イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ: スポレート

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ヴァラディエールの祭壇です。聖堂内に同名の祭壇が幾つもあります。


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アントニオ・コンチョ―リの「聖アンドレア・アヴェッリーノの死」(1792)


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ヴァラディエールの祭壇です。


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ジョヴァンニ・アルベルティの「ご訪問」(1597c)


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クーポラ


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これもヴァラディエールの祭壇です。


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ピエトロ・ラブルッツィの「スポレートのベアート・グレゴリオの顕現する天使」(1792)


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アルベルト・ソティーオの「彩色磔刑像」(1187)
リッピ、ピントゥリッキオのフレスコ画と並んで必見の作品です。


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詳細不明


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詳細不明


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サンティッシマ・イコーネ礼拝堂です。


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じっくり見たかった礼拝堂ですが、施錠されており、金網の間から写真を撮るのが精一杯でした。


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フェデリーコ・バルバロッサ所縁の17世紀に作られた礼拝堂です。


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1542年から1554年に作られたレリクィエ礼拝堂です。


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フランチェスコ・ナルディーニの「ご誕生」


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フランチェスコ・ナルディーニの「父なる神」と「受胎告知」


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天井画もフランチェスコ・ナルディーニの作品です。


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レリクィエ礼拝堂にある祭壇画の詳細が分かりません。


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ジョヴァンニ・アンドレア・ディ・セル・モスカートの彫刻


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ジョヴァンニ・アンドレア・ディ・セル・モスカートの彫刻


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ジョヴァンニ・アンドレア・ディ・セル・モスカートの彫刻


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ヴァラディエールの祭壇?


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詳細不明


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この祭壇画がお気に入りです。


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残念ながら詳細が分かりません。


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音楽礼拝堂です。


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聖職者席に描かれた聖人がこの礼拝堂の見どころです。


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この礼拝堂で時々小コンサートが行われるようです。


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派手な装飾が施されている天井です。


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この部分のフレスコ画は少し古そうに見えます。


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ヴァラディエールの祭壇です。


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ピエトロ・ラブルッツィの「大天使ミケーレ」


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「パドヴァの聖アントニオ」(1232)


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ヴァラディエールの祭壇です。


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アントニオ・カヴァッルッチ・ダ・セルモネータの「聖母の寺院への出現」(1790c)


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ヴァラディエールの祭壇です。(1792)


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ガエターノ・ガンドルフィまたは18世紀末のローマ派画家の「聖母子と聖アンドレアと聖フランチェスコとパドヴァの聖アントニオ」


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最後に右翼廊にあるフィリッポ・リッピの墓を見ました。
中央礼拝堂後陣の「聖母の生涯」のフレスコ画制作の途中の1469年10月9日、スポレートで没したフィリッポ・リッピは大聖堂に葬られました。


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アーニョロ・ポリツィア—ノ(モンテプルチャーノ、1454‐フィレンツェ、1494)によって制作されたリッピの墓です。


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外に出ました。


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あと何回ここに来ることが出来るだろう。


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(おわり)

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スポレート大聖堂、Cattedrale di Santa Maria Assunta です。
スポレートは単独の司教区でしたが、1821年、ノルチャ司教区と一緒になって、スポレート・ノルチャ大司教区となり、以来、大司教座が置かれる大司教座教会となってます。


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この地に建てられた初期キリスト教会が前身ですが、その建設時期などの詳細は明確になってません。僅かに9世紀に再建された記録が残されているだけですが、現在の建物が建設されるまでの間に幾度となく再建されたと推定されてます。


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1067年創建、1207年にファサードの完成を以て一応の建設が完了したロマネスク様式の建物が現在の姿の原型とされてます。奉献式は1198年の執り行われました。


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ロマネスク様式の鐘楼は創建時のものです。


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ロマネスク様式のファサードの大部分は創建時のものです。


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ファサード下部のルネサンス様式の柱廊は、後で追加されました。


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バラ窓が8つあります。


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ファサードのビザンチン様式のモザイクはソルテルノによって1207年に制作されました。


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キリストと聖母と福音書記者聖ジョヴァンニ


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現存するモザイクの左右にもモザイクがあったとされてます。


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1491年から1504年にかけて、アントニオ・バロッキの設計と工事監督によって追加された柱廊です。


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柱廊の内部


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聖堂内への出入り口横の柱


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扉上の彫刻


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三廊式、ラテン十字形の内部です。構造上はロマネスク様式ですが、17世紀にバロック様式に改装されたので、ややチグハグ感が否めません。


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床の装飾


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装飾が控えめな天井です。


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左側廊


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右側廊


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中央礼拝堂


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中央礼拝堂後陣のフレスコ画が有名です。


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1467年から1469年に制作されたフレスコ画はフィリッポ・リッピの遺作となりました。フィリッポの死後、弟子のフラ・ディアマンテや息子のフィリッピーノ・リッピが完成させました。
「聖母の死」


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「受胎告知」


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「ご誕生」


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「聖母戴冠」


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右側廊最初にあるコスタンティーノ・エローリ礼拝堂です。


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ピントゥリッキオによって1497年に制作されたフレスコ画です。


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聖母子と洗礼者聖ジョヴァンニと聖ロレンツォ


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天井のフレスコ画はかなり剥離しています。


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次はアッスンタ礼拝堂です。


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「聖母の昇天」


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16世紀に作られた礼拝堂です。


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ジャコモ・サントロ、彼はヤコポ・シクーロとしての方が有名ですが、1524年頃にこの礼拝堂のフレスコ画を制作しました。


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ヤコポ・シクーロ(ジュリアーナ、1490‐リエーティ、1544)はシチリア出身でしたが、ノルチャからスポレートにかけて活動しました。


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(つづく)

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古代ローマ時代、交易の中心地だったPiazza del Mercato です。


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メルカート広場からローマ劇場方面に行くことが出来るVia Arco di Druso です。


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Arco di Druso e Germanico です。


