イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ:ピエモンテ州 > カッシーネ

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ロンバルドの工芸家作「銀製聖具」(18世紀中頃)


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次の部屋です。


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司教座聖堂参事会の間(14世紀)


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17世紀のピエモンテの逸名画家の作品


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交唱唱歌集


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磔刑像が2つ展示されてます。


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16世紀のアレッサンドリアの逸名彫刻家作「磔刑像」


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15‐16世紀のアレッサンドリアの逸名彫刻家作「磔刑像」


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Maestro di Sant'Antonioのフレスコ画(15世紀)
この画家については全く存じ上げません。


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Maestro di Sant'Antonioのフレスコ画(15世紀)


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Maestro di Sant'Antonioのフレスコ画(15世紀)


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16世紀のアレッサンドリアの逸名彫刻家作「聖アントニオ・アバーテ」


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Maestro di Sant'Antonioのフレスコ画(15世紀)


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Maestro di Sant'Antonioのフレスコ画(15世紀)


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詳細不明


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詳細不明


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詳細不明


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教会に戻りました。


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Maestro di Sant'Antonioのフレスコ画(15世紀)


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詳細不明


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右側廊


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14世紀のアレッサンドリアの逸名画家のフレスコ画


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14世紀のアレッサンドリアの逸名画家のフレスコ画


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左側廊の第1礼拝堂


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第1礼拝堂天井


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詳細不明


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柱に描かれたフレスコ画


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左側壁第2礼拝堂


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左第2礼拝堂のスタッコ?


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左第3礼拝堂


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左第4礼拝堂


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左第4礼拝堂の天井  
フレスコ画の痕跡が認められます。


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右側壁の礼拝堂


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左側廊


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有名な画家や彫刻家の作品がありませんが、十分に鑑賞に値します。


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詳細不明


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外に出ました。
(おわり)

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カッシーネのヴィットリオ・ヴェネト広場です。
広場に面して建っているのがサン・フランチェスコ教会です。


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1232年、フランチェスコ会修道士によって、この場所に小さな祠が建てられましたが、それが教会修道院の前身です。


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13世紀後半、カッシーネにおけるフランチェスコ会の活動が活発拡大するとともに、祠では手狭となったので、新たに建物を建設することが決められ、1291年創建、1327年に完成した、ロンバルディア・ゴシック様式のサン・フランチェスコ教会修道院です。
建物は現在に至るまでに2回修復されましたが、いずれも小規模なもので、現在の姿はほぼ創建時の姿をとどめています。
奉献式は、1327年に執り行われました。


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サン・フランチェスコ修道院は、1802年、ナポレオンの修道院抑圧政策によって閉鎖されましたが、1830年に活動が再開されました。一旦閉鎖されたことで多くの修道士が去り、修道院が再開されても散り散りになった修道士の多くが戻らず、その活動は低迷したままでした。
1858年、カッシーネ村が修道院の建物を買い取り、学校の校舎として使用することになりました。
2011年、修道院のキオストロ回廊にカッシーネ村立Museo di San Francesco "Paola Benzo Dapino"が設けられました。
カッシーネ村の他の教会にあった作品は僅か数点にしかすぎず、展示作品の殆どがサン・フランチェスコ教会修道院だったものです。
教会の入り口付近にボランティアの女子高校生が待機していて、入館希望者が現れると美術館入り口を開錠して、館内を点灯してくれます。入館無料です。


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サン・フランチェスコ教会修道院を取り囲んで、サン・ベルナルディーノ祈祷所、サンティッシマ・トリニータ教会、サンタントニオ・アバーテ祈祷所があります。
写真左はサン・ベルナルディーノ祈祷所で、祈祷所の後に灰色の鐘楼が写ってますが、サンティッシマ・トリニータ教会の鐘楼です。


