イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ:教会巡り > メディチ家礼拝堂

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彫刻家としての、そして建築家としてのミケランジェロ・ブオナローティ(カプレーゼ、1475‐ローマ、1564)の最高傑作の一つが新聖具室でしょう。
世界芸術史上、最高の芸術家がミケランジェロでしょう。


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ヌムール公ジュリアーノ・デ・メディチ(フィレンツェ、1478‐1516)(ロレンツォ・イル・マニーフィコの三男)の墓碑


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ヌムール公ジュリアーノ・デ・メディチの彫像


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ウルビーノ公ロレンツォ・デ・メディチ(フィレンツェ、1492‐カレッジ、1519)(ピエル・イル・ファトゥオの息子)の墓碑
ピエル・イル・ファトゥオ(愚か者のピエロ)は、ロレンツォ・イル・マニーフィコの長男ですからウルビーノ公・ロレンツォ・デ・メディチはロレンツォ・イル・マニーフィコの孫という訳です。


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ウルビーノ公ロレンツォ・デ・メディチの彫像


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夕暮


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ロレンツォ・イル・マニーフィコとジュリアーノ・デ・メディチの墓
ジュリアーノは、ロレンツォの弟で、パッツィ家の反乱の際、フィレンツェ・ドゥオーモ内で殺害されました。
新聖具室には、ロレンツォ・イル・マニーフィコとジュリアーノ・デ・メディチの墓碑を含めて4つの墓碑制作が予定されていましたが、ミケランジェロは元々この仕事が大嫌いで、フィレンツェの政治状況(ミケランジェロはフィレンツェ共和制側に立って戦ったが破れ、メディチ家支配が復活しましたが、新聖具室の制作に再び従事することを条件に反旗を翻した罪が許されたのです)が気に染まない上に、ローマから新しい仕事を依頼されたことから、ローマに去ってしまい、ロレンツォ・イル・マニーフィコとジュリアーノ・デ・メディチの墓碑制作は着手されませんでした。


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ミケランジェロの「メディチの聖母」


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ジョヴァン・アンジェロ・ダ・モントルソーリの「聖コズマ」


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ラファエッロ・ダ・モンテルーポの「聖ダミアーノ」


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詳細不明


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ミケランジェロの素描


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ミケランジェロの素描


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君主の礼拝堂に戻りました。


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かなり新しいクーポラのフレスコ画


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ピエトロ・ベンヴェヌーティ(アレッツォ、1769‐フィレンツェ、1844)によって1828年から1837年にかけて制作されたクーポラのフレスコ画です。


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主祭壇


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君主の礼拝堂に置かれた石棺は、全て中は空です。


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メディチ家の人々の遺体は聖堂のクリプタに安置されてます。


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アレッサンドロ・アローリ(フィレンツェ、1535‐1607)の「フィレンツェの勝利の寓意」(1588‐89)


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フェリーチェ・パルマ(1583‐1625)の「悲しみの聖母」


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フェリーチェ・パルマの「聖ジョヴァンニ」


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ミケランジェロの傑作を観ることが出来て幸せでした。


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(おわり)

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フィレンツェのサン・ロレンツォ聖堂です。


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聖堂の後方にメディチ家礼拝堂があります。
メディチ家礼拝堂はサン・ロレンツォ聖堂の一部ですが、両方とも有料で、しかも別料金になっているので、このブログではそれぞれ別に取り上げることにします。


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これは外部サイトから拝借したサン・ロレンツォ聖堂の構造平面図の写真です。
メディチ家礼拝堂とは、この図の2の新聖具室と3の君主の礼拝堂を合わせたものを指します。


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君主の礼拝堂です。
メディチ家礼拝堂建設の経緯等については、ここでは触れません。ガイドブックなどの記述にお任せしたいと思います。


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入口は君主の礼拝堂のここにあります。


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切符売り場から中に入ると「君主の礼拝堂」の下に出ます。


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16世紀のフィレンツェ派無名画家作「教皇ピオ5世によって戴冠されるトスカーナ大公コジモ1世」(16世紀末)
1569年3月5日にヴァティカンのシスティーナ礼拝堂で行われた戴冠の様子を描いた作品です。


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メディチ家系トスカーナ大公の家系図があります。
トスカーナ大公の初代コジモ1世から第7代大公のジャン・ガストーネまでメディチ家の大公が続きましたが、1737年にジャン・ガストーネが没すると、メディチ家は断絶してしまい、ジャン・ガストーネの遺言によってトスカーナ大公国はハプスブルク・ロートリンゲン家に継承されました。


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アルフォンゾ・ボニンセーニ(1910‐1994)の「アンナ・マリア・ルイーザ・デ・メディチ(1667‐1743)のブロンズ像」(1946)
アンナ・マリア・ルイーザはメディチ家最後の人となりましたが、フランチェスコ1世の娘マリア(マリー・ド・メディシス)がフランス王アンリ4世との間に生まれた娘たちがイギリス王、スペイン王に嫁いだことにより(二人の間に出来た息子がルイ13世)、メディチ家の血は現代のヨーロッパ王家にまで流れていると言われてます。


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聖具類が展示されてます。


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金銀で出来た高価なものばかりです。


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私にとっては重要な展示ではありません。


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適当に眺めただけで先を急ぎました。


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ミケランジェロの彫刻がある新聖具室に行くには、君主の礼拝堂を経由する必要があります。


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階段を上ります。


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君主の礼拝堂は修復工事中でした。


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この辺は後でゆっくり見ることにしました。


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高さ59mのクーポラ


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新聖具室に向かいました。


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新聖具室に行く途中にある彫刻は、シルヴィオ・コルシーニ(1495‐1547)の「軍事的トロフィー(未完)」(1534以前)です。
シルヴィオはミケランジェロの弟子です。新聖具室の建設を嫌々引き受けたミケランジェロの指示によって制作されたものですが、1534年ミケランジェロがフィレンツェを発ちローマに向かったことにより、シルヴィオもミケランジェロに従ってローマに赴くことになったので、そのまま未完で放置されました。
未完のトロフィーはもう一つあります。ミケランジェロが構想しながらも制作しなかった彫刻の両端に置かれる予定だったとされてます。


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シルヴィオ・コルシーニの「軍事的トロフィー(未完)」(1534以前)


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君主の礼拝堂の模型が置かれてます。


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新聖具室です。


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説明板


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祭壇です。
向かって右端の彫刻はシルヴィオ・コルシーニの作品、左端は18世紀にジローラモ・ティッチャーティによって制作されたものです。ブロンズの磔刑像はジャンボローニャの帰属作品とされてます。


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天井


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今日は時間がないので、この辺で終わることにします。ミケランジェロの彫刻については後編で触れることにします。


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(つづく)

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