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Arco の左先が教会です。


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Arco を潜れば、写真右が教会です。


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Arco と教会の間の下方にローマ時代の遺跡が見えます。


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教会はローマ時代の遺跡、ローマ神殿の上に建てられてます。


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サンタンサーノ教会は傾斜地に建ってます。


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1900年から1902年に行われた教会付近の発掘調査によって、教会はローマ時代の遺跡の上に建てられたことが分かりましたが、資金不足によって発掘作業が中止になったので、それ以上の詳しいことが分かりませんでした。


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それから50年以上経った1955年に発掘作業が再開され、1957年までの調査によって、紀元1世紀に建てられたローマ寺院を利用して、6世紀前半に建てられた初期キリスト教会Chiesa di Sant'Isacco e Marziale がこの教会の前身であることが分かりました。


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また、現在のクリプタは、初期キリスト教会を取り壊して、同じ場所に11世紀から12世紀に建てられたChiesa di Sant'Isacco であることが分かりました。
16世紀に、古い建物をクリプタにして、その上に新築されたのが、Chiesa dei Santissima Ansano e Isacco でした。教会の奉献する聖人に聖アントニオが加わり、教会は聖アンサーノと聖アントニオに、クリプタが聖イサクに変更されました。
現在の建物は、18世紀の終わりにアントニオ・ドッティの設計によって新古典様式で再建されたものです。それと共に奉献する聖人から聖アントニオが外されました。


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旧修道院の建物は住宅となってます。


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アントニオ・チムベッリの「聖母子と聖イサクと聖アンサーノ」のファサード彫刻


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単廊式、新古典様式の内部です。


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左側壁


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右側壁


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天井


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主祭壇


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後陣の装飾


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主祭壇画はアルキータ・リッチ・ダ・ウルビーノの「聖アンサーノの殉教」(17世紀)


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ピエタ礼拝堂


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アルカンジェロ・アクィリーニの「ピエタ」


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17世紀のローカル無名画家の「聖ロレンツォの殉教」


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ロンバルディ礼拝堂


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ジョヴァンニ・ディ・ピエトロ通称ロ・スパーニャの「聖母子」のフレスコ画


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再建前の建物にあったフレスコ画です。


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ピエトロ・ガリバルディの「無原罪の聖母」(1875)


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クリプタが開いていました。


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三廊式です。


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クリプタのフレスコ画は、ローマ派の影響を受けたスポレートの無名画家(恐らく複数人)によって11-12世紀に制作されました。


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聖イサクの石棺


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しかし、ここにあるのは複製品です。


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本物は国立スポレート公国博物館・アルボルノツィア城塞にあります。


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内陣に戻ります。


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出入り口


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もう一度祭壇を見てから外に出ました。


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(おわり)


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スポレートのリベルタ広場です。


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広場の西の一角に、1世紀に建てられたローマ劇場があります。


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ローマ劇場を見下ろすように建っているのがサンタガタ教会修道院です。


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旧修道院だった建物に国立考古学博物館があります。


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旧サンタガタ修道院だった建物です。


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旧サンタガタ教会だった建物です。


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私が好きなルーカ・シニョレッリが1485年、サンタガタ教会のために祭壇画を制作した記録が残されてますが、現在、その作品は行方不明となっているようです。


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博物館の入り口です。


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入館しました。


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夏の間、古代ローマ劇場は現役のコンサート会場になります。


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古代ローマ劇場は1世紀に建設されたそうです。


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博物館の展示室が並んでます。
なお、サンタガタ修道院だった建物は女子刑務所として使用されていました。


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スポレート及びその近郊にあるエトルリア時代、古代ローマ時代の遺跡からの発掘物が展示の中心です。


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ワインなどを入れた壺


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碑文の説明板


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説明板にMuseo Civicoと記されてます。
この博物館の名称はMuseo Archeologico Nazionale di Spoleto です。国立博物館ですが、以前は市立博物館でした。


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市立から国立になった例は幾つかあります。例えば、ピサの国立サン・マッテオ美術館は、以前、市立サン・マッテオ美術館でした。


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壁に描かれたフレスコ画に見入ってしまいました。


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スポレートの無名画家の「最後の晩餐」(1558)
この部屋は修道院の食堂でした。


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膨大な数の展示物がある部屋


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一旦、回廊に出ました。


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サクランボが実ってました。


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甘くて美味しかった!


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別ウイングの展示室です。


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博物館を代表する作品です。


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修道院は遺跡の上に建てられてます。


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下の遺跡が見ることが出来ます。


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もう一度見てから外に出ました。


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(おわり)

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写真右は教会です。


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11世紀に建設されたサンタガタ教会です。


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宗教活動を停止した旧教会ですが、時々催事場として使用されてます。


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古いフレスコ画が一部残されているので、中に入りたいと思ってますが実現したことがありません。


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坂が多いので、水はけが非常に良い街です。


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日差しが出てきました。


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次はドゥオーモです。


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お気の毒に、先ほどの豪雨で商品がずぶ濡れになってしまったようです。


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雨除けに使用したビニールシートを後片付けする人たちを見かけました。


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サン・アンサーノ教会を通り過ぎました。


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芸がありませんが、来た時と同じ道を通ってドゥオーモに向かいました。


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水たまりが残っているので、車がくるとヒヤヒヤしながら通り過ぎるのを待ちます。何処の国にも妙な人がいるもので、水溜まりにわざわざ車輪を突っ込ませるような走り方をする車を見かけました。


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強い雨が降ってきたので、この店で暫し雨宿りをしました。


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5分ほどで雨が止んだので、街歩きを再開しました。


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未だ雷が鳴っていたので油断できません。


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この日の天気予報は午後から雷雨だったので、予報が見事に当たったというわけです。


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イタリア語の天気予報なので良く分かりませんが、TV画面だけを見て、アルプスから寒気が下りているので、晴れると直ぐに雷雨になり易いと勝手に解釈しました。


