イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ:ラツィオ州 > ヴィテルボ

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教区教会の周りは、ヴィテルボで最古の地区と言われてます。


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サンタ・マリア・ヌオーヴァ教区教会です。


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ローマ時代にこの地に建設された異教の寺院がありましたが、380年の記録によって、その存在が確認されてます。確実な記録が残されてませんが、6世紀頃にその異教の寺院が初期キリスト教会に転用されたと推察されてます。その初期キリスト教会がこの教区教会の前身とされてます。


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現在の教会の姿は、初期キリスト教会の建物を取り壊して、その上に1080年に創建され12世紀に完成したロマネスク様式の二代目の建物がその後3回に渡る補修工事によって若干変更されたものです。


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17世紀、18世紀、20世紀の3回補修工事が行われましたが、幸いなことに大掛かりな修復は一度も行われず、マイナーチェンジの補修に留まり、12世紀完成の姿はほぼ現在も留めていると言われてます。


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ファサードのルネッタ上のフレスコ画はその痕跡さえも残されていません。


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ファサード横に説教壇があります。


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1266年、教皇クレメンテ4世がこの説教壇から説教を行ったそうです。


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日が当たっていた方が見易いでしょうか?


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平日は開いている時間が長いので拝観しやすい教会です。


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鐘楼と中庭


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中に入ります。


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三廊式、ロマネスク様式の内部です。


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美術的には、ヴィテルボの数多くの教会の中で必見とされている教会です。


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このように説明プレートが完備されてます。


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貴重なフレスコ画が保存状態良く残されてます。


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左側廊


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左右の側廊に礼拝堂が設けられてます。


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右側廊


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木組みの梁の天井


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中央通路


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主祭壇


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装飾がない後陣です。


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磔刑像が置かれているだけです。
祭壇画、フレスコ画を見て回りました。


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ヴィテルボ出身のジョヴァンニ・フランチェスコ・ザッキ・タヴァンツァラーノ通称ファンタスティコの「玉座の聖母子と聖バルトロメオと聖ロレンツォ」(1495‐1505c)


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フランチェスコ・ザッキ・ディ・アントニオ通称バッレッタ・ディ・ヴィテルボの「磔刑と聖人たち」(15世紀)


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トスカーナの無名画家の「モナルデスキ家のフレスコ画」(1293)
このフレスコ画が描かれた礼拝堂はヴィテルボの貴族モナルデスキ家の個人礼拝堂です。


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サーノ・ディ・ピエトロの「聖母子と天使たち」(15世紀)


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13世紀のローマの無名画家の「祈るキリストと聖母と福音書記者聖ジョヴァンニ」(13世紀前半)


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カルロ・カネストラーリ(1922‐1988)の「ピエタのタベルナコロ」(1958)


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詳細不明


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制作者不詳の1320年に制作されたフレスコ画断片


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玉座の聖母子と四聖人(14世紀)

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バッレッタ・ディ・ヴィテルボの「玉座の聖母子と聖人たち」(15世紀)


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ヴィテルボ出身のマッテオ・ジョヴァンネッティの「磔刑と聖人たち」(1340)


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パストゥーラ・ディ・ヴィテルボ(1450‐1516ヴィテルボで活動記録)の「聖ジローラモと洗礼者聖ジョヴァンニと聖ロレンツォ」(15世紀末)


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詳細不明


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制作者不詳の「パドヴァの聖アントニオ」


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20世紀の修復の際、新作された柱頭


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古い柱頭が見当たりません。


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創建時の柱頭がないか、熱心に探しました。


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この壁に最後の晩餐のフレスコ画があったそうです。


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聖水盤


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外に出ます。


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ドゥオーモよりも見所が多いと思います。


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(おわり)

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マルコ・ベネフィアルの「聖トランクィッリーノの洗礼」(1721‐25)


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光るので横から撮ってみました。


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ベアトリーチェ・ボッローニの「La Mortella」
彼女の作品の画題は凝っているので、日本語に訳してもよく分からない。そのまま掲載した方が良さそうです。


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ルドヴィーコ・マッツァンティの「聖なる家の引っ越し」(18世紀前半)


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無名画家の「聖ステファノと聖ロレンツォ」(15世紀?)


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この部屋は個展が主、宗教画が従になってます。


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彼女の作品に見慣れてくると、現代作品としては魅力あるものに感じてきました。


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この博物館内に空き部屋があるので、そこを使って彼女の作品だけを展示する個展の形態を何故取れないのか、不思議に思いました。


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「Le Lottatrici」


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詳細不明
彼女の個展のため、宗教画の説明板を取っ払ったようです。


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「Consuelo」
彼女が描くのは女性だけのようです。


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サマルカンダの女はシリーズになっているようで、番号が付けられてます。


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「サマルカンダの女5」


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「Portatrice D'Acqua」


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「サマルカンダの女7」


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詳細不明


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「サマルカンドの女4」


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「サマルカンダの女6」


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「ジュラルディーナと他の女たち」


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この作品には番号がありません。


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強いて番号を付ければ、1番になるでしょうね。1番の作品がありませんから。