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三廊式、ラテン十字形、ゴシック様式の教会内部です。


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左側廊方向


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右側廊方向


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中央ナヴァータ


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主祭壇


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後陣の交差ヴォールト


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教会と美術館は一体化されてます。


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先ず礼拝堂のフレスコ画を見ます。


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Maestro del Tomba Fissiragaによって15世紀に制作されたフレスコ画


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Maestro del Tomba Fissiragaは初めて聞く画家で、調べましたが分かりませんでした。


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Maestro del Tomba Fissiragaのフレスコ画(14世紀)


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Maestro del Tomba Fissiragaのフレスコ画(14世紀)


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ジョヴァンニ・モネーヴィ(ヴィソーネ、1637‐トリノ、1714)の「聖母子と聖マッテオと聖ボナヴェントゥーラ」(1712‐13)


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ピエモンテの逸名画家作の、「1532年にピエモンテの逸名画家によって制作された『聖母子と聖マッテオと聖ボナヴェントゥーラ』の複製画」(1713)


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これは何でしょうか?


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聖具保管庫?


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説明板がありません。


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この作品だけ説明プレートがあります。
ルキーノ・フェラーリ(カステラッツォ・ボルミダ、16世紀前半活動)の「聖母子と聖マッテオと聖ボナヴェントゥーラ」(1532)
聖マッテオは前の写真の右にあります。


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17世紀のピエモンテの逸名彫刻家作「この人を見よ」


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ジョルジョ・ソレーリ(ピエモンテ、16世紀後半活動)の「聖母子と聖フランチェスコと聖ビアージョと2信者」(1573c)


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ピエモンテの逸名画家(複数)たちによって描かれた「使徒」の油彩画(17‐18世紀)
全部で11作品ありますが、一部を除いて描かれた使徒が特定されてません。


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聖バルトロメオ?


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聖マリア・マッダレーナ?


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聖パオロ?


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聖ピエトロ


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聖アンドレア


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詳細不明


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ピエトロ・ファンチェッリ(ボローニャ、1764‐ペーザロ、1850)の「カルヴァリオへの上り」(1796)


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(つづく)

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サン・ロレンツォ教会はサン・ロレンツォ通りにあると思っていましたが、村を貫く目抜き通りのサン・レアリーノ通りにありました。


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この村に現存する5つの教会の中で、サン・ロレンツォ教会は最も新しい教会です。


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ネットで調べても、この教会について詳述している記事がありません。


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村役場で貰った資料によれば、18‐19世紀のフレスコ画と祭壇画があるそうです。


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併設されていた修道院でワイン醸造が行われていたそうです。18世紀創建の修道院でのワイン醸造はピンときません。


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修道院だった建物です。


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旧修道院だった建物はVilla Azzurraと呼ばれてます。イタリア代表チームと関係がある?


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Villa Azzurraの入り口


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この辺から建物が途絶えます。


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今、通ってきた道を振り返ったところです。


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村外れに出ました。


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急に視界が開けて田舎の風景になりました。


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横道に入りました。


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村外れにある、14世紀創建のサン・ピエトロ教会です。現在の建物は17世紀に再建された二代目のものです。


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少し戻って別の横道に入りましたが、見どころは何もなさそうです。


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村の見所は大体こんなところでしょう。


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更に歩いて一面のブドウ畑を見ても面白くないと判断して、戻ることにしました。


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爆撃の標的は何もない村です。空爆とは本当に気の毒です。


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住所表示板


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Vicolo del Castello


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城でもあるのか、と思って行ってみたのですが・・・・・


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新しい作品でしょうね。


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カステッロは単なる名称だったようで、城が見当たらなかったので、サン・レアリーノ通りに戻りました。


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忙しくあちこちの街を回る旅の途中に、このように、ノンビリ出来る日があっても良いと思います。


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サン・ジャコモ教会を通り過ぎました。


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時間が有り余っているので、ゆっくり進みました。


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日本人の私が珍しいのか、じろじろと見られることが多かった。


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観光に力を入れているようで、村役場で貰った案内パンフレットが非常に役立ちました。


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多分、時間が余るので、村の全容を見終わった後、サン・フランチェスコ教会にもう一度来ることにしました。


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村役場横のロッジャ


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サンタ・カテリーナ教会です。


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村の5つある教会全てが現役です。維持するのが大変に思えました。


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日本のような檀家制度みたいなものが教会にもある?