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ここも通り過ぎました。


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昼食を食べたオステリアです。


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夕方ですが観光客がいました。


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サンテウフェーミア聖堂の後陣を目にしながら階段を降りました。


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ドゥオーモに付いては、別に詳しく取り上げる予定です。


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見どころが沢山あります。


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有名なフレスコ画


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フィリッポ・リッピの墓


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外に出たら雨が止んでいました。


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これで観たい所は大体見たようです。


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青空が出て来たので一安心です。


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今度は徒歩でガリバルディ広場に戻ることにしました。


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6月なので、未だ明るいですが午後7時近くになってました。


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腰を下ろしたのは殆ど昼食の時だけだったので、流石に疲れました。


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あそこを見ている人は珍しい。


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この建物を見ていたのです。


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この付近は、ローマ時代のフォロがあった所で、この建物の下に初期キリスト教会があります。この時間は開いてませんが、公開されてます。


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道を下りました。


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振り返ったところ


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降りてきた階段


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サン・ニコロ教会


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この時間は閉まっています。


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スポレートでは比較的新しい教会です。


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メンターナ広場


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広場に面して別の教会が建ってますが、名前が分かりません。


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ここに来たら有名なフレスコ画を見ないのでは帰れません。


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あの建物にあります。


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スピネッロ・アレティーノに帰属する「聖母子と二聖人」(1376)


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維持保存が懸念されます。


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更に道を下ります。


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水捌けが良いので、道がもう乾きました。


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教会があります。


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写真右が教会です。


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ガリバルディ通りはもう直ぐです。


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時間があれば、もっと見たい所です。


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ガリバルディ通りに戻りました。


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また雨が降ってきました。


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広場に戻りました。


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広場の噴水


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ホテルの部屋のベランダからの眺め


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午前中に利用したエスカレーターが見えました。


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夜が更けてきました。


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翌朝です。


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(おわり)

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バルトロメオ・ダ・ミランダに帰属する「サンテウフェーミアのトリッティコ」(15世紀中頃)


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ヴェネツィアのマルコ・コンドゥルメルが1450年に注文した記録が残されてます。


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「昇天した聖母」


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「大司教聖ジョヴァンニ」


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「聖ルチア」


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裾絵


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テーマは「聖ルチアの生涯」


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制作者不詳の「聖母子」
トレヴィのサント・ステファノ・イン・ピッチーケ教会にありました。
トリッティコの中央パネルと考えられてます。残りの左右のパネルは行方不明です。


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Maestro di Cesi 派画家に帰属する「サンタ・マリア・ディ・ポンテの祭壇画」(14世紀初め)
チェッレート・ディ・スポレートのサンタ・マリア・ディ・ポンテ教会にありました。


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ドイツの工房の「磔刑」(15世紀末)


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Maestro della Madonna Strauss の「聖母子」(14世紀末‐15世紀初め)


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プレーチのサン・マルティーノ・イン・アベート教会にありました。


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次の部屋です。


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天井に描かれたフレスコ画


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ドメニコ・ベッカフーミの「幼きキリストへの崇拝」
セッラーノのサンタ・マリア・モンテサント教会にありました。


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ジョヴァンニ・アンドレア・デ・マジストリスの「受胎告知と聖会話」(1543)
セッラーノのサンタ・マリア・イン・モンテサント教会にありました。


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「聖家族と聖アンナと聖ジョヴァンニーノ」


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「受胎告知」


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フィリピーノ・リッピの「聖母子と聖人たち」(1485c)
プレーチのサン・モンターノ教会にありました。


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「玉座の聖母子と聖モンターノと聖バルトロメオ(右)」


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裾絵


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ネーリ・ディ・ビッチの「雪の聖母と聖セバスティアーノとバーリの聖二コラ」(1464c)
アベートのサン・マルティーノ教会にありました。


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次の部屋です。


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天井のフレスコ画


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制作者不詳の「彩色磔刑像」(15世紀)
フェレンティッロのサンタ・マリア教会にありました。


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14世紀前半のウンブリアの芸術家の「磔刑像」
ロッケッタ・イン・チェッレート・ディ・スポレートのサン・ジャコモ教会にありました。


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制作者不詳の「磔刑」(14世紀前半)
カンピ・ディ・ノルチャのサン・サルヴァトーレ教会にありました。


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これは少し複雑な作品です。磔刑像とそれを蓋にする構造になっている絵画の制作者が異なります。また、聖人ですが、表と裏の両面に描かれてます。


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ジョヴァンニ・ジャコモ・トビオーロ・ダ・ウルビーノの「磔刑」(1663)


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無名画家の「洗礼者聖ジョヴァンニ」


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裏面の聖ピエトロ


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聖エミリアーノ


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裏面の聖パオロ


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次の部屋です。


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天井


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フランチェスコ・トレヴィサーニの「悔悛のマグダラのマリア」(18世紀初め)


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ジョヴァンニ・カテーナの「天使」(19世紀後半)


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フランチェスコ・ラグーザの「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」(1618)
スポレートのサンタ・カテリーナ教会にありました。


P1680891


P1680890
16世紀の無名画家の「サンタンドレア・イン・カンピのポリッティコ」
ノルチャのサンタンドレア・イン・カンピ教会にありました。


P1680894
中央の聖母子


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アレッサンドリアの聖カテリーナ、洗礼者聖ジョヴァンニ


P1680898
聖アンドレア、マグダラのマリア


P1680899
頭頂部の父なる神


P1680901


P1680900


P1680906
セバスティアーノ・コンカの「聖母の誕生」(1735c)


P1680912
16世紀の無名画家の「受胎告知」
ノルチャのサンタンナ教会にありました。


P1680920
アレッサンドロ・アルガルディの「聖フィリッポ・ネリ」(1650c)
スポレートのフィリッポ・ネリ教会にありました。


P1680922
ジャンロレンツォ・ベルニーニの「教皇ウルバーノ8世像」(1640‐44)
スポレートのドゥオーモにありました。


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スポレートの工房作のタベルナコロ(1625)


