イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ:美術館 > ジェノヴァ、ストラーダ・ヌオーヴァ美術館・トゥルシ宮

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金属製の容器などが展示されている部屋です。


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トゥルシ宮内の博物館の案内が金属製容器を展示する部屋にありました。これを置くのは第22室がベストと思いました。
展示室番号は白の宮殿からの継続として表示されているようです。


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訪問者のことなんぞは、あまり考えてないからでしょう。


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この部屋から絵画の展示になります。


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ドメニコ・パロディ(ジェノヴァ、1668‐1740)の「高貴な女性の肖像」


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バルトロメオ・グイドボーノ(サヴォーナ、1654‐トリノ、1709)の「アガルの絶縁」


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バルトロメオ・グイドボーノ(サヴォーナ、1654‐トリノ、1709)の「聖マルゲリータの幻視」


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グレゴリオ・デ・フェラーリ(ポルト・マウリツィオ、1647‐ジェノヴァ、1709)の「砂漠の聖ジローラモ」


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グレゴリオ・デ・フェラーリ(ポルト・マウリツィオ、1647‐ジェノヴァ、1709)の「砂漠の聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


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グレゴリオ・デ・フェラーリ(ポルト・マウリツィオ、1647‐ジェノヴァ、1709)の「井戸のサマリア女」


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グレゴリオ・デ・フェラーリ(ポルト・マウリツィオ、1647‐ジェノヴァ、1709)の「我に触れるな」


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ロレンツォ・デ・フェラーリ(ジェノヴァ、1680‐1744)の「トビアスと天使」
ロレンツォ・デ・フェラーリは、グレゴリオ・デ・フェラーリを父に、ドメニコ・ピオラの娘マルゲリータ・ピオラを母に持つ、画家の良血です。


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グレゴリオ・デ・フェラーリ(ポルト・マウリツィオ、1647‐ジェノヴァ、1709)の「モーゼの奇跡」


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グレゴリオ・デ・フェラーリ(ポルト・マウリツィオ、1647‐ジェノヴァ、1709)の「エジプトへの逃避途中の休息」


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次の部屋です。


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第23室です。


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ジョヴァンニ・マリア・デッレピアーネ通称イル・ムリナレット(ジェノヴァ、1660‐モンティチェッリ・ドンジーナ、1745)の「ジェノヴァ総督フランチェスコ・マリア・インぺリアーレの肖像」


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ドメニコ・パロディ(ジェノヴァ、1668‐1740)の「高貴な女性の肖像」


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アレッサンドロ・マニャースコ(ジェノヴァ、1667‐1749)の「兵士」


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アレッサンドロ・マニャースコ(ジェノヴァ、1667‐1749)の「兵士」


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アレッサンドロ・マニャースコ(ジェノヴァ、1667‐1749)の「ゲッセマネ園のキリスト」


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アレッサンドロ・マニャースコ(ジェノヴァ、1667‐1749)の「法悦の聖フランチェスコ」


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アレッサンドロ・マニャースコ(ジェノヴァ、1667‐1749)の「高貴な男の肖像」


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ジョヴァンニ・マリア・デッレピアーネ通称イル・ムリナレット(ジェノヴァ、1660‐モンティチェッリ・ドンジーナ、1745)の「赤い服を着た男の肖像」


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アレッサンドロ・マニャースコ(ジェノヴァ、1667‐1749)の「奇行」


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アレッサンドロ・マニャースコ(ジェノヴァ、1667‐1749)の「奇行」


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アントン・フォン・マロン(ウィーン、1733‐ローマ、1806)の「ジェノヴァ共和国総督のミケランジェロ・カンビアーソの肖像」(1792)


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アントン・フォン・マロン(ウィーン、1733‐ローマ、1806)の「アンナ・ピエーリ・ブリニョーレ=サーレの肖像」


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ヘンドリック・フランス・ヴァン・リント(アンヴェルサ、1694‐ローマ、1762)の「風景」


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カルロ・アントニオ・タヴェッラ(ミラノ、1668‐ジェノヴァ、1738)の「風景」


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カルロ・アントニオ・タヴェッラ(ミラノ、1668‐ジェノヴァ、1738)の「風景」


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ジャン=バティスト・ティアチェ(フランス、ルーアン、1737‐フィレンツェ?、1790)の「ティヴォリの滝」


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二コラ・ランクレ(パリ、1690‐1743)の「庭園のダンス」


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ミケーレ・プランケール(パルマ、1796‐1848)の「テミストクレス(紀元前6‐5世紀のアテネの政治家・軍人)の説得」


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フランチェスコ・フォンテバッソ(ヴェネツィア、1709‐1769)の「画家・彫刻家・建築家」


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ジョヴァンニ・ダヴィド(カベッラ・リグーレ、、1743‐ジェノヴァ、1790)に帰属する「カフェの女の肖像」


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外に出ました。
(おわり)

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次はタペストリの間です。


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トゥルシ宮の展示内容は博物館でしょうね。


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床の装飾


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タペストリのテーマはアレキサンダー大王の逸話です。


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17世紀中頃にブリュッセルで織られたそうです。


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ルーベンスの追随画家によってタペストリの原画が描かれたそうです。


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タペストリの饐えたような臭いが気になります。


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天井と壁に施された豪華な装飾が見ものです。


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次はリグーリア・セラミックの展示です。


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陶器は博物館の定番ともいえる展示です。


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絵画や彫刻と違い、陶器は同じようなものを幾つも製造可能な再現性に勝るので、芸術品として見た場合、その価値はどうなんだろうと思います。


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沢山あります。


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イタリアの博物館に少なからず行ってますが、陶器類の展示を熱心に見ている人を見かけたことがありません。


