イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ:美術館 > ヴォルテッラ市立美術館

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Pinacotecaですが、壺なども展示されてます。


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ネーリ・ディ・ビッチ(フィレンツェ、1418c‐1492c)の「聖セバスティアーノと聖バルトロメオとバーリの聖二コラ」
ネーリは、ビッチ・ディ・ネーリとも呼ばれ、初期ルネサンスにフィレンツェ・ヴォルテッラなどで活動した画家です。15世紀中ごろ、フィレンツェで繁盛していた工房を運営していた画家のビッチ・ディ・ロレンツォの息子です。
非常に紛らわしいのですが、ビッチ・ディ・ロレンツォの父がビッチ工房の創始者のロレンツォ・ディ・ビッチです。ネーリの祖父ロレンツォ・ディ・ビッチはアレッツォのスピネッロ・アレティーノに師事し、ジョットの影響を受けたオルカーニャの作風を学んだので、オルカーニャの影響を受けたジョッテスキの画風でした。
ネーリの父ビッチ・ディ・ロレンツォは、父であるロレンツォ・ディ・ビッチに学んだので、オルカーニャの影響を受けた伝統的な画風でしたが技量は父を凌駕するに至りませんでした。
ネーリも父のビッチ工房で修業して、父の死後、工房を引き継ぎました。ただ、初期ルネサンスへの息吹に関心を持ちながらも、工房の伝統的手法をそのまま踏襲したので、オルカーニャの影響が認められる保守的な画風でした。
絵画史において、重要なのは、ネーリの代の約20年に渡る詳細な工房日誌を残したことで、その日誌に注文主、価格、注文を受けた作品の仕様や形式などがすべて記されているので、当時のことが分かるのです。
その日誌の中に、ベアート・アンジェリコやフィリッポ・リッピに関心を抱きながらも、祖父からの伝統的なゴシック様式の踏襲を重視していたという記述があるそうです。
出された注文に対して殆ど応じたので、多作な画家・工房となりました。
今日では、ルネサンスに対して活動しなかった時代遅れの多作画家という否定的な評価が一般的になってます。彼の時代の工房の弟子にコジモ・ロッセッリやフランチェスコ・ボッティチーニがいました。


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15世紀のトスカーナの逸名彫刻家による「聖母子」


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詳細不明


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展示室天井のフレスコ画


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ベンヴェヌート・ディ・ジョヴァンニ・デル・グアスタ(シエナ、1436‐1518)の「ご誕生」
1453年に画家ギルドに登録され、シエナ、ヴォルテッラ、モンタルチーノなどで彼の活動記録が残されてます。ヴェッキエッタの下で仕事した記録があり、初期の画風もヴェッキエッタの影響が強いので、彼の師匠はヴェッキエッタだったという説が有力とされてます。生涯の殆どをシエナで過ごし、トスカーナ各地の教会の祭壇画を数多く制作しました。生涯の中ごろから徐々に画風を変え、ドメニコ・ディ・バルトロとマッテオ・ディ・ジョヴァンニの影響が認められるものとなりました。息子のジローラモ・ディ・ベンヴェヌートが彼の弟子でした。晩年になると画業は息子に譲り、地方政治に関与するようになりました。


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同じ作品の裾絵です。困ったことに「ご誕生」と制作者が異なります。


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裾絵の制作者はマリオット・ディ・アンドレア・ダ・ヴォルテッラです。


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ザッカリア・ザッキ(アレッツォ、1473‐ローマ、1544)の「ピエタのキリスト」


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ベンヴェヌート・ディ・ジョヴァンニ・デル・グアスタの「聖母の物語の裾絵」


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ドメニコ・ギルランダイオ(フィレンツェ、1449‐1494)の「天上のキリストと聖人たちと寄進者」
ドメニコは、15世紀後半のフィレンツェ派絵画を代表する画家なので、私がコメントするのを憚れます。アレッソ・バルドヴィネッティに師事したの説がありますが、アレッソはドメニコよりも5歳年上にしか過ぎないので懐疑説が有力ですが、私もそう思います。
惜しいのは、ペストによって若死にしたことです。ドメニコが描いた3点の「最後の晩餐」は、アンドレア・デル・サルトの「最後の晩餐」と並ぶ「最後の晩餐」の傑作ですね。


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私の写真では十分ではないので、外部サイトから拝借した作品画像を載せました。


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展示室の壁


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展示室のフレスコ画


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Maestro di Santo Spirito(15世紀末)の「玉座の聖母子と聖バルトロメオと聖アントニオ・アバーテと2天使」


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裾絵


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空いてますね。空いていると言っても入館者は私一人でした。この規模の絵画館としては傑作が多いと思いますが、訪れないのは何故なんでしょうか?


