イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ:美術館 > ストラーダ・ヌオーヴァ美術館・白の宮殿

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次の部屋です。


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ドメニコ・ピオラの作品が並んでいる第21室です。


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ドメニコ・ピオラ(ジェノヴァ、1628‐1703)の「聖マリア・マッダレーナ」


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ドメニコ・ピオラ(ジェノヴァ、1628‐1703)の「古き良き時代を強制するアテナイオン」


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ドメニコ・ピオラ(ジェノヴァ、1628‐1703)の「アレッサンドロの寛容」


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ドメニコ・ピオラ(ジェノヴァ、1628‐1703)とアントン・マリア・ピオラ(ジェノヴァ、1654‐1715)の「エジプトへの逃避途中の休息」
アントン・マリア・ピオラはドメニコ・ピオラの息子ですが、その技量は父には遠く及びませんでした。


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ドメニコ・ピオラ(ジェノヴァ、1628‐1703)の「ホルタのベアート・サルヴァトーレの奇跡」


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ドメニコ・ピオラ(ジェノヴァ、1628‐1703)の「ジェノヴァのサン・ルーカ教会クーポラのフレスコ画の下絵(聖母戴冠)」


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次はパオロ・ジローラモ・ピオラの作品が並ぶ第22室です。


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パオロ・ジローラモ・ピオラ(ジェノヴァ、1666‐1724)の「慈悲の寓意」
パオロ・ジローラモ・ピオラはドメニコ・ピオラの息子です。ドメニコ・ピオラには8人の子供がいましたが、画業を志した息子のうち、最も優れていたのがパオロ・ジローラモです。老いてしまった父に代わり、17世紀末以降のジェノヴァ画壇の中心はパオロ・ジローラモ・ピオラとなりました。


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パオロ・ジローラモ・ピオラ(ジェノヴァ、1666‐1724)の「川の神」


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パオロ・ジローラモ・ピオラ(ジェノヴァ、1666‐1724)の「アイネイアースに出現するヴィーナス」


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パオロ・ジローラモ・ピオラ(ジェノヴァ、1666‐1724)の「アポロとムーサ」


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パオロ・ジローラモ・ピオラ(ジェノヴァ、1666‐1724)の「発明」


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パオロ・ジローラモ・ピオラ(ジェノヴァ、1666‐1724)の「模倣」


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パオロ・ジローラモ・ピオラ(ジェノヴァ、1666‐1724)の「信義と賢明」


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パオロ・ジローラモ・ピオラ(ジェノヴァ、1666‐1724)に帰属する「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」


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パオロ・ジローラモ・ピオラ(ジェノヴァ、1666‐1724)の「アグネスを見よ」


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パオロ・ジローラモ・ピオラ(ジェノヴァ、1666‐1724)の「悔悛と潔白」


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パオロ・ジローラモ・ピオラ(ジェノヴァ、1666‐1724)の「エジプトへの逃避途中の休息」


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パオロ・ジローラモ・ピオラ(ジェノヴァ、1666‐1724)の「エステルとアハシュエロス(エステルの夫)」


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パオロ・ジローラモ・ピオラ(ジェノヴァ、1666‐1724)の「ディアーナ(月の女神)とエンデュミオーン(ギリシャ神話に出てきます)」


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ドメニコ・プリーゴ(フィレンツェ、1492‐1527)の「クレオパトラ」


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ドメニコ・アルファーニ(ペルージャ、1480c‐1553以降没)の「男の肖像」


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ジョルジョ・ヴァザーリ(アレッツォ、1511‐フィレンツェ、1574)の「フィレンツェの男の肖像」


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展示は以上で終わりです。


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次はトゥルシ宮です。
トゥルシ宮に続きます。白の宮殿はこれで終わりです。

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次の部屋です。


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第19室には、オランダ黄金時代の画家たちの作品が展示されてます。
オランダ絵画の質は高いのですが、驚くことに、1640年から1660年の20年間だけで、オランダだけで130万点以上の絵画が制作されたのです。当然、供給過剰となり、作品の質に対する正当な報酬は期待薄で、多くの画家たちは貧困に喘いだのです。


