イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ: ヴォルテッラ

聖堂内の祭壇画、フレスコ画、彫刻などの紹介です。

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サンティッシモ・サクラメント礼拝堂のフレスコ画は、ジョヴァンニ・バルドゥッチによって1595年に描かれました。


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サンティ・ディ・ティートの「ラザロの蘇生」(1592)


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ジョヴァンニ・バルドゥッチの「商人たちの教会からの追放」(1591)


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アゴスティーノ・ヴェラチーニの「ヴォルテッラを守る聖人たち」(1741)


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十字架降下の礼拝堂にある「十字架降下(彩色木像)」(1228)
制作者は13世紀前半のトスカーナの逸名彫刻家です。


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マドンナ・デイ・キエリーチ礼拝堂にある、フランチェスコ・ディ・ヴァルダンブリーノの「キエリーチの聖母」(15世紀初期)


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ラッファエッロ・ディ・アンドレア・チオーリの「石棺」(1522)


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ニッコロ・チルチニャーニ(チェルチニャーニ)通称ポマランチオの「無原罪の御宿り」(1586)


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受胎告知の礼拝堂です。


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マリオット・アルベルティネッリとフラ・バルトロメオの「受胎告知」(1497)


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「受胎告知」の周りに小さな祭壇画が取り囲んでます。


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本体部分(四角形)の「受胎告知」はマリオット・アルベルティネッリの作品です。周囲の小さな祭壇画の一部をフラ・バルトロメオが協力者として描いたとされてますが、具体的にバルトロメオが担当した箇所がどの部分だったのか識別されていないようです。


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「チントラの聖母」の詳細は不明です。


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フランチェスコ・クンギの「聖セバスティアーノの殉教」(1587)


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次は聖パオロの礼拝堂です。


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コジモ・ダッディの「無原罪の御宿り」


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ドメニキーノの「聖パオロの斬首」(1623)


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マッテオ・ロッセッリの「ダマスカスでの聖パオロの任務」


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聖パオロ礼拝堂の天井フレスコ画は、ジョヴァンニ・マッノッツィの「聖パオロの物語」


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ヤコポ・キメンティ・ダ・エンポーリの「聖母子と聖人たち」


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ここにも作品があります。


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詳細不明の「パドヴァの聖アントニオ」


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16世紀のトスカーナの逸名彫刻家による彩色木像の「この人を見よ」(16世紀)


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詳細不明の「玉座の聖母子と聖人たち」


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鉄扉が邪魔


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ミーノ・ダ・フィエゾレ作品の複製


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フランチェスコ・クッラディの「磔刑」(1619)


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ヤコポ・パオリーニの石棺


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聖母の祈祷所のフレスコ画は見逃せません。


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ベノッツォ・ゴッツォリの「マギの礼拝」


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壁一杯に描かれ、祈祷所の横幅が狭いのでフレスコ全画面の写真が撮れません。


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祭壇彫刻


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次は洗礼堂です。


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二コラ・ピサーノの設計によって13世紀後半に完成したサン・ジョヴァンニ洗礼堂です。


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入口扉上部の装飾


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中に入りました。


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八角形の天井です。洗礼堂は八角形です。


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壁龕に彫刻があったと思いますが・・・・


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彫刻があったとすれば、何処にあるのでしょうか?


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ジョヴァンニ・ヴァッカの「洗礼盤」(1759)


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Giovanni Antonio Cybeiの「聖ジョヴァンニ・バッティスタ像」(1771)


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ニッコロ・チルチニャーニ通称ポマランチオの「聖母被昇天」


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作品の上部に欠落があり、全体に痛みが認められます。修復作業のため取り外されているようです。


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ミーノ・ダ・フィエゾレのコピー


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洗礼堂から外に出ました。


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(おわり)

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ヴォルテッラ大聖堂の鐘楼と洗礼堂が見えてます。


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今回は少し長くなってしまうので、2つに分けて掲載することにしましょう。


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洗礼堂がドゥオーモの前に立ってます。


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洗礼堂は勿論ドゥオーモのものです。


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洗礼堂


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1957年、ピオ12世によってBasilica Minoreに昇格しました。
正式名は、Basilica Minore e Cattedrale di Santa Maria Assuntaと言います。