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夏至が終わったばかりなので、日差しが強烈でした。


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B&Bがある広場に戻りました。


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バールで一休みしました。


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街角の聖母子


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無原罪の聖母


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村の入り口から村外れまで見終わりました。


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フランチェスコ教会に戻りました。


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(おわり)

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1232年に建設されたサン・フランチェスコ教会修道院です。修道院の一部が村立美術館 Museo Civicoになってます。教会と美術館には、ボランティアの女子高校生が常駐しています。
美術館の開館は、午後のみ(午後3時頃から)で、入館無料です。


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サン・フランチェスコ教会のファサード前に立っている建物です。


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16世紀に建設されたサン・ベルナルディーノ祈祷所です。


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サン・フランチェスコ教会に入りました。


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美術館にも入館しました。


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予想以上の教会・美術館で、わざわざ来た甲斐がありました。


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サン・フランチェスコ教会と美術館に付いては、項を改めて詳しく触れる予定です。


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外に出ました。


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ガイドブックに載っておらず、「美しい村」にもリストアップされていない、ごく普通の村であるカッシーネに、このような教会・美術館があることにイタリアの奥深さを感じます。


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オラトリオは閉まったままでした。


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更に村歩きを続けます。


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広い面積の村で、人口が3千人弱なので、家が点在していると思いましたが、集落が続いていました。


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この辺は上り坂になってます。


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この辺は下り坂になってます。


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上り下りを2回繰り返しました。


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歴史的建造物です。


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Palazzo Zoppiです。


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大広間に15世紀のフレスコ画があるようですが、非公開です。


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古い建物と新しい建物が混在しています。


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新しい建物と古い建物が混在していますが、それには悲惨な村の歴史があります。
この村からあまり離れていないアレッサンドリアは軍都でした。第二次世界大戦中、アレッサンドリアは、大戦の初期には連合国の、中期から終戦まではドイツ軍の標的となり、度々爆撃を受けました。
アレッサンドリアの爆撃を終わり、基地に向かった航空機は余った爆弾を途中のカッシーネに落として、帰途についたのです。農村であるカッシーネが爆撃の標的になることは有り得ないのですが、軍都アレッサンドリアに近いことから、度々トバッチリを受けてしまったのです。
新しい建物は第二次世界大戦後に再建されたのです。


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サン・ジャコモ教会です。


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酷い落書き


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教会は現役ですが、併設の修道院は既に閉鎖されてます。


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村役場で貰った案内パンフレットによれば、作品がかなり残っているそうです。


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扉が閉まっていたので拝観出来ませんでした。


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こちらの通りは何もなさそうです。


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サン・レアリーノ通りに戻りました。


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サン・レアリーノ通りの先にブドウ畑とワイン醸造所があります。


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横道に入りました。


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横道の突き当りはブドウ畑です。


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再度サン・レアリーノ通りに戻りました。


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16世紀に建設されたパラッツォ・マルティーニです。


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写真左は16‐18世紀に建設されたパラッツォ・カドゥッチです。


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この一角は歴史的建造物が多い。


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カッシーネ村は観光に力を入れているようで、案内板が完備されてます。


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入口扉の装飾は16世紀のピエモンテの逸名彫刻家の作品です。


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この建物もパラッツォ・ピエトラサンタの一部です。


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横道のサン・ロレンツォ通りを進みました。


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サン・ロレンツォ通りには何もなさそうです。
(つづく)