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詳細不明


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「Le Appese」


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「Notturno」


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「サマルカンダの女2」


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「La Posa」


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詳細不明


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「Luce」


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「Nuovo Raccolto」


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階段に2つの作品があります。


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詳細不明


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詳細不明


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次の部屋です。


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現代画ですが、ベアトリーチェ・ボッローニの作品ではないと思います。


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エッチング、水彩画などが展示されてますが、すべて詳細不明です。


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天井の装飾


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この部屋から宗教美術のエリアになります。


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フランチェスコ・ナーニの「聖パオロ・アポストロ」


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フランチェスコ・ナーニの「ピオ2世」


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フランチェスコ・ナーニの「聖ルチア」


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次の部屋です。


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フランチェスコ・ナーニの「聖パオロ・アポストロ」


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フランチェスコ・ナーニの「天使」


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フランチェスコ・ナーニの「天使」


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フランチェスコ・ナーニの「ピオ11世」


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フランチェスコ・ナーニの作品


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詳細不明


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ドゥオーモの柱頭


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これは何ですか?奇妙奇天烈


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詳細不明
私には理解不能です。


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ヴィテルボの聖職者たちの肖像画です。


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定番の聖職者用衣装


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聖職者用衣装って、博物館でわざわざ展示する価値があるの?


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これを見たドラえもんが言いそうです。「こ~れがどうした」


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次の部屋は聖具類の展示です。


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高価そうなものばかりです。


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退屈極まりない展示


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ヴィテルボの高位聖職者像


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ヴィテルボで即位した教皇像がありましたが、撤去されてました。


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ミケランジェロの追随者の「磔刑」(16世紀末)
以前はミケランジェロの作品とされていました。


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金属加工品


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私の他には誰もいません。


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この展示内容では閑古鳥が鳴くのは当然です。


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詳細不明


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ローマ派無名画家の「カルボナーラの聖母」(12世紀末‐13世紀初頭)


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ドメニコ・コルヴィの「福音書記者聖ジョヴァンニ」(1749)


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べンヴェヌート・ディ・ジョヴァンニの「聖母子」(15世紀)


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バルトロメオ・カヴァロッツィの「聖母子」(1625)


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古いフレスコ画が僅かに残されてます。


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「サマルカンダの女8」


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今回の博物館は、ベアトリーチェ・ボッローニの作品が強烈な印象を残してくれました。
何処かで彼女の作品に出合うことがあれば、一目で彼女の作品と分かると思います。
(おわり)

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ドゥオーモのファサードと鐘楼の間に低い建物がありますが、そこが博物館の入り口です。
Museo del Colle del Duomoは2000年にオープンした比較的新しい博物館です。


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入り口横にBORRONIの看板が出ていました。それを見て一瞬嫌な感じがしたのですが、そのまま入館しました。結論を言えば、その嫌な感じが当たりでした。


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以前は、教皇の館 Palazzo dei Papi に行ってコンクラーヴェが行われた部屋などを見学できましたが、この日は見学はやっていないと言われました。この日だけの一時的な措置であることを望みます。


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切符売り場


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「ヴィテルボ病院のテリトリーを示す地図」(16世紀)


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ジョヴァンニ・ドゥプレの「Letizia Bonaparte Wyse (1804-1871)」


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ヴィンチェンツォ・ストリゲッリ・ダ・ヴィテルボ(1720c‐1786?)の「聖バルトロメオの殉教」
以前と比べるとかなり展示が違うことに気付きました。


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「洗礼者聖ジョヴァンニに下顎の発見を報告する碑文」(1376)
ドゥオーモにあったそうです。


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無名画家の「聖アンナの死」(17世紀)


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一旦、庭園のような場所を通り抜けます。


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ローマ時代の遺跡からの出土物が展示されてます。
ドゥオーモの横に博物館があるので、ドゥオーモ付属博物館と誤解していました。


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向こうに見える建物が展示室です。
ヴィテルボ司教区の祭壇画や聖具などの展示が主ですが、ドゥオーモとその近くから発掘されたものを展示する考古学部門が併設されてます。


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ローマ時代のアーチと彫刻


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ローマ時代のもの


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ドゥオーモとは無関係です。


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この博物館がヴィテルボ市立かどうか知りませんが、他のコムーネでお馴染みのMuseo Civicoとほぼ同じ形態の展示です。


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豊穣の女神


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AREA ARCHEOLOGICAと記されてます。


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柱頭(11世紀)


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祭壇天蓋(8‐9世紀)


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現代画が展示されているではありませんか、タマゲマシタ。
嫌な予感が当たりました。
古いものと現代絵画のコラボ! このような展示法、イタリア人って好きですね。


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遺跡からの発掘物


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セラミックとブロンズの展示(紀元前10世紀‐紀元前1世紀)


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あっりゃ~! これは何だ?