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P1680930


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P1680934


P1680938
次の部屋です。


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16世紀の無名画家の「マギの礼拝」


P1680943
詳細不明


P1680945
詳細不明


P1680946
14世紀に制作された十字架


P1680950
14世紀のもの


P1680953
15世紀のもの


P1680955
17世紀制作


P1680957
17世紀のもの


P1680959
16世紀末‐17世紀初頭に制作されたモノ


P1680961
15世紀の制作


P1680963
15世紀の制作


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十字架降下
サンテウフェーミア聖堂に入りました。


214
美術館の方から入ります。


215
三廊式、ロマネスク様式の内部です。


216
修復のため新しく見えます。


218
主祭壇


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サンテウフェーミア聖堂は修復され過ぎのように思いました。


P1680978


P1680980
外に出ました。
(おわり)

P1690573
スポレート名物の有名な芸術作品です。私にはグロテスクなファッツ像、Fatsにしか見えません。英語でfatと言う単語がありますが、これにsを付けて複数形にすると fats、物凄く太った人になります。


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写真右の建物が大司教館です。


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大司教館の建物内にMuseo Diocesano 、教区美術館があります。


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大司教館の出入り口です。


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大司教館の出入り口上の壁に描かれたフレスコ画


211
ここから中に入りますが、その天井にもフレスコ画があります。


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これです。


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中に入ると大司教館の中庭に出ます。


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中庭に面して建っているのが、サンテウフェーミア教会です。この時、修復工事が行われていました。


221
以前に撮ったファサードの写真です。
12世紀に建設されたロマネスク様式の教会ですが、現在は教区教会の一部に組み入れられ、宗教活動は停止中です。


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ついでに教会の後陣の写真を載せておきましょう。


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後陣はドゥオーモ広場からよく見ることが出来ます。


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この突き当りが美術館の入り口です。


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入館しました。


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部屋の天井のフレスコ画


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無名画家の「彩色磔刑像」(12世紀末‐13世紀初め)
ヴァッロ・ディ・ネ—ラのサンタ・マリア教会にありました。


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Primo Maestro di Santa Chiara da Montefalco の「聖母子」(1315)
ヴァッロ・ディ・ネ—ラのサンタ・マリア教会にありました。


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14世紀のウンブリアの無名彫刻家の「聖クリスティーナ」
ガーゾのサンタ・クリスティーナ教会にありました。


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無名画家の「彩色磔刑像」(13世紀初頭)
ロッカタンブーロのサン・サルヴァトーレ教会にありました。


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15世紀のウンブリアの無名彫刻家の「聖アンドレア」
ノルチャのサンタンドレア・イン・カンピ教会にありました。


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この作品は展示されていませんでした。


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13世紀後半のウンブリア、恐らくスポレート出身の無名画家の「聖母子とキリストと聖マルティーノの生涯」


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13世紀のウンブリアの無名画家の「彩色磔刑像」(1241)
カンピ・ディ・ノルチャのサン・ビアージョ教会にありました。


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会議室でしょうか?


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P1680698
アゴスティーノ・マルティ(1520‐1526記録)の「聖会話」(16世紀後半)
セッラーノのサンタ・マリア・イン・モンテサント教会にありました。


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ベルナルディーノ・ガリアルディの「割礼」(17世紀中頃)
トレヴィのマドンナ・デッレ・ラークリメ教会にありました。


P1680707
ヴィンチェンツォ・マネンティ(オルヴィ―ニオ、1600‐1674)の「ロザリオの聖母と聖ドメニコとシエナの聖カテリーナと教皇聖ピオ5世」(17世紀中頃)
ノルチャのサン・ベネデット教会にありました。


P1680713
カヴァリエ―ル・ダルピーノ(1568‐1640)の「キリストと洗礼者聖ジョヴァンニと聖ジュゼッペと大天使ミケーレ」
ノルチャのサン・二コラ教会にありました。


P1680719
17世紀後半の無名画家の「マギの礼拝」
スポレートのサン・フィリッポ・ネリ教会にありました。


P1680726
シモーネ・デ・マジストリス・ダ・カルダローラに帰属する「十字架降下」(16世紀末)
セッラーノのサンタ・マリア・イン・モンテサント教会にありました。


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次の部屋です。


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天井のフレスコ装飾


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ジョヴァンニ・スパラパーネとバルトロメオ・ディ・トッマーゾの「サンタンドレア・イン・カンピの多翼祭壇画」(15世紀後半)


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バルトロメオ・トッマーゾの「聖母子」
この多翼祭壇画はジョヴァンニ・スパラパーネが全てのパネルを描いたと考えられてます。後に、ジョヴァンニの描いた中央パネルの「聖母子」が取り外され、バルトロメオの彫刻に置き換えられたそうです。


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洗礼者聖ジョヴァンニ、聖ピエトロ


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聖アンドレア、聖ベネデット


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父なる神


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4福音書記者


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Maestro di Gaglianvecchio に帰属する「モンテサントのサンタ・マリアのトリッティコ」(15世紀中頃)


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中央の「磔刑」


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洗礼者聖ジョヴァンニ


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聖ルチア


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P1680766
バルトロメオ・ダ・ミランダに帰属する「サンタ・マリア・イン・ルビーノのトリッティコ」(15世紀中頃)
アクアスパルタのサンタ・マリア・イン・ルビーノ教会にありました。


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聖母子


P1680770
聖セバスティアーノ


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アレッサンドリアの聖カテリーナ
(つづく)

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市庁舎


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P1690043
雷鳴が近くなってきました。


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雲行きが怪しい。


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とうとう雨が降ってきました。


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次はメルカート広場です。広場は直ぐ近くにあります。


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メルカート広場です。


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教会のようなファサードの建物です。


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Fontana di Piazza del Mercato


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フォンターナのフレスコ画


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13世紀の記録に、この地にフォンターナがあったことが記されています。現在のものは、1433年に再建された二代目です。