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ウィレム・ヴァン・ミエリス(オランダ、ライデン、1662‐1747)の「貴重の認識」


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ヤン・ステーン(オランダ、ライデン、1626c‐1679)の「復活祭の花」


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ヤン・ステーン(オランダ、ライデン、1626c‐1679)の「居酒屋」


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アールト・ファン・デア・ネール(アムステルダム、1603‐1677)の「風景画」


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ヤーコブ・ファン・ロイスダール(ハールレム、1628c‐1682)の「風景画」


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ニコラス・マース(オランダ、ドルトレヒト、1634‐アムステルダム、1693)の「男の肖像」


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ヨース・デ・モンペル(アンヴェルサ、1584‐1635)の「モンターニャの風景」


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ダフィット・テニールス・イル・ジョーヴァネ(アンヴェルサ、1610‐ブリュッセル、1690)の「用心棒」


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コルネリス・デ・ワール(アンヴェルサ、1592‐ローマ、1667)の「兵士たちの野営」


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ヤン・ヴィルデンス(アンヴェルサ、1586‐1653)とコルネリス・デ・ワール(アンヴェルサ、1592‐ローマ、1667)の「街路樹のある風景」


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コルネリス・デ・ワール(アンヴェルサ、1592‐ローマ、1667)の「病人の診察」


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ルーカス・デ・ワール(アンヴェルサ、1591‐1661)の「乞食」


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コルネリス・デ・ワール(アンヴェルサ、1592‐ローマ、1667)の「囚人の診察」


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次の部屋です。


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第20室


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主にヴァレリオ・カステッロの作品が展示されてます。


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ヴァレリオ・カステッロ(ジェノヴァ、1624‐1659)の「Mose' Bambino e La Prova dei Carboni Ardenti」
モーゼについては興味がないので、何が描かれているのか分かりません。


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ステファノ・マニャースコ(ジェノヴァ、1635‐1672)の「マギの礼拝」
ステファノ・マニャースコの代表作と言われている傑作です。


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ステファノ・マニャースコ(ジェノヴァ、1635‐1672)の「聖家族と天使たち」


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ヴァレリオ・カステッロ(ジェノヴァ、1624‐1659)の「シモーネ邸の饗宴」


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ヴァレリオ・カステッロ(ジェノヴァ、1624‐1659)の「ダヴィデ」


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ヴァレリオ・カステッロ(ジェノヴァ、1624‐1659)の「ヴェールの聖母」


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ヴァレリオ・カステッロ(ジェノヴァ、1624‐1659)の「フランスの聖ルイ9世の施し」


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ヴァレリオ・カステッロ(ジェノヴァ、1624‐1659)の「聖ロレンツォの殉教」


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ヴァレリオ・カステッロ(ジェノヴァ、1624‐1659)の「聖ズィータの奇跡」


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ヴァレリオ・カステッロ(ジェノヴァ、1624‐1659)の「エジプトへの逃避」


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少し疲れたので、庭園に出て一休みしました。


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向かいにある赤の宮殿


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(つづく)

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次の部屋です。


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第15室になります。


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バルトロメ・エステバン・ムリーリョ(セヴィリア、1618‐1682)の「エジプトへの逃避」
甘美な聖母が印象的なムリーリョですが、修道院のフレスコ画制作中に梯子から墜落して死去しました。


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フランシスコ・デ・スルバラン(スペイン、フェンテ・デ・カントス、1598‐マドリッド、1664)の「聖ボナヴェントゥーラの臨終聖餐」


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フランシスコ・デ・スルバラン(スペイン、フェンテ・デ・カントス、1598‐マドリッド、1664)の「聖エウフェミア」


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フランシスコ・デ・スルバラン(スペイン、フェンテ・デ・カントス、1598‐マドリッド、1664)の「聖オルソーラ」
これは有名な作品です。