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ベアトリーチェ・ボッローニ(フィレンツェ、1964‐)という女流画家の個展が行われていたのです。
彼女は陶芸家として芸術の道を進み、ファエンツァの陶芸博物館に彼女の作品が展示されるなど、陶芸家としてかなり有名になりましたが、次第に絵画に傾倒するようになり、現在は画家に転向したようです。
イタリア各地の他、アメリカなどの外国でも個展が開催されてます。


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柱頭(4世紀)


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この辺はヘラクレス神殿があった場所です。


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通路の下は発掘現場だったそうです。


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この辺からドゥオーモ付属博物館のような展示が始まります。


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初代のドゥオーモの建物の断片


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「窓の女」
彼女の個展をやるのならば、せめて彼女の作品だけを展示する部屋でやるべきと思いました。


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「Natevoli Aspettative」


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ドメニコ・コルヴィの「フランチェスコ・パチーニを導く聖ジャチンタ・マレスコッティ」(18世紀末)


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ルドヴィーコ・マッツァンティの「受胎告知」(1750c)


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「睡眠」
入館者が誰もいないのです。このような閑古鳥が鳴く環境で個展をやる意味があるのか疑問に思いました。


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ピエトロ・ヴァン二の「死せるキリスト」(1876)


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祭壇画などの常設展示作品を取り外して、彼女の作品を展示しています。


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美術館の展示は作品の年代順が良いと思います。


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ジュゼッペ・サンドリの「グイド・レーニ作『光悦のマグダラのマリア』の複製画」(1861‐64)


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18世紀の無名画家の「ヴィテルボの聖ローザ」


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フランチェスコ・ダントニオ・ザッキ通称イル・バッレッタの「聖マルコ」(1476以前)
(つづく)

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サン・ロレンツォ司教座教会です。


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丘上のこの地にエトルリア人によって建設されたヘラクレス神殿がありましたが、7世紀に神殿を初期キリスト教会に転用したのが、この聖堂の前身です。


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12世紀、初期キリスト教会だった建物を取り壊し、その上に新築されたロマネスク様式の建物が二代目です。二代目の建物の完成後の1192年、教皇チェレスティーノ3世によって司教座が置かれることになりました。
16世紀、フランチェスコ・ガンバラ枢機卿によって建物のファサードがルネサンス様式に改修されましたが、改修後の姿が現在に至ってます。


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この教会が有名なのは、13世紀に教皇庁が約30年間ヴィテルボに遷され、史上最長期間の教皇選出が行われて、コンクラーヴェと言う言葉を生んだからでしょう。
しかし、教皇庁が置かれた歴史があるにも拘らず教会としての格付けが低く、教皇ピオ12世によってBasilica Minoreに昇格したのが1940年でした。


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12世紀に建設された鐘楼がオリジナルの形で今も残されてます。


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ファサードに向かって右奥にある長い建物は1255年から1267年に建設された教皇の館 Palazzo dei Papiです。


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教皇の間に向かう階段です。


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奥の建物が司教館です。教皇庁が置かれていた時代、司教館に教皇庁がありました。


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教皇がここにいた時代、ロッジャから教皇がお出になり一般信者に祝福を与えたとされてます。また、ロッジャの部分は天井があったそうですが、1325年に崩落してしまい、その後修復されずに天井なしの状態で現在に至ってます。


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階段を上ってロッジャに行きました。


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ロッジャからの景色


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ロッジャにあるフォンターナ


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ロッジャから聖堂に戻ります。


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扉上の彫刻


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この扉の彫刻は新しいものでしょうね。


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聖堂内に入ります。


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三廊式の内部です。12世紀の二代目建物の創建以降、修復、改修の歴史を物語るロマネスク様式、ルネサンス様式、バロック様式が折衷しています。


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左側廊方向


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右側廊方向


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木組みの梁の天井


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天井の木に文字や模様が書かれているそうですが、この写真では分かりませんね。


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床模様も見どころとされてます。


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左側廊


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柱頭も見どころです。


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側廊の天井も木組みです。


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入口扉横にあるフレスコ画


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12世紀の無名画家の「玉座の聖母子」


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ジローラモ・ダ・クレモナの「貧者を助ける聖ロレンツォ」(1472)


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無名画家の「聖セバスティアーノの殉教」(13世紀)


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無名画家の「聖母子」(13世紀)


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イル・パストゥーラの「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」(16世紀)


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フランチェスコ・ダ・アンコーナの代表作「洗礼盤」(1470)


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マルコ・ベネフィアル(1684‐1764)の「聖ロレンツォの殉教」(18世紀前半)


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マルコ・ベネフィアルの「貧者に施しを与える聖ロレンツォ」(18世紀前半)


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マルコ・ベネフィアルの「聖コムニオーネを導く聖ロレンツォ」(18世紀)


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詳細不明の「ピエタ」


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無名画家の「ベアート・ジャコモ・ダ・ヴィテルボ」


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ローマの無名画家の「聖ジローラモ」


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カルロ・マラッタ(1625‐1713)の「貧者に施しをする聖ロレンツォ」


