画家を目指す人にとって、スカルツォの回廊に描かれた、単色のフレスコ画のデッサンが必須と言われていた時期があり、今でも回廊に置かれた椅子に座ってデッサンをする画学生を見かけます。
スカルツォの回廊を「教会巡り」に含めるか、「美術館巡り」に含めるか迷うところですが、旧教会の上にMuseoとして公開されているので、後者を選択しました。
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フィレンツェのサン・マルコ教会です。


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サン・マルコ教会に向かって左側を走るカヴール通りです。写真右端の建物はサン・マルコ修道院です。


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カヴール通りを挟んで、サン・マルコ修道院の斜め前にスカルツォの回廊があります。


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あまり目立たない建物ですが、カヴール通りの69番地にあるので、通りの番地を見ながら歩けば見逃すことはないと思います。


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スカルツォの回廊です。


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スカルツォ scalzoとは「裸足の」と言う意味ですが、この場所に裸足で十字架行進を行う聖ジョヴァンニ・バッティスタ(洗礼者聖ヨハネ)信心会の修道院がありました。修道院は既に廃止され、建物は他の用途に転用されてます。
旧修道院のキオストロ回廊に描かれた単色フレスコ画のためのMuseoとして一般公開されてます。


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入館無料です。
注意すべきは公開日が少し変則であることに加えて、時々変わることがあるのです。
現在の一般公開日時は、毎週月曜日と毎週木曜日、毎月第1、第3、第5の土曜日、毎月第2、第4の日曜日の8:15‐13:50です。


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入口扉上ルネッタに彩釉テラコッタがあります。


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ロッビア一族の作品でしょうか?


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17世紀のフィレンツェの逸名画家作「聖ジュゼッペの夢」
回廊の入り口前に、係員がいる部屋がありますが、その部屋にある作品です。旧修道院にあった作品でしょうか?


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回廊の入り口前の部屋にある「磔刑」の彫刻(詳細不明)


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キオストロへの入り口です。


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キオストロに入りました。


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キオストロの中から見た入り口です。


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日差しが当たりますが、フレスコ画の保存状態は悪くありません。


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この日は、椅子に座ってデッサンする人がいませんでした。


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簡単な説明板が置かれてます。


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フレスコ画のテーマは、「聖ジョヴァンニ・バッティスタ(洗礼者聖ヨハネ)の生涯」です。聖ジョヴァンニ・バッティスタ信心会によって注文されたので、そのテーマは当然でしょう。


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「聖ジョヴァンニ・バッティスタの生涯」のフレスコ画が全部で16場面描かれてますが、そのうち、アンドレア・ダーニョロ・ディフランチェスコ通称アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1531)が14場面(1509‐1523)、フランチェスコ・ディ・クリストファーノ通称イル・フランチャビージョ(フィレンツェ、1482‐1526)が2場面(1518‐1519)制作しました。
1505年、アンドレア・デル・サルトとフランチャビージョは友人同士となりましたが、すぐに意気投合して、翌年の1506年、フィレンツェのグラーノ広場に2人の共同工房を立ち上げました。
フランチャビージョはフレスコ画が得意だったので、アンドレア・デル・サルトが受注したフレスコ画制作に度々手伝っていました。
「聖ジョヴァンニ・バッティスタの生涯」は、アンドレア・デル・サルトに注文されたものですが、何故フランチャビージョが2場面制作したのかについての記録が残されてません。
その理由の有力説は、このフレスコ画の製作途中の1518年に、アンドレア・デル・サルトは、フランス王フランソワ1世から招聘を受け、フォンテーヌブローに赴きました(ここまでは事実です)が、フランス滞在の不在中の制作を親友のフランチャビージョに託したというものです。
アンドレア・デル・サルトのフランス滞在はもっと長期にわたる筈だったので、アンドレアの未着手のフレスコ画制作全部をフランチャビージョに託したと私は思います。
フランチャビージョが何故2場面制作したのか、これにはアンドレア・デル・サルトの悪妻ルクレツィアの存在が影響していると思います。
アンドレアの妻ルクレツィアは悪妻として有名ですが、フランス滞在中のアンドレアに対して「寂しいので早く帰って来て」との要求を何度も伝えて、フランス滞在の契約中にも拘らず、アンドレアはフィレンツェに戻ってきてしまったのです。
フランソワ1世は、呆れてアンドレアの悪口を言ったとの記録が残されてます。
アンドレアの妻は悪妻でしたが(この他にもエピソードがあります)、妻に惚れ込んでいたアンドレアは、異郷での独り身が堪えたので、これ幸いにフィレンツェに戻ったのでしょう。
アンドレアの不在中にフランチャビージョが制作したのは2場面で、アンドレアが戻ってきたので、残り全部をアンドレアが制作した、と考えるのが自然と思います。
ついでにアンドレアの妻ルクレツィアを載せましょう。