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この広場はローマ時代の交易の中心地でした。


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広場に面して建つ建物の壁に描かれたフレスコ画です。


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雨が小降りになりました。
実は、この後、雨が止み、日が差して来たのですが、更に30分経つと大雷雨になったのです。


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雷雲が来て、10分ほど経つと雷雲が去り、晴れてくる、それを3回繰り返して、その後に来た雷雨は本当に凄いものでした。


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日が差してきました。


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急に強い雨が降ったので、テントの中の商品が濡れていました。


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次はモンテローネ門です。


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これはモンテローネ門ではありません。


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23年に建設されたArco di Druso e Germanico です。


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以前、偶然見かけたブログで、これをモンテローネ門と間違えていました。


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この出店のテントは、3回目までの雷雨では大丈夫でしたが、最後の大雷雨の風雨で吹き飛ばされてしまったのです。


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モンテローネ門はこちらです。


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紀元前241年に建てられた、古代スポレートの城壁の門です。


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Arco di Druso e Germanico の方が見場が良いので、間違えるのも無理からぬものがあります。


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次はサンタンサーノ教会です。


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教会は観光客に人気でした。


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この教会については、別に詳しく触れることにします。


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外に出ました。


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次はリベルタ広場です。


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このアーチを潜れば広場に出ます。


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リベルタ広場です。


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市庁舎からリベルタ広場、ローマ劇場までの一帯がスポレートで最も古いと言われてます。


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Palazzo Ancajani


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この銘板ではPalazzo Ancaiani と記されてます。どちらも正しい。


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時計がある建物はPalazetto Ancajani


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次は考古学博物館です。


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博物館はローマ劇場のところにあります。


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考古学博物館の入り口は裏通りの広場前にあります。


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青い旗のある所が博物館の入り口です。


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ここです。


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博物館の前にある広場です。


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入館しました。


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博物館に付いては、後で詳しく触れることにします。


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外に出ようとしたら、大雷雨。30分ほど雨宿りを余儀なくされました。


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(つづく)










P1680472
城塞は毎日公開されてますが、博物館の方は毎週月曜日が休館となってます。月曜日に来たことがありませんが、城塞部分と博物館の区分が良く分かりません。何せ一体化していますので。


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天井の紋章


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Maestro di San Alo の「彩色磔刑像」
この親方に付いて、全くの不知です。


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Maestro di San Alo の「キリストと聖人たち」


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P1680486
詳細不明


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Maestro di San Alo の「磔刑」
裏面にも描かれています。


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裏面も「磔刑」です。


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壁一面にフレスコ画が描かれていたようです。


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P1680494
ウンブリアの無名彫刻家の「聖母子(14世紀初め)


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スポレートの無名画家の「祭壇前飾り」(14世紀前半)


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ウンブリアの無名彫刻家の「聖母」(14世紀中頃)


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次の部屋です。


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ウンブリアの無名画家の「聖母子」(14世紀前半)


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ウンブリアの無名彫刻家の「馬上の騎士」(13世紀末‐14世紀初め)


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ウンブリアの無名彫刻家の「馬上の騎士」(13世紀末‐14世紀初め)


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ウンブリアの無名彫刻家の「聖ポンツィアーノ」(14世紀前半)


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次の部屋です。


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P1680519
無名彫刻家の「アーキトレーブ」(1463)
スポレートのドゥオーモにありました。


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ウンブリアの無名彫刻家の「横臥している男の像」(15世紀前半)


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ニコロ・アルンノ(フォリーニョ、1454-1502)の「サンタ・マリア・デッレ・グラツィエのトリッティコ」(1475c)


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普通、聖母子は中央パネルになりますが、ここでは違います。


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ニコラ・ディ・ウリッセ・ダ・シエナに帰属する「サン・エウティツィオのポリッティコ」(1463-77)
残念ながら中央パネルが欠落しています。


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聖プラチード、聖スペース


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聖ベネデット、聖フィオレンツィオ


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4福音書記者


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次の部屋です。


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P1680552
アントネッロ・デ・サリバ(メッシーナ、1480‐1495記録)の「モンテサントの祭壇画」(1494)


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サリバはアントネッロ・ダ・メッシーナの甥でした。御覧のように腕前は普通でしたが、それでも食べるのに困らないような画家だったと思います。ところが、時々、叔父であるアントネッロ・ダ・メッシーナの名前を騙って作品を制作したのです。更に悪いことには、アントネッロ・ダ・メッシーナ作品の複製画を手掛けたので、作品帰属をめぐって混乱が生じてます。


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ヤコポ・ヴィンチオーリ(スポレート、1444‐1495記録)の作品(15世紀第4四半世紀)です。


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恐らく多翼祭壇画の一部と思われます。


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スポレートのサン・シモーネ教会にありました。


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洗礼者聖ジョヴァンニ、聖ピエトロ


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ヤコポ・ヴィンチオーリ?の「聖母子と聖人たち」(15世紀第4四半世紀)


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展示室からロッジャに出ました。


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すっかり良い天気になりました。


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2階ロッジャからの眺め


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1階に戻りました。


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博物館の外に出ました。


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(おわり)

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再び2階ロッジャのフレスコ画に戻ります。今度は先ほどと別翼のロッジャです。


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各紋章がどの家のものか分かりませんが、この城塞に関係した家の紋章です。


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ロッジャのフレスコ画は以上で終わりです。


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博物館の展示に戻ります。


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スポレートのサン・ニッコロ・デ・マッルッビア教会にあった碑文(1172)


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スポレートのバーリ橋にあった碑文(1155)
バーリ橋が何処にあるのか分かりません。


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紋章?