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ジローラモ・ダ・クレモナの「祈るキリストと聖人たち」(15世紀後半)


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ジョヴァン・フランチェスコ・ロマネッリの「聖家族と聖ベルナルディーノ」(17世紀中頃)


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ジョヴァン・フランチェスコ・ロマネッリの「聖クリストフォロ」


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ジョヴァン・フランチェスコ・ロマネッリの「聖ロッコ?」


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サンタ・ルチア礼拝堂


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クーポラに見えるように描かれた騙し絵


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パオロ・グイドッティの「聖母子と聖ルチア」(17世紀初め)


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教皇庁が置かれていた時代の教皇の墓のようです。


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次の礼拝堂です。
15世紀に描かれた聖ピエトロと聖パオロのフレスコ画


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12世紀の無名画家の「カルボナーラの聖母」


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横から撮ると光らない。


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主祭壇


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後陣


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次の礼拝堂です。


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礼拝堂のクーポラ


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ジョヴァンニ・マリア・モランディの「聖イラーリオと聖ヴァレンティーノ」


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フランチェスコ・フェルディナンドの「聖イラーリオの殉教」(1714)


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フランチェスコ・フェルディナンドの「聖ヴァレンティーノの殉教」(1714)


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右側廊


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外に出ました。


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鐘楼の横に建つ建物は13世紀に建設されたヴァレンティーノ・デッラ・パニョッタ邸です。
(おわり)

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広場の面白いものの紹介です。


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この日は2017年6月7日でした。
この記事がアップされるのは、今の予定では2018年3月20日なので、ほぼ1年前のことを今頃アップしてケシカランと怒られそうです。
これを書くと身も蓋もありませんが、これを書いているのは2017年8月2日なんです。いつ何時書けなくなる時が来ると思うので、せっせせっせと書き貯めてます。


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監視カメラがあります。


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イタリアは監視カメラが多いと思いますが、スリなどの犯罪検挙には利用してないと思います。スリの被害話の多さから推察すれば、スリって警察公認?と思えます。


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サン・ロレンツォ通りを進みました。
全然話が違いますが、税制は人頭税が最良と思ってます。最も理想的な税制と思います。(人頭税を支持する多くの説が出されてます) 基本的に富の再分配は嫌いです。


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この道を真っすぐ進めば(途中、ちょっと右に折れますが)、サン・ロレンツォ大聖堂に突き当たります。


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中世の色濃い町並みです。


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このレストランは明らかに教会だった建物ですね。
調べたら、1142年に建設されたサン・ビアージョ教会でした。1927年に宗教活動を停止して建物を売りに出したそうです。


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塔がある建物は14世紀中頃に建設されたPalazzo Chigiです。


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ジェズ広場にやってきました。


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残念! ジェズ教会(またはサン・シルヴェストロ教会)はこの日も閉まっていました。


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この教会は興味深いので拝観したかった。


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その理由がファサードに掲げられた碑文に書かれてます。
1271年3月13日の朝、グイドとシモーネのモンフォルテ兄弟が、彼らの父と兄弟を殺したエンリコ・ディ・コルノヴァーリアを教会内で殺したのです。
父と兄弟の敵討ちをしたという訳です。エンリコはモンフォルテ兄弟の親戚だったそうです。


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この日もルネッタに描かれたフレスコ画を見ただけで教会を後にしました。


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ジェズ広場にあるフォンターナ


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塔を見に行きました。


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11世紀から13世紀に建設されたボルゴニョーネの塔です。


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塔の歴史などが記されてます。


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暑いので、ここで一服しました。(タバコは吸ったことがありません)


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外階段がある建物はより中世ぽく見えます。


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サン・ロレンツォ通りを進みました。


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道草したかった道ですが過去の失敗を思い出して、我慢しました。


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右に折れました。


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道の突き当りにドゥオーモが見えます。


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写真右はファルネーゼ宮です。


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陸橋の上から撮りました。


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ファルネーゼ宮は以前、公開されていたと思いますが、近ごろは開いていたことがありません。


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この日も固く施錠されていました。おそらく非公開になったと思います。


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入口上に紋章があります。


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これもファルネーゼ家の紋章のようですが、見慣れた紋章とはかなり違います。


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サン・ロレンツォ大聖堂です。


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大聖堂の隣にあるMuseoも開館してました。


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一時期、教皇庁が置かれ、初めてのコンクラーヴェが行われた聖堂として有名です。大聖堂については、改めて別個に取り上げる予定です。


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Museoについても改めて取り上げます。


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Museoを出た後、適当にぶらぶら歩きました。


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開いていた教会に入りました。


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芸術作品と思われるものはありません。


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午後6時半を過ぎてます。


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(おわり)

お腹一杯になったので腹ごなしに歩きました。
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イタリア大通りを進みました。


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振り返ると正面にヴェルディ劇場が見えます。


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サン・エジーディオ教会の後陣です。


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教会の入り口は裏通りにありますが、この時間は開いてません。