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レオナルド・ダ・ピストイア(16世紀前半にピストイアで活動)の「玉座の聖母子と聖人たち」


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ルーカ・シニョレッリ(コルトーナ、1450‐1523)の「聖母子と聖人たち」
私が最も好きな画家はシニョレッリです。イタリアで普段見ることが出来る彼の作品は全部見たことがあります。銀行や個人の所有作品が多数あるようですが、その大部分は見たことがありません。
力強い線描、師匠(ピエロ・デッラ・フランチェスカ)譲りの正確な構図、解剖学的人的表現(ミケランジェロはシニョレッリの表現を参考にしました)、華やかで豊かな色彩などが特徴です。


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外部サイトから拝借した作品画像


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「聖ジローラモ」(部分)(外部サイトから)


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ルーカ・シニョレッリの「受胎告知」


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外部サイトから拝借した作品画像


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その背景部分(外部サイトから拝借)


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ロッソ・フィオレンティーノ(フィレンツェ、1495‐フォンテーヌブロー、1540)の「十字架降下」
マニエリスム様式の重要な画家で、ポントルモと共にアンドレア・デル・サイトに師事しました。1524年、ローマに移り、ラッファエッロの弟子たちやパルミジャニーノと交友を築きながらローマの教会などの仕事をしてましたが、1527年のローマ劫掠によってドイツ軍に囚われ苦労しました。後に逃亡に成功してヴェネツィアに逃れ、1530年にフランソワ1世に招聘され、フォンテーヌブローに移り、当時遅れていたフランス絵画界に刺激を与え、やがてフォンテーヌブロー派の基礎を築きました。
ローマに移ってから甘美な独自のマニエリスム様式を確立しました。


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外部サイトから拝借した作品画像


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ドナート・マスカーニ(フィレンツェ、1579‐1639)の「聖母の誕生」
画家についてのコメントを書いていると時間がかかってしまうので、今回はこの辺で終わりにして先を急ぎます。


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ダニエーレ・ダ・ヴォルテッラ(ヴォルテッラ、1509‐ローマ、1566)の「正義」
ダニエーレは、マニエリスム期の画家・彫刻家ですが、ミケランジェロとの交友で有名です。シエナでソドマとバルダッサッレ・ペルッツィに学びましたが未熟に終わり、1535年、心機一転ローマに赴き、ペリン・デル・ヴァーガに弟子入りして工房で仕事をするうちに徐々に腕を上げ、やがてミケランジェロと知り合いになりました。気難しいミケランジェロが何故かダニエーレと馬があったのか、ダニエーレの重要な作品はミケランジェロのデザインに基づいて制作されているのです。ミケランジェロは当時の教皇パウルス3世にダニエーレを推挙し、これに拠って教皇の庇護を受けてヴァチカンで仕事をするようになりました。
ミケランジェロの死後、システィーナ礼拝堂に描いたミケランジェロの「最後の審判」の性器や臀部を腰布で隠す仕事に従事したのがダニエーレでしたが、これに拠ってダニエーレの悪評は確固たるものになりました。


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ピエル・カンディート(ブルージュ、1548‐モナコ、1612)の「羊飼いの礼拝」


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ピエル・カンディートの「死せるキリストへの哀悼」


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ニコロ・チェルチニャーニ(ポマランチェ、1530‐1592)の「聖母戴冠と聖人たち」


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ニコロ・チェルチニャーニの「受胎告知と聖人たち」


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ミケーレ・トシーニの追随者とフランチェスコ・デル・ブリーナの「4つの楕円形の作品」(16世紀後半)