1
アンドレアは、後に妻となるルクレツィアが恋人になると、それ以降の作品に登場する聖母の顔は殆どがルクレツィアの顔となりました。


2
ハルピュイアの聖母(ウフィツィ美術館蔵)


3
聖家族(ローマ・バルベリーニ宮国立絵画館蔵)
恋人や妻を聖母のモデルにした画家は、フィリッポ・リッピ、マッテオ・ディ・ジョヴァンニなど数多くいます。
話が脱線しました。
では、次に16場面を紹介しましょう。


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アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1531)の「Fede (信義の女神)」(1523c)


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アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1531)の「ザッカリアでの天使の出現」(1523)


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回廊のルネッタにもフレスコ画があります。


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アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1531)の「ご訪問」(1524)


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アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1531)の「洗礼の名の命令」(1526)
単色フレスコ画の作品は少ないですが、画家の実力が出てしまいます。スカルツォの回廊のフレスコ画を見れば、アンドレア・デル・サルトの凄さが分かると思います。


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「洗礼の名の命令」の上部ルネッタのフレスコ画


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フランチャビージョ(フィレンツェ、1482‐1526)の「砂漠に出発する聖ジョヴァンニ・バッティスタへの祝福」(1518‐19)


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「砂漠に出発する聖ジョヴァンニ・バッティスタへの祝福」の上部ルネッタのフレスコ画


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フランチャビージョ(フィレンツェ、1482‐1526)の「キリストと聖ジョヴァンニ・バッティスタの出会い」(1518‐19)


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「キリストと聖ジョヴァンニ・バッティスタの出会い」の上部ルネッタのフレスコ画


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アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1531)の「キリストの洗礼」(1509‐10)
「キリストの洗礼」が最初に制作されました。


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「キリストの洗礼」の上部に描かれたフレスコア


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アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1531)の「慈愛」(1513)


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聖アントニーノ・ピエロッツィ大司教の胸像です。


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聖アントニーノ・ピエロッツィ大司教(フィレンツェ、1389‐モントナーギ、1459)は、サン・マルコ修道院長だった頃、ベアート・アンジェリコの庇護者として有名です。
しかし、この胸像がここにある理由が分かりません。


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アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1531)の「正義の女神」(1515)


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アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1531)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの説教」(1515)


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「聖ジョヴァンニ・バッティスタの説教」上部のフレスコ画


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アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1531)の「洗礼を施す聖ジョヴァンニ・バッティスタ」(1517)


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「洗礼を施す聖ジョヴァンニ・バッティスタ」の上部のフレスコ画


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アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1531)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの逮捕」(1517)


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「聖ジョヴァンニ・バッティスタの逮捕」の上部のフレスコ画


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アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1531)の「サロメの踊り」(1522)


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「サロメの踊り」上部のフレスコ画


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アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1531)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの斬首」(1523)


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「聖ジョヴァンニ・バッティスタの斬首」の上部


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アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1531)の「ヘロデ王の宴」(1523)


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「ヘロデ王の宴」の上部のフレスコ画


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アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1531)の「希望」(1523)


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以上16場面でした。


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外に出ました。


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何時訪れても感慨を新たにする傑作です。