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楽器類の展示は人気が高いと思います。


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薬草から薬にする過程の展示です。


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次はメダルやコインの展示室です。


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ローマ時代から19世紀までの2000年以上の間に造られたコインやメダルがほぼ時代順に展示されてます。


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金貨が少ない。


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コインの展示が膨大です。


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まだまだ続きます。


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貨幣やコインが好きなので、熱心に見ました。


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(つづく)

ストラーダ・ヌオーヴァ美術館の最後は、ドリア・トゥルシ宮、または単にトゥルシ宮です。
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ドリア・トゥルシ宮、またはトゥルシ宮は、後になっての名称です。
ジェノヴァ貴族のニッコロ・グリマルディの注文によって、ジェノヴァの建築家だったドメニコとジョヴァンニのポンツェッロ兄弟の設計及び建築工事監督によって、1565年に完成した建物です。
そのため、Palazzo di Nicolo Grimardiが建築当時からの名称で、現在でも、そのように呼ばれることがあります。


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1597年、この建物はジョヴァンニ・アンドレア・ドリアに売却され、ドリア家邸宅となりましたが、その後、更にカルロ・トゥルシ公爵に売却され、トゥルシ家の所有となりました。
ドリア家、トゥルシ家の所有だったので、ドリア・トゥルシ宮と呼ばれるようになりました。


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1848年、建物はトゥルシ家によってジェノヴァ市当局に売却されました。民間最後の所有者がトゥルシ家だったので、単にトゥルシ宮と称されることになりました。


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建物を所有することになったジェノヴァ市は、1848年から市庁舎として使用を開始し、現在も市庁舎となってます。


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2004年、市庁舎内にストラーダ・ヌオーヴァ美術館の一部が置かれるようになりました。


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市庁舎の入り口からトゥルシ宮に入りました。


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Museoとして公開されている1階(日本の2階)に向かいます。


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トゥルシ宮内のMuseoは、白の宮殿からも入ることが出来ます。


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最初にトゥルシ宮を見てから白の宮殿に行くのが良いか、その逆に白の宮殿からトゥルシ宮に行くかは、自分の好みで決めるよりありません。
美術ファンは白の宮殿から回ることをお勧めします。パガニーニ好きの方は断然トゥルシ宮を先にすべきでしょう。


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白の宮殿1階の庭園からトゥルシ宮に行くこと出来ます。


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白の宮殿の庭と接しているのがトゥルシ宮です。


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この彫刻に向かって右側に出入り口があります。


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開いている所がトゥルシ宮への入り口です。
この時は誰もいませんでしたが、入り口付近に係員がいることが多いので、迷うことはないと思います。


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トゥルシ宮の中庭回廊に出ました。


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写真正面の階段を上ります。


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Museoへの行き方を示す赤の表示があります。


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赤の矢印に従って進みます。


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1階(日本の2階)に出ました。


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部屋が沢山ありますが、赤の矢印がない部屋に入るのは避けるのが無難です。


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壁一杯フレスコ画で覆われた部屋がありますが、通常非公開です。


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最初の部屋は「パガニーニの部屋」です。トゥルシ宮のMuseoは美術館ではなく博物館と訳した方が良いと思います。
ニッコロ・パガニーニ(ジェノヴァ、1782‐ニース、1840)の所有したヴァイオリンや彼が作曲した楽譜、彼所縁の品々を展示する部屋です。
パガニーニはヴァイオリン演奏の超絶技法で悪魔とまで言われたヴァイオリン演奏家です。勿論、作曲家としても有名ですが。


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バルトロメオ・ジュゼッペ・グアルネーリ通称イル・ジェズが1743年に制作したヴァイオリンです。「カノン」と呼ばれてます。
パガニーニが愛用したヴァイオリンです。


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1802年、賭博に目がなかったパガニーニですが、その日は負け続けで、所持金全部ばかりか、演奏会で使用する予定のヴァイオリンまで賭博のために換金したものの、全て取られてしまって、演奏会で演奏するヴァイオンがないと言う状態に陥ってしまいました。


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困っていたパガニーニに対して、それを知った「カノン」の所有者は「このヴァイオリンを演奏会で使用したらどうか」と申し入れ、パガニーニはその申し出を受け入れ、「カノン」で演奏会に臨み、大成功を収めたのです。
「カノン」の所有者は、パガニーニが一生「カノン」を使用することを条件に「カノン」をパガニーニに寄贈したのです。
「カノン」という名称は、そのヴァイオリンが奏でる音の大きさに感心したパガニーニが名付けたとされてます。
「カノン」は、パガニーニの遺言によって、1851年、ジェノヴァ市に寄贈されました。


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バルトロメオ・ジュゼッペ・グアルネーリ通称イル・ジェズはクレモナの名工です。
クレモナのヴィオリーナ博物館に彼の作品が展示されてます。


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シェリング、クライスラー、ハイフェッツなどがイル・ジェズのヴァイオリンを愛用しました。


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以上3枚の写真はクレモナのヴィオリーナ博物館で撮りました。


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パガニーニが愛用したヴァイオリンがもう一つ展示されてます。


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フランスのヴァイオリン名工によって制作されたヴァイオリンです。
このヴァイオリンは、パガニーニの遺言によって、パガニーニの弟子カミッロ・シヴォーリに遺贈されましたが、カミッロの死後に、カミッロの遺族によってジェノヴァ市に寄贈されました。


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パガニーニ夫人像?
この彫像がこの部屋にある理由が分からないし、誰の彫像なのかさえも分かりません。


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パガニーニゆかりの品々


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床の装飾
(つづく)

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