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ジュゼペ・デ・リベラ(スペイン、シャティバ、1591‐ナポリ、1652)と協力者による「天使から認可を受ける聖フランチェスコ」 


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次の部屋です。革製の椅子の座り心地が良いので、寛いで鑑賞できます。


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第16室
白の宮殿は、北方画家たちの作品が充実しているのが特徴です。


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ヨース・ファン・クレーフェ(アンヴェルサ、1485c‐1540)の「聖母子」
ヨース・ファン・クレーフェの代表作の一つです。


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Maestro di San Giovanni Evangelistaの「最後の晩餐」(15世紀末)
ジェノヴァの受胎告知教会にあった祭壇画です。1882年に取り外されて白の宮殿で展示されるようになりました。


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Maestro di San Giovanni Evangelistaの「聖コッパ・アッヴェレナータの奇跡」(15世紀末)
この作品もジェノヴァの受胎告知教会にありましたが、1882年に取り外されて、白の宮殿に置かれるようになりました。
次の2つの作品、「聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタと天使」と「聖ドルンアーナの復活」も同じで、ジェノヴァの受胎告知教会から白の宮殿に、1882年に移されました。


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Maestro di San Giovanni Evangelistaの「聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタと天使」


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Maestro di San Giovanni Evangelistaの「聖ドルンアーナの復活」(15世紀末)


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ヤン・プロヴォスト(ベルギー、モンス、1465‐ブルッヘ、1529)の「受胎告知」


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ヤン・プロヴォスト(ベルギー、モンス、1465‐ブルッヘ、1529)の「ウンゲリアの聖エリザベッタ」


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ヤン・プロヴォスト(ベルギー、モンス、1465‐ブルッヘ、1529)の「聖ピエトロ」


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ヘラルト・ダヴィド(オランダ、アウデクーテル、1460c‐ベルギー、ブルッヘ、1523)の「チェルヴァーラのポリッティコ」


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磔刑


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聖母子


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聖ジローラモ


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聖ベネデット


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ハンス・メムリンク(ドイツ、ゼ―リンゲンシュタット、1435/1440-ベルギー、ブルッヘ、1494)の「祈るキリスト」


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次の部屋です。


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第17室


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ヤン・ファン・スコーレル(オランダ、スコーレル、1495-オランダ、ユトレヒト、1592)の「聖家族」


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16世紀のフランドルの逸名画家作「ラファエロ作『ヴェロの聖母』のコピー画」


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ヤン・マサイス(アンヴェルサ、1509c-1575c)の「聖母子」


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小さな肖像画


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コルネイユ・デ・リオン(オランダ、デン・ハーグ、1500-フランス、リオン、1575)の「男の肖像」


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ヤン・マサイス(アンヴェルサ、1509c-1575c)の「La Carita」


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ピーテル・アールツェン(アムステルダム、1508-1575)の「女料理人」(1559)


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ヨアヒム・ブーケラ―ル(アンヴェルサ、1533c-1574c)の「市場」


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ピーテル・クック・ファン・アールスト(ベルギー、アールスト、1502-ブリュッセル、1550)の「マギの礼拝と受胎告知とエジプトへの逃避途中の休息のトリッティコ」


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次の部屋です。


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第18室


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ジャコモ・レージ(リエージ?、1600c-ミラノ、1640)の「市場」


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ヤン・ルース(アンヴェルサ、1591-ジェノヴァ、1638)の「果物と野菜の静物画」


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ヤン・ルース(アンヴェルサ、1591-ジェノヴァ、1638)の「シーレーノス(森の神)の収穫」


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アントン・ヴァン・ダイク(アンヴェルサ、1599-ロンドン、1641)の「ヴェルトゥム(豊穣の神)とポモーナ」


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ピーテル・パウル・ルーベンス(ドイツ、ジーゲン、1577-アンヴェルサ、1640)の「ヴィーナスとマルス」


