イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 BY:シニョレッリ

カテゴリ:美術館 > バッサーノ・デル・グラッパ市立美術館

299
フランチェスコ・バッサーノ・イル・ヴェッキオの「洗礼者聖ジョヴァンニ」、「聖ピエトロ」


300
ヴェネトの無名画家の「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」


302
ヴェネトの無名画家の「女性の肖像」


304
フランチェスコ・モンテメッツァーノ(ヴェローナ、1555‐ヴェネツィア、1602以降没)の「この人を見よ」


306
デニス・カルヴァートの「聖家族と聖ジョヴァンニーノ」


307
パルマ・イル・ジョーヴァネの「死せるキリストを支える天使」


310
パルマ・イル・ジョーヴァネの「キリストと教会博士の問答」


312
ジローラモ・ダ・サンタクローチェの「聖マッテオの召命」


314
アンドレア・スキアヴォーネの「聖トッマーゾの不信」


316
バルトロメオ・スケドーニの「マギの礼拝」


317
制作者不明の「ペルジーノ作『十字架降下』のコピー画」


318
バルバーラ・ロンギ(ラヴェンナ、1552‐1638)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」


320
ティツィアーノ工房の「ニコロ・ゼンの肖像」


321
ヴィンチェンツォ・カテーナの「ジョヴァンニ・ノヴェッロの肖像」


322
フランチェスコ・バッサーノ・イル・ジョーヴァネ(バッサーノ・デル・グラッパ、1549‐ヴェネツィア、1592)の「園の祈り」
フランチェスコ・イル・ジョーヴァネは、ヤコポ・バッサーノの長男で、四人いた息子の長兄でした。父ヤコポの下で修業し、3人の弟と一緒に父の工房で働いていたが、工房支店をヴェネツィアに創設することになり、1574年、その責任者としてヴェネツィアに移住するとともに自立しました。
ところが、1580年代に病気がちとなり、やがて躁鬱症も患うようになりました。
1592年、父ヤコポが死去すると、バッサーノ・デル・グラッパにあった父の工房を引き継ぎました。しかし、父の工房を引き継ぎ、ヴェネツィアの工房支店の2つの経営に従事してから僅か数か月後に自殺したのです。


324
フランチェスコ・バッサーノ・イル・ジョーヴァネの「最後の晩餐」


326
フランチェスコ・バッサーノ・イル・ジョーヴァネの「羊飼いの礼拝」(1580‐85)


328
レアンドロ・バッサーノ(バッサーノ・デル・グラッパ、1557‐ヴェネツィア、1622)の「死せるキリストを支える二天使」
レアンドロは、ヤコポの次男で、父から画家としての手ほどきを受けた後、長兄のフランチェスコから多くを学びました。
1588年までにヴェネツィアに移住して、フランチェスコが責任者を務めるヴェネツィアの工房支店を手伝いました。父ヤコポが1592年に死去すると、バッサーノとヴェネツィアの2つの工房は長兄フランチェスコに引き継がれましたが、同年、フランチェスコが自殺すると、レアンドロが2つの工房を引き継ぎました。
肖像画を得意にし、ヴェネツィア共和国関係の仕事を多くこなすようになり、やがて騎士に任じられるようになりました。当時のヴェネツィアにあって、ティントレットと仕事をうまく分け合う存在となりました。
当初は父の模倣の平凡な画風でしたが、ヴェネツィア派の影響を受けるとともにヴェネツィア政府関係の仕事をこなすうちに次第に腕を上げ、渋みのある明るい色彩ときちんとした構図を採用した独自の画風を確立したのです。


329
レアンドロ・バッサーノの「寺院への出現」


332
レアンドロ・バッサーノの「玉座の聖母子と聖クレメンテと聖バッシアーノ」


333
ジローラモ・バッサーノ(バッサーノ・デル・グラッパ、1566‐ヴェネツィア、1621)の「聖母子と聖ロッコと聖セバスティアーノ」
ジローラモは、父ヤコポの四人の息子の末っ子でした。父の工房で助手を務めることが多く、工房時代の彼自身の作品は残されていません。父の死後、工房から独立して仕事をするようになりましたが、父の模倣と陳腐な構図の過度な繰り返しを行ったので、次第に仕事を得ることが難しくなったのです。