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カッシーネ駅に到着しました。


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カッシーネは、人口2,932人(2017年8月31日現在)のピエモンテ州アレッサンドリア県にあるコムーネです。主要産業は農業で、ワイン醸造が盛んです。


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駅舎です。無人駅で、切符販売機もありません。
駅付近に切符を販売するバールなどがないので、車掌から直接切符を買うのが良いと思います。駅から10分ほど歩いた所にタバッキがあり、そこで列車の切符が買えますが、旅行者がそれを知るのは難しいと思います。(この日泊まったB&Bで聞いて初めて分かりました)


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チェントロ・ストーリコにある、この日のお宿に向かいます。


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ガリバルディ通りです。
馬の散歩道が歩道になっているので歩き難いです。馬がうまく歩けるように未舗装で砂が深くなってます。


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幹線道路を横切ります。


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この村に来ようと思った切っ掛けは、トリノの美術館でアレッサンドリアの画家フランチェスコ・サッシ(1912‐1993)が描いたカッシーネの風景画を見たからです。彼の作品に描かれた、中世の佇まいが色濃いカッシーネ村の風景に興味を持ち、村のことを調べたらサン・フランチェスコ教会と教会付属のMuseo Civicoが面白ろそうだったので、一度、是非、訪れたいと思うようになりました。


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チェントロ・ストーリコの入り口です。


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ワイン醸造が盛んと言うことで、周囲はブドウ畑と予想していましたが、畑がありません。家並みを外れた場所はブドウ畑が大きく広がっていますが、この時は知りませんでした。


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スティッカ通りとの交差点です。Google マップのコピーを持ちながらの移動ですが、B&Bへの正しい道を歩いているようです。


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橋を渡ります。


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橋の下は川でなく意外でした。


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初めて訪れるので緊張感がありました。ただ、ぶらぶら歩いても危険は全くありません。


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B&Bは広場の近くにあります。


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チェントロ・ストーリコに到着したようです。


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トロッティ通りを進みます。
カッシーネの宿泊設備はネットの予約サイトに載ってません。どうせ行くのならば、泊まってみたいと思い、ダメ元で村役場にメールしたら、返事が来て民宿みたいなB&Bを紹介されたのです。


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この道の先にB&Bがあると思っていたら違いました。


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写真右の建物がこの日のお宿です。完全な民宿で、村に用事で来た人が希望すれば泊まれるようになっているようです。この村では外食の夕食が難しいとの事なので、ハーフボード(1泊2食付き)にしました。


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大きな荷物を自室に入れ、身軽になって村歩きに出発しました。


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村役場に行って、カッシーネの地図を貰いたい。


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適当に歩いていたら行き止まりでした。冴えません。


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教会が見えてきたので、一安心です。


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9世紀創建のサンタ・カテリーナ教会です。


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現在の建物は17世紀に再建された二代目のものです。


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日曜日のミサの時だけ開くそうです。


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初代の建物にあった剥離フレスコ画があるらしい。それが楽しみでしたが平日では仕方がありません。


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教区教会ではないようです。


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教会前のサンタ・カテリーナ広場です。


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案内標識が完備されてます。


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Via Municipio


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イタリア人の携帯電話の会話が面白い。電話なのに、初めから最後まで途切れることなく喋っている人をよく見かけます。相手の会話を聞いているのでしょうか?相槌を入れずに只管喋っているだけ。


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道は緩い上り坂になってます。


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古い建物になってきました。


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サンタ・カテリーナ教会です。


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こんな村に来るとは俺は物好きだなあ、と思いながら歩きました。


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突き当りは村役場の建物です。


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この時は村役場とは知りませんでした。


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振り返ると坂を上って来たことが分かりました。


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サン・フランチェスコ教会です。


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Palazzo del Comune、村役場です。


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村役場で地図を頂きました。


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村役場とサン・フランチェスコ教会が面している広場が村の中心でしょう。
(つづく)

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