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ジョヴァンニ・アントニオ・ソリアーニ(フィレンツェ、1492‐1544)の「聖ジュゼッペ」
ソリアーニは盛期ルネサンスにフィレンツェで活動した画家です。師匠はロレンツォ・ディ・クレディでしたが、非常に支障が仲が良いことで有名で、クレディから注文を受けて下請け制作することが多かったそうです。1515年に自身の工房を構えるようになると、徐々に画風を変えてアンドレア・デル・サルトに傾倒するようになりました。ペリン・デル・ヴァーガから招聘を受け、ペリン共にピサ大聖堂のフレスコ画制作にかなり長期間携わりました。
ヴァザーリに拠れば、フラ・バルトロメオの後継者になったそうです。


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ジュリアーノ・ブジャルディーニ(フィレンツェ、1475‐1554)の「祭壇画からの4断片」


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詳細不明


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詳細不明


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16世紀のピサの逸名画家による「聖母子」


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16世紀初頭のフランドル地方の逸名画家の「嘆き」


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16世紀初頭のドイツの逸名画家の「マギの礼拝」


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16世紀初頭のフランドル地方の逸名画家の「聖母子」


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16世紀初頭のシエナの逸名画家による「十字架降下」


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16世紀後半の逸名画家の「聖家族」


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16席後半のフィレンツェの逸名画家の「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」


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ニコロ・チェルチニャーニの「死せるキリストへの哀悼」


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バルダッサッレ・フランチェスキーニ通称ヴォルテッラーノ(ヴォルテッラ、1611‐フィレンツェ、1689)の「聖母子と聖人たち」


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詳細不明


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詳細不明


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詳細不明


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詳細不明の机?です。


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机の上の装飾


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コジモ・ダッディ(フィレンツェ、1555‐ヴォルテッラ、1630)の「聖母子と聖ルチアと聖パオロ」


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コジモ・ダッディの「ぺルジオ・フラッコの肖像」


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17世紀前半のフィレンツェの逸名彫刻家の「トスカーナ大公コジモ2世」


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パラッツォの中庭です。


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展示作品が多いとは言えませんが、秀作傑作が多いのが特徴です。


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明かりが点いてあるところが切符売り場です。


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中庭の回廊にあります。


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ルーカ・シニョレッリの2作品、ドメニコ・ギルランダイオ、ロッソ・フィオレンティーノの作品が特にお勧めです。


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十分満足できました。


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(おわり)


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ヴォルテッラのサルティ通りを進みます。


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サルティ通り1番地のある、写真右先の建物がミヌッチ・ソライーニ宮です。


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フィレンツェの建築家アントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ヴェッキオの設計によって、15世紀後半から16世紀初頭にかけてミヌッチ家の邸宅として建築されました。


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フィレンツェのストロッツィ宮とグアダーニ宮を模して設計されたと言われてます。


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1982年に設けられた市立絵画館はこの建物にあります。


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絵画館の他にアラバスター博物館もこの建物内にあります。


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絵画館の入り口です。


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Maestro della Bibbia di Baltimoraの作品の可能性がある「彩色磔刑」(13世紀)


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Maestro di Monterotondo(1320-1340活動)の「聖ウーゴと聖ジュスト」
欠落した部分は「聖母子」の可能性が高いとされてます。


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14世紀のシエナ派逸名画家による「聖母子と磔刑」


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タッデオ・ディ・バルトロ(シエナ、1362c‐1422)の「トレンティーノの聖二コラと聖ピエトロ」
タッデオは、シモーネ・マルティーニやロレンツェッティ兄弟らが活躍した後に、25歳以下で画家ギルドに加入が認められ、1389年に独立し親方になりましたが、その画風はシエナ派の伝統に忠実で保守的でした。それでも、ギリシャ神話やローマ時代の逸話など従来の枠組みに捉われない画題を取り上げて、初期ルネサンスの先駆けとなる新しい動きを示しました。


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タッデオ・ディ・バルトロの「聖母子」


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タッデオ・ディ・バルトロの「玉座の聖母子と聖人たちの多翼祭壇画」
タッデオの代表作は、サン・ジミニャーノのドゥオーモにある「最後の審判(フレスコ)」(1393)、シエナ市庁舎の「ローマの歴史からの寓意(フレスコ)」(1413‐14)と「聖母の葬儀(フレスコ)」(1409)などですが、どれも一見の価値があります。