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ギリアム・ヴァン・デイネン(アンヴェルサ、1575-ブリュッセル、1618以降没)の「ジェノヴァの貴婦人の肖像」
(つづく)

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次の部屋です。


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第10室は廊下です。


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ジュリオ・ベンソ(ピエーヴェ・ディ・テーコ、1592‐1668)の「カルヴァリオへの上り」


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ジュリオ・ベンソ(ピエーヴェ・ディ・テーコ、1592‐1668)の「キリストのエルサレム入城」


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ジョヴァンニ・バッティスタ・カルローネ(ジェノヴァ、1603‐1680)の「聖シーロとバジリスク(蛇の王とされる架空の動物)」


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ジョヴァンニ・バッティスタ・カルローネ(ジェノヴァ、1603‐1680)の「聖シーロとバジリスク」


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次の部屋です。


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第11室


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ジョヴァンニ・アンドレア・デ・フェラーリ(ジェノヴァ、1598‐1669)の「公正の寓意」


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ベルナルド・ストロッツィ(ジェノヴァ、1581‐ヴェネツィア、1644)の「聖ヴァレリアーノと聖ティブルツィオの首を持つ聖チェチリア」
ベルナルドが描く、独特の女性の顔です。少しアホ気に見える?


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ベルナルド・ストロッツィ(ジェノヴァ、1581‐ヴェネツィア、1644)の「天上の聖テレーザ」


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ベルナルド・ストロッツィ(ジェノヴァ、1581‐ヴェネツィア、1644)の「悔悛の聖マリア・マッダレーナ」


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ベルナルド・ストロッツィ(ジェノヴァ、1581‐ヴェネツィア、1644)の「音楽」
例の表情、顔つきです。


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ジョヴァンニ・アンドレア・デ・フェラーリ(ジェノヴァ、1598‐1669)の「音楽の寓意」


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ジョヴァンニ・アンドレア・デ・フェラーリ(ジェノヴァ、1598‐1669)の「聖母子と聖人たち(聖フランチェスコ、アレッサンドリアの聖カテリーナ、聖カルロ・ボッロメオ、特定できない聖人)」
私にはアレッサンドリアの聖カテリーナが描かれているのか、よく分かりません。


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シニバルド・スコルツァ(ヴォルタッジョ、1589‐ジェノヴァ、1631)の「風景画」


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シニバルド・スコルツァ(ヴォルタッジョ、1589‐ジェノヴァ、1631)の「羊飼い」


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アントニオ・トラーヴィ通称イル・セストーリ(セストーリ・ポネンテ、1608‐1665)の「井戸のレベッカ」


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アントニオ・トラーヴィ通称イル・セストーリ(セストーリ・ポネンテ、1608‐1665)の「猟師がいる廃墟の風景」


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アントニオ・トラーヴィ通称イル・セストーリ(セストーリ・ポネンテ、1608‐1665)の「羊飼いの礼拝」


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ジョヴァンニ・ベネデット・カスティリオーネ通称イル・グレチェット(ジェノヴァ、1608/1610-マントヴァ,1663/1665)の「ノエの犠牲」


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アントン・マリア・ヴァッサッーロ(ジェノヴァ、1617/1618-ミラノ、1660)の「エジプトへの逃避」


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アントン・マリア・ヴァッサッーロ(ジェノヴァ、1617/1618-ミラノ、1660)の「神話のシーン」


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次は第12室です。


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ジョアッキーノ・アッセレート(ジェノヴァ、1600-1649)の「聖ステファノの殉教」


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ジョアッキーノ・アッセレート(ジェノヴァ、1600-1649)の「燃える髪のセルウィウス・トゥッリウス」
セルウィウス・トゥッリウスは王政ローマ時代の第6代王で、燃える髪の伝説があります。


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ジョアッキーノ・アッセレート(ジェノヴァ、1600-1649)の「荊刑のキリスト」


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ジョアッキーノ・アッセレート(ジェノヴァ、1600-1649)の「聖フランチェスコと音楽天使」