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ヴォルテッラ司教区の司教座が置かれてます。


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この地に建てられた教会が何時頃からあったのか明確になってませんが、聖母に奉献する教会が9世紀から存在していたことは記録によって確認されてます。
その建物は1117年の大地震によって崩落してしまったので、、その直後から再建されたロマネスク様式の建物が現在の外観となってます。
建物の完成前の1120年に教皇カッリスト2世によって奉献されました。


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再建当時、司教座はサン・ピエトロ教会に置かれていましたが、1472年のフィレンツェ軍に侵攻の際、大きな被害を受けてしまいました。それを機に、同年、司教座はこの教会に移され現在に至ってます。


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13世紀中ごろ、二コラ・ピサーノが建設に携わるようになり、このロマネスク様式のファサード装飾も彼の手になるものです。


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この円柱はヴォルテッラのローマ遺跡のローマ劇場から持ってきたものです。


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13世紀頃、遺跡の保存という概念はなかったのでしょうね。


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ファサードの窓


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鐘楼は、再建時にあったものを1493年に差し替えられたものです。差し替えの理由は不明のようです。


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高さ28mの鐘楼


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鐘楼の横にある彫刻です。聖人たちは誰でしょうか?


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ロマネスク様式の外観は素晴らしいものがありますが・・・・・


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拝観しました。


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三廊式、ラテン十字形の聖堂内部です。


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新しい列柱が外観のロマネスク様式とまるで違った印象を与えます。


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12世紀の創建以来、13世紀に行われた拡張、14世紀の合唱隊席などの追加、16世紀の大掛かりな改修、そして19世紀の改修を経ているので、創建時の姿は微塵も残っていません。
そうは言っても、数々の芸術作品があるので、私にとっては魅力があります。


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装飾過多とも言える格子天井は16世紀の改修時に制作されました。


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一見、トスカーナ特有の緑と白の大理石を組み合わせた壁と思わせますが、19世紀の改修の際、塗料で塗り分けられて作った模様なんですね。唖然としました。


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この辺はガックリです。


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味気ない柱頭
外観がロマネスクでも内部がロマネスクのまま、という教会は本当に少ないですね。


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左側廊


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右側廊


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主祭壇


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後陣天井の装飾(16世紀)
では、次に祭壇画やフレスコ画などに移ります。


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ヴァザーリの協力者だったPieter de Witte (1540-1628) の「天上の聖母と聖人たち」(1578)


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フランチェスコ・クッラディ(1570‐1666)の「聖母の誕生」(1598)


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私には分かりません。


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ナルディーニの「聖母の教会への出現」(1590)


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礼拝堂の名称を控えてくるのを忘れました。


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マッテオ・ロッセッリの「聖カルロ・ボッロメオに顕現する聖母子」(17世紀)


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グイド・レーニの「マグダラのマリア」(1634)


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フランチェスコ・ブリーニ(1540c‐1586)の「無原罪の御宿り」


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制作者不明の「磔刑像」(18世紀)


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後編は聖堂内の芸術作品の続きと洗礼堂です。
(つづく)

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Pinacotecaですが、壺なども展示されてます。


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ネーリ・ディ・ビッチ(フィレンツェ、1418c‐1492c)の「聖セバスティアーノと聖バルトロメオとバーリの聖二コラ」
ネーリは、ビッチ・ディ・ネーリとも呼ばれ、初期ルネサンスにフィレンツェ・ヴォルテッラなどで活動した画家です。15世紀中ごろ、フィレンツェで繁盛していた工房を運営していた画家のビッチ・ディ・ロレンツォの息子です。
非常に紛らわしいのですが、ビッチ・ディ・ロレンツォの父がビッチ工房の創始者のロレンツォ・ディ・ビッチです。ネーリの祖父ロレンツォ・ディ・ビッチはアレッツォのスピネッロ・アレティーノに師事し、ジョットの影響を受けたオルカーニャの作風を学んだので、オルカーニャの影響を受けたジョッテスキの画風でした。
ネーリの父ビッチ・ディ・ロレンツォは、父であるロレンツォ・ディ・ビッチに学んだので、オルカーニャの影響を受けた伝統的な画風でしたが技量は父を凌駕するに至りませんでした。
ネーリも父のビッチ工房で修業して、父の死後、工房を引き継ぎました。ただ、初期ルネサンスへの息吹に関心を持ちながらも、工房の伝統的手法をそのまま踏襲したので、オルカーニャの影響が認められる保守的な画風でした。
絵画史において、重要なのは、ネーリの代の約20年に渡る詳細な工房日誌を残したことで、その日誌に注文主、価格、注文を受けた作品の仕様や形式などがすべて記されているので、当時のことが分かるのです。
その日誌の中に、ベアート・アンジェリコやフィリッポ・リッピに関心を抱きながらも、祖父からの伝統的なゴシック様式の踏襲を重視していたという記述があるそうです。
出された注文に対して殆ど応じたので、多作な画家・工房となりました。
今日では、ルネサンスに対して活動しなかった時代遅れの多作画家という否定的な評価が一般的になってます。彼の時代の工房の弟子にコジモ・ロッセッリやフランチェスコ・ボッティチーニがいました。