335
ジローラモ・バッサーノの「天上の聖母子と聖マルティーノと聖ルチア」


337
ジローラモ・バッサーノの「福音書記者聖ジョヴァンニを崇めるロドヴィーコ・タバリーノ」


338
フランチェスコ・バッサーノ・イル・ジョーヴァネの「男の肖像」


340
レアンドロ・バッサーノ工房の「聖ステファノの殉教」


342
レアンドロ・バッサーノの「カルヴァリオへの途」


343
レアンドロ・バッサーノの「クリストフォロ・コンポステッラの肖像」


344
フランチェスコ・バッサーノ・イル・ジョーヴァネの「金持ちたち」


345
フランチェスコ・バッサーノ・イル・ジョーヴァネの「マルタ騎士の肖像」


346
ジャンバッティスタ・ピアツェッタの「洗礼者聖ジョヴァンニ」


347
フランチェスコ・マッフェイの「聖母子」


348
パドヴァニーノの「公正」


350
ピエル・フランチェスコ・カイロの「荊刑のキリスト」


351
カリオ・ロートの「サムソンとデリラ」


353
ジュリオ・カルピオーネの「聖パオロ」、「聖グレゴリオ・マーニョ」


355
アルテミジア・ジェンティレスキの「スザンナの水浴」


358
ヴィチェンティーノの「三位一体」


360
ヴェネトの無名画家の「聖フランチェスコの幻視」


362
レアンドロ・バッサーノの「聖母子と二聖人」


363
レアンドロ・バッサーノの「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」


365
レアンドロ・バッサーノの「玉座の聖母子と聖フランチェスコと聖キアーラ」


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彫刻も展示されてます。


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ローマ時代の古い彫刻もあります。


369
ロベルト・ロベルティ(バッサーノ・デル・グラッパ、1786‐1837)の「風景画」(1807)
ロベルトの風景画が数点展示されてます。


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ロベルト・ロベルティの「風景画」(1810)


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ロベルト・ロベルティの「風景画」(1814)


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ロベルト・ロベルティの「風景画」(1816)


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宝飾品?


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外に出ました。


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最後に広場にあるフランチェスコ・バッサーノ像を見ました。


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(おわり)

002
バッサーノ・デル・グラッパは、人口43,372人(2015年12月31日現在)のヴェネト州ヴィチェンツァ県にあるコムーネです。


004
名産のグラッパ酒、白アスパラガス、陶器などで有名です。


163
芸術面では、ルネサンス期にバッサーノ・デル・グラッパ、ヴェネツィアなどで活躍したバッサーノ一族の出身地として有名です。


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バッサーノ一族の作品はヴェネツィアにありますが、美術館や教会に分散しています。


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バッサーノ一族の作品が最も揃っているのが、バッサーノ・デル・グラッパの市立美術館です。


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早速美術館に向かいました。


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サン・フランチェスコ教会です。


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サン・フランチェスコ教会のファサード横に市立美術館の入り口があります。


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ここです。しかし、開館時間にも拘らず扉が閉まっていました。


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折角来たのに、休館はないよと思って周りを見たら、教会後陣の先に入り口が移動したと書いてありました。


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開館していると分かってホッとしました。


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ついでに教会のフレスコ画を見ました。


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後陣に向かいました。


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この先です。


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建物を新設したようです。


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ここが美術館の入り口です。
従来は旧サン・フランチェスコ修道院の建物が美術館として使用されていましたが、その横に建物を新築して規模の拡大を図ったそうです。
さらにビックリしたのは、入館無料となったことです。老人だけ無料ではなく、全員無料です。


225
フランチェスコ・ダ・ポンテ通称フランチェスコ・バッサーノ・イル・ヴェッキオ(ヴィチェンツァ、1475c‐バッサーノ・デル・グラッパ、1530)の「死せるキリストへの哀悼」(1531‐32)
フランチェスコ・バッサーノ・イル・ヴェッキオは、バッサーノ一族の工房の創始者ですが、孫で画家のフランチェスコと区別するために、祖父のフランチェスコはイル・ヴェッキオと呼び、孫の方はイル・ジョーヴァネをつけるのが普通です。
フランチェスコ・イル・ヴェッキオは、ヴェネツィアで修業し、ジョヴァンニ・ベッリーニ追随者でしたが、ベッリーニ工房で修業した記録がなく、ジョヴァンニとは無関係だったようです。ベッリーニ工房で修業した画家に師事したか、ジョヴァンニ・ベッリーニの作品を見ることによって追随者になったとされてます。


