに戻る前に夕食を食べる所を探しました。


P1860555
見つけるのが大変でした。


P1860556


P1860557


P1860558
でも何とか見つけることが出来ました。


P1860559


P1860560
小さな町は、ダメだったときの選択肢が無いので、リスクがあります。


P1860561
サルザーナに行っても泊まるのは止めるべきだったと後悔しました。


P1860563
靴が濡れて来たので、もうダメ。B&Bに戻ります。


P1860565


P1860566


P1860567
B&Bは駅至近にあります。


P1860568
チンクエテッレに泊まれば良かった!サルザーナから乗車30分で行けますから。
(おわり)

P1860442
サルザーナ Sarzana は、人口21,965人(2015年3月31日現在)のリグーリア州ラ・スぺツィア県にあるコムーネです。
ピサとラ・スぺツィアの間にあり、ピサ共和国が繁栄した時代にはピサと対峙するジェノヴァ共和国の前線基地として栄えました。やがて、フィレンツェの勢力が強くなりますが、ピサがフィレンツェの軍門に下ると、サルザーナは次第にフィレンツェの攻勢を受けるようになりました。その間、ジェノヴァ共和国も徐々に国力が衰退するようになりますが、ジェノヴァはサルザーナから撤退してしまいます。直ぐにサルザーナはフィレンツェの軍門の下り、今度はフィレンツェの前線基地となりました。


P1860443
FSでサルザーナに到着しました。


P1860444
駅舎


P1860445
先ず、この日のお宿に向かいました。


P1860446
写真左のB&Bと言いたいけれど、朝飯が無い単なるベッドのみのお宿にチェックインしました。この町では泊まる場所が限られているので贅沢は言えません。


P1860448
お宿から約200mほどでチェントロの入り口に着きます。


P1860447
地元の彫刻家カルロ・フォンターナ(カッラーラ、1865‐サルザーナ、1956)の代表作「Il Genio della Stirpe」(1914)がお出迎えしてくれます。


P1860449
先ずドゥオーモに向かいました。


P1860450
この時はまだ雨が降っていませんでした。


P1860451
ドゥオーモ広場が見えます。


P1860452
サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂です。


P1860459
1947年、Basilica Minoreに格上げされました。


P1860453
残念ながら閉まっていました。


P1860454
1204年から1474年に建設されたロマネスク・ゴシック様式の建物です。
ドゥオーモだけは開いていると思ってました。


P1860457
ルネッタ上のモザイク


P1860456
ファサードのバラ窓


P1860458
正面はドゥオーモの聖具室です。


P1860464
ピンク色の建物はサン・ジローラモ祈祷所です。


P1860462
ここも閉まっていました。


P1860463
ここにドメニコ・フィアセッラの作品が6点あるのです。


P1860461
結論を言えば、この時の旅は最低でした。この町で見たいところが6か所ありましたが、全部開いてなくて全敗、旅は徒労に終わったのです。


P1860466
観光案内版があちこちにあるので、大変便利です。


P1860469
地図を開くよりも観光案内版の方が遥かに勝ります。


P1860471
広場に向かいました。


P1860473
カランドーニ広場です。


P1860474
ドゥオーモの後陣


P1860476


P1860477
ロッシ通りです。


P1860479
写真右が教会です。


P1860480
サンタ・クローチェ祈祷所です。


P1860482
扉が閉まっていました。


P1860484
祈祷所の先に教会があります。


P1860485
12世紀に建てられたサンタンドレア教会です。


P1860487
ここも閉まっていました。


P1860489
聖職者が幾つも教会を兼務しているので、この辺は仕方がないのでしょう。


P1860490
美術好きにとって、教会巡りは効率が悪いですね。


P1860491
ガックリしたので、この辺で一休み。


P1860493


P1860492
一休みして元気いっぱいで散歩を再開しました。


P1860494


P1860495
夕食の場所も探しました。


P1860496
夕食はここに決めました。


P1860497
ジャコモ・マッテオッティ広場です。


P1860498
この広場が町の中心になります。


P1860499
広い広場です。


P1860502
市庁舎


P1860506
1819年に建てられたPlazzo Podesta Lucciardi


P1860510
とうとう雨が降ってきました。


P1860503
降り始めから本格的な降りなので、先を急がないとイケマセン。


P1860511
(つづく)

↑このページのトップヘ