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15世紀のトスカーナの逸名彫刻家による「聖母子」


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詳細不明


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展示室天井のフレスコ画


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ベンヴェヌート・ディ・ジョヴァンニ・デル・グアスタ(シエナ、1436‐1518)の「ご誕生」
1453年に画家ギルドに登録され、シエナ、ヴォルテッラ、モンタルチーノなどで彼の活動記録が残されてます。ヴェッキエッタの下で仕事した記録があり、初期の画風もヴェッキエッタの影響が強いので、彼の師匠はヴェッキエッタだったという説が有力とされてます。生涯の殆どをシエナで過ごし、トスカーナ各地の教会の祭壇画を数多く制作しました。生涯の中ごろから徐々に画風を変え、ドメニコ・ディ・バルトロとマッテオ・ディ・ジョヴァンニの影響が認められるものとなりました。息子のジローラモ・ディ・ベンヴェヌートが彼の弟子でした。晩年になると画業は息子に譲り、地方政治に関与するようになりました。


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同じ作品の裾絵です。困ったことに「ご誕生」と制作者が異なります。


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裾絵の制作者はマリオット・ディ・アンドレア・ダ・ヴォルテッラです。


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ザッカリア・ザッキ(アレッツォ、1473‐ローマ、1544)の「ピエタのキリスト」


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ベンヴェヌート・ディ・ジョヴァンニ・デル・グアスタの「聖母の物語の裾絵」


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ドメニコ・ギルランダイオ(フィレンツェ、1449‐1494)の「天上のキリストと聖人たちと寄進者」
ドメニコは、15世紀後半のフィレンツェ派絵画を代表する画家なので、私がコメントするのを憚れます。アレッソ・バルドヴィネッティに師事したの説がありますが、アレッソはドメニコよりも5歳年上にしか過ぎないので懐疑説が有力ですが、私もそう思います。
惜しいのは、ペストによって若死にしたことです。ドメニコが描いた3点の「最後の晩餐」は、アンドレア・デル・サルトの「最後の晩餐」と並ぶ「最後の晩餐」の傑作ですね。


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私の写真では十分ではないので、外部サイトから拝借した作品画像を載せました。


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展示室の壁


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展示室のフレスコ画


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Maestro di Santo Spirito(15世紀末)の「玉座の聖母子と聖バルトロメオと聖アントニオ・アバーテと2天使」


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裾絵


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空いてますね。空いていると言っても入館者は私一人でした。この規模の絵画館としては傑作が多いと思いますが、訪れないのは何故なんでしょうか?


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レオナルド・ダ・ピストイア(16世紀前半にピストイアで活動)の「玉座の聖母子と聖人たち」


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ルーカ・シニョレッリ(コルトーナ、1450‐1523)の「聖母子と聖人たち」
私が最も好きな画家はシニョレッリです。イタリアで普段見ることが出来る彼の作品は全部見たことがあります。銀行や個人の所有作品が多数あるようですが、その大部分は見たことがありません。
力強い線描、師匠(ピエロ・デッラ・フランチェスカ)譲りの正確な構図、解剖学的人的表現(ミケランジェロはシニョレッリの表現を参考にしました)、華やかで豊かな色彩などが特徴です。


