イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ:美術館 > 国立スポレート公国博物館・アルボルノツィアーノ城塞

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城塞は毎日公開されてますが、博物館の方は毎週月曜日が休館となってます。月曜日に来たことがありませんが、城塞部分と博物館の区分が良く分かりません。何せ一体化していますので。


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天井の紋章


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Maestro di San Alo の「彩色磔刑像」
この親方に付いて、全くの不知です。


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Maestro di San Alo の「キリストと聖人たち」


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詳細不明


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Maestro di San Alo の「磔刑」
裏面にも描かれています。


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裏面も「磔刑」です。


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壁一面にフレスコ画が描かれていたようです。


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ウンブリアの無名彫刻家の「聖母子(14世紀初め)


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スポレートの無名画家の「祭壇前飾り」(14世紀前半)


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ウンブリアの無名彫刻家の「聖母」(14世紀中頃)


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次の部屋です。


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ウンブリアの無名画家の「聖母子」(14世紀前半)


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ウンブリアの無名彫刻家の「馬上の騎士」(13世紀末‐14世紀初め)


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ウンブリアの無名彫刻家の「馬上の騎士」(13世紀末‐14世紀初め)


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ウンブリアの無名彫刻家の「聖ポンツィアーノ」(14世紀前半)


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次の部屋です。


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無名彫刻家の「アーキトレーブ」(1463)
スポレートのドゥオーモにありました。


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ウンブリアの無名彫刻家の「横臥している男の像」(15世紀前半)


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ニコロ・アルンノ(フォリーニョ、1454-1502)の「サンタ・マリア・デッレ・グラツィエのトリッティコ」(1475c)


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普通、聖母子は中央パネルになりますが、ここでは違います。


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ニコラ・ディ・ウリッセ・ダ・シエナに帰属する「サン・エウティツィオのポリッティコ」(1463-77)
残念ながら中央パネルが欠落しています。


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聖プラチード、聖スペース


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聖ベネデット、聖フィオレンツィオ


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4福音書記者


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次の部屋です。


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アントネッロ・デ・サリバ(メッシーナ、1480‐1495記録)の「モンテサントの祭壇画」(1494)


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サリバはアントネッロ・ダ・メッシーナの甥でした。御覧のように腕前は普通でしたが、それでも食べるのに困らないような画家だったと思います。ところが、時々、叔父であるアントネッロ・ダ・メッシーナの名前を騙って作品を制作したのです。更に悪いことには、アントネッロ・ダ・メッシーナ作品の複製画を手掛けたので、作品帰属をめぐって混乱が生じてます。


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ヤコポ・ヴィンチオーリ(スポレート、1444‐1495記録)の作品(15世紀第4四半世紀)です。


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恐らく多翼祭壇画の一部と思われます。


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スポレートのサン・シモーネ教会にありました。


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洗礼者聖ジョヴァンニ、聖ピエトロ


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ヤコポ・ヴィンチオーリ?の「聖母子と聖人たち」(15世紀第4四半世紀)


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展示室からロッジャに出ました。


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すっかり良い天気になりました。


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2階ロッジャからの眺め


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1階に戻りました。


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博物館の外に出ました。


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(おわり)

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再び2階ロッジャのフレスコ画に戻ります。今度は先ほどと別翼のロッジャです。


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各紋章がどの家のものか分かりませんが、この城塞に関係した家の紋章です。


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ロッジャのフレスコ画は以上で終わりです。


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博物館の展示に戻ります。


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スポレートのサン・ニッコロ・デ・マッルッビア教会にあった碑文(1172)


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スポレートのバーリ橋にあった碑文(1155)
バーリ橋が何処にあるのか分かりません。


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紋章?


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上記フレスコ画の説明プレート


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「福音書記者聖ルーカのシンボル」(13世紀)
スポレートのドゥオーモにあった彫刻


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「ライオン像」(12世紀後半)
スポレートのサン・ニコロ教会にあった彫刻


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アレッツォの無名彫刻家の「スポレートのサン・ニコロ教会プルターレのルネッタ」(13世紀後半)


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Maestro delle Palazze の「キリストの嘲笑」(13世紀末)


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Maestro delle Palazze の「最後の晩餐」(13世紀末)


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13世紀末の無名彫刻家による「牡鹿に飛びかかるライオン」


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Maestro delle Palazze の「最後の審判」(13世紀末)


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Maestro delle Palazze の「磔刑」(13世紀末)


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Maestro delle Palazze の「聖母子と二聖人」(13世紀末)


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Maestro delle Palazze の「磔刑」(13世紀末)


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Maestro di Cesi (1308‐1315記録)の「彩色磔刑像」(14世紀第1四半世紀)


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ウンブリアの無名画家の「彩色磔刑像」(12世紀末)


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無名彫刻家の「聖ビアージョの殉教」(12世紀末‐13世紀初め)


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ウンブリアの無名画家の「彩色磔刑像」(13世紀第3四半世紀)
スポレートのステッラ修道院にありました。


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ウンブリアの無名彫刻家による「柱頭」(14世紀前半)
(つづく)

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博物館と城塞の続きです。


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色々なものが展示されてます。


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スポレートのサンタガタ修道院にあった柱頭(8世紀)


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スポレートのサンタガタ修道院にあった柱頭(8世紀)