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途中で寄り道しますが、ドゥオーモに向かって歩きました。


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戦没者慰霊堂のようです。


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1510年、時の教皇レオ10世の命によって建設されたサン・ジョヴァンニ・バッティスタ・デリ・アマルディア―ニ教会です。


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現在は宗教活動を停止した旧教会で、市立美術館の一部になっている他に様々な展示場として使用されているようです。


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バスターミナルになっているカドゥーティ広場


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ローマ通りをプレビシート広場の方に進みました。


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午後3時過ぎですが、夏至近くの日差しがまだまだ強烈でした。


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観光案内所で地図を買いました。€3.5


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ユニークな形をした、1320年に建設されたサンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会です。


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美術好きにとって必見だそうですが、開いていることがありません。


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プレビシート広場に入ります。


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この広場が街の中心です。


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プリオーリ宮


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ポデスタ邸


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ポデスタ邸に時計塔があります。


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プリオーリ宮の庭園に行くことにしました。


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プリオーリ宮ロッジャの壁に描かれたフレスコ画


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庭園です。


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庭園にもフォンターナがあります。


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プリオーリ宮は低い丘の上に建ってます。


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谷の向こうに見えるのはトリニータ教会です。


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庭園から見たプリオーリ宮の内側


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壁の紋章


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庭園にもう一つフォンターナがありました。


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次はサンタンジェロ・イン・スパータ教会です。


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850年の文書に記録されている古い教会です。現在の建物は1078年に建設され、1145年に奉献式が執り行われたロマネスク様式のスパータ家所有だった教会が原形だそうです。


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その後、幾度となく修復され、18世紀に行われた全面改装の結果、ほぼ現在の姿になりました。しかし、1944年に爆撃され大きな被害を受けてしまい、戦後に大修復されました。


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ファサード横にあるベッラ・ガリア―ナの墓です。


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ベッラ・ガリア―ナはローマ時代の人でヴィテルボに縁があったので墓がここに置かれてますが、石棺は複製です。


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拝観しました。


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左右の側壁にそれぞれ3つの礼拝堂が設けられてます。


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第二次世界大戦後に大修復されたので新しく見える内部です。


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美術的には数点の見どころがあります。


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左第1礼拝堂


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左第2礼拝堂


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左第3礼拝堂


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詳細不明の「キリスト」


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礼拝堂アーチのフレスコ


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主祭壇


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後陣


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主祭壇画は、フィリッポ・カッパロッツィ通称ロ・スパーニョレットの「聖母子と聖人たち」(17世紀前半)


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左翼廊


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右翼廊


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「大天使ミケーレ」


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14世紀に制作された「磔刑像」


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ヴィテルボの無名画家の作品(17世紀)


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アンドレア・ディ・ジョヴァンニ(オルヴィエート、1378‐1424活動記録)の「聖母子」(14世紀末)


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外に出ます。


P2240613
(つづく)

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ヴェリータ門から城壁内に入りました。


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次は門の近くにあるサン・ジョヴァンニ・イン・ツォッコーリ教会です。


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身廊側の扉が開いてました。


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身廊前のダンテ広場にもフォンターナがあります。


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中に素晴らしい多翼祭壇画があります。


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1037年に建設されたサン・ジョヴァンニ・イン・ツォッコーリ教会です。


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長い年月の間にファサードが徐々に前傾するようになったので、二本のアーチで補強して前傾を支えてます。


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ファサードの大部分は創建時の姿を今も留めてますが、それ以外の部分はその後に行われた修復工事による比較的新しいものです。
特に第二次世界大戦の爆撃によって大きな被害を受けた箇所は戦後に修復されました。


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ファサードの扉上ルネッタに描かれた「福音書記者聖ジョヴァンニ」のフレスコ画


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中に入りました。


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三廊式、ロマネスク様式の内部です。


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通常、ファサード側と身廊側の二か所が開いてます。


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木組みの梁の天井


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左側廊


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側壁や柱にあったフレスコ画は全く残されていません。


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右側廊


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主祭壇


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後陣は、戦争の爆撃によって崩落したので戦後に再建された新しいものです。


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フランチェスコ・ダントニオ・ダ・ヴィテルボ通称イル・バッレッタの多翼祭壇画(1441)
この教会の唯一の見どころと言ってよい作品です。


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玉座の聖母子


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聖ピエトロ、洗礼者聖ジョヴァンニ


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福音書記者聖ジョヴァンニ、聖パオロ


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裾絵


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主祭壇前から見たファサード側出入口


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外に出ました。


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今まで困っていましたが、何とか持ちこたえてくれていたカメラのSDHCカードの転送スピードが極端に遅くなってきました。


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こちらに来る前、ローマのホテルで新しいメモリーカードを入れましたが、それの調子が悪くなったのです。グレード10なのに情けない。


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常時、予備のメモリーカードを持っている筈ですが、今朝交換したばかりの32GBの容量がなくなることはないと油断して予備のカードを持っていなかったのです。