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外部サイトから拝借した作品画像


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「聖ジローラモ」(部分)(外部サイトから)


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ルーカ・シニョレッリの「受胎告知」


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外部サイトから拝借した作品画像


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その背景部分(外部サイトから拝借)


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ロッソ・フィオレンティーノ(フィレンツェ、1495‐フォンテーヌブロー、1540)の「十字架降下」
マニエリスム様式の重要な画家で、ポントルモと共にアンドレア・デル・サイトに師事しました。1524年、ローマに移り、ラッファエッロの弟子たちやパルミジャニーノと交友を築きながらローマの教会などの仕事をしてましたが、1527年のローマ劫掠によってドイツ軍に囚われ苦労しました。後に逃亡に成功してヴェネツィアに逃れ、1530年にフランソワ1世に招聘され、フォンテーヌブローに移り、当時遅れていたフランス絵画界に刺激を与え、やがてフォンテーヌブロー派の基礎を築きました。
ローマに移ってから甘美な独自のマニエリスム様式を確立しました。


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外部サイトから拝借した作品画像


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ドナート・マスカーニ(フィレンツェ、1579‐1639)の「聖母の誕生」
画家についてのコメントを書いていると時間がかかってしまうので、今回はこの辺で終わりにして先を急ぎます。


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ダニエーレ・ダ・ヴォルテッラ(ヴォルテッラ、1509‐ローマ、1566)の「正義」
ダニエーレは、マニエリスム期の画家・彫刻家ですが、ミケランジェロとの交友で有名です。シエナでソドマとバルダッサッレ・ペルッツィに学びましたが未熟に終わり、1535年、心機一転ローマに赴き、ペリン・デル・ヴァーガに弟子入りして工房で仕事をするうちに徐々に腕を上げ、やがてミケランジェロと知り合いになりました。気難しいミケランジェロが何故かダニエーレと馬があったのか、ダニエーレの重要な作品はミケランジェロのデザインに基づいて制作されているのです。ミケランジェロは当時の教皇パウルス3世にダニエーレを推挙し、これに拠って教皇の庇護を受けてヴァチカンで仕事をするようになりました。
ミケランジェロの死後、システィーナ礼拝堂に描いたミケランジェロの「最後の審判」の性器や臀部を腰布で隠す仕事に従事したのがダニエーレでしたが、これに拠ってダニエーレの悪評は確固たるものになりました。


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ピエル・カンディート(ブルージュ、1548‐モナコ、1612)の「羊飼いの礼拝」


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ピエル・カンディートの「死せるキリストへの哀悼」


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ニコロ・チェルチニャーニ(ポマランチェ、1530‐1592)の「聖母戴冠と聖人たち」


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ニコロ・チェルチニャーニの「受胎告知と聖人たち」


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ミケーレ・トシーニの追随者とフランチェスコ・デル・ブリーナの「4つの楕円形の作品」(16世紀後半)


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ジョヴァンニ・アントニオ・ソリアーニ(フィレンツェ、1492‐1544)の「聖ジュゼッペ」
ソリアーニは盛期ルネサンスにフィレンツェで活動した画家です。師匠はロレンツォ・ディ・クレディでしたが、非常に支障が仲が良いことで有名で、クレディから注文を受けて下請け制作することが多かったそうです。1515年に自身の工房を構えるようになると、徐々に画風を変えてアンドレア・デル・サルトに傾倒するようになりました。ペリン・デル・ヴァーガから招聘を受け、ペリン共にピサ大聖堂のフレスコ画制作にかなり長期間携わりました。
ヴァザーリに拠れば、フラ・バルトロメオの後継者になったそうです。


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ジュリアーノ・ブジャルディーニ(フィレンツェ、1475‐1554)の「祭壇画からの4断片」


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詳細不明


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詳細不明


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16世紀のピサの逸名画家による「聖母子」


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16世紀初頭のフランドル地方の逸名画家の「嘆き」


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16世紀初頭のドイツの逸名画家の「マギの礼拝」


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16世紀初頭のフランドル地方の逸名画家の「聖母子」


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16世紀初頭のシエナの逸名画家による「十字架降下」


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16世紀後半の逸名画家の「聖家族」


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16席後半のフィレンツェの逸名画家の「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」