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ジョアッキーノ・アッセレート(ジェノヴァ、1600-1649)の「小カト―の自死」
マルクス・ポルキウス・カトー・ウティケンシス(紀元前95-紀元前46)は、元老院派の中心人物で、反元老院のカエサルの政敵でした。
有名な紀元前46年のタプススの戦いによって、元老院派はカエサル軍に敗れ、勝利したカエサルは小カト―に降伏を迫りましたが、小カト―はこれを拒否して刀剣を自分の身体に突き刺しました。それを見ていた小カト―の奴隷は、小カト―を介抱し医者を呼んで傷口を縫合させますが、やがて一人になった小カト―は傷口を開いて、腸を引き出して自死したのです。
絵画の鑑賞は、その絵画が意味することを知ることが前提となります。


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ジョアッキーノ・アッセレート(ジェノヴァ、1600-1649)の「法悦の聖フランチェスコ」


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シルヴェストロ・キエーザ(ジェノヴァ、1623-1657)の「ライ病の子供を治すベアート・ジョアッキーノ・ピッコロミーニ」


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次の部屋です。


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第14室になります。
西洋では13は忌避されている数字のせいでしょうか、第13室が欠番になっている博物館、美術館、ホテルなどがあります。白の宮殿美術館では第13室が見当たりません。


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ジョヴァンニ・ベネデット・カスティリオーネ通称イル・グレチェット(ジェノヴァ、1608/1610-マントヴァ、1663/1665)の「動物の習作」


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ジョヴァンニ・ベネデット・カスティリオーネ通称イル・グレチェット(ジェノヴァ、1608/1610-マントヴァ、1663/1665)の「動物の習作」


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ジョヴァンニ・バッティスタ・カルローネ(ジェノヴァ、1603-パロディ・リグーレ、1683/1684)の「トビアスの魚」


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ジョヴァンニ・バッティスタ・カルローネ(ジェノヴァ、1603-パロディ・リグーレ、1683/1684)の「音楽天使」


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ジョヴァンニ・バッティスタ・カルローネ(ジェノヴァ、1603-パロディ・リグーレ、1683/1684)の「天上の聖女たち」


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ジョヴァンニ・バッティスタ・カルローネ(ジェノヴァ、1603-パロディ・リグーレ、1683/1684)の「父タビトの目を治すトビアス」


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アントン・マリア・ヴァッサッーロ(ジェノヴァ、1617/1618-ミラノ、1660)の「悔悛の聖マリア・マッダレーナ」


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オラツィオ・デ・フェラーリ(ヴォルトリ、1605-ジェノヴァ、1657)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの斬首」


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オラツィオ・デ・フェラーリ(ヴォルトリ、1605-ジェノヴァ、1657)の「盲人の治療」


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オラツィオ・デ・フェラーリ(ヴォルトリ、1605-ジェノヴァ、1657)の「キリストと姦通女」


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アントン・マリア・ヴァッサッーロ(ジェノヴァ、1617/1618-ミラノ、1660)の「静物画」
(つづく)

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次は白の宮殿です。


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白の宮殿は、道路を挟んで、赤の宮殿の斜め向かいにあります。


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10年ほど前は、もう少し白かったと思いますが、この辺は修復の際の外壁の磨き方と関係があるのかも知れません。
白の宮殿は、1530年から1540年にかけて、ジェノヴァ有数の貴族だったルーカ・グリマルディによって建設された邸宅です。
その後、1658年と1711年に、所有者が変わりました。


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この絵画は、マッテオ・ピカッソによって描かれた「マリーア・ブリニョーレ=サーレ・ダ・フェラーリ(ジェノヴァ、1811‐パリ、1888)の肖像」(1829)ですが、マリーアはブリニョーレ=サーレ公爵夫人で、同家最後の相続人でした。マリーアは赤の宮殿で生まれました。
マリーアの遺言によって、マリアの死後、白の宮殿と宮殿にあった全てのものがジェノヴァ市当局に遺贈されました。
なお、マリーアの肖像画は赤の宮殿にあります。また、赤の宮殿と宮殿内にあったものは、マリーアによって生前にジェノヴァ市当局に寄贈されたのです。