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仕方がないので、メモリーカードを取りにホテルに戻ることにしました。


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教会を出た以降の写真はカメラのメモリに撮ったものです。


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ジーリオ通り


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1076年創建のサンタ・マリア・イン・ポッジョ教会です。


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教会前にあるFontana della Crocetta (16世紀)


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サン・ロッコ通り


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サンタ・ローザ教会が見えてきました。


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サンタ・ローザ教会の後陣


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ホテルに戻りました。


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サン・マルコ教会


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この時間は開いてません。


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メモリーカードの不具合でホテルに戻ることになり、時間を損したので、予定外のこのお店で昼食にしました。


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かなりお高く、味は今八でした。


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イマイチではなく、イマニでもなく、イマサンでなく、今八。


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P2240542
(つづく)

P2240301
次の部屋に入ります。


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第4室です。主に石棺が展示されてます。他人のお墓なんぞ見る気がしませんが、イタリアでも日本でも墓の展示が大好きなのは趣味が悪いと思ってます。


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石棺(前3世紀末‐前2世紀)


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石棺(前3世紀末‐前2世紀)
棺に入っていた遺体は?


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石棺(前3世紀末‐前2世紀)


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ローマ時代のもの


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墓石(紀元前3世紀)


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墓石(紀元前3世紀)


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次の展示コーナーです。


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ここも未だ第4室です。


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石棺(紀元前23‐18)
誰の墓だったのか特定されています。その没年が分かっているので石棺の制作年が大体分かるそうです。


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石棺(紀元前67)


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石棺


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石棺


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次の部屋です。


P2240326
第5室です。


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女性像(紀元前1世紀末‐1世紀初め)


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リヴィア?像(1世紀)


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男の頭像(紀元前2世紀‐紀元前1世紀)


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ディアナ?(紀元前1世紀後半)


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次の部屋です。


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メダルとコイン


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種々雑多な展示


P2240344
写真の展示


P2240345
次の部屋です。


P2240346
第10室になります。


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P2240350
エッチング


P2240351
セミナー室です。


P2240353
ジョヴァン・フランチェスコ・ロマネッリの「エジプトへの逃避途中の休息」(17世紀)


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17世紀の無名画家の「教皇インノチェンツォ10世の肖像」(1644‐1655)


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ジョヴァン・フランチェスコ・ロマネッリの「エルコーレとオンファーレ」


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アンジェロ・プッチャーティ(プッチャッティ)の「聖家族と聖カリオと聖フィリッポ・ネリ」(17世紀後半)


P2240365
ジョヴァン・フランチェスコ・ロマネッリの「受胎告知」(17世紀)


P2240369
チェーザレ・ネッビアに帰属する「聖セバスティアーノ」(16世紀末‐17世紀初め)


P2240371
マルコ・ベネフィアルの「聖マリア・エジツィアカの死」(1720‐30)
こんな聖人がいるんだ。


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アントニオ・ゲパルディに帰属する「聖家族を崇める聖人たち」(1667‐70)


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ジュリオ・ピエリーノ・ダメリアに帰属する「聖ヴィンチェンツォ」(16世紀後半)


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ドメニコ・コルヴィの「ポリッセーナの犠牲」


P2240385
18世紀の無名画家の「フラ・ジョヴァンニ・ナンニの肖像」


P2240388
ドメニコ・コルヴィに帰属する「聖クリスピーナ」(18世紀)


P2240391
ミケーレ・キスレーリの「教皇ピオ5世」


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P2240395
ルドヴィーコ・マッツァンティの「寺院への出現」(18世紀)


P2240398
ルドヴィーコ・マッツァンティの「聖母の誕生」(18世紀)


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サルヴァトール・ローザの「聖トッマーゾの不信」(18世紀)


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アンティヴェドゥート・グラッマティカの「寺院への出現」(17世紀)


P2240409
18世紀の無名画家の「バーリの聖二コラ」


P2240412
ジュゼッペ・ルスカの「ジョヴァン・バッティスタ・ブッシ枢機卿の肖像」(1714)


P2240419
アントニオ・アンジェロ・ボニファッツィ(ヴィテルボ、1627‐ローマ、1699)の「聖レオナルドの説教のステンダリオ」(17世紀)


P2240416
上の裏面です。
アントニオ・アンジェロ・ボニファッツィの「天上の聖レオナルド」(17世紀)


P2240427
これで終わりです。


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ヴィターレ・ダ・ボローニャ、イル・パストゥーラの作品が良かったと思いました。
ロンドン・ナショナル・ギャラリーから来ていたマンテーニャの作品が見ることが出来て良かった。


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墓ばっかり


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(おわり)

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コスタンティーノ・ディ・ヤコポ・ゼッリ(ヴィテルボ、1509‐1524消息)の「十字架降下」(16世紀)


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サーノ・ディ・ピエトロ(シエナ、1406‐1481)の「シエナの聖ベルナルディーノ」(15世紀中頃)