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ニコロ・チェルチニャーニの「死せるキリストへの哀悼」


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バルダッサッレ・フランチェスキーニ通称ヴォルテッラーノ(ヴォルテッラ、1611‐フィレンツェ、1689)の「聖母子と聖人たち」


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詳細不明


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詳細不明


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詳細不明


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詳細不明の机?です。


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机の上の装飾


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コジモ・ダッディ(フィレンツェ、1555‐ヴォルテッラ、1630)の「聖母子と聖ルチアと聖パオロ」


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コジモ・ダッディの「ぺルジオ・フラッコの肖像」


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17世紀前半のフィレンツェの逸名彫刻家の「トスカーナ大公コジモ2世」


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パラッツォの中庭です。


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展示作品が多いとは言えませんが、秀作傑作が多いのが特徴です。


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明かりが点いてあるところが切符売り場です。


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中庭の回廊にあります。


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ルーカ・シニョレッリの2作品、ドメニコ・ギルランダイオ、ロッソ・フィオレンティーノの作品が特にお勧めです。


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十分満足できました。


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(おわり)


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ヴォルテッラのサルティ通りを進みます。


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サルティ通り1番地のある、写真右先の建物がミヌッチ・ソライーニ宮です。


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フィレンツェの建築家アントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ヴェッキオの設計によって、15世紀後半から16世紀初頭にかけてミヌッチ家の邸宅として建築されました。


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フィレンツェのストロッツィ宮とグアダーニ宮を模して設計されたと言われてます。


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1982年に設けられた市立絵画館はこの建物にあります。


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絵画館の他にアラバスター博物館もこの建物内にあります。


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絵画館の入り口です。


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Maestro della Bibbia di Baltimoraの作品の可能性がある「彩色磔刑」(13世紀)


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Maestro di Monterotondo(1320-1340活動)の「聖ウーゴと聖ジュスト」
欠落した部分は「聖母子」の可能性が高いとされてます。


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14世紀のシエナ派逸名画家による「聖母子と磔刑」


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タッデオ・ディ・バルトロ(シエナ、1362c‐1422)の「トレンティーノの聖二コラと聖ピエトロ」
タッデオは、シモーネ・マルティーニやロレンツェッティ兄弟らが活躍した後に、25歳以下で画家ギルドに加入が認められ、1389年に独立し親方になりましたが、その画風はシエナ派の伝統に忠実で保守的でした。それでも、ギリシャ神話やローマ時代の逸話など従来の枠組みに捉われない画題を取り上げて、初期ルネサンスの先駆けとなる新しい動きを示しました。


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タッデオ・ディ・バルトロの「聖母子」


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タッデオ・ディ・バルトロの「玉座の聖母子と聖人たちの多翼祭壇画」
タッデオの代表作は、サン・ジミニャーノのドゥオーモにある「最後の審判(フレスコ)」(1393)、シエナ市庁舎の「ローマの歴史からの寓意(フレスコ)」(1413‐14)と「聖母の葬儀(フレスコ)」(1409)などですが、どれも一見の価値があります。


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裾絵


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詳細不明の作品です。


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ヤコポ・ディ・ミケーレ通称イル・ジェーラ(ピサで1371‐1395記録)の「玉座の聖母子と聖ルチアとアレッサンドリアの聖カテリーナ」
ヴォルテッラのフランチェスコ・ネーリまたはジョヴァンニ・ディ・二コラに師事したとされています。典型的な国際ゴシック様式シエナ派の画風で、シモーネ・マルティーニとルーカ・ディ・トンメの強い影響が認められます。
ピサのサン・マッテオ国立美術館やパレルモのシチリア州立美術館に彼の代表作が展示されてます。


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チェンニ・ディ・フランチェスコ・デル・セル・チェンニ(フィレンツェで1369‐1415活動)の「聖母子と聖人たち」
チェンニは、14世紀後半から15世紀初頭にかけてヴォルテッラ、フィレンツェで活動した画家ですが、その修行の過程は不明です。活動初期の作風がオルカーニャの強い影響を受けたものなので、オルカーニャに師事したとの説がありますが、それを裏付ける文書などがありません。
親方として独立してから暫く経つと次第にナルド・ディ・チョーネの画風に傾倒し、14世紀末にジョッテスキのリバイバルが盛んになると、チェンニのジョッテスキもどきに画風を変えました。主体性がなかったようで、時代の流行の画風に次々と変え、最終的にはタッデオ・ディ・バルトロの強い影響を受けたものに転じました。