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1892年、白の宮殿は美術館として一般公開されるようになりました。
白の宮殿美術館は通称で、正式名称はGalleria di Brignole-Sale de Ferrariと言います。


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ストラーダ・ヌオーヴァ美術館は、赤の宮殿、白の宮殿、トゥルシ宮の3つから成りますが、展示されている作品の質と言う点では、この白の宮殿が最も勝ると思います。


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入館しました。
ピエッレ・フランクゥエヴィッレ通称ピエトロ・フランカヴィッラ(フランス・カンブレ―、1553‐パリ、1615)の「ユピテル」


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詳細不明


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最初の展示室にある作品です。
ランベルト・サストリス(アムステルダム、1515c‐1584)の「ピエタと天使たち」


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パオロ・カリアーリ通称イル・ヴェロネーゼ(ヴェローナ、1528‐ヴェネツィア、1588)の「磔刑」


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次の展示室に移動しました。


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部屋によって、このような表示があります。展示室番号の表示はあったりなかったりです。


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ヤコポ・ニグレティ通称パルマ・イル・ジョーヴァネ(ヴェネツィア、1548‐1628)の「キリストとサマリア女」


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ヤコポ・ニグレティ通称パルマ・イル・ジョーヴァネ(ヴェネツィア、1548‐1628)の「キリストと姦通女」


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パオロ・カリアーリ通称パオロ・ヴェロネーゼ(ヴェローナ、1528‐ヴェネツィア、1588)の「スザンナの水浴」


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アレッサンドロ・ボンヴィチーノ通称イル・モレット(ブレーシャ、1498‐1554)の「聖母子」
作品を一瞥しただけでモレットの作品と分かります。モレットらしさ?が非常に出ています。


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次の部屋です。


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第8室になります。
この部屋まで7つの部屋があったとは思えません。恐らく5室ほど閉鎖されていたのではないでしょうか?


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カラヴァッジョの作品が目立ちます。


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ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ通称イル・カラヴァッジョ(ミラノ、1571‐ポルト・エルコレ、1610)の「この人を見よ」


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日本に来ていましたね。


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ピエル・フランチェスコ・マッツゥッケッリ通称モラッツォーネ(モラッツォーネ、1573‐ピアチェンツァ?、1626)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの斬首」


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ジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニ(ボローニャ、1574‐ミラノ、1625)の「砂漠の聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


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ジョヴァン・バッティスタ・クレスピ通称イル・チェラーノ(チェラーノ、1565/1570-ミラノ、1632)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの斬首」


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ヘンデリック・ファン・ソマー(ベルギー・ローケレン、1607-ナポリ、1656)の「聖ジローラモ」


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ルチアーノ・ボルツォーネ(ジェノヴァ、1590-1645)の「キリストの洗礼」


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マティアス・ストーマ―(オランダ・アメルスフォールト、1600-シチリア、1655没)の「サロメ」


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ジュゼッペ・ヴェルミーリオ(アレッサンドリア、1585c-1635c)の「イサクの犠牲」


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次の部屋に、このような説明プレートがありますが、展示されているのは1作品だけです。


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ルーカ・カンビアーソ(モネーリア、1527-エル・エスコリアル、1585)の「父の肖像画を描く自画像」


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1階(日本の2階)の展示が終わりです。


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一旦、1階のテラスに出て一休みしました。小雨が止んでいました。


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道路を挟んで、向かいに建つ赤の宮殿です。


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2階(日本の3階)の展示室に向かいました。


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階段の先にフィリッピーノ・リッピの作品が見えます。


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フィリッピーノ・リッピ(プラート、1457-フィレンツェ、1504)の「フランチェスコ・ロメッリーニの祭壇画」


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聖母子と2天使


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聖セバスティアーノと聖ジョヴァンニ・バッティスタと聖フランチェスコ


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(つづく)

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