
次の部屋です。

第49室

ポンぺオ・バトーニと工房の「トロイアからのエネアの脱出」(1743)

Lorenzo Pecheus (Lione, 1729- Torino, 1821) の「Ercole affide Deianira al centauro Nesso 」

ポンぺオ・バトーニと工房の作品です。画題が分かりません。

ジョヴァン・バッティスタ・ティエポロの「エレシアに勝利するカップッチーニ修道会」

Anton Raphael Megs (Aussig, 1728- Roma, 1779) の「聖ピエトロ」(1774‐75)

ポンぺオ・バトーニの「教皇ピオ6世の肖像」(1775)

ジュゼッペ・ボッターニ(クレモナ、1717‐マントヴァ、1784)の「アヴィーラの聖テレーザの幻視」(1780)

Angelica Kauffmann (1741-1807) の「シビッラ」

Angelica Kauffmann の「シビッラ」

次の部屋です。

第51室になります。第50室は欠番? 閉鎖中?

Ludwig Guttenbrunn (1740-1819 )の「化粧室のヴィーナス」(1789)

フランチェスコ・グアルディ(ヴェネツィア、1712‐1793)の「田舎のパラッツォがある景観」(1780‐85)

フランチェスコ・グアルディの「ドーロ門」(1780‐85)

Lorenzo Pecheux の「バレアーリ諸島王の息子ランベルトを洗礼するピエトロ・モリコーネ」(1784)

Lorenzo Pecheux の「戦利品の奴隷」(1793)

ジュゼッペ・マッツォーラ(インヴォツィオ・ディ・ヴァルドゥッジャ、1748‐ミラノ、1838)の「ぺレオとテーティの結婚」(1789)

次の部屋です。

第52室

イグナツィオ・コッリーノ(トリノ、1724‐1793)とフィリッポ・コッリーノ(トリノ、1737c‐1800)の「マルコ・アウレリオの胸像」(1768)

イグナツィオ・コッリーノとフィリッポ・コッリーノの「ヴェスパシアーノの胸像」(1768)

イグナツィオ・コッリーノとフィリッポ・コッリーノの「ティートの胸像」(1767‐68)

イグナツィオ・コッリーノとフィリッポ・コッリーノの「トライアーノの胸像」(1767)

イグナツィオ・コッリーノとフィリッポ・コッリーノの「オッタヴィアーノ・アウグストの胸像」(1767)

詳細不明

詳細不明

詳細不明

詳細不明

Louise-Elisabeth Vigee Lebrun (Parigi, 1755-1842) の「マルゲリータ・ポルポラーティの肖像」(1792)

Benigne Gagneraux (Diglione, 1756- Firenze, 1795) の「愛によって打ち負かされる軍隊」(1793)

Jules-Cesar Denis van Loo (Parigi, 1743-1821) の「月夜の景観」

Jules-Cesar Denis van Loo の「嵐の中のコッレーニョ城」

Jules-Cesar Denis van Loo の「トリノ郊外の景観」

Jules-Cesar Denis van Loo の「夕方の景観」

Jules-Cesar Denis van Loo の「トリノ郊外の景観」

ベルナルディーノ・ノッキ(ルッカ、1741-ローマ、1812)の「カミッロ・ボルゲーゼの肖像」(1798)

次の部屋です。

第53室です。最終展示室になります。

ジョヴァンニ・バッティスタ・ビスカッラ(ニッツァ・マリッティマ、1790-トリノ、1851)の「カインの呵責」(1817)

アブラハム・コスタンティン(ジネヴラ、1785-1855)の「ラッファエッロの『自画像』の複製画」

ジョヴァンニ・ミリア—ラ(アレッサンドリア、1785-ミラノ、1837)の「ミラノのサン・ロレンツォ教会」

アブラハム・コスタンティンの「セバスティアーノ・デル・ピオンボの『婦人の肖像』の複製画」

アブラハム・コスタンティンの「ラッファエッロの『聖母子と聖ジョヴァンニーノ』の複製画」

外に出ました。

傑作秀作が溢れています。唯一の難点は興味がないオランダ・フランドル絵画の多さです。

「興味がない」と書きましたが、実は、あれ程膨大な数の絵画が制作されていたのか、と言う点が不思議なので色々と調べている最中です。

(おわり)