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アルヴァーロ・ピレツ・デヴォ—ラ(1411‐1434記録)の「磔刑と聖母と福音書記者聖ジョヴァンニ(ヨハネ)」


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フランチェスコ・ネーリ・ダ・ヴォルテッラ(ヴォルテッラ、1310c‐1375c)の「ピエタ」
フランチェスコは、14世紀中ごろにヴォルテッラ、ピサ、サン・ジミニャーノで活動した画家ですが、ヴォルテッラの有力な政治家でもありました。1363年に起きたヴォルテッラとサン・ジミニャーノ間の紛争で、事態解決の仲介を行った記録が残されてます。
画家としての修行の経緯は不明です。その画風はシエナ派国際ゴシック様式に近似していて、中でもシモーネ・マルティーニの強い影響が認められます。また・タッデオ・ガッディと一緒に仕事をした記録が残されてます。


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15世紀のフィレンツェの逸名画家による「磔刑」


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アルヴァーロ・ピルツ・デヴォーラの「聖母子と聖人たちの多翼祭壇画」
アルヴァーロのことについては良く知りません。


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中央パネル


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向かって左のパネル


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向かって右のパネル


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聖人たちの浮彫


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裾絵が普通です。


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フランチェスコ・ディ・ドメニコ・ヴァルダムグリーノ(15世紀前半に活動)の「受胎告知」


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絵画館ですがコインが多数展示されてます。


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ステファノ・ディ・アントニオ・ディ・ヴァンニ(フィレンツェ、1405‐1483)の「聖母子と天使たち」


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プリアーモ・デッラ・クエルチャ(クエルチェグロッサ、1400c‐シエナ、1467)の「聖母子と聖ヴィットーレと聖オッタヴィアーノ」
初期ルネサンスにシエナで活動した画家で、有名な彫刻家のヤコポ・デッラ・クエルチャの弟です。師匠はドメニコ・ディ・バルトロだったと考えられています。師匠の革新性が全く認められず、旧来の国際ゴシック様式シエナ派の典型的な画風でした。その保守的な画風はシエナ市民の好みに合わせたものと思われ、ルネサンスの新しい動きとは無縁の存在だった。


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プリアーモ・デッラ・クエルチャの「聖母子と聖ヴィットーレと聖オッタヴィアーノ」


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プリアーモ・デッラ・クエルチャの「シエナの聖ベルナルディーノ」


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ピエル・フランチェスコ・フィオレンティーノ(フィレンツェ、1444‐1494以降没)の「ピエタのキリスト」
(つづく)

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Porta all'Arcoを潜って城壁外に出ました。


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城壁外の道を下ります。


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下った先の下に教会が見えます。


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入り口前に柱廊があるのが特徴です。


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この地に異教の寺院があり(建設時期不明は不明のようです)、6世紀頃にキリスト教の教会に変更されました。その初期キリスト教会が前身です。


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11世紀末、最初の建物を取り壊し、その基盤の上に構築され12世紀初めに完成した建物が現在の教会の姿です。


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1120年、教皇カッリスト2世によって奉献されました。


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ロッジアは16世紀に追加されたもので、創建時にはありませんでした。


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鐘楼は、17世紀に一部改修されたものの、その大部分は12世紀の創建時のものです。


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ポータル柱頭の装飾(16世紀)


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こちらの柱頭は創建時の12世紀のもの。私の見た目では、どちらも同じに見えました。


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ポータル上ルネッタの「聖アレッサンドロ像」(13世紀)


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単廊式、ロマネスク様式の内部です。


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左側壁


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右側壁


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天井


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主祭壇


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12世紀のトスカーナの逸名画家による「彩色磔刑像」


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非常に素朴な感じがする教会です。


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コジモ・ダッディの「2聖女」(16世紀)


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「聖アッティーニア」


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「聖グレチニアーナ」


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14世紀のトスカーナの逸名画家による「聖母子」


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「聖アレッサンドロ」


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誰のステンドガラスでしょうか?