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上記フレスコ画の説明プレート


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「福音書記者聖ルーカのシンボル」(13世紀)
スポレートのドゥオーモにあった彫刻


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「ライオン像」(12世紀後半)
スポレートのサン・ニコロ教会にあった彫刻


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アレッツォの無名彫刻家の「スポレートのサン・ニコロ教会プルターレのルネッタ」(13世紀後半)


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Maestro delle Palazze の「キリストの嘲笑」(13世紀末)


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Maestro delle Palazze の「最後の晩餐」(13世紀末)


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13世紀末の無名彫刻家による「牡鹿に飛びかかるライオン」


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Maestro delle Palazze の「最後の審判」(13世紀末)


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Maestro delle Palazze の「磔刑」(13世紀末)


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Maestro delle Palazze の「聖母子と二聖人」(13世紀末)


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Maestro delle Palazze の「磔刑」(13世紀末)


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Maestro di Cesi (1308‐1315記録)の「彩色磔刑像」(14世紀第1四半世紀)


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ウンブリアの無名画家の「彩色磔刑像」(12世紀末)


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P1680461
無名彫刻家の「聖ビアージョの殉教」(12世紀末‐13世紀初め)


P1680465


P1680467
ウンブリアの無名画家の「彩色磔刑像」(13世紀第3四半世紀)
スポレートのステッラ修道院にありました。


P1680470
ウンブリアの無名彫刻家による「柱頭」(14世紀前半)
(つづく)

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博物館と城塞の続きです。


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色々なものが展示されてます。


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スポレートのサンタガタ修道院にあった柱頭(8世紀)


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スポレートのサンタガタ修道院にあった柱頭(8世紀)


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柱頭(8世紀末‐9世紀初め)


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部屋の壁に残されたフレスコ断片


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何が描かれていたのか判然としません。


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仮に塗り潰されても然したる影響がありません。


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聖人たちの彫刻(9世紀)
スポレートのサンティッシマ・アポストリ教会にありました。


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装飾がある仕切り(9世紀)


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装飾が施された石板(9世紀前半)


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「髭がある男の頭像」(9世紀)


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柱頭(9世紀)


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装飾が施された石板(9世紀)


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装飾が施された石板(9世紀)
スポレートのサンティッシマ・アポストリ教会にあったもの


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二階に向かいました。


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階段の踊り場にあるフレスコ


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2階のロッジャの壁に描かれたフレスコ画を見ました。


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これらの制作者が私には分かりません。


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私が「制作者不明」と書くときは、世間一般的に誰も分からない時を示してます。


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この博物館関係者は誰が描いたのか知っていて、私だけが知らない場合があります。


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ここに付いては、私だけが知らないと思います。


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ロッジャからの景色が素晴らしい!


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これで二階ロッジャの片方のフレスコ画の紹介を終わります。


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次はCamera Pintaです。


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この部屋のフレスコ画は特に有名です。


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この博物館・城塞の最大の見どころはCamera Pintaと言われてます。


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この部屋のフレスコ画の制作者が記されてます。


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これでCamera Pintaのフレスコ画の終わりです。


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(つづく)

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昼食時です。


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ドゥオーモを見下ろす、ここで食べることにしました。正午過ぎなので、まだ席が埋まっていませんが、大体満席になります。


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下を見下ろせば、このような光景です。この景色を見ながら食べることが出来ます。


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午後の予定を考えて、水代わりのビールだけにしました。酒類の味を評価できるという点では以前と全く同じですが、量を飲むという点ではもうダメになりました。数年前まで750mlのワイン1本を毎食楽しんだものですが、今では昼食か夕食に375ml瓶1本が適量となりました。


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昼食なので軽く食べました。


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シメのドルチェは殆ど食べたことがありません。
小さい頃、祖母から男の子は女子供が食べるような甘いお菓子を食べてはいけない、と教育されたので、それが何となく今でも引きずっているからです。
祖母の母は、藩主家に繋がる家老の娘でした。そのため、祖母は非常に気位が高く、車は馬車の代わりで、車を運転するのは馬丁の使用人の仕事で、使用人の仕事を奪うことになるので私には車の運転はしてはいけない、と言ってました。


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ここに来ると、何時も気になります。


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これです。(写真左端)
頭と足がない太った人間像です。現代彫刻の傑作?とされてます。←激しく不同意します。


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この時間は閉まっているドゥオーモの拝観を後回しにするのが自然です。


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次はMuseo Diocesanoです。


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写真左がMuseoです。


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ここです。


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入口扉上の壁に描かれたフレスコ


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213
旧サンテウフェーミア聖堂です。ここはMuseoの一部になっています。


212
入館しました。


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Museoについては、後ほど詳しく触れることにします。


215
旧聖堂の内部


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非常に見応えがあります。


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外に出ました。


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水飲み場で給水しました。


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遠雷が聞こえてきました。


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次はローマ時代の家です。


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遠来の音がしきりに聞こえていましたが、空の半分はまだ青空でした。ローマ時代の家は市庁舎の下にあります。


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カリグラ帝治世の1世紀ころに建設された家です。


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無料で公開されてます。


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入口


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中に入りました。


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15世紀、ブランカレオーニ家の邸宅(現市庁舎)を建てるときに、この家の存在は知られていたそうですが、発掘作業が行われないまま建設工事が行われ、途中邸宅の火災などもあって、ローマ時代の家の存在自体が忘れられてしまったそうです。


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床のモザイク


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1885年から1886年にかけて、考古学者がこの家を再発見しました。


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発掘作業がすぐに始められましたが、資金難のため作業は何度も中断され、1914年になって、ようやくその全貌が明らかにされました。


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土砂に埋もれていましたが、家は建設当時の姿を損ねることなく、ほぼ完全な姿を留めているそうです。


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この時代の住居は日本には全く残ってません。


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この時代、我々のご先祖様は縦穴式住居に住んでいました。何たる違いでしょう。


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発掘物


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このようなものを見るために私はイタリアに行くのです。


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市庁舎


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フレスコ装飾が壁に施されます。


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このモニュメントも苦手だなあ。


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(つづく)

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スポレートのサンテリオ丘に建つアルボルノツィア—ナ要塞です。