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裾絵


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詳細不明の作品です。


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ヤコポ・ディ・ミケーレ通称イル・ジェーラ(ピサで1371‐1395記録)の「玉座の聖母子と聖ルチアとアレッサンドリアの聖カテリーナ」
ヴォルテッラのフランチェスコ・ネーリまたはジョヴァンニ・ディ・二コラに師事したとされています。典型的な国際ゴシック様式シエナ派の画風で、シモーネ・マルティーニとルーカ・ディ・トンメの強い影響が認められます。
ピサのサン・マッテオ国立美術館やパレルモのシチリア州立美術館に彼の代表作が展示されてます。


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チェンニ・ディ・フランチェスコ・デル・セル・チェンニ(フィレンツェで1369‐1415活動)の「聖母子と聖人たち」
チェンニは、14世紀後半から15世紀初頭にかけてヴォルテッラ、フィレンツェで活動した画家ですが、その修行の過程は不明です。活動初期の作風がオルカーニャの強い影響を受けたものなので、オルカーニャに師事したとの説がありますが、それを裏付ける文書などがありません。
親方として独立してから暫く経つと次第にナルド・ディ・チョーネの画風に傾倒し、14世紀末にジョッテスキのリバイバルが盛んになると、チェンニのジョッテスキもどきに画風を変えました。主体性がなかったようで、時代の流行の画風に次々と変え、最終的にはタッデオ・ディ・バルトロの強い影響を受けたものに転じました。


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アルヴァーロ・ピレツ・デヴォ—ラ(1411‐1434記録)の「磔刑と聖母と福音書記者聖ジョヴァンニ(ヨハネ)」


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フランチェスコ・ネーリ・ダ・ヴォルテッラ(ヴォルテッラ、1310c‐1375c)の「ピエタ」
フランチェスコは、14世紀中ごろにヴォルテッラ、ピサ、サン・ジミニャーノで活動した画家ですが、ヴォルテッラの有力な政治家でもありました。1363年に起きたヴォルテッラとサン・ジミニャーノ間の紛争で、事態解決の仲介を行った記録が残されてます。
画家としての修行の経緯は不明です。その画風はシエナ派国際ゴシック様式に近似していて、中でもシモーネ・マルティーニの強い影響が認められます。また・タッデオ・ガッディと一緒に仕事をした記録が残されてます。


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15世紀のフィレンツェの逸名画家による「磔刑」


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アルヴァーロ・ピルツ・デヴォーラの「聖母子と聖人たちの多翼祭壇画」
アルヴァーロのことについては良く知りません。


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中央パネル


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向かって左のパネル


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向かって右のパネル


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聖人たちの浮彫


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裾絵が普通です。


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フランチェスコ・ディ・ドメニコ・ヴァルダムグリーノ(15世紀前半に活動)の「受胎告知」


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絵画館ですがコインが多数展示されてます。


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ステファノ・ディ・アントニオ・ディ・ヴァンニ(フィレンツェ、1405‐1483)の「聖母子と天使たち」


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プリアーモ・デッラ・クエルチャ(クエルチェグロッサ、1400c‐シエナ、1467)の「聖母子と聖ヴィットーレと聖オッタヴィアーノ」
初期ルネサンスにシエナで活動した画家で、有名な彫刻家のヤコポ・デッラ・クエルチャの弟です。師匠はドメニコ・ディ・バルトロだったと考えられています。師匠の革新性が全く認められず、旧来の国際ゴシック様式シエナ派の典型的な画風でした。その保守的な画風はシエナ市民の好みに合わせたものと思われ、ルネサンスの新しい動きとは無縁の存在だった。


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プリアーモ・デッラ・クエルチャの「聖母子と聖ヴィットーレと聖オッタヴィアーノ」


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プリアーモ・デッラ・クエルチャの「シエナの聖ベルナルディーノ」


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ピエル・フランチェスコ・フィオレンティーノ(フィレンツェ、1444‐1494以降没)の「ピエタのキリスト」
(つづく)

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