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静謐な宗教空間を味わうことが出来ました。


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祭壇前から見た出入口方向


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外に出ました。


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ロッジアだけが16世紀のもので、その他は殆ど創建時のものです。それが良かったと思いました。


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この街に来れば、この教会を外すことが出来ません。


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(おわり)


先ごろ行われたジョヴァンニ・デッラ・ロッビアの彩釉テラコッタの修復作業で話題となっている、ヴォルテッラのサンタントニオ祈祷所を取り上げます。
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Via Gramsciです。もう夕暮れです。


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9月20日広場です。


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広場に面して建っているのがサンタントニオ祈祷所です。夕方の教会が開いている時間帯でしたが、残念ながら閉まってました。翌朝に期待しましょう。


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翌朝です。通りの先、写真左手に鐘楼が写ってますが、祈祷所の鐘楼です。


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良かった! 開いていました!


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11世紀と12世紀のヴォルテッラの文書に、この祈祷所の存在が記されてます。当時はこれよりも小さなタベルナコロだったとの説があります。
1450年、Viennes病院の修道士によって再建され、1470年に奉献が行われました。この二代目の建物が現在の姿になってます。


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小さいながらも幾つかの芸術作品があることで知られてます。


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拝観しました。


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単廊式のシンプルな構造の内部です。


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最近塗り直された壁ですが、再建以来、フレスコ画が描かれたことがないと言われてます。


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左右の側壁に祭壇画が掲げられてます。


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ドゥオーモの聖職者がこの祈祷所の聖職者を兼務しています。


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祭壇にある彩釉テラコッタが有名です。


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ジョヴァンニ・デッラ・ロッビアの「聖母被昇天と洗礼者聖ジョヴァンニ(ヨハネ)と聖トッマーゾと聖セバスティアーノ」(1520)
近頃行われた修復作業中にジョヴァンニの真作が確定しました。従来は、デッラ・ロッビア工房作とされていました。


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時代が異なる二人の画家によって描かれた「受胎告知」です。


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古い方の作品は「大天使ガブリエルと天使たち」の方で、その約80年後に「受胎告知を受ける聖母」が描かれ、一枚の作品に組み込まれました。古い方の作品は元々「受胎告知」で、その聖母部分が何らかの理由で傷みが激しくなり、聖母の所を新しく描かれたものに差し替えたとされてます。
コジモ・ダッディの「受胎告知する大天使」(1599)
ジュゼッペ・アッリーギ(1642‐1706)の「受胎告知される聖母」(17世紀末)


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貴重な作品です。


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プリアーモ・デッラ・クエルチェの「聖アントニオ・アバーテと聖人たち」(1442)


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バルダッサッレ・フランチェスキーニの「聖母被昇天」(1631)


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コジモ・ダッディの「キリストとヴェローニカ」(17世紀初頭)


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18世紀前半のギリシャ出身の逸名画家による「ロザリオの聖母と聖ドメニコ」


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詳細不明


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美術ファンにはお勧めの祈祷所です。


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ヴォルテッラ最大の見どころのエトルスク博物館の途中にあるので、博物館に行くついでに立ち寄るのも良いでしょう。


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(おわり)

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ヴォルテッラのサン・リーノ通りです。


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通りの名称の由来となったサン・リーノ教会です。


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教会を越えるとサン・フランチェスコ門が見えます。


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門の手前、通りの右側にサン・フランチェスコ広場があります。


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広場の上に建つのがサン・フランチェスコ教会です。


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教会の隣は併設の修道院です。


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13世紀、トスカーナの有力貴族だったグイディ伯爵家が建設費用を負担してフランチェスコ修道会のために建てたゴシック様式の教会です。


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美術作品が多く、見どころがあります。


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ファサード・ルネッタ上の「聖母子の浮彫」


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ファサードの丸窓


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何世紀にもわたって修復が行われ、創建時の姿から大きな変化を遂げて、ゴシック様式の面影があまり認められません。現在の姿は18世紀の修復後のものです。


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翼廊がない単廊式の内部です。


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左右の側壁に礼拝堂が設けられてます。


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木組みの天井


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主祭壇


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フェリーチェ・パルマによって1588年に作られた主祭壇は、ヤコポ・グイディ司教の墓にもなってます。


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主祭壇の「聖母子」(詳細不明)


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後陣左の礼拝堂


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後陣右の礼拝堂


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説教台下の彫刻
では、教会内の祭壇画やフレスコ画を見てみましょう。


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ヴィンチェンツォ・メウッチの「聖母子と聖人たち」(1750)


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「嘆きのテラコッタ」(17世紀)


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誰の肖像画でしょうか?