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教皇庁がアヴィニョンにあった頃の教皇インノチェンツォ4世(1282‐1362)が、当時教皇領の重要な拠点だったスポレートの防御を図ったことがこの城塞を築く切っ掛けとなりました。


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教皇はスペイン出身のエジーディオ・アルボルノツォ枢機卿にスポレート要塞の建築を命じました。その名に基づき、グッビオの建築家マッテオ・ガッタポーニの設計と工事監督により、1363年から1367年に建築されたのがアルボルノツィアーナ城塞です。


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高い城壁で囲まれた城塞には6本の防御塔があります。


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16世紀になると、城塞としての重要性が失われ、18世紀には公的な建築物となりました。
1812年から1982年まで、城塞は刑務所として使用されました。


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20世紀末に、建物は博物館として転用されることになり、国立スポレート公国博物館は2007年にオープンしたのです。


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スポレート周辺の遺跡からの発掘物、教会や修道院から運ばれた彫刻や祭壇画など864,190点の厖大な展示物が、総面積1,241平方メートルの展示室に展示されてます。
また、城塞内の部屋や回廊に施されたフレスコ画などの装飾が大きな見どころとなってます。


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博物館の入り口です。
尚、2015年の年間入館者は36,309人でした。


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切符を購入して中に入ると、この中庭Corte d'onore に出ます。


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中庭を囲む回廊の2階に描かれたフレスコ画が見どころですが、それを見るのは後回しにして1階部分を先に見ました。


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教皇グレゴリオ13世の紋章


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Corte d'onore を囲む回廊は、建築家ベルナルディーノ・ロッセッリーノ(セッティニャーノ、1409‐フィレンツェ、1464)の設計と工事監督によって15世紀中頃に建設されました。


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この向こうにも中庭にあるのですが、中庭と中庭を結ぶ通路の壁に描かれたフレスコ画が見どころです。


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壁一面にフレスコ画が描かれてます。


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中庭は2つあり、こちらの方は城塞に詰める兵士たちが利用しました。


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兵士たちの中庭は装飾などが全くない実用的なものでした。


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Corte d'onore に面した展示室に入りました。


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「石棺」(5世紀末‐6世紀初め)
スポレートのサンティッシマ・アポストり教会にありました。


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「ルーチェ・バエビーオ・サビーノの石棺」(4世紀末‐5世紀初め)


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「ブオン・パストーレの石棺」(4世紀後半)


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「テラコッタ製の棺」(6世紀)
スポレートのサン・ピエトロ教会にありました。


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「テラコッタ製棺」(6世紀)
スポレートのサン・ピエトロ教会にありました。


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「テラコッタ製棺」(6世紀)
スポレートのサン・ピエトロ教会にありました。


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遺跡からの発掘物


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石碑の数々


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「墓碑」(4世紀末‐5世紀初め)
スポレートのサンティッシマ・アポストリ教会にありました。


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「スペース司教の墓碑」(5世紀後半)
スポレートのサンティッシマ・アポストリ教会にありました。


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展示室のフレスコ画


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スポレートのサン・マルコ教会のモザイク(6世紀前半)


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スポレートのサン・マルコ教会のモザイク(6世紀前半)


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スポレートのサン・マルコ教会のモザイク(6世紀前半)


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監視員が厳しく仕事をしてました。


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13世紀の無名彫刻家の「聖イサクの石棺」
モンテルーコ・ディ・スポレートのサン・ジュリアーノ教会にありました。


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15世紀の無名彫刻家の「ベアート・グレゴリオの石棺」(15世紀第4四半世紀)


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スポレートのドゥオーモにありました。


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次の部屋


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フラミニア街道の敷石


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遺跡からの発掘物


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(つづく)

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エスカレーターに乗りました。


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次のエスカレーターまで、このような通路が設けられてます。


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エスカレーターと次のエスカレーターの間から見る景色が素晴らしいのです。見えているのはサン・ポンツィアーノ教会です。


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サン・ポンツィアーノ教会の向こうにサン・サルヴァトーレ教会が見えました。


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更に上りました。


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FS駅が見えました。


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エスカレーターの途中でドゥオーモに出ることが出来ますが、エスカレーターの終点まで一挙に上りました。


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エスカレーターの終点はアルボルノツィア—ノ城塞です。


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この後、徐々に晴れてきましたが、この時は未だ靄がかかっていました。


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城塞は高い所にあるので、ここからの眺めが最高です。


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ここまで歩て上ってくるのはかなり大変です。


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エスカレーター利用がお勧めです。勿論無料です。


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塔の橋が見えました。


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橋の向こうは何もありませんが、一応後で渡ることにしていました。


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先ずはアルボルノツィア—ノ要塞の見学です。


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要塞は国立スポレート公国博物館になってます。


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美術ファンにとって、この博物館がスポレートの最大の見どころでしょう。


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博物館に付いては、後で別個に詳しく取り上げます。


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博物館の外に出ました。


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依然として城塞の敷地内です。


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城塞には6つの塔があります。


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見えているのはサン・ピエトロ聖堂です。


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遠いので行く気になれません。


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次は塔の橋を渡ることです。


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城塞の門を潜って橋に向かうので遠回りになります。


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門まで下ります。


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門を潜りました。


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門の向こう側に出ました。


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こちらは城壁の門です。


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更に下りました。


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城塞の城壁です。


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この先の門を潜らないと城塞外に出られません。


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城塞の外に出ました。


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奇妙な形をしたモニュメント


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大回りをして城塞の下に来ました。


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いよいよ塔の橋を渡ります。


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橋の向こうにある建物


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ここから渡ります。


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渡りましたが、何もありません。


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橋の向こうから見た城塞


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中に入ることが出来ません。


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何のために橋を渡ったの?  自問しました。


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泉がありました。


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直ぐに戻ることにしました。


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サン・シモーネ教会です。


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久し振りに拝観したかった。


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扉の前のトリノ糞の堆積量が多かったので、旧教会になった可能性があるかも知れません。