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柱頭(8世紀末‐9世紀初め)


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部屋の壁に残されたフレスコ断片


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何が描かれていたのか判然としません。


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仮に塗り潰されても然したる影響がありません。


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聖人たちの彫刻(9世紀)
スポレートのサンティッシマ・アポストリ教会にありました。


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装飾がある仕切り(9世紀)


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装飾が施された石板(9世紀前半)


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「髭がある男の頭像」(9世紀)


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柱頭(9世紀)


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装飾が施された石板(9世紀)


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装飾が施された石板(9世紀)
スポレートのサンティッシマ・アポストリ教会にあったもの


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二階に向かいました。


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階段の踊り場にあるフレスコ


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2階のロッジャの壁に描かれたフレスコ画を見ました。


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これらの制作者が私には分かりません。


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私が「制作者不明」と書くときは、世間一般的に誰も分からない時を示してます。


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この博物館関係者は誰が描いたのか知っていて、私だけが知らない場合があります。


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ここに付いては、私だけが知らないと思います。


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ロッジャからの景色が素晴らしい!


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これで二階ロッジャの片方のフレスコ画の紹介を終わります。


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次はCamera Pintaです。


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この部屋のフレスコ画は特に有名です。


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この博物館・城塞の最大の見どころはCamera Pintaと言われてます。


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この部屋のフレスコ画の制作者が記されてます。


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これでCamera Pintaのフレスコ画の終わりです。


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(つづく)

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スポレートのサンテリオ丘に建つアルボルノツィア—ナ要塞です。


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教皇庁がアヴィニョンにあった頃の教皇インノチェンツォ4世(1282‐1362)が、当時教皇領の重要な拠点だったスポレートの防御を図ったことがこの城塞を築く切っ掛けとなりました。


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教皇はスペイン出身のエジーディオ・アルボルノツォ枢機卿にスポレート要塞の建築を命じました。その名に基づき、グッビオの建築家マッテオ・ガッタポーニの設計と工事監督により、1363年から1367年に建築されたのがアルボルノツィアーナ城塞です。


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高い城壁で囲まれた城塞には6本の防御塔があります。


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16世紀になると、城塞としての重要性が失われ、18世紀には公的な建築物となりました。
1812年から1982年まで、城塞は刑務所として使用されました。


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20世紀末に、建物は博物館として転用されることになり、国立スポレート公国博物館は2007年にオープンしたのです。


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スポレート周辺の遺跡からの発掘物、教会や修道院から運ばれた彫刻や祭壇画など864,190点の厖大な展示物が、総面積1,241平方メートルの展示室に展示されてます。
また、城塞内の部屋や回廊に施されたフレスコ画などの装飾が大きな見どころとなってます。


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博物館の入り口です。
尚、2015年の年間入館者は36,309人でした。


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切符を購入して中に入ると、この中庭Corte d'onore に出ます。


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中庭を囲む回廊の2階に描かれたフレスコ画が見どころですが、それを見るのは後回しにして1階部分を先に見ました。


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教皇グレゴリオ13世の紋章


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Corte d'onore を囲む回廊は、建築家ベルナルディーノ・ロッセッリーノ(セッティニャーノ、1409‐フィレンツェ、1464)の設計と工事監督によって15世紀中頃に建設されました。


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この向こうにも中庭にあるのですが、中庭と中庭を結ぶ通路の壁に描かれたフレスコ画が見どころです。


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壁一面にフレスコ画が描かれてます。


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中庭は2つあり、こちらの方は城塞に詰める兵士たちが利用しました。


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兵士たちの中庭は装飾などが全くない実用的なものでした。


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Corte d'onore に面した展示室に入りました。


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「石棺」(5世紀末‐6世紀初め)
スポレートのサンティッシマ・アポストり教会にありました。


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「ルーチェ・バエビーオ・サビーノの石棺」(4世紀末‐5世紀初め)


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「ブオン・パストーレの石棺」(4世紀後半)


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「テラコッタ製の棺」(6世紀)
スポレートのサン・ピエトロ教会にありました。


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「テラコッタ製棺」(6世紀)
スポレートのサン・ピエトロ教会にありました。


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「テラコッタ製棺」(6世紀)
スポレートのサン・ピエトロ教会にありました。


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遺跡からの発掘物


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石碑の数々


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「墓碑」(4世紀末‐5世紀初め)
スポレートのサンティッシマ・アポストリ教会にありました。


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「スペース司教の墓碑」(5世紀後半)
スポレートのサンティッシマ・アポストリ教会にありました。


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展示室のフレスコ画


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スポレートのサン・マルコ教会のモザイク(6世紀前半)


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スポレートのサン・マルコ教会のモザイク(6世紀前半)


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スポレートのサン・マルコ教会のモザイク(6世紀前半)


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監視員が厳しく仕事をしてました。


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13世紀の無名彫刻家の「聖イサクの石棺」
モンテルーコ・ディ・スポレートのサン・ジュリアーノ教会にありました。


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15世紀の無名彫刻家の「ベアート・グレゴリオの石棺」(15世紀第4四半世紀)


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スポレートのドゥオーモにありました。


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次の部屋


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フラミニア街道の敷石


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遺跡からの発掘物


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(つづく)

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