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ナルディーニの「天上の聖母と聖人たち」(1585)


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詳細不明


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トスカーナの逸名画家による「ピエタ」(19世紀)


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アレッサンドロ・グラルディーニの「フランチェスコ会修道士の托鉢」


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逆光で写真の写りが悪いですが、1315年に建てられたCappella della Croce di Giornoです。


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礼拝堂の祭壇を飾るのはヴィンチェンツォ・タマーニの「磔刑」です。


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この礼拝堂のフレスコ画が有名です。


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フィレンツェのサンタ・クローチェ教会にある、アーニョロ・ガッディのフレスコ画から強い影響を受けて制作されたそうです。


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制作した画家は、チェンニ・ディ・フランチェスコとヤコポ・ダ・フィレンツェの2人でした。


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フレスコ画のテーマは、「聖十字架の物語」と「ヤコポ・ダ・ヴァラッツェの『黄金伝説』」です。


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コジモ・ダッディの「磔刑」(1602)は別の礼拝堂にあります。


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その天井の装飾


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ジョヴァンニ・バルドゥッチの「ご誕生」(16世紀)


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詳細不明の紋章です。
ところで、この教会に過って素晴らしい祭壇画2点がありました。


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ルーカ・シニョレッリの「割礼」(1491)
ロンドンのナショナル・ギャラリーにあります。


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ロッソ・フィオレンティーノの「十字架降下」(1521)
こちらはヴォルテッラの市立美術館にあります。


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主祭壇前から見た出入口方向です。


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外に出ました。


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非常に良かった、満足しました。


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次は修道院です。


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残念! 修道院の扉が施錠されていて入ることが出来ませんでした。


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ついでにサン・フランチェスコ門の見学です。


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微かに残っているフレスコ画


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城壁外から見たサン・フランチェスコ門です。


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(おわり)

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マッテオッティ通りに先に塔が見ますが、塔の横に教会があります。


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Casa Torri Toscanoの斜め前に教会があります。


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教会の存在が初めて記されたのは、987年のことでした。


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現在の姿は、12世紀後半に創建され、13世紀に完成したロマネスク様式の二代目となる建物です。


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ファサードは1285年に完成しました。


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ファサードのポータル上ルネッタの聖母子像は、複製です。(幼きキリストの頭上にハトが止まってます) 14世紀に制作された本物は司教区美術館にあります。


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古寺の雰囲気の外観と違って、新しく見える内部です。
それもその筈で、1826年から1827年に行われた修復工事の際、ロマネスク様式から新古典様式に変更されました。その際、落剝が著しいフレスコ画は塗り潰されてしまいました。


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左右に稍奥行きがある礼拝堂があります。単廊式、ラテン十字形の内部です。


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美術的にはそれなりに見どころがあります。


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改修前の祭壇を飾っていたジョヴァンニ・デッラ・ロッビアの「聖母子」の彩釉テラコッタは聖具室に置かれているので、普段は見ることが出来ません。


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主祭壇


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カルロ・マラッタ(カメラーノ、1625‐ローマ、1713)の「贖いの聖母」


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カルロ・マラッタの「聖家族と聖ジョヴァンニーノ」


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ニッコロ・チルチニャーニ通称ポマランチオ(ポマランチオ、1530‐1597)の「守護天使」


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ジュゼッペ・ゾッキの「聖ジュゼッペの功徳」


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何処かで見たような・・・・


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マアマアの作品があるので楽しめます。


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全般的に新しいのは仕方ないと思います。


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この教会は飾っていた古くて貴重な作品はその維持管理が難しいとの理由で、Museo Civicoに移されました。


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聖ルチア像


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薄暗くて良く見えませんでした。


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もう夕暮れです。


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(おわり)

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