この日の予定はこれにて終了です。
好みの形の鐘楼です。
道を下ってシニョレッリ広場に向かいました。
先月の旅の出発の直前に持参予定のPCの調子が悪くなり、急遽非常用のPCを購入して出発しました。これが安かったにも拘らず中々の優れモノで重宝しました。
ローマで暇があったので、PC屋さんを覗いたのですが、イタリアのPCが高価なことに驚嘆しました。デルやアップルの日本で流通しているのと同じモデルが、日本よりも可なり高く売られてます。
下りの方が上りよりも膝にかかる負荷が高いそうです。
道の突き当りの左が広場です。
シニョレッリ広場
エトルリア・アカデミー博物館が置かれているカザーリ宮
夕方になると、観光客の姿が少なくなり地元の人が多くなりますが、宿泊施設が限られているのが理由でしょうか。
レプッブリカ広場
静かで魅力的な夕方です。
昼間に買ったペッタンコ桃を夕食後にホテルの部屋で食べました。
ホテルの部屋からの眺めです。
翌朝です。
朝の早い時間には晴れていましたが、すぐに霧がかかり、やがて曇ってしまいました。
サンタ・マルゲリータ聖堂に向かいました。
サン・ドメニコ教会は閉まっていました。
濃霧に覆われていましたが、それが切れると道が少し濡れていました。
道を上りました。
サン・ドメニコ教会の横の道を通ります。
かって教会だった建物でしょうね。
描かれているのは聖ジローラモ?
サンタ・マルゲリータ通り
朝の早い時間なので、誰も歩いていませんでした。
雲が垂れ込めてきました。
聖マルゲリータ(1247‐1293)は、フランチェスコ会修道院に入り、貧しい人たちに人生を捧げた、コルトーナの守護聖人です。
聖マルゲリータの遺体を祀るために建てられたのがサンタ・マルゲリータ聖堂です。別名「聖マルゲリータの墓所」とも言われてます。
旧修道院の建物
朝まで晴れていたのがウソのように雲が厚くなってきました。
鐘楼が見えてきました。
サンタ・マルゲリータ聖堂です。
街の高い場所にあるので、車で来る人たちが殆どです。
11世紀の記録に、この地にロマネスク様式のサン・バジーリオ教会の存在が記載されてます。聖マルゲリータの没後4年の1297年、聖マルゲリータの遺体を祀る教会が創建され、1304年に献堂されました。
現在の姿は19世紀に再建された二代目の建物です。
1927年、Basilica Minoreにランクされました。
見どころがあまりない外観です。
三廊式、ラテン十字形の内部です。
中央礼拝堂です。
再建された建物の主祭壇は美術的に冴えませんが、初代の建物の時代には素晴らしい祭壇画が主祭壇を飾っていました。
ルーカ・シニョレッリの「死せるキリストへの哀悼」(1502)
この作品が主祭壇を飾っていました。しかし、17世紀中ごろ、ドゥオーモに目ぼしい作品がないことを残念に思っていた、当時のコルトーナ司祭が、この作品をドゥオーモに移動するように命じたのです。
現在、この聖堂にある作品を紹介しておきましょう。
ヤコポ・キメンティ・ダ・エンポーリの「聖母被昇天と三聖人」(1610)
ピエトロ・ジャッノッティの「嬰児虐殺」(1636)
17世紀のトスカーナの無名画家の「コルトーナを守護する聖マルゲリータ」
フランチェスコ・ヴァンニの「聖母戴冠と四聖人」(1602)
ピエトロ・バロッチの「聖カテリーナの殉教」(1610)
詳細不明
拝観を終え、坂道を下りました。
小さな街なので、同じ道を何度も行き来します。
サン・ドメニコ教会が開いていたので、もう一度拝観しました。
何回見ても飽きることがありません。
キリがないので、この辺で終わりにしましょう。
(おわり)