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チョットだけ有名な泉があります。


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これです。


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モービル・オイル・イタリアがこの泉の修復費用を負担したそうです。


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この下にドゥオーモがあります。


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(つづく)

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ガリバルディ広場の端に聖堂があります。


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スポレートの司祭を務めていた聖グレゴリオは、棄教を迫る拷問を受けたものの屈せず、304年12月24日に殉教しましたが、その墓の上の現在地に建てられた初期キリスト教会が前身です。


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聖グレゴリオを奉るサン・グレゴリ教会がスポレートに2つあるので、区別するためにマッジョーレの名称が加えられてます。


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現在の建物の原型は、1079年創建、12世紀前半に完成した二代目のものです。奉献式は1146年に執り行われました。
また、柱廊付きのファサードは、1342年に建設されました。


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修復工事によって、外観が何度か変更されましたが、1907年の修復の際、それまでのバロック様式から元の姿であるロンバルディア・ロマネスク様式に戻されました。
しかし、第二次世界大戦の爆撃によって大きな被害を受けたので、戦後に15世紀頃の姿に再度変更されたものが現在の外観となってます。
なお、小バジリカの教区教会です。


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ファサードの壁龕にある聖グレゴリオ像


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ファサードのフレスコ画


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誰の聖人像でしょうか?


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判別が難しいフレスコ画


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鉄扉からファサード下の柱廊に入りました。


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Cappella degli Innocenti


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セバスティアーノ・コンカによるフレスコ画(1744)


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「嬰児虐殺」


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三廊式、ロマネスク様式の聖堂内部です。


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左右の側廊に礼拝堂が設けられてます。


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所々に剥離フレスコ画が残されてます。


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主祭壇


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詳細不明の「彩色磔刑像」


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後陣の壁に描かれた聖人たちのフレスコ画(12世紀)


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後陣側壁のフレスコ画


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壁の殆どと柱にフレスコ画があったと推定されてます。


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フレスコ画の下の碑文に注目です。


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奉献式に付いての記述です。


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柱に描かれた「玉座の聖母子」


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フレスコ画の制作者は不明です。


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その下にある碑文が重要です。


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創建の記述です。


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左側廊


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右側廊


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聖水盤


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次はクリプタです。


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聖グレゴリオの墓がある筈ですが、分かりませんでした。


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クリプタから内陣に戻りました。


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外に出ました。

(おわり)

スポレートは、人口38,218人(2015年12月31日現在)のウンブリア州ペルージャ県にあるコムーネです。
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この日は、アンコーナから列車でスポレートに向かいました。


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列車はローマ行の一番列車だったからでしょうか、非常に空いてました。


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列車は定時にスポレート駅に到着しました。


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駅舎


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チェントロに向かうバスがありますが、この日は徒歩で向かいました。


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駅からチェントロまで約1㎞、徒歩15分くらいの距離です。


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列車内で座り続けていたので、歩くのが楽しみでした。


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ベンチが置かれている歩道を進みました。


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先ず、この日のお宿に向かいました。


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青銅器時代から続く古い歴史を持つ街です。


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カステッロが段々近づいてきました。


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フラミニア街道に入りました。


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今も昔も通りの名前が変わっていません。


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テッスィーノ川に架かるローマ橋を渡りました。


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チェントロの入り口ガリバルディ門です。


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第二次世界大戦の爆撃によって古い門が破壊されたので、1947年に新たに建設された門です。


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門を潜り、ガリバルディ広場に入りました。


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サン・グレゴリオ・マッジョーレ聖堂の鐘楼が見えました。


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広場にある、この日のお宿です。
このホテルに泊まるのは初めてです。スポレートに来れば、必ず泊まっていたホテルがどうしても予約できなかったので、已む無くここにしました。


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荷物をホテルに預け、身軽になったので、街歩きに出発しました。


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見どころが豊富なので、効率良く見て回るには時間配分が大切です。


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気になっていた予約できなかったホテルの状況確認をすることに。


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そのホテルはガリバルディ通りにあります。


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この四つ星ホテルです。扉が閉まっていました。休業中のようです。


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現在は予約可能なので、この時は工事が行われていたのでしょう。この時は、経営状態が悪くなったので、閉鎖に追い込まれたのだろうと思っていました。(失礼)


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広場に戻りました。


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この後、サン・グレゴリオ・マッジョーレ聖堂を拝観しました。


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この聖堂に付いては、古寺巡礼で別に取り上げる予定です。


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拝観が終わりました。次はカステッロの方に向かうことにしました。


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この通りを上って行けば、ドゥオーモやカステッロに向かうエスカレーターに出ることが出来ます。


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通りの左側の建物の裏にローマ劇場の遺跡があります。


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マドンナ・デッラ・ステッラ教会です。


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古い歴史ある教会ですが、再建された建物内には魅力ある芸術作品が無いので、閉まっていても気になりません。


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時間が厳しいので道草はダメです。


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クラクションを鳴らしながら走ってくる車がありました。


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クラシックカーの車列です。


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次から次へと車がきます。


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何の大会なのか分かりません。


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100台くらいは通ったと思います。


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よく見ると同じモデルの車のようです。


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車列の終わりのようです。


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全車通過しました。後から分かったのですが、ドゥオーモ広場に全車集結したそうです。


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写真左は旧マドンナ・デッラ・ステッラ修道院だった建物です。


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施錠されて中に入ることが出来ませんでした。キオストロ回廊の壁に描かれた素晴らしいフレスコ画があります。


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暫くしても一般の車が全然来ないことに気付きました。交通規制が行われたようです。


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教会が見えてきました。


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扉が開いているように見えたので、近づきましたが閉まっていました。


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出来れば拝観したかった教会です。


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教会の拝観は運次第ですから、出来なくても仕方がありません。


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道は上り坂になってます。


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エスカレータ―は直ぐ傍にあります。


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多分、機能を停止した旧教会でしょう。


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城壁外に出ました。


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(つづく)

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