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フランチェスコ・ダントニオ通称イル・バッレッタ(ヴィテルボ、1430から消息‐1476没)の「玉座の聖母子」


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ピエトロ・ダ・コルトーナの「羊飼いの礼拝」


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アントニアッツォ・ロマーノの「聖母子」(1497)


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パンクラツィオ・ディ・アントネッロ・ダ・カルヴィ(カルヴィ、1467‐1513消息)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」(1477c)


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アンドレア・ジョヴァンニ(オルヴィエート、1378‐1417消息)とアントニオ・デル・マッサ―ロ通称イル・パストゥーラ(ヴィテルボ、1478‐1513消息)の「聖母子と天使とケルビーニ」(15世紀)


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アントニオ・デル・マッサ―ロ通称イル・パストゥーラの「羊飼いの礼拝」(15世紀後半)


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アンドレア・マンテーニャの「聖母子とマグダラのマリアと洗礼者聖ジョヴァンニ」(1490‐1505)
ロンドンのナショナル・ギャラリーから貸し出されていた作品です。


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これで2階の第8室は終わりです。


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1階のキオストロ回廊に戻りました。


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展示室番号の表示がありませんが第1室でしょう。


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1階の室内に入りました。


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第2室です。


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次の部屋です。


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第3室


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エトルリア時代の壺


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今日は時間がないので、短いですがこの辺で終わりにします。


P2240300
(つづく)

P2240439
ヴィテルボのサンタ・マリア・デッラ・ヴェリタ教会です。


P2240443
教会に隣接する、12世紀に建設された修道院の建物が市立美術館です。


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写真のピンクぽい色の建物が旧修道院です。


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市立美術館の入り口です。


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美術館は1955年にオープンしました。


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切符売り場


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旧修道院のキオストロ回廊


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回廊にはエトルリア時代からローマ時代の遺跡からの発掘物などが展示されてます。


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2階の絵画彫刻部門から見ることにしました。


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2階の展示室です。


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第8室になります。


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パスクゥアーレ・ロマーノ(ローマ、1286から活動記録)の「スフィンクス」(1286)


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制作者不詳の「ライオン像」(13世紀)


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パストゥーラ派無名画家の「聖母子」(16世紀中頃)


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マンテーニャの作品が貸し出し展示されていました。


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ヴィターレ・ダ・ボローニャ(ボローニャ、1330‐1359生存確認)の「聖母子と枢機卿と司教聖人」(14世紀中頃)


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ドイツの無名金属工芸家の「ライオンの形をした水差し」(ブロンズ)(13世紀前半)


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制作者不詳の「聖母子」(13世紀中頃)


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「ライオン像」(13世紀末)


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大理石の碑文(13世紀)


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ローマ派無名画家の「聖母子と天使」(13世紀)


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詳細不明の「マギの礼拝」


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ロープが張られていたので、近付いて作品を見ることが出来ません。


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セバスティアーノ・デル・ピオンボの「キリストの鞭打ち」


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セバスティアーノ・デル・ピオンボの「マギの礼拝」


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セバスティアーノ・デル・ピオンボの「聖母被昇天」


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展示方法に疑問あり、でした。
有名なセバスティアーノ・デル・ピオンボの「ピエタ」は貸し出し中でした。


pieta
見ることが出来なかったセバスティアーノ・デル・ピオンボの「ピエタ」


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第8室のこちらは特別展だったようです。


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広い第8室です。


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アンドレア・デッラ・ロッビア派の無名彩釉テラコッタ家の「聖母子と2天使」(1515c)


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アンドレア・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1435‐1525)の「ジョヴァンニ・バッティスタ・アルマディーニの胸像(テラコッタ)」(1510)


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アントニアッツォ・ロマーノ(ローマ、1464‐1508活動記録)の「聖母子」(15世紀)


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ヴィテルボの無名画家の「聖ルチアと聖アンサーノとシエナの聖ベルナルディーノ」(15世紀)


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フランチェスコ・ダントニオ・ザッキ通称イル・バッレッタ(?‐1473以降没)の「玉座の聖母子」(15世紀中頃)


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アントニオ・デル・マッサ―ロ通称イル・パストゥーラ(ヴィテルボ、1478‐1513活動記録)の「聖母子と天使たち」(1492‐97c)
(つづく)

P2240075
この先にあるサン・マルコ門に向かいました。


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13世紀に造られたサン・マルコ門です。


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門手前の壁に描かれた騙し絵


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門を潜って城壁外に出ました。


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城壁外の城壁沿いの道を進みます。


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市立美術館は城壁沿いも道に面して建ってます。


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この門の名前を知りません。


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Porta della Veritaです。道路を隔てた門の向かいに市立美術館があります。


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教会の隣が市立美術館です。


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サンタ・マリア・デッラ・ヴェリタ教会です。


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市立美術館になっている建物は旧修道院です。


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教会の扉が開いていたので拝観しました。修道院だった建物は美術館に転用されてますが、教会の方は宗教活動を行っている現役?の教会です。