227
ダーリオ・ダ・トレヴィーゾ(ポルデノーネ、1420c‐コネリアーノ、1498以降没)の「慈悲の聖母と洗礼者聖ジョヴァンニと聖ベルナルディーノと寄進者」(1460‐70)


230
バッティスタ・ダ・ヴィチェンツァに帰属する「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」


232
ルーカ・ディ・ヴィチェンツァ(ヴィチェンツァで14世紀に活動)の「四聖人」


233
制作者不詳の「キリストの洗礼」


234
近隣の教会や修道院、病院などにあった剥離フレスコが展示されてます。


235
バルトロメオ・ヴィヴァリーニの「救世主」


238
アントニオ・ヴィヴァリーニの「聖アポロニアの殉教」


240
アントニオ・ヴィヴァリーニの「ピエタのキリストと聖二コラと聖アンドレア」


242
グアリエント・ディ・アルポの「磔刑」(1332)


245
ミケーレ・ジャンボノの「聖母子」(1440c)


247
ヴェネトの無名画家の「聖家族」(15世紀)


249
ベルナルディーノ・ザガネッリの「磔刑」


251
ヤコポ・バッサーノの「天上の聖母子と聖アポロニアと聖アガタ」
ヤコポ・バッサーノ(バッサーノ・デル・グラッパ、1510‐1592)は、フランチェスコ・バッサーノ・イル・ヴェッキオの息子で、父から画家として手ほどきを受けた後、1530年代初めにヴェネツィアに赴き、ボニファツィオ・デ・ピターリに師事して、ヴェネツィアで仕事をしました。
1539年、父が死去したので、父が残した工房を引き継ぐために故郷のバッサーノ・デル・グラッパに戻りました。
彼の四人の息子全員が画家になり、ヴェネツィアにも工房支店を出して、二つの工房は非常に繫栄しました。
ヴェネツィア派の影響を基本に、ラッファエッロやマニエリスム画家らを研究して、独自の様式を確立して、17世紀イタリア絵画の先駆者とされてます。


252
ヤコポ・バッサーノの「園の祈り」


255
ヤコポ・バッサーノの「天国」


256
ヤコポ・バッサーノの「割礼」


258
ヤコポ・バッサーノの「3聖人」


261
ヤコポ・バッサーノの「聖ルチッーラを洗礼する聖ヴァレンティーノ」(1575)


263
ヤコポ・バッサーノの「聖母子と聖モーロと聖ロッコ」(1576)


264
ヤコポ・バッサーノの「羊飼いの礼拝」(1568)


266
ヤコポ・バッサーノの「水飲み場の聖ラケル」


269
ヤコポ・バッサーノの「聖霊降臨」


271
ヤコポ・バッサーノの「砂漠の洗礼者聖ジョヴァンニ」


273
ヤコポ・バッサーノの「アレッサンドリアの聖カテリーナの殉教」


275
ヤコポ・バッサーノの「聖母子と聖フランチェスコと聖バッシアーノ」


277
ヤコポ・バッサーノの「聖オルソーラと聖ヴァレンティーノと聖ジュゼッペ」(1542‐43)


278
ヤコポ・バッサーノの「幼きキリストを抱く聖アンナと聖ジローラモと聖フランチェスコ」(1541)


280
ヤコポ・バッサーノの「聖母子と聖人たち」


282
ヤコポ・バッサーノの「エジプトへの逃避」(1534)


284
ヤコポ・バッサーノの「スザンナの水浴」(1535)


286
ピエトロ・デリ・インガッナーティ(ヴェネツィアで16世紀活動)の「聖母子」


289
ルーカ・アントニオ・ブサッティー(1530‐1550記録)の「聖母子と聖人たち」


291
フィリッポ・ディ・ヴェローナの「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」


292
ボニファチョ・デ・ピターリ(ヴェローナ、1487‐ヴェネツィア、1553)の「聖母子と聖ジョヴァンニーノとアレッサンドリアの聖カテリーナ」


295
ジャンピエトロ・シルヴィオ(ヴェネツィアで16世紀活動)の「ピエタのキリスト」


297
ヴェネトの無名画家の「聖セバスティアーノ」(16世紀)
(つづく)





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