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文書に残された記録がありませんが、12世紀後半にはこの地に教会があったと伝えられてます。


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現在の建物は1350年頃に建設されたものです。単廊式、ラテン十字形、ロマネスク様式の内部です。


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木組みの梁の天井


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14世紀頃の剥離フレスコ


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詳細不明


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ペルージャ?の無名画家の「大天使ミケーレ」(16世紀)


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マルコ・ザッパの「ピエタ」(2013)


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ペルージャの無名画家の「玉座の聖母子と洗礼者聖ジョヴァンニと聖アントニオ・アバーテ」(1611)


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左翼廊


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右翼廊


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主祭壇


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見分けがつかない古いフレスコ画


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パストゥーラ派画家によるフレスコ画(15世紀末‐16世紀初め)


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聖痕を受ける聖フランチェスコ


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三位一体


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「三聖人(聖セバスティアーノ、聖ファビアーノ教皇、聖ロッコ)」


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制作者不明の「聖母子」(16世紀)


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制作者不明の「司教と天使たち」(16世紀)


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右翼廊です。


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制作者不明の「聖母子」(1591)


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ルドヴィーコ・マッツァンティの「無原罪の御宿リ」


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詳細不明の「聖母子」


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礼拝堂の天井


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主祭壇前から見た出入口方向


P2240145
サン・ジローラモ礼拝堂


P2240147
マッツァトスタ礼拝堂は施錠されていて中に入ることが出来ませんでした。


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ロレンツォ・ダ・ヴィテルボによって描かれたフレスコ画で礼拝堂が装飾されてます。


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聖母の結婚


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金網の網の間のカメラを入れて何とか撮った写真です。


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サクロ・クオーレ礼拝堂


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14世紀のフレスコ画


P2240087
次は市立美術館です。


P2240165
前回、臨時休館だったので約5年振りです。


P2240219
市立美術館については、項を改めて詳しく触れる予定です。


P2240216
何たることか! 一番の見どころの作品がロープが張られていたので、近づいてみることが出来ません。


P2240427
(つづく)

P2230998
ヴィテルボには主要な鉄道駅が3駅ありますが、この日はヴィテルボ・ポルタ・フィオレンティーノ駅に到着しました。


P2230999
駅舎


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大きな荷物があっては身動きがままならなので、荷物を預かって貰うために先ずこの日のお宿に向かいました。


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ヴィテルボは城壁に囲まれた街です。


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こちらの門から城壁内に入りました。


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この日も暑かった。勿論猛暑日でした。


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この日のお宿です。前回もこのホテルに泊まりました。


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荷物を自室に置いて身軽になったので、早速街歩きに出発しました。


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ヴィテルボに来た最大の目的は市立美術館に入館することでした。
前回の旅では、市立美術館は臨時休館(恐らく美術館職員のストライキだったと思います)だったので、何とか念願を果たしたいと思ったのです。


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有名なオペラ劇場(この日は公演なし)


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この街に来たならば、サンタ・ローザ教会に行くのが自然と言うものです。


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教会の横に聖ローザが過ごした家があるという、ヴィテルボの由緒正しき教会です。


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扉が開いていたので拝観することに。


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新しく見えるのは、19世紀半ばに再建された建物だからです。


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創建は13世紀でしたが、1632年に再建されました。従って現在の建物は再再建の3代目となります。


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三廊式、新古典様式の内部


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左右の翼廊があります。


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1913年に建設されたクーポラ


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ジョヴァン・ミケーレ・ウィトメール(1802‐1880)の「天上の聖母子と聖人たち」


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右翼廊


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詳細不明のロレートの聖母


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この多翼祭壇画が必見です。


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フランチェスコ・ダントニオ・ザッキ・ダ・ヴィテルボ(ヴィテルボ、1439から記録‐1476?没)のポリッティコ


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玉座の聖母子
白い紙のようなものは修復用?


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聖ローザ


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アレッサンドリアの聖カテリーナ


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慈悲の聖母


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受胎告知する大天使


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受胎告知される聖母


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裾絵中央


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左から聖パオロ、聖ロレンツォ、聖ルチア


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左から聖ビアージョ、聖フランチェスコ、聖バルトロメオ


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左端絵は上から洗礼者聖ジョヴァンニ、聖アントニオ・アバーテ、聖マルゲリータ


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右端絵は上からマグダラのマリア、トローサの聖ルドヴィーコ、アッシジの聖キアーラ


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これがないと聖人を区別するのが難しい。


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ヴィンチェンツォ・ポンターニの「聖ジュゼッペの死」(19世紀前半)


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主祭壇


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磔刑像(18世紀)


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後陣天井


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主祭壇画はフランチェスコ・ポデスキの「聖ローザ」


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詳細不明


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左翼廊


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取り壊された建物にあったベノッツォ・ゴッツォリのフレスコ画やルネサンス期の祭壇画は市立美術館で見ることが出来ます。


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17世紀に制作された磔刑像


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外に出ました。


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(つづく)

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